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「……さっきまで何を話していたんだっけ?」 「格差社会についてじゃないか?」 「ああそうだ、かくしゃさかいだ」 「飲みすぎだろ」 出立前に売店で購入したビールはすっかり温くなっていた。 炭酸も抜けて苦いような甘いような不快感が喉を汚していく。 「これが飲まずに居られるかな。次の瞬間には被害者その一になるかもしれないんだよ? 素面じゃやってられないよ」 「あたしは素面だぞ」 「買わなかったのは君じゃないか」 「ビールは飲むとトイレが近くなる」 「その時はちゃんと僕が飲み干すよ」 無言で殴られた。ちなみに高速バスにはちゃんとトイレが設置されている。 鈴は不貞腐れているけれど、今の会話で少しだけ気がまぎれたようだった。 けれどカーテンの隙間から覗く風景は暗く無機質なままだ。 流れていく灯りは一瞬しか残らず、無限に加速していくかのような錯覚を呼ぶ。 ならばそれは何処へ向かっているのだろうか、逃避のように僕は思った。 「金をケチらず、新幹線にすべきだったかな」 「理樹はかいしょーなしだから。それに、今更だと思うぞ」 「言ってみただけだよ。言うのはタダだもの。で、前の様子はどう?」 「手負いの猫みたいに興奮してるな」 つまり変化なし。うんざりと息を吐いた。 窓側の僕からは見えないが、運転席の傍には一人の男性が居た。 おそらく同年代だろう。彼の手には拳銃が握られていて、その銃口は不規則に運転手へと向けられていた。 つまり、絶賛バスジャック中なわけだ。 高速バスには二十名ほどが乗り合わせていた。長期休暇中でもない平日のその日、それぞれがそれぞれの事情でバスでの移動を選んだわけだが、その中に一人だけ移動を目的としていない男が居たらしい。 窓の外に流れる光は徐々に小さくなっていく。 もうほとんど真っ暗で何も見えない。薄っすらと影が映っている程度だ。 「警察車両が全然居ないみたいなんだけど、どうしたんだろうね?」 「犯人を刺激しないようサイレンを鳴らしてないんだろ?」 「普段は鬱陶しいだけなのに、今はあの音が聞きたくて堪らないよ」 「個人的にはパトカーより消防車の方が鬱陶しいな」 「消防車より街宣車でしょ」 「忙しいときの携帯の着信音も大概だ」 いやさ、それより映画館でのお喋りは外せないでしょう。遠くから聞こえる下手な楽器演奏も最低だ。発情期の猫の声も捨てがたいけど。あれは不可抗力だ、それを言うなら理樹の声の方が五月蝿い。僕は鈴の声好きだよ、五月蝿いけど。 そんな不毛な僕らの会話に、低い声が割り込んできた。 「いや、俺はそれよりもっと鬱陶しいのを知ってるぞ」 「それはなに?」 「お前らだよっ!! べちゃくちゃ喋ってんじゃねーぞっ!」 気付けばバスジャックの男が傍に立っていた。漫画のお手本になりそうなくらい美しい青筋がこめかみに浮かんでいる。向けられた銃口はぷるぷると震えていて、真っ暗な穴を覗かせない。 「……なぁ理樹。理樹は不思議なマジカルパワーとかで拳銃の弾を避けたり出来ないのか?」 「何を隠そう、実は出来たりするんだよね」 「え?」 「ただし、五キロくらい離れていれば」 「それって避けてるって言えるのか?」 「避けていない事を証明できない以上、避けていると表現するのは僕の自由じゃないかな」 「なるほど、ろんり的だ」 鈴はしきりに感心したように頷いている。 飲んでもいないのに、その脳みそはアルコールに溶かされているようだ。 「弾丸がそもそも届かない以上、避けられなかった可能性、つまり撃ち殺されるという結果を完全に排除できるんだから、つまりは避けた事と同じなわけだにゃ」 「そのとおりだにゃ」 「けど、待った。そうすると、あたしだって常に何処かの馬鹿が撃った弾を回避し続けている事になるんじゃないか?」 「そうなるかもね」 「スーパーマンも腰を抜かしそうな衝撃の新事実発覚だ」 「スーパーマンは腰を抜かさないよ」 「どうして?」 「腰を抜かすような奴をスーパーマンなんて呼ばないから」 「理樹はさながら歩くろんり学入門のような男だ!」 きっと本物の論理学者からは怒られるのだろうけど、とりあえず気分は悪くなかった。 ふわふわと宙に浮くような感覚。これがアルコールの力なのか。 窓の外から遂に光が消えていた。 暗い暗い山道を駆け抜けていく。 呼吸さえ忘れるほど速く、誰も追いつけない。 「だぁかぁらぁっ! さっきから! てめぇらはうるせえんだよ!」 「ほら見ろ、鈴があんまり騒ぐから怒られちゃったじゃないか」 「あたしの方が明らかに5MHzほど音量が小さかったぞ」 「……5MHzってどれくらいの音量なんだろう?」 僕は首を傾げる。鈴も首を傾げる。 どうやら案の定、知らなかったらしい。 そもそもMHzとは音量の単位だったろうか? 「いや、確かホンじゃなかったっけ?」 「それを言うならフォンじゃないのか?」 「違う。フォンとホンは使い分けられたはずだよ。ホンが騒音の単位だ」 「理樹は博識だなぁ」 「前に雑学の本を読んだことがあってね」 「なるほど、本でホンを学んだのか」 「酷いよ鈴! 人のオチを奪うなんて最低だっ!!」 「だぁああ! だから、うるせえんだよ、騒がしいんだよ、鬱陶しいんだよ!」 「どうやら、やはりホンが正解だったようだな」 「ホントウだ」 無事オチを奪還できた事に満足する。 「ちげぇよ! 騒音の単位はデシべルだ!!」 「あ、そっち突っ込むんだ?」 少しだけ感心してしまった。 若いような老けたような不思議な男だった。美男でもなければ醜男というわけでもない。髪を振り乱し般若のように顔を歪めているが、平常時ならばさぞや……普通だったろう。 「てめぇら学生か? どこの大学だよ」 「それは……」 「T大だっ!」 「……鈴。君は何時からそうやってサラッと嘘を吐くようになったんだよ。ちょっと僕にもそのスキル分けてくれないかな?」 「T大だぁ? チキショウ、勝ち組かよ! 俺なんかもう五回も落ちたってのに、てめぇらはのうのうと通ってやがるのかっ! 許せねぇ!」 「前言撤回。やはり人間正直が一番だね」 「あたしもそう思った」 二人とも実際には地方の三流大学の学生である。 「しかし、五浪とは。それならいっそ、ランクを落とせば良かったんじゃないですか?」 「ふざけんなっ! T大じゃなきゃ駄目だ!」 「いやいや、T大以外にも沢山いい大学はあるんじゃないかと」 「駄目なんだよ! T大じゃなきゃエリートになれないだろうが!」 「エリート?」 「そう、それだ。官僚だよ。俺は官僚になるんだ。警視総監になるんだ」 「理樹、どうしよう。想像を絶するくらい壮大なアレだ!」 「うん、壮大なアレだね。壮大すぎて涙が出てきた」 というか、頭が痛くなった。 「警視総監を目指してる人がバスジャックとは、なんというか」 「奇跡的な幸運だな」 「だからテメェらはさっきから何をコソコソ話してんだよ! 俺のことを馬鹿にしてるのかっ!」 「いやいや、まさかそんな事」 「ただお前のような短絡思考の馬鹿が出世しなかったという史上稀な幸福をかみ締めていただけだぞ」 「鈴。こういう時こそあの素晴らしい嘘吐きスキルを発揮すべきなんじゃないかな? なんというか、主に僕らのこれからのそれとなく輝かしい人生のために」 「嘘は一日一回だけと制限されてるから無理」 「誰に制限されているのかはともかく、それならせめてオブラートに包んで」 「理樹がそういうのなら、分かった」 鈴は意気揚々と頷いた。そしてお礼を言った。 「五浪してくれてありがとう」 「鈴……君のオブラートは薬と同じ味がするよ!」 今度こそ頭を抱えるしかなかった。 窓の外にふんわりと柔らかい白い影が浮かんでいる。 あれは死神の手なのだろう。 反対方向には銃口の暗闇があるのだから、たぶんそうだ。 ゆっくりと近づいてくるのがどこか優しい。 「て、てめぇ……こ、こ、殺すぞっ!」 「待って、ちょっと待ってよ」 「なんだよ! 命乞いしやがれ!」 「えぇと、つまりその……うん、そうだ。これからどうするの? まさか僕らを人質に、T大に合格させろなんて言うんじゃないだろうね?」 「T大は何時から通信教育を始めたんだ?」 「鈴、お願いだからちょっと黙ってて」 何故人類は進化の過程で口にチャックを設けなかったのだろうか。 いったい類人猿どもは何をしていたんだ。不可思議な憤りを感じた。 「どう考えたって無謀だよ。こんな事をしてどうなるっていうんだ」 「うるせぇ! 俺は別に合格させろなんて言わねぇよ」 「それじゃあいったい……」 「これは復讐なんだ! 俺を合格にしなかった、認めなかった連中へのな! お前らを殺して俺も死ぬんだ!」 「うわぁ」 完全にお手上げだった。 「鈴、こっそり感想を聞かせて欲しいんだけど」 「面倒くさい奴だ」 「うん、やっぱり黙ってて」 僕が孤立無援なのは、よく分かった。 窓の外の白い影は徐々に増え始めている。 止まらない加速の中にあって、その姿は確かな形を持ち始めていた。 どこまで姿を持つのだろう。そしてどこまで深く進んでいくのだろう。 「お前らみたいな勝ち組も許せねぇ! なんでお前らは合格できて、俺は合格できないんだよ。不公平だろ、そんなの!」 「別に合格してないわけなんだけど……でも、試験って基本的にそういうものじゃない?」 「お前らが合格できたんなら、俺も出来なきゃおかしいって言ってんだ!」 「いや、その理屈はおかしい」 もう支離滅裂だ。なのに、落ち着かない気持ちになった。 酔いから醒めそうになる。 窓の外に手を伸ばしたかった。白い影を掴みたい。 ぎょろりとした目のような物が僕を誘っていた。こちらに来いと言っているようだ。 「お前みたいな勝ち組に俺の気持ちが分かるか! なんで俺は駄目なんだよ。なんでお前だけ、お前らだけがっ!」 言葉がなかった。それが誰の言葉なのかも分からない。 ビールは空だ。まったく足りなかった。 彼はまだ言い足りない様子だったけど、運転手さんに呼ばれ戻っていく。 「鈴、僕らって勝ち組なのかな? あ、もう喋っていいから」 「ん。そうなんじゃないか?」 「軽っ。でもそうか。そうなのかもしれないね」 窓の外、加速は止まらない。 ブレーキを踏んで欲しい思いと、このまま進みたい思いとが交錯していた。 山道を抜けて懐かしい風景が滲んでいる。 影の手が窓を叩いた。 バンッと音がした。 前方が一気に騒がしくなり、無数の人の声が聞こえてきた。 「確保! 犯人確保!」 「乗客の皆さん、もう安全です。落ち着いて、順番に降りてください」 バス内に歓声が上がり、防弾アーマーを装備した警官が笑顔で怪我人がいないか見て周っている。 「ここに足止めされてから三時間くらいか。結構時間かかったな」 鈴が猫のように伸びをして窓の外を指差した。 「見ろ、マスコミで一杯だぞ」 「……そうだね」 でも、そこに見えるのは黒い闇と白い影。 それも無数の。 影はじっとこちらを見つめている。 僕を恨めしそうに見つめている。 こんなにも近いのに窓を越えて手を伸ばしてはこない。 僕が伸ばすのを待っているのかもしれない。 「どうした、理樹。さっさと降りるぞ」 鈴に引っ張られて僕は立ち上がった。 走り続けるバスから降りる。そこに見えるのは名も知らぬSAで、無数の警察とマスコミとが溢れかえっていた。 窓を振り返っても白い影はどこにも居ない。 彼等はどこへ消えてしまったのか。 きっとバスに乗れば、また現れるのだろう。 そしてまた、僕を呼ぶのだ。 「かくしゃしゃかいだ」 「酔いすぎだろ」 酔いは醒めていた。 [No.367] 2009/08/28(Fri) 22:03:24 |
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