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待ち合わせの時間の10分前。いつもの通りに余裕ある時間に駅前についた私の目は空を見上げる。私の脳は宇宙まで見えそうなどこまでも広がる青い空を認識していた。 虚口 「お姉ちゃーん!」 ドップラー効果を発生させながら近づいてくる声と足音。耳に届くその振動を聞きながら、私の口からはハァと慣れた溜息が洩れた。 そしてすぐ側に来てぜいぜいと荒い息を吐いている葉留佳の頭をめがけて振りあがった私の手。すぱこーんと軽い音が周囲に響く。 「痛ぁ! ううう、久しぶりに会ったのに挨拶無しにいきなりこれですカ!? そりゃ確かに30も遅刻した私が悪かったけどさー!」 ぶーぶーと的外れな事を言いやがる妹に向かってもう一回、私の手は拳を握って振り下ろされた。やっぱりすぱこーんと軽い音がした。たぶん頭の中には何もつまってないんだろう。昔から分かっていた事だけど。 「お姉ちゃんがいじめるのですよ〜。助けて理樹く〜ん!」 「自分の子供を労らないお母さんにはこの位でちょうどいいのよ」 「やはは。遅刻しちゃったからつい……」 「ついじゃないわよ、もう。今は私の事より大事な事があるでしょう?」 私の目は葉留佳のお腹に向けられる。ちょっとだけぽっこりとしたお腹は別に便秘とか最近太りましたとかそういうのじゃなくて、新しい命がそこにすくすくと育っていっている証拠だ。それなのにこの母親は何をしているのか。生まれる前から母親失格な事をしないでほしい。 照れくさそうに笑う葉留佳に、私の頬はちょっとだけ緩む。やはり私はこの子に甘い。 「じゃあお腹の子を労る為にもどこかで座って話そうかしら?」 そんな提案をすると目の前の顔はパッと明るくなる。やはりかなりの長い距離を走って疲れていたらしい。 「うん。じゃあどこに行こっか?」 「私はどこでもいいわよ」 「おーけー。じゃあそこのファーストフード店ね」 葉留佳が指さした先にあるのはトマトケチャップが美味しいと評判のファーストフード店。私はどこでもいいと言っているのに気を使ってくる葉留佳はやっぱりいい子だ。 「はいはい。じゃあ早く行くわよ」 「よっしゃ! じゃあ競走ね!!」 「だから走るな! っていうかあなたいくつよ!」 「今年でにじゅーよん〜」 「冷静に答えるなぁ!」 ファーストフード店について、注文して席を確保してついでにもう一発葉留佳の頭から軽い音をさせて。そうしてからようやく話が始まる。 「なんかどっと疲れたわ」 「お姉ちゃん、疲れ症?」 「あなたがいない時にはここまで疲れないんだけどね」 「ひどっ!」 軽口をたたいてくすくすと笑い声をあげる。 「改めて久しぶりね、葉留佳」 「本当ご無沙汰していましたねお姉ちゃん」 「ええ。あなたが妊娠してから会うのは初めてですものね。どう? 直枝との結婚生活は?」 屈託なく笑う葉留佳を見ながら手元にあるハンバーガーを口元に持っていき、咀嚼する。もふもふとゆっくりと味わうように口を動かす。葉留佳もオレンジジュースをちゅーちゅーと嬉しそうに吸っている。何時まで経っても味覚がお子様な子だ。 「全く問題なんてありまくり〜」 「どっちよそれは」 「だってー、真人くんとか謙吾くんとか来るたんびに埃を舞いあがらせるしー、鈴ちゃんが来る時はねこがわらわらとついてくるから毛が大変だしー、姉御が来るとぱんつがなぜか増えてるしー、小毬ちゃんはお菓子をたくさん持って来て私を太らせようとしてるしー、美魚ちんは子供の教育に悪そうな本を抱えてくるしー、佐々美ちゃんは国際試合gないから最近来てないしー」 「それはどちらかというと惚気ね。しかも直枝とあんまり関係ない」 「まーねー」 くすくすと笑顔を浮かべながらコーヒーに口をつける。けど、それが余りにまずくて顔をしかめる。 「だから無理しないで砂糖とミルクを入れればいいのに」 「私はいつもブラックよ」 にべにもなく言い捨ててからまたハンバーガーを口にする。 「で、今の話題に出てこなかった恭介さんは?」 「へ?」 「だから恭介さんは?」 重ねての問いかけにも目を何回か瞬かせるだけ。やがて古い機械が動くようにあーあーあーと頭の中から何かを引っ張りだしてきた。 「きょーすけさんね。最近話題があがってなかったから忘れてた。たーしーかー、前に来た時に『アフリカの方に行って未知の宝石を探してくる。なぜならそれが男のロマンだからさっ!!』とか言って気がする」 動きが完全に止まってしまった。呆然と葉留佳を見てみればこの子も反応に困ったみたいに頭を掻いている。 「それはまた、なんというか、恭介さんらしいというか。 ちなみにあの人いくつ?」 「私たちの一個上だよ」 「25歳でそれって――」 もう絶句するしかない。葉留佳も感想がないのか、やははと虚しく笑い声を上げる事しか出来ていないみたいで。 ってそう言えば。 「ねえ、葉留佳。今アフリカの方って言ったわよね?」 「うん、そうだけど、どしたの?」 「確か今朝のニュースで、アフリカの方で未知の鉱物を発見した日本人がいたとかいうニュースがあった気がしたんだけど。確認出来次第、名前を公表するとかなんとか」 無言。沈黙。不動。絶句。 「ま、まあアフリカといっても広いじゃないですか。ねぇ、お姉ちゃん」 「え、ええ。アフリカといっても広いわよね。もうこの話はやめにしない?」 「うん。貴重な時間を恭介さんの事で潰すのもったいないし」 やる事なす事はちゃめちゃな人だから。けれどそれでもあの人はどこか信じられる不思議な空気を纏っている。 たまに、思う。私もあの人の側にいればもうちょっとまともな人生を送れていたんじゃないだろうかとか。それは一笑にふせる程下らない考えだけど。これ以上にまともな人生なんてきっとないだろうし。 「それで葉留佳、直枝との生活はどう?」 少しだけ噂話が好きな女の子の顔で茶化してみる。私に茶化された葉留佳はと言えば、真っ赤な顔をしながらあーだのえーだの意味のない言葉を繰り返すばかり。 「た、楽しいよ?」 「何で疑問形なのよ」 はぁ。慣れた溜息を葉留佳に向かってついてやる。全く、新婚ホヤホヤの夫婦って訳でもないでしょうに。 確かに枯れた夫婦関係よりはマシでしょうけど。 「で、実際はどうなの? 直枝にいじめられたりしてない?」 「そ、そんな事されてないよっ。理樹くんってばすごく優しいし。この前も赤ちゃんがいるからって気遣ってくれて、美味しいご飯を作ってくれたんだよ!」 「そこまで気遣って貰ってるなら、身重の体で走るのとかやめなさいよ」 キッチリとツッコミを入れる事も忘れない。だって遅れそうだったんだもんと言いながら頬を膨らませる葉留佳は、いい年をした我が妹ながらやっぱりかわいい。 「じゃあ結構充実した毎日を送ってるんだ」 「あーうん、まあそんな感じなんですヨ。理樹くんは優しいし、みんなも気にかけてくれるし、言うこと無しですネ」 ぽりぽりと頭をかく葉留佳を見て頬を緩める。葉留佳が幸せな毎日を送れているのならば私は満足だ。 「それでお姉ちゃんはどうなの、ここ最近」 「疲れる事ばかりよ」 ちょっと心配そうな顔をする葉留佳に即答してやる。ついで苦笑いをしながら肩を揉みほぐすような仕草を。 「本当、ここまで忙しいと労働基準法を守って貰えているかも怪しいものね。毎日仕事ばっかりで彼氏を作る暇もないわ」 「あや〜、それはご愁傷様です。お姉ちゃんならその気になれば引く手数多でしょーに。残念ですネ」 「お世辞はいらないわよ」 そう言って手元のコーヒーを煽る。ちらと葉留佳の様子を伺ってみれば、まだ心配そうな顔でこちらを見つめてきている。しくじったかと、腹の中で舌打ちを一つ。 コトリという静かな音をたてて飲み物を置いた向かい側に、いつになく真剣な表情をした葉留佳の姿が。 「ねえ、お姉ちゃん」 「どうしたのよ、改まって」 「あのさ、どうして三枝の家に残ったの?」 心配そうというより、寂しくて悲しいといった感情が溢れていると辺りをつける。 「別にどうという理由はないわ。ただそっちの方が便利だしね。お金と権力だけはあるし、色々と楽なのよ」 微笑みながら言ってやる。幸せを掴んだ葉留佳が私の事なんかに気を割かないように。 「お姉ちゃ、ん」 「そんな顔をしないの。別にあなたと会うのが嫌って訳であそこに残った訳じゃないし、時々はこうして会えるしね」 ふとした様子で時計を見上げてみる。そろそろ戻り始めなければならない時間だ。 「もうこんな時間ね。また会いましょう、葉留佳」 「ホントだ。やはは、楽しい時間っていうのは過ぎるのが早いですね」 笑い合いながら立ち上がって、トレイを掴む。 「あなた、帰りは走らないで帰りなさいよ。お腹にはもう子供がいるのを忘れないように」 「失敬な。この直枝葉留佳、それを忘れたことなどありませぬ!」 「じゃあそれに見合った行動をとりなさいよ。 それでお腹の子供は男の子? 女の子?」 「まだ分からないですヨ。けど父親の顔がアレだから女の子だったらすごく可愛い子になりそうですネ」 「そうね、あなたの子供でもあるし可愛いでしょう。楽しみにしてるんだからね、子供がちゃんと生まれて幸せな家庭をあなた達が築くこと」 ゴミをゴミ箱に突っ込んだ。 ● 「遅い」 「申し訳ございません。無能な佳奈多がご迷惑をおかけした事、心よりお詫び申し上げます」 家に帰ってからの第一声がそれだった。もう慣れたものだけど。 「ふん、愚図が。愚図は愚図なりにテキパキと動け」 「全くもってその通りでございません。ですが恐れながら申し上げますれば、それすら出来ないが故の愚図なのだと存じます」 「違いない」 くぐもって聞く者を不快にさせるような笑い声をあげる目の前の男。全くもって気色が悪い。 そんな男の目の前を通って執務室へと向かう。明日までに仕上げる仕事を考えてみると、就寝時間は明け方になるだろう。 と、いきなり目の前の男は私の肩を鷲掴みにした。 「なにか?」 「今日はそっちに行かなくていい。寝室に行け」 またあれかと、表には出さないままに唾を吐き捨てる。 「承知致しました」 挨拶もそこそこに、私は昼にかいた汗を流す間もなく寝所へ向かう。どうせこの仕事が終われば汗を流す事になるのだから、難しい事なんて何も考えなくていい。ただこのせいで押した分の仕事については頭の痛くなる話ではあるが。 寝所についたら着ているものを下着まで手早く脱いで、男が来るのとは反対方向の廊下に放り出しておく。後は桐ダンスの中にある男受けのしそうな下着をつけて、ついで白襦袢を身にまとい、布団の上で正座をして待つ。とっとと終わればいいのに、この待ち時間が一番イライラする。この後どれだけ仕事があると思っているのだろうか。こちらの都合なんて微塵も気にしていないのは分かりやす過ぎるけれども。 間が空く。だがまさか席を外す訳にもいかない。男尊女卑の、唾棄すべき悪習そのままに縛られているこの家の中で人権などあるはずもない。じっとそのまま忌まわしい男が来るのを待ち続ける。 唯一自由に動かせる頭の中で考える事は、昼間に会った葉留佳の事。久しぶりに会った妹は本当に幸せそうだった。 今更、葉留佳の幸せを壊せる筈がないと諦めと悲しみがない交ぜになった感情が心を支配する。本当は全部ぶちまけてしまいたかった。 葉留佳たちの生活に手出しをさせない為に籠の中の鳥になった事。家柄だけは立派だが浮気症のせいで2回の離婚した中年男と結婚する羽目になった事。その男の子供をもう2年も前に孕ませられた事。今でも愛人のように抱きにくるその男を受け入れなくてはいけない事。その上で三枝の仕事は必要以上にやらなければいけない事。 悔いがないと言えば嘘になる、葉留佳の幸せが妬ましくないと言えば嘘になる、苦しくもないと言えば嘘になる。 「待たせたな、佳奈多」 ガラリと襖が開いて、中から見るに堪えない外見の男がドスドスと歩いてくる。闇の中で表情が見えない事をいい事に、私の顔は醜く見下した表情をつくってやる。 「お待ちしておりました、旦那さま。佳奈多はあなたにあえて心からの喜びが絶えませんわ」 ただし、言葉にはうっとしい程の媚を込めて。 私の口はこれでいい、虚しい言葉しか出なくていい。どうせ、嘘しかいえない口なんだから。 [No.221] 2009/07/10(Fri) 07:31:13 |
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