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   第18回リトバス草SS大会 - 主催 - 2008/09/24(Wed) 22:45:02 [No.594]
えむぶいぴーらいん - 主催 - 2008/09/27(Sat) 00:21:28 [No.610]
クロノオモイ - ひみつ 初投稿@EXネタバレ有 10283 byte - 2008/09/27(Sat) 00:02:44 [No.609]
崩落 - ひみつ@4275 byte - 2008/09/27(Sat) 00:01:22 [No.608]
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ある日の実況中継(妨害電波受信中) - ひみつ 12587byte EXバレなし - 2008/09/26(Fri) 23:59:02 [No.605]
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傘の下 - ひみつ・初@EXネタなし@11403 byte - 2008/09/26(Fri) 23:30:52 [No.602]
計り知れないヒト - ひみつ@ 16232 byte EXネタバレありますヨ - 2008/09/26(Fri) 23:05:33 [No.601]
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こんぶのかみさま - ひみつ@18230 byte バレありません - 2008/09/26(Fri) 22:13:37 [No.597]
イスカールのおうさま - ひみつ 18892 byte EXバレ有 捏造設定注意 - 2008/09/26(Fri) 00:33:03 [No.596]
出た!!!! - ひみつ@EXネタバレあーりませんの 11216 byte - 2008/09/25(Thu) 01:43:51 [No.595]



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第18回リトバス草SS大会 (親記事) - 主催

投稿はこの記事に返信する形でお願いします。
現在わたくしめパソコンに触れられない状況でございますので、ひとまずこの親記事だけ建てさせて頂きます。申し訳ありませんが、ルールなどに関しては前回の当該記事などで各自ご確認くださいませ。
マジすいませんorz


[No.594] 2008/09/24(Wed) 22:45:02
出た!!!! (No.594への返信 / 1階層) - ひみつ@EXネタバレあーりませんの 11216 byte


 ふにゃあああああああああぁぁぁぁぁぁぁ――……

 夜。女子寮中に響きわたる悲鳴。ほとんどの人間はそれを聞いて体を強ばらせるものの、それも一瞬。すぐに興味を失って元の日常へと帰っていく。だがそれも当然で、悲鳴の主はいつもいつもいつも学校を騒がしている一団の中の一人なのだから。
 もちろんそんな薄情な反応を示すものばかりではない。女子寮の中で5人、叫び声をあげた少女の仲間だけは可能な限りの素早さで悲鳴があがった場所、すなわち鈴の部屋へと駆けつける。
「大丈夫か、鈴君!」
「まだ私は何もしてないですよネ!?」
「うわぁっ! くるがやにはるかっ!? 何なんだお前ら、何なんだ!!」
 悲鳴があがってから2秒。入り口からは来ヶ谷が、ユニットバスからは葉留佳が飛び出してきた。突然飛び出してきた友人達に、鈴はレノンを肩からぶら下げて呆然とする。
「何だとは何だ。鈴君の悲鳴が聞こえたから飛んできたと言うのに」
「やはは、ちょっとイタズラをしようとして忍び込ませて貰っただけですよ。気にしない気にしない」
 両方ともかなり気になる内容である。特に来ヶ谷の方は比喩かどうか悩むところだ、時間的に。
「まあ、そんな事はどうでもいい。突然叫び声をあげてどうしたというのだ?」
 人間かどうか疑われているのを笑顔でどうでもいいと切り捨てた来ヶ谷は、鈴に向き直る。鈴はと言えばその言葉にビクリと怯えた表情になり、震える指でソレを指し示す。
「ん…………」
 指された方を見る二人。そこには黒光りする憎いやつ、ぶっちゃけるとゴキブリがいた。それも、特大サイズだった。





 出た!!!!





「作戦会議を行う」
 鈴の部屋の前の廊下。そこで後から合流した小毬とクド、美魚を加えて作戦会議を行う6人。ちなみに司会進行は来ヶ谷、書記はクドだ。
「作戦〜どうすれば可愛い女の子同士のベットインが見られるか〜に関してとりあえず意見があったらバンバン言って欲しい」
「違います。〜男性の美しい絡みを実現しよう〜です」
「〜イタズラの極意とは何か〜なーんてどうでしょうネ?」
「ち、違うよー。鈴ちゃんの部屋のゴキブリをどうにかするんだよー」
 開始早々、司会進行を含めたメンバーの半数が半ボケするなかで(半分は本気)、一人頑張って話を元に戻そうとするのはリトルバスターズ最大の良心、小毬。ちなみに廊下で車座になって座り、とんでもない事を言う一同は道行く人達から奇異の目で見られているがそこはそこ、その程度で怯む精神構造をしている人物はリトルバスターズに一人もいない。
「うむ、では改めて。〜鈴君の部屋に出た巨大ゴキブリをなんとかしよう〜の会議を始める!」
 来ヶ谷の大声に固まる道行く人達。ここが夜の女子寮である以上、通行人はもちろん女子生徒であり、もちろんゴキブリが得意な訳がない。巨大という言葉が頭につけばなおさらだ。それはともかくとして会議は始まる。
「一番てっとり早いのはこれですね」
 そういって美魚が取り出したのは設置型殺虫剤。水を入れると煙が出て、ゴキブリに限らずノミといった小さな虫まで殺してしまう優れものだ。たまにベッドでネコと寝る鈴には最適かもしれない。
「だけどそれだと今夜は鈴さん、今夜は部屋に居られませんね」
 クドが心配そうに言うと、それを葉留佳が受け継いだ。
「誰かの部屋に泊まればいいじゃん?」
 その言葉が言い終わると同時、それぞれがそれぞれの顔を見始める。
「わ、私は無理だよー。さーちゃん、人が来るの嫌がるし」
「私の所も無理ですネ。相部屋の2人が頷くはずないですから」
 まず真っ先にダメを出したのは小毬、そして発案者である葉留佳もNOである。
「私たちの部屋はスペースが…………」
「すいません、私の本がいっぱいですので…………」
 クドと美魚の部屋も却下。となれば残りは一人である。その一人に自然、視線は集中する。
「私の部屋か? 大丈夫だ」
「本当か、くるがや!」
「ああ本当だとも。一人部屋だから一つのベッドに二人きり、そして一人用のだから寄り添うように…………」
「よし、別の作戦だ」
 暴走する来ヶ谷をあっさりとスルーした鈴に対して抗議するものは誰も居なかった。

「しかしな、対ゴキブリだと打てる手もそう多くはないだろう」
 気を取り直した来ヶ谷が話を進めるが、設置型殺虫剤を使わないというならば本当に打てる手は幾つも無い。
「徹底交戦だ」
 全員の顔が嫌悪に歪む。
「た、戦うのですか?」
 特に代表してクドが疑問を口にする。彼女らはまだ見ていないが、巨大ゴキブリという情報だけは得ている。そんなヤツと戦いたいと考える女の子はそうはいない。直接あの大きさを見た三人はその気持ちは尚更で、来ヶ谷さえも冷や汗を流している。
「うん、ちょっとおねーさんが短気だったかも知れない。もう少し意見を集めてみようか」
 取りなすような来ヶ谷の声でヤツと戦わない為に必死で頭を動かす全員。しばらく経って、小毬が顔をあげる。
「外に誘導してみたらどーでしょう? 窓から外に続くように餌とかをおいて、それで出ていくのを待つとか」
「わふー。そ、それはいい案ですっ!」
 早速クドが飛びついた。それに気を良くした小毬は笑って話を続ける。
「そうすれば私たちも殺さなくて済むし、ゴキブリさんもいなくなって万々歳。どうかな、これ?」
 みんなを見渡すが、いい案だ。といったような顔をしているのはクドのみ。他の大半の人間は顔を青くしている。
「あれ、みんなどうしたの?」
「…………それ、外からゴキブリが誘導されて来ませんかネ?」
 引きつった顔で代表したのは葉留佳。そう、方向性が指定できない以上、室内に餌をバラまけば外から大量にゴキブリがやってくる可能性が高い訳で。
「「「「「「……………………」」」」」」
 否応無しに頭によぎるのは、ゴキブリ村と化した鈴の部屋。
「………………………………ゴメンナサイ」
「まあ、その、何だ。こ、厚意だけは受け取っておく」
 長い沈黙の後、この上なく申し訳なさそうにした小毬に対して珍しく鈴がフォローをいれた。
「さて、他に案はないかな?」
 流石にこの話題を引きずりたくはないのだろう、即行で話を進める来ヶ谷。そしてまたしばらくの沈黙の後、次に声を出したのはクドだった。
「あのー。生物の授業で習ったのですけど、このような生物にはフェロモンってありましたよね? ならゴキブリが嫌がるフェロモンをまいてみてはどうでしょうか?」
 その言葉に鈴と葉留佳、小毬の顔が輝く。
「それだっ!」
「ナルホド、行けそうですね!」
「すごいよクドちゃん!」
「そ、そうですか。えへへ…………」
 三人からの褒め言葉に照れるクド。が、残る二人の顔はやはり青い。
「あー。クドリャフカ君、知ってるかな? 危険フェロモンは濃度が薄まると集合フェロモンになるのだよ?」
 来ヶ谷の言葉に全員の表情が固まる。一時的にゴキブリがいなくなった鈴の部屋だが、時間を置くにつれて集まってくる住民達。いつしかその部屋にはゴキブリ王国が築かれて――――

 ……………………………………………………

 沈黙が痛い。鈴も今度はフォローする余裕も無く泣きそうな顔をしている。
「そ、そうだ! フェロモンで思い出しましたが、ホイホイ系でフェロモンを使ってゴキブリを集めるタイプのものってありませんでしたっけ? それなら貴奴等も一網打尽!」
「――こんな話があります」
 なんとか明るくしようと大声を出した葉留佳だが、重く静かな美魚の声に嫌な予感が止まらない。
「とある古いマンションの話です。そのマンションの一室に住んでいた男性は不精で不潔でした。ですのでたくさんのゴキブリがその部屋に住んでいたそうなのですが、友人を呼ぶのでゴキブリを駆除しようとフェロモンタイプのホイホイを仕掛けたそうなのです」

 〜

 その日の夕方、仕事から帰って玄関を開けた男性は顔をしかめる。なぜか床一面に黒い絨毯が敷き詰められていたのだ。こんなインテリアに変えた覚えのない男性は不思議そうな顔をしながらもホイホイの成果を確かめようと、靴を脱いで仕掛けを見に行く。
 しかし仕掛けたハズの場所にホイホイは見当たらず、見えるのは黒い山がこんもりとしているのみ。なんだこれはと男性がソレに触れた瞬間、黒い山ががカサカサと微妙に動く。
 そこで男性は気がついた、気がついてしまった。その黒い山の正体が■▼●◆の集団だった事に。それも五体満足の存在は極少数、大半は翅だったり脚だったりがもげていたり、絶命している黒もいた。そして無くなった部分は――――奴等の口の部分で蠢いていた。
 喰っている、共食いをしている。余りのおぞましさに男性は恐怖する。ふと、足に痛みが走った。恐る恐るそこを見て見れば、足に群がる黒い絨毯が、ワサワサと、体を登ってくる黒い絨毯が。そして男性は奇声を発しながら無我夢中で部屋を飛び出した。足にはまだ少しの黒をへばりつけて、赤い血をダラダラと流しながら。

 後日、男性は一言こうとだけ漏らした。『ゴキブリ地獄』と――――

 〜

「専門家はこう話したそうです。フェロモンは強力で、最も強く本能に訴えかけるものだと。なんらかの原因でフェロモンの濃度が間違えられたそれはマンション中、そして周囲の家からもゴキブリを集めました。
 ゴキブリは体が小さい分頻繁な食事を必要としますが、食欲もフェロモンの強力さには勝てません。ですので空腹に耐えかねたゴキブリは周囲の栄養を求めて共食いを始めたのではないかと」
 長く気色悪い話が終わる。ここまでくるともう怪談の類だ。現に小毬とクドは気を失ってるし、鈴は耳を押さえてうずくまっている。かろうじて聞いているのは来ヶ谷と葉留佳くらい。まあ、聞いているといってもその顔はこれ以上ない位に固まっているのだが。
「――御清聴、ありがとうございました」
「いや、全力で止めるべきだったと後悔している所だ」
 脱落者を生き返らせながら言う来ヶ谷。ちなみに葉留佳はまだ再起動を果たしていない。
 そうしてひとまず全員が正気に戻ったところで再び作戦会議。
「……もうおねーさんの所で寝ないか、鈴君?」
 心底疲れきった顔で言う来ヶ谷。どう考えてもそれが一番のように思える。他のメンバーにしてもあの話の後でゴキブリと戦おうとは微塵も考えられない。それはもちろん鈴も同じ事で。
「――ううっ」
 泣きそうな顔で思案する鈴。
「うううううぅぅぅぅぅぅぅぅっっっっっ!!」
「あの話を聞いた後のゴキブリと比べてもそこまで嫌がるのか。おねーさん、結構ショックだよ…………」
「そんな事無い、くるがやは大好きだ!」
 本気でガックリ来ている来ヶ谷に向かい、思わず大声を出す鈴。そして一回その言葉を出したら止まらない。言葉を続ける鈴。
「だから、今日は来ヶ谷の部屋に泊まる」
「ああ、それがいい」
 下心を出す元気もないのか、来ヶ谷はそうとだけ頷いてから鈴の部屋の扉を見る。つられて他のみんなも鈴の部屋を見る。
「それじゃあ、とりあえずの生活用品と明日の教科書を取り出さないとな。それに、殺虫剤も仕掛けなくてはならないし」
 お泊り会をした事があるはずの部屋が地獄門に見える。それがその場にいた全員の意見だった。もしも開けた瞬間に黒い絨毯が見えたら小毬とかクドとかはまた失神するだろう。と、

 カリ……

「ひっ!」
 それは誰の悲鳴だったのか。目の前の扉が鳴った。しかも続けざまにカリカリと妙な音が鳴る。
 小毬とクドは震えながら抱き合っていて、鈴は目に涙をたたえながら葉留佳の後ろにへばりつき、美魚は平然と座っている。来ヶ谷は最後の一人が特に納得いかないながらも、自分が開けなければ永遠にこのままだと思い意を決して地獄門を開ける。
(本当に、床一面に黒い絨毯があったら嫌だな)
 どこか現実逃避気味にそう考えながら開いた先の床を見ると、そこには黒色の反対の色である白色が。
「ん?」
「レノンっ!?」
 鈴の声が響く。そう言えば彼女の悲鳴が聞こえた時には肩にいたはずの白ネコはいつの間にかいなくなっていた。部屋から逃げる時に落としてしまい、閉じ込めてしまったのだろう。
「なんだ驚かせる、なぁぁぁ!!?」
 来ヶ谷の口から大声が出る。彼女の視線の先、レノンの口には蠢く大きな黒が。
「ゴ、ゴ、ゴ……」
 言葉にならない声が口から漏れる。そんな来ヶ谷は無視し、レノンはようやく見つけた御主人さまに捕らえた獲物を見せようと走り寄る。
「うわぁぁぁ! レノン、来るなレノン!!」
「ちょ、鈴ちゃん離して! ゴキが、ゴキが私の方にぃ!」
「本当に大きいゴキブリです……」
 呆然とする来ヶ谷。再び失神した小毬とクド。どうにかレノンを追っ払おうとする鈴にとばっちりを食う形になった葉留佳。そして一番余裕のある美魚。
 ――――ゴキブリ騒ぎはまだ終わらない。



 その頃、男子寮の中で顔を真っ青にしている男がいた。
「…………」
 彼はこの世界でのゲームマスター、レノンと繋がっている男。だがしかし彼は常にレノンと繋がっている訳では無い、それは人間の精神構造では決して不可能な事だ。だから彼は必要な時に短時間だけレノンと繋がり、他はおおまかな行動命令だけ与えているに過ぎない。だからレノンをネコでは無いのではないかと疑うものはいない。
 今夜もレノンと少しだけ繋がり、彼の妹の安否を確認するだけのはずだった。しかし繋がった瞬間に感じた口の違和感。ソレがなんなのか理解した瞬間に彼はレノンとの繋がりを絶ったが、ソレがなんなのかと理解してしまった時点で手遅れなのは言うまでもない。
「ゴキブリを咥えるなぁぁぁーーーー!!」
 恭介の怒声が虚しく夜に響く。


[No.595] 2008/09/25(Thu) 01:43:51
イスカールのおうさま (No.594への返信 / 1階層) - ひみつ 18892 byte EXバレ有 捏造設定注意

 ――葉留佳っ、はるかぁっ!――

 あの時、雨音のように降りしきるすすり泣きの中で私は、いきる目的を見つけた。


- 1 -

 ぽん、ぽん、ぽん、ぽん。規則正しく音を刻む。書類に判が押されていく。一見無造作に、その実一枚一枚精査して。うず高く積み上げられた書類の未処理の山が見る見るうちに嵩を減らし、処理済の塔を築いていく。
 日が大きく傾き、山の三分の二ほどを切り崩したところで音が途切れ、その間ずっと座りっぱなしだった人物が大きく伸びをする。

「ん〜っ、つっかれたぁー」

 少女である。肩を叩きながらうぁ〜、とか、うぇ〜、とか、おばさん臭く呻いたり、手足を伸ばしてだらしなく机に突っ伏したりしている姿は少にも女にも疑問符がついてしまうが、少女である。

「――そう、八百屋のおばちゃんじみた仕草に惑わされてはいけない。たとえ西日に照らされた横顔が日々の生活に追われる主婦のようであっても、彼女は少女なのだ」
「ちょーっと棗くん。久しぶりに来たと思ったらなーに、その妙なナレーション。あたしに喧嘩でも売ってる?」
「あれ、駄目か?少女と大人の女との境にあるアンバランスなお色気なんかをアピールしたつもりだったんだが」
「……今ので色気を感じた男子がいたらあたしゃその子の正気を疑うわ」

 声に不意を衝かれて顔を上げると、扉にもたれるように立っていた長身の少年と目が合う。少女はすぐさま半眼になって睨むのだが、彼は涼しい顔を崩さない。彼女の疲れは重さを増して肺の奥に澱み、溜息で吐き出せたのはほんの僅かだった。
 少女には、彼が今ここに来た理由の見当がついている。やるべきことが山積している今、用件は早めに済ませておくに越したことはない。

「朱鷺戸さんのこと?」
「ああ」

 彼女が切り出すと、少年もすぐに応じる。朱鷺戸沙耶という少女について、彼が気付いたこと、抱いた疑問を少女に突きつけていく。穏やかに、冷静に話しながら彼の支配する空気が張り詰めていく。

「朱鷺戸は漫画のキャラだ。うちの生徒じゃない。……あいつは誰だ?お前は、何をさせようとしてる?」

 しかし、彼女は常と変わらぬ弛緩した空気を纏ったまま、困ったように頬を掻く。

「んー、実はあたしもよく知らないのよねぇ」
「はぁ?」
「だって、気がついたらもう彼女はいたんだもの」

 その魂を見つけたのはほぼ偶然、と言っていい。直江理樹から伸びたとても細い縁の糸。彼の縁の根のほうにある、とても古く、すぐにでも切れそうな糸の先を握り締めていた小さな魂。『願い』だけで留まっていた彼女は名前も過去も憶えていなかった。

「じゃあ、あれは誰かの『願い』だってことか」
「多分、ね。けどそれが誰のものなのかはあたしには分からないわね」

 彼女が憶えていたのは愛読書だった漫画のストーリーと、学園生活への強い憧れ。
 だが、彼女が一人で作れるのは張りぼての学園でしかないから。

「ほら、気質っていうか性質って言うか、あたしそういうものだからさ。強い『願い』があるとこう、身体が勝手に!って感じで」
「身体なんかないじゃねぇか。ったく」

 少年は疑念も露わなままに吐き捨てる。それを惚けて受け流す。

「あーら、棗くんの目は節穴?ここにこぉんなナイスバディがあるじゃなぁい。これに魅力を感じないなんて、棗くんてやっぱり――」
「ロリじゃねぇっ!」
「まだなんにも言ってないよーん」
「ぐ……」

 言うほどには起伏のない身体をくねらせた挑発に反射的に乗ってしまい、墓穴を掘る。
 一瞬歯噛みした彼は、鉄の意志で荒ぶる心を鎮め、彼女に釘を刺す。

「……まあ、別に、あんたが自分の役割を忘れてさえいなけりゃいいさ。俺の計画はあんたの協力がなきゃ成り立たないからな」
「うん、ちゃんと仕事はするわ。あたしがこうしていられるのはあなたのお陰だしね」

 彼女が真摯に頷いてみせると、まだ信じきれない風情でじっと見つめていたが、やがて溜息を一つ吐いて、踵を返した。

「しばらく様子を見る。もし朱鷺戸が理樹に悪影響を及ぼすようなら、そのときは俺が排除する。いいな?」
「……はーい、わかってるわよぅ」
「頼むぜ、あとちょっとなんだからよ」

 机に突っ伏し、顔だけ上げて、唇を尖らせ、しぶしぶと頷く。その動きはあらかじめ準備されていたように滑らかだ。
 並外れて鋭いこの少年に、隠し事を見抜かれないように。

 少年が完全に見えなくなってから、ようやく緊張を解いて椅子に背中を預ける。油断は禁物だが、ひとまずは大丈夫だろう。

(頑張ってね、朱鷺戸さん。……なんて、言える立場じゃないけどね)

 大きく息を吐き、思考と視線を現在に戻すと、先ほどよりも嵩を増している未処理の山。げんなりと天井を仰ぐ少女の耳に、聞きなれた規則正しい足音。体を起こし、扉のほうに向き直る。入ってくる彼女を笑顔で迎えるために。

「おつかれさま、かなちゃん」


- 2 -

 ぽん、ぽん、ぽん、ぽん。規則正しく音を刻む。書類に判を押していく。はたから見れば適当に押しているようにしか見えないだろう、実際はそんなことないんだけど。
 窓から西日が差し込んできて、一旦作業の手を止める。眉間を揉み揉み、肩を回す。疲れた、眠いー。ぶつぶつと口の中で愚痴をこぼす。疲れるのは仕方ないとしても、眠くなるのは何とかしたかったな。

「一休みしましょうか、あーちゃん先輩。お茶淹れます」
「お願いー。できればうんと濃くして欲しいな」
「はいはい。お茶請けは楓味堂のどら焼きにしましょうか。クドリャフカにもらったんです」
「あ、うれしいなー。あたし2つね、2つ!」
「分かりましたからそんなにはしゃがないで下さい。……もう、子供みたいなんだから」

 じゃれあうような緩いやりとり。ああ、癒されるー。大きく伸びをしたり腕を回したりしていると、かなちゃんが声をかけてきた。

「あまり、はかどっていないみたいですね。仕事」
「ん?まあちょっとねー」

 肩越しに佳奈多の顔を見上げる。何でもないように尋ねてきたけど、心配してくれてるんだよね。自分で気付いてはいないかもだけど。だから、私も彼女が心配しないよう、軽く返しておいた。
 ……実際はちょっとなんてものじゃなく滞っていたけれど。

(あの子たちに手伝ってもらうだけじゃ追いつかないわね。まったく、凝り性なんだからもー)

 足下の段ボール箱の中で、今もせっせと生み出されているであろう未処理の山。この後開けるのが怖い。
 黙ってしまったせいか、かなちゃんが不審そうにこちらを見てくるので、慌てて言い訳を組み立てる。

「あー。ほら、最近棗くんが何かと理由付けちゃ男子寮長を連れてっちゃうでしょ?部室のことで」
「そうですね。……どうせまた何か悪巧みしてるんでしょうけど」
「きっとそうねー。ふふっ、今度は何するのかしら?楽しみ――」
「あー・ちゃん・先・輩?」

 かなちゃんがドスの効いた声で威嚇してきた。おーこわっ。

「こほんっ。まあ、それで困ってんのよねー。嘆願なんかだと向こうの都合も聞かなきゃいけないのも多いし」
「こちらの都合はお構い無しですか、勝手なものですね」
「まあまあかなちゃん、怒らない怒らない。それに、男子寮長のことはともかく、他の雑務は手伝ってもらってるわけだし、ね?」
「その呼び方はやめてください!もうっ、誰のために怒ってると……」

 本人は口に出してないつもりなんだろうけど、呼び名に突っ込んだ弾みで独り言がだだ漏れだ。可愛いので指摘せずにもう少し聞いていよう。

「な、なんですかあーちゃん先輩。なにニヤニヤしてるんですか」
「いやー、嬉しくて。心配してくれてありがとね」
「っ!あ、あとでしわ寄せが来るのはこちらだから釘を刺しただけです!」

 真っ赤になって必死に否定するのがまた可愛い、ってことにいつ気がつくのかしらね。深呼吸してクールダウンした後、見回りに行くと言って出て行く顔もまだ赤いままだった。
 さーて、そろそろ仕事しますか。

 コンコン。
 案の定段ボール箱の中で増殖していた書類を引っ張り出し、もーれつ社員もかくやと思わせる勢いで片付けていた私は、その音で作業を中断させた。

「どうぞー、鍵は開いてるしあたし一人だから遠慮なく入って、ってもう入ってるし。こんにちは、棗くん」
「いや、もうこんばんはだ。随分根詰めてたんだな」

 言われてみれば外はもう真っ暗だ。気がつくと同時に部屋も外に合わせて暗くなる。

「あらほーんと。ってぇ、誰のせいだと思ってんのよー」
「悪いと思ってるさ。だからほら、差し入れだ」

 灯りを点けながら差し出された手には、拳大の銀色の塊が三・四・五つ。手提げのビニール袋に無造作に入っていた。

「おにぎり?どうしたのよそれ」
「どうって、決まってるだろ?学食でおばちゃんに作ってもらった」
「随分と気軽にひとの仕事を増やしてくれるわねー」
「別に食いたくないんならいいぜ。真人たちと食うからな」
「わ、待った待った!食べる、食べるわよっ。誰も食べないとは言ってないじゃない」

 引っ込めかけられた手から慌てて袋を奪い取る。お腹がぺこぺこなのに気付いたばかりだ。眠気と同様どうにも出来ないもののひとつ。
 アルミホイルの包みを開けると、白いご飯を握っただけの塊が現れた。ほんの少し、人肌くらいに温かい。

「塩だけで具は入れてない。それならあんたも食えると思ってな」
「ありがと。嬉しいなー、あたし最近のハイカラな食べ物は全然味わかんなくて。いただきまーす!」

 両手で握ったご飯のてっぺんを、思い切って大きく齧りとる。舌に最初に触れるのは塩辛さ。すぐに口いっぱい頬張ったお米の香りが鼻を抜ける。
 ちょっぴり糠の香りも混ざったそれを楽しむのも束の間、湧き上がる唾液に後押しされるようにあごを動かす。
 噛むほどに口の中で甘みが生成され、僅かに残る塩の名残と絡み合う。

「んーっ、ほいひー(おいしー)」
「分かったから食いながら喋るなって」

 こくこくと頷いて私は一気に一つ目を平らげた。次は片手に一つずつ持って二刀流だ。かなちゃんがいればお行儀が悪いって怒られそうだけど、今はいないからいいよね?

「はぐはぐむしゃむしゃもぐもぐっ!」
「一応おかずも持ってきたんだが……」

 ありがたいがそれにはぶんぶんと首を横に振る。今はこれだけあればいい。あ、あとお水かな。
 猛然と食べ進める私を呆れたように眺めながら、彼はお水を注いでくれた。うむ、苦しゅうない。

「喜んでもらえて何よりだ。ゆっくり食えよ」
「はえ、はんはふぉうふぁはっはんやわいを?(あれ、何か用があったんじゃないの?)」

 一仕事終えた漢の顔で出て行こうとするから、食べながら声を掛けてみた。聞き取りづらかったのか、彼はそのまま寮長室を出ると、後手に扉を閉めてしまった。
 五秒後、逆再生をかけたように戻ってきた。用を思い出したのね。

「ダンジョンの調査が終わった」
「あ、やっと終わったんだ?お疲れさま。それで?」
「無意識に造ったにしちゃ上出来だ。だが、罠も敵も結構ヌルい造りになってたんでな、次は俺が直接テコ入れすることにした。細部までこだわってバッキバキに改造してやるぜ!」
「随分ノリノリね?最初はあーんなシリアスに『あとちょっと、あとちょっとで終わるんだ。誰にも邪魔はさせねえぜ』なーんて言ってたのに」
「誰の真似だよ」
「あれ、似てなかった?」

 似てねえよ、と一蹴されてしまった。会心の出来だと思ったんだけどなー。
 ていうか、この余裕ないときに何楽しそうにかましてくれてんのよこの男は。今でもバランス保つので手一杯なのに、これ以上仕事増やしてどうすんのよもーっ。

「いや、朱鷺戸は原作どおり宝探ししてるだけだからな。クラスも違うしスパイ活動は夜中だけだしで、理樹との接点もなさそうだ」
「それは知ってるわよ。んで、それがダンジョンの改造とどう関係するわけ?」
「どうせやるなら、こだわって遊んだ方が面白えじゃねえか!そうすりゃ、欲求不満も早く解消されて一石二鳥だしな。だから俺は、闇の生徒会長として、ヤツの前に立ちはだかる」
「うわー、言いきったよこの人」
「心配すんなよ、すぐに終わらせるさ」

 そーね、と気のない返事で返しておいた。何となくね。

「まあ、そういう訳でこっちの用は済んだからな。そろそろ次に行こうと思うんだが」
「あ、それはもうちょっと待って」
「どうして。今の状態を維持すんのは大変なんじゃないのか?」
「それはまあそうなんだけどねー」

 確かにそうだけど、今終わらせるのは困る。

「未処理があんまり溜まった状態でリセットかけちゃうと、次でしわ寄せが来ちゃうのよ。
 生徒が減っちゃったり校長室に幽霊が出たりね。ひどいときにはあなたたちの記憶や意識に影響が出るかもしれない」
「そうか、この間の筋肉旋風もそういうことだったのか!」
「いや、あれは素ね」
「マジでっ!?」

 まあ、疑いたくなる気持ちは分かるけどね。

「そういうわけで、せめてもう少し処理するまで待ってもらえないかなー?」
「まあ、そういうことなら仕方ない、か。わかったよ」
「ありがとーっ、棗くん大好きっ、愛してるっ!」
「なんか、あんたに言われても全然嬉しくねぇな……」
「えーっ、やっぱり棗くんってロ――」
「じゃねぇっ!」

 失礼ねー。私だって心はヲトメのままなんだから。
 直枝くんが手伝いに来るのを黙認して欲しい、と申し出たときには流石に不審そうに見られた。彼の経験になるという説明にしぶしぶ了承してくれたけど、絶対に信じていないわね。
 でも、多少の無理は通させてもらおう。たぶん、次の機会は無いから。
 彼が出て行った後、一人薄暗い寮長室で残りのおにぎりをかじっていた。
 いびつな形、本当は棗くんが自分で握ったんだろう。さっき漫画の話をしたときみたいに、楽しそうな顔で。彼はしばらく旅に出る、と言っていた。
 最後のひとくちをゆっくり噛み締める。むかし一度だけ食べたしろいごはん。そのときのことを思い出して少し泣けた。


- 3 -

 ――だから、ばいばい、おねえちゃん――
 ――うん…『またね』…はるか――

 手を繋ぐことを願った姉妹は、その手を再び離し、箱庭を去った。
 少女たちの去った後、二人を見守っていた彼女は、再び箱庭へ。


- 4 -

 たし、たし、たし、たし。上の空で単調なリズムを刻む。手にした猫じゃらしが左右に揺れる。はたからでも分かるほど無造作に、心は別のところに。戯れる黒猫は難なく穂先を捕らえ、そのまま押さえ込んで弄び始める。
 穂先が半分ほどむしれてしまってもなお物思いにふけったまま、しゃがんだ膝に頬杖をついて、窓の外を眺めている。風にそよぐ木立の隙間から覗く空には小さな雲がひとつ。

「クロフォードが構って欲しそうにしているぞ」
「んー?」

 言われて視線を下ろすと無残にむしられた猫じゃらしの残骸と、なぁなぁと甘えた声を上げながらストッキングに爪を立てている黒猫が。

「ふぎゃぁーーっ!?」

 唐突に発せられた絶叫に飛びのく一人と一匹。絶叫の主はスカートがめくれるのも構わずに伝染したストッキングを検分して情けない声を上げる。

「うぁー、もう替えがないのにぃ。ぐすん」
「直せばいいんじゃないのか?」
「やりたくないの。もうあんまり余裕ないから」

 少年の疑問に、彼女は空を見上げながら答える。夏の色を微かに孕んだ、雲ひとつない青空。

「そういえば、もう随分と雲は見ていないな」
「省エネ、ってやつよ。だましだましやってきたけど、もう外も節約しなきゃきついの」

 あたしもほら、と笑いながら自分の腕を指で押す。ぺこぺこと中空の人形のようにへこむ腕を、少年は無表情に眺める。

「それで、終わったの?」

 笑みを収めて、彼女が切り出す。貼りついた空の下、梢が風に揺れる。

「終わった。いや、終わる。そういうことになった」

 そう、と短く答える彼女の声は、木々の囁きに紛れた。

「あんたは、どうしてまだここにいるんだ?」

 彼の問いに、彼女は酷く小さな笑みをこぼす。

「三枝も二木もいない。わざわざ呼び戻したクドたちも行った」

 彼には素性の目星がおおよそついているのだろう。佳奈多のときも、結局手を借りてしまった。

「朱鷺戸さんへの責任、ではないわね。虫が良すぎるわ」

 呟く彼女は空を見上げたまま。言葉の半分は自らの内へ向けて。

「そーね、あなたが好きだから、じゃだめかな?」

 空から目を逸らした彼女は、いつもの笑みを被っていて。少年は追及を諦める。

「あんたは俺の好みじゃないからな」
「そうよねぇ、棗くんの好みはもっともっとあちこち小さい子だもんねぇ?」
「違ーよっ!いい加減そのネタ引っ張るなよっ!」

 互いに仮面を被りながらの軽口のやり取り。素顔を晒せば崩れ去る、脆い絆。結びつけるのは利害の一致。

「はいはい。しょうがない、もう引っ張らないわよ」

 足下の黒猫が、ストッキングにまた穴を開けた。


- 5 -

『――駄目だ。あんたがそこを離れたら、学園を維持できない』
「ならせめて、誰かが友達役に――」
『許可できない。あいつ自身で友達を作れなきゃ意味がないんだ』
「だからってあれはやりすぎよ、棗さんには耐えられない!」
『耐えてもらわなきゃ困るんだよ。これが最終試験なんだ』
「あなたはあそこを見てないから。あそこで棗さんは一人なのよ!?」
『これからは、一人でも他人の中に混じっていけなきゃならないんだ。たった2週間だ、それくらい耐えられなくてどうする』
「あなたは思い違いをしてる。あそこで棗さんを囲んでいるのは――」
『ちっ、なぜ我慢できないんだ理樹!悪い、切るぞ。』

 ぶつっ。

「心を繋げない人形と、どうしたら絆を結べるって言うのよ……」


- 6 -

 聞こえる。

「こんな家、ブッ潰してやる!」

 聞こえる。

「やめて下さい。やめなさい!」
「お願いします!子供たちを連れて行かないで!」

 聞こえる。

「わかった。あなたたちの…言いなりになる」

 聞こえる。

「鈴っ!!」

 絆のちぎれる音がする。
 私はまた、見ているしかできないのだろうか?


- 7 -

 おひるやすみ。きゅうしょくのじかん。
 子供たちの賑やかな笑い声が聞こえる。何者にも侵されない、平和なひととき。
 私は、その暖かな空間を、その中心にいる少女を、窓の外から眺めていた。
 ここを作ったのはたぶん彼女だろう。とても優しく少女を包む、ぬくもりの主は。
 彼女らしい、とても甘い幻想だ。

 まだ続いている。直枝くんと棗さん、二人を送り出すための長い長い準備が。
 かなり消耗が激しいにもかかわらず、棗くんは一人で何か企んでいる。頑固よねえ、ほんと。
 まあ、そっちがそのつもりなら私も勝手にやらせてもらおう。

 首をめぐらして辺りを見る。そばにいるとは限らないけれど、もしかしたら……いた。
 見守っている、大して太くもない樹の陰に隠れて。……さすがに頬っかむりはないんじゃないかな。
 私の入った黒猫は、しっぽをぴんと立てると、怪しげな人物の潜む木陰へと足を向けた。
 彼女の『願い』が必要だ。


- 8 -

 はらはらと、箱庭は白いかけらになって散ってゆく。
 長いゆめの終わり。
 そして目覚めのはじまり。
 少年に、最後のミッションが与えられる。

 ――鈴と二人で逃げろ。逃げて、生き残れ――
 ――大切なものだけを握り締めろ。そして、他の何を捨てても守れ――

 棗くんにとっても最後のミッション。乗り越えた直枝くんたちを見て、きっとやり遂げた顔をしているだろう。
 でも、悪いね。そこで終わりにはさせない。格好のいい幕引きなんてさせてあげない。

 あの子たちを引き裂くなんて許さない。


- 9 -

 ○○なんていない。それは私がよく知っている。その名で呼ばれる私が。
 捧げられ、忘れられ、漂っていただけの私が言うのだ。間違いない。
 まあ、それを勘違いして祀ってくれたお陰で、あの子たちに会えたけれど。

 直枝くんと棗さんを送り出し、僅かに残っていた雫が雪となって消えてゆく。
 私の時間はこの先に進むことは出来ないらしい。
 どうやらここが“終点”みたいね。年貢の納め時ってやつかしら?あーあ、残念。もうちょっと見たかったんだけどな。
 まあ、いいか。目的は果たせたし。果たせた、よね?
 ……ホント、頼むわよ、直枝くん。あの子たちをよろしくね。

 ぼんやりと意識が滲んでいく。
 死ぬときは過去の記憶が走馬灯のように、なんて言うけど、こういうときは流れないものなのね。発見だわ。
 死んだときは流れたっけ?……短すぎて忘れちゃったのかも。
 ま……いいか。
















 ……まだ消えないのね。しまらないなぁ。
 さて、どうしようか。
 目的は果たした。力も尽きた。心残りは……あった。
 私が箱庭に招いた少女。
 そうね、還る前に。せめて一度くらい、名に恥じないことをしようか。

 記憶をたどり、“彼女”が遡った道筋を辿る。呼び込んだときと違い、意思の名残が濃く残っている。
 “出発点”にいた彼女は、土砂に半ばまで埋もれ、虚ろな瞳で雨に打たれていた。
 初めて見る本当の彼女。姿はまるで違っていたけれど、彼女で間違いない。
 消えかかった灯火を前にして、奇跡を起こして助け出すなんてことは出来ない。
 でも、出来ることもある。
 周辺を探す。
 いるはずだ。無事な人が。――いた。よかった、気を失ってるだけだ。他には?人数は多いほうがいい。
 生きていたのは全部で六人。怪我人ばかりだが、力を合わせれば何とか。
 次、近くに家は、誰か住んでいる人は。木こりなんてこの時代にいるのかな。
 丸太小屋、じゃない、ろぐ、なんとか。木こりじゃないみたいだけど、この際何でもいい。
 お願い、眠ってて!って、なんで起きてるのよっ! ああもう、テレビなんか見てないで寝ちゃいなさいよっ!
 誰か、眠ってる人は……いた!ああ、かなりご年配だなぁ。ちょっと不安だけど贅沢は言ってられない。

 “彼女”のところに戻ってくる。ここからが本番。彼女の『世界』と、彼らの『世界』を重ねる。
 ここにいることを、みんなに知ってもらうために。
 私の力じゃそこまでしかできないし、その先を見届けることも出来ないけど。
 みんなが知って、動いてくれたとしても、きっと“彼女”が助かる見込みはほとんどないけど。
 でも、やる。私の最後の悪あがきだ。
 自己満足のために。だから本人が拒否しても受け付けない。
 年齢よりもずっと幼く見えるその横顔を見下ろす。
 ねえ、君。もし助かったら、今度は、自分自身として遊んでみない?
 あなたは“ここ”からあの世界まで来れたじゃない。あなたの時間は、きっとあそこまで繋げられるよ。

            《カミサマ》
 ――だいじょうぶ、“あたし”を信じなさいって――



                         ク ロ マ ク          黒子
                       イスカールのおうさま 或いは カミサマが見てる


[No.596] 2008/09/26(Fri) 00:33:03
こんぶのかみさま (No.594への返信 / 1階層) - ひみつ@18230 byte バレありません

 ことこと、ことこと。お出汁が煮立ってしまわないよう、とろ火でことこと。
 じっくり、じっくり、慌てないで、出来上がるのをのんびり待つ。
 お鍋のふたのすきまから、ふんわり香るお出汁のにおい。
「おいしくなーれ、おいしくなれー」
 こうするとあら不思議、本当においしくなってしまう。いっつ・わんだほー・じゃぱーん。

 完全に煮える少し手前で火を止めて、後は余熱で。
 お出汁がぎゅーっと染み込ませる。
「おいしくなーれ、おいしくなれー」
 おまじないをもう一度。こんぶのかみさまにお願いする。
 とても落ち着くいい香り。ああ、なんだか、眠く、なって、きた…



「はっ!?」
 いけない、うとうとしてしまったみたい。時計を確認。よかった、ちょうどいい時間だ。
 気付けばお腹もすいていた。よし、それではいただきましょう。
「おいしくできましたでしょうか…」
 鍋つかみをはめて、おそるおそるふたを開ける。
 持ち上げたふたのすきまから、ほんわりと溢れる湯気。湯気。…湯気湯気ゆげゆげ…
 ぼわんっ!
「わふーっ!?」
 まるで火山の噴火のようにふきだした湯気に驚いてしりもちをつき、思わずふたを落としてしまった。
 目の前は湯気で真っ白。まさか火事かとも思ったけれど、焦げたり燃えたりのにおいはない。
 湯気はすぐに晴れていき、私はまず鍋の無事を確認した。…確認しようとした。
 けれど、お鍋の前に立ちはだかる人影によって、それはかなわなかった。
「おっす、オラ昆布食(こん・ぶくう)!」
 来ヶ谷さんだ。
「おっす、オラ昆布食!」
 腰まで届くつややかな黒髪。何もかもを見透かすようなあるかいっく・すまいる。ばいん・きゅ・ぷりん!のDynamiteなBody。
「どこから見ても来…」
「私は来ヶ谷唯湖などという人間ではない。現世には確かに私によく似た絶世の美女がいるらしいが、それは別人だ。他人だ。面識もなければ血のつながりもない」
「わふー…」
 なんだか怒涛の勢いで否定されてしまった。そういうところが間違いなく来ヶ谷さんだと証明していると思うのだけれど、言えば余計にややこしくなるだろうと思えて口をつぐんだ。
「ふむ、私が何者か知りたいかね?よし、教えてやろう」
 何も聞かないうちから話が進んでいく。とりあえず彼女に任せてみる。
「まず始めに、君には礼を言わねばならないな、能見クドリャフカ君。いつも昆布を美味しく料理してくれてありがとう。そう、私は昆布の守り神、ちなみに名前が中華風なのはその場のノリだ、気にするな」
「そ、そうですか」
 小さな疑問まで先回りされては、私が言葉をはさむ隙がない。
「君の昆布への愛情には本当に頭が下がる。そこで、君に何か恩返しをしようと思い、やってきた」
「いえいえそんな、恩なんて…」
 昆布が好きだから料理しているだけで、改まってお礼を言われると、かえって気が引けてしまう。
「謙遜は多くの場合美徳だが、こういうときは遠慮せず、素直に受け取っておくほうが相手も喜ぶぞ」
「わ、わふ…わかりました。ありがたくいただきます」
「うむ。では君に、これを進呈しよう」
 昆布さん(仮名)は満足そうに頷いて、胸元から3枚のカードを取り出した。
「とらんぷ…?」
 大きさも形もトランプそっくりだけれど、片面が白紙で、トランプのセットに1枚は入っている予備のカード。それが3枚。
 正直もらっても使いみちに困りそうだけれど、あまり高価な物をもらってしまうよりは気が楽だ。
「ほっとしているところ悪いが、それはただのトランプではないぞ。願いがかなうトランプだ」
「願いが、かなう…ですか?」
 唐突にそんなことを言われて信じろというほうが無理な話だ。トランプにそんな凄いぱぅわーがあるようにも見えない。
「ふむ、信じられないのも無理はないな。物は試しだ、一枚使ってみるといい」
「どうやって使うですか?」
「白い面にこのペンで願いを書けばいい。どうだ、簡単だろう?」
 渡されたサインペン片手に、私はしばらく考え込んでしまった。急に言われると願いというものはなかなか出てこない。
「そんなに難しく考えることはない。というか待つのに飽きたからささっと書いてしまえ」
 昆布さん(仮名)の脅しに屈した私は慌ててカードにひとつめの願いを書いた。
『胸を大きくしたいです』
 いくら慌てていたとはいえ、もっとましな願いはなかったんだろうか。
「ふむ、なるほどな。クドリャフカ君らしい願いだ。私としては今のままのほうがげふんげふん」
 私らしいってなんだろう。ちょっと本気で考えようと思ったそのとき、願いを書いたカードがまばゆく輝き始めた。
「わ、わふっ、あくしでんと・ふぉー・みー!」
 がらがらっ!私の声を聞いたのか、そのとき家庭科部室の戸が勢いよく開かれ、宮沢さんが飛び込んできた。
「どうした能見っ!」
「い、いえこれは別に何でもっ!」
 トランプの光は収まっていたけれど、そこに書いた文字を見られるのは恥ずかしいので咄嗟に後ろ手にトランプを隠す。
 宮沢さんは、私の言葉が本当か確かめるように見ていた。すると、ある一点に目を留めてわなわなと震えだした。
「何でもないわけあるか!何だその胸はっ!?」
「わふっ!?」
 血相を変えて、私の胸を指差しながらずかずかと歩み寄って来る宮沢さん。
「可愛そうに…こんなに抉れてるじゃないか!」
「え、えぐれてなんかないのですーっ!!」
 まるでそこに大きな傷口でもあるかのように、おそるおそると手を伸ばしながらも触れることができないという様子で…もちろん私としては触られたくはないけれど、そこまで痛々しいのかとひどく傷つきもしてしまう。
 そして、一瞬のためらいのあと、意を決したように、
「心配するな、俺が揉んで、今すぐに大きくしてぐはぁっ!?」
 とてもいやな手の動きとともにせまってきた宮沢さんを殴り倒したのは、抜き身の愛刀を手にしたくるが…昆布さん(仮名)でした。
「人が呆気に取られている間に何をしとるか、全く」
 このときばかりは彼女が頼れる姉御であることを実感する。いや、普段も頼れることは頼れるのだけれど、それ以上にせくはらがごにょごにょ。

 気を失った宮沢さんをロープでぐるぐるまきのうえ廊下に叩き出して、ようやく落ち着くことが出来た。
「わふー、宮沢さんは一体どうしてしまったんでしょう」
 ふだんからねじの外れた人だとは思っていたけれど、女のひとにいやらしいことをするような人ではないと思っていたのに…。
「おそらく、トランプの効果だな」
「どういうことでしょうか?」
「そのトランプは確かに書かれた願いを叶えるのだが、『効果には個人差があります』というやつでな。一瞬で効果が出ることもあれば、長い時間をかけて効果が出るよう働くこともあるのだよ」
「でも、それで宮沢さんがどうして」
「おそらく、今のクドリャフカくんは、男に胸を揉ませたくなるようなフェロモンを発散しているのだろう。堅物の宮沢少年を狂わせるほどだ、外に出れば男子どもにもみくちゃにされるだろう事は想像に難くない」
「わふーっ!どうしてそんなことにっ!?」
「胸を大きくするには男に揉まれるといい、という話を聞いたことがあるだろう?根拠のない俗説だが、その状態で校内を歩けば、揉まれ過ぎて腫れてしまうだろうな。願いどおりに大きくはなるわけだ」
 それで願いがかなっても全然うれしくない。このままじゃ外に出ることも出来ないし、怖くてぶるぶる震えていると、なぜか昆布さん(仮名)が身悶えていた。ゆれる黒髪とあいまって本当に昆布みたいだ。いや、どちらかというとわかめだろうか。
「ああっ、怯えるクドリャフカくんも可愛い…だが、安心しろ。むくつけき男どもにくれてやるつもりはない」
 安心しろと言われてもまるで安心できないというのがすごいと思う。けれど、今は彼女だけが頼りだ。忍び寄る危機感はこのさい無視することにしよう。
「クドリャフカくん、さっき願いを書いたトランプを破け。そうすれば願いが破棄され、効果は消える」
 言われたとおりにトランプをまっぷたつにびりびりと破くと、書いた文字がすうっと消えていった。
 ほかに何も起こったようには見えなかったので、少し不安になったけれど、ためしに昆布さん(仮名)同伴で廊下に転がした宮沢さんの前に出ても今度は発狂しなかった。

 無事トランプの効果が消えたことを確認すると、昆布さん(仮名)は颯爽と去っていってしまった。もちろん歩いて。
 あとに残されたのは、2枚となった願いをかなえるトランプ。
「どうしましょうか、これ…」
 せっかくいただいたのだから使わなければもったいないという気はする(ちなみに裏には「本日中にお使いください」と書いてあった。生ものらしい)
 ただ、さっきのようなことにならないためにも、願い事は慎重に選ばなければ。
 ああでもない、こうでもないと悩んだ結果、ふたつめの願い事は、『英語がぺらぺら話せるようになりたい』と書いた。
「わふっ」
 さきほどのように、願いを書き終えるとトランプが輝きだし、やがて収まりました。
 これでぺらぺらになったんだろうか。それとも、今度はあめりか人さんが寄ってきちゃったりするんだろうか、後者だったら嫌だなと思いながら、まずは今の英語力が上がっているかどうか確かめてみることにした。

「…わふ、ぜんぜんだめですー」
 鞄から教科書とノートを取り出し、今日授業でやったところをおさらいしてみたけれど、全く変化していない。むしろ、忘れた分だけ悪くなっていた。
「やはりすぐには効果が出ないということでしょうか…」
 トランプを指先で弄んでいて、私は間違いに気付いた。
「『話せるようになりたい』じゃだめじゃないですか…」
 これじゃ、良くなるのは英会話だけだ。書き直そうと思ったけれど、上から何度書いてもすぐに消えてしまう。一度願いを書くと変更はきかないみたいだ。
 仕方ない、英会話だけでもぺらぺらになるのなら、きっと英語の勉強にも役に立つだろう。
 それなら、どれくらい上手くなったのか確かめてみよう。

 家庭科部室を出て、グラウンドの方へ向かう。リキたちが野球をしているかもしれない。
 突然あめりか人の団体さんとかに囲まれたりしたらたいへんなので、周りを警戒しながらそろそろと向かいます。
 歩いていると、中庭の近くでらんにんぐをしている井ノ原さんに出会った。
「井ノ原さん、はろーですっ!」
「よっ、クー公」
 そうだ、まずは井ノ原さんに試してみよう。
「ほぇあー・あー・ゆあ・べいすぼうる・ちーむめいと?」
「は?」
 井ノ原さんが目を丸くしている。今のはちょっと唐突だったかもしれない。
「あ、ごめんなさいです。ほかのみなさんはどちらにいらっしゃいますか?」
「あ、う…?悪い。もっかい言ってくれねぇか?」
 あれ、どうしたんだろう。聞き方が悪かったのだろうか。
「ええと…みなさんはぐらうんどにいらっしゃるんですか?」
「うおおお…おちつけ…落ち着くんだオレ…よし、スクワットだ!1っ!2っ!3っ!4っ!」
 私が聞きなおすと、なぜか井ノ原さんは苦しみ始め、かと思うと突然その場ですくわっとを始めてしまった。
「わふーっ!大丈夫ですか井ノ原さんっ、意味不明ですっ!?」
「うわああーーーーっ!!ロクシチハチキュジュジュイッ、げほごほっ!」
 私が駆け寄ると、叫び声をあげた井ノ原さんは猛スピードですくわっとをし、途中で回数を噛んでむせながらさらにスピードを上げた。
「な、何だかよく分かりませんがごめんなさいなのですーっ!」
 話しかけるたびにすくわっとのスピードが上がり、もはや近づくことも出来ない速さになってしまった。
 踏みしめた両足が摩擦でどんどん地面にめり込んでいく。ぶすぶすと靴底が焦げ、井ノ原さんから立ち上る熱気が上昇気流をつくりだす。
 風が…井ノ原さんを中心に風が渦巻き始めた。もしや、これがあの筋肉旋風なのだろうか…。
 いくら井ノ原さんでもこれ以上はたぶん危険だ。どうにもできず、困った私の頭に、一人の男の子の顔がとっさに思い浮かんた。
 慌てて携帯電話を取り出すと、彼の携帯に電話する。意識しなくても身体が覚えている。
 数回の呼び出しのあと、求めていた声が聞こえてくる。電話を通して耳に染み込んでくる。
「もしもし、クド?」
「リキっ!」
「クド、どうしたのっ!?」
 心細さとうれしさとがまじりあって、第一声が悲鳴になってしまった。リキが電話の向こうで心配してくれている。落ち着かなければ。
「あ、あの…井ノ原さんが、井ノ原さんが…っ!」
「真人がどうかしたの?」
「あの、話しかけたら急にスクワットを始めて、スピードが上がりすぎて筋肉旋風に!」
 落ち着いて説明しても意味不明!?リキも戸惑っているのが伝わってくる。
「…よく分からないけど、多分真人が何か大変なことになってるんだよね。すぐに行くから、待ってて!」
「リキ…」
 だめだ、私、泣きそうになっている。ぐっとこらえて、自分の居場所をリキに伝える。
「こーとやーど…って、たしか、中庭だっけ」
「そうです、中庭です!」
 こーとやーどの意味は分かりませんでしたが、居場所は伝わったようだった。電話を切ると、なぜだか、もう大丈夫だ、という安心感に包まれる。
 井ノ原さんのようすを確認すると、風はさっきよりも強くなっているようだけど、中心にいる井ノ原さんは今は楽しそうに笑っていた。
 もしかしたら私一人で大騒ぎしてしまっただけなのかもしれない。さっきのリキとの電話を思い出して、とても恥ずかしくなった。

「クド!真人!大丈夫!?」
 井ノ原さんの筋肉旋風が間もなく完成となるころ、おっとり刀で駆けつけてくれたリキの声が聞こえた。
 改めて先ほどの自分を思い出して顔がほてってくる。
「うわぁ、これは凄いね」
 もはや一陣の竜巻と化した井ノ原さんを見て、リキが溜息を漏らす。驚いたり呆れたりしているようだけれど、感動したりあこがれたりしているようにも見える。
「うむ、これは井ノ原少年だからこそ成し遂げられる偉業と言っても過言ではあるまい」
「わふっ!?」
「それはさすがに過言だと思うけど…」
 いつの間にか隣には来ヶ谷さんも来ていた。たぶん、リキと一緒に来たのに私が気付かなかっただけなんだろう。
「あの…」
「ん?何だねクドリャフカくん」
「あなたは来ヶ谷さんなのでしょうか、それとも昆布さんなのでしょうか…?」
「はっはっは、どうしたんだ。まるでどこぞの皮肉屋が書いた戯曲のようだぞ。なかなか哲学的な問いだ。さて、どう答えたものだろうな…」
 しかし、その答えを聞く前に、私たちの目の前で筋肉旋風は最高潮を迎えた。
「マッスルマッスル…マッスルマッスル…きた、きたぜぇーーっ!
 マッスルナイトォーーーッ・フィーーバァーーーーーーーーーぁぁっ!」
 どどぉーーんっ!!
 極限まで高まった筋肉の波動が、いっせいに天へと駆け上り、宇宙へと還っていった。
 やがて、宇宙に満ちた筋肉の波動が、太陽系だけでなく、銀河を、宇宙を筋肉で包んでいくのだろう。
 そして、全てをやりとげた井ノ原さんの巨体が、糸の切れた人形のように倒れ込む。
「真人っ!?」
「井ノ原さんっ!」
 地面に大の字になって横たわる井ノ原さんに私たちは駆け寄った。
「真人、わかる?僕だよ、理樹だよっ」
 リキに手をとられた井ノ原さんは、普段からは想像できないほど弱弱しく、今にも消えてしまいそうに見え、私は言葉を失った。
「理樹か…なぁ、見たか…?オレの、オレの筋肉旋風を…」
「うん…うん、見たよ!すごいよ、さすが真人だね!あんな筋肉は世界中、いや宇宙中探しても他にいないよっ!」
 井ノ原さんの目はすでに輝きを失い、あらぬ方を見つめている。リキはそれでも懸命に笑顔を作っていたけれど、あふれるものを押さえられないのか、ときどき言葉を詰まらせていた。
「そんなに、ほめる、なよ…。オレの、後は…理樹、お前、なんだから…よ」
「…まさと?そんな…真人ぉーーーーっ!」
 呆然と立ちすくむ私を押しのけ、来ヶ谷さんが井ノ原さんの容態を手際よく確認します。
「ふむ、空腹でぶっ倒れただけだ。全くの健康体だ」
「え?」
「ああ、やっぱり。さすがの真人でも、あれだけ動けば仕方ないか」
「がーーーーんっ!?」
 来ヶ谷さんはともかく、診断を聞いたリキまでけろっとした顔で話している!?
 さっきまであんなに思わせぶりに、思わせぶりにっ!私の涙を返せっ!
「ひーどーいーれーすーーっ!てっきり、てっきり私はっ…たちが悪いにもほどがありますっ!!」
 ぽかぽかぽか!身長差があってもリキがしゃがんでいる今ならのーぷろぶれむ!怒りを込めてリキをとっちめてやるんだ!
「いたたたっ!ご、ごめんよクド!落ち着いてっ!」
 これが落ち着いていられるかっ!と追いうちをかけようとしたけれど、後ろから伸びてきた腕に抱きかかえられてしまってかなわなかった。
「わふっ?く、来ヶ谷さんっ、離してくだひやぁっ!」
 今変なところを触られたっ!逃れようと暴れる私を来ヶ谷さんはなんなくおさえこんでしまう。
「まあ落ち着け。とりあえず今は確認したいことがあるだけだ」
「確認、ですか?」
 そうだ、と頷いて離してくれたので、私も暴れるのをやめて向き直った。リキはなぜかずっと、きょとんとしたような顔をしている。
「まず、真人少年だが、彼があんなことを始めたきっかけに心当たりは?」
 なぜあんなことになったのか、それは私のほうが聞きたいくらいだったので、即座に首を振った。
「ただ話していただけなのに、急にあんなふうになってしまったんです」
「普通に話していたのかね?」
 普通に、をやけに強調していたけれど、特別変わった話をしたわけでもなかったので頷く。
「はい、普通に。皆さんがどこにいるか聞いただけなのですが、急に苦しみだして…」
「今も普通に話しているな?」
「?はい」
 何の確認なんだろう。さっきからずっと黙っているリキの方を見ると、リキはきょとんとした顔をぱわーあっぷさせていた。
「では、最後の質問だ、クドリャフカくん。今きみは、何語で話している?」
「はい?」
 どういう意味なんだろう。どこか発音がおかしいとか、そういうことなんだろうか。
「日本語、ですけど。どこか変なのでしょうか?」
「いや…そうだな、彼に聞いたほうが早いだろう。少年、彼女は今何語を喋っている?」
 そういうと、先ほどからずっと黙っていたリキへと顔を向けた。なぜだかとても素敵な笑顔を浮かべていたリキに。
「クド、凄いよ、英語がすごく上手になってたんだね!参ったな、僕は半分くらいしか聞き取れなかったよ」
 私の願いは、確かにかなっていた。ただし、私のしゃべる言葉が全部英語になる、という形で。

 トランプの最後の1枚。私は自室に戻り、ベッドに横になったまま、最後となったトランプをもてあそんでいた。
 結局、2枚目の願いも破ってしまった。ずっと英語しかしゃべれないのでは意味がないから。
 時計の針はもうすぐ12時。このトランプもただの紙きれになる。
 相談しようにも今日は部屋に一人きり。もっとも、相談しても信じてもらえないような気がする。
 そういえば、せっかくつくった煮物は食べそこなってしまった。すっかり疲れてしまって、たっぱに分けてしまうので精一杯。
 こんぶの神様、怒ってるかな…。
 つくった煮物を食べないばかりか、もらったトランプもうまく使えない。私は相変わらず、だめだめなままだ。
 …だめだ、ねがてぃぶなほうにばかり考えてしまう。よし、悩むくらいならこのトランプ、何も考えないで使ってしまおう。
 頭の中をからっぽにして、ペンを走らせる。トランプが光りだし、そして…。

 髪をひと房、手にとってみる。手触りはいつもと変わりないのに、見える景色がまるで違う。
「真っ黒です…」
 つやつやと輝く、黒曜石の色。ずっと憧れていた、お母さんの色。
「わふー…」
 自然と笑みが浮かぶ。意味もなく髪の毛でほっぺをくすぐる。
「そうだ、鏡…」
 黒髪の自分は、どんな姿をしてるんだろう。いそいそと姿見に向かう。
「あはは…やっぱり」
 髪の色だけ変わっても、私が変わるわけじゃない。鏡に映るのは、髪の黒さが際立ってかえってちぐはぐな、ヘンな女の子だった。
「やっぱり、私はどっちつかずで中途半端なんですねー。はは…」
 浮き立った気分はあっという間にしぼんで、惨めな気持ちでうつむくしかできなかった。

――そんなことないわ、クーニャ――

「だれ、ですか?」
 聞かなくても本当はわかっている。聞き間違えるはずなんてない。
 顔を上げると、鏡の向こうに、お母さんが立っていた。
「おかあ、さん…お母さんっ!」
 間違いない、ずっと、ずっと会いたかった、私のおかあさん。

――クーニャ。誰かをまねる必要なんてないのよ。あなたはあなたのままで、もっと素敵になれる――

「自信、ないです。だって、私はいつまでたっても寂しがりで、出来がわるくて…」
 手を伸ばしても触れ合えない、鏡の向こうのおかあさん。

――私は知ってるわ。あなたはもう誰にも負けない素敵なものをたくさん持ってるの――

「そんなの、わたし、知らないっ…」
 鏡越しに私の手に重なる、お母さんの手。

――あなたが知らなくても、あなたの周りの人はちゃあんと知ってる。あなたの大好きな、あなたを大好きな人たちが――

「ほんとうに…?」
 あたたかい、お母さんのあたたかい手だ。

――ほんとうよ。胸を張りなさい、クーニャ。私たちの自慢の娘――

 お母さんのぬくもりが、ほほえみが、ゆっくりと薄れていく。
 口を開けば、引き止めたくて叫びそうで、がんばって唇をむすぶ。
 言えたのは、本当に最後、一言だけ。
「…はいっ」
 私の答えは、お母さんに届いただろうか。
 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔が、私を見つめ返していた。真っ直ぐに、胸を張って。



「はっ!?」
 いけない、うとうとしてしまったみたい。時計を確認。よかった、ちょうどいい時間だ。
 気付けばお腹もすいていた。よし、それではいただきましょう。
 ふたを開けて、器によそる。
「こんぶのかみさま、いただきます。おかあさん、いただきます」
 きっとおいしくできてるはずだ。


[No.597] 2008/09/26(Fri) 22:13:37
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[No.598] 2008/09/26(Fri) 22:32:25
向こう側の話 (No.594への返信 / 1階層) - ひみつ 14619 byte

 みなさんの去った後の虚構世界についてお話ししましょう。あなたの関心と疑問はその一点に向けられているのでしょうし。
 ご覧のとおり、ここにひとは一人もいません。私がこうして自らの意志で考え、動き、話すことができるようになった時には、みなさんは既に現実世界へと帰ってしまっていました。聞いた話では恭介さんの思惑を超えて、鈴さんとリキのお二人はバス事故に遭った全員を助け出したそうですよ。それからみなさん、現実世界で今とても幸せな生活を送ってらっしゃるとか。修学旅行のやり直しに海へ行ったりです。わふ? この辺の事情は私よりもあなたの方が詳しい? なるほど、それは確かにそのとおりなのです。私はあなたの知らない私たちのその後のお話を語るためにここにいるのでしたね。私たちにとっても、現実世界に帰ったみなさんは、現実世界に帰ったがゆえに、今やなんの関係もないひとたちです。悲しいことですけど。
 そういえば、お話を始める前に自己紹介をしておいたほうがいいんでしょうか。佳奈多さんには最初の方でしておきなさいって言われました。私の名前は能美クドリャフカ。でも、あなたの思っているクドリャフカとは少し違うはずです。私は、本物の私がこの世界を去った後、恭介さんたちが用いる駒として用意された人形――あなた方の言葉を用いれば、NPCなのです。
 ところで、私は信じているのですよ。私がNPCだと聞いても、あなたは一切不思議に思いはしないと。だって、人間の去った後の虚構世界にNPC以外の誰かが住むなんてありえないことくらい、考えればすぐにわかるはずじゃないですか。


 さて、このお話を、私は一体どこから始めればいいでしょうか。私の始まりは、実を言えば私にもよくわからないのです。それでも敢えて特定の一瞬を始まりと位置付けるのであれば、それはたぶんあの瞬間なんでしょう。体よく操られる人形として最初誕生した私は、自らの意志なんて欠片も持ってはいなかったはずでした。眼は確かに何かを映し込んでいる、でもそれは単にそれだけのことであって、私がその風景を覚えていたり、それを見て何かを思ったりすることなんてありえないはずでした。
 夕暮れです。
 最初の風景は、夕暮れでした。
 みなさんが野球の練習の後片付けをしている校庭でした。透明な赤に焼けた空のその深い色が、校庭の隅に立ち尽くす私の眼に飛び込んできた。それを私は、なんと言ったものでしょうか――とても、とても綺麗だなあと、そんなふうに思ったのです。この私がです。誰かに操られるばかりの人形でしかない――何かを思い、感じ、考える内面なんて全然持っていないはずの、この私がです。そのことをおかしいと思うほどの自我もその時はまだ芽生えていませんでした。そして私の意識はまた途絶えます。
 それからしばらくの間の記憶はとても断片的です。まあ、当然のことですよ。ほんのわずかに感情が芽生えただけの人形に、連続したまともな記憶なんてあるわけがありませんから。だからごめんなさい、この頃のことについてはあまりお話しできそうにないです。
 あ、でも――。
 試しに、その断片を並べてみましょうか。
 夕陽を何度か見ました。草の穂が沢音めいて鳴っていました。野球の練習、ボールを取ろうとして転んだ時の痛み、ボールを投げる鈴さんの後姿。ヴェルカとストレルカとの散歩。リキの声。何を喋っていたのかは覚えていません。静かな朝焼け。お母さんに出した手紙。鎖、地下、腐臭。水。暗い水面を覗き込んだ。波紋。グラウンドの端を流れる川。日溜まりの水。夕映えの水。井ノ原さんと一緒に川に落っこちた夜。それから、佳奈多さん。私が一番たくさんの時間を共にすごしたひと。佳奈多さんは最初からあの佳奈多さんでした。本物はこの世界にいませんでした。それでも。
 私は、知っています。本物でない佳奈多さんは、でも本物と同じくらいに、三枝さんのことを憎み、そして、愛していた。
 そうそう、野球で勝った時のことなら、結構詳しく覚えているのですよ。リキがホームラン打ってかっこよかったです。まあ一番よく覚えているのは、祝勝会で三枝さんにぐるぐるーってされたことですけど。地獄のラウンドブランコー。ぐるぐるー。


 今現実世界のどこかにいる本物の私ではなく、この私がちゃんとした自我を目覚めさせたのはきっと、鈴さんがいなくなった日でした。他のひとたちはどうだったんでしょーね? この前訊いてみたら、佳奈多さんは、覚えてないわそんなの、って言っていました。――あ、今の似てました? 似てました?
 しょぼーん。そうですか、似てませんか。
 で、同じ質問を来々谷さんにしてみると、最初の日からNPCとして確固たる意識を持っていたとのことで、来々谷さんはやっぱり凄いのです。前任の私がしくじって恭介氏に放り出されたこともちゃんと覚えてるぞーってそんなことまで言っていました。いえ、今のが似てなかったことはさすがにわかってます。物真似はともかく、今度他のひとたちにも訊いてみることにします。え? 今この世界にいるひとですか? えーっと、私のほかに、佳奈多さん、来々谷さん、三枝さん、西園さん、笹瀬川さん、ですね。その他のひとたちはNPCにならなかったですから。
 そう、この私が初めて目覚めた日の話です。昼休みの廊下。前触れらしいものは何一つありませんでした。なんと言うのでしょうか、暗い霞みたいなものが、す、と晴れて、眠りから覚めるような心地でした。今ここでこうしてあなたに物を語っている私はその時に生まれました。体は自由に動かせなかった。喋ることさえできなかった。自分では意図もしていない行動を私は取り、喋ろうともしていないことを私の口は勝手に喋っていました。私は、私より大きな何かに操り人形のように操られ、悲鳴を上げることもできずに、そのことにただひたすら耐え忍ぶ存在でした。でも、しかしそれでも、私は私だった。そのことを私は確かに知りました。本物とか偽物とかは関係なしに。
 私は能美クドリャフカ。
 そして鈴さんが学校にいないことに気がつきました。リキと恭介さんが言い争いをしているのを見てしまったのは、それから何日かしてからのこと。その後の展開はあなたがご存知のとおりです。リキは鈴さんをつれて逃げ、でもそれは果たせなくて、鈴さんの心には深い傷が残りました。あの日のリキの姿を覚えています。賑やかな教室で独り窓際の椅子に座り、俯いていた。あれほどに悲痛なリキの姿は後にも先にも見たことがありません。私は何も言うことができませんでした。何も。
 あ、それでですね、この後が私たちにとってはちょっと謎なんです。どうもNPCがお役御免となったらしくて舞台裏に追いやられて不遇の日々を過ごしました。けーっ、ってみんなで不貞腐れていました。NPCの労働環境を改善せよ! メーデーメーデー! けーっ。私たちがようやく表舞台に這い出してきたのは、鈴さんとリキが手を取り合って校門に走り出している時のことです。恭介さんは校庭で独り、お二人の背を見送っていました。後で聞きましたがこの時、小毬さんはまだ虚構世界にいらっしゃったんですね。最後にお会いしておけばよかったです。
 さて――。
 恭介さんは去った。小毬さんも去った。みなさんの物語は、これでおしまい。代わりに始まるのは私たちの物語です。私たちは恭介さんや小毬さんの手による操作から離れて、自分たちの生を生き始めたのです。
 NPCが自分の生を生きるだなんてお笑いだとお思いですか? そんなこと思ってない。そうですか、それは結構です。まあ私たちだって、ちょっと変だなあ、とは思っているのですよ。でも私はこうしてクドリャフカとしてちゃんと意志を持って存在しているので、NPCだからって蔑まれたり、ないがしろにされたり、無視されたりしたら傷つきます。
 そうです。
 傷つきます。


 黒でした。私たちが見たのは、一面の、黒。
 黒く暗い淵、と書いて、やみわだ、と読むそうです。黒暗淵。旧約聖書に出てくる、世界が誕生する以前の闇を指す言葉だと西園さんが教えてくれました。さすが西園さんなのです。本をたくさん読んでいる方なので、さぞかしいろいろとご存知なんだろーなーと。私とは大違いなのです。
 地は定形なく、曠しくして、黒暗淵の面にあり――だったと思うのですが、ええと、ちょっと自信がないのですが、その日その時私が眼にしたのはそのようなものだったのだと思います。少し前までグラウンドがあり、リキや鈴さんや恭介さんがいたはずのその場所は、地平線まで、いえ、この状態で地平線も何もあったものではないかもしれませんけど、とにかく、見渡す限りの黒い闇に飲み込まれていたのです。地面はぐらぐらと揺れていました。ぼろぼろと剥がれ、割れた硝子片のように降り注いでくるのは青い空の欠片でした。これはぴんちです。大ぴんちなのです。
 虚構世界が、崩壊を始めたのでした。
 当然のことではありました。恭介さんたちが作り出し、維持していた世界です。恭介さんがいなくなった時点で壊れるのは道理です。でも私たちは、納得できませんでした。全然できませんでした。みんなを怨みさえした。本来現実世界に生きるみなさんには、所詮、この虚構世界は一時の居場所でしかなかったのでしょう。強く成長するためにいずれ捨て去るべき、幼い世界だったのでしょう。けれど私たちにとって、ここは唯一無二の居場所です。大切な世界です。
 自分達が生き延びるために、世界と私たちとを生み出しておきながら、用済みになったら、そんなものまるでなかったかのように捨てるなんて――。ええ、わかっています。みなさんそんな酷いひとではありません。でも、私たちにしてみれば、それとまったく同じことだったのです。
 残された私たちは誰もいなくなった教室に集まりました。外では黒い領域が瞬く間に広がって、虚構世界が、形作られる以前の黒暗淵へとだんだんに還っていっていました。もうすぐこちらに届きそうです。そうして空の崩れ落ちる音を遠くに聞きながら、誰も何も言い出せずに暗澹としている中、無責任なことだな、とカーテンの隙間から外を眺めながら呟いたのは来々谷さんでした。来々谷さんは更に言いました。彼らには現実世界が存在するのだから構わないのだろうが、虚構世界にしか生きられない私達はこのまま死ぬしかないという訳か? ――そんなこと、させるものか。
 あ、今度は似てました?
 ええ、はい、いいんです。期待していませんでしたから。しょぼーん。
 ともあれその時の来々谷さんはとてもかっこよかったのです。わふー。
 それから繰り広げられたのは、虚構世界を守るための戦い、とでも言うべきものでした。当初主に仕事をしたのは虚構世界の構造を知悉している来々谷さんでしたけど、私も少しだけお手伝いをさせていただきました。数学や物理はどちらかと言うと得意なので、お役には立てたと思うのですがー。どこから持ってきたのかよくわからないパソコンを抱えて屋上に駆け上がると、来々谷さんは空や地面を飲み込む黒さを横目で一瞬見遣り、それからフェンスの辺りに手を伸ばしました。そこのテクスチャを引き剥がすと緊急端末が現れるのです。端子を捻じ込んでパソコンをつなぎます。その時来々谷さんがおこなおうとしたのは、黒く染まった患部の外周を論理防壁で囲い、初期化を実行することでした。一番手っ取り早い方法で、それができれば楽だったろーなーとは私も思います。
 結果は、デコイと抗体がうじゃうじゃーって出てきて大変なことになったんですけど。
 どう考えても不正規入力なので当然と言えば当然なんですけど、それだと恭介さんはどうやってデバッグとかしていらしたんでしょうか。トラップドア的なものがあるのかー!どこだー!と来々谷さんはキーボードを叩きながら叫んでいました。
 その後はもう、対抗論理を生成しては、拡大する患部にぶつけていくことの連続です。可視領域における現在の拮抗線はグラウンドの向こうの茂みの辺りだったと思います。あの辺にはまだちょっとだけ黒が残っていまして、あそこを支えている電網の攻性部は私が組み立てたんですよ。来々谷さんにだいぶ手を入れられてしまいましたけど。今では戦闘は主にレベル3の不可視領域でおこなわれているそうです。もう少しで制圧してレベル4に行ける、と一昨日来々谷さんは言っていました。お恥ずかしい話ですけど、この辺りになると私にもちんぷんかんぷんでして、今ではこのお仕事は来々谷さんに任せきりです。
 そうそう、その頃やっていた仕事はもう一つあります。と言いますか来々谷さんのお手伝いはあくまでお手伝いで、主にこちらを担当していました。佳奈多さんと笹瀬川さんが作ったテクスチャを、西園さんと三枝さんと手分けして、空白になった地面や壁にぺたりぺたりと貼り付ていたのです。糊で。今あなたの目に虚構世界が空白も欠落もなくちゃんと映っているとしたら、ぺたりぺたりとやり続けた甲斐があるというものです。あ、これ、今でもやっていますよ。たまに剥がれてくるんです。ちなみに空はどう修繕したかと言えば、あれ、意外に低くて、屋上の給水塔の上で脚立を立てれば私でも届きます。太陽は紐でぶら下げました――いえいえ、これはさすがに冗談です。紐でぶら下げたのは星と月です。わふ? こちらは冗談ではありませんよ?


 私たちは――。
 私たちは侵蝕する黒をそうしてなんとか退け、虚構世界の維持に成功して、今では平穏無事に生活を送っています。同じことだけが永遠に繰り返される、退屈な日常だろうとお思いですか。同じことの繰り返し、というのは正しいです。けれど別に退屈ではないですよ。
 だって私はNPC。
 自我や自意識といったものがNPCに芽生えた、と私はこれまで言ってきましたけど、それは厳密には違うのです。私たちが自我とか自意識とかいう言葉で指し示すものは、あなた方の言うそれとは実はまったくの別物だからです。つまり、私たちはあくまでNPCとして私たちになったのであって、それは、NPCが人間になったり、人間に近付いたりしたというわけでは決してないのです。この閉鎖空間の反復の中にいることは、私たちには特に苦でも退屈でもありません。それらがあるように感じられるとすれば、それはあなた方人間が、あなた方人間の感覚でこの世界を眺めているからでしょう。たぶんですけど。
 だから、そう、私たちは今、平穏に生活を送っていて、問題らしい問題は何もありません。でも。
 みなさんを怨みさえした、と言いました。嘘ではありませんけど、別に今の私がリキたちを怨み呪っているというわけでは全然ないです。むしろ私たちは、みなさんを愛していました。みなさんを愛することこそが私たちに与えられた役割だった、と言ってもいいくらいです。だって、当然じゃないですか。私は、クドリャフカです。リキや鈴さんや、みなさんのことが大好きな、クドリャフカです。そしてだからこそ、さっきも言いました、傷ついた。
 リキたちがいなくなった後、部屋で独り、泣きました。佳奈多さんがいない時にです。大泣きでした。だって私は、私の好きなひとたちに、見向きもされずに立ち去られたのですよ。ないがしろにされ、否定され、顧みられることさえなかったんです。ひとが自堕落な願望を充足させるためだけに存在する偽りの楽園。ひとが現実世界で強く正しく生きるために、捨てられて当然のもの――。
 私たちは、そのようなものだったのですか。
 私たちと私たちの世界は、そのようなものとして創造され、一時だけの慰み者にされ、そして見捨てられる、そんな存在だったのですか。教えてください、答えてください。お願いです。
 お願いですから、どうか。
 あ、そう言えばですね、泣いたことは誰にもばれていないつもりだったんですけど、わふ、佳奈多さんにだけはなぜかばれてしまいました。どうしてわかったのかは教えてくれませんでしたけど。いじわるな佳奈多さんなのです。


 だから、ありがとうございます。
 何を突然、というお顔ですね。でもあなたがここを訪れてくれて、私は本当に嬉しいのですよ。あの日私たちを置いて、リキと一緒に現実世界へと旅立っていったあなた。そのあなたがこうして再び私たちの元を訪れて私の話を聞いてくれている、そのことがとても嬉しくて――私たちとこの虚構世界とがまだ少しだけ、ほんの少しだけ、必要とされているのだと、それでわかるのですから。
 それにひょっとしたら、あなたがそうだったように、リキたちがもう一度ここを訪れる日が来るかもしれませんしね。
 さて、今ここにこうして、崩壊したはずの虚構世界と、いなくなったはずの私たちNPCがいるのは、概ねそんな理由からなのでした。いつまでも私のお話を聞いているというわけにもいかないでしょうし、今回はこの辺で終わりということにします。
 ご清聴、誠にどうもありがとうございました、なのですっ。
 他にも聞きたいお話がある、というのでしたら、別の機会にお話しますよ。変化のないこの世界に住んでいても、日々暮らしていれば、日常のお話から不思議で幻想的な物語まで、お話しすることは幾らでも出てくるのです。たとえば、そうですねー、レベル1の不可視領域に初めて足を踏み入れた時のこと。他にもあるかもしれない虚構世界と連絡を取るために、屋上にアンテナを立てる計画。後、いつからだったでしょうか、校庭でするようになったソフトボールの練習について。それからそれから、蒼ざめた光の尾を引いて、大きな彗星が夜空を横切った夜の、不思議な不思議なお話とか。
 しかしそれらはまた、今度。
 今日のところはこれでお別れです。もう一度お会いできる日を、本当に楽しみにしています。そんなに遠くならないと嬉しいんですけど。


 それではまたいつか。
 しーゆー、あげいん。


[No.599] 2008/09/26(Fri) 22:59:53
ネタバレなし (No.599への返信 / 2階層) - ひみつ

EXネタバレなしです。

[No.600] 2008/09/26(Fri) 23:02:32
計り知れないヒト (No.594への返信 / 1階層) - ひみつ@ 16232 byte EXネタバレありますヨ

 雪の降る昼、学校の外の広場で僕は手を擦り合わせながら人を待つ。幾度と無く腕時計を目で確認しても動く速度は変わらなくて、もしかしたらむしろ遅くなっていやしないかと少し不満に思うくらい。
「ああ、後5分かぁ」
 呟く言葉は何度目か。もしかしたら少し遅れて来るかも知れないと考えると5分ですまないかも知れず、ますます落ち着きが無くなっていく。
「はぁ…………」
「直枝!」
 雑踏に響く声。その声を聞いただけで待ちくたびれたのなんて忘れてしまった。響いた声がした方を見てみれば、そこには小走りで近づいてくる女の子。
「佳奈多さん!」
 満面の笑みが浮かんでくるのが自分でも分かる。僕からも佳奈多さんに近づこうと、小走りで彼女の側まで行く。息が少し乱れた佳奈多さんはチラチラと僕を見ながら申し訳なさそうに口を開く。
「ごめんなさい、待たせてしまったでしょう?」
「ううん、そうでもないよ」
 勝手に待っていたのは僕だし、それに本当の事を言ってもそんなに長く待っていた覚えなんてない。そんな僕に佳奈多さんは少し気難しそうな顔をする。
「あなたねぇ…………」
「? 僕がどうかした?」
 心当たりの無い僕は首を傾げるけれども、佳奈多さんはとため息をついただけ。
「いえ、何でも無いわ。直枝は本当にお人好しだなって再確認しただけよ」
「?」
 言っている意味がよく分からない。やっぱり僕は首を傾げるだけ。そんな僕に向かって佳奈多さんはニッコリと笑う。
「それはともかく、私、お腹すいちゃった。何か食べに行きましょう?」
 ドキンと心臓が悲鳴をあげる。もうとっくに慣れていいはずの笑顔にまだ僕は慣れない、慣れたくない。
「直枝?」
「あ、うん。いつものファーストフードでいいかな?」
「うん、もちろん」
 また笑顔。いつまでも見ていたと思わせるようなその笑顔は、世界に舞い散る雪のような儚さで消えてしまう。だけど降り続ける一つとして同じ形の無い雪のように、笑顔はまた浮かぶ。
「じゃあ行きましょう」
「うん、行こう」
 僕は右手を佳奈多さんの左手に絡ませる。
「っ!」
 ピクリと佳奈多さんが震える。前はそうでもなかったけれど、最近は僕が佳奈多さんに触れると彼女はこんな反応を返してくる。なんとなくだけれども、それが悪い感情によるものなんじゃないかと僕は邪推してしまう。
「…………急ごうか」
「ちょ、直枝っ? 痛いって!」
 そんな考えが嫌で、そんな事を考えてしまう自分がもっと嫌で、それらを振り払うように僕は走り出す。大好きな人の言葉も今の僕には届かない。
(…………)
 それくらいに僕は佳奈多さんの事が好きなんだ。

 ファーストフードの店の前でようやく僕は佳奈多さんの手を離す。そしてじっとりとした目で僕を見てくる佳奈多さん。
「…………何か急ぐ理由でもあったの?」
「いや、なんとなく」
 本当の理由なんて情けなくて話せるはずもなく、つい素っ気ない返事になってしまう。そんな返事を聞いた佳奈多さんはぶっきらぼうに僕の手に500円玉を押しつけると階段の方に歩いていってしまう。
「席、取っておくから。いつものセットをお願い」
 不機嫌そうにそれだけを言うと、佳奈多さんは僕の視界から消えてしまう。
「…………」
 その間の僕は何も言えずにただ立っているだけ。悲しい気持ちを押し殺してレジの列に並び、注文をしてしばらく待つ。頭の中でグルグルと巡っているのは佳奈多さんの事だけ。
(謝ろう)
 僕の佳奈多さんに対する対応は酷かった。だから謝ろう。そう決めて二階への階段を上がり、佳奈多さんを探す。そして見つける、いつも座っている窓際の席に座っている女の子を。僕は彼女に近づく、彼女も僕に気がついて振り返る。そして――
「「ごめん」」
「なさ……い…………?」
 同時に声を発したのに佳奈多さんの方が丁寧な言い方だった為、尻切れトンボのような声が残ってしまう。少し抜けた間の中、呆然から先に立ち直ったのは佳奈多さんだった。
「な、何で直枝が謝るのよ…………」
「え。だって僕が酷いことをしたんだから、謝らないと…………」
「違うわよ。私が嫌な女だったから、私が謝るんじゃない」
 僕と佳奈多さんはしばらく見合って、やがてクスクスと笑い合う。
「食べよっか、お腹減ってるでしょ?」
「そうね、食べましょう。お腹減ったわ」
 僕は佳奈多さんにセットとお釣りの乗ったトレイを差し出して、佳奈多さんは笑顔でトレイを受け取る。そうして二人並んで食事を取る。
 いつもと違わない会話だし、いつもと違わない笑顔だけれども、僕の頭には不安がチラついて離れない。
「…………でね、葉留佳ったら本当におっちょこちょいで――――」
「あはははは、それは葉留佳さんらしい話だね。で、最後はやっぱり?」
「ええ。結局いつもの通り」
 会話を続けながら、でもやっぱり僕の頭には不安が占めていた。何で体が触れると震えるのだろうか? 実はもう僕は佳奈多さんに嫌われていて、今日の最後にでも別れ話をされるのではないだろうか? そうなった時、僕はどうしたらいいのだろう?
 口は滑らかに動き、頭の中はもうぐちゃぐちゃだ。そんな崩れたバランスを保ったまま、ふと時計の針が目に入る。予定していた映画を見るのにちょうどいい時間で、ちょっと前からトレイの上に食べ物は無い。
「佳奈多さん、そろそろ時間だから行こうか?」
 話に区切りがついたところでそうきりだす。佳奈多さんはほんの少しだけきょとんとしたけれど、すぐに時計を確認すると席を立つ。
「そうね、そろそろ時間ね」
 そしてトレイとゴミを片づけて、二人で外に出る。しんしんと降る雪はまだ止まず、さっきよりずっと寒い。
「行きましょう、直枝」
 そう言って、今度は佳奈多さんから左手を差し出してきた。僕は少しだけびっくりしたけれども、差し出された手を軽く握り返す。
 そうして映画館までの短い距離を、二つの手を繋いだままで歩く。手が触れ合ったときに佳奈多さんの手が震えたのは気がつかないふりをして。

 映画が始まる。暗い館内、まずは色々な映画の予告編から。そして始まる本番の映画。今日の映画は有名な新人賞をとった、恋愛物を得意とする若手が監督をした映画。恋人が居て、二人は本当に愛し合っていたが女性はある秘密を抱えていた。秘密を話せなかった女性に男性は疑心を抱き、やがて二人は極自然に別れていく。
 ふと、気になって僕は隣に座っている佳奈多さんを見た。食い入るように映画に魅入る佳奈多さんは、普段見るような表情とは全然違う。恋人同士になる前の張り詰めた表情とも全然違う。本当に、僕が全く知らない佳奈多さんの顔。
 僕は、佳奈多さんについて、どれだけの事を知っているのだろうか?
 僕の大好きな佳奈多さんの笑顔、雪みたいにいつも形を変える佳奈多さんの笑顔。白い雪の影を、僕はどれだけ知っているのだろうか? 影の濃さを、僕はどれだけ知っているだろうか?
 けれども心に明かりは無い。どんなに目を凝らしても見えるのは漆黒だけ。それは自分の心も相手の心も。映画の男性だって、あれだけ愛した女性と別れてしまった。男性は、自分の心の暗さを理解していなかった。
 僕は、佳奈多さんは。本当に愛し合っているのだろうか?



 私は小走りに町を通る。本当ならばもう10分は早く着いているはずだったのに、この突然の雪のせいで余計な仕事が増えてしまった。
「ああもう!」
 苛立ちを空にぶつけるという無意味な事をする。約束の時間には間に合いそうではあるけれど、直枝は律儀な人だから、どうせ時間よりずっと前で待っているに決まっている。こんな寒空の下で待たせているのは申し訳ないし、その原因はやはりこの雪だという事がますます苛立ちを募らせる。
 やがて待ち合わせの広場が見えて来る。それなりの人が居るその広場で、私はすぐに直枝の姿を見つけた。時計を見て、はぁ…………とため息をつく少年。
「直枝!」
 それが居たたまれなくて、人が大勢居る場所と分かっているのについつい大きな声で直枝の名前を呼んでしまう。そして直枝はすぐに私を見つけると、笑みを浮かべて小走りで近づいてくる。遅れたのはこっちなのに、そうまでされると申し訳が立たない。息を整えながら直枝の姿を見ると、やはりと言うか体中にうっすらと雪を乗っけていた。
「ごめんなさい、待たせてしまったでしょう?」
 せめてそう言って謝る。が、やはりというかなんというか、直枝はニコニコとした顔を崩さないままで返事をしてくる。
「ううん、そうでもないよ」
 その言葉に少し呆れてしまう。
 雪を体中にくっつけても説得力がないでしょうに。せめて約束の時間まで屋根のある所に行くという選択肢くらいなかったの? 言いたい事は山ほどある。
「あなたねぇ…………」
「? 僕がどうかした?」
 けれども心底不思議そうな顔をする直枝を見るとそんな事はどうでもよくなってしまう。
「ハァ…………。
 いえ、何でも無いわ。直枝は本当にお人好しだなって再確認しただけよ」
 表情は変わらずに首を傾げる直枝。これは確実に私の言いたい事を分かっていない反応だ。
 でも、私は直枝のそんなところが嫌いじゃないから、その事については何も言わない。
「それはともかく、私、お腹すいちゃった。何か食べに行きましょう?」
 私がそう言うと、なぜか直枝は固まってしまう。そんな変な事を言ったつもりはないのだけれど。
「直枝?」
「あ、うん。いつものファーストフードでいいかな?」
「うん、もちろん」
 あそこは直枝との思い出がいっぱい詰まっている場所だから、あそこに行くと心が落ち着く。いったんそう思ってしまえば一刻も早くあそこに行きたくなる。
「じゃあ行きましょう」
「うん、行こう」
 突然、直枝が私の手を掴んだ。それが余りにも唐突で、私は思わず体を震わせてしまう。直枝が好きになればなるほど、その震えは大きくなる。
 だって、私には許嫁が居るから。高校を卒業したら、場合によってはその前に私は結婚しなくてはいけないから。家の為に、葉留佳の為に。……直枝を、捨てて。
「…………急ごうか」
 直枝は急に走り出す。引っ張られる腕が痛い。それはまるで直枝に責められているみたいで。
「ちょ、直枝っ? 痛いって!」
 声をかけても直枝は止まらない。結局、私はファーストフードの店までずっと腕が痛いままだった。

 店先でようやく直枝が腕を離してくれる。離されても軽く痛む腕のせいでついつい視線が厳しくなるのが自分でも分かる。
「…………何か急ぐ理由でもあったの?」
「いや、なんとなく」
 冷たい言葉には冷たい返事が。その言葉を聞いた途端、私は自分の行動が抑えられなかった。財布から500円を取り出すと、直枝にゴミでも押しつけるように手渡してしまう。
「席、取っておくから。いつものセットをお願い」
 私の口は勝手にそう言うと、足まで勝手に動き出してしまった。振り返りもせずに私は二階へ行き、適当な席に座る。
「…………何やってるんだろう、私」
 席に座って少し頭が冷えると、すぐに自己嫌悪が湧いてきた。私の方が遅くなってしまったというのに、急ぐ直枝を責めてしまった。映画の時間は決まっているのだから、多少急いだ直枝を責められるはずも無いのに。あげくにそんな直枝を一方的に責めて、自分勝手に行動してしまった。どこまで嫌な女なんだろう。
「最低ね」
 こんな女なんか放っておいて、さっさと帰ってしまわないだろうか? その思考に至った時、体中が震えた。心から、心の底から怖いという感情が溢れ出してくる。どこにこんなに怖いという感情があったのかというくらい、怖い。
「……本当に、最低」
 謝ろう。許してくれないかも知れないけど、直枝に謝ろう。こんな最低な女だけど、それでも直枝に嫌われたままでいるのは耐えられないから。でも、もう愛想を尽かせて帰ってしまっていたら?
 しばらくそのままじっとしていると、コツコツと足音が近づいてきた。徐々に近づいてくるそれに覚悟と期待を込めて、振り返る。そこには、直枝の姿があってくれた。彼を見た瞬間に私は頭を下げる。
「「ごめん」」
「なさ……い…………?」
 声が重なった、最初の三文字だけ。それが余りにも予想外過ぎたせいで、残りの三文字が変に空気を震わせてしまう。頭を下げたまま、まばたきを数回。全力で頭をあげて、私は訳の分からない言葉を発した直枝に声をかける。
「な、何で直枝が謝るのよ…………」
 私の言葉にものすごくうろたえる直枝。
「え。だって僕が酷いことをしたんだから、謝らないと…………」
「違うわよ。私が嫌な女だったから、私が謝るんじゃない」
 ものすごい勘違い、両方とも自分が悪いと思っていたなんて。私達はお互いに見つめ合い、それもおかしくてクスクスと笑い合う。
「食べよっか、お腹減ってるでしょ?」
「そうね、食べましょう。お腹減ったわ」
 直枝が差し出したトレイを笑ったままで受け取る。トレイの上にはセットと……お金?
「…………」
 一瞬だけ固まった。このお金はなんだろうと。すぐにお釣りだと気がついて、それを財布にしまう。チラリと直枝の様子を見たけど私の間抜けな行動には気がつかなかったらしい。よかった、ケンカが気になってお釣りを忘れてたなんて知られたら、顔から火が出るくらい恥ずかしい思いをするところだった。
 そしていつもの通りに直枝とお喋りをする。いつもと同じ会話で、いつもと同じ空気なのに私の頭の中では不安がよぎる。それは、さっき直枝が私を見限る想像をしてしまったせいか。
「…………でね、葉留佳ったら本当におっちょこちょいで――――」
「あはははは、それは葉留佳さんらしい話だね。で、最後はやっぱり?」
「ええ。結局いつもの通り」
 口は勝手に動きながらも頭は別の事を考えてしまう。せっかく二人きりの時間なのに。
 直枝の周りには魅力的な女の子が多い、多すぎる。こんな、体に醜い傷を負って可愛げの無い女なんかよりもずっといい人に囲まれている。なぜそんな人達よりも私を選んでくれたのか分からない。分からないから、いつまでも不安が消えてくれない。そしてその不安はいつか必ず現実になる。だって、いつか私は直枝と別れなければいけないから、最後には他の女の子に笑いかける直枝を見なくてはならない。そんな想像をしてしまう自分と、勝手に直枝を捨てるのに嫉妬する自分が、たまらなく嫌になった。
 やがて話が途切れて直枝の目が外れた時、私は思わず直枝の顔を凝視してしまう。その目、鼻、口。今だけは私に向いてくれているその大好きな人を目に焼き付ける為に。
「佳奈多さん、そろそろ時間だから行こうか?」
 その声で私は直枝から視線を外して腕時計を見る。これ以上見つめていると、なんかすごく恥ずかしい事になりそうだったから。
「そうね、そろそろ時間ね」
 時計の針なんか頭に入ってこなかった。声だけ冷静なフリをさせている間にいつもの自分を取り戻して、顔をあげる。手早くトレイを片付けると二人で外に出る。雪は弱まるどころか更に強くなり、寒さも強くなっている気がする。この天気では傘が必要かもしれない。
「…………」
 直枝も空を見上げる。その横顔を軽く見ていたら、ふと直枝の右手が目に入ってきた。さっき、触れ合った場所。
「行きましょう、直枝」
 そう言って私は直枝に左手を差し出す。握って、貰えるのだろうか? 寒さではない原因で手が少し震える。でも、私の心配は杞憂だった。少しだけ意外そうな顔をした直枝は、ゆっくりと私の手を包んでくれる。
(……ああ)
 それだけで震えが止まった。私は彼を裏切っている。許嫁が居るのに、直枝に溺れてる。いつもはそれが私を責めるけど、今だけはそれが私を落ち着かせてくれる。
(――本当に、最低の女だ、私は)
 直枝の手を握り返しながら、手で繋がったまま、私達は短い映画館までの道を歩く。ふと空を見上げたら、白い雪を降らせる黒い雲が見えた。

 映画が始まる。暗い館内、色々は映画の予告編を網膜に映しながらも、それらは全く頭に入ってこない。
 考えるのは直枝の事。彼は、もし私に許嫁がいると知ったらどうするだろうか? 諦めるのだろうか、それでも私の隣に居てくれるのだろうか。それとも……私を忘れて、誰かを選ぶのだろうか。前、いつだったかは忘れてしまったけど、彼は葉留佳に変装した私に気がつかなかった。なら、葉留佳が私の格好をしたのなら? 直枝は、直枝は――――
 恐ろしい想像を振り切るように私は映画に集中する。今日の映画は直枝が選んだから詳しい事は何も知らない。知らないから、物語にどんどんとのめりこんでしまった。
 この物語は恋人の破局を描いたものらしい。幸せそうな恋人、幸せそうな日常。しかし、女性の方は男性に何か隠し事をしていたらしい。不審な行動をする女性に男性は何度も何度も秘密を尋ねるが、女性は絶対に口を割ろうとしない。
 やがて質問する事に疲れた男性と質問される事に疲れた女性は、何の恨みもなく、別れてしまう。なんの気負いもなく、なんの痛みも見せずに、二人は一人と一人に戻る。
 ――なんて皮肉だろう。こんな映画を、直枝と二人で見るなんて。これは直枝からの何かのメッセージなのだろうか? これを私に見せつけたいが為に、直枝は私の腕を引っ張ったのだろうか? 直枝の心が、見たい。
 けれども心に明かりは無い。真っ黒に塗りつぶされた表面は、中身まで黒いのでは錯覚してしまう程に。信じたい、信じられない。自分の心でさえ、真っ黒。揺れる天秤がどちらに傾いているか分からない位に。
 私は、直枝は。本当に愛し合えているのだろうか?



 やがて映画はクライマックスへ。別れても同じ町に住んでいた二人だったが、すれ違う事も無しに自分の時間を過ごしていた。だが、やがて偶然が再び2人を結びつける。小さな裏通りでバッタリと出会った2人は、別れた時と同じ自然さで笑いあえていた。何の感情もなく別れたのは、お互いに嫌いあっていた訳ではなくてただ単に疲れていただけだったから。
 男性は女性の秘密を聞かないからやり直そうと言い、女性は首を横に振った。そして女性は、自分が重い病に侵されている事を男性に告げる。手術を受ければ助かるかも知れないが、失敗すればもう打つ手はなく病院で緩やかに死を待つだけと言う話をした。だから、残りの命を精一杯に生きる選択をしたのだと。
 もう一緒には居られないからもう二度と会わない事にしようと、悲しそうに笑って告げる女性。それに男性は首を振る。それでも一緒に居たいと繰り返す男性に、やがて女性は手術を受ける決意をする。
 そのシーンの最後、男性は女性に謝った。一番辛いのは女性だったのに、それを支えられなかった自分を悔いて。
 ラストシーン。男性は手術室の前で手術の成功を祈っている。そして手術中ランプが消えて、医師が出てくる。そして、真面目な顔で男性に向かって口を開いた。

 エンドロールが流れる、女性がどうなったのか語られないままに、医師が口を開いた瞬間に映画は終わってしまった。気の早い客が、ありきたりだの面白かっただの言いながら劇場から去っていく中、理樹と佳奈多は無言で座ったまま。
 映画には彼らに重なる部分もあるし、重ならない部分もある。ただ、2人はそれぞれ、何か重いものを突きつけられた気分だった。この世界はフィクションではないから万事うまくいく訳なんて無いし、そもそも映画の女性だってもしかしたら死んでしまったのかも知れない。
 でも、それでも。

 映画が終わり場内に光が満ちるまで、残りは1分も無いに違いない。それでも1分に満たないその僅かな時間に、2人はどちらともなく手を固く握り合わせていた。
 その握られた手は、相手を計り知るのでなく分かり合う為ものだと言うことに、幼い2人はいつか気がつくだろう。


[No.601] 2008/09/26(Fri) 23:05:33
傘の下 (No.594への返信 / 1階層) - ひみつ・初@EXネタなし@11403 byte

例えば――光に目を向けると眩しくて目を瞑ってしまって。

そして、その背後には自分の暗い部分があって。

そこから振り返ると目の前は影が覆っていて。

そのふたつの境目にいるのが、『わたし』なんでしょうか―――。

………

 太陽が空の真上に昇っている小さな昼時。
 わたしは暗く、静かな裏庭を歩いていました。
 ……もしかしたら、自分の意識とは別に、ただ歩かされていただけなのかもしれません。
 しかし、それは違いました。
 確かに小刻みにする音がわたしの足音が聴こえます。
 それにアスファルト踏みしめる感覚が、今持っている日傘と今ここにいる暗い世界と一緒に、揺れていました。

 それとは別に遠くから……それも背後から、でしょうか。別の足音が聴こえます。
 たっ……、たっ…たっ…………、と。それもとても不自然なリズムで。
 わたしはその場に立ち止まって、なぜかそれをずっと聴いていました。
 音はそのまま遠くに行かず、それどころか逆に近づいてきます。
 ……こちらに来るとは全くの予想外でした。
 背後の確認を目では出来ません。が、耳でならある程度分かります。
「今だ!アタックチャンス!!はるちんウルトラ――」
 その声らしきものが確認出来た瞬間、わたしは身体をずらしました。ぶつかっては危ないですので。
「アタッ――!?ひゃぁぁぁーーーっ!!!?」
 ズデーン!と言う効果音が似合いそうな勢いで背後から迫ってきたその人は、派手に倒れました。
 こんな爽快な倒れ方をする人は、わたしの記憶の中ではひとりしかいないでしょう。
 全くの別人、という可能性も否定出来ませんが。
「いててぇ……」
「大丈夫ですか?」
 わたしの目の前で、倒れてしまったその人の姿を見て先ほどにイメージした人物のひとりと、寸分も違わないことを知りました。
 そういえば、さっきの台詞の中に正体を教える言葉があったような気がします。
「もー、みおちん、避けるなら事前に教えて欲しかったなぁ」
「脈絡なく体当たりをしかけてくる三枝さんが、どう考えても悪いと思います」
「これじゃ、お先真っ黒だよぉ……」
 人の話を聞かない三枝さんはわたしを尻目に立ち上がり、制服についた埃を払いながら呟く。
「真っ黒ではなくて真っ暗だと思いますが」
「え?そうだっけ?まぁ、はるちん的にはどっちも同じ意味ですヨ」

 周りを少し見渡して見ると――今、ここにはわたしと三枝さんの二人だけ。
 ならば……さっきまでわたしが聴いていた不規則なリズムの音の正体は三枝さんに他なりません。
 そのとき、三枝さんはなにをやっていたのか。それだけを疑問に思い、質問をする。
 その返事は即答、とでも言いましょうか。
 すぐに疑問は解消されました。
「影踏みですヨ。みおちんは影踏み知らない?ぴょん、ぴょんって影から影へ飛び移るやつ」
 いつもは三枝さんのことだからろくなこと……と、程度に思ってましたが……、
 影。その単語を聞いたとき、複雑な気持ちになりました。
 そんな気持ちが残ったまま、知っています。と返事をしようとしました。しかし、その言葉が口から出てきませんでした。
 その間に三枝さんが先に口を開かせていました。
「あっ、みおちん今、私にはそんな遊びは似合いませんネー、そんなことするより寮へ帰って
 さっさとベッドで寝て大人しくいた方がよっぽど有意義ですヨー、と言いたげな目をしたなぁ!?」
 ……なぜか、この三枝さんの言いがかりを聞いたら、先ほど感じた気持ちがいつの間にか掻き消えていました。
 しかし、中々見事な言いがかりです。お金を払う気には全くなれませんが。
「はい、最初の部分は大体合ってます」
「なんだとぉー!?なら……クド公も影踏みしてたけど、みおちんはそんなクド公についてはどう思うんだー!?」
「とても能美さんらしいと思います」
「クド公は良くて私は駄目なのかー!?」
「はい」
「うぅ……はるちん大ショックー……」
 この程度でショックを受けていたら身体が持ちません。
 いえ、いちいち三枝さんの思考に会わせていては、それこそ身体が持ちそうにはありませんのでやめましょう。

 不意に、昼の休み時間の続きはまた明日やりなさい。とでも言いたそうに、わたしたちの間に予鈴の音が響きます。
 そして三枝さんはなにかを思い出したように、その脚を校舎側へ向け、わたしに背を向けました。
「あっ、じゃあみおちん、またね!」
 なにかあるんでしょうか……。
 風紀委員さんたちに呼び出しをくらっていたのでしょうか。
 予鈴を聞いてからでは遅いとは思いますが。
 ……三枝さんが去った事で、また訪れたものは静寂。今度は風も僅かながらに流れてました。
 そして、さて…わたしも戻ろう……と思った矢先。背後に何者かが現れます。
 この周辺をテリトリーとして、よく出現する人。と言われたらひとりしか思い浮かびませんでした。
「来ヶ谷さん」
「はっはっは、やはり西園女史はわかっていたのか」
「いえ、今始めて気づきました。それに、いつからそこにいたのですか?」
「そうだな……葉留佳君が転げた辺りからだな。しかしいつ見ても愉快なキャラだ」
 授業がもうすぐで始まるのに、来ヶ谷さんはなぜここにいるのか。
 それを考えましたが、すぐに答えへ辿りついてしまいました。
「次は数学でしたね」
 三枝さんはだから逃げたのでしょうか……とも考えてみましたが、三枝さんが私たちのクラスの授業時間を把握、
 さらに数学の時間は、来ヶ谷さんが授業をサボっていることを知っているとは思えません。
 どこかで耳に入っていたのなら別ですが。
「うむ」
 その瞬間、来ヶ谷さんの目が光ったような気がします。
 わたしは身の危険を感じ、下を向いてそのまま前へ、校舎へ戻ろうとしました……が、なぜか歩き出せませんでした。
 来ヶ谷さんに肩を掴まれてるわけでも、足を掴まれてるわけでもありません。
 
「さあ美魚君、楽しいお茶会タイムと行くか」
「サボりはしたくないのですが……」
「たまにはいいじゃないか。少し訊きたいことがあるだけさ。すぐ終わる」
 わたしは諦めて身体を回し、目を来ヶ谷さんに向けます。
 そのときの来ヶ谷さんはなにか、有無を言わせぬような、不思議な雰囲気に包まれて立っていました。
 不思議な雰囲気に包まれているのは今だけのことではないと思いますが。
 ただ、何でもお見通しみたいな瞳は変わってません。
 しかし、来ヶ谷さんが話したいことなど、見当もつきません。
 一体、なにを話したいのでしょうか?
 わたしの視点から見るものは全て暗くて、不透明です。

 来ヶ谷さんの隣には、いつのまにか椅子が二脚並んでいました。
「座るといい」
「はい」
「そうだな、あとこれだ」
 さらにいつ用意したのか、缶の紅茶と珈琲を取り出し、私に見せ……
「紅茶と珈琲、どっちがいい?」
 ……お茶会と言ってたので間違ってはいませんが、缶というのは少し風情がないと思います。
 選ばない、というのも申し訳ないので、わたしは紅茶を頂くことにしました。
「それで、話とはなんでしょうか?」
 紅茶の甘い香りがまわる。
 そして一回、二回、と缶に口をつける。
「そうだな……美魚君、影は大切か?」
 影。
 先ほども出てきた、言葉。『影』
 簡単に言い換えたらもう一人の自分。
 三枝さんが口に出したのはそんな深い意味はなかった言葉。
 今度は来ヶ谷さんの質問として現れる。しかし、なぜ来ヶ谷さんはこの質問をしたのか。わたしは、それの意図が掴めません。
 なので……わたしはただそのままの意味として、もう一人の自分として大切です。とだけ答える。
 来ヶ谷さんは驚いた様子も見せることなく、単純にはっはっは、と笑う。
「中々美魚君らしい答えだ」
「わたしらしい……ですか」
 わたし、らしい。
 『わたし』とは一体なんでしょうか。
 一言で言うのならばやはり、『影』なのでしょうか。
 ……『わたし』の影は『わたし』ではないことはずっと前から変わってはいません。
 その時から、日の下ではなく、日の陰で見ているこの世界は……違う世界です。
「やはり、昼に飲む珈琲は美味い」
「楽しんでいるところを申し訳ないのですが、次の質問はまだですか?」
「あぁ、そうだな……。実のところを言うとさっきの、ひとつだけしかない」
「そうでしたか…。では、お先に失礼します」
「うむ」
 わたしは歩き始める。椅子から立ち上がって、この場から。来ヶ谷さんから逃げるように。
 その時のわたしの影は……どこに向いてたのでしょうか。
 その時のわたしの背中は……来ヶ谷さんに、なにを語っていたのでしょうか。

 わたしは、もう一人の自分について考えないと、いけないのかもしれません。

………

わたしが見る物はなにもかも暗くて。

わたしを見る者もなにもかも暗くて。

しかし、その中で違うものがありました。

……

 放課後。
 まだ紅にも染まっていないグラウンドにて、いつものように野球の練習が始まった。
 『わたし』が唯一、リトルバスターズと同じ世界にいることを実感が出来る時間。
 マネージャーとしての立場で。三塁側の木の下で見守る立場で。同じ世界を見る事が出来る時。
 ひとりひとりの動きを目で追って。猫の動きも、ボールの動きも目で追って。
 そして、その下にあるものはわたしには眩しくて……。
 暗かった世界のそれらを何度も見て思いました。

 わたしのは一体どうなのか、と。

 しかし。わたしにはそれを見ることは出来ない。
 なぜなら……わたしはずっと、陰にいることを望んだのですから。
 なのに、わたしがいるここは……太陽も見えないのに、なぜこんなにも明るいのでしょうか。
 もう一度、陽を見ることが出来たら……。
 
 しばらく、そんなことを何回も繰り返し、ずっと考え続けていました。

 この集団に属しながらも、楽しそうにしてなかったからでしょうか。
 楽の神様はこんなわたしに天罰をくだそうとしていました。
 わたしの身体を覆う木の影にさらに丸く、濃い部分が出来上がっていました。
 それは紛う事なき、鈴さんが投げ、直枝さんが打ったボール。
 気付いた時にはもう遅い。日傘へ手を伸ばして防ぐ事も出来ない速さみたいです。
 わたしの反射神経では避けることも出来なさそう
 わたしは出来るだけ痛みを感じないよう、、身体全体に力を入れて目を瞑ってそれの到着を待ちました――

 ……5秒ほど経ったでしょうか。それが少しだけ、長く感じられました。
 その間、わたしの身体には何も異変がありません。
 確かに、丸い影はわたしに向かって飛んできていました。
 ボールはどこへ行ったのか。それを確かめるために目をゆっくりと開いて見る――
 すると。
 視界の端に映ったのは恭介さんの身体。ボールは、そのグローブの中。
 しかし、一向に立ち上がる様子もなく、倒れたまま。
 日傘を手に取り近づくと……恭介さんの声で、
「西園か、一回みんなを呼んで欲しい…」
 と言われ、驚きよりも焦りで片手を上げ、それを確認したみなさんは駆け寄ってきてくれました。
 すでに駆け寄って来てくれた人もいましたが……。

 数十秒後。木の下には十人と、数匹の影。
「恭介、大丈夫?」
「馬鹿兄貴なら大丈夫だろ」
「恭介が怪我なんて珍しいな」
「そうだな、怪我をする役目と言えばオレたちだったしな」
「俺たちじゃなくて、おまえだけだ。真人」
「恭介氏、みっともないな」
「私は恭介先輩がいつかなにかやらかすと思ってましたヨ」
「きょーすけさん、だいじょーぶですかぁ〜?」
「恭介さん、いんじゅらいしてしまいましたか!?」

「おまえら……俺が怪我をしたくらいで大騒ぎしすぎだ。俺だって怪我ぐらいはする」
 その怪我の内容は、捻挫程度でしたが……。
 ちなみに、手当てはもう済んでいます。
「なんにしても筋肉が足りなかっ…いてっ」
「怪我人の前だ。すこし静かにしろ」
「ごめんなさい……」
 いつもがいつもだけに、より恭介さんに優しい鈴さんでした。
 なんだか少しだけ微笑ましく思えます。
「重い怪我じゃなくて良かったよ……」
「ま、ありがとな、みんな」
「とりあえず、今日は安静にしといた方がいいと思います」
「西園さんの言うとおりだね。恭介、どうする?」
「じゃあ、そうだな……。理樹、今日一日任せた」
 その一言だけで分かったのか、直枝さんは力強く頷いた。
「うん、任せて。それじゃあ西園さん、恭介のこと見ててあげてね」
「はい、わかりました」
「みんな、練習再開だ!」
 その合図で数十の影は紅に染まったグラウンドのさまざまな場所へ。
 わたしと怪我をした恭介さんは、木の下に。
 恭介さんは軽く木へとよりかかりました。

………

わたしが見ている世界は暗くて。

わたしを見ている世界は明るくて。

わたしは明るい世界を見れなくて。

それでもわたしの世界は……………。

………

「無理をしてボールを取らなくても良かったんじゃないですか?」
「ボロボロになってもよ、それでも得難い何かがあるんだ……」
 恭介さんの言葉に思わずクスッと笑ってしまいます。
 ここにいると……本当になにもかも忘れてしまいそうです。
 しかし、それを忘れていいわけがないのです。
 そのために、わたしは『影』となったのですから……。

 そこで、突然。先ほどにも感じた疑問。
 考えても答えが出なかった疑問を恭介さんに訊こうと思いました。
 本当は、人に訊くべきことではないのかもしれません……。
 それでも――それでも。訊きました。

「恭介さん、ひとついいですか」
「なんだ?言ってみろ」

「わたしの影は、黒いのでしょうか……?」
「そうだな……」

 その時。かきぃん、と。
 打球音が大きく、綺麗に聴こえ。
 紅く染まったボールは大きく、曲線を描いて飛んで。
 その小さな影は見えなくなってしまい。
 恭介さんの声はなんの雑音もなく耳に入って来ました。


[No.602] 2008/09/26(Fri) 23:30:52
その傷を、今日は黒で隠し、明日は白で誤魔化す (No.594への返信 / 1階層) - ひみつ@11761 byte EXネタあり

「ぬああっ!」
 何が降水確率10%だ、バーローめ。たったの10%でこの大降りはどう考えたって理不尽だ。10%で降るとしたら小雨に決まっている。というか降るな。
 両手にぶら下げている買い物袋の中身は、きっと悲惨なことになっているだろう。卵なんてせっかく安売りだったのに、全滅してるだろうな……怒られるだろうか。それもこれも全部、当てにならない天気予報が悪い。しね、ばーか。
 今晩の食卓に並ぶはずだったカニ玉を犠牲にして全力疾走で戻ってきたアパート。外から見ると、一室だけ洗濯物を外に干しっぱなしにして……いない。
「ん?」
 おかしいな。確かに溜まってた洗濯物、全部外に出してから出かけたはずなんだが。ささみが講義抜け出して先に帰って来たのだろうか。というか、それだったらあたしの涙ぐましい努力はどうなる。カニ玉……。
 雨がウザったいのでとりあえず部屋に戻ることにする。



 ノブに手をかけると、鍵は開いていた。そういやこれ、実は泥棒とかだったりするんじゃないか、もしかしたら。うーみゅ、あたしら無防備に下着とかも外に干してるからなー。なんか知らんが、ささみはそういう主義らしい。正直なところ、あいつは馬鹿だと思う。もしくはアホだ。
 まあいい。普通にただいまーとか言ってやったらビビるんじゃないか、泥棒も。
「ただいまー」
「おかえり」
 別のアホが返事をくれた。奥のほうで、白い背中をこっちに見せながら何かやっている。ぐしょぐしょになったスニーカーを脱ぎながら、訊いてみる。
「なにやってるんだ、おまえ」
「何って、急に雨がザーってきたから。留守だったみたいだし、洗濯物取り込んであげてたんじゃない。ま、お隣のよしみってやつね」
 よく見ると、室内用の物干しに洗濯物をかけているらしかった。扇風機が働いているのを見るのがずいぶんと久しぶりであるように感じる。
「ご苦労だった」
「そりゃどーも。ってあなた、びしょ濡れじゃないの」
「傘も差さずに濡れないで帰ってこれたらアレだ、忍者かなんかだろ、そいつ」
「そりゃまあ、そうね。とりあえずシャワーでも浴びてきたら?」
「そーする」
 両手の荷物を預けて、ちっこいバスルームに向かう。今はもう慣れたが、本当にちっこくて狭い。高校の時の寮の部屋にあったやつのがよっぽど広いあたり、やっぱりあの頃のあたしは相当恵まれていたんじゃないだろうか。かなたの顔を見たせいか、そんなことを思った。



 適当に温いシャワーを浴びて出てくると、かなたは図々しくもまだ居座っていた。というか箪笥を漁っている。
「なにやってるんだ、変態」
「あなたの着替えを探してあげてたのよ。ねえ、下着が全然見つからないんだけど」
「そこに干してあるので全部だ、ド変態」
 扇風機の風に揺れている布きれの群れを指差してやる。群れというか山だな。でもぶら下がってるし、山というのは正しくない気がする。
「どんだけ溜め込んでたのよ……」
「あたしも今改めて驚いた」
 溜息が聞こえる。なんかよくわからんが、妙にくすぐったい感じだ。
「しょうがないわね……これでも着ときなさい。そのままだと風邪ひくわよ」
 投げ渡されたワイシャツを受け取ってから、素っ裸のままであることを思い出した。別に女同士だし見られて困ることはないが、風邪なんかひいて色々お預けをくらうのはつまらないので素直に着てやることにする。
 真っ白いそれを広げると、あきらかにサイズが大きかった。ついでになんかこれ、えー、アレだアレ、そう、薄荷だ。薄荷の匂い。いやミントか? まあなんというかそんな感じの匂いがした。
「細かいことは気にしないほうがいいわよ」
「そうする」
 今日のあたしはいやに素直だと我ながら思う。



「そういやおまえ、なんでここにいるんだ」
 ブカブカのワイシャツ一枚で買ってきた物を片付けていると、ふとそのことを思い出したので、訊いてみた。卵はやっぱり全滅していた。カニ玉ぁ……。
「なんでって……さっきも言ったでしょ」
 どうでもよさそうに答えるかなたは、寝転がってテレビを見てるらしかった。いいともーとか振り付きでアホみたいなこと言ってる暇があるなら手伝え。うぐぁ、ヨーグルトの蓋が破けてるじゃないか。なんか白いのが飛び散ってるぞ……。
「そっちじゃない。鍵とか、あとおまえささみと同じ講義取ってなかったか」
「ああ、そっちね」
 様子を窺ってみると、テレビから目を離す気配はまるでなさそうだった。そんなにいいとも好きかおまえ。うーみゅ、このヨーグルトまみれの野菜はどうしようか。いや待て。微妙にエロくないか、コレ。きゅうりとかニンジンとかヤバいだろ……。
「かなたー、寂しい独り者のおまえのために今晩のオカズを用意したんだが、要るかー?」
「ちゃんと洗えば普通に食べられるでしょ。人に押し付けないの」
 知ってやがったなあいつめ。むしろ知ってて手伝わないのか。さいあくだな。さいあくだ。
「で、話戻すけど。さーちゃんに合鍵貰ってたから」
「なん……だと……?」
 手が止まった。あたしの頭はヨーグルトにやられてしまったのだろうか。なんかよくわからんが、かなりアレなのが聞こえてきた気がするんだが。これはもう発酵してしまったに違いない。腐っている。
「あ、もしかして知らなかった? 一応、お互い何かあった時用に交換してあるんだけど」
「そんなことはどうでもいい」
 いや、どうでもよくはないな。後でささみにきっちり問い詰めてやるつもりだが、今はいないし後回しだ。
「おまえ、アレだ。さーちゃんってなんだ、さーちゃんって」
「ああ、そっちね」
 なんかさっきも聞いたぞ、それ。
「なんというか……響きがいいのよね。ま、それだけなんだけど。なぁに? 思いのほか仲が良さそうで、嫉妬でもした?」
「おまえもう帰れ」
 かなたは笑っているらしかった。漫画だとくすくす、とか書かれてるっぽい音が聞こえる。あれってなんなんだろうな。実際に「くすくす」って口に出していってるやつがいたらめちゃくちゃ、いやもうくちゃくちゃきしょいだろ。
「講義の方はね」
「人の話聞け、ぼけー」
 どっかの誰かみたいだぞ、と言ってやろうと思ったが。やめておいた。あたし自身のために。
 いつの間にかテレビの画面は真っ黒になっている。こっちを見るかなたの目は、いつか、どこかで見たものに似ているように思えた。
「寝坊しちゃってね。遅れて行くのもなんだか馬鹿らしくなっちゃって、サボることにしたのよ」
「不真面目だな」
「単位取れればそれでいいのよ。それにほら、ノートなら後でさーちゃんに見せてもらうし」
「帰れ」
 また笑われた。
「そもそも寝坊の原因、お隣さんが夜遅くまでうるさくて寝られなかったからなんだけど」
「知るか、ぼけー」
「どの口が人の話聞け、なんて言うのかしら」
 あたしの口だ、と言ってやったらかなたはどうするだろうか。笑うだろうか。呆れたように溜息をつくだろうか。まったく別の何かをするだろうか。
「鈴は……午前は講義取ってないんだっけ?」
 話題が脈絡なく変わった。いや、ついさっきまでその話をしてたんだから、脈絡がないわけではないのか。よくわからん。まあ、かなたも退屈なんだろうし、その暇つぶしに付き合ってやるのはちょっと癪だがやぶさかではない。
「そーだ。ま、この雨じゃ午後も行く気にならないけどな」
「確かにそうねぇ」
 洗濯物が邪魔で窓の外は見えないが、音はしっかりと聞こえる。まだ強いまま。辺り一帯、真っ黒い雲に覆われているんだろう、きっと。
「……それはそれとして、気になってることがあるのよね」
「ん?」
「アレよ、アレ」
 かなたが指差しているのは、宙にぶら下がっている洗濯物の山だった。正直、どれを指しているのかわからない。まったく、どんだけ溜め込んでるんだ。
 気付いたら袋の中が空になっていた。喋りながらやってたせいか、どこに何を入れたか覚えていない。まあ、どうせ後でささみがなんとかするだろ。指についたヨーグルトを舐め取る。なんか微妙な味がした。
「どれだって?」
 やることもなくなったので、付き合ってやることにした。どうせくだらないことなんだろうが、くだらない方が暇潰しにはちょうどいい気がする。
「そこの黒いやつ」
「あー」
 それで何のことを言っているのかわかった。歩いていって、洗濯バサミから外す。手に取ると、まあ当然だが濡れていた。どっちかというと湿っていた。
「あー、それそれ。鈴の?」
「んなわけあるか。ささみのだ」
 かなたは、視線こそこっちを向いているが寝転がったままだ。それどころか、なんかごろごろと転がりまくってるぞ、こいつ。まったく、行儀の悪いやつめ。あたしみたく、借りてきた猫のようにおとなしくしていたらどうなんだ。
 そんなわけで飛びかかった。
「にゃあっ!」
「ふひゃっ」
 ちょうど仰向けになったところで見事捕獲に成功した。腰あたりにのしかかって、手はお約束でおっぱいの上だ。なんかまた大きくなってないか、こいつ。別に悔しいわけじゃないがムカついたので揉んでやらない。
「ん……相変わらず軽いわね。羨ましいな」
「なんだ嫌味か? 嫌味なんだな? どーせおっぱい足りない分軽いわぼけー!」
「どう取ってもらっても結構だけど。私、このまま美味しくいただかれちゃうのかしら?」
「うっさい変態め。ほれ、これが欲しかったんだろ」
 手に握り締めたままだった黒い布きれを広げて、皺になってしまっているそれをかなたの顔に張り付けてやった。アレだ、実に変態淑女な感じだ。
「……洗剤のにおいしかしないんだけど」
 微妙にくぐもっている声はどこかがっかりしているかのように聞こえる。
「洗濯してから誰も穿いてないんだから当然だろ」
「えー」
 アホだな。
「じゃ、鈴が今から穿くっていうのはどうかしら」
 アホだ。
 まったく、こいつは何もわかってないな。ほんとにダメだ。
「あのな。こういうのは、人のを見て楽しむものだろ。むしろおまえが穿け」
「別にそれは構わないけど、その前に私を楽しませくれない?」
「なんでじゃ、ぼけー」
「洗濯物、せっかく取り込んであげたのに……」
「…………」
 嘘泣きなんて、できるようになったんだな。
「……しょうがないな」



「ぬああ、なんか湿っててきもちわるい……」
「もう、イケナイ子ね」
「うっさいボケ」
 なんであたしはこんなことやってるんだろう。
「ほら、ブラも付けましょ」
「うう……」
 まあワイシャツ一枚と下着一枚じゃたいした違いも……ない、のだろうか。よくわからん。なんかいろいろ麻痺してるような気がする。
「へぇ……これは、なかなか……」
「な、なんだ。なかなかってなんだ」
「ほら、鏡、鏡。こっち来なさい」
 部屋の隅っこに置いてある姿見のところまで引っ張っていかれる。
「……お、おお。これは……」
 なんというか、アレだ。
「……エロいな。なかなかエロいんじゃないか、これは」
 ささみが着てる時も、うん、まぁまぁエロいが。正直言って、比較にならんな。なんだこのエロさ。くちゃくちゃエロいぞ。犯罪級だ。やばい。なんかムラムラしてきた。エロい。
「解説しましょう。黒下着っていうとアダルティなイメージがあるけど、レース付きのこれもそれに違わないわ。問題は身につける人ね。この場合、いろいろちっこくて未成熟な鈴の身体とアダルティな黒下着のミスマッチが逆に――」
「うっさい」
 せっかく浸っていたのになんか台無しにされた気分だ。萎えた。まったく、こいつは本当にダメだ。
「ほら、今度はおまえの番だ」
 萎えたら忘れていた気持ち悪さが戻ってきた。さっさと脱いでかなたに投げつける。うん、なんかすっきりした。
「ねぇ、ふと思ったんだけど」
 手に持ったぱんつとぶらじゃーをしげしげと眺めながら、かなたが言う。
「私とさーちゃん、結構体格差あるから……無理なんじゃない? 特にあそこが」
「うっさいわボケー! なら手ブラでやれ、手ブラで!」
「あなたも人のこと言えないんじゃない?」
 言いながらも、かなたは脱ぎは始めた。下から脱いでいくあたり、よくわかっている。
 上着のボタンを外していく途中で、ふいに手が止まった。
「……全部脱がないとダメ?」
「ん、ああ……好きにすればいいんじゃないか」
「ありがと。ちょっとあっち向いてて」
「ん」
 少し無神経だったかもしれない。
「いいわよ」
 振り向く。
 やっぱりサイズが小さいのか、伸び気味で食い込み気味のぱんつ。伸びてる分薄くなってるっぽい。いろいろとヤバい気がする。見えそうだ。そして、前で開かれたシャツから見え隠れする大きな胸。手で覆ってもはみ出してるのがなんというか、こう、エロい。なんだこれ。さっきの自信を失くすエロさだ。ふざけんな。
「……ど、どう?」
 なんでそこでいきなり顔赤くするんだ。今さら乙女ちっくに恥じらったところであたしがどうにかなるとでも思っているのか。
「どうにかなってしまいそうなエロさだ」
「そ、そう……」
 なんか嬉しそうな顔をされて、むず痒い気分になる。あれだ、孫の手が欲しい。
「……エロいって、どんな風に?」
「んー……そーだな」
 もう一回、かなたの姿を上から下まで舐めるように観察する。エロいのは確かだが、どういう風にエロいかと言われるとよくわからない。
「……あー、アレだ。そのシャツ。それがいいんじゃないか?」
 全開の白い長袖シャツ。よくわからんなりに考えて、このエロさの一端がそこにあるんじゃないかと思えた。思い返してみると、ささみの時も似たようなことがあった気がする。
「よくわかんないけど……こういうのって、全部脱いでた方がいいんじゃないの?」
「いや。あたしの経験からすると、それは時と場合によるな。うまく言えないが……脱ぎかけ、というシチュエーションにはそそられるものがあると、あたしは思う」
「へぇ……」
「つまり、なんだ。かならずしもそうじゃない時もある、ということだな」
「……そっか。うん、なるほど」
 何に納得がいったのかは分からない。分かるのは、かなたが何かの痛み、みたいなものを感じているらしいことだけだった。やっぱり、あたしは無神経すぎるのかもしれない。



 その後、結局二人して午後の講義をサボり、ささみの下着でいろいろと遊んだ。帰ってきたささみに二人して怒られた。雨がいつ止んだのかは、知らない。


[No.603] 2008/09/26(Fri) 23:36:57
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[No.604] 2008/09/26(Fri) 23:39:49
ある日の実況中継(妨害電波受信中) (No.594への返信 / 1階層) - ひみつ 12587byte EXバレなし

「ある日の実況中継(妨害電波受信中)」



さあ試合も佳境に入って参りました!回は5回の表、先頭打者は今日の試合2盗塁と、足で大活躍の1番打者陸上部主将から始まります。
現在スコアは2対2の同点。運動能力トップクラスを擁するキャプテンチームに、寄せ集め凸凹チームが健闘しております。
バッターに対するは、女の子なのにプロ顔負けの七色の変化球を操る『ふかーっ!が可愛いポニーテール』。ここまで毎回ランナーを背負いつつも、なんとか2失点で切り抜けています。

さあ審判からプレイがかかり、ピッチャー『ふかーっ!が可愛いポニーテール』振り被って第一球を…投げた!見逃してストライク!悠々と見送ってきました。
キャッチャー『超女声なくせに鬼畜な変態』から返球されたボールを受け取り、テンポよく振り被ってピッチャー『ふかーっ!が可愛いポニーテール』投げた!バットを振るも虚しく空振りで2ナッシング!
さあこれが決め球となるか?ピッチャー振り被って、おおっとこれはライジングニャットボールを…投げた!バッター当てるのが精一杯でボテボテのセカンドゴロ。セカンド『ほんわりきゅ〜となおんどりゃー少女』がっしり掴んでファースト『制服着ない逆毛』に送りアウト!1アウトです。

次のバッターはエラーによる出塁だけに押さえられているサッカー部主将です。
振り被って第1球を『ふかーっ!が可愛いポニーテール』…投げた!おおっと意表をつくセーフティバントが3塁線ギリギリに転がった!サード『名言集にんま、つあっ、ちょぎっを残された筋肉』が猛然とダッシュしキャッチするも、サッカー部主将の足は早く投げられずセーフ!

1アウトランナー1塁で対するは、3番の空手部主将。今日は1安打を放っています。
セットからクイックモーションで『ふかーっ!が可愛いポニーテール』投げた!大きく曲がるニャーブに、バットは虚しく空を切りました。
テンポ良く第2球目を投げた!痛烈な打球が3遊間を破り、レフトの『天上天下唯我独尊な恋愛下手』の前に転がるヒット!ランナーは1、2塁に変わりました。

次のバッターは今日の試合でも3打数2安打1ホーマーと大活躍の4番剣道部主将です。さあこのピンチを『ふかーっ!が可愛いポニーテール』と『超女声なくせに鬼畜な変態』のバッテリーはどう切り抜けるでしょうか?
セットから『ふかーっ!が可愛いポニーテール』第1球を…投げた!凄まじいスイングスピードのバットがボールを襲うも、切れのいいスライニャーに詰まらされファウル!1ストライクです。
テンポよく第2球目、渾身のライジングニャットボールを投げた!芯で捉えた打球が高く上がり、センターを守る『ヤンデレ代表サウスポー』の頭上を越えるヒット!1塁2塁ランナーが生還しキャプテンチーム2点追加です!センター『ヤンデレ代表サウスポー』から内野にボールが返ってくるも、バッターランナーは悠々と2塁へ。1アウトランナー2塁です。

打たれて落ち込み今にも逃げ出しそうな『ふかーっ!と言われてみたいアンケートNo.1ポニーテール』の周りに、『超女声なくせに鬼畜な変態スケコマシ』と『(21)を発明した男』と『名言集にんま、つあっ、ちょぎっを残された筋肉』と『制服着たら主人公の座を乗っ取れるほどモテる逆毛』の4人が集まります。なんとか『ふかーっ!と言われてみたいアンケートNo.1ポニーテール』をなだめたようで、元のポジションに散っていきます。

次のバッターは今日1打点を挙げている柔道部主将です。パワーに関してだけはチームNo.1の強打者に、『ふかーっ!と言われてみたいアンケートNo.1ポニーテール』はどう立ち向かっていくのでしょうか!
ピッチャー『ふかーっ!と言われてみたいアンケートNo.1ポニーテール』第1球を…投げた!おおっと初球を大きく打ち上げてライトフライ!ライトを守る『スタイル汐以上みちる以下』が追う!追ってジャンプ一番『スタイル汐以上みちる以下』飛び付いて…取った!取った!良く取った『スタイル汐以上みちる以下』!しかしコロコロと地面を転がっている隙に、2塁ランナータッチアップから3塁へ。2アウトランナー3塁です。

続くバッターは6番のバスケ部部長です。今日は『ふかーっ!と言われてみたいアンケートNo.1ポニーテール』の前にノーヒットに抑えられています。
ピッチャー『ふかーっ!と言われてみたいアンケートNo.1ポニーテール』、セットから投げた!胸元を抉るシュートはボール!外れました。
テンポよく第2球を投げた!チェンジアップを泳ぎながらもバットに当ててサードゴロ、おおっとサードの『名言集を筋肉で埋め尽くした筋肉』、これをトンネル〜!レフトの『天上天下唯我独尊な恋愛下手』が取って内野に返します。
その間に3塁ランナーホームイン!キャプテンチーム一点追加です。
そしてエラーをした『名言集を筋肉で埋め尽くした筋肉』に、『ふかーっ!と言われてみたいアンケートNo.1ポニーテール』が必殺のハイキック!首が90度曲がってます。痛そうです。

気を取り直して『ふかーっ!と言われてみたいアンケートNo.1ポニーテール』がマウンドに戻ります。ロージンを手に取り、バッターと向かい合います。
次のバッターは7番に入っているテニス部主将です。今日は2つのバントを決めています。
ピッチャー『ふかーっ!と言われてみたいアンケートNo.1ポニーテール』セットポジションから第1球を…投げた!見送ってストライク!1ストライクです。
キャッチャー『超女声なくせに鬼畜な変態スケコマシ』からボールを受け取り、構えて第2球を…投げた!激しく揺れるニャックルを見送ってボール!1ストライク1ボールです。
ピッチャー『ふかーっ!と言われてみたいアンケートNo.1ポニーテール』3球を…投げた!足元に向けて沈み込むシンカーを捉えるも、ボテボテのショートゴロ!ショートの『(21)を発明した男』華麗にキャッチし、セカンドベースカバーに入った『ほんわりきゅ〜となおんどりゃー少女』に送ってフォースアウト!これで3アウトチェンジです。




小走りでベンチへ戻ってくるナインを、マネージャーの『NYPで斉藤を瞬殺した蒼』が出迎えます。残るイニングはあと1回、点差は3点と開いてしまいましたが、まだまだ逆転出来る可能性はあります。諦めずに最後まで頑張って欲しいものです。

この回の先頭バッターは8番の『いつかの誰かにどっきんらぶそんな貴女の台詞にどっきんらぶ』から始まります。なんとかしてこの先頭バッターに出塁してもらいたいものです。
マウンドに立った剣道部主将、振りかぶって第1球を『いつかの誰かにどっきんらぶそんな貴女の台詞にどっきんらぶ』に…投げた!見送ってストライク!
テンポよく第2球を、投げた!また見送ってストライク!
第3球を投げた!バットを出すも全くタイミングが合わず空振り三振!1アウトです。

三振に打ち取られた『いつかの誰かにどっきんらぶそんな貴女の台詞にどっきんらぶ』がバットを引きずり、泣きながらベンチに戻ってきます。仲間たちは皆一様に慰めているようです。そんな中ネクストバッターの『スタイル汐以上みちる以下しかも10年後には汐以下』が気合いの入った表情でバッターボックスに向かっていきます。
構えた『スタイル汐以上みちる以下しかも10年後には汐以下』に対してピッチャー第1球を…投げた!豪快に空振り!目を瞑ったままバットを振ったとしても当たるとは思えませんよ『スタイル汐以上みちる以下しかも10年後には汐以下』!
小馬鹿にした笑いを浮かべながらピッチャー第2球を投げた!また目を瞑ったままバットを振る『スタイル汐以上みちる以下しかも10年後には汐以下』、そして奇跡的にボールがバットに当たった!
ふらふらとショート後方に上がったボールをショートがサードがレフトが追うその真ん中に落ちた!落ちたヒット!1塁に到達した『スタイル汐以上みちる以下しかも10年後には汐以下』、恥ずかしそうに右腕を挙げてガッツポーズを取っています。

1アウトランナー1塁となり、打順はトップに戻って今日全打席出塁している『天上天下唯我独尊世界で一番ゆいこちゃん』に回ります。
『天上天下唯我独尊世界で一番ゆいこちゃん』がバッターボックスに入ろうというところで、おおっと1塁コーチに入った『ヤンデレ代表を返上したサウスポー』がランナーの『スタイル汐以上みちる以下しかも10年後には汐以下』に何やら耳打ちしているようです。
気を取り直して『天上天下唯我独尊世界で一番ゆいこちゃん』バッターボックスに入り、ピッチャー第1球を投げた!見送ってボール!ランナーをちらりと見てピッチャー第2球を…投げた!おおっとランナー走った!そしてバッターはセーフティバント!勢いを殺されたボールが3塁線ギリギリに転がった!捕って素早く1塁投げるも『天上天下唯我独尊世界で一番ゆいこちゃん』の足が速いセーフ!
この隙に『スタイル汐以上みちる以下しかも10年後には汐以下』2塁も回って3塁を狙う!ファーストからサードへ矢のような送球が送られるが、おおっと『スタイル汐以上みちる以下しかも10年後には汐以下』両手足をつけて犬のように走っています!
これが意外に疾い!疾い!サードがボールを捕ってタッチするも、その態勢のまま頭から滑り込んだ『スタイル汐以上みちる以下でもわんこだからそんなの関係ねえ!』の手が一瞬早い、セーフ!

さあ1アウトランナー1、3塁とチャンスは広がり、2番バッターの『あなたふかーっ!と言えば言うほど可愛いですから!残念っ!』がバッターボックスへ向かいます。
ピッチャーセットポジションから第1球を…投げた!見送ってストライク!この間に1塁ランナーの『天上天下唯我独尊世界で一番ゆいこちゃん』は悠々と2塁へ進みます。『天上天下唯我独尊世界で一番ゆいこちゃん』の脚を知っているバッテリー、ランナーは気にせずバッターに集中する模様です。
ランナーが詰まったことでピッチャー振りかぶって第2球を…投げた!おおっとこれは打ち上げてしまって内野フライ!ショートが落下点に入りキャッチして2アウト!『あなたふかーっ!と言えば言うほど可愛いですから!残念っ!』悔しそうにバットを地面に叩きつけてベンチに戻ってきます。

3番バッターの『(21)を発明した某RPGで大活躍?な男』がとぼとぼと引き返してくる『あなたふかーっ!と言えば言うほど可愛いですから!残念っ!』の頭をわしわしと乱暴に撫で、更にネクストバッターの『外見のひ弱さからは想像出来ない鬼畜ド変態スケコマシ』に親指を立てて白い歯をキランと光らせ、バッターボックスに向かっていきます。
まさしく後は俺に任せとけ、と言わんばかりです。

俺様は強いぞ的オーラを全身から発する『(21)を発明した某RPGで大活躍?な男』を前にしたバッテリー、きわどいコースを突くもストライクは入らず、ストレートの四球で歩かせます。
これで2アウト満塁、本塁打が出れば逆転サヨナラの場面で打席に立つのは、今日2打数無安打といいところのない4番の『外見のひ弱さからは想像出来ない鬼畜ド変態スケコマシ』です。
1塁ランナーの『(21)を発明した某RPGで大活躍?な男』、先程と同じように『外見のひ弱さからは想像出来ない鬼畜ド変態スケコマシ』に向けて親指を立て、白い歯をキランと輝かせます。なるほどつまり先程の仕草も、あとはお前に任せた、という意味でのジェスチャーだと解釈して良いでしょう。

さあ土壇場のこの局面で、ピッチャー振りかぶって第1球を…投げた!気合いの入った球がうなりを上げ、キャッチャーのミットに吸い込まれます。バッター『外見のひ弱さからは想像出来ない鬼畜ド変態スケコマシ』、ぴくりともバットを動かしません。
続いてピッチャー第2球を…投げた!また見送ってストライク!さあこれで『外見のひ弱さからは想像出来ない鬼畜ド変態スケコマシ』追い込まれました!
第3球を投げようというところで、『外見のひ弱さからは想像出来ない鬼畜ド変態スケコマシ』たまらずタイムをかけバッターボックスを外します。

1回、2回とバットを振って気を落ち着かせようとしますが、まだ顔にはありありと拭えない焦りと不安が浮かんでいます。
そしてそれを見かねて、『(21)を発明しロリ業界に新たな1ページを刻み込んだ男』と『あなたふかーっ!と言えば言うほど可愛いですから!残念っ!』、『漢!』、『制服着て早く主人公の座を奪って下さいマジお願いします』といつものメンバーが『実は誘ってくるのは女の子からの方が多い?いやいやでも自重しろ』の周りにやってきます。
全員が二言三言『実は誘ってくるのは女の子からの方が多い?いやいやでも自重しろ』に声をかけ、またもとの場所へ戻っていきます。

気を取り直してバッターボックスに入り、構えた『実は誘ってくるのは女の子からの方が多い?いやいやでも自重しろ』にピッチャー運命の1球を…投げた!打った!これは大きい!入るか!入るか!どうだっ!…ファール!!
非常に大きい当たりでしたが、残念ながら僅かに切れてファールです。総立ちになったベンチからは、大きなため息が漏れてきます。
ピッチャー気を取り直して、再び構えた『実は誘ってくるのは女の子からの方が多い?いやいやでも自重しろ』に第4球、これがラストボールとなるか…投げた!おおっとこれは打ち上げてしまって外野フライ、ライトがバックしてバックしてまだバックしてグラブを伸ばして飛びつくが抜けた!抜けた!ヒット!ヒット!
2塁ランナーと3塁ランナーは既にホームイン!1塁ランナーの『(21)を発明しロリ業界に新たな1ページを刻み込んだ男』も今ガッツポーズを取りながらホームイン!ボールはようやく中継に戻って来たところ、そして3塁コーチャーの『漢!』が腕をぶんぶん回します!
これを見て『性欲の権化と永遠に呼ばれとけ手出すの早すぎるんじゃぼけー』一気に3塁を回った、ホームに帰れば見事な逆転サヨナラだが中継からの返球も絶好球が帰ってくる!クロスプレーになる!『み な ぎ っ て き た 下半身男』突っ込む!キャッチャーボールを取ってタッチにいく!『クラ○ドの主人公だった場合誰にも相手にされなくね?』の手とキャッチャーのグローブがホームベースに向かって伸びる!際どいタイミングだが審判の判定はどうだ!セーフだ!セーフ!『告る=手を出す方程式を持つ男』の手が早かった!みごとな逆転満塁弾でサヨナラ勝利です!
ベンチから飛び出してきたメンバーに『もうお前誰でもいいんだろいやいやそんなことはないちゃんと選んでるよ本当か?うん僕好みの女の子だけをねやっぱお前最低だ』手荒い祝福を受けます!中でも一番喜んでいるのは『(21)を発明しその後ロリロリハンターズを結成し名実共にロリ業界の伝説となった男』、そしてその場で『というかもうそろそろネタ切れデス彼は罵りしか出てきませんデス』の胴上げが始まります。ナイン全員に見事にやり遂げたという喜びが満ち溢れています。




ようやく祝福ムードも落ち着いてきて、両チームがホームベースの前に並びます。最後はお互いを称え合い、爽やかにゲームセットとなります。

「運動部キャプテン連合対部ブラックリトルバスターズの試合は、6対5でブラックリトルバスターズの勝利です。礼っ!」

『ありがとうございましたー!!』

って、リトルバスターズの試合じゃなかったんかい!Σ\( ̄□ ̄;)ビシ!



もう終わっとけ


[No.605] 2008/09/26(Fri) 23:59:02
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[No.607] 2008/09/27(Sat) 00:01:12
崩落 (No.594への返信 / 1階層) - ひみつ@4275 byte


 暗い小部屋の中は、柔らかな塊で満たされていた。
 その塊はぶよぶよとした感触で、表面には奇妙な模様が刻まれている。栄養価が高く、齧れば甘美な味が口腔に広がるだろう。
 今、その塊の随所に黒い塊が点在している。活発に蠢くそれらは蝿だ。蝿は豪勢な餌を前に、小部屋の中を狂喜乱舞している。餌に取りついた蝿は、その表面を吸うように貪り食う。どの蝿もそれに倣う。彼らの食事で塊には無数の穴が開き、蝿はその中に体をねじ込んでいく。巣食っていく。彼らの羽音と食事の音が小部屋の中で反響している。


 ねぇ鈴。頭痛がひどいんだ。頭が割れそうに痛むんだ。助けてよ。ああ、そういえばこのアパートは欠陥住宅じゃないかな。部屋の窓も扉も閉め切って密封してあるのにいつも虫が飛んでいるんだ。起きてるときも寝ているときもずっとだよ。
 ほら今も。羽音がする。頭の上の方だ。ほら聞こえる。一匹や二匹じゃない。それなのに姿が見えないんだ。おかしいよね。どうしてかな。気持ちが悪いよ。鈴にも聞こえるでしょ。ねぇ、ちゃんと返事してよ。ああもう、うるさいな。僕たちが話してるんだから静かにしてよ。鈴さ、もしかして怒ってるのかな。それだったら謝るよ。あんなことしてごめん。いつまでも臍曲げてないでさ、ほら。


 もうやめてくれと言いながら、鈴が泣いている。
 僕は鈴が懇願する意味が分からなかった。どうして泣くことがある。どうして止めることがある。僕は彼女を無視し、引き裂いたガムテープを使って窓を目張りしていく。
 このアパートには無数の卵でも植えつけられているに違いない。なにせ年中、虫が飛んでくるのだから。どんな虫除けも効果がない。あの羽音が耳にこびりついて離れない。だからこれは当然の処置だ。出入り口を塞げば、あの忌々しい蝿たちもこの部屋に入ってくることはできないだろう。こんな簡単な理屈を鈴は未だに理解してくれない。この前もアパートに帰ってきたら、鈴の奴が必死にガムテープを剥がしている最中だった。一度や二度ではない。僕がどれだけ時間をかけて目張りをしても、鈴は愚かにもその努力を全て水泡に帰してしまう。この行為の意図をどれだけ懇々と説明しても無駄だった。いつも口論になり、それで終わる。
 今、僕の足に鈴がすがりついている。涙さえ流している。我慢の限界だった。僕の中で何かがキレた。馬鹿野郎と叫んで鈴の腹を蹴る。彼女は途端に力を失って床に倒れ伏す。僕はそれを無感情に見下ろして、新たなガムテープの切れ端を窓に張りつける。


 卑猥な落書きに埋められた便所の壁が間近に見える。切れかけた電灯の光に虫が群がり蠢いている。無人の手洗い場の蛇口からは水が噴き出ていて、規則的な水音を静かに響かせている。僕はその水流の中に、すっかり短くなってしまった煙草を投げ込む。
 狭い便所内には二つの個室があり、奥の方にある扉が隙間風に軋んで揺れている。背後の闇からは相変わらず水音が聞こえるが、僕がそちらを振り返ることはない。一旦その場で立ち止まり、僕は箱から新たな煙草を抜き出す。口に銜えた一本に火を点けようとするが、風に邪魔されうまくいかない。片手を丸めて風除けを作るも、僕の指先に揺らいだ炎の舌が絡みつく。僕は全てを床に落としてしまう。
 そのとき、中途半端に軋んでいた扉が、一際強い風に煽られて完全に開け放たれる。個室の中にいた鈴は首だけで全身を支え、虚ろな瞳で僕のことを見つめている。それを見つめ返す僕の視線は、普段よりも高いところへと向けられている。


 小部屋の中は温かな液体で満たされている。その中に何かが浮かんでいる。それは人の形をしている。だが、それの手足は構造上ありえない方向にねじ曲がっている。頭部に至っては完全に砕けてしまっている。脳漿と血が流れ出ており、自らを包む液体を鮮血で染めている。
 鈴の泣いている声が聞こえたような気がした。


 僕は毎夜、誰かが焼け死ぬ夢を見る。
 小部屋が開いて、火だるまの人間が飛び出てくる。慌てて駆け寄る僕は、羽織っているコートで燃え続ける誰かの体を叩く。何とか消し止めたものの、もう手遅れなのは誰の目にも明らかだった。頭髪は焼け焦げて灰となり、顔面の大部分にも重度の火傷を負っている。溶けた皮膚が飴細工のように液状となり、粘ついた糸を引いている。
 僕の視線が、その人の頭の頂から足先までを追っていく過程で、出来損ないの玩具のように両の指先が僅かに動いていることに気がつく。自然と体が震え、歯がかちかちと鳴る。神経が火花を上げて焼き切れ、正常な思考を麻痺させるのが分かった。焼死体にも等しい醜悪な肉体を晒しながら、なおもその誰かは生きていた。
 僕が声をかけようと口を開いたとき、その誰かの腹部が真一文字に引き裂かれる。破れた皮膚の内側から小さな指先が覗いたと思った直後、小さな小さな人間がそこから這い出てくる。潰れた頭と曲がった手足。僕は頭を抱えて悲鳴を上げる。


 この狭いアパートの一室には、今なお無数の蝿が飛んでいる。
 羽音と線香の香りが、僕の頭を痺れさせる。
 ねぇ、鈴。
 返事をしてよ。
 鈴の遺影の前に座って、僕はひとり彼女の返事を待ち続ける。


[No.608] 2008/09/27(Sat) 00:01:22
クロノオモイ (No.594への返信 / 1階層) - ひみつ 初投稿@EXネタバレ有 10283 byte

 そこであの人と出会えたのは偶然だった。
 辿り着いたその場所であの人と出会えたこと。その偶然を僕は心の底から感謝した。
 その人とここで出会えたのはきっと運命だったから。


   -クロノオモイ-


 あの日以来僕は常にあの人のことを目で追っていた。
 いや、目だけじゃない。彼女の後を常に僕は追いかけていた。
 さすがに入れない場所と言うのは存在するが、それでもいつも僕はあの人を追っていた。
 来る日も来る日も。どれくらい日が昇り、そして夜が来たか分からないくらい毎日。
 僕にはそれだけあの人を追いかける理由があるから。
「佐々美さまー。頑張ってくださーい」
 あの人と一緒にいつも白球を追いかけている女の子があの人に向けて声を掛ける。
 それに答えて彼女は腕を振るう。
 ブンッ
 こっちまで空気を切り裂くような音がしたような気がした。
 それくらいあの人の投げる白球は早く、力強かった。
 そしてあの人はいつもあの集団の中の中心だった。
 それが嬉しく思う。僕の特別な人があんなに凄いなんて誇らしく思えてくる。
 僕は日が暮れるまで彼女を見続けていた。

 別の日の夜。
 いつもように彼女の姿を探して歩いていると、突然女の子の叫ぶ声が聞こえた。
「なんでこんなとこにいるんだ、ざざぜがわざざみっ」
「笹瀬川佐々美ですわっ。相も変わらず失礼な方ですわね、棗鈴!」
 呼応するようにあの人の声も聞こえる。
 ああ、きっといつもの通り戦うんだろう。
 でも僕のあの人は強い。きっといつものように勝ってしまうに違いない。
 そう思いながら現場にへと向かうと、そこはすでに勝敗が決していた。
「ううっ……強い」
「ほーほっほっ、当然ですわ。行きますわよ」
「はい、佐々美様」
 勝ち名乗りを上げ踵を返すと、あの人の周りにいた女の子達も彼女の後について行ってしまった。
 きっとあのまま帰るのだろう。
 僕はふと残った彼女に視線を移した。
 『棗鈴』あの人がいつも呼んでいるからいやでも覚えてしまった。
 なにかとあの人とぶつかることの多い女の子と言うのが僕の中の認識だ。
 でも嫌いではない。寧ろ好きな部類だ。きっとあの人と持っている空気が似ているからだろう。
 だけど僕はこの人の傍に近寄る気はない。
 棗鈴の傍は嫌いじゃないけど、彼女の周りのあいつらは好きじゃない。
 いつも棗鈴を中心とした集団。
 仲良しこよしを否定するつもりはないが、あのぬるい空間に近寄る気にはならなかった。
「ん?お前……」
 彼女が僕に気づいたようだ。
 僕は彼女に話しかけられる前にその場から逃げ出した。
 話しかけられたら面倒なことになる。
 きっとあいつらが近寄ってくるから。
 でも僕は馴れ合うつもりはない。だって、僕の全ては彼女のためだったから。

 そんな毎日僕は繰り返していた。
 あの人に会えたこと。そのことが嬉しくて追いかけるだけで満足してしまっていた。
 きっと追いかけ続けていればあの人に受け入れてもらえる。そんな希望すら抱いて。
 ……でも、駄目だった。
 それを思い知らされたのはこれもまた偶然だった。
 いつものように白球を追いかけるあの人の眺めていた僕は、
たまたま近くに落ちた玉にそっと足を触れた。
 するとそこに彼女がやって来た。
 これを探しに来たのだろうか。
 チャンスだと思った。
 僕がこれを差し出せばきっと喜んでくれるだろう。
 そしてもしかしたら気づいてくれるかもしれない。……僕のことを。
 けれど近づいてきたあの人の次の行動は予想外のものだった。
「なっ……」
 あの人は僕を見て固まるとあからさまに目を逸らしたのだ。
 そして僅かな逡巡の後、僕のことなど目もくれず、
落ちていた白球を拾いその場を立ち去ってしまった。
 僕はしばらく呆然としていた。
 我に返ったのは彼女の姿がどこにも見えなくなった後だった。
 拒絶された。
 その思いが心を占める。
 明確な拒絶の言葉こそなかったが、あの人の行動はそれを補って余りあるものだった。
 思い返せば確かに他のやつらにも時折避けるような素振りを見せていた気がする。
 でも僕のそれはあまりにも顕著すぎた。
 嫌われている?それは何故?
 わけが分からなかった。こんなにも想っているのに。
 僕は混乱した頭のまま、闇雲に彼女の後を追おうと走り始めた。
 そして僅かに走ったところで僕は無様に倒れ付してしまった。
 ……ああ、気づいてしまった。
 希望とはこんなにも儚いものだったのかと。僕には時間がなかったのだということに。
 それからの僕は今まで以上にあの人の周りにいつもいるようにした。
 時には物陰から、時には木の上からじっとあの人を見守っていた。
 隙あらば彼女の傍に近寄ろうとすらした。
 もっともっとあの人の傍にいて、もっともっと自分を見てもらいたい。
 もっとあの人の温もりを知りたい。
 だから僕は行動した。

 ――――あいつのことを知ったのは僕が必死に行動している時だった。

 直枝理樹。
 棗鈴の傍にいることの多い男。
 自分も弱い存在だけど、それ以上にあいつの印象は弱そうだった。そして地味。
 それだけの男のはずなのに、何故か僕はあいつのことが会って以来ずっと引っかかっていた。
 あいつの周りには他に印象の強いやつはたくさんいるのに僕はあいつが気になっていた。
 分かることは、あいつの空気がいつか僕が身を委ねていたものに非常に似通っていること。
 何もかも、全てを失い孤独のまま死を迎えるだけだった僕が、
新しい家族と出会い、そして手に入れていた幸せ。
 あいつのことは何も知らないのに、どうしてもその記憶が蘇ってしまう。
 そんな不思議な存在。
 そして今、あいつはあの人と話している。
 話している内容は分からない。
 でも何故だろう。ひどく心がざわつくのは。
 それは僕の心に様々な想いを生み出す。
 ……ある種の予感を僕は感じていた。
 最後には彼に頼るのではないかと。
 託すのではないかと、そんな根拠もない予感を。


 そしてどれくらい過ぎただろう。
 彼女と会って、そして追いかけるようになってから。
 なのに僕は一向に想いを伝えられていなかった。
 いや、伝える術にすら辿り着けていなかった。……時間がないのに。
 気持ちばかりせくのに、解決する糸口すら浮かばない。
 分からないから行動する。少しでも長くあの人の傍にいられるように。
「待って、相川君」
 草むらを駆けていると直枝理樹の声が聞こえた。
 いつもと違う硬い声。
 でも僕にはあの人を探す以上に重要なことはないから、気にせず彼女を探して走り出した。
 そしてしばらく走っていると彼女を見つけることが出来た。
 どうやら一人ではないらしい。
 確か名前は……。
「それで神北さん。出来映えはどうですの?」
 そうだ、神北小毬。そんな名前だった気がする。
 あの人と一緒に暮らしているほんわかした女の子。
 あの人が気を許しているのだから、いいやつだと思うがどうにも苦手だ。
 僕は見つからないように物陰から2人を観察した。
「うん、美味しいよー。さーちゃんはやっぱり料理が得意なんだねー」
「ふん、お菓子作りに関してはあなたに負けますわ。けれどお陰で上手くいきましたわ。
感謝いたしますわ、神北さん」
「いいよー。お友達だもん。当然」
 なにやら幸せそうな空気が漂っている。
 そして甘ったるい匂いも。
 こんな匂いのするもののどこがいいのかさっぱり分からない。
 食べ物に甘さは必要ないと僕は思う。
「そう言えば修学旅行はどこ最初に行くか決めた?」
「最初に、ですか?いくつか候補は決めてますが、それが何か」
「うーん、一緒に回らないかなって思って」
「一緒に、ですか?わたくしは構いませんが、そちらはクラスメイトと回らなくて宜しいんですの?」
「あー、うん。そこで相談なんだけど」
「相談?」
「鈴ちゃんも一緒じゃ駄目かな?」
 その言葉にあの人は眉毛をピクリとさせた。
「神北さんは棗鈴と仲がよろしいんですの?」
「うん、お友達だよ〜」
「そう、でしたわね。あなたもあの集団のお仲間でしたわね」
 苦々しげに彼女は呟く。
「そんなに鈴ちゃんと一緒にいるのが嫌?」
「そ、そんなことはないのですが……棗さんのほうが嫌がるでしょう」
 そう呟く彼女の声はどこか弱弱しかった。
「そんなことないよ。きっとお友達になれるよ」
 対する神北小毬の返答は能天気なものだった。
 その言葉に少し逡巡した後、あの人は静かに首を振った。
「遠慮、しておきますわ。せっかくの楽しい修学旅行ですもの。
棗さんを不快な気持ちにさせるのは悪いですわ」
「むぅ〜、そっかなあ。2人はきっといいお友達になれると思うんだけどなー」
 まだ不満のようだ。
 そんな彼女を見て、あの人はフッと笑う。
「そう、ですわね。そうなれたらいいですわね。でも今回は遠慮しておきますわ」
「残念。でも少しは一緒に回ろうね」
「ええ、そうですわね」
 そうして2人は笑った。
 ……これ以上ここにいても仕方ない。
 甘ったるい空気も気になるし、あの人が1人になるまでどこかで待っていよう。
 僕は一度だけ振り返ると、その場を走り去った。
 そしてそれからも何度も何度も彼女の傍に寄り添おうとして失敗し続けた。
 想いを伝える術がない。それがこんなにも苦しいなんて。
 日に日に気温は暑くなり、徐々に力が奪われ衰えていくのに。
 容赦なく残った時間は削られていくのに。
 なのにあの人に振り向いてすらもらえない。
 いや、それだけならまだ良かったかもしれない。
 僕の姿を見るだけで辛そうな表情を浮かべる彼女に、僕はやるせない気持ちになってしまう。
 でも、どんなに頑張っても想いは届かない……。
 僕は最早諦めかけていた。
 もう、あの人のことを見ていられればそれでいいんじゃないかとさえ思い始めていた。
 そんな折、あいつにまた会った。
 最初、僕はあいつが直枝理樹だとは気づかなかった。
 それくらいあいつは変わっていた。
 どうしてかは僕には分からない。でもあいつを見た瞬間思った。
 僕も強くなれるんじゃないかと。
 体はこんなにも脆弱だけど、心だけでも強くあれば伝える術が君つかるんじゃないか、そう思えた。
 僕はふらつく体に激を入れ、歩き始めた。
 願おう。ただ強く願い続けよう。
 あの人のことだけを想い、生きていけば、伝えることがいつかできる。そう信じて。


 そしてとうとうその日を迎えた。
 思えば少し前に雨にあったのが拙かったのだろう。
 それを防ぐ手段を持たない僕は、雨に打たれながら彼女の匂いを追って歩き続けた所為だろう。
 次の朝を迎えたときには、元から搾りかす同然だった僕の命はほとんど失われていた。
 身体もほとんど動かず、酷く寒かった。
 それは最近急激に寒くなってきたこの気温の所為じゃきっとない。
 命が、零れ落ちていった代償に違いない。
 覚悟はしていた。
 ここに来た時には僕はもうボロボロだったから。
 だから死ぬことは怖くない。
 ただ心残りがあるとするなら、あの人に想いを伝えてないことことだった。
 伝え方が分からない。だから強い思いを抱いて彼女の傍にい続ける。
 それしか出来なかったのに、僕にはもうそれすら出来そうにない。
 必死に人目を避け、この『校舎裏』と言われるところまで這ってきたが、それで終わり。
 僕にはもう声を上げる力すら残っていなかった。
 この命が尽きる瞬間まであの人の傍にいたいという思いも確かにあった。
 でもそれがあの人の迷惑になることも分かっていたから。
 だから僕はここにいる。
 それからはあの人のことを考えながらただジッとここにい続けた。
 そして今日、僕は自分の命の火が消えようとしていることが分かった。
 悲しい、悔しい。でもどんなに思ってもどうにもならなかった。
 ただ、伝えたいだけなのに。
 ただ、ただ……。

 そして高かった日は傾き、地面に沈み暗く静かな闇へと世界は変わった。
 徐々に奪われていく体温。
 そして消えていく命。
 もう、僕には悲しさも悔しさもなかった。
 ただ一つの想いだけが僕の中に残っていた。
 ああ、消えたくない。消えたくない。この想いを伝えるまでは消えたくない。
 そう思った瞬間、僕は立ち上がっていた。
 そして残ったその命の全てを振り絞って鳴き叫んだ。
 あの人への……ママへの、大好きなママへの伝えたい想いを乗せて力いっぱい鳴いた。

 ”僕は『ここに、いるよ』と”

 そして僕の意識は闇の中へと落ちていった。

 fin


[No.609] 2008/09/27(Sat) 00:02:44
えむぶいぴーらいん (No.594への返信 / 1階層) - 主催

ここまでなのです

[No.610] 2008/09/27(Sat) 00:21:28
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