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真白く他に染まることをしらないからこそ、どんな色よりも目に痛い。純白のウェディングドレスを身に纏って、しゃらりしゃらりと二人が歩いてくる。直枝理樹と、ヴェールに包まれた相手の女性。見渡してみると男三人の姿は見て取れて、そっちの選択肢はないのだな、と何だかよくわからない納得をする。二人が壇上にたどり着き、いよいよとヴェールの脱がされる時が来る。少しずつ上げられていく布きれ一枚。裏返る寸前のファンタズム。けれどその先は見たくなくて、見てしまいたくて、やはり私は眠りの泥から起き上がる。 そんな夢。 そんな希望。 そんな絶望。 忘れてしまおうなどと考えている時点で負け犬は確定だったのだろう。いや、犬ですらない。たぶん範囲の外にぴょいと飛び出してしまうのだ。恋だとか、好きだとか、そういう幻想の歯車から。忘れちゃえばいいと自分で言っている時点で忘れられないし、忘れちゃえばいいんですヨーなどと言われている時点で思い出しているのだから、そんなことを言ってくる相手も私も頭が悪い。ぶつけられた野球のボール、貸してみた文庫本、お裾分けしてみたサンドイッチ、その他諸々、忘却の彼方に沈むのにどれくらいかかるというのか。勿論、知ったことではないし、知ることも出来ない。忘れるのだから認識できないのだし、認識できている時点で忘れられていない。忘れたい、忘れたい、と思い続けて、気がつくことなく本当に消えてゆく。嗚呼、やっぱり負け犬。 校庭の隅、夕暮れ時に伸びる影、染みついてしまいそうな朱い記憶。 要するに、私はどれだけ諦めが悪いのだろう。 ○ 鋭かったり鈍かったりする金属音と、グラブに飛び込むボールの音があちらこちらに広がる校庭の端、私も普段通りに日傘を差し、木の下でのんびりと文庫本を読んでいる。脇にはちゃんと救急箱を置いているのだから特に職務怠慢というわけではない。 「みおちーん、ズベシッとすっ転んで足を盛大にすりむいちゃったから、手当を一つ」 職務怠慢したくて仕方がなかったが、文庫本から視線を上げるとそこには神北さんもいてしまったので、仕方がなく救急箱に手をかける。 「まず、唾でもつけておいてください」 「あ、あれ? それじゃあ、はるちんがここに来た意味ないよね?」 「冗談ですよ。今回は」 あははー、と苦笑いして逃げる神北さんを視界の端に入れながら、差し出された患部に容赦なく消毒液を噴射する。まじまじ見ると本当に結構大きな傷だから、これは泣いてもおかしくないかもしれない。 「ぎゃー! 心の準備は? ねえ、カウントダウンとかそう言うのは!?」 「五月蠅いですよ」 「ぎゃー、ぎゃー……っていうかごめん、はるちんガチで痛くて泣きそうです」 泣かれてしまっては面倒なので、ガーゼを当てて余分にあてた分を吸い取ってしまう。ついでに周りについていた汚れを軽く擦って落としたら、意識はしていなかったけれど痛恨の一撃になっていたらしい。ぎゃーの音もない。 「はい、どーぞ」 三枝さんが我慢しながらぐすぐすとしてしまって扱いに困っていた所に、神北さんが絶妙のタイミングで戻ってくる。神北さんの引き連れる乙女チックな甘い香りと、乖離した三枝さんの腹の虫。右手にティーカップ、左手にシュガーベーグルが各々に行き渡る頃には、いつも通りの三枝葉留佳に戻っていた。 「疲れた時は、やっぱり甘いものでしょう」 ニコニコ笑顔で純真ミラクルな神北さん。正直なところ、ベーグル一つを食べきれるほどにお腹は透いていなかったのだけれど、そんなことは言い出せもしない空気があった。 ぱくぱくと食の進んでいく私たちの上を、秋空を切り裂いて豆粒みたいな飛行機が飛んでいく。尾を引いて伸びる飛行機雲に少し暮れ始めた陽が当たっていて、少しずつ少しずつ綺麗な蒼穹が居場所をなくして、気がついた時には目の前に三枝さんの顔があった。 「みおちん、何か悩み事? この私が解決してさしあげようか? こう、ぐぐいっと」 そんな力業で何が解決できるというのか。問題を解体して何が楽しい。いや、案外楽しそうな気もする。 「三枝さんには不可能ですね」 「ばっさりー」 神北さんに泣きつきながら大げさに崩れ落ちていく。そもそも、三枝さんに無理ではなくて、ここにいる女性全員に解決不可能なのだ。たぶん。 「それにしても」と、けろりとした顔で三枝さんが言った。 「相も変わらず、仲がよろしいことですねー、あの二人は」 そう言って向ける視線の先、マウンド上でここからでは聞き取れない会話を繰り広げている二人の影、飛行機雲を突き破った茜色の陽が強く強く降り注ぐ。青色は決して私たちの元に落ちてこない。 そうだねー、そうですね、と賛同が続いて、全員揃ってのため息があふれ出る。刹那の静寂を狙いすましたように、ぼけー、と声が届いた。かけ声と同時、ぶん投げられたらしい白球もこちらへ向かってきて、二転三転とバウンドしてから、神北さんの横に転がった。 神北さんはボールを取って直ぐに立ち上がった。 しまったー、と私は思って、きっとそれが表情に少しは漏れてしまっただろうことにも後悔した。 「ごめーん」とまるで毒気のない表情で、直枝理樹がこちらに走ってくる。神北さんはボールを手に取ったまま、とてとてと二、三歩進んでみせた。 「りんちゃんと、どうかしたの?」 「いや、まあ、ちょっとね。しばらく走り回ってくるって」 「それじゃあ」と神北さんは言う。「帰ってくるまで、私とキャッチボールしよー」 言うまでもなく、彼が断るようなことは有り得ないわけで、二人はグラウンドへと戻っていった。神北さん、一体いつの間にベーグルを食べきっていたのだろう。さっき見たときは半分は残っていたように思ったのに。 「みおちん」と呼ぶ声がした。 「何ですか?」 「こいつは、やられちまいましたねー」 あいたたたー、と笑う三枝さんの表情には全く重大さはなくて、調子通りの軽さが鼻についた。 「随分、軽い感じなんですね」 「それは、私、すでにドロップアウトしてますから。ラブミリオネアは諦めたのですヨ」 潔く、忘れた方が楽ちん。そんな台詞は誰もが知っていて、だから私の怪訝な視線はこの上のないものだったろう。 「私は、みおちんが居てくれればそれで問題ないのですヨ」 「……はい?」 困った。どういう意味で取るにしても、私にそっちの趣味は今のところ開花していない。趣向としては大丈夫だから、蕾くらいの位置にいるとは思うのだけれど。 「忘れてしまえー、というのは流石に個人のものだから、言わないけれどね。取り敢えず、この場は私はみおちんの味方になっておこう」 しかし、みおちん。こういうのは行動あるのみだぜ。無駄にビシリと決めたオーケーサイン。言い残して、三枝さんはまたグラウンドに駆けていった。ヘイヘイ理樹くーん、私も混ぜて混ぜて。阿呆みたいな声が大きく響き渡って、夕焼け空でボールもあまり見えなくなってきているのにキャッチボールは続いた。 ○ 文庫本を読むことも出来ず、ぼんやりとしていると、太腿付近に鈍い痛みが走った。驚きと痛みに対する怒りをブレンドして視線を向けると、ころころと薄汚れた白球が転がっている。ささいな既視感は現実になって、記憶と現を交差させながら彼の声が近づいてくる。 「ご、ごめん、西園さん。どこか当たってない?」 「当たってます。打撲になったら責任取ってください」 ボールの激突した部分を軽く手のひらで撫でる。つられるように降りてくる彼の視線。懐かしささえ感じる過去のリフレイン。じろじろ見ないでください。一言を合図に跳ねるように視線を戻す彼は、読み古した文庫のようには色褪せてくれない。 「今度、湿布を持ってくるよ」 何処まで繰り返せば気が済むのか。 「いらないですよ」と素っ気なく返す。「救急箱に入っていますから」 「あ、そっか」 本心から言った台詞だったらしく、所在なげに手が空中をうろうろとする。 「それより直枝さん、お腹空いていませんか?」 「いや、まあ、運動してたからそれなりには空いてると思うよ」 腹部を軽く撫でながらの煮え切らない返事。それでも残り半分という分量を考えれば、丁度いい具合なのだろう。 「これ、食べてしまってください」 食べかけですけれどと、差し出されていくシュガーベーグル。ぽろぽろと落ちた砂糖は夕日に焦がれて影に消えた。 ○ 毛布にくるまってベッドの上で転がっていると、喧しい声で「みおちーん、みおちーん」と連呼された。センチメンタルの欠片もない壊れたレディオのように、ずるずるずるずると名前ばかりが繰り返される。 「五月蠅いですよ」 「うわ、それなら早いところで反応してくれればいいのに」 「面倒くさいですよ」 「ねえ、みおちん。はるちん立ち直れなくなるとしんどいので、そこら辺にしてあげて」 無言のままに答えず、天使がお茶でも飲んでるかのような静寂。また名前を呼ばれて、先ほどみたいに連呼されるのも嫌なので視線だけをふいと向ける。 「何か、いいことでもあったの?」 「どうしてですか」 「何か、気配がニヤニヤしてる」 普段はもっとねちょねばしてるのに、今日はちょっと違う。平素の私は一体どれだけ陰湿な妖怪なのだろう。少なくとも人間に当てはまるような描写ではない。君、ねちょねばしてるね。ほら、やっぱりこれはない。 「何でもありませんよ」 「本当に?」 「本当に」 平静を装って反芻を繰り返しているのは、つい先ほどの夕暮れ時。手が汚れているのを気にしていたおかげで、普段はちぎって食べるけれど、今回はかぶりついておいて良かったと。そんなことばかり考えて、自分のことが心底気持ち悪い。 「あ、またニヤニヤだ、気配」 ただ、彼はまるで既視感を得ていたような素振りはなく、私ばかり覚えていて彼はもうきれいさっぱり忘れてしまっているようで、いっそ殴ってでも思い出させたい衝動はあるけれど、取り敢えずは嬉しいので何も出来ない。こういう時、感情とかいうものがほとほと気色が悪い。 ねちょねば、そんな描写は案外にぴったりなのだろうか。 ○ 真白く他に染まることをしらないからこそ、どんな色よりも目に痛い。純白のウェディングドレスを身に纏って、しゃらりしゃらりと二人で歩いてゆく。直枝理樹と、ヴェールに包まれた視界。見渡してみるとリトルバスターズは全員珍しく落ち着いていて、後でどんな心境だったか尋ねてみたいなあ、と何だかよくわからない感慨に耽ってみる。壇上にたどり着き、いよいよとヴェールの脱がされる時が来る。少しずつ上げられていく布きれ一枚。たどり着きたいはずのシャングリラ。けれどその先は見たくなくて、見てしまいたくて、やはり私は眠りの泥から起き上がる。 そんな夢。 そんな希望。 そんな絶望。 [No.102] 2009/05/15(Fri) 17:14:36 |
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