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のぞめない七色 - ひみつ@出来れば日付が変わる前に上げたかった・・・ - 2008/06/21(Sat) 01:03:09 [No.380]
この手に抱けぬ、遥か彼方の宝物 - ひみつ - 2008/06/21(Sat) 00:15:49 [No.379]
一番の宝物 - ひみつ - 2008/06/20(Fri) 23:30:23 [No.378]
宝者 - ひみつ - 2008/06/20(Fri) 22:54:03 [No.377]
宝はついに見つからず - ひみつ - 2008/06/20(Fri) 21:55:43 [No.376]
宝物 - ひみつ - 2008/06/20(Fri) 19:37:51 [No.375]
ものがたりはつづいていった。 - ひみつ - 2008/06/20(Fri) 19:18:10 [No.374]
似た者○○ - ひみつ@今回一番の萌えキャラを目指してみた - 2008/06/20(Fri) 19:07:28 [No.373]
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その境界を越えて - ひみつ@Ex記念に初書きしてみました - 2008/06/20(Fri) 10:43:04 [No.368]
海の話 - ひみつ@一度参加してみたかったんです - 2008/06/20(Fri) 01:13:44 [No.367]
宝の山に見えて、ついカッとなってやった。反省してい... - ひみつ - 2008/06/19(Thu) 22:19:59 [No.366]
そんなあなたが宝物 - ひみつ - 2008/06/19(Thu) 20:33:17 [No.365]
ログとか次回なのですよ - 主催 - 2008/06/22(Sun) 23:45:36 [No.383]



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第12回リトバス草SS大会(仮) (親記事) - 主催

 詳細はこちら
 http://kaki-kaki-kaki.hp.infoseek.co.jp/rule.html
 この記事に返信する形で作品を投稿してください。

 お題は「宝」です。

 締め切りは6月20日金曜午後10時。
 厳しく締め切るつもりはありませんが、遅刻するとMVPに選ばれにくくなるかも。詳しくは上に張った詳細を。

 感想会は6月21日土曜午後10時開始予定。
 会場はこちら
 http://kaki-kaki-kaki.hp.infoseek.co.jp/chat.html
 はじめにMVP投票(最大3作まで投票可能)を行いますので、是非是非みなさまご参加くださいませ。
 ご新規、読みオンリー、感想オンリー、投票オンリー、大歓迎でございます。


[No.363] 2008/06/19(Thu) 20:18:18
そんなあなたが宝物 (No.363への返信 / 1階層) - ひみつ

 気持ちのいい日だった。
 空は青く、雲は白く、身を寄せた木が微風に揺れる。少しお洒落をしてきた服も、一緒に風に揺れていた。
 校庭の向こうで駆け回る同級生達と、その向こうに悠然と建つ校舎。頭上からは、初夏の日射しが降り注ぐ。
 そんな初夏の休日、時間はゆっくりと過ぎていく。
 雲が流れて、風が吹いて、蝉時雨が降っている。ミンミンミンミン……普段はうるさいその声も、夏の足音と思えばいいものね。
 とても幸せな時間、これほど幸せな時間を過ごしてもいいのだろうか……そんな事を思いながら時を過ごす。のんびり、のんびりと……
 待ってる時間は苦にならない。今まで待っていた時間を考えれば、この時間はほんの僅か。それも、幸せな未来が約束された、とても充実した待ち時間。
 大切な大切な、私の時間。



 あの子はどんな顔をしてやってくるんだろう?

 どんな服を着てくるんだろう?

 どんな挨拶をしてくれるんだろう?

 どんな仕草をしてくるんだろう?

 

 そんな事を考えていると、思わず顔がにやけてしまう。思わず自分の頬をつかんで、真面目な表情を作る。参ったわね、これじゃあデートの待ち合わせみたいじゃない。
 夏の木陰、にやけた顔を誤魔化す私。

「やれやれ、これじゃあクドリャフカにアホの子なんて言ってばかりいられないわね」

 むしろ私がアホの子だ、これは残念ながら認めざるを得ない。認めたくはないけど認めざるを得ない。葉留佳に指摘された時には思わず突き飛ばしたけど、川に……
 なんとなく恥ずかしい気持ちを誤魔化そうと、腕時計を見て、少しため息。待ち合わせ時間を8分と32秒も過ぎている。
 あの子が遅刻するのはいつもの事だけど、もうちょっと時間は守って欲しいものね。でも、もし遅刻しないようになったら、今度は私が早く来るようになるんでしょうけど。この時間をもっと長く過ごしたくて。
 そう思いながらため息をつき、気付く。腕時計を見てため息をつく私、ついでにその後落ち込む私。

「だからまるっきり恋する乙女じゃない」

 思わず木を殴りつけた、蝉が降ってきた、頭にぶつかった、痛い。
 あんまり間抜け過ぎて、自嘲すら出てこない。あの子と仲直りしてから、すっかりトゲを抜かれてしまった気がする。
 それはきっといい事なのだろうけど、さすがにここまでだと……はぁ。
 


「葉留佳、早く来ないかしら……」

 しばらく悩んだ後、色々な気持ちを詰め込んで、声にして出した。それはのんびり空へと消えていく。雲は少しだけ動いていた。
 蝉時雨は変わらずに、太陽は心持ち日射しを強める。校庭で駆け回っていた生徒は、休憩なのかいつの間にか姿を消していた。
 誰もいない校庭に、少しだけ寂しくなる。

「寂しい……ね」

 昔はまず感じなかったであろう気持ちを口に出す。
 寂しいという気持ちは、誰かが側にいるから出てくる言葉。最初から誰も側にいないのなら、出てくるはずのない言葉。
 そんな気持ちを感じるようになったということは、きっと今の私は幸せなのだろう。



 私がここに来てからもうすぐ1時間。

 待ち合わせ時間からは15分と42秒。

 太陽が空に昇ってから、何時間経ったのかしら?



 その太陽はますます勢力を強めて、地面を灼く。校庭が熱さで揺れている。
 木陰にいるせいか、それとも風がきているせいか、汗はかいてない。汗をかいたら葉留佳に嫌われるっていうこともないでしょうけど……まぁ、そのあたりは姉としての威厳とか色々……万が一にも嫌がられたくはないしね。

「それにしても……遅いわね」
 
 呟いて時計を見る。
 もうすぐ待ち合わせから20分。あの子なら、平気で30分とか遅れて来そうだけれど……というか来るけど。
 
 不安になって、校門を見る。人影はない。
 注意力散漫の言葉が似合う子だし、いらぬ事に手を出してそうだし、基本的に抜けてる部分が多いから、事件事故に巻き込まれていないか心配だ。
 常識的に考えれば、事故に遭ったりする可能性は非常に低い、寮からここまで、危険な事などそうそうない。

 ……のだけど。

 あの事故だって、その小さな可能性の中から出てきたものだ。
 だから……だけど……

 ビー玉上げるからおじさんと一緒に来ないとか言われて、変なのについていったりしていないかしら?
 道ばたに生えてるきのこを食べて、のたうちまわっていないかしら?
 車と相撲をとっていないかしら?

 生まれてきた不安は、困った事にどんどん広がる。
 不安が不安を呼んで、あらぬ想像が膨らんでしまう。
 
「迎えに行こうかな」

 空を見上げながら呟く。青い空が頭上に広がり、遙か彼方には白い雲が仲良く並ぶ。少しだけ気持ちが和んだ。
 もうちょっと待ってみよう。私が探しに行って、行き違いになったらやっぱり困る。もう、なんで待ち合わせ一つですらこう迷惑をかけたがるのかしらあの子は!
 一瞬苛立った気持ちは、深呼吸3回で収まった。まぁ今日のお茶会は葉留佳のおごりという事で許してあげよう。私は寛大なのだ。
 あ、家には夕食はいらないと伝えておこう。
 それにしても、仲直りしてから独り言が多くなった気がする。感情が外に出る事が多くなったのだろう。
 多分それはいいことなのだけど、反面不安がる事が多くなったのは困りものだ。自分がこれほど依存心が強かっただなんて……

「ふっ」

 何かわからずに自嘲して、不安を吹き飛ばす。
 毎回毎回、あの子はこうやって私を不安がらせるのだ。悔しいけど、それが不思議と嬉しいのは何故かしら?


 
 やれやれと首を振った。
 周囲を見回せば、相変わらず校門には人影がなくて、昼前ののんびりとした風が吹いている。山の匂いを含んだ風はとても心地よい。
 もうちょっとだけ待ってみよう。こんな幸せな時間の中で、そうそう変な事は起こらない。
 それに、あの子はいつもいつも、私が待ちきれなくなるギリギリにやってくるのだ。もう、どこかで見てるんじゃないだろうか? そんな事を思う位ぴったりのタイミング。
 本気で怒ったり、心配したりする直前に、全く悪びれない表情で「ごめん、お姉ちゃん。遅れてしまったのですヨ」などと言って現れるのだ。
 まぁ、案外そういうのが『姉妹』っぽい関係なのかもしれない。























「ところで葉留佳君、こんな所で何をしているのだね? まるでストーカーのように物陰に潜んで」
「おおっ姉御。鋭いですねぇ、実ははるちんお姉ちゃんをストーキング中なのですヨ」
「……ふむ」
「って姉御、黙って110番はなしにして下さい、お姉ちゃんが悲しみます。これは愛ゆえにってヤツなんですよ。え? ストーカーはみんなそう言う? だからストーキングしてるって言ったじゃないですか。……何でバカ見たような表情してるんデスか?」
「……こほん、ともかく側に行って話してやればいいじゃないか。今の佳奈多君なら、邪険にする事もあるまいて、むしろ「ううん、待ってなんかないわ、今来た所よ? 今日のお弁当は私の手作りなのよ(はぁと)」と言ってくれるだろう。無論、その時の様子はビデオに包み隠さず撮影するようにな」
「いやいや、お姉ちゃんはまずそんな事言いませんから、見たいですけど。でもどっちかっていうと「てめぇ何遅れてやがるコラ」ですね、吹っ飛ばされます、愛が痛いです。それにですね、おしゃべりもいいんですが、なんかもー私を待ってもじもじしたりそわそわしたりしているお姉ちゃんを見るのがたまらなく楽しいんですヨ。ああ、こんなに私の事思っててくれるんだなぁてへり、みたいな。今までの待ち合わせをばっちり撮影したビデオテープは私の宝物なのですヨ。……何でバカップル見たような顔してるんデス?」
「見たからだ。毎回そんな事をやっているのか、君は? まぁ君たちは間違いなく姉妹だな」
「嫌だなぁ姉御、そんな風に言わなくたって間違いなく姉妹ですヨ。待ち合わせの2時間前から潜むのは、山より深い姉妹愛がないと」
「そうか、まぁお幸せにな。まぁ今でも十分に幸せそうだが……色々と」
「いやぁ、もうはるちんはばっちりハッピーなのですよ。それじゃあ姉御、そろそろお姉ちゃんがしびれを切らす頃なのでまた今度〜」
「うむ、健闘を祈る」





「ふむ……おお、綺麗に吹っ飛ばされたな、葉留佳君も。それでその後はすぐに手をつなぐわけか……やれやれ。私の宝物もすっかりとられてしまったな、少々妬けるよ、佳奈多君」

 数日後、佳奈多の部屋に『佳奈多をストーキング中の葉留佳』なるタイトルの大長編ビデオテープが送りつけられ、大騒ぎになったりならなかったり。



『了』


[No.365] 2008/06/19(Thu) 20:33:17
宝の山に見えて、ついカッとなってやった。反省しているが後悔はしていない――容疑者の供述より抜粋 (No.363への返信 / 1階層) - ひみつ

「ミステリーはお好きですか? ……でしたら、このお話などどうでしょう。読み進めながら犯人が誰なのか考えるのも、また一興だと思いますよ。そう、犯人は……あなたもよく知っている、あの人ですから――」










   May’n探偵絶対可憐直枝理樹のごとく2ぶんの1  事件ファイルNo.69
   「小毬さんのおパンツ事件その2 〜変態は誰だ!?〜 」





 小毬さんのぱんつが盗まれた。

「な、なんだと!?」

 とりあえず最有力の容疑者である来々谷さんにそれとなくその旨を伝えてみると、本気で驚かれた。この手の演技は苦手な人なので、本当に知らなかったらしい。

「本当なのか、小毬君」
「うん……女子寮に干しておいたのが、昨日なくなってたの」
「ということは」

 来々谷さんの視線が、下向きになっていく。ちょうど小毬さんのスカートに当たるあたりで固定された。

「小毬君、今、ぱ、ぱんつ、は、はいてな……って、前にもこんなやりとりなかったか?」

 まあ○ディアワークスより好評発売中の公式4コマコミック1巻を参照ってことで。

「ふっ、そう何度も同じ手には乗らんぞ」
「いやまあ、来々谷さんが勝手に妄想してるだけなんだけどさ。でも、今回はその妄想もあながち間違いじゃないんだよね」
「なんだと? どういうことだ少年、ちゃんと説明しろ」

 来々谷さんの表情は真剣そのものだ。こんなことに真剣になられても困るけど、興味なさそうにしてたらそれはそれで天変地異の前触れみたいで恐い。

「ここ最近、ずっと雨が続いてたでしょ?」
「まあ、梅雨だからな」
「で、小毬さんは太陽の光を直接たーっぷり浴びたぽっかぽかのぱんつじゃないと穿きたくないっていうポリシーの持ち主だ」

 ここまで言ってしまえば、来々谷さんほどの人なら状況は完全に飲み込めているだろう。すでに視線を小毬さんのスカートへと戻し、ハァハァと息を荒くし始めている。

「小毬さんは……いつか晴れの日が来ると信じて、ぱんつを洗濯せずにしておいたんだ。そして一昨日の夜の天気予報は……明日は降水確率0パーセント。雲一つない青空が広がるでしょう。小毬さんは、溜まっていたぱんつを喜々として洗濯機に放り込んだ」
「り、理樹くん、そんな風に話されると恥ずかしいよ〜……」

 スカートの裾をぎゅっと握ってもじもじする小毬さん。さらに息を荒げる来々谷さん。僕は平静を装った。

「その翌日、つまり昨日。ようやく暖かな日の光を浴びることのできたぱんつたちは、しかし何者かの手によって盗まれてしまった。さらに」

 来々谷さんが、ごくりと喉を鳴らすのが聞こえる。どんだけ期待してるんだ、この人は。

「不幸なことに……小毬さんが昨日穿いていたぱんつは、なけなしの、最後の一枚だった」

 そして。女の子たるもの、洗ってもないぱんつを二日連続で穿くなんてこと……できるはずがない。

「と、いうことは。小毬君は今、の、の、の、のーぱ、のーぱ、ののののーぱぱぱ」
「興奮しすぎだからね来々谷さん」
「これが興奮せずにいられるか!」

 まあ気持ちはよくわかる。僕だってそうだった。でもね来々谷さん。こんなの、まだ序の口なんだよ。

「え、えっと〜……確かに穿いてないんだけど、でも、だいじょうぶ、だから〜」

 ああ、やっちゃうのか。やっちゃうのか小毬さんっ!
 小毬さんがっ! スカートの裾にっ! 手をかけてっ! ピラッとっ! 捲り上げるっ!

「ほら、代わりにこれ穿いてきたから。だいじょうぶ、だよ〜」

 そう、それは――素肌の上に、ピッチリした紺の、スパッツ。

「サンキュースパッツ!!」

 来々谷さんは鼻血を吹きだしながら倒れ伏した。

「ほわあっ!? ゆ、ゆいちゃんどーしたの!? 理樹くん、ゆいちゃんが、ゆいちゃんがー!?」

 ふふ……かく言う僕も、鼻血ダラダラでしてね……。





 奇跡的に復活を遂げた来々谷さんとともに、空き教室を無断使用してぱんつ泥棒をひっ捕らえるための捜査会議を開くことになった。

「許せんな、犯人め。水色フリル付きでサイドにリボンの可愛いのも、パンダ柄に淡いみどり色のも、アリクイ柄もいちご柄も、さわやかなグリーンストライプも、落ち着いた感じの無地も、先日恭介氏のために購入した黒くて透け透けで紐なほとんど下着としての役割を果たしていないものも……全て! 全て盗んでいったというのか!」
「あの、ゆいちゃん? どうしてそんなに私の下着事情を……」

 卒業して今日も世界のどこかで一人せっせと働いているはずの恭介に対して軽く殺意の波動を送り込んだ後、手がかりになるか分からない程度の“気になること”を言ってみることにした。

「この前の下着泥棒が持っていったのはぱんつだけだったけど、今回は違うんだよね。一緒に干しておいたぶらじゃーとか靴下とかも、根こそぎ持っていかれてる」
「ふむ……しかしそれは、干されている洗濯物の中からぱんつだけを抜き取るのが面倒だったからではないか? そうでないとしても、年頃の娘が身に付けていたものだ。私が犯人だとしたら、ぱんつだけで我慢しろというのは無理な話だな」
「まあ、別におかしなことではないんだけど、ちょっと引っかかるというか……」

 それが何なのか説明するのにうまい言葉が浮かばず。あれこれと考えているうちに、教室後方の引き戸がガラリと音を立てて開いた。

「こんなところにいたの、あなた達」
「大変ですわ、神北さん!」

 やって来たのは、風紀委員として現場検証をしていた二木さんと、小毬さんと同室であるという立場からそれに同道していた笹瀬川さんだった。

「た、たいへんって……どうしたの、さーちゃん」
「あなた、今朝部屋を出る時に鍵を閉め忘れていったでしょう!?」
「え? えっと〜……あれ、どうだったかな?」

 う〜んう〜んと可愛らしく唸りながら懸命に思い出そうとしている小毬さんだったけど、これはどうも笹瀬川さんの言うとおりだと考えた方がいいみたいだ。二木さんも同じ考えに至ったのか、溜息をひとつついた後に説明を始めた。

「神北さんが昨日着ていたという下着……昨日の今日だから外には干さなかったようだけど、部屋に置いてあったはずのソレが無くなっていたのよ」
「え、ええ〜っ!?」
「そう、昨日あなたが身に付けていた……あの、黒くて……ああっ、これ以上はわたくしの口からは言えません! とにかく、件の変態に盗まれたに決まっていますわ!」
「くぅ……っ! 昨日か、昨日だったのか! 昨日の小毬君は黒くて透け透けで紐だったのかっ!」

 来々谷さんだけ思考が別ベクトルに飛んでいるような気がするけど、まあそれは置いておくとして。

「笹瀬川さん、ちょっといいかな」
「何かしら、直枝さん」
「君のぱんつは無事だった?」
「ええ、そういえば……まったくの手つかずでしたわね」
「なるほどね……」
「何か気付いたことでもあったのかしら、直枝君」

 二木さんが僕に尋ねてくるけれど、その表情を見る限り彼女も気付いているだろう。興奮状態にあった来々谷さんもいつの間にか「うむ」と頷いている。これは、あくまで確認だ。ひたすらショックを受けている様子の小毬さんにこの事実を告げるのは酷な気もするけど、手がかりを得るためにはどちらにせよ話さなければならないだろう。
 僕は一呼吸置いてから、口を開く。

「一緒に盗まれていった衣類。手つかずだった笹瀬川さんのぱんつ。つまりこれは、ぱんつが目的ってわけじゃない。狙いは……小毬さんだ」
「いわゆるストーカーというやつだな」

 僕が突き付けた事実に、小毬さんは打ちひしがれたような表情を浮かべた。
 小毬さんは誰をも惹きつける魅力の持ち主だ。でも、そのために向けられる好意が度を越せば、それは簡単に悪意へと変質する。

「安心なさって、神北さん。そんな不埒者、わたくしたちが手早く捕まえてみせますわ!」
「まあ、神北さんは可愛いものね。ストーカーがいてもおかしくはないわ。だからそんなに落ち込まないで」
「うう……さーちゃん、かなちゃん……」

 それぞれ小毬さんを元気づけようとする笹瀬川さんと二木さん。いやまあ二木さんの慰め方が微妙に間違ってるような気もするわけだけど。「このまま優しく慰めてあげたら流れで美味しくいただけちゃったりしないかしら」とか心の声が聞こえてしまったような気がするわけだけど。とりあえず無視する方向でいこうと思う。





 僕たちは、二手に分かれて学内での聞き込み調査を始めることにした。二木さんによれば、学校部外者の犯行である可能性は低いとのことだ。以前の下着泥棒事件を受けて、警備が強化されているためだという。つまり内部の人間が犯人である可能性が高くなるわけだけど、小毬さんにストーカーの心当たりは無いという。
 班分けの際、二木さんは頑なに小毬さんと二人で行くことを主張していたけど、それは僕が阻止しておいた。恭介のいない間、小毬さんを守るのは僕の役目だ。……まあ、その割には今回の騒動のせいで恐い思いをさせてしまっているわけだけど。でも、だからこそ、身の程知らずの変態野郎をさっさと捕まえなければならない。
 というわけで、僕の班には小毬さんと笹瀬川さん。それに加えて、笹瀬川さんはソフトボール部の部員を総動員させてくれている。
 しかしながら、聞き込みを始めて二時間、手がかりは全く得られていない。二木班からも、「収穫なし。むしろ私、収穫されそうになったわ……あ、ちょ、どこ触って、あぁん!」と一度連絡があったきりだ。この時間を使って小毬さんの新しいぱんつを買いに行っていたほうが良かったんじゃないかとも思うけど、それじゃ意味がない。新しいぱんつも、また餌食にされてしまうだけだ。

「あっ! あれは……」

 笹瀬川さんが、前振りなく声をあげた。反射的に、僕はそちらに視線を向ける――うげ。

「棗鈴っ! ……って、あら?」
「どうした、さざんといえばつなみ」
「さ・さ・せ・が・わ・さ・さ・み、ですわ! それより、あなた……なんですの、それは」

 笹瀬川さんの視線がどこに向けられているのか、僕にはわざわざ見ずとも分かる。幸薄いはずのそこが、どういうわけか膨らんでいるのだから、気になって当然だろう。

「直枝さん、あなたまさか……伝説の、神の指(ゴッドフィンガー)の継承者でしたの!?」
「いやいやいや、昨晩どころか今朝起きた時もちゃんとぺったんこだったからね? というか何その伝説」
「誰が洗濯板じゃボケーッ!!」

 ぶよん、と不自然な揺れを伴いながらツッコまれる。
 鈴のおっぱいが急成長を遂げた――なんてことがあるはずもないので、どうせパッド装着しただけなんだろう――のは、今日の昼休みの終わり頃だったはずだ。そんな鈴を、いつもは鈴を快く思っていないはずの女子グループをも含めたクラス全員が微笑ましく見守っていたわけだけど、僕としては正直そんな穏やかな気分ではいられない話だった。
 だってさ、これ、絶対僕に対する嫌味だよ。だいたい揉んだら大きくなるなんて科学的根拠のない都市伝説をアテにされても困るというかそもそも揉めるだけのサイズすらないのにどうしろっていうんだというか鈴はそのままでいてくれるのが一番いいというか、とにかく嫌味だ、嫌味に違いない。あれだけ色々やっといてまったく成長する気配がないとはどういうことだ、という無言の訴えなんだよ。きっとそうだ。
 そんなわけで、今の鈴を前にするのは非常に居心地が悪い。

「……まあ、いいですわ。それよりも棗さん、ちょっとお聞きしたいのですけど」
「なんだ、なんかあったのか?」
「実は、かくかくしかじかでして」
「なるほど。それでこまりちゃんが後ろでしょんぼりしてるのか」

 それで通じていることにわざわざツッコミを入れようとは思わない。そんなことどうでもいいから早く立ち去りたい。どうせ鈴が何か知っているとも思えないし、

「あたし、犯人知ってる」

 ええええええええええー。

「本当ですの!?」
「す、すごいよりんちゃん!」

 鈴は誇らしげに違和感ばりばりの胸を張る。手がかりどころかいきなり犯人って、いくら尺が無いからって都合良すぎな気がするけれど……いやでも、ようやく進展しそうなんだし話を聞くぐらいはしたっていいだろう。

「それで鈴、犯人はいったい……?」
「聞いて驚け。犯人は……」
「「「犯人は?」」」
「……うちの馬鹿兄貴だ!」

 ぶよん。

「……小毬さん、恭介って今どこにいるんだっけ?」
「えっと〜……D○SH村だったかなぁ。あ、ほら、写真だよ〜」

 携帯の画面には、数匹のヤギと戯れていたり、畑を耕していたり、すっかり馴染んでいる様子の恭介が写っている。メールの日付は昨日。ちなみにこれ、小毬さんだけでなく僕らリトルバスターズメンバー全員に送られてきたものなので、当然鈴だって知っているはずなのだけど。

「これはあれだ、モハメド・アリ工作だ」
「アリバイね」
「そう、それだ。先に写真だけ撮っておいて、それを後から送ってきたんだ」
「やけに自信満々だけど、まさか恭介が小毬さんの部屋に侵入するのを目撃したの? そうじゃなくても、近所で見かけたとか……」
「いーや、そんなことはない」

 また胸を張って答える。ぶよん。

「なら、その自信はどこから湧いてくるんですの……」
「なぜなら、やつは変態だからだ。そして変態だからだ」
「大事なことだから二回言ったんだね、わかるよ」
「わ、わかっちゃダメだよ理樹くん! りんちゃんもダメだよ。きょーすけさんがそんなことする人じゃないの、知ってるでしょ?」

 小毬さんの言葉に、鈴の表情が翳った。
 不機嫌、というほどではない。ただ、むっとしているのは確かだろう。別に初めてのことというわけでもなく、恭介と小毬さんが付き合い始めたのかどうなのかよくわからない微妙な関係になったころから、小毬さんが恭介のことを口にすると、鈴は時折そんな顔を見せるようになった。
 要するに、大好きな小毬さんを恭介に盗られたように感じて、嫉妬しているのだろう。それはまあ、以前の鈴を思えば微笑ましいものではあるんだけど、僕からすると恋人としての立場がないというかなんというか。

「……きょーすけは変態だ」

 鈴はしつこく言い張った。今度は――これは本当に珍しく――小毬さんが、むっとした表情を見せる。

「りんちゃん、ちょっと――」
「こまりちゃんにこんな写真撮らせるようなやつ、変態以外の何者だっていうんだっ!!」

 小毬さんの言葉を遮って、鈴が勢いよく突きつけたのは、携帯電話だった。僕の位置からはよく見えないけど……その画面には、何か写真らしきものが表示されている。写っているのは、小毬さんに見えるような、見えないような。
 その小毬さんは、

「な、え、あ、ぅああっ、ななな、なんでりんちゃんがそれを!?」

 あわあわと動揺しまくっていた。つまり、やはりそれは小毬さんの写真であるということなのだろう。鈴が恭介は変態であると主張する根拠たる写真、いったいどんなものなのか気になってしょうがない。僕はさり気なく身を乗り出し、目を凝らす。
 素知らぬ顔の笹瀬川さんにブロックされた。

「馬鹿兄貴、いや変態兄貴が間違って送ってしまったらしい。すぐに削除しろって電話がきたが、削除の仕方がわからなかった」
「わ、私が削除してあげるから、貸して〜!」
「やだ」
「ふえええっ!? ど、どーしてっ」

 僕が笹瀬川さんの妨害を受けている間にも、話は進んでいく。ええい、ちょっと! どいてよどいてくれよ、見たいんだよどうしても!

「これはしょーこひんだからだ。こまりちゃんの頼みでも聞くわけにはいかない」
「そ、そんなぁ〜……うわぁああんっ、おーよーめーにーいーけーなーいー!!」
「泣かないでくれ、こまりちゃん。もしもの時は、あたしがもらってあげるから」

 笹瀬川さんのボリュームある頭越しに、鈴が小毬さんの肩にぽん、と手を置くのが見えた。ねえ鈴、その場合僕はどうなるのかな……って、そんなことはどうでもいいんだよ! 今何より重要なのは、小毬さんがお嫁に行けなくなってしまうような写真なんだ! 大丈夫だ小毬さん、もしもの時は僕が貰ってあげるから!
 いつの間にか笹瀬川さんの取り巻き三人組もブロックに加わっていた。うわあああ……。

「その、あまり気にしないほうがいい。どうせあの変態が、嫌がるこまりちゃんに無理やり撮らせたんだろう? まったく、あんなのが兄であたしは恥ずかしい。かるくしにたくなる」
「……違うもん」
「こまりちゃん?」
「きょーすけさん、そんなこと言わないもん! それは、私が勝手に――!」
「ちょっ、神北さん!? あなた何を口走ってるんですの!?」

 はっ、笹瀬川さんに隙ができた……! 今しかない! うおおおおおっ!!
 ……いよっしゃあっ! 抜けたぁあああっ!

「……う、嘘だッ!! こまりちゃんがあの変態のために自分でこんな写真撮ったっていうのか! そんなのっ」

 僕がついに目にしたそれは、

「嘘じゃないよ! 確かにきょーすけさんはちょっとえっちかもしれないけど、変態なんかじゃないもん!」

 つまるところ、

「う……嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ、嘘だぁっ! うわああああああああああああああっ!!」

 スパッツもいいけどやっぱりぱんつもいいよね、みたいな。

「あ、え、りんちゃん!? ま、待って、それ消して〜!」

 違和感たっぷりにぶよんぶよんと胸を揺らして走り去った鈴を追って、小毬さんも姿を消した。
 取り残された僕と笹瀬川さん。笹瀬川さんは、大きく溜息をついた。

「知ってたんだ?」
「あのアングル、一人では撮れなくてよ?」
「ああ、なるほど」





 その後も笹瀬川さんと一緒に聞き込みを続けたものの、鈴の話以上に有益な情報を手に入れることはできなかった。いやまあ、鈴の話が果たして有益かと言われると微妙なところだけど。なんだかんだで割とまじめにやっていたらしい来々谷さんと二木さんの方も、さして変わらないようだった。日もすっかり暮れた頃になって、その日の捜査は打ち切られることになった。
 自室に戻ると、部屋の前に真人が突っ立っていた。はて、今日は帰りが遅くなるかもしれないから、と鍵を渡しておいたはずだけど。まさか失くしてしまったのだろうか。

「どうしたのさ、真人」
「おう、理樹か。いや、なんかいきなり鈴がやってきてよ。そんで一人にさせてくれって言うもんだから」

 結局小毬さんは追いつけなかったらしい。明かりも点けずにベッドの隅で膝を抱えて小さくなっている鈴の姿が容易に想像できた。

「真人、少しの間どこかで時間潰してきてくれないかな」
「ああ、構わねぇよ。済んだらケータイに連絡くれ」
「うん。悪いね」

 真人の大きな背中を見送ってから、僕は部屋のドアを開けた。僕が想像した通りの光景が、そこにはあった。

「鈴」
「理樹か」

 明かりは点けないで、僕は鈴と少し距離をおいてベッドに腰かけた。
 しばらくして、鈴が今にも泣き出しそうな声でぽつりと言った。

「もう、なにもしんじられない」

 小毬さんの色ボケがそんなにショックだったのか、今の鈴はひどく儚げに見える。それこそ、放っておいたら消えてなくなってしまうんじゃないかと思ってしまうほどに。僕には――それが、無性に悔しくてならなかった。

「僕のことも、信じられない?」

 鈴が、はっと何かに気付いたように顔を上げた。

「そ、それは」
「信じられないっていうなら、それでもいいんだ。それは、僕が鈴に嫌われてしまったってことだと思うから」
「な、なってない! 嫌いになんかなってないぞっ」

 鈴ががばっと身を起こして、僕に詰め寄ってくる。儚げな雰囲気が掻き消えると共に生気が戻ったように見えて、僕は安心した。そう、鈴だって本当はわかっている。ただ、少し拗ねていただけなんだ。

「鈴」
「う、うん、なんだ」
「鈴が何もかも信じられなくなって、それでも僕を信じてくれるっていうなら……僕はちゃんと、鈴の手を引くから」

 鈴が目を丸くする。……まあ確かに、少しキザすぎる気がしないでもないけど。そんなに似合わなかっただろうか、などと思う間に。

「りきっ」

 鈴が、まるで猫みたく飛びついてきて――僕らはそのまま、唇を重ねた。
 辛うじて受け止めた鈴の身体は、いつものようにちっこくて、そして温かかった。唇を合わせたままその背中に手を回して、ぎゅっと抱き締める。
 違和感があった。

「……ねぇ、鈴」

 唇を離す。どこか名残惜しそうにしている鈴に、僕は空気を読まず、読もうともせず、ついに言ってしまった。

「なんでパッドなんか付けてるのさ」
「う、うみゅ」

 鈴は逃げるかのようにそっぽを向く。その仕草は、恥ずかしいというよりもバツが悪いといった感じで、僕にはそれが不思議だった。いつもの鈴なら、前者の反応になると思うのだけど。
 とりあえず、優しく押し倒しておいた。

「うにゃー!? ちょ、り、理樹!?」
「ん、どうしたの」
「だ、だめだ! 今日だけは、その……」

 僕は、少し悲しくなった。せめて今日一日だけ、虚構でもいいから大きなおっぱいが欲しい……鈴にそんなことを思わせてしまっているのは、僕が不甲斐ないせいだ。彼女のささやかな願いを妨げることが、どうしてできようか。

「わかったよ、鈴。おっぱいには手を出さない」
「そ、そうか。それはよかった」
「というわけだから」
「ひゃあんっ!?」

 おや。この肌触り、覚えがない。新しく買ったやつ、ということかな?

「ど、どこ触っとんじゃおまえはーっ!」
「どこって、そりゃあ」
「やっぱり理樹のことなんて信じられない!」
「ひどいなぁ」

 うーん、鈴もようやくそっちの方に気をつかうようになったということかな。まあ、来々谷さんや葉留佳さんに唆されたって説もあるけど。どちらにせよ、僕のことを意識してくれているということで、嬉しくないと言えば嘘になる。

「鈴、見せてね」
「や、やめっ、にゃー!?」

 僕はゆっくりと、スカートを捲りあげる。

「……ずいぶんと大人っぽいの穿いてるんだね、鈴」

 鈴は諦めたのか、抵抗するのをやめて、僕にその身を委ねた。


[No.366] 2008/06/19(Thu) 22:19:59
海の話 (No.363への返信 / 1階層) - ひみつ@一度参加してみたかったんです

 そこは暗い、暗い水の底の世界の話。
 十歳になったあの日、王様は僕にこう言った。
「あのコ達はずっと、本当のお前を知らないよ。……それでも、お前は行くのかい」
 問いかける王様の響きに、僕は少しだけ顔を上げ、王様の顔を見る。
 すると王様の目には少しだけ僕を心配している色が含まれていて、その向けられた優しさが嬉しくて、僕はゆっくりと微笑んだ。
「はい」
「決意は、変わらんのだね」
 僕は再びしっかりと、頷く。しかし王様はなおも言った。
「……人間以外のモノが、ヒトに好意を持っても、良いことは無いよ」
「はい……それでも僕は、ずっと仲間になりたかったんです」
 僕は、今度はそんな王様の言葉に決意を見せるよう、はっきりと言い切る。
 そして絶句した王様に向かって、僕は再びゆっくりと笑った。すると、王様は苦笑いをしながらこう続ける。
「そこまで決意が固いのなら、もう止めはしない。そして掟にしたがって、人間になるお前からは、ここでの人魚であった頃の記憶は、全部消させてもらう。そして……」
 王様が言葉を濁したその続きを、僕は心の中で受け止めた。
 人魚は、想う人間の心を手に入れることができなければ、泡となって消える……それは、僕も例外じゃない。
 でも、後悔はしない、たとえ泡となって、消えることになってしまっても。
 たとえ一時でも……あの繋がりを手に入れられるなら。
 遠くからいつもずっと眺めていた。暖かそうな、あの交わりの中に、僕が入っていけるのなら。
 僕はどんなことでもしようと、その時心に誓っていた。
 そして、これはやっと巡ってきた一世一代の大勝負のチャンスなのだと、僕は分かっていた。


 僕の心の中で消えない光が、勇気をくれる。光というのは、僕の仲間との思い出。
 そして、彼らと本当に仲間になるために、僕は一歩を踏み出す。
 ……僕が彼らと出会ったのは、五月のことだった。
 僕は王様の目を盗んで地上へ行った。
(盗んできた人間に化けるクスリ、三つぜんぶ呑んだから、あと三時間は大丈夫だよね……)
 僕は、その頃まだ人魚だった。雌のイメージに違和感があるなら魚人といってもいいけど、要するにヒトとは別の種族だ。
 もちろん、人魚にだって雄はいる。但し、生まれながらに性別が決まっているヒトとは違うのは、人魚は子どもの頃に性別を選ぶことだった。
 僕は水の中からぽちゃりと顔を出すと、周りに人がいないのを確かめて川岸に腰掛けて、ほうっと深く息を吐く。
(水の中はみんな早く決めろ、決めろって言う……イヤになる)
 その日、僕が禁を破って地上に出てきた理由は、ただ安息の場が欲しかった、それだけだった。
 僕の種族は、十歳の誕生日に今後の自分の性別を決めるのが掟になっている。そして、僕にとって、その日は一ヶ月後だった。
 そして次々と好みで性別を決めていく同世代の仲間達を横目に、僕自身は自分の性別をまだ決めかねていた。
(だって僕は、僕がまだなにをしたいか、よく分かんないのに)
 男になってどうしたいのか。
 女になってどうなりたいのか。
 まだそれすらも、よく分かっていないのに。
 そこまで考えて、再び気分がブルーになって、再びため息が出る。その時だった。
 小さな女の子の、切り裂くような鋭い声が周囲に響いた。
「ホラ、あそこ!ネコが流されてる!」
 思わず見遣った女の子の指の先が示すほうをたどると、向こうから文字通り箱にのせられて、流されてくる子猫の姿が見える。
 子猫はやせ細った様子で、か細い声で、にー、にー、と鳴いている。箱はゆらゆらと頼りなさげで、今にも沈みそうだ。
(……ひどい)
 イタズラだろうか。
 命を命とも思わないひどい行為に、思わず僕も眉根が寄る。しかし、更に次の瞬間、予想外の出来事が起きた。
「ええ!?」
 見つけたその女の子が、飛び込んだのだった。
(ええ、ちょっと!!)
 この川は、思ったより中流の流れが速い。人間の子どもが泳ぎきれるスピードじゃない。
(無理だ……この川の流れじゃ……)
 案の定、女の子は足をとられ、バランスを崩した。バシャリッと水面が大きく波打つ、
 そしてさらに橋の上から、女の子に向かって叫ぶ男の子の声がした。
「鈴!!」
 その子の友達か、兄さんなんだろうか。緊迫した状況に少し青ざめた様子で、橋の上から身を乗り出さんばかりにしている。
(いけない!)
 それを見た僕は、咄嗟に叫んだ。
「来ちゃダメ!」
 僕はその女の子に向かって川岸の岩をキックし、泳ぎ始めた。そしてそのままネコの入った箱をしっかり抱えたまま、今にも沈みそうな女の子に向かって、手を伸ばす。
(僕の力じゃ、二人は運べない)
 女の子が、苦しい息の下、僕を見た。
(でも、一人なら……!!)
 人間の子どもなら無理でも、「僕」ならなんとかなるかもしれない。そう思った僕は、手を伸ばす。
 すると溺れかけている女の子は、必死に僕の服にしがみついて来た。
(嘘!?)
 ドボンッと女の子の体重を支えきれずに、ネコもろとも沈む。
「鈴!!」
 再び、川岸からさきほどの男の子どもの声があがる。
(……)
 女の子はそれで気を失ったらしく、ぐったりとなった。僕はそんな女の子を後ろから抱え、ネコの首の後ろを捕まえると、そのまま昔ボートが停泊してあったと思われる船着場のロープをたぐりよせ、そのまま女の子は後ろから引っ張るように、一匹を頭にのせ、川岸へ届けた。
 するとさっき橋で叫んでいた男の子が、いつの間にか川岸へ移動してきていて、駆け寄ってくる。
「鈴!」
 そして男の子が差し出してきた手をとり、女の子と一匹を陸へあげ、自分自身もあがると、僕は荒い息のまま倒れこんだ。
「鈴!鈴!」
(……つ、疲れた)
 全力を出しつくし、ハアハア言いながらぶっ倒れて天を見上げる僕の横で、濡れるのも構わず、男の子は必死に女の子の頬を叩いている。
 女の子は幸いほとんど水を飲んでいなかったらしく、すぐに気がついた。
「……はれ?ここは」
「鈴!」
 男の子が嬉しそうな声を上げる。鈴と呼ばれた女の子はきょときょと、と周囲を見渡した後、僕に視線を向ける。
「誰……?」
 女の子の問いかけに、僕はドキリとした。
「え……僕?」
 僕がドギマギしながら答えると、鈴はそうだといわんばかりに、コクリと頷く。
(え……えーと、えーと、えーと)
 頭の中がぐるぐるする。緊急事態だったから、後先考えず助けちゃったけど、本当は僕は人間に姿を晒しちゃいけないんだった。
 だから当然のこと、人間への自己紹介なんて、慣れてない。
(……どうしよう。ごまかす?でもどうやって)
 それに、迷う僕から一向に視線を外さない彼女の瞳は、そんな僕の逃げを許してくれそうに無かった。
「直枝……理樹」
 苦し紛れに僕の口から咄嗟に出てきたのは、まるで男のような名前だった。
「男、なのか?」
 鈴と呼ばれた女の子が、首をかしげる。性別化していない僕は、彼女には曖昧に見えるらしい。
「えっと……」
 返答に困って口ごもる僕。するとそんな僕に向かって、鈴は無邪気ににぱっと笑った。
「理樹、助けてくれてありがとう」
 それは、とてもシンプルな感謝の台詞だった。
「あ……うん」
 素直な彼女の言葉。だからだろうか、意外なほど僕の心にストレートに入ってきた。
 ヒトと対峙している戸惑いも忘れるほど……なんだか、嬉しかった。
(こんなふうに女の子を守れるなら)
 頬が熱い。そして、彼女の笑顔は、まぶしかった。
 彼女を守れた自分も、少しだけ誇らしい。
 そしてあんなに性別に迷っていたのに僕は、その瞬間、初めて自然にこう思えた。
(……男もいいかもしれない)
 そんなことを僕がぼんやり考えていると、今度は男の子のほうが快活に、にかっと笑いかけてきた。
「いい名前だな」
 名前を褒められて、僕は思わず微笑む。
 咄嗟に作った名前だったけれど、意味の無い名前ではなかったから。
 あの時僕が思わず口にしたのは、僕が好きな伝説の世界樹の名前。
 理(ことわり)の樹。
 僕達が住む海の底よりも、ずっと深い海の底にあって、だけどそのまっすぐに伸びる枝は、いつか天に続くとさえ言われていた。
(……あ、そっか)
 そして僕は、突然自覚する。
 僕が、この名前をつけたのは。
 僕はさっさと性別を決めて、誰にも知られぬようひっそりと生きるオトナの人魚に、まだ選びたくなかったから。
 暗い水の底だけじゃなくて、水の上も、天さえも、まだ見ていない世界はたくさんある。
 まだ子どもの僕は……冒険がしたかったんだ。
(空に向かってまっすぐのびる枝みたいに、もっともっと先の世界を知りたかった)
「そうだな……ならやれそうだ」
 僕がぼうっとそんなことを考えていると、不意に男の子が声をかけてきた。
「え……?」
 彼にかけられた言葉の意味がよく分からなくて、僕はきょとんとする。しかしそんな僕に構わず、少年はこう続ける。
「俺は、棗恭介。そこにいるのは、妹の鈴」
「……。どうも」
「理樹、俺達の仲間にならないか」
「え?」
 突拍子も無い申し出に、思わず口をぱかっと開けてしまう。すると恭介は立ち上がり、何か楽しいことでも企んでいそうな表情で、俺にかがんで俺の顔を覗き込んだ。
「聞こえなかったのか?……仲間に、ならないかって言ったんだ」
「なんていうか……何の仲間?それに、えらく急だね」
 唖然とする僕に、恭介は更に笑って手を差し出してくる。すると同意するかのように、鈴もすっくと立ち上がり、僕のほうをじっとみてきた。
「理樹、君の力が必要なんだ」
 その日、恭介の後ろから差し込んでくる、夕陽はとても綺麗だった。子どもだけの河原。運命の出会い。
 忘れられない、忘れようも無い光景。
 そこに手を差し伸べてくる恭介、そして後ろに立つ鈴がいた
「……うんっ!」
 気がつくと、僕は自然にその手をとっていた。それが始まりになると予感しながら。
 そして、僕はリトルバスターズの仲間になり、何度も馬鹿な遊びを重ねた。そして。
 僕はその楽しい居心地をもっと本物にしたくて、「直枝理樹」として生まれ変わる決意をし、全ての過去を捨てた。
 そう、あの時捨てた、……はずだった。
 
 
 しかし、あの運命のバス事故。再び僕の運命は動く。
 事故の現場で僕は倒れ、そしてどんどん遡っていく原始の記憶の中で、僕は僕がこの世に生まれてきた意味を思い出した。
(―ボクハ、ボクガウマレテキタノハ……!!)
 皆に会うため。僕はみんなに会いたくて、生まれてきた。
 忘れていた。否、正確には忘れさせられていた。……全てを忘れて、彼らの元に行くこと。それが約束だったから。
 だけど、今僕が頑張らなければ、本当にリトルバスターズを失ってしまう。その瀬戸際、封印されていた記憶の扉が開いた。
(今こそ)
 そして、浮上する意識。
(僕は、リトルバスターズを取り戻す!)
 そう決意した次の瞬間、不意に背後から声をかけられた。
『そうか、理樹が鍵だったんだな』
 その呼びかけられた声が、あまりにも馴染んだ声で、僕は自然に振り向く。
『恭介……』
 振り向いて、気がついた。
 僕達は右も左も、上下すら分からない漆黒の空間にいた。周囲の様子も全然分からないほど真っ暗なのに、なぜか恭介の周囲だけはぼんやりと光っていて、それが恭介だと認識させた。恭介は僕の視線を受けながら、淡々と続ける。
『さすがに俺も気がつかなかったよ。俺達が出会ったこと、仲間になったこと、理樹がナルコプレシーだったこと……全部、繋がっていたんだな』
『そうだった、みたいだね。僕もさっき、記憶を取り戻したばかりだから……』
『そっか』
 恭介がやられた、とても言いたげに苦笑する。そんな恭介につられて、僕も苦笑した。
『出会ったのは、本当に偶然。だけど、僕は恭介達の本当の仲間になるために、人間になったんだ。でもそのためには条件があって、一つは元の自分の記憶を捨てること。そしてもう一つは、自分が望む人間に、必要とされ続けること』
『それが、俺達だったってわけか』
『そうだよ』
 僕は頷く。
『人魚が人間になるっていうのは、もともと無理に変化した存在だから。元に戻れない割りに、その姿を維持し続けるためには、「存在の力」がいるんだ』
『存在の力?』
『うん、分かりやすく言うと「ここに在り続けていられる力」と、「ここにいてほしい」と望まれる力のこと。存在の力って、本当は二つの力で成り立っていて、「ここに在り続けていられる力」は「望まれる力」がないと、その力を維持できない。だから比較的常に「ここにいてほしい」という力を供給してもらってた僕でさえ、弾みでその力が一瞬途切れると、簡単に意識が落ちてしまう。それがナルコプレシーになって、現れちゃったんだけどね』
 僕の答えに、恭介はこめかみに手を当て、考え込むように言う。
『ええと……結局我思うゆえに我あり、の逆バージョンみたいなもんか』
 恭介の答えに、僕は苦笑いをした。
『だいたいそんな感じ。……しかも面倒なことに僕達人魚だった人間は、人間になるときに、力を供給してもらう対象、自分を必要としてくれる対象の人間を指定しなきゃいけない。僕達にとって、絆は唯一無二の宝。逆に言うと種族の違う人間になるには、それぐらいの繋がりがないと、もともと僕達は人間になれないんだ』
『……』
『だから、たとえなれても人間との関係を維持しきれずに、消えてしまった仲間はたくさんいる。……御伽噺の人魚姫のようにね。王子様に愛してもらえずに、泡になって消えた女の子の話。あれも、ただのフィクションじゃない。あれは僕たちにとっては、本当は限りなく現実の話なんだ』
『理樹は』
『……?』
 気がつくと、恭介がまるで泣くのをガマンしている子どものような複雑な表情で、僕を見ていた。
『怖くなかったのか、俺達に一生を託すことに』
『え?』
『……たとえ今は一緒でも、でも卒業して、社会に出てそれからもずっと俺達と一緒にいられる保障なんてない。それとも、その当時は子ども過ぎて、そこまで想像できなかったか』
 皮肉めいた発言とは裏腹に、恭介の表情は不安に満ちていて、それがとても幼く見えた僕は、軽く肩をすくめてみせる。
『怖かったよ。でも信じられたから。たとえ離れてしまっても、僕がリトルバスターズを必要としていたように、僕も必要としてもらえる。そういう関係がここにあるって、あの時の僕は信じられたんだ』
『そっか』
『……うん』
 僕が笑って見せると、恭介がつられたようにふっと笑う。
『理樹……お前は、強いな』
『恭介だって強いよ。だって、僕達をずっとここまで、引っ張ってきてくれた』
 そうして僕は、恭介に手を差し出す。
『だから、行こう。僕達がこのミッションをクリアするのを、みんな待ってる』
『そうだな』
 恭介が僕の手を取った。途端、恭介の輪郭が、ぐらりと歪んだ。
『恭介!?」
 驚いて僕が声を上げると、恭介はいつものように快活に笑った。
『心配するな、先に行ってるだけだ。俺も俺の後始末をしなくちゃいけないらしい。……必ず、戻ってくる』
 そして恭介はただの光になり、それからぱちん、とはじけるように消えた。
『……あ』
 そうして、再び誰もいない空間に、僕は只一人残された。
 でも、僕はもう一人じゃない。
『……そうだね。僕は、僕のするべきことをするよ』
 そうして目を瞑り、そして、そこで僕の意識は途切れた。
 
 
「……たっ、いたたた……」
 バス事故に遭ったクラスのメンバーの中で、僕は軽傷のほうだったらしい。リトルバスターズのメンバーの中でも、僕が一番目覚めるのが早かったと聞いた(ちなみに僕は腕に広い擦り傷を負っていて、その痛みで目が覚めたらしい)。
 しかしそれも僕が目覚めてから一週間と経たないうちにみんな次々と目覚め、それなりに打撲だの、骨折だのはあったものの、もともと体力のあるメンバーだったから、半月後には動き回るようになっていた。
 目覚めるのが一番遅かったのは、恭介だった。背後から破片が刺さっていた恭介の傷は深く、ただ幸い臓器からは外れていたこともあって、あとは意識の回復を待つだけだった。
 
 
 そして、バス事故から一ヵ月後。
「……ここは」
「恭介!」
 恭介が目を覚ました。お見舞いのお花の水を替えに行っていた、僕と鈴はすぐに駆け寄る。
「馬鹿兄貴!」
「ちょっと待って鈴。怪我人、怪我人」
 鈴は嬉し泣きをせんばかりに恭介に飛び掛ろうとするのを、僕は慌てて止める。そしてそんな僕らを見て、恭介がふっと笑う。
「約束どおり、戻ったぜ」
「うん、おかえり……て、約束?」
「……覚えてないのか?」
 意外な表情をする恭介に対し、僕は恭介の約束に思い当たるものが無かった。
「ごめん……覚えてない」
 しかし申し訳なくて謝る僕に、恭介は気にする様子も無く、さらに笑いかけてくる。
「それならそれでいい」
「……?」
「分からないか、そうだろうな。これもミッションだからな」
「言ってる意味が分からん、頭も打ったか、恭介」
 するとそんな鈴の毒舌にも、構うことなく恭介は続ける。その眼には、いつもの何かを企むような、楽しげな色があった。
「さて、次なるミッションだ。いいか大事な任務だ、よく聞け」
 ごくり、と僕らは生唾を飲む。
 
 
 かくして、恭介が僕らに与えたミッションは、「レンタカーを借りて来い」というものだった。
 それどころか退院してすぐ姿が見えなくなったと思ったら、一ヶ月ほど山奥の自動車教習所に入り、いつの間にやら免許まで取ってきた。仕事も速い。
 そしていつの間にか僕達も巻き込まれて、ミッションと称し、ピクニックの準備なんてしている。
「あれほどひどい車の事故に遭っておきながらすぐ免許なんて、本当は恭介、トラウマ知らず?」
「うーむ。きょーすけの事は、あたしも時々、よくわからん」
「……まあ、でも。あれだよね、嫌な記憶も、後からすっぱり楽しい記憶で上書きしちゃえば、いつかはそれが意味を持つものになるかもしれないし」
「あたしは、理樹が言っていることも、時々分からん」
 すると鈴がきょとんとした顔で、僕の顔を覗き込んでくる。
「分からなくても、いいよ」
 そんな鈴の表情がとても可愛らしくて、僕は思わず鈴の頭をなでる。
 昔の鈴は、まるで本当の猫みたいに頭を触られるのを嫌がったけれど、今はそうでもない。触れた髪の先で、鈴の髪飾りがちりりと鳴った。なんて平穏な時間。でも、それも長くは続かない。
 だって今は、いつもの午後の、けだるい時間。晴れた空。仲間の声がいつでもすぐに追いかけてきて。
「鈴ちゃん!、直枝君!」
 ……ホラもう、見つかってしまった。


 そしてその次の週の日曜日。すっきりと晴れた空と風を感じながら、僕達は海へ向かった。
 それはまるで自分の生まれ故郷に向かって、手に入れた宝物を見せびらかすような旅行であることを、僕自身は知らないまま。
 だけどそれは、一生忘れることのできない、大切な、大切な記憶になった。


[No.367] 2008/06/20(Fri) 01:13:44
その境界を越えて (No.363への返信 / 1階層) - ひみつ@Ex記念に初書きしてみました

目覚める前に見たものは、光だった。
8つの光が散らばっては集まり、交差して、弾けた。
瞬きの後には、その光は消えてしまう。


大切なものだったんだ。目に見える形では存在していなくとも。


あの繰り返しの中であった事。
辛い事、苦しい事も経験したけれど。


最後は、笑っていられた。
それはきっと、幸せだった事の証明なんだと僕は思う。


でも、もう振り返らない。その必要もない。


道は僕らの前に続いている。
空は青く澄み渡っている。











『その境界を越えて』












その世界には、みんながいた。


鈴はみんなと仲良くなる。
僕は、それぞれが抱える問題を一つずつ、一緒に解決していく。
それが、僕らに与えられたミッションだった。


鈴には、誰かと共に手を繋いで進む事を。
僕には、折れずに明日へ歩みを進めるための精神的な強さを。
それらを与え、見届けた人からこの世界を去っていく。


途中での挫折もあった。道を間違えてしまった事もあった。
それでも、何事もなかったかのように世界は繰り返す。
今度は手を繋いで、ゴールまで辿り着く。


そしてまた、一人また一人と去った世界を気付かずに、僕らは繰り返す。
世界が望んだ強さを手に入れるまで。
二人でも歩みを進めることが出来ると、世界の意思が判断するまで。
それが、この世界のルール。


繰り返す。
葉留佳さんが去って、クドが去って、来ヶ谷さんが去って、西園さんが去って。


それを気付かずに、繰り返す。
鈴と共に逃げて、連れ戻されて、鈴が壊れて。


若干形の変わった世界でも、日々は繰り返す。
鈴が心を閉ざして、恭介がふさぎこんで、真人が暴走して、謙吾が離れていって。
リトルバスターズは、瓦解した。



それでも。
鈴の手を引いて、真人を止めて、謙吾との勝負に打ち勝って。
リトルバスターズを再建して、恭介の顔を上げさせた。


最後の夢。
真人が去り、謙吾が去り、恭介が去り。
最後まで鈴を、僕を心配して残ってくれていた小毬さんも去って。



現実に起こったことを目の当たりにさせ、あの世界は崩れ去った。








みんな、最後は笑っていた。多分、この結末を知りながら。
熱かっただろうに。苦しかっただろうに。
助からない事を悟ったみんなは、それでも助かるであろう僕らを想ってくれた。
その絶望の中で、それでも歩かなきゃならない僕らの絶望を想ってくれた。
おそらくは歩けないであろう僕らのために、世界すら作り上げた。
いつか来るであろう、明日のために。
この先いつか出会うであろう、大切な宝物のために。
すぐには無理でも、近い未来に自力で立ち上がることが出来るように。
心が壊れてしまわないように。
自分の足で歩いて、自分の頭で考えていけるように。


そうしてみんなは自分の役目を果たし、夢の世界での生を終えた。
まもなく訪れる現実世界での死を受け入れるため、帰っていった。
笑顔で。僕らに不安は微塵も見せずに。

なら、僕がするべきことは何だ?
背中を押してくれたみんなに対して、僕は何が出来る?









辿り着いた場所。
湖面のような静かな場所。
ここでは、自分が存在しているかどうかも曖昧で。

でも、僕はここにいる。その思考が、僕をここに存在させている。
そして思い出す。かつて現実にあった日々を。
そして、現実には存在こそしなかったものの、笑って、泣いて、楽しんで、苦しんだ、
確実に幸せだったと言える、夢の世界での日々も。

浮かぶのは、あの幸せを体現したかのような写真。


僕がいて、鈴がいて。
恭介が、真人が、謙吾が。
小毬さんが、葉留佳さんが、クドが、来ヶ谷さんが、西園さんが。
リトルバスターズが、確かにそこにはあって。
シャッターを切った笹瀬川さんの姿も、僕は確かに覚えている。


もう、今は崩れてしまった遠い夢の世界の向こう側に埋まってしまったけれど。
世界の外に、持ち出さなきゃいけないんだ。


それはみんなが求めたものとは違う結末かもしれない。
あの世界の住人だったみんなからは言われるかもしれない。
―――‘それは弱さだ’、と。


でもそれでもいい。
誹られようと、罵られようと。






恭介へ。みんなへ。

ごめんなさい。
僕は、僕らは、強くなれませんでした。
弱いままでした。
でも、恭介やみんなの言う‘強さ’が、僕らに求めた‘強さ’が。
‘僕らが二人で、たった二人だけでこれから歩き続けられること’と同義なら。



僕らはそんな‘強さ’なんて要りません。
そんな‘悲しい強さ’は必要ないんです。
僕らは‘弱い’ままでいいんです。
僕らには、僕らの幸せには、みんなが必要です。



失望されるかもしれません。軽蔑されるかもしれません。
笑ってください。怒ってください。
‘こっちは命まで賭けたのに’って。
‘強くなりきれなかった呆れた奴らだ’って。
いくらでもしてください。甘んじて受け入れます。




ここではない、現実の世界でなら。



だから連れ出します。
現実世界の、あの絶望の、修学旅行より先へ。





僕と鈴なら、まだそれが出来る。
だから、僕らは。


―――世界は鈴と僕で作る。


僕らで作る、道を繋げるための最後の夢。


―――いこう、鈴。


あの宝物を、再び手にするため―――













































「よろしいのですか〜?撮りますわよ〜!」
「そ〜デスヨ〜!撮りますヨ〜!」
「葉留佳、フレームにおさまらない位置に逃げないで、ちゃんと入りなさい!」
「よし、おねーさんが捕まえておいてやろう」
「直枝さん、もう少し恭介さんとくっついてもらえますか?・・・棗×直枝・・・お似合いです」
「いやいや、そこから離れようよ、西園さん」
「私は前の方に行かないと写らなくなってしまうのです・・・だからリキ、前のほうに来てください!」
「文章繋がってないからね、何がだからなのか分からないよクド」
「鈴ちゃん、隣同士で写ろうね〜」
「うん。・・・手も繋いでくれると、嬉しい」
「おっけ〜だよ」
「俺はこの写真に・・・俺の『マーーーン!!』を全てこめる!!」
「何か放送禁止の伏字っぽいね」
「アホだな」
「頼むぜ・・・最高の筋肉写りになるように撮ってくれよ!」
「こっちももっとアホだな」
「ははっ、いいじゃねぇか!!弾けていこうぜ!」


僕の隣には、鈴。
そして、僕らの周りには8つの光。
いつか見たような光のように、瞬きでも消えたりはしない。


道は僕らの前に続いている。
空は青く澄み渡っている。


あの世界でも、道は続いているように見えた。
あの世界の空も、望めばいつだって青空に出来たのかも知れない。
そこは、望めば何でも得る事が出来る場所だったのかもしれない。
でも、僕らの生きる世界はここだ。


だから、もう振り返らない。その必要もない。
僕らが本当に望んだ宝物は、すぐ傍らにある。
夢と現実の曖昧な世界の境界を越えて、確かにここにある。





「笹瀬川さんも二木さんも、一緒に写真に入ろうよ」
「お申し出はありがたいのですが、カメラを固定しておく場所がありませんことよ。ここはグラウンドの真ん中なのですし・・・。」
「ふっふっふ、こんな事もあろうかと私が用意してきた」
「いや、どこから出したのさそれ?準備がいいよね、来ヶ谷さんは・・・」
「だからお姉ちゃんも早く早く!時間は待ってはくれないのデスヨ」
「きゃあ!き、急に引っ張らないでよ葉留佳」


驚いている笹瀬川さん、余裕の表情の来ヶ谷さん、嬉しそうに姉を引っ張る葉留佳さん、戸惑いながらもこちらも嬉しそうな二木さん。



「これが終わったら、部室でお茶会でも開きましょうか」
「うん、おっけ〜ですよ。お菓子もい〜っぱい持ってきてるからね〜」
「ヴェルカとストレルカもぜひ呼びたいのです」
「なら、あたしはあいつらも呼ぶ」
「賑やかになりそうだね」


日傘を差さずに優しく笑う西園さん、いつも通り幸せそうに笑う小毬さん、見ているだけで和むほわっとした笑顔のクド、前からは考えられないほど笑うようになった鈴。



「これが終わったら、バトルでもするか!決着つけようぜ、謙吾!!」
「いいだろう、恭介も戻ってきたことだしな!」
「・・・お前ら、俺が退院してきたばかりだって覚えてるのか?まあ、大いにやってくれ。それもありだ」
「ありなんだ!?」


いつも通りの真人と謙吾、それにリーダーの恭介もまた。





「それじゃあ、撮りますわよ〜」
言いながら、笹瀬川さんが駆けてきてフレーム内に収まる。



あと5秒・・・4秒・・・3秒・・・2秒・・・1秒・・・。






新たな宝物の誕生を告げるシャッターの音が鳴り響いた。


[No.368] 2008/06/20(Fri) 10:43:04
Lunch (No.363への返信 / 1階層) - ひみつ@EX資金が溜まったぜっ! こ、これで、佳奈多を(ry 爆

今日は商店街を歩いている。

「きょうのよるごはんなに?」
「さあ、何かしらね」
「んー、ケーキっ!」
「それはごはんのあとだろーっ」

 双子だろう、子供の声が聞こえる。ケーキ、なる単語が出たのは、その子供たちの誕生日が今日なのだろう。

「何食べたい?」
「さしみ」
「さしみで」
「え? 佐々美?」

 母親がボケていた。ツッコミはないが。

「ささみ? なにそれ」
「笹瀬川佐々美っていう人がいるのよ」
「このまえやってたそふとぼーるっていうスポーツのしあいでホームランうってたひとか?」
「よく知っているわね」
「やきゅうににてるからみてたんだ」
「やきゅうならわたしもしってるー」
「おりんぴっくしゅつじょうよせんたいかい、とかなんとかだったかな。あれがけっしょうてんでおりんぴっくにいけるんだろ?」

 3人が話している間に魚屋の前に着いていた。この商店街にはライバル店がないが、店主ははりきって商売しているようで繁盛している店だ。
 しかし、今の時間はすいている。こういうときのタイムセールを狙ってその親子は来ているようだ。

「へい、らっしゃい! 今日はこのトロがお勧めだよ!」
「あ、じゃあ、この中トロもらえますか」
「おっちゃん、まけてくれ」
「まけてまけてー」
「んん〜?」

 店主は声が聞こえてきた方、下の方を見た。子供がいた。

「おう、――ちゃんに、――くんか」
「誕生日なんですけど、刺身がいいって言うので」
 名前はよく聞こえなかったが、やはり誕生日らしい。
「ささみー」
「だからそれはそふとぼーるせんしゅだ!」
「……そろそろいい加減にしてくださいませんこと?」
 あんまりささみささみうるさかったので、本人が現れたようだ。彼女の地元はもちろんここ、ちょうど帰省したのだろう。
「おおっ、ささみだ」
「ささみだー」
「って言ってるそばからーっ!!」
 学生当時のあのお嬢様のような性格などはほとんど変わっていないようだった。身も心も成熟し、さらにその気品はあふれんばかりだ。
 と、あれこれ言い聞かせていた彼女がこちらに気づいたようで。
「あら、佳奈多さん」
「奇遇ね。こんなところで会うなんて」
「そうですわね。一年ぶり、でした?」
「そんなところね」
「再会の記念に――」
 昼食にでも誘ってくれるのだろうかと思っていたが、佐々美の背中の向こうに直枝理樹が見えた。だれかと歩いているように見えた。そのまま、某ファストフードチェーン店に入っていった。
「……」
「どうかしまして?」
「ちょっと昼食でもどう?」
「今、誘おうと思っていましたの。いいですわよ」


 知り合いを見かけるとどうしても気になってしまうのが常らしい。そのファストフードチェーン店に入っていた。理樹ともう一人は、商品を注文しながら談笑している。こちらからは、彼と話しているのがだれかは見えない。




 注文などをすべて済ませた後、レジ近くのテーブル席で、品が来るのを待っている。理樹たちの席は私から見てまっすぐだ。
「そう言えばあの方、直枝さんじゃないですこと?」
 佐々美が理樹に気づいたらしく聞いてきた。
「ええ、そうみたいね。なんだか、かなり楽しそうだけど」
「話している方はだれなのでしょう」
「さあ。……ちょっと待って」
「どうかしまして?」
 このテーブルからならよく見える。理樹が向こう側に座っている、ならば必然的にこちら側に彼と話していた人が座るのだろう。そこに座するは、……。







「だれか分からないわね」
「どういうオチですのっ」
 冗談ではなく本当に分からないのだ。
「仕方ないですわね。私が話しかけてみますわ」
 佐々美が歩いて行った。


「あのー」
「ん? あれ、笹瀬川さん。こんなところでお昼?」
「今日、帰省してきたばかりですの」
「そうなんだ。あー、そういえばオリ――」
「その話はあとでお願いしますわ。こちらの方は?」
「あれ、クドだよ。知ってるよね? クドのこと」
「……能美さん?」
「はろー、佐々美さんっ」
 そう言って彼女は帽子をとった。成長した彼女がそこにいた。
「気づきませんでしたわ」
「リキにもそう言われましたー」
「うん、なんか雰囲気どころじゃないよね」
「ふっふっふ、あたいのせいちょうなめんなよ〜、なのですっ」
「それにしては英語は変わらないけどね」
「わふ〜、痛いところつかれました……」
 出た、わふー。
「だーれだ」
 と、突然佳奈多が飛び込んできてクドリャフカの目を隠した。しかしクドリャフカは動じることなく答えた。
「あ、佳奈多さんですっ」
「よろしい。……久しぶりね、クドリャフカ。こんなに大きくなっちゃって」
 それは孫などに話しかける言葉である。だが。
「えへへーっ、そうですか」
 にへらにへらしてしまった。
「……あら?」
「がんばりましたよー、ここまでくるまで山あり谷ありでした」
「ちょっと? 何か勘違いしてない?」
「いいえ〜? だってほら、見てください」




「そういうことじゃないわよ」
「わふ……」
「そんなこと言い始めたら私だって――」
「あー、公衆の場だからやめようね。そういうこと言うの」
「ちょうど注文の品も来たことだし、食べましょう」





 食べ終わって。
「理樹、少し話を聞かせてもらえるかしら?」
 尋問調で話しかける佳奈多。
「えっ、あっ、いやー、これは」
「却下。ある人は言いました。『吐いちまえよ、楽になるぜ』と」
「……言ったら余計悪くなりそうなんだけど」
「あなたが悪いのよ。浮気なんてするから」
「えっ、リキが浮気ですか?!」
「そうなのよ、……相手はね〜、あなたよ」
「わふっ!!」

 佳奈多と佐々美が座っていたテーブルの上のトレーには、四人前の昼食が、のっていた。











 子供用の椅子の上で眠るが二人。

その宝物は、――――


[No.369] 2008/06/20(Fri) 16:13:30
覚醒杉並 (No.363への返信 / 1階層) - ひみつ@しょうじきすまんかった



 その出来事は、この1枚は、ほんの偶然でしかなかったんだ。



 授業が終わると同時、ポケットから1枚の写真を取り出し、眺める。
 体育祭の時に携帯電話で撮った写真。
 私と、勝沢さんと、高宮さんと、……その後ろに、偶然、けれど割と大きめに映り込んだ、直枝くんの姿。
 わたしのだいすきなひと。事故の後、直枝君に救われたと知って、その想いはさらに大きくなり、止まる事がない。
 この写真は、私のたからものだった。

「むつー、お昼行くよー」
「あ、うん、ちょっと待って」

 そう返してから、写真に頬擦りした。こうするだけで幸せな気分になれる。
 直枝君可愛いよ直枝君ああなおえくんナオエクン……!!
 ちょっと周りに見られると大変だけど、呼びに来た勝沢さんが上手いこと壁になった。

「……いや、あのさ。むつ、それせめて自分の部屋でやるべきだと思うんだけど」
「1時間に1回こうしないと落ち着かなくて……」
「そ、そっか……」

 こんなに可愛い直枝君の笑顔が写った写真が手元にある、私はそれだけでもう嬉しくてたまらなかった。
 ああ、体操服からちらりと覗く綺麗な鎖骨……直接触りたい。
 そしてお返しに私の鎖骨を触ってもらって「きゃ、直枝君のえっち」とか言ってみたいなぁ。

 と、ふるふる頭を振ってイメージトレーニングをしていると直枝君の大きな声が聞こえた。

「ちょ、ちょっと鈴」
「んー、なんだ?」
「教室でくっついてこないでよ……」
「だって、理樹の腕あったかくて好きだ。1時間に1回はこうしないと落ち着かない」

 けっ。
 恋人同士だからっていちゃいちゃしやがりまくって何様のつもりだあの猫女。
 あー、そうね、直枝君の彼女様だったか。
 へぇ、なに? 私とはレベルが違うとでも言いたいの?
 贅沢なものだ。私なんかこの写真1枚で直枝君を手に入れてしまったかのような気持ちになれると言うのに。
 こんなにも質素で健全で一途で健気な私のどこが、直枝君に対して一種変態的とも言えるほどの執着をもつあの棗さんに劣ると言うのだろう。
 さっぱりわからなかった。

「ね、ねぇむつー?」
「なに、勝沢さん?」
「そろそろ行かないと混むし……あと、涎」
「え? わ、や、」

 よだれが写真についてしまってベトベトになっていた。
 でも大丈夫。
 携帯電話の最大解像度で撮影されたこの写真は20枚のFDと14枚のSDカード(mini・micro含む)と11本のUSBフラッシュメモリと7枚のメモリースティックDuoと2台の外付けHDDと1台のパソコンにバッチリ保存してある。
 1枚くらい汚れたってパソコンで印刷するかそこらの写真屋にでも駆け込んで現像して来ればいいし、そもそもまだ写真のストックは50枚くらいある。
 今はたからものだって複製出来る時代だ。
 早速もう1枚を逆のポケットから取り出した。……見てるだけでも癒される。うふふ、なおえくん、だいすき。
 女の子みたいに白い肌、それなのに頼りになりそうな肩、可憐な首筋、整った鼻、鎖骨、サコツ、繊細で柔らかそうな髪の毛を私の髪の毛と結びつけて顔を寄せ合いたい。
 痛いよ、なんて言いながら直枝君が困ったような顔をするの。それを見て私は「もう、照れ屋さんなんだから」とか言っちゃったりするの、きゃっ。
 そしてなにより小さい唇、そこに触

「鈴、待って、待ち受け画像をその写真にしないでよ!」
「理樹との一番幸せな瞬間だからな、彼氏とキスしているところを待ち受けにするのは乙女なら当然の行為だって恭介が……」
「ちがうよ、そこまで行かなくてもいいよ、と言うか教室でキスとか公言しないでよ恥ずかしいから!!」
「……いまさらだな」
「そ、それにわざわざそんなことしなくても2人きりのときに……」
「う、うみゅ、そうか。……なら、レノンにしておく」

 いつかコロス。


「と、とにかく学食行こ?」
「……どうしたの? 鳩が散弾銃をギリギリのところで受け流したつもりが何発か食らってそのまま蜂の巣になっちゃったみたいな顔して」
「あー、うん、多分的確だわそれ……」

 勝沢さんがぽりぽりと頬をかいて気まずそうに視線を逸らしながらそう言った。
 まるで私がなまはげと般若と納豆を混ぜ合わせたとんでもないオーラを放ちつつ来ヶ谷さん並の攻撃力を持ってしまったかのような言い草だなぁ。


  *


 放課後、私たちはグラウンドを見渡せる位置に居た。
 もちろん私がここに居る理由は、直枝君を見るためだ。
 そして、いつもつけている日記とは別に付け始めた[『理樹くん☆メモリー』に彼の行動を逐一記録する。
 もう3冊目に入ったそれは、今も手に持った直枝君の写真と同じくらい大切な私のたからものなの。
 ……なんだか本当、健気過ぎてたまに自分が怖くなっちゃうよ。

「ねー、むつぅー」
「なに、高宮さん?」
「こんなとこで見てないでさ、早くどっか買い物でも行こうよぉー。それか、参加させてもらうとか……」
「なんで? 直枝君可愛いよ?」
「いや、あんたがこの前作った女装の合成写真を見るに頷かざるを得ないんだけど、その受け答えはなんか違う気がする」
「あ、でも、西園さんに男装も似合いそうだよね。小さいし可愛らしいし、演技も上手いらしいから宝塚っぽく出来そう」

 小さいのは特に胸とか。ショタの人は興奮しそうだ。
 私はほら、直枝君一筋だから。
 でも直枝君に近いのは非常にムカつもとい羨ましい。

「だめだこりゃあ……勝沢ぁー、あんたもむつに何か言……」
「棗センパイ……素敵……」
「あー、はいはいそーでしたねそーでござんしたねー」

 膝を立てて座ってそんな風にグレてると不良みたいに見えてしまう。
 高宮さんも結構可愛いんだから、お淑やかにしていればいいのに。私みたいに。

 そんな事を思ってから視線を戻す。
 と、その瞬間。

「あ」
「あ」
「うん?」

 私と勝沢さんの声が重なり、疑問の声を出しながら高宮さんが見上げてくる。
 指で、ホームベースのあたりを差した。
 直枝君に、デッドボール。棗さんが、当てた。
 ……あんにゃろう、私の愛しい直枝君の綺麗な肌に痣でも出来たらどうしてくれよう。
 これだからノーコンは嫌なのよ。なんかもう棗じゃなくて平本と呼んでやりたい気分だった。

 ひら……棗さんが近付く。今にも泣き出しそうな顔だ。
 ボールの当たった左腕を心配そうに触っている……と、本当に少し涙を流したらしい棗さんの頭を……な、撫でた!?
 安心させようとする笑顔……ボールを当てた非道外道にもあんな慈愛に満ちた笑顔を向けるなんて……やっぱり直枝君は優しい。

「って、こんな時にもいちゃつくの!? でも、な、直枝君……嬉しそうな顔……可愛い……」

 ああ、私も直枝君に頭を撫でて欲しい……!!
 そして泣き止んだ後でその手をとったままお礼のチューをしちゃうとか……ロマンス!
 背後から忍び寄って鎖骨をにぎにぎしつつ耳の裏をふにふにしてあげたい。

「駆け寄って介抱する棗センパイも素敵…………って、違う、西園それは違うの!! 棗センパイ×直枝なんて邪道なんだから顔を赤らめるな! この世における黄金は棗センパイ×私なのよ……!!」

 棗センパイが直枝君の衣服のボタンを緩めて袖をまくりあげて怪我の具合を見ている。
 ああ、形のいい鎖骨が綺麗……高級な割れ物に触るように丁寧に触れてみたい。もしくは肩を掴む振りをして後ろからきゅ、って。
 そしたら直枝君はきっと艶かしい声を出してくる。どうしよう、私。想像しただけでますます直枝君の事を好きになっちゃいそう。

 というか、勝沢さんはちょっと激しいなぁ。今さっきの私みたいに穏やかな愛の方が受け入れられやすいと思うけど、でもうん、激しいのも悪くはないのかも知れない。
 それに何より、ちょっとがさつなところのある勝沢さんらしい。

 ともあれ、今日のメモリーは頭を撫でてくれる直枝君で決定。

「はあぁ……写真でも撮ればあんたら……」
「「盗撮ダメ! 犯罪ダメ!」」
「ストーカーも犯罪っしょ……」
「って、あー!? 直枝君がいない!? どこ、どこに行ったの?」
「な、棗センパイも……ま、まさか保健室? い、いや、西園の救護もあるし水場に患部を冷やしに行っただけって可能性も……」
「どっちかな?」
「わからないわよ。……ちゃんとずっと見てればわかったんだろうけど……」

 そ、そんなのって……どうしよう、このままじゃ今日のメモリーが不完全なものに……。
 あ、なんか、しかい、が。

「うー……ぅ、なおへ、くん、ひっく」
「え!? 泣くの!?」
「ほらほら、泣かないのむつ。別に死んじゃったわけじゃないんだから……あーもう、高宮のせいよ私たちの幸せな瞬間に嫉妬して水差して!! あーやだやだ好きな人出来ないからって僻んじゃってからに」
「いや嫉妬じゃなくて純粋に呆れてんだけどさ……」
「むつ、ほら、こいつの所為だから泣きやんで?」
「だて、だって、たかみゅやしゃ、わるく、な」

 そうだ、私がいけなかったのだ。
 直枝君が大好きなら可能な限り彼を視線で愛でているべきだったのに……!

「ねー、喉渇いたからジュース買ってきていいー?」
「なにこの荷物をまとめて実家へ帰れとでも言いたくなる高宮のKYっぷり!! 泣いてる友達を見捨てるの!?」
「極めて真っ当な理由で泣いてるんならいいんだけどこう犯罪臭がね……」

 あ、あれ……? なんだか勝沢さんの言う通り高宮さんが悪い気がしてきたよ。
 私たちのどこが犯罪的なんだろう。だって、私たちはただ好きな人を想うという極めて乙女的な行動をしているだけなのに。
 確かに認めたくはないけど一応は棗さんと言う見た目だけなら滅茶苦茶可愛い恋人の居る直枝君に知られたら世界最小のプランクトンの体長の半分くらいは迷惑かもしれないけど、さすがに好きな人の写真を隠し撮りしてあへあへ言いながら部屋に侵入しちゃうようなストーカーと一緒にしないで欲しかった。

 でも、私は優しい子だ。早とちりで人を攻めたり非難したりはしない。高宮さんだってたまに酷いこと言うけど根は優しいからこれはきっと「行き過ぎちゃダメだよ」、って警告してくれてるんだ。
 けど大丈夫、私や勝沢さんの行動はまだまだ至って一般人なんだもん。
 うん、これですべて解決。さすが私だ。

「ごめん、高宮さん……ありがとう」
「え? あれ? 謝られるような事はされたけど感謝されるような事はしてないよね私?」
「まったく、むつは甘いんだから」

 あはは、と勝沢さんが笑う。私と同じ事を思ったのかも知れない。
 高宮さんはきっと無自覚の優しさだったのだろう、鳩がコマネチを成功させたのを発見して後悔してしまったような顔をしているけどそれでもよかった。
 持つべきものは、やっぱり友達だよね。


  *


 夜。
 私は何となく深夜の中庭に赴いていた。
 冬に近い近頃の空気は冷たく、けれどそれなりに防寒をしていればその冷たさはかえって心地よい。
 特に駆け足でここまで来たからなお更。

 別に、リトルバスターズの面々が何かやらかすとか言う話を聞いて、来なければ帰ればいいやと思いながら来たわけじゃない。
 そう、だからたまたま物陰でひとり人生ゲームに興じている時に彼らがやって来て等身大人生ゲームを開始したのだってただの偶然だ。
 と言うかいつの間に中庭にコースを書いたんだろう棗先輩。

「ジャンパーを着た直枝君、いつにも増して凛々しい……」
「ふふ、わたくしが匿名で送った猫の描かれた半纏……似合っていますわ、棗鈴」
「え?」
「へ?」
「「にゃひゃあ!?」」

 バッ。
 すぐさま隣で声を出した誰かの口を塞ぐ。私の口も塞がれたけど、ここは相手の判断力を褒めたい。
 ふぅ、と手を離して2人息を吐いた。
 顔を上げると、目が合い、今度は相手を見る余裕もある。

「だ、だれですのこんな時間に……ま、まさか不審者!? 覚悟なさいっ!」

 き、金属バット!? なんて物騒な!
 でもそれよりも。

「お、大きな声出しちゃダメです……!」
「んぐんぐんぐー……」

 こ、この人は確か……覚えがある、凄く、目立つから。
 喋り方も、容姿も、ソフトボール部での活躍も。
 小声で、相手の名を確認する。

「さ、笹藻川ささくれさん……」
「笹瀬川佐々美ですっ! なんですかその指先の痛くなりそうな名前は!? ……そういうあなたは確か、……出木杉さんでしたかしら?」

 あなたこそどうやったらそんな間違いするんですか。

「杉並です」
「……ところで、こんなところで何をしていますの?」

 笹藻川さんも小声で話し出す。

「な、なにって……その……」

 って、そう言えば何故彼女はここに?

「あの、ですね、逆瀬川さんこそ何故ここに?」
「先ほどは合っていたところを間違えるとわざとにしか思えませんわよ杉内さん」

 私はソフトバンクのエースじゃない。
 でも、お互い名前の訂正は面倒くさそうだ。……と言うか私の名前ってむしろありきたりで泣きたくなるほど覚えやすいよね?
 もしかして逆藻川さんは意外と頭が悪いのだろうか。

「わたくしがここに居る理由…………それは、棗さんを観察するためです」
「ストーキング?」
「そうとも言いますわね」

 なんでこんなに誇らしげなんだろう。
 これだからストーカーする人ってわからない。
 私はいつまでも常識人でありたいと思う。直枝君がちょっとズレてる分それを補正する役目……うん、最高だ。

「宮沢さんも素晴らしいですけれど……あの事故での勇姿、その後の強さ……棗さんこそがわたくしの愛すべき人と気付きましたの」
「え? ……じ、実はサイッキッカー佐々雄さんだったんですか……?」
「サイキッカーじゃありませんし男でもありませんわよ。わたくしは女です」
「な、棗さんも女の子ですよね、確か」
「当たり前じゃないですか。あんなに可愛らしいお方が男に見えて?」

 ピッ、と直枝君と手を繋いで踊り出した(多分そういうマス目だったんだと思う)こんちくしょうを指差す天の川さん。
 同性愛……百合……この人、もしかして頭悪いだけじゃなくておかしいのかなぁ。
 と言うか今の台詞の後半を直枝君に適応するとなかなか際どくなるから頷きかねた。
 あぁ、格好いいところもあるけどやっぱり可愛いなぁ直枝君。私の天使。

「そう、わたくしのとって棗さんの姿や存在はまさに宝物……その全てがこの世界の至宝なのです」

 あーやっぱりもうダメですねこの人。
 私が普段直枝君に対して思っている感情が同性愛に変換されるだけでこうにもダメっぽくなってしまうなんて。
 快活な笹毛川さんにはちょっと憧れてた部分もあったけどストーカーになっちゃったら人間堕ちるんだなぁ。
 こうはならないように気をつけないと。

「さて、今度はわたくしの番ですわよ……新垣さんは何故ここに?」
「もはや掠ってすらいないじゃないですか」

 私は暴投王じゃない。
 もしかすると、ただ単に棗さんの事ばかり考えて脳が機能していないのかもしれない。
 可哀相だなぁ。ここから逃げたい。けど、直枝君を見ていられるのだからそうも言っていられなかった。

「もちろん、ぐ、ぐぐぐ、偶然ですよが」
「……偶然で物陰に潜んでいましたの?」

 普通に訝しがられてしまった。
 この人がやたらめったら素直に喋ったのは言い訳が出来ないと悟ったからなのかも知れない。
 ストーカーやるような人は度胸がありますね、さすが。度胸だけ分けて欲しいです。

「私、あまり目立たない隅っこが好きなんです」

 あ、あれ、さっきと違って物凄くナチュラルに今の言葉出ちゃったよ?
 ちょっとだけ……涙が。わ、私別に影薄くないもん。青ボンや緑ボンとは違うもん。
 薄くないもん!

「すいません、今のは聞いてはいけない事でしたのね……涙を拭いてください、杉浪さん」
「え、あ、ありがとうございます……」

 なんか音は正しかったけど微妙にニュアンスが違ったような。
 笹背川さんの差し出してきたハンカチを素直に受け取り、目尻から少し零れてしまった涙を拭き取る。

「で、ここに居る理由は?」
「う……。えっと…………直枝君です」
「あの天然スケコマシですか」

 酷い言いようだけど頷きそうになってしまった。

「……なら、わたくしたちは利害が一致しますわね」
「どういうことですか?」
「あなたは直枝さんが欲しい、わたくしは棗さんが欲しい……そういうことです」

 それは多分、悪魔の囁き。
 けれど、私は逡巡してしま

「お前ら、なにやってるんだ」

 う?
 カタカタカタと静かに首を傾ける。
 そこには、腕を組んで顔に疑問を浮かべている棗さんと、不思議そうに見てくる直枝君。

「こ、こんなところでも会うなんて、やはりわたくしたちは宿命のライバルですのね、棗鈴!!」

 え? ツンデレ?
 それともストーカーで会っちゃうとツンツンだからストツン?

「いや、よーわからんが……」

 空回りもいいところだ。

「で、ですがこんなところで争うのも不毛ですので、わたくしは今日は失礼させていただきますわ!!」

 颯爽と走り去っていくセガサターンさん。
 強いなぁあの人。いろいろとダメダメだけど。
 危うく同盟を結びかけたけどうやむやになっちゃって助かったかも。

「で、お前の方は」
「わ、わたし、ですかっ?」
「うん」

 先ほどよりも疑問を増したような顔で頷く。
 ああ、どうしよう、どう逃げよう……。

「きょ、教室に忘れ物のノートを取りに来たら佐々瀬川さんがいたからちょっとお喋りしてたんです、うん。……だから、私も帰りますね」
「うーん、そうか、じゃあ、気をつけてな」
「お、おやすみなさい。直枝君も、おやすみなさいっ」
「あ、うん。おやすみ、杉並さん」

 ちゃんと挨拶をするのを忘れない。
 地道な努力こそがいつか実を結ぶと信じて。
 幼馴染なんかに負けるもんか……!!

 なんとか、この場から離れる事が出来た。
 でも、いつかきっと、私が、直枝君と離れる必要のない存在になって見せる。
 いつまでも写真で満足せず直枝君自身を私のたからものに。


  *


「…………」
「理樹、みんなも先に帰ったし、あたしたちも帰ろう」
「そうだね、……手、繋ごうか?」
「う、うみゅ……そうだな、寒いし」


「……4Pも、悪くないかな」
「どした、理樹。なにか言ったか?」
「ううん、なにも」


[No.370] 2008/06/20(Fri) 16:39:42
子宝 (No.363への返信 / 1階層) - ひみつ

「理樹が家を買ったらしい」
「ええっ」

 珍しく早めに仕事が終わったその日、夕食の席でのこと。理樹本人からメールで知らされた衝撃的事実を伝えてやると、小毬は案の定飛び上らんばかりに驚いてみせた。まったく、いくつになっても可愛いやつだなぁおまえは。

「きょーすけさん、私それ二週間ぐらい前から知ってたんだけど……ええっ。てっきり知ってて話題にしてないものだと思ってたのに」
「……ああ、そうか。ははは」

 くそう、あいつらめ。小毬には教えといて俺にはなんもなしかよ……。
 でもまあ、いいさ。こういう扱いにももう慣れた。なぁに、ストレートなデレよりツンデレのほうが愛情こもってるっぽい感じがするからな、問題ない。例を挙げると、「はい、プレゼント(はあと)」よりも「べ、別にあんたのためなんかじゃないんだからねっ!」のほうがなんかこう、ラブ的な意味をより強く感じないか? つまりそういうことだ。え? 忘れられてただけでツンですらないって? いや、それはありえない。根拠はないが、断言してやろう。

「でも、すごいねぇ。まいほーむだよ、まいほーむ」

 ああ、そうだ。理樹が家を買ったことについての話だったな。俺より早く結婚したうえに、俺より早くマイホームまで手に入れやがるとは……なんというか、理樹も大きくなったもんだ。
 しかし、やはり“マイホーム”という言葉の響きには、男として何かしらの憧れを抱かざるを得ないと俺は思うわけだが。要するに羨ましい。

「まったく、兄夫婦が狭いアパートで慎ましく生活しているってのに」
「それはしょうがないよ〜。だってきょーすけさん、理樹くんと違って安月給だもん」

 ふふ……今日も笑顔が眩しいぜマイハニー。

「でもね、給料の額なんて問題じゃないよ。どれだけ安月給でも、幸せに生きていくことはできるから。私は、きょーすけさんがいてくれればそれだけで幸せ」

 そしてフォローを忘れないあたりが最高だ。ああ、いい嫁さんもらったなぁ俺。
 ふと思ったが、ここはキスの一つでもしておくべきじゃないだろうか、雰囲気的に考えて。いっそ口移しで食べさせ合うとかどうだろう。うむ、我ながらナイスアイデアだな。そうと決まれば行動あるのみ。

「小毬……」
「え? あの、きょーすけさん?」

 小毬は戸惑うようにしながらも、拒もうとはしない。まったく、可愛いやつめ……。

「馬鹿父、娘の前で堂々とママを襲うような真似をするな」

 唇が重なるまであと数センチといったところで、小毬の横から邪魔が入った。いや、邪魔なんて言ったら悪いな。なんたって、俺たちの大事な大事なお姫様なんだから。

「毬子」
「なんだ、馬鹿父」
「おまえ6歳のくせに、どこでそんな言葉を覚えてくるんだ。それと、恭介パパって呼んでくれていいんだぞ?」
「いやだ」

 さすが我が娘、ツンデレというものをよく心得ているな。

「小毬ママも小毬ママだ」
「ふえ?」
「馬鹿父がいればそれだけで幸せって。じゃあ、私はどーでもいいのか」

 可愛らしく頬を膨らませて拗ねてみせる我が娘。その様子には、何かこう、胸にキュンキュンくるものがある。
 小毬はそんな毬子の頭を宝物でも扱うように撫でながら、俺にだって聞かせてくれないような甘く優しい慈愛に満ちた声で言う。

「毬子ちゃん。確かに私はきょーすけさんがいてくれるだけで幸せだけど。毬子ちゃんはね、いてくれるだけで、ものすっごく幸せなの」
「ものすっごく……馬鹿父のと比べるとどのくらい?」
「え? う〜ん、十倍くらい、かな?」

 ふふ……今日も笑顔が眩しいぜ、マイハニー。

「ほんとう?」
「もちろん本当ですよ〜」
「……小毬ママ、好きだ」
「私も毬子ちゃんのこと好きだよ〜」

 フォローはなかった。

「……とりあえず、年明けたら理樹んところ行くか」

 ボソリと口にした言葉は二人の空間に入り込んでしまっている母娘には当然届かず、俺は一抹の寂しさを覚えながらアサリ入りの味噌汁を啜った。
 しょっぱかった。





 二週間ほど経っての元旦。やってきた理樹と鈴の愛の巣、その和室で新年の挨拶も早々に終わらせると、毬子はとてとてと理樹に走り寄っていった。そのまま叔父の顔を見上げて、動きを止める。理樹は毬子の意図を察したのか、小さく笑って懐から封筒ほどの大きさの紙袋を取り出した。

「はい、毬子。お年玉だよ」
「ありがとう」

 よしよし、ちゃんとお礼言えるなんて偉いぞ。さすがは俺の娘だ。

「中、見ていい?」
「もちろん」

 折られている口をそっと開いて、毬子は恐る恐る中を覗き込む。しばらくそうしていた後、再び理樹を見上げる。

「こんなにもらっていいのか?」
「子供は遠慮なんてするもんじゃないよ」

 子供、という言葉に毬子は不満げな表情を見せたが、それだけだった。目に見えて不機嫌になったり拗ねたりするでもなく、もう一度お礼を言ってから、今度は鈴と一緒にこたつでぬくぬくしている母親のもとへと駆けていく。

「見てくれ小毬ママ。こんなにもらった」
「わぁ、すごいねぇ」

 毬子が掲げてみせているそれは、諭吉が二人……いや、三人いるように見える。今朝俺が毬子に渡したお年玉の、実に三倍に値していた。安月給で悪かったなチクショウ。

「ふっふっふ。驚くのはまだ早いぞ、まりこ」

 じゃじゃーん、とセルフ効果音を伴いつつ、鈴までもがお年玉袋を取り出した。いや待て、おまえら毬子にどんだけお年玉を与える気なんだ。というか去年も同じことを思ったような気がするわけで、たしか子供にお金を与えすぎるのはよくないとも言っておいたはずだが、相変わらずなのか。相変わらずなんだな。いや別に俺が惨めだからだとか、そんな理由では断じてないぞチクショウ。

「……でも、りんねえ。もうりきから貰った」

 しかしまあ、その点ウチの娘は人間が出来ている。あの歳で相手への気遣いを持てるっていうのはなかなかできないことだと思うぞ、俺は。

「なんだ、理樹のお年玉は受け取ったのに、あたしのお年玉は受け取れないっていうのか」
「いやいやいや、お酒の席じゃないんだからさ」

 理樹は未だにツッコミ役から解放させてもらえないようだった。毬子はというと、おずおずと鈴の差し出すお年玉袋に手を伸ばしていた。まあ、ああ言われては受け取らざるを得ないだろう。鈴はにっこりと機嫌良さそうに笑ったあと、子猫にでもするかのように優しく毬子の頭を撫でてやっていた。





 三十分ほど経ったころ、こたつを占拠する小毬たちから離れて、俺と理樹はキッチンのテーブルでちびちびと酒を飲み交わしていた。正確に言えば、理樹から二人で飲もうと誘われたというのが正しい。友人として義兄として、断る理由などあるはずもなかった。

「しょうがないじゃない、他にあげる相手もいないんだし」

 俺が毬子にお年玉をやりすぎるな、おまえらはあいつのじーちゃんばーちゃんか、などと文句を垂れ始めると、理樹は溜息交じりにそんなことを言った。

「だったら自分たちのために使えよ」
「使ったさ。この家買うのに」

 それでもまだ有り余っている、と。なんか悲しくなってくる。

「……まぁ、もっと大きな家買うって手もあったんだけどね」

 理樹はボソリと言った。
 理樹たちの新居は、俺のイメージしていたものとは少しズレていた。まず第一に、そんなに大きくない。そもそも、一階建てだった。他にもまあいろいろとあるが、一見しただけでは高給取りの家には見えない。

「どうせ僕と鈴の二人だけなんだし、そんなに大きな家買ってもしょうがないと思って。そもそも家買った理由の半分は、猫飼うためだしね」

 前に二人が住んでいたマンション(アパートではない)はペット禁止だった。鈴はそれでも近所の野良猫と戯れることで満足していたらしいのだが、ある時期を境に「ちゃんと飼いたい」と言うようになったらしい。もっとも、肝心の猫の姿は今のこの家の中には見えなかったが。
 そんなことよりも、俺にはもっと気にかかることがあった。

「なあ、理」
「それで、お年玉の話だけどさ」

 狙ってやったのか、それとも素だったのか、いいタイミングで俺の言葉は遮られた。気にかかると同時に、それは聞きづらいことでもあり、強引に話を戻そうという気にはなれず、理樹の話に合わせることにした。

「鈴、わざわざ毬子のお年玉のためだけに短期のバイト入ってさ、お金稼いでたんだよ」
「鈴が? マジでか」
「マジマジ」

 こたつの中で毬子を抱きかかえて、一緒にぬくぬくしている鈴に視線を向ける。鈴も毬子も、実に楽しそうだ。鈴はあるいは俺以上に毬子から懐かれているかもしれないわけだが、その様子は本当の母娘であるように見えないこともない。実際のところ、毬子の愛らしい容姿は間違いなく小毬譲りだが、物言いが妙に男っぽかったり尊大だったり、俺には懐かず小毬とばかり仲が良かったり、その内面は鈴を想起させるものであると言ってしまっても間違いではない。もっとも、あの歳ぐらいだったころの鈴と違ってウチの娘は実にしっかりとしているが。
 とにかく、性別の問題を無視すれば、小毬と鈴の子供だと言ったほうがしっくりくると、俺ですら思う。

「本当に、自分の娘みたく思ってるのかもね」

 思わず口に含んでいた酒を吹き出しそうになった。辛うじて喉の奥まで流し込み、俺は理樹の顔を見遣った。
 猫のようにじゃれ合っている鈴と毬子、その二人を見る理樹の横顔が、あまりにも悲しそうで、あまりにも寂しそうで――俺はその理由を知っているのに、聞いてはいけないことだとわかっているのに、問わずにはいられなくなってしまった。

「おまえは、どうなんだ」
「毬子は僕の可愛い姪っ子だよ」

 答える理樹は、あのころと同じ優しい笑顔を浮かべていて。
 それきり、欠片の悲しさも寂しさも、見せてはくれなかった。


[No.371] 2008/06/20(Fri) 17:50:25
直球勝負 (No.363への返信 / 1階層) - ひみつったらひみつと言い張る六月の夜

 恭介の部屋からスクール水着が見つかった。





   直球勝負(『(゚∀゚)o彡゜おっぱい!』的な意味で)





 きっかけは、些細な違和感だ。最近どうも挙動不審だった恭介の様子が気になって、僕は野球の練習中、怪我を装い保健室に向かうふりをして寮に戻り、誰もいない部屋に踏み入って、その原因だろう何かを探してみることにした。ルームメイトの上級生には鍵を借りてある。固く閉ざされていた扉は錠を開けると呆気なく動き、経年劣化で錆び付いた蝶番が小さく軋む音を響かせた。
 ここ数日、用事がない時は足早に自室へ帰っていた恭介。初め僕はそれを、シリーズでまとめ買いした漫画を読むのに忙しかったからと解釈したけれど、グラウンドで、あるいは教室で、廊下で、食堂で、あっという間に遠ざかる背中には、妙な焦燥感が窺えた。そんならしからぬ姿が忘れられず、似合わないスニーキングミッションなんかを敢行した結果が、ベッドの下の段ボール箱だ。まだガムテープが剥がされてない、未開封の箱。
 伝票らしきものが貼ってあった痕跡があり、側面に書かれている名前からして、通販で取り寄せた商品らしかった。学校にはネットに繋がっていて、かつ生徒が自由に扱えるパソコンはなかったはずだけど、きっとインターネットカフェ辺りを探して手続きを済ませたんだろう。この辺にはなくても、少し遠出すればちらほらと見つかる。
 ベッドの下に隠せるくらいだから、随分薄かった。親指と人差し指を広げて、端と端にそれぞれ指先が付く程度。比べて縦横の幅は大きく、若干縦の方が長い。寸法から考えて、衣服の類かなと思う。畳まれてれば丁度良いサイズだし。
「…………」
 封を切るのにはちょっと抵抗があった。勝手に開けたらそりゃあ怒るだろう。僕ならそうする。
 でも、脳裏に浮かんだ恭介の表情が、鈍る手を動かしてくれた。爪でテープの始点を軽く剥がし、指の腹で摘まんでべりべりと引っ張っていく。ここまでやっちゃったら修復は不可能。もし当てが外れていれば、大人しく叱られよう。
 押さえる物がなくなった蓋をゆっくりと両側に開く。そしてまず目に入ったのは、
「……え?」
 ――深い、紺の色だった。
 素材はおそらく化学繊維。鈍く光を反射するそれを持ち上げて広げると、全容が露わになる。
 肩紐と、襟元から胴体、股間部までを包む、逆三角形に近い輪郭。どこを、どう見ても、スクール水着以外に有り得ない。
 けれど何故恭介の部屋からこんなものが出てきたのか。というか、本当に通販で買ったのか……様々な疑問が頭の中をぐるぐると廻り、僕は訳がわからなくなった。だって、この水着は女物だ。自分で着ないのに注文してるってことは、つまり恭介が手の施しようのない変態だという証左になる。僕だってここまではできない。
 しばし言葉を失い、呆然と包装されたままのスクール水着を見つめていると、不意に背後から物音が聞こえた。
 一瞬で鼓動が平静を忘れる。嫌な予感がして、僕は静かに振り向いた。
「そうか、理樹、それを見ちまったのか」
「恭介……? 何でここに……」
「怪我をしたって言ってた割に、痛みを耐える素振りはしてなかったからな。あの後俺も抜けてきた」
「そうまでして、隠したいことなの?」
「ああ。俺がそんなものを所持しているという事実は、誰にも知られちゃいけない。勿論お前にも、だ」
 真剣な顔で僕を、いや、僕の手にあるスクール水着を睨む恭介。
「……まさか」
「たぶんお前が思い描いてる通りだ」
「人目のない時間を見計らって自分で着て悦に入るつもりじゃ、」
「ちょ、ちょっと待て! 理樹、俺はそこまで人間として終わってるように見えるか……?」
「うん」
(21)だし。シスコンだし。
 即答したことで恭介は精神的に多大なダメージを負ったようだけど、すぐに持ち直した。
 無言のまま、一歩近付いてくる。尻餅を付いて徐々に下がる僕との距離を確実に詰め、ついに部屋の隅まで追い込まれる。蛍光灯の明かりを遮る恭介の表情は、影に覆われて判別できなかった。
「いいか理樹、スク水は未使用じゃ困る。魂の宿らない人形と遊んでも、得られるのは束の間の楽しさだけだ。そんなのは自分を相手にしてるのと何ら変わりない。だが、一度でも手足を通したのなら、肌が触れたのなら、その時点でスク水は形容し難い輝きを纏うだろう。使用済という現実が、俺達に幻想ではない、確かな実感を齎してくれる」
「じゃあ、まさか」
「今度こそお前が思い描いてる通りだ」
「恭介は……鈴にそのスク水を着せるつもりなんだね」
「ご名答」
 一片の曇りもなく誇らしげに笑う恭介の雄姿を、僕は不覚にも恰好良いと感じてしまった。
 でも、ここは譲れない。譲っちゃいけない。みすみす自分の大事な、宝とも言える女の子を変態義兄の下劣な欲望に晒していられるほど、僕の心は広くないんだ。それに何より――
「いくら恭介でも聞き捨てならないね。鈴の恥じらうスク水姿を見ていいのは、僕だけだよ」
「そう答えると思ってたさ。なら決着を付ける方法は一つだな」
「受けて立つよ。僕はもう、恭介にだって負けない。鈴が付いてるから」
 強く宣言する。
 恭介は口元を緩ませて、望むところだ、と頷いた。



 翌日、グラウンドにはいつにも増して多くの人が集まっていた。僕と恭介の戦いを観戦しようと、生徒達が一列に並んで始まりを待っている。バッターボックスの近くではリトルバスターズのみんなが僕の側に付き、未だ姿を現さない恭介を訝しんでいるようだった。予定時刻の二分前。ちょっと、遅い。
「来たぞ」
 背後である意味渦中の人物な鈴が呟く。
 悠然と登場した恭介は余裕の表情で辺りを見回し、僕の背後にいる鈴を認めた。
「おおー……まるで鈴ちゃんがお姫様みたいですネ」
「じゃあ、理樹君が王子様で、恭介さんも王子様?」
「なるほど。同じ人を愛してしまった二人は、やがて互いの間に芽生える感情を持て余していく……ありです」
「ちょっぴり鈴さんが羨ましいです……」
「ふむ、妹さんをくださいと迫る婿と、欲しければ俺の屍を越えて行けと立ち塞がるシスコン兄の図か」
 状況的にはあながち間違ってるわけでもない。一番重要な部分を故意に伏せて広められた情報は半日足らずで尾ひれや背びれが付き、気付けば僕が鈴との正式な交際、及び将来の結婚を許してもらうために恭介と戦うことになった、なんて話に変わっていた。ちなみに性的な意味では許してもらう以前にもうお手付きだったりする。
「……理樹」
「大丈夫。絶対勝つよ」
 珍しく不安げな声で名前を呼ぶ鈴に、僕は振り返って微笑みかけた。
 そう、大丈夫。大丈夫だ。鈴がいる限り、怖いものなんて何もない。
「勝負は男らしく一球。フェアゾーンに打てば理樹の勝ち、ストライクを取れば俺の勝ち。ボール球はノーカウント。判定は謙吾にしてもらおう。キャッチャーは真人、頼む」
「了解した」
「おう」
「何か異存はあるか?」
「ううん」
「よし、じゃあ始めるぞ」
 何度か恭介が投球練習をし、僕がバッターボックスに立つ。
 バットをきゅっと握り締めて、真っ直ぐマウンドの方へ目を向けると、鋭い視線が返ってくる。
 実際に受けたことはないけれど、おそらく鈴よりも速く、重い。そんな確信めいた予感があった。
 たった一球、様子見も許されないという状況が、逆に僕の思考を落ち着かせる。適度な緊張は神経を鋭敏にさせ、恭介の微かな動きさえも冷静に捉えられるようになる。
 勝負はほんの一瞬。球種を絞り込むのは不可能だ。だからといって、賭けに出るのはリスキー過ぎる。
 限界まで意識を研ぎ澄ませて、当てればいい。それだけでいい。
 ……ふと脳裏に、スク水を着た鈴が浮かんだ。胸元には平仮名で『なつめ』と書かれ、慎ましい『(゚∀゚)o彡゜おっぱい!』を覆っている。ぴっちりとした生地が細身の幼くも女性的な線を際立たせ、健康的な太腿を惜しげもなく晒す脚のラインや『(゚∀゚)o彡゜おっぱい!』からは何とも言えない背徳感が漂う。そんな恰好で羞恥に頬を染めながら、もじもじして身を捩る鈴。……ああ、ああ!
 水着はプールに入る時にしか着ちゃいけないなんて理由もない。別に『(゚∀゚)o彡゜おっぱい!』でだって構わないし、一緒にお風呂に入れる機会があるのならそれもいいかもしれない。腋から手を入れて『(゚∀゚)o彡゜おっぱい!』のもよし、『(゚∀゚)o彡゜おっぱい!』をずらして『(゚∀゚)o彡゜おっぱい!』のもよし、お腹に『(゚∀゚)o彡゜おっぱい!』だろう。夢が広がり過ぎて鼻と『(゚∀゚)o彡゜おっぱい!』に熱いものが込み上げてきたけど問題なし。今なら行ける、僕は、無敵だ。
「ふ、っ!」
 片足が上がり、後ろへ回された右腕が円弧を描いて力強く下ろされる。
 瞬間、指を離れた球は凄まじい速度で、真人のキャッチャーミットを目指し突き進んだ。
 そのスピードにタイミングを合わせ、軌道を計算し、僕はバットを寸分の狂いなく振り抜く。
 変化球なら空振りだ。でも、恭介なら、変態だけど紳士な恭介なら、男らしくストレートで勝負してくる……!
 ともすれば押し切られそうなほどの手応えを感じ、乾いた金属音と同時に、ボールは空高くへ舞い上がった。
 伸びて、伸びて、グラウンドの遙か彼方に落着する。普段外野が守っている位置の、さらに奥。間違いなくヒットだ。
 息が詰まるような静寂を挟み、僕がバットを手放した直後、一気に歓声が爆発した。
 ミットを放り投げた真人に鯖折りされかねない勢いで抱き締められ、謙吾には労いの言葉を掛けられ、遅れて駆け寄ってきたみんなが口々に褒め称えてくれる。そして最後、躊躇いがちに僕の前まで出てきた鈴を見て、気のせいでなければ、恭介は寂しそうな顔になった。
「理樹。鈴を(スク水的な意味で)任せた」
「……馬鹿兄貴」
「そんな顔すんな。お前達はもう立派に成長した。今一度それを証明してくれて、俺は誇らしく思うよ」
「恭介……うん、約束する。ちゃんと僕は(スク水的な意味でも)大事にしていくから」
 僕達はぐっと握手を交わす。
 事の裏側を全く知らない、無垢な僕の宝物は、うーみゅ、と恥ずかしそうに唸った。




















「ということで鈴、これを着て『(゚∀゚)o彡゜おっぱい!』しよう」
「いっ、いきなり変なこと言うなっ!」
「大丈夫、絶対似合うから。だから、ね?」
「いやだったらいやじゃー! ってあっ、こ、こら理樹、『(゚∀゚)o彡゜おっぱい!』……っ!」
「口では嫌がってても『(゚∀゚)o彡゜おっぱい!』はこんなに」
「にゃっ、やっ、やめ……、ふにゃあああああああああああああああああああああああああ!」



 ごちそうさまでした。


[No.372] 2008/06/20(Fri) 18:13:23
似た者○○ (No.363への返信 / 1階層) - ひみつ@今回一番の萌えキャラを目指してみた

「大変です、佳奈多さん! 学校の前に不審人物が出たそうです」

 校門の前がざわついていたので話を聞いてみると怪しい男が現れたという話だった。そのことに脅えて誰も学校から帰れなくなっていた。できれば自分で何とかしたかったけれど、私ではとても対処できないと思ったので誰かを呼ぶしかなかった。そう思って校舎へ入るとすぐにほかの風紀委員さんと見回り中の佳奈多さんが見つかった。

「わかったわ、クドリャフカ。あなたは校舎から出ないでいて」
「いえ、佳奈多さんだけを危ない目には合わせられません。私もついていきます」

 その一言が嬉しかったのか一瞬佳奈多さんの顔が緩んだけれども、すぐにキッといつものかっこいい顔に変わった。以前はちょっと怖かったけれど、今の厳しさの中に優しさのある子の顔を見たら、どんなことがあっても安心できる。

「それで相手はどんな人」

 ずんずんと進む佳奈多さんたちにおいて行かれないように早足で歩いている中、そんな質問をされた。そう言えば話を聞いて慌ててきたけれど相手の顔を見ませんでした。それでも聞こえてきた話から大体のことを説明してみる。

「えっとですね、40歳ぐらいの男性で目つきがかなり鋭く顔に傷があって、趣味の悪い赤いアロハシャツを着ているそうです」

 途端佳奈多さんが時間で求められたかのようにピタッと止まってしまった。急に止まったから私は鼻をペチャっとうってしまった。ただでさえ低いのにこれ以上低くなったらどうするんですかと抗議しようかと思ったけれど、ギギギとぎこちない動きで振り向かれ、妙にこわばった顔を見るとてもそんなことが言えなくなった。

「い、今何て言った」
「ですから40歳ぐらい……」
「あー、別にきちんと言い直さなくていいから」

 急に頭を押さえて何かを考えだした佳奈多さんを私も他の風紀委員さんもただ呆然と見る。

「ごめんなさい、あなた達だけで行ってくれる」

 しばらく待った先にあったのはそんな佳奈多さんとは思えない一言だった。

「どうしたんですか、委員長。ビビったりして」
「怖いのは私たちも一緒です。だから一緒に戦いましょう」
「ああっ仕事熱心な部下が今だけ憎い」
「話を聞いただけでもものすごく怪しい人物だな。何か犯罪を起こしているのでは」
「確かに人を刺したけれどあれは仕方なかったの!」
「やっぱりそんなことをしていたのか……あれ、何で詳しいんですか」
「それにしても赤いアロハシャツを着て学校の前をうろつくなんてどういう人物なんだ」
「私はもっと普通のがいいと言ったんだから!」
「さっきから委員長何変なことを言ってんだろ」

 ジタバタしている佳奈多さんの腕を引っ張って私たちは突き進んでいく。今も学校から帰れなくなっていた人たちは、佳奈多さんの姿を見て一瞬安心したけれど、その変な姿を見てがっかりしたような顔になった。それでも佳奈多さんに期待してか道が割れていった。その先にあった謎の人物の姿を見て私はだいたいのことがわかった。

「……な、何の用かしら」
「おう、佳奈多か。昨日葉留佳がこいつ忘れていった。お前から渡しとけ」
「あ、ありがとう、父さん」

 父さん。その一言でこの場にいたほとんど全ての人が凍りついたように固まってしまった。私は以前遊びに行った時顔を見てたけどその時も少し驚いてしまった。もし今みたいに突然言われたら同じように固まっていたと思う。そう考えているうちにおじさんの側にいたストレルカ達が私の方へトテトテ歩いてきた。話を聞くと佳奈多さんと同じ匂いがすると言った。うーん、ストレルカ達は賢いです。










「父親が娘の忘れ物を届けに来たという温かいエピソードで、何で白い目で見られなければならないの!」

 長い硬直時間の果てにみんなが意識を取り戻して最初にしたことは、佳奈多さんとおじさんの顔を見比べることだった。その様子を見ておじさんはだいぶ怒ってましたけれど、そうして荒げた声を出すことでますます佳奈多さんとおじさんの間に違和感を感じているようでした。佳奈多さんが校舎へ向けて歩き出したのに合わせて、おじさんも帰り始めたけれどその後もしばらくの間校門の前は騒然としていました。先に部屋に帰って心配しながら佳奈多さんを待っていたけれど、部屋に帰った佳奈多さんは挨拶もなしにそんなことを叫んだ。

「あのちょっと落ち着いて下さい。お茶を一杯どうぞ」

 あらかじめ用意しておいたお茶を差し出すと、佳奈多さんはもぎ取るようにそれを手に取りごくごくと一気飲みした。そしてドンと机に湯のみを置いたことで私はわふっと驚いてしまった。

「あんなにじろじろ見るなんてそんなに私と父さんが似ていないことが文句あるの」

 似ていないこともあると思うけれど、それよりもおじさんがちょっと怖いことの方が大きいと思う。でも佳奈多さんも最初はちょっと怖かったから、きっと本当は優しい人だと思う。

「ふーっ。いや、あんまり他の生徒のことばかり責めても仕方ないわね。だいたい父さんも父さんよ。学校へ来るのならもう少し格好に気を付けてほしいわ」
「はあ、なんというかそのあのあろはしゃつはものすごくおじさんに似合っていたような気がしますけど」
「あら、クドリャフカもそう思うの。私はもうちょっとおとなしい格好の方がよくないかって言ったんだけど、葉留佳が絶対似合うって言うからあれに決めたんだけど、やっぱり葉留佳の見立ての方がよかったのかしら」
「あれは佳奈多さんたちが選んだのですか?」
「ええ、昨日の父の日のお祝いにね。まったく父さんときたら早速着ているのに素直じゃないんだから。昨日は要らないだの、悪趣味だのさんざん言ったくせに」

 その言葉に私は何か懐かしさを感じます。どこかで私は今と同じことを言われたような気が……思い出しました。佳奈多さんにきーほるだーを渡したときです。

「娘から送られた最初のプレゼントだからって、きっとあんだけ悪態をついても本当は宝物のように思っているわよ」

 あのきーほるだーも私から佳奈多さんへの最初のぷれぜんとでした。ということは佳奈多さんもあのきーほるだーを宝物のように思っているということですか。わふー、うれしいです。はっ! ということはおじさんも佳奈多さんみたいに、絶対なくさないようにあのしゃつに自分の名前を書いているのですか。なんだか名前を書いているおじさんの姿を想像するとかわいく思えてきます。

「どうしたのクドリャフカ。急にニコニコして」
「いえ、なんでもありません」
「……それにしても親子って不思議ね。ずっと離れ離れでいたのにどこかつながっている物があるのだから。ああ、ごめんなさいね、あなたの前で」
「いえ、私はもう大丈夫です」

 大丈夫。私はもう大丈夫。お母さんもお父さんも私の中につながっている。わたしが生きている限りお母さんもお父さんも生きている。私はそう思えるようになった。佳奈多さんたちは大変な状況の中で育ったけれど、それでもちゃんとお父さんたちとつながっていたし今は家族仲良しです。家族のつながりって本当にすてきなものだと思う。

「性格も遺伝するものね。葉留佳の不器用な性格は絶対父さんに似たんだわ」

 いえ、どう考えたって佳奈多さんの方が似ています。顔は佳奈多さんも葉留佳さんも似ていないと思うけれども、性格の方は佳奈多さんおじさんそっくりです。

「ああいうひねくれたものの考え方ばかりしているから、顔つきまで悪くなるのよ」

 最近はだいぶ変わりましたけれど以前の佳奈多さんは同じような顔をしていました。

「さっきから何変な顔をしてるの。体の調子が悪いの」

 そういうわけではないのですが……あっでもちょっとお腹が痛いような気が。これが名高いすとれす性胃炎というやつですか。うーん、すとれすでお腹が痛くなるなんて大人の証拠です。でも、お腹が痛いのはやっぱり嫌ですし、けど私では佳奈多さんにつっこむ勇気が。ああ、誰か私の代わりに佳奈多さんにつっこんで下さい。

 ガチャリ

「小動物にストレスを与えるのは危険です」

 パタン

「な、何だったのかしら、今の」
「美魚さーんっ!」

 今のはぼけなのですかつっこみなのですか。ずっと前から話を聞いていたのですか。それと一言だけで帰ってしまうんですか。あと私は小動物なのですか。それからそれから、あー私ではつっこみきれません。

「わふー」

 バターン





 しばらくして目を覚ますと皆さん部屋に集まって心配していました。ご迷惑をかけてすみませんと言った私に葉留佳さんが何が起きたのか聞いてきたけれども、葉留佳さんが選んだあろはしゃつで倒れたと説明すると皆さん不思議そうな顔をしました。間違いなくきっかけはそれのはずなのにどうしてそれで倒れたのか私も不思議です。










 ――同時刻――

「アイロンがけなら私がしますけれど」
「あーん、このゴミみたいなシャツ俺が適当にやるんで十分だ。おい、さわんじゃねえぞ」
「クスッ」
「おい、何がおかしいんだ」


[No.373] 2008/06/20(Fri) 19:07:28
ものがたりはつづいていった。 (No.363への返信 / 1階層) - ひみつ



 ずっと、ずっと。
 こんな世界ばかりがただ、広がっていたら良いのに。
 
 
   ものがたりはつづいていった。
 
 
『りき、いくぞっ!』
 これは、きょうすけの声。
 これは、ぼくらの日常。
 これは、たのしい毎日。
『なんだ?きんにくは必要か?』
『いらん。おまえばかだろ』
 いつだって楽しかった。
 そう、昔はいつだって楽しくて。
 でも。
『明日も、たのしいよね』
『ああ、もちろん』
 今だって、その延長だ。
 
 
 
「……」
 ここは、楽しい毎日の続き。
 いつだって楽しい、僕らの日常。
「きょうすけ、りん」
 僕は、ずっと楽しい時間を過ごしてきた。
 だから、それはずっと変わらないと思っている。
 そう、変わらない。不変のもの。
「まさと、けんご」
 僕らは、子供の頃から一緒だった。
 そう、毎日一緒に過ごしてきたんだ。
 …今は?
 今だって、ずっと、一緒だ。
「……」
 ここは楽しい日常。
 いつだって楽しいここは、闇の中。
 
 
 
『きょうは何をするの?』
 毎日が楽しかった。
 だから、僕は生きてゆけた。
『じゃあ…そうだな。花火でもするか!』
『いよっしゃあっ!!花火だぜっ!花火!!今日こそはけっちゃくつけてやるからな!』
『花火か…ひさしぶりだな』
 何をするにも一緒で…彼らはもう、家族以上の存在ともいえるような間柄だった。
 とにかく、これが僕の希望だった。
 そして、未来だった。
『花火か…あたしは線香花火がやりたい』
『なにがたのしいんだ?すぐ消えちまうのに』
『…きっと、それがいいものなんじゃないのか?』
 僕は花火は消えて欲しくないと。
 そう思った記憶がある。
『まあ、いずれ消えるものは消えるしな』
『そういうもんか』
 理解なんて、するもんか。
 
 
 
 僕の大切なもの。
 それは、なんだろう。
「…これ、かな」
 僕の胸の中にある、ぬいぐるみ。
 これは、僕の小さい頃からあって、みんなで遊んだ記憶がある。
 もっとも、格闘ごっことかの悪役だったが。
「……」
 それを見ると、僕の心は、安らぐんだ。
 ずっと続いてゆくものはあるんだ。
 そう、思えるから。
「…ずっと、一緒にいるよね」
 僕らは、いつも一緒だったから。
 
 
 
 ずっと彼らと生きてきて、ずっと彼らと一緒にいた。
 他の人とは…どのように接していたんだろう。
 思い、だせないな。
『きょうすけ』
『なんだ?』
 ずっと、彼らといればいいと思っていた。
 そうすれば、ずっと、楽しいんだから。
 何も悪いことなんて起こらない。
『いまさ、なに、考えてたの?』
『うーん…。そうだな』
『なに?』
 ずっと、五人でいればいい。
 本気でそう思った。
『なに、考えてると思う?』
『え…っと…。わかんないよ…』
『…じゃあ、宿題な?』
 きっと僕らなら、それは当たり前のように出来ることだと思った。
 
 
 
 ずっと、一緒。
 小さなころから、ずっと一緒で…。
 今、この学校でもそんな毎日は続いている。
 五人。
 ずっと、一緒だ。
「……」
 でも、ひとつだけ不思議なことがある。
 なにか、足りないような気がするんだ。
 それを思うのは、夜空の星を見たとき。
 空から落ちる雪を見たとき。
 あぜ道にたまる泥水を見たとき。
 夕焼けに染まる空を見たとき。
 どこまでも続く広い海と空を見たとき。
 …どうして、だろう。
 どうして足りないような気がするのだろう。
 僕ら五人。
 一緒にいれば何も足りないものなんてないはずなのに。
「……」
 考えれば考えるほど分からなくなってきた。
 でも、なにか心の中にひどく大きな隙間が開いた気がして。
 それを埋めるためなのか、涙があふれ出てきた。
 
 
 
『きんにく、きんにくーっ!』
『まさと、好きだね。きんにく』
『ああ、もちろんさ!』
 子供の頃の大切なもの…って、なんだっただろう。
 なにか、大切なものなんて…たからものなんて、あっただろうか。
『りきもやるか?』
『えぇーっ…。どうやればいいの?』
 僕はきっと、みんなといられればそれでよかったんだと思う。
 ということは、今の大切なものもそれ、ということだ。
 いつだって、大切なものは何も変わらない。
『とりあえず楽しめ、ってことだな!』
 ずっと、楽しければよかった。
 なんて、僕はおかしいのだろうか。
 今だって、楽しい日常のはずなのに。
 
 
 
 それは、空から落ちる水の波紋を見たとき。
 
 
 
『きょうすけ、どこいくのっ?!』
『着いてからのお楽しみだっ!』
 ずっと、彼らと一緒にいた。
 それは楽しいときも、つらいときも続いた。
 …つらいときなんて、あったっけ?
 思い出せない。
 なにも、思い出せない。
『…着いたぞっ』
 思い出せない?
 いや、そんなのじゃなくて…。
 思い、出したくない。
『うわ…っ…』
 なんで思い出したくないんだろう。
 それたつらいことがあったから。
 つらいことがあったから、つらいことを思い出したくない。
 至極当たり前のこと。
 元がなければ、事象は起こりえないのだから。
『ほら、きれいだろっ!』
 そこは丘だった。
 とてもきれいな緑の広がる丘。
 どこまでも続いて…。
 空と、溶け合う。
 どこまでも続く、夢の世界。
 ああ、僕は…。
 
 いつまでもこんな世界で、生きていたかったのに。
 
 
 
 ぽしゃん。
 
 水の音がした。
 大きな、水の音。
 僕のたからものが、落ちた音。
「……」
 雨が降っていた。
 頭からつま先まで、もうびしょびしょだ。
 早く、家に帰らなきゃ。
 あの人たちのところへ、戻らなきゃ。
『……き…』
 声がする。
 あの、僕の手を引く、声が。
 どこにいるの。
 君は、誰。
『…りき…』
 早く助けて。
 僕は今、つらいんだ。
 とても悲しいことがあったんだ。
 いやなんだ。
 たすけて。
 抜け出せない。
 あんな。
 あんな―――
『りき!』
 ひどい事故だった。
 僕しか助からなかった。
 みんな、死んでしまった。
 いなく、なってしまった。
 嫌だったから、僕はずっとみんなと一緒にいた。
 そう。ずっと一緒にいたんだ。
『きみの力がひつようなんだ!』
 早く、手を引いて。
 助けて。
 このひどい世界から…。
 早く僕を出して。
 
 
 
 ここは、闇。
 ずっと僕のいたかった世界。
 そう。
 僕の周りには、みんながいる。
 四人がいる。
 ずっと、子供の頃から楽しかった世界。
 つらいことなんて、何もなくて。
 ねえ、きょうすけ。
 僕、まだ、きょうすけの考えてること、分からないんだ。
 いつまでに、考えればいいのかな。
 いつでも良いのかな。
 そうだよね。
 ずっと、一緒にいるもんね。
 この世界は、消えたりなんてしないよね。
 でも、僕のたからものは、手の中から―――
 消えてしまった。
 
 
 
 ずっと、ずっと。
 こんな世界ばかりがただ、広がっていたら良いのに。


[No.374] 2008/06/20(Fri) 19:18:10
宝物 (No.363への返信 / 1階層) - ひみつ

 そんなわけで、私はこうして今日もまた犬の着ぐるみの中で死にそうになっていた。具体的に言うと熱中症と脱水症状だ。重く分厚い着ぐるみの内部環境について語り始めたなら、きっと月まで届くほどの厚みになるだろう。
 しつこく纏わり付きキックにパンチに忙しないクソガキ共から逃れ、客の眼の届かない裏手の芝生に腰を下ろす。頭部を外すと生温い風が肌を撫でる。蒸発した汗が不愉快指数を際限なく上昇させていく、そんな夏の午後。
 遠くからは賑やかしい嬌声が響いていた。日常の枠を超えたドラマティックな時間を保証する……という煽り文句が正しいのか大げさなのかは分からないが、とにかく広大な敷地の中で多くの人が楽しんでいるらしい、とあるテーマパークだった。
 マスコットキャラの親友の叔父の隣人の飼い犬という意味不明な立ち位置居る私は、当然ながら当テーマパーク随一の不人気キャラだ。おかげで三十分ほど神隠しにあったとしてもバレやしないだろう。
 だが、そんな私のささやかな休憩時間を邪魔する足音が一つ。
 慌てて頭部パーツを被り立ち上がった。上司だったとしたら最悪だ。
 別の意味でも汗が噴き出してくる私の前に現れたのは、しかし人を小馬鹿にしたようなニヤニヤ顔のハゲではなく、一人の少年だった。
 彼は私に気づくと迷いもなく近づき、そして言った。
「おじちゃん」
「…………」
 何やら信じ難い呼称があったような気もしたが、きっと軽い幻聴だろう。
 いや、そうではないか。
 少年の指先は真っ直ぐに私の胸の、比較的近辺を大まかに指し示していた。なるほど、夢見がちな少年の瞳にはきっと蝶々の羽を生やしたおじちゃんなる不可解な妖精が見えているのかもしれない。これくらいの年頃には良く在ることだ。
 そのような微笑ましい幻想を破壊する事には忍びないが、仕方がない。
「ここにおじちゃんは居ないよ」
「おじちゃんっ!」
 しかし少年はなおも私の居る方向へを指し示す。しかも今度は私の額の付近に向って、だ。
 なんと面妖な。これは如何なる事態なのだろうか。
 だが、私は気づいた。
「そうかっ! 後ろかっ!」
 なんたる不覚。この私がまさか背後を取られようとは。だが先ほどまでの隙を見逃すとはなんと情けない。素早く振り返った今の私はイージス艦に匹敵する索敵能力を保有し、迎撃する108の手段を脳内量子演算コンピュータがそれとなく導き出してくれる、最強の犬さんなのだ。
「犬のいは勢い良く噛み付くぞのいっ! 犬のぬはヌルッと湿っているぞのぬっ!」
 軽く自分の不快感を口に出しつつ、敵を威嚇する。だがそこには既におじさんなる凶悪な存在は居なかった。ビュウと吹いた風に無名の雑草が舞い上がるのみ。どうやら、私の強さに恐れをなして逃げ出したらしい。
「さぁ、もう大丈夫だよ。私が悪のおじちゃんを追い払ってあげたからね」
「……お前だよ、お・じ・ちゃ・ん」
「がぶーっ!」
 勢い良く噛み付いてやった。
 尤も、この着ぐるみに口はないので、本当はただのヘッドバットだったが。
 なんといけ好かないガキなのだろうか。それとなく美少年っぽい顔立ちは自信に満ち溢れていて、周囲の人間を丸ごと引っ張っていきそうなカリスマ性があって、見ているだけで……笑顔になってしまう。
「ったく、なんだよ。まさかまた悪人と戦えって言うつもりじゃないだろうね」
「いいや。そうじゃない。今度は宝物を無くしてしまったんだ。だから一緒に探して欲しい」
「落し物につきましてはサービスセンターにお問い合わせください」
 お役所仕事をしてみた。
「…………」
 白けられた。
「ノってよ、お願いだから」
「……強くなったな、理樹」
「いや、ごめん。ここでそういう誉められ方をしてもあんまり嬉しくない」
 まったく、これはいったいどういう冗談なのだろうか。
 目の前に立つこのクソガキの顔を私は良く知っていた。
 忘れるはずがないし、忘れようもない。
 何故なら私にとっての始まりの瞬間、最初に手を伸ばしてくれた、あの日と同じ少年だったのだから。
「で、何で恭介がここに居るわけさ」
「サラっとしてるな……もう少し驚いてくれないと悲しいぞ」
 恭介と真人は何をしても驚かないさ。
 幽霊として帰って来たくらい、彼の普段の言動に比べれば幾分かマシなほどだろう。
「ま、これは霊界通信のちょっとした応用だ」
「霊界通信って。しかもどう応用するのさ」
 本当に何でもありだが、それが逆に恭介らしいとさえ感じてしまう。
「で? いったい何の用なの?」
「だから言っただろう。宝物をなくしたから探して欲しいんだよ」
「宝物ね……それはいったいどういうの? 机の奥でカピカピに固まった給食のロールパンとか?」
「俺はどれだけ悲しい子なんだっ!?」
「じゃあ、原型を保ったまま取り出せた異常に大きい耳くそ?」
「ちがっ……あ、いや。それは確かにちょっと取っておきたいな」
「うん、あれって微妙に嬉しいよね」
 ネタのつもりが自分でも納得してしまった。
 ごそっと取れた時の妙な感動はなかなかどうして、捨てるには惜しいものである。
「だが、残念ながら俺の宝物はそれじゃない」
「残念なんだ?」
「俺の宝物が何なのか、それは言葉じゃ説明できない。というか、説明したくない」
 もったいぶったような恭介の姿に、私は凡その予想がついてしまい少しだけ呆れた。
 いや、この感情はそうではないのかもしれない。呆れに良く似た納得だ。
 やっぱり、と思うのはそれを予想していたからだ。予感があったからだ。
 だから私は何も答えず、息を吐いて芝生に腰を下ろした。相手が恭介なら構わないだろう。再度頭部を外し、脇に置く。
「老けたな、理樹」
「そういう事を言わないでよ。本格的に気になる年頃になったんだから」
「だが本当に変わったよ。まさかお前の一人称が『私』になるだなんて思いもしなかったぞ」
「あのね、恭介。いったい幾つになったと思ってるのさ。この歳で僕なんて言ってたらドン引きだよ」
「それは分かるが、違和感が酷いぞ」
 自分でも分かっていた。こうして恭介と話していて、妙な違和感が自分自身の内側にも生まれていたのだ。彼が子供の姿をしている事もそれを加速させている気がする。身長差から私の瞳には恭介の旋毛を見下ろす事が出来た。それを見たのはこれが初めてだった。
「俺達の別れからもう三百年か……」
「うん。本当に、過ぎてしまった今にさえ感じるほどに長かったよ」
「まさかコーヒーカップがビームマニューバを描くとは、あの頃には想像も出来なかったな」
「サザエさんが火星に移住する時代なんだから当然だよ」
「…………」
「…………」
「強くなったな、理樹」
「いや、だから全然嬉しくないから」
 とは言え、昔の自分ならどう対応していたかを思い出してみれば、きっと今のような返答は考えられなかっただろう。もちろん、昔といっても三百年前ではない。そのおよそ二十分の一だ。だがそれはやはり短くはない時間だった。
 僅かな間があった。恐らく、お互いにその間の記憶が巡っていたのだろう。
 天国にいた恭介がどんな時間を過ごしてきたのかは、分からないけれど。
「宝物、か。恭介にとってそれは大切なものだったの?」
「もちろんだ。命よりも、大切に思っている」
「それをなくして、悲しい?」
「そうだな、悲しいというより寂しいのかもしれない。ずっと、遠くからだって見続けていられると信じていたからな」
「そっか。ならやっぱり、恭介は叱りに来たつもりなんだ」
「何故、そう思うんだ?」
「鈴と別れたから」
 彼女とは大学卒業して数年間共に暮らしていたが、つい一年ほど前に別れた。原因は……まぁ、平々凡々としたものなので多くは語るまい。さほど揉める事もなく協議離婚が成立した事だけハッキリさせておこう。支払う事になった慰謝料については、愚痴にしかならない事だし。
 相変わらずコーヒーカップは平面的な点円軌道を描いているし、サザエさんの住居にも変更はないが、変わらないものはそういった固定された物体か虚像のみであり、四次元世界を等速直線運動的に滑っていく私のような人間にはあり得ない話だ。
「まだ、やり直す事が出来るだろう」
 恭介の真剣な口調に、私は小さく笑ってしまった。
「やり直す、か……」
「なんだ?」
「ううん、確かにその通りなのかもしれない。やり直す事は出来るだろうね。不可能じゃないとは思うよ」
 だが、恭介。それは無理なんだ。
 不可能じゃないだけで実現される事のない現実。
 意地を張っているわけではなく。
 変わっていく、始まっていく、終わっていく。
 表現はどれだって同じで、つまりそれが生と呼ばれる現状の意味であり、生命の動的平衡は人生のそれとたぶん同じなのだろう。遺伝子を操作するように、何かをもし意図的に排除する事が可能だとして、それが致命的な介入ではない限り別の何かによって速やかに補完される。
 鈴との別れは、私にとってきっと致命的とはなり得なかったのだろう。
「お前にとって、鈴はその程度の存在だったという事か」
「違うよ、恭介。恭介は勘違いしているんだ」
「勘違いだって?」
「そう。私は今でも恭介の『宝物』だよ」
 十五年の月日が様々な記憶を洗い流し、直枝理樹という人物像を大きく変化し、そして何より隣に鈴は居ない。あの日、彼の前で輝かしい光を発していた私はもう何処にも居ない。
「確かに私は恭介が思い描いた未来には居ないかもしれない。その意味で、失望されたとしても仕方がないんだろうと思う。だけど、ここに居る私は、恭介や直人や謙吾や、小鞠さんやクドや葉留佳さんや来々谷やさんや西園さん、もしかしたらもっと他の沢山の人達が助けてくれたあの日の直枝理樹の延長線上に生きている『僕』なんだ。だから私は、絶対に謝らない。何の後悔も迷いもなく、断言できるんだよ。恭介の宝物はちゃんここに在るって」
 あの日差し伸ばされた手も、あの日背中を押してくれた手も、私の中に確かに残されている。そうして与えられた生で十分なのだ。
 繰り返された世界。自覚のない無数の時間。成長のために与えられた猶予。
 彼が指し示すまま私は過ごし、望みどおり夢を飛び出した。背中に隠れ守られ安穏とした日々から一歩踏み出し―――生まれた。産まれたのだ。その時ようやく、一己の人格を得た。恭介や他のみんなから産み落とされた。
 その事を、誇りに思っている。たぶん、鈴もそう思っている。
「だから恭介。私はもう、大人なんだよ」
「……もう、良いのか」
「うん。もう、良いんだ」
 泣き出しそうな寂しげな瞳の少年に向って、私は力強く頷いた。
 後はただ、見ていて欲しい。
 自分が導いた命の行く末を。
「諭すつもりが諭されてしまったんじゃ、笑い話にもならないな」
「まったく、恭介は心配性が過ぎるよ。大丈夫だと思ったから、背中を押してくれたんじゃないの?」
「馬鹿やろう、俺はなぁ! 俺は……俺にとっては、何時まで経っても、鈴もお前も危なっかしいガキなんだからな」
「それが心配性なんだよ。子離れできない親ほど性質の悪いものはないよ」
 わざわざ天国から降りてくるくらいなんだから、本当にどうしようもない。
 もっとも、それはかつての私がいかに頼りない存在だったかの証でもあるのだろう。
「心配してなにが悪い……」
「そんな拗ねなくても。心配させちゃうのは申し訳ないけど、もうちょっと信じて欲しい」
「……そうだな。信じるさ、お前らの事を」
「うん、ありがとう」
 私は少しだけどうすれば良いのかを迷って、それから恭介に手を伸ばした。
 恭介もまた、同じように。着ぐるみ越しではあったが、握手した。
「じゃあな、俺の宝物!」
 十五年ぶりの再会は終わった。
 恭介はあの日のままの笑顔で消えた。私も笑顔で別れる事が出来た。
 あとには変わらず生温い風と、遠くからの喧騒がある。
 とりあえず……このテーマパークの『日常の枠を超えたドラマティックな時間を保証する』という煽り文句について、これからは事実として評価しようと思う。
 間違いなく、その言葉のとおりなのだから。
 たぶん、考えた担当者の思惑を遥かに超えて。
 私はそれから、一頻り笑った。


[No.375] 2008/06/20(Fri) 19:37:51
宝はついに見つからず (No.363への返信 / 1階層) - ひみつ

 何年か越しの宝探しということでみんな集まったのはいいけれど、グラウンド脇の木はファールネットの鉄柱に植え変わっていた。それ以来、なかなか集まる機会がない。みんな新婚生活が忙しかったり転勤で慌ててたり育児ノイローゼになったりで大変みたいだ。
 僕と鈴はというと、休みには二人でふらふら出歩くのが日課になっていて、最近は中学校のグラウンドに立ち入っては「あのピッチャー、カーブのときと真っ直ぐのときで全然腕の使い方違うな」などと批評して過ごしている。
 そんなだから恭介から電話があって、今度の休みに東京に帰るから遊びに来ないか? と誘われたとき僕らはすごく喜んだ。たまには遠出、と思っていてもなかなか理由が見つからなかったのだ。
「高崎くんとこ寄ってこう」
 鈴は今からお土産になにを持っていくか考えていて、近所でパンを焼く友達の名前を挙げた。
「うーん、もうちょっと気の利いたのがいいんじゃない?」
 久しぶりに会うんだし、ちょっとくらい奮発してもバチは当たらないと思う。
「おねーさんはケーキ嫌いなのか?」
「いや、僕に聞かれても……なんでいきなりケーキなのさ」
 鈴は不思議そうな顔をした。
「お菓子屋さんになったって年賀状に書いてただろ。見てない?」
「え? 本当? また変わったの?」
 鈴が立ち上がってごそごそと収納棚を漁り始める。輪ゴムで束ねた年賀状の束をいくつもいくつも取り出して、その中からさっと一枚抜き取り僕に見せた。手にとって眺めてみると、言われてみれば読んだ気もしてくる。
「鈴が返事書いたんだっけ?」
 どうせ大して送られて来やしないだろう、と準備もなにもしていなかったせいで、かなりでたらめに返事を書くことになった。高崎の年賀状なんてダイレクトメールと一緒に捨てられていてもおかしくなかったし、事実僕は出した記憶がない。
「返事というか、こっちから出しといた」
 ああ、なるほどねえ。
「東京行くまでに電車停まるよな?」
 手紙に書かれた地名を指差す。その辺の電車なんて殆ど使わないから分からないけど、あれだけ路線があればたぶん停まるんじゃないかとは思う。
「電車よりバスの方が安いと思うんだけど」
「たまに顔出さないと、また拗ねるからな」
「んー、それもそうだねぇ」
「じゃあ、決まり」
 満足げに腕を組んで頷く。
 その日は鈴がさっさと寝てしまう横で、僕は不鮮明な年賀状とGoogle地図とYahoo!の路線図を見比べていた。

 それでいざ恭介のマンションを訪ねると、インターホン越しにお義姉さんがすまなそうな顔をした。ついさっき恭介から「今日は帰れない」と電話があったらしい。それで携帯を見てみると、ちょうど僕らが高崎の店を出たくらい(高崎はいいとも! を観ていた)にメールが入っていた。
「あの、よければあがって行きませんか? 散らかってて恥ずかしいんですけど」
 どうやって鈴の機嫌を取るか考えはじめたところだったので、ありがたくお誘いを受けることにした。
 お姉さんがスリッパを出してくれているとき、足のあいだから白と黒のぶち猫が顔を突き出してきた。
「ようタロー、元気だったか?」
 にゃお、と一つ鳴き声をあげて、鈴のジーンズに噛みつく。しばらくその味を堪能してから、申し訳程度に僕のくるぶしを齧った。慣れたとはいえすごく痛い。
「なんだおまえ、太ったな」
 僕のことなど構いもせずに、鈴はタローを抱き上げてさっさと歩いていってしまった。勝手知ったる人の家。玄関に僕とお義姉さんだけ残されて、いろいろ立場がない。
「勇樹がなんでも食べさせちゃって。困ってるんですよ」
 一番手の掛かる年頃だろうに、恭介の方が困ったもんだ。僕がそう言うとお義姉さんは歯を見せて笑った。
「勇樹ー、鈴おばさんたち来たよー。ご挨拶なさーい」
 居間に行く途中の部屋を覗いて、お義姉さんが勇樹を呼ぶ。少し間を置いてからトタトタと足音が聞こえてきた。
「あ! こらっ、また変なの描いて!」
 言うなり、お姉さんが洗面所に走る。部屋から出た途端怒られたものだから、勇樹は部屋に逃げ込もうとしたんだけれど、ぱっと僕の顔を見ると、その場に立ち止まった。
「大きくなったね」
 膝に手をついて、マジックで落書きされた顔を覗く。なにか言いかけたんだけど、戻ってきたお義姉さんの剣幕を見て僕の足にしがみつき、形勢不利と見て鈴のところへ走って逃げた。
「おー、男前になったなー! プリンあるぞ、生クリームいっぱいのやつ!」
 お義姉さんは疲れたように笑った。
「子供ってさ、その場で誰が一番自分を守ってくれるか嗅ぎ分けるよね」
「あー、それ多分タローから勉強したんですよ。きっと。サッカー観てたら顔にペイントしだすし。……テレビとかが子供に影響与えないって、あれやっぱり嘘ですよね」
「お義姉さんがそんなこと言うの、なんだか意外だねえ」
 学生のころはメディア規制なんてバカらしい、なんて言ってたのが嘘みたいだ。
「ですからその呼び方やめてくださいって」
「そう? 気に入ってるんだけど。まさか呼び捨てってわけにもいかないし」
「棗先輩はまだ呼び捨てですよ?」
「いや、おねーさん、なんて言ってたよ」
「……うわー、なんか複雑。やめてくれるようお願いしてくださいよ」
 文句を言うなら、こんな複雑な関係にした恭介に言うべきだと思う。
 立ち話するうちに、勇樹に居場所を追われたタローがやってきて、八つ当たりするみたいにまた僕の足を噛んだ。
「お茶淹れますね」
 お義姉さんに勧められた椅子に座って、ケーキの箱を開ける。ひんやりとした甘い匂いがした。日持ちしないから保冷剤入れときますね、などと言っていたけれど、なにもケーキの下に敷き詰めることはないと思う。ともかくもうやることがなくなって、膝の上でタローを遊ばせながら、動き回るお義姉さんの後姿を眺めたりあちこち見回していた。鈴が勇樹の手を引いて洗面所に入っていくのが見えた
「先輩がたがすっかり親戚のおじさんおばさんですからねえ」
 ティーカップ3つと子供用のマグカップ1つ。テーブルに並べると、僕の向いに座った。
「僕としては恭介や飯島がお父さんお母さんってのが信じられないんだけど」
「私はもう慣れましたよ? こんなに早く慣れたことにびっくりですけど」
「まあ、そりゃそうだろうねえ」
「いやー、ほんとにびっくりしますって。『えっ、なんで自然に受け入れてるの?』みたいな。先輩もわかりますから、このびっくり」
「まあ、しばらくないけどね。そのときになるとそんなもんなのかも」
 お義姉さんは「しまった」という風に両手で口を塞いだ。なにか失言したときの癖だった。新歓で会ったときからずっと変わらない。その様子を見て、僕も自分の失言に気づいた。
「こら! まだ終わってないぞ!」
 鈴の声がして、勇樹が洗面所から飛び出してきた。顔中びしょぬれにしたまま、ケーキの箱に手をつっこんでカップのプリンを掴み取った。お義姉さんは気を取り直してスプーンやフォークを取りに席を立って、僕も倒れてしまったショートケーキを取った。
 追ってきた鈴が真っ白なタオルを勇樹の顔に押し当てる。ずいぶん締まらない顔をしていた。鈴の膝の上で、勇樹はぽろぽろ食べこぼしながら幸せそうにプリンを食べていた。お義姉さんだけ困ったように落ちていくプリンを眺めていた。

 鈴がタローを連れ立って子供部屋に行ってしまうと、二人でまぁ久しぶりにあった親戚同士の会話みたいなのをした。出版社なんてもういつ潰れるか分かんないから、今のうちに稼いどいてもらわないと困る、とか、恭介といると倦怠期とかないでしょ、といったことだ。
「いやー、そうでもないですよ。あと話してない話題って子供のことくらいですし」
 僕が少し黙るとお義姉さんは両手を口に当てた。ただ溜まったつばを飲み込んでいただけなんだけど。僕自身別に気にしてないんで身構えられると困ってしまう。このままだと勇樹の話題自体タブーにされそうな気がしたので、思いつくまま口を開いた。
「僕の稼ぎが少ないのが悪いんだけどね」
 冗談めかしたつもりなのに、お義姉さんは深刻そうに目を伏せて、なにごとか考えていた。それから、意を決したように、
「あの、あんまりできることありませんけど、よかったら相談してください」
 と言った。
「うんまあ、ありがと。一応二人で決めたことだから」
 ある日鈴が「子供作るか」などと突然言い出してきて、「そんな猫拾って飼うんじゃないんだから」と返したらいきなり蹴られた。初めて夫婦ゲンカした。初めて鈴を殴って、初めて蹴り倒された。鈴は肩に赤い小さなミミズ腫れを作って、僕はムチ打ちになりかけて入院した。
「なにも顔蹴らなくてもいいじゃない」
 会社勤めの命でもある。僕は抗議した。
 すると鈴は、
「子供作れなくなったら大変だと思って、とっさに顔にした」
 と答えた。最初どこを狙っていたのかは怖くて訊けなかった。
 もうずいぶん前の話で、今となっては笑い話だ。
「ねえ、カメラある?」
 子供部屋から出てきた鈴が、なんでもなさそうに訊ねてきた。
「デジカメなら持ってきてるよ。どうしたの?」
「ん、ちょっと来て」
 お義姉さんと顔を見合わせ、なにがなにやらわからないまま鈴のあとに続く。鈴がそっと部屋の中を指差したから、その通りに中を覗いた。散らかったおもちゃに囲まれて、勇樹がねむりこけていた。手にはタローのしっぽを握っていて、タローは難儀そうにキョロキョロと辺りを見回しては戦隊ヒーローの人形を齧っていた。
 それだけのことなんだけど、鈴は僕の手からカメラをひったくって写真を撮り始めた。最近はどこに行くにもカメラカメラで、だったら自分で持てばいいじゃない、と言っているんだけど、なくしそうで嫌なんだそうだ。いつもメモリーがいっぱいになるまでたっぷり撮っては、印刷もしないでたまに眺めて、新しいカードを買う。
 勇樹がタローの尻尾を放した。タローは一瞬の隙も逃さずに全速力で飛び出してくる。部屋には勇樹だけ残っているんだけど、たった今撮った一枚にはしっかりタローが映っていて、鈴はいつもそういうことを不思議がる。写真と部屋を見比べると、タローがいなくなったこと以外には何ひとつ変わっていない。僕も最近不思議に思うようになった。

 起きだした勇樹と写真を撮ったり一緒に夕方のアニメを見たりで時間が経って、晩御飯のお誘いを受けた。ぜひご一緒したいところだったんだけど、明日はまた仕事だから帰らないわけにいかない。
 そんな感じで出てきたんだけれど、そういえば電車の時間もなにも確かめてなかった。マンションの五階からは町並みの灯りが見下ろせて、なんとなく九時ちょっと前くらいかなと思った。最悪、どこかに泊まって始発で帰ることになる。
 気持ち早足になりかけたところで、僕の焦りをあざ笑うように恭介から電話が掛かってきた。
「今日は悪かった」
「いや、気にしないでよ。こっちこそお義姉さんに迷惑じゃなかったかな、って感じだった」
 分かってはいたけど、恭介は仕事だったそうだ。時候の挨拶みたいな会話を交わしてから本題に入った。
「来週、今度こそ休みが取れそうなんだが、もう一度学校に行ってみないか?」
 電話越しの恭介の声は相変わらずのん気で、仕事疲れとか悩みとかをまるで感じさせなかった。逆に心配になってしまう。
「兄貴からか?」
「来週? ちょっと待って、今鈴に訊いてみる。……来週宝探ししないか、って」
 話口を手で押さえて、隣の鈴を見る。
「野球の約束があるな。だから却下」
「あれ、来週だっけ」
「森田さんからメール来てた」
「――あ、もしもし恭介? 来週空いてなかった」
 特にがっかりした感じもなく、恭介は「そうか」と短く答えた。
「じゃ、お互い休みが合ったとき遊びに来いよ」
「またそんなこと言って。勇樹が会いたがってたよ? 休みくらい遊んであげたらいいのに」
「えっ、まじかよ。電話しても久美しか出ないから嫌われたのかと思ってたぜ」
「たぶん電話する時間が悪いんだと思うよ」
 そんな感じに言葉を交わして、電話は切れた。
「埋めた場所もわかんないのに、どうするつもりなんだろうねえ」
「ん? ……ああ、宝探しか。ただの集まる口実だろ」
 携帯を弄りながら鈴は実も蓋もないことを言う。
「まあ、そうかもね。でもみつからないままってのも、なんか落ち着かないよ」
 もしかしたら鉄柱を埋めたとき、運び出された土に混じって、どこかの海を埋め立てているかもしれない。それぞれの大切な思い出の品が海の底。そう考えると気持ちが暗くなった。
 そんな考えを察してくれたんだろうか。鈴が携帯をポケットにしまって、僕の腕を取った。
「まーそー落ち込むな」
「いや、まあ、そう言われても」
「別に誰も、埋めて困るのは埋めてないと思うぞ」
 埋めて困るものは埋めない。
 確かにそりゃそうだ。
 ……でも、本当にそういうものだろうか。
「あたしはお前を埋めなかったし」
「……ちょっとサイズが合わなかったよね」
「はるかは教科書の灰だったし、美魚は使ってない黒ぶちメガネだった」
 僕なんか全然思い出せないのに、鈴はよく覚えているものだ。感心してしまう。
 鈴のポケットが震えた。メールらしかった。なにも言わないで返事を打ち始めるところを見ると、僕の知らない相手らしい。
 鈴のメールが終わるまで暇だった。みんなが何を埋めたか気になってきたから、ちょっとメールでもしてみようかと思った。
 でも鈴はすぐ携帯を閉じたし、送信エラーを確認して、それからアドレスを削るというのもなんだか面倒に思えたから、僕も一緒にやめた。
「来週の野球、がんばれ。あたしはもう絶対出ない」
「なんで? 一球で大人気だったじゃない」
「みんなが理樹いらないって言ってて、むかついた」
「いや、どうみても冗談でしょ。それに鈴の球見ちゃったらねえ」
 面子の中では一番若い。助っ人として恥ずかしくないくらいのプレーはしてると思う。これでも一日少年野球を教えたことがあるくらいの実力はある。
 そう鈴に力説していたところに、森田さんからメールが入った。
『来週は代わりに奥さんスタメンだから、説得よろしく』
 二人で黙り込んだ。
 始発でいいか、と思い、鈴と居酒屋に入った。軟骨のから揚げを食べながら、倦怠期について話し合った。
 よくよく思い返してみると、特別楽しかった時期ってあったっけ? となった。鈴はむくれたけれど、具体的にいつごろがどんな風に楽しかったかは言えないようだった。
 今がどん底なら割かし悪くないんじゃないか? というところで話が落ち着いた。


[No.376] 2008/06/20(Fri) 21:55:43
宝者 (No.363への返信 / 1階層) - ひみつ



 漣の音が聞こえる。
 僕たちは今、『僕たちだけの修学旅行』で海に来ている。
「綺麗……」
 海というのは何度も見たことがあるし、行ったこともある。でも、僕は初めてだった。人っ子一人いない、静かな漣と空を飛ぶかもめの鳴く声だけが聞こえる海と言うのは。
「ほんと、見事に誰もいないね……」
「まぁ、もう秋だからな、そうそう海に入ろうとする奴はいないだろうな」
「わふ〜、びっぐりヴぁーなのですーーっ!」
 クドが大喜びで海へ走って行った。ちなみに海は『大きな川』ではない。
「いたね、物好きな人」
「まぁ、車の中でもはしゃいでいたからな」
 ばしゃばしゃと海の中に入って行くクド。でも、すぐに帰ってくる。
「あれ、入らないの? クド」
「つ、冷たかったのです……」
「あぁ、まぁそうだろうね」
「さて、そんなバカやってないで、旅館に荷物置きに行くぞ」
「あ、うん」
 僕たちは今日泊まる旅館へ足を運んだ。





『宝者』





「さて、これからどうする?」
「いや、どうするって、恭介、思い切り海に入る気満々だよね……」
 荷物を置き終えた僕たちはまた浜辺に来ていた。
「当たり前だろ、理樹。海と言ったら何を思い浮かべる」
「か、海水?」
「そうだ、海水だ。海水と言ったら水泳だろ」
 そうなのだろうか。
「っと言うことで行くぞ皆!」
 ダッと走りだす恭介。その後に続くのは真人と謙吾だけ。
「おいおい、なんだお前ら、ノリ悪いぞ」
「いや、だって僕たち水着持ってきてないよ」
「そんなのどうとでもなるだろう、真人たちだって持ってきてないだろ?」
「いや、俺は持ってきてるぜ」
 そう言った真人は着ていた学ランを勢い良く剥ぎ取り、トランクス一丁になる。
「ってそれトランクスだよね!? 水着じゃないよね!?」
「なに言ってんだ理樹、これが今流行の水着なんじゃねぇか。その名も『筋肉水着』だ」
 筋肉関係ないと思うのは気のせいだろうか。
「ま、まぁ、真人がそれでいいなら良いんだけど、謙吾はどうなの?」
「ん? 俺か? 俺は持ってきていない」
「じゃあそのままで入るの?」
「勿論だ、男に水着なんて必要ない」
 皆は気付いてないみたいだけど、この話の流れだと恭介は時代遅れの女々しい男ということになる。
「でも、リトルバスターズジャンパー濡れるよ?」
「……しまったぁっ!」
 盲点だったらしい。口を大きく開けて固まっている。
「ぬ、脱げばいいんじゃないの?」
「……いや駄目だ、これは脱ぐわけには行かないっ! 脱いだら、俺は生きていけない……」
 女々しかった。
「じゃあどうするよ恭介、俺と二人で行くか? 他の奴らはなんか砂遊びし始めてるし」 周りを見ると、真人の言うとおり、女性陣は皆で砂遊びをしていた。
「そうだな……」
「よし、じゃあ行こうぜ、恭介」
「あぁ」
 その返事と共に、真人は海へ、そして恭介は、皆の所へ。
「っておい恭介! どこ行くんだよっ!」
「どこって皆で砂遊びするんだろう、こんな寒い中海に入る馬鹿がいるか」
「お前さっき泳ぐ気満々だったじゃねぇか!」
「何言ってるんだ真人、俺はさっきから砂遊びする予定だったぜ」
「水着穿いてるじゃねぇか!」
「実はこれ水着じゃなくてパンツなんだよ」
「そ、そうだったのかっ!」
 いや、真人、そこ納得する場所じゃないよ……。
「まぁいいじゃねえか。それより、皆ででっかい塔作ろうぜ。その名も『リトルバスターズ』だ!」
 そんな塔の名前嫌だ。
「ほら理樹、謙吾、行くぞ」
「う、うん」
 結局、僕たちは浜辺で砂の塔を作ることになった。



「どんな塔にするの?」
「そりゃ、リトルバスターズらしい塔だ」
「いや、わからないんだけど」
「ま、各自分担して思い思いに作って、最後にはひとつの塔を完成させるんだ」
「じゃあとりあえず初めは好きなように作ればいいの?」
「そういうことだ」
 そして僕たちはジャンケンで決めたそれぞれの場所に砂の塔を作っていった。


 日が傾き始める頃、ようやく完成した。
 皆個性溢れる、いや、溢れすぎた砂の塔が一つに組み合わさって、カオスな状況になっている。
「とりあえずは完成したけど……」
 できた砂の塔をもう一度見る。何度見ても、カオスな塔。
「まとまりがないよね、この塔」
「『リトルバスターズ』だからな」
「それってリトルバスターズの皆にまとまりがないような言い方だよね」
「そうだな」
 きっぱりと言う恭介に、僕は少し、寂しさを感じた。これまでだって、ずっと一緒に遊んだりしてきたのに、僕たちには、まとまりがないのだろうか。ひとつの集団として、成り立っていないのだろうか……。
「でもな」
 夕日に輝く砂の塔を見て、恭介は続ける。
「まとまりがなくても、俺たちは固い絆で結ばれている」
 そう言って、恭介が塔を、いや、正確には、その影を指差した。
「見てみろ、一見バラバラに見えるその塔も、一本の橋で繋がれている」
 皆の作った塔は、一つ一つ、橋が架けられていた。
「あれ、でもこれ、僕たちこんな橋作ったっけ……」
 覚えがなかった。自分達で塔は作った。でも、その塔一つ一つを、橋で繋げた覚えはまるでなかった。
「だから、固い絆で結ばれてるんだよ」
 恭介は優しく言った。
「無意識で繋がれるほど、俺達の絆は、固いんだ」
 それから恭介は、塔の先を指差した。
「そして、時にはお互い、重なり合うんだ」
 恭介の指差すところ。そこには、影があった。『リトルバスターズ』と言う名の塔の影。10個に別れているはずの塔の影は、長く長く伸び、そして、一つの大きな影と化していた。
「これこそ、リトルバスターズだ」
「……うん……」
 一見意味のない遊びに見えていたこの砂遊びも、恭介にかかれば、それはとても意味のある遊びになる。いや、恭介だけじゃない。僕たち皆でできるんだ。
 僕たちはまた、現実世界でも、固い絆で結ばれているんだと言うことを、再認識することができた。それは本当は不必要なことだったのかもしれない。けど、きっと、それが不必要だとわかっていても、無意識の内に僕たちはこの塔を作り、そしてこれもまた、無意識の内に、お互いの絆を再認識していただろう。それが僕たち、リトルバスターズなのだから。

「そうだ、写真でも撮るか」
 突然恭介が提案する。
「うん、そうだね」
 勿論、皆賛同する。
「あ、でも、カメラあるの?」
「持ってきてるよ〜」
 僕の問いかけには小毬さんが答え、スカートのポケットからデジカメを取り出した。
「……用意周到だね、小毬さん」
「えへへ〜、これくらいは当然だよ〜」

 それから僕たちはさっき作った砂の塔の後ろに並び、記念撮影をした。勿論、セルフタイマーにセットしたから、皆写っている。

 そして僕たちはしばらくその砂の塔『リトルバスターズ』を眺め、目に焼き付けてから、ゆっくりと崩した。形のあるものは崩れたけど、その代わり、僕たちの心にはしっかりと、今日気付いた固い絆を刻むことができた。


 夕日の差し込む部屋で、僕は座っていた。その周りには、とても幸せそうに、リトルバスターズの皆が横になって寝ている。そんな彼等を見て、僕はまた、今日あったことを思い返し、頬を緩ませた。そして僕は思いだす。
「そういえば……」
 僕は鞄の中身を漁りだす。その中には、僕がいつも欠かさず持っている小さなアルバムがある。そして、そのアルバムの中の最初のページに、一枚だけ、アルバムいっぱいの大きさの写真が挟んである。
 その写真は、いつの日か川原で撮った、『集合写真』。
 その写真は、僕にとっても『宝物』だ。どんな時にも、必ずこのアルバムに挟んで持っている、大切な宝物。その写真をじっと見て、僕はまた、頬を緩ませる。そしてこのアルバムに、もう一つの写真が挟まれることに、喜びを感じた。
 こうやって、僕の宝物は増えていくのかな。
 そう思いつつ、アルバムを見ていると――
「なんだ理樹、アルバムを見てにやけたりして」
 不意に声が聞こえた。驚いて顔を上げると、そこには笑顔の恭介がいた。
「あれ、恭介、起きてたの?」
「まぁな」
「起きてるなら、言ってくれれば良いのに」
「理樹が夢中で写真を見てるのを見てると、声かけづらかったんだよ」
「え、なに、そんなに夢中だった?」
「あぁ、もうそのまま写真を舐めまわす勢いだったぞ」
「いやいやいや」
「ま、それは冗談として、少しだけ、寂しかったな、俺達としては」
「え……どういうこと?」
 恭介は少しだけ、しんみりとした表情になった。
「いや、理樹は、ここにいる俺達よりも、写真の中の俺達の方が好きなんじゃないかなって思ってな……」
「え……」
 思っても見なかった。そんな言葉が返ってくるなんて。でも、それでも僕はその問いの答えを持っている。
「そんなの、あるはずないよ」
 そう、僕の一番大切なものはこの写真でもなく、今日の出来事でもない。僕の一番大切なものは、ここにいる『リトルバスターズ』。
 この賑やかで楽しい、リトルバスターズ。それ以上に大切なものを、僕は知らない。
「僕はこの今いるリトルバスターズが好きだ」
 だから僕は断言する。
「この、いつも一緒に笑い合えるリトルバスターズが、大好きだ。どんなものよりも、ずっと」
 恭介は一瞬きょとんとした表情を浮かべた。でもすぐに笑顔になり、そして、笑った。
「あっはははははははは」
「な、なんだよ恭介、笑うことないだろ」
「いや、すまん。理樹がそんなことを真顔で言うとは思わなくてな」
「なっ、いいじゃないか別にっ!」
「あぁ、別に悪いとは言ってないぞ、な? 皆」
「……え? 皆?」
「あぁ、皆だ」
 周りを見回すと、僕の周りで寝ていたはずの皆は、僕をみて微笑んでいた。
「理樹くんの想い、ちゃんと受け取ったよ」
 小毬さんに続くように、他の皆も思い思いに頷いた。
「そして俺達もまた、リトルバスターズのことを愛してる」
 皆もまた、それに順じて頷く。
「なら、僕たちのリトルバスターズは、ずっと、続いていくよね……?」
「あぁ、俺達が愛する限り、永遠にリトルバスターズは続く」
「じゃあ、僕はこれからも、今まで以上に、そして誰よりも、リトルバスターズを愛し続けるよ……」
「あぁ、俺達も、お前以上に、リトルバスターズを愛し続けるさ……ずっとな」
「うん……」
 僕たちはまた、お互いの絆を確認すると共に、リトルバスターズの存在を、確認することができた。そしてそのリトルバスターズは、これからもずっと、続いて行くと言うことを……。

 このリトルバスターズは僕1人で成り立つものじゃない。そして、恭介と真人、謙吾に鈴、そして僕の5人だけで、成り立つものでもなくなっていた。今やもう、リトルバスターズは、10人の愛が揃ってこそ、成り立つものになっていた。そして今、ここにリトルバスターズが存在しているということは、10人皆が、このリトルバスターズを愛しているということ。

 そして皆は知っている。このリトルバスターズと言うのは、『宝物』であるこの集合写真よりも、今日撮った浜辺の写真よりも、ずっと大切なものだということを。

 言うなればそれは『リトルバスターズ』と言う名の『宝者』――


[No.377] 2008/06/20(Fri) 22:54:03
一番の宝物 (No.363への返信 / 1階層) - ひみつ

それはとある夏の日の、とあるおうちのとある部屋

お菓子だらけのこまりさん、おかしく悩んでおりました



「うーんどうしよできないなぁ、私の絵本、できないなぁ」

ベッドの上をご〜ろごろ、お菓子を食べてご〜ろごろ

壁にぶつかりむぎゅっと一声、頭をかかえてご〜ろごろ

「うーんどうしよ、明日までに頑張って、絵本を描かなきゃだめなのに」

大切なひととの約束で、描かなきゃいけないお話が、いつまでたってもできません

それは最後の1ページ、おわりの部分が書けないです

みんなで冒険不思議な世界、探して見つけた宝箱

その宝箱開いた時に、描く宝物がわからない

一番大切な、宝物って何だろう?



とっても困ったこまりさん、とある事に気付きます

「困った時は人に聞く、おっけーこれで解決です」

そうと決まれば話は早い、かばんの中には絵本を入れて、ポケット一杯お菓子を積めて、こまりさんのお出かけ道具

今日はお天気いい天気、ちょっと外に飛び出して、みんなの宝物を聞きましょう



頑張るお日さま上に見て、セミさん騒ぐ雨の中、真っ白雲のある方へ、こまりさんは歩きます

いつもの道をてくてくと、誰か友達いないかなぁ





「奇遇ですね神北さん、もしや誰かをお探しですか?」

きょろきょろ進む目の前に、歩いてきたのは傘でした

おっと違った、大きな傘に隠れてる、小さな姿はみおちゃんです

「うん、私は誰かを探してたの。探していたら目の前に、みおちゃん出てきて嬉しいな」

「なるほどなるほど神北さん、それで私になにかご用?」

立ち止まったみおちゃんに、こまりさんは尋ねます、あなたの一番大切な、宝物ってなんですか?

小さなみおちゃん小さな声で、こまりさんへと答えます
 
「はい、私の宝物、それはたくさんの本なのです。本には知識が詰まってる、本には世界が詰まってる、それを得るのが私の至福。もしよろしければこまりさん、あなたにも一冊差し上げましょう」
「わーありがと、嬉しいな。そうだ代わりにみおちゃんに、おすすめ絵本をプレゼント」
 
笑顔いっぱいこまりさん、かばんを開いて絵本を出して、みおちゃんの手にのっけます

みおちゃんも笑顔で本を出し、こまりさんへとプレゼント

二つのおすすめ交換すれば、とっても嬉しいスパイラル

かばんの中にはどんな本?

帰って読むまで楽しみに、読まずにとっておきましょう

「みおちゃんばいばいありがとう、またどこかで会いましょう」
「ええごきげんよう神北さん、また今度会うときに、本の感想を聞かせて下さい」

傘とみおちゃんどこかに消えて、こまりさんは歩きます

宝物は本にする? でももうちょっと聞いてみよう



おうちがびっしり街の中、そよかぜさんを通せんぼ

じわじわじわじわ道路は揺れて、なんだかとっても暑いのです

暑いの嫌いなこまりさん、河原に向かって歩きます

さらさら流れる川のそば、ざわざわ揺れる葦のそば、ここよりきっと涼しいね





「そこに見えるはこまりちゃん、もしや誰かを探してる?」
「あらこんにちわ、あなたはずいぶんきょろきょろと、一体何を探しているの?」

河原にいたのは双子さん、仲良しこよしの双子さん、仲良く二人でお弁当

二つ並んだお弁当、楽しく嬉しいおそろいです

そんな二人に聞いてみた、あなたの一番大切な、宝物って何ですか?

「よくぞ聞いてくれました、はるちんの大切な宝物、それは優しいお姉ちゃん」
いたずら双子が答えます、ほんの少し胸そらし、とっても楽しく微笑んで

「そうね私の宝物、それはとっても優しいおてんば娘、私のとっても大切な……自慢の……」
お澄まし双子が答えます、ほんの少しうつむいて、とっても紅く頬染めて

だけど最後が聞こえません、小さな声で聞こえません

こまりさんは言いました

「お願い事もう一度、大きな声で教えて下さい」

そんな声にお澄まし双子が紅くなり、いたずら双子はどきどきと

一体何が起こるのでしょう?

こまりさんはわくわくと、お澄まし双子を見ています



次の瞬間消えました、双子の姿が消えました

そしてとなりで水柱、一体何が起こったの?

「葉留佳が水浴びしたいって、馬鹿な事を言ったから、しょうがないから付き合うの、質問の答えは今度にしてね」
「言ってない言ってないお姉ちゃん、そんなことはごぼごぼぼっ!?」

浮かんで沈む双子の姿、それはとっても楽しそう

おじゃまするのは悪いこと、それではここでおいとましましょう

「ありがとどうも二人とも、風邪引かないよう気をつけて」

こまりさんはそう言って、河原を離れて歩きます

歩く後ろでばしゃばしゃと、双子さんは楽しそう

でもお澄まし双子さん、今度あなたの宝物、大きな声で教えてね

あと宝物はお姉ちゃん? うーんちょっと難しい

どんどんみんなに聞きましょう

この先歩いて聞きましょう





こまりさんは聞きました

わんわんわふーなクーちゃんに

クーちゃんはちょっと悲しく言いました

「小さな小さな宝物、お母さんな宝物、それが一番大切な、私の宝物なのです」



こまりさんは聞きました

元気がいっぱい真人くん

真人くんは誇らしげに言いました

「そいつはこの筋肉さ、鍛えに鍛えた筋肉が、オレの一番の宝物だ」



こまりさんは聞きました

じーざすさむらい謙吾くん

謙吾君は遠くを向いて言うのです

「今の一番の宝物、それを古式にやりたかった」



こまりさんが聞く前に、きょうすけさんが言いました

「友情! それが一番の宝物だっ!!!」



こまりさんは聞きました

なんか強そうゆいちゃんに

「そーれーはーお前だーっ!」
「ほわあっ!?」





こまりさんは歩きます

いつの間にやらまた河原、涼しい風が吹いています

いろんな人に聞いたのだけど、宝物はわからない

どんどんどんどん増えてきて、どれが一番の宝物?

みんなみんなの宝物、どれを選んだらいいんだろう?



隣の川はきらきらと、後ろの電車はがたごとと

進む先には緑の山が、ざわざわ風で揺れています

この先誰かに会えるかなぁ、宝物の事聞けるかにゃー

「ふぇ? にゃー?」

気付けば足下に猫さんが、たくさん寄って来ています

「うわぁ可愛い、でもこの猫さん、どこかで見たような気がするよ?」

首を傾げるこまりさん、そのこまりさんの足下で、うにゃっと草が動きます

「あれどうしたこまりちゃん? こらお前達、こまりちゃんの邪魔しちゃだめだ」

動いた草はりんちゃんでした

猫さんつれてお散歩に、来ていたりんちゃんお昼寝で、もしかして起こしてしまったの?

「ごめんねりんちゃん寝ていたの? 起こしちゃったのダメだった?」

心配げなこまりさん、見ていたりんちゃん大慌て

「大丈夫だこまりちゃん、ちょうど起きようと思ってた」

「よかったよかったよかったよー、それじゃおはようにクッキーどうぞ、とっても甘くておいしいよ?」

こまりちゃんの笑顔が戻って、りんちゃんもほっと安心で、猫さんうにゃうにゃ鳴いています

こまりちゃんとりんちゃんと、猫さんみんなで三時のおやつ

きらきら流れる川の側、クッキーをぽりぽり食べるのです

口の中が甘くって、顔がふにゃふにゃになってきて、こまりさんは幸せです



「ところでりんちゃん聞きたいの、りんちゃんの一番大切な、宝物って何ですか?」

ごとごと電車が旅に出て、ぽりぽりクッキー食べちゃって、猫さんぐーっと眠ったときに、こまりさんは聞きました

草の匂いのお布団に、いっしょにくるまるりんちゃんに

そっとどこかへ流れてる、川の音を聞きながら、りんちゃんはちょっと悩みます

「こまりちゃんは大切だ、こいつらだって大切だ、馬鹿どもだって大切だ……一番の宝物って何だろう……」

ごろごろりんちゃん悩みます、河原を転がり悩みます

りんちゃんりんちゃん危ないよ? 猫さんうにゃっと踏んづけた



うみゃーっと悩むりんちゃんに、こまりちゃんは言いました

「ありがとりんちゃんわかったよ、一番大切宝物、これで絵本はできあがり」

首を傾げたりんちゃんと、満足しているこまりさん

お日さま気付けば夕焼け色で、川もすっかりみかん色

そよかぜそよそよ涼しくて、だんだん夜風になっています

不思議そうなりんちゃんに、こまりさんはお礼を言って、もいちどてくてく歩きます

これでちゃんと続きが描ける、ちゃんとちゃんと続きが描ける

家に帰って絵本を描こう、急いで急いで続きを描こう





薄い夜空に一番星

不思議な色した空の下、こまりさんは歩きます

よかったよかった、みんなのおかげで続きが描ける、絵本の続きが描けるのです

うきうき気分のこまりさん、ところが誰かに気付きます

うっすら暗い道の先、そんな向こうに誰かさん

「こんばんわ、一つ教えてくれるかな」
「はいなんでしょう誰かさん」

目の前に立った誰かさん、影になって誰だろう?

それは誰だかわからない、だけどなんだか懐かしい

空の向こうでぴーひょろろ、何かが鳴いておりました

「一番大切な宝物、一体なんだか教えてくれる?」

そんな事聞く誰かさん、こまりさんは答えます

「一番大切な宝物、そんなものはないのです。宝物はみんな一番。みんなみんな大切で、ずっと大切にしたいのです。絵本の最後は描きません、それはだんだん増えるから、読んだ人が一つづつ、だんだん描いていくのです。一つ一つを大切に、どんどん増やしていくのです」

笑顔で答えたこまりさん、誰かさんも笑います

「ああそうだね、間違いない。さよなら僕の宝物、いつまでも僕の宝物。こまりが増やす宝物、ずっと僕は見つめているよ」

誰かさんは消えました、すっと夜空に消えました

こまりさんの目からぽとり、なぜだか涙が落ちました

なんだかとっても悲しくて、とっても寂しい気持ちです

だけどなんだか幸せで、とっても嬉しい気持ちです



さっきの人は誰だろう、誰かさんは誰だろう?

きっと私に近いひと、とっても大切な誰かさん

ずっと私を見てくれた、とっても優しい人のはず

こまりさんは空を見て、お星様へと言いました

「どこかにいる誰かさん、どうかどうかこれからも、私を見ていて下さいね」

こまりさんの声の先、一番星がきらりきらりと瞬いて、優しく光っておりました





























「小毬、小毬、朝だよ、今日が結婚式じゃないか」
 なんだか声が聞こえます。あとゆらゆら〜私揺れてる? お星さまは? あれ?
「ふぇ? りーきーくーん?」
 ぼんやり開いた視線の先に、理樹君。起こしてくれたの?
「もう、結婚式で二人で作った絵本を見せようって……結婚式寝過ごす気?」
「けけけけっこんしき!? 私と理樹君はが結婚するのはとてもうれしいですがまだ私たち学生なわけで学生結婚も素敵なものではあると思うのだけどでも子どもができたら子どもっ!?」
 理樹君何言ってるの!? ほわっ!? 頭が働かないっ!?
 っていうかけけけけっ結婚!? まだ私寝てるの? あ、夢か、夢だよねーもうちょっと寝てたいなぁ。
「はいはい小毬、いつもの事だけどもう僕たち27歳だろ?」
 なんか呆れたような、面白そうな理樹君の声、うーんそういえばなんか卒業とかして色々あって……うん、おっけー思い出した。
 つまり私と理樹君はフィアンセで、今日が私たちの……の……

「りりりり理樹君!? 今日が結婚式だよっ!? 時間はっ? 遅れてないっ? 着替えなきゃ……あれ?」
 ここは結婚式の会場です。そっか、私昨日絵本の仕上げしてて寝不足で……控え室で寝ちゃったんだ。
 それに気付けば私ウエディングドレスに……って何で!?
「うん、小毬さんが寝てる間に葉留佳さんと来ヶ谷さんが……」
「わわわ私もうお嫁にいけないっ!?」
「いや、今からいくから。あと、葉留佳さんと来ヶ谷さんがやろうとしたのを佳奈多さんと鈴が止めてくれたから大丈夫。やったのは西園さんだよ」
「う……うーんみおちゃんかぁ……うんおっけー、お嫁にいけることにしよう、お嫁にもらうことにしよう。おっけー?」
 ま、まぁみおちゃんなら変な事しないよね。だからそう言って理樹君を指さします。
「うん、それはもちろんおっけー」
「なんかあっさりしすぎて悲しい〜」
 もうちょっと、なんかあると嬉しいよね。私わがままなのかなぁ。
「どうしろっていうのさ……」
「えへへ」
 呆れたような理樹君は、でもなんだか嬉しそう。私もつられて笑顔です。

 笑顔になって近づいて、ちょっと幸せもらった後に、理樹君がふと言いました。

「あ、それでこれなんだけど……心当たりある?」
「ほぇ?」
 差し出されたのは一冊の絵本。おかしいなぁ、私たちの絵本、引き出物になってるはずなんだけどなぁ。
 それに私が書いたものではないのです。でもなんかどこかで見たような……
「でか……」
「ぷーじゃないよ、ぷーじゃ」
 む、理樹君意地悪だ。
 でも、意地悪理樹君は不思議そうに言ったのです。

「兄よりって書いてあるんだけど……」
「ほぇ……あっ!?」
 なんだかようやくわかりました。さっきの夢を思い出します。
 差し出してくれたその人は、きっと私の大切な宝物、引き出物の絵本は、一番早く書かなきゃいけない、私の大切なお兄ちゃん。
「どうしたの? 小毬さん、誰か心当た……わわ、どうしたのっ!?」
 私は理樹君を引っ張ります。
「ほらほらっ! 私とごーっですよっ!!」
「早い早い、走っていかなくても結婚式は逃げな……ってどこ行くつもり!?」
「外ーっ!!」

 理樹君連れて駈けだして、私は外に向かいます。
 ばたんと扉を開いたら、森の風が吹いてきて、スカートがふわりと揺れました。
 山の教会空の下、真っ青昼の夏空に、なぜだか浮かぶ一番星。私は大声で言ったのです。

「増えたよ私の宝物っ!!」


[No.378] 2008/06/20(Fri) 23:30:23
この手に抱けぬ、遥か彼方の宝物 (No.363への返信 / 1階層) - ひみつ

「お久しぶりです、元気そうですね」
 面会室のパイプ椅子に腰掛けた女の第一声はそれだった。
 しかし俺から言わせれば、透明なガラス越しに見える女の顔の方こそ、以前よりやつれて見えた。
「こっちは元気にやってるさ。それより、そっちこそどうなんだ? 前より痩せたんじゃないか?」
「ええ、色々ありましたから…」
 俺が言わずもがななことを指摘すると、女は弱弱しく笑ってみせる。その笑顔がいたたまれなくて、話題を少しだけずらした。
「ま、こうやって元気にしてるのもこの間の差し入れのお陰だ。助かったよ」
 先日、目の前の女から俺宛に着替えやタオルなどの日用品の差し入れが届けられていた。それらのおかげで随分助かったのは事実だ。
「…もっとも、服はちょっと小さかったけどな」
 最後に冗談めかして付け加える。
「ご、ごめんなさい、私、男の人の服のサイズとか分からなくて…」
 だが、女はこの程度の冗談でしゅんと落ち込んでしまう。
 まったく、相変わらず面倒臭え女だ。まぁ、その面倒臭え女に惚れちまった俺が馬鹿なわけだがな。ほんと、惚れた弱みってのは恐ろしいもんだ。
「冗談だっての、真に受けんなよ。…助かったよ、ありがとな」
「え…あ、はいっ」
 そう言って花がこぼれるような笑顔を浮かべる女。こんな状況にも関わらず、それだけでささやかな幸せを感じてしまう自分が滑稽だった。

「それにしても、よくお前らここに来れたな。家のやつらはどうしたんだ?」
「家の方はあの人がどうにかするから任せろと言ってくれました」
「そうか、あいつがな…」
 一人の男の姿を思い浮かべる。俺からすれば恋敵とも言える男だったが、あいつとは何かと気が合ったし、何より今となっては目の前の女を任せられる唯一の男だった。
「…家の人たちも、近所の人たちも、みんな酷いんです。誰もが口を揃えてあなたを悪く言って…」
「…まあ、そうだろうな」
「私には納得できません! どうして晶さんが逮捕されて、あんな風に言われなくちゃいけないんですか!」
 女は悲痛な声で叫んだ。



 俺と目の前の女は親戚筋にあたる。
 俺たちの一族にはある習わしがあった。
 一族の血を絶やさぬために、跡取りの娘には親戚から二人の男をあてがい、子を産ませるという狂った因習が。
 目の前の女はその跡取りの娘で、俺はそいつにあてがわれた男の一人だった。
 俺も、こいつも、そしてここにはいないもう一人の男も、その為に、その為だけに育てられてきた。
 一人の女に二人の男をあてがうという倫理を無視した行い、そのための道具と変わらないような育て方をされてきた。
 だが、そういう風に育てられても、それが間違っていることははっきりと理解していた。
 命じられた通りに二人でこいつを抱き、そしてその結果、新たな命が宿ったと聞いたとき、恐ろしくなった。

 こいつを抱くために育てられた俺だったが、それとは関係なく、自身の意志で俺はこいつを愛していた。
 それはもう一人の男も同様だった。
 俺たちは恐れた。やがて産まれてくるであろう俺たちの子供が、俺たちと同じように狂った因習に縛られ、振り回され、苦しめられることを。
 大切だった。愛する女も、その子供も。愛する女をこれ以上あの家に置いておきたくなかったし、その子供をあの家に好き勝手させたくもなかった。

 そのための方法として俺が思いついたのは、犯罪行為だった。
 本家で親族会議が行われる日、その場に飛び込んだ俺は、その出席者たちを片っ端から殴り倒した。
 家に伝わる習わしも、それを疑うことも無く信じている奴らも、それを俺達に押し付けてくる奴らも、そいつらがやたらと気にしていた世間体も。何もかもをぶっ壊してやりたかった。

 狂ったように暴れ、親族連中を殴り飛ばしていた俺は、やがて通報を受けた警察によって取り押さえられた。
 罪状は不法侵入及び傷害。
 そうして逮捕された俺は今、留置所にて日々を過ごしていた。



「どうして晶さんがこんなところにいなくちゃならないんですか! 晶さんは何も悪くなんかないのに!」
「いや、俺は確かに罪を犯した。悪くないなんてことはないさ」
 そう言って諫めようとしても、聞かない。
「けど! それだって私たちのため…」
「やめろっ!」
 大声を上げて言葉を遮る。余程のことが無ければ口を出してくることは無いが、面会室には看守が同行している。看守も見ている前で、下手なことは言えない。ちらりと看守を目で示した。
「あ…ご、ごめんなさい…でも私、晶さんが悪し様に言われるのが辛くて…」
 どうやら気付いてくれたらしく、一気に勢いがしぼんだ。
「まあ、そう言ってくれるのは嬉しいけどな…けど、人前ではそんなこと言うんじゃないぞ」
 こいつは、世間知らずの馬鹿な女だ。罪を犯した俺を世間が、そして世間体にこだわるあの家の連中が許すはずもない。俺をかばうような発言がどれだけ自分の首を絞めることになるか、こいつはまるでわかっちゃいない。
「…それに、あんまり大きい声出すなよ。そいつらが起きちまうだろ」
「あ…」
 俺が胸元を指差すと、それに合わせて視線を落とすあいつ。その胸には、小さな、産まれたての赤ん坊二人が抱かれ、すやすやと眠っていた。

 検閲こそ入るものの、留置所でも手紙のやり取りは自由だ。既に手紙で知らされてはいた。俺達三人の間に、異父重複双子の娘たちが産まれた事を。
 俺はその娘たちを一目見たいと願っていた。文字通り、娘達の姿を夢にまで見ていた。そして、今まさにその夢は叶えられていた。
 娘たちは本当に小さかった。生後間もない二人を連れてここに来るというのは大変だったろう。まして娘たちは次なる跡取り、本家の目もあるだろうから尚更だった。それを押してここへ連れてきてくれたこいつと、そのための手回しをしてくれたあいつには感謝してもし切れない。

「…二人ともお前似だな」
「あの人もそう言ってました」
 ガラス越しに赤ん坊の顔を覗き込んでの最初の感想はそれだった。二つ並んだ寝顔はまさに瓜二つで、そこには母親の面影が色濃く浮かんでいた。まだ赤ん坊だからというのもあるだろうが、どちらにも父親の面影は全く見えなかった。
 …だからこそ、どっちがどっちの子かなんてもめているんだろうがな。
「ところで、名前はなんてつけたんだ?」
 何の気なしに放った俺の問いに、真剣な表情になってこちらを見てきた。
「それなんですが、晶さん。この二人の名前を、あなたがつけて貰えませんか?」
「なに…?」
 意外な言葉に呆気に取られる俺。そんな俺にまっすぐな目を向けたまま、言葉を続けてきた。
「あの人と二人で話し合って決めたんです。せめて、この子たちの名前だけはあなたに決めてもらおうって。この子たちは戸籍上、私とあの人の間に産まれた双子になっているけど、あなたの子でもあるんです。せめてそういう部分だけでも、あなたとこの子たちに繋がっていてほしいんです」
 長い付き合いでも、今まで見たことないような真剣な表情でこちらを見据え、言葉を紡ぐ。
「…責任重大だな」
「ええ、責任重大です。だってあなたは、この子たちの父親なんですから」
 そうきっぱりと言われては、俺に断る術など無かった。
「…分かったよ。少し考えてみる。そいつらの顔を良く見せてくれ」
「はい…どうぞ」
 パイプ椅子をこちらに寄せ、ガラスの前すれすれまでに子供たちを寄せてくる。俺は名前を考えながら、はっきりと見えるようになった娘たちの顔に見入った。

 娘たちの顔が良く見えるようになって、先程より強く思った。こいつらは本当に母親似だと。
 願った。母親に似てほしいと。容姿だけでなく性格も似てほしかった。俺の愛する女は世間知らずの馬鹿な女だが、それでも深い慈しみを持ち、その笑顔で俺を幸せにしてくれる、素晴らしい女だ。娘たちにもそんな風に育ってほしいと願った。
 またその一方で願った。母親に似てほしくないと。俺の愛する女は産まれたときから家の掟に縛られ、謂れのない苦しみを強いられてきた。以前見た、三人でのコトが終わった後に間違いに気付き、泣きじゃくる愛する女の姿。それが今更のように脳裏に浮かんだ。あんな泣き方を娘たちにはしてほしくなかった。娘たちはあんな風にならないことを願った。

 願う。娘たちは、あの家に縛られること無く、自由に生きてほしい。二人で手を取り合って自由に、何者にも縛られること無く… ――――へ。

「…はるかと、かなただ」
「え?」
 唐突に口を開いた俺に、驚いた顔で聞き返してくる。
「だから、そいつらの名前だ。片方の名前は、はるか。そしてもう片方の名前が、かなた。二人で、はるかかなただ」
 母親はしばしきょとんとした顔を浮かべていたが、やがて穏やかな笑みを浮かべ、胸の中の二人の娘に笑いかける。
「いい名前ね。はるか、かなた」
 そう言って、あやすように二人の体を揺する。と、一方の娘がこちらに手を伸ばしてきた。その小さな手のひらは俺の目前、俺たちの間を隔てるガラスに阻まれて止まった。
「ふふっ、この子も気に入ってくれたみたいですよ。本当はこの子の方が妹なのだけど、先に気に入ってくれたからこの子をはるかにしましょうか」
 普通に考えれば、それが別に名前を気に入ったからそうしたわけではないと分かる。この小さな赤ん坊が言葉の意味を理解できるはずが無い。手をこちらに伸ばしたのだって偶然に決まってる。目だってまだ開いていないのだから。
 だが、思いたかった。この娘が俺のつけた名前を気に入ってくれたのだと。俺を親として認めてくれているのだと。
「ああ…ありがとうな、はるか」
 そう言って、ガラス越しに俺の無骨な手をはるかの小さな手に重ねる。ガラスの感触はただ硬く冷たいばかりで、はるかの手の柔らかさも温かさも伝えてはくれなかった。

 すやすやと眠り続けている二つの小さな命。
 目の前にいる愛する女と、その胸に抱かれる、何より大切な二つの宝物。
 俺との間を隔てる無機質なガラスの壁が疎ましかった。間にあるのは、薄っぺらなガラス板一枚。俺の愛するものは確かに目の前にあるはずなのに、触れることができない。近いようでいて、限りなく遠かった。
 そして、今更のように気付いた。この遠さこそが罪を犯してしまった俺と、無垢な命との距離だった。
 俺の手は汚れている。この汚れた手で、娘たちには触れられない。触れてはいけない。
 何よりも大切な宝物そのものである娘たちを、この手で抱くことはできない。
 手と手の間は一センチも開いていなくとも、俺と娘たちとの距離は果てしなく遠い。

 …まさに、はるかかなた。

 そこまで考えて名付けたわけではなかった。だが、言いえて妙とはこのことか。俺にとってはるか、かなたという娘たちはまさに遥か彼方の存在だったのだ。
 頭の一部が、妙に冷えていくのを感じた。

「なあ」
 俺は、つとめて冷静に母親に話しかける。
「お前…もう、ここには来るなよ」
「え…」
 瞳が驚きに見開かれる。それにも構わず、俺は言葉を続ける。
「もしこんなことがバレでもしたら、家の連中が何を言い出すか分からねえ。こんな危ない話を渡るのは今回限りだ」
 そうなのだ。生後間もない跡取りの娘たち。しかも異父重複双子でどっちがどっちの子か分からない娘たちを“一族の面汚し”であるところの俺に会わせるなんて、奴らからすればとんでもないことだ。
 知られてしまえば、最悪、娘たちを取り上げられてしまうかも知れない。それだけは避けなければならなかった。
「そんな…晶さんは、この子たちに会いたくないんですか?」
「そんな訳ねえだろ…けど、それ以上に俺と会うのは危険なんだよ。お前も、そいつらも。分かるだろ?」
 こいつだって、そんなことは分かっているはずなんだ。けれど、それでもなお弱弱しくも言いつのる。
「…それは、分かります。だけど、この子たちはあなたの子でもあって、そして私はあなたの…」
 言葉の途中で、がたりと音を立ててパイプ椅子から立ち上がる。その際にちらりと見えた時計から判断すると、もうそろそろ規定の面会時間、二十分が過ぎようとしていた。
 俺は冷酷に言い捨てる。
「いいか、俺は犯罪者だ。犯罪者なんて近づく奴を不幸にするだけだ。犯罪者の親なんていない方がいいんだ」
 そう、その方がいいのだ。俺みたいな犯罪者は親であってはいけないのだ。今日、娘たちに名前をつけたのは降ってわいた幸運と思い、これ以上娘たちには接しない方がいいのだ。
「そんな…晶さん…っ」
 顔を歪ませ涙をぽろぽろとこぼすあいつに背を向ける。
「お前はそいつらの母親なんだ、自分の娘を幸せにすることだけ考えてろ。もう二度とここには来るな…看守、面会を終わります」
 看守に面会の終わりを告げ、足を踏み出した。
「ま、待ってください! 晶さん、晶さぁん…っ!」
 背後から泣き声で呼ばれる俺の名と、面会時間の終了を事務的に告げる看守の声が聞こえてきたが、俺は振り返ることなく面会室を後にする。奥歯がぎりりと音を立てた。



 居房に戻り腰を下ろし、人心地ついた。
 ふと、あいつの叫んでいた一つの言葉が思い起こされた。
『晶さんは何も悪くなんかないのに!』
 それは間違いだ。いくらか頭の冷めた今なら分かる。いかなる事情があろうとも、俺のしたことは間違いなく犯罪だ。悪くないはずがない。
 そして、何より…俺はそれを、心のどこかで楽しんでいたのだ。

 あの夜、親族会議が開かれていた広間。そこでの議題は、あいつの身ごもった子の教育方針だった。俺はその内容を障子越しに聞いていた。
 あいつらは、生まれてくるであろう子を人間としてなど見てはいなかった。ただ、道具としてしか見ていなかった。
 育て上げるためではなく、作り上げるため。そんな無機質で無情で無感動な言葉に、はらわたが煮えくり返る思いだった。
 我慢しきれず、広間に飛び込んだ。全員の視線が俺に集まる。構わず、先程から一際下卑た笑い声を上げていた叔父の一人の顔に拳を叩き込んだ。
 叔父の頬骨に俺の拳の骨が当たる感触。その感触に、俺はどこか胸のすく思いを感じた。
 殴られた叔父は、あっさりと畳に倒れ伏した。直後に上がる叫び。耳障りなその叫び声でさえ、その時の俺には心地よかった。
 普段神サマがどうだこうだと言い、偉そうにふんぞり返り、理不尽な要求を突きつけてくる連中。そいつらが慌てふためく様が可笑しくて仕方なかった。
 俺は笑い声を上げていた。手近の親族を一人、また一人と殴り倒すたび、笑い声は大きくなっていった。今まで積もりに積もった、この家に対する不満や鬱憤、怨みが俺の体をつき動かし、拳を振るうたびに晴れていくのが分かった。
 奴らもただ黙って殴られているわけではなかった。一族には武術を学んだ人間も多く、俺も何度も拳や蹴りを貰った。だが、殴られようが蹴られようが、痛みは感じなかった。むしろ向かって来てくれる分だけ好都合だった。向かってくる順番に獲物にしていたら、そのうちにそいつらも青ざめた表情になって逃げ出し、そっちの方が厄介だった。
 やがて、俺は踏み込んできた警察官に取り押さえられた。広間には二十を越える人間が横たわっており、その多くが鼻や口から血を流していた。
 俺を取り押さえている警察官が問う。なんのためにこんなことをしたのか、と。
 俺は、愛する女とその子供のためだと答え――ることが出来なかった。

 俺はさっきまで、何を考えていた?
 ただ、親戚連中を叩き伏せることだけを考えていた。
 途中から、愛する女とその子のことは頭の中から消え去っていた。
 最初は、あいつらのためを思ってしたことだったはずなのに、いつしか手段が目的に変わっていた。

 結局俺は、あいつらを理由にして鬱憤晴らしをしていただけだった。
 そんな俺に、何も悪くないなどと言ってもらえる資格は無い。
 そんな俺が、無垢な命をこの手に抱く資格など、ありはしないのだ。

「ふぅ…」
 ため息を一つついて、高い位置にある窓から空を見上げた。よく空は自由の象徴などと言われるが、鉄格子で四角く区切られた上に金網のかかったそれは、ちっとも自由を感じさせてはくれなかった。
 産まれたばかりの娘達を思う。
 母の胸に抱かれ、穏やかな寝顔を見せていた、二人の赤ん坊。
 あの狂った家に縛られて生きてきた俺がようやく得ることができた、かけがえのない宝物。
 けれど、決してこの手には抱けない、抱いてはいけない宝物。

 俺は自由にはなれない。以前は家に縛られていたから、そして今はそれだけのことをしたのだから。俺が自由になれないのは仕方のないことだ。
 だが、せめて、と願う。
 せめて娘達だけはあの家に縛られることなく、自由にあってほしい。二人手を取り合って、自由にどこまでも――はるかかなたへ。


[No.379] 2008/06/21(Sat) 00:15:49
のぞめない七色 (No.363への返信 / 1階層) - ひみつ@出来れば日付が変わる前に上げたかった・・・

「少年、虹のふもとには宝物が埋まっているらしいぞ」

だからどうした、というわけでもなく、そこで言葉を切ってしまう来ヶ谷さん。
いつも含みを持たせてくるその話し方とは違う。
視線は窓の外。雨降りのグラウンドを眺めている。
だから僕は、少し気になった。


「宝探しにでも行くの?来ヶ谷さん」








『のぞめない七色』






「む、何だそのあきれたような口調は」
「いや別にあきれてはいないけどさ」

その切なげな雰囲気が少し気になっただけ。

「分かっているさ。虹は空気中の水分の反射と屈折による産物だ。見る位置によって、虹の存在場所も異なってしまう」
「うん」
「私の見ている虹と理樹君の見ている虹が同じものとは限らない。だから」


そこで一端言葉を切って。


「虹のふもとなんて、ありはしないさ」

酷く寂しそうな笑顔。

「あったとしても、―――他人との共有は出来ない。」
「うん」
「辿り着けたとしても、―――宝物が埋まっているわけでは、ないんだよ」

その笑顔が、霞んで消えてしまいそうに見えた。
でもそれも一瞬。含みのある笑顔に変わる。


「『くだらない話はどうでもいいんだよ、それよりその胸の谷間に宝が眠っているんだそこを探らせろ、ぐへへへへ』というような顔をしているな」
「いやいやいや、そんなこと思ってないから、というか何で僕を変態扱いするのさっ!」


そこにいたのは、いつもの来ヶ谷さんだった。

でも。

「来ヶ谷さん」


さっきの表情の理由は分からない。
でも、消えて欲しくなかった。
消える?―――分からない。自問自答。
彼女は確かに目の前にいるのに。
虹のように、曖昧な存在ではないのに。
手を伸ばせば、触れられるのに―――


「雨が上がったらさ、きっと虹がかかるよ」
「・・・そうだな」
「そしたらさ、虹のふもと、探しに行こう。次のデートはそれに決めよう」
「・・・うん」
「手を繋いでさ、一緒に探そう。そしたらきっと見つけられるよ」


虹のふもとも。僕と来ヶ谷さんの二人の、二人だけの宝物も。


「だから、―――早く晴れればいいよね」

「・・・ああ、そうだな」





カレンダーを見る。日付は6月20日。

窓を叩く雨は、未だ止みそうもない。




































目が覚める。
ここは―――僕と鈴の部屋、だ。
外からは日の光が差し込んでいる。とすると、今はまだお昼ぐらいなのかな。
いつものやつで、倒れてしまったらしい。
焦点の定まらない目で部屋を見渡すと、鈴の姿があった。

「鈴・・・」
「理樹、起きたか」


酷く懐かしい夢を見た。
いや、夢だったのかも分からない。
ずっと昔に経験した事のあるような、そんな漠然としたイメージ。


「大丈夫か、理樹。だいぶうなされてたぞ」
「鈴・・・?」

不幸は微塵もない場所にいた、気がする。
それなのに、うなされてた?

思い出そうとして、頭痛がひどくなる。

嫌だ、思い出すな、お前は何も経験していない。
もう手遅れなんだ。思い出しても悲しいだけ。忘れたまま生きてゆけ。
お前には鈴がいる。それがお前の宝物だ。
その他は何も望むな、鈴だけを守って生きていけ。
嫌な事、辛い事は全部閉じ込めておくから。

頭の中で、もう一人の僕が囁いている。


「理樹、本当に大丈夫なのか?」
「うん、心配かけてごめん」

カーテンを開ける。
広がっている青空。差し込んでくる光が眩しい。

「ありがとう」
「何がだ?」
「僕が倒れたから看病してくれてたんだよね」
「そんなの当たり前じゃないか」
「でも、退屈だったでしょ。天気もいいし、ちょっと出かけようか」
「お、何だ。さっきまで雨降ってたのに。いつの間にか晴れたんだな」

確かに、窓から見渡せるアスファルトには雨の跡が残っている。

「お、理樹、みろ!虹が出てるぞ!」

虹。その単語が、ふいにさっきの一フレーズを思い出させる。


―――虹のふもと、探しに行こう。

―――手を繋いでさ、一緒に探そう。そしたらきっと見つけられるよ。



カレンダーを見る。日付は6月20日。
雨はいつしか上がっている。
それでも。


その七色は、僕には望めない。
目をそらして生きる、僕には臨めない。
僕は手を離してしまったから。

虹のふもとに埋まった宝物を僕が掘り起こしに行く日は、永遠に来ない。

そんな確信がある。


[No.380] 2008/06/21(Sat) 01:03:09
ログとか次回なのですよ (No.365への返信 / 2階層) - 主催

 http://kaki-kaki-kaki.hp.infoseek.co.jp/Little12-1.txt
 http://kaki-kaki-kaki.hp.infoseek.co.jp/Little12-2.txt


 MVP「一番の宝物」の作者はゆのつさんでした。おめでとうございますっ。
 次回のお題は「線路」
 7/4金曜22:00締切 翌5土曜22:00感想会
 皆様是非ぜひご参加くださいませ。


[No.383] 2008/06/22(Sun) 23:45:36
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