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静かに佳奈多の目が覚める。白い天井、ほんの少しの刺激臭。いつも仮眠をとっている保健室のベッドの上だって、ほんの少しの時間が経ってから彼女は気が付いた。 「…………」 何をするでもなくそのまま天井を見つめ続ける。起きたばかりで何も考える必要のないこの空虚な時間は佳奈多の心を休める大事な時間。 「失礼しまーす」 だというのに。そんな時間すらも奪っていくのだから運命と言うのは残酷だ。 諦観から浮き出る酷薄な笑みを表情に出す佳奈多。 「あら、保健室だというのに騒がしい声が聞こえるわね」 「っ!?」 ベッドはカーテンに遮られていて佳奈多からは入ってきた人間の姿は見えない。けれどもその人物が強張るのを佳奈多はしっかりと感じ取った。その変化がますます佳奈多の笑みを深くする。 「お前……!」 「保健室は静かにする場所よ。そんな事すら出来ないなんて常識を疑うわ。どんな学校を卒業してきたのかしら?」 ギリと歯ぎしりが聞こえる。その音を楽しむように、佳奈多は優雅に見える様に身支度を整えてからカーテンを開け放つ。眼前にいるのは敵意を持った最愛の妹の姿。 ……そんな事は最初っから分かっていたけれど。葉留佳の声を間違えるなんて、佳奈多にある訳がない。 そして葉留佳の姿を認めた佳奈多は侮蔑の笑みを消す、まるで侮蔑の意味ですらこもった笑みを向けるのも腹立たしいと言わんばかりに。睨みつけるように葉留佳を見た佳奈多の視線はやがてその膝へと向かう。血が滲んでいる、少なくとも保健室で治療をした方がいいと思う程度には。 思わず心配の声を掛けそうになった佳奈多だが、その衝動を一瞬で飲み込む。そして口にするのは別の感情がこもった言葉。 「出ていきなさい」 「はっ? あんたにそんな事を言われる筋合いなんてないんですけど?」 「どうせ自業自得でした怪我でしょ? そんな事の為にわざわざ大切な経費を使う訳にはいかないの」 「関係ないし。怪我したら保健室で治すのは当たり前だし?」 「ふーん。校則を破って生徒に迷惑をかけて、その上に生徒から集めたお金で怪我を治そうと言うのね、あなたは。 ならどうぞ、自由に怪我を治したら? 薬の分のお金で生徒に迷惑がかかるのを承知で自由に怪我を治したら?」 睨みあう姉妹。呪い殺してやると言わんばかりの視線が絡み合う。 そしてやがて視線を逸らしたのは葉留佳。そして保健室のドアを壊さんばかりの勢いであけ、校舎中に響くような大音量をあげながら閉める。佳奈多の侮蔑の視線に晒されたまま保健室で治療するよりかはまだましだと思ったのだろう。 佳奈多は葉留佳が居なくなったのを確認してからカーテンを閉めて、そしてベッドにぽすんと倒れこむ。眠って回復した分の体力は今のわずかな間に綺麗さっぱり使われてしまった。むしろ回復した分以上の体力を使ってしまったかもしれない。 「…………はぁ」 ため息を一つ。 怪我をしたら治すためにあるのが保健室、理由なんて関係ない。 人を治す以上に有効なお金の使い道なんてある訳ない。 怪我はどうするんだろうか? ただでさえ少ないお小遣いなのに、治療費でますますお金がなくなってしまう。 数々の考えが浮かんでは消える。 …………どうしてこうなってしまったのだろう? そんな考えが佳奈多の頭に浮かんで消える。本当は傷つけたくなんてないのに。 ゆるゆるとした思考に流されて、佳奈多は目が覚めた時と同じように、静かに夢の中へと戻っていった。 「おっきろー!」 「!!」 大声に叩き起こされる。ガバリと保健室のベッドから起き上った佳奈多の目に映ったのは、屈託のない笑顔の葉留佳。 「葉…留佳?」 「ですよ、お姉ちゃん。寝ぼけて妹の顔も思い出せませんかネ?」 猫口で含み笑いをしながら、それでも笑みを佳奈多へと向ける葉留佳。 その笑顔からは佳奈多を恨んでいるような意味は掴めないし、佳奈多に恨まれるかもという身構えすらも得られない。 いや、それ以前に確かに佳奈多は聞いた。お姉ちゃん、って。それはもう二度と聞けないと諦めていた、遠い昔の呼ばれ方。 「あなた、今、え?」 「おー寝ぼけてる寝ぼけてる。 やはは、お姉ちゃんの寝ぼけなんて珍しいものを見ましたネ。眼福眼福」 やはり笑みは真っすぐで温かい。その笑みが紛れもなく、自分に向けられている。 「冗談、じゃ、ないのよね……?」 「へ? 何が? よく分からんがあえて冗談であると言おう! なぜならばこのはるちん、冗談なしに人生を歩めないのだー!」 「夢、でも、ないのよ、ね?」 「…………ちょっと、お姉ちゃん?」 そこでようやく尋常じゃない様子の佳奈多に、葉留佳が気が付く。普段とは明らかに違う姉に葉留佳の顔は一瞬で曇った。 佳奈多の肩を掴んで強引に自分の方を向かせる葉留佳。 「大丈夫なの? ねえ、ちょっとお姉ちゃん!」 「だ、大丈夫よ、葉留佳。ええ、大丈夫だから……」 「本当? 本当に大丈夫なの? だってお姉ちゃん、変だよ?」 もちろん分かっている、変なのは佳奈多が一番分かっている。でも、大丈夫か大丈夫じゃないかで言われれば、きっと今が人生で一番大丈夫な時。 一回深呼吸をする佳奈多。そうしてからしっかりと葉留佳を見つめる。その冗談ではない視線に、葉留佳は体を強張らせた。 「葉留佳」 「な、なに、お姉ちゃん」 「あなたは、私の――」 「お姉ちゃんの?」 「――妹よね?」 「は?」 余りにも予想外な言葉に葉留佳は一瞬次の言葉を見失ってしまう。当たり前すぎる質問を前にした葉留佳には、どのような答えを佳奈多が期待しているのかが全く分からない。 「……、…………? えー、ちょっとお姉ちゃん。言ってる意味がちょっと分からないんだけど? これはギャグですか? はるちんにボケろっていう前振りですか? お姉ちゃんらしくもない」 「いいえ、真面目な質問よ。お願い、答えて、葉留佳」 真剣に見つめてくる佳奈多。それを受けて葉留佳はしどろもどろになってしまう。それに今さらこんな問いに答えるのは気恥ずかしいという思いもある。 けど、けれども。真っすぐ見つめてくる佳奈多を前にして、中途半端な答えは選べなかった。おずおずと口を開く。 「わ、私は、お姉ちゃんの――い、妹だよ」 ぽたんと佳奈多の目から涙が落ちた。ぎょっと目を見開く葉留佳だが、それに構わずにはらはらと涙は落ち続けていく。 「はえ? はわ、うえ……? きゅ、救急車ぁ! ひゃ、110番!!」 「それは警察です」 落ちいく涙の割には冷静な思考と口調の佳奈多。それがますます葉留佳を混乱させる。 そんな混乱した葉留佳を抱きしめて、けれども涙を止めない佳奈多。 「ひゃあ、あの、ちょっと、お姉ちゃん?」 「ごめ、ごめんな、んなさい、葉留佳ぁ……! ごめんなさい、ごめんなさい…………!!」 「えええええ。いや、なんの事だが分かりませんが、大丈夫だから、ね? お姉ちゃん」 お姉ちゃん。その単語がますます佳奈多を混乱の中へ叩き落としていく。そして更に流れたその涙を、彼女の妹が不器用にぬぐう。それが更に涙を流させる。 そのまま泣き続けた佳奈多は。いつしか泣き疲れて眠りについていた。静かな眠り、今まで一番穏やかな眠りの中へ。それは、張り詰めていたものが切れた時に訪れる、張り詰めたものがない人には決して訪れない、充実した眠り。 ばしゃんと顔に水がかけられる。 「な、なに!?」 静かな眠りから急に覚醒させられた。白いカーテンに覆われた区切られた場所、見上げられる位置にあった葉留佳の顔。それが、憎悪に染まっている。 「葉…留佳?」 「なに? 体調が悪いの? ならとっとと寮に戻って眠ったら?」 冷淡な声。ついさっき、眠る前に聞いた、葉留佳らしい温かな感情に満ちた声とは真逆のそれに、佳奈多の背筋にゾっとしたものがはしる。 ふと目にとまったもの。それは葉留佳の手にあったコップ。空っぽで中身が濡れているそのコップを見て、それ以上の想像をする事を拒否する佳奈多。 「元々保健室のベッドは急に倒れた人の為にあるんだよ。それなのにいちいち仮眠の為に使われたら本来の目的に使えないじゃない」 「な、なに言ってるのよ、あなた……?」 「何って? 当然の事に決まってるじゃん。あんたに教えて貰った事だよ」 葉留佳の表情は、無表情。まるで佳奈多に表情を与える事すらもったいないと言わんばかりに、全く顔に表情が出てこない。それはまるで出来の悪い能面を見てるみたいだった。どこまでも人間のような顔をしているのに、表情を表わすという一番大切な事を抜け落としてしまったような、欠陥品の能面。 「だらしがない幸せそうな顔で眠っちゃって。何? どんな夢を見たの? 夢の中で恋人でも出来た? それとも私を殺しでもしたの?」 「ち、違っ――」 「ああゴメン。そんなの幸せな夢じゃないよね。あんたの一番の幸せは私を殺さないでいたぶる事だもんね。殺すなんてそんな下らない事をしないよね!」 「違う! 違うの葉留佳っ……!!」 冷めた顔のままで心に突き刺さる言葉を聞きたくなくて、佳奈多は大声をあげる。その声に驚いて葉留佳の言葉が止まった。 一瞬の静寂の後、葉留佳に表情が生まれる。それは笑み、暗い笑み。 「…………へぇ。あんた、こんな事でそんな辛そうな顔、するんだ」 「ッ!?」 思わず自分の顔に手を当てる佳奈多。その行動で佳奈多が自分で辛いという事を気が付いていなかったと知り、ますます葉留佳の顔は残虐な笑みが深くなる。 微かに肩を震わせながらベッドの上で俯く佳奈多。佳奈多には顔をあげて葉留佳の事を見る勇気は、ない。 「…………苦しめてやる。死にたいって思う以上に」 そう言い捨てた葉留佳は佳奈多から視線を離して立ち上がる。そしてそのまま佳奈多の事を見る事なく、足早に保健室から出ていった。 保健室に残された佳奈多は、茫然。体が固まってしまったように動けずにいた。 寝る前の優しい葉留佳、もしもあれがなければここまでのショックは受けなかっただろうに、あれがあったからこそ心が痛みを感じない。 だって、もしも痛みを感じてしまったら、きっとそれに耐えられないから。 「何で、どうして……? 何が、何で…………っ!」 佳奈多の声に答えるものは、ない。 さっき、葉留佳を抱きしめた時とは違う感情で溢れた涙がポロポロと頬を伝って流れ落ちていく。 それをぬぐう妹の手は、ない。 自分で自分の体を抱きしめて、ぬぐわれない涙を流し続ける佳奈多。 そしてまた、佳奈多は眠りに落ちていた。同じ泣きつかれた眠りだけれども、さっきとは違う安らぎのない眠りへと。 目が覚めた。 「くかー」 この間抜けな寝息のせいで。周りを見渡す。いつも仮眠している保健室のベッドの上だけど、いつもとはちょっと違った。とても幸せそうな寝顔で同衾している女の子が一人。どの位幸せそうかというと、起こしてしまうのをためらってしまうくらい。 けれども佳奈多はそれとは別の意味で葉留佳を起こす事をためらってしまう。もしも起こして、またあんな冷たい言葉を浴びせられてしまったらと思うと、どうしても起こす勇気が出てこない。 起こさないでこのまま保健室を出ようと、そう思った佳奈多は隣で眠る葉留佳を起こさないようにベッドから起きて、降りる。その時、足に違和感が。 「え?」 カラカラカラーンとけたたましく響く音。缶カラの中でビー玉が暴れたようなその音に、佳奈多の後ろでガバリと誰かが起き上る気配が。 「むむむ! てきしゅー!!」 「ひっ!」 全く心構えが出来ていなかった佳奈多を無視した目覚めが良すぎる葉留佳はというと、キョロキョロと周りを見渡して侵入者を探していた。 「って誰もいないし! 鳴子にかかったのはお姉ちゃんかー!」 「は、葉留佳……?」 「あ、うん。はるちんですよ。いやー、やっぱり眠っている時が一番人間に隙が出来ますからネ。備えはしっかりとしておかないと」 「今、お姉ちゃんって言った?」 「? うん。お姉ちゃんはお姉ちゃん」 佳奈多はへなへなとその場にへたり込んでしまう。そんな佳奈多を見た葉留佳はというと、きょとんと首を傾げる事しかできない。 「お姉ちゃん、どしたの?」 「いえ、何でもないわ」 「えー。なんでお姉ちゃんの隣で寝てたとか聞かないのー?」 「…………何で私の隣で寝てたの?」 「すきんしっぷですよすきんしっぷー。姉御鼻血ものの姉妹の麗しいすきんしっぷー! っていうかそんな嫌そうに聞かないでー!」 テンション高くそんな事を言う葉留佳に、佳奈多は二の句が告げられない。全身が脱力したように動けなくなる。 「って、え?」 違う。脱力したように、ではない。脱力して、本当に立ち上がれない。 「なになに、お姉ちゃんどうしたの?」 「ちょっと……力が抜けたみたい」 「ええー! だからそんなに無理しない方がいいって言ったじゃん! 大丈夫に見えても絶対に疲れはたまるんだからね!」 慌てて佳奈多を抱き起こすと、ベッドの上に寝かせる葉留佳。そしてやれやれコイツはだからもー、といったジェスチャーをしながら情けない姉に向かってため息をついた。 「おやすみ、お姉ちゃん。ここらでしっかり眠らないと本当に体が持たないよ?」 眠らないと。その単語を聞いて、佳奈多の体からどっと冷たい汗が流れ落ちる。 そうだ。眠ると、次に起きた時はもしかしたらまた、あの葉留佳と出会ってしまうかもしれない。 けれども人間である以上は当然眠らない、という事なんて出来やしない。けれどももう体が言う事を利かない。疲れ切った体は恐怖に関係なく睡眠を求めている。 「じゃあごゆっくり~」 「葉留佳!」 しゅたっと退室しかけた葉留佳を必死の声で止める佳奈多。葉留佳は佳奈多の声を聞いて、ん? っと首を傾げながら振り返る。 「そんな必死そうな声をだしてどしたー!? はるちんの助けが必要かーい?」 「眠るまで、私の手を握ってて」 「…………へ?」 余りにも想定外過ぎる言葉を聞いて、葉留佳の顔が固まる。それに関わらず、佳奈多の顔は必死で真剣だった。 「あの、えーと、お姉ちゃん? 今なんて?」 「お願い、私の手を握ってて。恐い夢を、見そうなの」 それは余りにも子供っぽい理由過ぎて、目を瞬く葉留佳。よもや彼女の姉がそんな事を言うなんて思わなかったから。 というか、葉留佳の知り合いの中で本気冗談である事に関係なく、一番言いそうにない人間は誰かというと今そのセリフを言った人間の名前をあげるだろう。 夢でも見ているのではないかと自分の頬を引っ張る葉留佳。痛い、夢ではないらしい。 「……へ?」 顔が真っ赤になっていく。まさか彼女が冗談でそんな事を言うとも思えないし、何より佳奈多の顔は真剣そのもの。加えてどこか怯えを含んだような目の色が間違いないのだと葉留佳に教えてくれる。 そして真剣な姉の願いを断る程、葉留佳は冷たい人間ではない。ベッドの側にあったイスに座って、おずおずと佳奈多の右手を握る。 ぎゅ。暖かい。 「ふ、ふつつつか者ですが」 「つが一つ多いわよ、葉留佳」 「わ、分かってるわよお姉たん!」 噛んだ。ただでさえ赤かった顔が、ますます赤くなっていく。そんな妹の微笑ましい様子をクスクスと笑いながら見る佳奈多。 「あーもー怒った! こうなったらお姉ちゃんが起きるまで手を握っていてあげるんだから!」 「ふふふ。ありがとう、葉留佳」 「ちっちっち。寝る前に言うのはありがとうじゃないのですヨ、お姉ちゃん。 正しい挨拶はおやすみなさいですヨ?」 「そうね、葉留佳。おやすみなさい」 「うん。お姉ちゃん、おやすみなさい」 そうして葉留佳のぬくもりを感じたまま、佳奈多は眠りに落ちていく。 眠ることへの恐怖はもう、ない。 「ん……」 「あ、起きた?」 意識が覚醒していく。その最初の起点となったのは左から聞こえてくる声と、温かい感触。 そちらの方を向いてみれば、約束の通りに手を握っていた葉留佳の姿。約束を守ってくれたと、自然に笑みを浮かべながら葉留佳の顔を見る佳奈多。そこにはやっぱり葉留佳の笑みがある。 「おはよう、葉留佳」 「おはよう」 一言で返される、冷たな声で。佳奈多の脳が一気に目覚める。 確か、握られた手は右だったような。 痛いよ、葉留佳。そんなに強く手を握らないで。 何でそんな残忍な笑い顔なのよ、葉留佳。 「起きてよかった。おまえがちゃんと苦しんで死ねるのを見れるし」 そう言う葉留佳の左手には光。 違う、蛍光灯の光を反射している、ナイフ。 「葉――!」 「死ねぇ!」 なんの容赦もなく、なんの呵責もなく。葉留佳は佳奈多の顔を目掛けてナイフを振り落とす。 佳奈多はそのナイフよりも、獣のような顔で迫ってくる葉留佳の顔の方が怖くて悲しくて。それから逃れるようにベッドから転がり落ちる。その直後、ナイフはマクラに音を立てて突き刺さった。 そしてベッドから転がり落ちたのは葉留佳の反対側。普通ならば女の子の握力では転がり落ちる人間の体重に耐えきれないで手を離してしまうものだが、まるで執念の表れであるかのように葉留佳の手は佳奈多の手を離す事はなかった。 「ぐっ!」 だけどそれは幸運であるという事とは別の話である。引っ張られるという事はバランスを崩しているという事で、そんな状態でまともに着地が出来る筈もない。ましてや葉留佳の両手は塞がっているのだから。 ゴロゴロと落ちてからも転がる佳奈多と葉留佳。そしてやがていきなり葉留佳の手から力が抜け落ちた。 「え?」 その余りの唐突さに、佳奈多の口から呆気ない声が漏れた。だってその視線の先に、胸から赤い血を流している葉留佳がいたのだから。その胸には左手が伸びていて、その左手にはナイフが握られている。 死んでいた、なんの意味もなく。死んでいた、どこまでも呆気なく。死んでいた、憎しみの表情を張り付けたままで。 「あ、あああ……」 本当にただ死んでいた。それ以外の意味が無いままに、葉留佳は佳奈多を恨んだまま死んでいた。 佳奈多はのろのろと葉留佳の胸に手をやって、根元まで刺さったナイフを抜く。血は、吹き出ない。ジワジワと悲しい速度で葉留佳の服を赤く染めていくだけ。 そして佳奈多は震える手で、そのナイフを自分の首に押し当てた。 「ごめんなさい、葉留佳。でももう大丈夫だからね」 死ねば、もう葉留佳を殺す事はない。もしもこのまま生きていたとして、眠ればまた優しい葉留佳が出てくるかも知れないけれども。 もう、葉留佳に会わせる顔はなかった。 それにそこからまた眠れば、憎んでくる葉留佳が出てきて、また殺してしまうかも知れない。そうなる事なんて想像も出来ない。 佳奈多は思いっきりナイフを自分の首に突きたてる。 佳奈多が感じる事はなかったけれど、首から噴き出した血は保健室を天井まで赤く濡らしていく。 姉の体はどすんと音を立てて妹の体に折り重なる。心から死に方まで重なる事の無かった姉妹。その最後、死体だけは無意味に重ねる事になったけれども、それが救いになったかどうかは分からない。 葉留佳の顔。 「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっーーーーーーーーー!!」 「ちょ、お姉ちゃん!?」 眼前にいきなり現れた。他に見えたのは天井と、白いカーテン。普段の佳奈多ならばきっと、葉留佳は保健室で眠っていた佳奈多を覗き込むようにしていたのだと容易に想像がつく状況だったのだが、そんな冷静さは佳奈多にはない。 「来るな来るな来るな来るなぁーーーー!!」 「お姉ちゃん、落ち着いて!」 佳奈多の手元にあったのは、マクラ。それを手に取って葉留佳に向かってやたらめったらに振りおろす。 けれどもそんな半狂乱の抵抗がそんなに長く続くはずもない。やがて佳奈多は葉留佳に両手を取り押さえられ、ベッドの上に押し付けられた。 「どうしたのよお姉ちゃん、落ち着いて!」 「やめてやめてやめてやめてやめてやめてやめて……っ!!」 それでも佳奈多の声は止まらない。 葉留佳としても訳が分からない。保健室で眠っていたと思ったら、いきなり目を覚まして取り乱したのだから。 無意味に叫ぶ佳奈多は興奮している。体重をかけて両手は押さえこんでいるが、足はバタバタと動いているし、顔もグシャグシャだ。 落ち着かせる為にはこれしかないと、葉留佳は思いっきり佳奈多に顔を近づけて、 「んっ!」 「っ!」 唇を奪って舌をねじこむ。もしかしたら舌を噛み切られるかもと心のどこかで思っていた葉留佳だっただが、キスした瞬間に佳奈多の頭は真っ白になったらしい。抵抗は全くないし、足の動きも止まっている。 葉留佳は舌で佳奈多の中を落ち着かせるようになめる。ざらざらとした舌、滑らかな歯の裏っ側、プニプニとした舌の下。 やがて落ち着いていく佳奈多。それを知らせるように、もぐりこんできた舌に自分のものを絡ませる。姉妹の舌は、あやしあうように紡ぎ合う。 たっぷりと時間をかけた後、ぷはっという息とともに葉留佳の方から離れていく。けれどもそれも当然、葉留佳が上からのしかかっているのだから。 「やはは、濃厚なキスでしたね。お姉ちゃん、落ち着いた?」 「…………ええ」 「よかった。それで、お姉ちゃん、どしたの?」 「…………」 「お姉ちゃん?」 「殺して」 「へ?」 「私を殺して。違う、ダメ。殺すだけじゃダメ。消さなきゃダメ、私を消滅させなきゃダメ」 「ちょ、お姉ちゃん?」 「誰か、私を、お願い、だから、消してよぉ……」 まだ葉留佳に両手を抑えられたままの佳奈多は涙を拭く事も出来ずにすすり泣く事しかできない。葉留佳もそんな姉を茫然と見る事しか出来ない。 意味が分からない。結果として姉がとても傷ついているという事しか分からない。どうしていいのか分からない。こんなにも苦しんで悲しんでいる姉がいるのに、何をどうすればいいのか全然分からない。 やがていつしか。 佳奈多は泣き疲れて眠りに落ちていた。 そしてまた目が覚める。 目の前にいる葉留佳の顔は恐くて見れない。 [No.433] 2009/10/09(Fri) 23:29:08 |
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