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No.319へ返信

all 第39回リトバス草SS大会 - 代理代理 - 2009/08/06(Thu) 21:14:33 [No.303]
締め切り - しゅさい - 2009/08/08(Sat) 00:38:33 [No.324]
俺のいもうとがこんなにかわいいわけがないなんてこと... - ひみつ@6094バイト - 2009/08/08(Sat) 00:33:29 [No.323]
[削除] - - 2009/08/08(Sat) 00:41:35 [No.325]
泡沫の - ひみつ@17926 byte - 2009/08/08(Sat) 00:30:33 [No.322]
立ち向かえ、現実に。 - HIMITSU☆6774byte - 2009/08/08(Sat) 00:15:48 [No.321]
大いなる幻影 - ひみつ@20030 byte - 2009/08/08(Sat) 00:11:05 [No.320]
幻日逃避行 - ひみつ@20432byte 逃げ出したいのは現実か虚構か? - 2009/08/08(Sat) 00:01:44 [No.319]
ホラーでうわーで冷やー - ひみつ@11893byte - 2009/08/08(Sat) 00:00:34 [No.318]
DB! Z - 光る雲を突き抜けたひみつ@12021 byte - 2009/08/08(Sat) 00:00:19 [No.317]
マッスルKYOUSUKE〜壮絶な修行はあえて巻きで〜 - ひみつ@1743byte - 2009/08/07(Fri) 23:39:58 [No.316]
[削除] - - 2009/08/07(Fri) 23:27:00 [No.315]
おやすみなさい - 秘密 14565 byte - 2009/08/07(Fri) 23:25:46 [No.314]
「おやすみなさい」補遺  - 秘密(おまけ3129 byte) - 2009/08/08(Sat) 21:09:47 [No.327]
幻性少女@微修正 - 比巳津@20198byte - 2009/08/07(Fri) 23:01:10 [No.313]
井の中の争い - ひみつ@3934byte - 2009/08/07(Fri) 22:42:11 [No.312]
原始の幻視 - ひみつ@3644 byte - 2009/08/07(Fri) 22:18:53 [No.311]
儚き夢を追い続け  - ひみつ@5,093 byte - 2009/08/07(Fri) 21:49:49 [No.310]
ねむりのおと - 秘匿 3,911byte - 2009/08/07(Fri) 20:13:00 [No.309]


幻日逃避行 (No.303 への返信) - ひみつ@20432byte 逃げ出したいのは現実か虚構か?

 現実に良い事なんて一つもない。
 こんな世界なんて大嫌いだ。
 少なくとも俺はそう思っている。



 また目覚める。
 水面のようにぼやけた視界が次第に輪郭を得る。
 「知らない天井だ――」





 幻日逃避行





 とりあえず呟いてみたけれども結局そこにあるのは何度も見慣れた自室の天井に違いなかった。俺は今、自室のベッドに横になっていてベランダの窓から差し込む鬱陶しい太陽光線の影響で緩やかに目を覚ましたところだった。別に意味もなくわざわざ名台詞を真似た訳じゃない。そこには現状の変化を求める個人的な願望があったが、そんな事で変わってくれる世の中なら麗しの平面世界は必要とされなかっただろう。俺としてはそんな世界は心の底から願い下げだった。
 それより、早速砕かれて一カラット程度だけ残された願望の欠片に縋るように俺は命の次、――の次くらいに大切なノートパソコン&外付けハードディスクと共に置かれた携帯電話を手に取って一呼吸置いてから開いた。真っ先に俺を出迎えてくれる淡いピンクの待ち受け画面の中央で微笑むマリーちゃんは今日も可愛い――のだけれども今直面している問題は残念ながら違っていた。心の中でマリーちゃんゴメンね、と小さく謝りながら画面上部に視線を向けて俺は――力なく天井を仰ぐしかなかった。

 「……ですよねー」

 呟いたところで視界に映る薄汚れた天井が変わる筈もなく、思わず零れ出た言葉に残された小さな願望も打ち砕かれて研磨剤と化した。吹けば飛ぶ、とは正にこの事だろう――か?だらしなく垂れ下がった右手には五月十四日の文字とマリーちゃんの笑顔が逆さまに揺れていた。



 実を言うなら、目覚めた瞬間にデジャヴを感じた時点で半ば、というより殆ど諦めていた。いや、デジャヴという言い方も間違いだ。何故なら俺は既に『それ』を実際に体験している上に今回で『それ』が四回目ともなれば流石に気付いてしまう。四回目と言っても『それ』に気付いた時点でカウントしているから実際は五回目か十回目か、もしかするとそれ以上なのかもしれない。けれど、問題は回数じゃない。いや一応問題ではあるけど今直面している『それ』を一言で表すなら――そう、

 『無限ループって怖くね?』と、そういう事である。

 ……何を言っているのか分からないと思うが、気付いた時には俺も何をされたのかさっぱり分からなかった。普段どおりの、やや陰鬱とした生活を送り続けていたつもりが、いつの間にか五月十四日に戻ってきてしまった。月を間違えたとかドッキリとかそんなチャチなオチじゃ断じてない。もっと恐ろしいものの片鱗を味わいつつも、オチに関しては絶賛模索中である。



 どんなに悩んだところで現状が月曜日の朝だという事実から変わらないのでとりあえずは平日の朝らしく学園に登校することにした。同じことを四回も経験してしまえば、いい加減あれこれ考えるのも面倒臭くなってしまう。非日常的な状況下に置かれても普段どおりに過ごせてしまうあたり人の慣れとは恐ろしいものである。パニック起こして騒いだところで気味悪がられて終わるのも目に見えているのだが。
 どうしてこんな事になったのか?
 教室の隅にある自分の席に突っ伏しながらも頭の中はそればかりだった。こういう時、慌てた方が負けなのは言われずとも分かっている。問題は、俺が何と戦っているか、ということだ。

 ――現実?

 ふと思いついた言葉がよりにもよってそれですか、と思わず自分に突っ込みたくなった。
 俺に言わせれば、それは手に負えないほど厄介であり、出来れば一生相手にしたくないのだが、そいつの相手をさせられるのが一生の間だけという律儀に嫌味なヤツだ。諸手を挙げて逃げ出したいところだが、しかし回り込まれてしまった、というテキストが目に見えている。今だって顔を上げれば四方八方百八十度見渡す限りにヤツが潜んでいるのだから。
 ……いかん。なんか変な方向に考えを持っていってしまった。それに、こんな非現実的な事件――事象?に巻き込まれていながら、これが現実だなんてある筈もない。それこそ幻想と書いてファンタジーと読むようなものだ。こういう場合、素数を数えろ!などと考えているあたり、自分でも冷静を取り戻せたと考えていいだろう。
 時間が逆行したり移動したりする、いわゆるタイムリープと呼ばれるものは俺でも知っている。と言ってもそれが創作の範囲であるから、その知識が実際に役立つかどうかは分からない。俺が知っているタイムリープものだと過去や未来へ時間移動するものが殆どだが、中には同じ日を繰り返すという作品もあった。現状を考えるならやっぱり後者の方が近いと言える。
 …だからと言って何も解決に結び付く気配は無いのだが。
 物事には必ず原因がある筈なのだが、それっぽい体験もなければ兆候のようなものもない。変な薬物に触れたとか身体に異変があるわけでもない。何の原因も無しに考えられるものなんて夢オチくらいしか残されていなかった。

 トントン。

 肩を叩かれる感触に思考を中断させられた。
 無視するという選択肢は思い浮かばず、代わりにまたかと溜め息を吐きたくなった。顔を上げれば予想通り、数学教師が不器用な笑顔で俺の顔を覗き込んでいた。気持ち悪い視線と見つめ合うが、向こうはにっとりとした表情を崩さない。次に出る台詞も既に予想できている。

 「今のページの問二、前に出て解いてみろ」
 「……はい」

 俺の言葉に続いて教室のあちこちから笑い声が上がる。恥ずかしくはない。ただ鬱陶しいと感じた。言われるまま、教科書も持たずに黒板の前に立ってそのまま答えを書いた。チョークの走る音が進む度に教室が静かになっていく。チョークを置いて数学教師に向き直る。
 先程とは打って変わって苦々しい表情を見せたが、同じネタではそう何度も笑えそうにない。

 「どうですか」
 「…席に戻れ」

 はい、とだけ小さく返して席に戻る途中、ここで初めて教室内を見渡した。
 呆けたような表情、必死にノートに写す姿、机の中に向けている視線…
 俺の席の後方、並んで机に突っ伏している姿が目に入った。
 なんだ。俺以外にも寝ている奴がいるじゃないか。
 どうでもいい事に少しだけ不条理さを感じながらも、俺は再び机に突っ伏して思考の海に潜る事にした。



 結局、四度目の初日は何の進展も無く終わった。



 翌日、目を覚ますと同時に呟いた。
 「知らない天井だ――」
 おまじないみたいなものだ。漢字変換したいとは思わない。
 相変わらず見慣れた天井から変化しないので諦めてさっさと起き上がって、机の上の携帯電話に手を伸ばした。今日も俺に微笑みをくれるマリーちゃんはいつ見ても可愛い――のだけれども今日の問題もまた違った。謝ってばかりなのもアレなので、代わりにおはよう、と心の中で挨拶した。淡いピンクが彩る液晶画面に映し出された五月十五日の文字と、遅刻の警鐘を鳴らす非情な時刻。分かっていたとしても不条理を感じざるを得ない。なんかもう色々と面倒臭いので急いで制服に着替えることにした。



 男子寮を飛び出した途端、聞き慣れたくない雄叫びが聞こえた。それに続くように遠ざかっていく甲高い悲鳴に思わず足が止まりかける。これも既に経験している内の一つだが、誰だっていきなり大声で騒がれたら驚く。しかし、今の声を聞くに心配するだけ無駄だと思い直して校舎へ続く渡り廊下を走る。

 ドンッ!

 北校舎の渡り廊下を抜けた途端に誰かとぶつかった。突然受けた衝撃に驚きつつも、心の中では、やってしまった、と後悔した。これが食パン咥えた可愛い美少女転校生なら良かったものの、そんなベタな期待は当に、具体的には三回前から既に完全に姿を消していた。

 「痛てて……」

 ぶつかった相手は三年生の棗先輩だった。いつも休み時間になるとロープを操ってうちの教室の窓から侵入してくるため、その顔は既に学園中に知れ渡っている。個人的には関わり合い部類の人種の中でもやや高い位置にいる人物だが、毎回此処でぶつかってしまう運命にあるらしい。先輩にぶつかっておいて無視するわけにもいかないのでとりあえず手を貸す事にした。

 「すいません棗先輩。大丈夫ですか」

 声だけでも相手を案じるようにして手を差し伸べながらも、俺は左手の握手は決闘を意味すると何処かで聞いたことを思い出していた。尻餅をついて見上げるような形になった棗先輩は気恥ずかしげに差し出した右手を取って立ち上がった。

 「サンキュー」

それだけ言ってぶつかった際に辺りに散らばった荷物を拾い始めた。俺もそれに倣うように拾い始めた。教科書やノートの中に一冊だけ異彩を放つ漫画『学園革命スクレボ』を手に取った。表紙の力の入り様が余りにも富樫だが、残念ながら俺はこの手の少年漫画は中学に卒業していた。
 他の教科書も拾い上げ棗先輩に渡すとき、何気なく口にしてしまった。

 「何度も同じ漫画読んで、先輩も飽きませんね」

 その時の先輩の表情は今まで見たこと無いような、一言で言えば間抜けな表情だった。一瞬、何か考えるような顔をしたが、すぐに無邪気な笑顔に隠されてしまった。

 「いやこれ、一昨日買ったばかりなんだぜ?」

 今度は俺が間抜けな顔をしていただろう。隠す理由も無かったの だが、俺は咄嗟に誤魔化していた。

 「先輩なら二日もあれば何度も読んでるんじゃないですか」
 「もちろん!」

 流石は人気者なだけはある。人懐っこい笑顔に誰もが本来持つ警戒心を緩めてしまうだろう、と冷静に分析しているあたり、自分は捻くれているのかも知れない。

 「それより急がないと遅刻するぜ?と言っても多分もう間に合わないと思うが」

 棗先輩の言葉と同時にホームルームの終了を告げるチャイムが鳴った。俺は慌てて自分の鞄を拾い上げて振り返った。

 「それじゃ先輩――」

 一瞬だけ見えた棗先輩の目は冷たくて、急な出来事に思わずビビってしまった。
 しかし、それもほんの一瞬ですぐに元の笑顔の下に消え、棗先輩が背を向けると完全に見えなくなってしまった。すぐにその場を動けなかったが、もうすぐ一限目が始まることを思い出して教室へ駆け出――そうとしたのだが、





 振り返った先には、ただ真っ白な光景だけが残されていた。





 また目覚める。
 水面のような視界が空白の光景と重なって見えた。
 「知らない天井だ――」
 完全に覚醒すれば自室の天井と何一つ変わらないが、少しだけ知らないものが見えた気がした。





 ぎらつく太陽光線を避けるようにベッドから起き上がり机の上の携帯電話を手に取る。
 分かっている。開かずとも分かってはいる。
 これを開ければマリーちゃんの優しい笑顔と――

 「……ですよねー」

 開いた携帯電話を覗き込み、思わず口から零れた台詞に再びデジャヴを感じた。予想通り、待ち受け画面に表示されたのは微笑み爆弾のマリーちゃんと五月十四日の文字。右手は再びだらしなく垂れ下がったが、前とは違って途方に暮れるようなことは無かった。

 なんだか、やっと一歩前進した気がする。





 まず、間違いなくこのタイムリープ現象に棗先輩が絡んでいる。犯人かどうかまでは分からないが、棗先輩と話した後の、あの異質な光景から考えても関係者に間違いないだろう。だとすると、次は棗先輩からこの現象について聞かなければならない。目的や方法も気になるけれども、俺にとって最も重要なものは元に帰ることができるのか、この一点のみだ。
 あとはどうやって棗先輩に接触して話すか、恐らくこれが一番難しい問題だ。もしあの空白の光景とタイムリープ現象が棗先輩によって引き起こされたものだとすれば、棗先輩は俺が話を聞こうとしてもまた逆戻りさせられるのがオチではないのか?何の目的でこんな事をするのか分からないが、俺としては元に戻れさえすればそれでいい。だが、棗先輩が俺を陥れた張本人ならわざわざそんな真似はしない筈だ。
 だったらどうすればいいのだろうか?現状での手がかりはやはり棗先輩しかない。となれば、接触する他ないだろう。でも、どうやって――

 トントン。

 考えれば考えるほど思考さえも無限ループ入りしそうになった時、俺の肩を叩く感触に中断させられる。…すっかり忘れていた。顔を上げれば不器用な笑顔を浮かべる数学教師が俺の顔を覗き込んでいた。見つめ合う時間だけ無駄なので奴が口を開くより早く黒板の前に立ってチョークを取ると、そらで覚えた答えを書き込んでいった。

 「…どうですか」

 数学教師に向き直り、少しだけ威圧するように訊ねた。数学教師は今まで以上の苦い表情に顔を歪ませていた。どうやら、過去の一件もあってか彼の自尊心を刺激したらしい。うむ、と肯定の言葉か唸り声なのか判断しづらい声を肯定と取る事にした。席に戻る途中、今回で二度目の教室内の反応に視線を向けた。前回よりも呆けた表情が多い程度で大して変わりなく、ただ笑い声が俺の耳に届く事は無かった。





 結局、俺は棗先輩と接触する事無く、気が付けば五回目の初日の放課後を迎えていた。どうやらホームルームの途中で眠ってしまったらしい。がらんとした教室を見渡しては、自分の交友関係の無さを実感させられる。棗先輩に会いに行くべきか迷ったが、それは明日以降に回そうと結論付けて帰りの仕度に取り掛かった。





 照明を消して教室を出ると、グラウンドから金属バットの快音と覚えのある笑い声が耳に届いた。そういえば、野球部は休部状態という噂を耳にした事がある。少し躊躇したが、好奇心からか廊下の窓に歩み寄ってグラウンドをそっと覗いた。
 胸が鳴った。擬音にするならドキンというよりドキリという音の方が近い。胸キュンには程遠い、あまり好きになれない感覚だ。
 グラウンドの隅で棗先輩と直枝がノックをしていた。棗先輩が打って、直枝が取って返している。二人とも制服の上着を脱いで、全身泥まみれになりながらも笑い合っている。いかにも青春といった光景だが、二人とも何故泥まみれになりながら笑い合っているのかまでは理解できなかった。
 そのまま二人の姿を眺めていたら、不意に棗先輩がこちらを向いた。いつの間にか気付かれていた事に驚いたが、棗先輩は何の反応も見せず直枝に向かってボールを打ち続けた。
 俺はそれを呆然と見ていたが、暫くして何故だか居た堪れない気分になった。グラウンドの二人から一度視線を外すとそれは加速度的に膨らみ始め、俺は逃げるようにその場を後にした。





 翌日、考え事をしていたら例のおまじないが出る前に完全に意識が覚醒してしまった。
 そっとベッドから起き上がり机の上の携帯電話を開いた。桜の花びらのように可憐な微笑みをくれるマリーちゃん、五月十五日の文字、ホームルームまで五分を切った時間。急げば一限目に間に合わないこともない。だが、ここで急ぐという事は棗先輩に会うという事だ。そして走れば間違いなく先輩とぶつかるだろう。
 「どうしようマリーちゃん…」
 携帯の画面を眺めながら春の妖精のようなマリーちゃんに尋ねてしまう。そんな事聞かれても困るだけだというのに。それでもマリーちゃんは微笑んだまま俺に視線をくれる。

 「ん、分かった…」

 マリーちゃんから勇気を貰った。





 食パンでも咥えてやろうかと思ったが、生憎と食堂に寄る時間もない。超特急で着替えると鞄を引っ掴んで男子寮から跳び出した。ほぼ同時に中庭から響き渡る二つの雄叫びと一つの悲鳴。それを鬨の声と受け取って寮の角を曲がって渡り廊下を全速力で走った。

 ガスッ!
 「うぐっ!」

 全速力で走ったものだから今まで以上に派手にぶつかった。因みに今のタイヤキ声を上げたのは俺じゃない。俺の目の前で尻餅ついて鼻を押さえながら涙目になっている棗先輩だ。こんな可愛い子が女の子なわけないじゃないか系男子を除いて野郎に欲情する趣味のない俺は、今目の前にいるのが金髪ツンデレ美少女転校生ならば!と当に捨てた筈の期待に悔やみながらも今回は流石に心配になってきたので手を差し伸べることにした。

 「だ、大丈夫ですか…?」
 「うっ、すまん…」

 思いっきり鼻を打ったのか、それとも俺がヘッドバットしてしまったのか痛みを堪えるように目を瞑る棗先輩が差し出した左手を取るのを見て引っ張り上げた。立ち上がっても尚、鼻を押さえているあたり本気で痛かったのだろう。俺は上着のポケットからティッシュを取り出して痛みの涙を流す棗先輩に握らせ、盛大に散らばった棗先輩の荷物を拾い集めた。
 筆箱から散らばった匂い消しゴムの数には流石に引きかけたが、なんとか全て拾い集めて棗先輩の鞄に詰め込んだ。痛みも引いてきたのか、上を向きながらあーあー言う棗先輩の姿が妙に可笑しかった。

 「もう大丈夫ですか?」
 「ああ、悪かった。わざわざ拾ってもらって」
 「いえ、ぶつかったのは俺の所為ですから」

 自分でも珍しいと思うが、割と本心である。照れ臭そうにする棗先輩とは裏腹に俺は内心冷や汗モノだった。ぶつかるにしても全力疾走する必要は無かった。特攻を掛けるのはいいが、それで相手の機嫌を損ねていては話にならない。心の中のもう一人の俺が今はやめておこうよ、としきりに説得してくる。だが、無意識に俺は制服の上から携帯電話を握り締めていた。正に手に汗握る緊張感である。俺は逃げないぜ相棒!マリーちゃん俺に勇気を分けてくれ!
 俺は棗先輩に荷物を詰め込んだ鞄を手渡しながら意を決してその言葉を口にした。

 「な、何度も同じ漫画読んで先輩も飽きまひぇんね…」

 最悪だった。
 俺は今まで自分がヘタレだと認めなかったが、幾らなんでも今のどもりは酷かった。今この場でお前はヘタレだ!と指摘されようものなら返す言葉もなく羞恥に耐えるしかないだろう。自分にショックを受けている事に気付いていない棗先輩から返ってきた言葉は予想とは違ったものだった。

 「こうやって繰り返し読むのも悪くないぜ?」

 その言葉はどう受け取っていいものか判断に迷った。戸惑う俺に構わず棗先輩は大分薄くなったポケットティッシュを俺の手に押し返して校舎へ向かっていった。

 「それより急がないと遅刻するぜ?」

 その言葉に身体が硬直する。またしてもリセットさせられるのだろうか?次の言葉に恐怖しながらも視線は校舎へ向けて歩く棗先輩から外せない。
 しかし、次の言葉もまた前回とは違ったものだった。

 「まだ急げば一限目には間に合うと思うぞ?」

 じゃあな、と手を挙げる棗先輩の言葉と同時にホームルームの終了を告げるチャイムが鳴り響いた。



 振り返っても景色がホワイトアウトする事無く、俺は安堵すると共に教室へ向けて走り出した。



 教室で騒ぐ三枝の声がうるさく感じる中、俺は手にあるポケットティッシュに目を向けていた。中身が殆ど無くなった薄っぺらいそれに添えられた一枚の紙切れに俺は目が離せなかった。

 『昼休み、校舎裏で待つ』

 どう考えてもこの文だと果たし状である。今朝の事からしてそれも考えられる、というよりそれしかないだろう。だが、あの様子ならもしかするとこの現象について話してくれる気になったのではないかとも思えるのは都合が良すぎるだろうか。あれこれ悩んでも仕方ないのは分かっている。結局のところ、俺には会って話すしか選択肢は残されていないのである。たとえバッドエンドの袋小路であったとしても。





 四限目が終わってすぐに校舎裏で待つことにした。俺が着いた時には棗先輩の姿は何処にも見当たらなかった。校舎裏に捨てられたのか備え付けられているのか分からないボロボロのベンチに座りながら生徒の群がる購買から得た戦利品を口に運んだ。カツサンドうめぇ。



 「悪い。待たせたな」

 群がる猫たちにパンを分け与えていたら暫くして棗先輩が姿を現した。俺の隣に腰掛けると、ボロボロのベンチから軋むような嫌な音がした。座ってからすぐに口を開く様子は無かった。だけど、俺は先を促すような事はせずに猫たちにパンを千切っては投げ、千切っては投げて与え続けた。



 座ってから五分も経たない頃、棗先輩は俺に問いかけてきた。

 「お前、もしこの後死ぬって言ったらどうする?」

 やはりあの手紙は果たし状だったのか。俺は人気のない校舎裏で猫たちに見取られながら死んでしまうのか。やはり現実――ではないけれども世の中、そんなに甘くなかったみたいだ。だが、俺にも元の時間に戻りたい理由がある。その為には死ぬわけにも、無限ループに嵌っている暇も無かった。

 「死ねません」
 「絶対に死ねません」

 棗先輩は何も言わない。大事なことだから二回言ってやった。
 まだ何も言わない。なら、もう一度言ってやろう。

 「明美ちゃんに会うまでは、絶対に死ねません」
 「…それほど大事な人なのか?」

 漸く応えた棗先輩に俺は頷いてみせた。
 それは俺と明美ちゃんとの間の約束だった。
 だって明美ちゃんは俺の、俺の大事な――



 「俺の大事な、嫁ですから――」



 この時の棗先輩の驚きっぷりは恐らく幼馴染連中以外では俺が初めて見たと確信した。





 「俺は夏休みに明美ちゃんと会う約束をしているんです」
 棗先輩は唖然としている。
 「その為に俺は去年の冬からコツコツとお金を貯めました」
 棗先輩は呆然としている。
 「その甲斐あって初回特典版の予約も完了しました」
 棗先輩は我に返った!

 「なのに!何時まで経っても夏休みにならないんですよ!」
 「…あー、それは、その…お気の毒に?」
 「他人事みたいに言わないで下さいよ!」

 それからひと悶着あって、棗先輩は渋々といった感じで現状についての説明をしてくれた。





 「――だからお前が夏休みを迎えることは、無い」

 棗先輩の口から語られた内容はにわかに信じられないような内容だった。
 修学旅行の途中でバスが転落、俺のクラス他一名はそのまま爆発に巻き込まれてジ・エンド。その時に生まれたこの世界が所謂、走馬灯というヤツで死ぬまでの短い間、延々と一学期を繰り返している、と。
 訳が分からなかった。信じないという選択肢は常に表示されているが、他に手がかりもない以上信じるしかなかった。

 「だったら、これからどうすればいいんだ…」

 自分が死ぬという現実よりも明美ちゃんに会えないという現実の方がウェイトは重かった。今まで彼女の笑顔をもっと見たい、その想いで過ごしてきたというのに。それが叶わないのなら――
 そこまで考えた俺に棗先輩はそっと肩を叩いた。

 「そう落ち込むなよ」

 見上げた棗先輩の表情は苦し紛れに俺を励まそうとしているのが見て取れた。別に無理して慰めて欲しいわけでもない。同情するなら明美ちゃんに逢わせてくれ。幻想と書いてファンタジーな世界の癖にあるものと言えば三次元しかないなんて間違っている。

 「ほら、お前も少しはこの世界に目を向けてみたらどうだ?」

 現実から目を逸らしたままのダメオタクだって自分だって分かっている。でも俺には現実と書いてリアルに求めるものなんて何一つ無い。

 「もしお前がその気になれば、そうだ」

 何か閃いたような声に少しだけ顔を上げた。俺の顔を覗き込む棗先輩の輪郭が太陽を背に輝いている。顔は真っ暗で全然見えない。

 「ゲームみたいな恋愛が出来るかもしれないだろ?」

 そう言って棗先輩は俺の肩をもう一度叩くと立ち上がった。同時に携帯電話を取り出して呆然とする俺を他所に何やら通話を始めた。

 「待て、鈴と被る可能性がある。鈴の報告を待つ」

 ……。

 「オーケー、大丈夫だ、理樹三階いってくれ」

 携帯電話を仕舞い、俺に親指を立てながら頑張れよ!と言ってそのまま走り去っていった。
 何だったのだろう、と思いながら棗先輩の言葉を思い出す。

 『ゲームみたいな恋愛が出来るかもしれないだろ?』
 「でも…そうか、そういう考え方もあるのか…」

 口にした途端、心の中で熱く燃え出した気持ちが生まれて叫ばずには居られなかった。





 「そんなので納得すると思ったかバーカッ!!」





 それからというものの、繰り返していく日常の中で少しずつ、本当に少しずつ他人と交流していくように努め、時にはフラグを立てようと躍起になったこともあった。



 それから暫くしたある日。



 また目覚める。
 少しの違和感。
 目を開けばそこにあるのは――
 「知らない天井だ――」



 見覚えのない白い天井を見た途端、俺は助かったのだと確信した。
 結局予約していた『きっと来る、明日のために』略して『明日来る』の引き換え期間は入院中に過ぎ去ってしまい、明美ちゃんとは会えなかったけれども。
 どんなに頑張っても走馬灯の中でさえ彼女はおろか友達以上にもなれなかったけれども。
 やっぱり現実なんてもの、大嫌いで何時まで経っても好きになれそうにもないけれども。



 もう少しだけ向き合ってみようと思います。


[No.319] 2009/08/08(Sat) 00:01:44

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