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圧し掛かってくる重さに眼を覚ますと、鈴がベッドに横たわっていた。 寄り添うように上半身を脇に寄せ、けれどきっとそこで力尽きたのだろう、下半身は僕のお腹の上に残ったままだ。随分と安らかな寝顔だけど、乗っかられているこっちとしては堪らない。 よいしょと除けると「うにゃう」なんて鳴いて不快そうに眉を寄せるのだから、もしかしたら起きているのではないかと思う事もあったけど、どうやら本当に寝ているらしい。ほっぺを抓っても鼻先をふにふに押しても抵抗しないのが、その証拠だ。もし起きていたなら、今頃強烈な蹴りが飛んでいただろう。 何度か欠伸をしてから目覚まし時計を確認すると、やはり午前七時半だった。毎朝の事なのでもう時計を見なくても分かるほどだ。目覚まし代わりにやってきて、目覚ましとして利用する。それがこの猫のような幼馴染、棗鈴なのであった。 「鈴……鈴ってば。もう朝だよ、起きて」 「むにゃむにゃ」 「いや、そんな怪しげな寝言を素で言ってる場合じゃないよ」 「う〜ん、あと五分」 「だからベタ過ぎるって!」 呆れつつも立ち上がり、手早く着替えを済ませた。それから窓を全開にしてやると、肌に冷やりと触れる風が舞い込んでくる。今日も良い天気だ。高い空に二羽の鳥が舞っていて、僕は自然とその姿を眼で追っていた。 そんな優雅な朝を嫌悪する吸血鬼のように、鈴は文字で表現できない呻き声を上げながら布団の穴倉に潜りこんでしまう。 僕らが共有できない喜びの一つだった。 「理樹はもう少し、起こし方を丁寧にすべきだと思うぞ」 「人の布団に潜り込んで来て、しかも本来の主を足蹴にしておいてよく言えるね」 「濡れ衣だ!」 無茶苦茶を言う。出るとこ出たって勝訴できるくらいに、こっちには証拠があるのに。 それでも、布団を引っぺがした時にたんこぶを作ってしまったようで、あまり強くは出られない僕だった。 「ほら、早く、ご飯。今日は鈴の当番でしょ」 「分かってるから、座って待ってろ。まったく、理樹は子供だな」 「いやいやいや、学校に遅れそうなんだよ」 「……今日はニ限からじゃないにょか?」 「じゃないにょ。一限目からです」 「なんでそれを早く言わないんだ! かなり大ピンチだぞ!」 慌しく朝食を作り始めた鈴の背中に、聞こえないくらいの小声で「昨日、寝る前に言ったじゃないか」と愚痴った。聞いていなかったのか、聞いていても忘れたのか。何にしても、こんな事も珍しくもない。 実際、鈴は手早く料理を仕上げていた。 五分少々でちゃぶ台にはそれなりの朝食が並び、手際のよさがうかがえる。 アパートで一人暮らしを始めた頃とは大違いだ。 まぁ、一人暮らしなんて言っても二人の部屋は隣りあわせで、日常的にどちらかの部屋に入り浸っているのだから、あまり実感はないけれど。 「さっさと食べて、さっさと行くぞ。遅れたら面倒だからな」 「分かってるよ。焦って食べて喉詰まらせないようにね」 注意を促した傍から食パンで咽ている鈴に牛乳を差し出した。 「んんん〜っ、ぶふぉぅ!」 「汚っ! ちょ〜汚っ!」 慌しい朝食を終えて、僕らは一緒に部屋を出た。 向かう先は同じ大学の同じ教室だ。 先ほど鼻から牛乳した鈴は不機嫌そうに聞いてきた。 「忘れ物はないか?」 「大丈夫だよ、ありがとう」 「理樹はボケボケだからな。こうやってちゃんと注意してやらないと」 「えー。どう考えたって鈴ほどボケてないはずだけど」 「自覚が無いのが天然って言うらしいぞ」 「ここに鏡がないのが残念だ……」 昼休みの食堂は混み合っていて、二つ並んだ席を見つけるのに苦労した。 「折角天気が良いんだから、お弁当買って外で食べればよかったね」 「お金勿体無いだろ」 「じゃあ、作ってよ」 「今度気が向いたら、良いぞ」 その今度とやらが何時ごろ訪れるのか、きっと予知能力者にだって分からないだろう。 つまり、そんな日は来ないって意味だが。 「やっぱり僕が作ろうかな。それで、ピクニックにでも行こうか」 「うん。それは良いな」 乗り気な鈴と何処まで行くか相談していると、女の子が声をかけてきた。 同じ語学を受けている子で、鈴の友達だった。 「あっ! 棗さ〜ん!」 「なに?」 「ねぇねぇ、今日何か用ある?」 「いや、何もないぞ」 「良かった。じゃあ、一緒にどう? 良い男揃ってるよ〜」 怪しげな物言いの正体は合コンの誘いだ。 鈴が少しだけ困った顔を向けてきた。けど、そんな顔をされても僕だって困ってしまう。誘われているのは鈴で、男は無関係なのだから。 助け舟のように別の子がやってきて、その肩を引いた。 「ちょっとやめなさいよ、旦那の前で」 「えー、でも棗さんって直枝と付き合ってるわけじゃないんでしょ」 「そうだぞ。理樹は旦那じゃない。幼馴染だ」 「おおっと、ばっさりだ! ねえねえ、直枝としてはその辺、どうなわけ?」 どうと言われても、鈴が語った通りだとしか言えないわけで。 だいたい、鈴を異性として見るなんて考えられない事だ。小さい頃は男の子にしか見えなくて、大きくなったら男以上にガサツで。変なところで繊細だったりするのも逆に困る。下着を勝手に洗ってあげたら蹴られたのに、目の前で下着姿で昼寝していたりとか。ワケが分からない。というか、色気が無い。本当に女の子なの?って感じだ。 「お〜い、直枝ってば。何か考え事?」 「いいや、別に」 「そう? んでさ、二人は本当に付き合ってないの?」 「そうだよ。だから、鈴。行ってきたら?」 「けど、今日の晩御飯はあたしの当番だぞ」 「いいよ、自分でやるから。あ、でも遅くなるんなら連絡……いや、良いか。楽しんでおいでよ」 お昼の残りを適当に口に放り込んで、僕は席を立った。 さぞや素敵らしい男でも捕まえてくれば良いやと思った。 特に目的もなく町を歩いていたら、すっかり陽が落ちていた。 明るい夜空に幾つかの星が散らばっている。何の気なしに数え始めてみたら、本当に数え切れてしまいそうに思えて、直ぐにやめてしまった。しかも困った事に、東の空には黒い雲が漂っている。天気予報を確認しておけばよかった。 河川敷をのらりくらりと進みながら、いい加減家に帰ろうと思った。 「鈴、傘持ってないけど大丈夫かな」 「全然大丈夫だぞ」 「うわっ! びっくりした!」 いきなり鈴が背後に立っていたものだから、幻なのではないかと疑ってしまった。 けれど少しだけ息を荒くして、走って追いかけてきたと思われるその姿は本物だ。 「どうして……?」 「理樹がここらへんに居る気がしたから」 「いや、そうじゃなくて。合コン、行かなかったの?」 「面倒くさい」 「そんなだから、何時まで経っても彼氏が出来ないんだよ」 「うっさい! そういう理樹だって一人じゃないか」 「……ところが、実はちょっと良いかなって思う子が居るんだよね」 「理樹みたいなヘタレに惚れられるなんて可哀想だな」 「ひどい! 鈴みたいな子に惚れられる人よりはずっとマシだよ!」 「何を隠そう。あたしは尽くす女だ」 「その手の自己申告って、パソコン詳しくない友人の、何もいじってないのに壊れたって発言くらい信用できないよね」 「預けたお金が倍になるくらいに信用できるぞ。もちろん元本保証」 「あきらかに詐欺じゃないか!」 ツッコミを入れたら、何故だか無性に笑えてきた。 鈴も同じ様子で、すっかり上機嫌になっている。 「……帰ろっか」 「もうちょっと散歩したい」 「でも。ほら、雨が降ってきたよ」 ぽつ、ぽつと広げた手のひらに雫が触れた。それは秒刻みで増え始めて、見上げた空を一面、雨雲が覆いつくそうとしていた。 「近くにコンビニがあるから、そこで傘を買っていこう」 「……やだ」 「え? どうして?」 「お金もったいないだろ。走ればいいじゃないか」 「えー、結構距離があるよ? せめて雨宿りしていこうよ」 「たまには運動しないと駄目だぞ。最近、理樹の二の腕がぷにぷにしているの、知ってるんだからな」 「そんな事ないよ! いや、じゃなくて。そういう問題じゃないような気がするんだけど!」 けれど、一度言い出した鈴が聞いてくれるわけもない。 僕の手を取って走り出した鈴は楽しそうだった。なら、着いていくしかないのかもしれない。そんな風に思った。 「ずぶ濡れだ……」 アパートに着いた頃には、すっかり本降りになっていて、頭からバケツをぶちまけられたように水浸しの状態だった。長い髪を振って水気を飛ばしながら、当然のように僕の部屋に上がろうとする鈴をなんとか押し留める。 「ちょっと待って。タオル取ってくるから……そのままだと床がびちょびちょになっちゃう」 「う〜、早く〜」 「はいはい。よっと、これ使って」 バスタオルを頭から被せてあげると、鈴は気持ち良さそうに顔を拭った。 同じようにタオルを被って、酷い目にあったと息を吐いた。 「服、洗濯するから脱いじゃって」 「……えろい眼で見たら蹴るからな」 「見ないよ」 「でも、無視したら蹴るからな」 「どうすれば良いの!?」 理樹は女心が分かってない、なんて尤もらしく言われても困る。 だいたい、男の家で下着姿になる事に躊躇がない鈴だって、男心が分かっていないのだ。 鈴はあらかた水気を拭うと、よほど寒かったのかベッドに逃げ込んでしまった。人様の布団を我が物顔で占有し、不出来なてるてる坊主みたいに丸まっている。 「着替え、取って来なよ」 「こんな格好でか!?」 「ああ、そうか。流石にそれは拙いよね。なら僕が……」 「寒いぞ、理樹」 「え? うん。そうだね」 「寒いな、理樹」 ぽんぽんと、優しくベッドを叩く音。 隣に入って良いというお誘いを拒む理由なんてなかった。実際、肌はすっかり冷え切っていて、今はとにかく少しの温もりにだって飢えていた。 トランクス一枚になって飛び込むと、鈴から布団を奪い取り、暴れる彼女と二人で横になる。身体が冷えた時はとにかく人肌だ。幸い、鈴の体温は高い。 「あ〜、鈴は温かいなぁ」 「ふかーっ、冷たい手で触んな!」 「鈴だって足冷えすぎでしょ。うわっ、やめて、押し付けないで!」 「うっさい。温かい理樹が悪い……って、痛っ、蹴ったな!」 「え? ちょっ、誤解だよ。うわわ、押し出そうとするも止めてよ!」 「なにをー、蟹ばさみとはひきょうだぞ理樹! あたしのベッドから出てけ!」 「いやいや、これ僕のベッドだから! 領有権は我にあり、大人しく従わない場合は武力に訴えるぞ!」 「ならばこちらも、秘密兵器を出さねばならないようだな」 「何を……って、あははははははっ、ちょっと鈴、擽り攻撃なんて酷いよ」 「理樹の弱点などお見通しだ。降伏するなら今のうちだぞ」 「やられたままではっ! 逆襲だー!」 「わっわっ、変なとこ触んなー!」 「問答無用。敵にかける情けは無いよ!」 僕らはそうして、まるで子供みたいにじゃれ合った。 一頻り暴れて、疲れ果てる頃にはすっかりベッドの中は温まっていた。 冷え切っていた肌も火照って、額には汗が滲んでいる。 「疲れた」 「僕もだよ」 「眠い」 「うん……眠いね」 まだ寝るには早い時間だ。晩御飯だって食べてない。お風呂にも入っていないし歯だって磨いていない。けれど、とても良い夢が見られるようで、僕は睡魔の誘いを拒む気になれなかった。 シングルサイズのベッドに二人。ほとんど触れ合うほどの距離に鈴が居る。 欲望に忠実な彼女はもう目を瞑っていて、しばらくすれば寝息が聞こえてくるだろう。 僕は、そんな子守唄みたいな幼馴染の息を聞きながら眠る事にした。 彼女が起こしてくれる朝を夢見て。 [No.460] 2009/10/23(Fri) 23:33:08 |
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