![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
私は満面の笑みを浮かべると、彼にこう告げた。 手にはナイフを、刃を彼に向けたまま。 「ばいばい。理樹くん」 私は土砂降りの雨の中、傘も差さずに歩いていた。 寮に戻ると、部屋には誰も居なかった。それもそのはずだ。この時間帯は未だ授業中なのだから。 私は、ずぶ濡れになった服を脱ぎ捨てると、シャワーを浴びた。冷え切った体に熱が戻っていくのが分かる。 シャワーから出て、脱ぎ捨てた服を見る。シャツやスカートに血や泥で汚れた跡があった。こんな状態の服なんて、いっそ捨ててしまってもいいのではないか。もう、どうせ着る機会も無いのだし。 そこで気が付いた。そもそも洗濯する機会も無いのだ。ならば、このまま放っておいても同じことだろう。それより今は時間が惜しい。 私は下着を着け、予備の制服に袖を通した。白黒ボーダー柄のニーソックスを穿く。軽く化粧をし、髪をセットする。いつもの、ビー玉を思わせる子供っぽい髪飾りを二つ使って、ツインテールに。さらにヘアピンを前髪に付ける。 姿見に、自分の姿を映してみた。 そこには、あの子の、葉留佳の姿があった。 違うのは瞳の色くらい。それさえもカラーコンタクトを着けてしまえば、誰にも見分けが付かなくなってしまう。そう、誰にも。 今の私の姿は、葉留佳そのものだ。私は葉留佳の頬に手を添える。鏡の中の葉留佳もそれに合わせて手を頬に添えていた。 私は葉留佳の唇に指を這わせる。葉留佳の唇であると同時に、私の唇。 違う。 私は静かに目蓋を閉じる。 私は葉留佳ではない。あの子はもう、居なくなってしまった。車のブレーキ痕。路上の血の華。それをさっき、確認してきたばかりではないか。 私が葉留佳に似せようとすればするほど、あの子との違いが大きくなる。あの子が、私の手の届かないところにいる事実を突きつけられる。こんな形でさえ、私はあの子と一緒にはなれないのだ。 私は床に座り込む。上を向き、天井の色を見つめ続ける。目蓋から、涙が零れ落ちないように。 やがて校舎から、チャイムが聞こえてきた。出番が近い。私は準備が整え、部屋を出る。玄関で傘を掴むと、寮を後にした。 外は未だ土砂降りの雨だった。雨で景色が滲んで見える。 私は、校門で彼を待っていた。何にも連絡はしてないけれど、彼なら、直枝理樹ならきっと「葉留佳」を見つけてここに来る。そんな確信があった。 果たして彼はやって来た。一輪咲いたビニール傘が、私の傍に走ってくる。 私はいつものように、葉留佳の口調で挨拶する。 「やは、こんにちわ、理樹くん」 「こんにちわ、じゃないよ!」 彼は大声を出した後、早口でまくし立てた。 「今までどうしてたのさ!?みんな、葉留佳さんが辞めたって噂してる!一体、どういうことなのさ!?」 ああ、結局彼は、葉留佳を認識できないでいる。あの子が居なくなった後でも。 「やはは、そんなに一度に質問されても困るよ。怖いナァ、今日の理樹くんは」 「・・・あ、ご、ごめん」 直枝理樹が口ごもる。彼は私から目を逸らし、俯いた。 「・・・でね、みんなが噂してることは本当のこと。もう、ここには居られないよ」 「そんな・・・」 直枝理樹は眉を寄せ、哀しそうな表情をした。 今更そんな顔をするのは止めて。私の決心が鈍るから。 「で、本当は誰にも話さず、ひっそりと居なくなろうと思ったんだけどネ。やっぱり、理樹くんにだけは、最後に会っておこうと思って」 そう言うと、私は傘を手から離し、制服のポケットから小さなキッチンナイフを取り出した。その刃を彼に向ける。 「はるか・・・さん?」 自分に向けられたナイフを見て、彼の声が震えた。恐怖で動けないのか、あるいは何かの覚悟でも出来たのか、彼の足が動く気配は無い。 土砂降りの校門前。二人の間には雨の音だけがあった。ナイフの刃に雨粒が落ちる。こんなに曇っているのに、刃にはぎらぎらと、鈍く不吉な光が浮かび上がっていた。 私は満面の笑みを浮かべると、彼にこう告げた。 「ばいばい。理樹くん」 そして、ナイフを自分に向け直し、左手で柄尻を支えると―――― 取り返しのつかない音がした。刃が熱くて、切り口が焼けたような、そんな感触。痛みよりも熱さの方が強かった。 私の中から、刃を引き抜く。 途端に、盛大に流れ出す血。いくら指で押さえても、脈打つごとに指の間から血が湧き出してくる。止まらない。血が私の服に吸い込まれる。体を伝って、地面に吸い込まれる。肺の中にまで血が入り込んで、私は溺れそうになる。 膝が笑う。まずい。足に力が入らない。 でも、私はまだ、倒れるわけにはいかない。葉留佳だって苦しんだ。だから私も、最期の瞬間まで苦しまなければならない。 直枝理樹がようやく我に返ったのか、私の傍に駆け寄ってきた。 私は彼の体に寄りかかり、倒れ込むのを何とか堪える。血でべっとりの右手で彼の頬を撫でた。 苦しまなければならないのは、あなたも同じよ。直枝理樹。 あの子の最期を、私が教えてあげる。これが、あなたを傷付けることが出来ない私に許された、あなたへの復讐。 あなたが葉留佳を殺した。私が葉留佳を殺した。 これは、私たち二人が背負うべき罪。 私が一緒に堕ちてあげる。だからあなたも、地獄に堕ちなさい。 私の体は、直枝理樹に支えられていた。首を動かし、彼の顔に向き合う。あまり急に動くと、痛みと失血でそのまま意識を失いそうになるから、ゆっくりと、慎重に。 彼は、何かを叫んでいた。しかし、私と目が合うと、彼は声を上げるのを止め、私を見つめた。私の震える唇を見て、何か言おうとしていると思ったようだった。 私たちは、互いの顔が触れ合ってしまいそうな、そんな距離で見つめ合っていた。 彼の顔は、私の血で半分赤く染まっていた。私の、いや葉留佳の、最期の言葉を聞いてあげようと、とても穏やかな優しい表情をしていた。目に涙を溜め、悲しみを必死で堪えながら、私の言葉を待っていた。 そんな彼に、私は追い討ちをかけた。 「理樹くんの、せいじゃ、ないよ・・・・・・」 声になっていただろうか?私の声は、彼に届いただろうか?あまり自信が無い。でも、もう彼に届いていようといまいと関係無かった。既に充分、メッセージは届いているだろうから。 葉留佳の最期の苦しみを忘れないで。あの子の血の温かさを忘れないで。 あなたの罪を忘れないで。 そしてもう、私たちには近づかないで。 もう、立っているのも限界だった。既に膝は、がくがくと震えるばかりで、私を支える役目を果たしていなかった。 膝から上を重力に任せる形で、私は崩れ落ちた。直枝理樹の手をすり抜けるように。 そのまま、私の上体は横に倒れ込む。地面は思っていたよりも硬くはなかったが、雨に打たれたためか、冷たかった。 目の前に、直枝理樹の顔があった。私の横にしゃがみ込み、私を覗き込んでいるのだろう。何か言っている気がするが、もう聞き取れない。視界が霞んで、彼がどんな表情をしているのかもわからない。 直枝。 あなたとは、もっと別の出会い方をしたかった。 もしも、私たち姉妹が、普通の家庭に生まれた普通の双子であったなら。こんな結末にはならなかったのだろう。 そこでは、葉留佳はあなたの傍にずっと居られたのかもしれない。 私も、あの子の、そしてあなたの傍に、居られたのかもしれない。 葉留佳。 いつか、私を殺そうとしたね。私にハサミを向けて、あなたは私を刺そうとした。あの時は結局、そうしなかったけれど、私はあなたになら刺されても良かった。殺されても良かった。あなたにしてきたことを思うと仕方の無いことだし、それに私には、あなたしかいなかったから。あなたがそう望むなら、私は喜んでこの命を差し出しただろう。 でも、私は置いてけぼりにされた。一人ぼっちで立たされて、私にはどうしたらいいのかわからない。 もし許されるのなら、私はあの時、あなたの傍で、あなたと一緒に死にたかった。 私は、葉留佳が居たから今まで生きてこられた。あなたが居たから、こんな下らない、苦痛しかない人生を耐えてこられた。 私は、葉留佳が居ないと駄目なのだ。 だから葉留佳。私も行くわ。 私は目を瞑る。もうこれ以上、見るべきものも無かったから。 静かだ。雨の音も何も聞こえない。痛みも、傷の熱さも、恐怖さえも感じない。 暗闇の中、あるのは、自分の血が地面へと流れ出る感じと、流れ出た血に自分の意識が溶けていく感覚だけだ。 雨の日に咲く、彼岸花。これはあなたに捧ぐ花。 その花びらは、血の紅。雨に散りゆく、儚い花。 おねえちゃん―――― はるかの声が聞こえた気がする。それは遠い昔、あの子が私を呼ぶときに使っていた言葉だ。もう一度だけ、そう呼ばれたかったな。 私からも伝えたい言葉がある。ずっとずっと言いたかったのに、結局言えなかった言葉。 ごめんね、葉留佳。 ずっとずっと、愛していたわ。 [No.156] 2009/06/12(Fri) 00:21:30 |
この記事への返信は締め切られています。
返信は投稿後 60 日間のみ可能に設定されています。