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ポケットの中には、一駅分の切符。 揺れる車内に人影はない。広がる景色からコンクリートが消えて、三十三分。心地よい振動に身を任せている時間はと言うと、はや二時間と十二分。他の乗客は一つ前の駅でだいぶ降りてしまった。後ろの車両を見てみても、人がいないのか死角になっているのか、判断がつかなかった。 隣の葉留佳は、飽きもせずに外ばかりを眺めている。美魚は、景色以上に飽きた文庫本の表紙をなでている。 「それでさー私の婚約者二人のことなんですけどネ?」 「いつもどおり脈絡がありませんね。聞きたくないんですが」 「一人はねー、私たちと同い年なんだけど、一言で言うとチビガリデブなんですヨ」 「いつもどおり話しを聞きませんね。……チビガリはいいとして、どうしてデブが関わってくるのですか?」 「うーん、お腹まわりだけドルジ?」 「それはもしや餓鬼ですか? 妖怪のほうの」 「もう一人は人生曲がり角のハゲチャビン」 「ロリコン乙」 「……ん? ハゲチャビンってなんかモンスターの名前みたいじゃない? 特技はフラッシュと毒々ならぬ油々」 「地味なのに的確な嫌がらせが得意、と。三枝さんにぴったりですね」 「む、どういう意味だー?」 「地味なのに的確な嫌がらせが得意な三枝さんとぴったりです」 「つるのムチ、つるのムチ、つるのムチー!!」 「辞典クラッシュ」 「ぎゃぼー!!??」 車内アナウンスが終点を告げる。もう乗っていることは出来ない。電車が止まる。ホーム側のドアが、開かない。ホームが狭く、真ん中の二〜三両分しか開かないらしい。葉留佳たちは先頭車両に乗っていた。二両分引き返した。 ホームに降り立ったとたん、むせ返るような潮の匂いと、鼻を刺す冷気、音のない騒音が出迎えた。 改札に人はなく。木箱が一つ。電子定期券用の妙な機械が一つ。葉留佳は気にせず改札を素通り。美魚はおっかなびっくりその後を追随する。 「みおちんはそう言うのないの? 恋バナみたいな」 「話す必要がありません」 「えー? 私は話したじゃん。ほらみおちんも!」 「勝手に話し出されただけなのですが……まあ昔の話ならいいでしょう」 「いよっ待ってました!」 「私の初恋は小学二年生のときです。同じクラスの男の子を好きになりました。一月後、その子は親の都合で引っ越していきました」 「終わるの早っ!? そして切なっ!?」 「次の恋は小学三年生のころ。図書館で知り合った男の子です。その子の親が不幸にあって親戚の家に引き取られていきました」 「二連チャン!?」 「次は小学六年生」 「もう止めて、はるちんのハートはずたぼろよ!」 「好きだと言えず一年間。学区の違いで別々の中学に……」 「うぎゃー!!」 「――とかいうことがあったら嫌ですよね」 「全部嘘かヨ!!??」 こつこつと。アスファルトを踏み鳴らしながら、二人は歩く。海は、遠かった。吐く息が白い。透明な世界を、白く濁す。だけど、世界はすぐに透明になる。理不尽で不条理なほど綺麗な仕組みだった。世界に残せない白を、美魚は両手に吐きかけた。ほんの少しの温もりが、手のひらをすりぬけていった。 「みおちーん、はいチーズ!」 「っ!」 「おー。普段からは考えられないようなすばやい動きで顔を隠されたー」 「……三枝さん。いい加減にしてください。撮らないでほしいと、あと何回同じことを言わせる気ですか?」 「んー、メモリ的にはあと八十枚ぐらい取れますネ」 「そのカメラを渡してください」 「データを消去するの? 機械オンチのみおちんが?」 「破壊します」 「別にいいけど、弁償は五万超えコースですヨ?」 「くっ……!」 潮のにおいはするのに、どこまで歩いても海につかなかった。見えてはいる。ただ、近くに見えるはずなのにたどりつけないだけで。海へまっすぐ続く道はない。九十九折の道にそって、ひたすらに下っていくしかなかった。 ――むしろ、たどりつかなくてもいいのではないか? 美魚はふと、そんな疑問を持った。しかし口に出しはしなかった。心の奥底、自分でも意識できない場所に封じこめた。そこにはすでに、同じ疑問がひしめきあっていた。 歩く、歩く。二人は歩く。黙々と、粛々と。美魚は積極的に話すほうではないし、葉留佳は騒ぐネタがなければ騒げない。ゆえに進行は静か。 葉留佳は手袋を外し、ケータイを取り出した。しゃこんとスライド、ぽちっとセンター。新着メールは0件。やはは、と不器用に苦笑う。美魚はそれが泣きそうな顔に見えた。 じゃりじゃりと。アスファルトの上の砂をかき乱しながら、二人は歩く。 海が、近かった。 ゴミが散らばった砂浜。黒い水。赤い空。岩礁のような岩の間にかろうじて存在する空間に、その海はあった。 「いやー、キレイですネ?」 「どこら辺がキレイなのか具体的に説明してください」 「海ですヨ? 海じゃん。海だから!」 「全然具体的ではありません」 「えっと、えーっと、あ、ほら! 夕日! 夕日キレイ! 夕日ちょーキレイ!」 美魚は海に沈んでいく夕日を見て、いまさらながらに時間がずいぶん経っていることに気がついた。朝はまだ、確かに学校にいたと言うのに。 ぱしゃり。 シャッター音。横を見る。デジカメが美魚を捉えていた。残り七十九枚。レンズの向こうの葉留佳と目が合う。怒ろうと口を開きかけ……結局、ため息しか出てこなかった。 「さてと!」 おおげさに呟いて、デジカメをぽいっと砂浜に投げた。 ポケットを探る。ビー球が出てきた。ぽいっと砂浜に投げた。 ポケットを探る。ボンドが出てきた。元の場所に戻す。 ポケットを探る。ケータイが出てきた。元の場所に戻す。 ポケットを探る。財布が出てきた。ぽいっと砂浜に投げた。 靴を脱ぐ。ボーダー靴下を左だけ脱いで、ぽいっと砂浜に投げた。靴を履き直す。 そうして、葉留佳の最大の特徴である変則的なツインテールに手をかけると、一息にほどいた。手には、子供じみた髪留め。髪が流れる。太陽を反射して赤いうねりとなり、癖のないストレートヘアーが腰までを覆った。美魚はそれだけで、目の前の彼女が誰だかわからなくなった。錯覚だったが。彼女は美魚に、髪留めを差し出した。美魚は受け取らない。こんな物いらないと、視線にこめて投げつけた。やはは、と爆笑。彼女は髪留めを、そっと砂浜に横たえた。 踏み出す。 夕日に向かって歩いていく彼女を、美魚はじっと見ていた。ふと思いついたかのように、彼女が投げ捨てたデジカメを手に取る。見よう見まねでツマミのような物をひねると、背面のディスプレイに光が灯った。これで撮れるのだろうか? とりあえずファインダー越しに彼女を覗いてみた。 【ざり、ざり。ビンの破片を踏み、足の裏を切った。ざり、ざり。くらげのような物を踏んで転びそうになった。ざりざり。ちゃぷ。履き口から海水が浸入してくる。ちゃぷ。刺すような冷たさと、傷を刺激する熱さが襲う。ちゃぷちゃぷ。ちゃぷちゃぷ。】 ファインダーの向こう。一枚の絵画のような光景が広がっていた。海に沈んでいく夕日、夕日に向かう彼女。少しだけうらやましくなった。ずっと見ていたい光景だと思った。その光景を切り取る手段は、今まさに手元にある。美魚は人差し指でシャッターボタンを押した。チキキ! これで撮れたのだろうか? 【夕日が沈んだ。】 少し先の街灯が体全体を、ディスプレイの明かりが顔を、薄ぼんやりと照らしている。美魚以外に、人影はなかった。きょろきょろと辺りを見回し、結局手元のデジカメに視線が戻った。美魚はぽちぽちと、無知ゆえの大胆さと慎重さでデジカメを操作する。危うく全消去しそうになったときはさすがに慌てた。落ち着いてNoを選択。やがて美魚は、お目当ての動作――今まで撮った写真を見る――ことに成功した。 【学校の風景が写る。見慣れた建物が、見慣れないアングルで写し出されていた。何枚も、何枚も。】 【その途中に一枚だけ、見たことのない民家が写った。ごくごく平凡な一軒家だった。】 【やがて見覚えのある写真が出てくる。教室の床にばらまかれたカッターナイフの刃。一片一片のそれらが無数に散らばって、不規則な光線を反射していた。】 【教室の入り口、不機嫌そうな怪訝そうな目でこちらをみつめている美魚のバストアップ。】 【駅前の比較的交通量が多い道路。目の前にぶつかってきそうなトラックの一瞬。トラックにフォーカスが当てられ、周りが少しぼやけていた。】 【名前も知らない廃工場。割れて薄汚れたガラスの上に、真新しいロープがにょろりととぐろを巻いていた。】 【名前も知らない虫に怯え、半べそをかいている美魚の顔。】 【街で一番高いマンションの屋上。フェンスの端と、給水塔の一部と、真っ青な空に浮かぶふわふわの雲。】 【ホーム上からの線路。同じアングルでもう一枚、今度は電車と線路が写っていた。】 【電車内の吊り広告。連写モードで撮ったのか、少しずつずれた写真が十枚ほど。】 【コンクリートだらけの風景。コンクリートと緑の混在。緑豊かになった風景。】 【車内で読書をしている美魚の、穏やかな顔。】 【腕全体でガードした、美魚の顔。見ようによっては肘打ちしているように見える。】 【夕焼けに照らされて、赤と黒のコントラストが映える美魚の横顔。】 必死に、デジカメを操作していく。時には一個二個と戻り、画面を食い入るように見つめた。 とうとう美魚はその中に、葉留佳の姿を見つけることは出来なかった。 残り七十九枚。 [No.360] 2009/08/28(Fri) 21:01:46 |
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