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それはある休日。 いつものように寮会の仕事をこなしているとふいに私の携帯が鳴った。 「ん?誰かしらこの忙しい時に」 軽く毒づきながら携帯の発信者を確認する。 するとそこには我が妹の名前。 「たく、いったい何の用かしら」 嘆息しながら一旦寮長室から出てから受話ボタンを押す。 これが平時ならあの子の声は心の癒しになるのだが、忙しい時に聞くと煩わしくてしょうがないのだ。 けれど無視するという選択肢はない。 いついかなる時でもそれだけは私の中で絶対にありえないことなのだ。 などと考えつつあの子に呼びかける。 「はいはい、どうかしたの?あんま下らない用事なら忙しいから切るわよ」 これは予防線。 こう言っておけばさっさと要点を告げるだろう。 そうでなく、用事もなく電話をしてきたのなら言ったとおり電話を切ってしまえばいい。 ――けれど聞こえて来たあの子の声は想像したどれとも違った。 「お姉ちゃん……」 「っ!葉留佳っ!」 それは明らかにあの子の涙声だった。 私は一瞬にして体から血の気が引くのを感じながらそれでも何とか冷静になろうと息をつく。 「おねえ、ちゃん……」 再度聞こえてきた声はとても苦しそうで、冷静に装うとした頭は一気に沸点を突破した。 まさか、まさかあいつらの関係者に何かされたの? いや、そんなはずはない。あいつらはみんな塀の中だ。 そんなやつらの息が掛かった人間がこの街をうろつくはずもないし、なによりかつて誇った影響力は皆無と言っていいほどあの家からは消えている。 今更私たちに害をなそうとする人間はおらず、害をなそうにも術も伝も全て奪い守ってくれる大人達だっている。 だから今は私が想像していることは全て杞憂に過ぎない。 過ぎないのに……。 「お姉ちゃん、返事して、お姉ちゃん……」 あの子のか細い声が私の心を大きく揺さぶる。 最早いてもたってもいられない。 事実なんてどうでもいい。 葉留佳に危機が迫っている。その事に私は思わず声を荒げた。 「どうしたのっ?何があったのっ!泣いてちゃ分からないわ、はっきり言いなさいっ」 「ひっ!」 「……っ」 あの子の息を呑む声に我に返った。 何やってるのよ、私は。いくらイラついてしまったとはいえあの子を怯えさせるなんてダメダメじゃない。 あの子を守るのは私なんだから。 「ご、ごめんなさい、葉留佳。ゆっくり落ち着いて。何があったの?」 私はできるだけ優しく話しかけた。 そうだ今私がすることは冷静になることだ。 冷静になって状況を聞き出さなければ。 けれど葉留佳は愚図るばかりでようとして何があったか言ってくれない。 いい加減痺れを切らした私は彼女の居場所を尋ねた。 「ねえ葉留佳。せめて今どこにいるか教えて。そうしてくれたら迎えに行けるから」 「……迎え、に?」 「そ、そう。迎えに行くわっ」 今までとは違う明確な反応。 そのことに私はまた幾ばくか冷静さを欠きながら再度告げた。 「今、今ね、駅前の時計台のところ……」 「……駅前?なんでそんなところに……」 そんな目立つ場所で何があったのだろう。 もしあいつらがあの子に何かしたとしてもそんな場所で? 疑問に思い首を捻るが続いて聞こえてきた葉留佳の声にそんな思考はどこかに果てに消え去ってしまった。 「お姉ちゃん、待ってるか……い、イヤーっ!!!」 「は、葉留佳っ?」 尋常じゃない叫び声。 慌ててあの子の名を叫びかけるが何の返答もない。 「葉留佳っ、葉留佳っ!!返事しなさいっ!!葉留佳、返事を……」 そこまで言いかけて気づいた。 すでに受話器からは無機質なツーツーという音しか聞こえていないことを。 「あ、ああ……」 足元が、世界がぐらついたような気がした。 けれどここで膝を付いては駄目だ。 あの子が私を待っているのだ。なら動かなくては。 震える体を叱咤し、私は寮長室の中に向けて叫んだ。 「直枝、あと任せたわっ」 「へ?な、なに急に。って、佳奈多さーんっ」 直枝が後ろの方で何か叫んでいるが、私は気にせず必死に足を動かし下駄箱へと向かった。 「はぁはぁはぁ……」 学園からただがむしゃらに走り続け、ひたすら駅に向かう。 (葉留佳、葉留佳、葉留佳っ) ただただあの子のことだけを考え足を動かす。 正直に言えば限界だった。 すぐにでも足を止め息を整えたかった。 けれどそうすることで間に合わなくなるんじゃないかという強迫観念に突き動かされ、私は必死に走り続けた。 (何に間に合わなくなるって言うのよっ) 浮かんだ雑念の頭を振って打ち消す。 「はぁはぁはぁ……」 私は荒い息を吐きながらただ駅を目指して走る。 するとやっと駅前の時計台が見えてきた。 私はペースを上げて少しでも早く辿り着こうとした。 「はぁはぁ……待ってて、葉留佳っ。すぐ行くからっ」 祈るように叫び、私はその場に向けて全速力で走った。 ――――すると。 「やっほー、お姉ちゃん」 「はっ?」 能天気な声が間近で聞こえ思わず首を動かす。 「ガっ!?」 それが悪かったのか、私はバランスを崩し盛大にすっ転んだのだった。 「ぐぇ!」 そのまま顔面から地面にダイブし、勢いよく宙に吹っ飛んだところまでで私の記憶は一時的に途切れたのだった。 ・ ・ ・ ・ 「やー、人が顔面スライディングするところなんて初めて見ましたよ。お姉ちゃん、生きてるー?」 「……」 「……むー、返事がないデスネ。これはあれか、返事が無いただの屍のようだってやつですかネ」 「……」 何か声が聞こえる。でもそれが頭の中に意味として入ってこない。 「……って、あれ、マジ?ちょ、お姉ちゃんっ!大丈夫、返事してっ!」 「……ぐ……あ……」 息ができない。 というか何が起こったの? いや、それ以前に私は生きてるの? そんな考えがよく回らない頭の中で消えては浮かぶ。 「お姉ちゃん、しっかりっ!あぅ〜、ど、どうしよう、こんなことになるなんて……。目を覚まして佳奈多〜」 けれど突如体に感じた温もりと柑橘類の香りが私に力を、なにより聞こえてくる愛しいあの子の声が私に正気を取り戻させた。 「葉留佳、無事っ!!」 痛む体とふらつく頭を無視して私は飛び起きた。 目を開き見つめるその先には、私の体を抱きしめつつ吃驚したような表情を見せる葉留佳の姿。 一見して怪我をしているようには見えない。 でもそれだけじゃ安心できない。 「ええっ!私?う、うん。私は無事だけど、その……お姉ちゃんの方こそ大丈夫?」 心配そうに私の様子を葉留佳は尋ねてくるが、悪いけど今はそんなものどうだっていい。 「私のことはいいの。それより貴女は?怪我とかしてない?ううん、酷いこと言われたりとか嫌な目に合ったとかなんでもいいわ。とにかく何が起こったの、教えて」 私の葉留佳を泣かせたのだ。 そいつには相応の報いを受けさせなければ気が済まない。 例え相手が誰であろうが探し出し、生まれてきたことを後悔させてあげるわ。 「え?……あー、いや、えっとですね……ここまで大事になろうとは。あー、とりあえず無事ですヨ。うん、元気元気、はるちん元気大爆発って感じですヨ、やはは……」 「そう。よ、良かった……」 本当に元気そうな姿に私は心の底から安堵する。 「や、えーと、お姉ちゃん。いつもとキャラ違いすぎデスって。こう皮肉げに『あら、無事だったのね』とか冷たい口調で言ってきてくれないと調子狂うというか……」 「そんなことできるわけ無いじゃないっ!!」 「え、ええっ?」 葉留佳は大げさに驚くが冗談じゃなかった。 「いつもの遊びで派手に転んだりするのとは訳が違うのよっ。あんな切羽詰った声出されたら心配するに決まってるじゃない。……貴女に何かあったんじゃないかと思って生きた心地がしなかったわ」 「い、いやー、そこまで心配してもらって嬉しいというか、逆に怖いというか……」 葉留佳は2、3歩後ずさりながら引き攣ったような笑いを浮かべる。 ……どうしたのかしら。 「それよりもなにがどうしたの?何があってあんな電話したのっ」 葉留佳に詰め寄りながら尋ねる。 あんな電話をしてきたのだ。よっぽどな事情があったに違いない。 「え?やーえっと抑えてお姉ちゃん。……あー、とりあえずアイス食べる?私の食べ掛けだけど食べると落ち着くよ」 言いながら持っていたアイスをおずおずと差し出してきた。 ……確かに、そうね。少し落ち着かなくては。 「ありがとう」 私はお礼を言いつつそれに手を伸ばす。 葉留佳との間接キスなんて言葉が一瞬頭を過ぎるが黙殺した。 姉妹なんだからおかしくない、おかしくない。 …………アレ? 「ねぇ、葉留佳」 ふとした違和感。 でも放っておくわけにはいかない。はっきりさせなくては。 「なーに、お姉ちゃん」 「なんで貴女はアイスを持っているのかしら」 そう、それが疑問。 「へ?やはは、変なこと聞きますね。それは買ったからに決まってますヨ」 「ええ、それは分かるわ。それで、なんで買ったのかしら」 あの電話の内容からして何か大変なことが起きたと思っていたのだが、それならそんなもの買っている暇はないはずだ。 いや、そもそも最初話しかけてきたこの子の声もどうも能天気なものだった気がする。 ……なんだろう。嫌な予感がする。 「え?やー、佳奈多が来るまで暇だなーと思ってそこのお店で……はっ、ちがっ!……いや、そうじゃなくてですね。えーと……」 焦ったような表情を葉留佳は見せる。 ああ、やっぱりそうなの。 「フフフフ……」 「あぅ……お、お姉ちゃん……」 ついつい笑みが零れ落ちてしまう。 そこに薄ら寒さを感じたのだろう。葉留佳は徐々に後ずさりを始めた。 それを縫いとめるように私は言葉を投げかける。 「ねぇ、葉留佳。どうして暇だったのかしら?」 「い、いや、暇じゃないですヨ。そりゃもう一大スペクタクル映画も真っ青な大冒険を繰り広げていてですネ……」 「葉留佳」 「ひゃい」 私が呼びかけると葉留佳は化物でも見たかのように大きく肩を震わせ背筋を伸ばした。 その怯えた表情がなにかそそる。思わず喉を鳴ってしまう。 ……といけないいけない、詰問を続けないと。 「ねぇ、葉留佳。もしかしてと思うけど」 「な、なに?」 「あの電話、もしかして嘘なんじゃないでしょうね」 「や、やははー、まさかー」 「そうよねー。じゃあどんな大変な目に合っていたのかしら」 さあどんな言い訳を聞かせてくれるのかしら。 私はグッと葉留佳の両肩を掴み、尋ねた。 「い、いや、えっと……な、何言ってるんですかネ。はるちん、お姉ちゃんの名前を呼んでただけですヨ」 「は?」 だからその言葉は予想外だった。 私の唖然とした表情を見て一気に畳み掛けるべきと判断したのか、葉留佳は猛然と話し始めた。 「そう。そうです、お姉ちゃんが勘違いしただけで私からは何にも言ってないんですヨ。ウンウン、つまりはるちんは別に嘘ついてなんていないわけでして……」 「ふ、ふふふ……そう、そう言えばそうね」 なるほど、そう来るか。 確かに思い出してみれば一度のこの子の口から大変な目に合っているだとか、助けを呼ぶ言葉とか聞かなかったわね。 そっか、そっか、なるほど。 「う、うん、だからここは不幸なすれ違いって事で、一つ」 「そうね。不幸な、ね」 素直に謝れば少しは手心を加えてあげようかと思ったけど。 ああ、よくもまあこんなこと考えたものだ。 これはご褒美をあげないといけないわね。 「やはは、分かってくれて嬉しいですヨ。だからこの手を離して欲しいなって……ちょ、イタッ!痛いって、マジで痛いデスヨって!お姉ちゃん離し……ノォォォォォォ!!!」 「紛らわしいことしてんじゃないわよっ」 その瞬間、駅前に断末魔の叫びが響き渡ったのだった。 「で、一体全体どういう了見なのかしら」 葉留佳から奪ったアイスを食べながら冷たい目で彼女を見下ろし尋ねた。 「うう、肩が砕けるかと思いましたヨ。うう、佳奈多の馬鹿力〜」 「あ゛っ」 「ひゃう、なんでもないです」 私が睨みつけると、葉留佳はその場で土下座を始めた。 たく、そんなことされると目立つから止めて欲しい。 先ほども私自身がこの場で盛大にこけて一度注目の的になっているのだ。 これではしばらくこの界隈で話題の人になってしまうではないか。 「……で」 いい加減このままにしておくわけにはいかないので話を進める。 「でって?」 「あんな電話かけてきた理由よ。何か訳があるのよね」 「あー、やはは……」 葉留佳はポリポリと頭を掻く。 どうやら言い辛い理由なようだ。 「……ちなみに下らない理由だったらぶっ飛ばすわよ。下らなくない理由でも許さないけど」 「えー、それオーボー」 「……なに、なにか言った?」 「いえ、何も言ってません」 私の言葉に葉留佳は神妙な頭を下げる。 そんな葉留佳の顔をしばらくジッと見続けていると、やがて観念したのか一度小さく溜息をついた。 「……ふぅー、あのね」 「ええ」 さてどんな下らない理由なのやら。 一通り聞いてお仕置きの内容を決めよう。 久しぶりにフルコースってのもいいわね。 そんなことを夢想しつつ続きを待った。 「……会いたかったの」 「は?」 その言葉の意味が分からず首を傾げてしまう。 「だから、お姉ちゃんに会いたかったの」 「……なにそれ。そんなのいつも授業中顔を合わせているでしょう」 なにが言いたいのだろうか。相変わらずこの子の言動は掴めない。 「だからそういうんじゃなくて。……その最近仕事忙しいじゃん。今日だって休みなのに寮会の仕事してさ。それが寂しくて……会いなって思っちゃった」 「え、あ……」 憂いを秘めた葉留佳の表情。 それを見ていると頭の中が真っ白になっていく。 「迷惑になるって分かってたけど、でも傍にいないのが心細くなっちゃってつい電話しちゃったんだ。うん、ああいう電話の仕方をすればお姉ちゃんならきっと来てくれるって思ってたからさ。まー、あんなことになるとは思ってなかったデスけど」 「…………」 「やはは、ごめんね。私バカだからこんなことしか思いつかなくて。……だから用って言えるとしたら佳奈多と一緒に遊びたいってくらいかも。……ごめん、下らなくて」 「……っ!」 そこまでが限界だった。最早理性が保てない。 嬉しすぎて思考が完全に停止する。 まだ葉留佳が何か喋っているように見えるが最早私の耳には届かない。 あふ、魂が抜け落ちそう。 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 「お姉ちゃんっ」 「え?な、なに?」 肩を揺さぶられて意識を取り戻すと、そこには妹の顔のどアップ。 「だ、大丈夫?話の途中で反応なくなるわ、アイスも垂れちゃってるし。……もしかして具合悪い」 心の底から心配してますといった表情を見せる葉留佳。 ……言えない。葉留佳の言葉が嬉しすぎて気を失っていたなんて。 それにアイスが半分近く溶けている。どんだけ舞い上がっているのよ、私は。 「大丈夫よ。それで、なに?話は終わり?」 「え?ああ、だからね、呼び出してなんだけど帰っちゃって大丈夫ですヨ。お姉ちゃんに会えただけで充分だし。……やー、お仕置は……軽めにして欲しいけど、ダメかな」 「え?」 再び思考が止まる。 「ごめんね、お姉ちゃ「待ちなさいっ」……ふぇ?」 驚いた表情を見せる葉留佳に続けて言う。 「確かに最近一緒に出かける機会なんてないしね。いいわよ、付き合っても」 「え?でも仕事」 「直枝に任せるから大丈夫よ」 そう、こんな時の仕事仲間だ。存分に役に立ってもらわなくては。 それに葉留佳のためなのだから彼も本望だろう。 「え?理樹くん?」 「ええ。……あ、もしかして直枝も一緒のほうがいい?」 私自身はあまり歓迎したくないのだが、まあ仕方ないかもしれない。 なにせ直枝は葉留佳の恋人なのだから。 ちっ、思い出すと少し腹が立つ事実ね。 「分かってるわよ。私も忙しいって事は彼も忙しいってことだしね。あまり最近デートできていないんでしょう?」 「うん、まあそうだけど……」 「じゃああいつにもここに来るよう電話するわ」 言いながら携帯電話を取り出し、彼の番号にかけようとする。 「待って」 けれど葉留佳はそんな私の手を押さえる。 「ん?どうしたの」 なにかあるのだろうか。 すると葉留佳は私の手を握ったまま答えた。 「今日はおねえちゃんと二人っきりで遊びたいな」 「え?」 「あはは、そりゃ理樹くんとも最近デートらしいデートはしてないけどでも偶に一緒に遊んでますから。でもお姉ちゃんとは教室と寮で顔を合わせるくらいでしょ」 「え、ええ、そうね」 言われてみれば確かにそうね。 ここ最近仕事が増えたとはいえ、それでも直枝はなんだかんだであの集団のリーダーとして活動する時間も取っているから、私に比べて葉留佳と顔を合わせる回数は多いのだった。 まあそれは私が仕事に没頭し過ぎるきらいがあるからだけれど。 「だから今日はいっぱいお姉ちゃんと遊びたいんだけど……ダメかな?」 「っ!!」 ダメじゃないわとにやけそうになる笑顔で返しそうになり、慌てて顔を引き締める。 そして素早く電話帳を呼び出し携帯の発信ボタンを押す。 少しの間を置いてすぐに相手が出る。 『もしもし、佳奈多さん?』 「あ、直枝」 『良かった、どうしたの急に出かけたりして。こっちは仕事が山済みだから早く戻ってきて欲しいんだけど』 声に若干不満そうな感情が見て取れる。 どうやら私がいない間に結構仕事をこなしていたらしい。 「ああ、それだけど用事ができたから今日の仕事は全て任せるわ」 『へ?ちょ、待ってっ。なにそれ、横暴だよっ』 予想どおり直枝は反論してきたが知ったこっちゃない。 「はいはい、文句は明日聞いてあげるからよろしく。ああ、あとそこにある荷物はクドリャフカに渡しといて」 『や、だからよろしくって言われても忙しいんだって。我侭言わないでよ……』 我侭、か。 けれど妹の我侭に付き合うのも姉の務めなのだ。悪く思わないで欲しい。 それに葉留佳のためなんだから直枝も本望でしょう。 「事情は今度話すから、任せるわ」 『や、だから……』 「任せるわ」 『……はい』 受話器の向こうでガクリと肩を落とす直枝の姿が見えるようだ。 うん、こういう場合、あいつの押しの弱さはかなり有難い。 「それじゃあよろしく」 私はそれ以上反論を許さないように手早く電話を切ったのだった。 「……ん、なに?」 何か葉留佳から物言いたそうな視線を感じたのだけれども。 「やー、相変わらず力関係がハッキリしてるなぁって思って」 「ふん、直枝が押し弱すぎなのよ」 「うーん、はるちんとしてはお姉ちゃんが強いってのもある気がするけど」 「ふん、だとしてももうちょっと粘って欲しいわね。扱いやすいけど今後のこと考えると心配ね」 男相手ならそこまでじゃないみたいだけれど、女性相手にはどうも強く出れない性格らしい。 はぁー、ホント見た目どおりね。 こんなんじゃあいつに悪い虫がついて葉留佳が悲しむかもしれないじゃない。 やはり今から教育をするべきかしら。 「やはは、なんかこう将来の二人の関係が見えた気がしますネ。いわゆる嫁姑の関係ってやつデスネ」 「誰が姑よ。……それにあんな顔だけど一応男なんだから嫁とかあんたの口から言われたら直枝のやつ泣くわよ」 女装した直枝は私から見ても相当綺麗だけど、本人の意思でやってるわけじゃないのだからあんまり傷つくようなことは言ってあげるべきじゃないだろう。 例え素の状態でも女っぽく見えたとしても。 「やはは……でも口煩く言うつもりでしょ」 「まあね」 「はぁー、理樹くん大変だ」 言いながらも葉留佳は笑顔だった。 きっとそんな将来を想像するのが楽しいのだろう。 「それで、どこに行くつもり?」 「ん?ああ、そうだねー。……ああ、そういやお姉ちゃん制服姿デスね」 「そりゃそうよ。仕事ほっぽって慌てて出てきたんだし」 「やはは、愛されてるみたいで嬉しい限りですな」 「はいはい。……で」 軽く流して先を促す。 鋭く突っ込まれると逆に拙いし。 「うん、だからね、洋服でも買いに行こうかなって」 「洋服?……そんなにお金持ってきてないけど」 財布の中はそれなりにあるがそれでも服を買うには少々心もとない。 「あー、大丈夫大丈夫。なんでしたら私が出しますヨ」 「え、貴女がっ?」 私は驚いて見つめ返す。 「なんですかね、その意外って顔は。お姉ちゃんのために出そうと思ったのに」 「ごめんなさい、つい。……でもいいの?」 そんなにお小遣いあるのかしら。 「大丈夫、ちゃんと貯めてるもん。服の一つや二つ買えるよ」 「そう?ならお言葉に甘えさせてもらうわ。……けど服なんてよく分からないのだけれど」 三枝の家にいた頃は親族が勝手に買え与えてくれたし、縁が切れてからは物のついでに適当にその辺の量販店で買っているので、いざ服を買おうと思って買物に行ったことはないのだ。 「大丈夫、任せて。おすすめがありますから」 「おすすめ?……まさかあんたが今着てるような服じゃないしょうね」 葉留佳が今来ている服はいつもと同様少々奇抜な服装だ。 今日はおへそが見えるくらい短いTシャツの上に黒い袖なしの薄手のハーフコートを羽織り、下はホットパンツにニーソックスとブーツの組み合わせ。 コートにはベルトやら鎖やらがいっぱいついてるし、はっきり言って派手だ。私の趣味じゃない。 「えー、格好いいと思って買ったんだけど」 「とりあえず普通のカテゴリーから外れてると思うわよ」 「ブー、行きつけのお店に連れてこうと思ったのに」 ……良かった、指摘しておいて。 「んっと、じゃあこまりんおすすめのお店とかどうかな」 「神北さん?……うーん、なにか可愛らしいイメージがあるのだけれど」 纏うイメージがそれ系しか思いつかない。 「うん、確かに私服はかなり可愛いね。でも似合うよ、きっと」 「……遠慮しておくわ」 例えもし似合ったとしてもそれは趣味じゃない。 「えー、我侭ですなぁ。うーん、じゃあチャイナ服とか?」 「どこに着て行く気よ」 「え?普段着じゃダメ」 「はぁー」 つい深い溜息が出る。 どこの世界にそんな代物を普段着にする人間がいるのかしら。 今更ながら妹の感性が心配になる。 「あとは……みおちんのおすすめもあるけどアレはちょっと地味な気がするしなあ」 「私としてはそれで構わないのだけど」 奇抜なものをあえて着ようとは思わないし。 「いやいや、それじゃあいつもと対して変わらないじゃん。……よし、決めた。適当にウインドウショッピングしながら気に入った服を買うって方向にしよう」 「……それ何も決まってないって言わないかしら」 「いいんですよ、それも買物の醍醐味なんだから」 「そういうものかしら」 まあ普通のショッピングというものがよく分からないから反論のしようがないのだけれど。 「そんでそんで、買物が終わったら映画。それで最後は食事に行こう」 「そんなに?」 一日でそれはかなり疲れそうなのだけど。 「いいじゃん、別に。可愛い妹のためを思ってさ」 「はいはい」 調子いいわね、ホント。 「あーでも」 「ん?」 「なんかデートみたいデスネ」 「ゴホッ」 思わず咽てしまった。 「やはは、デートデート」 「あ、あんたね。姉妹でそれはないでしょ」 「えー、いいじゃん別に姉妹でデートしても。さっ、いこいこ。時間なくなりますヨ」 葉留佳は満面の笑みを浮かべて手を差し出す。 「しょうがないわね」 そんな彼女に私は嘆息しながらもしっかりとその手を握り返したのだった。 [No.228] 2009/07/11(Sat) 00:00:04 |
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