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all 第28回リトバス草SS大会 - 主催 - 2009/03/05(Thu) 21:13:05 [No.2]
しめきった! - 主催 - 2009/03/07(Sat) 00:29:17 [No.14]
[削除] - - 2009/03/07(Sat) 00:20:34 [No.13]
ずっといっしょ - ひみつ@10179 byte - 2009/03/07(Sat) 00:14:56 [No.12]
彼にお弁当を作るまで - ひみつ@10893 byte - 2009/03/07(Sat) 00:10:45 [No.11]
尻を隠さず頭を隠す - ひみつ@10632 byte - 2009/03/06(Fri) 23:12:12 [No.10]
ゆげゆげ - ひみつ@17766 byte - 2009/03/06(Fri) 21:09:46 [No.9]
あをのレンズ - ひみつ@13557 byte - 2009/03/06(Fri) 19:19:58 [No.8]
解説 - 火鳥@作者 - 2009/03/08(Sun) 04:34:12 [No.20]
実像と虚像 - ひみつ@11128 byte - 2009/03/06(Fri) 19:13:30 [No.7]
ラブレターに花を添えて - ひみつ@ 8635 byte - 2009/03/06(Fri) 18:57:20 [No.6]
いつかの夜 - ひみつ@3221 byte - 2009/03/06(Fri) 14:26:25 [No.5]
地雷原の歩き方 - ひみつ@20100byte - 2009/03/05(Thu) 21:40:14 [No.4]


尻を隠さず頭を隠す (No.2 への返信) - ひみつ@10632 byte

 鍋の淵を見よ!
 細切りにされたピーマンとタケノコが手と手を繋ぎ、牛モモ肉と軽やかにラインダンスを踊っている姿に人々は魅了されるだろう。油という名のナイトドレスを纏うその艶やかさときたらどうだ。百万の紳士淑女をもってして、これに勝るものはあるまい。緩やかな曲線を描く鍋肌を柔肌で撫でるように滑り、手を伸ばせば瞬く間に宙空へと逃れる。だがそれも一時のもの、瞬きの間に戻り再びその姿を露にするのである。
 踊っている。正しく踊っている。なんと素晴らしい事か。
 だが、勘違いしてはならない。この場で手を叩き、イリュージョンに匹敵する舞踏を見せる彼女らを褒め称えるのは容易いだろう。誰もが当然のようにそうしたいと感じるはずだ。それでも忘れてはならない。今この瞬間、心奪われる舞台を演出している者が居る事を。
 笹瀬川佐々美がそこに居た。コンロを前に、如何程にも怖れる事無く荒れ狂う火に立ち向かっていた。否、それは最早、火という一文字によって矮小に描かれるべきものではない。獄炎と評してもなんら瑕疵なきものである。
 額と襟元に巻いた布には彼女が吐き出した汗が染み込み、その度に気化している。それほどの熱が彼女を覆っているのだ。並みのものならば数秒ともたず倒れるだろう。それは自然な事であり、同時に余りにも情けない。そう、この極致こそが真なるものなのである。
「フッ―――ハアアッ!」
 鍋を振るっていた佐々美の腕が残像を描いた。
 速過ぎる。神域を侵すその動作は人の目に映るようなものではない。行為自体はさして特別ではないのだ。ピーマンの食感を失う前に鍋から放し皿に移す。誰もが当然の事と受け入れている事でしかない。ただし、それを彼女は鍋を振るう勢いを殺さぬまま、投げるようにして一動作で終らせたのだ。
 完璧なまでに慣性を支配している。その支配力は何も力量に限った話ではない。佐々美は間違いなく、この厨房という名の戦場を掌握していた。そこにある火、器具、そして食材までも彼女にひれ伏している。彼女が演出するままに踊り、そして盛られるのだ。
 例えば今のピーマンとタケノコと牛の炒め物、チンジャオロースにしてもただ手早く火を通しただけではない。実はこの時点では、料理は未完成なのだ。考えても見て欲しい、出来上がったばかりの料理を口にする機会がどれだけあるだろう? つまみ食いでもなければ、普通は全ての品が出来上がり、皆が集まり、頂きますと号令を待ってから口にするものではないだろうか。その間には数分から十分程度の空白があるだろう。
 鍋で熱せられた食材は自身の身体に確かな温もりを保存している。即ち、余熱である。
 余熱は僅かな数分で完璧な料理を破壊してしまう。ピーマンの食感が失われたチンジャオロースなど―――塵! 食う価値無し! 犬の餌にもならぬ! 
 であればこそ、考えなければならないのだ。何時食べるのかを。それを計算し、余熱による調理も含めて仕上げなければならない。佐々美はそれを理解していた。彼女こそこの場の指揮者であり、演出家であり脚本家であり支配者なのだった。
 当然、そんな彼女に休息は訪れない。一つの舞台を仕上げようとも、次なる戦場が待ち受けている。
「さぁ、ここからが本番ですわ」
 汗を拭いながら、佐々美は自分に言い聞かせた。彼女を襲っているのは肉体的な疲労ではない。腕がどうにも震えるのも、呼吸が落ち着かないのも全ては精神的なもの、緊張感故である。失敗は許されない。許されてしまう事が、彼女には我慢できない。責任も罰も自分こそが負わなければならない。
 閉じられた瞼の裏に映る、愛する人の笑顔。「美味しいよ」という一言は彼女の身体中に広がっては細胞の一片までも染み渡り、麻薬にも勝る恍惚へと誘うのである。であればこそ、万が一にも、まして己の失態によって太陽の輝きを曇らせる事があってはならない。
「全てを……わたくしの持てる全てを、この命の輝きを、今こそ賭けましょう!」
 その時、佐々美が行っていたのは特殊な呼吸法だった。脱力するように身体を傾け息を吐く。体内に蓄積された陰の気を吐き出し、替わりに大気に満ちる陽の気を吸い込む。健気な胸を一杯まで張り、循環する。それを三度。
 中華料理の基本は火力。炎を支配する者こそ、中華料理を制する。
 そして基礎にして真髄こそがチャーハン。シンプルであり容易だからこそ何処にでもあり誰にでも愛されるこの料理は、しかし決してそのような単純なものではない。誰にでも作る事が出来るようなものではないのだ。読者諸兄も覚えがあるだろう、あの湿気に満ちた泥のような米粒の塊。べたつき、粘りばかりが支配する悪夢のような食感。あるいは無闇にぱさつき料理としての纏まりをブラックホールに投げ捨ててしまったかのような、焼いた飯の数々に。
 あのようなものがチャーハンだなどと、例え何千何万の軍団が眼前に立ち塞がり数多の銃口を額に押し付けられようとも、況や今この時私の前に神が舞い降り使徒達と共にそれを貪り食いながら「こここそが天国である」と宣誓されようとも、決して、断じて認められぬ!
 佐々美が作り上げようとしているものこそ、真のチャーハンなのだ。
「まずは油を温め、タイミングを見誤らず溶き卵を入れます!」
 油の温度は高すぎれば卵が瞬く間に焦げてしまうし、低すぎれば油漬け煎り卵の出来上がりだ。どちらも食えたものではない。
「更に卵が半熟になったらすかさず冷や飯を入れて混ぜる!」
 彼女の腕によって重い鉄鍋が持ち上がり、卵と飯が次々に相手を変えながら踊り狂う様が見えた。飯は潰せば糊となる。強引におたまでかき乱せば瞬く間に潰れ、でん粉が張り付いてしまう。
 混ぜるのではなく、解す。あたかもルービックキューブのように一手一手、米粒を解し卵と油を纏わせるのである。それは時間をかければ凡夫にも容易き事。しかし、生ける炎を前にして人の身に猶予などあり得ない。迅速、神速をもってこそ至る細き道であった。
 それを佐々美は悠々と越えていく姿に驚愕してしまうのは致し方ない事だ。如何にして、彼女はこれ程の技術を習得したのか、興味は尽きないが今それを問いかけるのは、余りにも無礼な行為だった。
「ハッ、ハッ……細かく切ったチャーシュー! ハッ、ハッ……みじん切りのネギ!」
 佐々美の腕は刹那さえも止まる事無く動き続けていた。鉄鍋は少女の細腕には重く、多大な労力を要求している事に疑問の余地は無い。それでも汗を拭う事さえなく動き続けているのは、「一つ腕を止めれば百の味が死ぬ」という格言を知っているからなのだろう。
「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ!」
 荒れる呼吸さえもリズムとして、佐々美は鍋を振るう。
 どうしてそこまでするのだろうか。
 彼女の脳裏にあったのは愛する人の姿だ。最初は、好きではなかった。そもそも意識もしていなかった。恋した人の付属品、お邪魔虫と思うほどではなかったが嫌いという感情さえ抱きはしない。
 どの瞬間、どの場面をもってそれが変化したと言えるのか、本人さえ答えられなかった。決定的な出来事があったのは間違いない。けれどもそれは長く延びる白雲のようで、細部を覗き込んだとして輝くものが見つかるわけでもない。
 その全体にあって、あるいはその外側にもあるもの。
 もしかしたら、人を好きになるという感情はそういうものなのかもしれない。何処にでもある。常に傍に存在している。それらが集まり大空のキャンバスに描き出されるもの。
 そう考えるのなら、納得がいく。
 雲は嘆かわしいほどに形を維持できないもので、ともすれば風に吹かれて消えてしまうほど儚いが、その発生源に上昇気流があるのならば話は別だ。
 佐々美が身に纏う炎の熱がまさに次から次へと恋の塊を空へと押し上げていた。今や彼女は炎の化身、火の精霊であった。この世の全ての火が彼女に傅く様が目に浮かぶほどである。
「塩と胡椒で味付け! 香り付けに醤油!」
 鍋肌へと投げかけられた醤油。これは一見何処でもやっている基本的な調理手順に思えるかもしれないが、実はこれは間違いだ。火力が弱ければ醤油は鍋肌を滴り飯はおろか卵までも醜い色へと染め上げてしまう。逆に高ければ水分どころか香りまで一瞬で飛ばしてしまい、後には焦げ臭い塩分の塊が残ってしまう。香りだけを移すためには洗練された技術が必要なのだ。
 佐々美はそれを成し遂げていた。ふわりと焼けた醤油の芳しい香りが広がっていく。腹の音を抑える事が出来ない。あふれ出す涎をどうして我慢できるだろう。食欲を160キロのストライクで刺激する香りだった。
 後は酒を振り掛ける。そこで終わり。
 本来ならばそうなるはずだった。だが、佐々美に一切の妥協はない。
 愛情は隠し味だと人は語る。愛があればこそ、美味く感じる料理もある。
 けれども、彼女の姿を見ればそれがどれほど馬鹿馬鹿しいかを思い知るだろう。
 隠さない―――佐々美は断じて隠さない!
 己の全ての愛情を、恋しい人への思いを、料理の内に満たしていく。
 佐々美は隣のコンロで温めていたもう一つの鍋を取ると、深く息を吐いた。
「はああああああああああああああああああああああああああっ!!」
 遠心力をはじめとしたあらゆる運動を利用し激しく振るわれた鍋からチャーハンは飛び上がった。当然ながら、それらは瞬く間に広がり、床や壁、天井へと飛び散ってしまうだろう。だが、それよりも速く、もう片方の鍋が受け止めた。
 何も不思議ではない。彼女はソフトボールの経験者なのだ。小さなボールを打つのに比べたら、散らばる前のまだ固まっているチャーハンを、幅の広い鉄鍋で打つなど容易い事。
 そう、彼女は打っているのだ。鍋に受け止められ、弾かれた米粒は再び飛び散るが、それをまた打つ。超高速のウェイトシフトとソフトボールで培われた膂力が可能にする究極の鍋振り、リャンメン持ち。そしてそれを基本形とする、中華の真髄!
「秘技・脱脂衝追旋(カロリーオフ)!」
 鍋に幾度となく叩かれ油分が吹き飛び、米の一粒一粒をコーティングする油以外の大半が消えた。これにより実に33.3キロカロリーが減った計算になる。
 これこそが、愛。
 食す人の健康にまで考えてこそ、初めて完全な料理となるのだ。
「はぁ、はぁ。遂に、完成ですわ」
 佐々美は逆転サヨナラ満塁ホームランを打った時の様に晴れやかな表情で輝くチャーハンを見る。
「さぁ、喰らうが良いわ、直枝理樹っ!!」



「うわっ、これ、凄く美味しいよ!」
「おーっほっほ! わたくしが作ったんですから、当然ですわ〜」
「うん、やるな砂糖醤油。ご褒美にモンペチやろう」
「いりませんわよ! というか、何で貴女まで食べてるんですか、棗鈴!」
「美味そうな匂いがしたからだ」
「貴女は野良猫ですかっ!」
「猫で悪いかっ!!」
「何にキレてるんですっ?」
「それに野良じゃないぞ。すっかり理樹に躾けられちゃったからな。飼い猫だ」
「そして何を言ってるんですかっ!?」
「まぁまぁ、二人とも落ち着いてよ。せっかくのご飯が冷めちゃうからさ」
「まったくだ。サクラメントシティーは直ぐ怒る悪い奴だ」
「くぅぅぅぅぅっ。もう結構です。さっさと食べてさっさと帰りなさい!」
 気になる発言はあったが、今は何より直枝理樹である。
 自然と鼻の穴が広がり、口元が緩んでいく。
 自らの手料理を嬉しそうな顔で頬張る姿を見ているだけで、佐々美はお腹一杯だった。
「そういえば、さ」
「は、はい? なんですの?」
「前にも作ってもらった事があるけど、味変わったね」
「え……そ、そうでしょうか? きっと気のせいでは」
「そうかな? やっぱり何か違うような気がするんだけど……でも、まいっか。今の方が僕は好きだなってだけの話だよ」
 今の方が好き。
 今の方が好き。
 今の佐々美が好き。
 今の佐々美を誰より一番愛してる。
「……よしっ」
「えっ、急にガッツポーズ?」
「あっいえ、何でもありません!」
「そう? う〜ん、でもやっぱり違うな。何か一つ、隠し味があるんじゃない?」
「は、いう!? か、隠し味なんて、ななななな、何を言ってるんですの! そ、そんなのあるわけないに決まっているはずですわ! 貴方の勘違い以外の何ものでもありません、えぇ、ないったらないんですわ!」
「あぁ……うん、ごめん。勘違いだと思うから、落ち着いて」
「ま、まったく。貴方はいつも何時も、どうしてそんな素っ頓狂な事を言うんですか。そんな下らない事を考えていないで、ありがたく食べていれば良いんですわ」
 理樹の意識が料理へと戻った事を確認して、安堵の息を吐く佐々美。
 不自然なくらい赤くなった顔をこれ以上見られずに済んだ。
 そんな佐々美をのっぺりとした瞳で見つめながら、鈴は呟いた。
「確かに、隠れてないな」
「……大きなお世話です」
「こんだけ溢れさせといて否定するとか、お前実はアホだろ」
「大きなお世話ですわ!」
 叫んで佐々美は机に突っ伏した。


[No.10] 2009/03/06(Fri) 23:12:12

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