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夜空に星が瞬いている。黒天の空を、新円を描く月が仄かに照らしていた。冷涼な冬の風が肌を刺し、白い息を霧散させる。屋上には月の光が淡く降り注いでいた。 「理樹くんこっちこっち〜」 「小毬さん」 小毬さんがいつもの場所で、いつものようにちょこんと座っていた。風にスカートがはためく。手でスカートを押さえながら、にこやかに待っている小毬さんはレジ袋を片手に提げていた。 「早かったね」 「ううん、私も今来たところ。それにしても困った」 「どうしたの?」 「あのね、プリン買ってきたんだけどスプーン忘れちゃって、モンブランもあるのにどうしよう」 そういう小毬さんの提げるレジ袋の中には、お菓子がぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。プリンやモンブランのほかにティラミス、羊羹、シュークリームなどが雑多に積み重ねられていた。 「あ、なんか知らないけどポケットにスプーンが入ってた」 「わぁ〜ありがとう理樹くん〜」 ポケットからスプーンがあるように念じて出す。案の定ポケットからはコンビニでもらうようなデザート用のスプーンが二個入っていた。こんな歪な世界であることに感謝しながら、配管を背にする。小毬さんも床の冷たさに少々驚愕しながら隣に座った。 「星を見ながら食べましょう。そのほうがロマンチック」 「前の流れ星のときはコーヒー一杯とお菓子を少し食べただけだったよねそう言えば」 流星群が落下していく中、寒暖の激しい夏の夜に僕たちは今日のようにここで落ち合った。その時は純粋に星を観賞するためだった。流れ、消えゆく星に願いを込めながら。 「うん。だから今日はその埋め合わせみたいなもの、かな?」 小毬さんが首を傾げる。正直そんなことを問われても何と返したらいいか分からない。僕はそうだね、とだけ言ってプリンに手を伸ばす。そうだ、と思い僕も懐に隠し持っていたモノを小毬さんに手渡す。 「はい、これ」 「ふえ?あ、暖かいココア〜!」 「前来た時に飲みたいねって話してたから。これで今日は眠気がなくなるといいけど」 「理樹君が買ってきてくれたココアだからたぶん、ううん、きっと大丈夫」 小毬さんがまだ熱いココアに口をつける。最初口をつけた時に「あううう〜…熱いいいいぃ…」と言っていたが、徐々に慣れてきたらしく少しずつ口に含んでいった。湯気に白い息が重なる。 「そう言えばね」 小毬さんが笑いかけてくる。 「私、昔ピーターパンに憧れてたんだ」 「ピーターパンって絵本のあれ?子供たちを救うお話」 「そうそれ」 ココアを横にそっと置いて小毬さんは立ち上がる。そして静かに入口の方へ歩み出し、行きついたところでくるっとこちらを振り向く。 「こうやって」 小毬さんは手を広げ、僕の方へ向かって空を駆けるように近づいてきた。そうしている小毬さんの顔は幸福に満ちていて、僕はそれを見るだけで癒された。 「空を飛びまわってフック船長と闘うの」 僕に接近した後、小毬さんは旋回した。入口まで丁度半分まで行ったところで小毬さんは歩みを止め、天を仰いだ。 「ちっちゃいころの私はそれがすごくかっこいいって思ったの」 えへへ〜、と笑いながら僕の隣へまた座る。心なしか小毬さんの顔に朱が差しているように見えた。強風に煽られ、スカートが音を立てながら閃く。 「じゃあ絵本を書こうと思ったのもその時から?」 「ううん、絵本を書こうと思ったのは高校生になってからだよ〜。図書館でピーターパン見つけた時に書こうって思ったんだ」 空を見つめながら小毬さんは言う。相変わらずの黒天。なのに少しだけ輝いて見えた。 「夢を、あげたかったんだ」 「夢?」 「ピーターパンは大人になれなくても夢を与えることができた。結局ピーターパンはウェンディを迎えに来なかったけど、最後に『生きていくことが冒険なんだ』って言ってウェンディを見送るの」 この話をしている小毬さんは悲しげな顔で僕に語りかけていた。諭すように優しい声で。 「おにいちゃんは大人になれなくても、私にひよこさんとにわとりさんの話を残してくれた。困難に立ち向かえられるように」 話す顔に靄がかかる。話が一区切りついたのか小毬さんはもう温くなってしまっただろうココアを飲み干す。最後に大きく息をはいた。 「だから私も誰かにこのこと、伝えてあげなきゃって。…見えてないものが多すぎるからね」 夜空にまだ流れ星は見えない。町も静けさを取り戻し、いつの間にか空にだけ光が集まっていた。 「でもその後知ったんだ、ピーターパンは大人になれないんじゃなくて、なりたくなかったんだって。だからネバーランドにいる大人をころしちゃうの。ピーターパンも、もう少し目が見えてればかわったかもしれないのにね…」 その話は知っている。前小毬さんが童話の元の話は残酷と言ったときに少し調べた。ピーターパンは正義の味方ではなく子供の味方であるだけだってことも。 そしてその姿が僕にはなぜか拓也さんとシンクロして見えた。 「その話を聞いてもピーターパンが好きだったの?」 「うん、私が見たピーターパンはかっこよかったから、それでいいのです」 こちらをじっと見つめてくる。その眼の中には幸せよりも悲しみの方が多い気がした。それでも笑みは崩さない。 「重い話になっちゃいました」 「なっちゃったね」 「じゃあ今からお菓子タイムといきましょう〜。まだまだいっぱいあるからどうぞっ」 小分けになっているカステラの袋を封を切って開ける。中からカステラ特有の仄かに甘い匂いが漂ってくる。それを僕と小毬さんで半分こにして食べる。しっとりとしていて、口の中に砂糖の甘さが広がる。 「流れ星見えないねぇ」 「ふたご座流星群だっけ?」 「そうそれ〜。前来た時はあんなに見えたのにね〜」 星はまだ流れない。咀嚼しながら小毬さんは空を見上げる。月が最初見た位置から大きく外れているのが分かる。それに続いてオリオン座も角度を変えていた。 「オリオン座さんってさ」 「さそり座に刺されて死んだってやつ?」 「うあああーん、先に言われたーーーっ!!」 小毬さんががっくりと肩を下ろす。可哀想なので、頭をなでてあげる。「ふえええ!?」と言った後、恥ずかしいのか縮こまってしまった。ごほんと咳払いをして話し始める。 「オリオン座さんってさそり座さんの反対側にいるけど、それはさそり座さんに殺されたから反対側に隠れたわけじゃないと思うんだ」 空を見上げる。オリオン座はまだ見えている。ペテルギウスが赤い光を放っていた。 「じゃあ、どうして?」 「さそり座さんがね、もし暴れ出しちゃったらいて座さんに殺されちゃうの。だからさそり座さんのためを思ってオリオン座さんはわざと隠れてるんだよ」 オリオン座さんって優しいね、と付け足す。僕の目がまた見えたような気がした。 「オリオン座さんとさそり座さんは仲が悪いっていう例えなんだけど、私は仲がいいって思うことにしたの。最初仲が悪くても仲直りすれば、ね。こうすれば、みんな幸せ」 小毬さんの幸せスパイラルの理論がここでも息づいていることに驚きを隠せない。僕は苦笑しながらそれに頷いた。 「じゃあ犬と猿も同じかな」 傷つけたくないから木の上に居る。傷つけたくないから吠えて争いを避ける。お互い相手のためを思っての、行動。 「そう、その調子で全部幸せにしていこ〜!」 最後のカステラを小毬さんが頬張る。お菓子を食べている時の小毬さんは本当に幸せそうだ。僕はその顔を嬉しそうに見つめる。 辺りが暗闇に呑まれ、ついに僕たちを照らすのは夜空に輝く月と星だけになった。満月の夜は明るく、小毬さんの顔を明確に見分けられるまで照らしてくれている。 「まだかなぁ流れ星」 「そう簡単には流れないよ〜。でも私たちが本当に見たいと思ってるなら流れ星も恥ずかしくなって顔を出してくれるかもです」 「じゃあ祈ろうか、流れ星に」 「うん、そうしましょう」 二人して目を閉じる。僕は手を合わせながら、小毬さんは両手を握りあって、それこそ修道女が祈るような祈祷の格好で願っていた。 二人して目を開ける。目の中に飛び込んできたのは、やはり夜空と僕たちを照らしている月とあまたに輝く星だった。 「何か不思議な感じ」 「うん、僕も」 「お月さまって太陽が反対側にあってもこうやって私たちを照らしてくれる。でもそれもお月さまと太陽さんの中が悪いわけじゃない」 「月は夜照らさないと僕らが困るからこっちにいる、だよね?」 「うん…。でもお月さまと太陽さんはきっと一緒にいたかったんだと思うんだ。だからこれだけは寂しいよ…」 悲しそうな顔で小毬さんが俯く。 月はお互いを傷つけるから太陽と離れたわけではない。僕たちに夜光がないと困るからいてくれてるのだ。 東の地平線が白んでくる。太陽が近づいてくる。それに次いで月が南東の地平線に隠れていく。僅かに光っているその姿は僕らと太陽に別れを告げているようだった。 「月って太陽がないと輝けない。まるで誰かさんと誰かさんみたいだね」 夜が明けるにつれて、今まで輝いていた星たちが勢いを無くして、白と青の中に消えていく。小毬さんはそれを見て悲しげに笑った。そのコントラストの曖昧な境界線の中心を指差す。 そこには何もない。あるのは、行き場を失った不透明な星の光。今まさに消え行くその刹那。 「私はあの星みたいにここにいることすら、あやふや。でも理樹君は違うよね」 小毬さんが立ち上がって歩きだす。数歩歩いたところで止まり、今度はまだ黒が支配している空にある月を指差す。 「鈴ちゃんは月、理樹君は太陽。どっちがいなくなってもやっぱり私は悲しいよ。それは太陽にとっても月にとっても、同じ」 小毬さんは泣いていた。やっぱり笑顔のままで。涙が頬を伝い、乾いた屋上のコンクリートに吸い込まれていく。慈雨のように降り注がれる涙は、誰の心を潤したのだろうか。 「鈴ちゃんにはお別れ言ったけど、理樹君にはまだだったから」 「そう、だったんだ」 対する僕はどんな顔をしていただろう。笑っていただろうか、泣いていただろうか、悲しんでいただろうか。 「最後に」 そう言って、小毬さんはまた両手を絡め、祈りを捧げる。 「理樹君と鈴ちゃんが幸せでありますように」 一陣の風が吹いた後、小毬さんはいなくなっていた。遠い空、黒と白の境界線に流れ星が二つ、見えたような気がした。 世界はまどろみ、僕は小毬さんに感謝を告げて現実へと還っていく。 これは、僕が見た夢の最後のひとかけら。 [No.464] 2009/10/23(Fri) 23:58:28 |
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