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「いい景色だな」 「…うん、そうだね」 病院のベッドの上から窓の外を首だけ動かして見ている鈴に、そう言った。鈴のベッドの近くに腰かけている僕は、鈴の手を握っている。 「もっといっぱい見たかったな、元気に理樹とはしゃぎながら」 「…うん、そうだね」 夕焼けに鈴の顔が映し出される。顔は青白く、今握っている手は痩せこけて骨が露わになっていた。 どうしてこんなことになってしまったのだろうか。 二年前、僕は鈴と恋人同士だった。 周りのみんなからも祝福を受けて、とても幸せにやっていた。 冷やかされるんじゃないかと内心ひやひやしてた僕は、みんなからの祝福の言葉を聞いてすごい嬉しかった。 付き合い始めてからちょっと経った頃、鈴が僕の誕生日に何か送りたいからと僕を連れて買い物に行った。 ほんとはこういうのって僕に内緒でするんじゃないかな、とか思いながら鈴と一緒に出かけた。 歩いてる途中、鈴が僕に手を絡めてきた。こうやって二人で出掛けるのが少なかったからこういうのはしたことがなかった。鈴は少し頬を赤らめながら「誕生日の前祝いだ」と言って手をぎゅーと握ってきた。僕もそれに負けじと強く、握り返した。 鈴に気を使って僕は歩道側を歩いていた。その時は祝日だったから人通りも激しかったし、車もそれなりに走っていた。 デパートが左手側の歩道にあるので、横断歩道を渡ろうとしている最中だった。 右手側から、唐突に衝撃があった。 僕はわけが分からず、ただ宙を舞っていた。 地面にだんと叩きつけられた時、僕はその衝撃で気を失った。 気がつくと病院のベッドの中にいた。 あたりは暗く、しばらくボーッとしていると、巡回中の看護師さんが僕が起きているのを見つけ、医者を呼びに行った。 看護師さんが医者を呼びに行ってる間に痛みが襲ってきた。どうやら右手と両足が折れてるらしい。ギプスがつけられていた。 医者が来て、鎮痛剤を打ってくれた。今日はもう遅いから次の日まで待ちなさいと言って医者は去って行った。 でもそんなこと無理に決まってる。そのころには僕は自分がどうなったかを冷静に判断できていた。 多分、車と衝突したんだろう。右側から走ってきた車に。 鈴……大丈夫なのかな……。 いてもたっても居られなかったけど、左手と両足が折れてるんじゃ何もできなかった。何も。 とりあえず朝まで待った。緊張して眠れたとかそういう気持ちに達していなかった。 病室で待っていると、恭介が来てくれた。 「よう理樹、元気そうだな」 とてもそうは見えない僕にそう言って元気づけてくれた。朝早くなのに来てくれた恭介に、不覚にも涙が零れ落ちた。 「俺だけじゃないぜ、ほら」 そういって病室の入り口を指すと、 「お前がいないのってあんなさびしいんだな…オレ知らなかったぜ」 「大丈夫か、理樹」 「やはー理樹くん久しぶりだね」 「いじりがいがなくてつまらなかったぞ、少年」 「わふー!理樹がギプスでぐるぐるなのです!」 「…大丈夫ですか、直枝さん」 「りきくんだいじょうぶー!?」 みんなが来てくれていた。みんな悲しいような、嬉しいような表情を浮かべている。 「みんな…ごめん心配かけて…」 「何がごめん、だ」 恭介に額を指でちょん、と小突かれた。 「仲間のことを心配して何が悪い、ここは素直にありがとうって言えよ」 「うん…みんな、ありがとう…」 そこからはもう会話はなかった。僕がずっと泣き続けているのと、恭介が人払いをさせたので病室の中は僕と恭介と医者の三人だけだった。 どれだけ泣いていたかはあまり覚えてない。記憶にあるのは、恭介がずっといてくれたことだ。 僕が泣きやんでしばらくたった後、恭介が口を開いた。 「理樹…もういいか」 「うん…」 「実はお前に言っておかなきゃならないことがいくつかある」 「うん…」 「もしこれを聞いたらお前は絶望してしまうかもしれない…それでもいいか?」 「うん…だから話して、鈴のこと」 恭介は僕がそう口を開く事が分かっていたかのような表情で話した。 僕と鈴が信号無視してきたトラックに轢かれたこと。トラックの運転手はまだ逃げているらしいこと。それから一週間が経っていること。それと…鈴のこと。 「鈴は…トラックの直撃を受けて危篤状態になった。集中治療室でいままで治療を受けている。だが、それでも生き残る可能性は少ない」 「鈴は…生きてるんだね?」 「ああ、だが…」 「会わせて、くれないかな?」 恭介は医者の方を向いた。医者の頭が、縦に振られた。 一人では歩けないので、車いすに乗っていくことにした。恭介が押してくれた。 僕の病室は個室で、階の一番端。集中治療室は僕の病室のから一番離れていた。 廊下を無言で進む。まだ朝が早いせいもあってか、人はいなかった。 集中治療室の前にたどり着いた。恭介が念を押すかのように聞いてくる。 「理樹…、目を、背けるなよ」 そう小さく言い残し、ドアを開けた。 「り…ん」 ガラス越しの機材だらけの部屋のベッドの中に、鈴が、寝ていた。横に心拍数を示す機械がある。 「鈴……鈴、鈴!」 僕は立ち上がろうとして車いすから転げ落ちた。両足が折れてることも忘れて。 「鈴!鈴!」 それでも、右手だけで足掻いた。鈴に近づこうとした。無論、一ミリたりとも近づけなかった。 恭介は無言で僕を抱き上げ、車いすに座らせた。 「これが、現実だ」 僕は恭介を見上げた。そして今さらになって恭介の目が赤く腫れ上がっていることに気がついた。 突然、恭介も涙を流し始めた。それは次第に慟哭へと変わっていった。 僕はもうわけが分からなかった。涙も出なかった。恭介の叫び声だけが、響いていた。 医者は僕に「もう、病室に帰りましょう」と言って車いすを押した。恭介にも早く帰るように促した後で。 病室のベッドに寝かされてから、僕は何も考えることができなかった。心が、枯れていた。 それから僕は毎日鈴のそばにいてあげることにした。医者の人に毎朝車いすを押してもらった。 「今日は謙吾がお見舞いに来てくれたよ。部活で忙しいはずなのに大変だよね」 「真人がお土産にってアロエヨーグルト持ってきてくれたよ。アロエは別名医者いらずなんだって。鈴知ってた?」 「みんな鈴のことを心配してたよ…。だから早く元気になってね…」 そんな他愛のないことを毎日話していた。ガラス越しなので鈴に届いているかは分からなかった。途中からは自己満足のためだけに言っていたかもしれない。 二ヶ月経った。その頃には僕の怪我も完治し、退院してもいいことになった。 「また、来てもいいですか?」 「棗さんのことだね…。いいよ、多分、その方が彼女も喜ぶだろうから」 そうして僕は退院した。病院を去る時に、玄関から病室を見上げてみた。すでに他の人の受け入れの準備がされていた。 学校に帰ってきたが、鈴がいないだけでこんなにも世界が色あせるとは思っていなかった。 鈴の影響もあってリトルバスターズは解散していて、みんな希薄な生活を送っていた。 不思議と、ショックはなかった。二か月前のあの日から僕の心から『悲しい』という感情はどこかへ消え去ってしまったのだろう。 放課後は、一日も欠かさず鈴に会いに行った。 「今日は特に何もなかったよ。みんな元気そうにしてたよ」 「…授業がこんなにつまらない日もあるんだね…」 日が進むごとに話すことが減っていき、無言でその部屋にいることが多くなった。 今日もその部屋で座っていると、恭介が入ってきた。 「理樹、いくらなんでも根詰め過ぎだ」 「これくらいなんともないよ」 恭介は無言で僕の隣に座ってきた。 「理樹…お前はこれを『辛い』と思ったことはないか?」 「辛い?」 「ああ。毎日放課後病院に寄って…」 「辛いことなんてないよ。だって鈴は僕の彼女…なんだからさ」 「そうか。…余計な心配して悪かったな」 その後はどちらからも話そうとはせず、静寂の時が続いた。 その間、僕はずっと考えていた。なんであの時僕は鈴を「彼女」と言うのを躊躇ってしまったのかと。 小一時間経っただろうか。恭介が口を開いた。 「そろそろ帰ろう。暗くなってきた」 「うん…そうだね」 鈴の病室を後にし、寮に帰って眠ることにした。 この日も鈴の病室に来ていた。 話すことが何もなく、窓から見える夕焼けをずっと眺めていた。赤く燃える空は綺麗で、僕にはそれさえも眩しく見えた。 ガラス越しの向こうに目を通す。今日こそは鈴が目を覚ましますように、と祈りながら。 そうしていると、ガラスの向こうで変化があった。 鈴が、うっすらと目を開けていた。 僕はそれに気づき、「鈴!鈴!」と必死に呼びかけていた。 騒ぎに気づいた医者が鈴が意識を取り戻しているのを見つけ、僕を部屋から追い出した。後から看護師が何人も駆け込んできた。 鈴の騒ぎが終わるまで、僕は廊下で立ち尽くしていた。恭介や他のみんな、それに恭介の両親も駆けつけていたが、頭が真っ白でよく覚えてなかった。 やがて、病室から医者が出てきて、恭介と親は別の部屋に入っていった。 何時間経ったか、辺りはすでに暗くなっていた。恭介が帰ってきた。みんなに鈴の意識が戻ったことを話した。そして、さらに付け加えた。 「みんなには話してなかったが、鈴は…首から下が動かない」 脳天を雷で打たれたかのような衝撃が走った。 恭介が言っていることはつまり、昔みたいには戻れないということだ。 外を歩き回ることもなく、家でずっと寝たきりの生活。必然的に介護の必要性も伴う。 もう、それは死人と同じなのだ。 すでに九時を回っており、みんなはそれぞれ寮に戻った。僕も同じだ。 帰る直前、恭介に質問された。 「お前はこの現状を見て、まだ、鈴のことを彼女と呼べるのか?」 僕は答えられなかった。ただ黙って、寮への道を駆けて行った。 寮に帰ってから気づいたが、前に恭介に辛くないかと問われた時、あの時に鈴はもう僕の彼女ではなかったかもしれない。滑稽な話だと思った。 真人と会話はなかった。僕が帰ってきたときにはもう真人は寝ていたし、もし真人が起きていたとしても何を話せばいいのか分からない。 布団にうずくまり、声を押し殺して泣いた。枯れ果てたと思っていた心の奥底には、悲しみが栓をしていた。 それからしばらくは鈴に会わなかった。というよりも、会えなかった。 会おうという決意をしたのは、恭介に言われてからだった。 その日の放課後、病院に行った。何の決意もなかった。あるのは、自分自身への恐怖だけだ。 病室に入る。西日が真っ先に僕の目を焼く。 「理樹!」 鈴が僕を呼んだ。久しぶりにその姿を見た、気がした。 事故にあってから運動できないため体は痩せて、いつもの鈴よりも小さく見えた。その鈴がベッドの上から首だけ動かしてひたすら僕を呼んでいる。 「来てくれないからさびしかった」 鈴の顔が僅かに歪んだ。いつもの鈴からは考えられないような顔だった。 「鈴!」 衝動的に僕は鈴を抱いて泣いていた。そして気づいた。 今一番辛いのは鈴だ。励ます人がいなかったら鈴はそれこそ心が死んでしまうかもしれないと。 鈴もぽろぽろと涙を零していた。たとえ体が動かなくても心は繋がっていると信じていたのだろうか。 「ごめん鈴…ごめん」 「なんで理樹があやまるんだ…?」 「ごめん…ごめん…」 そうして抱きながらずっと泣いていた。それは、外から見れば懺悔にも似ていたかもしれない。 「もうどこかにいっちゃやだぞ…」 「うん…」 その日から僕はまた放課後に病院に行くようになった。 いつもどうでもいことを話した。体が動かせない鈴にとっては眠っているか僕と話すか、それぐらいしかすることがないのだ。 今日も西日が差していた。窓に切り取られた空間からは中庭が見えるようになっていて、もうすぐ退院する人や車いすの人がときどきいた。 「このけしきにもいい加減あきたな」 「じゃあ車いすでどっか出かける?」 「そんなことしていいのか?」 「たぶん大丈夫…だと思うけど。ちょっと聞いてくる」 医者に確認を取ったところ、二つ返事で車いすを貸し出してくれた。車いすの乗り降りは看護師さんがしてくれた。 鈴を車いすに乗せて中庭を歩く。日は沈みかけていて、お世辞にもいい景色とは言えなかったが、鈴にとってはいい気分転換になったようだ。 「久しぶりだな」 「え?」 「理樹とこうやって出歩くの」 「そういえばあれから一回も外に出たことがなかったね」 「私は嬉しいぞ」 「うん、僕も」 「理樹」 理樹と一緒に出かけた記念、と言って鈴は目を閉じた。僕は優しく鈴の唇に僕の唇を重ねる。これが、初めてだった。 毎日こんな事が続いたらいいなぁと思っていた。 月日が経つにつれて鈴と話せない日が多くなっていった。 合併症で肺水腫や感染症にかかっていると恭介が教えてくれた。今の鈴にはそれに対抗する力が少ないらしく、機械の力に頼っていると。 あれから二年が経った。僕は大学に合格し、法学部に進学していた。 今日は鈴に会うことができた。一週間ぶりだった。久しぶりに見た鈴の顔は青ざめていて、前よりも小さいように見えた。 「鈴、大丈夫?」 大丈夫でないのは分かっていたが、聞かずにはいられなかった。 「…私なら大丈夫だぞ?」 笑って鈴が答えてくれた。機械だらけの鈴のその言葉にはあまり説得力はなかったが。 勉強で忙しい理由もあって、なかなか鈴に会えない僕には、このひと時がたまらなく愛おしく思えた。 今日も大学であったことや出かけた時のことを話していると、不意に鈴が、 「理樹」 と言って目を閉じた。それがキスの合図だと知っていた僕は、鈴にいつもより激しくキスをした。終わった後、鈴は息が苦しかったのか、むせていた。 「そういえば今日は何の記念?」 「…えっと、ひみつだ」 「教えてよ」 「ひみつったらひみつだ!」 それっきり鈴はそっぽを向いてしまった。仕方ないと、鈴にさよならを言って帰った。 それから三日後だ。鈴が亡くなったと恭介に告げられたのは。 夜中、急いで病院に駆けつけると、恭介、その両親がいた。 凛も、いた。一人だけ台の上に横たわっていた。 恭介も、両親も、僕も涙を流していた。止まらなかった。鈴、鈴と呼びかけても、返事はない。かすかに笑みを浮かべて目を閉じている。 そうしてどれくらい経っただろうか。涙も枯れ果てた後、恭介から一通の手紙を渡された。鈴からだった。 鈴直筆だった。体が動かないから口にペンをくわえて書いていたと話してくれた。大きい字で、何枚にもわたって書かれていた。 「りきへ いつもわたしのとなりにいてくれてありがとう いつもわたしをわらわせてくれてありがとう わたしはなにもできなかったけど、こんなわたしをあいしてくれてありがとう わたしもりきのことがすきだぞ さいきんはあうこともすくなくなってさみしかったけど、きてくれてうれしかった くるまいすででかけたときはうれしかったぞ うれしかったしかいえないけどうれしかったぞ はじめてきすしたときほんとはとびあがりたいぐらいうれしかったんだ ほんとだぞ それとわたしたちがつきあいはじめてからこいびとっぽいことしてあげられなくてごめん いつかわたしがしんでも、りきはおもうようにいきろ あとさいごに あいしてるぞ りん」 あれから、この手紙は鞄に入れて毎日持ち歩いている。鈴のことが忘れられないわけではない。教訓のためだ。 法学部はやめて、医学部に進むことにした。鈴の世に苦しんでいる人を救うために。僕たちみたいに悲しい思いをさせないように。 時々心が折れそうになる時もあるけど、そんな時はあの手紙を見る。 見ててね、鈴。僕頑張るから。 [No.364] 2009/08/28(Fri) 21:50:50 |
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