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No.415に関するツリー

   第14回リトバス草SS大会(仮) - 主催 - 2008/07/15(Tue) 20:52:50 [No.415]
魂の牢獄 - ひみつ@【規定時間外投稿】【MVP投票対象外】 5639 byte - 2008/07/19(Sat) 06:42:33 [No.434]
―MVP候補ここまで― - 主催 - 2008/07/19(Sat) 00:10:59 [No.433]
別れの季節 - ひみつ 9738 byte - 2008/07/19(Sat) 00:00:39 [No.431]
夏空の向こう - ひみつ@ギリギリすぎる 10710 byte - 2008/07/18(Fri) 23:54:35 [No.430]
夢の彼方 - ひみつ  5576 byte - 2008/07/18(Fri) 23:18:32 [No.429]
夏とのお別れの日にすごした暖かな日 - ひみつ@初なのです 19314 byte - 2008/07/18(Fri) 21:40:47 [No.427]
未完の恋心 - ひみつ 8824 byte - 2008/07/18(Fri) 21:31:52 [No.426]
吾輩は夏である - ひみつ@なんかまにあった 9877 byte - 2008/07/18(Fri) 16:02:46 [No.425]
暑い日のこと - ひみつ - 2008/07/18(Fri) 15:06:00 [No.424]
9232 byteでした - ひみつ - 2008/07/18(Fri) 22:30:25 [No.428]
百ある一つの物語 - ひみつ 12073byte - 2008/07/18(Fri) 01:57:20 [No.423]
8月8日のデーゲーム - ひみつ 16838 byte - 2008/07/18(Fri) 01:51:34 [No.422]
なつめりんのえにっき - ひみつ 13162 byte - 2008/07/17(Thu) 16:00:32 [No.421]
私と彼女とカキ氷とキムチともずく - ひみつ 7099 byte - 2008/07/17(Thu) 01:28:50 [No.420]
夏色少女買物小咄 - ひみつ 18379 byte - 2008/07/16(Wed) 23:52:32 [No.419]
夏の隙間 - ひみつ 13724byte - 2008/07/16(Wed) 22:29:11 [No.418]
夏は人を開放的にさせるよね、というようなそうでもな... - ひみつ 9875byte - 2008/07/16(Wed) 20:32:19 [No.417]
ログ次回 - 主催 - 2008/07/20(Sun) 23:45:40 [No.441]



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第14回リトバス草SS大会(仮) (親記事) - 主催

※※
るーるを多少いじくりましたので、以前から参加されてる皆様ももう一度下部詳細に目を通してくださいー。
※※


 詳細はこちら
 http://kaki-kaki-kaki.hp.infoseek.co.jp/rule.html
 この記事に返信する形で作品を投稿してください。

 お題は「夏」です。

 締め切りは7月18日金曜24時。
 今回から締め切り後の作品はMVP対象外となりますのでご注意を。

 感想会は7月19日土曜22時開始予定。
 会場はこちら
 http://kaki-kaki-kaki.hp.infoseek.co.jp/chat.html
 はじめにMVP投票(最大3作まで投票可能)を行いますので、是非是非みなさまご参加くださいませ。
 ご新規、読みオンリー、感想オンリー、投票オンリー、大歓迎でございます。


[No.415] 2008/07/15(Tue) 20:52:50
夏は人を開放的にさせるよね、というようなそうでもないようなまあ要するにおっぱいの話、略して夏は開放的なおっぱい (No.415への返信 / 1階層) - ひみつ 9875byte

 ほんの少し、忌々しく思う気持ちを視線に込めて空を見上げる。
 途中までは陽射しが強過ぎて、あんまり外を歩き回ってたら日射病か熱射病で倒れちゃうんじゃないかってくらい晴れてたのに、いつの間にか薄暗くなってぽつりぽつりと雨がぱらついてきた。初めこそ小降りだったけどすぐ土砂降りに変わり、丁度商店街の手前まで来ていたから、休日なのか閉まっている近くの店の軒下で雨宿りさせてもらっている。
「……だいぶ、濡れちゃったね」
「うむ」
 僕は隣で水を滴らせている来ヶ谷さんに声を掛けた。
 天気予報じゃ、今日の降水確率は二十パーセント。きっと降らないだろうと楽観視して傘を持ってこなかった。来ヶ谷さんは言わずもがなで、おそらく街中を歩く人達も全然雨になるとは想像してなかったと思う。七月の外は嫌になるほど蒸し暑く、梅雨明け宣言はまだ聞いた覚えがないけれど、こんなしっかり晴れてれば大丈夫だと考えてたのも確か。
 そういえば、妙に雲の流れが速かった。だからってそれがわかってたら予見できたかというと勿論そんなことはなく、来ヶ谷さんから申し出てくれたデートだとはいえ、びしょびしょにさせてしまったのは純粋に申し訳ない。
 腕を組み、静かに目前の光景を見つめる来ヶ谷さんに向けて、ごめんね、と謝る。
「別に少年が悪いわけではないだろう。注意を怠った私も同罪だ」
「いや、でもやっぱり……」
「それに、私はこういうのも嫌いではないぞ。雨の日は憂鬱になるが、嫌気が差すようなことばかりでもない」
 長い濡れ羽色の髪が、多量の湿り気を帯びて艶やかに光を反射した。
 腰辺りに垂れているその先端からぽたぽたと雫が落ち、足下に小さな溜まりを作っていく。髪だけじゃない、時間にすれば二分にも満たなかったけど、もう服なんて絞れそうなほどの酷い有り様だ。肌に貼りついてちょっと気持ち悪い。
 小さく口元を緩ませた来ヶ谷さんに何かを言おうとした僕は――ふと、ひとつの重大な事実に気付いた。
 慌てて唇を開きかけ、閉じる。声に出しちゃいけない。そうしたら全てが台無しになってしまう。
 一握りの後ろめたさを感じながら、ちらりとそのしなやかな立ち姿を、盗み見る。
 酷く濡れて――くっきりと輪郭を露にした、来ヶ谷さんの、おっぱいを。





 夏は人を開放的にさせるよね、というようなそうでもないようなまあ要するにおっぱいの話





 女性の胸部に対する名称は数多く存在し、そのどれもが僕らを魅惑して止まないものだ。乳房と書けばそこに一種無機質な響きを見出すし、たった一文字、乳と記せば厭に生々しい印象を抱く。膨らみの度合いにもよるけれど、纏う衣服を内側から圧迫する二つの隆起を丘に見立て、双丘、と呼ぶこともある。それに限らず、形容する言葉は数多く存在するだろう。
 でも、僕はやっぱりおっぱいを推したい。この単語を考えついた過去の人間は間違いなく偉人の類だと思う。性的な、卑猥な四文字の中に柔らかな音を含み、やがて子を身に宿して産んだ時、役目を果たすそれが持つ母性をも表現する、素晴らしい名前。
 ……そう、母性。母性だ。人は誰もが母親の胎内から誕生し、僅かな例外を除きそのおっぱいに吸い付くことになる。淡白なミルクが人生で初めて己の口に入るものならば、僕達が顔を埋めるおっぱいは母の、他者のぬくもりを象徴するものであり、魂の平穏を得られる原初の理想郷と言えるのではないか。
 おっぱいは人を差別しない。どんな罪を犯そうとも、過ちを繰り返そうとも、等しく絶対の愛で包み込んでくれる。それはおっぱいという概念が保有する神秘――魔力と言い換えられるかもしれない。バストサイズは関係ないのだ。おっぱいがおっぱいである以上、そして僕らを差別しない以上、彼の膨らみもまた差別されてはいけない。大きいおっぱいには大きいおっぱいの、小さいおっぱいには小さいおっぱいの価値が、力が、存在意義がある。今、僕が地に足を付けている……つまり重力が下向きなのと同じように、確認するまでもない、当たり前のこと。物理法則と一緒だ。疑問に思う方がおかしい。
「……理樹君、よく見ればキミはずぶ濡れだな」
「来ヶ谷さんこそ。というか、よく見なくてもわかるよね?」
「二人で走ってきたからな」
 ――なんて思考は頭の内に留め、互いの間で漂った静寂を破る来ヶ谷さんの何気ないひとことに、僕はいつもの調子で返事をする。未だ雨の勢いは衰えることなく、こちら側を守る軒が隔てた視界の先で、ざあざあと猛威を振るっていた。
 足下で跳ねた多量の雨粒が、爪先や膝下の生地を濡らす。もっとも靴の中は既に靴下までぐちょぐちょ、ズボンも水を吸ってかなり重たい。着替えられればいいんだけど、傘が手元にない状態じゃ、もし替えの服を持ってきてたとしても無駄な手間にしかならないのは確実だった。そんなことをするならさっさと寮に戻った方がいい。
「雨、止んでくれるかな」
「長雨にはならないだろう。おそらく通り雨だ、しばらくすれば勢いも弱まる」
 そう断言する来ヶ谷さん。凛とした顔に感情の揺らぎは見て取れず、僕はそっかと頷く。
 心配する必要はなかった。来ヶ谷さんが言うなら、十中八九予想は外れない。
 額にしつこく付く前髪を左手の指で払い、右手で腰辺りの生地をぎゅっと絞った。騒がしく雨が地面を叩く音に混じり、結構な量の雫がぽたぽたと落下する。夏らしい生温かさが肌を通して伝わってきた。気持ち悪いような、でもちょっと涼しいような。吹き流れる風は全身に纏わり付く湿気と微妙な熱気を運んできて、余計に季節の移り変わりを感じる。
「ふう……しかし、さすがに七月にもなると、雨が降ってもさほど涼しくはならないな」
 どこかから飛んできた新聞紙を暇潰しに目で追っていた僕の横で、不意に来ヶ谷さんは胸元に指を入れた。人目がないのをいいことに、大胆にも服を引っ張ってそこに隙間を作る。もう片方の手でぱたぱたと煽り、これ見よがしにおっぱいを強調する格好で風を招き始めた。
 僕が凝視するのを期待して、誘っている。その行為は健全な男にとっては効果抜群、虫に対しての誘蛾灯よりも確かな引力を持つものだ。ただでさえ大きくも美しい、均整の取れたおっぱいなのに、普段から決してガードは固くなく、開放的に晒されている谷間。思わず手を差し込みたくなる魔性の空間がさらに広げられれば、自分を見失いふらふらと引き寄せられてしまうのも無理はないだろう。
 でも、僕は努めて冷静に視線を外すことができた。吐息を漏らし、目を閉じる。
 何度も目にして瞼の裏に焼きついた、今はもういつでも思い返せる来ヶ谷さんのおっぱい。確かに、大半の男に対してそれは凶悪な武器に為り得る。僕だって最初の頃は傍からすれば面白いように翻弄され、遊ばれてきた。……ひとつの真実に、辿り着くまでは。
「む……」
 思惑通りに事が進まなかったからか、ほとんど雨音に掻き消されてしまう程度の小声で来ヶ谷さんは唸った。僕は聞こえなかったふりをする。細い指が胸元を離れたけど、惜しいとは感じない。だって――だってそこには恥じらいが、いわゆるチラリズムが致命的なまでに欠けている。おもむろに風がめくり上げるスカートの下、前屈みになった時だけ覗ける衣服と身体の暗い隙間、髪を掻き上げた瞬間窺える白いうなじ……それら何もかもは、隠されているからこそ意味のあるものだ。
 最初から表に出ていれば、倒錯した色気も浪漫も存在しない。あらゆるものが直接的なら、人はいずれその快楽にも慣れてしまう。隠す側が持つ羞恥心と、覗く側が持つ秘められたエロスを求める欲望、ふたつが合わさることでチラリズムは成立し、どちらも損なわれてはいけない。夢が、失われるから。
 だから僕はいつも、来ヶ谷さんは胸を隠すべきじゃなかろうかと思っている。見せてくれるのは僕の前だけでいい。勿論それが醜い独占欲、嫉妬の類だという自覚はあるけれど、違うことなき本心であることも理解していた。
 かといって――実際当人を前に言えるかどうかは、別の話だ。
「……なかなか止まないね」
 心中のものとは全然関係ない言葉をこぼし、背後のシャッターに体重を預けた。
 再びそっと横目で捉えた来ヶ谷さんは、さっきから腕を組み、膨らみを軽く持ち上げる形で微動だにせず立ち尽くしている。濡れそぼった清潔な白い服は薄く透け、気のせいでなければ下着の色が判別できるようになっていた。晴れた空に似た水色。少し意外だけど、素直に似合ってると感じた。
 激しい雨で人通りがないのは幸いだった。こんな来ヶ谷さんの姿、誰かに見せたいものじゃない。
 そんな風に考えていると、来ヶ谷さんがすっと距離を詰めてきていた。狭い軒下はよくて五、六人分ほどのスペースしかなく、数歩近付かれれば簡単に手が届く。肩と肩が触れ、夏の雨が持つ独特の湿った匂いを、来ヶ谷さんの淡い髪や汗の匂いが中和した。ぴちゃりと互いの濡れた服が密着し、それに構わず腕が絡められる。
 二の腕に押し付けられたおっぱいが、柔らかく潰れて僕の理性を圧迫する。布越しに伝わってくる、不快には感じない程度の湿り気と、若干普段より高い体温。さすがに平静ではいられなかったけど、表情だけは崩さないよう堪えた。
 なるべく素っ気ない態度を心がけ、優しく腕を振り解く。
「理樹君は、こういうのが嫌いだったか?」
「いや、そんなことないけど……。でも、今はびしょびしょだし、暑いし、ね」
 離れる間際、偶然を装い肘でパイタッチをしつつ、僕は代わりに来ヶ谷さんの手を取った。そうして半歩分の空間を挟み、特別何をするのでもなく、雨が降り続けるのをただ眺める。
 掌を中心にじわりと汗が滲んでも、繋いだ指の力が緩むことはなかった。
 ――そのぬくもりを確かめながら僕は想像する。先ほど感じた、瑞々しい果実めいたおっぱいの全貌を。細く引き締まった来ヶ谷さんの体型だからこそ並外れた大きさが際立ち、けれど決して下品にはならない、ある意味ギリギリのサイズ。大胆に開かれた胸元、覗く鎖骨の下で激しく存在を主張する、芸術的と評するに相応しい曲線は、例え遠慮なく手指が食い込んだとしてもその美しさを損なわないだろう。正に奇跡の体現と言ってもよかった。
 幾ら言葉を尽くしたって、来ヶ谷さんのおっぱいの魅力は語り切れない。人間が純然な感情を、一片の欠落もなくありのままに他者へ伝えられない以上、真の芸術に対する評価もまた、地上に現存する全ての言語を用いたとて完璧なものにはなれないと思う。
 実際目にした者にしか素晴らしさはわからない。そして、おっぱいの価値とはやはり触れた瞬間にしか理解できないのだ。道具が使われることで初めて真価を発揮するのと同じように、おっぱいは揉まれることが存在意義でもある。人間が雌雄一対の生物であり続ける限り、どんな虚言を弄したところで、おっぱいから性的な要素は失われない。
 僕は、おっぱいを愛している。
 それが自然なことだと、当然の気持ちだと教えてくれたのは、他ならぬ来ヶ谷さんだった。
 だから――。
「あ……」
「雨が上がったな。では理樹君、行こうか」
 灰色の雲が彼方に流れ、湿気を吹き飛ばす風と共に空から光が射す。眩しさに目を細め、広がる水溜まりに一歩踏み込んだ。跳ねる飛沫が靴を濡らすけど、構わない。これだけの陽射しなら、寮へ向かう間に服も一緒に乾いてくれるはずだ。
 僅か遅れて来ヶ谷さんも、ぴしゃりと水を飛ばして僕の隣に並んだ。びしょ濡れなのにどこか清々しい気分。今になって、傘を持ってこなくてよかったかもしれないな、と思った。
「ねえ、来ヶ谷さん」
「ん、どうした?」
 ……いずれ、自分に嘘を吐けなくなる日が来る。
 その前に正直な心を打ち明けよう。僕の全てを、受け入れてくれると信じて。
 両手に余るおっぱいの、いや、いっぱいの幸せを掴み取るために。
「今度――二人で海にでも行こっか」
 そこで、ひとことでは語り尽くせない想いの何もかもを吐き出してみせる。
 本当の意味で僕達が恋人同士になれるのは、きっと、それからだ。


[No.417] 2008/07/16(Wed) 20:32:19
夏の隙間 (No.415への返信 / 1階層) - ひみつ 13724byte

 草木も眠る丑三つ時、にはまだ早いけれど、既に日は変わってしまっている。僕らが懐かしい思い出の眠るこの地を踏みしめたのは、丁度終電と同時だった。


 どうしても、今日、この日にこの場所に来たい。それが彼女の要望であり、ここ半年近くの逃亡生活の中での唯一の我儘でもある。十分注意は払っているけれど、それでもやはりリスクはあった。
 それでも再びこの街に訪れたのは、どうしても忘れられない、忘れたくない思い出が埋まっているからだろう。

 僕は、唯一の拠り所である最高の仲間たちを。彼女は、唯一の生きる目的だった最愛の妹を。

 例え失ってしまったとしても、その輝きが褪せることはないから。どんなに心の中で謝っても、過去を取り戻すことはできないから。

 だからきっと、僕たちはまたこの街に来た。あの事件が起きた、いわゆる命日についさっきなった、今日この時に。













 深夜の墓地というのは、学校の校舎なんてものとは比べ物にならないほど不気味だ。ついでに夏場は虫も多い。
 そんなことは百も承知ではあったけれど、それでもこの時間以外に僕らに選択肢なんてなかった。
 二木の家は未だに僕たちのことを追っているだろうし、昌さんの協力があるとはいえ日中の墓参りはあまりに危険すぎる。
 捕まれば、僕はともかく佳奈多さんはどうなるか分からない。
 それこそ、昌さんと同じことをする覚悟が必要になる。佳奈多さんがそんな事を望んでいない以上、僕らが葉留佳さんを参る為には多少の常識とか条理を無視してでも深夜に決行するしか手段はない。
 と、これは昌さんの言ではあるが、僕もこれには全面的に同意する。時間的に、葉留佳さんのお墓しか参ることができないのは残念だが、それは仕方ないだろう。
 ほとぼりが冷めた頃に、一人で来るしかないかな。
 そんな事を考えていると、隣を歩く佳奈多さんが不意に口を開いた。
「ねえ、直枝。葉留佳は怒っているかしら。墓参り一つ行かなかった姉に」
「そんなことはないよ。怒ってるフリぐらいはするかもしれないけど」
 正直なところ。佳奈多さんから伝え聞く限りの葉留佳さんならば、きっと怒ることすらしない。寧ろ来ないで欲しいと思うだろう。聞く耳持たず、信用もなく、心の底から憎みきって、ただただ拒絶したと思う。
 でも、僕が知っているリトルバスターズの葉留佳さんなら。
 きっと、照れ隠しに怒ったフリをしながらも、その喜びまでは隠しきれないんじゃないだろうか。
 僕の中の葉留佳さんと、佳奈多さんの中の葉留佳さんでは大きな隔たりがある。でも、それでも、IFの世界があったとして、皆が無事に帰ってきていたのなら。
 誰かが橋渡しをしてあげるだけで、きっとこの姉妹は和解できた。僕はそう信じている。
 それを考える度にやるせない気持ちが胸を渦巻くが、僕はいつの日か見ていたような気がするんだ。
 ある夕暮れに。鏡合わせのように顔を突き合わせ、泣きながらも笑って抱きしめあう二人の姿を。
 それがただの妄想だと言われたら、否定することなんてできやしないけど。それは僕にとって、大きな拠り所になっていた。

 僕の返答に、軽く息をついて佳奈多さんは答える。
「本当、あなたはお人好しよね」
「うん。でも、お人好しなおかげで、こうして佳奈多さんの隣にいられる」
「厄病神の隣が好きなんて、酔狂な人だわ」
 そんなやり取りは、もう飽きるぐらい繰り返されていて、その度に僕の答えも変わらない。続いて僕が上げる反論の声が分かっているから、佳奈多さんは口元を緩める。
「分かってるわ。分かってるけど、私は貴方の言葉を信じられない。私は、私の中の葉留佳が笑ってくれるまで、貴方を信じることができないの」
「うん。それでもいいよ。でも、それでも僕は、佳奈多さんを幸せにしたい。葉留佳さんが得られるはずだった幸せの分まで佳奈多さんが幸せにならなきゃ、誰も報われないんだ」
 答えはない。代わりに、少しだけ寄りかかってくる重みと体温がある。
 僕が守ると決めたもの。
 少しだけ歩きにくいけど、きっとこうでもしないと僕たちはそこに辿り着けない。それでは、ここまで逃げてきた意味さえなくなってしまうから、僕たちはゆっくりと前に進む。
 先に進む為じゃなくて、過去を満たす為の後ろ向きな歩みだけれど、意味がないなんてことはないんだ。
 僕らはスタートラインを目指しているんだから。
 まだ始まってもいない僕らの旅だけど、それでも二人寄り添って歩むことはできる。そう信じて、強く在ることでしか、僕には佳奈多さんを守る方法が思い浮かばない。
 堅くて堅くて、だからこそ今にも折れそうなこの女の子を守る為には、それしか。















 気がつけば、今日の終着点に辿り着いていた。葉留佳さんは、三枝・二木、どちらの本家の墓にも入っていない。ここにあるお墓は、彼女の親たちが建てた個人碑だ。
 佳奈多さんは、夕方買った少し萎びている花を薄暗がりの中添える。幸いにして満月に近かった為、そんなに難しいことじゃない。
 バケツに汲んであった水を柄杓ですくい、ゆっくりと天辺から清める。線香をあげて、二人同時に手を合わせた。


 長い静寂が下りる。佳奈多さんが何を報告して、謝罪して、自虐しているのかは分からない。
 僕は僕なりに葉留佳さんに伝えないといけないことがあった。佳奈多さんが、佳奈多さんの中の葉留佳さんに許しを請うているように。僕も、僕の中の葉留佳さんに許しを請わなければいけない。



 佳奈多さんを貰って行くよ、と。
 僕が幸せにするから。してみせるから。
 だから、見守っていて。できれば祝福してほしい。
 そこまでは、さすがに図々しいお願いかもしれないけど。でも、きっと葉留佳さんなら、


『むー、しょーがないなー理樹くんは。そこまでお願いされちゃ仕方ありませんネ。返品したら化けて出てやりますから覚悟してくださいヨ』


 なんて。その声は幻聴で妄想で、どうしようもなく都合のいい夏の幻なんだろうけど。それでも、僕にとってはただ一つの信じるべき道標。もしこれが間違っているというのなら、その時はあの世でいくらでも文句を聞いてあげよう。
 でも本物なら。どうか彼女の悪夢を覚まして欲しい。たった一言、ありがとう、と。それだけできっと、佳奈多さんは自分を許せると思うから。








 帰り道。佳奈多さんは無言だった。
 繋いだ手は夜風で冷えていて、月が隠れると彼女の顔もよく見えない。
 僕から話すべきことは何もなかったし、僕から話してもいい結果にはならない。だから沈黙が続いていく。繋いだ手のひらから伝わる体温だけが、ただお互いを支えあっている。
 彼女は口を開かない。まるで、この街を出るまでは絶対口を開かないと決めているかのように。
 苦痛ではないけれど、ただ過ぎていく時間。結局、昌さんとの待ち合わせ場所まで彼女は口を開けず、でも手だけは離さなかった。


「満足できたか」
 開口一番昌さんはそう問うた。
「はい」
 僕は言葉でそれに答え、佳奈多さんは俯くことで答えた。その様子に彼は軽く溜息をつき、停めてあった車へと案内する。
 この時間にこの街から脱出するには乗用車以外に手段はない。そこまで用心する必要はないかもしれないが、リスクは減らすにこしたことはないだろう。
 用意された乗用車の後部座席に滑り込むと、すぐに車は発進した。
 BGMもない車内はただ無言で埋め尽くされていて、窓から入ってくる風の音とエンジンの駆動音だけが僕の耳に届く。
 僕らの手は、相変わらず繋がれたままだった。お互い窓側に座って人一人分のスペースが空いているのに、手だけは離さず繋がっている。
 佳奈多さんは窓の外を眺めていて、やはりその顔色は窺えない。僕は少しの間昌さんが眠くならないようにと話しかけていたが、それもすぐ途絶えた。
 いつのまにか、佳奈多さんが眠っていたからだ。それに気づいた昌さんもしばらくは口を閉ざしていたが、結局躊躇いがちに切り出した。
「なあ小僧。お前はよ、佳奈多を愛しているのか?」
 躊躇っていたわりには、その口調は軽かった。でもその問いに、僕はすぐに答えられない。
 彼女が直枝佳奈多と名乗りながらも、未だに僕のことを苗字で呼ぶのと同じように。僕が佳奈多さんと行動を共にして、あまつさえ夫婦の真似ごとを始めたのは、愛してるなんて綺麗な感情が理由じゃない。
 鈴を失った頃の僕は、生きる理由なんて残っていなかった。左手首のリストカットの痕は薄れてきたけれど、消えることはない。
 僕が、自殺を止めた佳奈多さんを生きる理由にしたのは、自然な流れだったと思う。
 もう何が始まりだったのかなんて覚えていないけれど、僕は彼女たち姉妹の事情を聞き知っていた。
 あの頃の僕は鈴を守ることに精一杯で、同情と仲間意識を持つことはあっても、彼女の問題を解決しようなんて考える余裕もなかった。
 けれど鈴を失って、鈴の為に割いていた自分を、佳奈多さんに使うことができるようになっただけ。それ以外で生きる意味が見つからなかった。
 佳奈多さんの為に勉強し、佳奈多さんの為に働いて、佳奈多さんの為に生きた。そうでもしないと耐えられなかったし、そんな事は彼女だって理解していただろう。でも彼女も、隣で歩いてくれる誰かを欲していた。
 歪だったけど、そんな生き方の先にも愛はあるんだろう。僕は段々と彼女を好きになった。逃げる為の理由じゃなくて、素の感情を満たすために生きられるようになった。
 鈴の事は忘れてないし、今でも愛している。その想いに変化はない。
 ただ、佳奈多さんへの想いは日々増していく。それだけのことだった。
「少なくとも、もう逃げてるだけじゃありません」
 正直な想いだったが、彼からすれば不満だったらしい。
「女一人抱えながらいつまでも迷ってんじゃねぇぞ」
 キツイお言葉。でも、一呼吸後に彼はこう付け加えた。
「お前なら、信頼できると思ってるんだからよ」
 素っ気なく言うミラー越しの彼の口元は薄く笑っていて。
「はい、ありがとうございます。お義父さん」

 以後の運転は、決して安全運転ではなかったことだけ付け加えておこう。












 昌さんが僕らを降ろしたのは地方都市でも必ず一つはある24時間営業のファミレスだった。僕らが今回あの街に行った後始末と昌さん個人の用事のために、彼は朝までにはあの街に帰るそうだ。
 僕らも、一度車の移動の際にミスって潜伏先を変えるハメになったことがあったから大人しく従う。朝になったら最寄の駅を使って目下の潜伏先に帰ればいいだけの話だ。
「今回はありがとう、父さん」
「気にするな。お前はもうちょっと我が儘なくらいが丁度いいんだからよ」
 昌さんはそれだけ言って、あっさりと帰って行った。
「入りましょう」
 呆けて昌さんを見送っていた僕を佳奈多さんが呼び戻す。店内にはこんな時間だと言うのに僕らの他にもう一組の客がいた。僕らはそこからできるだけ離れた席に座り、とりあえずドリンクバーだけを注文する。
 二人分のコーヒーを持って席に戻ると、佳奈多さんは髪を弄っている。これはここ数年で見つけた彼女の癖で、何か話したいことがあるというサインだ。
 僕は静かに待つことにした。いくらでも時間はあるし、彼女が話したいことを上手く誘導できる自信もなかったから。
 やがて彼女は少し冷めたコーヒーに口をつけ、視線をカップに向けたまま話し出す。
「貴方の葉留佳は、笑ってた?」
「ううん」
「なら、泣いていたのかしら」
「どちらかと言うと、怒ってたのかな。遅いよって」
 もっと早くお姉ちゃんを連れ出して欲しかったな。
 そんな言葉は聞こえなかったけど、あの声にはいくらかの悲しみが含まれていた気がする。それを怒りと表したのは、きっとあの声には困惑が含まれていなかったからだろう。
「私の葉留佳はね。泣き笑いだった」
 カップに添えられた手に、少しだけ力が籠った。
「私が謝っても答えてはくれないの。逆にごめんなさいって謝るように泣いてるのよ。必死に笑おうとしながら。可笑しいわよね」
 私も、と彼女は付け足す。
 僕は何となく、佳奈多さんの方に言葉を残してあげれば良かったのに、なんて事を考えた。
「嬉しかったんだと思うよ。葉留佳さんは」
「何が?」
「佳奈多さんがお墓参りに来てくれたのが」
 色々と、まるで葉留佳さんのような無茶をしてまで、と心の中で付け足す。
「そんなわけ、ないじゃない」
「どうして?」
「私なら恨むもの」
 双子が相手の感情を考える時、そこにどんな共感があるのか、僕には分からない。でも、ただ一つハッキリしていることがある。
「佳奈多さんは嘘吐きだね」
「嘘じゃ、ない」
「嘘だよ。だって、佳奈多さんはそんなに苦しんでるじゃないか。自分を許せなくて苦しんでる人が、相手を許せないわけがない」
「……強引な論法ね」
「葉留佳さんが泣いてたのは、きっと佳奈多さんと同じ理由だよ」
 僕は答えを出してほしいから、それきり黙る。彼女は答えを認めたくないから、それきり黙る。
 それは平行線で、決して交わることはない。

 でも、今日はきっと特別な日。だから、きっかけがあるとしたら、この時以外にはありえない。




「怖いのよ。自分を許して、あの子を忘れてしまうことが怖い。あの子がもう決して手に入れることができない幸せを、私だけが受け取るのが怖い。あの子の幸せの為に頑張ってきたのに、それが無駄になるのが怖い。私が耐えてきたものが無意味になることが怖い。そしてなにより………あの子が好きだった貴方に、溺れてしまうことが怖いの」
 それは、僕も持っている恐怖だ。
 佳奈多さんの為に生きて、鈴の為に生きるという決意を忘れるのが怖い。
 鈴を守れずに、結局何もできなかったのだと認めるのが怖い。
 リトルバスターズがくれた僕の強さを、無意味にしてしまうことが怖い。
 誰かに頼って弱くなってしまうことが、例えようもなく怖い。
 でもそんなことを告げるわけにはいかない。それは弱さで、それは怖いことだから。
「なら、僕を守って。葉留佳さんが好きだった僕を守って。僕は、ずっと君の隣にいるから」
 本当は。
 僕が守る。君から奪う全てのものから。君が拾ったこの命を使って、ずっとずっと守り続ける。
 でも、それが苦しいというのなら、理由をあげるよ。僕がそうであるように、君も誰かの為に生きればいい。葉留佳さんの為だけに、僕の隣にいればいい。それなら、きっと弱さなんていらない。罪の意識もいらない。
 罪は、過去だけで十分だ。未来には、希望だけがあればいいんだから。
「本当に、仕方のない人ね」
 目を丸くしていた彼女は、そう言って数年ぶりに笑う。その困ったような笑顔が、ほんの少しだけ葉留佳さんと被って。やっぱりほんの少しだけ、胸が詰まった。





























 暑い。じりじりとアスファルトを焦がす太陽は容赦がなく、ほとんど寝ていない僕らにはかなり苦しい。
 こうも暑いと流石に手を繋ごうなどとは考えられない。ましてや肩が触れ合う程に近づくなんてことは。
 だから結果的に、僕らの間には人が一人入れるぐらいの隙間が空いてしまう。
「ねえ、理樹」
「なに?」
「暑いわね」
「そうだね」
 何でもない会話だけど、僕には嬉しかった。彼女が名前で呼んでくれることもだし、何でもない会話があるということも。
「でも、夏はいいよね」
「あら、どうして?」
「暑いとさ、僕たちの間に一人分の隙間ができるじゃない」
「それは、私には近寄りたくないということかしら」
 やけに素直に彼女は僕を睨んだ。こんなのは、高校時代以来のような気がする。
「いやいやいや、そうじゃなくて。この隙間に、葉留佳さんがいてくれるような気がするんだ」
 佳奈多さんは少し驚いたように僕を見つめて、
「そうね。そうだといいわね」
 はっきりと微笑んでくれる。それだけで、僕は穏やかな気持ちになれた。
 もしかしたら、僕たちはもうスタートラインに立っていたのかもしれない。ただ気付かないフリをしていただけで。ただ、前に進むのが怖かっただけで。

「でも、それだと冬は手を繋ぎにくいな」
「大丈夫よ。私たちの手は二本あるんだから」
「そっか。そうだね」

 僕が笑うのも、きっと久しぶりなんだろう。上手く笑えているか不安だけど、これからはきっと大丈夫。









 大切な時間と輝かしい日々には蓋なんてしない。宝箱にも仕舞ってやらない。
 片手には大切な人を。もう片方には大切な過去を掴んで離さない。
 それがきっと、僕の最後のミッションだ。
 このミッションを、彼らは輪になって見守ってくれるだろう。

 僕らは、不滅のリトルバスターズなんだから。


[No.418] 2008/07/16(Wed) 22:29:11
夏色少女買物小咄 (No.415への返信 / 1階層) - ひみつ 18379 byte

「かわいいですね」
「なんかちょっとおばさんぽくない」
「そうでもありませんよ。最近は若い人で使う人もそれなりにいますよ」

 二木さんが仕事で暇だからと遊びに来ていた能美さんと三枝さんとお話をしているうちに、暑くなってきたので扇子を取り出したら二人の感想はだいぶ違うものでした。あまりクーラーは好まないので昔から使っても扇風機ぐらいでしたが、やはりそれは最近の人としては珍しいのでしょうか。この朝顔柄の扇子はただの実用品としてだけではなく、デザインとしても気に入っているのでおばさんぽいといわれたのは少し悲しいです。

「三枝さん私は今扇子を持っていますね」
「うん、そりゃ見たらわかるけど」

 ジーーーッ

「扇子を持っていますね」
「一体どうしたの」

 ジーーーッ

「扇子ですね」
「ひょっとして……アレ。アレを期待しているわけ」
「さっきから二人の間に異様な雰囲気が立ち込めているのですが」

 ようやく私の意図に察してくれたようですが、そんな涙目なのはいかがなのでしょうか。それではまるでわたしがいじめているようではないですか。

「うわーっみおちん扇子持っているなんてセンスいいな」
「何言うとんねん、ずゅべしっ」
「ううっもうやだ、こんなキャラ!」

 部屋の隅で泣いている三枝さんを慰めようとしている姿を見ると、まさにいじめの光景ではないですか。わたしは扇子を出した後当然すべきボケとツッコミをしただけなのに。別におばさんぽいと言われたことに対する仕返しをしようという意思は全くないのに。困ったものです。





「でも確かに改めてみると扇子ってきれいかも」

 ひとしきり涙した後復活した三枝さんが、私の扇子をいじりながらそう述べます。そんな風に遊んでいるといつまでも使えないのですが、それでもほめてくれるのはやはり嬉しく思う。

「日本の夏はすだれに風鈴に扇子それと麦茶で乗り切るのが正しい形です」
「麦茶おいしいですね」

 残念ながらすだれはありませんが、風鈴で耳から涼しくなり、麦茶で喉から涼しくなるのは心地よいものです。

「私はもっとアイスとかかき氷とかの方がいいですけどネ」
「それでよいですよ。私が言いたいのは暑いからただ温度を下げるのではなく、暑さはそのままで色々と楽しむということですから」
「風流ですね。何だかほしくなってきました」
「ああ、いいね。暇だし買いに行きますか。みおちんもついて来てくれる」
「やめときましょう」
「ちょっとノリ悪いな」
「すみません、付き添いたいとい気持ちはあるのですが、もし二人を連れてどこかへ出かけたということが二木さんに知れたらわたしの身の安全が」
「……ごめんね、あんな姉で本当にごめんね」

 その後しばらくおしゃべりをしているうちに二木さんが戻ってきました。話を聞いてすぐに二木さんは自分もついていくと言い出しました。小姑というものは恐ろしいですね。三枝さんたちと付き合うのは相当な覚悟が必要ですね。










「みおちんさ、もう少し格好なんとかならない」
「この服気に入っているのですけれど。それに日に当たらなければそこまで暑くないですよ」

 前の傘がバスとともに炎上したのち、入院していたこともあって日傘を使わなくなっていました。退院以降もまだ暑い日はあったのにわたしは少し意地になっていたようです。常に持つのも何があっても持とうとしないのもどちらも不自然。一年が経ちようやく自然な形でこの新しい日傘と過ごせるようになりました。

「見てるこっちが暑くなるんだけど。せっかく夏なんだし少しはサービスしようよ。たまにはミニスカでもはいてもっと足見せたら」
「葉留佳はしたないわよ」

 そういう三枝さんはミニスカートではないものの、ショートパンツで足をしっかり出しています。なるほど、そのような格好をするだけあって、肉付きもよくなかなか扇情的です。あまりにやせすぎなのは女性としての魅力に欠けますね。スカートの上から少し自分の足をなでてみたけれど、貧相としか思えない。ところで二木さんはしたないといいながら目はずっと三枝さんの足の方を向いているあなたが、一番はしたないと思うのですが。

「サービスといってもわたしの足ではあまりサービスにならないと思いますが」
「だからもっと肉付けて、んでもってもっと日にあたって足見せつけちゃおうよ」
「いつからあなたは足を見せるのに生きがいを感じるようになったのですか」

 話を総合するともう少し体にボリュームをつけ、小麦色に焼きそれでミニスカートをはけということでしょうか。そうなった自分を少し想像してみるともはや別人としか思えない。美鳥に次ぐ第三のキャラでしょうか。ああ、美鳥だったらそういうのも似合うのでしょうが。でも美鳥が似合うのでしたら同じ姿のわたしも似合うのですか。目の前の双子を見るとお互いの格好を入れ替えても確かに似合いそうですが。

「クスッ」
「どうしたの急に笑ったりして」
「二木さんは同じ姿の三枝さんが露出の多い格好をしていることをどう思いますか」
「またずいぶんと変なこと聞くわね。どう思うもなにも葉留佳の勝手でしょ」
「またまたそんなこと言って本当は興味あんじゃないの」
「そんなわけないでしょ」
「着たい服があったらいつでも貸してあげるから。あっクド公も私の小学校自体のお古いつでも貸してあげるから」
「ありがとうございます……それは私が小学生の服が似合うということではないですか!」
「あはははは、というわけで私たちの買い物が終わったらみおちんのミニスカ買いに行こ」
「何がというわけですか。勝手に決めないでください」

 それでもその後もしつこく勧めてくる三枝さんに根負けして、私は買いに行くことを約束してしまいました。まったく困ったものです。ミニスカートぐらいで直枝さんがどうにかなるのならとっくにそうしています……何を思っているのでしょうかわたしは。





「それにしてもついて来ておいて何だけど集団で買いに行くものが扇子とは」
「あ、お姉ちゃんもアレ言ってくれる」
「アレって何よ」

 そう質問した二木さんに三枝さんは耳打ちします。それを聞いて行くうちに二木さんの顔は苦虫をかみつぶしたようなものになりました。

「じゃあ、ちょっと扇子貸して。いやあ今日は暑いですネ。こんな日は扇子を使うに限りますネ」
「扇子を使うなんて葉留佳はほんとにセ、セ、セ……言えるかあっ!」

 バチーーーンッ

 そう言って扇子をもぎりとると思いっきり三枝さんの頭を叩きこみました。なんてことをするんですか。扇子はあまり丈夫ではないのですよ……今実に自然に三枝さんより扇子の心配をしませんでしたか、わたし。

「ハアハア、こんなこと言わせるなんてほんとセンスないわね……ち、違う。今のギャグではなく普通に話の流れで出てきただけだから」
「佳奈多さんもダジャレを言うようになってなんだか嬉しいです」
「お願い、クドリャフカ。信じて!」
「は、はるちんは叩かれ損ですか」

 真っ赤になって否定している姿は面白いではなくかわいいとなるのが難点ですが、なかなか面白い言葉が聞けました。それにしてもいたるところに罠が潜んでいますね。わたしも気をつけなけれれば。

「ギャグではなく扇子は本当にいいものですよ。世の中の全てのことは扇子と手ぬぐいがあればできます」
「みおちんいつから落語家になったわけ」

 そう言われてしばらく歩いて行きましたが気づけば能美さんが少し後ろで立ち止まりました。心配して眺めていると、

「はい、はい、はい! 西園さんできました」

 満面の笑みを浮かべて手を挙げながらこちらへかけてきました。失礼ですがその様子を見るとかわいい子犬という印象がぴったり来ます。

「な、なんですか。能美さん」
「佳奈多さんと葉留佳さんとかけまして、感動する映画のらすととときます」
「そのこころは」
「どっちも最高のしまいです」

 なるほど。そう言われてにへーっとして二木さんに抱きつく三枝さん、そして毅然とした態度をとろうとしているが顔が真っ赤になってとても無理な二木さん。たしかにこの姉妹は最高の姉妹のようです。二人をよく観察しているいい答えです。

「帰ったら座布団一枚届けますね」
「わふー、やりました」
「さあ、お二人もちゃんと答えないとこのままだと能美さんの勝ちですよ」
「一体いつから笑点が始まっていたのですか」










「本当にこんな近場でよいのですか」
「いいんじゃない。なんか結構かわいいのあるよ」

 わたしが使っているものは寮に入る前に母と遠出して色々と必要な物を準備する中で、半ば記念の品として買ったものです。それゆえやや値が張りましたが非常に良いものだと思います。このお店もなかなか良い品ぞろえだと思いますが、それでも私が買った店と比べると失礼ですが劣っていると思います。

「いいのいいの。どれが良いかなんてわからないし。それより気に入ったものがあればいから」
「なるほど」
「えーっと、あっ、お姉ちゃん。これお姉ちゃんも一緒に買わない」
「どれ?」

 二木さん同様選ばれた品を覗いてみますが少し意外な感じがします。三枝さんだったらもっと変わり種のデザインの物を選ぶかと思っていたのに、その手の中にあるのはシンプルな水玉模様。いつもの行動やセンスからすればずいぶんと地味な印象を受けます。危なかったです。声に出さなかったからよかったものの今センスという言葉を使ってしまいました。

「こんなのがそんなにいいの」
「なんだかこの水玉模様ビー玉っぽく思わない」
「葉留佳」
「……佳奈多さん」

 三枝さん達が二人の世界に入りつつあるのを見て能美さんは寂しげな表情に変わりました。けど何かを決したかのように周りを見回して何かを見つけてパタパタとかけていきました。

「かーなーたーさーん」
「えっ!? 何よ急に大声出して」
「夫婦扇子だそうですよ。一緒に買いましょう」
「め、夫婦って。もう恥ずかしいこと言わないで」
「クッ」

 二木さんは言葉では叱っているもののその顔は喜びに充ち溢れています。けれどそんな姿を見て三枝さんの目に怒りの炎が浮かびました。あのつまらないことですが、まだ買っていない品物をそんな折れそうな勢いで曲げるのはどうかと思います。それにしても問題ですね。少し注意したほうがよろしそうです。

「あの二木さん」
「何なの」
「欲望の赴くままに生きるのは自分も周りも不幸にしてしまいますよ」
「誰が欲望の赴くままに生きているの!」

 自覚がないのですか。あのままだと流血沙汰になっていたかもしれないのに。困りますね。この姉妹はすぐ人情小咄を刃傷小咄へ変えてしまいます……あれ、これひょっとしてうまかったのでは。ちゃんと声に出せばよかったです。





 このままだと危ないと思ったので少しルールを決めました。先ほど選ぼうとした水玉模様と夫婦扇子全般の禁止。それと三人がそれぞれ違うものを選ぶ。わたしがそんなことを決めたことに三枝さんからは多少の不満は出ましたが結局それを受け入れてくれました。二木さんを巡る三角関係の渦中にあるとはいえ、三枝さんと能美さんお互い仲良くしたいという気持ちは間違いなく本物ですから。

「うーん、あっこれがかわいいです」

 なるほど金魚ですか。いかにも涼しげでよいですね。小さな生き物というのは能美さんの優しさにもぴったりと合っていると思います。

「おおそうきたか。じゃあはるちんはこいつで勝負だ」

 夜空を彩る大輪の花火。またまたこれも明るい三枝さんの雰囲気に合っていると思います。それはそうと勝負といいましたが何の勝負をするのですか。

「二人ともイメージにぴったりのものを選びましたが二木さんは……幾何学模様あたりでしょうか」
「馬鹿にしてるの!? あなたそんなに私がかわいげのない人間だと考えているわけ!」

 そう言って手にしていた物を叩きつけるように置きましたが見事にそれは幾何学模様ですね。それはそれできれいなのですからあまり否定する必要はないと思いますけど。それにしても今少し店員さんと目が合いましたが明らかに嫌そうな顔をしていました。大声を出したり商品を乱暴に扱っているこちらの方が悪いのですから仕方ないですけど。

「お姉ちゃんに合う夏のイメージ……うーん、宿題をしている?」
「泳いだり、お祭りというのもあまりいめーじに合わないような」
「やはり無理をせず先ほどの幾何学模様のものにした方が良いのでは」
「うるさいわね、意地でも見つけてみせるから」

 夏をイメージした柄以外にもあるのですが何か意地になってしまったようです。見つかって欲しいのですがやはり品がそれほど豊富でないため限度があります。

「これでどうかしら」

 苦渋の表情で選んだものは風鈴でした。なるほど。一見冷たい印象があるがその実非常に温かい。そう考えるとイメージに合っているような気がします。少なくともほかに残っている品と比べたら一番似合っていると思う。

「おお、いいの選んだね。お姉ちゃんに合うのあるかなと思ってたけど。じゃあ、ここは優勝お姉ちゃんかな」
「はい、こんぐらっちゅれーしょんなのです」
「だからいつから大会になっていたのですか」

 そうつっこんでみましたが内心一番困難なミッションをクリアしたのは二木さんだと思っています。三枝さんと能美さんによってこぶしを高々と上げようとされているのを抵抗していますが、その表情は非常に温かいものです。特に用がないから三人を案内しただけですが、このような温かい姿が見られたのですから非常に満たされた気分になります。友達と買い物に出かける。高校に入った時はわたしがそういう付き合いをする相手ができるなんて夢にも思いませんでした。

「うん、どったのみおちん」
「なんでもありません」

 面と向かっては恥ずかしくて言えません。楽しいからまた一緒に買い物行きましょうだなんて。










「どうしても買わないといけないのですか」
「往生際悪いぞ」

 扇子を買い終え帰ろうとしましたが首筋を三枝さんにつかまれ止められました。ひょっとしたらもう忘れているのではないかと期待したのですが、そう甘くはいかないようです。三枝さんがこんな面白いことを見逃すわけないということですか。

「そんなにたくさん持ってこられてもわたしはあまり持ち合わせがないのですけど」
「別にいいよ、試着してくれるだけで。携帯でちゃんと写真撮って残すから」
「実に店員の迷惑を考えない客ですね」

 流石に全く買う気がないものまではいていたのでは店員に悪いですし、時間もないですから5つばかり選んでみました。今までは三枝さんに無理やりさせられたと言い張ることができましたが、選んだことで私自身の意思での行動になってしまいました。これでもう後戻りできませんね。デザイン自体はおとなしいのにかなりの短さのものもあります。これらをはける人は勇気があると思います。

 シャーッ

 試着室に入りいよいよ後戻りできなくなってしましました。うちの学校の制服もかなりスカートが短めなので恥ずかしいというのに、これはそれよりも短いです。かわいいと思って短さが頭の中から抜けていってたようです。どうでもいいですけど二木さんの制服はこれよりもさらに短かったような気がしますが、あなたそれで本当に風紀委員ですか。

「もーいいかーい」
「まだ入ったばかりです」
「早くしないと入って脱がせるからね」

 他の人ならば変な冗談ですませることができますが、三枝さんの場合そうはいかない。ああいった以上必ずするでしょう。覚悟をきめなければ、ええい、ままよ。

 シュルッ

 自分のスカートを脱ぎ比較的長めの物をはいて姿見で確認してみますがこれはないですね。明らかに服に振り回されています。やはりわたしみたいな地味で貧相な女にこのようなミニスカートは分不相応です。店員さんには悪いですけれど、全部返した方がいいですね。

「みおちん開けるね」
「待って下さい」

 わたしが返事を終える前にカーテンがすっかり開ききってしまいました。何を考えているのですか。わたしがまだはいている最中だったらどうするのですか。

「おっ!」
「笑って下さい。似合わないと思っているのでしょう」
「おっ、おっ、おおーーっ!」

 そんな奇妙な叫び声とともに私に抱きついて来て試着室で押し倒されました。押し返そうにも頬ずりされて足をなでられ力が出ません。

「みおちん、かわいい! 結婚しよ」
「な、何を変なことを言ってるのですか。そんな冗談を」
「冗談じゃないって。みおちんかわいいし私好きだよ」

 た、たしかに冗談じゃないのかもしれません。顔は笑っていますが目はまっすぐわたしの方を向いています。これは告白されたのですか。わたしの生まれて初めての告白は同性に試着室で押し倒されながらですか。こんなこと夢にも思いませんでした。

「ねえ、それとも私のこと嫌い……」
「好きか嫌いかと言われれば、好きですけれど」

 少し涙目での上目づかいをしながら、消え入りそうな声でそんなことを言います。だ、騙されてはいけません。泣きまねは三枝さんの得意技であることはよく知っているではないですか。

「待ちなさい、葉留佳」

 叱責するような二木さんの声。助かりました。目の前でこんな浮気をされてこの人が黙っているわけないですね。

「こういうのはもっとムードを大切にしないと」
「あっそうだよね」
「叱るのそこですか。それとあなたも日ごろあまりムードを大切にしていない気がするのですけれど」
「こんな唐突でなくもっと順を追ってお付き合いしてその上で告白しないと」
「あ、あなたはそれでいいのですか」
「それほど深い付き合いがあるわけではないけれど、それでも西園さんは信頼のおける相手だと思うわ。葉留佳を……お願いします」
「お姉ちゃん」

 ああ、なんて優しい目をしているのでしょう。三枝さんをこれだけ心配している人からわたしは信頼を託されたのですか。がんばらないと。三枝さんを……

「ああっ!」
「どうしたの急に」

 いけません。今この状況を受け入れかけました。早く着替えて店から出ないと。このままだとわたしはどうにかなってしまいます。

「あの西園さん、何だか大変そうだったからすっかり言いそびれていたのですけど」
「ええ、実際大変ですから手短に」
「下はみにで上は長そでは少し変に思うのですが。上も着替えた方がよくないですか」

 能美さん、私は初めてあなたのことを嫌いになりそうになりました。





 その後も着替えるたびに抱きつくなどされわたしは心を持って行かれそうになりました。女性でも美少女ゲームを嗜まれる方がいると聞いていますが、その気持ち少しわかったような気がします。三枝さん……能美さんもそうですけれど愛情表現のストレートな妹キャラは同性から見てもかわいいと思う。恋愛は真っ正面から当たるのは単純だけど一番強力だと思う。それにしてもリトルバスターズ周りは男性同士、女性同士様々なカップリングの楽しみがあるけれど、油断するとわたしもその輪の中に巻き込まれてしまいますね……喜んだりしてませんよ。










「あれ、みんなもお買い物?」

 疲れ果てて店から出ると後ろから声をかけられ振り向いてみると神北さんた……えっ!? それは一体。

「あ、あの来ヶ谷さん」
「やはり疑問に感じるか」

 当然でしょう。何か幸せそうな顔をしながら気絶している笹瀬川さんをおぶっていれば、誰だって何があったのかと疑問を抱きます。

「ゆいちゃんといっしょにりんちゃんのお買い物に出かけたの」
「そうしていたら偶然デジタルカメラとビデオカメラを持って後から来店し、すぐそばから試着室の方を映していた佐々美君が鈴君を見たとたん倒れてしまってな、さすがに友人をそのままにしておくのは忍びないから店から連れてきた」
「偶然……ですか?」
「偶然でしょう」
「偶然デスね」
「うむ、誰が聞いても偶然としか思えないな」

 なるほど。ではしばしばある二木さんが能美さんを後ろからじっと見て、三枝さんが二木さんを後ろからじっと見て、来ヶ谷さんが三枝さんを後ろからじっと見ている状況も、偶然がいくつも重なりあっただけなのですね……なんでやねん。そんなことでお互いを助け合わないで下さい。わたしは絶対そのような人間になりませんからね。

「くーちゃんたちは何買ったの」
「じゃじゃーん」

 そう言って能美さんは扇子を広げると神北さんと鈴さんをあおぎ始めました。

「あっ涼しい。ありがとう」
「おー涼しいな、あとであたしもクドをあおぐ」
「いえいえ、どういたしまして。ところで鈴さんたちもお買い物だったのですね。何を買いに行っていたのですか」
「はい、これ」

 少し照れて赤くなった鈴さんの代わりに神北さんが鈴さんの腕を取って買い物袋を能美さんにさしだしました。いそいそと開けると浴衣が出てきました。

「わふー、じゃぱにーずとらでぃしょなるふぁっしょんなのです」
「もうすぐお祭りだからってこまりちゃんたちが買った方がいいと言った」
「クドリャフカ君達も誘おうかと思ったがすでに出かけてたみたいでな。もし浴衣がないのならぜひに買ってサービスしてほしい」
「何に対するサービスですか」
「いろいろあるがとりあえず意中の相手ということでどうだ」

 意中の相手という言葉がキーワードとなって何人か赤面しながら考え込むような表情になりました。それにしても今それぞれが考えている相手が女性だとしか思えないのはどうなのでしょう。

「鈴さん、いいのがありましたか」
「うん、クドあたしのも金魚だぞ」
「わふー、おそろいですね」
「その様子だとずいぶんと気に入られたようですね。ゆかったですね」

 ピキーーーーンッ

 一瞬にして場がすべて凍りつき皆さんの目がわたしの方を向きました。その表情は唖然としているとしか言えません。あのところで笹瀬川さん、今まで気を失っていたのに何で急に眼を覚ましたのですか。わたしの言葉は魔法か何かなのですか。

「噛んだだけ」
「みーおーちーん」

 いかにもおもしろいものを見つけたというような表情で三枝さんがわたしにくっついてきます。そして少し膨らませた私の頬をつんつんとさしてきます。買い物に行く前はわたしのほうが優勢だったのにいつの間にか形勢逆転されていたのですね。

「素直になろうよ」
「……言ってみたかっただけですが何か?」










 おあとはよろしいようで


[No.419] 2008/07/16(Wed) 23:52:32
私と彼女とカキ氷とキムチともずく (No.415への返信 / 1階層) - ひみつ 7099 byte

『私と彼女とカキ氷とキムチともずく』






 五月蝿く蝉の鳴く夏の午後、木陰に作った小さな私の素敵テラスにて。食後のティータイムに家庭科室の冷蔵庫に無断で入れておいたキンキンに冷えた麦茶を取り出してきて、理科室から無断で拝借したビーカーに注ぐ。若干、石鹸の匂いが鼻につき、少々苦いがお茶とは元来苦いもので、ならばこの味こそ風流な趣だ、とかは建前で暑い、死ぬ、が本音で、目の前の液体を一気に飲み干す。
 少しだけ体温が下がった気がした。この夏はまた一段と暑く、無駄に虫も多く、湿度も高く、非常にイライラするのだが、それらを全て吹き飛ばしてくれる程の爽快感をもたらすキンキンに冷えた麦茶は、この一杯ために生きてるのだとあくせく働くサラリーマンのアフターファイブが如き気持ちにさせる、なんとも不思議なアイテムだなぁ、と思いながら正面で一所懸命にビーカーつるつるいっぱいにまで入れた麦茶をグビグビと喉を鳴らしながら豪快に飲む少女を眺める。
「ぷはぁー。はあはあはあはあはあはあはあはあはあはあ、ゲホッ、はあはあ」
「……頑張りすぎだろ」
「いやー、めちゃくちゃ喉が渇いてたんスよー」
 あははー、と夏に似つかわしい弾けた笑顔で返されると、「そうか」としか答えようが無く、実際そんな感じで相槌を適当に打ったところで、「そうっスよー」と再び無駄に明るい笑顔で麦茶をおかわりをする彼女は、なんだかすげーアホの子にしか見えない。実際そうだし、まあ、楽しいそうでなによりだ。
「だが、麦茶はそれまでにしておけ」
「えー」
 不機嫌な顔で「なんでだよ、ブーブー」とブーイングまでしくさるこのアホに一抹の怒りなんかを覚えたが、所詮はアホの子。これから起こるおねーさんのスーパーイリュージョンを見てしまえば、途端私を神と崇拝するであろう。葉留佳君を手懐けることなんぞ、赤子の手を捻る以上に容易い。
「まあまあ。これを見ろ」
 色々と物理法則を無視してみた。どこから取り出したかは秘密だ。私の右手にはどでかい氷が一個、「デデン」という効果音と共に登場つかまつっていた。
「おおー」
 パチパチと小さな拍手を受ける。少し気分がいい。
「葉留佳君や、その素敵テーブルの下にある機械をとってくれ」
「この小汚いテーブルの下デスね」
「殴るぞ」
 少し気分が悪い。
「冗談っスよー」
 じょうだん、ジョーダン、マイケル・ジャクソンと謎の唄を口ずさみながらも素直に私の指示に従い、いそいそとテーブルの下から、私が準備しておいたこの夏を乗り切るための秘密兵器を取り出す。
「おおう! 姉御、姉御! こいつはまさか!」
「うむ」
「か、カキ氷作る機械ー! 正式名称知らねー!」
 普段からハイテンションな葉留佳君は、ヒャッホイと更にうざいほどのテンションになり、いい加減黙らせてやろうかとか思ったけども、これを見れば誰でもテンション上がるし、そう仕向けたのは自分で、そのために持ってきたもので、後ほど意外にもたわわな彼女のおっぱいを二揉みする程度で許してやることにした。
「まあ、カキ氷機とかでよかろう」
「よかろう、よかろう。てか、姉御ー、ちゃっちゃと作っちゃいやしょうぜ! はるちんもう我慢出来ないっスよー」
「はっはっはー。この淫乱娘が」
「その発言にはちょこーっとだけ反論したいとこデスけど、今はもう目の前の憎いあんちくしょうなこいつに自分夢中なんで」
「まったく、早漏だな、葉留佳君は」
「いや、意味分かんないんで」
「さて」
 いつものやりとりを一通り終えたので作業に取り掛かる。デデンと現れた氷を機械のてっぺんに空いた穴にぶち込み、蓋を閉める。後は、グリグリと回すのみ。うむ。
「さあ、葉留佳君。超がんばれ」
「いや、私ことはるちんは超か弱い女子高生選手権で去年・一昨年とMVP二年連続でとっちゃうほどの貧弱乙女なんで。今年とったら殿堂入りなんで。か弱い・オブ・ザ・イヤーなんで。つーわけで、姉御ー、お願いしますよー。ご自慢の筋肉でサクっとやっちゃってくださいよー」
「その言い方はどこぞの筋肉馬鹿を彷彿させるので止めてもらいたい」
「あははー、ふぁいとー」
 しょうがない。アホ面で耳をほじくりながら適当に応援してくれている葉留佳君のためにもおねーさんが一肌脱いでやろうじゃないか。元より自分でやるつもりでいたので、別にいいのだが。しかし、葉留佳君も最近は人に頼ることを覚えたようで、まったく悪い兆候だ。お姉さんが後で調教してやらねば。おっぱい五揉み追加。などと、アホな事を考えている間にも、氷はこの灼熱炎天下地獄に晒されており、その肉体は刻一刻と消えていっている。我が腹の中で早々に供養してやらねば、この氷も死んでも死に切れんだろ。
 左手で機械が動かないように支える。右手でグリグリと回す棒(正式名称なんぞ知らん)をがっちり掴み、後はグリグリと回す棒をグリグリと回せば、万事うまく行く。さて、やるか。……あ。
「あー、葉留佳君や」
「なんっスかー?」
「シロップ的なものを忘れた」
「……」
 無言、更にジト目でこちらを見やる葉留佳君。なんだ? 私が悪いのか? そもそも全て人任せな君も悪いだろう。今回は随分と期待をさせた私にも非があるにしろ、その目は少し酷くないか? そんな、まるで全ての悪の元凶が私みたい目で見られると流石の私も傷つかない。うずうずするじゃないか。
「まあ、キムチでものっければよかろう」
「いや、それは、マジで、よかろう、ではないので」
「なんでだ? うまいぞ。キムチ」
「キムチはうまいけど、それを無いでしょ」
「カキ氷キムチ。……特許出願するか」
 我ながら神懸ったアイディアだ。ていうか神だな。もう私が神でいいだろう。神ヶ谷さんと呼べ。誰だ。
「斬新過ぎて誰も真似しないんで取るだけ無駄になると思う」
「……キムチカキ氷も特許出願を」
「順番変えても一緒っしょ。つーか、姉御、結構アホっしょ」
 おっぱい十揉み追加。
「シロップ的なものは後で家庭科室からかっぱらってこればいいか。最悪、もずくもあるしな」
「最悪すぎて無い」
 そろそろ葉留佳君を無視してグリグリせねばマジにこの暑さだと溶けまくりかねないので、完全に無視してグリグリすることにした。右手に力を込める。そして、回す。回す。エンジンは筋肉。ガソリンは麦茶。加速装置は葉留佳君のアホ面応援。自分とカキ氷機が融合するイメージ。息をするようにカキ氷を生産する。とか、カッコイイ風に言ってみたが、所詮はグリグリと棒を回すだけで、ひとつの面白味も無い。早々にこの作業を終了させとっととカキ氷を食いたいぞ、夏の馬鹿野郎。
「姉御! 超はえーっす! 世界記録っス! 今世紀最速っス!」
「わははははははははは!」
「笑いながらカキ氷作る姉御は超こえーっス!」
「うっさいアホ」
 ぬふぅ、と世紀末救世主ばりに筋肉を酷使し、葉留佳君曰く、今世紀最速でカキ氷を作り出していく。なんか、若干おもしろくなってきたじゃないか。どうしてくれる、夏の馬鹿野郎。
「わはははははははは、ってぬお!」
「ぎゃー!」
 で、まあ、調子乗って力入れすぎたようで、私的国宝のひとつである素敵テーブルが骨が折れるような鈍い音をゴキっと立てて盛大に真っ二つに割れたから、大変なことになってしまった。すぽーんとカキ氷機も空に舞い上がったりした。今世紀最速で作られたカキ氷は、たぶん今世紀最速でぶちまけられただろう。製作段階でぶちまけられるカキ氷なんてものは、下手したら世界初なんじゃないだろうか。ふむ。
「良かったな葉留佳君。世界初だ」
「いや、意味分かんないんで。あーもうどうするんデスか! カキ氷ぶっ飛んでるし!」
「綺麗じゃないか。まるで雪みたいだ。真夏の雪。どうだ、ロマンチックじゃないか」
「……」
 つらつらとそれらしいことを言ってみたが、いくらアホの葉留佳君でも今回ばかりは誤魔化せなかったようだ。でも、まあ。
「こんなのも楽しいだろう」
「んー、まあ許してあげるっス。氷被って涼しくはなったし。もうー、はるちん超いい人ー」
「ああ、もう! この美乳めがー!」
 色々な鬱憤が積もりに積もり、最終的に我がセクハラおやじ回路がオバーフローを起こしたらしく、我慢できずに公衆の面前で無いにしろ野外で葉留佳君の両の乳房を自分の両手で揉みしだいていた。ぽよぽよ。
「ぎゃー! 何でいきなりセクハラ!」
「うるさい。黙って揉ませろ」
「いーやーだー!」
「嫌がれば嫌がるほど燃えるって揉んだ」
「なんか今の発言の最後の三文字がおかしい!」
「おっぱい祭りの開催だ」
「一人でやってよー!」
「わははははははは!」
 こんな感じで、今は結構楽しくやってる。


[No.420] 2008/07/17(Thu) 01:28:50
なつめりんのえにっき (No.415への返信 / 1階層) - ひみつ 13162 byte

理樹にノートを渡された。

「何だこれ?」
「見て分からない?絵日記だよ」
表紙を見てみる。確かに「えにっきちょう」と書いてあるな。
「で、あたしにこれをどーしろと?」
「もちろん書くんだよ」
「そうか。頑張れよ」
「鈴が書くんだよ」
「なにぃ!!何で今頃えにっきなんて書かないといけないんだ!あたし何歳だ!?小学生かっ!!」
そんな子供っぽい夏休みの宿題は、馬鹿二人にやらせておけばいいんだ。
あたしはあいつらと違って、しこうがすでにおとなだからな。

「まあそう言わずにさ。書いてみるのも楽しいよ。もうすぐ夏休みだけどまだみんな入院してるし、いっぱい遊べないから暇つぶしに、ね」
「いやじゃ」
「幻のゴールデンもんぺちあげるからさ。猫達、喜ぶだろうなぁ・・・」
「そういうことなら仕方がないな」

理樹の、こそくな作戦にはめられた。
なんというちてきなこうりゃく法だ・・・。









☆なつめりんのえにっき☆








7月21日
いきなりだから、なにを書けばいいか分からない。
りきにそーだんしてみたら、アサガオのかんさつがていばんだと言っていた。
今日からはじめようかと思ったが、アサガオがない。
どうしたらいい。


「いや、日記で問いかけられても」
「じゃあ、どうしたらいい?こうか?」
絵の部分に大きく書き込む。うん、いい出来だ。
「どうだっ!!」
「いや、そこに大きな‘?’を書かれても。あと、何でそんなに誇らしげなのか分からないよ」
「なるほど、‘?’があと二つ足りなかったのか・・・」
「元ネタは分からないけど多分違うから。あと僕が言い出したことではあるんだけど、やっぱり花の観察って、鈴には向いてないかもね。黙って観察してる集中力がないじゃない」
ばかにされた。カチーン。
「うっさいわボケーーっ!お前だって持久力足りないじゃないかー!!見てろ、ぜったいにかんさつし続けてやるー!」
「ちょ、ちょっと鈴っ・・・!」
後ろから、「何に関する持久力!?」なんて理樹の声がするけど、そんなの知らん。



7月22日
クラスメートからアサガオを分けてもらった。明日からかんさつをつづける、オーバー。



7月23日
アサガオがさいてた。花はあおいろ。
アサガオはヒルガオ科の一年性植物。つる性。日本で最も発達した園芸植物。古典園芸植物のひとつでもある。葉は広三尖形で細毛を有する。真夏に開花し、花は大きく開いた円錐形で、おしべ5、めしべ1を有する。
・・・よく意味はわからんが、ちてきな日記だろ。



7月24日
今日もさいてた。花はあおいろ。
昨日はあおいろだったから、今日はピンクがさくと思ってた。
ちなみに、タネのことを‘けんごし’というらしい。
なんてきしょい名前だ・・・あんなのがいっぱいいるなんて。
そのうち『マーーーン!』とか聞こえてくるかも知れない。
そうなったらどうしよう?


7月25日
さいてた。あおいろ。
ピンクはいつさくんだ?



7月26日
あお。



7月27日
もう言わんでも分かるだろ。



「なんていうか、まあ・・・こ れ は ひ ど い」
「あたしにしては、頑張った方だと思う」
「初日から、坂を滑り落ちるようにやる気がなくなっていくのが見えるね」
「あたしにしては、頑張った方だと思う」
「絵もすごいね。初日はすごく丁寧に書いてるのに、最後の日は‘円に三角が四つ’だからね」
「あたしにしては、頑張った方だと思う」
「うん、さっきからそれしか言ってないよね。そして何でそんなに偉そうなのかも分からないけどね。とりあえず花は返してきて、明日からは違う日記にしていこうよ」

結局、足りなかったのはあたしの集中力だけだったみたいだ。ここ何日かでそれがわかった。







7月31日
今日はりきといっしょに出かけた。おもしろかった。
あいつらへのおみやげとして、もんぺちの新商品『ぶり味』を買ってきた。
どんな味なのだろうか?とても気になる。


「鈴、それ、何の絵・・・?」
「見てわからないか?これはもんぺちの『ぶり味』だ」
「僕には、やたらと平べったい円柱にしか見えないよ」
「なにぃ・・・」
見直してみる。う〜みゅ、どっからどう見てももんぺちなのに・・・。
いや!アレを忘れてた!!
急いで書き足さないと!理樹はまだ気付いていないはず!

「ふう、あぶなかった。あたしとした事がこれを忘れるとは。ものすごくあぶなかった」
「いや、側面に『ぶり味』ってだけ書き足しても・・・。ああもういいや」







8月7日
りきとデートした。う〜みゅ、はっきりこう書くとはずいな・・・。
帰りに、またあいつらへのおみやげをかった。まえの『ぶり味』があいつらにこうひょうだったから、買って帰ろうと思ってたのに。
うりきれってなんだ!?あたしをバカにしてるのか!?
いやでもよく考えたら、あれはうまかったからな。うりきれてとーぜんなのかもしれない。
ふつうの『ツナ味』を買って帰った。


「で、絵はまたもんぺちなんだね」
「やっぱりこの絵はもんぺちに見えるだろ」
今日は忘れなかった。しっかり『ツナ味』って書いたぞ。
「・・・そういえば‘うまかった’って、・・・もんぺち、食べてみたの?」
「うん。おいしかった!!また食べたい!理樹も今度いっしょにどうだ?」
「いや、すっごい笑顔で言われても。僕は遠慮するよ」
おいしいのにな。あの味を知らないとは、理樹は人生のたいはんを損しているとおもう。
「あとさ、鈴?この文章見てると猫達への話ばっかりで、僕とのデートが全く書かれてないよね」
「そんな事ないだろ。理樹とデートしたって書いてあるじゃないか」
「猫の事のほうが多いじゃない」
「正確にはもんぺちだな」
「なんか、僕よりもんぺちが大切みたいだね・・・。ちょっとショックだよ・・・」
「そ、そんなことないっ!理樹は大事だぞ!・・・いやでもあいつらも大事だし・・・」
「猫とかもんぺちとかと比べられてる時点で、彼氏失格だよ・・・」







8月8日
昨日の日記を見て、りきがおちこんでしまった。あたしははげましたが、ずっとへやのすみで‘の’の字を書いてた。まあ、あたしにしてはがんばったほうだとおもう。


「ねえ、鈴」
「いや、理樹。何もいうな」
「でも、この絵・・・」
「誰が実物よりも美人に書いてるじゃボケーー!」
「いや、この絵と話の流れでそんな発想が出来る事がすごいよ。それに鈴はこの絵よりかわいいよ」
「う、う〜みゅ・・・」
理樹の顔を見てられないくらいはずかったので、近くにいたテヅカと遊ぶ事にする。
うみゃうみゃ、みゃーみゃー。

「・・・鈴って絵心ないよね・・・前から知ってたけど」
小さく、何かきこえた気がする。

えごころ・・・あー、あれな。







8月17日
来週、りきといっしょに花火大会にいくことになってる。おぼんに家に帰ったとき、家からアレを持ってきた。花火大会につきもののアレ。アレといったらあれだ、そうアレ。・・・あれ?アレってなんていうんだ?名前が思い出せなくて、もーくちゃくちゃだ。


「確か、ピッチャーみたいな名前だった気がするな・・・。」
「ピッチャー!?花火大会に必要なものなのに!?」
「うん。左のごうわんピッチャーだ」
「鈴の(拙い)絵を見る限り、どう見ても服なんだけど・・・」
理樹が何かいってるが、よくわからん。‘えごころ’だか‘えがしら’だか、そんな事言いたいんだろ、どうせ。

―――お、そうか!わかったぞ!
「‘ゆたか’だ!!そうだ、確かそんな名前だった!」
「・・・あー、江夏?」
「そーだ、‘えなつ’だ!!確かそんな名前だった!」
「いやさも当たったみたいに言ってるけど、どっちも違うからね」
「なにぃ・・・」

結局 ‘ゆかた’というものらしい。確かにそんな名前だった気がする。
いいじゃないか、‘ゆたか’でも。つかってる文字はいっしょなんだから。
‘きゅうだいてん’くらいはもらえるんじゃないか?

・・・‘きゅうだいてん’ってなんだ?







8月21日
明日、りきと花火大会に出かける。すごく楽しみだ。
ってここまでしか書かなかったら、りきにもんくを言われた。
「もっと長い文をかけ」って。じゃないと「まともな文しょうが書けなくて、しょうらい困る」らしい。
でも、りきがかわりに書いてくれるから、あたしは書けなくてもいいと思う。
だって、あたしはこの先、ずっとりきといっしょにいるんだからな。


「・・・」
「どーした理樹?何があった?」
あたしの絵日記を見て、理樹がかたまってしまった。
「熱でもあるのか?」
顔が赤い。
おでこをくっつけて熱を見てみる。何となく熱いような気がするな。
「理樹、だいじょうぶか?」
「・・・鈴っ!!」


ドサッ!!


・・・


夜、ねかせてもらえなかった・・・。







8月23日
花火大会にいってきた。でも、きのうは日記を書けなかった。
なので、前からりきに言われていた事もあるし、今日は長い文にしてみようと思う。

まっくらな空に打ちあがる、くちゃくちゃな数の花火。もうくちゃくちゃキレイだ。
あか、あお、みどり、ぴんく、だいだい、とか。とちゅうで色がかわるのもあった。あれはどうやって作ってるんだ?
確か馬鹿兄貴のしりあいにしょくにんがいたはずだ。きょーすけもしょくにんから作り方をきいてるんじゃないのか?今度どうやってるのかきいてみよう。

とにかく、花火はすごかった。いい思い出になると思った。
来年は、こまりちゃんとかクドとかみおとか、あとはちょっとうっさいがはるかとか、ちょっと苦手だがくるがやとかともいっしょにきたい。ささ子やかなたもいてもおもしろいと思った。

あと、すごいといえばりきだった。もーくちゃくちゃだ。
花火大会には‘ゆかた’をきていった。‘ゆたか’じゃないぞ、‘ゆかた’だ。
そしたら、・・・なんかさいしょからりきの目の色がいつもとちがった気がする。
花火を見おわったあと、・・・それはもうすごかった。くちゃくちゃだった。
あれは‘ゆかたプレイ’というのだろうか。たぶんそうだ。そうにちがいない。
ぐたいてきにはちゃくいのまま


ビリビリっ!!


理樹にページを切り取られたっ!?


「何てことするんだっ!!せっかく書いたのに」
「うん、いやまあ確かにそうだねぇ」
「おまえが前言ってた通り、長い文にしたんだぞ!!4ページ分も書くの、時間かかったんだぞっ!!」
「そうだね頑張ったね鈴」
「そうだろう!・・・なのに、何が気に入らなかったんだ!?・・・絵か、そーか絵なんだな!?あたしの書いた花火の絵がうますぎて、まるで本物を見ているような気分になれるから、それだけでまんぞくしてしまう。だからもう見に行く必要がなくなる。そうなると、来年はあたしといっしょには行けない。だからこんな絵なんてなくなってしまえー、と。つまりそういうことなんだなっ!」
「いや違うし。それになんか神がかった言いがかりが真人を彷彿とさせるんだけど」
「あんな馬鹿と一緒にするなっ!!」
失礼なやつだ!!ふかーーっ!!
「理樹なんて嫌いだー!!」
「分かったよ、ごめんね鈴。でもこれを残しておくと、僕が危ないから」
なんだか意味の分からん事を言ってる理樹。危ないって、何がだ?

結局、理樹にうまくまるめこまれた。いろんな意味で。
―――朝にはなかなおりできてた。







夏休み最後の日。

あたしたちは、馬鹿兄貴のお見舞いにきていた。
理樹の手にはなぜか絵日記。ほんと、なんでだ?


事故以来、きょーすけとはしばらく会えなかった。
‘めんかいしゃぜつ’っていうものだったらしい。くちゃくちゃ危ない状態だったって事だけは分かっていた。
いまだに大病院に入院してはいるものの、面会できる状態までに直ってきたらしい。ようやく今日、面会が出来るようになった、というわけだ。


「よかったね、鈴」
馬鹿であるとはいえ、一応はあたしの兄貴だから心配だ。
「でも馬鹿兄貴より、こまりちゃんのほうがあたしは心配だ」
「そんな事恭介が聞いたら泣くよ」
理樹はずっと笑顔だ。きょーすけに会えるのがうれしいらしい。
「鈴は素直じゃないね」なんて言ってるのが聞こえた。

「でも・・・」
「ん?」
「みんな、早くもどってきてくれればいいな」
「うん」
「またいっしょに遊びたいんだ」
「そうだね」
「・・・もちろんきょーすけもふくめてな」
最後に小さく言った事。理樹には聞こえなかったと思う。だって何も言ってこなかったから。

理樹はそこから先も、ずっと笑顔だった。





きょーすけは、片手と片足をまだ自由に動かせないようだが、意外と元気だった。
これなら、学校に戻ってくるのもそんなにかからないんじゃないのか?
そのすがたを見て、けっこう安心した。

「きょーすけ」
「おにーちゃんと呼んでくれ鈴」
「やじゃ。何歩かゆずって、‘あにじゃ’ならいい」
「じゃ、それでいい」
「あにじゃ、おねがいがある。そこのくだもの、食べていいか?」
「ああ、いいぜ。好きに食べてくれ」

聞いたところ、お見舞いの品らしい。
りんご、バナナ、なし、メロン、ぶどう・・・おいしそうだな。
お見舞いにはこういうのを持っていけばいいのか。
今度、こまりちゃんのお見舞いに持っていくとしよう。



「それで、恭介。例のものなんだけど、こんな感じだよ」
「おお!鈴にちゃんと書かせてくれたんだな。ありがとよ理樹」

ん?何してるんだ、あいつらは?
そっと近づいて調べてみよう。ミッションスタート。オーバー。

「俺がこれだけ鈴から離れてた事はあんまりないからな。元気でやってるならいいんだが」

そういってノートをめくっているきょーすけ。
あ、あたしの絵日記帳だ、アレ。

「恭介は心配しすぎだよ。わざわざ鈴の近況を知れるように、って僕にミッション出すんだから。大体、面会謝絶で意識どころか生死不明の人間が、どうやって僕の元に手紙なんて出せたのさ!?」
「それはまあ、・・・企業秘密だ」

アホだな。

「はははっ、お前と猫しかでてこない日記みたいだな」
「今のところはね」
「そうだな。だが、もう間もなく友達も少しずつ戻ってくるさ。そしたらもっと色々なこと書けるだろ」
「そうだね」

でもなんだ、よく分からんが馬鹿兄貴はあたしの心配をしてくれてたのか。
それに理樹にも心配されてたのか。
勝手に絵日記見られるのはあまりよくないが、そーいうことなら許してやろうと思う。
心が広いな、あたし。



「そ、それで、恭介。れ、例のものは?」
「ああ、さっき親に届けてもらった。これだろ?」
「そ、それが、鈴が子供の頃のアルバム・・・」
「ああ、お前と出会う前の鈴が満載だぜ!・・・っていうか、自分で言っといてなんだが、ホントにこれでいいのか?」
「・・・ま、まあね」
「若干沈黙が怪しいが・・・まあ、鈴の事を全て知っておきたい、という事で納得しておこうか。そういうことで、鈴の絵日記と物々交換といこうじゃないか」


―――ぜんげんてっかいだ。
許さん。くちゃくちゃおこった。


「お前ら、・・・そんなもののためにあたしに絵日記書かせてたのか?」
「り、鈴、いや違うんだこれは。俺はお前を心配してだな・・・」
「ぼ、僕だって別に、鈴のアルバムでどうこうする訳では・・・」

絵日記とアルバムで何をどうこうしようとしてたのかは知らないがな。
冷や汗かいてるぞ二人とも。
特に理樹。あたしはお前のそんな顔、みたことないな。


「問答無用」
「まって鈴、怖いから!本当に怖いから!!」
「り、鈴?お、おにーちゃん、一応病人だぞ。今蹴られたら、死ぬかもしれないぞ?」

あおくなってあたしを止めようとする二人。
あたしもひどい顔だろうけど、お前らの顔もくちゃくちゃだぞ。
まるでアサガオみたいなあおいろだ。うん、かんさつしておいてよかったな。


けど、きょーすけの言う事も一理ある。死なないとは思うけど、一応怪我人だしな。


―――くるり。


「え、ちょっ、まっ、まさか僕だけ―――うぐっ!!」







8月31日

今日ははじめてりきをけった。
たぶんもう二度とけらないだろうから、あのバカたちにするみたいに、思いっきりふりぬいた。

・・・けりごごちがよく、きもちよかった。


[No.421] 2008/07/17(Thu) 16:00:32
8月8日のデーゲーム (No.415への返信 / 1階層) - ひみつ 16838 byte

 かぁんっ!
 脳天まで突き抜けるような心地良い音に乗り、打球はピッチャーの頭上を越えてぐんぐんと伸びていく。足を止めたセンターの頭上をも飛び越した白球は、間もなく夕日に呑まれて見えなくなった。


『8月8日のデーゲーム』


 5回の表、1対0。ワンナウト、ランナー一・三塁。蝉時雨さえ途切れそうな猛暑の中、リトルバスターズは一打逆転のピンチを迎えていた。
 敵は宿敵ソフトボール部。バッターボックスに立つキャプテン笹瀬川佐々美とは、チーム結成以来の因縁である。
 マウンドに仁王立ちする棗鈴は、佐々美を射殺すような気迫を以って睨みつけている。ここまで相手をほぼ三振で抑えてきた鈴だったが、5回に入ってスタミナが切れたのか投球が荒れ始め、連続フォアボールで1・2番を塁に出してしまった。続く3番をピッチャーゴロに打ち取ったもののランナーは1・3塁。しかも、次はエースで4番の佐々美だ。
 直枝理樹は構えを解いてタイムをかけ、マウンドに駆け寄った。

 間近で見た鈴は、炎天下で帽子も被らずに力投を続けた代償として汗みずくになり、今にも倒れてしまいそうなほどに息を荒らげていた。理樹は守備につく幼馴染を呼び集めるため、内野と外野に手招きする。5月の試合でも使った幼馴染シフトだ。
 しかし、鈴の緊張を解すために話しかけようと開きかけた口はすぐに閉じられた。鈴が真っ直ぐに理樹を見返してきたからだ。
「理樹、あたしはだいじょーぶだ。ちょっと休んだからおちついた。……しんぱいするな。ヒットくらいは打たれるかもしれないが、みんなが守ってくれる。そうだろ?」
 その言葉に込められた仲間への信頼に鈴の成長を感じ、理樹は思わず鈴の頭に手を置くと、じりじりと灼けるように熱くなった髪をくしゃくしゃと撫でていた。
「そうだね、みんながいる。だから鈴は恐れないで思い切り投げればいいよ」
 気持ちよさそうに撫でられていた鈴がその言葉に周りを見れば、兄が、幼馴染が、チームメイトが生暖かい目で二人を見守っている。途端に湧き上がる羞恥心に顔を真っ赤に茹らせると、手を振り回して追い払いにかかる。
「こら、お前らっ、こっち見るなっ!散れ――――っ!!」
 その剣幕に一歩身を引いた理樹は、戻る前に自分の被っていた帽子を脱いで鈴に被せた。暑い、邪魔だと脱ごうとする鈴を彼は諭す。
「このままじゃ9回まで行く前に倒れちゃうよ。今日は最後まで投げるんでしょ?」
 さっきまで理樹の汗を吸っていた帽子。そのひさしの下からじっと見つめる鈴に理樹は静かに微笑む。見つめ合ったのはほんの少し。唇を引き結んで鈴が頷き、理樹も頷く。それで意思は通じた。

「何を話していたの?」
 守備位置に戻った理樹に、審判役の二木佳奈多が話しかける。試合開始直後は一人制服の上着まで着ていた彼女だが、危うく脱水症状を起こしかけたためにしぶしぶ上着を脱いでいた。長袖のブラウスが汗で貼り付いてしまっているが、本人は開き直ったのかそれとも理樹を男として見ていないのか、気にする様子はない。
 気恥ずかしさで目を逸らしたくなる理樹だが、そんな内心をおくびにも出さずに答える。
「んー、作戦会議、かな?」
「それにしてはずいぶん楽しそうだったけど。まあいいわ」
「どんな作戦だろうと、わたくしを打ち取る事などできませんわ」
 ふふん、と不敵な笑みと共に割り込んできたのは、バッターボックスに立つ佐々美だ。理樹はこれ幸いと視線を佳奈多から佐々美へと移す。じっと見ているのは色々と目の毒なのだ、高校生男子的に。
「けど、前の打席は駄目だったよね?」
「た、たまたまですわっ!もう球筋は見えました。見てらっしゃい!」
 理樹が揚げ足を取ると彼女は帽子を叩き付けんばかりに反発する。安い挑発にも簡単に乗ってくれる、彼女の素直さがありがたい。
「盛り上がっているところ悪いんだけど、そろそろ再開してもいいかしら?マウンドの彼女が怒ってるわよ」
「こらーっ!鼻のばしてんな、ぼけーっ!」
 見ればマウンドの上で鈴が耳を逆立てて暴れている。これ以上怒らせると後でご機嫌を取るのが難しいと見て、理樹は「象じゃないんだから鼻は伸びないよ」という突っ込みは呟くに留めた。
 また、直後に背後から聞こえた呟きは、あまりにも信じがたい内容だったので記憶から削除する。

「しまっていこーっ!」
 個人の特性ゆえか、いささか気の抜ける掛け声とともに試合は再開される。再び睨みあう宿敵。理樹は変化球でカウントを稼ぐことを提案してみるが、鈴は首を縦に振らない。望むサインは真っ直ぐ。鈴は真っ向勝負をするつもりだ。
 分かっているものの、なかなかサインを出せずにいると、鈴は帽子のひさしをぎゅっと掴み、視線で訴えてくる。おとがいを汗が伝い落ちる。腹を括ってサインを出す。指は一本。しっかりと頷く。
 グラブの中でボールを握り締め、大きく振りかぶる。蝉の声が途切れる。ランナーは見ない。狙うはただ一点、キャッチャーミットのど真ん中。

かっ!
 素早いステップから迷いなく振りぬかれるバット。僅かに振り遅れたにもかかわらず、ライト方向へと打球は伸びていく。
「葉留佳っ!」
 よく通る声。立ち上がりかけた理樹より早く、審判であるはずの佳奈多が叫ぶ。打球を追って走る葉留佳。「うぉりゃーっ!」風紀委員との逃走劇で鍛えた足で必死に追いすがる。ほんの僅か、間に合わない。「はるちんダーイブッ!」食らいつくように落下地点へと飛び込む。そのままごろごろと転がっていく。
「葉留佳っ!?」
 佳奈多が悲鳴を上げる。だが、姉の心配を他所にすっくと立ち上がる妹。高々と掲げたグローブ。「捕ったどーッ!どーだっ、見ーたかーっ!」蝉の合唱をバックに、誇らしげに高笑いする。
 が、しかし。
「はるかっ!ばっくほーむっ!」
 鈴の声は既に遅く、スタートを切った三塁走者がホームを踏むところだった。「何ぃーっ、そんなの反則だーっ!」
「反則じゃないわよ。もう。馬鹿なんだから、あの子は」
「ですが、見事なプレーでしたわ。捕られるとは思いませんでした」
 小走りで戻ってきた佐々美がバットを拾いながら褒めると、佳奈多の顔が誇らしげにほころんだ。それはとても葉留佳に似ている、と理樹には思えた。

 その後、失点にも崩れない投球で鈴が次の打者を抑えると、試合は一進一退の攻防を展開する。
「クドっ!」
「こまりちゃんっ!」
 左中間に高く打ち上げられた打球が飛んでいく。「わ、わふっ!来ましたですーっ!」「わ、わわわっ!?」名前を呼ばれた二人がそれぞれ打球を追って懸命に走る。
 「わふーっ!?」「ひゃあぁっ!?」打球だけを見てまっしぐらに駆け寄った二人は、周囲の予想通り、もつれ合うようにして倒れこむ。その後ろをてんてんと跳ねるボール。
 「ああ、二人ともあちこち捲れ上がったあられもない姿で絡み合って、はぁはぁ、お、お持ち帰りオッケーということだな?」ボールそっちのけで息を荒らげる唯湖もまた予想通りだ。
「そういえば、そういう人だったわね。彼女は」
「うん、そうだねぇ」
 佳奈多は頭痛に襲われたように眉間を押さえ、深いため息をつく。苦笑しながら相槌をうつ理樹は、ショートの方を眺める彼女を見て、その呆れの中に懐かしさが混じっているのをを見つけた。
 鈴の疲労から徐々にヒットが出始めると、硬球に対応してきたソフト部に対して、リトルバスターズはメンバーの経験の浅さから、エラーによる失点が重なっていく。だが、ただ取られるまま引き下がるバスターズではない。

 「ちぇぇぇすとぉぉーーーーっ!!」竹刀をバットに持ち替えたサムライ、謙吾の一打で恭介がホームへと帰ってくる。打たれた佐々美は灼けたマウンドに立ち尽くし、苦しげに歯を食いしばる。
 彼女も鈴同様、心身の疲労から制球が甘くなっている。だがそれでも、憧れていた謙吾だからこそ打ち取りたかったに違いない。
 チームメイトたちは誰も守備位置から動かず、じっと佐々美を見守っている。彼女たちのキャプテンは慰められることを良しとしない。
「まだ1点ですわ!みんな、抑えますわよ!」
 毅然とした態度に彼女たちは溌剌と応える。倒れても挫けない。躓いても歩みを止めない。それが彼女たちのキャプテン、笹瀬川佐々美だ。

 その後立ち直った佐々美を打ち崩せないまま、試合は最終回、9回の裏を迎える。2対5。ツーアウト一・二塁、バッターは三番、井ノ原真人。
 2−1と追い込まれたバッターボックスで、真人は不敵に笑う。「待ってな理樹。オレがサイッコーの舞台を作ってやるぜ。この筋肉でなっ!」バットを短く持った真人はベースに覆いかぶさるように構えている。
「まじめにやれーっ!ぜったいに理樹までまわせーっ!」
 背後の二塁で騒ぐ鈴を、佐々美は努めて無視する。
 ただでさえ巨体を屈めて構える真人には投げにくいのに、今の野次で更に限界までストライクゾーンを狭めてきた。あの状態で姿勢を保っていられるのが不思議でたまらない。これが筋肉のなせる業だというのだろうか。
 集中して、あと一球。それで決着がつく。深呼吸を一つ、セットポジションから素早いモーションでボールを放つ。アンダースローから放たれる、インコース高めの直球。
 地面から跳ね上がるような球は、今の真人の構えからではその筋力をもってしても長打にはつなげられまい。長打にならなければ必ず仲間たちが守ってくれる。
 刹那の思考が過ぎ去った後、ボールが突き刺さった。ただし、ミットではなく、真人の顔面に。

「真人っ!」
 真っ先に理樹が駆け寄る。
「動かさないで。たぶん脳震盪を起こしているから」
 冷静に指摘したのは佳奈多だ。佐々美や鈴も駆け寄ってくる。理樹が見回せば一塁にいた恭介やベンチにいたクドリャフカたちも集まっていた。
「ごめんなさい。井ノ原さんは大丈夫ですの?」
「しんぱいするなざざ子。こいつは馬鹿だからくちゃくちゃがんじょうなんだ」
「まあ、馬鹿だからっていうのはともかく、頑丈なのは保証する。それに、顔から当たりに行ったのは真人の方だから、さか、さわれがわさんが謝ることじゃないよ」
「あなたたち……まあいいですわ」
 二人揃って名前を言い間違えられ、反射的に訂正しようとした佐々美だが、今はそこにこだわっている場合でもないと思いとどまった。
 その間、バスターズのマネージャーである美魚が救急箱から大きな湿布を取り出し、顔面を覆うようにべたりと貼り付けていた。「一先ずこれで大丈夫です。……おそらく」
 まだ目を覚ます気配はないが、大事はないのだろう。さすがは筋肉。皆がほっと胸をなでおろすと、自然と苦笑が浮かぶ。
「でも、どうするの?そろそろ試合を再開しないと」
 日は大分傾いている。グラウンドを借りていられるのはあと僅かだ。理樹と鈴は顔を見合わせ、チームメイトを一人一人確認する。謙吾、小毬、クド、唯湖、葉留佳、美魚、そして恭介。
「ここまでやれたのですから、もう、」
「いや、最後までやりたい。お願い」
「たのむ」
 気遣うような佐々美の言葉を遮り、理樹は願い、鈴も倣う。その表情に佐々美もソフト部員たちも続ける言葉を失う。居心地の悪い沈黙を破るのは、いつも冷静な佳奈多の仕事だ。
「それで、具体的にはどうするのかしら」
 もっともな疑問に、理樹は恭介ばりの不敵な笑みで応える。
「選手交代します。代走、西園」

 試合再開。九回裏、得点は変わらず2対5。ツーアウト満塁。ランナーは三塁に鈴、二塁恭介、そして一塁に美魚。そして、バッターボックスに立つのは四番、直枝理樹。恭介に言わせれば、「これ以上ない最高の舞台」だ。
 一塁に佇む美魚を見る。塁上では日傘を差すわけには行かないので、代わりに野球帽を被っている。代走に指名された彼女は戸惑っていたが、
「大丈夫、西園さんを走らせたりしない。僕が打った後で、ゆっくり歩いてホームに帰ってくればいいよ」
と請け合った。ここまで舞台が整えられたのだ。四番でキャプテン、打って返して、勝つのが仕事だ。
 視線をマウンドに戻す。サインを交換する佐々美には、気遣っていたときの遠慮はない。最後のバッターを仕留める事だけに全てを注ぐ。
 彼女の持ち球は、浮き上がるような直球。鈴ほどの球威はないが、打ちにくいコースを正確に衝いてくる。そして、カーブ。変化は大きくないが、通常の直球と遜色ない速度で曲がり落ちる。
 ソフトとは大きさも投げ方も違う硬球なのに、それを感じさせない。それどころか巧みな配球に翻弄されて今まで打ち崩せずにいる。だが、既に九回、100球以上を投げているのだ、とっくに限界は来ている。直前の真人の打席で投げたカーブも変化が甘くなっていた。
 初球から振っていこうと決め、佐々美のモーションだけを意識に乗せる。
 セットアップ。第一球。外角やや低め、直球だ。球は速いがコースが甘い。そう判断したときには既にスイングはほぼ完了している。芯で捕らえる軌道で鋭く振り抜いて、
空を切った。

「なに、今の」
 バットを振り切った形で固まったまま、呆然と呟く。地面すれすれから伸び上がるようにバットへ向かってきたボールは、直前でバットを飛び越えるようにホップしたのだ。
「今の動き、まるで鈴の」
「ほーっほっほっほ!一緒にしないで欲しいですわ。これはわたくしの開発した魔球『エレガント佐々美ボール』!」
「え、エレガント」
「ささみボール」
「腹がへってきた」
 気圧された理樹と地味に驚いている佳奈多を他所に、鈴はマイペースだ。確かにそろそろ夕食の時間で、全員が空腹を感じ始めていたのも事実ではあったが。
「た、ただし肘に大きな負担がかかるため、一試合に三球までしか投げられないのが欠点なのですけれど」
 佐々美は一人、鈴に噛み付きもせずに説明を続ける。習得までに相当の苦労があったのだろう、何とか印象付けようと必死だ。理樹も協力する。
「そ、そんなにまでして。なんて勝利への執念だ」
「でも、あと二球しか投げられないってばらしてよかったの?」
 そんな理樹の努力に佳奈多が水を差す。案の定、折角の見せ場がぐだぐだになった佐々美は涙目だ。それでもソフト部員たちは誰も助けようとしない。佐々美を信じて見守っている。
「に、二球あれば充分ですわ!さ、さあ構えなさい!」
「勢いで押し切ったわね。まあいいわ、再開しましょう」
「しまっていきますわよ!」
「「はいっ!」」
 佐々美の一声で空気は入れ替わり、理樹も再び打席に集中する。あと二球。彼女がそう言うならきっと残り二球で仕留めにくる。ならば、打ってやろうじゃないか。

 第二球。コースは内角低め、ただでさえ浮き上がる球がホップしてくれば、下手をすると真人の二の舞になるだろう。しかし理樹は果敢に打ちにいく。腕を畳んで斜め下から掬い上げるようなスイング。捉えたつもりだったが、バットはボールの下をかすめ、跳ね上がったボールはそのままはるか後方に飛んでいった。
 イメージを修正する。ベースは鈴とのバッティング練習。そこから球速を落とし、ホップする角度を高くする。

 ツーストライク。もう後はない。魔球は残り一球。今組み立てたイメージに合わせて軽く一振り。佐々美を見る。赤く染まっていく景色の中、目が合うと笑みを浮かべる彼女。小細工はなし。真っ向勝負で仕留めるつもりだ、彼女は。グリップを軽めに握り、スタンスを整える。

 彼女は伸び上がるように大きく振りかぶる。一瞬の溜め、上体が大きく沈み込む独特の軌道。ボールを握る右腕が上体とは別の弧を描く。頂点から振り下ろされた振り子の錘が、地面を掠める低さで撃ち出される。
 バッターボックス、もうひとつの円運動は既に初動を済ませ、溜めた力を解放する手順に入った。踏み出した左足に重心を滑らかに移動させ、生み出されるエネルギーをバットに伝える。
 地面すれすれから浮き上がりながら高速で迫る白球。彼我の距離が見る見るうちに消費されていく。
 渾身の変化、バットの直前でホップする。意思が宿ったように迫る危機から逃れようとする。だが、理樹の意思はそれを上回ろうとする。肘に悲鳴を上げさせながら軌道を修正し、逃げる白球へ喰らいつかせる。
 てのひらに感じる衝撃。理樹は全てを込めて振りぬいた。

 微かに痺れる手のひらからバットが乾いた音を立てて地面に落ち、理樹の身体がぐらりと傾いだ。景色が音が遠のき、消えていく刹那、みんなの歓声が聞こえた気がして、理樹の意識はそのまま闇に落ちた。

 微かに聞こえる歌声に意識が呼び戻される。頭の下には柔らかい感触。うっすらと目を開けると群青色に染まった空。理樹が身じろぎすると、歌声が止み、鈴の顔が覆いかぶさってきた。生温い風に吹かれて、少し湿った髪のひと房がぺしりと理樹の頬を打つ。
「やっとおきたか」
「あ、試合は?」
 頭を鈴の膝枕に預けたまま、彼女を見上げて尋ねる。
「……勝ったぞ。みごとなホームランだった。あれだ、よこくまんるいサヨナラホームランだ」
「でも、僕は寝ちゃったのに」
「代走を出した。うちのクラスのやつにたのんだ」
「クラスの?」
 誰だろう、と首をひねった理樹に、横合いから助けが入った。
「杉並さん、と言ったかしら」
 言ってから、そうよね?と鈴に向かって確認をとる佳奈多。いつの間にかやって来ていた彼女は、再び上着を着込んでいた。
「ああ、杉並むつみ、だ」
 鈴がクラスメイトの名前を覚えていたことに今更驚きはしないが、なぜその子を選んだのかは気になった。
 理由を聞くと、何故か鈴はむっつりとむくれながら、
「なんとなくだ。ばーか」
とはぐらかした。

 そのうちに、着替えを済ませた佐々美たちソフト部員が戻ってきた。部のミーティングは済ませたのだろう、三々五々と散っていく。
「お待たせしました。……気が付かれたのですね、直枝さん」
「うん、いつものことではあるけど、最後の最後で格好悪いところ見せちゃったね」
 佐々美が傍に膝を付くと、理樹もそろそろ気恥ずかしくなってきて、鈴の膝から身を起こして苦笑する。だが、佐々美は静かな表情で首を横に振った。
「いいえ、わたくしの完敗ですわ。最高の勝負でした」
「最高の勝負か。そうだね、凄く充実した勝負だったよ。ありがとう、笹瀬川さん」
 理樹が差し出した右手を握り返し、固く結ばれる。視線を交わす二人の手の上に、一回り小さな手が添えられた。
「あたしからも礼をいう。あ、あ――んですめろん」
「鈴」
「うそだ。……ありがとう」
「うん。部の人たちには変な事に付き合わせちゃって申し訳なかったけど……」
 ばつが悪そうに礼を述べる鈴の頭に手のひらを乗せてから、佐々美に向き直ると、彼女は再び首を横に振る。
「皆も、嫌々付き合っていたものは一人としていませんでしたわ。ですから、気に病むことはありません」
「……わかった、ありがとう」
 手を重ねたまま微笑みあった三人は、もう一人、このやり取りを見守っていた人物に向き直る。
「佳奈多さんも。ありがとう、こんなことに付き合ってくれて」
 三人の視線を事も無げに受け流しながら、彼女はいつものシニカルな笑みを浮かべる。
「別に、暇だったから。実家の連中の顔も見飽きたしね。むしろ、こちらがお礼を言いたいくらいだわ」
 何に対しての礼なのかは言わなかったが、その声はとても優しかった。
「僕はこんなだから、出来ることが他に思いつかなかったんだ」
「あたしは、理樹の保護者だから」
「ちょ、いつから鈴が保護者になったのさ?」
「最初からだ」
「いやいやいや」
 しんみりしかけていた空気は二人の掛け合いが始まって、途端に生温くなる。蝉に代わって舞台に上がった虫たちがやかましく鳴き交わす。
 佐々美は付き合っていられないと距離を置き、佳奈多と顔を見合わせて苦笑する。
「本当、仲がいいですわね」
「ええ。呆れるくらいにね。……さて、行きましょうか、笹瀬川さん。二人とも、もう帰るわよ。夫婦漫才の続きはお互いの部屋でヤりなさい。目を瞑ってあげるから」
 いや、そこは目を瞑っちゃ駄目なところだよね、と突っ込む理樹に構うことなく踵を返し、佳奈多は佐々美と二人、寮に向かって歩き出す。慌てて追いついた理樹たちと、四人の帰路。何となくできた沈黙に、ぽつりと。

「みんな、往ったかな?」
「多分ね」

 川を渡った風が、汗ばんだ肌をひやりと撫でていった。


[No.422] 2008/07/18(Fri) 01:51:34
百ある一つの物語 (No.415への返信 / 1階層) - ひみつ 12073byte

 あ、次は僕の番?
 困ったなぁ、怖い話なんて全然知らないんだけどなぁ。
 うーん、でも何か話さなきゃ進まないよね。百物語なんだし。
 うん……よし、思いついた。
 あの、でも、最初に言っておくけどさ、これは友達の兄貴から聞いた話で、その兄貴自体も人づてに聞いた話らしいんだ。だから、信憑性なんてありゃしないし、もしかしたら面白くもなんともないかもしれない。そこんとこ、よろしく。

 で、その友達の兄貴から聞いた話。みんなももしかしたら聞いたことあるかもしれないな。この町より少し山奥に入った所、そうそう、あの峠。よく走り屋がドラテク競い合ってるっていうあの峠だよ。あそこで前に酷いバス事故があったんだ。これは当時結構な騒ぎになったからもしかしたら覚えている人もいるかもしれない。
 え? 覚えてるって? やっぱりー。
 で、そのバス事故なんだけど、これがまたありそうな話でさ、修学旅行中の学生だったらしいんだよ、乗ってたの。しかも出発直後。乗ってた学生はほとんど死んじゃったらしいし、やりきれないよね。
 もう大体予想ついたと思うんだけど、そう、それ以来その場所には出るようになっちゃったんだよ。何がって、またまたー、わかってるくせにー。ユーレイだよ、ユーレイ。事故自体が有名な話だからね、事故現場近くに現れるユーレイの話も一種の都市伝説みたくなっちゃったんだってさ。
 で、ここからが友達の兄貴の、そのまた友達の話になるんだけど、その友達同士でね、本当にユーレイが出るか確かめに行こうって話になったらしいんだ。ちょうど仲間内の一人が免許取ったばっかりで、ま、試運転も兼ねてってことで、男ばっかり四人集めて。普通こういう納涼系のイベントやるなら、女の子も呼ぶものだと思うんだけど、そっち方面には奥手な野郎ばっかりだったんだろうね。
 そんなわけで、友達の兄貴の友達――長ったらしいから仮にAと呼ぶことにしよう――は友達のB、C、Dを連れて問題の峠に向かったんだ。その夜は本当に静かな夜で、空には月も出てなかったんだって。少し道から外れたらもうそこは深い穴の奥みたいに暗くて、ただそこに立って風に揺られてるだけの木が、まるで地獄から這い出てきた悪魔が手招きしているみたいに見えたんだ。どお? 少しは雰囲気が出てきたんじゃない?
 まるきり肝試し気分だった四人は、そんな雰囲気一つ一つにぎゃあ、とか、うおお、とかいちいち派手な歓声を上げていたんだ、最初の内だけはね。みんなも知ってると思うんだけど、あの道はイジメじゃないかってくらいにウネウネと曲がりくねっていて、とんでもなく距離もあるでしょ。あの道を走るのは昼間だってしんどいのに、まして夜だよ。そりゃ段々と口数も減っていくってものさ。
 そうこうしている内に四人の乗った車は事故現場とあたりをつけていた地点の近くまで来た。Aはぶっちゃけ、そんなくだらない事故現場なんかスルーしてとっとと家に帰りてぇよくらいの気持ちになっていたんだけど、それをそのまま口にして残りの三人にビビリ呼ばわりされるのも面白くないから、黙って運転してたんだ。後から聞いたらしいんだけど、その時残りの三人も同じようなことを思ってたっていうんだから、傑作だよね。
 最初にその場所を見つけたのは、静か過ぎて寝てるんだか起きてるんだかわからないBだった。急に抑揚のない声で「ここだ」なんて言うものだから、半分眠りかけていたAはハンドル操作を間違えてしまいそうなくらいびっくりした。急ブレーキ。どうしたんだよ、お前起きてたのかよ、ていうかここってどこだよ、なんて、AとCとDは、Bに向かって口々に文句を言った。でもBはまるで気にしてない様子で、こう言ったんだ。

「そこ、ガードレール途切れてる――」

 Bが指差す先に三人が見たのは、不自然に途切れたガードレールが作り出しているような不思議な空間で――
 そうなんだ。それは、なんらかの原因でコントロールを失ったバスが崖下に落ちていく直前に突き破ったガードレールの成れの果てだったんだ。幸いなことに、あるいは『不幸なことに』かもしれないけど、その傷痕を見てバス事故を連想しない人間は四人の中には一人もいなかった。
「なぁおい、おりてみようぜ」と、どことなくわくわくした様子で言ったのは、四人の中で一番ノリのいいCだった。やっと面白くなってきたじゃないか、とか、漫画だったら言っちゃいそうなシーンだもんね。今までのぐだぐだな雰囲気もどこへやら、少しやる気の出てきた四人は迷わず車をおりたんだ。
 それが間違いのもとだったってことにも気付かずにね。
 車をおりた四人は、まずガードレールが途切れた所から先を調べてみることにした。ガードレールの向こう側はかなり勾配がきつい斜面、いわゆる崖のようになっていたんだけど、かな無理をすればなんとか下りられなくはなさそうだった。無理をする気になったのは、木が薙ぎ倒されたあとや、削り取られて赤茶けた土の色が剥き出しになった斜面など、明らかなバス事故の痕跡があちこちに確認できたからだ。間違いなく、ここだ。確信はどんどん深まっていった。
 どこまでも続くんじゃないかと思うくらい、長い時間傾斜は続いたみたい。下って下って、四人が辿り着いたのは少し開けた台地のような場所だった。誰も何も言わなかったけど、ここが確かに『その場所』だって感じてた。少なくともAは、そう思ってたらしいよ。
 手分けして何かないか探してみようってことになって、A達は別れた。ユーレイは見つけられなくても、何か話のネタになるもの見つけて帰ろうぜってノリ。でも、誰がどう見てもその場所は異様な雰囲気を醸し出していたって話だから、あるいは四人が四人とも強がってたのかもしれないよね。
 ともあれ、Aは他の三人と別れて辺りを探り始めた。風で揺れる草の音や、自分で踏んだ木の枝の折れる音とかにいちいちビクビクしながら。Aは普段「ユーレイなんていないだろ」って言ってるような人なんだけど、その時ばかりは流石に怖いって感じてたらしいよ。そりゃそうだよね。向こう側に何がいるとも知れない暗闇が怖くない人なんて、そんなにはいないものだよ。
 おっかなびっくり事故の痕跡を探し出して数分、Aはこれといった『面白い物』を見つけられずにいた。事故が起こってから結構な期間が過ぎていたから、もうみんな片付けられてしまったんだろうなって、Aは思った。唯一見つけたのは何だかよくわからない金属片だったらしいんだけど、よくわからなかったし、後で三人に見せて色々話そうと思ったので、一応ポケットにしまっておいたんだって。
 他の三人はもう既に捜索に飽きてしまったのか、向こう側からはきゃあきゃあとはしゃいでいるような甲高い声も聞こえてきた。なんだ真面目に探してたのは俺だけだったのかよと、Aは急に馬鹿らしくなった。自分も早く合流しようと、声のする方へ歩きだした。

 そう、気付いた時にはもう遅かったんだ。

 俺達はたった四人きり、しかも男ばかりでここに来たんだぞ?
 甲高い声?
 あの『集団』は明らかに四人以上、しかも確実に女までいるじゃないか!

 気付いた瞬間、Aは走り出した。声のする方と反対の方向へ、あらん限りの力を振り絞って、ただただ走った。がやがや声はまるで耳鳴りみたいに、どれだけ走ろうとも付いて来た。
 いつの間にか何も見えないくらいの霧に囲まれていた。どこまで走っても、この台地の終わりが来ることはなかった。
 耐え切れなくなってAは叫んだ。意味不明にわめいた。友達の名前を呼び続けた。

 助けて。
 助けて助けて。
 助けて助けて助けて!

 やがて、意識まで霧に包まれた。



 さて、ここまで聞いてしまった人は三日以内に五人以上にこの話をしないと、この話のAのような運命を辿ることに――って嘘だよ、嘘。そんなオチじゃないから、安心してね。
 え? 結局Aはどうなったのかって?
 うん、生きてるよ。ピンピンしてる。当たり前じゃん。第一Aが死んじゃってたら、僕は一体誰からこの話を聞いたんだよってことになっちゃうじゃない。

 よし、じゃあ続きいくよ。

 意識が戻った時、乗ってきた車の中にÅはいた。助手席と後部座席には暢気に眠りこけているB、C、Dの姿があった。空にはもう太陽が顔を出していて、悪い夢が終わったんだと、Aは安堵のためいきをついた。
 それからAは他の三人を叩き起こし、あくびをつきながらのろのろと来た道を戻っていつもの街へと帰った。

 めでたしめでたし――ってこれも冗談だけどね。こんな終わりだったら最初からこんな話、しないよ。

 その出来事から一週間くらい経った後、Aの家に遊びに来た人がいた。あの日Aと一緒に事故現場へ行った内の一人、Bだった。遊びに来た割にBはどこか浮かない顔をしていて、Aは思わず「何かあったのか?」って聞いた。そしたらBは神妙な顔をして「あの夜のことについて、腹を割って話し合わないか」と言ったんだ。
 A達はその夜のことをけして話し合おうとはしなかったんだ。帰りの車の中でも、誰もその夜に見たことを話そうとしなかった。確認をしないことで、自分の見たものを単なる夢だってことにしたかったんだ。

「お前は『どこまでが』現実で、『どこからが』夢だったって思ってる?」

 Bの問いにAは上手く答えられなかった。それはこの質問におけるBの意図がÅにはよくわからなかったからなんだけど、それにしたってBの口調にはまるで容赦というものがなかった。

「お前も追いかけられたんだろ? 妙な集団に、さ」

 Aは迷った挙句、正直に頷くことにした。

「実はCとDにも確認したんだけどな、あいつらも同じだって。もちろん俺もだ」

 Aは驚いた。あの妙な夢を見たのは自分だけではなかったんだ。

「でも、これで終わりじゃなかったんだろ」

 Bの言葉は確信に満ちていて、Aは『あの後にあったこと』が単なる夢ではなかったことを思い知った。

「野球――させられたんだろ? 妙な連中相手に」

 Aは正直にあの夜にあったことを包み隠さずBに話した。
 声に追いつかれ、もう駄目だと思ったこと。妙な男に耳元で何事かを囁かれ、いつの間にかどこかのグラウンドにいたこと。男子と女子が入り混じった妙なチームを相手に試合をしたこと。自分は全く野球をやったことはなかったが、勝手に身体だけは動いてくれたこと。試合が終わった瞬間、また意識が閉じていって、気づいたら自分の車の中で寝ていたこと。こんな話をしてもしょうがないから、結局何も言えなかったこと。

「俺も大体そんな感じだ。CとDもそうだったらしい」

 自分達が全く同じ夢を見ていたことを知って、Aは今になって急に背筋が寒くなってきた。
 なぁ、あれは、夢だったんだよな? なぁ、B。そうなんだよな?

「俺、気になってさ。少し調べてみたんだ。あのバス事故に遭った学校についてさ……そしたら、いたんだよ」

 いたって、何が。

「その学校には妙な連中がいたらしいんだ。何でも男子も女子もなく適当に人を集めて、野球部でもないのに毎日野球ばっかやってた連中が」

 ぐ、偶然だろ?

「いや、偶然じゃない。お前もあの相手チームを見たんだろ? 男子も女子もない、てんでバラバラなチーム。あんなチームがいくつもあると思うか?」

 いや、思わないけど……。

「しかもな、聞いた話だと、そのチームにいたらしき生徒全員がその事故で死んでる」

 ……。
 まさか……。

「あの夜さ、あっただろ。ほら、ガードレールの隙間と、あの向こうにあった、少し開けた場所。あの事故現場っぽい場所……俺さ、少し気になったからもう一度見に行ったんだ」

 へぇ、暇人だな。

「そしたらな……無かったんだよ、ガードレールの切れ目なんて、どこにも」

 ……う、嘘だろ?
 第一、その切れ目を最初に見つけたの、お前じゃないか。

「そう俺だ。だから、そんなこと絶対無いはずがないと思って俺、何度も何度も往復したんだ。切れ目なんて、どこにもなかった」

 ……。

「警察にも確認した。そしたらな、もっと信じられないことを言われたんだ」

 ……なんだよ。

「あの事故の少し後のことなんだけどな、この辺一帯で酷い豪雨があったの、覚えてるか」

 ああ、あれだろ?
 あのすげえ台風。

「ちょうど事故のあったあたりはちょうど地盤が緩んでたらしくてな、あの事故の跡は片付ける前に全部……崩れちまってたんだと」

 どういう意味だよそれ。

「あそこはな、『あるはずのない場所』だったってことだよ。崖崩れの補修で、ガードレールも何から全部自治体で直しちまったから、あの事故の跡なんて残ってるわけない、第一あのバス爆発現場はあの崖崩れで全部埋まってるはずだ――だってさ」

 ……。

「なぁ……だから俺はお前に聞いてみたいんだよ。
 お前、どこまでが『現実』で、どこからが『夢』だったんだと思う?
 ――ってな」

 やっぱりAはBの問いに答えられなかった。何も話さないAに根負けしたBはその後は何も口にせずに帰った。
 Aが答えなかったのは、怖かったからだ。何かを言葉にすれば、それが『現実』になってしまう気がして、何も答えられなかったんだ。
 Aの家の机の引き出しの奥には、今でもその夜に拾ってきた金属片があるんだって。捨てようにも怖くて捨てられないし、かといって忘れることも出来なくて、困ってるらしいよ。




 この話が嘘か本当かはわからないけど、事故の話も、その後に起きた土砂崩れの話も、一応本当らしいよ。何? 当たり前? 知らない方がおかしい? うーん、僕あんまりニュースとか見ないからさ、疎いんだよ。
 しかし、野球だよ、野球。
 バス事故で死んじゃっても、友達みんなで野球やってるって、すごいよね。生きてる人たちまで巻き込んでさ。巻き込まれた方にしてみればいい迷惑かもしれないけど、もしかしたら巻き込まれた人の中にも「久しぶりに身体動かせて楽しかったー」なんて人が、いるかもしれないよね。え? そんな人いないって? そうかなぁ。僕なんかこの話を最初に聞いた時、そんな連中と一緒に野球やってみるのもいいかもって、ちょっとだけ思っちゃったもん。
 でもさ、例えばだよ。すごくすごく仲のいい友達がいて、その友達と一緒にいつまでも遊んでいられるなら、それはそれですごく幸せなことなんじゃないかって気もするんだ。誰々にとって何が幸せかなんて結局他人にはわからないし、現実なんて嫌なことばかりだもんな。
 だから今度暇な時にでも、みんなで夜にその場所に行ってみるのもいいかもね。
 みんなで野球をやりにさ。

 これで僕の話はおしまい。山場もなかったし、退屈だったかも。ごめんね。
 次はもっと怖い話、期待してるよ。


[No.423] 2008/07/18(Fri) 01:57:20
暑い日のこと (No.415への返信 / 1階層) - ひみつ


暑い日のこと



「あちー、うるせー、あちー、うるせー」
 両手を頭の後ろで組み、足を軽く広げ膝を曲げ伸ばしする、いわゆるヒンズースクワットと呼ばれる運動。暑苦しい言葉とともにがたいのいい男に近くでやられるとうざいことこの上ない。世の中にはいろんな趣味の人間がいるが、少なくともやられている当事者はそうではなかった。特に好きでもない勉強をしているならばなおさらだ。
「その掛け声でスクワットをやるのはやめてくれない、こっちまで鬱陶しく感じてくるんだけどさ」
 無視することに限界を感じてきた理樹の言葉は棘で溢れている。しかし真人には何の痛痒も与えてはいないみたいだった。
「ふっ、あえて自分にストレスをかけることで、さらに筋肉に負荷を与え、スクワットの効果を高める。俺が編み出した新しいトレーニングの方法に、お前も遠慮なく賞賛の声を浴びせてくれていいぜ」
 タンクトップをばたばたさせ、汗を辺りに飛び散らせている真人からさりげなく離れようとする。正常な反応である。
「いや浴びせないし、わざわざ僕の近くでやらないでって言いたいだけだよ」
 机をちょっとずつ動かそうとするが、この部屋の広さでは断念するしかない。それでも冷房が効いているこの部屋は出たくはなかった。まるで我慢大会をしているような心地だった。いつ恭介が思いついて我慢大会をやりだそうとしないか、そうなってしまったら理樹には止めようがない。でも結局なんだかんだで楽しませてしまう、恭介の魅力がそこにはある。だから夏休みが始まったばかりから宿題に手をつけ、いつペースが崩されてもいいように理樹は準備している。
 そう、理樹もまた恭介の次の行動にわくわくしているのだ。
「んなこといったってよ、謙吾は実家に帰りやがるし、恭介も鈴をつれてどっかでかけちまったしよぉ。ここにいるしかないじゃん?」
 すごく寂しいことを明るくいえる真人はすごい、理樹は素直にそう思えた。
「ないじゃんって他に選択肢を見つけようよ……そっかぁ、静かだと思ったら恭介たちも出かけていたんだ。そういえば恭介の就職活動は大丈夫なんだろうか……事故ですっかり予定が狂ってしまったよねえ」
 この学校はほとんどが進学組であるので、恭介のような生徒は少数派となる。つまり、学校からの援助はあまり当てにできないので、生徒自ら探さないといけない。
「まあ、あいつは心配するだけ無駄だろ。俺達の知らないところでいつも何かしでかしてたもんな」
「それはそうだけどね」
 理樹の言葉に実感がこもる。恭介の行動力は信じられないくらい。恭介が宗教を始めたら凄いことになりそうだと常日頃から感じている。携帯で人生相談を始めたら大盛況だったらしい。
「ところで、理樹。お前何勉強してんだ? 今は夏休みだぞ」
「何って、夏休みの宿題だよ」
「馬鹿でー、お前休みに宿題なんてあるのかよ」
「うわっ、何その信じられない返事っ。ある意味真人らしいけどさ」
 窓を通しても蝉の声はうるさい。それが日ごろ口やかましく叫ぶ教師の声と重なって、理樹はうっとうしげに息を吐いた。一年後の自分はどうしているのだろう。何も考えてなさそうに見える真人に口に出したところでしょうがないだろう。
「ふう、いい汗をかいた」
 満足した様子で真人が汗を拭う。とても幸せそうでよかったですね、そう言いたげな理樹だったが、黙ってノートに目を落とした。
 夏はまだまだ長いが、目の前の方程式はなかなかに厄介だ。過ぎ去れ、夏。理樹は呟いて、シャーペンをカチカチ鳴らした。



「こんな日に外に出るなんて馬鹿だよね……」
 足元のアスファルトが歪んで見える。そこにぽたりと落ちていく自分の汗。じゅわっと湯気の立ち上る様に視界がくらくらしてくる。
「何だよ、付き合ってくれたっていいじゃねーか」
 体力が突き抜けている真人にはダメージはないのか、その筋肉がちょっと羨ましい理樹だった。最高気温が体温を超える日も珍しくなくなった。閑散とした道路はたまに通りがかる自動車ばかり。
「そうだね。ははは。せめて日が傾いてからにして欲しかったな」
「うお、理樹が壊れたぜ。夏すげー」
 夏休みには寮で生活している生徒はほとんど実家へと帰っていく。残っているのは事情があるか、ただ帰るのがめんどくさいのか。おかげでちょっとくらい騒がしくしたところで苦情は来ない。とはいえ、それで羽目をはずした過去の生徒が馬鹿なことをやらかしたせいで、寮の生活は不便なものになったらしいと理樹は恭介から聴いた。
「真人は無駄に元気だよねえ」
 愚痴りながらも理樹の足が止まらない。一度止めてしまえば、そこで終わりとばかりに引きずるように無理やり足を踏み出していく。
「おいおい、子どもの頃は夏だからこそはりきって冒険していたじゃねーか。忘れちまったのか、近所の廃屋に忍び込んだりさ」
 しかしはしゃいで駆け回る少年たちの姿は見えない、温暖化の影響なんだろうか。うまく言えないけど、あまりよい傾向ではない気がすると理樹はぼんやりと考える。
「あの頃はもっと夏も涼しかった気がするよ……ああ、カブトムシを取ろうと木に蜂蜜を塗ろうとして、真人の頭に落として、蜂に追いかけられたこともあったね」
「嫌なこと思い出させんなよ……くそ、ぼこぼこになった俺を見て鈴のやつは爆笑しやがるし」
「あれだけ笑った鈴を見たのは他にはないなぁ」
 そういえば鈴の笑顔を最近見たことがあっただろうか。しかし理樹の思考力はすぐに周りの空気に拡散していく。ぼこぼこになった原因の中に怯えた鈴のキックが入っていたような気がしたが、忘れているならそれでいい。
「しかし、このくらいの暑さでへばるなんて理樹はまだまだ筋肉が足りないな。少し俺の筋肉を貸してやりたいぜ」
 真人には熱を感じる神経がないのだろうか、荒みきった理樹の思考がとんでもないことを思いつかせる。
「ありえない話でもないよね……」
「あん、どうしたよ?」
「なんでもない」
 首を小さく振ると顔に髪がかかる。今度髪切ろうかなぁ、何か別のことで気を逸らさないとこの暑さに耐えられそうにもない。
「夏祭りの射的で、銃をそのまま投げつけたこともあったねえ」
「よく覚えてんな」
「そりゃ、怖いおじさんに追いかけられれば、嫌でも覚えてるよ」
「だってよ、まっすぐ弾が飛ばないんだぜ、あれはインチキだろう」
「はいはい、真人ひとりでやればいいのに、強引に僕を引っ張ってったじゃないか」
「ああ、あれはなぁ」
 鮮明にあの日のことを思い出す。両親に手を引かれる子供をぼんやりと眺めている理樹を見て、そうせずにはいられなかった。なんだかすごくあの時の感情は説明できないものだったと、真人は思う。
「金がなかったからなぁ、あんときゃ」
「今もないよね」
「ははは、それは言わない約束だ……あ」
 いきなり真人が足を止めた。後ろを歩いていた理樹が目の前の壁にぶつかりそうになる。
「今気づいたことがあるんだけどよ」
「なに?」
 返事だけそっけなく返して、無駄な動きを避けようとする。発熱量はなるべく抑えたい。
「財布忘れた」
 理樹の不快指数が一気に高まった。
「死ね」
「……えっ?」
 さすがにぎょっとした様子で真人が見下ろした。中性的な顔立ちと華奢な体つきのせいで儚げに見える姿からとても想像できない。だからそれは空耳なんだと真人は思うことにした。
「ん? どうかした?」
「いや、なんかお前から信じられない言葉が出てきた気がしたんだけどよ、き、気のせいだったか」
 きっとこの汗は暑さのせいだけじゃないだろう、腕で拭いながら真人が理樹から視線をはずす。しかし、視線を切る前に見えた上気した赤い頬に疲労と気だるさを混ぜたその表情が妙に印象に残って。
「うおおおおっ、俺は何を考えているんだああ!!」
「で、どうするのさ」
 気づかない理樹は幸せなのかもしれない。
「ここまで引き返すのも馬鹿らしい。理樹、悪いけどよ」
「僕の買い物が終わるまで待っていてくれてもいいよ」
「理樹ー!! なんだか妙に性格が悪くなってやがんぞーー!!」
「ふっ、夏は人を狂わせるのさ」
 恭介が言えば様になるのかな、そう考えることすらわずらわしい。
「おおっ、なんだかっこいいセリフだ……じゃなくて、後で返すからよー」
「分かってるよ」
「おお、さすが筋肉の友、略して筋友」
「利息はきっちり取るからね、ついでにそんな言葉もないからね」
「理樹ーーー!!!」
 目的地のコンビニを通り過ぎたことにふたりが気づくのは、漫才が一通り終わってからだった。



「すごい無駄なことやっちゃったよね」
「おーい、目が死んでるぞー」
 テーブルに突っ伏して、溶けかけたカップのカキ氷をつつく理樹。ひんやりとした甘さにいくらか奪われた体力は回復していたが、精神力はいまだ底に沈んだままだ。
「なんだか通りがかりのおじさんに拍手も貰っちゃったよね」
「おーい、それはまぁいいんじゃないのかー」
「いつテレビに出るのって聞かれたりしたよね」
「おーい、ある意味褒められてるんだからいいんじゃないのかー」
「まぁ、無事に買えただけよしとしないとね」
「おーい、ちゃんと金は返したからなー」
 真人らしいのか、なんなのか、立て替えたお金は全部五円玉で返ってきた。
「運動の後だからか余計にうまいよなぁ」
「そーだねー」
 液体になってしまったかつてアイスだったものに未練がましくスプーンを突き刺す。
「ところで、三個はさすがに食いすぎじゃないのか?」
「ひとつじゃ僕の気持ちが収まらなかったんだよ」
 アイスだけでお腹が満たされるのはなんだかむなしい。
「昔、アイスを自分たちで作るって、牛乳と氷と砂糖を混ぜてボールに詰めて振りまわしたっけなぁ」
 盛大に地面にぶちまけて、それで終了したような、その後アリの観察会になった覚えが理樹の記憶にかすかに残っている。
「あー、あったねえ。けど、ずいぶんと昔のことを思い出すじゃないか。どうかしたのかい? 何か新しい病気でもうつされたの?」
「お前、何気に酷くないか……いいじゃねえか、たまにはこんな日もよ。ほら走馬灯って夏が季節じゃないか」
「ぜんぜん意味が違うよ……」
「ん、ちょっと待てよ。走馬灯って武器みたいでかっこいい響きじゃねえか。葬魔刀ってよー! うおお、なんだか興奮してきたぜ。くらえ! 必殺の葬魔刀!!」
「もう、どうでもいいや」
 すっかり投げやりな理樹の耳にガチャリとドアが開く音が響く。部屋の主の返事も待たずに入ってくる人物は、ふたりがよく知っている。
「恭介かっ、食らえ必殺葬魔刀!」
 真人が飛びかかるのを軽くいなし、恭介は片手を上げた。
「おお、なんだよ、部屋にいたのか。探しちまったじゃないか」
「あれ、恭介、お帰り」
 突っ伏していた姿勢から首だけを曲げる。
「なんだ、ずいぶん荒んでるじゃないか。どうしたんだよ」
「まぁ、いろいろとあってね」
 力なく笑う。そんな理樹を怪訝そうに見やると、恭介はビニール袋をふたりに差し出した。
「これ土産のアイスな」
「……アイス?」
 理樹の表情が凍る。
「ああ、今日は暑いからな。すっげえうまいぜ。俺に感謝しろよ」
「きえーーっ!!!!」
「ど、どうしたんだ理樹は……?」
「まぁ、いろいろあってな」
 夏は人を狂わせる……らしい。


[No.424] 2008/07/18(Fri) 15:06:00
吾輩は夏である (No.415への返信 / 1階層) - ひみつ@なんかまにあった 9877 byte



 吾輩は夏である。
 名前は夏だ。
 夏なのだから当たり前である。
 だが諸君、吾輩をそんじょそこらの夏と一緒にしないで欲しい。
 まず第一に、紳士である。その紳士っぷりをこれからお伝えする事としよう。
 吾輩の仕事の一つは夏である。夏なのだから当たり前だ。実に紳士であろう。
 そして二つ目の仕事――それは、この世の制服を纏う全ての美少女たちを薄着にさせ見守る事である。夏なのだから当たり前だ。紳士過ぎて冬が泣いて出番を譲ってくれるかも知れない。断じて視姦などではない。
 薄着ゆえに透けて見える下着……雨で濡れてくっきり見えるよりも、乾いた綺麗な服の上から朧に見える下着の方がエレガントと言うものである。何故ならば紳士だからだ。

 え? なに、いやいや違う。棗ではない。カメラも仕掛けていない。
 おや、今日もそんな素敵な夏の風物詩を巡ってある可愛い少女と可愛い少年が――――





―― 生徒総会で夏季のベスト着用の許可を求めた女子に対してやんわりと否決した生徒会某男子役員は凄いと思ったけど今になって考えるとそれって三次元の話だからどうでもいいのよね ――





 夏の朝、8時過ぎ。衣替えの日。
 直枝理樹はうきうきしながら、食堂で棗鈴を待っていた。
 謙吾は最後の大会に向けて朝練、真人は夏は筋肉の季節だと言いながらランニングに出かけた。今頃女子水泳部更衣室の前で筋トレをしている頃だろう。息子の。
 そうつまり、ひとりじめに近い状況が作れるのである。
 恋人となった棗鈴の、白磁の綺麗な肌を感じ取れるかのように錯覚するほどに白く薄い生地の制服の下、透けて見える下着を。
 一昨年まではそうでもなかったが、恋心に気付いた去年は期待していた。だが、その期待は裏切られた。しかし耐え、恋人になって2度目の夏を迎えた。
 今年こそは、そう思った。あれから鈴は変わった。理樹はその事を知っている。鈴は強くなり、そして理樹の事を意識した上で少しずつ、より女の子らしくなっていった。
 卒業した恭介は期待するなと言っていたが、理樹は期待していた。だからこそ、棗鈴が食堂にやって来て理樹の前に立ったところで、その薄い制服の向こうに仄か見える下着のラインを確認して、

「絶望したっ! 今年もスポーツブラな鈴に僕は絶望したっ!」
「うっさいぼけそんな恥ずかしいことを食堂で口走るな変態!!」

 叫んだのである。
 当然の如く蹴りと同時に突っ込みが入り、しかし理樹はすかさず食堂のおばちゃん直伝で教わった葉留佳から伝え聞いたお盆ガードを展開。
 金属製の長方形のお盆は某蜃気楼の如き厨的絶対防御力を発揮し見事鈴の蹴りを受け止め、理樹は数メートル後ろに飛ばされたがダメージをゼロに変換。
 しかし夏の魅力はこれで終わらない。シャツの生地が薄くなったように、男子の制服ズボンが通気性の良い素材に変わったように、女子の絶対領域を構築するはずのそのスカートもまた通気性に優れた薄い――すなわち、その分だけ軽い素材へと変わっていた。
 故に鈴の短いスカートは通常より僅かばかり高く舞い上がりいつもなら可憐な太ももを晒す程度で済んだはずの絶対領域は崩壊し、その奥にある太陽の祝福を受けてように神々しく輝くファラオの眠るピラミッドのような素晴らしい三角形を……しかしその向きを逆に、より輝かしい白を理樹の眼前に晒したのである。
 今ならわかる、と理樹は思う。ファラオは自らの力を誇示するために民衆にピラミッドを作らせたのではない。後世にぱんつの神聖さを伝えるために民と協力してピラミッドを作ったのだ。近年、ピラミッドを作った人々は奴隷ではなく農閑期の農民達だった、と言う説が出ているがそれもこれなら説明がつく。
 そう、理樹は鈴のパンツと言う不可侵領域への侵入に成功したことで歴史の真実とガンダーラに辿り着いたのである。そして次の瞬間には輻射波動の如き赤く熱いエネルギーが理樹の鼻から解き放たれた。そこに鈴の追撃が入り理樹は撃墜されるに至る。

「だって、昨日の夜は勝負下着と言っても差し支えないブラをつけてたじゃないかっ!」
「それは、その、えと……勝負したかったからだっ!」

 結果は理樹の空振り三振である。
 まぁバットはジャストミートしたが。

「あと、そういうのはやっぱり、理樹以外に見られたく……ない、し」
「鈴……」
「理樹……」

 食堂の端で見つめ合うふたり。
 そんなふたりの存在などないかのように生徒たちは食堂を後にしたり爪楊枝で歯の間をしーしーしたり夏の朝から石狩鍋を食っていた。
 その平穏もある生徒が『北海道の雄大な大地うめー』と言おうとしたのを『北海道の雄大な紐パンうめー』と言い間違えた事で修羅場と化してしまったが、石狩鍋に大量のキムチと豚肉を突っ込んで味噌風味チゲ鍋にしたところで騒ぎは終息した。
 最後は小皿に注がれたポン酢により和平が成立。
 今日も食堂は平和である。


  *


 流石に食堂ではまずいので色々話し合った結果、夜の理樹の部屋である。
 真人は理樹が鈴との夜の時間を楽しむために鍛えた貫手で以ってしてあっさり撃沈され、今は押入れに幽閉されていた。
 4発にも及ぶ貫手を全て1秒以内の間隔で骨の隙間を掻い潜り筋肉を伝って内蔵へダメージが行くよう叩き込んだので、朝の筋トレの時間までは起きない。

「でも、違うんだ鈴……気持ちは嬉しいけど、僕は、エロか非エロか微妙な境界で揺れる夏の制服と下着の狭間で思い悩む可愛らしい鈴を見たいんだもんっ!」
「明日こまりちゃんと水着買いに行くからそれで我慢しろ」
「水着なんてスク水で十分じゃない。鈴の慎ましやかな胸には清楚な紺色の面積の広い水着こそが似合うんだよ。そしてその胸部の仄かな膨らみで歪む白い布に太いマジックで書かれた『棗』の文字が至高なんだ。色っぽいのは小毬さんに任せればいいじゃない!」
「うっさい誰の胸が幸薄いだそう思うならお前が育てて見せろっ!」
「言ってない!」

 胸倉を掴んでがくがく揺すって来た鈴の、第一ボタンを開いたパジャマから見え隠れする形のいい鎖骨と成長への期待高まる丘とは言えないなだらかな坂と緩やかな谷間を凝視しながら理樹は鈴の言いがかりに抵抗する。
 が、力が出ない。パジャマが少しずり上がって可愛いお臍がちらり、一方で肩のあたりはずり落ちて右の鎖骨はフルオープン。天へと旅立たんばかりに浮かれた理樹の気持ちは鈴の艶かしいラインを見るべく瞳へと集中力を掻き集めていた。
 思春期の少年の妄想力は無限であるが、その無限は一方で力を奪い去るのだ。
 仕方がないので、

「ひゃん、ふぁっ、ゃ……」

 理樹は完全に露になった鈴の鎖骨を撫でて落ち着かせる事にした。
 そして自身も落ち着くべく、みかん箱の上に置いたコップに満たされた白いジュースを一気に飲み干す。

「だ、だいたいあれだ、あたしの女らしさについてげんきゅうする前に理樹こそその格好をどうにかしたらどうなんだ」
「え? 別に女装してるわけでもないし座り方だって正座だし…………」
「いや、パジャマ」
「これのどこが女っぽいって言うのさ」
「水玉模様。薄い布で長袖長ズボン。お魚。……みおがそんなかんじのパジャマを着てたことがある。髪の長さがおなじくらいだからそっくりだ」
「いいじゃない、この魚可愛いでしょ? 可愛いキャラクターが好きなのは女の子だけなんてどこの誰が決めたのさ。僕は抗議するね。男の子が可愛いキャラクター好きでもいいじゃない。感動の余り夢の国のマスコットに抱きついた僕の美しい思い出を愚弄するつもり?」
「中学生のときにやってたな。あのときの理樹の笑顔は可愛かったから許す。あああと、ちらちら見える指でなぞったらいい声の聞けそうな鎖骨もなんかエロい。それと、伸びてきた髪もきれいだ」
「これは夏になったら切りに行くのが時期的に良さそうだし放っておいただけだけだもん。そろそろ散髪に行くよ」
「ついでに、喉仏がでてない」
「うるさいよっ! 声変わりしないだけだよ! これは僕だってちょっと気にしてるんだからね!」
「でも声変わりされたらそれはそれであたしが困る。いぢめたときの理樹の声はかわいいから」
「じゃあ言わないでよ」
「これからは言わない」
「ほんと?」
「うん」

 とりあえずこの件に関しては和解が成立した。
 はぁ、と溜め息一つ、鈴は諦めたかのように目を閉じる。

「じゃあ、鈴の下着の件だけど」
「……ここでしてやるから我慢しろ」

 精一杯の妥協だった。
 わなわなと震える理樹を無視して、鈴は紙パックを掴み蓋を開けてコップに中身を垂らす。
 数mmの高さまで注がれたそれに、よく冷えたミネラルウォーターを注いでストローでかき混ぜ始める。
 鈴がそうして出来た白いジュースを一口飲んだところで、理樹が声を荒げた。

「わかってないっ、鈴はわかってないよっ! 部屋でそうやって見えるんじゃいつもと何も変わらない! お日様の下で見たいんだ!」
「うっさいだまれエロ冥王! あたしだって見えちゃうのにそーゆーのは恥ずかしいんだっ」
「わかってるよ! わかってるから、着けて欲しいんだ!」
「お前は彼女のその、透けて見える黒いのとかが、人に見られてもいい……のか」
「鈴を視姦するような不埒な連中は全て僕が叩きのめす!! 夏の制服の薄い生地に透けて見える鈴のブラを見て良いのはこの世界に僕だけだ!!」
「大きな声で言うな! ほかのやつらにきこえるだろ!」
「と言うか、みんな鈴よりも来ヶ谷さんや小毬さんの方を優先して見ると思うよ。今日もそうだったでしょ」
「誰がまいくろえすでぃーカードもびっくりの薄くて小さい胸だ殴るぞばか!」
「そこまで言ってなうごぶっ!?」

 すぱこーん、といい感じの音がして、理樹が倒れる。
 鈴が手元にあったものを何も考えずに本能的に投げつけ、それが理樹の顔面に見事当たったのだ。
 そして不幸な事にそれの……紙パックの蓋は開いたままで、中身がどろどろと流出してしまっていた。

「うあ……もう、考えてよね鈴。掃除するの大変なん……だか……ら?」

 そしてそれは、理樹の頭から何から、結構な部位にかかったりしていた。
 白いジュースを作るための、どろりとしたもの。直接飲むと悶絶しそうな濃さを誇る液体。戦前……大正から庶民に愛されてきた、夏に発売された飲み物。
 即ち――――カルピスの原液が。理樹の、伸びすぎた髪の毛や顔を中心に、どこか女々しいパジャマにも。
 とにかく身体中にだ。艶のある綺麗な黒髪と白く濃厚な液体のコントラストは見事に映え、可愛い顔はべたべたが気持ち悪いのか少し困ったように歪み、ともすれば女の子みたいな瑞々しい肌の晒された首筋や鎖骨、手の甲には舐めたくなるような位置取りで白い液体が付着していた。
 腹の辺りに着地した紙パックからは、未だに液体が流れ続けている。
 理樹が起き上がって見た鈴の目は、何やら遠い世界を見ているようだった。その目に映るのは新世界か、それとも……異世界か。

「理樹」
「えと、鈴? ……どうしたの?」
「かわいい」
「はへ?」
「あの、その……理樹がいつも、あたしに、かけたがる理由がわかった気がする……」
「それって、つまり」

 カルピスの原液が、……少し無理はあるだろうが、そういう風に見えなくはない、と言う事だ。
 鈴が立ち上がり、部屋の照明を隠す形で理樹の眼前に迫る。
 必然的に、理樹は鈴を上目遣いで見上げるような形になる。それが、余計に鈴をそそらせた。

「それで、鈴はどうするつもりなのかな」
「りきを、襲いたい」
「拒否権は」
「明日は理樹の希望どおりのものを着けていこうとおもう。だからゆるせ」
「て、抵抗は……」

 にこっ、と可愛らしく鈴は笑った。
 それを見て何故か安心してしまい、理樹は微笑みを返す。
 鈴が空になった紙パックを回収し、ゴミ箱に。そこから戻ってくる途中で、小型冷蔵庫から新たなカルピスの原液を持ち出した。
 手に持ったままキュポン、と蓋を開け一言。

「できると、おもうか?」

 むりっスよねー。


[No.425] 2008/07/18(Fri) 16:02:46
未完の恋心 (No.415への返信 / 1階層) - ひみつ 8824 byte

殺風景な放送室。
開け放たれた窓から、夏の香りを乗せた風が吹き込んでくる。
それと入れ替わるように、部屋から零れだす電子ピアノのメロディ。


願わくば、この音よ。風に乗り、空高く。
まだ知らぬ、まだ見ぬ彼へ、届いてくれ。










『未完の恋心』










優しい風に頬をなでられたような気がして目が覚めた。
もっとも、時計の針を確認してみてもそれほど時間は経っていない。
ほんの少しだけ、うとうとしてしまっただけだろう。


それなのに、ずいぶん長い夢を見ていたような気がする。
長い長い旅を終え、今まさに意識が此処へ帰ってきた、そんな感じ。




意識旅行の前に掛けておいた曲は、まだ続いている。
放送が途中で切れてしまう事態だけは避けることが出来たようだ。
もっとも、聴いている者なんていないだろうが。


曲はベートーベン作曲、「芸術は永く、人生は短い」。
ベートーベンの死後約180年が経過しているが、彼の残した音楽は未だに健在だ。
なるほど、この曲の主張は正しい、という事か。
起きぬけの頭で、ぼんやりとそんな事を思う。


では、‘生きる’というのは、どういうことなのだろう?


そもそも、芸術が永く残り続けるのは、それが人の心を揺さぶるからであろう。
登場人物や描かれた世界、作者の想い。そういったものを読者や聴き手が感じ取り、自分の中の感情と重ね合わせ、自分もその世界の一部となる。そうすることで、芸術は新たな命を得て生き続けていく。


だが、私はその一部にはなれない。
感情それ自体は理解できる。だが、何処でそれを感じるべきなのかが分からない。
私は私でしかない。誰かに、何かを能動的に与えたりは出来ないのだ。
それは即ち、与えられることもまた然り、という事だ。
故に、周囲から孤立して生きてきた。
それが一般的に不幸な事なのか、それすら理解できないでいる。


人に与え、取り込むことで命を繋ぎ続ける‘芸術’。
他者に与えず、輪から外れたまま生きていく‘私’。


これは果たして、どちらも‘生’と定義付けられるのか。








曲が終わる。この旋律の中には、私の探し物はなかった。


時計を確認する。この時間だと、もう2曲は掛けることが出来るだろう。
「次は・・・、もう一曲ベートーベンにするか」
ふと目に留まった曲。それを掛けてから、曲紹介に移る。



「ただいまお送りしている曲はベートーベン作曲、バガテル『楽しい−悲しい』です」



今まで、何かを楽しいと思ったことはない。悲しいと思ったことも。
孤立しようとも。些細な事で嫌がらせを受けたとしても。
何処吹く風で笑っていられた。いや、笑っているフリをしていた。
それは強がりなどではない。笑い方すら分からない、その結果だ。


明るいハ長調と不安げなハ長調のメロディが印象的な曲。
まだ、曲は半ばといったところ。それでも解かってしまう。
このメロディの中にも、私の求める答えは見つかりそうもない。
当たり前だ。期待はしていない。容易く見つかるものなら、欠陥品の烙印は押されていないのだから。


答えを探すのはやめた。取り留めのない、答えも出ない命題に時間を裂くことは無駄でしかない。そう思い至ったのは、少ししてからだった。
曲紹介を終えたら、後は特にすることもない事に初めて気付く。


手慰みに電子ピアノでも弾いてみようか。
フタを持ち上げて目に入る鍵盤は、当然白と黒。
そのモノトーンが何となく自分に重なって、自嘲気味に小さく笑った。




「‘諸君、喝采を。喜劇は終わった’、か」


ベートーベンの臨終間際の言葉。自分という存在が、もしも劇や物語、あるいは絵画のような芸術として例えられるなら。それは多分、すぐに消えていくものだろう。
観衆たりうる誰かが、重ね合わせるべき感情がないから。
私という芸術は、例えるならば、きっとモノクロの絵。水墨画のように、作者がその想いを込めたようなものとは比べられない。私のそれは、空っぽなのだ。
だからあるいは、そんな芸術は初めから存在しないのかもしれない。


‘この地上には成すべき事が実に多い、急げ’。
自分というものを大成させるのが‘成すべき事’ならば、私はこのベートーベンの言葉に異を唱えねばならない。


常に探し続けてきた。
私は何処だ?色鮮やかに塗られた自分は、何処にある?
そうして探し回って見つけたものは、いつもの色の無い世界。
書き上げてきた絵は、白と黒の、輪郭だけの自分。
それ以外に存在しないのなら、急ぐ必要はない。人生はきっと、長すぎるくらいだ。


あるのだろうか、こんな私にも。作り上げるべき、私という芸術が。


曰く、欠陥だらけの頭の持ち主。
曰く、ロボットみたいな女。
曰く、何をされても平気な人。


そんな私が―――








―――来ヶ谷さんはロボットでもないし、何をされても平気じゃないって僕は知ってる。
―――それって、すごく人間らしい事じゃないかな。








声が聞こえた気がして、部屋を見回す。・・・誰も居ない。
聞いた事もないその声は、でもひどく懐かしい。


さっきの夢。長い長い旅の、その最後まで一緒にいた誰か。
そしてもう一つ。微かにだが、確かに聴こえた曲。


目を閉じる。そうすることで、遙か遠くから、あるいは自分の内深くから聴こえてくる音を掴み取ろうとする。


―――まだ足りない。意識を深く沈みこませろ。もっと、もっと深く。


どの文献にも、偉人の音楽や言葉にさえなかった、私の求めたもの。
それが見つかるかもしれないんだ。持っていたのかもしれないんだ。


やがて聴こえだす音。耳だけじゃない。身体が、五感全てで感じ取れる音、旋律。
それに意識を重ねる。
浮かぶ音符の上を滑るように、指を動かす。





右手は‘シ レ ファ♯’の分散和音を。左手は‘レ’から始まる和音を5つ―――





―――なんだ、この曲は。
自分で奏でながらも、笑えるほど不思議な曲。
調は、―――そう、一番近いものを挙げるとすれば、ニ長調か。もっとも、調から外れた音が多すぎるのだが。


迷いの中を歩いているように、蛇行するメロディ。
それが不安定な感情を示唆しているように思えてならない。
平穏、悲哀、安堵、不安、とか、そんなの全部詰め込んだような。


この不安定な気持ちは・・・、そこまで考えて思い当たる。


「ああ、これは恋を描いた曲なのか」


恋。様々な文献で見かけたそれは、幸せだったり、とてつもなく不安だったり、安らぎを得る事が出来たり、時には悲しかったり、あるいは狂気と表現されたり。相反する様々な感情を全て内包したかのような、不思議な感覚を指すものだ、とそう示されていた。


そこまで考えて苦笑する。
年頃の少女が、文献上の恋を語る。それは、一般的には酷く滑稽な姿ではなかろうか。


「一般的には・・・か」


自分には訪れるのだろうか、その感情は。


曲は続いていく。
調の決められた枠の中に納まらず、五線譜上を駆け巡る音符。
そこに、 世間でいう‘一般的’の枠組みから外れている自身を見つけて、何となく笑えた。
気まぐれな旋律。クラシックでいう‘カプリース’と形式付けるのが適当だろうか。




曲が後半に差し掛かる。
変調。今度は、・・・変イ長調か。
左手で奏でるアルペジオから、臨時記号が消える。
穏やかに続く優しい音。幸せな時の継続を表現しているのか。


フィナーレまであと少し。
頭に響く旋律がそれを伝えている。
この平穏を壊さぬよう、壊れぬよう。
祈りにも似た気持ちで、白と黒の上に指を走らせる。




―――あと二小節。




・・・‘シ ソ♭ シ ミ♭ シ ミ♭’―――




・・・?




演奏が終わる。同時に不透明な気持ちを抱いた。
最後の二小節。決定的な不自然さに気付く。
私は音を間違えたわけではない。イメージにあるメロディと綺麗に重なった。
だからこそ存在する、大きな違和感。


調に対して、この小節の音は不安定すぎる。
変調後の穏やかさから考えて、この音で終わる必要はないはずだ。
物語の最後は、未来への希望を残してそのままのハッピーエンド。それでいいはず。
それなのに。


幸せだったんじゃないのか?何故その理想郷は、最後に崩壊する?


まるでフェードアウトでもかかったかのように、静かに消えていく。
そこに残された未練や望み、そういったものには手が届かないと思わせるように。
まるで抗えない大きな‘何か’に、かき消されてしまうように。




かみあわないはぐるま。くるっていたのは、いつからだった?








―――きっと何も残らないよ。
―――さよなら、・・・。








不意に頭をかすめた言葉。
悲しかった気がする。涙も零れた気がする。
悲しさも楽しさも、幸せや不幸だって分からない、いや、分からなかったはずの私が。




―――ああ、きっと続いて欲しかったんだ。この作曲者は、私は。
だからこの終わりは、道が閉ざされる事への絶望ではなく、道が続く事への切望。
まだメロディが続く事を願ったが故の不安定な終わり。
そして、この曲こそ他でもない、私自身だったのだ―――。








大好きな物語がある。
それを読み終えた時、何故この物語は終わってしまうのだろうと思ったことがある。
私は、それがきっと寂しいと思った。
だから、その物語の続きを、自分で書いてみようと思う。
そうしたら、今度はその物語を自分の手で終わらせないといけない。
終わらない物語なんて、何一つとしてないから。
夢だって分かったらそこで終わってしまう物語に、先なんてあるはずがない。


でも。


夢じゃない。私の求める誰かは、きっと現れる。
何の根拠もない、それこそ夢のような話だけれど。


だから、私はこの曲の続きを作ろう。
この、‘誰か’に捧げられるべき私の恋心を描いた、この曲を。


今はまだ無理。大事なピースがまだ足りていない。
ここから先を作るには、調が必要となる。
でも、それはきっとニ長調とかイ長調とか、そんな音楽的なものじゃないと思うのだ。




足りないキーは、彼。顔も名前すらも知らない、彼。
この曲のタイトルにも、きっと彼の名前が入るだろうから。
それまではこの曲の仮題は、・・・そうだな、『無題‘恋心を奏でる綺想曲’』とでもしておこうか。


だから。




「―――待って、いるからな」








窓から見える景色は、色づいた世界そのもの。
空の青、雲の白、木々の緑。太陽は陰る気配もなく照らし続けている。


私は一人殺風景な放送室の中で、このモノトーンの世界に身を置こう。
いつか輝く世界のため。私に色を付けてくれる、そんな‘誰か’に出会う日まで。
この未完の恋心を奏で続けよう。


願わくば、この音よ。風に乗り、空高く。
まだ知らぬ、まだ見ぬ彼へ、届いてくれ。








携帯電話からのメロディが、私にメールの着信を知らせていた。


[No.426] 2008/07/18(Fri) 21:31:52
夏とのお別れの日にすごした暖かな日 (No.415への返信 / 1階層) - ひみつ@初なのです 19314 byte




『お姉ちゃん、今……幸せ?』



これは誰から聞いた言葉だったでしょうか?
懐かしいような…
でもいつも聞いているような…
酷く曖昧な言葉。
ぼんやりと霞がかったかのようなわたしの記憶。何か、とても大切な何かを忘れていくような感覚。
ある時フと、その事を思い出します。
自分がとても大切な事を忘れてしまいそうになっていた事に。
忘れたくない事を忘れてしまいそうになったら、わたしはいったいどうすればいいのか?

今はもう、その答えを持っています。





夏とのお別れの日にすごした暖かな日





夏が過ぎ去り、秋へと空気が変わり続ける今日という日の休日、わたしはいつものように朝から木陰で本を読んでいました。
本当は部屋の中で読んでいてもよかったのですが、今日は外がとても暖かく、夏の残り香を感じられる貴重な日だったのでなんとなく外で読むことにしました。
まあ、夏とのお別れ、といったところでしょうか。


―――ペラペラと本をめくる音と優しげな風の音だけがわたしの耳に届きます。
とても心地よい時間が過ぎ、気づくと太陽が真上に上がっていました。
わたしは読んでいた本を閉じ、作っておいたサンドイッチを口に運びます。わたしはたくさん食べる方ではないので食事はすぐに終わり、用意しておいた紅茶すすりほっと一息いれました。
食休みとしてしばらくぼうっとしていると、むこうから見知った顔が2人、わたしの目に入ってきました。
1人はわたしのルームメイトの能美さん。
もう1人は……筋肉しか取り柄のない筋肉だけが生き甲斐の筋肉ザ筋肉の井ノ原筋肉(?)さんでした。
辺りを見渡しますがお2人以外には誰もいないようですね。どうやら2人きりのようです。お2人が一緒なのは珍しいとまでは言いませんが、2人きりなのは初めて見るかもしれません。
ま、まさかあんな関係やこんな関係なのでしょうか?そ、そんな事はないとは思いますが……
 い、いえ、ですがどんな事でも絶対という事はあり得ないわけで───

「…さん?……ぞのさん!…………西園さん!」
「あひあゃ!」

突然の声に思わず発音不能の奇声をあげてしまいました。気づけば能美さんと井ノ原さんがわたしの目の前までやってきていました。

「よう西園」
「こんにちわ〜なのです西園さん!」
「あ、あ…こんにちわ」

わたしは慌てて、しかし冷静な振りをして挨拶を返します。まったく、考え込むと辺りが見えなくなる癖はどうにかしないといけませんね。

「西園さんは読書をしていたのですか〜?」
「はい、外に出て読む本は悪くないです」
「んだよ、せっかく外に出てんなら体を動かさねぇともったいないぜ?筋トレとかどうだ?こう……ふっ!ふっ!ふっ!」
「体を動かす、という部分は否定はしませんが筋トレをするならわたしの半径1キロ以内ではしないでくださいね。正直目障りですから」
「なにぃぃぃ!つーか1キロっつったら校内じゃもう出来ねぇぇぇぇ!オレはいったいどこで筋トレすりゃいーんだぁぁぁぁぁ!?」

頭を抱えながら激しく悶える井ノ原さんを放置してわたしは能美さんに話しかけます。

「ところで、能美さん達はどこかへお出かけですか?」
「はいっ、井ノ原さんと海に行ってこようと思ってるんです」
「海…ですか?時季外れ、とは言いませんが、行くには少々遅い時季ではないでしょうか?」
「あぁ、それはな」

わたしの疑問に答えたのはさっきまで悶えていた井ノ原さんでした。どういう経緯があったかは知りませんが、どうやらショック状態からは抜け出したようです。

「一言で言えば来年のためだ」
「……要約しすぎです」
「つ、つまりですねっ!今年は…あのその、いろいろあって海に行けなかったじゃないですか。それでですね、『それなら来年は今年の分も含めて二倍遊んでやろうじゃないか!』って恭助さんが宣言したらしくて…」
「それでオレに今から下見に行ってこいとか言いだしやがってな。まぁ、ちょうど筋トレも区切りがよかったから行ってこようかと思ってよ」

はあ、なんとなくここに至るまでの経緯は伝わりました。と言うか恭助さんは来年も遊ぶ気なんでしょうか?……遊ぶつもりのようですね。
それはさておき、気になった事が1つ。

「下見に行くのは分かりましたが、どうして能美さんが一緒なのですか?」
「あぁ、最初は1人で行こうと思ってたんだけどな、なんか1人で行くのも馬鹿らしかったからさっきそこでクー公が暇そうにしてたんで拾ってきた」

さすが井ノ原さん。ロマンのロも字さえありませんね。

「わふー…拾われました〜」
「それでご一緒に海に行こうと?」
「はい〜、そうなのです……あっ、そうです!」

頭の上に電灯が点った能美さんを見て、わたしは次の言葉が簡単に予想できました。

「よかったら西園さんもご一緒にどぞどぞ、なのですよ〜」

すごく予想通りの言葉です。正直に言えばあまり出歩きたくはないのですが…
能美さんの期待に満ちた目を見ていると断るのが非常に申し訳ない気がしてきます。
チラッと井ノ原さんの方を見ると、『お前も一緒に浜辺で筋肉しようぜ』みたいな笑顔でわたしを見ていました。
筋肉にまったく興味はありませんが、お2人の好意を無為にするわけにもいきません。わたしは了承の代わりに小さく首を縦に振ります。

「わふー!たびはみちづれよはなさけっ!なのです!」

ニコニコと嬉しそうに笑う能美さんを見ていると、それだけでわたしも嬉しくなってしまいます。

「よーし、それじゃあ20分後に校門前で待ち合わせだ。オレは調達してくるもんがあっから、お前達はその間に着替えてきたらどうだ?」
「わふっ、そう言えば私と西園さんは制服のままでした!」
「ふふ、そうでした。では着替えて校門に行きましょうか」
「はいっ!そうしましょう!れっつおきがえた〜いむ!なのです!」

相変わらず棒読みな能美さんの言葉にわたしは苦笑しながら、元気よく歩き出す能美さんに続いて着替えに戻ることにしまた。


20分後、校門前で能美さんと井ノ原さんを待っています。
数分遅れで井ノ原さんの大きな体が目に入りました。

「悪い悪い、こいつを調達してたら遅くなっちまったぜ」

そう言って井ノ原さんがバンバン叩いているのは一台の自転車と大きなリュックサック。
リュックサックは分かるのですが…

「……井ノ原さん、その自転車は?」
「ん?移動用に決まってんだろ?」
「……一台しか見あたりませんが…」
「1台ありゃ充分だろ。3人乗りで行こうぜ」
「わふー、3人乗りですか〜?やったことはありませんが、なんだか楽しそうです」

…楽しくはないと思いますが、ここで茶々を入れるほどわたしは無粋というわけではありません。
こう見えて空気をよむのは得意なのですから……おそらく。

「おっしゃー、西園は後ろに座れ。クー公は間に入って立ってろ」
「わ、わふっ?い、井ノ原さん、気のせいか私はかなりつらいような気がするのですが…」
「……わたしは全然平気です」
「よっしゃぁぁぁ!行くぜ筋肉号!今!オレは伝説の筋肉となるのだぁぁぁぁぁぁ!!!」
「わ、わふぅぅぅぅぅ〜〜〜!!!!」


わたしが後部席の7割を占拠しているので能美さんが使えるスペースが足りず苦労している事に気づいているのかいないのか、井ノ原さんは鍛えぬいた筋肉を見せつけるかのようにペダルをこぎ続け、3人乗りとは思えない速度で町中を走り抜けて行きます。
もの凄く注目され恥ずかしい事この上ない羞恥プレイになっていますが、こいでる本人はまったく気にせず一心不乱にこぎ続けています。
能美さんはというと、走り出した当初はあたふたとしていましたが、今は落ち着いたのか笑顔で井ノ原さんに声援を送っていました。


気づけば町中を抜け、海岸沿いの道を走っていました。 海の香りがします。
井ノ原さんはさすがに疲れたのか、今はペースを落としゆっくりとこいでいます。
能美さんは相変わらずニコニコと笑って井ノ原さんに声援を送っていました。
そんな光景を見ていると、不思議とわたしの口元に笑みが浮かんでしまいます。

「どうだ西園!楽しんでるか!?」
「西園さん!あーゆーはっぴー!?」

笑っていられるのを見られたのか、井ノ原さんと能美さんは揃ってわたしに笑顔を向けてきました。
……早々に自分自身の言葉を撤回するようで恐縮くなのですが…

「……悪くはないです」

ぼそりと小さな声で返してしまいましたがお2人にはしっかり聞こえていたらしく、意味深に笑いながら「「筋肉いぇいいぇーい!」」と大声で叫びながら拳を振りあげ始めました。
わたしはそんなお2人を見ていると羞恥心よりも先に…不覚ながら笑ってしまいました。
───小さく、だけど心からの本当の笑顔で。


あれから少しして、わたし達は無事に海へと着く事ができました。
さすがに季節外れの海、わたし達以外には誰もいません。まあ、のんびり出来てかえってよいのかもしれませんね。

「……そう言えば井ノ原さんはどこに行ったのでしょう?」

フと気づけば井ノ原さんがいませんでした。

「井ノ原さんはどの辺りでなにをするのがべすとなのかを調べに行くと言ってましたよ〜」

なる程、言われてみればここには下見に来ていたのでしたね。わたしとしたことがすっかり失念していました。反省しなくてはいけません。
さて、それはそれとして、井ノ原さんがいない間わたし達は何をしていればいいのでしょうか?

「能美さんはこれからどうしますか?」
「わふー、ちょっとまわりをぐるーっとまわってきたいと思います」
「そうですか。ではわたしはここで荷物番をしていますね」
「い、いいのですか?」
「少し疲れてしまいましたから……わたしに構わずゆっくりまわって来てくださいね」

能美さんは少し迷ったようだったが元気よく頷いて駆けだしていきました。
元気なのはいいのですが、転ばないで……あっ、もう転んでしまいましたね。
能美さんは照れたように笑ってまた駆けだしていきました。わたしは小さく手を振って能美さんを見送ります。
……これでしばらくは1人ぼっちという事でしょうか?……そうなってしまうんでしょうね。
わたしはぼんやりと海と空の境界線を見ながら思います。
少し前までは1人でいる事になにも感じる事はなかったのですが…最近は1人でいる事が少なくなったせいか、少しでも1人でいると人恋しくなってしまいます。
それくらい毎日が楽しいという事でしょうか?
リトルバスターズの皆さんといる事が楽し過ぎて…
気づくとわたしはなにか、とても大切ななにかを忘れている気がしてなりません。
忘れてはいけない大切な事。
だけど、この海と空を見ているとそれがなんなのか思い出せそうな気がします。

『───お姉ちゃん』

その時、誰かの声が聞こえた気がしました。
とても懐かしく、とても暖かい声。いつもすぐ側にいてくれた声。
誰の声か思い出せないままわたしは辺りを慌てて見渡します。
ですがその誰かは見つけることが出来ませんでした。
その代わり…

「西園さん、どうかしましたか?」
「なんだ西園そんなにキョロキョロして、探しもんでもあんのか?」

いつの間に戻ってきていたのか、能美さんと井ノ原さんがわたしに声をかけてくれました。
わたしは「なんでもありません」と返して海へと歩き出します。
波が届かないギリギリのところに立ち、海と空の境界に手を伸ばしました。
もちろんそれでなにかを掴めるわけもありません。ただ手を伸ばしただけです。
ですが、もしもこの手がなにかを掴めたとしたら、それは誰か───わたしにとって掛け替えのない大切な誰かの手ではないかという気がしました。
なんとなく、ですけどね。


2人の場所に戻り、わたし達は3人でとりとめのない会話をしました。これからの日々の事。来年の夏の事。さらにその後の事。話題が尽きる事はありません。
気づけば太陽は傾き、夕暮れ時になっています。そろそろ帰るべきかと井ノ原さんに声をかけようとすると、井ノ原さんはなにやら持ってきたリュックサックの中をあさり始め、中身を地面にばらまきました。
地面に落ちたものを確認すると、そこには多種多様な花火がありました。さらに井ノ原さんはリュックサックの中からバケツを取り出します。どうやらあのリュックサックの中にはこの花火セットが詰められていたようですね。

「やっぱ夏の海と言えばこれをやんなきゃしまんねぇよな」

そう言って井ノ原さんはバケツを持って海へと向かって行きます。
あえて言うなら今は秋なのですが……まあ、わざわざつっこむのも野暮というものでしょう。
花火を手にニコニコとしている能美さん、バケツいっぱいに水をくんで満足げな井ノ原さんを見ていると、やはりと言いますか自然と口元に笑みが浮かんでしまいます。

「よっしゃー!たくさんあるからな、ジャンジャンやろうぜ!」
「はいっ!じゃんじゃんやりましょ〜!」

お2人はハイテンションをキープし続けたまま花火を消化していきます。 わたしはと言うと、マイペースにやらせていただいてます。さすがにお2人のテンションにはついていけませんからね。
チラリとお2人を確認すると、いまだハイテンションのまま花火を振り回していました。危ないのでちゃんと周りを確認してくださいと注意しておかなくてはいけませんね。


夕日が完全に沈む頃までかかり、わたし達は花火の全消化を完了させました。

「ひゅ〜、楽しかったな」
「そうですね、あいもあはっぴー、というやつです」

相変わらす棒読みですね。

「……それではそろそろ片づけて帰りましょうか。もう真っ暗です」

実は先ほどから辺り一面真っ暗です。井ノ原さんが用意しておいたライトだけが唯一の光源なので、あまりのんびりしているわけにはいきません。

「おう、そうだな。それじゃあ花火はこの袋に……ん?」

井ノ原さんがリュックサックの中をあさりながら妙な声を出しました。
なにか忘れ物でもしたんでしょうか?

「どうかしたのですか?」
「あ、いや、別になんでもねぇよ。ただな、花火のやり残しがあってな」

そう言って取り出したのは3本の線香花火でした。

「今から火つけんのもなんだし…これお前らにやるわ。気が向いたら使ってくれ」

井ノ原さんがわたしと能美さんに一本ずつ渡してくれました。
さて、これをいったいどうすればいいのでしょうか?

「わふー…なんだか火をつけるのがもったいない気がしますね…」
「そうか?なら今日の締めくくりっつーことで寮に戻ったらやればいいんじゃね?」
「わふー!名案ですよ、井ノ原さん!」
「そうですね、悪くはないです」
「そ、そうか?なんか照れるじゃねーか」

まあ、普段は褒められる事が少ないですからね。
……と、これはいささか言い過ぎでした。反省しましょう。

「片づけ終わりっと。帰ろうぜクー公、西園」

気づけば後片付けは終わっていたようです。
わたしと能美さんは井ノ原さんの言葉に返事をして、海岸を後にしました。

『お姉ちゃん』

その時、また誰かの声が聞こえたような気がしましたが、辺りを見渡しても誰もいません。
いったいこの声は誰の声なのでしょうか?


わたし達3人は真っ暗な空の下をのんびりと歩いています。
自転車は暗い中での運転は危ないだろうと井ノ原さんが言い出したので、現在は井ノ原さんが押しています。
その自転車の後ろを能美さんが押して歩いていますが……おそらく意味はありません。ですが楽しそうに笑っているので良い事なのでしょう。

「そう言えば、西園さん」

会話の沈黙の合間をぬって能美さんがわたしに話しかけてきました。

「はい、どうしました?」
「あの、その〜…な、なにか悩みごとでもあるのですか?」
「……そんなふうに、見えますか?」
「は、はい。なんだか今日は朝から考えごとをしているように見えました」

正直驚きました。わたしはあまり感情が表に出ないと思っていましたから。まさかお見通しとは……能美さんも侮れませんね。

「あの、私でよければお力になりますよ?…大したお力にはなれませんが…」
「なんだぁ?西園はなんか悩みでもあんのか?」

わたしと能美さんの会話を聞いて井ノ原さんも話に加わります。

「あれだろ、どうせ筋肉関係のことだろ。それならオレに任せときな!おぉ!考えただけで筋肉が唸りやがるぜ!ひゃっほぉぉぉぉ!!」

ハイテンションになり過ぎな井ノ原さんはひとまず放置するとして、わたしは能美さんに返事を返します。

「……能美さん、確かにわたしは悩んでいることがあります。でもそれはわたし自身にも分からないことなんです。ただ、大事ななにかを忘れているような……ただ漠然とそんな気がしているだけなんですから」
「西園さん…」

わたしの言葉に泣きそうな表情を浮かべる能美さん。
これでは完全にわたしが悪者ですね。可愛いというのはそれだけで反則というものです。まったくもって不公平を感じずにはいられません。

「だから能美さん、なにも気に病むことはないんです。きっと忘れるべくして忘れた。ただそれだけなんだと思います」
「西園さん……忘れてしまうのは悲しいことなのです」
「そうかもしれません。ですがわたしはそれ以上のものを皆さんから頂いています。だから悲しくなんてないんですよ」

わたしは精一杯能美さんに笑いかけます。上手く笑えているかなんて分かりません。ですが、きっと笑わなくてはいけないのです。
わたしはたくさんの人達の笑顔を頂きました。そしてわたし自身に笑顔を与えてくれました。
これはそんなわたしに出来る精一杯の恩返しなのですから。

「……西園さん、いつか思い出せますよ。今は忘れていても、本当に大事なことなら…いつか思い出せますよ」

わたしの笑みが届いたかどうかは分かりませんが、能美さんも笑顔を返してくれました。

「お〜い、チンタラしてっとおいてくぞ〜」

少し離れたところから井ノ原さんの声が響きました。さっきまで筋肉筋肉と叫んで若干トリップ気味でしたが、いつの間にか正気に戻っていたようですね。

「行きましょうか、能美さん」
「はいっ!ごーとぅーほーむ、なのです!」

そう言って手を差し出す能美さん。握れという事なのでしょうが、正直気恥ずかしいですね。

「わふー!れっつごー!なのです!」

対応を決めかねているわたしの手を握り走り出す能美さん。急な事で転びそうになりますが、なんとか体勢を立て直して小走りについていきます。

『お姉ちゃん』

そんなわたしの背中にかけられる声。能美さんでも井ノ原さんでもない誰かの声。
今はまだ、誰の声か思い出す事ができません。
 わたしはその声を背に受けたまま、能美さんと共に井ノ原さんのところへと駆けていきました。


それから少しして、わたし達は見慣れた校舎に帰ってきました。
すぐに解散かと思いきや、井ノ原さんがライターを取り出しました。なにをするのでしょうか?

「さて、今日の締めくくりにいっちょ派手にやろうぜ」

……締めくくり。あっ、すっかり忘れていましたが寮に戻ったら受け取った線香花火をするんでしたね。
まあ、線香花火を派手にやる事はなかなか難しいとは思いますが。

パチパチパチッ

「わふ〜、綺麗ですね〜」
「……確かに、悪くないです」
「まぁ、ちっと面白味にはかけっけどな」

わたし達は輪になって小さくなっていく線香花火を見ていました。
線香花火を見ていると今が秋なんだと忘れてしまいそうになります。
……来年の夏は、どうなるのでしょうか?……なんて、少し気が早かったですね。

「わふっ!」
「……あ」
「うぉ!」

3人共ほぼ同時にさきっぽが落ちてしまいました。線香花火が落ちるのを見るのは何度見てもあまりいいものではありませんね。

「……」

わたしは手に持った線香花火をぼんやりと見続けます。
……あっ、閃きました。

「ここで一句」
「わふっ!いきなり一句なのですか!?」

本当にいきなりです。自分でもびっくりですね。


「秋の宵
月光照らす
空の下
手に抱きしは
夏の残り香…」


「わふ〜、今の私達を表しているのですね!」
「ど、どういう意味なんだ?さっばりわからねぇぞ」
「……知りたいのですか?」
「い、いや、止めておくぜ……考えただけであ、頭が割れそうだ…」

いつも通りの井ノ原さんにわたしと能美さんは声を出して笑ってしまいました。
ですが、楽しい時間というのはいつか終わりが来るもの。
締めくくりの線香花火が終わるという事は今日という日が終わりを告げるという事。
わたしと能美さんは女子寮へ、井ノ原さんは男子寮へと向かいます。
その途中―――

「そういや西園」

井ノ原さんが思い出したかのように声を出しました。

「はい、なんでしょうか?」
「確か、忘れてることがあるって言ってたよな?」

わたしは小さく首を縦に振りました。

「それなんだけどよ、もしかしてもう分かってんじゃねぇか?」

井ノ原さんがなにを言いたいのか理解出来ず、わたしは首をひねります。

「えっとな、オレは馬鹿だからうまく言葉にできねぇんだけどよ……その忘れてることってのはいつも西園の近くにあることとかなんじゃねぇのかなってことだ」
「……わたしの近くに、ですか」
「あーえー、まぁ、その、なんだ……悪い、やっぱうまく言葉にできねぇや」

井ノ原さんの言葉にわたしはなにかを思い出しそうになりましたが、どうしてもあと少しが思い出せません。
答えは、本当にあと少しで手に入りそうなのに……

「あの、西園さん。もしかして、なのですが…」

切れかけた井ノ原さんの言葉を引き継ぐように、今度は能美さんが言葉を紡ぎました。


「井ノ原さんは『すぐ傍にあり過ぎて気づけない』と、言いたかったのではないでしょうか?」


わたし達はあの後すぐに別れ、今は能美さんと女子寮へと戻ってきています。
それからはいつも通り、ご飯を食べ、お風呂へ入り、軽く予習などをしてお布団に入る時間になりました。
能美さんに「お休みなさい」と告げ、能美さんからは「ぐっどないと〜、なのです」と返され目を瞑ります。
闇の中でわたしは今日という日を振り返ってみました。
いつも通りの朝を過ごし、昼からは急遽海へと向かい、花火をして寮へと戻ってきた1日。
少し前までの自分では考えられないような日。それは不快な日ではなく、とても暖かな日。
今日は来年のための下見と言っていたのを思い出します。
3人だけでもこんなに暖かな日を、来年はリトルバスターズのメンバー全員で過ごすのですか……

来年の夏は、熱くなりそうですね。

そんな事を思いながら、わたしは眠りにつきます。明日が今日と同じくらい暖かな日であると信じて―――





あっ、そうそう、わたしに呼びかける誰かの声が誰のものなのか、能美さんと井ノ原さんのおかげで思い出す事が出来ました。
思い出す事は出来ましたが、きっとわたしはまた忘れてしまうのでしょう。
記憶とは段々と薄れていってしまうもの。
それは仕方のない事なのでしょう。
人が人として生きていく限りは。
でも、今だけでも思い出す事が出来ました。
能美さんと井ノ原さんのおかげ……いえ、リトルバスターズ全員のおかげで。
だからわたしは眠りにつく間際、その人にこう呟くんです。



「私は今かけがえのない仲間達に囲まれて、本当に幸せなんですよ。心配はしなくても大丈夫です――――愛しい美鳥」



わたしの声が届いたのか、眠りにつくわたしの耳に優しい声が響きました。










『うん!なら良しっ!』


[No.427] 2008/07/18(Fri) 21:40:47
9232 byteでした (No.424への返信 / 2階層) - ひみつ

すみません

[No.428] 2008/07/18(Fri) 22:30:25
夢の彼方 (No.415への返信 / 1階層) - ひみつ  5576 byte


 つけっぱなしのテレビから命を燃やして戦う高校球児たちの生き様が流れている。帽子のひさしから垂れる汗、すらりとした体が鞭のようにしなり、瞬きする間に白球が構えるキャッチャーのミットに吸い込まれる。見逃したバッターの悔しそうな表情をカメラが捕らえ、解説者が淡々とその心境を述べる。
 ブラウン管のこちら側では逆に生気が抜け落ちている。まるで向こうから吸われてしまったかのように、ベッドに横たわる理樹の表情には何の感情も浮かんではいなかった。
「相変わらず腑抜けた顔をしているわね」
 頭上から声がして、理樹はかすかに身じろぎをした。
 彼女の背中から他の人間には見えない糸が空へ繋がっている。それは彼女だけが例外ではなく、周りにいる人間すべてもそうだった。
 三枝葉留佳という存在が消え失せたのはほんの数ヶ月前のことだ。確かに自らの前に存在していたはずの少女はたった一つの過ちで理樹の前からいなくなってしまった。何者かの試練というにはつらすぎる仕打ちだった。
 皮肉にもこの世でもっとも三枝葉留佳と姿が酷似している人物が理樹の近くにいる。いや、二木佳奈多という人物の仮面を貼り付けた人形。そうとしか理樹には思えない。
「返事すらないわけ、まあいいわ」
 何が目的なのか、頻繁に理樹の様子を見に来る。知らない人が見れば仲睦まじい恋人の姿。理樹もまたこうして部屋に訪れることに違和感を覚えなくなってきた。
「きっとあなたはこう思っている。すべて私のせいだと」
 浮かんだのは自嘲的な笑みだった。
「馬鹿ね、そんなことできるわけがないじゃない。私は神様なんかじゃないのよ」
「…………」
 彼女の言いたいことは痛いほど分かっている。本当は厭ってなんかいなかった。たったこの世に一人だけの妹。彼女にずっと触れてきて理樹も理解することができた。春の終わりに消えた少女の面影を追いかけるように夏の空気をまとわせた二木佳奈多という少女。どこで道を間違えてしまったのか、これは誰のせいなのか。問いは天井にわだかまる闇に溶けて消える。
 酷く現実感のない夏。煩いほど聞こえる虫の声も、地上から旅立とうと盛り上がる入道雲も、アスファルトの黒いしみも。
「あなたはもう死んでいるのかもね」
「ふふ、そうかもね」
 佳奈多の物言いがおかしくて、理樹は思わず返事を返していた。冗談とも本気ともつかぬ物言いに、それでも佳奈多は笑顔を浮かべる。
「逆に死んでいると自分で思うなら何でもできるわよね」
「さあ、僕は神様じゃないからね」
 先ほどの佳奈多の台詞を吐き出す。何もかもが面倒くさい。
「……逃げてしまわない?」
 ふっと生温かい吐息を耳元で感じる。いつの間にかベッドの側でしゃがみこんでいた佳奈多が顔を近づけている。いたずらっぽい表情が特徴的な葉留佳とはまた違った魅力を持っていると認めないわけにはいかない。
「どうして僕に言うのさ?」
「同じ匂いがするから、かしら」
 佳奈多の誘いは酷く魅力的で抗えない何かを持っている。ハエトリグサにおびき寄せられる昆虫のような気持ちを味わっている、喩えがあまり良くないが、今の自分には相応しいのかもしれない、理樹は佳奈多からテレビに視線を移した。
 スタンドから声を張り上げて応援をする人々と舞台を盛り上げるBGM。理樹の耳にはやけに遠く感じる。
「同じ匂い?」
 鸚鵡返しにして佳奈多の反応を待つ。が、笑顔を貼り付けたまま言葉を発するつもりはないらしい。
「どうしてそう思ったのかは知らないけど、僕は詰まらない人間だよ」
「詰まらないなんて誰が決め付けたのかしら」
 先ほどから息が吹きかかってきてくすぐったい。赤い唇が間近に迫って文句も思いつかない。
「僕なんかより、恭介……」
 理樹の言葉が止まる。恭介、謙吾、真人。名前からその先を連想しようとしても何かが理樹の思考を阻んでいる。
「え? あれ?」
 理樹は酷く混乱した。
 いったいここはどこだ?
「どうしたの……」
 佳奈多の眉がひそめられる。
「そういうこと、残念ね」
 ひとりだけ理解されても、置いていかれた幼子のような気分に理樹は救いを求める目を向けた。
「ねえ、私はあなたならと思っていたのよ。それなのに……」
「待ってよ、話が掴めない」
 理樹は身体を起こそうとした。すぐ上の天井は持ち主がいないベッド。
 なぜ? 二段ベッドの空いている方を使っていたのは誰なのか。日常が崩れていく、世界が歪んでいく。
「願い」
 歌うような佳奈多の声。そこには耳を澄まさずにはいられない力がある。理樹もまた例外ではなく、ぐらりと揺れる体の芯にちっぽけな力をこめた。
 次の佳奈多の言葉を待つように世界が静止する。
「願いが叶うってどんな感じなのかしらね。私は当事者にはなりえなかったけれど、それでも」
 理樹はふとした疑問に囚われる。
 待て。
 テレビなんてこの部屋にあったのか。
 落ち込む理樹を見かねて佳奈多が持ってきてくれたはず。
 そういうふうになっている。
 なっている?
「おやすみなさい直枝理樹、次に目覚める時には、そうね……」
 ぼやける視界に佳奈多の唇の動きが映る。それは声としては聴こえず、何か意思のような形で伝わっていく。ぱらぱらと佳奈多の背中の景色が壁のように剥がれ落ちていって、代わりに闇が理樹の視界を閉ざそうとする。
「…………!」
 振りほどこうとしてもまとわりつく闇は理樹の体を絡めとり動くことを許さない。そのうちに抵抗することを諦め、理樹は意識を沈むままに任せた。今までとは違う、予兆を感じながら。



『お疲れさま』
「茶番ね」
 腕組みをしながら、佳奈多もまた闇に取り込まれていく。
「後始末を押し付けられるなんて損な役回りね。それでもまぁ、楽しかったと言えるかしらね」
 付けっ放しのテレビから金属音が響き、打たれた投手ががっくりと崩れ落ちる。スコアボードに表示された数字が画面に大写しになった。
「どうやら、延長戦かしら。楽しみはまだまだ残されているわけね」
『そうかもしれないね』
「果たしてこのゲームに勝者なんてあるのかしら」
 誰に対して向けられたものか、皮肉げに佳奈多が笑う。
『思いが続く限り、何度でも』
「そう思うことにするわ」
 世界がくるりと裏返った。



「「「そうか、今日は恭介が戻ってくる日だ」」」
 自分の声が重なって聴こえたことに違和感を覚える。理樹はそれを振りほどくように首を振る。廊下を走る理樹はどこからか視線を感じたが、気にも留めることなく走り続けた。



 一方同じ頃。
「あら、見慣れない生徒ね」
 廊下を巡回していた女生徒が立ち止まる。
「どうやらゲームの登場人物が増えるということね」
 それっきり興味を無くしたように、普段の仕事に取り掛かり始めた。 



 日常は思いもかけない方向へと転がっていく。


[No.429] 2008/07/18(Fri) 23:18:32
夏空の向こう (No.415への返信 / 1階層) - ひみつ@ギリギリすぎる 10710 byte

 美魚はふと、空を見上げてみたくなった。
 雲一つ無い空を、白い鳥が、たった一羽だけ飛んでいる。群れからはぐれてしまったのか、それとも、もともと一人旅だったのか。
 そうやって他愛ないことを考えているうちに、ほんの少し先を歩く理樹が、同じように空を仰ぎ見ているのに気付く。

「ねえ、西園さん」

 立ち止まることもせず、世間話でもしようかというくらいに軽い声がかかってくる。

「あの、たった一羽だけで飛んでる白い鳥だけどさ。あれを見て、僕にはなにかこう、思わずにはいられないことがあるんだ」

 その気軽さとは裏腹(であるように美魚には思えた)の内容に、思わずドキリとする。年頃の男女らしくほんの少しの甘酸っぱさを伴っていてもおかしくないそれは、しかし今の美魚には鋭く尖った針でブスブスと突かれるような、小さな痛みを感じるのみだった。

「なんなのか、聞きたい?」
「……いえ、別に」
「よし、じゃあ教えてあげるよ」
「無視ですか」

 正直言ってしまえば、聞きたくない。聞いてしまえば、この目的地も知れない二人での散歩が、終始気まずい雰囲気になってしまうような気がしてならない。向こうから誘っておいてそれはないだろう、というか理樹は何を意図してそんなことを言い出したのか。
 なんにせよ、今にも口を開こうとしている理樹の様子に、美魚は仕方なく気構えだけは整えておくことにする。










「夏って、どうしてこんなに暑いんだろうね?」
「……それだけですか?」
「うん。他に何があるっていうのさ」

 さも当然であるかのように言ってのける理樹に、美魚は表面に出すことこそしなかったが脱力するほかなかった。そもそも、元は青空と一羽の白い鳥云々の話だったはずではないのか。前後のつながりがメチャクチャだ……とまあ、そこまで考えたところで、自分にとっては避けたい話題だったのだから、一向に構いはしないはずであることに気付く。どうにも思考がまとまらない。この茹だるような熱気が原因ですね、と美魚は自覚なく理樹と同レベルの結論に達した。

「ところで西園さん、なんでまた日傘なんて差してるのさ?」
「乙女の柔肌を容赦なく撃ち貫く夏の日差しが燦々と降り注ぐ中、私が日傘というひどく平々凡々な日用品を持ち出すことに、どのような不自然さが介在する余地があるというのでしょうか?」
「ないね、うん」
「ええ、ありませんとも」
「それにしても涼しそうだね」
「別段、そんなことはありません。日除けになっているだけで、それで肝心の気温が下がるわけではないですから」
「でも、炎天下に直接晒されてる僕よりかはマシでしょ?」
「それはまあ」

 それにしたって私はどうして日傘なんて差そうと思ったのだろう、と美魚はつい先ほど理樹から問われたばかりの疑問を改めて抱く。そもそもこの日傘はどこから出てきたのか。こんなもの、部屋にあっただろうか。あったにはあったがそれは一年ほど前までの話であって、当時持っていたそれはもうこの世には存在し得ない。
 まあこうしてその恩恵を受けている以上はあったということなのだろう、と美魚は結論付ける。
 理樹が図々しさを欠片も感じさせぬ爽やかな笑顔を見せつつ言った。

「ねえ西園さん、僕もご相伴に預かってもいいかな?」
「……! それはなんですか。相合傘がしたいということですか。ただでさえ暑いというのにそれは暑苦しいこと極まりないのではないでしょうか。だいたい、鈴さんに見られでもしたら――」

 言っている間に、理樹は日傘の下に潜り込んでいた。

「あ」

 ついでに、美魚の手からひょいと日傘を奪い取る。背丈の合わない二人が並んで日傘を差すには、美魚が持っていたのでは理樹が窮屈なのだった。

「あー、やっぱり日差しがないだけでもだいぶ違うねぇ」
「……なんでしょうか、これは。新手の羞恥プレイでしょうか。道行く人が言っています――ヘイ、ハニー、見てごらん。このクソ暑い中、日傘で相合傘なんてムカつくほどに小洒落たことしてるアツアツカップルがいやがるぜベイベー。まあ、なんてこと。でもアツアツお似合いっぷりならワタシたちの方が断然上よねダーリン。オウ、モチのロンさ。それこそ放っておいたら練馬区一帯がメルトダウンしちまうぐらいさHAHAHA! ……だからこそ、オレたちは一緒に居ちゃいけないんだ。え? いきなり何を言い出すのダーリン。ハニーだって分かってるんだろう? 練馬区を守るには、こうするしかないのさ。いや、いやよワタシこんなの。ずっと一緒にいるって言ってくれたじゃない、ダーリン! すまないハニー、ここでお別れだ……。ダーリィーンッ!!」
「西園さーん、置いてっちゃうよー」
「ああ、待ってください。痛いです。紫外線が痛いです。ブスブスと突き刺さってます。待ってください直枝さん」

 美魚は小走りに理樹の背中を追った。





「それで話を真面目な方向に戻しますが、こんなところを鈴さんに見つかりでもしたらどうするのですか」

 隙を見て日傘を取り戻そうとする美魚と、それを苦もなくひょいひょいとかわし続ける理樹、傍から見れば微笑ましいばかりの攻防を繰り広げつつ、美魚は理樹にとって痛いであろう点を確実に突く。

「鈴さんでなくても、誰か私たちのことを知っている人に見られるのも問題でしょう。別に直枝さんが浮気は文化だの甲斐性だのとのたまう女の敵と認識され余生を独り寂しく過ごすことになろうと一向に構いはしませんが、私までが悪女扱いされるのは我慢なりません」
「……いいんだよ、鈴のことなんか」

 かき氷でキーンとなった時のような、もとい、苦虫を噛み潰したような顔をして言う理樹の様子に、美魚にはピンとくるものがあった。

「鈴さんと喧嘩でもしているのですか?」
「うわっ!? 心を読まれた!?」
「NYPをもってすれば造作もないことです」

 一応胸を張っておいた。

「それでまさか、今日私を誘ったのはそれを相談するためですか?」
「いやまあ、別に相談する気なんてなかったけどさ」

 観念したかのように溜息をつくと、理樹はぽつぽつと事の経緯を話し始めた。

「昨日の夜、鈴から急に、明日プールに行くって言われたんだ」
「それはいいですね。涼しげなこと極まりないです。……でも、それならどうして直枝さんがここにいるのですか?」
「鈴は僕に、行こう、なんて言ってない。行く、って言ったんだよ」
「……ああ、なるほど」

 理樹の言わんとしていることを理解して、美魚はほんの少し同情する。同時に、要するに拗ねているのであろう彼が妙に微笑ましくて、隣を歩く理樹に気取られないよう小さく笑った。

「では、誰と?」
「小毬さんと二人で、だってさ」

 ムスッとした理樹から得られた返答はまあ予想通りのもので、美魚はこれも小さく、本当に小さく笑ってやった。
 恋人よりも親友を取るあたりが鈴らしさとも言えるような気がしないでもなく、単に理樹に水着姿を見られるのが恥ずかしかっただけなのかもしれなければ、もしくはそれが彼氏持ちの余裕というやつなのかもしれなかった。友は増えてもそちらには全く無縁である美魚には分りかねる問題である。となれば、疑問がひとつ。

「事情はわかりましたが、どうして私に白羽の矢を立てたのですか」
「白羽の矢を立てるってあまりいい意味じゃないってしばらく前のバラエティ番組でやけに偉そうに言ってたことがあったけど、辞書引けば一発でわかることなのにバカバカしいったらないよね」
「それはまあその通りかもしれませんが、それで理由は?」
「あー、うん。恭介は仕事でしょ? 謙吾は最後の大会で忙しいし、そもそもこういう話には疎い。真人はほら、筋肉が恋人だから役に立たない。女性陣だと、まず今回の場合小毬さんは論外だし、クドと葉留佳さんにはなんだか二木さんが近付けさせてくれないし、来々谷さんに頼んだら散々弄ばれた挙句にポイ捨てされるのがオチだし」

 つまりは消去法であったことに、美魚はわずかばかり落胆した。
 しかし、要するにリトルバスターズの面々の中では常識人であると思われているということでもある。それを喜ぶべきか、はたまたつまらない人間であると思われているのだと解釈して嘆くべきなのか、どうにも判断がつかない。
 とりあえずそれは置いておくとして、話を進めることにする。

「それで直枝さんは、どうしたいのですか」
「……どうしたいんだろうねぇ」

 持ったままの日傘をくるくると回しながら、理樹はどうでもよさそうな風に言った。そのまま、なんの前触れもなく立ち止まった。反応が遅れた美魚は、自然と傘の影から外れて日に晒されることになる。

「直枝さん……?」
「ねえ西園さん」

 その口調は変わらずどうでもよさそうな風のままなのに、日傘の影の下から向けられる視線だけは、ひどく真剣だった。

「浮気、しちゃおっか」















 バァン、と静けさを保っていた部屋に、突如としてそんな音が響く。
 美魚は自分の綴った言葉に顔を真っ赤に染めて、非力な細い腕で、けれど力一杯、手に持ったシャーペンを机に叩きつけていた。

(な……何を書いているのですか、私は……!?)

 美魚は急いで問題の“理樹”の台詞を消しゴムで消去する。そこから別の繋げ方を考えても、さきほどのどう考えたってありえないような台詞しか浮かんでこない。それがまたさらに美魚の白い肌を赤くさせる。
 夏休み、受験勉強の間の息抜きに小説もどきを書いてみようと思い立ったのは、単なる気まぐれだった。自分の身の回りのことに脚色を加えて書いていく形を取ったのも、また気まぐれである。強いて言えば、周りにいる友人たちは誰も彼も創作の世界から飛び出てきたかのようなおおよそ現実的でない人物ばかりだったので、話のネタには困らないだろう、と考えたのもある。別に人に見せる気もないし、一人部屋なので無断で誰かに見られる可能性も低く、なら問題はないだろうということで美魚は執筆を始めた。
 実際書き始めてみれば、驚くほどスラスラと筆は進み、しかし問題の部分であっさりと全く動かなくなってしまった。

「こんなはずでは……」

 本当なら、“理樹”が何か言う前に“美魚”が的確なアドバイスを与え、すごいよ西園さん! な流れになるはずだったのである。いったい何がいけなかったというのか。今一度全編を読みなおしてみれば、書いている途中は気付かなかった不可解な点がいくつも見えてくる。
 そもそも日傘で相合傘って。自分はなぜこれに何とも思わなかったのか。それにどうして“理樹”と“鈴”が付き合っているという設定になっているのかも分からない。確かにお似合いだとは思うが、それにしたって。
 そして、完全に消し去ったはずのあの台詞が、なぜかそこに浮き上がってきているように見えた。

「要するにさ、そういう願望があるってことじゃない?」

 自分以外には誰もいないはずの部屋、背後からの声に美魚は振り返った。
 そこに立っていたのは、美魚と同じ姿形の、けれども美魚ではない少女。

「美鳥」
「理樹くんと鈴ちゃんはお似合いで、私なんか敵いっこない。でも理樹くんが好き。そーゆーオトメゴコロが滲み出ちゃってるね」

 美魚は言い返すことができなかった。自分の気持ちは自分が一番よく知っているし、それは否定するものでもない。だが、美鳥の言うことが正しいとするならば、美魚は無自覚にそんなことをしていた自分を情けないと思った。

「さて問題です」

 何がそんなに楽しいのか、美鳥はニヤニヤとしながら言う。

「冒頭、“理樹くん”が青い空に白い鳥云々と言った時、“美魚”はどうしてドキリとしたのでしょーか?」

 その問いの意味を尋ねる間も、答える間もないままに、そこで美魚の視界は暗転した。











 遠くから、やかましい蝉の鳴き声が聞こえてくる。

「ん……」

 自室、机の上に突っ伏していた美魚は、身を起こすと辺りをキョロキョロと見回す。しばらくそんなことをしていると、机の上に広がったままの参考書に気付いた。それと同時に思い出す。

「……寝てしまっていたようですね」

 勉強中の居眠りなんて滅多にしない美魚であるが、まあたまにはそんなこともあるだろうと結論付け、とりあえず時計を確認する。どうやら一時間ほで眠っていたらしい。窓の外は、眠りに落ちる前と変わらずどんよりとした曇り空だった。
 その曇り空を眺めて何を思ったか、美魚は携帯電話を取り出した。最近ようやく扱いに慣れてきたそれを操作し、電話帳から一人の名前を選択して電話をかける。
 幸いにも、相手はすぐに電話に出てくれた。

「もしもし、直枝さんですか。はい、西園です。突然なんですが、来月の中頃はお暇でしょうか? え? そんなことはないでしょう、彼女の一人もいないのに。ええ、ええ、はい。それで、暇ということでいいんですね? ああ、よかった。では、その……」

 窓の外を見やる。雲の向こうに広がっているはずの青空、もしかしたらそこを飛んでいるかもしれない白い鳥に思いを馳せながら。

「私と、常夏の島にでも行きませんか?」


[No.430] 2008/07/18(Fri) 23:54:35
別れの季節 (No.415への返信 / 1階層) - ひみつ 9738 byte

 よく、こんな言葉を耳にする。

 『春は出会いと別れの季節』

 その言葉は、きっと間違っていない。卒業、進学、就職……。年度の変わり目である春、それまで居た場所を離れ、それまで親しかった奴らと別れ、新たな場所に移り、知らない誰かと出会う。まさに春は出会いと別れの季節だ。
 かく言う俺も、来春にはこの学校を卒業し、就職する。長いこと一緒に馬鹿やってきたあいつらとも、新たに一緒に馬鹿をやるようになった連中とも、今年度限りで別れることになる。二度と会えない訳ではないが、滅多なことでは会えなくなってしまう。

 そうなるはずだったんだ。

 俺たちは繰り返す世界の中にいた。
 夏の始まりにある修学旅行。その修学旅行までの一学期を繰り返す世界。
 ここは、理樹と鈴を強くするために俺たち八人で作り上げた世界。それぞれがそれぞれのやり方で二人を強くし、役目を終えた者から順に、この世界から去っていく。
 そしてその別れは、決定的な別れ。卒業して離れるのとは違う、もう二度と会うことの叶わない永遠の別れ。
 俺たちはこれまでに三度、この世界での夏を経て、三人の仲間に別れを告げてきた。
 三枝が、来ヶ谷が、能美が。夏が来るたび、大切な仲間が一人、また一人とこの世界から去っていった。今この世界に居る俺たちにとっては、春ではなく、夏こそが別れの季節だった。

 そして、また夏がやって来る。
 別れの季節である、夏が。





  別れの季節





 西園が帰ってきた。
 西園美鳥ではなく、西園美魚が。
 ついこの間まで西園美魚と認識されていた西園美鳥と、今いる本当の西園美魚。容姿こそ瓜二つとは言え、性格はまるで違う二人。その二人が入れ替わるなど、普通なら上手くいくはずがない。
 だが、この世界は美鳥が美魚に入れ替わったことも、再び美魚が帰ってきたことも、全てを当然の如く受け入れる。まるで、初めから変わらずに美魚が居続けたかのように。
 そんな不自然なことが起こりうる、この世界。この世界の秘密に、理樹は未だ辿りついてはいない。

 俺は少し離れたところから理樹と西園の様子を窺っていた。
 帰ってきた西園からは、以前とは随分違う印象を受けた。
 以前は俺たちと遊んでいても、どこか一歩下がったスタンスを貫いていた西園。しかし今の西園は、俺に、鈴に、真人に、謙吾に、そして何より理樹に。積極的に関わりを持つようになった。
 その変化は喜ばしいものだ。どうせ遊ぶなら乗り気になってくれた方がお互いに楽しいはずだ。俺はその変化を嬉しいと思う。そして恐らく理樹は俺以上にその変化を喜んでいる。
 それは、理樹がその手で手繰り寄せたもの。そして、以前の理樹では恐らくできなかったこと。
 理樹は、確かに強くなっている。俺たちの願いは叶いつつある。

 だが……。

「もうすぐ修学旅行だけど、西園さんは向こうでの行動とかもう決めてる?」
「いえ、まだ決めていません。どうしましょうか…」

 屈託の無い笑顔で修学旅行の話題を振る理樹。どこか困ったような、曖昧な笑みを浮かべて答えを返す西園。

 ……まだだ。まだ足りない。理樹はまだこの世界の秘密に気付いていない。その話題を振ることが、西園にとっていかに残酷なことであるかを理解していない。
 理樹も、鈴も。あいつらが先へと歩いていくために必要なのは、まず第一に逆境にも負けない強さだ。俺たちの庇護の下から離れ、二人で歩んでいくためにそれは不可欠なものだ。けれど、必要なのはそれだけではない。
 あいつらは分かっていない。自分たちを取り巻く環境が、世界が。ある日あっさり崩れ去りかねない、脆いものであることを理解していない。今、あいつらが全てを知ったとしても、あいつらはそれを受け止め切れない。受け止め切れないから、折角身につけつつある強さも発揮できない。発揮できない強さになど、何の意味もありはしない。
 だから、あいつらは知る必要がある。世界の秘密を。この不自然な世界を。自分たちの立っている足元が、いかに脆いものであるかを。誰かに教えられるのではなく、あいつら自身で気付く必要がある。
 そして、それはまだ当分先のことになりそうだ。
 ……なら、まだこの世界は繰り返す必要がある。

 ポケットから携帯を取り出し、一通のメールを打つ。ディスプレイに送信完了を示す画面が表示されたのを確認した後、俺はその場を立ち去った。



 俺は中庭の木陰で漫画を読んでいた。この世界で既に何通りか読み返した漫画で、内容は粗方覚えてしまっていたが、それでもとりあえずは楽しかった。
 そろそろ本格的に暑くなりはじめたこの時期、日差しは強く、じりじりと日向の地面を焦がしている。遠くには蝉の鳴き声も聞こえたが、ここまで届く鳴き声は小さい。葉の生い茂った樹の下であるここには涼しい風が吹き込んでいた。心地よい木陰では蝉の鳴き声も子守り歌に聞こえ、俺は欠伸を噛み殺した。俺の方から呼び出しておいて、寝ちまうわけにはいかない。
 さく、さく、と。
 軽い体重で芝生を踏みしめる音が近づいてくる。俺が顔を上げると、目に映ったその人物は。

「お待たせしました、恭介さん」
「いや、こっちこそ急に呼び出して悪かったな、西園」

 俺がメールで呼び出した人物にしてこの木陰の常連、西園美魚だった。

「隣、よろしいですか?」

 西園はそう言って気の根元、俺の座っている隣を示す。俺がこくりと頷いてみせると、では失礼しますと口にし、西園はそっと腰を下ろした。
 俺の隣に腰を下ろした西園は、開口一番に口にした。

「今日で、わたしの番は終わりなんですね……」
「……ああ、そうだ」

 今回の世界で、西園は既に役目を果たした。
 修学旅行を間近に控えた今日。今日はこの世界の最後の日。
 今、高くから照りつけるあの太陽が沈み、また昇ったとき、世界は巻き戻る。あの始まりの朝へと。
 それはつまり、今日が西園との別れの日であるという事。

「まあ、分かっていたことですしね」

 淡々と言葉を紡ぐ西園。その西園の姿が、俺には不思議に思えた。
 既に、三人の人間がこの世界を去っている。三枝、来ヶ谷、能美。三枝とも能美とも、この世界を去る直前に少し話しをした。二人ともその別れを理解し、納得してくれてはいた。けれど、未練を捨てきることも出来ず、どこか寂しげな表情を浮かべていた。俺の思惑から外れ、一日をずっと繰り返し、俺が無理矢理切り離した来ヶ谷に至っては言うに及ばすだ。
 三人とも、理樹と鈴のためであると理解しつつも、あいつらへの、そしてこの世界への未練を捨てきることはできなかった。
 しかし、今目の前に居る西園からはそんな未練のようなものは見て取れない。かといって自暴自棄になっている訳でもなさそうだ。その西園の姿がなんとも不可解で。

「西園……お前はそれでいいのか? 理樹に、この世界に、未練は無いのか?」

 俺は、言っても詮無きことを口にしてしまっていた。
 だがしかし、西園はふっと表情を緩め。

「恭介さん、一つだけ忠告しておきます」

 俺の問いには答えることなく。

「直枝さんは、恭介さんの用意した結末を拒むかもしれません」

 そう、口にした。

「俺の用意した結末を、拒む……?」

 思わず、鸚鵡返しに言う俺。そんな俺の姿が滑稽だったのか、西園はくすりと小さく笑い、言葉を続ける。

「直枝さんは、思いのほか諦めの悪く、更に欲張りな人のようです。恭介さんの用意した結末では満足せず、もっと欲張りな選択をするかも知れません」

 西園の言わんとするところは分かる。俺の用意した結末を拒み、諦め悪く、欲張りな選択をする。それは、つまり――。

「……無理だ。そんなことは不可能だ」

 俺だってそれを望まないわけじゃない。理樹とも、鈴とも。真人とも謙吾とも、三枝とも来ヶ谷とも能美とも、小毬とも。そして西園とも。別れずに済むのならどんなに良かっただろうか。それが可能ならどんなに良かっただろうか。
 だが、それをあいつらに期待してはいけない。それが不可能なのはあいつらが弱いせいじゃない。あの状況からでは、俺にだってそんなことは不可能だ。あいつらまで巻き込んでしまっては本末転倒だ。
 だったら、せめてあいつらは巻き込むことなく、あいつらの先のためになる形で去るのが一番いいやり方のはずだ。

 そんな俺の考えを見透かしたように、西園は言う。

「わたしも、そう思っていました」

 西園は静かに言葉を紡ぐ。

「誰もが在り続けることができるのなら、きっとそれが最善の結末なのでしょう。けれどそれができないのなら、在るべき者だけが在り続け、それ以外の者はその礎となって消えていく。それが次善の結末だと思っていました」

 語り続ける西園の目は、どこか遠くを見ている。視線を追ってみるが、視線の先にはただ空が広がっているばかりだった。気付かないうちに随分時間が経っていたのか、日は傾き始め、空は赤みがかっていた。

「私は次善の結末を用意したつもりでした。けれど、直枝さんはそれを良しとしませんでした。諦め悪く足掻き、呆れるほど強引なやり方で欲張りな結末を手繰り寄せました。その結末は、わたしが予想だにしなかった結末でした」

 そこまで言って一端言葉を切る西園。ひとつ深呼吸した後。再び言葉を紡ぐ。

「……今では、直枝さんが選んだその結末を、今ここにある結果を、悪くないと感じています」

 語り終えた西園は、目を伏せて小さく息を吐いた。
 西園の言ってることは分かった。分かったが、しかし。

「……現実は厳しい。この世界のようにはいかない」

 そう。この世界なら、強い意志さえあればある程度の無茶な現象も罷り通ってしまう。理樹がそれほどまでに強い意志を持ちえたのは喜ばしいことだが、それだけでは足りない。いくら強い意志を持っていようが、どうしようもない現実というものも存在するのだ。

「……そう、かも知れませんね。けれど、違うかもしれません」

 西園はくすり、と意味深な笑みを浮かべた。
 どこか余裕を感じさせるその態度に、俺はこれ以上言う言葉が見つからず、また西園も何も言わず、しばし無言の時間が流れた。



 ざあ、と風が流れる。

「そろそろ、ですね」

 そう言って腰を上げる西園。分かっていた。来るべきときが来たことを。

「……それじゃあ西園、さよならだ」
「はい、さようなら、恭介さん……またお会いしましょう」

 互いに別れの言葉を紡ぐ、俺と西園。どちらも別れの言葉であることには違いないが、その意味するところは大きく違っていた。

 すっ、と西園の輪郭がぼやけていく。
 西園の姿も、折角取り戻した長く伸びる影も霞んでいく。
 その姿を透けさせていきながら、西園はおもむろに空を見上げ、言葉を口にした。

「わたしにとって空と言えば青いものだったのですが、夕方の赤い空、赤く染まった世界というのも乙なものですね」

 その言葉を最後に。
 すっと、世界に溶けるように西園の姿が掻き消えた。
 消えるその瞬間まで、西園は夕焼け空を背景に、穏やかな微笑を浮かべていた。
 そうしてまた一人、大切な仲間がこの世界から去っていった。



 しばらくぼんやりしていたが、やがてふと腕時計に目をやる。時計の針は午後六時五十二分を指していた。季節が季節なら、とうに日は沈み、あたりは闇に包まれる時間帯。しかし、夏至を間近に控えたこの時期、太陽はまだ沈むことなく山の向こうから顔を覗かせ、世界を赤く染め上げていた。
 ―赤い。空も、地面も、硬く握った俺の手も。何もかもが赤かった。

 西園は乙なものと言ったそれらはしかし、俺には血の色のように見えて仕方が無かった。


[No.431] 2008/07/19(Sat) 00:00:39
―MVP候補ここまで― (No.415への返信 / 1階層) - 主催

これより後の投稿作はMVP選考外とします。
『別れの季節』は39秒オーバーだけどセーフです。
次回からもこんな感じで主催側が区切っていきます。


これ以降の投稿ももちろんオーケーですので、びしばしどうぞー。


[No.433] 2008/07/19(Sat) 00:10:59
魂の牢獄 (No.415への返信 / 1階層) - ひみつ@【規定時間外投稿】【MVP投票対象外】 5639 byte

 アパート周囲に乱立する樹木で蝉が延々と鳴き喚いている。ひどく耳障りなそれは、焼けたアスファルトの地面から立ち昇る熱と容赦なく照りつける太陽光の苦痛を二割増しに感じさせている。
 何気なく見た鈴の横顔には珠の汗が浮き出ていて、僕は手持ちのハンカチでそれを優しく拭い取ってやる。
 錆びついた階段を上ってアパートの扉を開けると、中から淀んだ空気が吐き出されてくる。物騒だからと鈴が言うから、二階とはいえ窓の戸締りを欠かしたことはない。取られるものなんて何もないと冗談混じりに言ってみたが、鈴は笑いも納得もしてくれなかった。
 スーパーの買い物袋をベッドに下ろしてから部屋の換気をする。僅かな風が流れ込んできて、遠くなっていた蝉の声が近くなる。
「理樹、この後はバイトか」
 食材の数々を冷蔵庫に運び入れながら鈴が問いかけてくる。そうだよと僕は頷いて、微妙に不調続きのクーラーを稼動させる。買い換えの時期かもしれないが金銭に余裕がない。できるだけ寿命が延びるよう騙し騙し使っていくしかないだろう。
「そうか。だったら今日は休め」
 無茶苦茶なことを言い出す鈴に、どうしてと問い返す。
「一緒にいて欲しいからだ」
 普通の男なら舞い上がる台詞かもしれない。けれど僕は素直に喜べない。鈴の言葉の源泉となるものが、恋人に対する純粋な愛情ではないと知っているからだ。そこに愛情が介入していないとは言わないけれど、愛情の奥深くには寂寞とした思いがあり、それを切り開いた先にはバス事故が鈴の心に刻み込んだ確かな恐怖がある。
「僕だってそうしたいけど、働かないと生活できないよ」
「じゃあ、あたしも連れて行ってくれ」
「間違いなく、僕がクビになるよ」
 苦笑しながら言うと、唐突に鈴が駆け寄って抱きついてくる。僕はそんな彼女の頭を慈しむように撫でながら、六畳のアパートの壁に遺された小さな小さな染みに暗い視線を投げかける。
 鈴はもう僕と共にしか生きていけない。同時に、僕もまた鈴と共にしか生きることはできない。彼女の華奢な体を抱き、心臓の鼓動を肌を通して感じる度にそう思う。あの日から鈴は僕とのあらゆる時間の共有を望んだ。だからこそ僕らの世界はたった二人で完結している。閉じられた世界はどこにも開かれない。かつての鈴はそれを望んだし、今もそう望み続けている。

 鈴との同棲生活は痺れるような甘美さに満ち満ちていたが、随所に堕落にも似た狂気を孕んでいたように思う。それは鈴との距離が近づくほどにこのちっぽけな世界が閉じていき、内側に落ち込んでいくような錯覚のせいだろうか。それでも鈴の心に踏み込むことにためらいはなかったし、僕もまた彼女のことを拒絶することなく受け入れた。そうするうちに僕らの視野は狭窄し、瞳に映る世界はより単一のものへと変化していった。鈴の呼吸が、鼓動が、まばたきが、世界の歯車を動かす源であることを思う。鈴の吐息が、汗が、いのちが、世界の全てであることを思う。

 鈴と海に行こうと約束していた土曜日は、折悪しく朝方から豪雨が降り注いでいた。窓を開けて陰鬱な空を見上げるも、肌に粘りつくような特有の蒸し暑さに辟易する。激しい雨音に紛れながら聞こえてくる蝉の鳴き声がひどく不気味に感じられた。
 窓を閉めて振り返ると、そこにはベッドから半身を起こしただけの鈴がいる。残念だねと声をかけると、別にいいと返してくれた。思い出したように可愛らしいあくびと背伸びを見せる辺り、落胆などしていないのだろう。そもそも海に行こうと提案した理由は単なる気分転換に過ぎない。僕としてもこの六畳の狭小な空間で鈴と過ごす週末に不満があるわけではない。
 僕は鈴に小さく口づけてから朝食の支度に取りかかる。くすぐったそうに頬を緩める彼女の表情は猫のそれとよく似ているなとぼんやり思う。鈴の所作はたまらなく愛おしいもので僕の幸せを喚起するけれど、同時にある種の絶望までをも呼び起こす。
 バス事故を契機として僕らは欠落してしまった。過ぎ去ったこと。仕方のなかったこと。不運なこと。自らの傷口に慰めの言葉を塗り込むことはできるけれど、割り切ることなんて永久にできない。
 鈴には口が裂けても言えないが、僕は今でもイフの世界を夢想する。鈴と生きる現実を背負う身でありながら、未練たっぷりにリトルバスターズという砕け散った虚像にすがりつき、それが紡ぎ出すはずの未来を想う。鈴に愛の言葉を告げたこの口で、幾度となく鈴のそれと重ね合わせたこの口で、気がつけば喪われた人の名を呼ぼうとする自らの罪深さに恐怖すら覚える。
 僕の苦悩は自業自得だ。輝かしい記憶として沈殿した過去を掬い上げ、欺瞞と自己満足にまみれた虚構世界を夢想した。その果てに低俗な創作でしかない虚構世界を現実と照らし合わせ、その乖離に苦しむ僕はあまりにも滑稽だ。僕らの生はバス事故という厳然たる事実の上に成り立っていて、鈴の所作もその延長上に形作られている。みんながいた頃と同じように鈴が振舞えないのは当然のことだ。今の僕は現実に生きる鈴を否定し、亡くなった人々の生を侮辱したに等しい。それに無自覚であったことが僕の愚かしさに拍車をかけている。

 簡素な朝食を取る傍ら、テレビは様々なニュースを映し出している。陰惨な事件や事故が氾濫しているそうだが、とりたてて興味を惹くものはない。非日常が日常を侵食するたやすさを僕は身に染みて知っているが、やはり画面に映る他人に感情移入することはできない。画面の向こう側で戦争が起きて人が死んでも、それは所詮他人事だ。少しの感傷に浸るだけで僕らは平然と日常を生きることができる。
 僕は世界に対して盲目であろうとしている。手を伸ばした先には鈴がいて、その先には六畳のアパートの古ぼけた壁がある。それより先はもう何も見えない。それで一向に構わない。
 世間の人々はできるだけ大きく瞳を見開いて、雄大な世界を見渡そうとするのだろう。彼らの瞳には、今の僕には決して見ることのできない世界が映し出されているはずだ。けれどそれを純粋に羨ましいと思える心を持たないから、僕は今でもこの閉じた世界の中にいる。
 退屈になったのか、気がつけば鈴はテレビを消してベッドに寝転んでいる。洗い物の最中にチャイムが鳴ったが無視を決め込んだ。僕らに干渉してくる人間といえば新聞勧誘員ぐらいしか思い当たらない。
 何度かのチャイムと控えめなノックを最後に扉の向こうの誰かは立ち去っていく。妙に響く足音が遠くなり、やがて消える。
 僕は水道の栓を閉めて手を拭くと鈴の隣に腰を下ろす。僕らの沈黙を彩る雨音は先程よりもその激しさを増している。蝉の鳴き声はもう聞こえない。
 ふと窓の方に視線を向けて、吊り下げたカーテンの模様を見つめる。そうするうちに雨音やクーラーの駆動音が不自然に遠くなり、傍らにいる鈴の息づかいがやけに大きく聞こえ始める。


[No.434] 2008/07/19(Sat) 06:42:33
ログ次回 (No.417への返信 / 2階層) - 主催

 http://kaki-kaki-kaki.hp.infoseek.co.jp/Little14-1.txt
 http://kaki-kaki-kaki.hp.infoseek.co.jp/Little14-2.txt


 MVP「もずくその他」の作者はいくみさんでした。おめでとうございますっ。
 次回のお題は「本能」
 8/1金曜24:00締切 翌8/2土曜22:00感想会
 皆様是非ぜひご参加くださいませ。


[No.441] 2008/07/20(Sun) 23:45:40
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