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No.478に関するツリー

   第15.5回リトバス草SS大会(仮) - かき - 2008/08/06(Wed) 22:57:13 [No.478]
第零種接近遭遇 - ひみつ@呆れるほどに遅刻。 8516 byte - 2008/08/09(Sat) 05:44:35 [No.495]
――MVPコウホココマデ―― - 主催 - 2008/08/09(Sat) 00:22:55 [No.493]
野郎どものクリスマス 3700byte - ひみつ - 2008/08/09(Sat) 00:11:06 [No.491]
野郎どものクリスマス - 雪蛙@5010byte 暇だったのでちょっと加筆・修正してみた - 2008/08/14(Thu) 02:19:01 [No.504]
二人、一緒に - ひみつ@まったく自重しない - 2008/08/08(Fri) 23:59:46 [No.490]
Re: 二人、一緒に - ひみつ@まったく自重しない 7104byte - 2008/08/09(Sat) 00:11:09 [No.492]
七人の直枝理樹 - ひみつ 10112 byte - 2008/08/08(Fri) 23:55:38 [No.489]
兄として思うこと - ひみつ 7531 byte - 2008/08/08(Fri) 23:49:39 [No.488]
円舞曲 - ひみつ 5331 byte - 2008/08/08(Fri) 23:26:58 [No.487]
とある夜 2852byte - ひみつ@初 - 2008/08/08(Fri) 22:34:32 [No.486]
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寂寥は熱情の常 - ひみつ 8656 byte - 2008/08/08(Fri) 16:09:14 [No.484]
ガチ魔法少女なつめりん - ひみつ 9211byte - 2008/08/08(Fri) 02:12:04 [No.483]
ふぁみりー - ひみつ 10236 byte - 2008/08/08(Fri) 01:04:45 [No.482]
家族 - ひみつ@いまさら 7162 byte - 2008/08/10(Sun) 17:02:56 [No.500]
『そして誰もいなくなった』starringエクスタシー三人... - ひみつ 9912 byte - 2008/08/07(Thu) 23:50:04 [No.481]
宮沢謙吾の休日 - ひみつ 9673 byte - 2008/08/07(Thu) 23:00:22 [No.480]
ログとか次回とか - 主催 - 2008/08/11(Mon) 00:01:38 [No.501]



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第15.5回リトバス草SS大会(仮) (親記事) - かき

※※
エクスタシーネタバレはまだ駄目です!!(次回8/29 お題『ボール』よりオッケーです 10月とか書いてましたがこういう形で)
第14回よりるーるを多少いじくってます。ご注意くださいませ。
※※


 詳細はこちら
 http://kaki-kaki-kaki.hp.infoseek.co.jp/rule.html
 この記事に返信する形で作品を投稿してください。

 5/8 24:00締切(締め切り後の作品はMVP対象外となります)
 5/9 22:00感想会
 10240byte上限
 縛り『理樹が登場しないこと』 (本人直接登場の禁止。会話の流れで名前出てくるとかはおk)

 今回は小大会ということで、MVPを獲得した方には
 『他の参加者及び主催(かき)副催(大谷)保管所管理人(えりくら)に称号をつける権利』
 を贈呈致します。
 好きな人に好きな称号をつけられます。特定の誰かだけにつけてもいいし、全員につけてもいいし、自分につけてもいいし、もう好きなようにいたしちゃってください。
 なお、この称号は保管所にて後世へと伝え続けられていきます。次回参加される方はそのことをご考慮くださいませ


 感想会会場はこちら
 http://kaki-kaki-kaki.hp.infoseek.co.jp/chat.html
 はじめにMVP投票(最大3作まで投票可能)を行いますので、是非是非みなさまご参加くださいませ。
 ご新規、読みオンリー、感想オンリー、投票オンリー、大歓迎でございます。


 今回までエクスタシーネタバレ厳禁です。
 重ねてお願いいたします。


[No.478] 2008/08/06(Wed) 22:57:13
宮沢謙吾の休日 (No.478への返信 / 1階層) - ひみつ 9673 byte

 宮沢謙吾の朝は早い。特に休日の朝は早い。

「いやっほーう、日曜日だーーーっ!」

 午前4時、目が覚めると同時に高らかに喜びを歌い上げる。ルームメイトは土曜の夜には耳栓をつけて眠る習慣がついた。



 寝巻き代わりの甚兵衛から道着へ着替え、さらにその上から手製のジャンパーを羽織ると、昂った気持ちを落ち着けるためにジョギングに出かける。

「自転車発見!勝ーー負っ!!」
「野良犬発見!勝−−−負っ!!」

 緩急をつけるために、自転車や野良犬と競争し、勝利する。ここ2ヶ月の戦績は86戦86勝。そろそろオートバイや自動車に勝負を挑むべき時期に来たと考えている。



 身体が十分に温まったところで寮に帰り、素振り。道を究めるために最も大事なことは基本である、という信念を持つ彼は、決して素振りを疎かにしない。

「652!653!654!655!」
「きゅう千きゅう百きゅう十ごっ!きゅう千きゅう百きゅうじゅうろくっ!きゅう千きゅうひゃくきゅうじゅうしちっ!きゅうせんきゅうひゃくきゅうじゅうきゅう!いちマーーーーーンっ!!」

 素振りを終える頃にはしゅうしゅうと全身から湯気が立つ。ジャンパーに刺繍された猫も心なしか汗をかいているように見える。普段ならこの後剣道部の朝練に出るが、今日は顧問がいないため休み。いつもの日曜より長い自由時間だ。



 浮き足立つ自分を鎮め、ここからの休日に備えて身を清めるために、シャワー室で水垢離をする。洗面器に冷水を溜め、頭から被る。何度も、何度も、何度も。唇が紫色になるころ、校内一のクールガイ、宮沢謙吾が誕生する。



 いったん部屋に戻り、時計を確認すると時刻は午前7時。食堂も開いている時間だが、一人で食べてしまうのはもったいないので、幼馴染である直枝理樹と井ノ原真人の部屋に行く。
 理樹はまだ寝ているだろうが、真人は筋トレのために起きているはずだ。それにもし真人が外に出ていれば部屋には理樹が一人ぼっちだ。起きたとき一人では心細いだろう。傍にいてやらねばなるまい。
 それでもし真人がなかなか戻ってこないようなら、自分が優しく起こしてやればいい。休日だからといって遅くまで寝ているのは不健康だ。起きたら身支度も整えてやろう。あいつはしっかりしているようで結構抜けているからな。



 入室の際、いつも声はかけるがノックはしない。向こうも部屋にいるときは鍵をかけていない。今は理樹が眠っているかもしれないので、控えめに声を掛ける。

「理樹、入るぞ」

 返事は無い。矢張り眠っているのだろうか。足音を立てないよう室内に滑り込む。起きている人影は無い。真人が眠っている訳は無いから、外でトレーニング中だろう。ベッドを見ると、頭が少し見えた。

「起きろー理樹ぃ。鳥さんがちゅんちゅん鳴いているぞー。鶏は一仕事終えて一杯やってるなあきっと。理樹も起きて遊ぼうじゃないか」

 傍らに膝をつき、気持ちよく目覚められるよう爽やかに語りかける。残念なことに壁を向いて寝ているため、寝顔を見ることができない。こちらに向かせようか。いや、それは駄目だ。自然に寝返りをうつ。その結果として寝顔を垣間見るからこそ価値があるのではないか。それに、無理に動かして覚醒を促してしまったら、それはもう寝顔ではない。ならば待とう。もしその果てに寝顔を見ることができなかったとしても後悔はすまい。
 自らの内の葛藤にケリをつけ、謙吾はじっと待つ。床に正座し、背筋を伸ばす。目を閉じ、息を潜め、心を穏やかに。試合の前のように、五感が研ぎ澄まされていく。そして、気付いた。

「ぐずっ」

 泣いている。理樹は今、眠りながら泣いている。怖い夢を見ているのだろうか。それとも悲しい夢だろうか。何もできない自分に歯がゆさを憶える。俺が人でなく獏であったなら、お前を苦しめる悪夢など暗い尽くしてやれるのに。嗚呼、俺は何故人間などに生まれた。
 せめてもの慰めと、背を向けたままの理樹の頭に手を伸ばし、そっと撫でる。ごわごわとした硬い感触。負けるな、理樹。

「理樹ぃ……」

 泣き疲れてしまったのだろう、しゃがれて野太くなった声。自分の名前を呼んでいる。夢の中では自分の存在が曖昧になることがあるという。迷っているのか、理樹。俺がついている、大丈夫だ。

「う……」

 思わず手に力が入ってしまったのかもしれない。軽い呻きとともに身じろぎする。目を覚ましてしまったたかもしれない。手を離し、身を乗り出し気味に寝返りを待つ。そして、岩のような巨体がごろり、と。

「茶番だああああっ!真人ォォォォォっ!!」
「うおっ!?何だいきなりっ!!」



 1時間後、それぞれ顔を当社比1.5倍程度に腫らした二人の姿が学食にあった。二人は顔を背けあったまま、仏頂面で山盛り飯を食らっている。

「……で、何だってお前は理樹の布団で寝ていたんだ?」

 結局一度も視線を合わせることなく食事を終え、食後の茶を啜りながら、ずっと疑問に思っていたことを問いただした。真人は謙吾を見ずに、プロテインを牛乳にぶち込みながら答える。

「……ゆうべ理樹のやつ帰ってこなかったんだよ。起きても理樹がいねえ部屋なんて寂しすぎるじゃねぇかっ。だからせめて理樹の匂いに包まれて……」

 真人はまだ何か言っているようだったが、謙吾には最初の言葉による衝撃が大きすぎて、まるで耳に入ってこなかった。

「……理樹が帰ってこなかった、だとぅ?」
「ん?ああ、帰ってこなかった」

 じろり、と鋭い目が真人を睨む。突然向けられたその圧力に、真人がたじろぎながら答えた次の瞬間。カッと眦を決すると、裂帛の気合を真人に叩き付けた!

「貴ッ様アアアアーーーーーッ!!何故俺に言わないんだああァーーーーーーーッ!!!」
「はあぁーーっ!?」

 謙吾の怒気が食堂全体をビリビリと震わせる。朝食を取っていた者達は、ある者はお椀を取り落として熱い味噌汁を浴び、あるものは最後に取っておいた玉子焼きを床に落として悲嘆に暮れる。食堂は阿鼻叫喚の地獄と化した。
 真人は幸いにもプロテインを口に含んではおらず、間一髪で惨事を逃れていた。真人が惨事を起こしていれば、巻き添えを食っていたはずの謙吾は、周囲の騒ぎに目もくれず、ひたすらに理樹の安否を気遣っていた。

「真面目な理樹のことだ、ひとりで夜遊びなどするはずがない。ならば可能性はただ一つ、何か事件に巻き込まれたとしか考えられないだろう!
 誘拐か?金を持っているようには見えないから営利誘拐はないだろう。ならば身体か!?そうか、理樹に悪戯するつもりで、ああーーーーーっ!!理樹、理樹ィーーーーーーッ!!無事でいてくれぇ……」
「なにぃっ!?理樹は誘拐されちまったのかよっ!?」

 最悪の事態を想像してしまい、いやいやと頭を振って必死にその可能性を振り払おうとする謙吾。しかし考えれば考えるほどにそれ以外無いと思えてしまい、椅子から転げ落ち、床に這いつくばってしまう。
 真人も、謙吾のただならない様子に事態の深刻性を見て取ったのか、顔を何時になく引き締める。

「まだ確証はない。が、可能性は限りなく高いだろう。もしそうだとすれば、賢い理樹のことだ、監視の目を盗んで何かサインを送ってくるかもしれない。真人、理樹からメールや着信があったらすぐに知らせてくれ。俺も、「そうか、あのメールは理樹からのサインだったのか!!」は?」

 謙吾を遮るように叫ぶと、真人はやおら携帯を取り出して操作する。

「ほら、これがゆうべ理樹から届いたメールだ。これ何かのサインなんだろ!?」

 真人が勢い込んで見せた携帯の画面には、理樹からのメールが表示されていた。

『今夜は鈴の部屋に泊まるよ。誰かに聞かれたらごまかしておいて。お願い(;´Д`)ハァハァ』



 1時間後、それぞれ顔を当社比3.6倍に腫らした二人の姿が女子寮のそばにあった。絶対防衛線、UBラインの前に無言で並び立つ。どんな表情を浮かべているのか、本人以外に窺うことは出来ない。

「真人、メールの返事はあったか?」
「いや。電話もつながらねえから、電源を切ってるか、電池切れか……」
「おそらく鈴がこっそり電源を切っているのだろう。姑息な」

 前方に聳え立つ鉄筋コンクリートの要塞を仰ぎ見る。あのどこかに理樹が囚われている。鈴の手の内でどんな拷問を受けているかと思うと居ても立ってもいられない。

「んで、どうすんだ謙吾っち。オレの筋肉でここを突っ切って鈴の部屋まで行きゃいいのか?」
「いや、それでは騒ぎが大きくなりすぎる。数で攻められても俺とお前なら負けることはないだろうが、手間取っている間に理樹をつれて逃げられてしまう」

 ここは敵地。無策に特攻しては敗北あるのみだ。理樹救出のために、失敗は許されない。

「ここは、陽動作戦で行こう」
「腸腰筋?」
「ひらたく言えばおとり作戦だ。一人が目立つ騒ぎを起こして気を引いている隙に、もう一人が内部に潜入。理樹を救出する」

 真人の筋肉ボケには一切付き合わず、自分の考えを整理するように作戦を説明する。すると、真人はフッと不敵に笑い、親指で己の胸を指し示す。

「いいねぇ。よし、任せろ謙吾っち!オレがばっちり理樹を救い出してみせっからよ!」
「何を言ってるんだお前は。理樹を救出するのは俺の役目だ。お前に潜入なんて出来るわけがない」
「あァ!?鍛えに鍛えた筋肉はそこにあるだけで目立ってしょうがねえから、こそこそ隠れたりしないで堂々と見せびらかしてやれとでも言いたげだなぁっ!?……ありがとよ」

 真人は言いがかりをつけているうちに、それが褒め言葉に取れることに気付き、最後には謙吾に礼を述べた。その言いがかりを横目で眺めながら、謙吾は理樹のことを思い出していた。
 出会ったばかりの頃は、恭介の後をオドオドしながら付いてくるだけの頼りない子供だった。体力面では鈴にも負けるみそっかすで、自分が手を貸してやることもしばしばだったのに。
 今はどうだ。確かに肉体的な強さはまだまだひ弱な部類に入る。しかし、精神的には頼もしくなった。場合によっては恭介や自分達すら超える強さを見せることもある。
 それは、嬉しいと同時に少し寂しい。我が儘なのは分かっている。しかし、まだ庇護者でいたい。娘を持つ父親というのは、こんなものなのだろうか。

「おい、そろそろやべぇんじゃねぇのか?」

 物思いに沈んでいた謙吾を真人の注意が引き戻す。もう長いこと同じ場所に留まっている。目立つ風貌の男が二人、女子寮の前で突っ立っていれば注目を引いて当然だ。棒を持った女生徒達も警戒して集まってきている。これ以上は危険だ、作戦どころではなくなってしまう。
 覚悟を固めると、互いの役割を無言で確認し、頷きあう。結構のときは来た。

「行くぞ、真人。ミッション……スター「うっといんじゃ、ぼけぇっっ!!!」」
「ちょ、り「問答無用じゃーーーっ!!」」

 甲高い叫び、鋭く風を切る音と鈍い打撃音が女子寮の壁にこだまする。
 数分の後、女子寮防衛隊が見たのは、小山のように折り重なった巨獣二頭の残骸と、その上に仁王立ちする小さな戦女神の姿だったという。

「む、無念だ……ッ」
「ふん、またつまらぬものをけってしまった」

 土埃舞い上がる中、地に這い動くこともままならない謙吾たち二人を一瞥もせず去っていく鈴。その背に謙吾は縋るように声を掛ける。

「ま、待て……理樹は、理樹は無事か……?」
「当然だ。あたしが理樹を傷つけるものか」
「そう、か……」

 立ち止まり、背を向けたまま答える。ちりん、と笑うように微かに鈴が鳴った。

「ちなみに今日はあたしとデートだ」

 振り向いたその顔は勝ち誇った笑みを浮かべ。

「うああああーーーーーーーーーーっ!!!!」

 よく晴れた空に絶叫は吸い込まれていった。

 そして今日も過ぎていく……。


[No.480] 2008/08/07(Thu) 23:00:22
『そして誰もいなくなった』starringエクスタシー三人娘 (No.478への返信 / 1階層) - ひみつ 9912 byte

「さて、揃ってるわね」
「……まあ、揃っているにはいますけれど」
 とある空き教室。その教壇に立ってぐるりと室内を見回す佳奈多に、佐々美は困惑気味の声を返す。原因ははっきりしていた。チラリと隣の席に目をやる。
 まず目に入ったのは、白いリボン。次いで、それ以上に目立つ亜麻色の長く美しい髪。そこからふわりと漂ってくる匂いに、佐々美は同性でありながらくらりとしてしまいそうな自分がいることに気付く。その少女――そう、少女である――は、きっと美しいだろう。佐々美はそう思う。きっと、というのは、目隠しと口に貼られたガムテープのせいで、その顔の半分ぐらいが隠されてしまっているからだった。
「二木さん。つかぬことを伺いますが」
「なにかしら」
「……コレ、なんですの?」
「んーっ! んーっ!!」
 コレ、つまり問題の美(仮)少女が呻き声をあげた。もちろん、ガムテープのせいでまともな声にはならない。ガタンガタンと縛り付けられている椅子ごと身を揺らすが、拘束から逃れることは叶わないようだった。ちなみに亀甲縛りである。ナイスエロティック!
「ああ、ソレね。今回の集まりの主旨上、一応呼んではみたんだけど……」
「んーっ! んーっ!!」
「ほら、色々あるのよ、大人の事情ってやつが。まあ、ぶっちゃけるとネタバレは重罪だからなんだけど」
 それはぶっちゃけすぎじゃないのか、などと思う佐々美であったが、おおらかな心でスルーしておくことにした。
「んーっ! んーっ!!」
 スルーすんなーボケー、とでも言っているのだろうか。
「それにしてもコレ、なかなかムカつく身体つきでいらっしゃいやがりますわね」
 佐々美がかなりどうかと思われる日本語でコレのスタイルを評する。縄によってより扇情的に強調されている美(仮)少女の肢体は、男性の欲情を、女性の嫉妬を誘うには十分すぎるほどのものだと言えた。
「ちなみに上から83、55、82よ。身長の関係で神北さんを僅差で抜いて総合2位らしいわ」
「それは大丈夫なんですの? ネタバレ的に」
「いくらやってもゲーム中に出てこない情報にネタバレもクソもないわよ。ついでに笹瀬川さんは78、54、81ね」
「ついでで人のスリーサイズを暴露しないでほしいのですけれど……それとなんですの、その無性に癪に障る笑みは」
「余裕の笑みよ」
 一瞬ブチ切れそうになった佐々美だが、寸でのところで理性を働かせることに成功する。おーけい、くーるだ、KOOLになろう。
「……ふ、ふふ。余裕? 二木さん、あなただってそうたいして変わらな」
「数字なんてものに囚われている時点であなたは負けているのよ。実際に見て触ってどうなのか、重要なのはそこ」
「ぐッ……! そ、それはネタバ」
「ああ、大丈夫。既存の立ち絵とCGでも80というにはちょっと大きいかなーって感じだから」
「キィィィィィィィィィッ!!」
「うちの妹なんて、81であの立ち絵よ?」
「キィィィィィィィィィッ!!」
「ああ、でも笹瀬川さんは数字とブツが一致してたわね」
「キィィィィィィィィィッ!!」
「ところで、いつになったら本題に入れるのかしら」
「キィィィィィィィィィッ!!」

「んーっ! んーっ!!」

「さて、今日集まってもらったのは他でもないわ。あの集団……リトルバスターズになし崩し的に属することになってしまった私達だけど」
 一応断っておくと、佐々美や佳奈多がリトルバスターズに参加する類の話は以前から存在しており、これはその手の話である。断じてネタバレではない。仮に実際そうなっていたとしても、それは偶然である。
「一度、私達のポジションというものについて話し合っておくべきだと思ったの」
「なんというか、意外にもまともな提案ですわね……」
 リトルバスターズという集団は、一応草野球チームである。今までは10人(内マネージャー1名)でやってきていたわけだが、ここに新たに3人が加わることでレギュラー争いが生じることになる。
「まあ、わたくしは当然、棗鈴からピッチャーの座を奪うということになるのでしょうね。二木さんは……キャッチャーなんてどうかしら。三枝さんと双子バッテリー。彼女、確か左利きでしたわよね? ちゃんと鍛えれば戦力になるかもしれませんわ。もっとも、わたくしがいる以上控えにしかなりませんけど。おーっほっほっほ!」
「なに? あなた寝ぼけてるの?」
 ハッ、と鼻で笑われる。
 一瞬ブチ切れそうになった佐々美だが、寸でのところで理性を働かせることに成功する。おーけい、くーるだ、くーるびゅーてぃーになろう。
「……ふ、ふふ。寝ぼけている、ですって? これでもわたくし、あなたのことを評価して」
「誰が野球の話なんかしていたのよ」
 あっさりばっさりと斬り捨てられた。
「ポジションって言ったら、ボケとツッコミのことに決まっているじゃない」
 そして然も当然であるかのように言われた。
 これは二木さんなりのボケなのかしら、ツッコんだ方がいいのかしら、などと佐々美が思案しているうちにも、佳奈多は話を進めていく。
「考えてもみなさい。あのリトルバスターズという集団には、バカと確信ボケと天然ボケしかいないのよ? それを今まで、直枝はたった一人で……かわいそうに」
 ボケ9に対してツッコミ1。何かこう、想像することすら恐ろしくなってくる比率である。
「直枝は今、これまで一時も休まずツッコミ続けてきた無理が祟って寝込んでいるわ」
「それはなんというか、まあ……というか、そういう設定なんですの? 縛りがどうとか」
「縛り? 何を言っているのかわからないわね。縛られてるのはそこのソレだけで十分よ」
「んーっ! んーっ!!」
「とにかく。私達は新ヒロインとして、彼になるべく負担をかけないようにするべきだとは思わない?」
「まあ、一理あると言えないこともないですけれど」
 しかし説得力がなかった。今回の佳奈多を見る限り、彼女はどうやっても理樹に負担をかける側なのではなかろうか。しかも自覚もなくこんな集まりを開いているくらいだから間違いなく天然ボケの類である。
 天然ボケ佳奈多。
 佐々美は頭の中で何度かその言葉を繰り返してみる。そこはかとなく新ジャンルの匂いがした。アホの子佳奈多と言い換えるとちょっとかわいいかもしれない。
 すぱぁんっ!
「いたぁっ!?」
 脈絡なく響く快音と、頭のてっぺんを揺らす軽い衝撃。どこから取り出したのか、佳奈多は関西のお土産屋に置いてあるようなでっかいハリセンを携えていた。
「い、いきなりなにするんですの!?」
「何か失礼なことを考えていそうな顔をしていたから、ツッコんだだけよ。これから風紀を乱す者にはこのハリセンでツッコミを入れていこうと思うのだけど、どうかしら」
 理不尽極りなかった。要するにあのハリセンが振るわれるかどうかは佳奈多の機嫌ひとつにかかっているわけで、これはもはや恐怖政治であるとさえいえた。所詮ハリセン、されどハリセン。ツッコミの達人が振るうハリセンは鋼鉄さえも切り裂くという。
「まあそれは冗談だけど」
 そう言って佳奈多は、問題のハリセンをぽーいと放り捨てた。咄嗟にそれを掴み取る佐々美。
「なんでやねーん!」
 すかっ。
 外した。
「……はっ!? わ、わたくしは、今、なにを……!? か、身体が勝手に……まさかこのハリセンには、偉大な芸人の魂が籠められているとでも!?」
 すぱぁんっ!
「いたぁっ!?」
 佳奈多が二本目のハリセンでツッコんでいた。
「はぁ。まったく、人選を間違えたかしらね……というか、もっと他にマシな新ヒロイン候補はいなかったのかしら。杉並さんとかあーちゃん先輩とか……いっそストレルカとヴェルカを擬人化でもしといた方がまだよかったとさえ思えてくるわ」
「く、屈辱ですわ……犬さんより下に見られるなんていたぁっ!?」
 すぱぁんっ! と三度目のツッコミ。
「こ、今度はなんですの!?」
「犬さんっていう言い方がボケっぽかった」
 理不尽だった。

「んーっ! んーっ!!」

「まあとにかく、しっかりしてちょうだい笹瀬川さん。あなたは貴重な戦力なのだから」
 その戦力を潰そうとしているのはどこのどなたかしら、とそれこそツッコミを入れてやりたい気分の佐々美であったが、おおらかな心でスルーしておくことにした。
「というか、このおしとやかなわたくしのどこにツッコミの素養があるというんですのいたぁっ!?」
 すぱぁんっ! と以下略。
「今のがボケでなくてなんだというの?」
「くぅッ……!」
「で、一応質問には答えましょう。あなたのツッコミの素養、それは」
 どうせまた天然ボケなのだろうと佐々美は当たりをつける。ならば、報復のツッコミを入れる絶好のチャンスであった。気取られぬよう、それでいてすぐにでもハリセンを振れるように身構える。
 佳奈多が口を開いた。
「声よ」
 ぱしぃんっ!
「なっ……」
 佐々美のスイングは速く、そして正確だった。にもかかわらず。確かに佳奈多の頭頂部を直撃するはずだったそれは、しかし佳奈多の持つハリセンによって受け止められていた。
「ボケてもいないのにツッコもうとするのはルール違反よ」
「その発言がすでにボケボケですわよっ!」
 一度ハリセンを引き、角度を変えてのもう一打。またも止められる。
「あなたにはツッコミとしての重要な能力が欠けているようだわ」
 ツッコもうとする佐々美と、それを受ける佳奈多。二人のハリセンの応酬は、さながらチャンバラ染みてきていた。
「何がボケであるかを見極める能力。あなたには、それが決定的に欠けている」
「どの口がそれを言うんですのっ!?」
「んーっ! んーっ!!」
 すぱぁんっ!
 二本のハリセンが同時に美(仮)少女の頭部をはたく。
「んんー……きゅう」
 そのまま動かなくなった。
「なんだ、やればできるじゃない」
「思わずやってしまいましたけど、ちょっと不憫ですわね……」

「んーっ! んーっ!!」
 復活はわりと早かった。

(……なんとかしてこのボケ女にツッコミを入れてやらねば、わたくしの面目が丸潰れですわ……!)
 しかし佳奈多は、その理不尽さによって自身の隙をことごとく潰している。彼女にツッコミを入れるのは、並大抵のことではないだろう。ツッコミビギナーの佐々美には、いささか荷が重かった。
(かのツッコミマスター、直枝さんならばどうするのでしょう)
 どういうわけかティーカップを持ち出してきてお茶を楽しみ始めた佳奈多に視線を向ける。ものすごくツッコみたいが、返り討ちに遭うのは佐々美もすでにわかっているので我慢している。
(……ん? 直枝さんといえば……)
 ふと、思いつく。
「二木さん、先ほど直枝さんが寝込んでいるという話がありましたけれど。お見舞いにいかなくてよろしいの?」
 佳奈多はティーカップを置くと、ひとつ溜息をついた。
「なんで私が」
「だって、お付き合いしているのでしょう?」
 佳奈多の言葉を遮って言ってやると、彼女は言葉を詰まらせた。ビンゴである。隙がないのなら作ってしまえ。
「それは……そう、だけど」
 歯切れ悪く答える佳奈多の顔は、よく見ればうっすらと朱に染まっている。二木佳奈多も結局は女の子なのだということがわかって、佐々美は少しばかり微笑ましい気分に浸った。とはいえ、目的は忘れない。
「しかし、アレですわね。直枝さんのような方が相手ですと、些細なことでもツッコまれて窮屈だったりしません?」
 自分がツッコミを入れるのは無理だとしても、この場は佳奈多にボケとしての自覚を持たせるのが雪辱に繋がると佐々美は考えた。とりあえずツッコミ気取りだけはやめさせることができるはずである。
 佳奈多は顔に浮かぶ朱の色を先ほどより濃くしつつ、案外素直に答えた。
「別に、窮屈ではないけれど……というか、窮屈なのはむしろ直枝の方じゃないかしら。まあ、確かに些細なことですぐツッコんだりするのはどうにかしてほしいかもね」
「ええい、うるさいですわよっ! あなたにはこの称号がお似合いじゃなくて!?」

 佳奈多は『ボケスタシー』の称号を得た!

「んーっ! んーっ!!」

 おわる。


[No.481] 2008/08/07(Thu) 23:50:04
ふぁみりー (No.478への返信 / 1階層) - ひみつ 10236 byte

「おぐぅぉえっ、っぁ、かはっ!」
 トイレに顔を突っ込むようにして、こみ上げてくるものを吐き出す。涙が一緒にぽたぽたと水面に落ちる。鼻水まで出てぐしゅぐしゅだ。
 今日は髪、お団子にしてきて良かった。家にいるときは大ざっぱにまとめてるだけだから、おとついなんかうっかり水につけてしまってえらいことになった。家ならすぐお風呂で洗えるけど、今日はそうもいかないし。
 いっそのこと切ってしまおうかと思ったけれど、あいつが止めるからしかたなく諦めた。まったく、気軽に言ってくれるな。大変なんだぞこっちは。まあ、どうせあと少ししたら切らなきゃいけないんだから、それまでは付き合ってやろう。
「りんちゃーん、大丈夫?」
 吐き終わってからもまだ少し気持ち悪く、トイレにしがみついたままのあたしの様子を見に、小毬ちゃんがドアから顔を覗かせた。
「うぅ、あたしはもうだめだ。うちの猫とおっとを頼む……ぱたり」
「ふ、ふええ!?り、りんちゃんしっかりして〜っ!」
「あー、ごめん。ウソだ」
 起き上がるのが面倒だからちょっとふざけただけなのに、真に受けてあんまり慌てるものだから、さすがに悪い気がしてすぐに取り消した。
 本当は、もっと小毬ちゃんに意地悪してやるつもりだったけど。
「ひどいよー、りんちゃんっ。すごく心配したよー。でも、本当に駄目なときはすぐに言ってね?もうりんちゃんひとりの身体じゃないんだから。ね?」
「ごめん……」
 トイレから身体を起こしたあたしを、小毬ちゃんはそっと抱きしめてくれる。本気で心配してくれたんだな、と胸が少し痛む。
「こまりちゃん、服よごれる……」
 まだ綺麗にしてない口元が触れそうになって離れようとしたけれど、小毬ちゃんはなかなか離してくれない。
「大丈夫、みんなも、私もついてるから。元気な赤ちゃん、産もうね?」
 赤ちゃん。気が付くとあたしは自由に動く手でおなかをゆっくりなでていた。
「……うん」

 二週間くらい前、急に気持ち悪くなって、吐いた。寄ってくる猫を追い払いながら洗濯物を干していたので、目が回ったんだと思った。今までそんなこと一度もなかったけど。
 次の日は昼ごはんを食べた後。晩ごはんもあまり食べられなかった。心配されたが、おやつの食べ過ぎだということにしておいた。
 その次の日吐いたとき、あたしは耐え切れずに電話した。誰にかけようとかは考えていなかった。ただ、小毬ちゃんの声を聞いて、あたしは声を上げて泣いた。
 少しして、あたしがぐずりながらの説明を終えると、小毬ちゃんは一言「おめでとう」と言った。

 小毬ちゃんに説得されて、その日のうちに産婦人科に行った。正直、くちゃくちゃ恥ずかしかった。診療所に付くまで、周りの人がこっちをえっちぃ目で見てるんじゃないかとか、アホなことを考えてなかなかたどり着けなかった。
 現実味がなかった。とりあえず、信じられなかった。待合室でお腹が大きいひとたちを眺めながら、自分も同じなんだと思えなかった。検査を受けて、自分のお腹の中を映されて、「これが赤ちゃんですよ」と言われても、まだ。
 まあ、もちろんそういうことをしてたわけだし、「子供をつくろう」と言われたし。あたしももちろん欲しいと思って頷いたわけだけど。
 でも、これが大きくなってひとの形になるなんて信じられるか?しかも生きて動くんだぞ?子供なんだぞ?
 ……まあ、小毬ちゃんに電話したとき、ほんとうは自分でも解ってはいたんだ。

 病院を出て、あたしは真っ直ぐ帰らずに小毬ちゃんの家に行った。小さな庭のある二階建ての家。小毬ちゃんの家に行くのは卒業して以来だけど、変わったのは花壇に植えられた花の種類くらいだ。
 インターホンを押してから、小毬ちゃんが出てくるまでの間、あたしは妙にどきどきしていた。、だって、小毬ちゃんとはあたしが結婚してから会っていなかったから。一年以上会っていなかった。電話やメールはしていたから会っていたつもりになっていたけれど。
 自分の格好を確かめる。いちおうお出かけ用の格好だから変じゃないと思う。見た目はあまり変わっていないから、久しぶりでもわからなかったりはしないだろう。小毬ちゃんはどうだろう。変わってないといいな。そんなことを考えていたあたしの頭は、ドアの開く音で元に戻った。
「いらっしゃい、りんちゃん!」
 一年ぶりに会った小毬ちゃんは、
「……太った?」
「がーんっ!?」

 話はほとんどあたしの身体のことに終始した。今の時期気をつけたほうがいいこと。つわりがひどいときにどうしたらいいか。小毬ちゃんは詳しく教えてくれ、それで不安は少しやわらいだ。

 その日は、日が暮れる前に小毬ちゃんの家をあとにした。小毬ちゃんとはまた近いうちに会うことにして。家で大事なミッションが待っているから。
 家について、晩ごはんのしたくをする。赤飯を炊こうかと思ったけど、材料がないし、作ったことがないから、おいしくできるかもわからない。今は味見もしたくないので、簡単にできるものですませる。あたしの分はさっぱりりんご味のカップゼリー。しばらくはこんな感じだ。いつか普通の食事ができるようになるんだろうか。
 ……その後のことについては多くはかたるまい。報告はした。喜ばれた。以上!……いーじょーう!っ恥ずかしいんじゃぼけぇ!

 そんなわけで、あたしはまた小毬ちゃんの家に来ているんだが。
「ほわぁっ、り、りんちゃんくすぐったいよっ!」
 あたしは小毬ちゃんに抱きしめられながら、そのお腹を両手でじっくりと撫でていた。
「あたしもこんな風になるんだな。もううごくかな?」
「そうだね、この間からちょっとずつ動いてるよ。昨日なんかものすごく強く蹴られてびっくりしちゃった」
 きっと父親に似たんだな。ああ見えて結構力あるからな。そんなことを考えながら、お腹の中の赤ちゃんが動くまでずっと触っていた。自分がそうなることに、まだ実感はわかない。でも、大丈夫、だ。

「りんちゃん、そろそろ戻ろうか?みんな心配してるだろうし」
「う……わかった」
 恥ずかしいし、もう一つ別の理由もあって、ちょっと戻りづらくはあったけれど、いつまでも小毬ちゃん家のトイレで籠城はできない。小毬ちゃんに手を引かれて居間に戻る。
「あ、おかえりー鈴ちゃん!」
「おかえりなさいですー」
「どうだ、小毬君としっぽりむむふと楽しんできたか?」
「妊婦同士の甘い逢瀬……少しマニアックですね」
 居間でプリンやゼリーをテーブルいっぱいに広げ、どんちゃん騒ぎをしていた連中が一斉にあたしたちを出迎えた。今日は小毬ちゃん主催で、ひさしぶりのおやつパーティを開いているのだ。
 何年ぶりかにあうメンバーもいるのに、変わらず賑やかなやつらに、あたしは少し頭痛を覚える。
「鈴さん鈴さん、もう気分は大丈夫なんですか?良かったら、ういろうなどいかがでしょう?甘さ控えめでつるんと入りますよ?」
「あ、ありがとう」
「このプリンもおいしーよー。へいシェフっ、おっかわりー!」
「うむ、では私は紅茶ををもう一杯いただこうか」
「……漢字で書くと外郎、いえ、なんでもありません。私の分はアイスでお願いします」
 あたしがクドからういろうを受け取っている間に、それぞれ勝手に台所へと注文を飛ばす。すると居間と続きになっている台所から、これまた見覚えのある顔が姿を現した。
「ちょっと皆さん注文が多すぎますわよ!神北さん、ほんとうにこの方たちは皆さん妊婦なんですの!?」
 さささが信じられないのも無理はないと思う。あたしだって信じられん。だがみんなのお腹を見れば、それが冗談ではないことがすぐにわかる。
 一番お腹が大きいのは来ケ谷。もう九ヶ月目に入ったらしい。長かった黒髪も今は短く切ってしまっている。次は葉留佳で七ヶ月目。美魚は六ヶ月に入ったばかりらしいが、元が細いせいか葉留佳と同じくらいに見える。それからクド。まだお腹はへこんだままだが、それはまだ十週目だからだ。
「クドリャフカ君や鈴君はつわりがあるからともかく、私たちは至って普通に食欲があるからな」
「……個人差はありますが、一般に悪阻は妊娠四週目から十五週目前後、つまり妊娠初期に現れる症状と言われています。私や来ケ谷さん、三枝さんは妊娠中期から後期に入っていますので悪阻で苦しむことはまずありません」
「そーだそ−だーっ、だからじゃんじゃんもってこーいっ!」
「わ、私が手伝いますからどうかここは穏便にーっ」
 騒ぐだけの葉留佳はともかく、理屈でさささがあの二人に勝てるはずがない。かわいそうだがあたしたちのために働いてもらおう、と心の中で手を合わせたそのとき、思わぬ援軍が現れた。
「ちょっとあなたたち、いくら食欲があるからって食べすぎは良くないわよ。太りすぎれば難産になることだってあるんだから。特に葉留佳、あなたは食べ過ぎ。普段からごろごろとろくに動いてもいないんだから、無事に出産したとしても太るわよ?」
 ぴしゃりと封じたのは、前より少し髪が短くなったかなただ。腰に手を当てて、真っ赤な腕章の代わりにエプロンを身に着けた姿が頼もしい。
「それからクドリャフカ、あなたはまだ安定期に入っていないのだから大人しくしていなさい。小毬さん、こちらを手伝ってくれる?」
「うん、わかったよ〜」
 慣れた様子でてきぱきと指示を出していく佳奈多はかっこいいと思う。あいつに爪の垢を飲ませてやりたいくらいだ。
 それにしても、何でこんなことになっているんだ。あたしは集まったみんなを見て、またため息をついてしまう。今日何度目かはもう忘れた。
「どうした、憂い顔もレアで魅力的だが、立ちっぱなしは身体に悪い。まずは座りたまえ」
「にゃっ!?」
 耳元で囁かれ、全身の毛が逆立つ。しかし肩に回された来ケ谷の手からは逃げられず、椅子に座らされてしまった。そしてあたしの周りをみんなが取り囲む。
「……このようなことになって申し訳ないとは思っています。倫理的に許されることではありませんし、何より鈴さんを傷つけるのは火を見るよりも明らかだったのですから」
「うむ、そのことについて、私たちに釈明の余地は無い。どう言い繕ったところで、私たちは自らの欲求を抑えることができなかった、ということに変わりは無いからな」
「まあ、真面目な顔で『僕に家族をつくって欲しい』なんて言われちゃうと、きゅんときちゃうですヨ」
「鈴さんには申しわけありませんけれど、ずっと、ずっと好きでしたし」

 みんなが集まる前、そのことを小毬ちゃんから打ち明けられていた。わけがわからなくて、泣きわめいて、はじめて小毬ちゃんを殴った。
「ごめんね。夢で終わらせることが出来なくて、ごめんね。でも、幸せなんだ」
 非常識なんだろう。普通の人にとっては頭がおかしいとしか思わないだろう。でも、小毬ちゃんの言葉は、あたしの胸のどこか隠れていた穴にすっと落ちたのだ。
 あたしは、結ばれた。それでも、子供を産むのはすごくすごく不安だった。小毬ちゃんがいてくれて、あいつがいるから頑張れる。
 小毬ちゃんはもっと不安だったはずなのに、怖いはずなのに。
 あたし、変だ。

 ……まあ、それが小毬ちゃんに留まらず、こんな大所帯になるとは思っていなかったが。
 小毬ちゃん。クド。葉留佳。来ケ谷。美魚。そして、あたし。
 みんな、少しずつ欠けていて。
「一番悪いのは、あいつだ」
 そうだ。頼りなさそうに見えて、影も薄くて、うっかりすると女の子に間違われてしまうようなやつだけど。欠けたところにぴったり合うでこぼこを、あいつが持っていたから。
「心配するな。あいつにはあたしがきっちりと責任を取らせる」
 たぶん、あいつしかいないわけじゃない。でも、あいつを選んだ。
 六人分、母親こみで十二人。ひとりで養うのは大変だろうが、そんなのはしらん。自業自得だ。みんなで元気な赤ちゃんを産もう。そして、野球チームでもつくろう。
 そう言った直後、みんなにもみくちゃにされた。なぜだ、やめろ、お腹の子にさわるじゃないか!
「ど、どうしたのかなちゃんっ!?」
 台所から小毬ちゃんの悲鳴が聞こえてあたしは解放された。が、すぐに青ざめた顔で佳奈多が台所から飛び出してきて、一目散にトイレに駆け込んでしまったから、何事かと顔を見合わせた。
「う、ぉうえっ!」
 そしてトイレから漏れてきた声に、あたしたちは苦笑いするしかなかった。
「これで十四人か……」
 まあ、がんばれ。死ぬな。……ちょっとは手伝ってやるから。


[No.482] 2008/08/08(Fri) 01:04:45
ガチ魔法少女なつめりん (No.478への返信 / 1階層) - ひみつ 9211byte

 朝、目が覚めたら身体が宙に浮いていた。
「なんじゃこりゃ」
 身体を右によじって下を見る。ベッドがある。左によじる。やっぱりベッドがあった。まだ結んでいないざんばらの髪がふよふよとそこらを舞っている。
「我ながらきしょいな。うん、きしょいぞ」
 大事なことなので二回言いました。
 さて。
 何はともあれ、棗鈴は浮いていた。クラスで浮いているのはなんとなくわかってはいたが、まさか本当に身体の方が浮いてしまうとは。
「わーびっくりだー」
 自分でもびっくりするくらいの棒読みだった。もしかしたらまだ頭が完全に目覚めていないのかもしれないと思った。だとすれば、するべきことはただ一つ。
「おやすみなさい」
 眠たい時は眠るに限る。どこにも接地することのないふわふわ感はやけに眠気を誘った。
「……くかー」
 三秒ももたずに眠りに落ちた。もっさもさの毛を優雅に生やした羊の群れが鈴の周囲をぐるりと囲って仲良くポルカを踊っていた。よく見たらその背には一匹ずつ猫が乗っていて、踊る羊に揺られてにゃおにゃお鳴いている。
「むにゃ……まさとのばかにははもんぺちやらないんだからな……ないたってだめだぞ……」
「寝ぼけるなこの馬鹿妹が!」
「にゃむっ!?」
 後ろ頭をおもくそ叩かれた。なんだやんのかこのやろーと、心の中で猪木風のタンカをきりつつ、空中で器用に身体を回転させて下手人を確認する。
「なんだ馬鹿兄貴か」
「なんだとはなんだ馬鹿妹」
「なんだとはなんだとはなんだ馬鹿兄貴」
「なんだとはなんだとはなんだとはなんだ馬鹿妹」
「なんだとはなんだとはなんだとはなんだとはなんだとはなんだ馬鹿兄貴」
「頑張ったのは認めるけど、お前一回多いからな」
 完全敗北を喫した。頑張りすぎたせいで、呼吸が荒い。
「お前もさ、もう少しでいいから大人になれよ」
「馬鹿兄貴にだけは死んでも言われたくないぞ……ところで馬鹿兄貴、一つ聞いてもいいか」
「ああ、なんでも言ってみろ馬鹿妹」
「なんであたしは浮いてるんだ」
「……それはもしや集団の空気に溶け込めない的な意味でか。そうなら兄としてはちと答えにくいところもあり」
「あたしの今の状態的な意味に決まってるだろ!」
 泣いた。
 泣きながら恭介の頭をぽかぽか殴った。本来なら自慢のハイキックが火を噴く場面だったが、鈴の足は最初から宙に浮いていたため、要するにハイもくそもなかった。
「ふむ、なら簡単だ。ものの一言で済む」
 つまりなにかあたしの浮きっぷりは物理的に浮いてしまうことよりオオゴトなのかと、鈴は若干凹みつつ恭介の言葉を待った。
 恭介はびしりと鈴の鼻先に人差し指を突き付けてこう言った。
「それはお前が……魔法少女だからだへぶらっ!」
 殴った。
 手首がほどよく返ったいいパンチだった。



    彡   彡   彡



 冗談は言わん、と恭介は言った。もしも恭介の言ったことが冗談などではなかったとしたら、それは一言、最悪だった。
「下りたいと願え。集中しろ。そうしたらすぐにでも下りられるはずだ」
 数秒後には下りられた。やってみれば簡単なことだった。その逆もしかり。どうやら昨今の魔法少女は飛ぶのに箒を必要としないようだ。それもう魔法少女というより舞空術だろ、とかなんとか思ったり思わなかったり。
「お前は旅立たなくてはならない。理樹を――救うための旅だ」
 生来の図抜けたかわいらしさが災いし、さらわれてしまった理樹。囚われの理樹はこの世界のどこかで助けを待ち続けている。どうやら、そういうことらしかった。
 ともあれ、鈴は素直に旅立つことにした。恭介や筋肉馬鹿、まーんのためならきっと行かなかったが、理樹ならしょうがない。なぜなら彼は、鈴から見てもやばいくらいに普通で貧弱貧弱ゥだったからだ。
「待ってろ理樹。今あたしが助けてやるからな」
 装備は恭介に整えてもらった。バリアジャケットとかいう薄くてぴらぴらした服に、真っ黒なマントと、杖。
「本当に防御力高いのかこれ」
「当たり前だ!」
 由緒正しき家系の魔法少女が使っていた戦闘服のお古だとか。なんで恭介がそんなものを所持しているのかを追及すると、余計な手間を食われた上、一応たった一人の兄の両手が後ろに回ってしまいそうな気がしたので、自重した。
「で、あたしはこれからどこへ行けばいいんだ」
「そんなもん自分で考えろよと言いたいところだが、それでは話が進みそうにないから、こっちで一応の世界地図を用意させてもらった」
 A3くらいの紙を渡された。恭介は「それじゃ頑張れよ」とだけ言い残して霞のように消えた。正直びびった。
 まぁ、それはいいとして、今は地図だ。鈴はどこかわくわくしながら紙をちゃぶ台の上に広げた。
 どう見てもこの学校の見取り図だった。
「世界、狭いな!」
 当然の突っ込みだった。
 わけもわからないまま見取り図を見ていると、いたる所に赤ペンでしるしがつけてあることに気付いた。このどこかに理樹はいるのだろうか。
「はらみづくしに探していくしかないな」
 正しくはしらみつぶしだったが、突っ込み要員である理樹は囚われの身だ。



    彡   彡   彡



 しるしがつけられていた一つである教室に来た。いつもは自分達が授業を受けている教室である。ぱっと見、何か妙な感じはない。
 そこにいた三人を除いては。
「ふっふっふっ、りーんちゃーん! しょーぶなのですヨ!」
「なのですーっ!」
「あの……お手柔らかに、お願いしますね」
 鈴の目が腐っていたのでなければ、そこにいたのははるか、クド、みおの三人だった。
「なんだお前ら!」
「なんだかんだと聞かれたらっ!」
「答えてやるが世の情けなのですっ!」
「……にゃーんてにゃ」
 フライング気味な上に妙にテンションの低いニャ○スだった。
「どうしても闘わなければならんのか……」
「ふっふっふっ、これも我らが魔王の命令なのだっ! りんちゃん覚悟っ!」
 いつの間にか、はるかの手には新聞紙ブレードが、クドの両脇にはヴェルカ&ストレルカが、そしてみおの背後には科学部部隊がいた。はるかの特攻をきっかけにした一斉攻撃。
「……仕方あるまい」
 短く呟くと、鈴は口の中である呪文を詠唱する。それは装備をもらった時に恭介から教えてもらった数少ない呪文の一つ。
「行くぞ……恨むな、はるか、クド、みお」
 鈴の杖が薄く発光し、辺りに火薬が小さく弾けるような音が響き始める。鈴は、やおら杖を高く掲げ――
「ライ――……ダガ――――――っ!!」
 ――説明しなければなるまいッ!
 ライダガとはライディンとサンダガを掛け合わせた超必殺技と見せ掛けて実は鈴が間違えて覚えてしまっただけというなんとも残念な電撃系攻撃魔法なのだッ! メカ系統の科学部部隊には特に効果は絶大だぞッ!
「あばばばばばば!!」
 電撃の嵐が過ぎ去り、教室には黒焦げパンチパーマと化した三人プラス犬二匹プラスその他大勢の骸が転がっていた。「無念なり〜」だとか「実は俺、美鳥さんの下僕になりたかったんだ……」などという敗者のうめき声が虚しく響くばかりだ。
「悪は滅びた……」
 三十秒ほど、勝利の美酒に酔いしれた後で本来の目的を思い出した。
「おい理樹をどこに隠した? 早く吐かないと、オラオラだっ」
 はるかの胸倉を掴み、問答無用でオラオラオラオラした。星になったはるかの代わりに、クドは小さく「お、屋上なのです……」とだけ言い残し、やがてがくりと意識を失った。

  鈴  ○ − ×  はるか・クド・みお連合軍   【決まり手】 ライダガ(オラオラオラオラ)



    彡   彡   彡



 屋上に出ると、空は既に暮れかけて、太陽が沈んでいく反対側の空ではいくつかの星が小さく輝いている。
 そんな昼と夜の境界線の上に少女は一人立っていた。
「来たんだね……」
 鈴に背を向けたままでこまりは呟いた。
「なんとなくこまりちゃんがいるような気がしてた……」
 こまりはゆっくりと振り向いた。いつもと同じような満面の笑顔があった。そのあまりの変わらなさに、鈴は少したじろいだ。
「理樹を閉じ込めているのは、こまりちゃん……なのか?」
「さぁ、どうなんだろうね」
「理樹は、どこにいるんだ」
「私はなんにも知らないよ」
「どうあっても、答える気はないんだな……?」
「さぁ、どうなのかな」
 それが合図だった。
 アスファルトを蹴って鈴は飛んだ。超低空でまっすぐこまりへと突っ込み、上段に振りかぶった杖をためらいなく振り下ろした。
 だが、空を切る。
 こまりは突っ込んできた鈴をあざ笑うように空を舞い、鈴の頭上でくすくすと楽しそうに笑っている。
「りんちゃん、手を抜いちゃだめ。そんなんじゃ……あっという間に死んじゃうよ?」
「なにぃ……?」
「魔法で来なよ。魔法少女なんでしょ、りんちゃんは……まぁ、どうせ効かないけど、ね」
 そう言うと、こまりはおもむろに服の下に手を突っ込んでごそごそと探り出した。何が来るのか、鈴は身構える。
「来ないなら、私から……行くよ!」
 取り出したそれは、どこからどう見ても絵本(かみきたこまり作)だった。
「…………」
「むかしむかしあるところに――」

 そこから先は涙なしでは語れなかった。
 鈴はこまりの作った話に涙した。
 鼻水も出た。
 うんこも漏ら――してはいなかったが。

「――こうしてみすずは、はるこの腕の中で幸せに空へと旅立っていtt」
「かなしいわぼけーっ!!」
 杖投げた。
 当たった。
 落ちた。

「きゅう〜」

 こうして、鈴とこまりの長い闘いの決着はついた。

  鈴  ○ − ×  こまり    【決まり手】 地球投げ



    彡   彡   彡



 屋上にある給水塔の影を指差してこまりは力尽きた。どうしようか迷ったが、一応持ってたタオルをお腹にかけて近くに置いておいた。
「理樹? いるのか?」
 影に声をかける。
 返事はない。
 だが、誰かがいる。気配を感じる。
「理樹っ! 返事してくれっ! 理樹っ!!」
 影に潜り込んで手を伸ばすと、そこには温かい手があった。
 掴んで力の限りに引っ張る。
 引っ張る。
 引っ張る引っ張る引っ張る!
 すぽんっ!
 間抜けな音を立てて抜けた。勢いで鈴とそれは影から転がり出た。
「理樹っ!」
 大丈夫か、怪我してないか、何かひどいことされてないか、どこか痛いところはないか、何かしてほしいことはないか、腹は減ってないか、喉は渇いてないか、何か話したいことはないか――
 思いが溢れて、零れ落ちた――

「その顔は、何か? 私にやっちゃっていいよとでも言うつもりか鈴君」

 ――くるがやゆいこの上に。

「う、ううううわあああああああああああぁぁぁぁぁぁ―――――――っ!!!」

 叫んだ。




 そして、鈴は目を覚ました。
「ゆ、夢か……」
 深いため息、そして、小鳥のさえずり。
 窓からもれる朝の光だった。

  鈴  × ー ○  ゆいこ   【決まり手】 モシャス











































    彡   彡   彡



 朝のまどろみ、いい感じに惰眠を貪り、さすがにそろそろ起きないとまずいだろうと鈴は布団に手をついた。

 空振った。

「あれ?」

 そしてまた、一日が始まる。


[No.483] 2008/08/08(Fri) 02:12:04
寂寥は熱情の常 (No.478への返信 / 1階層) - ひみつ 8656 byte

「うな〜」
 と、鳴きながら棗鈴は床の上を転がっている。
 狭苦しい室内の一角を占有し、しつこく転がっている。
 その光景に彼女は頭を抱えていた。これが成人女性の姿かと呆れているのだろうが、そんな事を言ったって成人していようが女性だろうが、だらける事はあるものだ。ましてここは鈴の自宅なのだから、少しばかり気の抜けた格好をしていたとしても問題はないだろう。電車の中でメイクを直すのとはわけが違う。
「……酷い状態ですわね」
 それでも、彼女、佐々美はそう口にせずにはいられなかった。
 季節は夏だというのに、室温は寒いほどだった。恐らくエアコンの設定を18度にしているのだろう。ごぅごぅと余りの重労働に悲鳴を上げているようだったが、暴君は知らぬ存ぜぬといった様子で、ベッドから搾取したらしい布団を腕に抱いていた。
 布団を被るくらいなら設定温度を上げれば良いのに、とは思うものの、寒いほどにエアコンを効かせた環境でのそれがどれほど心地よいものなのか知っていた。炬燵に足をつっこみながら食べるアイスのような、ささやかな贅沢だ。
 その気持ちは分かる。確かに気持ちいい。
 だが、大人として、女として如何なものか。
「なつ……ではなく、直枝鈴! 貴女はどれだけだらけているつもりですか!」
「さしすせそーす!」
「さ・さ・せ・が・わ、ささみ! ですわ!」
 最早最初の「さ」しか合っていないし、そもそも字数が違うが、恒例行事なので問題にしない。高校時代から繰り返された噛みネタは、ここ最近に至ってはいよいよネタ切れの様相を呈し、新ジャンルの開拓が望まれる昨今なのであった。
「何時の間に現れたっ!?」
「ちゃんとチャイムを鳴らしましたわ、返事がありましたわ、勝手に入って来いと言われましたわ!!!」
 女一人、余りにも無用心な事に、玄関の鍵は開いていた。
 もちろん、事前に連絡を入れていたので、佐々美のために開けていたのだろう。玄関まで迎えに出て時候だったりお決まりの挨拶をするようなタイプではないし、間柄でもない。あたかも半野良の猫相手のように、勝手に入って来いという態度だ。
 しかし、やはり無用心は無用心だ。
 格好からして酷い。
「相手が分かっているからとは言え、あなたどうしてそんな格好なんですの?」
「ぐちゃぐちゃ涼しいぞ」
「それは分かりますが……」
 そりゃあ、上はタンクトップ、下はショーツのみなら涼しいだろう。しかも若干サイズの大きいタンクトップらしく、ゴロゴロと転がる度に、その艶かしく誘う腋はもちろんの事、なだらかな胸肉の上にぽつりと慎ましく浮かんでいるさくらんぼさえも丸見えだった。
 佐々美は自然と溢れ出す唾を飲み込んでいた。
 彼女の手には近所のスーパーで買ってきた食料品があったが、何故その中に練乳が無いのか、激しく憤った。佐々美がではなく、これを書いている人が憤っている。
 こう、あれですよ。練乳をですね、どぷどぷとぶっかけてですね、舐め回すのです。淡く色付いた胸元に散らばる白濁液を敏感な腋の辺りから舐め上げ、丘陵地帯の周囲をぐるりと一周し、その形を神経に、魂に刻み込むように幾度となくなぞりながらやがて頂点へ。そこに実る薄桃色のエデンの果実は慎重にも丁重に扱うべき国家安寧の至宝であり、震え立つその雄姿に感涙咽び泣き祝賀祝辞の雨霰。金剛となりし一本槍の穂先を押し当てるもまた一興なれど、今はただこの浅ましき口腔にて御身を御隠しする事を望めば、心中の歓喜は三千世界に轟く雷音となりて狂おしく、舌に広がる味は高級ワインさえもどぶ水へと変えるほどであり、何がなんだか分かりませんが、兎にも角にも飛車にも超サイコーなわけであり、ノリノリで書きまくりたい気持ちで一杯だがそれをやっちゃうと流石に引かれそうな今日この頃であれば、いい加減このあたりでやめておこうと思う次第であり、ってか改めて読むとこの文ひでーな、酒ってこえーな、と思う佐々美であった。
「って、私の一人称のように捏造されてますわよ!?」
「お前は何を言ってるんだ?」
「いえ……何か私のキャラクターに対して不当な印象を与える発言があったような気がしたので……あと、ちなみに言っておきますが、料理の『さしすせそ』のそはソースではなくお味噌ですわよ」
「知ってるわボケ! 私だって料理出来るんだからな。理樹も『鈴の料理は独善的だよね♪』って誉めてくれるんだぞ!」
「それ、絶対誉めてませんわよ」
 失笑。普通に料理が出来る事は知っていたので、独創的ではなく、恐らく本当に言葉どおり独善的なのだろう。
「うっさい。愛情てんこ盛りだから良いんだ」
「はいはい、そういう事にしておいてさしあげますわ」
 最初から……付き合い始めた事を知った時からお似合いだとは思っていたが、結婚して数年経つ今でもそれは変わっていないらしい。その事実が無性に嬉しくて佐々美は微笑んだ。
「む〜、じゃあお前は夜の『さしすせそ』は知ってるか?」
「は? ええ、夜っ!?」
 顔を真っ赤にする佐々美さん。ささみ可愛いよ、ささみ!
「そ、そんなの、知ってるわけないでしょう、はしたない!」
 ウブでオボコな彼女にはまだ早かったらしい。
 だがそれでも興味津々な佐々美さん。ささみ超可愛いよ、ささみ!!
「『最近ご無沙汰だね』『仕方ないわよ、忙しいから』『直ぐに済ませるからどうだい?』『セック○!セッ○ス!』『この早漏!』だ」
「最後『こ』から始まってますわよ!?」
 つっこむの、そこなんだ?
 無数の突っ込みポイントから、どうやら一番無難そうなのを選んだらしい。
「ちなみに理樹は早漏じゃないぞ!」
「知りません聞いてませんっ!」
「理樹はテクニシャンだからな。さらだみっくすなんて一ころだ」
 たぶん、笹瀬川佐々美さんの事だろう。
 鈴は自慢げに何度も頷いて、それから思い出したように唇を尖らせた。
「……なんかお前と理樹がしてるのを想像したら腹立ってきた」
 言葉は厳しいものだったが、口調も表情も、今にも泣き出しそうだった。
 彼女の事だ、きっと本当に想像してしまったのだろう。
「安心してください。そんな事、あり得ませんわ」
「なんだと! 理樹に魅力がないって言いたいのかっ」
「違いますわよ! ああ、もう面倒くさいですわね!」
 高校時代ならそのままバトルに入っていそうな空気だったが、今の彼女達にはその意思は無かった。怒鳴りあい、時には罵りあいながらも、それ以上に傷つけ合う事はない。
 自然と、怒りは収縮し佐々美は笑っていた。
 苦笑。相手の事がよく見えるからだった。
「これは、本格的に情緒不安定ですわね」
「二日目だからだ」
「それはご愁傷さまですわ」
 二日目なのが本当かどうか、佐々美には知りようがなかったが、原因が別にある事は知っていた。そしてそちらの方は二日目どころか、今日で一週間になる事も。
「旦那様が出張だからって、そこまで落ち込む事もないでしょうに」
「別に落ち込んでない。こうやって自由を満喫してるぞ」
「確かに……少々自由すぎる気はしますが」
「夫の不在を満喫するのは妻の特権だからな!」
 いったい何処で仕入れてきた知識なのか。
 しかし、それにしたって満喫している自由がこれでは余りにも情けない。
 不貞を働くような性格でない事は分かっていたが、一人きり自宅に篭っている姿は滑稽でさえあった。
「誰かを誘って旅行にでも行けば良いでしょう」
「理樹が居ないんじゃつまんない」
「では、スポーツはどうですの? 運動して汗を流せばすっきりしますわよ」
「理樹との運動ですっきりしたい」
「何か趣味でも持ってみたらどうです? お茶でもお花でも。ああ、刺繍とかいいですわね」
「趣味は理樹と一緒に居る事」
 布団を頭から被り再びごろごろと転がり始めた鈴の姿に、流石の佐々美も「これは、重症ですわね」と匙を投げるしかなかった。諦めて台所へと向かい、買ってきたものを冷蔵庫に入れる。
 何時の間にやら勝手知ったる他人の家になってしまっていた。勝手に冷蔵庫を開けることに抵抗はなく、その中身から食生活を推測できるほどになっている。何がどうなってこれほど親しくなったのか、これほど長い付き合いになったのか分からないが、不思議なほど悪い気分ではなかった。恐らく『ここ』が余りにも心地良い場所だったからだろう。
 冷蔵庫の片隅に置かれている『絶倫無双 サソリ』の存在を軽くスルーしつつ、食材を確認してみるが案の定悲惨な状態だった。
「やっぱり、まともに食べてないようですわね」
「……う〜」
「仕方の無い人ですわね。良いです、今日は私がご馳走してさしあげますわ」
 最初からそのつもりだった。
「サドルたかすぎ」
「……って、もしかして私の事ですか!? せめて名詞にしていただけませんこと!?」
 よく自分の名前だと気づけた事に、言った本人さえも驚きつつ、鈴は言葉を続けた。
「……ありがと、う」
 声は小さく擦れていて、何処まで届いたのかは分からない。不思議そうに振り返った佐々美の表情からは、恐らく届かなかったのだろうが、彼女の場合届いていたとしても同じ顔をするだろう。
 だから鈴は構わず次の言葉を吐き出した。
「やっぱり、私は誰かが居ないと駄目だ。理樹が居ないと、生きていけないんだ」
 声には明らかな自虐の色が含まれていた。彼女も彼女なりに今の自分の姿が情けないと感じていた。甘えている、依存している。分かっていても自立できない自分が悔しかった。
 けれど佐々美は、
「それって、そんなに悪い事でしょうか?」
「え……?」
「好きな人に傍に居て欲しい。そう思うのは当然の事で、居ないと寂しく思うのも当たり前だと思いますけど?」
 他者から見れば滑稽に思えるほど、無様にも思えるほど。
 自分から見ても滑稽で情けなく思えるほど。
「けど、それが本気で人を愛するという事でしょう。他の何も見えなくなって興味もなくなって、その人が居ないと何もできなくなるくらいの感情は、私は綺麗だと思いますわ」
「…………」
「ま、まぁ、確かに今の貴女は間抜けでしょうけどね」
 そう言い捨てて、佐々美は背を向けた。その頬は真っ赤に染まっている。いったい何を口にしているのやら、改めて考えると非常に恥ずかしかった。ただ、本当にそう思ったのだから仕方が無い。
 それに、
「ありがとう」
 背中に届いた声が暖かかったのだから、彼女は満足だった。




 



























 

「でもお前、肝心の相手は見つかったのか?」
「うううううううううううわわわあああああああああああああああんっ!」


[No.484] 2008/08/08(Fri) 16:09:14
彼が居ないと (No.478への返信 / 1階層) - ひみつ 10233byte

 授業が終わるチャイムを聞き、重い身体を起こす。
 黒板にはモーメントやら摩擦係数といった見覚えのない単語がずらっと並んでいた。教卓の教師が畳み掛けるように授業の要点を口早に説明するが、俺にはさっぱり分からない。
 ふと、隣の席に違和感を覚えて目を向ける。
 いつも其処に座っていた親友の姿がなかった。
 寝ぼけた頭では疑問符しか浮かばなかったが、徐々に覚醒していくと共にはっきりと状況を理解する。

 ああ、そうか。
 お前は今、此処にはいないんだな…

 理樹…



 彼が居ないと



 3年に上がった俺たちは、理樹を新リーダーとした新生リトルバスターズとして駆け出していた。理樹は恭介のようにはいかないが、時には楽しく、時には突っ込みながら俺たちを上手く引っ張ってくれている。
 しかし1週間前、その理樹が突然旅に出ると言い出した。理由は聞かずとも恭介絡みだというのは簡単に予想できた。学園側には地方の大学見学と伝えてあって、旅はそのついでらしい。
 別にそこまで恭介に拘る必要はないとは思ったが、理樹がそう決めたなら口出しするつもりはなかった。
 そして俺は、理樹がいない間バスターズのリーダー代理を引き受けることにした、
って。
 「うおおおぉぉぉっ!!忘れてたぁぁぁっ!!」
 「うるさいわよ井ノ原。教室では静かにしなさい」
 頭を抱える俺の傍に二木がやってきた。
 そういえば3年に上がる際、コイツや三枝も同じクラスになっていた。噂では恭介と寮長の学園最後の計らいだとか聞いているが、本当のところは誰も知らない。
 「んだよ二木。俺は今大事な事を思い出したんだよ!」
 「そう。ならついでにこっちも思い出してほしいわね」
 そう言いながら黒い長方形の物を差し出される。
 「なんだこれ?」
 「見て分からない?学級日誌よ。あなた日直でしょう。今朝の仕事は忘れてたみたいだけど」
 「えぇっ、マジかよ。じゃあ、もう一人の奴は?」
 すると二木は苦いものでも噛み潰したかのように顔を顰める。
 え?俺なんか悪い事でも言ったか?
 「…もう一人は理樹よ。といっても、今はいないけどね。まったく…」
 何処ほっつき歩いてるのかしら、と文句を呟いているがその表情は何処か寂しそうにも見えた。
 だが、俺は敢えて口には出さず別の話題を振る事にした。
 「そういやお前、いつの間にか理樹の事名前で呼んでるよな。もしかして付き合ってんのか?」
 「っ!!?」
 先程まで騒がしかった教室がシン、と静まり返る。
 慌てふためく二木と、笑い声を上げる俺を残して。
 え?また俺なんか悪い事でも言ったか?冗談だってのに。
 俺と二木を見てひそひそと話すクラスの連中。所々、本気で言ってるのかとか、マジで気付いてなくねとか、流石は筋肉だぜとか聞こえる。ありがとよ。
 「…井ノ原」
 「なんだよ?って、こえええぇぇぇっ!!」
 真っ赤な顔に浮かべられた邪悪な微笑み。加えて浮かび上がった青筋がぴくぴくと痙攣を起こしていた。初めて見る二木の器用な表情が更に恐怖を加速させる。こいつは…来ヶ谷に匹敵する恐ろしさだ!
 「な・に・か言った?」
 「ひいいいぃぃぃっ!!!」
 俺は力の限り、首を横に振る。そうしなければいけないと俺の中の筋肉が警報を鳴らしていた。
 それを見た二木は、ふぅ、と息をつく。
 「それじゃ日誌を書いたら教室の隅にあるダンボール箱を資料室まで運んでちょうだいあと教室の備品が幾つか足りないから帰りに購買で買ってきて領収書忘れずに貰ってくるのよその後で空き教室にある修復できそうにない机と椅子を校舎裏まで運んでおいてついでに旧家具部の廃棄予定の家具も一緒に運んでくれると助かるわそれから」
 「おい待てよ!そんな一遍に言われても分かんねぇよ!つーかそれ日直の仕事じゃないだろ!」
 俺の反論にも、あら、と不敵に笑って受け流す。
 「理樹なら手伝ってくれるわよ?女の子に力仕事はさせられないって」
 「なにっ?マジか」
 「今はあなたが彼の代理なんでしょう?だから頼んでる訳だけど」
 ダメなら仕方ないわね、とわざとらしく肩を竦める。
 そうだ、今の俺は理樹の代わりだ。
 こんな事で理樹の名前に傷をつけたら理樹に顔向けできねぇ。
 「おっしゃあ!任せとけ!」
 「あ、ちょっと井ノ原!」
 最後に二木が何か言ったような気がしたが、俺は構わず教室を飛び出した。


 ☆ ☆ ☆


 そして、放課後。
 「よしっ!全部終わったぜ!」
 「…まさか本当に全部やるとは思わなかったわ」
 「え?」
 「何でもないわ。ご苦労様」
 俺は呆然としたまま去っていく二木の背中を見ていた。
 何だ?言われた通りにやったってのに。

げしっ!

 何者かに背中を蹴られて首を傾げたまま前につんのめる。
 「痛っ!何しやがるてめえっ!」
 勢いよく振り返ると、そこには幼馴染の一人、鈴の姿が。
 背中を蹴った張本人は謝る様子もなく、寧ろ両腕を組んで偉そうにふんぞり返っている。
 「フン、さっさと行くぞこの馬鹿」
 「あん?行くって何処に?」
 「練習に決まってるだろ、このボケーっ!!」

 バキィッ!!

 間髪入れずに鈴の見事なハイキックが俺の頭に命中する。こんな事考えられる余裕があるからダメージは大したことはない。だが、最近少しだけ女らしくなったと思っていた矢先にこれでは幼馴染みとして少し悲しかった。
 2度も蹴っておきながら悪びれる様子を1ミリも見せない目の前の幼馴染は組んでいた両手を腰に当て俺を睨み上げた。
 「今日は理樹の代わりにお前がバッターやるんだろ」
 「お、そういやそうだった」
 そうだ。今日の俺は理樹の役目を果たさなければならない。
 こんな事で理樹の顔に泥を塗るような真似したら理樹に申し訳がねぇ。
 そうと決まればこんな所でぐずぐずしてられねぇ!
 「おっしゃあ!行くぞ鈴!」
 「ふにゃっ!?」
 俺は急がんとばかりに鈴の手を取って周りの迷惑を顧みず廊下を走り出した。
 「触るなボケーっ!!」
 バキィッ!!
 本日3度目のキックを頂きました!


 ☆ ☆ ☆


 グラウンドにはもう既に他のメンバーが集まっていた。
 皆思い思いのポジションで素振りしたりキャッチボールしたりお茶したりしている。
 「って、バラバラじゃねーか。結束も何もねーじゃんか」
 「うっさい、お前が理樹の代わりにまとめろ」
 そうだった。今の俺は理樹の代役だった、いや、寧ろ今の俺は理樹そのものだと言っても過言じゃない。ここは一つ、理樹っぽく声を掛けた方がベストだろう。
 そう思った俺はバッターボックスに立ってグラウンドのメンバーに声を掛けた。
 「みんなー!しまっていこー!(理樹の真似)」
 「キショいわボケーっ!!」 
 「真・ライジングニャットボールっ!?」
 力学を完全に無視した超高速のストレートが鈍い音を立てながら俺の脇腹に突き刺さった。跳ね返らずに刺さったボールの衝撃が全て筋肉に伝えられ、激痛のあまりその場に崩れ落ちる。しかし、犯人はうずくまる俺を無様だと言わんばかりにマウンドから見下ろしていた。
 「馬鹿やってるお前が悪いんだ」
 「ちっ、分あったよ。さあ来い、鈴!」
 ジーパンに付いた土を払い、バットを構えて仕切り直す。
 今度は鈴もしっかりとボールを投げてくれた。
 俺はそのままバットを豪快にフルスイング。

 カッキーン!!

 高い快音を響かせながらボールは空に吸い込まれるようにぐんぐんと伸びていく。
 一同はそれを目で追っていたがふと物陰、校舎の向こう側へと消えて見えなくなった。
 綺麗なアーチを描いた特大ホームランに我ながら感服する。
 「へっ、俺の筋肉に掛かればざっとこんなもんよ」
 「飛ばしすぎじゃボケーっ!!」
 「はりゃほれうまうーっ!!?」
 またしても鈴の殺人級ストレートが俺の脇腹に深々と突き刺さった。
 筋肉が衝撃を全て吸収してしまっている分、ずきずきと痛む。
 「拾ってこい」
 「はい…」
 俺は脇腹を押さえながら言われるままに校舎裏へと消えたボールを捜しに行った。

 その後も5球に1球くらいのペースで特大アーチが飛び出し、その度にメジャーもびっくりな超剛速球のデッドボールを浴びてボールを捜すというパターンを日が暮れるまで繰り返した。


 ☆ ☆ ☆


 夜。
 風呂に入るついでに身体を確かめてみたが何処にもボールの痣は見当たらなかった。あれだけ食らったからもしやと思ったが、俺の筋肉にしてみれば要らない心配だったようだ。
 風呂から上がった俺はベランダから流れ込む冷えた風を受けながら部屋を見渡す。あまり広いとは言えない部屋が今日は少しだけ広がって見えた。
 いつものように少し鬱陶しそうにしながらも笑ってくれるルームメイトの姿が今はない。たったそれだけの、世界からすれば小さな変化が俺の中では寂しさを大きく募らせる。
 ふと、理樹が恭介が居なくなって少し寂しいと言っていたのを思い出した。その時、俺は元気付けようと豪快に笑い飛ばしてやった筈だ。
 「へへっ、なんだよ…理樹のこと、ちっとも笑えねぇじゃねーか…」
 もしこの場に恭介や謙吾が居たら、こんな俺を笑い飛ばしてくれるだろうか。多分、そうするだろうなと思う。俺にとってもあいつらにとっても理樹という存在はとても大きなものに違いないから。
 「さて、筋トレでもすっか!」
 しんみりとした空気は苦手だ。
 それにまだ理樹の代わりは終わった訳ではない。そう自分に言い聞かせてスクワットの体勢に入る。
 と、その時。
 バタン!と大きな音を立てて部屋のドアが開かれた。
 一瞬、理樹が帰ってきた、と期待したが、それは所詮一瞬であった。
 部屋に入ってきたのは道着にお手製のリトバスジャンパーと相変わらず訳の分からない格好をした謙吾だった。
 その両手にはボードゲームやトランプ、あおひげ等のおもちゃが大量に抱えられていた。
 「真人、遊ぶぞ!」
 「おいおい、お前それ何処から持ってきたんだよ?」
 「ん、これか?恭介が卒業する時に貰ったヤツだ。最近使ってなかったからな。偶にはこういうのもいいだろう」
 「いや、あんまりそういう気分じゃないんだが…」
 そう言った俺の顔を謙吾は不思議そうにじっと見つめる。
 何だか謙吾にじっと見られるのは正直気色悪い。
 「今日は真人が理樹の代わりに遊んでくれると聞いたんだが…気分が乗らないなら致し方ないか」
 謙吾は寂しそうに肩を落としてドアノブに手を掛けた。
 しまった。今の俺は理樹の影武者を立派に演じなければいけないのだ。
 ここで謙吾を帰らせれば理樹に汚名を着せることになってしまう。それだけは避けなくてはならない。
 俺は咄嗟に謙吾の肩を掴んでいた。
 「謙吾、一緒に遊ぼうよ(理樹の真似)」
 「真人…」
 「違うよ謙吾。僕だよ、理樹だよ(理樹の真似)」
 「え、真人じゃないのか?」
 「うん。まあ、とりあえず座ってよ(理樹の真似)」
 「ああ!まさ、いや理樹!」
 互いに向き合って座ると謙吾が山積みに置かれたおもちゃの中から人生ゲームを取り出した。
 「よし、まずはこれだ」
 「え?人生ゲームって二人でやんのかよ?」
 「どうした理樹?何だか真人みたいだぞ」
 「いやいやいや、そんな事ないよ(理樹の真似)」
 「まあ、偶には二人でやるのもいいと思ってな」
 「えぇー」
 思わず不満の声を上げるが、謙吾が気付く様子はない。
こうして俺と謙吾、二人だけのゲーム大会が始まった。


  ☆ ☆ ☆


 カチコチカチコチ。
 普段は全く気にしない秒針の進む音が耳の奥に響いてくる。見れば時間は既に1時を回っていた。 
ハードな練習(主に死球)の所為で体力的にも精神的にも限界が来ていた。
 ぶっちゃけ眠い…
 早く謙吾の野郎を追っ払っちまおう。勿論、理樹の真似を忘れずに。
 「ね、ねぇ謙吾…そろそろ終わりにしない?(理樹の真似)」
 「え?まだまだ夜はこれからだろう。だらしないぞ理樹」
 ゲームが進むに連れてテンションが上がっていく謙吾。いつもなら強引に打ち切る所だが、今は理樹の分身である以上そういう訳にもいかない。まだ半分しか崩されてないおもちゃの山に目をやり思わず溜め息を吐いた。こうなったら謙吾が飽きるまでとことん付き合ってやる。



 だがその前に、これくらいは許されるだろう。



 『うおおぉーっ!!理樹ぃー、早く帰ってきてくれぇーっ!!』

 開け放たれたベランダから俺の叫びが夜の男子寮に木霊した。 


[No.485] 2008/08/08(Fri) 19:25:47
とある夜 2852byte (No.478への返信 / 1階層) - ひみつ@初

 体の痛みで恭介は目を覚ました。ここ三月で見慣れた真っ白な天井が視界に映る。清潔感のあるそれはなんとなく居心地が悪く寝返りをうって視界の外に追いやった。
 病室には花束やらの見舞いの品で溢れている。夏休み中は一日とおかず誰かしら訪ねて置いていくため不釣り合いな生活感が漂い始めている。とはいえ真夜中のこの時間は誰もいないため病院内は静かなものだ。

「しまったな」

 昼間眠りすぎたと冷静に判断する。それなりに体の自由がきくようになったとはいえ一日の大半をベットの上で過ごしている。そのため気がつくと眠りに落ちているというサイクルが確立し、睡眠は十分すぎるほどだ。普段ならなんということのない痛みに覚醒したのもそのためだ。

「何よりの問題はすることがないってことか」

 もう一度眠ろうにも目は冴えていくばかり。退屈を紛らわすために積み重ねたマンガも全て読み終わっている。消灯を過ぎた時間に明かりがついていれば巡回の看護士に気付かれるおそれもある。リスクを負ってまで読むほどではない。
 そんなとき恭介が思い出すのは自分たちが作りだしたあの「世界」のことだった。

「ただの夢、なわけないよな」

 見舞いにきた他のリトルバスターズのメンバーにそれとなく話を向けてみたがはっきり記憶している者はいない。ただ曖昧な夢のように思っているようだった。もっとも来ヶ谷だけは何一つ語ろうとしなかった。
あの世界の中心だったのは自分なのだろうと思う。確かにあれは「存在」した世界なのだ。

「でなきゃ理樹の変わりっぷりは説明がつかないからな」

 初めて病室を訪れた理樹を見た瞬間あの「世界」が在ったことを確信した。ずっと自分たちが守っていくのだと思っていたかわいい弟分は立派な男になっていた。隣にたたずむ鈴を「彼女だ」と紹介されたときは心から祝福したと同時に一抹の寂しさを覚えたものだ。
 鈴も仏頂面に顔を背けていたが(恥ずかしさを隠すためだろう。頬が真っ赤だったのだから)はっきりと付き合いだしたことを報告してきた。
 ずっとそうなればと願っていた。時に冷徹に鈴の心を裂くような真似をした。理樹の心を弄びもした。それを後悔し自分の殻にも閉じこもった。
 だが二人はそんな恭介の試練にくじけることなく笑顔で二学期を迎えた。あの悲惨な事故にすら感謝したくなるほどの情景に恭介は深く安堵していた。
 となると、恭介の次の思考は当然退院してからのことだ。漏れ伝わるところによるとリトルバスターズの面々も日常に退屈しているらしい。

「全く。今やリトルバスターズは理樹のチームだってのにな」

 当の本人にはそんな自覚はないのだろう。まだまだ目が離せない。もちろん恭介にとってそれは喜ばしいことだ。

「快気祝いにパーッといきたいな。できるだけ大きなことが……」

 そう、例えばケチのついた修学旅行のやり直しなんかどうだ? 夏休みは終わってしまったが構うか。入院中全く進んでない就活? 忘れたなそんなものは。
 何気ない思いつきは最高のアイディアに思えた。メンバー全員でいくならいっそ車だ。レンタカーなら安く上がるし、ならば残りの入院期間中に免許をとっておくか。初ドライブで遠出になるがそんなスリルだってあいつらとなら最高のスパイスだ。

「地獄への片道切符ってか? シャレにならんが付き合ってもらうか」

 最高の夏休みを迎えられそうだと、いたずらを思いついた子供のような笑顔を浮かべ日の出を待った。


[No.486] 2008/08/08(Fri) 22:34:32
円舞曲 (No.478への返信 / 1階層) - ひみつ 5331 byte

円舞曲



 生意気盛りの子猫、年老いて動きのゆったりした猫、餌を食べ過ぎて丸々とした猫、逆にあまり餌を食べられずにやせっぽちの猫。鈴の周りに集まる猫は多種多様で、小さな猫の動物園みたいだ。
 陽気に誘われて一匹の猫があくびをすると、ドミノ倒しのように辺りへと広がって、ちょっとしたコーラスになる。さらに気持ちの良い場所を探して横になる猫たち。その中でも要領のいい猫が鈴の膝元へとたどり着くことができる。甘えた仕草で顔を擦り付けてくる猫の愛らしさにも関わらず、鈴の表情は一向に浮かない様子である。
「つまらない」
 ぼそっと呟きつつ、手にした猫じゃらしを振り回す。目敏く反応した一匹の猫がぱっと伸び上がり、両手ではっしと先を掴んだ。鈴の手を離れたそれは、格好の猫たちのおもちゃとなり、先ほどまで長いあくびをしていたものまで加わって大きな騒ぎへと発展する。
「ふん」
 ほんの少し前まで、鈴の周りには人が集まっていた。ひとりずつリトルバスターズのメンバーが、鈴の知らない時もあったが加わっていた。大勢の中に溶け込んでいくのは苦手ではあったが、徐々にそんな関係に慣れてきていた。自分から声をかけたわけではないのに、みんな鈴に対して優しかった。でも、短い期間で結ばれた関係は、また離れていくのも早い。
 そのきっかけになった人物が。
「理樹……」
 ずっとずっと一緒だった。一般的に言えばおさななじみ、でもそんな一言では片付けられないくらいぎゅっと濃縮された思い出が詰まっている。性別を越えて生活を共にしていた理樹がどこか遠くなってしまった、ようやく鈴は感じ取ることができた。
 目の前で遊ぶ猫の集団。いくつもの出会いと別れがあった。そのたびに悲しい思いもしたし、うれしいこともたくさん経験した。
 でも今抱いている感情はそれとはどこか違う、鈴の思考は答えを求めていた。
「ここにいたのか」
「恭介か」
 神出鬼没が服を着て歩いている人物。自分の兄でありながら鈴はなんとなく距離を感じている。様々な経験を積み重ねても、まだこの人物がよく分からないと鈴は思う。よく、馬鹿と鈴が切って捨てるが、そんな言葉では推し量れないと彼をよく知る人物も考えていた。
「ん、理樹じゃなくて残念って顔だな」
「ち、違うわぼけーっ! ちっともあいつのことなんて考えないっ」
「本当にお前は分かりやすいな」
 くつくつと笑う兄から不機嫌そうに目を逸らすと、鈴は足元に広がる猫の楽園に目を向けた。先ほど賞品になったばかりのねこじゃらしがばらばらに分解されて無残な姿を曝している。猫たちはもう用はないとばかりに目もくれないで、別の遊びを探している。
「なあ?」
「なんだ」
「何で言わなかったんだ?」
 ぴくりと鈴の体が震える。
「……そんなこと今更恥ずかしくて言えるもんか」
「でも」
 恭介が一呼吸置く。
「きっと彼女は言ったのだろう? いや、実際に見たわけではないがな。そして理樹もそれに応えただけなんだろうな」
 芝居のように両手を広げて恭介が言う。
「どうして」
「どうして、なんて理屈で答えられるわけなんかじゃない。恋愛なんて答えのないものが積み重なって結ばれていくもんだ。逆にああだから、とか理屈をつけたほうが長続きしないものさ」
「ふん」
 鈴は膝の間に顔を埋めた。ある程度兄の言葉にうなずけるものの、どこか最後の部分で納得していないように。
「まぁ、兄としても残念ではあったな」
「それは慰めているつもりかーっ」
「良かれ悪しけれ、恋愛っていうのは人を成長させるものだ。お前だって、今までは考えないことを考えるようになっただろう?」
「う……ん、そうなのか」
 にゃあにゃあと好き勝手に鳴く猫たち、それは恭介の言葉を肯定してるようでもあり、否定しているようでもある。
「そうではないと困るんだがな」
「は、それはいったい?」
 おかしいと鈴が思った時、
「時間か」
 恭介が空を見上げる。世界の端っこのほうで何かが割れる音が響く。
「俺は、本当に、お前の幸せを祈っているんだぞ」
 苦しげに息をつき、額に汗を浮かべる。なにやらただならぬものを感じた鈴が目を吊り上げて辺りを見回した。
「お、おい」
「茶番か、それもまあいいだろう。こんな世界なんて、な」
 恭介のどこか遠くを映す目が、次第に霞んでいく。あれほど鈴の周りに集まっていた猫はいつのまにかいなくなっている。
「恭介っ」
「その、お前の中で育った感情を大切にしろよ。きっとそれがお前の中で生きてくる」
「何を言ってるんだっ」
 鈴の問いに答える余裕は残されていないようだった。
「俺はなんて酷い人間なんだろう」
 恭介の脳裏に最後に映るのは鈴ではなく、ここではないどこかにいるはずの理樹の隣にいる少女。壁がひび割れてぽろぽろと落ちるように、少女の姿が崩れ落ちていく。
「恭介、いったいどういうことなんだ」
「大丈夫、どうせすぐに忘れてしまうんだ」
 兄として、せめて鈴を不安にさせないように声をかける、これが今できる恭介の全てであった。
「それでも忘れて欲しくはないものはあるんだけどな」
「恭介っ」
 鈴が怯えた表情で手を伸ばす。しかし恭介は動かなかった。
「それは俺の役目じゃないんだよ」
 恭介は未練を振り払うかのように目を閉じた。



 猫の甘える鳴き声と仏頂面の少女。
「また振られたのか」
 やれやれと首を振りながら、恭介は閉じようとする世界に向かって逆らうように歩く。
「肉親の情を優先させる……あいつらにはいくら謝っても償うことはできねえ」
 踏み出していく地面の存在を信じられない。太陽を遮る壁も信じられない。自らの後をついていく影も信じられない。ただひとつ確定しているのは、背中にじりじりとした不吉な風が吹き付けていることだけ。
「間違っているかどうかは分からん、が、俺のやりたいようにさせてもらうぜ」
 決意を揺るがせない証明か、恭介はここではないどこかへと嘯く。周りの風景とコントラストの差が激しく、不自然なほどくっきりと恭介の目に映る。
「もう少しか」
 恭介はさらに一歩踏み出した。初めて向こうが気づいたか、恭介に視線を飛ばす。明らかにその表情から読み取れる感情に、恭介は終わりが近いことを感じ取っていた。
「後始末はできそうにないなぁ」
 恭介の体を大きな影が覆う。それでも、確実に一歩一歩妹へと歩んでいく。
 まだ動けることに感謝をしながら。
「だから、俺の期待に応えてくれよ」
 慈しみに満ちた表情を、本人も気づかないうちに浮かべていた。


[No.487] 2008/08/08(Fri) 23:26:58
兄として思うこと (No.478への返信 / 1階層) - ひみつ 7531 byte

泣いていた。
雨の中、泣いていた。
その腕には、もう動かない子猫。

ここへ来て、何度目の太陽が昇っただろう。
その日、小毬が、俺の大切な妹が、壊れてしまった。

きっかけは、きっと俺。
ずっと笑っていて欲しくて、残した暗示にも似た言葉。
でも、いつか向き合って欲しくて、全てを託した絵本。
苦しめてきた。何度も何度も。

それでも、想いは伝わった。
俺のかけた魔法は解けて、残した宝は汚れてしまったけれど。
俺が本当に望んだものは、確かにそこに残った。

そして俺‘たち’は、現実へ帰ってきた。









とまあ、ここまでが今年に入ってからの出来事。

えーと、その、何だ。

まあ、大事な大事な妹を心配するあまり、俺はずっと見守り続けていたのだけれど。
そんな『作り物の世界』にすら、一緒に行くことが出来た反動なのだろうか。
無事に帰還を果たし、俺の望みが叶った今でも、何故か俺の意識は常に小毬と共にあったりする。

最初は、正直戸惑った。
俺だって、生きていればそこそこの年齢になっている。
それなのに、そんないい大人が妹ベッタリって、それはどうなのよ?
俺ならそんな奴が周りにいたら、引くね。
ちなみに、鏡に映った自分自身がそんな状態でも、確実に引く。
まあ俺、鏡に映らないけど。

小毬にしたって、多感な年頃だ。兄に付きまとわれるのは嫌だろう。
「お兄ちゃん、キモ!寄らないで〜」なんて、俺のかわいい小毬にあんなに可愛らしい口調で言われたら、もうそれだけでお兄ちゃん成仏できちゃうよ。

まあでも、小毬を始め誰の目にも見えてはないようだ。
「だったらもういっそのこと、このまま見守り続ければいいんじゃね?」って結論に達した俺は、今も小毬の中で孤軍奮闘中だ。

現状、差し詰め大きな不安はない。
『神北小毬は今日も元気に、絶好調稼動中!独自の理論、‘幸せスパイラル’で、ただいま大好評、幸せ散布中!』
そんな感じのキャッチコピーが作れそうなほど。
俺のことを思い出しては時々寂しそうな顔をするけれど、もう以前のように壊れてしまうことはない。俺が最期に残した本は、今でも大切にしてくれている。


でもなぁ。
兄ちゃん、最近心配な事があるんだよ。





「おや、おはよう小毬君」
「あっ、おはようゆいちゃん〜」
「だから、ゆいちゃんはやめて欲しいんだが・・・」

来ヶ谷唯湖さんは、俺から見ても最強の女性だと思う。肉体面、精神面、どちらの意味合いにおいても、だ。
だが、小毬だって負けてはいない。この人をたじろがせる事が出来るのは小毬だけだ。
軍人将棋でいうところの‘大将’が来ヶ谷さんなら、‘スパイ’は小毬に相当する。最強である大将を倒せるのはスパイだけなのだ。
まあ、スパイは大将以外には、どの駒にも負けるけどね。

それに肉体面だって、来ヶ谷さんには及ばないが、小毬だって脱ぐとすごいんだぞ。入浴時の目視確認は毎日してるし、結構女らしい身体つきで兄ちゃん安心・・・げふんげふん。

・・・聞かなかったことにしよう。おっけー?おっけー。

「え〜、だって『ゆいちゃん』って呼んだ方がかわいいよ〜」
「何でこだわるんだ、コマリマックスめ」
「ゆいちゃん、って呼ぶと、もっと仲良くなれる気がするからだよ」
「それは気のせいだ。小毬君の世界観では至極最もな事だとしても、一般的な枠からは外れていることが多いのだぞ」
「う〜ん?でも、私が呼びたいんだから、いいよね〜?」
「くっ」

来ヶ谷さんをここまで押すことが出来る人は、小毬を除いてはいないだろう。兄として誇らしい、気がする。いや、どうなんだろう?少し保留にして欲しい。

「そんな、言う事を聞かない小毬君にはお仕置きだな」

背後に回ってくすぐり始める。バタバタと暴れる小毬。
ああ、スカートの中が見えちゃうぞ。今日のピンクの紐のが見えちゃうぞ。
落ち着いてくれ、頼むから。

「ん?」

来ヶ谷さんの手が止まる。何やら、小毬の腰を掴んでいた手をワキワキさせている。
これは、もしかして。

「小毬君、・・・太ったんじゃないか?」
「ほ、ほえぇぇぇぇ!?」

俺の心配事と、ぴったり重なった。







かたん。

女の子にとってはギロチン付きの処刑台にも思えるそれに上がる。
音もなく、無常とも思えるほど淡々と数字は上がっていき、そして。

「ほわぁ!?」

短めの絶叫。直後の一瞬の沈黙。

「見なかったことにしよう」
誰が。
「見られなかったにしよう」
誰に。
「これで、おっけーだね」
何がだ。

「うわぁぁん、無理だよ〜」
端から見てると楽しい人物だ。でも、俺の妹だから笑えない。

ベッドに戻って膝を抱えてしまった。無感情に淡々と呟く言葉。
「何でおなかが減るのかなぁ。生存本能が憎いよ」
それはそれは黒いオーラでした。こんな妹、俺は知らない。
新たな小毬の一面を知れた喜びに、身体はガタガタと震え、涙が止まりませんでした。これは歓喜であって、恐怖ではない。うん、断じてない。と思いたいです。

間食を取るのをやめればいいだけだぞ、小毬。そう思ったのだが、ちょっと待った。俺は今、大変な事に気づいた。
甘いお菓子を食べる ⇒ 幸せ ⇒ 太る、の繰り返しこそが、小毬の提唱する幸せスパイラル論なのではないか。太る、という女性に多大なダメージを与える事項すら取り込んでいそうなこの理論はしかし、小毬にとってのアイデンティティと言っても過言ではない。即ち、太ること自体が小毬だということなのか。周囲に振りまく幸せは、体重増加の種でしかないと言うのか。
何てことだ。どこが幸せなんだ。これを‘裏・幸せスパイラル’と名付けよう。
それでも俺は、この事実をそっと胸にしまいこむ。いつか気づいてくれる。あの絵本のにわとりとたまごのように。
まあ、ぶっちゃけ伝える手段もないしな。

それよりも現状の方が問題だ。そう、色々と。
とりあえず、このままでは食事自体をしなくなってしまいそうな小毬に対して、俺はその晩夢枕に立って、「間食を減らせ」と念仏のように唱え続けておいた。







「お菓子食べないのか?こまりちゃん」
「りんちゃん、わたしダイエットする事にしたの。だからしばらく、甘いお菓子は封印なのです」
「ダイエット?」

翌朝には普通の小毬に戻っていた。良かった、あんなだったら、みんなショックで魂が抜けちゃうよ。
俺はもう抜けてるけど。

無事、俺が刷り込んだダイエット方法をとってくれているようだ。
俺の努力は無駄じゃなかった。夢枕に立つのって、体力使うんだぞ。
あれ?伝える方法あるんじゃね?‘裏・幸せスパイラル’についても。ま、いいけど。



「昨日恭介に聞いてきた。ダイエットは、食事を減らすのと、適度な運動がいいらしい。でも身体壊すなよってこまりちゃんを心配してたぞ」
「ありがと、恭介さんもりんちゃんも。でも、私はやるよ〜」
「じゃあ、あたしも付き合う」
「ホント?ありがと、りんちゃん」

小毬はいい仲間を持ったと思う。いや、あの人柄ゆえ、いい仲間が集まってくるのかもしれないが。
一人では続かない事も、誰かと一緒なら続けられる。ダイエットは、きっと成功するだろう。そんな確信にも似た思いを抱く。
いつか報われた時、太り気味の人を見て、「私は、これだったんだ」って納得してくれればいい。口に出したら失礼だから、心の中でいいけど。



そんなこんなでダイエットは続いていく。



「うん、身体を動かすのって気持ちいいねぇ〜」
「うん、そうだな」

今日も棗鈴さんと一緒にランニング中。
彼女はダイエットが必要な体型には見えない。逆にもう少しふくよかになった方がいいように感じる。どこが、とは言わないけど。
それでも文句もなくついてきてくれるのは、単純に小毬のことを好いていてくれているからだろう。嬉しい事だ。


「あれ?アレ、何だろう?」
「ん?何がだ?」

二人の見つめる先。こちらに向かって歩いてくる人がいた。
でもその人じゃなく、二人の目線はその足元へ。

何だアレ?ピンクの身体がもそもそ動いているのが見える。
って、これをペットとして飼ってる人はあまりいないと思うが。

「かわいいよ〜」

擦り寄っていく小毬。まあ危険はないから大丈夫だろう。
出くわしたのは、まあ何ていうか、うん、ブタだった。

「このブタさん、お姉さんが飼ってるんですか?」
「ううん、非常時の食料ってところかしら」
「ふぇ!?」
「冗談よ。撫でてみる?」

なにやら不穏当な発言が聞き取れた気もするが、基本的にはいい人そうだ。笑顔がそういっている。

「かわいいね〜」

よほど気に入ったのか、一撫で、二撫で、と繰り返す。ブタも気持ちよさそうに目を閉じる。微笑ましいのだが、撫でている動物がアレなので、若干シュールな光景だ。


「ほわぁ!!」

突然上がる叫び声。
何かに気がついたのか、プルプルと小さく震えている。
どうしたんだ、小毬。まさか、また何かが―――







「私は、これだったんだ・・・」







・・・うん、こんな風に引用されるのは、兄ちゃん、すっごく悲しい。
人でないものが対象って、どうなのよ?

能天気にブタが「ぶー」と鳴く。
俺は、ほんの少しだけ泣く。

まあ、こんな些細な事で一喜一憂できるくらい、今日も世界はおおむね平和だ。


[No.488] 2008/08/08(Fri) 23:49:39
七人の直枝理樹 (No.478への返信 / 1階層) - ひみつ 10112 byte

「理樹が風邪をひいた」
 朝のショートホームルームまでの時間、リトルバスターズが集まり今日は何をするのか、と会議することが恒例になっていた。その場で、まさかの真人の衝撃発言である。恭介が卒業し、現在リトルバスターズの実質的リーダーは直枝理樹である。その理樹が今日は風邪をひいて寝込んでしまったらしい。理樹の病状が、あまり芳しくないのはルームメイトの真人、幼馴染の謙吾の表情から察することが出来たので、皆心ここにあらず状態に陥っている。彼らの中で直枝理樹という存在は相当に大きなものになっているようだ。
「こんな時、俺の筋肉はまったくの役立たずだ。俺の筋肉から湧き出る癒しの力を注いだが、何一つ効果は無かった……」
 くそっ、と真人が地面を殴る。自分の不甲斐なさに憤りを感じ、それを外に出さずにはいられなかったようだ。謙吾も同様に学校の柱に頭突きを繰り返している。謙吾の頭より、柱のほうが先にダメになりそうだったので、ヒビが入ったところで、皆が止めに入った。真人も床に穴が開いたところで殴るのをやめた。そして、神妙な面持ちで皆に言った。
「オレは理樹が大好きだ」
 真人が筋肉を奮わせて、何か言い出した。
「俺のほうが好きだ」
 それに謙吾が反論する。なんだか嫌だ。
「きしょいわ、ボケ。そんなこと言ったらあたしのほうが好きだ」
 これまで静観していた鈴も何か言い出した。
「いやいや、私のほうが好きかもしれないデスよ」
 今まで黙っていて、逆にそれが不気味さを醸し出していた葉留佳も完全にノリだけの発言をし出した。
「私も理樹くんのことなら大好きだよ〜」
 小毬がそう言うのは、一同なんとなく分かっていた。
「わたしも、好きです」
 美魚が言うと、なんだかリアリティがありすぎて困る。
「少年のことは嫌いじゃないぞ」
 なんの話か分からなくなってきた。
「リキのことは、その、あの、私だって、うー、す、す、しゅきです!」
 もじもじとした挙句、噛んだ。あまりに一人だけガチ過ぎるクドに対しては、全員無視を決め込んだ。ちょっと触れれない。
 後ろの方で、杉並が私こそが直枝くんのことを一番大好き、愛してるとか叫んでいたが、誰一人聞いていなかった。可哀相な娘だ。
「まあ、俺が一番理樹のことが好きだと言うことにして、とりあえず、今日はお前ら、オレのフォローをしてくれ」
 異論、反論は幾つもあったが、その描写は余りにも醜くかったため割愛させていただく。杉並の命のともし火が消えかけたとだけ言っておく。さて、真人のフォローとは一体どういうことなのだろうか。
「オレは日頃理樹にはお世話になっている。正直、オレなんて、あいつの筋肉の相談に乗ることぐらいしか出来ない、筋肉の申し子だ。筋肉の申し子っていいな。格好いいぜ。今度からオレのことは筋肉の申し子と呼んでくれ」
「話が逸れてるぞ、筋肉の申し子」
「おっといけねぇ。まあ、日頃の恩返しと言うことで、今日の授業は理樹の代わりにオレがあいつとして授業に出ようと思う」
「おい」鈴が頭に疑問符を浮かべながら言う。「この馬鹿は何を言ってるんだ?」
 その言葉に、誰も正確な解答が出来なかった。さっぱり意味が分かりません。
「つまりな、オレが理樹の代わりにアイツとして授業を受ける。理樹の変装をして」
 更に真人は、今日はオレは欠席だ、と哀愁を漂わせていた。
 真人の言葉に一同顔を見合わせて頷く。自分の為すべきことが分かったから。それならば、自分達も協力しよう。お前だけに任せてられるか。順番に授業を理樹の代わりに受ける。それが彼の為になるのならば。だって、理樹のことが大好きだから。なんという友情。なんという自己犠牲。
 直枝理樹は全教科出席しましたが、何か問題でも?作戦が本日8:05を持って発動した。


///


 一時間目は、古典である。
 最初の発言どおり、理樹の席には図体のでかい真人がチンと身体を小さくして座っていた。理樹を演じることに、真人は自信があった。付き合いの長い幼馴染。そして、ルームメイト。理樹の一挙手一投足で、今何を考えているのか感じることが出来る、と思っている。なので、理樹の完コピなんぞお茶の子さいさい、なのである。真人の中では。
 鞄に入れておいたカッターシャツに袖を通し、入学式以来着用することのなかったネクタイを久しぶりに締めようと思ったら、結び方を忘れていたので、そこはクドに結んでもらった。鉢巻もとり、髪型はワックスで七三分けにする。無い頭を使った結果、真面目っぽければ基本的に理樹の思想で七三分けをチョイスした。案外、これだけ変えるだけで、中々に真面目な男に見えなくも無い。バスターズメンバーには拍手を頂いていた。
 これで完璧だ。理樹、お前に病欠という汚点を残さずに済みそうだぜ、と真人は今はベッドで寝ているであろう理樹に心の中でそっと告げた。教師がそろそろ教室に入ってくる。本日、とんでもない筋肉は欠席し、潜在的マッスル直枝は出席しております。さあ、来るなら来い。
 ガラリと扉が開く。真人には自信がある。自分で鏡で見た時、そこには毎日四十時間ほど筋トレをした理樹の姿があった、と見間違えてしまうほどの変身を遂げていたのだから。
 教師が黒板の前に立つ。道具を教卓の上に置き、誰か欠席はいないかと教室を見回す。そこで、真人の存在が目に付いた。凝視する。何かが違う、と。
 真人も見つめ返す。オレが理樹だと言わんばかりに教師の目を穴が開きそうなほどの視線で射抜く。
 教師が何かに気づいた。ポンと手を叩く、古典的な表現をしてくれたので分かりやすい。
「自分の席に戻れ、井ノ原」
 やっぱりダメでした。


///


 授業が終わり、休み時間に入る。
 真人が泣いていた。おいおい、と泣いていた。
「看病も出来ず、更に代わりに出席することも出来ず、オレはなんてどうしようもない筋肉の申し子なんだ!」
 真人の魂の叫びに、皆共感して、誰も隠そうとせずに涙を流したなんて感動的なことは一つも無く、役立たず、死ね、きしょい、筋肉三割カット、インポと口々に罵声を浴びせた。
 そして、「代わりに見本を見せてやる」という声と共に制服の謙吾が現れた。彼は、学校生活のほとんどを胴着で過ごして来た。制服をとにかく拒んだ。サンフランシスコを聖地とする人種にしか見えなくなるからだ。その証拠に、美魚がハアハアと興奮していた。そして、ハアハア興奮した美魚に、ハアハアと来ヶ谷が興奮していた。どうしようもない一方通行の関係がここに成立したことは、割とどうでもいい。


///


 二時間目は英語である。
「宮沢、席に戻れ」
 ですよね。


///


 授業が終わり、休み時間に入っても謙吾は真っ白な灰状態から戻ってこれなかった。彼は授業中もずっとこのように放心状態だった。ただの二酸化炭素とうんこを生成する産業廃棄物生成装置へと成り下がっていた。そんなエコ精神の対極に位置する存在である、謙吾に対して、誰も何も言えなかった。言ったら、ぼろぼろと崩れてしまいそうだから。しかし、一人の人物が立ち上がる。
 姓は来ヶ谷、名は唯湖。呼ぶときは、来ヶ谷さんと呼べと言う硬派な彼女。彼女が盛大に謙吾の顔面に蹴りをぶち込んだ。その攻撃を受けた謙吾は、教室の端の壁までぶっ飛んだ挙句、顔面から突き刺さった。
「お前らに見本を見せてやる」
 そう言うと、男子生徒の一人の制服をひん剥き、教室を出て行った。
 ちなみに、ひん剥かれた生徒の名は相川君と言うそうな。


///


 三時間目は数学である。
「直枝は欠席っと」
 来ヶ谷は、数学の授業には出ない主義なのだ。


///


「やあ」
 清々しい顔をし、右手をシュタっと挙げて来ヶ谷が教室に戻ってきた。男子生徒の制服をひん剥いておきながら、まったくもって格好は平常と変わらずの女子制服である。男子制服は、右手に掴んで持ってきていた。これでは、天国の相川君が浮かばれない。色々とツッコミどころ満載なのだが、誰一人うまくツッコめない。ツッコむ気も無い。こういう場面でこそ、理樹のツッコミがどれほど重要かを身に沁みて感じる。それは置いておいて、現在三時間を過ぎ、誰一人成功したものはいない。それどころか、下手したら理樹の教師の印象はどんどん悪くなっていっている、ただでさえ、リトルバスターズとか言う変態集団のリーダー的存在だと目をつけられているというのに。
 それでもお構い無しに彼らは行動する。名目上、理樹の為なのだから。実際のところ、なんだかおもしろくなってきたというのが本音。
 そして、次の挑戦者が現れた。来ヶ谷の腕から制服を奪取する。
「次ははるちんにまっかせっなさーいっ!」
 不安しかない。


///


 四時間目は、物理である。
「この服超臭い!」
「……」
「あ、センセ、センセ! 僕、直枝理樹だよ! 今日も直枝理樹は元気に授業に出席中だよ! さあ、早く、その出席簿の直枝理樹の欄に丸をつけちゃいなよ!」
「三枝、教室に戻れ」
「あちゃー! バレバレだよ! ていうか、バレないわけ無いじゃん! ずべしっ!」
「うるさいから、さっさと出てけ」
 期待通りの働きをしてくれた。


///


「いやー、なんでバレたんデスかね? 全く持って理解不能なんデスけども」
「葉留佳を回収していきます」
「って、お姉ちゃん!」
 ぺこりと礼儀正しくお辞儀をし、葉留佳の首根っこを掴んでずるずると引きずっていく光景は、なんとも仲睦まじい姉妹の姿に見えるわけが無い。ばいばーい、と手を振る葉留佳は笑顔だ。二人の関係は良好らしい。とんでもなくどうでもいい話だ。可哀相なことに教師達の理樹の評価はどん底の地にまでついているであろうが。
 葉留佳のものすごい失態っぷりに、誰もがテンションも下がり、ぶっちゃけ、これも飽きてきたなという時に真打登場である。
「よう、俺を呼んだか?」
「ぎょうぶげ?」
 いち早くその存在に気づいたのは普通に飯を食っていた真人だった。何故彼が一番初めに気づいたのかというと、彼の正面にもう既に卒業してどっかに就職したとかニートだとか噂の恭介が立っていたからだ。要はたまたまだ。
「お前らじゃ、理樹の代わりは無理だが、俺なら出来る。俺はそれを証明するために来た」
 そもそもなんで、この状況を全てこの人は理解しているのだろうか、という疑問は考えるだけ無駄なので、そこら辺は出来る限り無視の方向で。恭介のほうも、こんなこと言ってるが、ただおもしろそうなことやってるのに、俺だけ仲間はずれとかにすんなよこの野郎、というのが本当の理由だろう。寂しん坊根性丸出しである。
「それに俺には自信がある」
「なんでだ?」
 皆、無視してて可哀相なので心優しい真人が聞いた。
「髪型が少し似ている!」


///


 五時間目は世界史である。
「卒業生は出て行け」
「くっ、無理だったか」
 当然の結果だった。


///


「お前らは本当にダメな奴らだ。ああ、ダメだ。なんてだめな奴らだ。しね」
 撃沈軍団を前にして、鈴がドーンと仁王立ちをして言い放つ。口は悪いが、根も捻くれている。シャイな部分がとてもかわいい棗鈴様。
「お前らに見本を見せてやる」
 誰一人期待していない状況、謙吾なんて鼻を穿って食べてるし、恭介なんて鈴の発言の後に家に帰ったしまった。来ヶ谷は、鈴のナイ乳に興奮していた。本当に仲間? と疑問に思わざるを得ない。
「あたしには自信がある」
「なんでだ?」
 皆、無視してて可哀相なので心優しい真人が聞いた。
「声が少し似ている!」
 チャイムが鳴り響く。最後の授業の始まりだ。まるでリングの上で聞く、最終ラウンドのゴングの音のようだ、と鈴は思った。ボクシングなんてやったことない、と鈴は思った。


///


 六時間目は保健体育である。
「直枝」
「はい」
「直枝は出席と。ん? 棗は欠席か」
 なんでか成功した。


///


 授業が終わりを告げる。それと同時に歓声が上がる。奇跡が起きた。
 気づけば胴上げが始まっていた。今回のヒーローである鈴を、日本シリーズで優勝した監督のように皆で胴上げした。優勝した。あまり出番のなかった小毬、美魚、クドが率先して胴上げをした。
 鈴も、「うわ、落ちる!」とか「怖いわ、やめろ!」等と叫んでいたが、顔は笑顔だった。だって優勝したのだから。
 その後、教師に当然の如くバレて、バスターズ全員お叱りを受けたことは言うまでも無い。


[No.489] 2008/08/08(Fri) 23:55:38
二人、一緒に (No.478への返信 / 1階層) - ひみつ@まったく自重しない

『白鳥は哀しからずやそらの青
 うみのあをにも染まず
 ただよふ』
 


 今日、わたしの物語が、終わりを告げました。




『二人、一緒に』




 どこまでも続く夕焼け空の下、直枝さんと別れると美鳥との想い出がよみがえってきます。
 美鳥は寂しがることなんて、ないっていっていましたがそんなこと、もちろん出来ません。
 一度忘れてしまっていたとはいえ、美鳥との想い出は一度思い出してしまえば本当に色あせていないのですから。
 二人で日がな一日、ひなたぼっこをしたこと。春のやわらかい日差しの下で、二人で眠るのは本当に気持ちよかった。
 二人で何度も、”ごっこ遊び”をしたこと。いつも美鳥は敵役でしたっけ。
 二人で本を読んだこと。”フランダースの犬”の外国版の話や”水”が美鳥のお気に入りの話でしたね。
 二人で物語をつくったこと。わたしは物語なんて、作れないから、お姉ちゃんの書いた話の絵を書くよ、といって書いてくれましたっけ。
 本当に、いろいろなことが、よみがえってきます。
 でも、いつまでも悲しんでいてはいけません。いつまでも想い出におぼれていてはいけません。そんなことをしても美鳥は決して喜びませんから。
 そんなことはわかっているのですが、今日一日、せめて今日一日だけは、あなたとの想い出に浸らせてください。
 それくらい、いいでしょう?ね、美鳥?

 そんなことを考えながら、わたしは自分の部屋の扉を開けました。














「あ、お帰り、お姉ちゃん」


――――――
――――
――




 バタン

 幻覚が見えました。いけません。いえ、幻覚どころが幻聴も聞こえました。
 きっといろいろあって、疲れているのでしょう。
 ずっと一緒だった美鳥との永遠の別れ。いつの間にか好きになっていた理樹とのキス。その理樹と、手をつないですごくドキドキしながら、一緒に帰って。
 ただでさえ、人との付き合いが今まであまりなかったわたしにとって、本当に刺激の強い一日でした。
 だから、幻覚や幻聴の類が現れるのは、きっと仕方のないことなのでしょう。すぅっと、大きく息を吸って、はく。この行動を何度か繰り返します。
 すーーーっ。はーーーっ。すーーー、はーーー。
 よし、今度こそ、きっと幻聴が聞こえることも、幻覚が見えることもないでしょう。
 扉を開けます。
「もう、なんで、いきなりしめるの、お姉ちゃん?おいしいよ、このチーズケーキ、一緒に食べよ?」
「……」
 
 バタン。
 
 いけません、いけません、まだ疲れているようです。
 もういちど、落ち着いて、息を大きく吸って、はいて。
「もう、お姉ちゃん、何をしているの?」
 今度は幻覚がバタン、と扉を開けました。いけません、本当に――。
「幻覚、今見えているのは幻覚……」
「お姉ちゃん、そんな事いうなんて実はあたしのこと、やっぱり嫌いだった?」
「えーーと」
 認めたくないですが、どうやら認めなくてはいけないようです。
「美鳥、なんで、まだいるのですか?」
「むーーーっ、ひどいなぁ、かわいい妹に向かって。また会えたのにうれしくないの?」
 いえ、なんというか、ですね。別れたくはなかったのです、うん。
 うれしいのか、うれしくないのか、といわれればもちろんうれしいのです。
 でも、なんというか、なんといいますか。
 ……この気持ちをなんといったらいいのでしょう?誰か教えてください。



「で、なんでいるのですか?」
 二人で机に座り、美鳥の買ってきたチーズケーキを食べながら、氷の入ったアイスコーヒーを飲みつつ、わたしは美鳥に聞きました。
「美鳥はわたしとひとつになって、消えたはずでしょう?」
 そう、確かにわたしといっしょになって、消えたはずです。美鳥から返された、わたしの影も戻っていましたし、美鳥がいられるわけはないのです。美鳥は――、美鳥の言葉を借りるなら、世界に溶けたのですから。
「影が戻ったって、世界に溶けたって、あたしは存在できるんだよ。だっていったじゃない、”あたしはからっぽ”だって、0はいくらわけたって0だから、あたしが存在していてもおかしくないでしょ?」
 いや、理論的には間違っていないんですけどね、美鳥の言葉にじん、ときたわたしが馬鹿みたいじゃないですか。
「うん、馬鹿だね、っていうかわたしの姉なら雰囲気に流されないで、わたしの言葉をちゃんと聴いてよ」
 ……断言ですか、傷つきます。
「だったらなんで、わたしと理樹の前から消えたのですか?」
 その必要なんて、ないじゃないですか。なんで、わたしの前から消えたのですか。どうして、わたしたちの前から消えたのですか。
「その理由は簡単だよ?お姉ちゃん」
「言ってください」
 じらす美鳥にちょっといらっときながら、わたしは聞きました。
 わたしが聞くと、自信満々の笑みを浮かべて、こういいました。
「理樹くんの気持ちを盛り上げるため!」
 わたしは机に突っ伏しました。わたしにこんな体勢をとらせるあたり、やはり、美鳥はただものではありません
「だって、恋愛を燃え上がらせるためには、強烈な想い出が必要でしょ?ね?」
 必要でしょ?ね?といわれましても。
「しかも現実離れした出来事だから、効果は倍増、さらに倍!だよ!これで落ちない男はいないよ!これでお姉ちゃんは理樹くんとのラブラブな日々をすごせるよ!これでおちないのはドSな大○さんくらいだよ!」
 自信満々でしかも、瞳を爛々と輝かせて言わないでください。
「まぁちょっと盛り上げすぎちゃって、制服のまま海に理樹くんが入っちゃったのは失敗だったけどね、おぼれて死んじゃうじゃない、助けるの大変だったんだから。あたし、せっかくボート用意していたのに」
 そういえば、わたしが海に行くと、ボートがありましたね、理樹は気づかなかったみたいですが。
 どうして、こんなところにボートが用意してあるのか、と思えばそういう理由でしたか。……でもちょっと待ってください。確か用意されていたボートって。
「なぜ、アヒルさんボートだったんですか?」
「理樹くん、それじゃないと運転できないんじゃないかな、とおもったから」
 確かに、直枝さんにとっては体力的に厳しいかもしれません。
 ……想像してみます。
 シリアスな話をしているわたしと美鳥。アヒルさんボートに乗りながら、その会話を聞いている直枝さん。
 ……シュールです。
「そのおかげで、お姉ちゃんの初キッスが人工呼吸になっちゃったのは誤算だったけど、まぁ終わってみればあれでよかったんじゃないかな、って思うな……でもね、お姉ちゃん」
「はい」
 妹の言動に霹靂しつつ、わたしは妹の言葉にうなづきます。
「やっぱりここはもうひとつ強烈な想い出が必要だと思うの、想い出って多いほどいいと思うし」
 はぁ。
 もう、うなづくことしか出来ません。
「だから、穴姉妹になろう!」
 ぶちん、と何かが切れた音がしました。部屋の中がしんと静まり返り、カラン、とアイスコーヒーに入った氷が音をたてました。






「エクスタシー仕様だったら、本当なら今頃、理樹くんがこの部屋にきて、お姉ちゃんとシテいるんだろうけど、全年齢仕様だと普通、そういう展開にはならないだろうから、こうなればあたしみたいに、無理やりお姉ちゃんが理樹くんの部屋におしかけて……え……と、お姉ちゃん?」
「ナンデスカ、ミドリ?」
「……ご、ごめん、ちょっと調子にのりすぎちゃった」
 さっきまでの笑顔はどこへやら、顔を引き攣らせている美鳥。対照的に顔をいきいきとさせてきた美魚。
 もっとも、いきいきとはしているが、その顔は笑っていない。
「ネェ、ミドリ、オネガイガアルンダケドキイテクレルカナ?」
 こく、こく、と美鳥がうなづく。というか拒否権が存在しない。普段怒らない人が怒ると怖い、そのことを身をもって、美鳥は経験していた。
 その答えに満足したのか、美魚はにっこりと微笑んだ。
「だったらまず、この本を読んでください」
「こ、この本って!?」
 美鳥は書かれている内容に思わず目をそむける。
「美鳥にもこの世界の幸せを知ってもらわなければいけません。本当ならこんなこと強要したくはないんですけど」
「だったら強要しない……」
「ナニカイイマシタ?」
「いってません」
「大丈夫ですよ、BLの嫌いな女の子なんていませんから。この世界を理解してくれたら、美鳥には絵をかいてもらいましょう、目指すは○ルーさん兄妹みたいに、わたしは小説、妹は絵をかく姉妹です、うふふ……」


 その後。
 学園の女子すべてを虜にしたBL本が発売したとかしないとか。
 販売主は顔のよく似た二人で、しかも笑顔だったとか。



おわれ。 


[No.490] 2008/08/08(Fri) 23:59:46
野郎どものクリスマス 3700byte (No.478への返信 / 1階層) - ひみつ

「「「かんぱーーーいっっ」」」

 カチンとグラスが打ち鳴らされ黄金色をした『麦茶』が嚥下される。毎年恒例となってるクリスマス会は三つのジョッキグラスの乾杯で幕を開いた。
 ここは学生寮の恭介の部屋。ルームメイトは聖なる今夜すでに彼女と外出済み。向こう三軒両隣も右に同じである。本来風紀を取り締まらなければならない寮長も女子寮長と翌日までしっぽりの予定だという。
 つまりはここにいるのはいわゆる負け犬(アンダードック)な連中である。

「ぷはーっ、この一杯のために生きてる気がするぜ」
「あぁ、全くだ」

 最初の一杯めを一息で空けた恭介と真人は早速と二杯目を注ぎだす。謙吾は半分ほど飲んではいるが飲み方自体はペースが遅い。机に所狭しと並べられたつまみを適当につまんでいる。

「しかし去年はえらく狭かったのにどうして。三人じゃあ少しばかり余裕があるなぁ」
「当然だろう。去年は理樹と鈴もいたのだからな」

 ビールを片手にポテトチップスをバリバリと貪る真人。毎年この日は幼馴染五人が集まって食って飲んで騒いでをやらかすのだが今年は理樹と鈴が不在だった。
 人は日々成長していき人間関係もまた変化していく。やがて五人で集まることはままならなくなるだろうと誰もが思っていた。
まして今日はクリスマス。恭介や謙吾が未だに参加しているのは不可思議極まりない。

「初の不参加は理樹と鈴か。一気に二人も出てくるとは意外だったな」

 恭介のアンニュイな雰囲気は見る女性がいれば「ほぉ」と顔を赤らめそうだ。遠い目をしながら吐いたため息は重々しい。

「全く。ずっと願ってきたことなのに、いざそうなると寂しい気がするんだからな。ままならないもんだぜ」
「それには同意だ」
「あぁ。理樹なんてずっと俺の筋肉で守っていくもんだと思ってたのによぉ」

 当の二人は全く知らないことだが、三人で「その手」の話題が出たとき常々理樹と鈴が付き合うことを願っていたのだ。
 二人の願いによって全てが好転して終えた永遠の一学期。それから二人の関係は急速に変化していった。特に鈴の理樹に対するアプローチぶりは目を見張るものがある。元が消極的な性格なので見る者にしか分からない変化だったが。

♪♪〜♪

 と、そこで恭介の携帯がメールを受信する。手についた油をぞんざいに舐め取り画面を開く。送り主はまさに話題に上っていた鈴からだ。

「おっ、噂をすれば、か。……まぁ、大体内容の予想はつくが」

 横から真人と謙吾も覗きこむ。



『馬鹿兄貴、理樹の居場所教えろ』



 メールを開いた恭介は予想通りの文面に天上を仰いだ。
 真人はただただ、酒臭いため息を吐いた。
 謙吾は何も見なかったことにしてサキイカを咥えた。

 仕方なく恭介は「頼まれた」通りの返事を出す。

『知らん。自分で探せ』

 送信ボタンを押すと鈴からのメール拒否の設定をしておく。とりあえず今日一日はほっておくことにしたらしい。

♪♪〜♪

 と、続けざまにメールを受信。まさかと思って開いてみれば送り主は「神北小鞠」。

「……」

 もちろんいい予感などかけらもしなかったが礼儀としてメールを読む。



『恭介さん、理樹くんがどこにいるか知りませんか?」



『俺には分からん。すまんが自分で探してくれ』

 鈴のときに比べてややソフトな文章で返信しておく。やや迷いつつもやはりメール拒否の設定。ついでにマナーモードにしておく。

ブブブブブ

 携帯が物言わず手の中で振動した。気がつかない振りをしたかったが相手がクドリャフカ(リトルバスターズのメンバー)からでは見ないわけにはいかない。恭介はどこまでも律儀だった。



『恭介さん、リキがどこにいるか知らないでしょうか。あとメリ〜クリスマスです」



『メリークリスマス、能美。』

 前半部分は見なかったことにしメール拒否設定。ついでに葉留佳と美魚と来ヶ谷のほうもメール拒否を設定しておく。

「最初からこうしておけばよかった」

 非常に疲れた様子の恭介に真人と謙吾はただ黙って酒を勧める。
と、今度は謙吾の携帯にメールが届く。送り主は来ヶ谷。



『恭介氏に伝えておけ。血の雨降る聖夜を楽しみにしておけ、と』



「……」
「唐突だが俺は明日から旅に出る」
「いや、お前もう就職決まったろ」

 酔うほどになぜか突込みが冴える真人。注ぐのもめんどくさいらしく瓶をラッパ飲みにしている。

 永遠の一学期を終えた迎えた日常。静かなる恋人たちの夜を巡るバトルの一端を垣間見てただただ重い雰囲気に見舞われるのだった。


[No.491] 2008/08/09(Sat) 00:11:06
Re: 二人、一緒に (No.490への返信 / 2階層) - ひみつ@まったく自重しない 7104byte

7104バイトでした、すみません

[No.492] 2008/08/09(Sat) 00:11:09
――MVPコウホココマデ―― (No.478への返信 / 1階層) - 主催

ナノデスヨ

[No.493] 2008/08/09(Sat) 00:22:55
第零種接近遭遇 (No.478への返信 / 1階層) - ひみつ@呆れるほどに遅刻。 8516 byte

 第零種接近遭遇。





 何やっているんだろう。ここに来てやっとそう思った。手遅れだった。
 確かな重みを感じる熱気を押しのけ、夜の薄闇にたゆたう水面を見つめる。すぐそこに水気があるというのに暑さはまるで消えず、熱にあてられて夢でも見ているのかと不安になり、試しに片足を突っ込んでみる。じゃぼんと予想外に音が大きく響いたことに驚きながらも、水はひんやりとして気持ちがよかった。うひゃー、と何だかよくわからない声で心地よさそうに囁いてみる。嗚呼、夢じゃない。
 右手に持っていた鞄をすとんと落とす。中身は今日干し終えたばかりのバスタオルが二枚、帰りに問題の起こらないよう下着から何まで着替えを一応一式、ゴーグルは忘れた、浮き輪など押し入れに存在しなかった、水着はすでに着込んでいる。
 ぼんやりとしたまま視線を動かす。ゆらゆらと反射しているおぼろな星々の輝き、光源を辿って夜空に視界を移して月を見つけ、もう一度揺れる水面に視線を戻して空と地上を一往復。そうしてようやく、うひゃーとしか言っていなかった棗鈴は、「泳ぐんだった」と、二五メートルプールを前にして決意を新たにした。



 ほんの、一昨日の事。
 クーラーは可能な限り稼働させないことが暗黙の了解になっている部屋で、首を振っていた扇風機を止めて自分にだけあてていると、「泳ぐぞ」と、出し抜けにそんな言葉が口をついて出た。投げやりに目を向けていた窓の外では、プール帰りらしい三人の小学生が小うるさくも楽しそうに会話しながら歩いていた。涼しげな水気を纏った体が夕日を吸い込み、長く濃い影をはき出している。
「おーよーぐーぞー」
 もう一度言う。言葉がぶるぶる震える。
 扇風機の風で空気が歪み、日本語なまりの外国語のような聞こえになっていた。妙に面白いような気がして繰り返し「泳ぐぞ」と言ってみる。ぶるぶる震える。
 これを極めればいつかは宇宙人とでもコンタクトを取れる気がした。だが残念なことに同じ人間相手ではこの言葉の響きは複雑すぎるのか、返事はなかった。この分だと宇宙人にも警戒されて、最初からエンゲージになってしまう気もしないでもない。
 繰り返し、繰り返し、繰り返し、そんなことをだらだらとしていると、ふと疑問に思い至った。
 ――泳げたっけ?
 逡巡してすぐに「泳げる」という答えに辿り着く。泳げた。確か。高校の時は水泳の授業なんてない。中学の時は水泳と器械体操が選択で、プール上がりに目に水を噴射せねばならないあれが嫌で選んでないからわからない。しかし、小学校の時は泳げていた。水中缶蹴りとか意味のわからないことばかりして怒られていたから、何メートルを何泳ぎで泳ぎ切ることができるとか、そういうことは結局わからないのだが。
 なら、確かめればいい。
 そう思いつくと、ちょうど涼しくてよさそうだった。一人で行くのもどうかと思ったけれど、泳げなかったらそれこそ恥ずかしい。
 取り敢えずは水泳技術の有無の確認だけを目標に、一人でやってみることにした。



 急がば直球。
 鈴の気に入っている小学生でも思いつきそうな自作慣用句の一つであり、意味は『阿呆は道を間違え、凡人は近道を探し、猫は昼寝して、君子は回り道をするが、そこであたしは真っ直ぐ道を行く』である。いつだったか、猫と球は関係ないんじゃないかとつっこまれたことはもう忘れた。要するには機敏に反応して迅速に行動を取ることだろうと、考えた鈴自信いい加減に位置づけているのだから、細かいことはどうでもよいのだ。
 ともあれ「泳ぐ」と思いついてからの鈴の行動はさながら直球だった。押し入れから眠っていた水泳道具を引っ張り出し、風呂場で片足まで突っ込んだところで、大学生にもなってこんなもの着ていられるかとゴミ箱にスクール水着を投げつけ、迷うこともなく今日の大学の帰りに水着を買って帰ってきたのだ。ちなみに水着は、店員に「ビキニは嫌だ」という旨を告げてショートパンツタイプのものを選んだ。
 何しているんだろう、とプールに辿り着くまでの間に一度でも思ったならば、この勝負はきっと敗北だったのだろう。残念ながら、鈴はプールを目の前にして立ち惚けるその時まで、そんな疑問は露ほども頭に浮かばない。
 風呂上がりに下着ではなく水着を着込み、慣れない妙な感触に苛まれながら寝たふりをして、寝静まった頃にこっそりと家を出た。十二時は軽く回っていた。
 家からそこそこに離れた場所にある中学校のプールに、鈴はもちろんこちらもこっそりと忍び込んだ。ばれるはずはないと最初から思っていたが、いざ学校を前にして進入を考えると「ばれたら怒られる」という台詞がどこからともなく現れて頭の中を駆けめぐった。深呼吸を三つ。二秒の間を置いて「いけっ」と自分自身を鼓舞し、無駄に強い意志を見せて敏速に突破した。
 ここまで来ればもはや障害はなく、引き返すこともできない。前門後門、共に手遅れである。
 かくして現在に至り、棗鈴はプールサイドに立つ。
「泳ぐぞ」と仁王立ちしながらもう一度言う。
 いざ飛び込もうと思って覗き込むと、夜の水は底が見えず、表面ばかり月光を反射しているのが罠のようにも思えた。チョウチンアンコウのような感じだ。このプール全部が口で、月明かりを使って誘い、あたしが飛び込むのを今か今かと待ちかまえている。
「なんじゃそりゃ」
 あり得ない、と頭では思う。それなのに同じ頭の中では、何だか嫌な想像がどんどんと蔓延る。意を決して飛び込んだのはいいが、いくら探してもすぐ下にあるはずの底が見つからず、足すらつかない。慌ててひとまず外に出ようと陸を見ると、今度はその陸すら見あたらない。見えるのはただただ一面の水、飛び込んだ自分を中心に接近と離脱を機械的に繰り返す水の波紋、一切の音がかき消えたプール。
 呆然としたその一瞬、右の足首が強い力で引っ張られて――
「あほかっ」
 まず自分自身に一喝。
「こ、怖くなんかないぞ」
 こっちは無意識に口から飛び出た。
 何だか無性に恥ずかしくなった鈴の目の前には、穴はなくとも馬鹿でかい水溜まりならあった。勢いに任せるがまま、今度こそ思いきりプールへと飛び込む。洒落にならない水の炸裂音が響き、そういえばバレてはいけないだったと肝を冷やしたが、結局誰の近づく気配もなかった。足は当然のように底を捉えている。
「……寒い」
 勢いに任せて突入したせいで寒くて仕方がなかった。水面から上は蒸した夜がのしかかり、足下からは水の気配がゼリーのようにくまなく全身を包む。片足だけ浸かした時とはわけが違う。温度差があり過ぎ、気持ちいいどころかむしろ気色が悪かった。
 振り払うように壁に手をつく。ここはプールだ。体の内が温まっていないのなら動けばいい。
 よーい、と頭の中で声をかけ「どん」は口に出した。
 クロールで二五メートルを全力で泳ぐ。バタ足はできる限り水の中で音が立たないように。なんだ。泳げる。息継ぎだってお茶の子だった。
「ぷはっ」
 二五メートルでほんの少しの息切れ。もう一泳ぎくらいは続けても大丈夫そうな気がした。
 再び頭の中でよーいと声をかけ、今度は「どん」より先に泳ぎ出す。振り上げた腕に群がるように、ざばざばと音を立てて水が割れる。明らかなフライング。けれど、文句をつけてくる相手もいない。
「ぷはっ」
 合わせて五十メートル。流石に息も上がっていた。水際の少し段が高くなっている所に腰を掛け、はあはあ言いながら上半身を目一杯に反らせて視線を夜空に投げ出す。けれどすぐにみしみしと首周りが痛くなって、普通に見上げる体勢をとった。
「……何やってんだ、あたしは」
 一人しかいないプールサイドで、そんな言葉を呟いた。さっきまであんなに五月蝿かった水面はすっかり静まりかえっている。当たり前か。自分一人しか泳いでいないのだから。
 自分の声が、ため息が、他人のささやきみたいに聞こえた。
 だから、「何やってんだ」なんていう阿呆な問いには、泳いでるんだろぼけー、と心の中でつっこみをいれた。
 返答は早かった。
「一人で泳いで楽しいわけあるか、ぼけー」
 ぼけーなどと言われて黙っているわけにはいかないわぼけーと、更に言葉を続けようとした鈴の口は、けれど開くことはなかった。
 その瞬間――奇妙な光が、鈴の見上げる夜空に現れていた。星よりもずっと紅い。最初は飛行機か何かの灯のようにも思えたが、それが直角に宙を泳ぎ、その度に緑や青の光を帯状に引いたせいで、そんな考えはすぐに消え去った。相も変わらずひしめき輝く星々、たいした風でもないのにきしきし声を上げるフェンスの音、夜の隙間を縫うように重力法則やら諸々の縛りをぶった切って飛ぶそれ。
 咄嗟に出てこない言葉を、あれだあれだ、と連呼して探している内に、その姿は視界の内から消え去っていた。
「――UFO」
 ぽつりと、探り当てて今更に呟く。
 夏、プール、UFO。
 小さな綻びはいつだってあって、UFOはほんの少しばかり強烈な一撃を加えたに過ぎなかった。しかし壁はそこから一気にひび割れ、決壊したダムのような奔流が起こった。プールに飛び込んだ時よりも遙かに激しく、記憶の波に飲み込まれる。
 そもそも何でプールなんて来てる。泳げるかどうか確かめるため? 馬鹿かぼけー。違うだろ。言ってたんだろーが。夏と言えばプールだ。プールといえば第三種接近遭遇ですね。何だそれ。プールといえばスウィミングですー。UFOの話か。はい。俺もちょうどはまってた所だ。泳ぐこととまるで関係ないじゃないか。いえ、夜こっそりと忍び込んで泳ぐプールは、凄まじく気持ちがいいらしいですよ。……そこで第何種の接近遭遇が起こるかは、その人次第でしょうが――
 ちゃぽんと、音がした。それを切っ掛けにして、意識の方向が自分の内から外へと舞い戻る。目をこらしてみると蝉が一匹、その命を終えてゆらゆらと波紋を広げていた。
 ふらりとまた見上げた視界に、緑色の光が見えた気がした。遠すぎる接近遭遇。
「UFOなんてしるか。接近だとか遭遇だとか意味わからん」
 UFOなんてどうでもよかった。UFOより接近したいことも、遭遇したいことも、今は、いくらでもあった。ありすぎて困る。
「ふん」
 立ち上がり、夜空から視線を切り離す。
「……理樹んとこ、かえろ」
 そして寝てるところを叩き起こして、UFO自慢をしてやろう。そうしよう。
 プールにゆらゆら浮かんだ夏の終わりを見つめながら、呟いた。


[No.495] 2008/08/09(Sat) 05:44:35
家族 (No.482への返信 / 2階層) - ひみつ@いまさら 7162 byte

「おぐぅぉえっ、っぁ、かはっ!」
 トイレに顔を突っ込むようにして、こみ上げてくるものを吐き出す。涙が一緒にぽたぽたと水面に落ちる。鼻水まで出てぐしゅぐしゅだ。
 今日は髪、お団子にしてきて良かった。家にいるときは大ざっぱにまとめてるだけだから、おとついなんかうっかり水につけてしまってえらいことになった。家ならすぐお風呂で洗えるけど、今日はそうもいかないし。
 いっそのこと切ってしまおうかと思ったけれど、あいつが止めるからしかたなく諦めた。まったく、気軽に言ってくれるな。大変なんだぞこっちは。まあ、どうせあと少ししたら切らなきゃいけないんだから、それまでは付き合ってやろう。
「りんちゃーん、大丈夫?」

 吐き終わってからもまだ少し気持ち悪く、トイレにしがみついたままのあたしの様子を見に、小毬ちゃんがドアから顔を覗かせた。
「うぅ、あたしはもうだめだ。うちの猫とおっとを頼む……ぱたり」
「ふ、ふええ!?り、りんちゃんしっかりして〜っ!」
「あー、ごめん。ウソだ」
 起き上がるのが面倒だからちょっとふざけただけなのに、真に受けてあんまり慌てるものだから、さすがに悪い気がしてすぐに取り消した。
 本当は、もっと小毬ちゃんに意地悪してやるつもりだったけど。
「ひどいよー、りんちゃんっ。すごく心配したよー。でも、本当に駄目なときはすぐに言ってね?もうりんちゃんひとりの身体じゃないんだから。ね?」
「ごめん……」
 トイレから身体を起こしたあたしを、小毬ちゃんはそっと抱きしめてくれる。本気で心配してくれたんだな、と胸が少し痛む。
「こまりちゃん、服よごれる……」
 まだ綺麗にしてない口元が触れそうになって離れようとしたけれど、小毬ちゃんはなかなか離してくれない。
「大丈夫、みんなも、私もついてるから。元気な赤ちゃん、産もうね?」
 赤ちゃん。気が付くとあたしは自由に動く手でおなかをゆっくりなでていた。
「……うん」





 二週間くらい前、急に気持ち悪くなって、吐いた。寄ってくる猫を追い払いながら洗濯物を干していたので、目が回ったんだと思った。今までそんなこと一度もなかったけど。
 次の日は昼ごはんを食べた後。晩ごはんもあまり食べられなかった。心配されたが、おやつの食べ過ぎだということにしておいた。
 その次の日吐いたとき、あたしは耐え切れずに電話した。誰にかけようとかは考えていなかった。ただ、小毬ちゃんの声を聞いて、あたしは声を上げて泣いた。
 少しして、あたしがぐずりながらの説明を終えると、小毬ちゃんは一言「おめでとう」と言った。

 小毬ちゃんに説得されて、その日のうちに産婦人科に行った。正直、くちゃくちゃ恥ずかしかった。診療所に付くまで、周りの人がこっちをえっちぃ目で見てるんじゃないかとか、アホなことを考えてなかなかたどり着けなかった。
 現実味がなかった。とりあえず、信じられなかった。待合室でお腹が大きいひとたちを眺めながら、自分も同じなんだと思えなかった。検査を受けて、自分のお腹の中を映されて、「これが赤ちゃんですよ」と言われても、まだ。
 まあ、もちろんそういうことをしてたわけだし、「子供をつくろう」と言われたし。あたしももちろん欲しいと思って頷いたわけだけど。
 でも、これが大きくなってひとの形になるなんて信じられるか?しかも生きて動くんだぞ?子供なんだぞ?
 ……まあ、小毬ちゃんに電話したとき、ほんとうは自分でも解ってはいたんだ。





 病院を出て、あたしは真っ直ぐ帰らずに小毬ちゃんの家に行った。小さな庭のある二階建ての家。小毬ちゃんの家に行くのは卒業して以来だけど、変わったのは花壇に植えられた花の種類くらいだ。
 インターホンを押してから、小毬ちゃんが出てくるまでの間、あたしは妙にどきどきしていた。、だって、小毬ちゃんとはあたしが結婚してから会っていなかったから。一年以上会っていなかった。電話やメールはしていたから会っていたつもりになっていたけれど。
 自分の格好を確かめる。いちおうお出かけ用の格好だから変じゃないと思う。見た目はあまり変わっていないから、久しぶりでもわからなかったりはしないだろう。小毬ちゃんはどうだろう。変わってないといいな。そんなことを考えていたあたしの頭は、ドアの開く音で元に戻った。
「いらっしゃい、りんちゃん!」
 一年ぶりに会った小毬ちゃんは、
「……太った?」
「がーんっ!?」

 話はほとんどあたしの身体のことに終始した。今の時期気をつけたほうがいいこと。つわりがひどいときにどうしたらいいか。小毬ちゃんは詳しく教えてくれ、それで不安は少しやわらいだ。

 その日は、日が暮れる前に小毬ちゃんの家をあとにした。小毬ちゃんとはまた近いうちに会うことにして。家で大事なミッションが待っているから。
 家について、晩ごはんのしたくをする。赤飯を炊こうかと思ったけど、材料がないし、作ったことがないから、おいしくできるかもわからない。今は味見もしたくないので、簡単にできるものですませる。あたしの分はさっぱりりんご味のカップゼリー。しばらくはこんな感じだ。いつか普通の食事ができるようになるんだろうか。
 ……その後のことについては多くはかたるまい。報告はした。喜ばれた。以上!……いーじょーう!っ恥ずかしいんじゃぼけぇ!





 そんなわけで、その報告をかねてあたしはまた小毬ちゃんの家に来ているんだが。
「ほわぁっ、り、りんちゃんくすぐったいよっ!」
 あたしは小毬ちゃんに抱きしめられながら、そのお腹を両手でじっくりと撫でていた。
「あたしもこんな風になるんだな。もううごくかな?」
「そうだね、この間からちょっとずつ動いてるよ。お皿洗ってるときとか急に動くからびっくりしちゃうけど」
 きっと父親に似たんだな。相手の都合にお構いなしなところなんかそっくりだ。そんなことを考えながら、お腹の中の赤ちゃんが動くまでずっと触っていた。
 お母さんか。自分がそうなることに、まだ実感はわかない。でも、あたしはきっと大丈夫、だ。
 でも、
「こんなときに何をやっているんだ、あのばか兄貴……」





「ちょっと出かけてくる。行き先は……そう、アフリカ」
 昼間からそんな寝言を吐いて、本当に恭介が旅立ったのは三ヶ月前。あたしは始め、また出張にでも行くんだろうと思っていた。
 学歴はないが実力で係長になったらしく、あちこち飛び回ってはちょくちょく土産を送ってきたからだ。
 だからそんときも、どこかの部族の変な仮面とか送ってきたらどうしてくれようとか、そんなことしか考えていなかった。
 一週間位して、まだ土産が届かないから催促の電話をかけたら、繋がらなかった。
 そこでようやく、恭介が消息不明になっているのを知ったんだ。





「そっか、心配だよね。でもきっと、大丈夫。恭介さんは、りんちゃんのお兄さんだもん」
 小毬ちゃんがあたしの背中に手を回して、ぽふ、ぽふと叩いてくれる。あたしのばか、慰められてどうするんだ。
「ちがう、そうじゃないんだ。小毬ちゃんは不安じゃないのか?ひとりで、」
「大丈夫、だよ。お父さんもお母さんもそばにいるから。心配することなんか、ないよ」
 あたしの言葉を遮って、小毬ちゃんは笑う。
 子供を産むのはすごくすごく不安だ。あたしなんかのお腹の中でちゃんと育ってくれるのか、無事に出てきてくれるのか。あたし自身は無事でいられるのか。
 小毬ちゃんがいてくれて、あいつがいるから頑張れる。
 なんで大丈夫って笑えるんだ。小毬ちゃんだって不安なはずなのに、怖いはずなのに。あいつは、あのばかは。
「あ、でも。一緒に喜べないのは、残念、かなぁ」
「残念?」
「うん。赤ちゃんが私の中で少しずつ育っていくでしょう?大きくなって、元気に動いて。
 毎日、少しずつだけど成長してくれてるって分かるのが、嬉しくて。
 そして、赤ちゃんが私たちの世界に、おぎゃあ、って出てきたときにね、『ようこそ、始めまして!』って、お祝いしてあげたいんだ。
 もし恭介さんと一緒に、早く会いたいね、って笑えたら。そして、産まれてくる赤ちゃんに二人で『ようこそ』って言えたら。
 そしたらきっと、すごく幸せ」
 幸せ、と呟くように言った小毬ちゃんは、笑っていたけど少し寂しそうだった。
 なんだか腹が立ってきた。ここにいたらぼこぼこにしてやるのに。……よぅし。
「恭介を連れてくる。あたしたち、リトルバスターズが連れてきてやる」
 携帯を取り出して、かたっぱしから電話をする。
 舐めるなよ。あたしたちももう大人になったんだ。いつまでも兄貴面させてやるもんか。
 地の果てまで追いかけて、絶対に捕まえてやる。

 ミッション・スタートだ。


[No.500] 2008/08/10(Sun) 17:02:56
ログとか次回とか (No.480への返信 / 2階層) - 主催

 http://kaki-kaki-kaki.hp.infoseek.co.jp/Little15.5-1.txt
 http://kaki-kaki-kaki.hp.infoseek.co.jp/Little15.5-2.txt


 MVP「七人の直枝理樹」の作者はいくみさんでした。おめでとうございますっ。
 次回のお題は「ボール」
 エクスタシー解禁です!
 8/29金曜24:00締切 翌8/30土曜22:00感想会
 皆様是非ぜひご参加くださいませ。


[No.501] 2008/08/11(Mon) 00:01:38
野郎どものクリスマス (No.491への返信 / 2階層) - 雪蛙@5010byte 暇だったのでちょっと加筆・修正してみた

「「「かんぱーーーいっっ」」」

 カチンとグラスが打ち鳴らされ黄金色をした『麦茶』が嚥下される。毎年恒例となってるクリスマス会は三つのジョッキグラスの乾杯で幕を開いた。
 ここは学生寮の恭介の部屋。ルームメイトは聖なる今夜すでに彼女と外出済み。向こう三軒両隣も右に同じである。本来風紀を取り締まらなければならない寮長も女子寮長と翌日までしっぽりの予定だという。
 つまりはここにいるのはいわゆる負け犬(アンダードック)な連中である。

「ぷはーっ、この一杯のために生きてる気がするぜ」
「あぁ、全くだ」

 最初の一杯めを一息で空けた恭介と真人は早速と二杯目を注ぎだす。謙吾は半分ほど飲んではいるが飲み方自体はペースが遅い。机に所狭しと並べられたつまみを適当につまんでいる。

「しかし去年はえらく狭かったのにどうして。三人じゃあ少しばかり余裕があるなぁ」
「当然だろう。去年は理樹と鈴もいたのだからな」

 「麦茶」を片手にポテトチップスをバリバリと貪る真人。毎年この日は幼馴染五人が集まって食って飲んで騒いでをやらかすのだが今年は理樹と鈴が不在だった。
 人は日々成長していき人間関係もまた変化していく。やがて五人で集まることはままならなくなるだろうと誰もが思っていた。
まして今日はクリスマス。恭介や謙吾が未だに参加しているのは不可思議極まりない。

「初の不参加は理樹と鈴か。一気に二人も出てくるとは意外だったな」

 恭介のアンニュイな雰囲気は見る女性がいれば「ほぉ」と顔を赤らめそうだ。遠い目をしながら吐いたため息は重々しい。

「全く。ずっと願ってきたことなのに、いざそうなると寂しい気がするんだからな。ままならないもんだぜ」
「それには同意だ」
「あぁ。理樹なんてずっと俺の筋肉で守っていくもんだと思ってたのによぉ」

 当の二人は全く知らないことだが、三人で「その手」の話題が出たとき常々理樹と鈴が付き合うことを願っていたのだ。
 二人の願いによって全てが好転して終えた永遠の一学期。それから二人の関係は急速に変化していった。特に鈴の理樹に対するアプローチぶりは目を見張るものがある。元が消極的な性格なので見る者にしか分からない変化だったが。

♪♪〜♪

 と、そこで恭介の携帯がメールを受信する。手についた油をぞんざいに舐め取り画面を開く。送り主はまさに話題に上っていた鈴からだ。

「おっ、噂をすれば、か。……まぁ、大体内容の予想はつくが」

 横から真人と謙吾も覗きこむ。



『馬鹿兄貴、理樹の居場所教えろ』



 メールを開いた恭介は予想通りの文面に天井を仰いだ。
 真人はただただ(なぜか)アルコール臭のするため息を吐いた。
 謙吾は何も見なかったことにしてサキイカを咥えた。

 仕方なく恭介は「頼まれた」通りの返事を出す。

『知らん。自分で探せ』

 送信ボタンを押すと鈴からのメール拒否の設定をしておく。とりあえず今日一日はほっておくことにしたらしい。

♪♪〜♪

 と、続けざまにメールを受信。まさかと思って開いてみれば送り主は「神北小毬」。

「……」

 もちろんいい予感などかけらもしなかったが礼儀としてメールを読む。



『恭介さん、理樹くんがどこにいるか知りませんか?」



『俺には分からん。すまんが自分で探してくれ』

 鈴のときに比べてややソフトな文章で返信しておく。やや迷いつつもやはりメール拒否の設定。ついでにマナーモードにしておく。

ブブブブブ

 携帯が物言わず手の中で振動した。気がつかない振りをしたかったが相手がクドリャフカ(リトルバスターズのメンバー)からでは見ないわけにはいかない。恭介はどこまでも律儀だった。



『恭介さん、リキがどこにいるか知らないでしょうか。あとメリ〜クリスマスです」



『メリークリスマス、能美』

 返信を返した自分を心から褒めつつメール拒否設定。

ブブブブブ

 もちろんこの程度でめげないのが今のリトルバスターズの面々である。続いて葉留佳からメールが届く。どうやら今夜はそうゆう日になるらしい。



『お姉ちゃんのところにもいない理樹くんはさてどこにいるのですかネ?』



 真っ先に佳奈多の部屋に行ったらしい。素晴らしいほどの姉妹愛である。本当に和解したのだろうか、この二人は。

『俺は何も聞かされていないので答えることはできん。自分で探せ』

 もういい加減うんざりなので電源を切ろうかと恭介は思い悩む。が、そんな逡巡が命取りだ。

ビィーンビィーン

 今度は直接電話がかかる。相手は美魚だ。



『夜分にすいません。メールを送りたかったのですが、その、まだ不慣れでして』



 この場合問答無用に切ることができない分性質が悪い。さすがの恭介もちょっと涙目だ。

「すまん、西園。俺からは何も言うことはできない」
『……そうですか。分かりました』

プッ、ツーツーツー

 美魚のほうから電話を切ってもらえたことに恭介は心から安堵した。ようやく携帯の電源を落とすことができ恭介は(なぜか)瓶に入った「麦茶」をコップに注ぐ。

「最初からこうしておけばよかった」

 非常に疲れた様子の恭介に真人と謙吾は両脇から肩を叩いた。
 と、今度は謙吾の携帯にメールが届く。送り主は来ヶ谷。
 謙吾が恨めしげに恭介を見る。恭介は目で「すまん」と謝罪する。
 先ほどの恭介以上に気の進まない顔つきでディスプレイを見た謙吾の顔色が変わる。(なぜか)赤ら顔から蒼白へ。音が聞こえそうなほどに血の気が引いていく。
 先ほどとは違う、とてつもなく同情めいた目で恭介を見た謙吾は黙って文面を見せる。



『恭介氏に伝えておけ。血の雨降る聖夜を楽しみにしておけ、と』



「……」
「唐突だが俺は明日から旅に出る」
「いや、お前もう就職決まったろ」

 酔うほどになぜか突込みが冴える真人。注ぐのもめんどくさいらしく瓶をラッパ飲みにしている。なぜ「麦茶」で酔っているのかは諸般の事情により伏せておく。

 永遠の一学期を終えた迎えた日常。静かなる恋人たちの夜を巡るバトルの一端を垣間見てただただ重い雰囲気に見舞われるのだった。


[No.504] 2008/08/14(Thu) 02:19:01
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