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No.26へ返信

all 第29回リトバス草SS大会 - 主催 - 2009/03/19(Thu) 22:35:37 [No.22]
猫? 愛? - ひみつー@5,599byte - 2009/03/21(Sat) 00:28:45 [No.36]
シーメ=キッター (Seemue-Queitier) - 主催 - 2009/03/21(Sat) 00:27:05 [No.35]
ハッピーメーカー - ひみつ@16188 byte - 2009/03/21(Sat) 00:13:00 [No.34]
愛の円環 - ひみつ@12160byte - 2009/03/21(Sat) 00:00:49 [No.33]
愛・妹・ミー・マイン - ひみつ@2585 byte - 2009/03/20(Fri) 22:29:15 [No.32]
愛はある、金がねえ - ひみつ@2802 byte - 2009/03/20(Fri) 19:45:11 [No.31]
変態少女―サディスティックガール─ - ひみつ@15148 byte - 2009/03/20(Fri) 19:35:40 [No.30]
[削除] - - 2009/03/20(Fri) 17:15:10 [No.29]
木漏れ日のチャペルで君と誓う - ひみつ6987 byte - 2009/03/20(Fri) 12:52:28 [No.28]
馬鹿でもいいじゃない - ひみつ@4585byte - 2009/03/20(Fri) 11:52:28 [No.27]
終線上のアガポルニス - ひみつ@20340byte - 2009/03/20(Fri) 10:01:52 [No.26]
正しい想いの伝え方 - ひみつ@17213byte - 2009/03/20(Fri) 01:03:21 [No.25]
幻想への恋慕 - ひみつ@11514 byte - 2009/03/19(Thu) 23:01:01 [No.24]


終線上のアガポルニス (No.22 への返信) - ひみつ@20340byte

 春のようにぽかぽかとした初夏の日差しが辺りを照らしていた。わたしは近所にある公園の入り口で、その心地よさに一度目を細める。空には青色の中に浮かぶ、飛沫のような白い雲がゆったりと流れていた。少しだけそれを眺めた後、わたしは公園の中にある木製のベンチへと腰掛けた。先ほどから手に持っていた茶色に紙袋に視線を落とす。それは先ほど買ってきたばかりの本。ああ、きっと今、わたしはニヤけている。だってこの本の発売日をずっと楽しみにしていたのだ。わたしは、袋の上部についたテープを剥がそうと、指を添えた。その時、妹のことが頭を過ぎった。わたしと同じ顔をした双子の妹も、この本を楽しみにしていた。家で待っているであろう妹のことを考える。きっと我慢できないというのを表すように、体を揺すりながら待っていることだろう。ああ、家に着くのが少し遅れそうです。ここにはいない妹に謝ってみる。頬は緩みっぱなしだったから、全然説得力はなかっただろうけど。わたしは逸る気持ちを抑えてテープをゆっくりと剥いでいく。すぐにパステル調で描かれた、色鮮やかな表紙が目に飛び込んでくる。それを膝の上に立て掛けながら、ゆっくりとページを開いていく。

「はぁ……」
 知らずため息が零れた。わたしは満ち足りた気持ちになりながら開いていた本を閉じた。もう一度ため息。少しだけ読むつもりだったけど読み終わってしまった。さすがに妹に怒られるかな。わたしは苦笑する。その時、視界の隅に白い物体が映った。それは日傘だった。白色をした日傘が、公園の隅にある芝生の中で揺れていた。その日傘の隣に、これまた白色のスカートが見えた。そこで漸く、女の人が座っていることに気づいた。女の人はわたしを見てニコリと微笑んだ。ドキリと胸が、大きく跳ねた。初めて見る人だった。なのに何故か、その人に見詰められていると胸がザワザワと、まるで体をくすぐられているような居心地の悪さを感じた。その人は立ち上がると日傘を広げて、こちらまで歩いてきた。そして一度、軽く頭を下げるとにこりとまた微笑んだ。
「随分、熱心に見入ってましたね?」
「あ、その……」
 巧く呂律が回らなくて、そんな風にしか言葉が出なかった。その様子が不思議だったのか、その人は首を少しだけ傾げてみせた。それから何か合点がいったというように「ああ」と短く呟くと、苦笑した。
「別にわたしは怪しいものじゃありませんよ。と言ってもまるで説得力がありませんね。ええ、この場合仕方ありませんね。こちらには仕事で来ているんです」
「……仕事? なんの、ですか?」
「はい、探偵です」
「たんてい?」
「はい」
「あの、本とかアニメとかで警察に協力して事件を解決したりする?」
「そうですね。その探偵です」
「えっと……あのそれじゃぁここで何か事件が?」
「いえ事件というわけではありませんよ。ただ、そう依頼で人にあるものを届けにきたんです」
「届け物?」
「ええ……ああ、そうだ。もしよろしかったら協力していただけませんか?」
「協力……ですか?」
「はい、この街にきて日が浅いので地理に疎いんです。協力して貰えると助かります。どうでしょう?」
 そういうとじっとわたしのことを真剣なまなざしで見詰めてきた。少しだけ居心地が悪くて、わたしは体を数度揺する。その時、ふいに辺りにピピピという電子的な音が響いた。「あ」と小さな声を上げて女の人は持っていた鞄の中から携帯電話を取り出した。そのまま携帯を耳に当てると「はい」と呟いてわたしに背を向けた。もしかしたら依頼主からの電話だろうか。少しだけ言葉を交わした後、その人は携帯を耳から離すと鞄の中へと戻した。
「すみません。お話中に」
「あ、いえ」
「それで……ああ、そうでした。どうでしょう? 協力してくださいませんか?」
 そういうとにっこりと微笑んだ。どう答えよう。期待半分不安半分で自分のことを見つめてくる視線を浴びながら、眉根を寄せた。そうこうしていると何かに気づいたのか、女の人が目を大きく見開いた。
「大事なことを忘れていました。そういえばまだ名乗っていませんでしたね。それなのに協力しろというのも無理な話でした」
 その人は持っていた日傘越しから、一度空を見上げた。それに釣られるようにわたしも空を見上げる。そこには先ほどと変わらない、青の中を漂う雲達。その代わり映えのしない空を少しだけ見詰めた後、視線を下げる。そこには、にこりと朗らかに微笑んでいるその人の顔。
「西園美魚、です。どうぞよろしくお願いします」

 

 

「ああ、お待ちしてました」
 美魚さんは読んでいた本から視線を外すと、安心したかのような微笑みを向けてきた。美魚さんは初めて会った時と同じように公園の隅にある芝生の中にいた。どうやらその場所が気に入ったらしい。結局、わたしは美魚さんの頼みを引き受けた。自称探偵だなんて少々胡散臭い気もしたけれど、それ以上に探偵という職業に興味があった。付け加えるなら美魚さん個人にも、どこか惹かれるものがあった。その理由は今でもわからないけど。美魚さんは、ゆっくりとした動作で立ち上がると白色の日傘を開いた。
「さてそれでは行きましょう」
「あの……思ったんですけど、届けものならその人の住所いってくれればわたし、わかるかもしれませんよ。どこでしょう?」
「わかりません」
「じゃあ名前とかは?」
「守秘義務というものがありますから……」
「あの……じゃぁわたしはどうすればいいんですか?」
「さぁ、どうしましょう?」
 本当にこの人は探偵なのだろうか。思わず疑惑の視線を投げかけてしまう。美魚さんは、いつもこんな感じなのだ。協力してほしいと言ってきた割にはわたしに何も言ってこない。することと言ったら一緒にただ街を練り歩くだけだった。かと思えば美魚さんは、ふいに立ち止まり近くにあった芝生に座り込んで、そこで遊んでいた子供達を見詰めたりした。さすがにこうも仕事らしい仕事をしている姿をみないと心配になってくる。もしかしたら美魚さんはただ仕事をサボっているだけなんじゃないだろうか。おそらく依頼主からだろうと思われる電話も何度も掛かってきているというのに。一体、彼女は誰に何を届けにきたのだろう。
「……不満そうですね?」
「いえ、あの、お仕事の進み具合がどうなのか。少し気になっただけです」
「……そうですか」
「順調、なんですよね?」
 これで順調ではありませんなんて言われたら、どうしようかなんて思いながら恐る恐る美魚さんの顔を覗き込む。美魚さんは、何も言わずにただわたしのことを見つめ返してきていた。その視線に居心地の悪さを感じて身じろぎをする。ごく偶にだけれど、美魚さんに見詰められていると心臓を直接くすぐられているような感じがして、落ち着かなくなることがあった。やがて「そうですね」と聴こえてきた。
「仕事のほうは順調といえば順調ですよ」
「そうですか。それはよかったです」
「どうも。けど、先ほどのあなたの視線からはもっと別な……そう例えるならダメ人間を見るような感情が含まれていたような気がするのですが?」
「気のせいです。はい、きっと」
「そうですか? ならいいのですが……ああ、でも、どうもイマイチあなたにはわたしが凄腕の探偵だということが伝わってない気がします」
「そんなことは……ないですよ?」
「語尾が疑問系でしたね? 今」
 しまったと思いながら美魚さんの観察力の高さに驚く。
「いいでしょう。では少しだけわたしの力をお見せしましょう」
「はぁ」
「そうですね。まず初めて会った時、あなたが読んでいた本の内容は青春物語ですね? 主役は……そうですね。5人。違いますか?」
 その通りだった。おおっと驚きの声を上げそうになる。してやったりという顔で笑っている美魚さんを尊敬のまなざしで見そうになった。けど、そこではたっと気づく。
「あの、それって美魚さんが、あの本を読んでいたらわかることですよね?」
「細かいことを気にしてはいけません」
 普通気にする。わたしがそれでは納得しないのを見ると美魚さんは、口をへの字に曲げてねめつけてくる。
「わかりました。では……あなたは一人っ子ですね?」
 これでどうだっと言わんばかりに、美魚さんは自信満々にそう言い放った。その表情が凄く誇らしげだったため、わたしは口をモゴモゴと動かした。とても言いづらい。
「あの……わたし、妹がいます」
「え?」
 わたしの言葉を聴いた美魚さんは、そう呟くとひどく狼狽しているかのように瞳を大きく見開いた。そんなに自信があったのだろうか。
「どうしてわたしを一人っ子だと思ったんですか?」
「いえ、別に理由は……ありません」
 美魚さんは、そういうと持っていた日傘を前へと倒した。日傘がすっぽりと顔を覆ってしまい、どんな表情をしているのかわからなくなる。そのまま美魚さんは短く、まるで息を零すように「そう」と呟いた。
「そう……そうですか。妹が、いるんですね」
 そういうと美魚さんは、日傘を上げる。そこにあった顔は、微笑み。けれどそれはとても切なそうで、悲しそうで。
 ざわりと心が揺れた気がした。ああ、まただ。少し前に感じた居心地の悪さが、広がっていく。そんな顔をしてほしくなかった。けれど、それはきっと美魚さんを気遣ってのものではない。そうもっと別の──わたしは、そんな顔をした美魚さんから遠ざかりたいと思っていた。






 どこからかひぐらしの鳴き声が聞こえてくる。太陽は本日の活動を終えて、ゆるりとその姿を退場させようとしていた。それを知らせるように、辺りはオレンジ色で満たされている。それはまるで太陽が自分の退場を見届けてほしいと思っているようで、だからこの色はこんなに悲しげに見えるのかもしれない。隣に座っている美魚さんにそう話してみると「詩的ですね」といってくすりと笑った。そんな彼女の顔も茜色に染まっていた。あの後、わたしはいつものように美魚さんと一緒に町を歩き回った。少しだけ美魚さんの機嫌が気になったけれど、先ほど間違ったことはなかったことにしたらしい。そうして日が暮れようかという時に、この広場に辿りついた。そこは河川敷沿いにある大きなスペースを、草を毟って広場として使っていたキィィィンという音が辺りに響き、小さな白い球が空へと飛んでいく。それを目で追った後、前方で草野球に興じている人たちを見た。片方はどこかのチームなのだろうか。全員がユニフォームをきていた。対してもう一方はバラバラだった。男性もいれば女性もいる。けど皆、日が暮れたというのに声を上げて、楽しそうだった。わたしは、それを広場から離れたところにある草の生い茂った土手で眺めていた。ふいに美魚さんが、そっと手を重ねてきた。そのままもう片方の手でついっと頭上を指差した。その先にあるのは、茜色に染まりながら漂う雲達。
「あの雲、何に見えますか?」
 そういう遊びは得意だった。
「鳥、です」
「では、あれは?」
「猫?」
 わたしは美魚さんの指さす雲の形を次々と答えていく。どうでしょうという得意げな顔を作って、わたしは美魚さんのほうを向く。どういうわけか、美魚さんは困ったような顔してわたしのことを見つめていた。
「あなたには、そう見えるんですね?」
「はい……」
「そうですか。わたしには、見えないんですよ」
「それは……美魚さんは、もう大人の人だから」
「いいえ、子供の頃からです。子供の頃から……わたしには見えなかった」
 そういうと美魚さんは、寂しそうに微笑む。何か声をかけようと思ったけれど、適当な言葉を思いつかなかった。その時、前方のほうがザワザワという騒がしい音が聞こえてきた。わたしと美魚さんは、そちらへと視線を向ける。広場の中央付近、そこに人だかりが出来ていた。その人だかりの中心で蹲っている人影が、かろうじて見えた。
「怪我をしたみたいですね」
「え?」
 わたしの疑問に声に応えることなく美魚さんは、脇においていた鞄の中から白いテーピングを取り出した。美魚さんは、立ち上がると人だかりの出来ているほうを、見詰めた。
「用意がいいですね」
「ええ、マネージャーの経験がありますから」
「え? マネージャー、ですか?」
「嘘です。わたしにはマネージャーの経験はありません。わたしには、ね」
 そういうと美魚さんは、ニンマリとまるで悪戯っ子のように笑った。なにか含みがあるような言い方に感じて、理由を考えようとする。けど、どうにもわからない。尋ねようと思ったときには、美魚さんは背を向けて人だかりのほうへと向かっていた。ため息を付く。ふいに小さな電子的な音が聴こえてきた。それは美魚さんの鞄の傍から聞こえてきていた。わたしは、草を掻き分けながら音の発生源を探す。程なくして、手に硬いものが触れた。それは美魚さんの携帯電話だった。どうしようか。わたしは美魚さんのほうを見る。美魚さんは、人だかりを掻き分けて怪我をした人を見ていた。仕方ない。そう結論を出すと、わたしは携帯の通話ボタンを押した。
『出るの。遅かったな』
 携帯からそんな声が聞こえてきた。そのまま相手は言葉をまくし立ててくる。
『本当に連れて帰って来られるのか? この世界だって無限に時間があるわけじゃない。早くしないとあいつ達を助けることができなくなっちまう』
「あの!?」語彙を強めて相手の話を遮る。
『なんだよ? たしかにおまえの言い分もわかる。西園の間違いに気づかせてやりたいってのも……』
「あの、ですから美魚さんは、今ちょっと出られないんです」
『……おまえ、西園か?』
「ですから、わたしは西園美魚さんじゃなくて」
『そうか。まだなんだな。……なぁ、オレの声聞いて何か思わないか? あいつがおまえに何を届けに着たのかわからないか?』
「え?」
 小さく声が漏れた。美魚さんが届けにきた相手は、わたし? 思わず視線が美魚さんへと向く。美魚さんは、屈んで怪我をした人の手当てをしていた。いつも持っている日傘は横に置かれている。その傘からは沈み行く太陽の残り火を受けて影が伸びている。それは周りにいる人たちも一緒で、足下には歪んで伸びた黒い影があった。けれど美魚さんの足下には、それがなかった。「あ」悲鳴じみた声が口から漏れた。わたしは、もう一度美魚さん──その人を見る。ふいに頭の中に特徴のあるツーテールをした女の人の顔が過ぎる。その顔が今、手当てを受けている人と被っていく。フラッシュバックする。三枝、さん? いくつもの名前が、顔が頭の中に流れ込んでくる。塞き止められていたものが流れ込んでくる。わたしは震える声で電話口の相手へと話しかけた。
「きょう……すけ、さん?」
『ああ、オレは恭介だ』
「どうして?」
『……それはオレからじゃなくてあいつから聞けよ』
 待って下さい。そう言おうとしたけれど、その前に恭介さんは通話を切ってしまった。わたしは、呆然と沈みいく太陽を見みつめていた。ここは……この場所は。
「ねぇ!」
 ふいにそんな声が聞こえてきた。そちらを向くと、眼前に白いボールが迫ってきていた。慌てながら手をかざす。ボールはすっぽりとその中に納まった。ボールが飛んできた方向。そこには夕日に照らされて茜色に染まった、西園──美鳥の笑顔。
「キャッチボール、しよ?」


 ポスっという乾いた音を立ててボールがミットに収まった。わたしは、 ボールを掴むと不恰好なフォームで投げ返した。投げた球は、ヘロヘロと波を描きながら美鳥のミットへと入っていった。美鳥はボールをわたし目掛けて投げ返す。それをどうにか受けると、また美鳥目掛けて投げた。けど、握りが甘かったのかボールは全然別の方向へと飛んでいった。美鳥はそのボールを走って追いかけていく。ボールが落下を始める。美鳥は、大きくミットを伸ばす。ボールはまるで魔法でも掛かったかのように、ミットへと吸い込まれていった。
「……取れないと思いました」
「へへーん、わたしを見くびっちゃダメだよ。美魚」
 美鳥はニヤリと笑いながら、わたしに向かってボールを投げた。わたしは、それをなんとか受けながら「どうして」と呟いた。
「ん?」
「どうして、あなたがここにいるんですか? 美魚はあなたのはずです。どうして!?」
「そうだね。理由を言うなら美魚がバカだからだよ。うん、この世界を見て確信した。お姉ちゃん、バカだ」
 美鳥はそういいながら、ミットをクイクイっと動かしてボールを催促してくる。わたしは、ボールを投げる。気の抜けきったボールを取った後、美鳥はわたしを見つめた。
「そんな子供の頃の姿に戻ってさ。それが美魚の望んだことなの?」
「わたしは誰でもないわたしになりたかった。この世界でならそれが叶うんです。それに、この世界では美鳥。あなたも妹としていられるんです」
「けどそれはわたしじゃないよ。それにさ、どうしてあんな本があるの? どうして草野球をしている人たちがいるの?」
 その言葉に息を呑む。そうそれは気づいていたこと。リトルバスターズ。わたしの大切な人たち。その人たちの記憶を消し去った。なのに結局作り上げたこの世界の細部には彼らの要素が入り込んでいる。きっとそれはわたしが知らず知らずの内に望んだこと。彼らは眩しすぎたから。
「だからバカなの。ホントは気づいている癖に。憧れて、遠くから眺めて、そんなことしなくても美魚は、その輪の中に入れるのに。それにさ」
 美鳥はそこまで言うと、ボールを掴んで投球フォームに入った。そのままニコリと無邪気に微笑んだ。
「わたしは西園美魚なんていらないよ。だってわたしは、美鳥って名前が気に入ってるんだから!」
 そういうと美鳥は勢いよくボールを投げた。「あ」という短い美鳥の声が聴こえてきた。ボールはわたしのいるところを通り過ぎ、後方へと飛んでいった。気が付けばわたしは走っていた。足が縺れそうになる。先ほどの美鳥の言葉が耳の奥で反響していた。わたしは、ミットをつけた手を大きく伸ばす。届けばいいと思った。届きたいと思った。思うように進まない足がもどかしい。ボールが重力に従って落ちていく。そんなものをバカ正直に作ってしまった自分が恨めしい。後一歩。いや、半歩足りない。伸ばした手は届かない。わたしは、唇をきゅっと噛む。その時、唐突に視界の高さが変わった。ポスっという音を立ててボールが、伸ばしたミットの中へと入っていった。自分の手の平を眺める。そこには見慣れた自分の手。子供の頃の自分じゃない。あの時の姿。わたしは、美鳥のほうへと視線を向ける。
「どうかした? お姉ちゃん。ほらボール投げて」
 美鳥はそういって屈託なく笑う。子供の姿で。美鳥に近づきたかった。抱きしめたいと思った。けれど、わたしはボールを投げた。美鳥は子供の姿でも、なんなく捕球するとニコっと笑った。
「わたしは鳥だからね。お姉ちゃんがどこにいても見つけるよ。この大気の中から。だから、こんなところにいないで戻りなよ。皆のところに」
 そういって美鳥はボールを投げた。山形になりながらゆっくりとボールがわたしに向かってくる。それをじっと見詰めながら、ボールを受け取る。前方へと視線を戻す。けれどそこにはもう誰もいなかった。気が付けば夕暮れは終わり、空は藍色に染まり始めていた。わたしはもうそこにはいない妹に向けて「はい」と答えた。
 途端、世界は青白い光に包まれた。






 頭上を二羽の鳥が通り過ぎていく。その鳥は青色と緑色の混じった色をしていて、わたしの目を惹き付けた。鳥達は寄り添うように空と海の狭間を飛んでいく。やがてその姿が見えなくなると、わたしは視線を下げて辺りを見回した。太陽の落ちかかった夕暮れの海辺で、遊んでいる皆の姿が見えた。三枝さんが能美さんに向かって水しぶきをかけている。見て鈴さんと小毬さんが、能美さんの加勢に向かう。来ヶ谷さんがニヤニヤしながら、三枝さんの困った顔を眺めていた。男性たちも、面白そうなものを見つけた犬のように、そちらへと走っていく。三枝さんの絶叫。皆の笑い声。どこにいても賑やかな人たちだ。そんな輪の中に自分も入っていることを思い出して、クスリと笑う。
 あの事故からもう随分経つけれど、またこの人たちと一緒にいられることになるなんて思わなかった。一度拒絶したわたしが、また戻ってこられるなんて思わなかった。視界一杯に広がる海は、沈み始めた太陽を隠しながら茜色に染まり始めていた。頭の中に、美鳥の姿がちらりと過ぎる。わたしは、何物にも染まらないわたしになりたいと願った。だから美鳥が現れた頃に戻ろうとした。美鳥の存在が誰にも否定されない世界。そこでやり直そうとした。それが開放される手段だと信じていた。事実、満たされていたと思う。干渉を否定した世界で、たしかにわたしは満足だと感じていた。けれど──。わたしは、足を動かして波打ち際へと近づいていく。その途中で、足になにか柔らかいものが当たった。それは薄緑色のゴムボール。なんとはなしに拾い上げる。その時、横合いから「よぉ」という声が聞こえてきた。
「恭介さん」
「どうした? こんなところに一人で」
「いえ……」
「そうか」
 恭介さんは、言い辛そうにしながらガシガシと頭をかき始めた。それが少しだけ新鮮でわたしはクスリと笑う。
「西園」わたしの様子を訝しみながらも恭介さんは、そう呟いた。「オレは……おまえを見捨てるつもりだった」
「はい」持っているボールを手の中で転がしながら短く答える。それは気づいていた。彼は目的のためなら全てを犠牲にしてもいいと覚悟していたから。
「けどな……それに反発したのがあいつだった。おまえがいないのを認めないって譲らなかった」
「はい」
「おまえはどうだ? ここに帰ってきて、オレ達と一緒にいることを今はどう思う?」
 考えるまでもなかった。たしかにわたしはあの干渉を否定した世界で満たされていた。けれど、それと同じようにわたしは、このメンバーと一緒にいたいという想いを捨てきれていなかったのではなかったか。思えばわたしの真似をした美鳥に興味を惹かれたのは、あの姿がこのメンバーとの思い出を強く思い出させるからだったのだろう。ふと自分のことを探偵だと名乗った時のあの子の顔が浮かんできた。駄目押しにそんな嘘までつくなんて。急に可笑しくなってきてわたしはクスクスと声を上げて笑う。ふと思いついたことがあった。わたしは、恭介さんへと持っていたボールを投げる。恭介さんは、慌てながらもなんとかそれをキャッチすると、驚いたようにこちらを見てきた。わたしはそれに笑顔で返す。
「ここで嫌ですっていうほど、わたし、性格悪くありませんよ」
 そういいながらわたしは、腕を少しだけ掲げて首を傾げてみせる。恭介さんは、すぐに意図に気づいてわたしに向かってボールを投げ返してきた。
「……そうか。いい、妹を持ったな」
「羨ましいですか?」
 少しだけボールを手の中でお手玉しながらも、なんとか取るとそう言う。その言葉にきょとんとした顔をした恭介さんだったけれど、すぐにニヤリとした顔になった。
「まさか。オレには鈴がいるぜ」
「たしかに鈴さんは可愛いですね。でも、美鳥だって負けてませんよ?」
 語尾を強くしながらわたしはボールを思いっきり投げた。手から離れた瞬間、思わず「あ」という短い声が漏れた。ボールは、てんで明後日の方向へと飛んでいた。「おいおい、どこ投げてんだ?」という声が聞こえてくる。恭介さんは呆れたように飛んでいくボールを見詰めていた。わたしは、ぐっと親指を立てる。
「がんばってください」
「取れってか!?」
 そうはいいながらも律儀に恭介さんは走り出した。わたしは茜色に染まった海と空を見る。ふとあの世界で言われた美鳥の言葉を思い出した。自分は鳥だからどこにいても見つける。それは名前に鳥を持つあの子の比喩。なら名前に魚を持つわたしはいつまでもこの大気とは混ざれないのだろう。けど。けれど魚は泳ぐことが出来る。空と同じような一面の青で。大暴投をしたボールは水遊びをしている他のメンバーのところまで飛んでいっていた。恭介さんは、皆の中にダイブしながらボールを掴もうとする。バシャーンという一斉大きい音が響いてくる。その音の後にはびしょ濡れになったメンバー達。このバカ兄貴! 恭介氏、命がいらないようだな。うぇ、水飲んじゃった。そんな声が聞こえてくる。恭介さんは謝りながら、こちらを指差した。まるでわたしが原因みたいな仕草だった。口をへの字に曲げる。海水に濡れた皆がわたしを手招きし始める。その顔は少しだけ憮然とした表情。けれどどこか楽しそうで。可笑しそうで。わたしはそちらへと足を動かした。わたしを呼ぶ青の元へと。その青は夕暮れになっても色彩をオレンジ色に染めることはない。その中で生きていこうと思った。わたしをわたしだと思ってくれる青の元で。青い春の元で──。 


[No.26] 2009/03/20(Fri) 10:01:52

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