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   第25回リトバス草SS大会(ネタバレ申告必要無) - 主催 - 2009/01/19(Mon) 22:55:58 [No.887]
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チャイルドフッド - ひみつ@9072 byteしめきられたのです - 2009/01/24(Sat) 00:59:18 [No.901]
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哀愁の鈍色スパイラル - ひみつ@5849 byte - 2009/01/23(Fri) 15:10:53 [No.890]
見事なる筋肉の躍動が世界を覆い尽くした後の世で - ひみつ@7972byte - 2009/01/23(Fri) 10:03:09 [No.889]
MVPとか次回とか - 主催 - 2009/01/25(Sun) 01:33:44 [No.904]



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第25回リトバス草SS大会(ネタバレ申告必要無) (親記事) - 主催

 エクスタシーネタバレの申告は必要ありません。
 未プレイだけど参加しちゃうぜ!な方はご注意ください。


 詳細はこちら
 http://kaki-kaki-kaki.hp.infoseek.co.jp/rule.html
 この記事に返信する形で作品を投稿してください。

 お題は「みごと」です。
 見事、頼みごと、使い方は工夫次第なのです。

 締め切りは1月23日金曜24時。
 締め切り後の作品はMVP対象外となりますのでご注意を。

 感想会は1月24日土曜22時開始予定。
 会場はこちら
 http://kaki-kaki-kaki.hp.infoseek.co.jp/chat.html
 はじめにMVP投票(最大3作まで投票可能)を行いますので、是非是非みなさまご参加くださいませ。
 ご新規、読みオンリー、感想オンリー、投票オンリー、大歓迎でございます。


[No.887] 2009/01/19(Mon) 22:55:58
見事なる筋肉の躍動が世界を覆い尽くした後の世で (No.887への返信 / 1階層) - ひみつ@7972byte

 筋肉暦0079、天帝たる井ノ原真人の命の灯が消えようとしていた。
 人類万民の母星、地球の日本国という小さな島国、その片隅に佇む一都市に生れ落ちた彼は18の誕生日に天啓を受け、筋肉革命によって世界を掌握した歴史について今更語るまでもない事だが、そもそも政界、財界共に接点を持たずごく普通の学生であった彼がどのようにしてその勢力を広げていったかについては余り多くは語られていない。世界を、そして宇宙さえも掌中に収めた一人の男。彼を支え共に歩んだ者達について、ここでは語る事にしよう。
 さて、そんな彼らの真実は正確に残されていない。見事な筋肉を身に纏い圧倒的なカリスマによって燦然と輝いていた巨大な恒星こそ井ノ原真人であったとするなら、あたかも裏側を漂う衛星群のようである。ただしこれは彼らの無力を表すものではなく、その役割は巨星に付き添い守り続ける衛星兵器であり、井ノ原真人という灼熱より水素燃料を抽出し人々に日々の糧を与えるプラントであった。つまりそれは帝国を築き上げるため、維持するために切り捨てる事の出来ない重要な存在である。
 細かな業績についてはやはり不明ではあっても彼らが果たしてきた役割は見過ごす事は出来ない。だが公式にも非公式にも彼らが正当な評価を受けた事はなかった。無数の勲章とも、重大な役職とも常に無縁だったのである。120の上級国民議会、3万の下級議会、27の総督、全宇宙600万を越える官職の名簿を幾ら開いたところで彼らの名は見つける事が出来なかった。
 これは考え難い問題である。片田舎の農業惑星に飛ばされるような落ち目の官吏ならともかく、帝国の給与は控えめに言っても高給であり、一山幾らの一兵卒等は「奴らの貰うクレジット一月分あれば、辺りから海賊を一掃するに十分な装備が手に入るのに」と恨めしく語るほどだ。それを受けない理由があったのだろうか。
 信賞必罰は社会体制の理である。成果を認められない社会、過不足無く正しい罰が下る社会。両者が同時に成立してこそ人々は正しく生きる事を望み、どちらか一方でも崩れてしまえば人心は荒廃する。古来より多くの体制はこれによって崩壊してきたのだ。
 では、何故彼らは褒賞を求めなかったのだろうか。だというのに何故支え続ける事が出来たのだろうか。彼らの間には特別な繋がり、利害を超え得るだけの絆のようなものがあったのかもしれない。

                           ☆ ☆ ☆

 筋隆宮には合計で21の建物があり、丁寧に手入れされた庭園がそれらを繋いでいる。巨大な噴水があるわけでもなく、大理石の東屋もない。とても全宇宙の支配者とは思えぬほど質素なものだ。その代わりにサイドチェストやダブルバイセップス・バックなど、様々なポーズをとる天帝の彫像がそこかしこに飾られていた。著名な彫刻家によって彫られたそれらは人の居ない庭園で、見事な笑顔を見せていた。
 奥へと進むと寝所に辿り着く。元々は巨大な館であったのだが、天帝自身の指示によって近年大幅に改装され、現在は不思議な造りになっていた。外見こそ荘厳ではあったが内部は非常に狭く、個室に机と二段ベッドが置かれている。臣下達は揃って口をあんぐりと開いていたが、井ノ原真人は満足だった。何故ならそこはもっとも思い出の詰まった場所であり、帰るべき場所なのだから。故に彼はそこを他者に踏み躙られるのを嫌い、何人の立ち入りも許さなかった。
 いや、ただ一人を除いては。
「理樹……居るのか?」
「うん。ここに居るよ」
 優しい声音で答えた老人は、ベッドに寄り添うようにして腰を下ろした。二段ベッドの下段、本来彼が眠っているはずの場所に真人は横たわっていた。老境に入ってもなお血気盛んであり筋骨逞しい姿を維持していた真人ではあったが、人としての死を避けるには至らない。上段で眠る事を望んでいたが、ついにはその力も失われていた。
「夢を、見てた」
「どんな夢?」
「昔の事だ。すっげぇ昔の事」
「そっか……色んな事があったものね」
 真人は日の大半を眠りながら過ごし、唯一立ち入る事の出来る直枝理樹に世話を任せている。かつてはトレーニングが占めていたその時間を、寝所を改装した事からも分かるように懐古が染め上げていた。
 急に咳き込み出した真人に、理樹は立ち上がろうとしたが手のひらで軽く制された。吐き出すような咳は残り僅かな体力さえも奪っていく。土気色の顔は苦痛に歪み、瞳から精彩な輝きが擦れていく。
「あ……あぁ。本当に色々ありすぎて、思い出してて飽きねぇよ」
「波乱万丈な人生だったよ」
「こっそり宮殿を抜け出して海賊の連中を片っ端から潰してやったのは楽しかったなぁ」
「発案したのは恭介だったね。クドと小毬さん以外は皆ノリノリだった」
「まさかあそこで鈴の蹴りが決定打になるとはな。あれには度肝抜かれたぜ」
「猫を苛めた恨みは深いんだね」
「猫って言や、まさかドルジが宇宙人だったとはな」
「しかも人類を滅ぼすべきかどうか審判していたなんてね」
「あの時奴が味方を裏切ってくれてなきゃ、今頃人間は滅亡していただろうな」
「あと5秒遅かったらそうなっていただろうね」
 真人はやけに饒舌だった。瞼を閉じて過去を噛み締めるように言葉に変えている。
「……でも、今は俺達二人だけになっちまった」
「うん、仕方ないよ」
「すっかり寂しくなっちまいやがった。もっともっと騒ぎまくりたかったのに」
 言葉も無く、理樹は見守っていた。看取ることが出来たもの、叶わなかったもの、両方あったがどちらにしても最期は静かに言葉を受け取る事こそ最後の一人になってしまうだろう自分の役割だと信じていた。
「帰りてぇよ……また、あの頃に。《ここ》に帰りてぇ。あぁ、理樹、居るのか? お前は本当に居るのか?」
「居るよ、真人。僕らは《ここ》で一緒に過ごしていたじゃないか」
 全てが始まる日の以前、学校の寮の一室で二人は常に共に居た。真人の回顧は究極的な場所としてそこを望み、閉じられた瞼の裏にはあの日と変わらぬ日常が映っているのだろう。それに応えた理樹の言葉に、表情が安らいでいく。
「そうか……悪いな。お前のベッド占領しちまって。もう一眠りしたら、起きるから」
「良いよ。ゆっくり休んで」
「おう、起きたら……また、リトルバスターズで……」
 声はやがて小さく弱く消えていった。それでも最期まで真人は言葉を続けていた。友人達と派手に暴れまわる自分の姿を呼吸が途絶える瞬間まで夢見ていたのだ。その時に帰る事を祈りながら。
「真人……お休み」
 こうして全宇宙を制覇した絶対の支配者、天帝はただ一人の親友に看取られ息を引き取った。この事実は公式に明かされる事は無く、真人は巨大なベッドの上、多くの医師団に見守られながら崩御したと伝えられたが、どちらが幸せだったかなど彼の安らかな寝顔を見るまでも無く明らかだろう。
 全ての人類に筋肉と平和を与え賜うた井ノ原真人に栄光あれ!
 そしてその影に寄り添い続けた者達に安らぎあれ!!

 
                            −完ー








「ついに―――ついに完成したよ! 真人!!」
「やったな、理樹! 最高だ! 筋肉最高だ!!」
「筋肉、筋肉ぅ〜!」
「筋肉、筋肉ぅ〜!!」
 バタバタとアホ共が騒いでいた。寮の自室に四日間も篭りきりで完全徹夜していたためナチュラルハイになっているから……というわけでもなく、普段からこんなノリである。隣人達にしても慣れたもので苦情の類は一つもなく、即ち誰も止めやしない。
「凄い、凄いぞ理樹! これは最高だ!」
「当然だよ。原案が真人で執筆が僕なんだ。最高に違いないよ!」
「筋肉、筋肉ぅ〜!!」
「筋肉、筋肉ぅ〜!」
 奇怪な踊りを始める彼らの足もとには分厚い原稿用紙の束が無数に散らばっている。
『大筋肉帝国伝説・筋肉革命編』
『大筋肉帝国伝説2・帝国黎明編』
『大筋肉帝国伝説3・宇宙革命編』
『大筋肉帝国伝説4・宇宙戦争編』
『大筋肉帝国伝説外伝・大胸筋サポーター物語』
『大筋肉帝国伝説外伝2・ベンチプレス殺人事件』
『大筋肉帝国伝説5・筋肉復興編』
 そしてようやく最終巻である『大筋肉帝国伝説6・落日編』を完成させたのだった。見事な大長編でありスペースオペラもどきであり生粋の妄想小説である。四日でこれを全て書き上げたというのだから驚きだが、誰も力の使いどころを間違っていると突っ込める人間が居なかった事は悲劇の内に数えて構わないだろう。
 尤も、誰かがそう言ったところで彼らは耳を貸さなかっただろう。真人の妄想を、それも恐らくは脳みそではなく筋肉によって生み出されたものを、そのまま文章に書き起こすという愚行を四日間もぶっ続けで成し遂げさせたのは、理樹もまた筋肉で思考する生物へと退化してしまったからに他ならない。
 それでも、彼らの努力には一応の根拠はある。
「何とか間に合って良かったね」
「まったくだ、一時はどうなるかと思ったぜ」
「これで明日は朗読会が出来るね!」
「大喜びする奴らの顔が目に浮かぶぜ!」
「感涙に咽び泣くね!」
「筋肉に惚れこむぞ、絶対!」
「筋肉、筋肉ぅ〜!!」
「筋肉、筋肉ぅ〜!!」
 飛んだり跳ねたり走り回ったり転がったり足の小指をぶつけて悶絶したり、大騒ぎである。明日はきっと更に激しくなるだろう。勢いに任せて外へと飛び出していった彼らを見送るように、原稿用紙が一枚捲れた。
 大筋肉帝国伝説第一巻の序文がそこにある。
『星は回る。世界は回る。なら、魂だってきっと回るだろう』
 その後には『つまり筋肉から生まれた我々が筋肉へと回帰するのは至極当然の摂理だったのである』などという絶妙な妄言が続いているわけだが、それはともかくとして……。
 明日は真人の18歳の誕生日なのだった。


[No.889] 2009/01/23(Fri) 10:03:09
哀愁の鈍色スパイラル (No.887への返信 / 1階層) - ひみつ@5849 byte

「なんてことだ」
 鞄を逆さにして、中身を振り落とす。ばらばらばら。筆入れ、クリアファイル、教科書類。どうでもいい。どかす。現文のノート、英語のノート、数学のノート……肝心の、生物のノートが見当たらない。
「なんて……ことだ……」
 明日は、生物の授業はない。別に今日宿題が出来ずともなんとかなるし、そもそも生物は宿題が出ていない。
 僕は、立つ。立たねばなるまい。
「ふっふっ……お? 理樹、どっか行くのか?」
「ちょっと……愛を、取り戻しに」
「おう、そうか。頑張れよー。ふっふっ」
 腕立てと腹筋を同時に行う新トレーニングに精を出す親友へ、心中で同じ言葉を送った。



 校舎に着いたまではいいが、真夜中であることを失念していた。暗い。当然鍵はかかっていなかったので、そのまま上がり込む。
「静かだなぁ」
 静かすぎて、別に恐くはならない。寂しいとは思ってやってもいいかもしれない。さっさと用を済ませて、部屋に帰ろう。僕は、回り道しながら教室を目指す。
 道中、謎の生命体に遭遇した。真人みたいに大きい。僕はおもわず、畏まってしまった。
「ど、どうも、こん」
 ばぁん。
 たぶん、銃声。きっと、銃声。僕は勢いよく振り返る。自覚できるくらいには勢いがあったと思う。
 変な仮面付けた、鈴みたいな髪型の、鈴みたいにちっこい人が銃を構えて立っていた。ぱっと見、鈴程度には女の子っぽい。つまり女子の制服を着ていた。
 また銃声。銃声の向こうで、鈴の音。近くで、重たい音。真人みたいに大きな謎の生命体が、倒れ伏せていた。
「手強い相手だった。だが死ぬ時は一瞬だ」
 仮面の人が、こっちに歩いてくる。鈴みたいな歩幅だった。僕の目の前で止まって、見上げてくる。仮面の、細い切れ目の向こうにある瞳は――。
「あたしは……えーと、あれだ。名前はまだない」
「はあ、どうも。2年の直枝理樹です」
「こんな時間に、こんなところで何をしている」
「ちょっと、愛を取り戻しに」
「愛ィィィィ!」
 いきなり叫ぶもんだから、びっくりした。なんだか悶え苦しんでいる。おさまった。
「ちょっとした発作だ。気にするな」
「はあ。じゃあ、僕はこれで」
 このまま付き合っていたら、夜が明けてしまいそうな予感に襲われた。そういうわけにはいかないのだ。なんとか夜のうちに、目的を達成しなければならない。回り道に戻らなければ。
「待て」
 待たないよ。
「止まらなければ、撃つ」
「なんでしょうか」
 死ぬわけにも眠りに落ちるわけにもいかないとしたら、僕はいったいどうすべきなのか。ただ、そこに立ち止まるばかりだ。
「おまえは、愛ィィィィ! を取り戻せると思っているのか?」
「そもそも愛ってなんでしょう」
「あたしが知るか、ぼけ」
 僕は、何を取り戻そうとしているのだろう。なぜ取り戻そうとしているのだろう。そもそも取り戻せるようなものなのだろうか。何もかもわからない。代わりに、わからなければいけないとも思わない。
 仮面っ子はぷい、と背を向けて歩き出した。こつこつこつ。よくわかんないけど、見逃してもらえたのだろうか。と思ったら立ち止まった。
「おまえの言う、愛ィィィィ! が何なのか、あたしは知らん。知らんが」
 くるりと、舞うように振り返る。つられて、髪の房が躍り、鈴が鳴った。聴き覚えのある光景。見覚えのある音。頭が痛くなってくる。
「それは、きっと」
「僕には、あなたのほうがよっぽど分からない」
「幻で、幻想で、まやかし。なんですよ〜」
 まるで無視。ひどいもんだ。
 窓の外から、月明かりがタイミング良く都合良く射し込んで、彼女の星飾りを煌めかせた。少し離れたそこから、僕を見つめている。本当に僕を見ているのだろうか? だって、その仮面の向こうは――。
「覚えてないんだよね?」
「でも、それは、確かにあったはずなんだ」
「思い出せないんだよね?」
「でも、それは」
 なら、それは。と、彼女は言う。
「幻と、幻想と、まやかしと。なーんにも変わらないよ」
 ふわふわと柔らかなその声は、まるで突き刺さるかのように。例えば、もらったワッフルの中に針が仕込まれていたとしたら、きっとこんな風に。いたい。
「だから、ね。忘れちゃいなよ、ゆー」
 覚えていないのに、思い出せないのに、何を、いったいどうやって、忘れろというのだろう。訊いたって、答えてはくれないくせに。ただ、そうすることだけを僕に求めて。
 僕は、問うた。
「あなたは、誰なんだ」
 月明かり。
「理樹くん、本当はもう気付いてるんじゃないデスカ?」
 へんてこツーテールが。
「リキは、気付かない、わからないフリをしているだけなのです」
 帽子とマントが。
「逃げ腰の直枝さんがアリだというのは間違いないのですが」
 白い日傘が。
「いつまでもそのままでいられてもね。報われないのだよ、少年」
 おっぱいが。
 入れ替わり、立ち替わり。しかしたった一人の、仮面の少女が。励ましでも助言でも、ましてや罵声でもない。僕に何かを伝えようとしている。何も伝えようとしていない。
「あなたは、誰なんだ」
 鈴の音が聴こえる。
「早く戻ってこい、理樹」
 からん、と音を立てて仮面が落ちた。



「起きたか」
「……」
 鈴の見慣れた顔。
「バカが、理樹がもどって来ないって騒いでたんだ。そんで、さがしてた」
 こんなところで、何してたんだ? 鈴の顔はそう言いたげで、僕は答えるかわりに起き上がった。僕の顔を覗き込んでいたらしい鈴に頭突きをかます結果となる。
「な、なにすんじゃボケー!」
 怒りはするけど、手は出ない。両手でぶつけた額を押さえているからだ。足も出ない。どうしてなんて、知るはずがない。
 ごめんごめん、と軽く謝りつつ見回すと、ここは学校の廊下だった。真っ暗でびっくりする。
「いつものあれか?」
「ああ、うん……たぶん」
 不思議な気分だった。僕はまだ眠っているのではないだろうか。そんな気がする。鈴の手を握る。ちっこくて温かくて、確かにそこにある。はっきりしている。でも僕は、まだ疑いを拭うことができない。僕はまだ眠っているのではないだろうか。
「どうした」
「なんでもないよ」
 鈴はどうしてここにいるのだろう、と思った。訊くと、猫だ、とそれだけ返ってきた。
「猫?」
「白猫。ここらへんじゃ見かけないから」
「ふーん」
 そいつが校舎に入っていくのを見かけたんだろう。結局僕より猫優先なのが間違いなく鈴で、安心する。ああ、鈴だ。僕は起きている。
「ほら、いつまでも座ってないで立て。帰るぞ」
 うん、と頷く。立ち上がると、手を離してさっさと歩いてしまったので、ふりふりと振れるしっぽを追った。ふいに、馬鹿なことを訊いてみようかと思った。寝起きの戯言だからたぶん許してくれるだろう。
「ねえ、鈴。愛ってなんだと思う?」
「理樹がバカになった!」



 恭介が帰ってきて、野球やるぞとか言い出して、それに振り回されて、それが楽しくて。
「なんてことだ」
 そんなある日の夜に、僕は寮の自室で鞄を開くのだ。真人は逆立ちしながらスクワットしている。
「なんて……ことだ……」
 鞄の中身は、見事に――。


[No.890] 2009/01/23(Fri) 15:10:53
マグメルに至る道 (No.887への返信 / 1階層) - ひみつ@12122byte

 こまりちゃんが口に運んだドーナツは、ぱっくり裂けた腹部からべたべたの粘液にまみれて溢れ出る。机に広げたたくさんのお菓子を、こまりちゃんは幸せそうな笑顔で頬張っていく。噛み潰され、粉々となったお菓子の断片が、次々と腹から滑り出て、そのまま床に撒き散らされていく。
「りんちゃんも、遠慮せずにどうぞ」
 焼け爛れた左腕の、かろうじて残された人差し指と中指で、こまりちゃんは器用にシュークリームを摘んでくれた。受け取ったそれの表面には、点々と彼女の血が滲んでいる。構わずに口内へと放り込んで咀嚼する。甘くて美味しい。あたしたちは、互いに顔を見合わせていつもみたいに笑い合う。
 弾みでこまりちゃんの右目が飛び出して、床をころころ転がっていく。慌てる彼女をなだめつつ、妙にぶよぶよとした感触の眼球を拾い上げる。お菓子をくれたお返しに、あたしが彼女の眼窩にそれを嵌め込んであげた。
「ありがとー」
 みんなの中で、こまりちゃんは顔が一番きれいに残された。そのぶん、腕は一本しかないし、腰から下は全く存在していない。胴体は内臓ごと大きく抉り取られて、常に赤黒い内壁が剥き出しだ。動くと腸が落ちるため、あたしがいつも折りたたんでお腹に収めてあげている。あたしたちは変わらずに一番のなかよしだ。
 急に外が騒がしくなる。馬鹿たちが野球の練習をしているのだ。捨て置こうと思ったら、こまりちゃんが見たいと言い出したので、一緒に窓から見学することにする。とは言っても彼女は足がないので、あたしが背負ってあげるのだ。
 こまりちゃんはずいぶん軽い。こういう体をしているせいで、どれだけお菓子を食べても太らないのだ。ちょっとうらやましい。とか思っていると、足首の辺りにぬるりとした感触。また腸が落ちたのだ。二人揃って大慌て。なんとか収め直して窓際に向かう。
 馬鹿三人は今日も元気だ。あたしがこまりちゃんとべったりだから、ピッチャーがいなくて仕方なくキャッチボールをしているらしい。
 きょーすけは全身が焼け焦げて、なにがなにやら分からない。目も鼻も口も完全に溶け爛れているから、最初は誰か分からなくて難儀した。謙吾は腕が変な方向に折れ曲がっていて、骨が肘から皮膚を破って突き出ていたりする。真人はこまりちゃんと同じで腕が一本根元から失われている。悪運が強くて利き腕の方だけが残された。こまりちゃんはだめだったのに。
 あの日、目覚めるとあたしは馬鹿の腕の中にいた。だからあたしは五体満足でここにいて、馬鹿は四肢の多くを欠損させてここにいる。みんなぐちゃぐちゃになったのに、あたしだけが仲間外れなんだ。少しだけ妬ましい。あたしもみんなと一緒になりたいのに。
「りんちゃんが負い目を感じることなんてないんだよ」
 表情なんて見えないはずなのに、こまりちゃんはあたしの心を完璧に見透かす。敵わないな、と苦笑する。
 こまりちゃんは、あたしがみんなと同じになりたいと願っていることを知っている。だけど、絶対にだめだよと言って、いつもその願いを否定する。だからあたしはこの話題を自分から口に出さない。こまりちゃんと喧嘩なんてしたくない。いつまでもなかよしでいたいんだ。でも、だからこそあたしもみんなと同じになるべきだとやっぱり思う。ここで考えはぐるっと一回り。いつも答えは出ないんだ。
 返事をしようと口を開いたとき、教室の扉が威勢よく開かれる。くるがやとはるかだ。この二人は最近いつも一緒にいる。しかも騒がしい。でもこいつらの騒がしさは嫌いじゃない。自分でもよくわからん。でもなんだか心が落ち着くんだ。
「静粛に静粛に。聞いて驚くがいいですヨ」
 はるかが言葉を発する度に、右目周辺から覗いている血管や筋肉が痙攣したみたいに動く。はるかの顔面は肉を剥ぎ取られたみたいになっていて、しかも損壊の度合いがばらばらだから妙にでこぼこだ。くるがやは顎から上がきれいに失われていて喋ることができないから、そのぶんはるかが二倍うるさくなった。くるがやも身ぶり手ぶりが無駄に大きくなったから、結局のところ前より騒がしい。賑やかだからいいか。
「なんとなんと。理樹くんがこっちに向かっているとの極秘情報をキャッチしたのですよ! 情報源はもちろんはるちんレーダー……ってなんですか姉御、そんなもんあてにならない? 冗談きついっすよー!」
 二人の漫才を尻目に、あたしはこまりちゃんと顔を見合わせる。
「よかったね、りんちゃんー」
「理樹のやつ、来るのが遅すぎじゃぼけー」
「まーまー。ヒーローは後からやってくると相場が決まってるのですヨ」
 あたしたちは連れ添って教室を後にする。もちろんこまりちゃんを背負ったままでだ。理樹はあの日からどこかに姿を消していた。あたしたちをほったからかしたまま、全く音沙汰なかったのだ。
 挨拶代わりに飛び蹴りでも喰らわせてやろうかとか、いやいや言い訳の時間ぐらいは慈悲として与えてやろうかとか、いやいやいやそれでもこうして現れたのだから罪は帳消しにしてやろうかとか、色々な考えがぐるぐると頭の中を巡る。
 階段を下る最中で、両肘から先を損じたクドも行軍の仲間に入る。クドは炎にやられてあの長くて綺麗な髪を残らず失った。それでも相変わらずわふーとか言っている。
 中庭を経由すると、いつの間にかみおも加わっていた。顔が斜めに切り取られたみたいになっているが、あんまり喜怒哀楽が激しいやつでもなかったからそんなに困ってないみたいだ。脇腹や胸をひどくやられた影響で内臓がほとんどだめになっているけど、本を読む両手が残っているから気にしないらしい。みおらしいなと思う。
 最後に馬鹿三人とも合流して、開け放たれた校門へと向かう。そこに懐かしい顔があった。みんなが口々に理樹の名を呼んで、手を振ったり笑顔を向けたり思い思いの方法で自分の存在を主張する。よかった。これでみんな揃った。また楽しく遊べるぞ、理樹!
 叫び声が上がった。
 理樹が尻餅をついて、信じられないものを見るような目であたしたちを見ている。
「く、来るな。僕をどうするつもりだ」
 理樹の視線がみんなの顔を順になぞり、あたしのところで止まる。
「おい、鈴から離れろ!」
「理樹くん……」
 こまりちゃんが絶望にまみれた声を出す。
 その直後、足のないこまりちゃんが地面に落ちる。衝撃で腸が周囲に溢れて、両目がどろりと流れ出す。もう二本しか残っていない大切な指が、地面と体に押し潰されてぼきりと折れた。こまりちゃんは、もう二度と自分の手でお菓子を食べられない。
 わけがわからなかった。あたしはこまりちゃんを支えていたはずなのに。それなのに、急にその支えていた部分の肉が崩れたのだ。
「今だ、鈴、こっちだ!」
 こまりちゃんの口が動く。私のことは気にせず行って、とつぶやく。
 あたしは叫びながら理樹のところに走り寄り、あいつを渾身の力で殴り倒した。馬乗りになって顔面を殴る。殴りながらも、流れる涙を止められなかった。理樹がこまりちゃんを見たときと同じ目であたしを見る。上等だ。お前みたいな馬鹿は、殴られないと目が覚めない。
「あんなの、もう、人間じゃない」
 理樹がつぶやいた途端、背後で湿った音が弾けた。慌てて振り向くと、みんなが揃って血溜まりの中に沈んでいた。千切れた腕や足がぷかぷか浮いて、そこに名前も知らない大小様々な臓器が混じり合って、もはやどれが誰のものなのか全然分からない。理樹の発する言葉の毒が、みんなの肉体を蹂躙したように思えた。
 あたしにすがるように、こまりちゃんが指の欠け落ちた腕を虚空に持ち上げる。唐突に傍らの理樹が嘔吐し、呼応するようにこまりちゃんの腕が力を失って血の海を叩いた。
 こまりちゃん、と半狂乱で叫んだ瞬間に、あたしは羽交い絞めにされていた。理樹があたしを校門の外に連れ出そうとする。あたしは絶対に嫌だった。暴れたけど理樹の方が力が強くてだめだった。ずるずると引っ張られていく。悔しかった。悲しかった。みんながいるところに手を伸ばす。でも何も届かない。当たり前だ。


 一緒に暮らそうという提案をあたしは蹴った。かつてのあたしなら、理樹との同棲をあっさり受け入れたかもしれない。でももう無理だ。理樹の顔を見る度に、こまりちゃんたちの顔がどうしようもなくちらつくのだ。
 安アパートを借りてバイトして、綱渡りみたいな生活を続けた。しばらくの間は理樹のことを憎んだ。それと同じぐらい恐怖した。理樹のあの、化け物を見るみたいな目が忘れられなかったからだ。
 あれから随分経って、ようやく許していいと思えるようになったんだ。たぶん、理樹はあいつなりにあたしのことを考えてくれてた。でなきゃ戻ってなんかきてくれない。だけど、あいつの言葉はみんなを傷つけた。みんなはもう死んでるから、これ以上死ぬなんてことはない。でもだからこそ、心の傷は永遠なんだ。
 よし、とあたしは決意する。あの馬鹿を説得してみんなのところに戻ろう。あいつには日が暮れるまで土下座させて、もう一度みんななかよしになろう。それでみんな楽しく遊ぶんだ。半ば強引に連絡先と合鍵を渡されていたから、幸いにも理樹の住んでいるところは分かる。善は急げ、今日のバイトの後で向かうことにする。
 わざわざ行って留守だったらあほらしいので、昼休みに電話をかけた。出ない。というより電源が切れているか電波が届かない云々。もういい。出たとこ勝負、見切り発車でいいやと思う。
 バイト終わりとなると日は完全に落ちていた。金がもったいないが、徒歩だとどう考えても深夜コースなので仕方なくバスに乗ることにする。真っ暗なので思い切り迷って、予定よりだいぶ遅れて理樹のいるアパートに着いた。あたしの借りているところと負けず劣らずのおんぼろだ。しかも周りに店が全然ない。こんなんでどうやって生活してるんだと、思わず余計な心配までしてしまった。
 バスに乗る前と降りてからと二回電話をかけてみたが、どっちのときにも、電源が切れているか電波が以下略と返された。あいつ、充電せずにほったらかしにしてるんじゃないのか。その辺りも含めて、言いたいことは山ほどあった。
 理樹の部屋は二階の一番奥だ。錆びついた階段をかんかん上って、埃の堆積した床をずかずか歩く。まだ十二時前なのに、手前にあるどの部屋からも明かりは漏れ出ていない。本当に人住んでるのかここ。理樹の部屋も明かりついてないし。うわぁと思わず声が出た。最悪だ。バス代返せ。
 いやいや、バイト後とかで疲れ果てて寝てるという芽もまだある。あたしは生気のない目でチャイムを連打する。途中から面白くなってきて、チャイム音でビートを刻んでみたが理樹は出てこない。パンチ力が足りないのかもしれないと思い、今度は拳で直接ドアを叩いてみた。埃がもっさり手についた。きしょい。
 もはや外部からの呼びかけは無意味だという結論に達して、最終手段の座敷童子作戦を敢行することにする。こっそり家に忍び込んで家主の帰りを待つという緻密かつ的確な作戦だ。モラルなんて千切って丸めてどっかに捨てる。ちなみに、キーアイテムは理樹から渡された合鍵だ。キーだけに。ふっふっふ。柄にもなく見事な言葉遊びをしてしまった。
 あたしはがちゃりこと鍵を開け、どっかと扉を開け放つ。くさっ。封印の解かれた室内から、もわーんと猛烈な悪臭が漂ってくる。割と普通に耐えられない。きつく鼻をつまんで部屋に上がり込む。開けた扉から差し込む月光が、電気の消えた室内を仄かに明るく照らし出す。そのとき、あたしの目は闇に浮かび上がる人影を捉えた。あの馬鹿ちゃんといるじゃないかぼけー!
 ドア下に噛ませる木片なんてないから、手を離した途端にドアは背後で静かに閉まる。またも真っ暗闇だ。しかもくさいし。電気のスイッチを探して、当てずっぽうでその辺の壁をばんばん叩く。たちまち手は埃まみれ。めまいがする。片手を埃の生贄に捧げたことで、十回目ぐらいでようやくスイッチを探り当てた。叩きつけるように押す。闇が一気に切り開かれる。
 首をくくった理樹が、天井からぶら下がっていた。
 あたしは目を見開く。
 理樹の、もうなんにも映さない瞳を見て、ようやく理解が胃の腑に落ちた。
 理樹の部屋には、余分なものがほとんどなくてさっぱりしていた。死ぬ前に捨てたのかもしれないし、元々こうなのかもしれない。部屋の片隅にはぼろっちょの机があって、その上に紙が置いてあった。拾い上げて読んでみると、それは謝罪の言葉で埋められていた。具体名は出てないけど、たぶんあたしに宛てられたものだ。そしてみんなに宛てられたものでもある。
 あたしは吊られた理樹を見上げて、ばーかと言葉を投げつける。こんな紙切れ一枚で、みんながはいそうですかと納得するもんか。みんなが納得したってあたしが許さない。あたしはみんなのところに戻る。理樹にも一緒に来てもらうぞ。おまえはそこでたっぷりみんなに謝るんだ。
 理樹の足元に倒れていた椅子を起こし、そいつに乗って理樹の体を床に下ろす。唯一にして最大の問題は、この重くてくさくて目立つこいつをどうやってあそこに連れていくかだ。壁にかかった時計を見る。針は十二時ちょっと過ぎを指している。今から、こいつを背負って明け方までにみんなのところへ行ってやる。もちろんバスも電車も使えない。たぶんもうどっちも動いてないし。お金もったいないし。理樹、この借りは高くつくぞ!


 朝日が校舎を美しく染め上げる頃、あたしはあの懐かしい校門を潜り抜けた。
 眠りから覚めたように理樹が目を薄く開き、首を吊って死んだ影響か、ひどく聞き取りにくいかすれた声で、ごめんと口にした。色々と思うことはあったけど、あたしは気にするなと言って首を振る。
 ひとりで歩けるよと言って、理樹が自分の力で地面に立つ。正直助かった。あたしはもう足が限界だった。気を抜いた途端に意識が朦朧とし始める。せっかくここまで辿り着いたのに。こんなところで倒れるなんて嫌だった。
「理樹くーん! りんちゃーん!」
 そのときあたしは、大好きなともだちの声を聞いた。
 顔を上げる。視線の先にみんなが立っていた。今でもやっぱり、足がなかったり、腕がなかったりはしているけれど。それでも、大好きなみんなが一人も欠けずにそこにいた。あのとき届かなかった手が、今度こそ届く。あたしはみんなと一緒にいられるんだ!
 足のないこまりちゃんは、両脇の下を支えられるような格好でこちらに笑顔を向けてくれていた。指のない手で大きく手を振ってくれていた。これまでの疲れを忘れて、あたしは全力で地面を蹴る。気がつくとあたしは泣いていた。こまりちゃんも泣いていた。みんなは笑ってくれていた。
 こまりちゃんの血みどろの胸へと、あたしは心からの笑顔で飛び込んだ。 


[No.891] 2009/01/23(Fri) 17:21:46
西園美魚の排他的友情概論 (No.887への返信 / 1階層) - ひみつ@19628 byte

 西園美魚は、前面にあるディスプレイを睨みつけていた。手元に置かれたキーボードを、たどたどしい指使いで押しながらデータを入力していく。室内が暗いためだろうか、ディスプレイの放つ淡い光は見え辛かった。知らず知らずディスプレイを見ている美魚の眼が、細くなっていく。それと比例するように銀色のフレームをした眼鏡が下へとズレ落ちていく。サイズが少しだけ合っていない証拠だった。
 美魚は溜息を付きながらその眼鏡を外すと、体を椅子に持たれかけた。瞼をぎゅっと瞑っては閉じる。その動作を数度繰り返す。疲れた目は、それだけで少しはマシになったように思えた。美魚は、幾分楽になった目で頭上を見る。室内の天井は、どうしてこんな作りになっているのだろうと思えるほど、無駄に高かった。室内がどこか暗い印象があるのはそのせいだろう。自分の眼が悪くなり始めたのは、ここで働いているせいかもしれない。そんなことを思いながら美魚は、視線を手元へと落とす。そこには美魚が先ほどまで見ていたディスプレイの他に、数十冊のハードカバーや文庫本がいくつもの小さな塔を作って置かれていた。美魚は、ふぅと短く息を吐くと手に持っていた眼鏡をかけ直した。
「ようしっ」
 昔、教えて貰った前向きマジックを呟きながら、美魚はディスプレイを睨みつける。そこには変わらず浮かんでいる文字と数字の小さな群れ達。早速、挫けそうだった。携帯にしろパソコンにしろ自分は悉く機械とは愛称が悪いらしい。美魚はそんなことを思いながら、隣に詰まれた文庫本の塔の一番上にある本を手に取った。それをひっくり返してみたり適当に捲ってみたりする。相当年月が経っているのか、その本は、かなり傷んでいた。
「……そろそろ、差し替えたほうがいいかもしれませんね。これは」
 そんな風に誰にともなく呟いた美魚の耳に、ふと嫌に陽気なメロディが聞こえてきた。美魚は不思議そうに辺りを見回す。そう時間が掛かることもなく、そのメロディの発生源を見つけると美魚は溜息を一つ吐いた。そこには何が楽しいのかニコニコと笑いながら暢気な鼻歌を口ずさみ続けているスーツ姿の女性がいた。女性は、まるでスキップをするように美魚のところまでくると、脈絡なくズバっと手を高く掲げた。
「ヘーイ! そこのメガネ司書さん。この私にぴったりなエキサイトでサイケデリックな本をプリーズっ!」
「……ありません」
「なにぃー!」
「当図書館は冷やかしお断りです」
「なんだとぅー! 折角さっきまで読書でもしようかなって気分だったのに、司書さんの冷たい態度でなくなっちゃいましたヨ。これは司書として有るまじき行為! どうしてくれるんだー、この真面目天然眼鏡っ娘めっ!」
「……え?」
「むきー! なんだ、その有り得ないことを聞いたような顔はー!」
「うるさいですよ。葉留佳」
 怒ったように声を上げる女性──三枝葉留佳を、美魚は冷ややかに見つめる。葉留佳は最初、不満そうに口をヘの字に曲げていたが、すぐに表情を崩すと美魚のほうへと顔を寄せてきた。
「ところで美魚は、今日の夜は暇? 暇だよね。暇っていえー」
「勝手に決め付けないで下さい」
「なにぃ、じゃぁ何か用事があるのかー?」
「いえ、特には」
「うん、じゃぁ、遊びに行こう! もうすぐだよね。仕事が終わるの?」
「はぁ……まぁ」
 葉留佳の問いに言葉を濁しながら、どうしようかと考える。しかし、考えるまでもないことであった。そもそも葉留佳がこういう風に誘いにくるのは珍しいことではなかった。その度に美魚は、なんだかんだで葉留佳に付き合っていた。いつから自分は、こんなに付き合いがよくなったのだろう。そんなことを思いながら美魚は、溜息を一度吐くと葉留佳のことを見る。
「……わかりました」
「おけおけ、んじゃ、仕事が終わるまで外で待ってますネ」
 葉留佳は、そう言うと背を向けるとスキップでもしそうな勢いで玄関のほうへと向かった。美魚はその背中が見えなくなるまで見つめた後、椅子から立ち上がった。美魚は辺りをキョロキョロと眺めた後、図書館の奥にある事務室へと向かった。



 




 グラスの中に入った薄茶色の液体が微少の振動を受けて、波紋を描いていた。美魚は、それをなんとはなしに見た後、ちぴりと少しだけ口の中へと流し込んだ。広がる甘みと少しだけ香るアルコール独特の匂いをたしかめて美魚は小さく息を吐いた。顔が徐々に火照っていく不思議な感覚を感じながら、美魚は対面にいる葉留佳のことを見た。葉留佳は、手に持ったグラスを勢いよく傾けて一気に中身を飲み干していた。それを見た美魚は、顔を顰める。
「葉留佳。あなた、あまり強くないんですから」
「えー、お酒はこうやってぐいっと飲むものですよ。ほら、美魚ちんもぐいっと」
「遠慮します」
「うーん、こうやって飲んだほうが美味しいですヨ?」
「それは結構ですが、飲み潰れたらどうするんですか?」
「そんなこと一々気にしてたら、お酒なんて飲めませんヨ!」
「なら、遠慮なく置き去りにしますね」
「美魚ちん、それは冷たいぞー!」
 葉留佳は、そういうと笑いながら身を乗り出して美魚の頬を突付く。美魚はそれを鬱陶しそうに避ける。その動作すら、楽しいのか葉留佳はカラカラとまた笑い声を上げた。カクテル一杯で完全に出来上がっていた。普段もそうだが、今日の葉留佳は嫌にピッチが早かった。美魚はそれに溜息を吐きながら、またちぴりと少しだけ喉にお酒を流し込んだ。
「そういえば、ですネ。なんと今日はびっくにゅーすがあるのですヨ」
 葉留佳は、空のグラスを店員に渡して二杯目を注文した後、神妙な顔をしてそんなことを言った。それを聞いた美魚はグラスをテーブルに置くと、つまみのフライドポテトを一本手に取った。
「あれ? なんか興味なさ気?」
「気のせいです」
 そういった美魚だったが、いつもどうでもいいことを大げさに話す葉留佳の言葉に実際、まったく興味がなかった。美魚は、フライドポテトを齧る。塩気と油分が多すぎて、美魚は顔を顰めた。その様子を見て、葉留佳はまるで悪戯をこれから仕掛けようとする子供のような笑みを浮かべた。
「ふっふっふー。私の話を聞いても、そんな態度でいられるかなっ!」
「はぁ、それでなんなんですか?」
「実は今日の昼休みに鈴ちゃんにあったのですヨ」
 鈴という言葉を聞いた美魚は、ぴくりと反応した。また懐かしい名前が出てきた。学生時代の友人である鈴に美魚は、久しく会ってなかった。さっきまでフライドポテトの健康の悪さに意識の大半を向けていた美魚の興味が葉留佳の話へと移る。それに目ざとく気づいた葉留佳は計算通りとでも言うように、ニヤリと笑うと先を続けた。
「それで、どこであったと思う?」
「どこと……言われても」
 そう言いながらも美魚は、考える。昔の記憶にある印象から鈴のイメージを辿る。ペットショップ。いや、違う。美魚は、自らの考えを即座に否定する。そういえば鈴は幼馴染の直枝理樹と結婚していたな。美魚は自分も出席した結婚式の様子を思い出した。
「……スーパーですか?」
「およ? なんで?」
「いえ、夕飯の買出しをしていたのではないかと。お嫁さんですものね。鈴さん」
 美魚は、そういいながらウェディングドレスを着た鈴の姿を思い出す。純白のドレスに身を包み、恥ずかしそうに顔を真っ赤にした鈴の姿をすぐにイメージすることが出来た。奇麗で可愛かったな。美魚の口元は自然に緩んでいた。だが、そのイメージは葉留佳の発した「ぶー、ふーせーいーかーいー」という素っ頓狂な声で霧散した。
「違うんだなー、これが。な・ん・と病院の前でなのだー」
「病院?」
「うん」
「鈴さん……何か病気なのですか?」
 そういいながら美魚は心配そうに眉根を寄せる。それを見た葉留佳は、やははといつものように笑いながら手をヒラヒラと振った。
「違う違う。私も最初、そう思ったんだけどさ。聞いたら産婦人科に行ってたみたいなのですヨ」
「産婦人科?」
「うん、三ヶ月だってさ」
「直枝さんは、そのことを?」
「うん、今頃言ってるんじゃないかなぁ。鈴ちゃん、恥ずかしそうだっただけど凄く嬉しそうでしたヨ」
「そう、ですか」
 美魚は、そういうと薄く微笑む。なんとなく心がザワザワしてくる感じがした。美魚は、グラスを取ると半分ぐらい残っていた中身を一気に飲み干した。
「お、美魚ちん、いきなりピッチが上がりましたネ」
「おめでたいことがありましたからね」
 そういうと美魚は、葉留佳に微笑んで見せた。友人に子供が生まれる。それは美魚を、ひどく斬新な気分にさせた。元々、直枝理樹と鈴は、大学卒業と共に籍を入れていたわけだから別段おかしくはない。むしろ若干、遅かったような気さえする。だが、それでも美魚には友人が子供生むというのは、なんとも変な感じだった。
「そうですか。直枝さんと鈴さんが。たしかにビックニュースですね」
「だから言ったじゃん。びっくりしたでしょ?」
「はい、それはもう」
 美魚は、もう一度葉留佳に向けて微笑む。それから少しだけ中身の残ったグラスへと視線を落とす。そこには、メガネをかけた自分の顔があった。美魚は、なんとはなしに手を上げてメガネへと触れる。蛍光灯の光を受けて鈍く銀色に輝くフレームを美魚の指が、そっと撫でた。





 



 風が気持ちいい。美魚は、深い藍色をした夜空を見上げた後、目を閉じた。そんな美魚の頬に緩やかな風が当たる。お酒で火照った体には、それがひどく心地よかった。もしかしたら皆がお酒を好んで飲むのは、この瞬間を味わうためなのかもしれない。実のところ、美魚はお酒の良さがさほどわかっていなかった。甘いカクテルは美味しいとは思うが、別にジュースでも代替は可能だろう。何故後々気持ち悪くなるアルコールなどを混ぜないとならないのか。美魚は、いつもそう思っていた。だが、それでも視界を閉ざして風の行き先を感じている今の自分は、とても贅沢な時間を過ごしているように感じられた。そう思うと美魚の口元は自然に綻んでいた。閉じた瞼を上げれば、そこには先ほどと変わらず藍色をした夜空と、そこに散らばった星があることだろう。目を開くだけでそれを目にすることが出来る。それだってなんと贅沢なことか。ああ、自分は酔っている。美魚はそれを自覚する。だが美魚にはもっと自覚しなければならない事柄があった。
「おーい、美魚ちん。足が止まってますヨー!」
 少し先のほうから葉留佳の暢気な声が響いてきた。美魚は、その葉留佳の声に溜息を付くと、ゆっくりと瞼を上げた。それから美魚は、何事かを諦めたかのような表情をしてあたりを見回した。上には夜空と星。下には何故か寂れたレールと枕木。美魚は思った。もう少しだけ詩人チックな現実逃避をしていたかった。
 そんな美魚を余所に少し先を歩いていた葉留佳は、何が楽しいのか左右にあるレールに交互に飛び乗りながら美魚のことを待っていた。美魚は溜息を付きながら葉留佳のほうへと歩き出した。歩きながら腕に巻かれた時計を見る。アナログの時計は短針が4を、長針が5を指していた。現在の時刻、4時25分。既に深夜というより早朝に部類される時間だった。美魚は嘆息しながら、足を動かした。
「やはは、しかし、まさかこんなにことになるとは予想外でしたネ」
「ええ、本当に。一体誰のせいなのでしょうね?」
 美魚は、葉留佳の隣まで来ると、そういって冷ややかな視線を向けた。それを見た葉留佳は、たじろいだように一歩、じりっと後ずさった。
「な、なんだー。その目は、私のせいだっていうのかー!?」
「いえ、別に。ただ人に無理矢理、お酒を勧めて眠らせて、自分も眠るなんてどうかと思っただけです」
「そ、それは……だって美魚だって美味しそうに飲んでたじゃん!」
「そうですね。たしかに葉留佳に勧められるがままに飲んでしまったわたしにも問題はあります。ですが葉留佳の責任がなくなるわけではありません」
「んぐっ……美魚ってさ。私のこと実は嫌いでしょ?」
「……え?」
「うわっ、なんだその今更気づいたんですかみたいな顔はー!?」
「そんなことはありませんよ?」
「何故、疑問系!?」
 美魚の言動を見て、葉留佳は叫び声を上げる。それから突然、がくりと肩を落とすと「まぁ、いいや。とりあえず歩こう」と言ってとぼとぼと足を進める。美魚は、少しからかい過ぎたかもしれないと思いながらも、何も言わず葉留佳に続いた。二人のいつもと変わらぬやり取りからは想像は出来ないが、今の現状はそれなりに抜き差しならない状況だった。そもそもこんな時間にこんな所を歩いているのは、二人して居酒屋で熟睡してしまったのが原因だった。加えて葉留佳が財布を忘れてきてしまったお陰で、今二人はほぼ無一文に近かった。そのためタクシーを呼ぶこともできない。さらにいつも電車を利用している二人には、どこを通れば自分の家がある町へ帰ることができるのかわからなかった。そうして今現在、二人は線路内を歩くという状況に置かれることとなった。美魚は、眠ってしまった自分の不甲斐無さを呪いたくなった。
「一体、後何時間歩き続けないといけないのでしょうか?」
 美魚は、葉留佳のほうを見ずにそう呟く。その言葉には皮肉というバターがたっぷりと塗られていた。それを聞いて葉留佳は困ったように笑うと、頭を掻く。
「やはは、ま、まぁ、偶にはこういうのもいいじゃありませんか。こういう映画もあったしさ。ほら、えっと……」
「……スタンドバイミー、ですか?」
「ああ、それそれ。いやー、私達今、凄く青春してますネ!」
「……スタンドバイミーの原作は、スティーブン・キングの恐怖の四季と題される中編小説の秋の作品です。物語は、4人のそれぞれの悩みを持った少年達が葉留佳のいうように線路づいたに冒険をする話です……死体を探して」
「え? 死体!?」
「知らなかったんですか?」
「え、あ、うーん、実はちゃんと見たことないのですヨ。昔、なんとなく線路を子供が歩いている映像を見たことだけは覚えてたんだけどさ」
「そうですか。スタンドバイミーは少年達の好奇心と愚かしさ。それらを冒険として書き綴られています。冒頭と締めくくりでは語り部であるゴーディが親友であるクリスの死をしったことによる独白で終わるのですが、成長と変化による一抹の寂しさを良く現せていると思います。私は原作のほうが好きですが、映画のほうもお勧めですよ」
 そこまで言った所で唐突に美魚は、クスリと笑った。美魚の話を聞きながら退屈そうに、線路の石を蹴っていた葉留佳はぎょっとしたように体を硬直させた。
「み、美魚?」
「いえ、ただ死体を捜して線路づたいに冒険をしていた少年達と比べて、無一文で帰り道がわからないからとりあえず線路づたいに歩いている私達が可笑しかったもので」
「むー、ああ、はいはい。私が悪いですよ! だって仕方ないじゃん。今日はビックニュースがあったんだもん」
「別に怒ってはいませんよ。そうですね。きっと私も葉留佳の話を聞いて気分が高揚してたんでしょう」
 美魚は、もう一度クスリと小さく笑う。その様子を見て葉留佳は口を尖らせたが、やがて無理やり納得するようにため息を付いた。
 
 そのやり取りを最後に、しばらく二人は無言で歩き続ける。静かだった。美魚は、地面に固定していた視線を上げると、辺りをゆっくりと見回す。気が付けば線路脇には、草や木が生い茂った場所が広がっており、人工物といえばポツポツと小さな民家があるぐらいだった。その偶に見かける民家も全て明かりが消えていた。人口の光はどこにもなく今、二人を照らしているのは夜空に浮かぶ、柔らかな光だけだった。
 まるで今、この時、自分達が物語の主人公になったかのような錯覚を美魚は覚えた。そのためだろうか。美魚は、先ほど話に出てきたスタンドバイミーのことを思い出していた。青春。そう、あの作品はきっと青春小説だ。仲間達と共に冒険に出かける。そこには綿密な計画は存在しなくて、ただ子供故の短慮な愚かしさがある。だから、きっとあの作品は色鮮やかなノスタルジィに満ちているのだろう。
 それは学生の頃、自分もメンバーだったリトルバスターズというチームのように。そう、あのリトルバスターズというチームこそが美魚の青春だった。気が付けば、あの頃のメンバーに随分と会っていない。どこにいるのかも把握していない人さえいる。美魚は、葉留佳が今日あったという鈴の顔を思い浮かべる。実際の所、美魚には鈴が子供という事実にイマイチ実感が持てないでいた。美魚の記憶の中にいる鈴は、引っ込み思案で素直で可愛らしい少女だった。今、その鈴はどんな表情をしているのだろうか。我が子を守る母親の慈愛に満ちた表情をしているのだろうか。あの鈴が。して、いるのだろう、きっと。それを考えると、美魚はまるで心臓を直接くすぐられているような居心地の悪さを感じた。
 美魚は、ふぅっと短く息を吐き出すと空へと視線を向ける。いつの間にか空は白み始めていた。深い紺から藍へ。美魚は、それをメガネのレンズ越しに眺める。数時間後には、空は鮮やかな青へと変わるだろう。学生の頃、美魚が憧憬を抱いた青へと。美魚は、思う。自分は、あの頃から何か変わっただろうか。成長したのだろうか。わからない。変わったことといえばメガネを掛け始めたことぐらいな気がする。これで、いいのだろうか。美魚は自問し続ける。だが、答えなんて出るはずもない。
 ふと、その時隣から声が聞こえていた。それは、ほっほっほっとまるでリズムを取るような調子で聞こえてくる。美魚はそちらに目を向ける。そこには、レールに敷き詰められた石を3個ほど取って、それをまるでお手玉のように宙に回している葉留佳がいた。葉留佳は、一定のリズムで声を出しながら器用に石を放り投げる。
 一つ目の石が葉留佳の頭上を通過して葉留佳の手元へと吸い込まれる。
 それに続いて二つ目の石も同じ軌跡を描きながら葉留佳の手元へと落ちていく。
 三つ目の石が頭上を通過して落ちていく途中で、葉留佳は一つ目の石をまた頭上に投げる。
 三つの石は、まるで円を描くように葉留佳の頭上を回る。しばらく葉留佳の掛け声じみた声と石が風を切る音だけが辺りに響く。しかし、何週目かした頃、唐突に葉留佳が「あ」と小さく声を上げた。その声に応えるかのように葉留佳の頭上に投げた石が、先ほどまで描いていた軌道を逸れる。数秒後、ゴチンという鈍い音と共に軌道のそれた石は、葉留佳の頭上へと落下した。
「う、ううぅ、いったー」葉留佳は頭を抑えると、誤魔化すように美魚へと向けてにへらと笑いかける。「やはは、しっぱいしっぱい」
 美魚は、そんな葉留佳のことを呆然と見ていたが、少しして口元をふるふると震わせると、ぷっと吹き出した。クスクスという美魚の笑い声が辺りに響く。やがて美魚は、それだけでは足りないというかのように小さく体を震わせ始めた。ふいに先ほどまでの自分を馬鹿馬鹿しく感じた。美魚は葉留佳のことを一瞥した後、またクスクスと笑い声を上げる。その様子を見た葉留佳は、口をへの字に曲げて顔を顰める。
「むぅ、なんか近年稀に見るぐらい美魚ちんにウケてますよ。ていうかここまで笑われるとさすがにムカツキますネ。こら、そこのメガネ娘。いい加減、笑うのやめろー!」
「す、すみませ、ふふ」
 美魚は、葉留佳に謝ろうと声を出したが、我慢できなかったのか言葉の途中で吹き出した。美魚は、手で口元を押さえると葉留佳から視線を逸らす。そんな美魚の視界に小さな光が飛び込んできた。それは、二人が久しく見ていなかった人口の光だった。美魚は、笑うのをやめるとその光を指差す。だが、その口元は緩みっぱなしだった。
「は、葉留佳。ほらあそこに駅がありますよ。もうそろそろ始発が動き出す時間です。それを待ちましょう。ふふ」
「いいけどさ。美魚しつこい! そんなに私が失敗したのがおかしいのかー!?」
「い、いえ、ふふ、おかしいというわけじゃなくて」
「じゃぁなんでそんなに笑ってるのさー」
「ええ、はい。これは、そう……葉留佳に感謝しているんですよ」
「感謝?」葉留佳は、美魚の言葉を聴くと訳のわからない顔をして首を傾げる。「って、そんなこと笑いながら言われても、ちっとも嬉しくないですヨ!」
「たしかに、そうかもしれませんね。ふふ」
 美魚は、そういうと葉留佳に笑いかけて、歩く速度を上げる。葉留佳は、納得のいかなさそうな顔をしていたが、その様子を見てしぶしぶ後に続いた。美魚は、それを気配で感じながら、すぅっと深呼吸をした。朝の張り詰めた新鮮な香りが美魚の鼻腔を通り過ぎていった。









 駅につくと葉留佳は、大きく伸びをして欠伸をかみ殺した。その手には先ほど買ったばかりの切符が握られている。美魚は、そんな葉留佳を眺めた後、ターミナルに設置されたプラスチック製の椅子へと腰掛けて、小さく息を吐いた。重みから開放された足から、超過勤務を嘆くようにじんじんと痛み出す。美魚は、そんな足をねぎらうように、ゆっくりと撫でた。
「いまから帰っても後、1時間ぐらいしか眠れないなぁ。はぁ、今日も仕事ですヨ。やだなぁ。ねぇ、美魚」
 美魚は、その言葉を聴くと欠伸をかみ殺す。それから何気ないことを話すように、しれっと言い放った。
「あ、わたし、今日仕事、お休みです」
「は?」
 葉留佳は、美魚の言葉に口をポカーンと開けた間抜けな顔して固まる。その様子を一瞥した後、美魚は葉留佳から顔を逸らす。そして、そこでニヤリとまるで悪戯の成功した子供のような笑みを浮かべた。
「え? は? え、だって今日、平日ですヨ? 図書館も満員御礼で営業中ですヨ?」
「あそこの図書館が満員になったところなんて、わたしが勤め始めて一度も見たことはありませんが、たしかに今日は平日ですね」
「ん? え? だって私、聞いてないよ?」
「ええ、言ってませんから」
「え? あ、そっか。嘘だ!」
「いえ、事実です。事務室へ行って館長に申告してきましたから……葉留佳が会いにきた後に」
 美魚は、そういって葉留佳に笑いかける。それはとても底意地の悪い笑顔だった。葉留佳は、その言葉の意味が理解できないのか、眉根を寄せて視線を上空へと投げる。そして、漸くその言葉の意味を理解した葉留佳は、手に持っていた切符を握りつぶして美魚へと詰め寄った。美魚は、椅子から立ち上がると葉留佳のことをひらりとよける。
「はぁ? ちょ、なにそれ!?」
「言葉通り、です」
 その言葉を聴いた葉留佳は、頬を膨らませると美魚へと無数の言葉を投げかける。美魚は、その言葉を無視してくるりと、その場で振り返る。そこで美魚は「あ」と短い声を上げた。美魚の視線の先、そこには駅のターミナルにある屋根から顔を出すように、上ってくる朝日があった。美魚は手を額に翳すと、眩しそうにそれを眺める。
「葉留佳、見てください。朝日です。見事……ですね」
「むきー! 人の話を聞けー。この腹黒メガネっ娘ー!」
 その声に耳を傾けながら、美魚は朝日を眺め続ける。これからも昔のメンバーに会える機会は減っていくだろう。そして、それが日常になり、いつしかリトルバスターズは思い出のお話になるだろう。それでも答えなんて出ないかもしれない。自分は変われないかもしれない。その時も、取り残されたような気分に陥るかもしれない。美魚は、瞼を閉じて耳を澄ます。聞こえてくるのは、葉留佳の声。変わらなければいけないなんてことは、きっとない。美魚はふと学生の頃の自分の言葉を思い出す。その言葉をもう一度、呟いてみる。
「わたしはわたし、ですよね?」
「え? なにー? 何かいったかこんちくしょー!」
 後ろからは葉留佳のそんな声。

 美魚は、そっと瞼を開けて、振り返る。
そこには憮然とした顔で自分を睨み付ける葉留佳の顔。
美魚はそんな葉留佳に笑顔で応える。それと同時に美魚は思う。

「いいえ、何も」

 まぁ、こんな一日も悪くない、ですねっと。


[No.892] 2009/01/23(Fri) 18:57:43
哲学者の憂鬱 (No.887への返信 / 1階層) - ひみつ@ 3093 byte

 結論から言おう。私は存在してはいけない存在である。
 世界には法則がある。万有引力の法則、質量保存の法則、好きな法則を思い浮かべて貰えばいい。世界は法則に従って動いている。だがしかし、世界は法則に従ったモノしかないのかと言うと、断じてそうではない。この世界がいい例である。本来の世界の法則が通じぬ世界、生物としての常識やエントロピーまで否定し、願うだけで雨を降らし、時間の流れさえねじ曲げるこの世界は明らかに元の世界とは異なった世界なのである。
 しかし、ここは世界だ。世界である以上、やはり法則は存在する。脆い法則が存在する。それは人の意志のみによって動く法則。宮沢謙吾が後輩に呼ばれたいと願えば後輩に呼ばれる法則。直枝理樹がやり直しを願えばやり直せるという法則。簡単であるが故にこの法則は酷く脆い。例えば棗鈴が壊れた時、それでもそんな棗鈴を直枝理樹は受け入れ、直枝理樹を棗鈴は信じたからこそ、次の世界で棗鈴は事象を半端に受け入れて壊れたままだった。人間の意志という脆弱なものが法則であるからこそ、とてつもなく脆い世界。配慮の及ばない事象には対応できない為、法則を持つ人間がいなくなればなる程世界の行動範囲は狭まっていく。どんどんどんどん窮屈になっていく。そして、最期には瓦解して世界が終わる。
 さて、ここで問題だ。瓦解したらどうなる? 法則を持つ人間はもしかしたら元の世界に還ることができるだろう。だが、少し待って貰いたい。それは、法則を持つ人間が元の世界から来たからの話だ。もしも、この世界でしか存在しないのに、たまたま法則を持ってしまったら、どうなるのだろうか? そう、この世界の法則に従わないものがいたらの話だ。元の世界の法則に従わないこの世界で、更にこの世界の法則に従わない存在は、いったいどうなるのかと。
 考えてみてもいただきたい。そもそも元の世界の法則に従わないのがこの世界なのだ。そしてこの世界は、元の世界よりも脆く出来ている。ならばこの世界での法則に従わないものは、更なる世界を作りうるのだろうか? 仮に作り得たとしても、更なる世界はこの世界よりも脆いものとなるのは想像に難くない。だが更なる世界が瓦解した時、還るはずの元の世界は存在しない。ならば更なる世界を作りうる、この世界で法則に従わないものである私はどこに還るのだろうか? その答えは分からないが、一つだけ言えるのは、私は存在してはいけない存在であると云う事だ。存在してはいけないならば、存在しなかった事になるのが道理かも知れない。
 だが。私はここでだがという言葉を使う。それは存在しなかった事になるのが道理と云う言葉に対してのだがではない。今まで論理的な考えに対しての、だが、である。私は、この集団の中にいたいのだ。
 確かに私は存在してはいけない存在であるだろう。元の世界には私など存在しない、存在するはずなどないと云うのに。私は、願う。論理だとか正しいことだとか、そんなことを抜きにして、私はリトルバスターズという集団の中にいたいのだ。これは感情的だと理解している、願うのは悪いことなのかも知れない。だが。
 それでも私は願うのだ。願う事しかできないのだ。恐らくはもうすぐ壊れゆくこの世界、この世界の他でも彼らに会える事を夢に見て。



「ぬーきゅー」
「ドルジ。久しぶりだな。しばらく来れなくて悪かった。だからお詫びに、今日のモンペチはなんとプラチナだ」
「ぬおっ!?」
「ほらほら、そうがっつくな。ちゃんとお前の分で用意してあるんだからな。だれも横取りしないぞ」
「ぬおっ、ぬおっ!」
「全く。お前は見事に食べる事と寝る事しかしないな。お前は本当にネコか。本当は水族館から脱走してきたんじゃないのか」
「ぬお?」


[No.893] 2009/01/23(Fri) 20:12:25
コジロー (No.887への返信 / 1階層) - ひみつ@6650 byte

    〜毎日が冷や水〜
     だらだらと長生きしている頑固爺が、徒然なるままにキーボードに向かったブログです。

-202X年09月18日-
【今日は釣れんかった(´・ω・`)】


 一晩寝たら風もだいぶ収まってきたし、そろそろ頃合かねーと思い、道具一式抱えていそいそと波止場へ。
 昨日は釣りどころじゃなかったんで、今日こそは!と意気軒昂で向ったんだが…釣れん!ぴくりともアタリが来んのよ_l ̄l○
 それでも未練がましく、日が昇った後も釣り糸は垂らしとったんだが、釣果は小っさいメジナ一匹。悔しいのぅ(ノДT)

 帰りにさゆりん(仮)が畑に出てたんで、手伝ったら白菜もらったヽ( ´¬`)ノ
 昼飯はメジナと塩もみした白菜。メジナは小っさいから煮付けにした。骨の隙間とかホジホジして、飯の上に乗っけて食うと(゚д゚)ウマー

 さて、これから猫に飯やって、あとはマゴどものためにささっと掃除でもしとくかね。
 ああ、布団干してねぇ!面倒臭EEEEEE!とか言ったら駄目かねwwwwww


    kojikoji at 12:43|この記事のURL │Comments(0) │TrackBack(0) │日記




 今日の更新を終えてノートパソコンを閉じる。目が疲れた。眼鏡を外して目頭の辺りを揉みほぐす。何度か瞬きをして、ようやく視界が元に戻る。
 凝った首を回しながら縁側へと出る。空気は冷たいが陽射しは強い。今からでも十分干せる、とは思うのだが…。仕方ない、駐在を呼ぶか。

 猫に飯をやりながら待っていると、けしからん事に四半刻ほどもしてからやってきた。出会い頭の一喝もまるで柳に風と受け流した駐在は、あいかわらずへらへらとしまりのない顔だ。
 茶を啜りながら用件を聞かされた駐在は、自分のことのように喜んでせっせと布団を干していった。その後も何かと手伝おうとするのを、邪魔だからと追い払い、掃除を続ける。
 家の中を一通り。ざっと埃を払って終いにする。庭の落ち葉も掃いておきたかったが、どうせ連中が焚火だ焼芋だと騒ぐだろう、そのままにして、代わりに芋と新聞紙を土間の隅に置いておく。
 庭先で物音がするので怒鳴りつけながら顔を出すと、駐在が舞い戻ってきて布団を取り込んでいた。

 布団を取り込んで一服していると、今度は薪を割ると言い出した。田舎勤めで暇なのは分かるが、そろそろ戻った方がいいだろう。おおかた、駐在所は開けっ放しなのだ。まったく、緊張感が足りない奴め。
 渋る駐在を追い出すと、もう夕暮れがそこまで近づいていた。薪割りは明日、馬鹿連中に任せるとしよう。




-202X年09月19日-
【おおきくなりまちた(^◎^) 】


 ヒマゴ&マゴども襲来!
 朝からそわそわと落ち着かなかったんだが、大幅に遅れて着いたのは昼過ぎとか(- -;)ゞ
 ヒマゴ&孫夫婦と、図体でかいの二人と糞生意気が一人の大所帯で、俄かにお祭り騒ぎとなる我が家。
 知らない人に説明しておくと、孫夫婦以外の三人も昔から我が家でお馴染みのマゴみたいなもの。糞生意気も実の孫だろうって?何を言っているのかな(・3・)〜♪

 図体のでかいの二人が腹が減ったとぬかすので、早速こき使ってやった。飯が食いたければ働けwww
 MNM(最も生意気な孫)の恭介(実名)は一人で逃げようとしていたが、甘い甘い。飯炊きは貴様の仕事だ( ゜∀゜)フハハ八ノヽノヽノ \ / \/ \

 そんなことよりヒマゴだよヒマゴ!かわええのうかわええのう!
 母親似のぷりちぃがーるで、あんよもじょうずなのでちゅー!!(*>▽<*)
 孫二人(正確には孫娘とその嫁だが)が苦笑いするのを尻目に、飯の支度が出来るまで思い切り可愛がったw

 さて、誠に勝手ながら、23日までヒマゴを可愛がっているので、更新を停止させていただくw
 実際のところは孫どもの相手で忙しく、更新がままならないだけなんだが。
 しかし、もともと不定期な上に、更新がなくても余り支障がなさそうなのが寂しくもあるなww


    kojikoji at 20:01|この記事のURL │Comments(0) │TrackBack(0) │日記




 更新を終えてブラウザーを閉じると、生意気な方の孫がやってきた。可愛い方の孫はひ孫と風呂に入っているはずだ。
「なんじゃい。風呂焚きはもう終いか?」
「理樹がやってるよ。ああいうのは旦那の仕事だろ」
「鈴に振られたな」
「違っ、あいつは照れてるだけで別に――」
「振られ虫。やーいやーい」
「子供か手前ぇっ!」
「喝ぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!祖父に向かって何じゃその口はっ!」
「やかましぃっ!怒鳴れば誰でもビビると思ったら大間違いだ!」
 相変わらずの子供染みた言い争いは、遠くから聞こえる孫娘の怒鳴り声で終息した。夫婦の時間を邪魔されて相当とさかに来ているようだ。
「貴様のせいで怒られただろうが」
「なっ!?一番うるさかったのは手前ぇの怒鳴り声じゃねえかっ」
「何じゃとぅっ!?」
 再び喧しくなりかけたのを、木材の破砕したような音が中断させる。鈴が壁を蹴ったのだろう。
「静かにしような、祖父さん」
「そうするか……」
 顔を見合わせ、揃って溜息が出る。風に乗って宥める若僧の声が微かに聞こえてくる。
「これも我が家の血筋か……」
「もしかして祖母さんもあんなだったのか?」
 その質問には曖昧に笑って答えを濁した。妻の少々過激な愛情表現については、自分の胸にだけ大事に仕舞っておきたい。
「……理樹はいい亭主になったな。まあ、そこそこな」
「そこそこかよ」
 灰皿を手に、開け放した障子から縁側に出る。しばらく言葉は口にしなかった。それぞれ煙草を取り出し、月の下、二つの灯りがともる。

「今度……」
 二本分の灰が落ちた頃、ついでのように言葉をこぼした。
「ああ、連れて来い」
「……まだ何も言ってねえよ」
 先回りされたのが気に入らないのだろう。顔を背けてふてくされた。
「そんなもん、皆まで聞かずとも分かるわ。こんダラズ(馬鹿たれ)が」
「けっ……」
 この意地っ張りで見栄っ張りの頑固者が照れている。
「ふっ……ふははっ……」
「気持ち悪ぃな、笑うなよ……」
 これが笑わずにおれようか。恭介にこのような顔をさせる相手とは、どんな人物なのやら、会うのが楽しみでならない。
 憮然とした恭介の背中を叩きながら、声だけは抑えてなお笑う。
「とにかく、近いうちに連れてくるからな。……それまでくたばるんじゃねぇぞ」
「ふん。ワシは気が短いんじゃ、早いとこ連れて来い」
「知ってるよ。……そうだな、年明けにでも」
 伝えるべきことは伝えたのだろう。火を点けたばかりの煙草を揉み消し、サンダルを突っかけて外に出た。
「遅いぞ、お前らーっ!!」
 “山一つ向こうの店まで酒を買いに行く。ただし兎跳びで”という課題を見事果たした馬鹿二人が、恭介の物言いに文句をつけながら戦利品を掲げていた。
「泣かせるなよ」
 かけた言葉に、恭介の背中が無言で答えた。




【台風一過】


 ようやく静かになった。やれやれだぜ(;-_-) =3
 独り暮らしの静かな我が家に破壊と混乱とその他諸々をもたらしたヒマゴ&マゴどもだったが、恭介(仮)の運転するおんぼろ車で先程帰っていった。

 壁の破損、かまどあわや爆発、障子、襖の穴は数知れず……もちろん壊した本人に直させたが。
 一番深刻な被害は、米だ!お前ら食い過ぎだ、特にうすらでかい馬鹿二人(#゚Д゚)ゴルァ!!
 お陰で我が家の食料事情が危機に瀕してしまった。米びつなんぞほぼ空だ。それから喝はカツではないぞ(∵)

 しかし相も変わらず騒々しい連中だった。とにかくじっとしていない。
 特に馬鹿二人はそろそろ落ち着け。ヒマゴのほうが大人しかったくらいだ。兄を蹴り飛ばす母親に抱えられてさえ悠然と眠るヒマゴは、将来きっと大物になるだろう。wktkだ。

 他にも楽しみなことはある。内容はまだ秘密だ。
 年明けごろには発表できるだろう。あの糞生意気な孫に甲斐性があれば、の話だが。

 さて、今日はもうすることもない。風呂入って寝る(-_-).。oOO

 そうだ、猫が増えたから駐在に頼んでおこう。流石に構いきれん。







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[No.894] 2009/01/23(Fri) 21:14:09
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[No.895] 2009/01/23(Fri) 22:08:43
月の彼方 (No.887への返信 / 1階層) - ひみつ@ 9365 byte

 ああ、どうしてこんな事になってしまったんでしょうか。目の前にいる佳奈多さんを見てこっそりとため息をついてしまいます。二人部屋ですから、助けも期待できません。
「にゃーにひんきくはぁい息はいへんもみょクドリャフュカァ!!」
 私の目の前には呂律の回っていない、真っ赤な顔をした佳奈多さんが。というか、もはや何を言っているのかさっぱりです。



 月の彼方



 今日、商店街のガラガラで2等を当てました。景品は日本酒10本でした。それで今この状態です。
 いえ、途中で井ノ原さんがお酒を運ぶのを手伝ってくれたり、来ヶ谷さんがお酒の怖さを教えてくれたり、葉留佳さんがイタズラでペットボトルにお酒を詰めたりしていたりと色々あったのですけど。というか、最後のが今の状況の原因のような気がします。そのペットボトルを間違えて飲んだ佳奈多さんがしばらく目を回した後、急に据わった目でお酒を飲み始めたのです。来ヶ谷さんが言った通り、お酒は怖いです。ついでに私も飲めと言われました。怖くて断れませんでした。
「佳奈多さん、これ以上は体に毒ですから」
 聞いちゃいません。黙々とコップにお酒を注いではあおっています。こうした時はどうしたらいいのでしょうか? 先程、来ヶ谷さんに頂いたメモ帳を取り出して中を確かめてみます。どうしてお酒を未成年が飲んではいけないのかという事から、お酒の正しい飲み方、そして酔っ払いの対処の仕方など色々な事が書いてあります。それによると、酔っ払っている人には大量のお水を飲ませるといいらしいです。こんな物をまるで予期していたかのようにあっさりと用意出来た来ヶ谷さんは不思議ですが、今はありがたく使わせて頂きます。
「か、佳奈多さん」
「ひゃーひよ」
 た、多分『何よ』と言ったのだと思います。
「佳奈多さん、酔っ払ってますよね?」
「ひゃひゃひはひょひぇひゃい!!」
 ダメです。解読不能です。英語よりも圧倒的に難しいです。でも来ヶ谷さんのメモ帳によれば、酔っ払っている人ほど酔ってないと言うらしいですから、きっと佳奈多さんは酔っ払ってないと言いたかったのでしょう。
「よ、酔っ払ってないのならこのお水を一気飲み出来ると思うのですが」
 そう言って私が冷蔵庫から取り出したのはお水のペットボトル。2L入りのお買い得品です。
 佳奈多さんは私をジロリと睨むと、お水をひったくって飲み始めました。ちょ、ちょっと怖いです。ごっきゅごっきゅとすごい勢いでお水が減っていきます。そして、本当に2Lを一気飲みしてしまいました。
「どーよクドリャフカァ! ちゃんと一気飲み出来たでしょーが」
 よかったです、佳奈多さんの呂律が元に戻りました。これで少しはまともになって――ムリです。目は据わったままです。
「じゃあ今度はあなたの番ね。これ、一気飲みなさい!」
 ドンと私の目の前に置かれる丸々1本の日本酒。ちなみに1本は2升に相当したりします。
「か、佳奈多さん、日本酒2升一気飲みは流石に」
「飲め」
 ダメです、目が据わりきっています。下手に意思疎通が出来てしまった分、逃げ道がなくなってしまった感じです。
 仕方ありません。日本酒が入ったコップを置いて、少しも減っていない瓶を傾けて、グビグビと。
「あははははははははははははは、クドリャフカ、一気よ一気!!」
 佳奈多さん、テンション高すぎます。笑い上戸さんなのでしょうか?
 そうは思っても瓶に口をつけたままでは言う事も出来ません。そのまま飲み続けて飲み続けて、瓶が空になるまで飲み続けて。
「ぷはぁ」
「おめでとー!」
 パチパチパチと佳奈多さんから拍手が。そして拍手が終わるとまたコップに口をつけてお酒をあおります。ダメです、止まりません。
「佳奈多さん」
「なに、あなたも飲み足りないの?」
 続きを言う前にコップにお酒が注がれます。コップがお酒でいっぱいです。自分でも分かる程、困った視線をコップに落としますが、佳奈多さんは全く気にしてくれません。ただ日本酒の入ったコップを傾けるのに夢中です。あ、また自分のコップにお酒を注ぎました。
「ほらほーら、あなたのドンドン飲みなさい!」
「なんというか、三枝さんみたいなノリです」
 私が嘆息まじりに言って、コップを傾けます。ゴクゴクと中の液体の量が減らしていきますが、無限地獄のようにお酒は注がれてしまいます。瓶にして後7本以上。いつに終わるのか不安です。
「ぷは」
 コップを空っぽにして、覚悟が決まらないで佳奈多さんの方を見ると、佳奈多さんの目から涙がポロポロとこぼれていました。
「へ?」
 あんまりに予想外な佳奈多さんの涙に、どう反応していいのか分かりません。ポロポロと涙を流しながら佳奈多さんはコップを傾け、そして私にお酒を注ぎます。ダメです、行動が全く変わっていません。
 それでも辛そうに泣きながらお酒を口に入れる佳奈多さんに、心配で声をかけるのは止められません。
「あの、佳奈多さん。どうされたんですか?」
「ううん。何でもないの」
 そう言いながらお酒を喉に流し込んで、またコップにお酒を注ぎ。あおります。前言撤回です。変わってなくなんてありません、確実にお酒を飲むスピードがあがっています。
「何でも無いわけないですよ。佳奈多さん、すごく辛そうです」
 ピタリと佳奈多さんの手が止まる。持つ手の中で波をつくるお酒が、震える佳奈多さんを教えてくれます。
「気持ちが悪いわ」
「佳奈多さんっ!?」
 全然違いましたっ!?
「冗談よ」
 佳奈多さんはお茶目に笑って、一気にコップの中身を空にしました。
(飲み方がすごく格好いいです)
 ポーっとする私の視線の先で、佳奈多さんはコップにお酒を注いでいます。
「って、行動が本当に変わらないです」
 呆れるますが、そんな私に構うことなく佳奈多さんはポツリと言葉を落とします。
「クドリャフカ、あなた、後悔してることってあるかしら?」
「後悔、ですか?」
「ええ。出来る事なら、過去の遡ってでもなんとかしたいくらい、後悔してる事」
 視線を私から逸らしながら辛そうに言う佳奈多さん。そんな佳奈多さんを見ながら、私の頭には一人の笑顔。私が一番後悔しているコトが頭に浮かんでくる。
「私は、あるわ」
 そんな私に気がつかないで、佳奈多さんは言葉を続けます。
「葉留佳のことよ」
 三枝さん。傍から見てて痛々しい程に、お二人は憎しみあっているように見えます。そんな佳奈多さんが、三枝さんの事で後悔してるなんて、ちょっと意外です。
「三枝さんの事ですか?」
「ええ。どうしてこうなっちゃったのかなって思うのよ。昔みたいになんて言えないけど、それでも」
 そこで佳奈多さんの言葉が途切れてしまう。もう機械的になりつつある、コップを傾ける作業。
「佳奈多さん?」
「それでも。どうしたいのかしらね、私は。葉留佳と、どうしたいのかしらね」
「佳奈多さんは、どうしたいのですか?」
 話が見えないで重ねて問いかける私に、佳奈多さんは寂しそうに笑います。
「私は、佳奈多を苦しませなきゃならないのよ」
「え」
 そう言った佳奈多さんに、私はすぐにはかける言葉が見つかりませんでした。それでもコップにお酒を注ぐ姿を見ながら、私はなんとか言葉を探し出します。
「なぜ、ですか?」
「そうじゃないと、葉留佳がもっと苦しむから。
 知ってる? あの子、ここに来るまで人間の扱いすらさせて貰えなかったのよ」
 佳奈多さんの言葉に、私は頭をガツンと殴られたみたいでした。佳奈多さんはご自分の言った言葉の意味に気がつかないみたいで、お酒を飲むことに夢中です。
 思わず私も手の中にあるコップをグイーっと傾けてしまいます。
「いい飲みっぷりね」
 空になるとすぐに笑いながらお酒を注いでくれます。
「佳奈多さんは、」
「え?」
「佳奈多さんは、三枝さんとどうなりたいんですか?」
 考えた事も無かったといった風で私の顔を見る佳奈多さん。けれどもそれも一瞬でした。すぐに寂しそうな顔をつくると、首を横に振ります。
「どうなりたいなんて、私の意思は関係ないの。私は葉留佳を苦しめなきゃならないの」
「それでも佳奈多さんの気持ちを知りたいです。佳奈多さんは、三枝さんと憎みあっていたいのですか?」
「そんな訳ないじゃない」
 すぐに否定してします。でもそれ以上は佳奈多さんは何も言いません。だから、私が言葉を続けます。
「三枝さんと、仲直りがしたいんですか?」
 佳奈多さんはお酒を飲みます。答える声はありません。ですが、何も言わない事が何よりも佳奈多さんの返事になっていました。
「頑張って、みないんですか?」
「無理よ」
 佳奈多さんはそうとしか言いません。諦めきった言葉です。
「もうね、私と葉留佳は仲がよくなる事なんて無いもの」

「知っていますか」
 私の佳奈多さんもしばらくは無言でお酒を飲んでいました。けどその間、私は必死で頭を整理して、そして言葉を探し出します。
「お月さまは月黄泉(つきよみ)と言いまして、この世に無い物がお月さまにはあるそうですよ」
「クドリャフカ?」
 唐突な私の話に佳奈多さんも不思議そうな顔をしていますが、関わらずに話を続けます。
「御伽話ではかぐや姫なんかが有名です。この世のものとは思えない美女は月のお姫様で、お月さまには地球にないものがあると思われていたんでしょうね」
「クドリャフカ、あなた何言ってるの?」
 佳奈多さんの顔は、不思議そうな顔から困惑した顔になっていきます。
「探せばいいんですよ佳奈多さん。地球にないならお月さまからでも、どこにもないならどこにもない場所から取ってくればいいんです」
 呆然とした顔が最初にあって、それから段々と佳奈多さんの顔が緩んでいきます。
「クドリャフカ。あなた、どれだけ無茶な事を言っているのかわかってる?」
「実は、私も言いながら分からなくなってきました」
 てへへと誤魔化し笑いが漏れてしまいます。
 けど、すぐに顔を引き締めて。佳奈多さんに言わなくてはいけない事がありますから。
「佳奈多さん。私にも後悔していることってあるのですよ」
「え」
「お母さんに会いたいです。会って、ゴメンナサイを言いたいです。帰ってくるお母さんにおかえりなさいを言えなくて、ゴメンナサイって」
「クドリャフカ」
 佳奈多さんが悲しそうです。佳奈多さんの瞳に映る女の子が、今にも泣きそうな顔をしています。けど、その女の子はそれでも歯を食いしばって口を開きました。
「だからいつか宇宙に行って、ゴメンナサイって言いたいんです。お母さんに、届かないかもしれないけど」
 ふと窓から見える夜空を見上げます。今日は晴天で、まんまるお月さまが綺麗です。
「でも、お月さまにならきっとお母さんがいますから、届くと思うのです。佳奈多さんの探しものも、きっとあると思うのです。一緒に探してくるですよ」
「そうね、未来の宇宙飛行士さんにお願いしましょうかしら」
 コップをもてあそびながら、佳奈多さんはお酒を注ぐ。
「そう言えばクドリャフカ。せっかく二人で飲んでいるのに、乾杯してないわね」
「そういえばそうですね」
 佳奈多さんからのお酒を受け取りながら私は笑います。
「何に乾杯しようかしら?」
 佳奈多さんも綺麗な笑顔です。
「そうですね。佳奈多さんもいますし、せっかくですからここはシャレをきかせまして」
 私がコップを掲げると、佳奈多さんもコップを掲げます。
「月の彼方に」
 カチン!
「「乾杯」」


[No.896] 2009/01/23(Fri) 22:40:48
最果て―sai-hate― (No.887への返信 / 1階層) - ひみつ@1353 byte考察には値しない

 それは良く晴れた冬の日。
 高く高く澄んだ青い空にたったひとすじ。
 青を切り裂き天を目指す、白い軌跡。



――sai-hate――



 日傘を畳み、彼女のゆく白い道筋を目で辿る。
 彼女が大切に身にまとい、私が手放した色。


 旅立ちの近づいた朝、彼女は笑った。
 恐れも不安も飲み込んだ、とても晴れやかな顔で。


 不意の潮風が肌を切る。少し切り損ねた髪が踊る。
 海を臨む冬枯れた丘で、その旅立ちを見送っている。


 煙がゆっくりと空に滲んでゆく。青に霞んでいく。
 彼女はその色で彼方を見つめ、私はその色に取り残された。



 彼女は会えただろうか。
 目指した背中に、追いつけただろうか。
 あのむこうは、私が目指した狭間ではないけれど。
 もしもあの子がいるのなら、
 彼女と出会うのだろうか。
 出会って、何かを話すのだろうか。
 何と言って迎えるのだろうか。
 ひとつの恋と、ひとつの夢をどこまでも、どこまでも駆け抜けた彼女を、何と言って。



「美琴」
 枯れた草むらで犬と戯れている娘を呼ぶ。
「ぉかあたん」
 駆け寄ってきた彼女は、着慣れない服を枯葉と土埃に汚して、笑顔。
「……しようのない人ですね」
 私がそれらを払う間も、一瞬たりとじっとしていてくれない。にこにこし通しなのは、怒られている自覚がないのだろうか。
 娘の視線を追い、空を見上げる。そうしたところで彼女たちが見えるわけではないのだけれど。
 訊ねてみたいことはある。だが、それを訊くのは今でなくていい。

「そろそろ行きましょうか」
 飽くことなく見上げる娘を促して、雲ひとつない青空を後にした。


[No.897] 2009/01/23(Fri) 23:50:12
砂浜のこちらがわ (No.887への返信 / 1階層) - ひみつ@12638byte

 彼女を見かけた。これが夢だと気づいた。ただ夢だとしても、彼女に出会えたことが嬉しかった。一言でもいいから言葉を交わしたいと思った。足を踏み出すと、砂利と革靴の底が擦れる音がして、自分がグラウンドの只中に立っていることがわかった。
 彼女は木影にできた人の輪のなかで楽しげに話をしていた。品のないことを言っては、よく知っている人や、よく知らない人を笑わせていた。わたしも笑った。それを見て彼女もまた朗らかに笑った。
 目を覚ますと右腕の感覚がなかった。身体を起こすと背もたれが軋んで、肘の先に温かな痺れが広がった。わたしはしばらくあの子に出会ったことを思い出せないでいた。散乱したノートや教科書を片付け、能美さんを揺り起こして、冷たい毛布に身をくるみ、いくつかの英単語と「彼女」という三人称が英語的なニュアンスを持つことを思い出したとき、ため息が漏れた。以前よりずっと狭くなった本棚の片隅。緑色の背表紙があまりにも眩しかった。


 彼女について記そうと思う。
 正確には、今日もまたそう思い立った。
 動機を簡潔に述べよう。すべての人間に忘れ去られることが死であるならば、まずわたし自身が忘れぬためだ。彼女のこと然り、英単語然り。次に、もしわたしが死んだとしても、なんらかの形で彼女の記憶なり記録なりがこの世に留まるのであれば、彼女は死なないのではないかと考えたからだ。
 では、小説の登場人物たちは生きているのだろうか?
 考えてみたがわからない。生きていると言って差し支えないほど厚みを持った人物もいるし、ちゃんちゃらおかしいと鼻で笑える人物もいる。その線引きはわたしにはできそうもない。そもそも、存在した人間を文章に落とす過程と、架空の人間を文章の中で立ち上げていく過程を同一に見ていいのかどうかも定かではない。
 長ったらしくなってしまった。
 ともかくわたしには、目の前の喧騒より、照り返す白浜より、健康的なビーチボートや不衛生なスイカ割りより、なにかしら文章を書いていることのほうが性に――
 不意に、頬に冷たい感触。思わず身がすくむ。
「びっくりした?」
 これ西園さんのね。
 言いながら、直枝さんは紙コップを差し出してきた。日差しが逆光になって顔は見えなかった。
「何年前のラブコメですか」
 ケータイを閉じた。閉じてから、今まで連ねた文字が消えてやいないだろうかと不安になった。不安にはなったが、とりあえず紙コップを受け取っておく。コーラのロゴがプリントされた表面には冷たい水滴が浮いていた。でも中身は炭酸ではないようで、スポーツドリンクだろうか。
「もう泳がないんですか?」
「いや、また行くけど、ちょっと休憩。西園さんは?」
「わたしは、日焼けなんてしても似合わないですから」
 直枝さんが腰を下ろすとビニールシートが少しだけずれた。ぬるい風が吹いて、汗ばんだ腕に砂が付いた。払っても落ちなかった。
「誰かとメールしてたの?」
「その質問はデリカシーに欠けますね」
 答えると、また沈黙が続いた。人のざわめきの中に、ほんの少し波音を聞いた気がした。でも、耳を澄ませてみても、もう聞こえない。ビニールシートが擦れるごわごわした音がして振り向くと、直枝さんが寝転がっていた。パラソルの布地の赤が肌に落ちていた。
 気詰まりなわけではなかったけれど。
「こんなことしていて、恭介さんは大丈夫なんでしょうか」
 自分たちのことを差し置いてわたしは言った。直枝さんは笑った。
「さあ、ダメなんじゃない? ――や、わかんない。緩い会社だったのかも。あと、恭介だし」
「おいおい。俺がこの休み取るのにどんだけ苦労したと思ってんだ」
 また海の側へ目をやる。濡れたすね毛が夏の太陽に輝いていて美しくなかった。見上げると、恭介さんが腰に手を当てて立っていた。
「なに、恭介らしくないね。遊び疲れた?」
「馬鹿言え。俺たちの夏はまだ始まったばかりだぜ!」
「去年あんなにしんみりしてたのが馬鹿みたいだよ」
 起き上がった直枝さんが、呆れたように言う。
「そう言うなって。取れちまったもんは仕方ない。遊ばにゃ損だろ」
 さっきと言っていることが違うけど、口を挟むなんて無粋なことはしない。
「だが、遊びにも休息は必要だ。より一層パワフルに遊ぶためにはな。……これ理樹のだろ?」
 言うや否や、置いてあった紙コップを取って一気飲みしだす。ぷはーっ、と親父臭く口元を拭って、
「うまかったぜ」
「いろんな意味で残念ですが、それはわたしの分です」
 お約束、という奴だろうか。
 恭介さんはきょとんとしたまま、紙コップと私の顔を見比べた。
「道理で随分残ってるわけだ」
 見ている分には楽しいかもしれないけれど、やられた身としては腹立たしいとしか思えない。
「恭介はなんかたまに抜けてるのはもしかして狙ってやってる?」
「そういう節もなきにしもあらずだが、今回は素だ。って、そんな睨まないでくれ」
「睨んでません。これが素です」
「あー……新しいの買ってくるから、ちょっと待ってて」
「そうですか? さっきから随分人が増えたようですが」
 売店の方に視線をやると、ちょうど昼どきと重なったせいか、ちょっとした人だかりができていた。
「つーか、俺が自腹切って持ってきたドリンク類はどうした?」
「あそこ」
 直枝さんが指差す先に、元気にはしゃぎまわるビキニパンツとふんどしがいたので、私は慌てて空を見た。青く薄く澄んでいて、濃紺の水平線とは混じりもしなかった。
「よし理樹。買いに行くぞ」
「え? 恭介も行くの?」
「どうせ昼飯もなかったりするんだろ?」
 わたしは頷いて、おにぎりの詰まっていた大きなレジャー用の弁当箱を持ち上げて見せた。片手で足りる。まだ半分と見るか、たった半分と見るか。
「たこ焼きなど食べたい気分なのですが」
「任せろ西園。じゃあ行くぞ! 昼飯前の腹ごなしだ!」
「うん、まあ、行くけど。じゃ、ちょっと待っててね」
「夕暮れまでには戻ってきてくださいね」
「あははは……って恭介! そんな走んなくても!」
「新しいミッションだ! 休憩してる場合じゃねえぜ! いぃぃやっほおおおおおぅ!!!!」
 砂浜をすごい勢いで駆けていく背中を、直枝さんは足を取られながらよちよちと追っていく。これはこれで美し……ではなくて。
 お二人はいつからこんな調子だったんだろうな、と考えた。
 きっとわたしには想像もつかないほど、繰り返し繰り返し、こんな調子だったのだろう。多分、これからも長い時間、繰り返されるのだろう。でもそれは、何十年か先には見ることができなくなっているのだろう。それはある日突然終わりを迎えるのか、今こうしている瞬間にも徐々に損なわれているのか、想像してみたがわからなかった。
 損なわれた。そう、彼女も損なわれてしまったのだ。
 ここではないどこか別の場所に、彼女はいたのだ。彼女はわたしの持つなにかか、わたしに関りの深いなにかから生まれた。彼女は手で触れられ言葉を交わせる存在だった。雨上がりの校庭を泥を跳ねながらつまらなそうに歩き、また楽しそうにみんなを笑わせていた。しかし彼女は消えてしまった。ぱっと、その場所と一緒に。
「はろはろ美魚ち〜ん? きょーすけくんたちはー?」
「お目当ての直枝さんなら恭介さんと買出しです。戻ってください」
「なんか酷っ! 私は純粋に美魚ちんとお話したいな〜って来たのに!」
「お弁当ならありません。戻ってください」
 とぼとぼ海へ帰る背中で、ビキニの水色の紐が下ろした髪と一緒に揺れていた。歩く反動で揺れているのか、潮風なのか。判断に困っていると今度は鈴さんが来た。
「直枝さんは恭介さんと一緒に買い物で、お弁当はありません。あ、でもちーかまならありますよ」
 サイドバッグを探ってちーかまを取り出す。
「いや、そーじゃなくてだな」
 剥き身にして渡すと、鈴さんはもぐもぐ食べ始めた。白いワンピースにちーかま。この組み合わせはどうなんだろう。
「まあくるがやから逃げてきただけなんだがな。みおは泳がないのか?」
「ええ、わたしはあまり――」
 そういうのはちょっと。
 続けようとして、鈴さんの無邪気というか、純真な瞳に言いよどんでしまった。
「少しやることがありますので」
 ふみゅ。そーなのか。鈴さんはつぶやいて荷物を漁り始めた。何をするのかと見ていたら、ブラウンの潰れたビニールを取り出して、息を吹き込み始めた。さすがの肺活量で、しわくちゃの茶色がみるみる丸くなっていく。
「ん? やるか?」
「いえ、遠慮します」
「そか」
 やがてビニールは、一抱えほどの、なんとも使いづらそうな猫耳の生えたボールになった。
「バレーはやる?」
「ええ、まあ、考えておきます」
 わたしの答えに満足したのかどうなのか、ん、と短く頷いて、皆さんの方へ走っていった。これだけ大勢の人の中でも、猫のビーチボールはよく目立った。舞っては落ち舞っては落ち、飽きもせず繰り返し続いていた。太陽は頂点に差し掛かっていて、ビーチボールや波や白砂を照り付けていた。パラソルの下にいても眩しかった。
 わたしはまたケータイを開いた。画面は暗くて、文字も殆ど読み取れなかった。少し待ってみても目は慣れそうになかった。
 だから目を閉じて彼女のことを考えた。
 彼女についてなにを書くべきか考えた。
 彼女はなぜ消えなくてはいけなかったのか。誰が消したのか。
 その答えはわたしの中から消えていた。ただ、彼女自身が失われてしまったという、なにがしかだけが残っている。多分わたしは、そのことが残酷だと思っている。
 ひとつの疑問として、果たして彼女は、――。
 額に柔らかな冷たいものが押し当てられていた。手を添えてみる。濡れタオルであるらしかった。薄くまぶたを開けたとき、些か暴力的な西日が目に入った。身体を起こすと海は暗くて、背中にじりじりするような日差しが当たった。
「目、覚めた?」
 声の方に目を向けると、直枝さんがわたしの荷物を肩に下げ立っていた。その向こうには井ノ原さんたちがわっせわっせとカバンやらを担いで歩いていた。
「起こそうかと思ったんだけど」
 そう言って直枝さんはばつが悪そうに頭を下げた。
「いえ、お気遣いありがとうございました」
 この時期これだけ暗いのだから、ずいぶん眠ってしまったのだろう。逆にわたしが居たたまれなかった。
 気がつけばあたりには数えるほどのグループが残っているだけで、吹く風に反して寒々しささえ覚えるような暗い浜辺が広がっていた。
「お腹すかない?」
「いえ、大丈夫です。お気になさらず」
 答えたけれど、本当は少しすいていた。だけど、なんだか言い出しにくい。
 帰り際、花火をやる段取りだったようだけれど、寝ているあいだに終わってしまったんだろうか。
 そう思っているところで、頭に手を置かれた。
「よし、西園にはこの大役を担って貰おうか」
 渡されたのは一本の大きな打ち上げ花火だった。


 手持ち花火が音を立てて燃え盛った。星は出ているが月はなく、花火をより一層際立たせた。
 井ノ原さんと宮沢さんが本数競争を始めたのでそれはそれは盛大だった。直枝さんも笑いながらお二人を眺めていたけれど、隣の鈴さんが対抗意識を燃やし始めるとさすがに止めた。わたしは神北さんや能美さんに混じって奥ゆかしく花火を楽しんだ。
「わふ〜っ! これぞニッポンの夏! ですっ。打ち上げ花火、一発限り割いて散る江戸の浮世の風情です。線香花火はわびさびで、手持ち花火は……一粒で二度おいしいんでしょうか?」
 能美さんは笑顔で解説を入れて、花火は進んでいく。
「そーいえば今お盆なわけじゃないですか。皆さんご実家には帰られたんですか?」
「うん。私は地元だから。親戚とかで集まったりもしないし、ちょっと前お参りしてきちゃったんだ」
「わたしは、これからです。あまりそういうのにうるさくないもので」
 緑や黄色の煙が空に昇っていった。色が変わるたび、お二人の顔が染め変わった。
「あっ! みおちゃんみおちゃん」
 神北さんに服の裾を引かれる。
「ちょっと日焼けの跡、付いちゃってるかも」
「え、ほんとですか?」
「あー、襟のとこ、確かに跡になっちゃってますね。そう言えばお顔も少し」
 西日に当たっていたせいだろうか。二人に胸元を覗き込まれて、なんだか恥ずかしいような、こそばゆくなってくる。
「でもそれくらいならすぐ戻るよ」
 神北さんはそう言って笑ってくれたけど。
「あんまり、すぐには戻ってほしくないかもしれません」
 わたしが答えると神北さんは、
「あれ? みおちゃんもしかして焼きたかった?」
 と言った。
「そんなわけではありませんが」
 そう言ったとき、砂まみれになった恭介さんが現れて、
「よし、西園、行け!」
 わたしの手にライターを持たせた。
 能美さんと神北さん、お二人が顔を見合わせて、それからわたしの顔を見た。
「がんばるのですっ!」
 能美さんの声には妙な気合が入っていた。
「火をつけるだけですけどね」
 と言いつつ、汗で手が滑って、なかなかライターに火が着かない。
「こんなこともあろうかと」
 差し出された恭介さんの手には、ワンタッチ式の長いライター、いわゆるチャッカマンが握られていた。
「なら最初からそっちを渡してください」
「いやまあ、なんかあるだろ? 情緒みたいなさ」
 恭介さんは笑ったけれど、わたしにはよく分からなかった。
 息を整え、導火線を手に持つ。
「あ、それ置いたままでいいぞ」
「ちょっと黙っててください」
 導火線を砂浜に投げ出して、慎重にボタンを押す。
 花火とは違った、素朴な灯りが生まれた。
 それをこわごわ、ゆっくり、導火線に近づけた。
 点火して少し。
 一発目の花火が打ち上がった。
 ドーン、と低い音がして、黄色い花火が散った。暗く溶け込んでいた波打ち際が、微かに明るく照らされた。
 それからはどんどんと、どうやっているのか、一度点火しただけなのに次々と打ち上げられはじめた。
 色とりどりの花火が夜空に舞った。赤や、青や、緑。誰かが酔っているのか、どこかから「たーまやー!」という掛け声が聞こえてきた。
「おう! 負けるな野郎ども!」
 恭介さんの号令のあと、井ノ原さんと宮沢さんが野太い声を出し始め、直枝さんも控え目に、かぎやー、と空に向かって声を上げた。三枝さんも混じって、本当にたまやかぎやの言い合いになった。
 そのまま男性陣はおおはしゃぎでダンスなど踊った。三枝さん以外の女性陣は――わたしも含めて――綺麗な火花に見入った。
 打ち上げが終わったとき、静かさが耳についたが、不思議と寂しくはなかった。


「じゃーパラソル閉じちゃって構いませんかー?」
 タオルで顔の砂だけ払わせてもらって、能美さんの言葉に頷く。わたしもせめてシートだけでも、と砂を払う。後から来た神北さんに手伝ってもらいながら、荷物が置かれていたときの印象よりずっと大きいビニールシートを畳んで丸めた。今日もまた、彼女について書くことはできなかった。
 他のグループの打ち上げ花火がわたしたちの足元を照らした。コンクリートの階段を登って一度だけ振り返ると、最後に大きな音を立てて弾けた玉が、空と海を暗闇ごと赤く染めた。


[No.898] 2009/01/24(Sat) 00:00:52
始まりの日 (No.887への返信 / 1階層) - ひみつ@15087バイト

 秋も深まる10月の終わり。実家に戻って二ヶ月がたっていた。部屋の外で鈴虫が鳴いている。
 実家には嫌な思い出しかないけれど、窓から聞こえてくる、鈴虫の鳴き声が私は好きだった。鈴虫の鳴き声を聞きながら、私は携帯電話の待ち受け画面を眺める。
 画面の中で葉留佳と直枝が微笑んでいた。こうしてみると、本当にお似合いの二人に見えた。画面の中の二人は、本当に――幸せそうだ。だからこそ、私の選択が間違っていなかった、と思う。
 そんなことを考えていると、誰かが近づいてくる足音が聞こえた。私は急いで携帯電話を隠すと、叔父がいきなり、部屋に入ってきた。いつものことなので、腹もたたない。
「佳奈多、まだおきていたのか――今、何時だと思っている?」
 時計をみると、午後11時だった。いつもの私の生活から考えると、まったく遅い時間ではない。大体、昔はこんなときに寝かせてもらったことなんて、ない。それどころか寝ていたら、たたき起こされたじゃないか。そう心の中で毒づいて、私は叔父にこう、答える。
「すみません、叔父様。明日のことを思うと緊張してしまって」
 そう、答えると、私の答えが気に入らないのか、顔をゆがませた。
「……結婚前で緊張するのはわかるが、明日はお前の人生で一番重要な日だ。早く寝なさい」
 それだけ告げると、叔父がさっていた。さすがに結婚前だからか、もう、竹刀でたたいたり、暴力を振るうことはなかった。

 結婚。

 もう明日だというのに、実感がまるでなかった。
 だからといって、不幸だとは思わなかった。ずっと前から決まっていたことであるし、それに――。
 もう一度、私は二人の写真をみた。――見事なまでに、最高の、終わりを私は迎えることが、出来たのだから。


 私はここ数ヶ月のことを思い出す。
 葉留佳との、数年越しの和解して。直枝が寮会にはいってきて。直枝――私の初恋の人――からの「二木さんが、好きなんだ」と告白されて。
 直枝と二人ですごす、恋人としての時間、直枝と葉留佳と三人で過ごす時間はとても楽しかった。
 どちらとも私にとって、重要な時間だった。
 そして。
 私は部屋の電気を消し、もう一度携帯電話を開く。直枝と葉留佳が、相変わらずの笑顔で写っていた。
 ――この結末。
 最高の終わりだ、と思う
 私と別れたら、葉留佳と付き合ってくれたらうれしい、そうおもったことは何度もあったけど、まさか、本当にそうなるとは思わなかった。何も事情を知らない第三者がこのことをしったら、直枝をせめるかもしれないけれど、このことに関して、直枝が悪いはずがない。……すべて、私のせいだから。
 いや、この言い方は葉留佳にすごく失礼だ。葉留佳と直枝、二人がんばってこの光景があるのだろうから。


 私はそんなことを考えながら――私が直枝と葉留佳と最後に一緒にすごした、夏休み最後の日のことを思い出していった。



”始まりの日”


 空は雲ひとつない快晴の夏休み最後の日、私は直枝と葉留佳、二人と一緒に最近オープンした遊園地である、デウスガーデンに来ていた。
「BOOKといえば本、THE BOOKといえば聖書。AMUSEMENT PARKといえば遊園地、THE AMUSEMENT PARKといえばデウスガーデン!」
「葉留佳、あんまり騒ぐのはやめなさい、みっともないわよ」
「夏休み最後の日なんだからこのくらいさせてくださいヨ」
 遊園地につくなり、騒ぐ葉留佳に私と直枝は苦笑する。周りの人間も何事か、という感じで葉留佳のことをみていた。もっとも当人は気にしていないのだけれど。
「葉留佳さんも昨日までがんばっていたんだからさ、これくらいいいんじゃない?」
「確かに葉留佳はがんばったとは思うけど……けど、元々は自業自得よ?」
「まぁそうだけどさ」
 葉留佳はバス事故での入院から退院したあと、夏休みがうれしくてずっと遊んでいて、宿題をほとんど何もやっておらず、私と直枝になきついてきたのである。
 葉留佳は宿題を写させてもらう気満々だったみたいだけど、泣きついてからの日々、直枝と私の二人が勉強を教えていた。直枝と私は寮会の仕事があるとはいえ、私は風紀委員をやめたおかげでそのための時間もたっぷり取れた。葉留佳は「鬼〜、悪魔〜、鬼畜〜、人でなし〜」といいながら泣いていたけど。そんな日々もなんとか昨日で終わり、私たちはここ、デウスガーデンに遊びにきた、というわけである。
「そういえば、遊園地って久しぶりだなぁ」
 感慨深く、直枝がつぶやいた。
「二木さんは?」
「私たちは、初めて」
 直枝はそう答える私にちょっと驚いて、私たちの家庭の事情に思い至ったのだろう、すぐにしまった、という顔をした。
「ごめん、無神経なこと、聞いて」
「いいわよ、気にしていない」
「でも、ごめん」
 本当に申し訳なさそうに、直枝がもう一度謝った。
「本当に気にしていないから、せっかくだから、楽しみましょう、時間は有限なんだから」
 ――本当に、有限なんだから。
「うん、そうだね、今日は楽しもう、二木さん」
 そういう直枝は、笑顔だった。




「まずはあれに乗りましょうヨ」
 園内に入り、葉留佳がまず指差したのはジェットコースターだった。入口で渡されたパンフレットをみると、高さ700メートル、長さ26キロメートルというジェットコースターで世界一のジェットコースターらしい。直枝がいうには普通の遊園地にはありえないくらいのジェットコースターらしい。
 ジェットコースターの場所につくと大量の人がならんでおり、私たちもそれに続くことにした。
「そういえば理樹君とお姉ちゃん、どこまでいっているんですカ?」
 並ぶなり、葉留佳が唐突にそう聞いてきた。
「A?B?それとも、C?」
「A、B、Cって言い方は、ちょっと古くない?葉留佳さん?」
 そんなことをいう葉留佳に直枝があきれたようにいう。
「じゃあ、キス?それとも、ペ……」
「だからって言い直さないでよ!」
 A、B、Cをいい直そうとする葉留佳に直枝がつっこんだ。
「にゃは♪」
「葉留佳、少しは場所を考えて発言しなさい」
 私がそういってもケロリ、とした顔で今度は直枝にだけ質問した。直枝のほうが与しやすい、と思ったのでしょうね。
「で、どこまでいったのですかネ?」
「どこまでって…」
 直枝が私のほうを見てきた。私は無言で直枝のほうをみる。
「手をつなぐくらい?」
 小学生でもあるまいし、その答えは何よ、と思わないでもないけど、本当のことをいわれるよりずっとましだ。そう思っていると、葉留佳がにやり、と微笑んだ。
「整備委員会を甘く見ていますネ、理樹君?」
「え……?」
「実は学園にはわが整備委員会が仕掛けた隠しカメラが学校での理樹君の行動を逐一…」
「それ絶対嘘だよね?」
 直枝があきれたようにいう。
「ふ、ふ、ふ、はるちんを甘く見てますネ?理樹君がそう思うのも無理はないですケド、実は有るんですヨ。私の手元にはベッドの上にお姉ちゃんを押し倒す理樹君の姿とお姉ちゃんの痴態をおさめた映像が…」
「え?え?」
 葉留佳のその言葉に直枝の顔が見る見る真っ赤になっていく。
 その様子に私は戸惑う。直枝が気づくよう必死にめくばせするが、直枝はすっかりあせってしまい、まったく気づく様子はない。
 きっと葉留佳の顔がさらに笑ったことにも気づいていないだろう。
「それにしてもびっくりですヨ。まさか保健室でお姉ちゃんを襲うなんて」
「ほ、ほんとに撮ってたの?――ってか、みてたの!?」
 その言葉に私は頭を抱えた。
「うわぁ、ほんとに保健室なんかでやっちゃったんデスか、理樹君とお姉ちゃん」
「え?……あ」
 そこでようやく、葉留佳がカマをかけたのに気づいたらしい。
「ふざけていったのに理樹君の反応がおかしかったから追及したんだけど、まさかこんなことがわかるなんて思いませんでしたヨ♪」
 葉留佳は笑顔でそういって直枝は頭を抱えていた。
「学園にベッドのあるところといえば、保健室くらいしかないですからネ。……風紀委員、失格ですネ、お姉ちゃん」
「風紀委員じゃないからいいのよ…」
 なんとかそれだけを葉留佳に返す。
「直枝……」
 そういって、私は直枝の顔をにらんだ。
「ごめん、二木さん」
 直枝が頭を下げる。
「まったく。どうしたの、いつものあなただったら、葉留佳のわるふざけって気づくでしょうに」
 いつもの直枝だったら、「学校にベッドなんて、ないでしょ!」とかいいそうだ。そして葉留佳が「保健室にはありますヨ?」とかいって、話をうやむやにするくらい直枝は出来そうなものなのに。――いくら状況が初めての情事のときと酷似していたとはいえ。
 ちょっと直枝を買い被っていたかもしれない、そんなことを思った。
「ごめん、昨日、寝不足で疲れてて」
 そこまでいって、直枝がしまった、という顔をした。
「……あれ?昨日の勉強って7時におわって、その場で解散したんじゃなかったんでしたっけ」
 葉留佳が不思議そうに言った直後、すぐに理由に思い至ったらしく、葉留佳がにやり、と微笑んだ。
「昨夜はお楽しみでしたネ?」
「直枝……?」
 ――本当に、買い被っていたみたいだ。
 私が直枝をにらむと、直枝は、さらにうなだれた。――もっとも、それで直枝への好意が変わることはないけれど。
「いや〜、しかしそこまでいっているんじゃ、さすがに私、今日お邪魔虫な気がしてきましたヨ」
「そんなことないわよ、ねえ直枝?」
 本当に、そんなことはない。 葉留佳とできる限り一緒にいたいんだから。
 直枝は、まだうなだれつつ、いった。
「まぁ二人ですごしたかったら、まぁ改めてデートに誘えばいいだけだから」
「やけますね〜お二人さん」
 そういって葉留佳がはやし立てる。



 ――本当は、今日で最後なんだけどね。


 そんなことを話していると、私たちの順番がまわってきた。
 ジェットコースターにのる。最初に一番高いところまでいくらしく、ぐんぐんと上がっていった。
「ねぇ、直枝」
 私の隣に座っている、直枝の顔が青ざめているようにみえたのは気のせいではないだろう。
「……700メートルって長いわね?」
「う……うん」
 いまさらながら本当に理解した。いかに酷い乗り物に乗ってしまったのか。
「なんか私、降りたくなってきたわ…」
「僕も…」
 そんな私たちとは対照に葉留佳は「イケイケゴーゴーはるちん号♪」と叫んでいる。本来ならさっきみたいに注意するところだけど、注意する元気すら、ない。
 最高点にたっして……。その後のことは、覚えていない。
 ただ、すべてがおわったとき、「いや〜楽しかったですネ」と葉留佳一人が元気で、直枝と私二人はその場に倒れこんだ。もっともほかの乗客も同じようで、元気なのは葉留佳一人だった。


 それからいろいろな乗り物にのったり、食事したりして時間が過ぎて、もう夕方5時くらいになっていた。
「最後はあれに乗りましょう」
 そういって葉留佳が指差したのは観覧車。直径が1000メートルもある巨大なものだ。これもまた、世界一らしい。
「やっぱり最後は二人っきりがいいですかネ?」
 葉留佳がそういう。
「30分も一人でいたら退屈でしょう?遠慮しないでいいのよ、葉留佳……直枝もいいわよね?」
「うん」
 笑顔で直枝はそう答えた。
「……では、お言葉に甘えまして」
 私たちは3人そろっていっしょに乗ることにした。
「人がゴミのようだ、とはこのことですネ〜」
 下を見ると、ぐんぐんと地上を離れていき、下にあるものがだんだんと小さくなっていく。
「楽しかったね、二木さん、葉留佳さん」
 直枝がそういうと、葉留佳と私がうなづいた。
「また、こようね」
 そう、直枝がいった。
「ええ、またきましょう、お姉ちゃん」
「……そうね」
 私はただ、そう返事を返す。
 それから、今日あったことをいろいろ話して、話題が一段落したときに、ふと、葉留佳がつぶやいた。
「そういえば、どうして未だにお互い、苗字で呼んでいるんです?」



 ――そこで、目が覚めた。いつの間にか眠っていたみたいだ。外はもう、明るくなりはじめていた
 夢の続きを思い出す。たしか、直枝は、「なんとなく」と答えたっけ。そして、私は、「直枝っていうのになれちゃってね」って答えたんだっけ。
 だけど、本当の、理由は。
「直枝にこれ以上、近づきたくなかったから」
 これが、本当のことだ。”理樹”と直枝のことを名前で呼んでしまったら、もう、元に戻れなくなる、と思った。”理樹”と名前で呼ぶ練習をしたとき、”理樹”というだけで、胸の中がほわってなって、幸せに包まれて、どうしようもなくなって、みもだえて、クドリャフカに「どこか、悪いところがあるのですか?」と心配される、なんてことがあったのだから。

 遊園地から寮に戻ると、クドリャフカが食事にいっているときを狙って、私は実家に戻った。
 ”さようなら、実家に戻ります、もうもどりません”とだけ書いた手紙を残して。
「今思えば、最低な、女ね……」
 自分も人並みの恋がしたい。そう望んで、別れることが前提で直枝とつきあいはじめて、一方的に別れもいわずに去っていく。
 当時はわからなけれど、自分のことしか頭になくて、考えなかったけど……本当に――本当に、最低な女だったと思う。
 直枝には、本当に、悪いことをしてしまった。
 

 実家に戻ってから、実家では花嫁修業、と称されていろいろなことをさらに叩き込まれた。
 また、体の傷を少しでも隠すために手術も受けた。
 携帯には毎日のように葉留佳から批判のメールがきた。直枝からは、こない。彼には電話番号も、メールアドレスも教えていなかったから。
『どうしていきなり実家に帰ったのか』
『どうして何も、誰にも言わなかったのか』
 そんな文面が毎日のように送られてきた。そんな文面を私は無視した。私が学園を去れば、葉留佳が自由になれる。そのことはもう、葉留佳の両親の耳にもはいっているはずだから。
 だけど、ただ、一度だけ、返信を返したことがあった。
 そのときのメールには、こう、書かれていた。
『そんなことじゃ、私が理樹君をとっちゃうよ?』
 そのメールに、私は『がんばんなさいよ』と返すと、『お姉ちゃんの馬鹿っ』とだけかかれたメールが帰ってきた。
 
 それから、しばらくメールがこなくなった。再びメールがきたのは、一ヶ月くらいたった、誕生日の10月13日。
 メールには『仲直りしたい』という一文に、直枝と、葉留佳が笑っている写真が添付してあった。
 そのメールをみたとき、一瞬だけど、しかし確かに湧き上がった感情を――私が最低だと、これ上なく証明する感情を、私はきっと一生忘れないだろう。
「最低ね……、ほんと」

 それだけ呟いて、私は急いで準備を始めた。


 大勢の人たちに連れられ、私はあの町に戻る。なんの因果か、結婚式は私たちの学園の近くだった。私はウェディングドレスに着替え、化粧をし、待合室にいく。
 そこにおもいもかけない人物にあった。
「よう二木、なかなかきれいだな」


         ☆      ☆      ☆
 今、私は直枝と葉留佳と青空の下、一緒にいた。
 さっきまでのことが信じられなかった。
 結婚式の会場から、葉留佳や直枝たちに連れ出されたかと思うと、駆け落ちの計画を聞かされた。
 夢だと疑うことすらできない光景が、今、繰り広げられていた。
「本当に、信じられない」
 思わず、そうつぶやき、葉留佳と直枝のほうを見た。
 写真と同じように、ほほ笑んでいた。実際にみるのは初めてだけど、本当に幸せそうだった。そして、本当にすごい二人だと思った。
 あんなことをした、私を助けにきてくれたのだから。
 やっぱり、この二人は本当にお似合いだ。そんなことを考えながら、私は二人のことを聞いてみようと思った。そのくらいの権利くらいはあると思ったから。
「……そういえば、あなたたちは、いつから付き合い始めたの?」
 この質問に、直枝の顔が驚いていた。
「……え?」
「だって、あなたたち、付き合っているんでしょ?」
「付き合ってなんかないけど?」
 さらり、と直枝が答える。え?だって…。
 直枝は何を言っているのだろう?――ひょっとして、葉留佳と付き合い始めたことを気に病んでいるのだろうか。
 だとしたら、本当に直枝は馬鹿だ。あんなことをしてしまった私を気にする必要なんて全くないのだから。
 それに、ちゃんと証拠は握っている。
 私は直枝に葉留佳から送られてきたメールをみせようと携帯電話を開いた。『仲直りしたい』という一文に、直枝と、葉留佳が笑っている写真が添付してあるメールを。
 ほら、このメールをみれば、葉留佳と直枝がつきあっていることが……
 ・・・・・・つきあって、いること、が?
 そこまで考えて、もう一度、メールをみる。
『仲直りしたい』という一文に、『直枝と、葉留佳が笑っている』写真が添付してあるメールを。
 もういちど、メールを見た。
『仲直りしたい』という一文に、『直枝と、葉留佳が笑っている』写真が添付してあるメールを。








――――――――え?
 私はおもわず葉留佳の方をみた。笑いを思いっきりこらえているのがよくわかった。
 間違いなく、確信的、犯行だ。
「は、は、は、はる、はる」
 あまりのことに、言葉が続かない。やられた――葉留佳に見事にだまされた。
 そんなことを考えていると、葉留佳がちかづいてきて、耳打ちをする。
(今度、こんなことをやったら、本当に、私が理樹君をとっちゃいますヨ?)
 ……って、ことは直枝は。
「なお、え?、葉留佳とつきあっていないの?」
 確認するように直枝に聞いた。
「だからどうして、そうおもったのさ?――僕は、二木さんの彼女なのに」
 なんの迷いもなく、直枝はそう答えた。
「直枝、私がなにをしたのか、知っているの?私は――あなたに酷いことを本当にたくさんしたのに」
 別れることが前提で直枝と付き合い始めて、何もいわずに直枝から離れて、とつづけていく私の唇を直枝は人差し指でふさいだ。
「確かに、ひどいことを、二木さんはしたのかもしれないけれど、僕は、二木さんが好きだから」
 そういう直枝には一点の曇りさえ、なかった。
「直枝、あなたは、ほんとうに、ほんとうに」
 ふと、自分が泣いていることにきづいた。でも、私はぬぐうこともせず、言葉をつなげた。
「大馬鹿よっ」
 そういって、直枝にだきついた。


[No.899] 2009/01/24(Sat) 00:05:15
MVPしめきり (No.887への返信 / 1階層) - 主催

なのです

[No.900] 2009/01/24(Sat) 00:23:11
チャイルドフッド (No.887への返信 / 1階層) - ひみつ@9072 byteしめきられたのです

 海に来てしまった。





『チャイルドフッド』





「あっつ……」
 馬鹿でかいパラソルの下で、若干溶けた小さなアイスキャンディーを舐めながら、独り呟く。目の前では家族連れやカップルやらがわいわいがやがやとはしゃぎ回っている。ああ、なんであたしはこんなところにいるんだろう。真夏の太陽は、そんなこと知るかーっと熱光線をガンガンに浴びせてきていた。あちぃ。
 食べ終えたアイスの棒を砂浜に投げ捨てる。よく見ると「当たり!」と書いてあった。取りに行くのもめんどうだ。放置放置。ああ、だるぅ。
「お待たせ」
「とっととよこせ」
「キィーッ! いちいちむかつきますわね!」
「やかましい。余計に暑くなる」
 その後もしばらくウキィーッ! だの、ムキィーッ! だのと喚く佐々美の手からビールをかっぱらい、一気に喉に流し込む。サラリーマンがなんでビアガーデンに群がるのか少し分かった気がした。げっぷが出た。
「お行儀が悪いですわよ」
「寧ろこれが作法だ」
「まあ、真昼間からビール一気飲みする時点で完全に親父の仲間入りを果たしていることは間違いないですわね」
「黙れ貧乳」
「なっ! あ、あなただって大して変わらないじゃないの!」
「お前のほうが身長がちょっと高い。よってお前のほうが貧乳」
「スクール水着で海水浴に来る大学生にそんなこと言われたくないですわ!」
「これしか無いんだ」
「あなたが誘ったんでしょ。なんで買っていないの?」
「金が無いんだ」
「お酒ばかり飲んでるからですわ」
「ああ、さっきからうるさいなー」
 両手で耳に蓋をして聞こえないフリ。まあ、誘ったのはあたしで、完全にきまぐれ以外の何物でもなかったのだが。
 大学の掲示板にドカンと海のポスターが貼ってあった。あたしはそれを見た。そこに佐々美が通りかかったから「海行くぞ」とか言ってみたら、簡単に「よろしくてよ」とか気持ち悪い口調で返事してくれたので、佐々美のローン五年払いの軽自動車に乗っかって、そこそこ近い海水浴場に、翌日、馳せ参じてみた。今は激しく後悔している。水着は押入れの中を漁ってみたら高校時代のスクール水着があったので、それを持ってきた。佐々美は、やけに大人っぽい、ちょっとハイレグ入った黒のフリフリビキニを地味に着こなしていた。顔立ち自体は大人っぽいから、似合わないことは無いのだが、如何せん、身体の線が貧弱すぎて、かわいそうになる。ティッシュ詰めておけよと忠告しておいたのだが、無視されたようで。乳に関しては勝ってると思う。なんとなくだけど、そんな気がする。
「棗鈴」
「フルネームで呼ぶな」
「えっと、り、鈴」
「照れながら呼ぶな。きしょい」
「キィーッ!」
「なんだよ」
「何を怒っているの?」
「別に」
 怒ってない。
「なんとなく察しはつきますが」
「つくな」
「はいはい」
 流された。うざいな、こいつ。
 なんだかんだで、佐々美とはそこそこ長い付き合いになる。高校の時、先に突っ掛かってきたのは佐々美だった。それからも、いつだってあたしに佐々美は突っ掛かってくる。最終的に受験のことにまで突っ掛かってきた。どこも受けん、と言ったら、「逃げるのね! 敵ではないわ! おーっほっほっほ!」と高笑いして去っていったのがむかついて、軽く勉強してみたら、存外楽に受かってしまい、そのままずるずる今に至る。
「うざみ」
「誰がうざみよ!」
「うざこ」
「一文字も合ってないじゃない!」
「テンション下げろよ。血管切れるぞ」
「あなたはテンション上げなさいよ! 海よ! 海なのよ! どうなのよ!」
「ビールもう一杯買ってきて」
「はやっ!」
「とっとと酒持ってこい」
「性質悪っ」
「ここで寝てるから、早く持ってこい」
「はいはい」
「はい、は一回でいい」
「はいはいはいはいはいはい」
 諦めた顔で、はいはい言いながら去っていく。佐々美が持ってきた浮き輪を枕代わりに寝転がる。空はパラソルで見えない。それでも雲ひとつ無い快晴なのは間違いない。日焼け止めは買ってきていなかったが、佐々美の鞄を漁ってみたらあったので、勝手に使って、無くなって、砂浜に捨てたのは内緒。どうせ車に予備があるだろうから、気にしないことにした。タオルを腹に掛け、目を瞑る。パラソルも瞼も通り越して、日光が差してくる。それでもビールを一気飲みしたせいか、前日バイトで夜勤に入っていたせいか、まあ、眠い。眠い時、どうすれば一番いいかをあたしは知っている。
「おやすみ」
 そう、空の上の誰かに呟いた。





 起きたら、やたらと頭が痛かった。体がだるかった。所々黄ばんだ天井が見えた。
「起きた?」
「ん?」
「まだ寝ぼけてますのね」
「んー」
 ぼんやりする頭では状況を理解できないし、しようとする気さえ起きない。おでこに乗せられた佐々美の手がとてもヒンヤリしていて気持ちいい。それだけ分かれば十分な気がした。
「脱水症状に熱中症」
「ん?」
「まったく、人がナンパされて困っている間に呑気に昼寝なんてしているから、そういうことになるのですわ」
「んー」
「今はゆっくりお休みなさい」
「やだ」
「なんで?」
「まだ遊んでない」
「そんなの明日でいいでしょ? 宿泊費は払っておいたから」
「まだ遊んでない」
「だから」
「まだ足りない」
「足りないって、あなたはビール飲んで寝てただけじゃない」
「足りないんだ」
「お酒が? とんだ飲んだくれですわね」
「色々と足りない」
「あっそ。もう一度寝なさい。扇いであげるから」
「……ねる」
 おやすみなさい。耳元で囁く声に意識が流される。まるで催眠術みたいだ。なんとなく佐々美に介抱されているという事実が悔しいので、一言だけ言っておきたかった。
「ばか。あほ」
 二言になった。知らん。寝る。





 目を覚ますと、夕方だった。頭痛はしなかったが、代わりに頭は重くなっていた。隣では、あたしのことを介抱していたはずの佐々美が腹を出して眠りこけていた。蹴っ飛ばした。
「ふおっ!」
「よだれ」
「ふえ? はっ! じゅる」
「ささみ。出かける準備しろ」
「へ?」
「夕日、見に行くぞ。だから、とっとと準備しろ」
 絶対綺麗だ。間違いない。
「はあ。その言葉そっくりそのまま、あなたにお返しいたしますわ」
「なんでじゃ」
「上着ぐらい羽織りなさい」
 まだスクール水着のまんまだった。
 ピンク色の薄手のパーカーを上から羽織り、ホットパンツをそのまま履く。こうすれば、スクール水着も、ただのタンクトップに見えないことも無い。
「財布持ったか?」
「あなたは?」
「カメラ持ったか?」
「一応。で、あなたは財布は?」
「よし。出発」
「さ、財布はっ!?」
 財布財布とうるさい佐々美を無視して部屋を出る。諦めた表情で佐々美も次いで部屋を出てきた。歩いてみるとよく分かるが、やっぱり頭がやたらに重い。漬物石かなんかが乗っかったみたいでぐらぐらする。ていうか、髪が鬱陶しいなぁ。
 佐々美が鍵をフロントに預けている間に、旅館の前のコンビニで買い物をしようと思ったけど、金が無いことに気づいて、結局待った。
「さいふ、遅いぞ」
「気のせいかしら。財布と呼ばれた気がしますわ」
「さいふ、いくぞ」
「ああ、ああ、はいはい」
「コンビニで買いたいものがあったんだが、うっかり財布を忘れてきてしまった」
「うっかりなもんですか」
 グチグチ言いながらも律儀に財布を出す佐々美を見て、金は後で返そうと、素直に思った。コンビニででっかいビニール袋と散髪用の鋏を買った。
「こんなもの何に使いますの?」
 アホだろ。そう言う視線を送っておいた。言葉にせんでも伝わったはずだ。その証拠に、佐々美は地面をダンダン踏みつけていた。こんなもん、使い道は一つじゃないか
「髪、切るんだ」
 いいかげん鬱陶しいわ。





 砂浜に着くと、そこら辺に折りたたみのイスとかが無いか探してみた。流石に夕暮れ時と言うこともあり、真昼間の時間よりかは人が随分と減っていた。これなら注目されんで済むだろう。
 イスが見当たらなかったので、適当な岩を見繕う。ビニール袋に指で穴を開けて、頭からすっぽり被る。中々いい出来じゃないか。鏡が無いのは不安だが、多少バランスが悪くなろうと、あたしは気にしない。
「よし、切れ」
「いや、そんなこと言われましても」
「別に失敗したっていいぞ」
「でも、折角伸ばしているのに」
「髪を伸ばしたのは恭介の趣味を押しつけられただけだ。あたしは本当は短い方が良かった」
「じゃあ、尚更切る訳には」
「いいから、切れ」
「出来ませんわ」
「わかった。貸せ」
 渡しておいた鋏を、佐々美の手からかっぱらう。そのまま、髪を結んでいる辺りをふん掴み、ジョキンと鋏を入れた。唖然とする佐々美に切った毛を渡す。
「いい毛並みだろ」
「ああ、本当に切るなんて」
「後は、適当にそろえてくれ」
「はあ」
 それから、佐々美は無言で作業に取り掛かってくれた。手櫛で髪を触れるのは、気持ちいい。何故か、昔を思い出した。
「いつも、髪は恭介が切ってくれてたんだ」
 あたしの言葉に佐々美はジョキジョキと鋏の音で返事する。
「たまに理樹も切ってくれた」
 ジョキジョキ。
「お返しに切ってやるって言ったら拒否された」
 ジョキジョキ。
「ムカついたから筋肉馬鹿の髪を切って、あたしがうまく切れることを証明してやろうとしたんだが」
 ジョキジョキ。
「見事に失敗した」
 ジョキン。
「今度ささみもお返しに切ってやろう」
「遠慮しますわ」
 そう言って頭をポンポンと叩かれた。
「出来たのか?」
「ええ、一応は。でも、家に帰ったら、一度美容院に行くことをお勧めしますわ」
「ありがとう」
「いえいえ」
 あたしの周りには、たくさんの毛が落ちている。浜辺に大量の髪の毛が落ちているという異様な光景が広がっていた。
「こわいな……」
「そうですわね……」
「埋めておくか」
「そうですわね」
 二人で浜辺の砂をいそいそとかけていく。
「なあ」
「ん?」
「似合ってるか?」
「ええ、結構悪くありませんわ」
「そうか……」
 首のあたりがスースーする。こんなに短くしたのは生まれて初めてかもしれない。生まれた時はハゲか。じゃあ、生まれて二度目だ。
 一通り見えなくなったので、作業を終了する。もう十分だろう。ふう、と一息。ぺたんと座る佐々美。休む暇なんてあるか。
「おい、写真とるぞ」
「はあ?」
「記念撮影だ」
「はあ、まあいいですけど」
「お前も一緒に写るんだ」
「はあ、まあいいですけど」
「あそこのおっさんに撮ってもらえるよう頼んできてくれ」
「自分で行きなさいよ」
「いやじゃ、ボケ」
「はいはい」
 たらたらと歩いていく。気の良さそうなおっさんが、気の良い返事をしてくれているのが遠目にも分かる。
「よろしくお願いします」
「よろしく」
 えい、と佐々美の腕を抱く。いきなりのことに戸惑っている様が面白くて声を出して笑う。
「はいはい、笑ってね。いい笑顔だねー。いくよー」
 笑ってるのか。泣いてるのかもしれない。よく分からない。でも、きっとこれが、あたしの。
「ハイ、チーズ」
 二度目の産声。


[No.901] 2009/01/24(Sat) 00:59:18
来ヶ谷唯湖の悩み事相談室 (No.887への返信 / 1階層) - ひみつ@9137byte@ちこくー

 野球の練習を終えて部室へ道具の片付けに。僕は一人でその片付けを終えて寮の部屋へと戻った。
 だけど……部屋に入った先で、筋トレをしていた友人が目に入る。そこまではいつものこと。でも、動きが不気味になっていた。
「おう、理樹いま帰ったか」
「あ、うん。ただいま」
 僕はそんな返事をしながらも部屋へと踏み込む。そして、真人がいましていることを観察。
「んっ、なんだ理樹。そんなにオレの筋トレ姿がかっこいいか?視線に出てるぜ」
 そんなものを僕は見てない、と口に出そうと思ったけど心にとどめておく。
 そして一目見てわかったこと。筋トレをしながら勉強をしている。真人がこんな器用な真似をするなんて信じられなかった……。
 だから、その疑問をすぐに解決しようとする。
「なんで真人は、そんなことやってるの?」
「これか?聞きたいのか理樹、おまえもやりたくなっちまうぞ?」
「もったいぶらないでいいからさ」
「そうか、教えて欲しいのか……なら教えてやろう」
 真人はこっちを向いて喋ってはいるが、いまだ筋トレと勉強を続行中。
「筋トレやりながら勉強をすれば両方の効率が上がるって教えてもらった。今はそれを実践中だ」
 教えてくれた相手が誰なのかはあえて聞かないことにしとこう。なんか予想がつく。
「ということで理樹っ、一緒にやろうぜ!」
「僕はやりたくない。以上」
 夕飯食べて寝よう。

 翌日。廊下を歩いていてふと、掲示板に知り合いの名が書かれた張り紙を見つけた。その正体は――



  『来ヶ谷唯湖の悩み事相談室』



 来ヶ谷さん、なにをしてるんだろう……。
 近づいて、その紙に書かれている内容に目を通す。
『諸君らが最近気にしていること、もっとこうなりたいことなど、悩んでいることがあったら私へ相談しろ。私が容赦なく解決してやる』
 あぁ、昨日の真人も来ヶ谷さんの被害者だったのかな……、と思った。
 主に放課後、野球の練習が終わった後に活動している。また、張り紙の最後には『可愛い娘大歓迎』と付け足されていた。
 なんか気になるから放課後、行ってみようかな………。

 教室へと入ってクラスを見渡す。だけど、いつもは無い物がいくつも机の上に置いてあった。もちろん、僕の机とて例外ではなかった。
 机の上に置かれているそれを確認するため、真人、鈴、謙吾と一緒に席へと向かう。
 向かった先では、鈴が真っ先に声を上げた。
「あっ、これは見覚えがあるぞ!」
「どうした、鈴」
 謙吾が訊いて、鈴が指差す。その先は鈴の机の上。僕もそれを確認する。
「これは前に、こまりちゃんから貰ったお菓子だ」
 教室のいたるところに点在するものは鈴の言う通り、お菓子みたいだった。
 そして、その時。計ったかのように小毬さんが現れる。
「みんな〜、おはよ〜」
 ニコニコ笑顔は健在。変わらぬ調子で話しかけてくる。
「おい神北、これはお前がやったのか?」
 真人は教室全体を見渡して訊く。
「うん、私がやったよ」
 笑顔。その笑顔で今の台詞を繰り返されたら怖いかも……なんて思った。
「どうしてだ?」
「みんなにもっと幸せになってほしいから、かな?」
 なんでここで疑問符がついてしまうのかが疑問だった。
 その後。真人と謙吾は席に着いてしまったし、鈴と小毬さんは話を始めた。僕も席に着こうと思ったとき。

 がらがらっ――
 後ろでドアが勢い良く開き、なんだろうと思って確認しようとしたのも束の間。そこから出てきた人は僕の後ろに隠れた。
「ゼぇ…はぁ…ゼぇ…はぁ…。り、理樹くんちょっとここで隠れさせて……」
 その人は息切れしている。葉留佳さんだとすぐ分かった。
「な、なんで?」
「この世全ての悪が私を追いかけてきたんですヨ……」
「誰のこと?」
「多分もうすぐくる……あ、それとね、私の居場所を聞かれても『僕の後ろなんかにはいないよ』って答えてほしいんですヨ!」
 その言葉を言い終えた瞬間。目の前のドアが開き、葉留佳さんを追って来たその人物がいた。その人は教室を見渡し、僕を見た。
「いない……みたいね」
 その人は僕に話しかけることもなく、ドアを閉めて去って行ってしまった。
「もう行ったよ」
 それを聞いた葉留佳さんは、僕の背後から出てきた。
 あとそうだ。いちおう、このことは訊いておこうと思う。
「なんで二木さんに追われてるの?」
「なんかさ、ちょっと前から私に異常なほどベッタリしてくるようになったんだ」
「へぇ……」
 としか言えなかった。
「最初はまぁ、いいかなぁぐらいに思ってたんだけどさ、途中からなんか怖くなってきて……それからは毎日逃亡生活ですヨ」
「大変だね」
「大変ですヨ」
 会話を繰り返してたら突然、ふっ、と僕達の傍を影が通過した。その時、声が聞こえてきた。
「少々、やりすぎてしまったようです……」
 周りを見渡すと、僕と葉留佳さん以外いなかった。そして、聞こえた声は西園さんの声にしか思えなかった。その肝心の西園さんの姿は見えない。ふっ、という音も西園さんが出していたような気がする。

 そして、その後すぐに葉留佳さんは二木さんに捕まっていた。いつのまにか教室へと忍び込んでいたらしい。
 葉留佳さんが捕まった時の会話はこんな感じだったかな、と思い出してみる。
『……葉留佳、私と仲良くはなりたくないの?』
『いや……まあそんなんじゃないんですけどぉ………』
『まだ私の愛が足りてないと言うのね。分かったわ、これからもっと―――』
 十分仲の良い姉妹だと、このやりとりを見て勝手に思った。

 そのまま、野球練習後へと時間は経った……。

 僕はまず片付けを終えようと残った道具を整理していた。その僕の元へとクドがやってきた。
「リキ、おつかれさまです」
「うん、おつかれさま」
「ちょっとですね、すぴーくしたいことがあるんです」
 クドの言葉に少しだけ、僕は戸惑ってしまった。言葉の意味ではない。クドが、迷わずに英語で話してるとこに戸惑った。
「え、えーっと話したいことって?」
「はい、へるぷしていんにーどおぶなのです」
 言葉の意味を理解するのに、少し時間がかかる。
「助けて欲しいってことかな?」
「いえすっ、そうなのです」

 クドの助けて欲しい、って内容は『ヴェルカがごーあうとしてしまったのでるっくふぉーしていんにーどおぶなのです』と言うことだった。
 そして、たまに戸惑っている僕を見てクドは『こんでぃしょんがでぃふぃかるとなのですか?』とも訊かれた。その時、なんて返したかは覚えてない。
 ずっとこんな調子のクドには、慣れないままだった。簡単に言えば聞き取りにくかった。……でも無事に見つかったヴェルカを見てまあ、いいか。なんて思った。

 その後は、朝に感じた疑問を解決するべく来ヶ谷さんがいるとこへと向かう。そこには、すでにテーブルがひとつと、イスがふたつ、用意されていた。
 僕はそのままひとつのイスに座る。そして、しばらく経つと来ヶ谷さんがどこからともなく現れた。
「少年だったか」
「うん、僕だよ」
 来ヶ谷さんはテーブルを挟んで僕の向かい側のイスに座った。
「ここに来たということは、悩み事でもあるのか」
「まあ……一応」
「では、私に話してくれ。すぐに解決が出来るだろう」
「じゃあ、なんで来ヶ谷さんはこんなことしてるかに悩んでるんだ」
「……面白い悩み事だな、少年」
 来ヶ谷さんは笑っていた。
「そうかな?」
 僕のそんな疑問にそうだ、と簡単に来ヶ谷さんは答えていた。
「それじゃあ、なぜこんなことをしているか答えてやろう」
 来ヶ谷さんは一息ついた。
「純粋に私は人々が抱える悩み事というのを知りたかった。感情を知る普通の人はどんな悩みを持ち、どんな事に興味を持つのか、それを知りたかっただけだ。それだけだ」
 それ以上、待っても続きは出てこなかった。
「それだけ?」
「もちろんだ」
 来ヶ谷さんはまた笑っていた。
「じゃあ、もうひとついい?」
「別にいいが」
「えっとね、今日までにどんな悩みが寄せられたの?」
「……それは基本企業秘密だが、少年なら構わないか」
 来ヶ谷さんは、少し考えた素振りを見せてすぐに話し始めた。
「最近やって来た悩みなら、『どうすればこれ以上効率よく筋トレできるか教えてくれ』という悩みだったな」
 ……真人だ。
「次は『もっとみんなに幸せをわけるにはどうすればいいのかな?』という悩みだ」
 ……小毬さんだ。
「その次は『妹ともう少し仲良くなるにはどうすればいいんですか?』という悩みだ。このときは私と一緒にこの悩みに答えてくれた人がいた」
 ……もう何も言うまい。
「そして、次は『英語を簡単に使用出来る方法はないのですか?』という悩みも来たな。ある本を渡しただけで喜んで帰った」
 ……。
「ついさっきは、『リトルバスターズジャンパーを普及させたいがどうすればいい?』という悩みもやってきた」
 ああ、リトルバスターズ。どうなっていく……。
「そして、最後はつい最近ではないが面白い悩みも来た」
「どんな……?」
「そうだな、『地下迷宮の仕掛けを簡単に解いてくれるパートナーが欲しい』だったかな……」
 面白い、というよりかは不思議な悩みだ。
「その時、来ヶ谷さんはなんて答えたの?」
「その時か……。その時は冗談だと思ってここは結婚相談所ではないぞ、とだけ答えた。それを言った後その生徒は笑いながら去っていった。でもそれが冗談ではないとすれば、地下迷宮というものがあり、そこに行けば楽しくなりそうだとは思わないかね?」
「うーん……僕にはよくわかんないかな」
「そうか。とりあえず今日はここでおしまいだ。私は片付けをするから少年は先に帰った方が良い」
「うん、ありがと来ヶ谷さん」
 僕はそれを言い残して寮へ戻った。

 寮へ戻る途中。女子寮の前で小毬さんを見かけた。だけど僕はその小毬さんが、赤と青の色が目立つ物を着ているように見えて、不思議に思った。
 僕の見間違いだったかな、と思い直して寮へ戻ることにした。

 その後はもう部屋へと着いた。
 なにも起こらないようにと思って部屋に入ること自体が間違っていたのかな。
 部屋へと入ると、筋トレしながら勉強している真人がいた。そこまでは昨日と同じだった。着ている服以外は。
「おう、理樹。今帰ったか」
 筋トレと勉強をしながらこっちを向いて話しかけてきた。不気味だった。
 夕飯を食べよう。
「おっ、おい。理樹、どこにいくんだよっ」
 後ろからの声なんて無視した。

 次は学食へと移動。そこで出会ったのはクド。
「リキ、いぶにんぐみーるをとぅぎゃざーしましょうっ!あざーのみなさんもいますよ」
 クドの声がした方へ向き直ったら、赤と青と白の服が目に入った。
「う、うん……」
 メニューを注文してクドに連れられるまま席へ。そこにいたのは、鈴、小毬さん、葉留佳さん、西園さん。その全員が同じ物を着けていた。
 学食を見渡すと、所々に赤と青い服が見える。


 そこで僕は叫ぼうとしたとき。

 目の前は真っ暗になった。そして、僕は倒れた。

 意識は、消えた。


―――

「次は気をつけろ、謙吾」
「あ、あぁ…すまん……」

「理樹、次は頼むぞ……」


[No.903] 2009/01/24(Sat) 17:04:15
MVPとか次回とか (No.889への返信 / 2階層) - 主催

 MVPは山鳥さんの『砂浜のこちらがわ』でした。おめでとうございます!


 次回 お題『病』
 2/6 金 締切
 2/7 土 感想会


[No.904] 2009/01/25(Sun) 01:33:44
始まりの日(一字修正) (No.899への返信 / 2階層) - Foolis

 秋も深まる10月の終わり。実家に戻って二ヶ月がたっていた。部屋の外で鈴虫が鳴いている。
 実家には嫌な思い出しかないけれど、窓から聞こえてくる、鈴虫の鳴き声が私は好きだった。鈴虫の鳴き声を聞きながら、私は携帯電話の待ち受け画面を眺める。
 画面の中で葉留佳と直枝が微笑んでいた。こうしてみると、本当にお似合いの二人に見えた。画面の中の二人は、本当に――幸せそうだ。だからこそ、私の選択が間違っていなかった、と思う。
 そんなことを考えていると、誰かが近づいてくる足音が聞こえた。私は急いで携帯電話を隠すと、叔父がいきなり、部屋に入ってきた。いつものことなので、腹もたたない。
「佳奈多、まだおきていたのか――今、何時だと思っている?」
 時計をみると、午後11時だった。いつもの私の生活から考えると、まったく遅い時間ではない。大体、昔はこんなときに寝かせてもらったことなんて、ない。それどころか寝ていたら、たたき起こされたじゃないか。そう心の中で毒づいて、私は叔父にこう、答える。
「すみません、叔父様。明日のことを思うと緊張してしまって」
 そう、答えると、私の答えが気に入らないのか、顔をゆがませた。
「……結婚前で緊張するのはわかるが、明日はお前の人生で一番重要な日だ。早く寝なさい」
 それだけ告げると、叔父がさっていた。さすがに結婚前だからか、もう、竹刀でたたいたり、暴力を振るうことはなかった。

 結婚。

 もう明日だというのに、実感がまるでなかった。
 だからといって、不幸だとは思わなかった。ずっと前から決まっていたことであるし、それに――。
 もう一度、私は二人の写真をみた。――見事なまでに、最高の、終わりを私は迎えることが、出来たのだから。


 私はここ数ヶ月のことを思い出す。
 葉留佳との、数年越しの和解して。直枝が寮会にはいってきて。直枝――私の初恋の人――からの「二木さんが、好きなんだ」と告白されて。
 直枝と二人ですごす、恋人としての時間、直枝と葉留佳と三人で過ごす時間はとても楽しかった。
 どちらとも私にとって、重要な時間だった。
 そして。
 私は部屋の電気を消し、もう一度携帯電話を開く。直枝と葉留佳が、相変わらずの笑顔で写っていた。
 ――この結末。
 最高の終わりだ、と思う
 私と別れたら、葉留佳と付き合ってくれたらうれしい、そうおもったことは何度もあったけど、まさか、本当にそうなるとは思わなかった。何も事情を知らない第三者がこのことをしったら、直枝をせめるかもしれないけれど、このことに関して、直枝が悪いはずがない。……すべて、私のせいだから。
 いや、この言い方は葉留佳にすごく失礼だ。葉留佳と直枝、二人がんばってこの光景があるのだろうから。


 私はそんなことを考えながら――私が直枝と葉留佳と最後に一緒にすごした、夏休み最後の日のことを思い出していった。



”始まりの日”


 空は雲ひとつない快晴の夏休み最後の日、私は直枝と葉留佳、二人と一緒に最近オープンした遊園地である、デウスガーデンに来ていた。
「BOOKといえば本、THE BOOKといえば聖書。AMUSEMENT PARKといえば遊園地、THE AMUSEMENT PARKといえばデウスガーデン!」
「葉留佳、あんまり騒ぐのはやめなさい、みっともないわよ」
「夏休み最後の日なんだからこのくらいさせてくださいヨ」
 遊園地につくなり、騒ぐ葉留佳に私と直枝は苦笑する。周りの人間も何事か、という感じで葉留佳のことをみていた。もっとも当人は気にしていないのだけれど。
「葉留佳さんも昨日までがんばっていたんだからさ、これくらいいいんじゃない?」
「確かに葉留佳はがんばったとは思うけど……けど、元々は自業自得よ?」
「まぁそうだけどさ」
 葉留佳はバス事故での入院から退院したあと、夏休みがうれしくてずっと遊んでいて、宿題をほとんど何もやっておらず、私と直枝になきついてきたのである。
 葉留佳は宿題を写させてもらう気満々だったみたいだけど、泣きついてからの日々、直枝と私の二人が勉強を教えていた。直枝と私は寮会の仕事があるとはいえ、私は風紀委員をやめたおかげでそのための時間もたっぷり取れた。葉留佳は「鬼〜、悪魔〜、鬼畜〜、人でなし〜」といいながら泣いていたけど。そんな日々もなんとか昨日で終わり、私たちはここ、デウスガーデンに遊びにきた、というわけである。
「そういえば、遊園地って久しぶりだなぁ」
 感慨深く、直枝がつぶやいた。
「二木さんは?」
「私たちは、初めて」
 直枝はそう答える私にちょっと驚いて、私たちの家庭の事情に思い至ったのだろう、すぐにしまった、という顔をした。
「ごめん、無神経なこと、聞いて」
「いいわよ、気にしていない」
「でも、ごめん」
 本当に申し訳なさそうに、直枝がもう一度謝った。
「本当に気にしていないから、せっかくだから、楽しみましょう、時間は有限なんだから」
 ――本当に、有限なんだから。
「うん、そうだね、今日は楽しもう、二木さん」
 そういう直枝は、笑顔だった。




「まずはあれに乗りましょうヨ」
 園内に入り、葉留佳がまず指差したのはジェットコースターだった。入口で渡されたパンフレットをみると、高さ700メートル、長さ26キロメートルというジェットコースターで世界一のジェットコースターらしい。直枝がいうには普通の遊園地にはありえないくらいのジェットコースターらしい。
 ジェットコースターの場所につくと大量の人がならんでおり、私たちもそれに続くことにした。
「そういえば理樹君とお姉ちゃん、どこまでいっているんですカ?」
 並ぶなり、葉留佳が唐突にそう聞いてきた。
「A?B?それとも、C?」
「A、B、Cって言い方は、ちょっと古くない?葉留佳さん?」
 そんなことをいう葉留佳に直枝があきれたようにいう。
「じゃあ、キス?それとも、ペ……」
「だからって言い直さないでよ!」
 A、B、Cをいい直そうとする葉留佳に直枝がつっこんだ。
「にゃは♪」
「葉留佳、少しは場所を考えて発言しなさい」
 私がそういってもケロリ、とした顔で今度は直枝にだけ質問した。直枝のほうが与しやすい、と思ったのでしょうね。
「で、どこまでいったのですかネ?」
「どこまでって…」
 直枝が私のほうを見てきた。私は無言で直枝のほうをみる。
「手をつなぐくらい?」
 小学生でもあるまいし、その答えは何よ、と思わないでもないけど、本当のことをいわれるよりずっとましだ。そう思っていると、葉留佳がにやり、と微笑んだ。
「整備委員会を甘く見ていますネ、理樹君?」
「え……?」
「実は学園にはわが整備委員会が仕掛けた隠しカメラが学校での理樹君の行動を逐一…」
「それ絶対嘘だよね?」
 直枝があきれたようにいう。
「ふ、ふ、ふ、はるちんを甘く見てますネ?理樹君がそう思うのも無理はないですケド、実は有るんですヨ。私の手元にはベッドの上にお姉ちゃんを押し倒す理樹君の姿とお姉ちゃんの痴態をおさめた映像が…」
「え?え?」
 葉留佳のその言葉に直枝の顔が見る見る真っ赤になっていく。
 その様子に私は戸惑う。直枝が気づくよう必死にめくばせするが、直枝はすっかりあせってしまい、まったく気づく様子はない。
 きっと葉留佳の顔がさらに笑ったことにも気づいていないだろう。
「それにしてもびっくりですヨ。まさか保健室でお姉ちゃんを襲うなんて」
「ほ、ほんとに撮ってたの?――ってか、みてたの!?」
 その言葉に私は頭を抱えた。
「うわぁ、ほんとに保健室なんかでやっちゃったんデスか、理樹君とお姉ちゃん」
「え?……あ」
 そこでようやく、葉留佳がカマをかけたのに気づいたらしい。
「ふざけていったのに理樹君の反応がおかしかったから追及したんだけど、まさかこんなことがわかるなんて思いませんでしたヨ♪」
 葉留佳は笑顔でそういって直枝は頭を抱えていた。
「学園にベッドのあるところといえば、保健室くらいしかないですからネ。……風紀委員、失格ですネ、お姉ちゃん」
「風紀委員じゃないからいいのよ…」
 なんとかそれだけを葉留佳に返す。
「直枝……」
 そういって、私は直枝の顔をにらんだ。
「ごめん、二木さん」
 直枝が頭を下げる。
「まったく。どうしたの、いつものあなただったら、葉留佳のわるふざけって気づくでしょうに」
 いつもの直枝だったら、「学校にベッドなんて、ないでしょ!」とかいいそうだ。そして葉留佳が「保健室にはありますヨ?」とかいって、話をうやむやにするくらい直枝は出来そうなものなのに。――いくら状況が初めての情事のときと酷似していたとはいえ。
 ちょっと直枝を買い被っていたかもしれない、そんなことを思った。
「ごめん、昨日、寝不足で疲れてて」
 そこまでいって、直枝がしまった、という顔をした。
「……あれ?昨日の勉強って7時におわって、その場で解散したんじゃなかったんでしたっけ」
 葉留佳が不思議そうに言った直後、すぐに理由に思い至ったらしく、葉留佳がにやり、と微笑んだ。
「昨夜はお楽しみでしたネ?」
「直枝……?」
 ――本当に、買い被っていたみたいだ。
 私が直枝をにらむと、直枝は、さらにうなだれた。――もっとも、それで直枝への好意が変わることはないけれど。
「いや〜、しかしそこまでいっているんじゃ、さすがに私、今日お邪魔虫な気がしてきましたヨ」
「そんなことないわよ、ねえ直枝?」
 本当に、そんなことはない。 葉留佳とできる限り一緒にいたいんだから。
 直枝は、まだうなだれつつ、いった。
「まぁ二人ですごしたかったら、まぁ改めてデートに誘えばいいだけだから」
「やけますね〜お二人さん」
 そういって葉留佳がはやし立てる。



 ――本当は、今日で最後なんだけどね。


 そんなことを話していると、私たちの順番がまわってきた。
 ジェットコースターにのる。最初に一番高いところまでいくらしく、ぐんぐんと上がっていった。
「ねぇ、直枝」
 私の隣に座っている、直枝の顔が青ざめているようにみえたのは気のせいではないだろう。
「……700メートルって長いわね?」
「う……うん」
 いまさらながら本当に理解した。いかに酷い乗り物に乗ってしまったのか。
「なんか私、降りたくなってきたわ…」
「僕も…」
 そんな私たちとは対照に葉留佳は「イケイケゴーゴーはるちん号♪」と叫んでいる。本来ならさっきみたいに注意するところだけど、注意する元気すら、ない。
 最高点にたっして……。その後のことは、覚えていない。
 ただ、すべてがおわったとき、「いや〜楽しかったですネ」と葉留佳一人が元気で、直枝と私二人はその場に倒れこんだ。もっともほかの乗客も同じようで、元気なのは葉留佳一人だった。


 それからいろいろな乗り物にのったり、食事したりして時間が過ぎて、もう夕方5時くらいになっていた。
「最後はあれに乗りましょう」
 そういって葉留佳が指差したのは観覧車。直径が1000メートルもある巨大なものだ。これもまた、世界一らしい。
「やっぱり最後は二人っきりがいいですかネ?」
 葉留佳がそういう。
「30分も一人でいたら退屈でしょう?遠慮しないでいいのよ、葉留佳……直枝もいいわよね?」
「うん」
 笑顔で直枝はそう答えた。
「……では、お言葉に甘えまして」
 私たちは3人そろっていっしょに乗ることにした。
「人がゴミのようだ、とはこのことですネ〜」
 下を見ると、ぐんぐんと地上を離れていき、下にあるものがだんだんと小さくなっていく。
「楽しかったね、二木さん、葉留佳さん」
 直枝がそういうと、葉留佳と私がうなづいた。
「また、こようね」
 そう、直枝がいった。
「ええ、またきましょう、お姉ちゃん」
「……そうね」
 私はただ、そう返事を返す。
 それから、今日あったことをいろいろ話して、話題が一段落したときに、ふと、葉留佳がつぶやいた。
「そういえば、どうして未だにお互い、苗字で呼んでいるんです?」



 ――そこで、目が覚めた。いつの間にか眠っていたみたいだ。外はもう、明るくなりはじめていた
 夢の続きを思い出す。たしか、直枝は、「なんとなく」と答えたっけ。そして、私は、「直枝っていうのになれちゃってね」って答えたんだっけ。
 だけど、本当の、理由は。
「直枝にこれ以上、近づきたくなかったから」
 これが、本当のことだ。”理樹”と直枝のことを名前で呼んでしまったら、もう、元に戻れなくなる、と思った。”理樹”と名前で呼ぶ練習をしたとき、”理樹 ”というだけで、胸の中がほわってなって、幸せに包まれて、どうしようもなくなって、みもだえて、クドリャフカに「どこか、悪いところがあるのですか?」と心配される、なんてことがあったのだから。

 遊園地から寮に戻ると、クドリャフカが食事にいっているときを狙って、私は実家に戻った。
 ”さようなら、実家に戻ります、もうもどりません”とだけ書いた手紙を残して。
「今思えば、最低な、女ね……」
 自分も人並みの恋がしたい。そう望んで、別れることが前提で直枝とつきあいはじめて、一方的に別れもいわずに去っていく。
 当時はわからなけれど、自分のことしか頭になくて、考えなかったけど……本当に――本当に、最低な女だったと思う。
 直枝には、本当に、悪いことをしてしまった。
 

 実家に戻ってから、実家では花嫁修業、と称されていろいろなことをさらに叩き込まれた。
 また、体の傷を少しでも隠すために手術も受けた。
 携帯には毎日のように葉留佳から批判のメールがきた。直枝からは、こない。彼には電話番号も、メールアドレスも教えていなかったから。
『どうしていきなり実家に帰ったのか』
『どうして何も、誰にも言わなかったのか』
 そんな文面が毎日のように送られてきた。そんな文面を私は無視した。私が学園を去れば、葉留佳が自由になれる。そのことはもう、葉留佳の両親の耳にもはいっているはずだから。
 だけど、ただ、一度だけ、返信を返したことがあった。
 そのときのメールには、こう、書かれていた。
『そんなことじゃ、私が理樹君をとっちゃうよ?』
 そのメールに、私は『がんばんなさいよ』と返すと、『お姉ちゃんの馬鹿っ』とだけかかれたメールが帰ってきた。
 
 それから、しばらくメールがこなくなった。再びメールがきたのは、一ヶ月くらいたった、誕生日の10月13日。
 メールには『仲直りしたい』という一文に、直枝と、葉留佳が笑っている写真が添付してあった。
 そのメールをみたとき、一瞬だけど、しかし確かに湧き上がった感情を――私が最低だと、これ上なく証明する感情を、私はきっと一生忘れないだろう。
「最低ね……、ほんと」

 それだけ呟いて、私は急いで準備を始めた。


 大勢の人たちに連れられ、私はあの町に戻る。なんの因果か、結婚式は私たちの学園の近くだった。私はウェディングドレスに着替え、化粧をし、待合室にいく。
 そこにおもいもかけない人物にあった。
「よう二木、なかなかきれいだな」


         ☆      ☆      ☆
 今、私は直枝と葉留佳と青空の下、一緒にいた。
 さっきまでのことが信じられなかった。
 結婚式の会場から、葉留佳や直枝たちに連れ出されたかと思うと、駆け落ちの計画を聞かされた。
 夢だと疑うことすらできない光景が、今、繰り広げられていた。
「本当に、信じられない」
 思わず、そうつぶやき、葉留佳と直枝のほうを見た。
 写真と同じように、ほほ笑んでいた。実際にみるのは初めてだけど、本当に幸せそうだった。そして、本当にすごい二人だと思った。
 あんなことをした、私を助けにきてくれたのだから。
 やっぱり、この二人は本当にお似合いだ。そんなことを考えながら、私は二人のことを聞いてみようと思った。そのくらいの権利くらいはあると思ったから。
「……そういえば、あなたたちは、いつから付き合い始めたの?」
 この質問に、直枝の顔が驚いていた。
「……え?」
「だって、あなたたち、付き合っているんでしょ?」
「付き合ってなんかないけど?」
 さらり、と直枝が答える。え?だって…。
 直枝は何を言っているのだろう?――ひょっとして、葉留佳と付き合い始めたことを気に病んでいるのだろうか。
 だとしたら、本当に直枝は馬鹿だ。あんなことをしてしまった私を気にする必要なんて全くないのだから。
 それに、ちゃんと証拠は握っている。
 私は直枝に葉留佳から送られてきたメールをみせようと携帯電話を開いた。『仲直りしたい』という一文に、直枝と、葉留佳が笑っている写真が添付してあるメールを。
 ほら、このメールをみれば、葉留佳と直枝がつきあっていることが……
 ・・・・・・つきあって、いること、が?
 そこまで考えて、もう一度、メールをみる。
『仲直りしたい』という一文に、『直枝と、葉留佳が笑っている』写真が添付してあるメールを。
 もういちど、メールを見た。
『仲直りしたい』という一文に、『直枝と、葉留佳が笑っている』写真が添付してあるメールを。








――――――――え?
 私はおもわず葉留佳の方をみた。笑いを思いっきりこらえているのがよくわかった。
 間違いなく、確信的、犯行だ。
「は、は、は、はる、はる」
 あまりのことに、言葉が続かない。やられた――葉留佳に見事にだまされた。
 そんなことを考えていると、葉留佳がちかづいてきて、耳打ちをする。
(今度、こんなことをやったら、本当に、私が理樹君をとっちゃいますヨ?)
 ……って、ことは直枝は。
「なお、え?、葉留佳とつきあっていないの?」
 確認するように直枝に聞いた。
「だからどうして、そうおもったのさ?――僕は、二木さんの彼氏なのに」
 なんの迷いもなく、直枝はそう答えた。
「直枝、私がなにをしたのか、知っているの?私は――あなたに酷いことを本当にたくさんしたのに」
 別れることが前提で直枝と付き合い始めて、何もいわずに直枝から離れて、とつづけていく私の唇を直枝は人差し指でふさいだ。
「確かに、ひどいことを、二木さんはしたのかもしれないけれど、僕は、二木さんが好きだから」
 そういう直枝には一点の曇りさえ、なかった。
「直枝、あなたは、ほんとうに、ほんとうに」
 ふと、自分が泣いていることにきづいた。でも、私はぬぐうこともせず、言葉をつなげた。
「大馬鹿よっ」
 そういって、直枝にだきついた。


[No.906] 2009/01/25(Sun) 05:24:59
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