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No.388に関するツリー

   第13回リトバス草SS大会(仮) - 主催 - 2008/07/03(Thu) 21:27:45 [No.388]
Re: ただ気の赴くままに…(直し) - 明神 - 2008/07/06(Sun) 02:17:58 [No.410]
Re: 第13回リトバス草SS大会(仮) - ひみつ@PC熱暴走で遅刻。せっかく書いたのでのせてみた - 2008/07/05(Sat) 22:57:21 [No.408]
タイトルは「線路」です - ひみつ@PC熱暴走で遅刻。せっかく書いたのでのせてみた - 2008/07/05(Sat) 22:59:29 [No.409]
二人の途中下車 - ひみつ@orz - 2008/07/05(Sat) 20:01:09 [No.405]
夏の始まり、借り物の自転車で目指したどこか。 - ひみつ@何時間遅刻したか……作者はやがて考えることをやめた。 - 2008/07/05(Sat) 11:40:04 [No.404]
壊されたレール - ひみつ@リトバスを変わった(ありがちな?)角度でみてみた - 2008/07/05(Sat) 05:00:43 [No.403]
旅路(ちょっと修正) - ひみつ@遅刻したのですが『甘』でどうかorz - 2008/07/05(Sat) 02:20:19 [No.402]
Re: ただ気の赴くままに… - 明神 - 2008/07/04(Fri) 23:17:23 [No.401]
途中でレールが無くなったのに気づかずに突っ走った感... - ひみつ - 2008/07/04(Fri) 22:15:36 [No.400]
海上列車 - ひみつ - 2008/07/04(Fri) 22:06:20 [No.399]
Jumpers - ひみつ - 2008/07/04(Fri) 21:00:54 [No.397]
終電の行方 - ひみつ - 2008/07/04(Fri) 21:00:42 [No.396]
その声が、聞こえた気がしたから - ひみつ - 2008/07/04(Fri) 18:34:07 [No.395]
モノレール - ひみつ - 2008/07/04(Fri) 16:13:30 [No.394]
それは夢である - ひみつ - 2008/07/04(Fri) 13:42:43 [No.393]
ひとつめの不幸 - ひみつ - 2008/07/04(Fri) 13:03:45 [No.392]
線路って立てると梯子に似てるよね - ひみつ - 2008/07/04(Fri) 01:12:49 [No.391]
線路の先 - ひみつ - 2008/07/03(Thu) 21:41:36 [No.390]
感想ログや次回など - 主催 - 2008/07/08(Tue) 01:41:56 [No.414]



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第13回リトバス草SS大会(仮) (親記事) - 主催

 詳細はこちら
 http://kaki-kaki-kaki.hp.infoseek.co.jp/rule.html
 この記事に返信する形で作品を投稿してください。

 お題は「線路」です。

 締め切りは7月4日金曜午後10時。
 厳しく締め切るつもりはありませんが、遅刻するとMVPに選ばれにくくなるかも。詳しくは上に張った詳細を。

 感想会は7月5日土曜午後10時開始予定。
 会場はこちら
 http://kaki-kaki-kaki.hp.infoseek.co.jp/chat.html
 はじめにMVP投票(最大3作まで投票可能)を行いますので、是非是非みなさまご参加くださいませ。
 ご新規、読みオンリー、感想オンリー、投票オンリー、大歓迎でございます。


[No.388] 2008/07/03(Thu) 21:27:45
線路の先 (No.388への返信 / 1階層) - ひみつ

窓際、一番後ろの席。
教室の自分の席で、俺は外を眺めていた。
静かだ。誰もいない。
いつもベランダに結んであったロープはいつの間にか無くなっていた。
視線の先で、中庭が、グラウンドが、寮が、崩れ、ほつれ、漂白されていく。
見えていないところはとっくに白くなっているだろう。
終わる。
さっき思い切り醜態を晒したせいか、それほど取り乱してはいない。
ひょっとすると俺の感情のほうはとっくに漂白されているのかもしれない。
見れば漂白は教室にまで及んでいた。そろそろ俺も――


歩く。
右を見ても、左を見ても、どこまでも何もない、白。
どのくらい歩いたのか、景色が変わらないから分からない。
だが、進んではいるのだろう。俺の前後に真っ直ぐ、どこまでも伸びている線路。
俺は、それを踏みしめて歩いている。
長い間歩き詰めのような気もするが、疲れは無い。
線路の終点はどうなっているのか。遥か先は白く霞んでいて見えない。
どこかに通じているのか、ぷっつりと途切れているのか。あれこれと予想しながら、自然と足が速まった。
どうせ戻れはしない、考える時間は少ないほうがいい。後ろを気にしてしまう前に。

疲れないのだからどこまでも速度を上げられると思ったのだが、それはどうやら違うらしい。
上がり過ぎたスピードに身体がついていけず、足をもつれさせて盛大に転倒した。
怪我をすることは無かったが、ぶつけた所が死ぬほど痛い。
しばらくのた打ち回っていると、前方、線路脇にいつの間に現れたのか駅があった。
短いホームと待合室だけで、改札すらない、ローカルな無人駅だ。
何の脈絡も無い出現に好奇心が先に立つ。立ち上がった俺は走り出した。
走り出してすぐ、ホームのベンチに誰かが腰掛けているのが分かった。
いつも着ているセーターと片方だけになった星の髪飾り。
呼びかけると笑顔で立ち上がり、手を振りながら駆け寄ってきた。
そんなに慌てると危ないぞ、と忠告する間もなかった。
何もなさそうな場所で転ぶのは彼女の特技だ。
ホームによじ登り、痛みにうずくまっているところを助け起こす。
必要も無いのに埃を払うのはまだ向こうの感覚が抜けていないから。

「待っていてくれたんだな。サンキュ」
痛がったり恥ずかしがったりでひとり大わらわな彼女を何とかなだめ、ベンチに並んで腰掛け、ようやく落ち着いたところに切り出した。
「うんー、きょーすけさんにちょーっとお話が合ったからー」
答える彼女は、俺が最後に話した時と同じ、芯の強い女の顔になっていた。
彼女もここへ来て俺と同じように腹が据わったのだろうか。
俺は何とも切ない気持ちで、その瞳の奥の強い意志を見つめていた。
「お前にも辛い役目を押し付けちまったな。今更許せとも言えん。気の済むまで罵ってくれて構わないぜ」
済まなそうな顔をしては駄目だ。この期に及んでも俺を許そうとしてしまうかもしれない。
優しい彼女の良心が痛まないよう、口の端を歪めて小憎らしい表情を作り、彼女の言葉を待った。
が、投げかけられたのは俺の予想とは大分異なる言葉だった。
「きょーすけさん、それはちょっとずるいんじゃないかなー?」
「へ?」
間抜けな声が出た。表情を作るのも忘れ、彼女の顔を見返す。
彼女は餅のような頬を可愛らしくぷぅっと膨らませ、精一杯怖い顔で俺を睨んでいた。
意図が読めない俺に、いつもの間延びした口調で諭すように、しかし有無を言わせぬ口調で続ける。
「きょーすけさんは、鈴ちゃんと理樹くんのことがすごく大事で、だから二人を残して行っちゃう前に、精一杯の贈り物をしたかったんだよね。
二人に色んな経験をさせて、自分がいなくなっても強く生きていけるように」
頷く。ああ、その通りだ。そして、俺の敷いたレールに乗り、二人は強くなった。
あわよくば二人が男と女としてお互いを必要とするようになってくれれば文句なしだったんだが。
それはうまくいったか結局確認できなかったな。
「ねぇ。きょーすけさんは、ホントに二人は強く生きていけると思う?」
「ああ、あいつらならもう大丈夫さ。そりゃあすぐに立ち直るのは無理だろうが、いずれきっとな。
俺はそう信じてる」
そう、信じている。信じられる。俺の自慢の二人なら。
しかし、彼女は静かに首を振る。違う、と。穏やかな、しかし困ったような微笑を浮かべて。
「きょーすけさん、二人の立場に立って考えたこと、ある?」
「もちろんあるさ。あの世界を作ってからも、何度もな」
「それは、本当に二人のため?」
何度も迷った。本当にこれでいいのか。俺のやっていることは、理樹のために、そして鈴のためになっているのかと。
その度に残されるあいつらのことを考えたんだ。考えて、ここまで来た。
「きょーすけさん、ちゃんと想像した?きょーすけさんがいなくなった後のこと。理樹くんも、鈴ちゃんも、友達をみんな無くしちゃうの。
たった二人、残った人として、私たちの家族や、クラスのみんなの家族、友だち、大事な人をなくした、たっくさんの人たちの中に放り出されるんだよ?
鈴ちゃんは、大好きなお兄ちゃんまでいなくなってるのに。
ねぇ、きょーすけさん。もう一度聞くね?」
――ホントに二人は強く生きていけると思う?

抜け殻のような瞳で昔のように人に怯え、理樹にすがるばかりの鈴。
一人壁となって鈴に笑顔を向け続け、外と内との軋轢に疲弊しきった理樹。
人の手を借りることのできない、たった二人だけの閉じた世界。
それがあいつらの向かう先。

外の世界は悪意ばかりじゃない。助けてくれる大人たちだっている。
だが、あの世界で俺はそれを一切無視した。
バスターズの仲間たちの絆、そして理樹と鈴自身の強さが頼りだと。
執拗なまでに刷り込んだ。
だが、絆を結んだ仲間たちは喪われた。
二人は強くなったが、それはこれから強くなるための基礎でしかない。

「ね。たった二人じゃちょっと大変だよね?」
自らの過ちに気付かされ、取り返しのつかない絶望に跪く俺を、彼女はまるで、ちょっと作りすぎたホットケーキをどうやって食べきるか相談するような調子で諭す。
「だが、」
「だいじょーぶ、だよー」
そっと頭を抱き寄せられる。包むのは、バターとバニラの甘い香り。
罪悪感でも、後悔でもなく、安堵で涙が零れた。せめて声は出すまい。
「きょーすけさん」そんな胸中を見透かしてか、子供をあやすように髪を撫でてくる。
「まだ、間に合うよ。理樹くんと鈴ちゃんがね、頑張ってくれたんだよ。頑張って、違う道を見つけたの」
顔を上げると、彼女は何もかも許したような眼差しで微笑んでいた。
俺が、許されていいはずは無いのに。
「どう、して」
「あとは、きょーすけさんだけ、だよ?」
彼女は俺の質問には答えずに立ち上がり、手を差し伸べる。
「さ、行こう?みんな先に待ってます」
蹲った俺の前に差し出された、彼女のふにふにと柔らかそうな手を見る。
見上げる俺を覗き込む、彼女のマシュマロのような笑顔を見る。
せいぜい不敵な笑顔を作るとしよう。涙を袖で拭って、顔を上げる。
「俺の力が必要か?」
満面の笑みでうなずいた彼女の手を取って、俺は線路から外れた。


――恭介!――馬鹿兄貴!――あ、お願いします。先生を!


[No.390] 2008/07/03(Thu) 21:41:36
線路って立てると梯子に似てるよね (No.388への返信 / 1階層) - ひみつ

 ようみんな、筋トレか?
 オレの名は牽牛。牛をも引きずる男って意味だ。
 オレは今、メチャクチャ困っている。
 どのくらいかっつーと、朝飲んだプロテインが実は夜飲む用だったってことに夜になってから気がついた、くらいだ。
 違いが今ひとつわかんねェだとぉ?織姫みたいなツッコミするじゃねぇか。
 うぉっ、思い出しちまった、織姫だ!オレは、オレは、このままじゃ織姫に会えなくなっちまうんだァァァッ!



〜線路って立てると梯子に似てるよね〜



 はい、ここからは牽牛さんに代わって、私がナレーションを担当します。よろしくお願いしますね〜。
 牽牛さんは、天の川のほとりで牛さんを飼っている格闘家さんです。
 牽牛さんには織姫ちゃんという、つっこみ上手でとてもとてもかわいい幼馴染の奥さんがいるのですが、最強を目指す願掛けとして、一年に一度、七夕の日にしか会わないという誓いを立てていました。
 牽牛さんは、織姫ちゃんと共通の幼馴染である帝さんと将軍さんに、織姫ちゃんを取られてしまうのではないかと心配でたまりませんでしたが、何とか今まではうまくやってきました。
 ところが、待ちに待った七夕が近づいたある日、いつものように合計40kgのウェイトをつけてうさぎ跳びをしていた牽牛さんは、待ち遠しさの余り、勢い余って天の川の川岸から地上に転がり落ちてしまったのです。
 日ごろの鍛錬のおかげか、遥か天空から落ちたにもかかわらず気絶で済んだものの、目を覚ました牽牛さんは悲しみの余り絶叫しながら髪の毛を引きちぎっていました。
 それも仕方ありません。天の川は余りにも遠く、自力ではとても戻ることのできない高さだからです。
 これでは七夕を迎えても織姫ちゃんには会えません。それどころか、牽牛さんはこれからの人生をずっと地上で過ごし、残された織姫ちゃんは寂しさの余り帝さんや将軍さんと新しい家庭を築いてしまうかもしれません。そして、牽牛さんはその幸せな家庭の灯かりを地上から指をくわえて眺め続けなければいけないのです。
「のおおぁぁーーーーーーッ!!」
 絶望に喚きながらばりばりぶちぶちと髪をかきむしり、そろそろ頭髪だけでなく頭皮も心配になってきたころ、牽牛さんに天から声が掛けられました。
「ええい、喧しい。断罪するぞ」
 冷たいながらも苛立ちを隠せない声に、牽牛さんはぴたりと騒ぐのをやめ、直立不動で空を見上げました。
「せっかくいい夢を見ていたのに台無しだ。聞いてやるから手短に話せ」
 とてもえらそうな口調なのも当然、天から降りてきたのは黒髪も美しいないすばでぃな女神様でした。でも、織姫ちゃん一筋な牽牛さんは女神様のお色気には目もくれず、精一杯脳筋を動かして説明しました。
「てっ、くめっ、ちゃがっ!」
「なるほど、要するに天の川まで帰りたいと」
 すごいです、女神様は牽牛さんの筋肉暗号を一瞬で解いてしまいました。
「事情はあい解った。ならば、銀河鉄道を使え。ここからなら半日もあれば帰れるはずだ」
 女神様が腕を一振りすると、何もない広場に忽然と駅が現れました。
 二本の線路が天空へとそそり立つ『JR銀河 地球駅』。銀河鉄道も民営化していたようです。

 牽牛さんは、女神様にお礼を言うと、大喜びで駅へと向かいました。
 しかし、いざ改札を通ろうとしたときです。
「きんこーん!切符を入れて下さい。なのですっ!」
 ちっちゃいわんこの声で自動改札が閉じてしまいました。しかし、どうしても鉄道に乗りたい牽牛さんは、改札を押し開けようと力任せに開きます。
「だ、だめなのですーっ。そんなことをしたら、わ、わたし壊れてしまいますっ」
 自動改札の悲痛な声に牽牛さんは心の柔らかい場所を鷲づかみにされ、ノックアウトされてしまいました。

「す、すまねぇ織姫。こ、これは浮気じゃねぇ、浮気じゃねぇんだ……」
 しばらくうなされていた牽牛さんでしたが、ふと人の気配を感じて目を覚ましました。
「うわやばっ、気付かれた!てっしゅーっ!」
 手にマジックを持った赤毛の少女が脱兎のごとく逃げていきます。どうやら寝ている牽牛さんに落書きしようとしたようです。
「あのくそガキっ」
 追いかけようとしかけましたが、今は帰ることが先決と思い直しました。

 ひとまず、通りすがりの文学少女に鏡を借り、顔を確認します。
 額に『肉』と書かれていました。
「ふざけるなっ!」
 牽牛さんは烈火のごとく怒りました。
「これじゃ筋肉も贅肉も内臓も全部一緒くたじゃねぇか!」
「怒るポイントはそこなんですね……」
 文学少女もあきれていました。牽牛さんは『肉』の隣に『筋』と書いて、満足そうに頷くと、文学少女にお礼を言って返しました。親切な文学少女は、『筋』が裏返しになっていることは黙っていました。
「あれ、私の出番あれだけっスか!?」

 さて、と牽牛さんは考えました。自動改札を力尽くで通るのは諦めるしかありません。
 となれば、切符を買うのが一番です。牽牛さんは自動券売機のコーナーへと向かいました。しかし、そこで牽牛さんは愕然としました。
「さ、財布持ってねぇ」
 そうです、筋トレの最中だった牽牛さんは財布を持っていませんでした。慌ててポケットを探ります。
「ひゃ、150円か……」
 幸い、筋トレ中に水分補給するための小銭がありました。しかし、これでは余り遠くまで行けそうにありません。
 とりあえず、行けるところまで行ってみようと150円分の切符を買って、改札を通りました。
「わふー、どうぞお通り下さいです」
「おう、サンキューな。さっきは悪かった」
「どんとまいんど、ですっ。はぶあ ないす とりっぷ なのです」

 何とか電車に乗った牽牛さん。4人がけのシートにどっかりと腰を下ろすと、筋トレの疲れもあって、すぐに眠ってしまいました。
 どのくらい眠っていたのでしょうか。目を覚ますと、牽牛さんは自分が肩を掴まれて大きく揺さぶられていることに気がつきました。
「ようやく起きたわね。さあ、切符を見せなさい」
 よほど長時間揺さぶったのでしょう。肩を軽く回しながら居丈高に命令してきたのは、赤い腕章をつけた長い髪の少女でした。
「誰だ、お前?」
「車掌よ、貴方はこの腕章に書いてある文字が読めないの?ああ、読めないのね。見たところその頭の中身は空っぽみたいだし」
 車掌さんは嘲笑を浮かべて答えます。何の気なしに一言問いかけただけで何倍にもなって返ってきます。もっとも苦手なタイプでしたが、どうしても許せないことがあった牽牛さんは言い返しました。
「馬鹿にするんじゃねぇ!俺の頭の中にはちゃーんと筋肉が詰まってらァ!」
 予想外の答えに、さしもの車掌さんも一瞬ぽかんとしてしまいました。
「そ、そう。貴方、脳味噌まで筋肉の人だったのね……」
「わかってくれたか。ありがとよ」
 理解を得られたと感じて、牽牛さんはニヒルに笑います。
「……まぁいいわ。それより、切符を見せなさい。改めるわよ」
「そうだったな、ほらよ。ところで、天の川まではあとどのくらいだ?」
 ポケットから少し皺になった切符を取り出して渡すと、車掌さんは怪訝そうに眉を寄せました。
「あと一駅よ。到着まで2時間くらい。……あら、乗り越しね。2510円の不足よ」
 車掌さんはそっけなく手を突き出して催促してきます。でも牽牛さんは困りました。この切符もなけなしの全財産をはたいて買ったのです。不足分なんて払えるはずがありません。
「あ、いや。それがだな……」
「何?忙しいんだから早くしてくれないかしら?」
 車掌さんの表情がどんどん険しくなっていきます。この状況を打開すべく、筋肉をフル回転させます。そして5秒間(筋肉時間にして89000フレーム)の筋肉会議の末、満場一致で右大腿二頭筋の案が採用されました。
「幽霊がオレの財布をビームで焼き払ったんだ!」
「オリジナリティが感じられないわね。5点」
「のぉーーーーーッ!」
 渾身の言い訳をあっさりと否定すると、車掌さんは首から提げていたホイッスルを思い切り吹きました。すると、隣の車両に続くドアからぞろぞろと手下さんが現れ、あっという間に牽牛さんを取り囲んでしまいました。
「無賃乗車よ、捕まえなさい」
 車掌さんの号令で手下さんたちが一斉に牽牛さんに襲い掛かります。窓際に追い詰められ、牽牛さんは絶体絶命です。
 そのとき筋肉が脊髄よりもさらに早く反応しました。
「待ちなさいっ!」
 がっしゃーーーーーーんっ!!
 牽牛さんは、牽牛さんの筋肉たちは背後の窓を突き破り、手下たちを振り切ることに成功しました。あっという間に列車が目の前を走り去っていきます。
 列車から飛び出してようやく事態を認識した牽牛さんは、地面に叩きつけられる衝撃に備え、頭を抱え込みました。
 しかし、一瞬の浮遊感の後、牽牛さんにやってきたのは衝撃ではなく、横向きにかかる重力でした。
「おぉちぃてぇるぅーーーーーー!?」
 ここは天へと登る線路の途中、車内と外では重力の方向が違っていたのですが、牽牛さんに解るはずもありません。はるかかなたの地上に向かってまっ逆さまに落ちていきます。
 しかし、牽牛さんは織姫ちゃんのもとへ帰らなければいけないのです。空中で服を広げると、風を受けながら空中を泳ぎ、線路に飛びつきました。落下の衝撃を受け止めきれず、枕木が二本、三本と折れ飛びます。腕が抜けそうな衝撃を受けながら、牽牛さんは何とか落下を止めることができました。

 上を見上げれば星の輝く夜空がはるかに遠く、下を見下ろせば雲海すらかなたに霞んでいます。
 どちらにも終わりの見えないところに放り出されたのに、牽牛さんは挫けませんでした。
 どちらにしても、登るしかない。登って織姫ちゃんのところに帰るのです。ぼろぼろの手足に活を入れて、牽牛さんは線路を登り始めました。

 牽牛さんは三日三晩、休むことなく登り続けました。
 途中、風に吹かれ、雨に濡れ、雷に打たれながらもひるむことはありませんでした。むしろ、「登りきったらパワーアップしそうだぜ!」と喜んでさえいました。最強を目指す牽牛さんにはもってこいの試練なのかもしれません。
 そして四日目、牽牛さんはとうとう天の川へと帰ってきました。しかし、日付を確認すると今日は七月七日、七夕の日を迎えてしまっていました。

「やべぇっ!」
 牽牛さんはぼろぼろの姿のまま、織姫ちゃんの家へと急ぎます。一年間二人を隔てた天の川。今はそこに一本の橋が架かっています。
 牽牛さんが勇んで渡ろうとすると、どこからともなく竹刀が飛んできて進路を妨げます。
「ここから先へは行かせんっ!」
「そう、織姫はお前にはもったいない。なあ、牽牛?」
 橋の向こうから現れた二人を牽牛さんは良く知っていました。そう、幼馴染の将軍さんと帝さんです。
 牽牛さんと二人とは、ともに楽しいときも苦しいときも乗り越えてきた、親友以上の間柄です。その二人とこうして敵対しなければいけないのは、牽牛さんにとっても二人にとってもとても悲しいことでした。
 しかし、それでも譲れないものがありました。
「どけよ」
 静かににらみ合いながら、牽牛さんは押し殺した声で短くいいます。
「どかん」
「通りたければ、俺たちを倒して行くんだな」
 二人も全く引きません。すごい気迫が橋をぎしぎしときしませました。
「なら、遠慮はしねぇ。行くぜ!」

 一秒で決着がつきました。
 数々の試練を乗り越えた牽牛さんは、金髪の『超牽牛』となって圧倒的な強さで二人を打ちのめしてしまったのです。
「む、無念……」
「フ、強くなっちまったな……」
「……」
 倒れ伏した二人に何も言わず背を向けて、牽牛さんは橋を渡りました。織姫ちゃんのところへ。ただそれだけを考えて。

 橋を渡って、休まず駆けて、あの角を曲がれば織姫ちゃんの家。
 嫌が応にも高鳴る心筋の活動を無理矢理鎮めて、一気に駆け抜け、織姫ちゃんの名を呼びます。
「おりひ「織姫っ!」?」
 牽牛さんの脇を弾丸のように駆け抜けていく小さな影。呆気に取られた牽牛さんをよそに、織姫ちゃんの家の門に取り付くとどんどんと叩き始めました。
「織姫、織姫!またあいつがいじわるするんだ。むかつくから仕返しするぞ。お前も手伝えっ!」
 見れば帝さんの弟の皇子ちゃんでした。牽牛さんは強引にでも織姫ちゃんを連れて行きそうな勢いの皇子ちゃんにひとこと釘を刺そうと肩を叩きました。
「おい、お前「何だおまえ。うわ、汗くさっ、きしょい、寄るなっ!」うごぉっ!?」
 牽牛さんは汗臭さとぼろぼろの格好に顔をしかめた皇子ちゃんから、不意打ちのハイキックをくらい、あえなくマットに沈んでしまいました。
 薄れ行く意識の隅で牽牛さんは、ようやく現れた織姫ちゃんに甘えるようにしがみつく皇子ちゃんと、それを困ったような嬉しいような微笑でなだめる織姫ちゃんを見ていました。
――やっぱりかわいいな、織姫。これでまた一年頑張れるぜ――

 こうして今年も牽牛さんの七夕は過ぎていくのでした。めでたしめでたし。


[No.391] 2008/07/04(Fri) 01:12:49
ひとつめの不幸 (No.388への返信 / 1階層) - ひみつ



 開け放った窓から入り込んでくる鈴虫の声に紛れて、鈴の相槌が聞こえる。
 耳に当てられた携帯電話からは何も聞こえず、相手の声が小さい事がわかった。
 鈴が自ら電話をしてきた事に驚いたのか、その目的に意表をつかれたのか、或いはそのどちらともなのか。
 僕に出来たのはそこまで推察するくらいで、彼ら――鈴の両親――とは幼馴染の親だと言う以外に接点のない僕には知る事は出来ないだろう。

 鈴の声は、平坦だ。
 それは無感情だからではなくて、たぶん、悲しみを堪えるために。
 近付いて覗き込んだ横顔は少し沈んでいたけど、目の当たりにした事実をしっかりと受け入れているように窺えた。

「そっか……いや、怒ってないぞ。……むしろ、ありがとう」

 久しぶりに出てきた相槌以外の反応。
 話は終わったようだ。
 立ち上がり一歩踏み出して、そのまま身体をベッドの上に倒し、鈴の小さな後姿を眺める。
 鈴の、解かれた髪の端からちらりと見えた両の肩はほんの僅かだけど、震えているように見えた。

「うん、じゃあまた。って、まだ話がある? なに? 理樹と…………ぅ、ぁ、そ、そんなん知るかぼけっー!!」
「?」

 いや、親に向かってぼけって。鈴らしいと言えばらしいけど。
 怒声の後、意図的に強く携帯を閉じる音がして、僕の方を向いた鈴の顔は何故だか紅潮していた。
 鈴は寝転んだままの僕の前に正座すると、そのまま上半身だけを倒して布団の上に顎を乗せ、鼻先が触れ合いそうな、吐息は触れ合う距離で困ったようにうみゅーと鳴く。

「……最後の、なんだったの?」
「理樹と……どこまで進んだのかって……あたしの勝手じゃぼけー」
「ああ」

 でもそれは、付き合う事になった時に両親へと第一声、「理樹にプロポーズされた」などと口走った鈴が悪い気もする。
 いやまあ、そうとられる告白をした僕が悪かったかも知れないけど。もっとこう、両親に報告する時はソフトでもいいと思う。
 と言うか鈴の両親もこんな時にそんな話を吹っかけなくても。恭介の親でもあると言ってしまえばそれまでに思えてしまうけど。

「……」

 鈴に手を伸ばし、触れ、少し動かす。

「ふみゃー……」

 鈴は目を閉じてされるがまま……と言ってもまぁ、頭を撫でているだけ。
 鈴の柔らかな髪を指先に絡める。
 ……どこまでも何も、前よりほんの少し距離が近くなっただけでしかない。ちょっと情けないけどしょうがないでしょ意識すると恥ずかしいんだもん。
 手を握ったり繋いだりなんて、逆に今までよりぎこちなくなったくらいだ。なんか悔しかったから撫でてみたけどこれだって結構無茶してる。

 鈴が目を開けて、僕を直視する。虹彩と大きく開いた瞳孔、その境目に飲み込まれてしまいそうな、そんな錯覚を抱いた。
 髪から手を離す。
 普段からわかっていたことではあるけれど。こうして息の感ぜられる距離で見ると、鈴は余計に可愛い。
 赤くなった頬が近く、肌と肌が触れ合っているわけではないのにその滑らかさがわかるようで、体温が伝わりそうなほどに温もりが感じられて。
 ――そうか、こんなに可愛い娘が僕の……
 …………って、うわあぁ、ダメだ。意識しすぎるとまた恥ずかしくなる、それどころか目が合って離れないこの状況この瞬間も物凄く緊張する。
 視線を逸らそうとしたけど、そうすると鈴を不安にさせてしまわないかなんて自惚れた思考が脳から滲み出てきてしまって、鈴も動かず、だから結局僕らは目を合わせたままでいた。
 鈴虫の合唱だけが部屋にある音になって数秒、鈴が、ゆっくりと口を開く。

「……なぁ、理樹」
「なにかな、鈴」

 神妙な声色に、僕らの周囲に流れていた一種恋人同士らしい緊張は僅か薄れた。
 ……らしかった、と思いたい。思わせてください。

 鈴が上半身を起こし、僕もそれに倣う。

「理樹、墓参りに行こう」

 ――ああ、そうか。
 さっき見た横顔もあって、やっぱり、とは思ったけど。
 これが何よりも、先ほどの電話からえられた結果をわかりやすく示した。
 修学旅行での事故から数ヶ月、ある程度落ち着きを取り戻した世間を横目で眺めるだけになっていた夏休み。
 曖昧に過ぎる虚構世界の記憶の中で、一部の色濃く残った記憶は、皆のいない世界で僅かずつ僕らを苛み続けていた事は確かだったから。
 それは多分、優しさであふれた世界から生還した僕と……何よりも鈴が、初めに向き合わなければならない、避けられない”不幸”で。

「……いつにしよっか」
「明日でいい」

 僕に断る理由はなかった。
 もともとその事実の確認も受け入れる事も、鈴が全て自分で行ってきたのだ。
 僕はただ、鈴が挫けてしまわないように傍にいただけ。
 暇ならある。時間をかけて、鈍行でゆっくりと行く事にしよう。
 そう思った。





―― ひとつめの不幸 ――





 見上げた空が、雲の形を記憶に留める暇もなく流れて行く。天上近くに陣取る太陽が撒き散らす光が青と白の境界線を曖昧にしていて、それはいっそう記憶に留まりにくいものになっている。
 わかるのはただ、その雲の形が昨日のものとは違い、明日のものもまた今日のものとは違う事だけ。
 では。
 あの、同じように流れていた日々の中で。雲の形は。変わっていたのだろうか。
 調べるすべもない繰り返し続ける虚構の世界。あの世界は、空までも繰り返し続けていたのだろうか。
 今となってはそれすらもわからず、曖昧にしか残っていない記憶は人と人の繋がりに関するものばかりで、思考を解決する手段にはなりえない。

 がたん、と少し大きな揺れ。
 電車の速度が落ちて、空の流れが遅くなって。
 ホームに止まった時、広い空はちっぽけな屋根に隠れてしまった。

「あつい……」
「あついね」

 冷房の効いていた電車から出ると、待ち構えていたかのように熱気が僕らを含む下車した人々に襲い掛かってくる。
 と言っても、僕と鈴以外に降りたのは、3つ前の駅で乗ってきた老夫婦だけだったのだけど。持っている袋からしてショッピングモール(と言ってもさほど大きくはないけど)での買い物帰りだろう。

「理樹、うちわ」
「はい」
「あおいでくれ……」

 ぱたぱた、ぽす。
 少し仰いでから、鈴の手の上に乗せた。

「理樹、タオル」
「はい」
「ふいてくれ……」

 ぬぐぬぐ、ひょい。
 鈴の額を少し拭いてから、肩にかけた。

「中途半端なんていじわるだ……」
「鈴が横着しすぎなの」

 いじけた鈴に背を向けて、愚痴を聞き流しながら改札口へ向かって歩き出す。
 事務室から流れ出す冷気を一瞬だけ腕に受け、改札口を抜けると、構内の外に華やいだ雰囲気があった。
 花屋だ。線香やお供え物はあらかじめ買ってあったけど……あった方が、いいか。
 こんな所だから、と言うと偏見になってしまうけど、意外に若かった……多分少し年上くらいの花屋の店員と二言三言言葉を交わし、花を買ってから、民家も疎らな田舎道を歩き始める。
 後ろで鈴が少し不服そうに見てたけど、顔がにやけてたとかそういうのはないはずだ。……可愛かった、とは思う。僕だって男の子だもの。

 そこから50mほど歩いたところで、鈴が話しかけてきた。

「なんで花なんか買ったんだ?」
「そりゃ、お墓参りだし……ないよりはあった方がいいでしょ?」
「あたしにはあいつが花もらって喜ぶ姿なんて想像できないな」
「気持ちの問題だよ」

 そんな風に話をしながら、時々2人して道を確認するために足を止めつつ、目的地へと歩を進める。
 容赦なく肌を差す夏の陽光に茹だる僕らの横を虫捕り網を持った小学生くらいの男の子が元気に駆けて行く。
 どこを見ても背の伸びた稲がある光景は壮観でいて、どこか懐かしい。
 昔、僕は一度だけ、鈴は何度も、この景色の中を走り抜けたんだ。
 今通り過ぎた麦藁帽子を被った兄妹らしき子供たちと同じように、こんな暑さを煩わしいと思うこともなく。
 でも、

「あつい……理樹……あつい」
「もう少しだから、……僕と鈴の記憶が正しければ」
「そう言われると自信なくなってきた」

 僕だって口には出さないけど、きつい。
 ……まぁ多分、歳をとったんだと思う。
 体力的には兎も角、この暑さを煩わしく感じるくらいには。

「理樹。なんかしよう。暑さがまぎれるようなこと」
「じゃあさ、鈴」
「お、早速なにか思いついたのか!」

 楽しげな鈴の声の後、僕はふぅ、と浅く息を吐いた。
 心臓が奇妙なくらいに脈打つ。肌の外からじわりじわりと攻めてくる熱気だけではなく、身体の中からも熱が出てきて、嫌な汗が出る。
 人口の少ない田舎とは言え、夏の昼間となれば多少人目もあるから、恥ずかしい。
 蝉の鳴き声でさえも気になる。少しは静かにして欲しい。
 でも僕は、提案してみた。そして、実行に移す。

「手でも繋ごうか」

 そう言う前に、既に手を取っていたんだけど。
 決して冷たくない鈴の手は、けれど緊張していた僕からすればかなり心地よかった。
 好きな人の手を握っているから、と言う喜びも勿論ある。

「…………」
「鈴?」

 鈴はと言えば、立ち止まり、しばし僕が無理矢理繋いだ手を眺めていた。
 何かを考えているのだろう。僕の言葉の意味。それよりも前に握られた手。
 近くで、ヒューヒューなんて冷やかしてくるマセガキの声がする。
 恥ずかしくて、しばし視線をさ迷わせる。
 その声は当然のように鈴にも聞こえていて、だから、それで瞬時に状況を理解したのか。

「ば、ばかっ! よけいに暑くなるだろっ!」

 大きな声と共に振り払われた。顔を真っ赤にした鈴は可愛くて、でもちょっと残念だ。
 僕だって勇気を振り絞ったんだから、鈴だって少しくらい歩み寄ってくれないと困るんだけど……。
 二度目を敢行する勇気はちょっとなかった。鈴からしてくれれば、なんて思ったけどしょうもない願望か。
 まぁ、多少暑さが紛れるくらいには楽しかった。こうやって飽きが来ない関係を続けていれば僕らは多分、もうちょっと、恋人らしくなれるかも知れない。
 だいじょうぶ。僕らは生きてる。だから、時間はある。
 結局その後も、吹き付ける風にタオルを飛ばされて不機嫌になる鈴を宥めたり、飛ばされて用水路に着地した僕のタオルを見て鈴が笑ったり、ただ道を歩くだけなのに飽きなかった。

 なんでもない日常を感じながらも、僕らは確かに”不幸”へと向かって道を進む。


  *


 それなりに多い石段を登ると、その先には墓地がある。
 と言っても僕らの住むところにあるような集合墓地とは違う、山の入り口付近のちょっと開かれたところに、いくつかの家の墓を集めただけのものだ。
 墓石やその土台はしっかりしているけど、周りは土だらけで、お世辞にも綺麗とは言えない。

 探し、すぐに見つける。比較的新しい石。そしてそこに彫られた文字は……はっきりと、棗家のものである事を示していた。
 この中に、数ヶ月前にこの世界から旅去った人が眠っている。
 僕らが、あの世界で逃げ出した時に、頼ろうとした人がいる。

 すなわち……鈴と、恭介の、おじいさんが。

「久しぶりだな……じいちゃん」

 鈴が、墓の前に棒立ちになる。
 僕は少し下で線香に火をつけてから坂を上り、鈴の右隣で屈み、線香を立てた。細い煙はさほど高くへは行けず、すぐに夏の陽射しに歪められるようにして消えて行く。
 立ち上がり、覗き見た鈴の横顔は心なしか……悲しみよりも、怒りの方が勝っているように見えた。
 ……あの優しさであふれた世界の、比較的色濃く残った記憶。僕らが逃げ出し、頼ったその先に、会いたかった人は居なかった。その世界での顛末は僕も鈴も覚えていなかったけれど、その一点は覚えていた。
 曖昧な記憶の欠片を拾うだけでも、あの世界が、基本的にはこの世界と同じもので構築されていたのは理解出来る。加えて。
 ギプスはつけながらもいち早く、夏休みが始まってすぐに退院した小毬さんが知る限り、虚構世界では現実世界に居ない人は存在していなかったそうだ。
 その小毬さんだって覚えている事なんて殆どなくて、何も知らなくて、それは僕らと同様に薄っすらと残る記憶と些細な情報から拾い上げた不確かなものでしかない。
 生死の境からようやく抜け出て、しかし未だに意識は戻らない恭介。彼ですら全ては知らないかもしれないし、きっと、知らないのだろう。
 けれど、この欠片は可能性として。虚構の世界に鈴のおじいさんが居なかったのは、恭介が”存在させなかった”のではなく、”死んでいた”からである事を、示唆していた。
 それを鈴の両親に確認する事に踏み込めたのが昨日で、曖昧でどうしようもなく細かい情報や記憶ばかりを掻き集めて構築したその結果は、今の僕と鈴の行動に繋がる。
 あの世界の事はまだまるでわからないし、きっとわかる必要もなく、わかる事は出来ないのだろうけど。
 少なくとも。事故前までの弱かった鈴が知らされていなかったこの事実は、皆が生還した現実で、一番最初に向き合い、受け入れなければならない不幸だった。

「…………」
「…………」

 無言。蝉の鳴き声とがさがさと揺れる枝葉の音は、沈黙をくれない。
 ふたり、言葉なく。燃えて灰になった上の部分を軽く叩いて落とし、真ん中の当たりを持って鈴に渡そうとする。
 けれど鈴は、目を細め眉を吊り上げ……今度は気のせいでもなんでもなく、怒りの方を前に前に押し出していた。
 何故だろう。……知らぬ間に逝ったからか。ただ単に止め処ない悲しみが、別の感情へ変換されているだけなのか。
 好きな女の子のことなのに僕には分からなくて、だから悔しくて。もしかしたらこれが、恥ずかしくて手を繋ぐだけで顔を赤らめてしまう僕らの距離なのかもしれないと、そんな事を思う。
 結局何も言えなくて、とりあえず火をつけた分は、全て立てておく。

「……ばか」
「え?」

 ひとこと、鈴が呟いた。
 その『ばか』は呆れた時に真人や謙吾に向かって放つものとも、蔑むように恭介へ投げるものとも、違っていた。
 本当に、心の底から罵倒するような。そんな……失ってしまったものへ対する未練のようなものを感じる。

「っ!」

 浅く鋭く息を吐くと同時に僕が左手首にかけていた袋からお供え物の饅頭を引っ張り出し、

「うあぁ――!!」

 上半身の動きだけで、多分出来る限りの強さで墓石に向かって投げつけた。
 跳ね返った饅頭がほんの数歩しかない坂を転げ落ち、包装紙から投げ出される。

「鈴!?」

 僕はその行動に拍子を抜かれ対応が遅れたけど、それでも、今にも暴れ出しそうな鈴の肩をちゃんと掴んだ。
 でも、どう言葉をかければいいのかがわからない。死者への冒涜ともとれる行為に怒るべきなのか、今にも泣き出しそうな鈴を……それこそ、抱きしめてやればいいのか。
 鈴は暴れ出すでもなく、泣き出すでもなく、顔を伏せて前髪で目を隠した。そのまま。必死に、搾り出すように、何かを紡ぐ。

「お前、あたしに言ったよな? ……『鈴なんかに恋人が出来るのか』って。意地になって出来るって言ったら、『ならその時は見せてみろ』って」

 それは、いつの事だったのだろうか。
 僕が彼に会ったのは、リトルバスターズの合宿できた時と、たまたま鈴の家で出くわした時の、二度だけで。
 恐らく僕が、そして他の誰も知らない、2人だけの約束だったんだと思う。

「……出来たぞ、ちゃんと。こんなにかっこいい彼氏が、あたしにも。なのに、なんで死んじゃうんだ……約束だって言っただろ、あたしはちゃんと約束守ったのに、なんでじいちゃんは約束破ったんだ!!
 これから、絶対、理樹と一緒に幸せになって結婚して、子供だって作ってやる。お前は、ひ孫の顔を見るまでは死なないって笑ってたのに!! なんで、……なんで死んだんだ馬鹿ぁ!!!!」

 ここに来るまで、鈴は感情を抑え付けていたのだろうか。
 昨日電話で両親に問うた時点で知った事実を、耐えるのが強さだと思って、堪えていたのだろうか。
 ……もしかしたら、鈴の両親が僕らの事を冷やかしたのは、荒れ狂うかもしれない鈴を抑え付けるためだったのかもしれない。

「く、ぅ、っ、あぁっ……!!」

 泣くのを我慢しているかのような、か細い声が喉から漏れている。
 その理由はすぐにわかった。みんなから貰った強さを、信じているから。
 みんながちゃんと生きていても、そのみんなを救った強さを、いつまでも持ち続けようとしているのだ、鈴は。
 違う、と僕は思う。……それは絶対に、違う。そんなのは、強さなんかじゃない。

 躊躇う事なんてないし、そんな事を考える暇も必要も無かった。
 僕はただ、初めて鈴を、愛しくて守りたい女の子を抱きしめて、頭を撫でていた。
 たった、それだけ。

「り……き?」
「鈴、多分ね……こんな時は、泣いてもいいんだよ」
「でも、だってあたし……きょーすけとか、謙吾とか真人とかこまりちゃんとか、」
「大切だった人がいなくなった時に泣けないなんて…………僕はそんなの、嫌だよ」

 もしそれが、強さだと言うのなら。僕なら、そんな冷酷で無慈悲な強さはいらない。
 みんな生きている今、それを明確に知る事は出来ないけど。恭介たちが僕と鈴にくれたのは、生きるための強さだったと僕は信じたい。決して、死んでしまった人を涙もなく醒め切った目で諦めて先に進み続ける、そんなくだらない強さじゃないはずだ。
 こんな時にくらい立ち止まる事が許される、そんな強さであって欲しい。そのくらいの弱さは残したまま生きて行きたい。
 だから、

「だから、ね」

 ほっそりとした腰に手を回して、少し痛むかも知れない事も構わず、引き寄せる。
 夏の暑さなんてわけのない温もりが全身に行き渡る。
 ……こうやったからには、僕はまだ泣いちゃダメだ。せめて、鈴が泣き出すまでは堪えなくちゃいけない。
 鈴が、縋るように僕の肩を掴んでくる。頭を、身体を、全てを預けてくれる。頼ってきてくれるのが素直に嬉しかった。
 ちゃんと、僕は鈴を好きでいられて。鈴は、僕を好きでいてくれている。今更だけど、その証明であるような気がして。

「ひっ、く……じい、ちゃん…………ひっ、うわあああぁああぁぁぁぁ!!!!」

 綺麗な双眸から涙が溢れ出し、止め処もなく頬を伝う。
 咆哮にも似た嘆きの声が、空へと昇って行く。僕も、ここが限界だった。


 まだまだ下がらない気温の中、太陽は確かに、西へ向かって傾き始めていた。


  *


 山の稜線に半分ほど身を沈めた太陽は赤く染まり、僕と鈴の影を長く伸ばす。
 けん、と鈴が石を蹴る音がして、それはコンクリートの上をしばらく転げて止まった。
 すぐ横に目をやればそこには、朝、僕らが乗っていた電車が走っていた線路がある。
 ふたり、何気なし、どちらがそんな提案をしたでもなく線路沿いに歩いて帰路についていた。
 かなり朝早くに出て昼も大分過ぎた頃に着いたのだから、歩いて帰ると一体どれくらいかかるのか、考えるのも馬鹿らしかった。
 だから考えない事にして、僕と鈴はせめて道に迷わないように線路だけはちゃんと見て、歩いていた。

「ねぇ、鈴」
「手、繋がない?」
「うみゅ……どうしても、繋ぎたいのか?」
「うん、どうしても」
「なら、繋ごう。あたしも繋ぎたいと思ったところだから、丁度いい」
「気が合うね、僕たち」
「理樹はあたしの彼氏で、あたしは理樹の彼女だからな」

 楽しそうに言って、鈴は笑顔を向けてくる。
 その顔は夕陽なんて関係ないほどに真っ赤で、僕も、鏡もないのに真っ赤になっているんだろう、ってわかる。
 ふたり、歩き続ける。

 僕らは、あの世界で、恭介やみんなが必死になって敷いてくれた線路の上を、それを道しるべとして何も知らずに歩き続けて、そして少しずつ強くなった。
 見えきった行き先へ、いくつかの進路変更をして、線路の上を進み続けたのだと思う。
 けれど。
 おぼろげな記憶に残るのは、最後の最後、駅へと向かう線路がなくなってからも僕と鈴は先に進めたと言う事。
 なくなった道しるべを、見えなくなった行き先を、それでも探して作り出し、取り戻した事。
 何をしたのか、どうやったのかはどんなに考えても頭を捻っても思い出せないけど、そうやって確かに歩き続けていた事だけは、覚えている。

「なぁ、理樹」
「なぁに?」
「浮気とかしちゃだめだぞ」
「しないよ、僕には鈴以上に可愛いと思える女の子なんて今までも、これからもずっといないもん」
「本当に?」
「本当に。なんなら、ここで証明して見せてもいいよ」
「そっか、じゃあ証明してくれ」

 でも、この現実では、恭介たちでも、例え恭介やリトルバスターズを越える凄い人でも、いつだって苦もなく生きていける未来への線路を作る事は出来ない。
 今、帰路を道に迷わないように線路沿いに歩いているけれど、時間の流れの中には線路なんてありはしない。
 一秒一秒動き続ける時の流れの中では、僕と鈴が、そしてリトルバスターズ全員が、生ける人々全てが、それぞれ線路も地図も道しるべも看板も目印のひとつすらもない行き先も見えない道の上を歩き続ける。
 歩き続けなきゃ、いけないんだと思う。強くても弱くても何かを得るために。誰かと触れ合うために。

「鈴、そこで止まって」
「? ……これでいいのか?」
「うん、それでいいよ」

 僕と鈴は今日、少しだけ、立ち止まった。
 以前ならば挫けて、こけたまま立ち上がらなかったかもしれない、それほどの過酷を前にして、立ったまま止まっていられた。

 鈴の顔が近付く。
 西日を受け光を反射する潤んだ瞳が、僕を吸い込むみたいに見てくる。
 手は繋いだまま、空いたほうの手を小さな肩に当てて。
 僕はぴったりとあった視線から、少しだけ下に視線を逸らして。

「ん!?」

 ゆっくりと、けど、鈴が動くより早く、鈴の小さな可愛らしい唇に自身の唇を重ね合わせた。
 鈴は不意打ちに驚いたようだけど……すぐに、目を閉じる。
 柔らかな感触が僕を支配して、ああ、僕は本当にこの娘が好きなんだと強く想った。
 僕も目を閉じて、本当に触れ合っただけの、拙い初めてのキスは数秒間。
 やっぱり恥ずかしいけれど、これから共に歩んで行く鈴とほんのちょっとでも溶け合いたくて。

 離れてから、上目遣いで僕を見て鈴が拗ねたみたいに呟く。

「……ばか」
「ばかでいいよ、鈴が好きでいてくれるなら」
「……ばか」

 じゃあまた、歩き始めようか。


[No.392] 2008/07/04(Fri) 13:03:45
それは夢である (No.388への返信 / 1階層) - ひみつ

「定められたレールの上を走るのが人生である―――もちろんそのような意見は誰の手によっても容易く否定されてしまうでしょう。多くの人がそうであるように、己が己であろうと、自己実現を夢見て生きています。ですが私達は、間違いなくレールの上を歩かされているのですよ。決して拒む事の出来ない、一直線に延びる線路上を」
「西園さん……?」
「分かりますか? この苦悩が、直枝さん。貴方に分かるでしょうか? 生まれた瞬間から私達はそれを押し付けられているんです。重く、重く、歩くことさえ困難なそれを。けれど多くの人はそうと気づかないまま生涯を終えます。何故だかわかりますか。理由は簡単です。それが100キロの綿だからです。100キロの鉄なら誰もが苦しみに呻くでしょう。けれど、それが綿ではほとんどの人は気づけないのです」
 同じ重さだというのに気づけない。
 それが悲劇なのだと彼女は笑う。艶やかささえ感じられる美しい表情を完成させているのは、瞳に浮かぶ涙なのだと気づいていた。それは悲しさ故に溢れるものではなかった。彼女にとって、笑顔は常に涙と共に在る。ただそれだけの―――なるほど、確かに悲劇だった。
「先入観とは恐ろしいものですよね。綿は軽いものだと植えつけられた意識には、それが鉄と同じ重さであっても気づけない。自分達が何を引き摺っているのか分からないままなのです」
「僕も、それを抱えているの?」
「そうです。この世の中の全ての人が等しく。直枝さん、貴方は自分が本当に自由だと感じますか? 未来が無尽蔵に広がっていると信じますか? 夢を見るのも、夢を描くのも、夢を掴むのも……自由だなんて、そんな夢を抱いていませんか?」
「それは……いや、そこまでは思ってない。だってそうでしょう? やっぱり人はそれぞれ違ってて、身長や健康状態とか差があるから。貧富の差だってあるし、どうしたって完全な無限の可能性は得られないと思う。でも、自由だとは感じるよ」
 少なくともこの日本という国の、それなりに普通の家庭に生まれたのだから職業選択の自由はほぼ保障されたと考えて良い。肉体的にも健康で、唯一絶対だった巨大な壁だって乗り越える事が出来た今ならなお更そう思う。
 そう、乗り越えられた。生涯の障害になると半ば諦めてさえいたあの病も、今はもうない。
 それが嬉しかった。得られなかったはずのたくさんのものを得て、そしてこれからだって手にしてゆける。未来が大きく開かれ、地平線さえ見渡せそうで。同じ位に不安だったけれど、やはり嬉しかったのだ。
「そうですね。直枝さん、貴方はそう感じるのでしょう。いえ、あの世界に居た私達は皆、同じように感じているのかもしれません。ですが良く見てください。貴方の瞳で、しっかりと、自分の足元を。ほら―――線路が見えるでしょう?」
 ギョッとして、視線を下ろす。変わらない学校の廊下、リノリウムのくすんだ色合いがそこにあった。だが、彼女の言葉にはある種の呪いが篭められていたに違いない。霧が晴れるような静かさで、平坦なそこに凹凸が生まれた。
 赤黒く酸化した鋼鉄の直線。平行してならぶ二本がある種の結界なのだと―――即ち、それよりの広がりを生む事のない切り取られた領域なのだと分かる。草臥れた枕木は今にも砕けそうで、けれどそんなものに頼らなければならない世界の薄さを感じた。
 振り返る事が恐ろしくて、僕は視線を空へと向けた。足元から延びるレールはそこへと向って続いているが、悩ましいほど微細な蛇行を繰り返すだけで、遠目には直線と変わらない程だった。視界は無限に開かれているのに、何処へも広がる事はない。
 一歩だけ足を進めると、たちまち転びそうになった。所々に生える雑草の仕業だった。何故邪魔をするのかと睨みつけると、彼らは揃って身体を揺らし笑うのだ。苛立ちに任せて踏み躙ると黙らせる事は出来たが、眼も眩むほどの数があって、その全てを除去する事はきっと不可能だった。
 だから僕は、何時か本当に転んでしまうのではないかと恐ろしくなったのだ。
「恐れてはいけません。これはただの苦しみです。苦悩すべきものであって、拒絶すべきものではありません。分かりますよね。貴方はもう二度と、あそこへと還ってはならない」
「分かってる、つもりだよ」
 僕は一つ頷いて、西園さんを見た。隣を並行するレールの上に彼女は居る。標準軌と狭軌が並列するその場所に、彼女はゆっくりと腰を下ろす。僕も倣ってそうすると、鋼鉄はたちまち拒むように白熱した。
「拒まれているのではありません、直枝さんが拒んでいるだけです」
「これはいったい何なの?」
「人生以外に何がありますか?」
「これが? ここまで矮小な世界が人生だって?」
「別段、驚愕に価するほどの事実ではないでしょう」
 軽やかなその言葉に嫌悪感を覚えた。西園さんはそのまま愛おしそうにレールを撫でている。白く細い指先には錆はつかず、たぶんそれは金属の内側に浸み込んでいるものなのだろう。拭ってやれる事が出来たならば、という淡い希望はかなわないのだ。
「これは我々が気づかないままに背負わされているルール。生まれて最初に与えられる決して乗り越える事の出来ないレール」
「それは、何?」
「―――性別ですよ」
 性別。雄と雌。神より与えられし対極。
 ハッと、二つの事実に気づく。一つはそれが間違いないという理解。西園さんのレールが永遠に並行している理由。それは決して、重なる事がないという致命的な現実。
 もう一つは―――西園さんの口から性別に関する話題が出たとき、決まって良くない展開が待っているのだという致死量の経験則。
「ちょ、ちょっとだけ時間をもらえないかな、西園さん」
「このレールは絶対です」
 僕の要求は速やかに無視された。
「性別……そう、性別こそが我々の生涯の中で最大の障害なのです。軽く駄洒落ですが、突っ込みは不要ですよ。今はそのようなノリは必要ありませんから。これは非常にシリアスなネタなのです。私は何処までも真剣に、性別というレールを問題視しているのです」
「待って。ネタって言ったよ、今ネタって言った! シリアスでネタとか言わないから!」
「人は何故、性別などというレールに縛られているのでしょうか。私達は何故、それを乗り越える事が出来ないのでしょうか。私は女として産まれたその瞬間から女としてしか生きられない。いえ、もっとハッキリ言いましょう。何故直枝さんは女の子ではないのかっ!」
「やっぱりそういう流れなのかあっ!」
「いえ、勘違いしないで下さい。私は決して、直枝さんが女性であったなら良かったとか、そういう事を考えているわけではありません。私が苦悩しているのは、男性である直枝さんが男性を愛する事が出来ない事なのです」
「勘違いしてないよ! ってか謝れ! 今まで真面目に読んでた人に謝れッ!!」
 フリが長すぎる!!
 先ほどまで見えていたレールは消え、目の前には本人だけはシリアスらしく真面目な顔をして、何時の間にやら女子用制服を掲げた西園さんが立っていた。心象的表現に眩まされていた間に、何て物を用意してるんだよ。
「しかし私は理解しています。同性愛は所詮、何処までいっても禁忌の領域を抜け出せないのだと。この先、どれ程の人権意識が拡大し正当化されたとして、標準化される事はありえないでしょう。いえ、私の個人的見解に則れば、標準化されるべきではありません。禁忌だからこそ魅力的なのです。男と男の秘められた愛の交わりだからこそっ、萌えるのです!」
「この世のリアル同性愛者の方々にも謝れ!」
 あの人たちは真剣に自分達への理解を求めてるんだぞ。
 あと、交わりとか言うな、生々しいからっ!
「ですが正攻法では埒があきません」
「正攻法って、今まで僕にどんなブービートラップを仕掛けてたのさ……」
「直枝さんも恭介さんも、まるでお互いのラブコールに気づかない。それもすべて、定められた性別というレールによる弊害です。なので私は考えました。ずばり、直枝理樹女装化計画!」
 予想はしていたが、身の毛もよだつタイトルだった。
「直枝さんは男性であるが故に、男性への恋愛感情を生み出す事は非常に難しい。ですが一発逆転横取り四十萬。貴方の中のアニマを顕在化させる事が出来たならば、男性でありながら女性であるというある種のアンドロギュノス的な人格構造を得、同性愛に対する生理的社会的嫌悪感を超越する事が出来るのです!」
「出来ないからっ! ってか、女装なんて絶対嫌だっ!」
「短いスカートに困惑し羞恥心に顔を赤くする直枝さん。しかし、やがてそれが癖になり―――嗚呼、想像しただけで私のほとがホットな具合に」
「隠語で駄洒落!? 最低だっ!」
「下品な女とは思わないで下さいね」
「思うよ! その通りだよ! っていうかキャラ崩壊しすぎだよ!!」
 場末のスナックに居座ってるオッサンだってそんな下ネタ使わないだろう。
 落ち着いた彼女の表情の中で、瞳だけが爛々と輝いていた。さながら飢えた獣のようなそれが恐ろしく、僅かに後ずさる。良く見れば小鼻も膨らんでいて、僕は今更ながら逃げ出すタイミングを逃した事に気づいた。
「さぁ、直枝さん。貴方の中の女を開放しましょう。そして貴方は恥ずかしさに悶えながら女子用制服で校内を練り歩き、廊下の角で恭介さんとぶつかるのです。貴方が直枝理樹であると気づかない彼は持ち前の面倒見の良さから優しく介抱してくれます。もちろん、貴方は自分から名乗る事が出来ません。ただ身を委ねるのみ。しかしその優しさに心の臓はドッキューン! 更に恭介さんも貴方の女装姿にドッピューン!」
「なんかまた酷い下ネタが聞こえたよっ!?」
「失礼、噛みました」
 いやいやいや、絶対わざとでしょっ!
 どうやったらそんな神噛みができるのさっ!
「そんな出会いを経て、自然と恋に落ちる二人」
「どこにも自然な部分はない!」
「しかし惹かれ合えば合うほどに、直枝さんは自分を偽っている事実に苦悩します。恭介さんの思いに答えられない自分。直枝理樹として彼と語らい、存在しない少女への思いを知らされ、貴方は騙し続ける苦しみに耐えられなくなり、ついには真実を明らかにしてしまいます。ごめん、恭介。実は僕だったんだよ」
「あ、勝手に台詞パートに入った……」
 どれだけ置いてきぼりにしたら気が済むのだろうか。
「な、なんだって! まさかお前が理樹だったなんて! ごめんよ、恭介。騙すつもりはなかったんだ。どうしても切欠がつかめなくて。そうだったのか……。怒らないの? 怒らないさ。だって俺は、結果的にこうして生涯の伴侶に出会えたんだから。恭介、生涯の伴侶って。理樹、今まで言わなかったが実はお前の事を。恭介……そんな、駄目だよ。だって僕は男なんだから。構わないさっ、俺はお前にメロメロぞっこんなんだ。恭介、実は、僕も。理樹、アイラブユー。恭介、トゥーミー」
 ガシッと前方の大気を抱きしめ悦に浸る西園さんの姿が、やけに遠く感じられた今日この頃。自然と半眼になる視界に無数のハートマークが浮かんで見えるのは何か良くない病の前兆なのだろう。もちろん、僕のではなく、彼女の。
 慌てず騒がず携帯を取り出し、119番をコールする。
 だがそれは西園さんのチョップにより制止された。
「病気ではありません」
「病気だよ」
「これは紛れもない愛です」
「病気だよっ!」
 具体的に言えば黄色い救急車を呼び出さなければならないくらいの急患だろう。
「とにかく、嫌だからね、そんなの」
「どうしても拒否するわけですね。この芸術的学術的使命感に基づいた崇高なる探究心を拒絶するのですね」
「どう考えても私欲だよ! 完全に自分しか見えてないよ!」
「学術的革新には犠牲がつきものですから」
「同意のない臨床実験は紛れもなく違法だ!」
「そうですか。そこまで駄々を捏ねるのでしたら、仕方がありません」
 西園さんの瞳が更に輝くのを見逃さなかった。
「ま、待って。せめて交渉の余地を……」
「出来れば避けたかったのですが、直枝さんがそう仰るのでしたら、止むを得ませんね」
「いや、だから今後の方針を協議する方向で……」
「武力的、財力的背景を持たない交渉など、子供の戯言、ご近所さんの井戸端会議ですよ。国家間だけではなく、全ての個人の外交政策の基盤は、それがどういった種類のものであるかは別にせよ、パワーなのです。というわけで―――先生っ。先せぇぇぇぇぇい!」
 ふっと、今まで存在しなかったかのように部屋の片隅に座っていた彼女が動き出して、今更僕はここが死地だった事実を思い知る。堂々と打刀を抜くその姿は、いろんな意味で本物に匹敵する迫力があった。
「ふむ、敵役にはピストルを持っていて貰いたかったんだがね。いや、理樹くんは下半身に硬くて黒いマグナムを持っているから問題ないか」
「うわぁい、本物の用心棒だぁい」
 ってか、さらっと名作を穢すのは止めようよ、来ヶ谷さんさぁ。
 これは謝っても許してもらえないかもよ?
「来ヶ谷さんは、僕が同性愛に走っても良いの!?」
「私としては理樹くんの女装姿にハァハァ出来れば問題ない。エロティックな下着もちゃんと用意している事だし、ここは大人しく犠牲になってくれたまへ」
「動機が最低だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 ブンッという風切り音が聞こえたのは一瞬の事であり、抜刀から瞬く間に振り切られた刀が僕の意識を奪うのに一秒とさえ必要としなかった。僕はそうして、長い長い眠りについた。そう、眠っていた。
 だからきっと気づいたら女子用の制服を着ていて、しかも女性用下着だった事とか、寮へと戻る途中で恭介と出会って熱烈な視線を向けられた事とか、更に不安な中現れた彼の存在にちょっと安心感を抱いてしまっただとか、そんなのは絶対夢なのだ。
 夢ったら夢なのである。


[No.393] 2008/07/04(Fri) 13:42:43
モノレール (No.388への返信 / 1階層) - ひみつ

晩夏の日差しが疎ましい。秋の気配を感じるような陽気が増えてはきたものの、出かけることを決めた日にこんな天候にならなくてもいいのに。

駅のホームの日陰に隠れながら、空を仰ぐ。
その日差しは、グラウンドでの草野球に興じていたメンバーを思い出させた。

そしてその中の一人。
メンバー唯一の左利きで、特徴的なツーテールの髪型で、いつも外野の守備位置で球を追っていて、その言動と行動に脈絡性がなくて。

そして私にとっては、たった一人の、世界で一番大切な妹だった人物―――三枝葉留佳。

今日は彼女の墓参りに出かけていた。





――モノレール――





あの事故から数ヶ月が経過していた。
クラス1つ分の人数が一度にいなくなってしまったバス事故。
学校という狭い世界においては、かなりの割合を占める人数が帰らぬ人となってしまったのに、それでも日常はいつもと変わらずに動き続けていた。


私と葉留佳に関わる事で言うなら、三枝の家の跡取りが、正式に私―――二木佳奈多に決定した。それはまったく嬉しい事ではない、憎むべき事。

あの‘お山の家’の連中は、あろうことか葉留佳がいなくなったことを喜んでいた。
‘疫病神がいなくなった’、‘これで『どちらが』と悩む必要もない’、‘役立たずは最期まで役立たずだったか’

でも、そんな言葉を耳にしたのもほんの少しの間だけ。
すぐにそんな話は話題にも上らなくなり、あの家は日常に戻っていった。
葉留佳なんて、最初から存在しなかったと思うような空間に。


馬鹿げている。ふざけるな、と思う。
あんな家なんていらない。
私が欲しかったのは、そんなつまらないものじゃない。
私が守りたかったのは、間違ってもあの家なんかじゃない。


どうして、不幸は降りかかる先を選んではくれないのか。
私たちは、もう充分不幸をかぶせられた。
その不自由な選択の中で、出来る事をしてきたつもりだったのに。
まだ足りなかった、という事なのか。


私たちの両親を除いて、葉留佳が眠る場所になんて気を使う人はいなかった。だから葉留佳のお墓は、二人の父と一人の母が用意してくれた。
ただ、それも本家の目の届かないところにひっそりと建てる程度のお墓。


「ごめんなさい、葉留佳・・・。それに、佳奈多も」


搾り出すように呟かれた一言。涙と共に零れだした母さんの言葉。
本家の檻から抜け出せない悲しみが、その一言に集約されていた。





悲しい、泣きたい。そう思った事がある。
でも泣かなかった、いや泣けないと踏みとどまったのは、ひとえに‘葉留佳のため’と割り切ってきた。私が泣く事で、葉留佳が救われるのならいくらだって泣くだろう。

でも、あの子はそんな事は望んでいない。そう思う。
もっとも、生者は死者の思いを汲み取る事は出来ても、完全な理解は出来ない。重なり合う事は出来ない。それは、例えば完全に通じ合った双子であっても、だ。

だからこの私の行為は、単なる自己満足に過ぎないのだろう。


それでも、だからこそ、やりきれない気持ちは溜まる。
涙に溶かして体外に排出すべきそれらの感情は、いずれ捌け口を求めて身体の中を暴れ回る。そしていつか留める事が出来ず、あふれ出す日が来る。

事故から1ヶ月もしないうちに、それは訪れた。




奇跡の生還者、との二つ名のついた二人がいる。
その名が示す通り、あの絶望的な状況下からのたった二人の生還者。
直枝理樹と棗鈴。

私は、あの世界を見ていた。
何があったのか、私は‘私’を通して知っている。
‘自分が一番不幸と思いがち’、それはあの世界で私自身が言った言葉。
不幸の大きさなんて、他人からは分からない。
大切な仲間を失った少年。更に加えて実の兄を失った少女。妹を失った少女。
1番不幸なのは誰かなんて分からない。知る意味も価値も、そこには存在しない。

分かっている、分かっていた。
それでも。






「何故・・・あなたたちだけが助かったのよ!」

ぶつけてはいけない言葉だった。


「何故、葉留佳は助からなかったの!?助けられなかったのよ!?」

止まらなかった。吐き出せなかったものが今。



「あなたたちが居場所を与えてしまったから、あの子は、葉留佳はっ・・・!」

分かっていた。大きな矛盾。


―――突き放してきたのは、誰だ?

―――あの子に居場所を求めさせるように仕向けたのは、誰だ?




だからこそ。
責めて欲しかった。‘お前のせいだ’と他人から責められたかった。
そうすることで、私は救われたかったのかもしれない。



でも。彼らは言い返さなかった。
理不尽な私の言葉と、それ以上に理不尽な現実をただ受け入れて。
静かに頭を下げ、私に詫びた。


「その通りだよ、二木さん。謝って済む事じゃないのは分かってる。でも、それでも」


頭を上げた彼らは、前を向いていた。


「恭介や葉留佳さんたちの願い、最後の想い。裏切らないためには、僕らは進むしかないんだ」

「あたしたちがみんなに出来ることは、これしか、ないからな」


―――ただの自己満足に過ぎないかもしれないけど。


そう呟いた二人の中には、確かに強さがあった。

その一角は葉留佳が与えたものだ。ならば、あの子の遺志は、確かに彼らの中にある。あの子は、確かにそこにいる。今の彼らの言葉の否定は、同時に葉留佳の否定にも繋がる。

葉留佳の想いを汲んで、涙を飲み込んだ自分。そこにいた彼らは、そんな自分の鏡像だった。そう理解した瞬間、もう何も言えなかった。

その場に背を向けて逃げる事が、私に出来る精一杯だった。








駅のホームから、今度は伸びる線路に目を落とす。
二本のレールは、幾つ先の駅まで私を運んでいってくれるのだろうか。




私達は、分かり合えたはずだった。
私達は、‘平行線’から‘寄り添う二本のレール’へとなれるはずだった。

線路の続く先は未来だと思っていた。
何も特別な事じゃない、葉留佳と一緒に遊びに出かけたり、葉留佳と一緒に勉強したり、たまには姉妹喧嘩もして。
元気で騒がし屋の妹に振り回されて、赤点ギリギリの妹に根気強く勉強を教えて、お菓子作りのトッピングのことで言い争う事もある・・・はずだったのだ。




―――はずだったのに。



一本のレールは、いつの間にか途切れていた。
まだまだ続くはずの風景を置き去りにして、そこで壊れてしまっていた。
私一人を残して、そこから先はもうどこにも存在しなくなっていた。



私は、私に対する葉留佳の気持ちを知っている。
葉留佳は、葉留佳に対する私の気持ちを知っていた。
なのに、確かにあったはずの謝罪と和解は、今はもう取り戻せない。
この世界には、そんな事実は存在していない。


―――だから、こんなにも苦しいのだ。



あの子は悪くない。私も悪くない。
‘私達は、奪われていただけだった’、そう言っていた葉留佳。
奪われたもの、共に過ごすはずだった時間を取り返すのは、これからだったのに。
葉留佳と私は、これから始まるはずだったのに。


本家に抗う覚悟が私にあれば。
もっと早く、葉留佳と手を繋ぐことが出来たのなら。


‘誰も悪くないよ’


頭に残る、葉留佳の言葉。
違う!これは、このことだけは。
私が、弱かったせいだ。葉留佳を信じてあげられなかったせいだ。






「・・・ごめんなさい」

零れ落ちた謝罪は、空に消える。

「・・・ごめんね、葉留佳・・・っ」

伝えるべき人は、もういない。







ホームに列車が滑り込む。私を目的地に運ぶ列車。
線路の先を見据える。二本のレールがどこまでも延びる先を。

途切れてしまったレールでは、それ以上は進めない。
一人きりの私は、辿り着けるのだろうか。
目指すべき目的地へ。
今を、いつか振り返ることの出来る過去に変える、そんな未来へ。



こんなにも明るい日差しの中にいるのに。
目の前に広がるのは、霞んだ暗闇。
目を凝らしても、一寸先すら見ることは叶わなかった。


[No.394] 2008/07/04(Fri) 16:13:30
その声が、聞こえた気がしたから (No.388への返信 / 1階層) - ひみつ

「なあ、ささみ」
「なにかしら、棗さん」
「急に腐敗堂の焼きみかんまんじゅうが食べたくなったから、買ってきてくれ」

 とりあえず、最近発売されて世間的にブームになりつつある携帯用伸縮式ハリセンでスパーンと一発。うん、今日も快音ですこと。

「痛いじゃないか」
「お黙りなさい。まったく、真剣な顔で何を言い出すかと思ったら……」
「あたしはいつだってしんけんだ」
「はいはいそうでしたわね」

 まあ、いつものことであるのは確かだ。そしてあのまま喋らせていたら、いつもどおりに「もちろんおまえのおごりで」とかなんとか付け足していたに違いない。棗さんと一緒に過ごす上でハリセンが必須アイテムと化してきている自分が悲しい。
 当の棗さんはと言えば、呑気に大欠伸してゴロゴロと、これまたいつもどおりに怠惰な時間の過ごし方をしているようだった。髪はボサボサになるし服は際どい感じでめくれているし、はしたないったらありはしない。女性同士とはいえ、少しはそういう所にも気を遣ってほしいのだけど、言って聞いてくれるようなら私も苦労はしないわけで、要するにもう諦めているのでわざわざ注意しようとは思わなかった。

「うーみゅ。しょうがない、役立たずなささみに代わってあたしが買ってきてやろう」
「い、言うに事欠いてこの子は……」
「というわけだから金よこせ」
「居候の分際で何様ですの、あなたは!?」
「ちゃんと家賃プラスあるふぁは払ってるじゃないか」
「そういう問題じゃありません!」

 棗さんはまたうーみゅと唸ると、顎に手を当てて何か考えるような素振りを見せ、きっかり五秒後――要するに、ろくに考えていない――、こう提案した。

「じゃあ割り勘でどーだ?」
「別にわたくし、焼きみかんまんじゅうなんて食べたくないのですけど……」





 結局、二人で散歩がてら買いに行くことになった。

「なんだかんだでおごってくれるあたり、ささみはいいやつだな。もとい、お人好しだな」

 スパーン。

「痛いじゃないか」
「あなたがお馬鹿なことを言っているのがいけないんです。そもそも、誰が奢るだなんて言ったのかしら?」
「ささみの中の人」
「着ぐるみじゃあるまいし、中に人なんていませんっ!」
「じゃあ、あたしが言った」
「じゃあってなんですか、じゃあって! しかも“あたし”!?」

 そうやってボケとツッコミの応酬をしている内、ふいに複数の視線を感じる。まあ、それなりに人通りのある往来でこんなことをしていれば注目を集めることになるのは当然であり、今さらそれに気付いた私は急に恥ずかしくなってしまった。

「ん、どうした」
「……な、なんでもありませんわ」

 そもそもの元凶である棗さんは、そんなものどこ吹く風よといった感じでまったく気にしていないらしかった。彼女が人目を気にしない……というより他人に興味を持たないのは昔からのことで、別段おかしくはないのだけれど、私だけが損をしているようで無性に腹立たしい。
 どちらにせよ、いつまでもこんな所で漫才をやっているべきではないと思う。やるなら帰ってから、徹底的に、だ。

「もう、止めにしません?」
「ささみがおごってくれるなら、それでもいい」
「……どうでもいいですわ、もう。好きになさって」
「やっぱりささみはいいやつだ。もとい、お人好しだ」

 なんだか、本当に彼女の言うとおりではないだろうか、などと自分でもそんなことを思い始めていた。
 何を言われても、何をされても彼女を追い出せないのも、今みたく、結局は彼女の都合がいいように妥協してしまうのも、自分がお人好しだからだ。それで損をするのはわかっているのに、どうして改めることができないのだろう。





 大学に進学する折に移り住んだこの街は、その真ん中を鉄道が通っている。そのため街には踏切が多く存在しており、私たちが住むアパートから目的地である腐敗堂への道程にも、その一つが設置されていた。
 別にどの踏切も“開かずの”といった形容がされるほど待つ時間が長いというわけでもないけれど、日に何回か、上りが通過した数十秒後に下りが通る(その逆パターンもある)時がある。上りが通り過ぎてから下りが来るまでの数十秒の間もバーが下りたままになるため、そのぶん待たなければならなくなる。
 私たちはちょうど、その“日に何回か”に鉢合わせてしまった。
 行く道の少し先で、カンカンと甲高い音を立てながら、バーが下がっていく。走ればまだ間に合うだろうけど、別に急ぐ必要があるわけでもないし、待つ時間も棗さんと一緒なら退屈することはないだろう。
 バーが下りきった頃、私たちはその前で足を止めた。だんだんと大きく聞こえてくる轟音で、電車が近付いてきているのがわかる。
 ふいに、棗さんが口を開いた。

「昔、理樹と二人で電車に乗ったことがある」

 それが誰だったか思い出すのに二秒、その名をあまりにも唐突に、そして何気なく口にした棗さんにドキリとするのに、さらに二秒かかった。
 その存在を忘れていたわけでは決してない。ただ、その名前が彼のものであるということが、記憶からすっぽりと抜け落ちていた。

「……なおえ、さん……と……?」

 苗字がそれで合っていたか自信がなかったけれど、棗さんがゆっくりと頷くのを見て、間違いではないことは分かった。でも、それはどのような字で書いたのだろう。

「いつ、どうして、なんのために、どこへ……それはわからないけど」

 それは、私でも棗さん自身でもない誰か、いや、何かに向けられた言葉であるように思えた。

「確かに、二人で乗ったんだ」

 棗さんの独り言は、それで終わりのようだった。ゴオッと風を切る音、そして車輪がレールを蹴る音、ただ騒がしいばかりのそれらを響かせて、赤い車体が私たちの目の前を通り過ぎていく。

「……待ってるの、面倒になった」
「え?」

 そんな中で、棗さんが小さく零した言葉は、聞き間違いでないのならそれで合っているはずで。だから、赤い電車がすっかり過ぎ去った後、棗さんが下りたままのバーをくぐって線路に足を踏み入れたのも、せっかちな彼女の横着なのだとしか思わなかった。

「棗さん、危ないですわよ」

 嗜めるように、言う。
 下り路線の車両はすぐに来るわけではないし、そのタイムラグは向こう側まで渡るには十分すぎるほどのものだった。実際、今の棗さんのようにバーをくぐって行ってしまう人は度々いるらしい。私が知っている限りで一度、それで死にかけた人がいて騒ぎになったことがあったが、猫みたいにすばしっこい棗さんに限ってはそんな心配もないはずで――そう、私は安心しきっていた。

「……え?」

 棗さんが、線路の上で。ほんの数十秒後には電車が通る、下り路線の上で立ち止まったりしなければ、彼女が向こうに渡るまで、ずっと安心しきったままだっただろう。

「棗さん……? なにを」

 背を向けたままの棗さんに、私の声が届いているのかどうかは分からない。分かるのは、棗さんが立ち止まったままだということ、周囲がにわかに騒がしくなってきたこと、さっきと同じ車輪がレールの上を走る音が近付いてきていること、それだけだった。
 気付いた時には、バーから身を乗り出して叫んでいた。

「棗さん! 聞こえないんですの!? 棗さんッ!!」

 聞こえないはずがないのに、彼女は振り返ろうともせず、ただそこに立つままで。引き摺りでもしなければ、動かないのではないか。そう思った時には、もう身体が動いていた。

「この、馬鹿――!」

 なのに、その身体はどこの誰とも知らない男に引き留められた。

「離してっ! 棗さんが……っ!」
「よ、よすんだ! 今行ったら君まで……」

 なら、誰が棗さんを引っ張ってくるというのか。誰も彼も、騒ぎはしても実際に動こうとはしない。この男だってそうだ。私を引き留めているような暇があるなら、どうして棗さんを助けに行こうとしない?
 ブレーキがかかる時の、あの耳障りな甲高い金属音が聞こえてくる。
 私は、叫ぶしかなかった。

「棗さん! 棗さんッ! 向こうでもこっちでもいいから、早く! 棗さぁんッ!!」

 何を言っても、何を叫んでも、何を喚いても。棗さんは、動こうとはしてくれなかった。馬鹿の一つ覚えのようにそれしかできないことへの、どうしようもない無力感。でも、私は――彼女を、諦めたくなかった。

「棗さん、お願いだから! 棗さん、棗さん、棗さんッ!! ダメですわ、そんな、こんなの、絶対!! 死んじゃダメ、死なないで!! ――鈴っ!!」

 私の視界は、赤い車体で埋め尽くされた。






























 結論から言ってしまえば――棗さんは、無事だった。
 向こう側まで渡っていた彼女の姿を確認して、私は真っ先に、

「……痛いじゃないか」

 その頬を、思いっきりひっぱたいてやった。

「……この、馬鹿! 大馬鹿! なにを、いったい、考えて……!」
「落ち着けささみ。とても嫁に行けそうにはない顔になってるぞ」
「誰のせいですかッ!!」

 一頻り怒鳴りつけてやった後、涙を拭う。手のひらがジンジンと痛むのが、棗さんが生きてここにいることの証明であるように思えて……張り詰めていた心が、ようやく緩んだような気がした。

「……どこか、怪我はないですか?」
「さっきおまえに叩かれたせいで口の中切った。いたい」

 いつもの小生意気な物言いすら、今は愛おしく思える。人目さえなければ、形振り構わず抱きしめてしまっていたかもしれない。
 だから、聞かずにはいられなかった。

「……どうして、あんな」
「…………」

 棗さんは、口を噤んだまま何も話そうとはしない。
 改めて聞かなくとも、彼女にあんなことをするだけの理由があることを、私は知っている。でも、それなら……この穏やかだった数年はなんだったのか。それとも、私が知らないだけで彼女は今までに何度もこんなことをしていたのだろうか。そう思うと、急に、彼女のほっそりした白い手首に無数の傷痕があるように見えて――私はかぶりを振った。そんな傷痕は、無い。あるはずがない。毎晩、一緒にお風呂に入っているじゃないか。それが現実だ。

「……んー、気まぐれだ」

 だから私は、そんな異常でしかない言葉を、信じるしかなかった。
 同時に、ゾッとする。これからも、気まぐれにこんなことが繰り返されるのか、と。

「でも、もうやらない」

 でも、その心配は、棗さん自身が否定してくれた。

「やっぱり、恐いからな。あたしには無理だ」

 その言葉に安心するべきかせざるべきか、わからない。今の棗さんは、ひどく儚げに見えた。
 私をこれだけ悩ませ、そして悲しませている張本人は、何とはなしに、それこそ世間話でもするかのように、ポツリと言う。

「なぁ、ささみ」
「あ……な、なんですの?」

 一呼吸の間を置いてから、ほんの少しか細くなったような声が、私の耳に届けられた。

「さっきあたしの名前呼んだの、おまえか?」
「え、ええ。まあ……」

 思えば……もうだいぶ長い付き合いだというのに、彼女を名前で、それも呼び捨てで呼んだのは、初めてのことだった。無我夢中だったから、あまり覚えてはいないけれど――確かに、鈴、と彼女を呼んだ。こんなことがきっかけというのも複雑だけれど、それを当の本人から指摘されることが、妙に気恥すかしい。

「ふぅん、そうか」

 その声音は、何か落胆したかのような色を含んでいた。嫌だったのだろうか。それならそれで仕方のないことだが、悲しくもある。ほんの少し覚悟をしてから、棗さんの言葉を待つ。

「きしょいからもうあんな呼び方しないでくれ」
「あ、あなたって人はっ! よりにもよってそんな言い方はないんじゃなくて!?」

 それは、棗さんなりの、私への気遣いだったのだろうか。
 少なくとも、それきりいつもの私たちに戻れていたのは、確かだった。










 その日あったことの意味を考えているうちに、気付いたことがある。私が、彼女に甘い理由。
 構ってもらいたがっているのは、わがままな子猫ではなく、飼い主の方だった。


[No.395] 2008/07/04(Fri) 18:34:07
終電の行方 (No.388への返信 / 1階層) - ひみつ

「僕さ、今まで一度だけ浮気しかけたことがあるんだよね」

 おそらく、それは鈴にとって突然の告白だっただろう。どんな顔をしているかなと、グラスの中で赤ワインを転がすのを止め、顔を上げる。理樹がその顔を形容することはなかった。鈴は自分の両腕を枕にして、テープルに突っ伏していた。シンとしたリビングに鈴の寝息が静かに沁み渡るように響く。
 明日も早いもんね、と苦笑いを零して理樹はグラスを呷った。先ほどの血迷った発言を赤ワインと一緒に飲み込む。一度出た言葉だが、聞かれなかった以上、別にいいだろう。結婚記念日に口にするには些か不謹慎な発言に思えた。一歩間違えば、離婚の危機だ。言うなら酔って理性が緩む前に言うべきだった。
 その後、ボトルを空けた理樹は片付けに入った。いつもよりほんの少し豪華な皿、めったに使わないワイングラス、それらがママレモンの泡に塗れていくと急に所帯じみた気分になった。タオルで手を拭くと、再び鈴の所へ戻る。肩を揺すりながら「こんな所で寝たら、寝違えるよ」と言うと、鈴はうみゃぁと猫のように呻いた。それを「放っておいてくれ」と解釈した理樹だが、放っておけるわけがない。
 溜め息を吐くと、お姫様だっこをして寝室まで運ぶ。こんなことをしたのは結婚式の日に周りに囃されて以来だった。もうあれから何年経っただろう。思い返しても、理樹はすぐに計算できなかった。
 鈴をベッドに横たえた後、部屋の窓を開けた。吹き込んでくる風が冷たい。雨が降っていたからだ。火照った体には丁度涼しかった。マイホームが田舎にあるせいか、六月ともなると、蛙と鈴虫がしきりに鳴いて五月蠅いぐらいだった。大学時代はそうではなかった。外から入ってくる音は騒音だけだった。――線路を走る電車の音。今はそれだけしか思い出せない。

「……僕さ、今まで一度だけ浮気しかけたことがあるんだよね」

 呑みこんだはずの言葉を吐き戻す。どうしても今言いたかった。ベッドに腰掛け、理樹は古傷をなぞるようにゆっくりと言葉を紡いでいった。


       終電の行方


 理樹と鈴、二人は大学時代、生活時間の殆どを共有していたが、ゼミだけはそれぞれ違う所に入ったので、例外となっていた。そこでできた友人もまた共通のものではないことが多かった。
 その日、鈴はゼミ仲間と旅行に行っていた。講義の無い土日を挟んで、一泊二日の温泉旅行。ゼミ仲間には理樹の知らない男もいる。いつも我がままを通すのように高圧的に言われれば、反発できただろうにその時は妙にしおらしく、まるで自分でした悪戯を告白する子供のようにこちらの機嫌を窺いながら、お願いをしてきた。彼女自身、悪いという意識はあったのだろう。理樹は入ったゼミのレポートが多くて辛いといつも愚痴を零していたし、鈴が旅行に行く日も休みを利用してレポートを仕上げる予定だった。鈴自身は温泉に興味があったわけではなかったが、何でもその旅行を通じて、あるゼミ仲間同士を付き合わせるという女性陣だけの裏の目的があったらしい。つまり、自身のためでなく、友人のための旅行。
 その辺りの事情を聞くと理樹も行くなとは言い難かった。言えば、鈴は旅行を行くのを取り止めるだろう。そして、裏表の無い鈴のことだ。行かなかった理由をゼミ仲間に問われれば、包み隠さず告げるに違いない。理樹が行くなって言ったから、と。そうなれば、自分の与り知らない所で心の狭い男だという噂が広がりそうだった。面白いわけがない。それにその日一緒にいた所でレポートにかまけて、大して構ってやれそうにない。結局、理樹は許可した。「何とか日帰りで帰ってくる!」と鈴は嬉しそうにしていた。

「あっついなぁ……」

 額を拭うと汗に濡れていた。夏が近づいている証拠だった。この季節になってくると、長めの髪が鬱陶しくなってくる。自分でさえこうなのだから、長髪の鈴どうなのだろう。何年もあの髪で過ごすと慣れるのだろうか。レポートに疲れて、無駄なことを考えた――そんな夕暮れ時のことだった。
 ピンポン、と調子の軽い電子音。宅配でも来たのかな、と理樹は腰を上げた。鈴の母からのお裾わけという補給物資がよく届くのだ。施錠を解き、扉を開ける。無表情で立つ人物を見て、目を丸くした。

「久しぶりね、直枝理樹」

 二木佳奈多、元風紀委員長。
 旧友との再会のはずなのにニコリともしない相手を見て、咄嗟に思い返せたのはそれだけだった。




 玄関先で何を話したか、理樹はあまり覚えていない。当たり障りのないことを言った気がする。玄関でいつまでも立たせておくのも問題だろうと部屋に入れたが、後になって、彼女と同棲してる身で別の女性を奥の部屋まで迎い入れることの方が問題だと思い至った。が、自分と佳奈多の分の麦茶をお盆に乗せておきながら、今さら出て行けとも言えなかった。混乱していた。
 コースターからコップを持ち上げ、半分近くまで飲み干す。テーブルに戻すと氷がカランと涼しげな音を立てた。溜め息を吐くと麦茶の香ばしい薫りが鼻を通った。少しだけ冷静になれた。

「何しに来たの? っていうか、何でここいるの知ってるの?」
「暇だから、遊びに来たのよ。ここを知ってるのは、年賀状の住所覚えてたから」

 佳奈多がカーペットを撫でながら、律儀に答える。
 昨年、鈴は何故か年賀状に目覚め、クラス名簿を引っ張り出して、方々に送っていた。佳奈多も高校三年の時に一緒のクラスになったので、送られたのだろう。この事態はある意味、鈴のせいでもあるが、返ってきた年賀状の懸賞で霜降り牛肉が当たり、理樹もたっぷり堪能したので、強く文句も言えない。

「表札に鈴の名前があったけれど、いないの? もしかして、別れたのかしら?」
「いやいやいや、普通に出かけてるだけだから」
「どこに?」
「温泉旅行に行ってるよ。当分は帰ってこないんじゃないかな」
「あなたは行かなかったの? 恋人なんでしょう?」
「気が乗らなかっただけだよ」

 鈴が日帰りで帰ってくるかもしれないことも、その経緯も説明するのが面倒で理樹は省略した。

「そう、それは好都合ね」

 何が、と訊ねる理樹の視線を受けて、佳奈多は答えた。

「無用のトラブルが起こらなくて済んだという意味よ」

 そうかな、と理樹は思った。別段、これまで鈴以外の女性と一緒にいたこともあるが、鈴が焼餅を焼いたことなど一度もない。流石に他の女性と二人きりになったことはないが、あの鈴がそう態度を変えるようには思えなかった。と、そこで最初の問いかけが未だ答えられていないことに気付いた。
 暇だから遊びに来たというが、高校を卒業して以来、佳奈多がここへ来たことはなかった。だからこそ、理樹も驚いた。理樹たちが高校生だった時分は、同じ痛みを知る者としてシンパシーを感じていたし、それ故に理樹と鈴、佐々美と佳奈多の四人は仲良くしていた。当人たちはどう言うか分からないが、理樹はそう思っている。夕食を四人で食べることもあったし、鈴と佐々美の喧嘩がじゃれ合いで済まないレベルになりそうなると理樹と佳奈多、二人で止めに入ったりもした。知り合いの知り合いから、友人にはなっていた。あるいは、気恥しさから面と向かって確かめたことはないが、親友と呼べるくらいにはなっていたかもしれない。
 当時なら突然、来訪してきても大して驚かなかっただろう。同じ寮生だったのだから。いや、やはり驚くだろうが、今のように戸惑いはなかった。とどのつまり、理樹は違和感を覚えていた。あの二木佳奈多が、連絡も脈絡もなく唐突にやって来るものだろうか。ここ数年、真っ当な近況報告すらし合っていないというのに。
 もしかすると、三枝葉留佳のようなトラブルメーカー気質が覚醒しただけかもしれない。姉妹なのだから、あり得ないとは言い切れないだろうなどと戯言を考えていると、無言の間に耐えきれなくなった佳奈多が口を開いた。

「テレビ、付けていいかしら?」
「え、あ、うん。いいよ、どうぞ」

 普段は鈴と激しいチャンネル争いをしているというのに、あっさりと理樹はその権利を譲渡した。テーブルの片隅にあるリモコンを佳奈多の傍に移動させる。佳奈多は礼を言うと、テレビの電源を付けた。佳奈多も特に見たいものがあったわけではないようで、適当にチャンネルを回すと、よくあるバラエティーの再放送ものに落ち着いた。

「あの芸人、この頃はまだテレビに出てたのね」
「え、佳奈多さん。知ってるの、この人? バラエティーとか見そうにないのに」
「一度だけ暇つぶしに見たことがあるだけよ。低俗且つ意味不明で、つまらなかったわ」

 佳奈多に言わせれば、全ての芸人がつまらないの一言で集約されるのではないか。思えば、高校時代、彼女が声を上げて笑っている所など理樹は一度たりとも見たことがない。

「第一、何らかの生産に寄与してるわけでもないのにお笑い芸人なんて職が成立してること自体、気に入らないわ。世俗に寄生して、媚を売って生きてるように見えるもの」
「……笑いを生み出してるよ」
「形の無いもので金銭を得るなんて、まるで詐欺のようね」

 佳奈多の口端がフッと嘲りにつり上がる。彼女のことは決して嫌いではないが、こういう笑みだけは好きになれなかった。

「でも、音楽家だって、形の無い物で金銭を得てるじゃない。物の生産に寄与してなくても、人の幸福に寄与しているよ」
「だから、お笑い芸人もいていいはずだってこと?」
「少なくとも、僕には大勢の人を笑わせるなんてできないし、佳奈多さんもできないでしょ」
「できないわね。……個人的な感情は兎も角、己には無いスキルを持つ人間は認めるべきかしら」

 奇妙な気分だった。いつもこういう下らない世間話は鈴と行っているのに、今は佳奈多と行っている。しかも、ぎこちなさも感じない。高校時代、二人っきりで話したことなどないはずなのに。単に信頼の素地が高校時代に出来上がっていたからだと分かっていたが、鈴への罪悪感が募る。リモコンと共に彼女の居場所まで譲ってしまったような錯覚を覚えたからだ。
 佳奈多は更にチャンネルを回し、料理番組で止めた。キスの天ぷらがブラウン管に映っていた。

「何か、お腹が減ってる時にこういう番組見ると、空しくなってくるなぁ」
「あなた、まだ夕食、食べてなかったの?」
「え、まだだけど」

 そう、と佳奈多は呟くと、リモコンでテレビを消した。テーブルに片肘を突きながら、理樹に問う。

「ねぇ、直枝理樹。ところであなた、やっぱり鈴と一緒に料理作ったりするの? 二人暮らしだし」
「うん、まぁ一応。交替制で、って言っても、実際には僕が作ることが多いけど。おかげで、今じゃ一通りの料理は作れるようになったよ。……それがどうかした?」
「作ってくれないかしら。私もまだ夕食、食べてないのよね」
「えぇー、いやいや、何でさ!」
「別に作ってあげてもいいけれど、気が引けるじゃない。恋人同士の生活空間に踏み入るのって」

 既に踏み入っておきながら、何を言っているのだと理樹はツッコミを入れかけたが抑えた。

「大体何でここの台所を使うのが前提なのさ。外食すればいいじゃないか」
「この辺、大学生が多いようだけれど、そんな中を出歩いたら、大学で妙な噂が立つんじゃない?」
「いや、同伴が前提なのもおかしいでしょ。別々にここを出て、違う所で食べればいいじゃない」
「別々にここを出る辺りが、何だかラブホテルでの不倫の鉄則みたいね。卑猥ね、卑猥だわ」

 理樹は佳奈多と言葉を交わすのが段々億劫になってきた。鈴とはまた別種の疲れだった。

「分かったよ、作ればいいんでしょ。何かリクエストはございますかー」
「パスタ、お願いできるかしら。できれば、シーフード風の」
「分かりましたー。しかし、食材がありませんので買いに行って参りますー。少々お待ち下さいー」
「投げやりなのが気になるけど……悪いわね。外、出かけたくないのよ」
「まぁ、今日は暑いからねー」

 六月というのに、その日は妙に暑苦しかった。理樹も暑い中、歩いて大学まで行くのが嫌で、自宅でレポートを仕上げているのだった。そろそろ、押し入れから扇風機を出す時期かも知れない。デザートにオレンジ据えてやろうか、と靴を履きながら、半ば本気で思ったが後が怖いので、実行するのは止めておいた。
 ドアを開ける瞬間、ガラリとベランダの窓が開く音がして、振り返る。

「開けていいわよね?」
「でも、そこ開けると、たまに来る電車の音が五月蠅いよ?」

 開けた方が風が吹き込んで涼しいが、騒音のデメリットがある。だから、レポートに集中したかった理樹は閉めていたのだ。窓を閉めれば聞こえなくなる程度のものだが、数分ごとに鳴るので五月蠅い。理樹が忠告して数秒後、早速、カタンカタンと電車が通過する音が部屋に届いた。

「別に構いやしないわよ、このぐらいなら。あら? これ……」

 佳奈多が手を伸ばし、窓の端にあるガラス細工に触れる。

「ああ、それ。縁日で買ったんだよ。夏が来たら暑いからね、ここ。クーラーがないこの部屋にせめてもの慰めだって、鈴がね」
「そう、風流ね」

 手を放すと、それはくるくると回りながら、リリンと涼し気な音を立てた。金魚が描かれた風鈴。しかし、それは電車が線路を走る度に掻き消えてしまう。理樹と鈴、二人揃って失念していたことだった。




「え、何やってるの?」

 近くのスーパーから、帰った理樹の第一声がそれだった。
 ナイロン袋を床に下ろし、靴を脱いでリビングの方へ目をやると、そこには木製とおぼしき、細長い直方体を指先に摘まむ佳奈多がいた。端的に言えば、ジェンガで遊んでいる佳奈多がいた。

「見ての通り、遊んでるのよ。私がジェンガで遊んだら悪いのかしら?」
「いや、悪くはないけど、シュール過ぎるというか。何があったの?」
「別に。礼代わりに掃除した後、押し入れで見つけたから、暇潰しに。昔、これで遊んだことあるのよ。あの子、そそっかしいからすぐ倒して――」

 ふと佳奈多が表情を緩めた瞬間、穴ぼこだらけの木の柱を倒してしまった。幾つものパーツがテーブルの上を跳ね、落ちていった。零れ落ちたパーツを佳奈多が拾い集める。

「それって、葉留佳さんのこと?」
「昔の話よ。ずっと昔の、ね」
「佳奈多さんにもそんな過去があるんだ。ちょっと意外」
「そんなことより、押し入れの中、こういうので溢れてたけど、どれか捨てるなりして、整理したら?」
「あー、野球盤とかね。それはちょっと僕もそう思わないでもないんだけど」
「埃も被ってたし。そんな毎日、鈴とそれらで遊んでるわけじゃないんでしょう?」
「うん、でも、それ全部……元は恭介の物だからさ」

 パーツを拾う佳奈多の手が止まった。そう、と呟くと最後のパーツをテーブルに置いた。

「悪かったわね。故人の遺品で勝手に遊んだりして。そんな資格もないのに」

 理樹は吹き出した。慌てて、手で覆ったが遅かった。案の定、佳奈多は剣呑に睨みつけていた。

「何がおかしいのよ」
「いや、だって。そりゃ、確かに大事な物には違いないけど……オモチャだしね。遊びたい人が遊べばいいと思うよ。資格とか大仰なこと言わずにさ。恭介も仕舞われてるより、遊びに使ってくれた方が喜ぶと思うよ」
「そうかしら」
「そうだよ、きっとね」
「あなたが言うなら、そうなんでしょうね」

 佳奈多は再び、ジェンガを組み立て始めた。

「あぁ、そう言えば、掃除したって言ってたけどそんなに汚かった?」

 部屋を見回す。理樹には出かける前と大して変わったようには見えない。

「心配しなくても、物の位置は動かしてないわよ。もうちょっと小まめに掃除したら?」
「これでも週一でやってるんだけど……」
「カーペットにポテトチップスの食べカスが落ちてたわ。それとあなた、かなりの間、テレビのコンセント付けっ放しにしてるでしょう。埃まみれになってたわよ。出火の原因にもなるから今後気をつけなさい。それと水回りは小まめに拭くことね。洗面台、水垢がついてたわ。本当はカーテンも洗いたかったけれど、あなたタバコは吸わないみたいだし、それはいいわ。けど――」
「あー、はい。今後気をつけます。今からパスタ作るから、ちょっと待ってて」

 説教が続きそうだったので、台所に逃げ込んだ。
 それ程時間を空けてないが、佳奈多は一体どこまで掃除したのだろうと清掃能力の高さに理樹は畏怖した。カーテンを洗う? そんなこと理樹同様、鈴も想像しないことだ。佳奈多が元風紀委員長であることをつくづく思い知る理樹だった。あまり行儀のよろしくない鈴も彼女に攻められて、困った顔をすることが多かった。変わってないかと思えば、風鈴のことを風流と評したり、ジェンガで遊んだりと変わったと思う所もある。雑念混じりで作ったシーフードパスタは「食べられるわね」と佳奈多に評された。一応、気を遣ったのだと最大限、好意的に解釈した。
 やがて、部屋に電気を点ける頃になったが、佳奈多はまだ帰る素振りを見せない。子供ではないのだから、帰り時ぐらい自分で分かるだろうと理樹は特に何も言わなかった。別段、一緒にいるのは不快ではなかった。遊びに来たと言ってるのだから退屈させてはなるまいと、シーフードパスタを食べ終わった後は、話題探しにテレビのチャンネルを回したが、それも尽きた。内心、雑巾を絞り切るような心境で別の話題を探したが、やがて、そうして一人で四苦八苦してる自分が馬鹿らしくなった。そもそも、理樹が招いたわけでもない。今はただ佳奈多と同じテレビを無言で眺めていた。

「暇ね」
「まぁね」

 退屈なら帰れば、というニュアンスを含めて、テーブルに頬杖を突いたまま、理樹は言った。

「ジェンガでもしましょうか?」
「え?」

 テーブルの向こうに座る佳奈多の手には、木製の小さな直方体があった。

「いいよ。でも、ただやっても詰まらないだろうし、何か罰ゲームでもつけない?」
「なら、負けた方が勝った方の言うことを一つ聞くっていうのはどう?」
「それって勿論できる範囲でだよね?」
「当然でしょう。出来もしないことを言うなんて、馬鹿のすることよ」
「オッケー。じゃ、罰ゲームはそれで。時間もあるし、三回勝負でやろう」

 二人はパーツを組み立て、スタートの状態を作り上げ、ゲームを開始した。
 成人した人間が今更ジェンガなんて、という考えが過ぎらないでもなかったが、理樹は経験している。どんな遊びでも真剣になれば、面白いのだ。特に罰ゲームなどというマイナス要素を付け加えると俄然真剣にならざるを得ない。
 理樹と佳奈多が思い思いの場所をキツツキのように突いて、パーツを少し出すとそれを丁重に抜き取っていく。テレビを見ていた時と同様にお互い無言だが、そこにある空気は張り詰めている。
 理樹が下段のパーツを突く。固い。簡単には取れない感触だった。むしろ、突いた衝撃で全体が揺れ、思わず声を上げそうだった。揺れが納まると溜め息が漏れた。既に取り易い上段は最低限、木柱は穴だらけで、勝負は終盤に差し掛かっている。ここからは更に集中力が求められるだろう。深呼吸を一つする。僅かに出た所を爪先で摘まんで、慎重さ以外を忘れたような牛歩の速度で抜いていく。

「私、実はレズなのよね」
「はぁっ!?」

 驚いた時にはもう遅かった。バランスを崩したジェンガはもう立ち直る気配もなく、横倒しになった。

「ちょっ、そんな妨害ありなの!?」
「私はただ喋っただけよ。言論の自由は尊重されるべきでしょう?」
「いやいやいや、今のは自由過ぎるでしょ!」
「勿論、嘘よ。むしろ、動揺される程、信憑性があったことがショックだわ」
「いや、まぁ、その……ごめん」

 悔しかったが、理樹は同時にやられたとも思った。上を行かれたという感じ。理樹は丁重に抜き取ることしか考えてなかったが、佳奈多はそうではなかった。もしも、リトルバスターズ内での遊びなら、今の判定は間接的な妨害は想定して然るべきだったということでアリだっただろう。
 そこから先は集中力に加えて、何を言われても動じない精神力が求められた。そう言えば、昔、同じような方法で動揺を誘うキャッチャーがいたっけと理樹は漫然と思ったが、すぐに切り替える。油断して勝てる相手ではない。佳奈多が動揺しそうな発言とは何なのだろうか。

「僕、実はゲイなんだよね」
「そう、せめてバイなら鈴も救われたでしょうにね」

 二番煎じの上、切り返された。肉を切らせて、骨まで断たれたといった所だった。もしかすると負けるかも知れない。嘆息して、時計を見上げた。時刻は既に午後十時を射していた。

「鈴、遅いなぁ。ちゃんと帰ってくるのかなぁ」

 ガシャという音を耳にして、理樹が首を前に戻す。ジェンガが崩落していた。

「……あなた、鈴は温泉旅行に行っていると言ったわよね? 当分帰ってこないんじゃないの?」
「そうだけどさ。面倒だから言わなかったけど、ちょっと事情があって……」

 鈴が温泉旅行に行った経緯を話すと、佳奈多はそう、とだけ呟き、苦々しく表情を歪めた。

「何で倒したの?」
「電車の音に驚いただけよ」

 確かにカタンカタンと部屋に響いている。が、それは何時間も前からそうなっているものだ。電灯で虫が入ってこないかとも思ったが、網戸があるし、暑さの方が不快だったので、そうしていたのだが、電車の音が驚く原因になるものだろうか。理樹は少し考えたが、勝つには勝ったので数秒後には気にしなくなっていた。
 ラストゲームの終盤、再び佳奈多の妨害が始まる。

「ねぇ、直枝理樹。あなた、電車は好きかしら?」
「まぁ、人並にはね」
「私は嫌いだわ。自由が無いもの。結局、あれは線路を進むか戻るかしか、選べないでしょう?」
「他にもあるよ。何所でも降りていいし、乗る電車を選ぶ権利もある」
「そうね。私はその権利を行使して、あなたのいる町まで来たんですものね」

 パーツは半分近くまで抜けた。後、もう少しで安堵が得られる。

「でも、それが乗りたくもない新快速だったらどうする? 」
「え、何、どういうこと?」
「そうね、発車ギリギリで誰かに背中を押されて乗ってしまったとしましょうか」
「それ、恐いね。うーん、でも、電車の下敷きになったわけじゃないし。諦めるかなぁ」
「そこが満員状態で、痴漢だらけの最悪の電車で有名だとしても?」
「いや、僕、男だし。あんまり関係ないね」
「あなた、女顔だから、間違えて狙われるかも。逆に痴漢に間違われたりしてね」
「うわ、それはちょっとごめん被りたい」

 途中で引っかかる。ジェンガのパーツは微妙にそれぞれ凹凸があるのだ。

「ねぇ、直枝理樹。あなたなら、どうする? もしも、そんな電車に乗ってしまったら」
「他の車両に移るかな」
「ダメよ。壊れて開かない。もしくは、満員状態であなたは動けないわ」
「何それ。滅茶苦茶、理不尽じゃないか」
「そうね。でも、私はそんな理不尽な電車に乗って来た。そして、これからも……」

 訳の分からない物言いに理樹は一瞬だけ、視線を佳奈多に向けた。集中力が途切れ、ジェンガがぐらつく。ギョッとしてパーツから指を放す。持ち直せる範囲内のブレだった。もしや、遠回しの罠だったのかなと理樹は疑い、彼女に会話の主導権を持たせると危ないと判断した。再びパーツを抜き出しながら、声をかける。

「所でさ、こんな夜遅くまでいていいの?」
「よくはないでしょうね。私、明日結婚式だもの」
「っ!」

 強烈なカウンターに心の波風が立つが何とか受け流す。そういう攻め方もあるのかと理樹は舌を巻いた。

「ふぅーん。そっか、結婚か。それはめでたいね。おめでとう」
「別にめでたくなんかないわ。そこに私の意思があるわけでもないし。私の家が血に拘ってるのは知ってるでしょう? 成人するまでって言って逃げて来たけど、もう駄目。いよいよ、子を産む道具として扱われる時が来たわけだけど、それが嫌で嫌で堪らなかった私は、とうとう逃げ出した。それだけのことよ。今頃、叔父たちは血眼になって探し回ってるでしょうね」
「なるほど。つまり、今の僕は佳奈多さんを匿ってることになるのか」
「えぇ、本当に感謝してるわ。直情的に行動したから、他にアテもなかったし」
「あぁ、そっか。外食するの嫌だって言ったのも、そういう事情があったんだ」
「そうよ。ここ、地元から大分離れてるけど、万が一ってことがあるもの」
「ハハ、もしも、ここにいるのがバレたら、僕、凄い目にあわされそうだなー」
「血筋に関してカルト宗教染みた執念抱いてるもの。鈴がいなくて好都合だと思ってたのに……」

 まさか今日にも帰ってくるだなんて、と佳奈多は爪を噛んだ。卓越した演技だった。ブラフにもリアリティがある。あり過ぎると言ってもいいぐらいだ。現に理樹はこれが佳奈多の作戦だと分かっていても、息が乱れ、冷汗が吹き出し、手が震えだしている。ぐらり、ぐらり。ジェンガの揺れが中々治まらない。理樹の精神そのままを映したかのようだ。チラリと上目遣いに佳奈多を窺いながら、理樹は訊いた。

「あのさ、嘘には真実を混ぜると良いって言うじゃない。……今の、どこまでが本当?」
「全部よ」

 ガシャンと、ジェンガが倒れた。

「私の勝ちね」
「いやいやいや、そんなこと言ってる場合じゃないでしょ! 何で最初に言ってくれなかったのさ!」

 理樹はバンとテーブルを叩いて、勢い良く立ち上がった。

「言ったら、どうしてくれた?」
「そ、それは……どうにかしたさ」
「あなたの取り乱しようを見てると、どうにかしたというより、やらかしたって感じになりそうだけど」

 言葉が詰まる。そうかもしれない、と自分でも少し思ってしまったからだ。何故だか分からないが、頭の中心がズキリと痛み、顔を顰める。急に立ったので、立ち眩みを覚えたのだと理樹は思い、もう一度座り込んだ。暢気に胡坐をかくのも気が引けて、正座になってしまった。

「でも、どうするのさ、これから……」
「そうね。鈴が当分いないなら、もうちょっと匿って貰おうかと思ったけれど、万が一見つかった時のこと考えるとそうもいかないだろうし、出て行くわ」
「いや、鈴なら話せば分かってくれると思うけど……って、僕はどうでもいいのか」
「仮にも男でしょう。顔は女みたいだけど」

 最初と最後が余計過ぎる、と言おうとしたが、佳奈多は既に立ち上がりつつあった。せめて、駅までは送ろうと思い、理樹も立ち上がる。玄関に向かう途中、佳奈多がふと立ち止まって、振り返る。

「そう言えば、罰ゲームどうしましょうか」
「何なら、それを『私を匿いなさい』にすればいいんじゃない?」

 冗談のように言ったが、本当にそう言われれば、そうするつもりだった。無いとは思うが、鈴がもし反対するなら、全身全霊で拝み倒して首を振らせてやっても良いとさえ、理樹は思っていた。拝み倒す以外方法がないの少し情けないと我ながら思ったが。

「それもいいけれど……そうね。『私と一緒に逃げて』って言ったら、どうする?」

 再び言葉が詰まった。やはり手強い。理樹の常に上を行く。だと言うのに何だか頼もしくて嬉しかった。佳奈多なら本当に血の呪縛から、逃げきってしまいそうな気がした。

「出来もしないことを言うのは、馬鹿のすることなんじゃないの?」
「そうだったわね。馬鹿ね、馬鹿だわ。きっと、本当はあの子以上の大馬鹿なんだわ」

 クッと佳奈多は口角を上げた。彼女は他人を卑下するが、それ以上に自分を卑下する。そういう悲しさを持つ女性だと、理樹も薄々気付いていた。おそらくは、ずっと前から。

「ねぇ、直枝理樹。あなたへの罰ゲームの内容、決めたわ」
「あんまり無茶なの言わないでね。それと、痛いのとか」
「痛いのはむしろ、私の方じゃないかしらね」

 それってどういう意味、と理樹が訊ねるより前に佳奈多は言った。


「『私を抱きなさい』っていうのは、どうかしら?」


 時間が一瞬、凍り付いた。

「いや、そういう冗談を真顔で言うの、やめて欲しいんだけど、色々焦るから」
「さっきのは冗談だけど、今度のは本気よ。あなたには鈴がいるもの、私と一緒に逃げるなんてことできるわけがない。でも、抱くだけならできるでしょう?」

 佳奈多が歩みに合わせて、理樹が退いた。そこから奇妙な行進でもするように、移動していく。

「だ、抱くって、ほら、何!? 抱き締めるって意味!? そ、それなら何とか努力してみるけど!」
「二十歳になる女がそんな意味で、同世代の男に使うわけがないでしょう?」
「いやいやいや、これはもう、できる範囲を超えてるって!」
「不能ってわけじゃないんでしょう? コンドームもあったし」
「僕が買い出しに行ってる間に、何を見つけてるんだよ!?」

 しばらくそうしていたが、人間は本来後ろに歩くようにできてはいないため、理樹は蹴躓いて尻もちをついた。それでも後退りしていくが、やがて追い込み漁のように壁際に追い詰められた。佳奈多の影が理樹を覆う。理樹の頭の両脇に佳奈多が手をつき、逃げ道を塞ぐ。
 顔が、近かった。顎を上げれば、唇が触れ合いそうな程に。ミントの薫りが鼻腔をくすぐった。半開きになった唇から覗く白い歯や、首筋を伝い落ちる汗を見ていると気が変になりそうで、思わず目を逸らした。ぽたりとジーパンの上に黒ずんだ染みが出来て、理樹はハッと見上げた。
 佳奈多が泣いていた。あの二木佳奈多が。彼女の涙に理樹は完全に動転してしまった。

「別にあなたと鈴の仲を裂きたいわけじゃないのよ。鈴は私にとっても、大切な友人だもの。ただ……怖いのよ。怖くて怖くて仕方がないのよ。よく知りもしない男と結婚させられて、家の下らない執念のためだけに子供を孕まされて、産んで、用済みになるのが。これじゃ、私……本当にそのためだけに生まれてきたみたいじゃない。そんなの……嫌よ。絶対に、嫌! 私は、二木佳奈多は! そんなことのために生まれてきたんじゃない! 私にだってあるはずでしょう! 普通に恋をして、普通に結婚して、普通に家庭を成していく! そんな権利が!」

 理樹を逃さぬためについていた両手は、ガリガリと壁を掻くと力無く垂れ下がり、最後は佳奈多の顔を覆った。肩を震わせる彼女を見て、理樹は目を瞑り、これまでにない程眉根を寄せて葛藤した。
 何が一番、彼女のためになるのだろうか。望み通りにすることだろうか、それともそうではないのか。あるいは、第三の答えがあるだろうか。そうであれば、誰でも良い。今すぐ教えてほしかった。
 時間は、時計の針の音と共にただ過ぎて行って、それでも佳奈多の嗚咽は止まらない。両手だけでは到底受け止めきれず、肘から幾度となく雫が滴り落ち、フローリングの床が濡れていく。見るに見兼ねて、理樹は彼女の腰に手を回そうとした。――リリンと風鈴が揺れた。それはとてもよく似ていた。鈴がいつも髪につけている鈴の音に。嗚呼、やっぱり無理だなと理樹は感じた。

「僕に鈴は裏切れないよ。誓ったんだ、自分に。言ったんだ、鈴に。あの夕暮れの病室で。一緒に生きようって……だから、ごめんね。佳奈多さん」

 長い沈黙の後、佳奈多はそう、と鼻声混じりに呟いた。
 しばらくの間、泣き続け、ティッシュ箱を一箱空けた後、「いくわ」とただ一言だけ告げた。駅まで送ると理樹は言ったが、曰く、泣かされた男に送られたくないときっぱり断られた。理樹の記憶では自分で泣きだしたような気がするのだが、こういう時、男が何を言っても無駄だった。女の涙は男にとってはあらゆる理屈を引っくり返す強力無比な兵器だからだ。
 パンプスに履き替えた佳奈多が、玄関先で振り返った。

「ねぇ、直枝理樹。最後に一つ聞かせてくれないかしら?」
「何を?」
「あなたと鈴は、どうして付き合ってるの?」

 素朴な質問だった。しかし、それ故の難解さを秘めている問いでもあった。幼い子供がどうして、人は死んでしまうのかと問うてきたような、そんな質問。

「あなたと鈴は幼馴染で、二人だけがあの事故で生き残った。でも、あなたは棗恭介への義理や、周囲の目から、自分は『鈴と二人で共に生きなければならない』と。そんな風に心のどこかで、義務のように思ってるのではないの? あなたにも、別の女性と結ばれる権利があるはずなのに」

 理樹はしばし俯いて考え、そして、言った。

「僕は棗鈴という電車が好きなんだ。伸びていく線路は単調で、走る速度も歩くような速度で、見える景色も変わり映えしなくて、退屈で……時には寝てしまうかもしれないけど、でも、そんな風になることさえも好きなんだ。だから、僕はこれでいいんだ」

  その答えに佳奈多は眩しいものでも見るように目を細めた。その癖、口端はいつものように吊り上げていた。

「好きだと言う割には時間がかかったわね。それは本心なのかしら?」
「本心だよ。時間がかかったのはなるべく洒落た言い様を考えてたからさ。下手するとこれが最後になるかも知れないでしょ?」
「そうね。そうかも知れないわね」

 佳奈多は何所か遠くを見つめていた。

「後さ、僕からも最後に一つ聞いて良い?」
「何?」
「どうして……その、僕だったの?」

 多くは言わなかった。言う必要もないだろう。

「他に同年代の男の知り合いなんていなかったもの」
「あ、そうなんだ」

 安心したのか、残念だったのか、理樹にはよく分からなかった。

「フフッ、嘘よ。好きだったわよ、あなたのこと」
「えっ……」
「ただし、自分がどの程度、愛情を抱いてたのかよく分からないのよね。初恋だったし、何よりあなたにはもう鈴がいて、それであっさり諦められたぐらいだもの。大して好きじゃなかったのかもしれない。かと思えば、あなたになら抱かれてもいいとも本気で思っていたし。度し難いわね、我ながら」
「そ、そうなんだ。へぇー……」

 理樹は何とも言えない引き攣った笑みを浮かべていた。それを見て、佳奈多がクスリと笑った。

「感情に任せて色々口走ったけれど、良く考えてみれば、親友の恋人と肉体関係持とうとしてる時点で、異常よね。私には一生、普通の人生なんてあり得ないのかしら」
「そんな事ないよ! 佳奈多さんなら、良い人に会えるよ。きっと!」
「そうだといいわね。今日は会えて、良かったわ。……さようなら」

 そうして、佳奈多は去っていった。あまりに普通の別れ方なので、その時、理樹は根拠もなく、またいつか会える気がした。




 鈴が帰宅したのは午前零時半だった。
 随分と遅い帰宅に理樹は何度先に寝てしまおうか悩んだが、コーヒーを飲みつつ待っていた。途中、レポートのことを思い出し、慌てて再開し始めた。佳奈多の来訪という予想外の事態により、予定の半分も進んでいない。日曜日にやろうと思った時には既に日曜日だった。
 カッ……チャンと鍵を開ける音からして、既に日を跨いでしまったことを謝ってるようだった。外から電気が点いているのが見えたのだろう。キィと蝶つがいを囁かせながら、鈴が八の字にした眉で顔を覗かせる。

「理樹ー、起きてるのかー。何なら寝ててもいいぞー」
「何、その欠席した奴、手を上げろーみたいな確かめ方」
「何だ理樹! 何で起きてるんだ! ギンギンなのか!」
「ちゃんと目がって入れてね。卑猥に聞こえかねないから」

 コポコポとポットから湯を注いで、コーヒーを作りつつ、理樹は答えた。

「で、何でこんなに遅れたの? 中々帰してくれなかったの?」
「いや、それがある意味あたしのせいでもあるよーな。けど、良く考えたら、あたしのせいじゃない」
「まぁ、言ってみなよ」

 鈴が自分に非がある時はグレーカラーにしたがるのはいつものことだった。


「電車が遅れたんだ。――何でも、人身事故が起きたらしい」


 コーヒーを落としそうになった。まさか、と一瞬、空想じみた予想を思い浮かべた。

「それって何時!?」
「えぇっと何時だったかな。十一時過ぎぐらいだったよーな?」

 確か、佳奈多はその頃、既に出ていた。
 性質の悪い空想だと思った。コーヒーを呷る。苦い。砂糖を入れ忘れていた。慌てて入れる。スプーンニ杯半ぐらいが好きなのに、加減を間違えて三杯分ぐらい入れてしまう。動じている己が腹立たしかった。佳奈多はそんな柔な精神をしていない。だが、だからこそというのもあり得るのではないだろうか。現に佳奈多が泣き崩れるまでそこまで追い詰められてるとは気付かなかったではないか。
 佳奈多は言っていた。線路は進むか戻るしかない、と。理樹は言った。いつでも降りる権利と乗る電車を選ぶ権利がある、と。佳奈多はここで降りて、生きた人間が乗ってはならない電車に乗って何処か遠くへ行ったのではないだろうか。血の呪縛から永遠に逃れるために。妹に会いに行くために。あるいは死を選ぶことが、逃避であると同時に家への復讐なのではないか。三枝葉留佳が逝去し、二木佳奈多も同じく後を追えば、直系の血筋は絶える。自害するだけで復讐は成るということにならないだろうか。
 何故、悪い方にばかり整合していくのだろう。理樹は膝が笑い出すのを止められなかった。

「――! ――か!? ――!」

 鈴が呼んでいるが、理樹には遠い声に聞こえていた。頭が万力で締められるように痛い。この症状も久しぶりだった。自分は闇に落ちても、また元に戻る。だが、佳奈多はどうなのだろう。何か他にできたんじゃないだろうか。せめて、泊まっていくように言っていれば、こんな心配はせずに済んだのに。僕ハ、マタ、友達ヲ、見捨テタンジャナイダロウカ。アノ時ノヨウニ。









 理樹はこれまで鈴と様々なことを語り合ってきたが、この暗く重い空想だけは理樹の胸の内にずしりと横たわり、吐きだすことさえ叶わなかった。確かめることさえ、恐ろしかった。それが今、舌の上に乗せられるまで軽くなったのは、一通の絵葉書が舞い込んできたからだった。それを枕頭台の引き出しから取り出し、眺める。

 結婚記念日、おめでとう。

 それが油性マジックで書き加えられた文。絵葉書の写真は、電車の中で撮られたもののようであった。二人の女性が窓側に座り、流れる風景が真ん中に収まっている。片やモデルのように取り澄まして、片や照れくさそうに目だけこちらに向けて。二人の女性は、佐々美と佳奈多だった。
 おそらく、この家の住所を教えたであろう佐々美と何故一緒にいるのか。
 そもそも、この時期に何故『世界の車窓から』のような電車の写真なのか。
 そして――今、乗っている電車の乗り心地はどうなのか。
 今度会ったなら、色々と聞いてみよう。そう思いながら、理樹はベッドに入った。早く朝にならないだろうか。このことを早く鈴に話したかった。


[No.396] 2008/07/04(Fri) 21:00:42
Jumpers (No.388への返信 / 1階層) - ひみつ

「・・・そんなため息ばっかりつくなよ。幸せが逃げちまうぜ」


電話越しに恭介の声が聞こえる。
遠く離れてしまっても、いつも僕らのリーダーだった時と同じトーンで。
嬉しいはずのそれは、今は逆に僕を深く落ち込ませた。






― Jumpers ―










『相談があるから、仕事が落ち着いたら連絡が欲しい』
そう恭介にメールを送ったのが、今からわずか数時間前の事だ。


『仕事がだいぶ残っちまってるんだ。今日は長引きそうだが、必ず連絡するから待っててくれよ』
仕事の合間だろうに、直後にあった返事。
少しドキリとした。


相談したい、そういったのはこちらからなのに、今日は連絡が来なければいい、なんて思っていた自己矛盾に気付かされる。どちらにしろ、もう覚悟を決めねばならないようだ。


情けない、と思う。
こんな事で悩んでいる自分を、恭介はきっと笑い飛ばすだろう。
恭介ならばこんな事で悩まない。いや、きっとそこに悩む余地があることすら気付かないのではないか。


僕から恭介への相談。
それは紛れもなく、リトルバスターズに関わる悩みだった。





















「鈴の事か?」

開口一番聞いてくることは、恭介の大切な妹、そして僕の恋人である鈴の事だった。
やっぱり鈴の事がかわいくて仕方ないようだ。自然と笑みがこぼれる。

「大丈夫、鈴とはうまくやってるよ」
「だろうな。あんまり心配はしてないんだがな。なかなか深刻に困っていそうなオーラがメールの文書筋に出てたからな」
「いやいや、文書筋って何さ?」
「ま、それだけ分かりやすいって事だ」


頼ってくれるのは大歓迎だぜ!と前置きをした恭介は、いきなり核心部に切り込んできた。




「悩みがあるんだろう、リーダー?」


その一言で全てを察知されている事を知る。
ああ、何て鋭いんだろう恭介は。小さくため息をつく。
それを聞き逃してはくれなかった。




「・・・そんなため息ばっかりつくなよ。幸せが逃げちまうぜ」
「だってさ・・・」
「自信、ないのか?あの集団をまとめていく自信が」
「・・・うん」


リトルバスターズという集団には、何の不満もない。
だが、‘リーダー’という事にだけは引っかかりを感じていた。


卒業という、時間の流れによってもたらされるどうしようもない別れで恭介は学校を去っていった。次のリーダーを僕に託して。


最初はうまく出来ていた。そのつもりだった。
でも時が経つにつれ、ある綻びが見えてきている・・・気がしている。
それは、リーダーの力不足。


自分には、人を引っ張っていく能力が絶対的に欠けている、と思う。
さらに、行動力・リーダーシップに優れる前任者を長い間見てきている。
そもそも、僕がリトルバスターズに参加したきっかけだって、恭介が手を引いてくれたからだ。

手を伸ばせば届くどころの話じゃない。北極点と南極点ほどの距離感がそこにはある。





「何で僕は恭介みたいにできないんだろう・・・?」





途端、電話の向こうから弾けるような笑い声。
確かに良く笑う恭介ではあるが、こんなに笑うのは初めてかもしれない。
たっぷり5分ほどは、電話の向こうから笑い声以外聞こえなかった。



「悪い悪い。馬鹿にしたわけじゃないんだ」
―――ならなんであんなに笑うのさ?
そうでかかった言葉を、寸前で飲み込む。


何でもいい、何かヒントが欲しかった。そうすれば何かがつかめるかもしれない。
それだけを期待して、恭介の次の言葉を待つ。



「理樹、お前は俺になりたいのか?」

一転して静かな問いかけ。冷たいんじゃない、諭すような優しい口調。


「・・・うん。恭介みたいに、みんなを引っ張っていけるような人に、なりたい」

手を引かれる存在じゃなく、誰かの手を引いていけるような。


「理樹。お前は、お前だ」
口調とは反対の、突き刺さるような言葉。
「それは、僕には無理、ってそう言いたいの?」
「そうだ」


何も言えなかった。ただ全部を否定されたような気がした。
失意の中で、携帯を落としそうになる。



「でもな」

恭介の言葉は続いていた。

「俺だって、お前みたいにはなれない。これがどういう意味かわかるか?」
「・・・わからない」

小さく恭介が笑ったのが聞こえた。温かい笑い方。

「理樹、クイズだ。あの事故の時の、俺の願いは何だったか知ってるか?」
「・・・僕と鈴が、強く、生き続ける事?」
おぼろげだけど、覚えてる。恭介が、みんながしてくれた事。


「そうだ。あの時、俺たちは作ったんだ。願った目的地へ着くための道、いや、もっと言うと脱線できない線路、かな。そこ以外にはどこにも行けないよう組み上げたつもりだった」


願った目的地、それは悲しい結末だったろう。少なくとも僕と鈴にとっては。



「でもな、理樹」

そこで恭介は笑う。本当に嬉しそうに。本当に楽しそうに。

「お前と鈴は、列車じゃなかったんだよ」


―――理解が追いついてこない。



「それとな、今お前の周りにいる奴らもただの‘物’じゃない。―――そういうことさ」
「―――いや、恭介。まったく理解できないんだけど」
「ま、全部含めてのヒントだからな。すぐに分かる日が来るさ。そうすれば、今のお前が抱える悩みもなくなってるだろうよ」
「・・・だといいけどね」
「ま、クイズの答えは後日聞かせてくれ。大切な義弟の話ならいつでも聞くからな。そしてそれが・・・愛だ」
「いや、それはまだ早いよ・・・」

多分また何かに影響されたんだろう、良く分からない台詞に苦笑しながら電話を切る。



張り詰めたような深刻さは僕の中から薄れてはいったけど。
ものすごく難解なクイズだけ残されて、ちょっとブルー度が増した。














翌朝。朝食の場でも、僕の悩みは当然のごとく解決しない。
むしろ難解な問いかけでかえって混乱している僕がいる。
何がすぐ分かる日が来る、だ、あの(21)め、と呪いでもかけたくなってくる。


「どうした理樹?なんかため息ばっかだぞ?」
「うん、ちょっとね・・・」
「もしかして疲れてるのか?夕べ誘ってきたのはおまえじゃな」
「いやいやいやっ!今こんなところで言うことじゃないからね、鈴」



「お、何だ理樹。やけに疲れてるな」
「そうだぞ理樹。最近はずっとそうだが、今朝は特にな」
「・・・そう見える?」
「ああ、伊達にルームメイトやってないからな!」
「なんだとぅ!?お前よりも俺の方が理樹のことを良く見ているはずだっ!!」
「へっ!てめえには理樹の筋肉の嘆きは聞こえねぇよ!」
「いや、二人とも若干気持ち悪いからやめてよ・・・」
あ、落ち込んじゃった。



「おはよ〜理樹くん。何か元気ないねぇ。そんなときは〜、はいっ!お菓子をどうぞ〜」
お菓子を差し出してくる小毬さん。

「やっは〜理樹くん。およ?何か元気ないデスヨ。プリン食べますか?醤油かけて食べればうにの味デスヨ?」
相変わらず脈絡のない葉留佳さん。

「具合悪いのですか、リキ!?大丈夫なのですか!?よく効くお薬、持ってきますか!?」
心配しすぎでパニック起こしそうなクド。

「ふむ、確かに元気がないな。よし、部屋に戻っておねーさんが看病してやろう」
来ヶ谷さん、鈴が睨んでるから、すっごい睨んでるからやめて!

「体調が悪いなら栄養をしっかりとって休んでくださいね。出来れば恭介さんに・・・アリです」
西園さん、沈黙の間にはどんなストーリーが!?




みんな、よく見てくれてる。気付かれてたみたいだ。
勘がいい人、例えば来ヶ谷さんとかなら、もしかしたら悩みの原因も察してくれているのかもしれない。
それでも何も言わず、僕が話してくれるまで待っててくれるんじゃないだろうか。
そんなみんなの優しさが嬉しかった。
同時に、気を使わせている自分が不甲斐なくてしょうがなかった。


恭介の言葉を思い出す。


―――お前は、お前だ。

―――俺だって、お前みたいにはなれない。


一つ思った事。あれは、僕らしくでいいってことなのかな。
恭介なら、自分で解決できる。でも僕は出来ない。
だから、放っておいていいのか?
それは心配してくれているみんなに失礼だ。


なら、僕はどうしよう?



「ねえ、みんな」

―――だから僕は、

「相談があるんだけど、いいかな」

―――こうすることを選んだ。






















「理樹は、恭介になりたいのか?」

謙吾からの問いかけ。昨日の恭介からのそれがフラッシュバックする。


―――お前は、お前だ。


「恭介にも言われたよ。僕には無理だって」
「そうだな」
「でも、みんなを引っ張っていけるようなリーダーじゃないんだよ、僕は」
「まあ、それは確かにそうかも知れないが・・・。まあ、あいつは異常だからな」
「それでもっ!!」


すがるように叫ぶ。

―――僕にヒントをください。そう、祈るような気持ちだった。








「理樹、お前は誰かを引っ張っていけるようなリーダーじゃなくていいんだ」

―――え?

「輪の中心に理樹がいるだろ。だから理樹がリーダーなんだぜ」

―――どういう、ことだろう?





「ま、恭介はぐいぐい引っ張る型だけどよ。なにもそれだけがリーダーの素質って訳じゃねぇだろ」

「珍しく真人と同意見だな。少なくとも、現在のリトルバスターズの形はほとんどお前が組み上げたものだぞ、理樹」

「・・・あたしは、理樹とずっと一緒だ。今までも、これからも」

長い付き合いになっている3人からの心強い言葉。
ずっと共にいた人たちだからこそ、古くからの思い出を共有できる仲間だからこそ。
真人も謙吾も鈴も。無条件で信じようと思う。




「忘れないでね。私たちは、理樹くんが理樹くんだから一緒にいるんだよ〜」
誰よりもいい‘目’を持つ小毬さん。
僕のいいところ、いっぱい見つけてくれてるのかな?


「仲直りは理樹くんなしではできませんでしたヨ、ってはっきりいうとはずかしーー!」
姉の佳奈多さんとの和解を果たしてから、以前よりもっと楽しそうになった葉留佳さん。
ほんの少しだけでも、仲直りのために踏み出した一歩に貢献できたのかな?


「外れ者のコウモリさんを皆さんの輪の中に誘ってくれたのは、間違いなくリキです」
容姿と中身のギャップにコンプレックスを抱いていたクド。
故郷の事故、自身の問題、全部にとはいわないけど、いくつかの支えにはなれたのかな?


「感情の欠落した人形のような人物をも、誘ってくれたのは少年だぞ」
いつも通り、でも以前より柔らかい笑顔が増えた気がする来ヶ谷さん。
色んな表情を見せてくれるようになったのも、僕らの傍にいるからだって思ってもいいかな?


「日傘を手放せなかった私を、日向に連れ出してくれたのは直枝さんですよ」
日傘を差さず、太陽の下で静かに微笑むようになった西園さん。
今も自分の中にいるであろう大切な人と共に、これからも輪の中にいてくれるのかな?





大丈夫。大丈夫だ。
みんな信じられる。
なら僕は、みんなの中心になれている、そう自惚れても、いいかな。




恭介さんの言葉を引用するなら、とそう前置きして西園さんが話し始める。
僕はそれを静かに聴いていた。

「私達は、恭介さんの描いたシナリオでは、線路の‘枕木’や‘道床’など、そんな類のものでした。目指す目的地へ向けて、恭介さんが敷く‘レール’を支えるための、です」

「綿密に組んだはずだった脱線できないはずのそれを、しかし少年と鈴君は外れた。君たち自身が目指す目的地に向かうために」


―――ああ、そうか。

昨日の恭介の言葉の意味。
列車じゃなかった。僕らは、そのレールを外れた。




「僕は、みんなを連れて出れたのかな?」


みんなは、笑う。僕は、理解する。


「その通りだ。究極に言えば、‘物’でしかなかった俺達を、な」
「そんな事言わないでよ。‘物’だなんて」
「そんな状況もあったって事さ。今はもちろん違う」



じゃあ、今はなんだろうか。



「まあ、‘筋肉’でいいんじゃね?」
「真人はそれでいいかもしれないけど、僕は嫌だよ」
「何でだよっ!一緒でいてくれよ!!」
「美しくないです」
「ぐはっ!」
あ、真人が倒れた。


「あっ!‘鳥さん’なんてどうでしょうかっ?」
「あ〜!クーちゃん、それすっごくいいねぇ!」
「ふむ、確かにいい例えだな。中心は理樹君で我々はその周りを飛ぶ。編隊を組んだ鳥たち、というわけか」
「あ、姉御?ヘンタイ?変態デスカ?」
「それはきょーすけの事だろう。理樹はヘンタイじゃないぞ。夕べだって、それはそれはのーまるな・・・」
「鈴はそんな事話さなくていいからっ!あと二人とも、その変態じゃないからね!」


話にしろ何にしろ、脱線しすぎてるなぁと思う。
でも決められたレールを走るよりは、きっとずっと面白い。






でも、鳥かぁ。翼がないから、そんな遠くまでは羽ばたけないと思うけど。
目を閉じて、もっといい例えはないかな、何て考えてみる。


「どうした、理樹。まだ悩み事があるのか?」
「いや、さっきの例え。少なくとも僕は‘鳥’なんてそんな立派なものじゃないよ。だから、もっといい例えがないかなとおも・・・って・・・?」



視線は謙吾に注がれる。正確には、謙吾が胴着の上に羽織っている・・・。


「ジャンパー・・・」

「これか!?着たいのか!?」


一人嬉々として、「全員分を作ってきてやる!!」と意気込んでいる謙吾を横目に。


「Jumper、―――跳ねる者、ですか」
「なるほどな。謙吾少年のリトルバスターズジャンパーはともかく、相応しいのではないのか?」


うん。なかなか相応しい。
‘飛ぶ’ことが出来る翼はないけど、‘跳ぶ’ことはできる。
全員で。


僕らは、敷かれたレールの上は走らないよ。
その線路脇を、跳びはねながらみんなで歩いていく。
それが、僕をリーダーとしたリトルバスターズの形でいいと思った。













「そもそもだ、理樹がきょーすけみたいになったら・・・」
鈴が腕を組んで考えている。
想像しているのだろうか。あ、すっごい嫌そうな顔に。

「理樹、短い付き合いだったな」
「何か色々ツッコミどころがあるけど、とりあえず僕は僕のままでいくからね」
「・・・そうか。きょーすけな理樹なんて、かなりきしょいぞ」
ああ、兄の想い妹知らず。ひどい言われようだ。
何だかんだで鈴を心配している恭介は、いい兄だと思うんだけどなぁ。

「想像するだけで破滅的だな」
・・・ああ、もうフォローは間にあわなそうだよ。ごめん恭介。

「だって、(21)でヘンタイだぞ」

―――そんな僕、僕だってイヤだ。















その晩、恭介へメールを送った。

送信したのは、たった1文。
『ヒント、すごく分かり辛かったよ』

行間には、最大限の『ありがとう』を隠して。




受信したのも、たった1文。
『お互い様、だろ?』

携帯のディスプレイ越しの、恭介の快活な笑顔がイメージできる。

・・・やっぱり、恭介はすごいって思った。


[No.397] 2008/07/04(Fri) 21:00:54
海上列車 (No.388への返信 / 1階層) - ひみつ

 ガタン、ガタン――。

 列車の揺れが心地良い。
 わたしは読み終えた文庫本をぱたんと閉じ、鞄の中にしまった。
 座席の背もたれを傾け、そこに深く身を沈める。自然と口からため息が零れた。
 長い間活字を追っていたからか、目が疲れている。閉じた瞼の上から目頭のあたりを軽く揉む。
 しばらくそうしていたが、あまり効果はない気がする。ふと『目が疲れたときは遠くの景色を眺めると良い』という話を思い出した。
 上体を起こし、閉じていたカーテンをさっと開ける。途端に差し込んできた強い夏の日差しに目を細めた。
 手をかざして日差しを遮りながら目を開けると視界に飛び込んでくる、一面の青。
 車窓から見える景色の上半分は空によって青く染められ、下半分もまた海によって青く埋め尽くされていた。





海上列車





 今の学校に入学してから三ヶ月と少し、長期休みに入り、寮から実家へ帰省する際、わたしはわざと若干の遠回りになる路線、この海上列車を使って帰省していた。
 海上列車と一口に言っても、様々な型のものがある。海の上に高架橋を架け、そこに敷いた線路の上を走るもの。海に挟まれた砂州に線路を敷き、その上を走るもの。海面すれすれの高さに桟橋を作り、その上に敷かれた線路を走るもの…。
 今わたしが乗っているのは三つ目、海面すれすれに作られた桟橋の上を走る型の海上列車だった。
 わたしはこの型の海上列車が好きだった。窓から見下ろせば間近に広がる海の青。窓を開ければ漂ってくる潮の香り。この型の海上列車が最も海を近くに感じられた。
 主要線から外れたこの列車に乗る人間は少ない。車内を見回しても乗客の姿は疎らで、空席が目立つ。
 車両の中には、数少ない乗客の交わす談笑の僅かな声と、列車が揺れるごとごとという音だけが響いていた。
 列車の中での時間つぶしにと鞄に入れてきた本は全て読みきってしまった。もう少し多めに準備してきても良かったかもしれない。
 しかし、今更言っても仕方のないことだ。わたしは窓の外に意識を向けた。
 列車は止まることなく走り続け、そのために景色もまた止まることなく流れていく。けれど相変わらず景色は空と海で覆われていた。
 窓枠についたレバーを握り、窓を半分ほど開いた。それと同時に吹き込んでくる海風。普段陸の上で感じる風とは違い、潮の香りを帯びていた。
 先程より大きくなった、車輪がレールを噛む音に混じって、ざ、ざ、と波の音が聞こえてきた。わたしは音の発生源である下の方へ視線を向けた。
 海面の細波は時折桟橋を越え、線路の上にまで届いている。波が通り過ぎて線路の上に取り残された水は車輪に巻き上げられ、透明なしぶきとなって散る。きらきらと日光を反射するそれは列車の足元に小さな虹を作り出していた。
 不思議だった。眼下に広がる海はこんなにも深い青なのに、そこから離れた途端に水は無色透明となり、そして透き通った水が舞い散ることで、青のみならず七つの色を持った虹が現れる。
 それが光の散乱や反射、偏光によって引き起こされたことだと頭で理解はしていても、不思議だという思いは消えはしなかった。
 不思議なのはそれだけではなかった。流れ行く景色を眺めていると、なんとも不思議な感覚にとらわれた。
 どれだけ列車が走っても、変わることなく広がっている空と海。本当にこの列車は進んでいるのだろうか。この列車は広大な空と海に包まれて、いつまでも同じ場所を漂い続けているのではないのだろうか。そんな錯覚をしそうになる。
 けれど、それはやはりただの錯覚だった。ぼんやりと車窓からの景色を眺めていたわたしの耳に、スピーカーから発せられたアナウンスが届いた。

「間もなく海上(みかみ)、海上ー。海上駅では20分ほどの停車となります……」





 海の真ん中にぽつんと存在する海上駅。島というよりただの大きな岩の上にあるこの駅で列車に乗ってくる乗客などいない。
 そもそも改札さえないここを『駅』と呼べるのかは甚だ疑問だが、言っても詮無きことなので便宜上『駅』と呼ぶことにする。
 周囲を海に囲まれたここに駅としての価値など無かったが、鉄道会社の事情でここに中継所のようなものが必要で、それでこの駅が作られたらしい。もっとも、詳しい事情までもは知らないが。
 それに、なんだかんだで乗客にとってもこの駅は必要なのだろう。この駅での停車の間、ほとんどの乗客は一度下車する。ある者は外の空気を吸うため。またある者は列車の中のように揺れたりはしない駅のトイレで用を足すため。またある者は駅の売店で何かを買うため。そしてある者は外の景色を眺めるため――。
 わたしもまた例外ではなく、愛用の白い日傘を携えて列車を降りた。
 車両からホームに下り立つと同時、眩しい日差しに包まれて目を細める。車両の外は先程窓のカーテンを開いたとき以上の眩しさだった。白い列車によって照り返された日差しもそれに拍車をかけている。わたしはいつものように日傘を開き、頭上に掲げた。
 今わたしが立っているホームの正面に当たる方向にはやや寂れた売店が、向かって右側の奥には駅舎がある。またその逆、向かって左側の奥、ホームの端にあたる方は海に突き出した岬のようになっており、そこには小ぢんまりとした展望台がある。わたしは正面の売店に向かって足を進めた。
 売店にはお菓子や飲み物の他に雑誌や文庫などの本も売っていたが、やはり品揃えはあまり良くなく、特にめぼしい本は見つからなかった。
 そもそもこの売店、あまり繁盛してはいないのだろう。あまり利用客の多くない路線の、駅というのも憚られるような駅にぽつんと建っている売店なのだ、無理もない。ペンキの剥げかかった柱の所々には錆が浮いている。営業を続けていることが既に僥倖なのかもしれない。
 わたしはペットボトルのお茶だけを買い、売店を後にした。

 わたしは展望台に来ていた。岬の突端にあたるここは一際潮風が強く、髪が勢い良く弄られる。前髪が目に入らないように除けながら展望台の中央まで歩み出た。
 展望台には私以外の人の姿は無かった。周囲にあるものと言えば設置されたベンチとゴミ箱、望遠鏡、あとは展望台の縁を覆う落下防止用の柵だけだった。
 望遠鏡が設置されているのは当然、それで景色を眺めろという意味なのだろう。しかし、私は望遠鏡を使う気になれなかった。自分自身の目で景色を見たかった。ゆっくりと柵の間際まで歩み寄り、その先へと視線を投げた。

 ――青い。

 それが、その景色を見て最初に頭に浮かんだ言葉だった。
 広がる空と海。それぞれに違った青さを持つそれらはしかし、どちらも等しく青く、等しく広大だった。
 海の上には、一本の線路が走っていた。わたしがつい先程まで乗っていた海上列車の線路。今わたしが眺めているのは列車の進行方向、即ちこれから行くことになる先だった。
 空と海の境界である水平線。その水平線まで、いや、水平線の更に向こうまで線路は真っ直ぐに続いていた。

 …わたしは行くのだ。この線路の先、空と海が交わる場所まで――。





「お客さん、そろそろ発車の時間ですよ」

 背後から声をかけられて、私は我に返った。振り返ってみれば、恐らく駅員であろう制服を着た男性がこちらを覗きこんでいた。
 この路線の本数は少ない。もし乗り遅れたら数時間は足止めをくらう事になるし、列車の中に荷物を置いたままなので尚更困る。
 そのあたりの事を見越した上で声をかけてきたのであろう駅員にぺこりと頭を下げる。

「すみません、つい景色に見入ってしまいました」
「ははは、まあお気になさらず。それにしても随分食い入るように見てましたね。何か面白いものでも見えましたか?」

 人の良さそうな笑みを浮かべて問うてくる。そんな彼に対し、わたしははっきりと答えた。

「はい。空と海が交わる場所が見えました」
「は…?」

 きょとんとした表情を浮かべる駅員。だがわたしはそれ以上は言うことなく、再びぺこりと頭を下げる。

「それでは、失礼します」
「あ、ああ、はい…良い旅を」

 何のことをいっているのだろう、と顔に書いてある駅員に背を向け、わたしは列車に向かって駆け出した。





 白を基調とした車体の列車に慌てて駆け込む。直後、音を立ててドアが閉まり、がたんとひとつ車体が揺れた後、列車は再び動き出した。
 わたしは先程座っていた座席に戻り、腰を下ろす。それとほぼ同時に、がが、とスピーカーから雑音が漏れた後、車両の中にアナウンスが響き渡った。

「えー本日は海上列車しらとりにご乗車頂きましてまことにありがとうございます……」

 この列車の名は『しらとり』。
 青空の下、海原の上、水平線の先まで続く海上線路を、孤独に翔けて行く白い一両の列車。
 それはまさに、あの若山牧水の歌に登場する白鳥の姿そのもの。

 ――このまま、あの空と海の交わる場所まで行けたなら。しらとりのように、何ものにも染まることなく孤独に在り続けることができたなら。

 ふと、そんな思いが過ぎる。しかし、それが出来ないことは分かっていた。
 わたしは、現実という名の線路の上を歩いているのだから。これまでもずっと、その線路の上を歩き続けてきたのだから。
 もし、その望みを叶えようとするのなら、現実世界のレールから脱線しなければいけない。
 しかし、そんなことが可能なのだろうか?
 可能だとして、その先には別の世界が存在するのだろうか?
 存在したとして、その世界ならば空と海の間まで行くことができるのだろうか?

 …考えても、答えなど出るはずも無かった。

 白鳥は哀しからずや空の青
 うみのあをにも染まず
 ただよふ

 何気なく外に向けた視線の先の遥か遠く、水平線の間際には一羽の白い鳥がゆったりと漂っていた。







※この物語に登場する線路、駅、及び列車は全て架空のものであり、実在するものとは一切関係ございません。


[No.399] 2008/07/04(Fri) 22:06:20
途中でレールが無くなったのに気づかずに突っ走った感じ? (No.388への返信 / 1階層) - ひみつ

「オウ、ジーザス」
 ベッドでいつものように寝る前に行う黒魔術的な儀式を始めようと思った時、所謂呪具的なものが消え失せてることに気づいて、僕は思わず外人になった
「どうした理樹。外人になってるぞ」
「ヘイ真人。僕のトレジャー・オブ・ジョイトイな雑誌がベッドの中から消えてるんだけど」
「難しいこと言うなよぅ。危うく俺の筋肉が逃げ出しそうになったじゃないかぁ」
 泣きそうになりながら筋肉を振るわせる真人はあまりにもかわいくて僕は眩暈がした。でも、今は真人のかいわいさを再確認している場合ではなくて、もっと大事なことがあった。
「えーと、僕のエロい夢が見れますようにという願いを込めて枕の下に置いておいた雑誌が無くなってるんだけど……」
「ああ、あれか。棄てたぜ」
「……パードゥン?」
「なんか汚かったからな。棄てておいたぜ」
「いや、そんな歯とか煌かせて親指とか立てられても僕は騙されないぞぅ」
 とても爽やかで、あまりの真人のカッコよさに僕は眩暈がした。でも、今は真人の指先の綺麗さを再確認している場合ではなくて、もっと大事なことがあった。
「感謝しろよな」
 あまりにも空気が読めない真人に僕は眩暈がした。真人のアホさを再確認したところで、どうしようもない怒りがこみ上げて来た。抑え切れない衝動は、溢れ出す煮汁のように、お鍋が噴きこぼしてしまったが如く、僕の口から放たれた。
「真人なんて鍛えすぎた挙句に、首周りの筋肉に埋没して窒息死してしまえ!」
「り、理樹!」
 そう吐き棄てて、僕は部屋を飛び出した。





『途中でレールが無くなったのに気づかずに突っ走った感じ?』





 飛び出したはいいけども、このまま外に居ても風邪を引いてしまうし、何より温かいお布団で毎日寝ることが夢である僕にとっては今の状況はとてつもなく死活問題だったりして、とりあえず泊めてくれそうで、且つ真人とも顔を合わせなくて済みそうな人物に電話をかけて、事情を話してみた。
「というわけで、今晩泊めて」
『馬鹿とか馬鹿のところに行け』
 電話口の鈴は冷たく言い放った。それでも僕は諦めなかった。
「恭介のところも謙吾のところも真人が来ちゃうじゃないか。今日はもう真人の顔を見たくないんだ!」
『エロ本棄てられたぐらいで、小学生か。あと、その発言なんかいやだぞ』
 その発言に流石の僕もムッとした。
「例えば、鈴の大切にしている猫の雑誌あるよね?」
『そ、そんなものは持っていないぞ』
「それ、棄てたよ」
『なに! ぶっ殺すぞ、このボケホモ野郎!』
「例えば、って言ったでしょ」
『ああ、そういえば』
 ホモとかそこら辺の発言は聞かなかったことにする。
「僕の気持ち、分かってもらえたかな?」
『うむ、分かったぞ。じゃあ、がんばれよ』
「うん」
『おやすみ』
 そう言って、鈴は電話を切った。寒空の下、鈴の『がんばれ』という言葉が僕の心に妙に沁みた。
「じゃなくて!」
 僕は再び鈴に電話をかけた。
『なんだ、また理樹か。もう夜も遅いぞ。辛いこともあるだろうが、逞しく育って欲しい』
「え? あ、うん。ありがとう」
『じゃあ、おやすみ』
「待って!」
『なんだ?』
「今晩泊めて」
『いやじゃ、ボケ』
「いいじゃん。幼馴染じゃん」
『幼馴染なら、あと三人ぐらい馬鹿がいるだろう』
「諸々の理由で鈴じゃないとダメなんだ!」
『えー』
「うあ、すごく嫌そうな声」
『いやだ。それに理樹の分の布団無いぞ』
「一緒の布団で寝ればいいじゃん」
『ブツン。ツーツー』
 僕は再び鈴に電話をかけた。
『この電話は電波の届かないところに』
 電源を切っていやがる。クソ! 鈴の癖に高度なテクニックを使いやがって。何が不満だというのだ。昔は一緒の布団で寝たし、一緒にお風呂にだって入ったじゃないか。鈴の身体はあの頃からひとつも成長していないから僕としては何も気にしないのに。寧ろ、不安があるといえば、鈴が一皮向けた僕の理樹ジュニアに驚かないかぐらいだというのに。しょうがない。こうなったら、実力行使だ。
 こんなこともあろうかと、無駄毛を永久脱毛しておいてよかった。女みたいな顔に産まれたことを神様に感謝する。あとは適当にその辺りに落ちているカツラを被って、その辺りに落ちてる化粧道具で適当に誤魔化せばOKだろう。その辺りにカツラや化粧道具が落ちているとか、とてもいい学校だと思う。カポリと頭にカツラを嵌め込み、ぬるりと化粧する。何処からどう見ても完全なる女体の完成だ。胸については、貧乳だらけの学校なので無問題。下手したらクドよりはあるし。女装しようと言ってもスカートを履いてる訳ではない。これなら変態扱いも無いだろう。あとは、堂々と女子寮に潜入すればいい。見てるがいい鈴よ。僕のことを粗末に扱った報いを受けるが良い。
「あ、理樹、くん?」
 クククとか含み笑いをしながら潜入しようとした矢先に、入り口でいきなりの難関が現れた。僕の馬鹿。知り合いに会うことを一つも想定していなかったなんて。もう死ね、僕なんて死ね。
「えーと、理樹、くん?」
 戸惑い気味に話しかけてくる小毬さん。そりゃあね。女装っぽいことしてたらね。ビビるよね。
「やあ、小毬さん。今日もおっぱい大きいね」
 やけくそだった。
「あ、その、あ、ありがとう?」
 顔を赤らめてお礼を言う辺り小毬さんオッケーイ!
「今日もいい天気だね!」
「う、うん。曇ってるけどね」
「HAHAHAHAHA」
 なんかもう色々と限界だった。
「理樹くん、髪伸びた?」
「た、たまに伸びるんだ」
「そうなんだ。女の子みたいだね」
「た、たまに取れるんだ」
「えー!」
「た、タマだけにね!」
 やけくそだった。
「じゃあ、逆に私にもついちゃうことが……」
「た、たまにね」
「えー! それじゃあ、小毬じゃなくてコマーリオになっちゃうの!?」
「た、たまにね」
 ブラジルの偉大なFWみたいな名前だなとか、どうでもいいことを思ってしまった。意外にもショックを受けているらしい。その隙に僕は女子寮へと潜入した。大成功だ。未だに入り口でブツブツ言っている小毬さんが少し怖いが。じゃあ、鈴ちゃんに私の……とかは聞こえなかったことにする。マジで。聞こえなかったからね! 鈴、ごめんね!
 




***





 という感じで、潜入には成功したのだが。
「鈴の部屋ってどこだっけ?」
 基本的にリトルバスターズの会合は僕と真人の部屋でやるし、たまに恭介の部屋に遊びに行ったりするのだけども、鈴の部屋はそもそもが女子寮にあって、まず、行く機会が無い。誰かに聞くにしても、まあ、とりあえず怪しい風体のこの僕が質問してきたとして、誰が答えてくれるだろうか。クラスメイトに会ったら最悪だし。というか、既に小毬さんに会った時点で最悪だし。
 ……まあいいか。気持ちの切り替えは大事だ。過去のことをクヨクヨと考えても仕方が無い。僕は未来に進む。あの明るい光の先へと。そのために、まず、今現在僕を阻む壁について考えよう。鈴の部屋がどこにあるか分からない。では、どうすればいいか。片っ端から部屋を訪ねるという手がある。しかし、それはリスク以外何も無い。正にハイリスクノーリターン。訪れた先が奇跡的に鈴の部屋だったとしても、鈴にバレバレだったらどうしようもない。じゃあ、誰かに聞くしかないのだけれども……。先ほどの小毬さんに聞くのが一番ベストだったなぁ、と悔やまれる。じゃあ、携帯で連絡すれば特に問題ないのでは。しかし、質問が「鈴の部屋ってどこか知ってる?」じゃあ、あまりにもあんまりだ。それでも誤魔化せそうな人。
 クドか。
 早速、物陰に隠れて携帯を取り出す。声を出すのは隠密行動をしている身としては憚れる。メールで連絡をとることにした。
『至急連絡ちょうだい! 鈴の部屋どこにあるか教えて!』
 どう見ても慌てている風に見える。これならばクド相手なら勢いで誤魔化せるだろう。あとは、連絡を待つのみ。
 ククク、鈴め。どうしてくれよう。日頃の酷い態度の恨みもある。鈴のしでかしたことの、後始末をするのはいつも僕だ。たまには僕の後始末を鈴にさせてやろうか。いやいや。とりあえず、鈴が寝ている間に布団に潜り込むとして、その後どうしようか。その寝顔に落書きをしてやろうか。そんなかわいいことでは済まない。額に米と書いてやる。敢えて、テリーマンだ。このチョイスは相当堪えるはず。
 とか、色々妄想していたんだけども、一向にクドからの連絡が来ない。うずうずしている僕としては、これ以上は待てない。以前、引越しの手伝いをしたことで、クドの部屋がどこにあるかは分かっている。しょうがない。一度クドの部屋に行こうと。クド相手になら、たまにとれるで誤魔化せるだろうし。周りを気にしながら抜き足差し足で向かう。もういっそ職業、忍でもやっていけるのではないだろうかと思われる惚れ惚れする忍び足である。と、クドの部屋に到着した。コンコンと部屋をノックする。しかし、返事が無い。中に気配があるのでいるはずである。寝てるのだろうか。だったら、起こす。意を決して、僕はクドの部屋の扉を開けた。
「だ、ダメです。佳奈多さん。これ以上進んだら……」
「怖いのクドリャフカ?」
「こ、怖いです……」
「大丈夫よ。全て私に任せなさい。かわいいわよ。クドリャフカ」
「ああ、佳奈多さん。私もう」
 パタリ。
 ……。
 うーん。クドも寝てるみたいだし。小毬さんに連絡しようかな。
 その後は、色々あった。もう語りつくせないほど色々あったので、ダイジェストでお送りする。
 鈴の部屋には、小毬さんが案内してくれるということになった。待ち合わせ場所は、一階の広場。ぼんやりと待っていると、しゃさしぇざわまさみさんが、おほほと現れたが、いつのまにか知らない間に身に付けたテクニックでギリギリながら撃退した。なんとか小毬さんと合流し、鈴の部屋に向かっていると、女子寮四天王の一人が現れた。これもとても危なかったが撃退した。とても危なかった。でも、奴は四天王の中では若輩者だとか言って、更に四天王の二人が現れた。あのときは流石に死ぬかと思ったけど、小毬さんのアレが出たおかげでなんとかなった。小毬さんのアレはすごいなぁ。そしたら、あいつらは四天王とは名ばかりとか言って、四天王最後の一人が現れた。僕のテクニックも、小毬さんのアレも通用しない絶体絶命のピンチだったのだが、来ヶ谷さんが助っ人に来てくれた。そして、来ヶ谷さんがとんでもないものを繰り出して撃退してくれた。とんでもなかった。とんでもなさ過ぎて、後は頼むといって来ヶ谷さんは倒れた。とんでもなく眠いと言っていた。僕と小毬さんは涙を堪えながら先に進んだ。空から、来ヶ谷さんが見てくれている気がした。更に十二神将とか、百人集とか現れたけど、なんとかした。なんとかなった。死屍累々。屍の山を築きながら僕と小毬さんは進んだ。その間に、葉留佳さんと西園さんが逝った。すげー眠いって言ってた。彼女たちのことは忘れない。そんなこともありつつ、傷つきながらも、僕たちは鈴の部屋に辿りついた。
「遂に辿りついたね」
「うん、大変だったね」
「あの時はやばかったね」
「うん。あの時もやばかったよね」
「やばかった」
 乗り越えてきた試練を噛み締めながら、僕たちは鈴の部屋の扉を、ヘブンズドアを開けた。
 扉の先には、鈴が布団を蹴飛ばしながら寝ていた。それを見て、僕の中にあった怒りは泡のように消えていった。風邪を引かないようにと布団をかけ直し、僕は窓から出て行くことにした。
「いいの?」
 そう小毬さんが問いかけてきた。
「うん、もういいんだ」
 その時の僕の顔はきっと今まで生きてきた中で一番いい笑顔を出来たと思う。だって、その時の小毬さんの笑顔が僕が見た中で一番輝いていたから。
 窓から飛び出して、僕はカツラを放り投げた。男子寮に戻り、水道で顔を洗い化粧を落とす。部屋に戻ると、真人が正座して待っていた。僕が言い過ぎたと謝ると、真人も俺こそやってはいけないことをしてしまった、と言っていた。
「もういいんだよ」
「理樹……。ありがとう。そして、ごめん」
「僕もごめんね」
 僕たちは、いつものように自分の布団に潜り、そして目を閉じた。きっと明日も明るいはずさ。





 次の日、鈴がげっそりとして小毬ちゃんがコマーリオとか訳の分からないことを言っていた。遠くにお肌つやつやの小毬さんが笑顔で歩いていた。


[No.400] 2008/07/04(Fri) 22:15:36
Re: ただ気の赴くままに… (No.388への返信 / 1階層) - 明神

僕は初めて自分から授業をサボった、理由は考えてみても特になかった気がする。

だけど、その日はサボってしまったんだ…



ただ気の赴くままに…


「何でサボったんだろう…」
僕は今考えていた、自分自身が今日授業をサボったことについてだ。
結論から言って今日僕が授業をサボる要素は一つもなかった、体調は普通むしろ良好に近い、最近に特にやましいことをした記憶もない、目立った宿題も今日はない予習もしたから別に授業についていけない心配もない。
「うーん」
唸ってみたところで何が解決するわけでもない、なら、一体何故僕はサボったんだろう…今のところ何のサボる理由も分からぬまま、校舎の影にひっそりとしていた
「むっ、少年こんな所で一体何をしているのかな?」
「来々谷さん…」
僕の後ろには来々谷さんが立っていた、そういえば、今の授業って数学だったっけ…
「むっ少年もサボりかね」
「うんそういうことになるね」
「少年がサボりとは珍しいな」
「僕もそう思うよ」
本当にそう思う。
「どうだい少年、おねーさんと一緒にティータイムと洒落込まないかね?」
「うん、いいよ」
僕は特に断る理由も無いので誘いを受けた


…来々谷さんに連れられてやって来たのは来々谷さんお気に入りのカフェテラスとも言える場所だった
「少年はそこにかけてくれ」
来々谷さんの指さした先にはイスが2つ置いてあった、普段来々谷さんしか使わない場所にイスが二つあるのかという疑問は置いといてだ。
「少年はどっちがお好みかね」
差し出されたのはミルクティーとレモンティーだった
「ありがとう。こっちをもらうよ」
来々谷さんからミルクティーを受けとる。
今ここには、爽やかな風が吹いていて絶好のティータイム日和だった。
「ふむ、そういえばまだ少年が授業をサボった理由を聞いていなかったな」
もう1つのレモンティーの缶を開きながら来々谷さんは言った
「何でだろうね?」
僕はこう答えた
「分からないのか?」
「うん、わからない」
来々谷さんは、そうかと言って少し考え始めた
「少年は自由が欲しかったのではないかな?」
少し考えてから来々谷さんは言い始めた
「自由?」
「そう自由だ」
そうだと言って来々谷さんは続ける。
「少年はある種レールの上を歩く人生を送ってきたんだと思う」
確かにそうかもしれない
「もちろんあの世界も一種のレールと見れるな」
修学旅行の事故の時に僕と鈴を強くするためぬに作られた世界…確かに一種のレールと言えなくもない
「まあ君たち2人は結果的に脱線したがな」恭介達のもくろみから外れたことからして確かに脱線したと言えるだろう。
「まあ、そのお陰で私たちは助かったのだがな、だが君はその時に『自由』と言うものを感じたんだと思う」
僕があの事故で自由を感じた?
「多分君はその時自分の意思と考えのみで動いていた、リトルバスターズ!にいるときは恭介氏や他のメンバーが先に動いていて君は常に引っ張られていたように見える」
…否定できない
「だが、あの事故の時は違う。その時君は自らの意思と考えで動いていた、恭介氏やリトルバスターズ!の面々抜きの君の100%純粋な考えのみだ」
「だけど、それはみんなが本当に死にそうだったから…」
「だったらそれは誰かに指示されてしたことなのかい?」
「違うよ」
「だろう?君は自分自身の考えを自分自身で実行したことによって無意識に『自由』を感じたんだと思う。そしてクラスのみんなを助けた時に無意識に自由感で満たされていたんじゃないかな?」
「わからないよ」
「その後、私たちには日常が戻ってきたが、君はその時『自由』を感じた、そんな君はこの毎日のレールに引かれた人生が学校みたいなレールが無意識に嫌になった」
「わからない」
「だから今日こんな風に形になって現れた」 「来々谷さんの言ってることはまったくわからないよ…ただ」
「ただ?」
「来々谷さんが言うように僕が自由を求めたっていうならそれも悪くないかもね」
「そうか、ならいつでもここに来るがいい、おねーさんは歓迎するぞ?」
「いつでもは無理だけど気が向いたらね」
「そうか」
「来々谷さん少しだけお願いがあるんだけどいいかな」
「なんだい?」
「少しだけここで眠らしてもらっていいかな?」
「ふふっ、駄目と言うはずがないだろう?」
「ありがとう」
優しい風が僕の頬を撫で、木漏れ日が僕を優しく照らす。
僕はこんな風になるならたまには気の赴くままにレールを外れるのも悪かないと思いながらまどろんでいった。


[No.401] 2008/07/04(Fri) 23:17:23
旅路(ちょっと修正) (No.388への返信 / 1階層) - ひみつ@遅刻したのですが『甘』でどうかorz

 足下が震えている。短くレールを叩く音と、うるさい割にさっぱり速度の出ないエンジンの音。街で日頃乗っている電車とは違う、不思議な感覚だ。
 僕は、ぼんやりと外を見た。
 右手には山が、左手には海が、険しい岩で線を引かれたその境目を、僕を乗せた一両き
りのディーゼルカーが走っている。
 駅を出るとすぐに家並みは途切れ、トンネルを抜けるとそこはもう別な世界だった。 ガタン、ガタン、短くレールを叩きながら、影の中に隠れるように、列車はゆっくりと進む。時折、エンジン音が岩にぶつかり、響き渡る。
 空は晴れているのに、雲なんて一本の飛行機雲だけなのに、線路のある所だけが暗かった。
 蛇行する線路の先は見えずに、それでもディーゼルカーは先へと進む。鈍く光るレールが二本、どこかへ向かって続いている。
 もしもこの先に線路がなかったとしても、気付かないんじゃないだろうか? あり得ないと思いつつも、変な不安が広がった。

 周囲に建物は見えない、線路以外に、人の手の入ったものなんてない。とても寂しい世界。
 山と、海と、岩と……ああ、星が一つだけ光っている、きらきら、きらきらと……

 深い水色に緑と赤のライン、ちっぽけなディーゼルカーは、そんな寂寥とした景色の中を、たった一人で進んでいく。


 


 たまに不安になる。
 固い絆、決して消えることのない友情、リトルバスターズ。
 だけど、僕たちはそれを永遠に持つ事ができるんだろうか?
 いつか、たった一人で歩く事になるんじゃないだろうか?

 奇跡が起きた、みんなが助かった。
 滅茶苦茶な悲劇は、それ以上に滅茶苦茶な奇跡によって救われた。
 だけど、僕たちはいつかは死ぬ。

 それは避けようがない事実。
 奇跡は二度は起こらない。
 リトルバスターズは一人減り、二人減り、みんないなくなる。

 みんな一緒じゃなきゃ嫌だ。
 ずっとずっとみんなでいたい。
 だけど、別れは必ず来るんだ。


  
 ディーゼルカーは着実に進む。規則正しいリズムと共に、力強い鼓動と共に。
 ひとりぼっちで、海と山の境目をゆく。



 いつか僕らは別れる。別れたくなくても、別れなきゃいけない。何も知らない世界を、たった一人生きていかなくちゃいけなくなる。
 このディーゼルカーみたいに、誰もいない世界をたった一人走る……寂しくても、辛くても、たった一人で生きていかなきゃならない時が必ず来る。
 その時に持つ強さは、一体強さなのか諦めなのか……でも、みんなと一緒にいる時間、その時間に、別れる時に強さを得なくちゃいけないんだ。
 いつまでも一緒にいたい。それはかなわない夢なんだろう。
 死んでも共に、そんな事なんかできるはずもない。だから、生きている時間を精一杯共に生きたい、みんなと一緒に……


 だけど……







「はぁ……勘弁してよ」
 思わずため息がもれる。
 素知らぬ顔をして我関せず作戦には限界がある事が判明。僕はどうしてもみんなを気にしないとダメらしい。
 そうだよね、どんだけ別れる別れる言っても、みんなと切れるのなんて無理なんだだよ、下手したら死んでも一緒だ。っていうか間違いなく死んでも一緒だ。
 この縁を切るのは奇跡だって無理だよ。あ、そっか、僕らが死ななかったのが奇跡なんじゃなくて、離ればなれにするよりはまだ生き残らせる方が楽だったんだろうね、奇跡の方も。ははは……笑えない。
 で、見ないようにしていた車内は、僕が目をそらし……もといはなしている間に、すっかり混沌としていた。

 小毬さんが座席の下に潜り込んでじたばたしてる、なんであんな隙間に入り込んだのかは謎だ。あとアルマジロだ、何がとは言わない。
 来ヶ谷さんは助ける振りして手つきが怪しい。痴漢ダメ、絶対。
 そして、鈴はそんな来ヶ谷さんを跳び蹴りで吹っ飛ばす。注意が全部アルマジロにいっていたらしい来ヶ谷さんは、空中に紅い線を引いて吹っ飛ぶ。そして激突。
 ちなみに、衝撃音と共に「むぎゅ」とかいう声が聞こえた、小毬さん……無事だといいけど。

 一方、謙吾も謙吾で酷い。

「謙吾くん、あーん♪」
「ははは、しょうがないなぁ。ああ、おいしいぞみ・ゆ・き、隠し味でもあるのか?」
「愛ですわ、もちろん」
「はっはっはそれは最高の隠し味だ。よし、次は俺の番だぞ、あーん」

 何だろうこれ……謙吾的な物体が凄くいちゃいちゃしてる。うん、あれは謙吾じゃない、謙吾の皮を被ったバカップルだ。何だよあーんて、あと名前に・を入れるな。
 謙吾はあんな事しない、僕の友達にあんなバカップルはいない。っていうか、隣で幸せそうに口をあけてるあんた、誰だよ。
 いや、わかってるけど、わかってるけどあえて言わせて欲しい。君はもうちょっと儚くて、どっちかっていうと悲劇の少女みたいなキャラじゃなかったっけ? どこでどう間違って、幸せ一杯愛一杯みたいな笑顔でぶりっこしてるのデショウカ?

「おいしいですわ、謙吾くん♪」
「ははは、愛だからな、これはおまけだ」
「ん……んん……まぁ、おいしいですわ」
「純度百%の愛だからな」
「まぁ……」

 ダメだ、もうダメだ。何がって? 色々。
 古式さんっぽい何かが頬を染めて「お返しです♪」なんてやったところで、僕は目をそ
らした。
 だって、このままだとバカップルの後ろで
 「うおおっ!? こんなの謙吾じゃねーっ!? てめぇ、謙吾をどこにやった! 畜生! 畜生っ! 俺と共に筋肉を愛した謙吾を、一体どこに隠しちまったんだっ!」
 なんて言ってる真人みたくなりそうだったし。そして、当然バカップルどもの目には入ってない、哀れすぎる……
 で、そんな事を言いながら何故腕立て伏せしてるのかは謎だ。あと、謙吾は別に筋肉を愛してないと思う。
 
 ここら辺はもう諦めて、さっきまでみんなに注意して回っていた佳奈多さんを探したけど、そこにも絶望的な光景が広がっていた。

「わふーっ! ウォットカがなければわふーも言えないのですわふーっ!!」
「クドリャフカ!? あなたお酒飲んでるのね!? 誰が私のクドリャフカに……葉留佳!?」
「ふふふ……お姉ちゃんもクド公もまとめて私のものなのですヨ」
「葉留佳、あなたが犯人ね。放しなさい! ってお酒くさ!?」
「お姉ちゃんもいざ一緒に桃源郷へ出発進行っ!!」
「葉留佳、あなた帰ったら覚えて……クドリャフカ!?」
「佳奈多さんも一緒なのですっ! わふーっ! わふーっ! わふふーっ!!」
「クドリャフカ、あなた酔うとわふーが増えるのね……」
「だーだー」
「う……も、もう一回言って」
「だーだーっなのですっ!!」
「っ!? テッシュが、テッシュが……どこ? 落ち着きなさい私。これしきの事で……ってクドリャフカ!? 何するの!? あなたには早いわ、私にも。まだ私たちにはそういうのは……ウォッカの口移しなんて……ん!?」
「ん……ん……にぇっと! なのですっ♪」
「クドリャ……う……」

 なんかいけないものを見ちゃった気がする。
 崩れ落ちる佳奈多さん、黒く笑う葉留佳さん、でもって、やたら妖艶な微笑を浮かべるクド。だから何だろうこれ……
 でもって、隣では我関せずとばかりに美魚さんが本を読んでいる。肌色多めの……頼むからブックカバー位かけようと言いたい。
 


 ちなみに、あえて繰り返しますがここは列車内です。貸し切りとはいえ公共の場所です。他の人に迷惑をかけるような行為は避けましょうってヤツ、誰も気にしちゃいないよ……気にしちゃおうよ、ゆー。
 かくて、ローカル線の、なんかイメージ的にはおじいさんとおばあさんが世間話に興じているようなそんな空間は、すっかりカオスとなっておりました。
 昔の僕なら止めてただろうけど、ある時期を越えると、もうどうでもよくなってきた。
 諦めっていうか、きっとこれでいいのだと思う。
 
 無茶苦茶で、というかそれを通り越してくちゃくちゃで、でも何故かまとまってる。それがリトルバスターズ。
 どんな世界にいても、どれほど時間が過ぎようとも、きっとこの空気は変わらないんだと思う。
 何年かぶりの同窓会、卒業してから離ればなれになった人も、そして一緒になった人も、顔を合わせてみればやっぱりリトルバスターズだった。
 昔と同じ、賑やかで、滅茶苦茶で、それなのにどこか安心できる空気……時間も場所も越えて、ここに存在している。



 いつの間にかディーゼルカーは平地に抜けて、軽快に走る。
 砂浜は弧を描き、寄り添うように松並木が続く。向こうに見える高い建物は何だろう……


 
「どうした理樹、考え事か?」
「あ、恭介」
 力尽きたアルマジロが動かなくなった頃、恭介が声を掛けてきた。そういやいたっけ、最近影薄いから気付かなかった。
「理樹よ……お前容赦なくなったな」
「あ、ごめんごめん、声に出してた」
 なんか悲しげな瞳で見つめられたので謝っておいた。でもまぁ人間は成長するモノだしね。
 気を取り直したように恭介が隣に座る。
「理樹、お前は混じらないのか?」
「うん、もうちょっとこのままでいるよ」
 答えを見透かしたような恭介の声に僕は答えた。とぼけてるようで、やっぱり恭介は僕をわかってる。
「しばらく離れてたせいかな、いまいち乗り切れなくてさ」
 なんだかんだ言って、別にこの空気が嫌なんじゃない。大好きだ。
 でも、ここ何年か、みんなと会う機会が無くて、リトルバスターズ分が不足していたんだ。
 だからもうちょっとだけ、この懐かしい空気を堪能させて欲しい。中に入ってしまうと、懐かしさを味わう間もなくなってしまう、その空気が、どれほど貴重なものかわからなくなってしまうかもしれないから。



「……まぁいいさ、みんなのミッションコンプリートのお祝いだ。気が済んだら一緒に楽しもうぜ」
 そう言って恭介は肩を叩く、昔通りに。
「わ、痛いよ恭介」
 僕の抗議にニヤリと笑みを浮かべると、恭介は歩き去る。まったく、昔のまんまだ。



 築堤を緩やかなカーブで抜けた時、長い長い鉄橋が見えた。賑やかなディーゼルカーは、力一杯タイフォーンを響かせて、橋へと向かう。
 海と見まがうかのような広い川、晴れているはずなのに、向こう側の山並みは少しだけ霞んで見えた。高い堤防の下には、朽ちた桟橋が見えた。
 その上を、焦げ茶色の、昔ながらの鉄橋が延々と続く。
 がたたん、ごとん……ひときわ大きな音が足下から響く、一体どこに向かっているんだろう。さっぱりわからない。そういえば、目的地なんて聞いてなかった。
 でも、不思議と怖くはない、不安はない、みんな一緒だ、この先も一緒……

 僕は、幸せな気持ちで目を閉じた。






















「ねぇ、お母さん、理樹おじいちゃん寝てるの?」
「ええ……そうよ、そうよ。おじいちゃんはね、疲れたから眠っているの。だから起こしちゃだめよ」
「うん、わかった。でも、何でお母さん泣いてるの? お父さんも、お姉ちゃんも、何でみんな泣いてるの?」
「それはね……ええ、おじいちゃんがちょっとだけ、永く眠っちゃったからよ」
「ふーん……そっか、でもきっといい夢を見てるんだね」
「え?」
「だって、理樹おじいちゃん、とっても幸せそうに眠ってるんだもん」
 


〜了〜

 


[No.402] 2008/07/05(Sat) 02:20:19
壊されたレール (No.388への返信 / 1階層) - ひみつ@リトバスを変わった(ありがちな?)角度でみてみた

「線路は続くよ〜どこまでも。野を超え山超え、谷越えて〜」
 歌を歌いながら、私は考える。……私の線路はどうして、消えちゃったのかな?
 


『壊されたレール』



1.
 どこまでも続く、赤い、赤い夕焼け空。いつもの屋上じゃなくて、旧校舎の屋上に私はりんちゃんを呼び出していた。本当ならいつもの屋上に呼びたかったんだけど、古式さんの自殺騒動があったおかげで入れなかったので、旧校舎の屋上の上に私はりんちゃんを呼び出していた。旧校舎は、いつもの屋上と違って、ネットに囲まれた屋上じゃなくて、手すりがついている屋上だ。
 私は今、手すりに寄りかかるような形で、りんちゃんは手すりにのっかって、街をみている。旧校舎から見る夕焼けはなかなか新鮮できれいだけど、やっぱり、いつもの屋上でみる風景のほうがきれいだな。けど……危ないなぁ、りんちゃん。落ちないでよ?
「大丈夫だ、私は落ちない……それで、大事な話ってなんだ?」
 りんちゃんのその言葉に私の心臓がトクン、と跳ねた。すーはーすーはー、深呼吸。心を落ち着けて、よし、言おう。
「私ね……理樹くんのことが好きなんだ」
 言った、ついに、言っちゃった。
 でもこれ以上、私はりんちゃんにだまっていることなんて、できなかった。りんちゃんから、理樹くんを黙ってとっちゃうみたいで。理樹くんもりんちゃんも、私の大事な友達だから、大事な、友達だからこそ、言わずにはいられなかった。
 私の言葉をきいても、りんちゃんはなにもいわなかった。
 私はすごく緊張して、りんちゃんの言葉を待つ。…なんて、いわれるのかな。
 私にとって、永遠とも思える時間が流れたあと、りんちゃんはいった。
「そうか、あたしも理樹のこと好きだぞ。あ、もちろん、小毬さんも理樹と同じくらい好きだ」
 私を好き、っていうのが照れくさいのかりんちゃんの顔は真っ赤だった。……私を好きっていうのはすごくうれしいけど、でもね、りんちゃん。
「あ、あのね、りんちゃん、私が理樹くんを好きっていうのはそういう意味じゃなくてね」
「ん?どういう意味なんだ?」
「……異性として、理樹くんを好きっていうか……恋しているっていうか……」
 改めていうと、すごく、照れくさい。きっと私の顔はりんちゃんと同じくらい真っ赤だろう。
「恋……あーあれな」
 すごく恥ずかしいこといったのに、りんちゃんの反応に肩を落とす。りんちゃん、絶対わかってないよね?
 りんちゃんと理樹くん。
 二人をみていると、恋人同士なのかな、って思ったこともあったんだけどなあ、本当に、全然そんなこと、なかったんだ。
 みんなからきいて、違うことは知っていたけど。……うーーーん、でも恋人のような雰囲気を確かに感じたんだけどなぁ。私は昔、引越しばかりで、幼馴染がいないおかげでよくわからないけど、幼馴染ってそういうものなのかな。だとしたら、ちょっとうらやましいかも。
 そんなことを考えていると、りんちゃんの顔がいつの間にか、私のほうじゃなくてあさっての方向を向いていた。
「りんちゃん、どうかしたの?」
「ご、ごめん、だけど、なんか急に小毬さんの顔をみていられなくなったんだ、も、もう少ししたら見れると思うからちょっと待ってくれ」
 そっか、りんちゃん自覚はなくても、”そういう気持ち”を持っていたんだ。そんなりんちゃんに私は微笑んだ。


 パシャ


 突然、そんな音が聞こえて音のほうをみると、恭介さんが、デジカメを抱えてこちらをみていた。
 もちろんここに私は恭介さんを読んだ覚えなんてない。
「きょ、恭介さん、いつからいたの!?」
「ついさっきからな」
 ついさっきっていつですか!?ひょ、ひょっとして全部きかれちゃってますかっ。
「なぁ、神北」
「は、はい、なんですか、恭介さん!?」
 あまりのことに声が上ずってしまう。
「理樹は鈍感だけど、まぁがんばれな」
「……ひょっとしなくても全部聞かれちゃっていますか?」
「ああ」
 はぅ〜。すごく恥ずかしい。
「鈴」
「なんだ、馬鹿兄貴」
「理樹のことをとられたくなかったら、がんばれ」
「どういう意味だ?」
 そんな鈴ちゃんの反応に恭介さんはため息をついた。
「……まず、鈴はそこからがんばらないとな、……神北ははっきりいって強敵だぞ、何しろ、夜中に学校に忍び込んで、一緒に天体観測するくらいには二人の仲は進んでいるからな」
「な、なんで、恭介さんがそんなこと知っているの!?」
 流れ星をみようと、行った理樹くんとの天体観測。流れ星は一つも見れなかったけど、理樹くんと二人っきりでいるだけですごく楽しかった。でもあのときのことを知っているのは私と理樹くん以外、誰もいないはずだ。
「理樹の部屋に行こうとしたら、たまたま外出する理樹を見かけてな、どこにいるのか、ってつけていったんだ」
 ……一歩間違えたらストーカーだよ、恭介さん。
「天体観測なら、あたしたちもキャンプに行ったとき一緒にしたじゃないか」
 りんちゃんはりんちゃんで意味がわかっていないし。……あ、でも顔をみるとちょっとなきそうになっているから、少し、違和感みたいなのを覚えているのかな?
「……まぁ鈴、がんばれ、神北もまた、鈴に遠慮することはないからな」
「うん」
「……なんかあたしだけ、すごい仲間外れにされていないか?……それはそうと、馬鹿兄貴、何をもっているんだ?」
「ああ、これは最新型のデジカメだ、さっき撮った写真、みてみろ」
 そういわれるままに、デジカメの写真をみてみると、私とりんちゃんがよく撮れていた。
 写真の中で、私は微笑んで、りんちゃんは笑っているような無表情のような、微妙な――さっきまでの会話を思い出すと『理樹がこまりちゃんといっしょになっても関係ないじゃないか』と無理に思おうとしているのかな?――表情でうつっていた。私たちのバックには夕焼けの町。最新型だけあって、非常にきれいに写っていた。
「OPムービーに編集したいくらいよく撮れているな。この画像だったら2分3秒くらいに使いたいな」
「意味がわからないよ、恭介さん、OPムービーって何?」
「神北、気にするな。……これなら今度の修学旅行も安心だな、お前らの写真いっぱいとってやるからな」
「恭介さん、まさか本当に一緒に来るつもりなの?」
 ここ最近、ほかのリトルバスターズのメンバーと一緒にいるときにも、恭介さんはそんなことをいっていたから聞いてみた。そのときは冗談だと思っていたんだけど、よく考えれば、恭介さんは本当に実行しそうな人だ。
「何の問題がある?」
「大有りだよ……」
「あきらめろ、小毬さん、馬鹿兄貴のすることだ」
「……大体、どうやってくるつもりなの?」
「それは当日のお楽しみだ」
 恭介さんは笑顔でそういった。そしてこの言葉でその場は解散となった。


 
 それから、いろいろなことがあった。
 せいいっぱいのおめかしをして理樹くんと湖にデートにいって。理樹くんに大好きだって告白して。
 私のトラウマが再発して。理樹くんに助けてもらって。
 本当に、恋人同士のような関係になって――少なくとも、私にはそう思えるくらいにはなって――私は幸せだった。
 幸せ、だったのに。
 ずっとずっとこんな幸せが続くと思ったのに。幸せのレールが続いていくと思ったのに。
 バス事故が、私のレールを変えてしまった。
 そして始まったのは、虚構の世界。理樹くんがいろいろな女の子とつきあうようになった、虚構の、世界――。


2.

 もう何度目かわからない6月19日を迎えた。本当にいろいろなことがあった。あまりにも多くのことがあって、思い出せないくらいに。そんな、何度すごしたのかわからない6月19日。私は旧校舎の屋上に、恭介さんに話がある、といわれて呼びだされていた。
「……来たか、小毬」
「うん。恭介さん話って何?」
「……今まで本当にいろいろありがとな」
「え?」
 いきなりの恭介さん発言に戸惑ってしまう。
「そろそろ、虚構世界も終わりそうだから、小毬にはお礼を言っておきたかったんだ」
 たしかにこの世界はもう少しで終わりを告げると思う。ゆいちゃん、はるちゃん、クーちゃん、みおちゃんの最後の夢をかなえ、りんちゃんのルートも一回終わらせて。残るはりんちゃんルートの二週目と恭介さんたちのルートだけ。それだけ終われば、この世界はきっと終わる。りんちゃんのルート一週目をおわらせたあと、何を間違ったのか理樹くん、一回きた私のルートにきちゃったんだけどね。それが今回なんだけど、まさかもうくることはないだろうからきっと、もう世界はあと数回で終わる。
 でも。
「私、何もお礼を言われることしていないと思うよ?」
「……小毬にはいろいろ辛い思い、させちまったからな」
「あはは…」
 恭介さんの言葉に私は苦笑する。苦笑しながら、『ごめんね、みんな』と心の中で謝った。だけど……本当につらかったから。この世界ができたとき、理樹くんは、修学旅行で事故にあったことや、リトルバスターズを新結成したこと。そして――私と恋人になったことの何もかもを忘れていてそして……りんちゃんだけだったらまだよかったんだけど、理樹くんが他のみんなと恋人になるのをみるのは、とてもつらかった。だけど。
「でも、私は理樹くんと2回も……ううん、3回も恋人になれたから満足なのです」
 現実の世界で1回、虚構の世界で2回。現実の世界と同じような道をたどって、私は理樹くんと計3回恋人になった。
「……すまん」
 恭介さんがいきなり頭を下げた。そんな恭介さんに私は戸惑う。
「ど、どうしたの、恭介さん」
「俺はお前がつらい想いをしているのに何もできなかったからな」
「でも、それは自業自得だから」
 虚構世界ができるとき、恭介さんは、言った。「つらかったら、小毬はこの世界に入らなくてもいいんだぞ?」と。だけど、私は、理樹くんと恋人同士のときを少しでもすごしたかったから、私は了承して、この虚構世界にとどまり、また、私とはなんども恋人になれるよう、恭介さんにしてもらった。
「でもやっぱりお前はすごいよ、鈴のルートで、鈴を後押し、してくれただろう?」
 その言葉を聴いてどうして恭介さんは何でもしっているのかな、と苦笑する。確かに私は、理樹くんがりんちゃんのルートにいったとき、私はりんちゃんの相談を受けて、りんちゃんの背中を後押しした。
「だって、りんちゃん、そうでもしないと理樹くんに告白しないから……私が死んじゃうなら、りんちゃんと恋人になってほしかったから」
「実際はそんなこと簡単にできないものだ。お前は、すごいよ、本当に」
 簡単にできたわけ、ないじゃない。りんちゃんを後押ししたあと、本当にりんちゃんに嫉妬したのに。でも、口には出さない。それは私のワガママだしね。……こんなこといったって、恭介さんが困るだけだから、きっと、言わないほうがいい。それに。
「それにしても、理樹くん大丈夫かな、もうちゃんとりんちゃんを守れるかな、泣かない、強さを手に入れたのかな」
 理樹くんにそんな強さを身に着けてほしい、とおもっている私が、泣くわけにはいかない。
「大丈夫だと、思いたいな、あいつも成長して、大人になったと思うし」
「そうだね」
 本当に理樹くん、成長したから。大丈夫だと、思いたい。
 それだけ話したら、私たちの間を沈黙が支配する。
 空は相変わらずの夕焼け空。明日はきっと晴れるだろう。
 ……そういえば、とふとおもう。いつからだろう、恭介さんが私のことを名前で呼ぶことになったのは。
 そういえば昔、謙吾さんがいっていたことを思い出す。恭介は自分が尊敬できる相手には名前で呼ぶと。私、ぜんぜん尊敬できる相手じゃないんだけどなぁ。
「そろそろ、帰るね」
 話もおわっただろう、私は帰ることにした。 
「…ああ、そういえば」
「うん?」
「今回もちゃんと、明日学園休みにしていたからな、今日の夜、学園の先生が全員に連絡をまわすことになっている」
「ありがとう」
 この虚構世界は恭介さんが作った世界で、虚構世界に実際に入っていない人は、私たちの誰かのイメージを投影して、場合によってはその人たちを、自由に操ることができる。恭介さんは、学園の先生を操って今までいろいろしていたみたいだ。私もいろいろやっていたけど。たとえば、理樹くんとの天体観測のとき、流れ星なんて流れなかったのに、流れ星を流したりとか。修学旅行で命を失う、リトルバスターズの人数分、流れ星を流すようにしたのだけど、8つ目が流れたとき、本当に悲しかったのを覚えている。……こんなことを思うくらい、こんなことをしてしまうくらい、私は嫌な人間で、恭介さんに尊敬される人間じゃ、ないんだけどな。
「最後の理樹とのデート楽しんできてくれ、いつまでこの世界が続くか、わからないが」
「ありがと、恭介さん」
 そういって、恭介さんに別れをつげた。
 さて。明日は理樹くんとデートをしよう、そして、笑顔で別れよう。そんなことを私は思った。


3.
 よく晴れた、休日。私の、虚構世界最後の日はよく晴れていた。
 私は街を歩いていた。隣には理樹くん。理樹くんに誘われて、二人でお出かけ。
 ……私がデートに誘うまでもなく、理樹くんのほうからデートに誘ってきた。
「うう〜、緊張するなぁ…」
 理樹くんは、なんだか私に会わせたい人がいるみたいだった。
 …誰なのかは内緒らしい。そういえば、もうずいぶん前になるけど、修学旅行の前にもこんなこといっていたね、修学旅行のあと、会おう、っていっていたけど、いったい誰に会わせたいんだろう、理樹くん。
「いやまあ、別にそんな肩肘張らなくてもさ」
「誰かわからないのは緊張するよ〜」
「本当は小毬さんも知っている人だよ」
「うーん?」
 想像を巡らせてみる。……ほんとに誰なんだろう?…わからない。

 理樹くんにつれられてたどり着いたのは、私たちがボランティアでいつもいっている、老人ホームだった。理樹くんはひとつの部屋に入る。
 この部屋は…。
「来たか、小僧」
「今日は、人を連れてきました」
「……そうか」
「ほら、小毬さん」
 理樹くんに背中をおされて、私が理樹くんの前に出される。
「はじめまして、神北小毬です」
 私はおじいさんに挨拶する、何度もあっているけど、そういえば、こうして挨拶するのは初めてだった。
「…わしは」
 そこでおじいさんは一瞬詰まる。
「わしは神北小次郎。おまえの祖父だ」
 …え?おじい、ちゃん?
「お前の、祖父だ」
 もう一度、小次郎さんはいった。そして思い出す。
 おじい、ちゃんだ。おじい、ちゃんだ。間違いない。本当におじいちゃんだ。
 私がすっかり、本当に忘れていたけど、間違いなく目の前にいるのはおじいちゃんだった。昔、私がいっぱい迷惑をかけた。
「おじい、ちゃん」
 声に出してよんでみる。
「なんじゃい、小毬」
 厳しいけど、やさしい、そして懐かしい、この声。どうして、今まで私は忘れていたんだろう。
「よかったね、小毬さん」
「うん、理樹くん、ありが…」
 そこまでいって、気づく。私は、たしかに小次郎さんのことを忘れていた。ううん、知ってはいたけど、祖父だってことは忘れていた。
 だったら、どうして、どうして、小次郎さんは。”小次郎さんが私の祖父”という設定なの?その答えは、きっと――。
 私は理樹くんの顔をみる。そっか。理樹くん、そっか――。
 完全に忘れたわけじゃ、なかったんだ。覚えていてくれたんだ――。私との想い出のかけらを。
「理樹くん、ありがとう」
「こんなこと、たいしたことじゃないよ」
 ああ、そうか、理樹くんはわかっていない、どうして、私が、こんなに喜んでいるのか。説明してはいけない、こと。
 だけど、理樹くん。
 覚えていてくれて、ありがとう。私はこれで十分。少しだけでも覚えていてくれて、本当に、ありがとう。
 私はもう、これで満足。
「ほら、涙を拭いて、小毬さん」
「え?」
 目に手を当てる。気がつくと私は涙を流していた。
「ご、ごめん、理樹くんっ」
「謝ること、ないよ、泣きたいときはないていいんだ、小毬さん」
 理樹くんはそういうけれど、私は急いで涙をとめようとする。だって、理樹くんとは笑ってお別れをしたいから。
 私は無理やり、笑顔を作る。上手く、笑顔つくれているかな。
 
 そう思ったその瞬間、世界は閉じられた。
 最後に見た理樹くんの顔は笑顔だったから、きっと私は笑っていられたのだろう。



 季節は、秋。二学期が始まっていた。
 下を見ると、りんちゃんと理樹くんが歩いていた。りんちゃんと理樹くんは今はリトルバスターズの誰もが認める恋人になっていた。
 二人をみると、まだ胸が、ちくり、と痛む。

 虚構世界は終わりを告げた、予想もしなかった形で。
 本当は物語は理樹くんとりんちゃんだけが生き残って、それで終わるはずだった。
 それなのに、物語は続いた。理樹くんが全員を助け出して…そして今に至っている。
 終わるはずの物語は続いた、理樹くんの手によって物語は書き換えられた。これはハッピーエンド、否定しようも無いくらい。
 外国のフランダースの犬のように、ネロの才能が認められ、急にお父さんが出てきたりするむちゃくちゃなハッピーエンドかもしれないけど、みんながきっと望んだハッピーエンドだった。
 ……たった一つのことを除けば。


「線路は続くよ〜どこまでも。野を超え山超え、谷越えて〜」
 歌を歌いながら、私は考える。私の線路をこわしちゃったのは、きっと、私、なんだろうな、と。
 虚構世界で理樹くんが最後にくれた言葉を思い出す。
『謝ること、ないよ、泣きたいときはないていいんだ、小毬さん』
 ……私はきっと、泣くべきだったんだ。子供みたいに意固地にならずに。ただ泣けば、よかったんだ。
 おじいちゃんの前で泣いたとき、どうして泣いたのか理由を言えばよかったんだ。理樹くんを、信じればよかったんだ、きっと。そうすれば、何かが変わっていたと思う。理樹くんは、私のおじいちゃんのことを覚えていたのだから。
 女々しいかもしらないけど、そう思う。
 それに…。泣きたいときに、泣けないのはやっぱり弱さだと、最近の私は思うから。



 私は自分で書いた、マッチ売りの少女の絵本をみる。
「げんそうのおばあさんはやがてきえてしまって、しょうじょはひとりっきりになってしまったけど。それでもしょうじょはいろんなしあわせをみつけてしあわせにくらしましたとさ……」
 私は何度も何度も、その言葉をかみ締めた。今度はきっと幸せになるために。
 


[No.403] 2008/07/05(Sat) 05:00:43
夏の始まり、借り物の自転車で目指したどこか。 (No.388への返信 / 1階層) - ひみつ@何時間遅刻したか……作者はやがて考えることをやめた。

 ターフを駆ける駿馬のような速さで高校生活最後の一学期は過ぎ去り、古来より進学を志す学生の間で天王山と呼ばれる夏期休暇がやって来た。その前から少しずつ盛り上がりを見せ始めていたセミの合唱は今まさに最高潮を迎え、空に浮かんだ入道雲は天を破らんばかりに伸び盛り、俺はといえば、休暇だというのに実家にも帰らず寮の自室にて胡乱な毎日を過ごしていた。実家に帰らなかったのは、帰る家のない友人を慮ってのことだったが、単に帰る理由が見つからなかったからでもある。幸いというかなんというか、相部屋の級友も帰省したため寮の自室は俺だけの城と化していたし、どうせごろごろ過ごすのであれば、気兼ねのない方が望ましい。
 ともあれ、そんな経緯もあって、高校生活最後の夏をぐだくだと過ごしていた俺だったが、その平穏は、部屋のドアをノックもせずに豪快にぶち開けた一人の馬鹿によって脆くも崩れさった。
「よぉ、暇そうだな!」
「喧嘩売りに来たのか?」
 今なら二束三文で買ってやらんでもない。
 ぐでんと寝転がっていた俺はのそりと上半身を起こすと、玄関先には仁王立ちする馬鹿の代名詞のような男がいた。ケインコスギはともかく、なかやまきんにくんの筋肉はなんか違うと豪語する十八才、井ノ原真人である。
「いやいや、ここでお前とリアルファイトするほどオレもヒマじゃあねぇ」
「ほう、ならば何の用だ」
「いや、夏期講習とやらで理樹が遊んでくれなくてよ。何もすることがないから来てみた」
「一般的にはそれをヒマだから来たと表現するのだと思うぞ」
 とは言え、自分もいい加減退屈していたところだ。ここらで一つ馬鹿の相手でもして憂さを晴らすのもいいだろう――と、ふと奴の足元にある大きな包みが目に止まった。
「なんだ、お前どこかに行くのか?」
「へへ、まあな」
「だったらこんなところで油売ってないで、とっとと行くといい。今なら走れば特急にも間に合うだろう」
 またごろんと寝転がり、さっさと行け馬鹿とばかりに手をひらひら振ってやる。すると真人は心底不思議そうな声で「ん? 謙吾、お前何言ってるんだ?」と抜かした。
「いや、お前は今から一人で旅行に行くんだろ?」
「はぁ? なんでオレが一人で旅行に行かなきゃいけねえんだよ」
「だってお前その荷物」
 ああ、と何かを了解したかのような口ぶりで、真人は背後からもう一つ、同じくらい大きな荷物を取り出した。
「どうやら誤解があるようだな、謙吾っち」
「誤解てお前」
「第一に、オレは旅行には行くが電車は使わない。第二に、オレには連れがいる。第三に、その連れはお前」
 疑問を差し挟む隙もなく片方の荷物を投げられた。両手でそれを掴んだら意外と軽く、逆に驚いた。肩紐の隙間で真人が実に楽しそうに笑っていた。窓枠あたりに止まっていたセミが、じーこじーじこじじこじこと鳴き始める。予感めいたものが頭を掠める。つられるように唇をにやりと歪めた。
 俺たちの夏の始まりだった。





夏の始まり、借り物の自転車で目指したどこか。





 まず、どこへ行くにしても足は必要なんじゃないかという話になり、寮に放置された持ち主不明の自転車を二台拝借することにした。何の変哲もないママチャリ。前籠が多少凹んでいる。何の問題もなかった。
「で、どこへ行くんだ?」
 そう言うとよさ気な場所があるんだ、と馬鹿が言った。
「結構山奥なんだけどよ、昔よく連れてってもらった村があんだよ」
「ほう。で、どこにあるんだ?」
「とりあえず県はいくつかまたいだな」
 にやりと笑う筋肉馬鹿。なぜかカチンときた。
「よし、行ってやろうじゃないか」
「後悔すんなよ、謙吾。部活引退して鈍ったお前には、少々荷が重いぜ?」
「まるで、日頃から鍛えている自分は全く問題ありませんとでも言いたげだな」
「そりゃこういう時のために鍛えた筋肉だからな!」
 ふざけんな馬鹿野郎お前になんか死んでも負けるかという意味を込めて、真人の自転車の後輪を後ろ足で蹴飛ばした。脇の側溝にはまって豪快に弾け飛ぶ馬鹿。それ見たことかと、ここぞとばかりに笑い飛ばした。前方には鮮やかな青空と雲に隠れたまだ見ぬ山岳。
「てめぇやりやがったなこのやるぅおおおぉぉぉ――――――っ!! まちやがれあああぁぁぁ――――――っ!!!」
「かっかっかっかっか!」
 誰が待つか、という話である。

 夏の太陽には容赦というものがなかった。見知った街路を走っているくらいの頃はよかったが、段々と知らない地名が増えてくるにつれ、俺達の口数はみるみる少なくなった。ぶっちゃけ、バテていた。脇道で見つけたデイリーに入ってたっぷり涼んだ後、飲料と冷えピタを買った。額と首の後ろと腋の下に貼った。
「おおおっ、ひんやりするぜっ!」
 十分くらいは幸せだったがすぐにぬるくなった。
「さらばだ!」
 今やぬるピタと化したそれを、道の脇に立っていたお地蔵様の顔中に貼り付け、俺達は山へと急いだ。

 下らないことを大声で笑いあい、時にリアルファイトも交えつつペダルを踏んでいる内に日は沈んだ。大きな道を外れた所に寂れた神社があったので、今日の所はそこで一夜を明かすことにした。その辺で拾ったムシキングのカードを賽銭がわりに社に置き、持ってきた薄っぺらい毛布を準備した。
「まぁこんなものでもないよりはマシか……っておい」
「ふっ! ふっ! ふっ! 筋肉! 筋肉!」
 空き缶を腹筋中の奴の脳天に投擲し、寝た。
「なぁ謙吾、起きたらなぜか後頭部が酷く痛むんだが」
「知らん」



 自転車から見える風景に人里の気配が途絶え、走路も徐々にけもの道のようになっていき、それでも道の脇を走っている線路のおかげで俺達はなんとか進んでいくことができた。
「あれに沿っていけばなんとかなるんじゃね?」
 言い出しっぺは無責任なほどに楽観的だったが、なんとかならなかったらならなかったで別に構わなかった。見つからなかったら、他の場所を目指せばいい。もとより、何か特別な目的があるわけではない。目的地に辿り着かなかったからといって、それが一体何なのだろうか。俺達の足元にレールなど敷かれてはいないのだ。
「真人」
「なんだよ」
「あとどのくらいだ?」
「正確にはわかんねぇけど、かなり近くまでは来てると思うぜ」
 真人が言うには、もうすぐ駅に着くからそこから出てる電車に乗ればすぐだという。だったら最初から電車で来れば良かったんじゃないかと思ったりもしたが、まあ、それを言うのは無粋というものだろう。
 古びたワイヤーがギシギシと軋んでいる。昨日今日でずいぶん痛んだような気がする。真人の言葉が正しければ、ゴールはもうすぐそこだ。もう少しだけもってくれよと、昨日からの相棒の無事を祈りつつ、一心不乱に踏み締める。

 その建物の屋根が木々の隙間からちらりと見えた瞬間、俺達は快哉をあげた。
「いやっほ――――――うっ!!」
 自転車の上で跳ね回り、ハイタッチをした。
 しかし、近づくにつれ、徐々に異変に気付く。建物はびっしりと蔦に覆われていて、周囲に人のいる気配はどこにもない。建物の脇に自転車を乗り捨て、二人して中に駆け込む。駅員や券売機どころか、路線図すら見当たらない。そこら中に蜘蛛の巣が張り巡らされ、人がいた頃の名残は全て埃で覆い隠されているようにも見えた。
「廃線……か?」
 俺達は脇を走る線路を頼りにここまで走って来たが、今思い返すと、ある場所を境に電車が走るのを目にしていないように思えた。
 少し中を探してみると、廃線を告知した文書はすぐに見つかった。それによると、この駅が閉鎖されたのは七、八年前のことだったらしい。そして――
「真人、どうする?」
 俺は真人の方を見ずにそう言った。この小旅行は真人によって始められたものだから、判断は真人に委ねられるべきだと思った。
「……とりあえず今日はここに泊まろうぜ。中は埃まるけでとても居られたもんじゃねぇけど、外にあったベンチならなんとか寝られそうだしよ」
「そうだな」
 外は既にうっすらと夜に覆われ始めていた。セミの鳴き声がずいぶん遠くに聞こえていた。真人に反対する理由はどこにもなかった。




 翌朝、頬に当たる太陽の光で目が覚めた。朝露に湿った林の匂いが風に運ばれてきた。
 隣のベンチは既にもぬけの空だった。真人がどこかに消えてしまったのではないかと、慌てて辺りを見回してから、急に馬鹿らしくなった。朝飯を調達しに行ったとしても、真人が自分一人でどこかへ行ってしまったとしても、どちらにしても同じことだ。心配は要らない。だからこそ、余計に馬鹿らしくなった。
 ごろりとベンチに横になると建物のひさしの向こうに空が見えた。透き通るような青空。悔しくなるくらいの快晴だった。

 俺が目を覚ましてから三十分くらいして、真人が戻ってきた。
「どこ行ってたんだ?」
「ちょっとな」
 そう言って真人は手に持っていたビニール袋からどさどさとコンビニおにぎりを落とした。
「とりあえず食おうぜ」
「ああ」
 どちらからともなくおにぎりに手を伸ばす。部活をやっていた頃はいつもこれだったな、と不意に懐かしくなった。不器用に包装を破いてかぶりつくと、やけに塩辛い鮭の味がした。

「これから、どうする」
 三個目のおにぎりの包装を破きながら、なんでもないことのように口にした。真人はあぐあぐと梅おにぎり一気食いに挑戦していた。
 ここで終わりにして帰るのも、それはそれで悪くないような気がしていた。寮では夏期講習で昼間全て缶詰になっている皆が心配しているだろうし、もう少し経てば、俺達より一年先に都会で就職した恭介だって戻ってくる。
「もう、戻るか」
 俺は三個目のおにぎりに手を伸ばした。しぐれこんぶ。あまり好んでは選ばない味だ。
「これ買いに行く時によ、店にいたおっちゃんに道、聞いて来たんだわ」
 かじりつくと、しぐれはほんの少ししか入っていない、詐欺みたいなおにぎりだった。
「道路沿いに行けばその近くまでは行けるらしいんだけどよ、山道だし、やっぱチャリだとキツイらしいぜ。道筋的にはかなり遠回りになるらしいしよ」
「だろうな」
「でもよ、山の中突っ切る一番近い道が一つだけあるんだとさ。ただし、もう自転車は使えねえ。でもうまくすりゃ昼過ぎには着けるとさ。で……どうする?」
「まぁ、道があるなら行くが……肝心の道って一体何だ?」
 真人はにやりと笑って立ち上がり、昔は駅だったらしき廃墟の奥を指差した。



 草はぼうぼう、レールはさびさび。使われなくなってから何年経ったかもわからないような廃線を道しるべに、俺達は歩いていた。
「あぢぃ〜」
 隣を歩く相棒からは泣き言のようなうめき声が聞こえてきた。線路を取り囲むように生えた木々の隙間から太陽が完全に顔を出してからは地獄だった。森の奥へうねるように延びていく線路、頭のてっぺんを焼く日差し、森の匂い。
「真人、あとどのくらいだ?」
「さっき二つ目の廃駅越えたし、もうちょっとだと思うぜー……つーか謙吾、まだ飲みモンあるか?」
「ほら」
 小さくまとめたナップサックの中からほんの少し残ったアクエリを取り出し、投げる。
「サンキュー」
「もうそれ全部飲んでいいぞ」
 まだ飲んでいないものが何本かあったはずだ。帰りのことを考えてもなんとかなる……はずだ。自信はないが。
「ま、なんとかなるだろう」
 俺はこんなに楽天的な人間だったろうか。まぁ、真人と二人でこんな旅に出ている時点で既に楽天的な人間ではないとは言い難いだろうが。そんな自分は、実はそんなに嫌いではない。

 三つ目の廃駅に辿り着き、線路の道しるべはここで途絶えていた。つまり、ここが終点ということだ。
「本当はここからバスに乗るはずだったんだけどな」
「どうするんだ、ここから」
「こっちだ」
 意外にも真人は迷いない足取りで獣道を登っていく。駅舎を越えて、今まで歩いてきた錆び付いた線路は段々遠くなっていった。
 時間にして三十分くらい登っただろうか。木々の波が途切れ、少し開けた場所に出た。
 眼下に広がっていたのは一面の湖のような場所だった。周囲を山に囲まれ、水面と木々の間には茶色の岩肌が見えていた。左手にはいくつもの管と管制塔のような建造物、それに堤防。
「着いたな」
「ここが?」
「ああ、昔俺がよく連れて行ってもらってた村。ここが、そうだ」
 どれだけ目を凝らしても湖底にそれらしきものは見えない。それに、湖底まで見渡せるほど、この湖の水は澄んでいるようには見えなかった。
「まぁ、実は知ってたんだけどよ」
 そんな気がしていた。なら、最初からそう言えば良かったんじゃないのか、とは言えなかった。言ってもしょうがないことだし、言われていたからといってどうなることでもなかったと思う。どんな風に言われようと俺はこの馬鹿に付き合ってここまで来ていただろう。それだけは確かだ。
 真人は地面に座ってあぐらをかいた。俺も奴の隣でそれに倣う。
「話だけは聞いてたんだけどよ、じぃちゃんもばぁちゃんもそれより前に死んじまってたし。あの村ダムになるんだって聞いてもふーんとしか思わなかったし。だから、ここに来ることもなかった」
 風が吹いた時、眼下で水が流れる音が聞こえた。堤防の一箇所から激しく水が流れ出していた。気付かないうちに放流が始まっていたらしい。少し身体を乗り出して見る。光が水しぶきに弾かれて虹色に輝いていた。
「一回くらい見に来なくちゃな、とは思ってたんだぜ。だから、今年は来れてよかった」
「ふん」
 真人の背中がなぜか小さく見えた。らしくないなと思いながら、幼少の頃からのこの陽気な友人は本質的にこんな部分を隠し持っていることも、実は知っていた。
「謙吾」
「なんだ?」
「ありがとな」
「何言い出すんだ、キモい」
「お前……人がせっかくいいこと言おうと思ってたのに、キモいはねえだろキモいは!」
「ふふははは!」
「笑うんじゃねえ!」
 笑いながら殴り合い、少ない体力を無駄に消費した。
 実は、あいつが何を言いたいかはわかるような気がしていた。ただ、理解していようとも、それを相手に素直に表現するかどうかはまた別問題だ。
「お前は大学行ってまた剣道続けるんだろ?」
「さぁな」
 考えてない、と言った方が正しい。
 夏の総体予選の結果は芳しくはなかったが、今までの実績を元にそれなりの推薦は来ていた。まだどこの学校にも返事はしていない。そもそも大学に行くかどうかすら、まだ俺は決めきれていなかった。
「俺は進学はしねぇぜ」
「あぁ、前から言ってたな」
「家業の修行に入らなきゃなんねぇから、お前らと遊べるのも今年の夏が最後かもな」
 足下の石を拾い、立ち上がって助走を取り、思い切り湖に向けて投げ込んだ。石はみるみる小さくなり、眼下へと消えていった。湖に届いたかどうかは分からない。届いていればいいなとも、思わなかった。
「なぁ」
「ん? なんだよ」
「この旅行は、一体何だったんだ?」
 思わず聞いてしまっていた。大きな意味を持つようで、そうでなくて、ただ村を沈めたダムから流れ出す水流が綺麗で。
「さぁ、何なんだろうな」
「おい、お前がここに来たかったんじゃなかったのか」
「バーカ、そんなの大した理由なんてねえよ。ヒマだったからってことでいいんじゃねえの?」
「いいのか?」
「そんなもんだろ」
「そうか」
 生きていくのに意味なんて必要ないことは、きっと俺たちが一番よく知っている。ここにこうしていることさえ俺たちにしてみれば奇蹟のようなもので、だからこそ俺たちは、日々を大切に生きなさいとか、そんなお題目めいたこととは無縁でいられた。ここまでなんとか続いてきたものは、これからもきっと続いていくし、続けていかなくてはいけないもので、きっとどう抗おうとも続いていってしまうものなのだろうと、俺たちは知っていたからだ。どこかで知らないうちに何かが終わって、また始まるまでの間の暇潰し。
「さぁ、戻るか」
「ああ」
 そう言って俺たちは湖に背を向けた。さよならとも、またねとも違う気がした。
 俺たちは器用に来た道をするすると降りていった。夏の日差しは木々に遮られて俺たちのいる獣道まで届かなかった。ここを下り終えればまた灼熱の太陽と錆び付いた線路との闘いが始まるかと思うとげんなりしたが、それはそれで楽しいような気がした。下りは十分もかからなかった気がする。木々の間から眩い光が溢れている。俺たちは我先にとその向こうへ駆けて行った。帰り道は線路が教えてくれる。
 俺たちの夏は、まだ始まったばかりだった。


[No.404] 2008/07/05(Sat) 11:40:04
二人の途中下車 (No.388への返信 / 1階層) - ひみつ@orz

「佳奈多さん佳奈多さん、見て下さい、山が凄く緑なのですっ! 海の色もとっても青いのですっ!!」
「言いたいことはわかるけどね、それじゃあ完璧にアホの子よ?」
「わふ?」
「はぁ……まぁ確かにとても濃い色、街じゃとても見られないわね」
「あ、瓦屋根のお家が木でできているのですよ、みんなそうなのですっ! この瓦は石州瓦なのですっ! わふーっ古き良き日本の景色なのですっ!!」
「大はしゃぎねクドリャフカ」
「トーキョーはビルばっかりで何にもないのです、私は日本の景色が大好きなのですっ!」
「……そういうところは外国人らしいんだから、あなた。まぁそれはいいわ、でもね」
「わふ?」
「だからって突然列車を降りる事は無いでしょうっ!!」
「ごめんなさいごめんなさいっ! だから回さないで下さい佳奈多さん、回さないで下さいーっ!!」





〜二人の途中下車〜





「わふ……まだ目の前がぐるぐるなのです〜」
 まだホームが揺れているのです。草がぴょこぴょこ生えてるホームが、あっちにゆらゆらこっちにゆらゆらでなんか船酔いしそうなのです、陸なのに。
 私はコマじゃないのですっ! って言ったら、佳奈多さんに「そうだったの? 今まで気付かなかったわ」と返されました。そしてまた回されました……わふ……
 へろへろな私に、佳奈多さんが言います。
「自業自得っていうのよ、クドリャフカ」
「うう……無理矢理佳奈多さんを連れてきてしまったのには謝りますけど、でもちょっとやりすぎな気がするのです……」
 私は、そう言うとベンチによろよろと座り込みました。
そのままごろんと横になると、青空がすっと広がって、とってもビューティフルなのですっ!

 そう、今日はみんなで旅行だったのです。
 リトルバスターズみんなで、海にお出かけ。今年はちょっと遠出しようと、夜行列車と特急列車を乗り継いでやってきたのです。
 それで真っ赤なヂーゼルカーに乗り換えます……ちなみに、そう言ったら、佳奈多に『昔の英語の先生みたいね』と誉められました、英語の先生だなんてびっくりです、おおはしゃぎなのです。
 野を越え山越え川越えて、ヂーゼルカーは走ります。皆さんとこんな風に旅行できて、とっても嬉しいのです。
 その列車の中では、わいわいと皆さんが騒いでいる場所からちょっとだけ離れて、私と佳奈多さんは座っていたのです。
 そして、瓦屋根の屋根がびっしり並んでいる景色に我慢できなくなって、つい……



〜回想〜

「佳奈多さん佳奈多さんっ! 見て下さいっ! 神社なのですっお社なのですっ! あ、あの学校屋根が瓦です。わふーっ! 私もあんな学校で勉強したかったのですっ!!」
「はぁ、クドリャフカ、もうちょっと落ち着きなさい。そんなに喜ぶような事なの? ただの田舎の景色じゃない」
「はいっ! こんな景色を見てるともーわくわくしてわくわくして……えっとわくわくしてしまうのですっ!!」
「はぁ、仕方がない子ね。降りてみたいの?」
「はいっ! 今度来るときは、是非降りてゆっくり歩いてみたいのです!!」
「じゃあ今降りましょうか」
「わふ?」
「葉留佳、葉留佳、私たちちょっと出かけてくるから荷物頼むわね」
「え、お姉ちゃん? 出かけてくるってどこ、トイレ? もートイレまでクド公を連れてかなくてもいいじゃない、さびしんぼうなんだかぐへっ!?」
「わふっ!? 葉留佳さんが笑ったまま気絶しているのですっ! ちょっと不気味なのですっ!!」
「誰が二人でトイレに行くのよ、勝手に気絶しちゃうしもう。まー葉留佳を荷物の上にのっけておけば大丈夫ね、行くわよクドリャフカ」
「あのー気絶させたのは佳奈多さんな気がするので……え、佳奈多さん、どこに行くんですか佳奈多さん? 佳奈多さん、そっちは出口ですよ、わふーっ!?」

がらがら〜ぴしゃり



回想終わり

「私は降りたんじゃなくて降ろされてたことに今気付きましたっ!?」
 思わず飛び起きます。
「ようやく気付いたの? ホント、アホの子なんだから」
 一方、佳奈多さんはそう言ってため息をつきました。なんかとんでもなく理不尽な気がするのは気のせいでしょーか?
「……私、アホの子なんでしょうか?」
「そうね、保証するわ」
「否定されるどころか保証されましたっ!?」

 そんな私を、佳奈多さんは面白そうに見つめています。酷いです、なんかいっつも遊ばれている気がします。わふ……



 ざわざわした山の音と、きらきら光る小さな川と、ちょっと涼しい潮風で、私はようやくぐるぐる地獄から抜け出します。ちゃんとホームが揺れてません、これで列車も安心なのです。
 目にはまわりの景色がとびこんできました、やっぱりとっても『なんばーわん』の景色なのですっ!



 ホームに降りたのは私と佳奈多さんの二人だけです、いっぱいの景色を、佳奈多さんとふたり占めしてるみたいなのがとっても嬉しいのです。
 小さな駅には駅員さんがいなくて、山の向こうにはすっかり小さくなったヂーゼルカーが消えていきます。
 二本のレールが、それを追いかけるように続いています。枕木とレールの匂いが鼻をくすぐって、旅行中なのをしっかり感じさせてくれました。初めて来たはずの場所なのに『きょーしゅー』を感じるのです。
 鈍く光る線路の上を、皆さんを乗せたヂーゼルカーがトンネルに向かって走りますます。わーんわーんという音が、山と海の音と一緒に響いてきました。
 そんな音も小さくなって、遠くから響くかたんかたんという音に変わります。でもやっぱりそれもすぐになくなって、駅は山と海の音しかしなくなりました。
 瓦屋根の家々はとっても静かで、線路は暑そうに光っていました。



「わふ……幸せなのです〜」
 おじいちゃんが、日本のことが大好きな理由がわかるのです。ぼんやりのんびり過ごしたいですねぇ。
 あれ?
「佳奈多さん、何故私を見ているのですか?」
 なんか佳奈多さんがじーっとこっちを見つめています。これが穴にはいるほど見つめるっていうものなのでしょーか?
 でも、こんないい景色なので、私じゃなくて景色の方を全身で感じて欲しいのですよっ!

「何でもないわ、でも本当に幸せそうね、あなた」
 なんでか羨ましそうに言った佳奈多さんに私は答えました。

「はい! 私はこういうのを見るとえっと……えふすたふぃを感じるのですっ!!」
「どこから突っ込めばいいのかわからないけど、私以外にはそういう事を言っちゃダメよ?」
「……私何か変なことを言ったのでしょうか?」
「あら、あなたが変じゃ無い事を言った事ってあったかしら?」
「わふーっ!? なんだかよくわかりませんが酷いことを言われている気がしますっ!!」







 しばらくして、当分列車は来なそうね、と佳奈多さんが言ったので、私たちは、小さな駅舎に入って休むことにしました。
 扉や窓がすっかり開け放たれた待合室は、冷房なんてないのにとっても涼しくて、吹き抜ける風が心地よいのです。

「次の列車は……二時間後ね」
「二時間で来るなんてすごくふりーくえんしーが高いなのですっ! 一日に一本とかかと思いましたっ」
「あなたのお国を基準にされても困るけど……まぁいいわ」
 時刻表を見ていた佳奈多さんは、自販機で飲み物を買うと、私の隣に座ります。誰もいない待合室は静かで、とってものんびりとして……

「わひゃふっ!?」

 いた私は、突然背中に冷たい何かを放り込まれて、思わず跳び上がりました。何事ですかっ!?

「新しいわね、わふーばかりだと飽きるから、次からそれにしたら?」
 そんな私に、佳奈多さんがにやにやしながら言いました。いたずらです、間違いないです、佳奈多さんは葉留佳さんのお姉さんなのです。私が保証します。
「飲み物を下さるのは嬉しいのですが、背中に入れないで欲しいのです……」
 ごそごそと服の中から缶を取り出すと、佳奈多さんが持っているのと同じお茶でした。缶のお茶っていうのはなんか珍しいです。

「アホの子に乾杯」
「そんな乾杯はいらないですっ!?」

 なんだかんだ言いながら、私と佳奈多さんは、同じお茶をごくごくと飲みました。お揃いなのはとっても嬉しいです。
 静かな待合室にお揃いの音が響きます。





「ごめんね、クドリャフカ」
「わふ?」
 お茶を飲み終わったときでした、佳奈多さんがぽつりと言いました。いきなりどーしたんでしょーか?
 首を傾げた私に、佳奈多さんが言います。
「無理に降ろさせちゃったわね、ごめんなさい」
「わふ、気にしないで下さいっ! 私もこういうところで降りてみたかったのですっ!」
 わふわふと手を振って言いましたが、佳奈多さんはうつむいています。さっきまであんなに元気だったのにどうしちゃったんでしょうか?
 もしかして、みんなと一緒にいるのが、疲れてしまったのでしょうか?



 静かな待合室に、ちょっとだけ困ります、話をやめると間が持ちません。蝉がみんみん鳴いているのですが、なんか逆に寂しさを煽っている気がするのですっ!



 あの事件があってから、輪の中に入りたそうで、でも一歩を踏み出せないでいる佳奈多さん。
 そんな佳奈多さんが、私たちの仲間になってくれれば嬉しい、私はそう思っていました。
 だから、葉留佳さんと一緒になって、今回の旅行に一緒にいきましょーっと誘っていたのです。でも、それはもしかしてご迷惑だったのでしょうか?
 いつものメンバーに佳奈多さん、これでもっと楽しくなると思ったのですが……逆にご迷惑をかけてしまった気がするのです。
 佳奈多さんは私たちと一緒の列車に乗りたがっている……そう思っていたのは間違いないと思うのです。でも、ちょっとだけやり方を間違えてしまったのでしょうか?
 その時でした、佳奈多さんがまた口を開きます。

「やれやれね、葉留佳の言うとおり。賑やかなのについていけないさびしんぼうだなんて、どーしようもないじゃない」
「佳奈多さん?」
「クドリャフカ、ごめんね、私はまだあなた達には追いつけないから、もうちょっとだけ待っていてね」
「は、はいなのですっ!」
 
 思わず直立不動で立ち上がった私を見て、佳奈多さんが笑いました。そして、私の手を引きます。

「わふ?」
「クドリャフカ、向こうに温泉があるの、お土産屋さんもあるわ。一緒にお風呂に入って、葉留佳達にお土産を買っていきましょう。あなたが喜びそうな古い温泉街よ」
「計画的犯行でしたか……」
「あなたと葉留佳に乗せられてばかりじゃ悔しいじゃない。いつかきっと、あなた達と同じ列車に乗る事になるけど、今は別な列車にするわ」
「佳奈多さんはあまのじゃくなのですっ!」
「そうよ? 今頃気付いたの? まったく、それだからアホの子って言われるのよ、クドリャフカ」
「とんでもなく理不尽な事を言われている気がするのですっ!?」



 そんな事を言い合いながら、私たちは歩きます。
 古い古い家並みと、石垣の間の水路の向こうに、海が見えます。まだまだ高いお日さまが、じわじわと熱さを降らせています。とってもわんだふるな景色です。
 その時、向こうから来る風で佳奈多さんの髪が揺れて、佳奈多さんの匂いがしました。
 とっても優しくて、ずいぶんひねくれた佳奈多さんの匂い。
 
 佳奈多さん。
 佳奈多さんが皆さんに追いつくのはいつになるんでしょうか?
 でも、いつかはきっといつか追いつくのです。私たちは、同じ線路の上を、同じ幸せに向かって走っているのですから。
 だから、その時まで私は待っています。いつも佳奈多さんを頼ってばかりですから、佳奈多さんと一緒に、みなさんの乗る列車を追いかけるのです。

 同じ線路の上を、一緒に走っていくのですよっ!


[No.405] 2008/07/05(Sat) 20:01:09
Re: 第13回リトバス草SS大会(仮) (No.388への返信 / 1階層) - ひみつ@PC熱暴走で遅刻。せっかく書いたのでのせてみた

 事故が起きた時のことは、今でも覚えている。
 その日は朝から雲ひとつ無い快晴で、初夏らしい少し蒸し暑い日だった。
 遠くからは、少し早いジー、ジーという蝉の声。森のマイナスイオンを浴びながら、バスは晴れた山道を、順調に目的地に向かって走っていた。
(なんか、憎らしいくらいのいい天気ね)
 少し開けた窓からは、ぬるい空気が入ってきている。私は窓際の席で肘を突いたまま、ずっと森の木々が流れる景色をぼーっと眺めていた。
(そういえば、こんなにも長い時間、何もせずにいるっていうのも、久しぶりかもしれないわね)
 やがて少しだけ眠くなってきた私は、そのまま窓枠に軽く頭を持たれかけさせ、目を閉じる。すると前の晩、遅くまで机に向かっていたせいか、目の奥がかすかにぐるぐるとして、苦笑した。
(いつもは葉留佳を構っているか、委員会の仕事してるか、勉強しているかだから、逆に気を張らない時間が続くのも、勝手が違って調子が狂うわね)
 ちなみに葉留佳はどうやらバスに乗るときに、別のクラスのバスにもぐりこんだらしく、このバスには乗っていない。
 あのコらしいといえば、あのコらしいけれど、点呼とかクラスの迷惑は考えないのだろうか。
(いつまでたっても相変わらず人に迷惑をかけるような行動でしか、自分の存在を自己主張できないのね。まったく、馬鹿な娘)
 そうして私は、そっとため息をつく。


 その瞬間だった。
 ドーンという爆発音。
 悲鳴は聞こえなかったような気がする。そんな暇すらなかった。
 爆発音と同時に、ただ、ただ衝撃が襲ってくる
 それもつかの間。意識が途切れる前に、一瞬感じることができた感情は、虚無。
 痛いとすらも、怖いとすらも思えず、何か言葉を発する暇も無く、私は落ちた。
 そして、深く、鋭く、すべては一瞬で壊れ……そして、すべてが暗転した。


 次に目を覚ましたのは、知らない場所だった。
「……?」
 眩しいと思ったのは、照明だったらしい。光を放つシンプルな白い丸が目に飛び込んでくる。
(……ここ、どこ……?)
 それから、誰かのすすり泣く声が耳に入ってきた。
 見回すと、幾何学文様の見知らぬ明るいクリーム色の天井があって、頬に消毒液の香りがしている。
(え……)
 そこに至ってようやく、白いシーツのベッドに寝かされている自分を理解した。
(え、なに?)
 体を動かすと、腕にぴりっとした痛みが走る。見ると腕どころか、脚もお腹も体中擦り傷だらけで、髪は土煙でも浴びたかのように、乾いていた。
 悪い予感。
 気だるい体を根性で起こすと、そこは大部屋の病室らしく、同じ病室には私のほかに五人寝かされていた。
「ねえ」
 泣き声に向かって、声をかけてみる。
 泣いていたのは、私のベッドの向かいの女の子だった。顔を覆ったまま、とても悲しそうに、声を押し殺して泣いている。
 やがて私の声に気づいた女の子が、顔を上げた。泣きぬらしたその顔を見て、ようやくその娘が、クラスメイトであることに気づく。
「二木さん、目を覚ましたんだ……良かった」
 彼女は疲れきった表情で、涙を拭いもせず、顔を歪める。ひょっとしたら、微笑もうとしたのかもしれない。
「どうしたの」
「事故だって……みんな、たくさん、死んじゃった」
「事故……?」
「うん、地震が起きて……バスが崖から落ちたの」
 私は、絶句した。
 彼女の口からは出てきた言葉は、あまりにも予想の範囲を超えた出来事で、頭の中が真っ白になる。
 死?
 ちょっと、待ってよ。
「他の、みんなは?」
 平静さも装えず、かといって驚きのあまり取り乱すことさえできず、かすれた声でようやく言葉を搾り出す。
「分からない」
「分からないって……」
「だって、本当に分からないの。みんな、救急車で別々の病院に運ばれたから、……だから、他のクラスのバスでさえ、どうなっているか、まだよく分からないの」


 私は、あなたのことが大嫌いだった。
 あなたも、私のことが大嫌いだった。
 お互いに大嫌い、でもそれが私達にとってちょうど良い距離で、バランスが取れていると思っていた。
 嫌いあって、憎しみあって、挙句の果てに、未練など木っ端微塵になるほどの喧嘩をして、袂を分かつのだと思っていた。
 私達の末路は、そうなるべきだと思っていた。だから道が分かれることには、迷いは無かった。だけど。
 ……こんな終わり方なんか、望んでいなかった。
 

「いやあああ……」
 その時、廊下から女の人の号泣する声が、かすかに聞こえてきた。思わず、扉のほうを振り向いてしまう。するとたった今まで話していたクラスメイトは、辛そうに私から顔を背けた。
「今の……」
 思わず私がそう言うと、視線を逸らしたまま、彼女は口元だけを歪める。
「また、誰か消えたのね。私は目が覚めてから、……もうずっと、あんな声ばかり聞いているわ」
 死ぬ、と言えない彼女に、彼女自身もこの空気に心底疲れてしまっていることがみてとれた。
 その間も、ずっと廊下からは、事実を拒絶しようとしてしきれない、狂乱した女の人の悲鳴が聞こえ続けている。
(なんだか、やりきれないわね)
 暗くて重い雰囲気に呑まれ、私まで視線を落としたその瞬間。
(あれ、この声)
 不安が過ぎった。
 あの泣いてる女の人の声、誰かに似ている気がする。誰だったっけ……。
(……まさか)
 そしてその思考が最悪の想像へたどり着く。
(いや、でもまさかよね。そんな簡単に)
 しかし半信半疑な思考とは裏腹に、私はいてもたってもいられず、ベッドから飛び出した。
 あの泣き声。……分からない。ほとんど会った事もないし、会話すらしたこと無い。
 二木の両親が事故を聞いたところで、私や葉留佳に対して涙一粒流すとは思わないし、期待もしてない。
(けれど、葉留佳の両親なら……)
 ここにいるのも、ありえない話ではない、と思った。
 弱弱しくて愚かだけれど、変な因習に洗脳されている一族の中では、比較的血が通っている。あの母親なら。
 だけど、母親が号泣しているとすれば、それは、それは……。
(こんなところで、死ぬのは許さないわ!!)
 私は、奥歯を噛み締める。思ったよりも体力が衰えていたようで、フラフラしてちゃんと歩けないのが、もどかしかった。
 体中も痛い。だけどそれが気にならないくらい、怒りよりも強い感情が私を、突き動かす。。
 声のするほうへ体を引きずっていくと、電灯が落ち、自動販売機の明かりだけが灯っている、病院の待合室にたどり着いた。
 そこには、葉留佳の両親よりも、少し老年の夫婦が抱き合うようにして、泣いていた。
 号泣する母親の声は、確かに一度だけ親族の集まりで聞いた、葉留佳の母親の声に似ていた。
 彼女達も、今回の事故の被害者の両親だろうか。そしてその姿を見た瞬間、張り詰めていた糸が切れたように、私は膝から崩れ落ち、廊下の床にへたりこんだ。
(……違った)
 脱力したまま、力が戻らない。しかし不謹慎にも、安心する。
(声が似ていただけ、だ)
 「それ」が葉留佳でなかったことに、こんなにもほっとする自分が不思議にさえ思えてくる。そんな自分がなんだか情けなくて、空笑いさえ浮かべてしまった。
 その時だった。
「あなた?」
 突然、背後から懐中電灯が当てられた。
「!?」
 不躾なライトに思わず眉をひそめると、看護婦さんの少し責めるような口調が追いかけてくる。
「こんな時間にあなた、何をしているの」
「……」
 答えたくなくて黙って見返すと、看護婦さんは私の顔を見て、納得したように表情を緩めた。
「ああ、あなた……三号室の患者さんね。眠れないの?」
「そんなことより、今回の事故の他の生徒は、どこにいるんですか」
 変な同情よりも、情報が欲しくて、私は詰問するように質問で返す。
「探しているクラスメートでもいるの?」

 質問するのには向かない刺々しい態度になっているのは自覚しているが、さっきの葉留佳のことで焦らされた余韻が、私に精神的な余裕を無くしていた。
「色々なところよ。今回は人数も多かったから、一つの病院に収容し切れなかったの」
 淡々と返してくる看護婦の口から出てきたのは、さっきクラスのコから聞いたのと同じ回答。そんな答えが欲しいのではない。
「誰がどの病院に行ったかは、分かりますか?」
 自分とは対照的に、余裕の在る看護婦の態度が、妙に癇に障った。でもここでキレても仕方が無いと自分を落ち着かせる。
 その代わりに言い逃れさせないよう、まっすぐに看護婦の目を見返して、私は問うた。
「双子の妹を捜しています。居場所を知っていたら、教えてください。名前は……」
 そして息をふうと吐き、はっきりとその名を言葉にする。
「三枝葉留佳」


 その翌朝、同情した看護婦が調べてくれた葉留佳の病院のメモを手に、私は病院を抜け出し、朝もやの残る山のふもとの駅に居た。
(ああ、電車、早く来ないかしら)
 初夏とはいえ、山の早朝はまだ肌寒い。
 かといって、抜け出す際に十分な装備を持ち出すことができなかった私は、事故に遭ったときに着ていた普通の長袖シャツにカーディガンという軽装で、電車を待つ時間、少し震えていなければならなかった。
(……?)
 その時、私のポケットに入れていた携帯が鳴る。気がついていたならあらかじめ電源を切っていたけれど、携帯を持っていたことすら、忘れていた。
(もう、抜け出したのに、気づかれたのかしら。思ったより早かったわ……厄介ね)
 私は鳴り続ける携帯を無視した。しかし着信音は鳴り続ける。
(しつこいわね)
 イラッとして、携帯の表示画面を見たら、知らない着信番号だった。
(先生か学校関係者……?この携帯番号は、学校の誰にも教えてないはずだけど)
 ちらっと疑問がよぎる。
(まあ、一応怪我人一人いなくなったんだものね。調べようと思えば、調べられるのかも)
 電源を切った。
(……この様子だと、きっと二木の家にも連絡がいったわね)
 一応、家族ということになっているのだし、そう考えるのが自然な流れだ。後のことを考えて、少し欝になる。でも、毛頭引き返す気は無かった。
 やがて靄の向こうから光が差し込み、それはすぐに靄一面に広がって、やがて二両編成のディーゼルがホームに滑り込んでくる。
 そのクリーム色の車体はところどころ錆びていて、いかにも田舎の電車という感じだった。
 プシュッ。
 空気音がして、その電車のドアが開く。
 私は、少しホームから段差のある入り口に足をかけ、乗り込もうとした。その時だった。
「その電車、乗っちゃ駄目ーっ」
 甲高い女の声とともに、強く腕を後ろに引っ張られ、ホームに引き戻される。
「きゃああっ」
 慣性の法則に従い、私は引っ張った女を下敷きにして、二人そろってホームに転倒した。そしてゆっくりと電車のドアは閉まり、唖然とする私を残し、電車はゆっくりとホームを出て行く。
 私は突然の出来事にびっくりとして、電車が去った後の線路をしばらく眺めていた。それからようやく我に返り、女に向かって抗議しようと口を開く。
「なにす……っ」
 そして、二度驚かされた。私が下敷きにしていたのは、葉留佳だった。
「なに、じゃないわよ!佳奈多重い!」
 他にもなにやらぎゃあぎゃあとわめいている。
 私はふうっとため息を吐き、葉留佳の上からどくと、わざと冷たい眼差しで葉留佳に尋ねた。
「どういうこと?説明してくれる?」
「どういうことも、こういうことも、あんた、死ぬつもり!?」
 しかし言い返した葉留佳は、今まで私が見たことも無い表情をしていた。
 憎しみの無い目で、頬を紅潮させ、私に向かって真剣に怒っていた。
「言っている意味が全然分からないのだけど」
「だーかーらー、あの電車乗ってったら、あんた、死んでたの!」
 口を開くのも悔しいといった風に、その割りに涙さえ滲ませている葉留佳。いつも黒い彼女しか見ていなかった私は、そんな彼女の姿に、内心動揺する。
「……日本語で、分かるように、説明してくれる?」
「佳奈多、銀河鉄道の夜とか、死神列車とか、読んだこと無いの!?」
 なぜここで小説の話が出てくるのだ。まったく話がよめない。
 その上、この葉留佳の親近感は何事だというのだ。
 今まで私達は何度も、怒鳴りあい、罵り合ってきた。しかしそれは、いつも私が彼女を傷つけ、傷ついた彼女が私を憎んでのものだった。こんな風に、……まるで心配でもされているような感情をぶつけられると、どうしていいか、逆に分からないではないか。
「頭でもおかしくなったんじゃない、葉留佳」
「じゃあ、あれを見なさいよ!」
 大声で葉留佳が、電車が去った後を指差した。反射的にその先を目で追うと、今まで線路があった先には、漆黒があった。
「……っ!」
 あまりに非現実的な光景に、佳奈多は言葉を失う。
「だーかーら、言ったの」
 反対に葉留佳は、そうなることをまるで予測していたかのように、冷静だった。
「なに、これ……」
「佳奈多が、あの電車乗らなかったからね。未来が予測できなくなったのかも」
「どういうこと……?」
 呆然と問い返す佳奈多のポケットから、再び携帯電話の着信音が鳴る。その音を聞いて、葉留佳は苦笑するように、目を伏せた。
「出れば?」
「……葉留佳?」
 佳奈多を見る葉留佳の表情は、あるいは泣きそうにも見えた。
 プルルルルル……プルルルルル……。
 シンプルな着信音が二人の間に流れ続ける。
 佳奈多は、電話を取った。
「もしもし……」
 その瞬間、視界がぐにゃりと揺れる。
「!?」
 佳奈多は、はっとしたが、もう遅かった。膝から崩れ落ちる。
 そして再び、意識を手放す瞬間、佳奈多は葉留佳のほっとしたような、ひっそりとした声を聞いた。
「じゃあね、……バイバイ、お姉ちゃん」


 そして、再び佳奈多が目を開けたとき、佳奈多は森の中に居た。
 正確には、茂みの中に居た。顔も、腕も、お腹も痛い。傷だらけ。……でも、生きていた。
 藪に長い髪が絡みついている。
(あれ、……私、どうして)
 傍には、靴が落ちていた。衝撃があったことを、じんわりと自分の体が訴えている。
 そうして、ぼんやりと急に襲ってきたバスの衝撃を思い出す。
(私、バスの中から放り出された……?)
 身動きもロクにできないほど、深くはまってしまったおかげで、一命を取り留めたらしい。周囲は暗くて、よく見えない。
 バスのクラスメイトがどうなったかも、分からない。
(いったい、どうなっているの……?)
 そこまで考えて、佳奈多は自分のポケットにしまった携帯が、なっていることに気がついた。
「……っ!」
 幸い、手が届いた。やっとの思いで、電話に出る。
「はい……もしもし」
「……よかった!佳奈多ちゃん!」
 電話に出たのは、意外にも葉留佳の母親だった。いつもの遠慮がちな態度など吹き飛んでしまったかのように、泣き声で、佳奈多の名を呼び続ける。
「佳奈多ちゃん……佳奈多ちゃん、良かった」
「あの、……私」
「ずっと、探していたの。あなただけでも、……もう、あなただけでも、助かって……」
 後は、嗚咽で聞こえない。やがて母親の後を、葉留佳の父がひきとった。
「今の、どういうことですか!?……まさか、葉留佳が」
「……今かけているこの番号はね、葉留佳の携帯の登録一番に入っていた番号なんだよ。名前は登録無かったけれど、もしかして、と思った」
「質問に答えてください。葉留佳は……」
 がんじがらめに、木にはまり込んでいるおかげで、
 でも嫌な空気は、ビンビン伝わってきた。
「葉留佳は、駄目だった。でもキミはまだ行方不明だと知って、もうこれ以上失いたくて、僕達は一縷の望みをかけて、かけ続けていたんだ。もしかしてと思って……あたったよ。土壇場でキミに繋がるなんて、あの娘らしいね」
「何が、どうですって……」
 私は、絶句する。確定だ。
 娘の、女の子の携帯を、親がかけている。親が泣いている。
 『あなただけでも』
 頭痛がする。痛い、痛い、痛い……。
 私はもう一度、気が遠くなるような感覚に襲われながら、震える声で尋ねる。
「答えてください。葉留佳は……ねえ、葉留佳は……っ!」
 プツン。
 自分の意思に反し、そこでまるでテレビの電源が切れるように、再び私は意識を手放した。
 それからどれくらいの間、そうしていたか分からない。
 白い照明。幾何学模様の天井。
 そうしてまた目を開けたとき、今度は私はいつか見たようなベッドの上で、けれどもその世界は、永遠に葉留佳を失ってしまった後の世界だった。
 
 
 事故から三ヶ月経った学校。
 あの事故は、結局多数の死傷者を出して、マスコミにも大きく報じられることになった。
 一番被害が大きかったのは、よりによって葉留佳が乗り込んだクラスのバスで、二名を除き、全員死んでしまったのだという。
 学園が受けたショックは、相当大きなものだった。まだ、PTSDで登校できない生徒もいるらしい。
 ……それでも、日々は過ぎていく。
 それでも空は青いし、夏は暑いし、生徒はさざめく。元通りとはいかなくても、大多数の生徒は日常に戻ろうと、歩き出していく。
「邪魔ですね、あのベンチ。壊しちゃいましょうか」
 振り向くと、いつだったか葉留佳が修理していたボロベンチを窓越しに指差し、今年入ったばかりの一年の風紀委員が言った。
 確かに、見苦しいと思う。素人修理で、使えないこと甚だしいし、危ない。……でも。
「いいわよ、ほっときなさい」
「でも……」
「いいのよ。それよりもっと、私達にはやることがあるでしょう」
 そう言って、私はなるべく感情を表に出さずに、ベンチの前を通り過ぎる。
 そうして、毎日が過ぎていく。
 いずれ私自身が手を下さなくても、あのベンチは廃れ、近い将来に誰かが捨てるだろう。
 だから、せめてそのときまでは、葉留佳が居たその根拠を消したくない。
 あんなにも、追い出そうとしていたのに、自分でも不思議だとは思うけれど、自分は葉留佳が消えてしまうことを、望んでいたわけではなかったから。
 葉留佳が居なくなって、思い知った。葉留佳が目の前から消えてしまっても、どこかに居てくれれば良かった。
 憎まれても、もう二度と会えなくても、それでもどこかで笑ってくれれば、それで良かった。
 世界のどこかで、……葉留佳には、笑っていて欲しかった。
 私の分まで。
 ……でも、それはもう二度と適わない。
 皮肉なことに、葉留佳が居なくなって、それをきっかけに私は葉留佳の両親と連絡をポツポツと取るようになった。
 もう一人の父親である「あの人」とも、今度会う段取りが出来ている。
 そして、私は近いうちに二木の家を出る。もう、私も怯えているだけの子どもではない。
 そうやって私も変わっていく。ひとつの言えない疑問を抱えたまま。
(葉留佳はどうして……)
 私はふと、空を見上げて思う。空は青くて、まるでバス事故のおきたあの空にとても似ていた。
 携帯番号の一番に、私の番号を登録していたのだろう。
 どこで知ったのだろう。どこかで盗んで、嫌がらせでもするつもりだったのだろうか。
 それとも、何か考えがあったのだろうか。
(……分からない)
 憎みあっていた私達の間には、親しい感情が起きるべくも無かった。私もそうしていたし、彼女もそうなるように動いていた。
 だけど……それとも、何か伝えたいことでもあったのだろうか。
 でも、それはもう二度と聞くことが出来ない。
 私達の間は、呪いの言葉しか交わすことなく終わってしまった。
 それが私達の終末。
 もう、二度と私達の関係は、修復されることなく終わってしまった。
(葉留佳、私達は壊れていたわね)
 私は、この先葉留佳を置いて、歩いていく。多分死ぬまで。
 ……生きていく。
 そこまで考えた私は、私は不意にこみ上げてくるものに耐えようと、目を閉じた。
(……っ!)
 波のように、寄せては返す、さざめく気持ち。
 それはとても、とても寂しいことのように思えた。


[No.408] 2008/07/05(Sat) 22:57:21
タイトルは「線路」です (No.408への返信 / 2階層) - ひみつ@PC熱暴走で遅刻。せっかく書いたのでのせてみた

タイトル書き忘れました。。。慌てすぎ。

[No.409] 2008/07/05(Sat) 22:59:29
Re: ただ気の赴くままに…(直し) (No.388への返信 / 1階層) - 明神

> 僕は初めて自分から授業をサボった、理由は考えてみても特になかった気がする。
>
> だけど、その日はサボってしまったんだ…
>
>
>
> ただ気の赴くままに…
>
>
> 「何でサボったんだろう…」
> 僕は今考えていた、自分自身が今日授業をサボったことについてだ。
> 結論から言って今日僕が授業をサボる要素は一つもなかった、体調は普通むしろ良好に近い、最近に特にやましいことをした記憶もない、目立った宿題も今日はない予習もしたから別に授業についていけない心配もない。
> 「うーん」
> 唸ってみたところで何が解決するわけでもない、なら、一体何故僕はサボったんだろう…今のところ何のサボる理由も分からぬまま、校舎の影にひっそりとしていた
> 「むっ、少年こんな所で一体何をしているのかな?」
> 「来々谷さん…」
> 僕の後ろには来々谷さんが立っていた、そういえば、今の授業って数学だったっけ…
> 「むっ少年もサボりかね」
> 「うんそういうことになるね」
> 「少年がサボりとは珍しいな」
> 「僕もそう思うよ」
> 本当にそう思う。
> 「どうだい少年、おねーさんと一緒にティータイムと洒落込まないかね?」
> 「うん、いいよ」
> 僕は特に断る理由も無いので誘いを受けた
>
>
> …来々谷さんに連れられてやって来たのは来々谷さんお気に入りのカフェテラスとも言える場所だった
> 「少年はそこにかけてくれ」
> 来々谷さんの指さした先にはイスが2つ置いてあった、普段来々谷さんしか使わない場所にイスが二つあるのかという疑問は置いといてだ。
> 「少年はどっちがお好みかね」
> 差し出されたのはミルクティーとレモンティーだった
> 「ありがとう。こっちをもらうよ」
> 来々谷さんからミルクティーを受けとる。
> 今ここには、爽やかな風が吹いていて絶好のティータイム日和だった。
> 「ふむ、そういえばまだ少年が授業をサボった理由を聞いていなかったな」
> もう1つのレモンティーの缶を開きながら来々谷さんは言った
> 「何でだろうね?」
> 僕はこう答えた
> 「分からないのか?」
> 「うん、わからない」
> 来々谷さんは、そうかと言って少し考え始めた
> 「少年は自由が欲しかったのではないかな?」
> 少し考えてから来々谷さんは言い始めた
> 「自由?」
> 「そう自由だ」
> そうだと言って来々谷さんは続ける。
> 「少年はある種レールの上を歩く人生を送ってきたんだと思う」
> 確かにそうかもしれない
> 「もちろんあの世界も一種のレールと見れるな」
> 修学旅行の事故の時に僕と鈴を強くするために作られた世界…確かに一種のレールと言えなくもない
> 「まあ君たち2人は結果的に脱線したがな」恭介達のもくろみから外れたことからして確かに脱線したと言えるだろう。
> 「まあ、そのお陰で私たちは助かったのだがな、だが君はその時に『自由』と言うものを感じたんだと思う」
> 僕があの事故で自由を感じた?
> 「多分君はその時自分の意思と考えのみで動いていた、リトルバスターズ!にいるときは恭介氏や他のメンバーが先に動いていて君は常に引っ張られていたように見える」
> …否定できない
> 「だが、あの事故の時は違う。その時君は自らの意思と考えで動いていた、恭介氏やリトルバスターズ!の面々抜きの君の100%純粋な考えのみだ」
> 「だけど、それはみんなが本当に死にそうだったから…」
> 「だったらそれは誰かに指示されてしたことなのかい?」
> 「違うよ」
> 「だろう?君は自分自身の考えを自分自身で実行したことによって無意識に『自由』を感じたんだと思う。そしてクラスのみんなを助けた時に無意識に自由感で満たされていたんじゃないかな?」
> 「わからないよ」
> 「その後、私たちには日常が戻ってきたが、君はその時『自由』を感じた、そんな君はこの毎日のレールに引かれた人生が学校みたいなレールが無意識に嫌になった」
> 「わからない」
> 「だから今日こんな風に形になって現れた」 「来々谷さんの言ってることはまったくわからないよ…ただ」
> 「ただ?」
> 「来々谷さんが言うように僕が自由を求めたっていうならそれも悪くないかもね」
> 「そうか、ならいつでもここに来るがいい、おねーさんは歓迎するぞ?」
> 「いつでもは無理だけど気が向いたらね」
> 「そうか」
> 「来々谷さん少しだけお願いがあるんだけどいいかな」
> 「なんだい?」
> 「少しだけここで眠らしてもらっていいかな?」
> 「ふふっ、駄目と言うはずがないだろう?」
> 「ありがとう」
> 優しい風が僕の頬を撫で、木漏れ日が僕を優しく照らす。
> 僕はこんな風になるならたまには気の赴くままにレールを外れるのも悪くないと思いながらまどろんでいった。








[No.410] 2008/07/06(Sun) 02:17:58
感想ログや次回など (No.390への返信 / 2階層) - 主催

 http://kaki-kaki-kaki.hp.infoseek.co.jp/Little13-1.txt
 http://kaki-kaki-kaki.hp.infoseek.co.jp/Little13-2.txt


 MVP「それは夢である」の作者は雨音さんでした。おめでとうございますっ。
 次回のお題は「夏」
 7/18金曜24:00(土曜0:00)締切 翌7/19土曜22:00感想会
 MVP対象20kb以内


 次回から
 締切(金曜24:00)、容量(20kb) ← これまでのものから変更しています
 について、より厳しく仕切っていきたいと思います。
 上記二点の両方を守っている作品についてのみMVP投票可。
 ただし、遅刻、容量オーバーな作品についても感想会では取り上げますので、そういった投稿も是非に。



 そういった感じでこれからのリトバス草SS大会を運営していきたいと思います。
 これからもみなさまよろしくお願いしますー。


[No.414] 2008/07/08(Tue) 01:41:56
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