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ゴールデンウィーク明けの食堂は、独特のけだるさと落ち着きなさが交じり合っていつもより騒がしかった。一割ほど。 「あ、おはよーれいちゃん、さきさき。久しぶりー」 「久しぶり、じゃないわよ五日くらいで」 間延びした声と表情でテーブルの一つに歩み寄った少女は中村由香里。高めにくくったツインテールが「てれん」と垂れている。 いつものことと分かっていても改めて呆れてしまうのは川越令。私だ。私のいるテーブルにはもう一人いるのだけれど、その紹介は後に回す。 「えー、すごい久しぶりだよー。寂しかったー」 「嘘つけ。連休いっぱいガッチリ楽しんできたーって顔してるわよ。どこだっけ?」 「おーすとれぃりあー!はい、おみやげ♪」 ANAとばっちり印刷された紙袋にさっそく不安をかき立てられる。ありがとうと受け取りながら、こんなに心弾まないお土産というのも珍しい。 「ってこれマカダミアじゃん!しかも思いっきり日本語書だし!」 「そーなの、すごいよねー」 「いや、凄いっていうか……まあいいや。ありがと」 前に貰った国籍・種族不明の干し肉に比べれば全く問題ない。むしろチョコは好きだし。うん、嬉しいじゃないか。そう納得させて平べったい箱をいちおう大事に紙袋へと戻した。 由香里は隣に座るとこそこそと顔を寄せていた。耳にかかる息がくすぐったい。 「ねー、れいちゃん。さっきからさきさきどうしちゃったの?なんか口から出てるけど」 「五月病よ五月病。あと本人の名誉のために説明しとくと、口から出てるのは魂ね」 「だうー」 この妙な鳴き声を発しているのが渡辺咲子。食堂に来てからずっとテーブルに突っ伏して、半開きの口から生命力を垂れ流している。いつもは後頭部で跳ね回っている尻尾もうなだれている。 「あー、言われてみるとなんかゾンビっぽい」 「そそ。腐ってるからそっとしといてあげて。つつくと崩れちゃう」 「どれどれ?つんつん、つくつん、でろでろーん。あはは、ほんとだ崩れたー」 「なるかーっ!」 興味しんしんで顔を突付きまわしていた由香里を、がばっと跳ね起きて威嚇する。構われすぎで怒った猫みたいだ。 「はいはい、もう連休は終わっちゃったんだから諦めなさいって。大きくなれないよ?」 ゴールデンウィークを挟んでも、私たちは相変わらず騒がしかった。 授業と言う名の昼寝の時間が終わると部活だ。地に足が着いていなかった新入部員たちも、休みを挟んでようやく落ち着いたように見える。人数が若干名減っているのはご愛嬌、毎年のことだ。 ソフト未経験の子たちも、声を張り上げて健気についてくるのが微笑ましい。それに比べてこの子達ときたら。 「こら、起きろ。一年が見てるでしょうが」 「う〜、基礎トレってこんなキツかったっけ?」 「あうう、あたしが1年なら辞めちゃうかもー」 ばてばての初心者たちに混ざって地面に寝転がり、あられもない姿を晒している約二名。 一年でも経験者の子たちは割とケロッとしている。こっちは二年とは言え高校スタートだから何となく悔しい。 「あんたたちの身体が鈍ってるだけよ。ほら、さっさと立てー。バテてたらお手本になんないでしょ」 先輩が鬼コーチよろしくバット片手に指図すると、二人は力ない抗議をしながらのそのそと起き上がる。 「キャプテンのオニー」 「あくまー」 「おたんちーん」 「いきおくれー」 「待てコラ今なんつった」 ひぃ、と悲鳴を上げて直立不動になる二人。続いて「それじゃ、次はダッシュ五本。三セットずつやってみよっか?」と優しく呼びかけると、一年たちは裏返った声で返事して、軍隊のように整列していた。私もその列の後ろに並ぶ。 ソフト部が今みたいな厳しくもアットホームな感じになったのは今の三年たちのお陰、らしい。先輩たちは詳しく話してくれないのであんまり信じていないけど。 「ほら中村渡辺あんたらも並べー!ちんたらしてたら増やすよーっ!」 キャプテンの怒鳴り声。やれやれ、仕方ない。私はまだのそのそしている二人を引きずっていくため、並んでいた列から抜け出した。 「せいれーつ、礼っ!!」 『ぇったーーーーーーーーっ!!』 キャプテンの号令でみんなが声を合わせ、ようやく長い放課後が終わった。おしゃべりしながら更衣室に向かう人たちを見送りながら、私たちは道具をまとめ、倉庫へと運んでいった。 「ぐぎぎぎ……もうちょっとゆっくり歩いてよー」 重たいボールかごを一緒に運ぶはめになった咲子は、何メートルも歩かないうちに泣き言をこぼしていた。 「あーはいはい。でもあんまりゆっくりだとかえってきついよ?」 人の話を聞いているのかいないのか、ひいふう言うだけになった咲子をそのままにして、バットを抱えて追い抜いていった背中に声をかけた。 「あ、多香子ー、この後ちょっと走るのつきあってくれない?」 「え?あ、うん、いいけど……」 立ち止まった同じ二年部員の加藤多香子。彼女は私と咲子を交互に見て何か言いたそうに口ごもった。咲子も一緒に行くのか、とかどうして自分が選ばれたのか、とか、きっとそんなところだろう。二年にもなったんだから、少しはシャンとするかもと思っていたんだけれど、そうそう変わるものでもないみたいだ。 「ゆかりんを迎えに行かなくちゃいけないからあたしはパース♪」 「あぁ、まだ保健室で寝てるんだ?」 由香里は、グラウンドの反対側から飛んできたフライを顔面キャッチするという荒業をやってのけ、その結果として保健室で療養中だった。 ただ、嬉しそうに宣言した咲子は、由香里をダシにしてサボろうという魂胆が見え見えだったけれど。 後片付けも終わり、逃げるように校舎へと消えた咲きこのことは忘れて多香子と校外に走り出る。 川沿いの道を、特に言葉を交わすでもなく走る。二人ぶんの呼吸だけがついてくる。赤く染まった川の照り返しがやたらとまぶしい。 橋のたもとに差しかかって、私はようやく口を開いた。 「あの、おめでとう、レギュラー」 息つぎでぶつ切りの言葉に、多香子は遅れて気がついて足を止めた。 「あっ。う、うん、ありがとう……」 私も足を止めて、少し離れた多香子を振り返る。夕日に照らされ、オレンジ色に光り輝く彼女と、橋の影からそれを見る私。 多香子は頑張っていた。引っ込み思案なのは今でも変わらないけれど、ひたむきに練習していたのは知っていた。 でも、頑張っていたのは多香子だけじゃない。私だって。 「しっかりね。あたしも頑張るから」 だから、悔しかった。 「れいちゃんおかえりー♪」 寮に帰ると、由香里が部屋に遊びに来ていた。自分で買ってきたマカダミアチョコをぼりぼりと頬張りながら笑う彼女は、おでこに貼られた湿布がいかにも間抜けな感じに似合っている。 「ただいま。頭だいじょうぶ?バカになってない?」 「大丈夫!さきさきよりはいいよー」 「なぁっ!?ゆかりんそれどういう意味さっ!」 バカ扱いを察知したのか、ばたーん!とバスルームのドアを開けて咲子が現れた。どうでもいいことだけど、いくら部屋の中だからってぱんつ一枚だけってのはやめたほうがいいんじゃないか。本当にどうでもいいことではあるけれど。 「そういうのが好きな人もいるわけだし……」 「うわなんかバカ扱いされるよりもむかついた」 そこへ穏やかな笑みを浮かべて咲子の肩を叩いたのは由香里だった。 「大丈夫だよさきさき。おっぱいだけが女の子じゃないんだからー」 「あんたも同じようなもんでしょうがっ!」 「はいはい、今度は私が使うから、さっさと服着なさい」 薄い胸を慰めあう二人は放っておいて、私は着替えを手にバスルームに足を向けた。 「あ、れいちゃんまたジャージほつれてる」 「え、どこ?」 「おしり。ぱっっっくりと」 直後に私があげた悲鳴は女子寮を揺るがし、寮長にみっちりと叱られたのだった。 あくる日の朝、校舎に向かう私たちの前にあの男が現れた。 「あーっ!直枝このやろーっ!」 「うわっ!?ご、ごめんっ!」 私たちを待っていたんだと思うけれど、真っ先に見つけた咲子の剣幕に押され、いきなり謝っていた。 「さきさき、どうどう。……で、何?」 とりあえず咲子をなだめたものの、私もあまり機嫌は良くない。 「いや、その……中村さんの具合はどうかな、と思って」 「どうもこうも見りゃ分かるでしょーがっ!あとが残ったらどーすんだ!」 直枝の腰の引けた様子に、咲子の怒りが再燃する。これは仕方ない。私もこれはちょっとイラっとした。もっと言ってやろうと口を開いたところへ、由香里の言葉が先回りした。 「責任、取ってくれる?」 「「「ぶふっ!?」」」 これには直枝だけでなく私たちまで一緒にむせてしまった。 「やだなー、冗談に決まってるじゃない」 この惨事を見ながらへらーっと笑う由香里が私は恐ろしい。 「あとは多分残らないから、そんなに気にしないでいいよー。直枝君に責任とってもらうなんて死んでもいやだしー」 「し、死んでも……」 咲子はさっきまで怒っていたのを忘れたように、直枝を指差して笑い転げている。 「あ、いやっていうのは嫌いとかそういうのじゃなくて、ありえないっていうか考えられないっていうか……」 「ゆかりん、もうやめてあげて」 これ以上由香里の攻撃にさらされたら二度と立ち上がれなくなりそうだったので止めた。見ると直枝は身体半分くらい真っ白に燃え尽きていた。 「同じグラウンド使ってるんだから、もっと気をつけてよ」 「ごめんなさい……」 「ほーんと、野球部でもないのに何で使わせてあげてんだろ」 それを疑問に思っているのは咲子だけじゃない。他の部員も、もちろん私も不思議には思っていた。何度か聞いたこともある。 「ほんと、何でだろうね……」 だけど、そう呟いた直枝の顔が泣き笑いに見えて、私たちは今日も聞きそびれてしまった。 放課後、守備練習の順番待ちをしていると、多香子がおずおずと声を掛けてきた。 「あ、あの……ごめんね、川越さん」 「へ?」 「その、ジャージ……」 そう言った彼女の視線はちらちらと私のお尻へ流れ。 「ああ、やっぱり気付いてたんだ?もう、ひどいよー。すぐ教えてくれてたら寮長にも――」 「寮長?」 「ああいやそれはいいんだけど」 「大騒ぎしちゃったのはれいちゃんの自業自得だもんねー」 「っさい」 茶々を入れる咲子を物理的に黙らせていると、多香子の方からまた話しかけてきた。 「それ、自分で直したの?」 多香子が言っているのは昨日破けてしまったお尻のことだろう。見栄えより強度重視で強引に縫い合わせたお尻は、ひよこの尻尾のようにとんがってしまっている。 お尻だけじゃない、膝も肘も腕のつけ根も、あちこちほつれてしまっていて繕いだらけになっている。 「あー、うん。下手でしょ?」 「むぐぐぐっ!ぷはーっ。だよねー、もういい加減新しいの買えばいいのに」 私の手から抜け出した咲子が、もう何度も繰り返したことを蒸し返す。だから、私もいつものように。 「駄目よ、私のお守りなんだから」 「お守り……ですか?」 多香子は首をかしげる。まあ、ジャージがお守りなんて言われるとそんな反応を返してしまうものなんだろう。何の変哲もない、えんじ色のぼろジャージ。 「でも、何でお守りなのかはれいちゃんもわかんないんだよねー?」 ノックを受け終わって戻ってきた由香里が余計なことを暴露してくれた。どこから聞いていたんだろう。 「い、いいでしょ。何となく大事なものだって気がするのっ!それに、これ着てるとなんかやる気が出るって言うか……」 いつもだけど、自分で言っていて理由になっていないとは思う。でも、他に何とも説明ができなくて……。 「川越ーっ!次お前だろうが、さっさと来い!」 「あ、はいっ!すみませんっ!!」 キャプテンに怒鳴りつけられ、慌てて守備位置に付く。右へ。左へ。大事と言いながらいつも泥だらけにしてグラウンドを駆け回り、飛び、転がる。 ずっと不思議に思っていることがある。私は、このジャージをいつから持っているのか。どうやって手に入れたのか。 いつの間にか私のバッグに入っていて、なぜか、私のものではないけれど、私のものだ、と確信した。 このジャージは何なんだろう? 私の頭と身体は切り離されていた。頭はただジャージのことを考え、身体はひたすらボールを追いかけていた。だから。 「川越っ!止まれ、追うなっ!!」 目の前の景色が格子状に切り分けられていた。 フェンス。 打ち損ね、ラインを越えて山なりに飛んでいく打球を私の身体は自動的に追いかけてしまっていた。 しかし、ボールは校舎を傷つける前にフェンスに跳ね返された。そして、私の身体も。 身体を襲う衝撃で、音は聞こえなかった。意識が飛んだのかもしれない。そんなことを妙に冷静に考えられる自分がいた。 やばいかな……。かなりの勢いでぶつかったと思う。骨が折れていてもおかしくない。 骨折かー。治るのにどのくらいかかるんだろ?悔しいなぁ。レギュラーは無理でも、せめてベンチに入りたかった。無理、かなぁ……。 身体の痛みは遅れてやってきた。 痛い。けれど、それほどでもない。……あれ、立てる? おそるおそる足に力を入れてみた、ちょっと痛いけれど多分折れていない。金網に手をかけて身体を支える。腕も肩も動く。 「何で?」 その疑問に答えるように、はらりと落ちたものがあった。それは、えんじ色の――。 はらり、はらりと私の身体からはがれるように落ちていく。服とはもう呼べない、布のきれはし。 身体の痛みは平気だけれど。 あれ?胸がすうすうする。なんでだろう。 あれ?鼻がつーんとする。 あれ? あれ? …………………………………あれっ? 「 ――――――――――――――――――――ぁ、 っ! ――――――――――――――ぁぁ……。」 全治一週間。後になって知らされた、それが私の怪我の全てだった。 [No.114] 2009/05/16(Sat) 01:10:12 |
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