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カリカリカリカリ、カリカリカリカリ。 シャープペンの先がノートにぶつかる音、それだけが寮の一室を満たす。 私は、読んでいた本から目を離し、同居人に目を向ける。佳奈多さんは机に向かって明日の予習に取り組んでいた。 と、急にノートに書き込むペースが遅くなる。シャープペンのお尻で二、三度ノートを叩く。書き込みが再開される。が、しばらくするとまたシャープペンのお尻でノートを叩き始める。 しばらくそうした後、彼女は苛立たしそうに自分の髪を掻き乱すと、シャープペンをノートに叩きつけ、机から離れた。そして、腕を組んだ体勢で机と入り口の間を行ったり来たりしはじめる。 彼女をずっと見つめていた私の目が、彼女の目と合う。眉間に皺が寄り、目も血走っていた。話しかけたくない人の顔、と問われれば誰もが迷わず、今の彼女を指差すだろう。 「ねえ、あの子何処に行ったか知らない?」 「葉留佳さんですか?」 「そう」 そんなこと言われても返答に困ってしまう。私には、葉留佳さんの監視なんてする必要は無いわけだから。 「さあ?また来ヶ谷さんの部屋ではないでしょうか?多分朝まで帰ってきませんよ」 彼女の舌打ちが聞こえる。彼女は再び部屋の周りを苛立たしそうに動き出した。 私も再び読書に戻ろうとするが、佳奈多さんが気になって読書どころではなくなってしまう。早々に本をベッドサイドに置き、読書を諦める。 私はベッドから立ち上がると、険悪な雰囲気を打破するため、こう提案した。 「お茶でも飲みますか」 紅茶を淹れ、買っておいたエクレアをテーブルに置く。 しばらく彼女は、憮然とした態度のまま私の姿を眺めていた。が、やがて乱暴に床に腰を下ろす。 私がエクレアを差し出すと、彼女は私の方を見ず、何処か一点を見つめたまま、受け取ったエクレアを黙々と頬張っていた。 誰も話す者はいなかった。しかし、この沈黙は先程までの硬質なそれとは全く異なり、いくらか柔らかな印象を覚えさせた。 「ふう」 熱い紅茶を飲んで、いくらか落ち着きを取り戻したようだ。 「もう一つ、いかがですか?」 私は、一つ残ったエクレアを彼女に差し出す。 彼女は、ばつが悪い様子で、どう答えるべきかとしばらく迷っていた。 「・・・ありがとう。でも、もういいわ。甘いものはあまり食べないから。それは明日、あの子が食べてなかったら、あなたが食べておいて」 「わかりました」 再び訪れる沈黙。今度は、どちらが話し始めるのかを牽制しあう、そんな沈黙だ。 恐らく、彼女から言い出すことは無い。だから、私の方から口火を切ってみた。 「どうしたんです?珍しいですね」 「・・・・・・」 しかし、それでも彼女は何も言おうとはしなかった。彼女は、カップの底を眺め続けるばかりだった。 「そんなに気に食わないんですか?葉留佳さんが他の人と一緒に居るのが」 彼女の顔が跳ね上がる。 気付かない方がおかしいだろう。先程のやり取りが無かったとしても、私は一年間、ずっとあなたを見ていたのだから。 休み時間の廊下で。放課後の委員会室で。時折外を眺める佳奈多さんがいた。視線の先には、いつも彼女がいた。あなたはいつも葉留佳さんを見つめていた。 その時のあなたの表情を、私はずっと見ていたのだ。もしかしたら、あなたよりもあなたの事を知っているのかもしれない。 「最近、増えましたものね。葉留佳さんのお友達」 「・・・・・・」 「そんなに他の人に取られるのが嫌なら、いっそ駕籠の中にでも閉じ込めてしまえばいいんじゃないですか?」 「そんな訳無いじゃない!・・・・・・それにそんな、三枝の叔父達のような真似、私はしたくない」 「そうですか?確かに手段は同じですが、目的が全く違う。あなたは彼女を守るためにそうするんですから」 それから、私は語り始める。佳奈多さんと葉留佳さん、二人だけの世界を。 佳奈多さんが両親を囲っているあの家。あそこが二人の舞台だ。両親は仕事で忙しく、早朝から深夜まで家を空けてしまう。 だから佳奈多さんが母親代わりに朝の準備をする。準備が整えば、寝ている葉留佳さんを起こして二人で朝食を摂る。食事が終われば、葉留佳さんを家に残して、佳奈多さんだけ登校する。家を出る際には、「内から開けられない」よう鍵を掛けて。 そして、放課後になれば、佳奈多さんはすぐに家に戻る。葉留佳さんが佳奈多さんの帰りをきっと心待ちにしているはずだから。 家に戻れば、一緒に夕飯の支度をするために二人で買い物に出かける。その時、葉留佳さんが行きたがったところには全部連れて行ってあげて。葉留佳さんが欲しがったものは全部買ってあげて。彼女にとっては、外界に触れる唯一の機会になるかもしれないから。 でも、外に出かける時にはずっと葉留佳さんの手を握っておくことを忘れずに。それは、彼女が逃げないように。彼女が誰にも会わないように。 家に帰り着けば、もう二人を引き離すものは何も無くなってしまう。 だから、それからの時間は全て、二人だけのもの。 食事の準備、夕食、食後の団欒、二人が眠りに付くまでの諸々の時間。テレビさえも二人の邪魔をすることが出来ない。テレビも電話も、壊して捨ててしまっているのだから。 そして一日の最後、二人は一つのベッドに寄り添って、抱き合って眠れば良い。夢の涯てまでも、二人が離れることが無いように。 そんなふうに毎日を過ごせば良い。 葉留佳さんにはこれまで食べられなかったようなおいしいものを食べさせてあげて。これまで着られなかったような綺麗な服を着せてあげて。 これまで葉留佳さんに与えられなかった幸福を、佳奈多さんが与え続ければいい。 そして、佳奈多さんもこれまで得られなかった幸福を、葉留佳さんから貰えばいい。 葉留佳さんの髪を梳って。葉留佳さんの手を握って。葉留佳さんの体を抱きしめて。 そんなふうに二人で過ごせば良い。 ずっとずっと佳奈多さんの手の中で。他の誰も愛さないように。他の誰にも見つからないように。 そこまで話したところで、佳奈多さんが鼻で笑うのが聞こえた。 「お話にならないわね。そもそもあの子は私を嫌っている」 「それは、あなた自身がそう仕向けたからです。でも、まあ問題ないですよ。溺れた人は藁にも縋るものです。それが例え、自分を貶めた原因であろうとも。肝心なのは、徹底的に追い詰めて、あなた以外に頼るものが無いという状況を作ることです。そうすれば、きっと彼女はあなたに従順になる」 「そんなものかしら?」 私は、口角を吊り上げる。今の私は、きっと醜悪な笑顔を晒しているのだろう。 「そういうやり方は、あなたが一番、よくご存知のはずでは?」 「・・・・・・」 佳奈多さんは私を睨みつけた後、静かに目を瞑った。怒りや悲しみ、そういった暗いものを必死で抑える、そんな表情だった。彼女は今、何を思い出しているのだろうか? 私は平手で殴られる覚悟をしていたのに。今の佳奈多さんの表情を見る方がよっぽど辛い。 「すみません。失言でした」 「・・・それにそんなこと、あいつらが許すはず無い」 「どうせ、彼らにはそんな情報が届くはずがありません。私が全て握っているんですから。あなた達が何をしようとも、彼らにはずっと同じ報告が届くだけです。これまで通り、何一つ変わることなく」 佳奈多さんがテーブルに身を乗り出してきた。顔と顔がぶつかりそうな距離で私を睨みつける。 「それは、あなたが報告しなければの話でしょ?」 私は鼻で笑う。 「こんな話、報告して何の得になるんです?」 「前から訊きたかったんだけど、あなたは一体、誰の味方なの?」 私は手を広げ、「さあ?」というジェスチャーをする。 彼女は険しい表情のまま私を見ていたが、やがて私から顔を離し、鼻で一笑するとこう言った。 「・・・・・・止めておくわ。あなたに借りを作ると後が怖そうだし。あなたの話を聞いてると、あなたがまるで、白雪姫に毒りんごを勧める悪いお妃のように思えてくるわ」 「それは酷い。私はいつだって紳士的に接しているのに。今まであなたに危害を加えたことがありましたか?」 「淑女、でしょ?」 「ああ、そうでした」 ひとしきりおどけてみせると、私は黙ってテーブルの上の片付けを始めた。カップやソーサーがかちゃかちゃいう音以外は何も聞こえない。 食器を洗い、私がテーブルに戻ると、佳奈多さんが布巾でテーブルを拭いていた。私たちは無言のまま片付けを続けた。最後にテーブルを片付けてしまったとき、私は佳奈多さんの方を振り返った。 「まあ、先程の話は冗談として。しかしあなたは、やろうと思えば、いつだってそれを実行に移すことができる。誰にも邪魔できないようにすることだって簡単です。そう考えていれば、少しは気が楽になるんじゃないですか?」 私の言葉がそんなに意外だったのか、彼女は目を丸くして唖然としていた。 「毒も適量なら薬になる、ということですよ」 やがて、その表情を先程までの挑発的な笑顔とは異なる、優しい笑みに変えて、彼女は言った。 「うまいこと言うわね。でも、うん。・・・ありがとう」 しばらくして。ストレスが溜まっていた所為だろうか。彼女は普段よりも随分早い時間に床に付いた。 私も彼女に合わせて、ベッドに横になっていたが、寝付けずにいた。佳奈多さんを起こさないよう、私はそっと上体を起こし、彼女の方へと目を遣った。 彼女は私に背を向けて眠っていた。穏やかな、彼女の寝息だけがこの部屋を満たしている。 夢でも見ているのだろうか。 もし見ているのなら、さっき私が話したように姉妹が一緒に暮らす、そんな夢であって欲しい。せめて夢の中だけでも、世界が彼女の望むままであって欲しい。 私が与えた毒りんご。 それが彼女の苦しみを少しでも麻痺させる、そんな優しい毒となっていることを、私は願わずには居られない。 [No.163] 2009/06/12(Fri) 23:56:40 |
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