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「もしかして三枝さんは旧支配者なのではないかと」 美魚がそんな事を口にしたのには意味がなかった。 なんとなく、ふと思い至っただけで、意味が伝わらなくても良いと思っていた。 もとより、期待すべきでも無いだろう、などと。 だが向かいに座る葉留佳は、ある意味で案の定なのかもしれないが、まるで分からないまま乗ってきたのだった。 先ほどからテーブルにぶちまけられた甘いお菓子を片っ端から口にしていた彼女は、少しだけ考える素振りをしてから大げさに頷く。 「フッフッフ、よく気付いたなみおちんめ! そう、何を隠そうはるちんは支配者様だったのですよ! さぁさ、跪くが良い!」 満足げな表情は輝いている、キラキラだ。 それが酷く不愉快で、美魚はやはりと確信した。 「悪意に満ちた巨大な瞳は深海を思わせる深き蒼に染まり、毒々しい発色を見せる体毛からは二本の触手が獲物を求める蛇のように垂れている。邪悪な臭気漂う魔窟にも似た口腔からは常に怖気が走る甲高い音が反響し聞く者の精神を引き裂かんとしている。人智を超えた動きを繰り返す四本の手足は冒涜の限りを尽くさんと彷徨っているのである。……大変です。具体的にはわたしのSAN値が大惨事」 「あっ、みおちん、そのお菓子食べて良い?」 「……どうぞ」 渾身のギャグをあっさりと流されてしまい、美魚は少しだけ唇を噛んだ。 この落ち着きのなさは紛れもなく宇宙的恐怖に類するものだろう。 しかし、そんな風に反応してしまう自分こそ問題なのだと首を振った。 「決めました。わたし、ミスカトニック大学に進学する事にします」 「おお、何処にあるの? 都内?」 「アーカムです」 「アバカム? なんだ、ゲームの話か〜」 イラッとする返答だった。 ポッキーのチョコだけを懸命に舐め取ろうとしているその仕草にもイラッとする。 美魚はどう否定したら良いものかと深く思考してみる。突っ込みの言葉も方法も無数に浮かび上がってきたが、考えてみれば強ち間違っていない事に気付き口内を循環させるに留めた。 全ては自分のミスである。 回りくどい表現が相手に通用しない事は分かっていたはずだ。 そもそも自分はストレートに物を言う人間ではなかったか。 不確かな確信に頼る形で、美魚ははっきりと宣言した。 「三枝さんは不浄で冒涜的なバケモノのようです」 「パリィィィン!」 「何の効果音です?」 「ウィークなガラスのハートがブレイキング」 「現在進行形ですか。では、このまま行ける所まで行きましょう」 「酷いよ〜、みおちんがいじめるよ〜」 「毟れるだけ毟れ、と師匠に教えられました」 「みおちんの師匠とな! 誰、誰なのですか〜」 「……又吉イエス、でしょうか?」 「えー」 適当に言ってみただけだった。 自分に道を指し示してくれた人なら居るが、彼女は師匠ではない。 美魚にとってその人は対称であり本人なのだから。 そういえば、人にとって最大の敵は自身であり故に人はその支配者でなければならない、という事を言ったのは誰だったか。すっかり忘れてしまっていた。記憶は無尽蔵ではない。そうだったとしても覚え続ける事は困難だ。 「でも、みおちんが政治家になったらちょっと面白いかも」 「お断りです。ああいうドロドロした世界は好きではありません」 「あぁ、それは分かるかな。なんていうか、ああいうのって嫌になっちゃうかんね。もう、うんざりっすよ」 表情は真面目なのだがパイの実のパイ部分だけ削り取っているその姿から真剣さや切実さは僅かにも感じ取れなかった。 国会議事堂に立つ自分の姿はどうやっても想像できなかったが、代わりに葉留佳を立たせてみると、まっさらなスーツに纏った姿だけでも十分過ぎるほど滑稽だった。 「なんか酷い事考えてマセン?」 「いいえ、特には」 まったくこれっぽっちも酷いと思っていない。 それに想像の中で何をしようと当人の自由だ。 頭の中に、心の中に描く世界は不可侵であるべきである。 「それで何の話だったっけ?」 「三枝さんが不浄で冒涜的で悪夢のように邪悪で名状し難きバケモノである、という話です」 「ズッパァァァァァン!」 ウィークなガラスのハートが更にブレイキングしたらしい。 確かな手ごたえに美魚は拳を握り締める。 「みおちん、ちょっと酷すぎですよ〜」 「いえ、ここまで来たらもっと先を狙いたいです」 「先ってなに!? はるちんどうなっちゃうの! いやぁ、だめぇ、そこは堪忍しておくんなせえ……なんちゃってー」 相変わらず無駄にノリが良い。 喧嘩になってもおかしくないほどの暴言であるにも関わらず、葉留佳の笑顔は揺るがない。 見透かされているのだろうか。 そうなのだろう。 「だいたい、何でバケモノなのさぁ」 「クトゥルフです」 「クックドゥー?」 「斜め四十五度で叩けば直るでしょうか?」 「おぉ! みおちんの手にどこからともなくバールのようなものが!!」 速やかにスーパー土下座形態へと変形した葉留佳に免じて、美魚はバールのようなものから手を離した。尤もその時には既に葉留佳はあぐらをかき、オレオのクッキーを外す作業へと戻っていたが。 「クトゥルフとは小説に登場する架空の神話です。神話といってもホラーですからそこに登場するのは人を救うものではなく、恐怖や狂気、無力への絶望といったものが描かれています。そこでは人は運命に翻弄される弱く小さな存在でしかないのです」 「ほうほう、それでそれで?」 「……ですから三枝さんはそんな邪悪な存在なのではないかと」 「なにが、ですからなのか分かんないデス!」 「人を狂わせる存在という意味です。姿形も奇怪ですし。人の領域に入ってきてやりたい放題。姿形も醜悪ですし。今日も突然現れてはお菓子パーティですか。姿形も冒涜的ですし。クトゥルフでは無知は幸福と言いますがまさにその通りかもしれません。姿形も名状し難きものですし。穏やかなる静寂を破壊する者ですね」 「言葉の合間に鋭いナイフが……ちょっとは隠そうよ、みおちぃん」 「失礼しました。姿形が余りにもインスマス面だったもので」 「なんの事か分からないけど、とりあえずゴバァグォォォォォォォォン!」 不可解な擬音と共に葉留佳のハートが粉砕された。 勝った。満足感に酔いしれる。 「こ、これで勝ったと思うなよぉ、みおすけ!」 「しぶといですね。しかも無駄に復活が早いですし。迷惑です」 「酷い! 私としてはみおちんのためなんだけどなぁ」 「わたしのため?」 現状の何処に自分のためになるものがあるのかさっぱり見当がつかない。 いっそ高度12000フィートから風呂敷一枚でダイブしてくれた方が、と流石にそれは声には出さなかった。 「だってさ、みおちん寂しそうだったから」 「寂しそう?」 予想外の言葉に美魚は目を白黒させた。 だが、直ぐに葉留佳はそれを否定する。 「嘘っす。寂しいのは私っすね」 「ワケが分かりません」 「なんていうかさ〜。みおちんが一番心地よかったからじゃないかと。人は皆、気持ちの良い場所に自然に流れて行っちゃうものなんすよ」 「わたしは不快です。ですがその理屈で言うのなら、わたしが今すぐ貴女のテンプルに良いのを入れガムテープでがんじがらめにした上で路上に放置しようとしないのは、ここが心地良いからなのかもしれません」 「……うん、きっとそうだよ」 ちょっと笑顔が引き攣っていた。 そう言われても、美魚には理解し難かった。 不快と口にしたのは確かに嘘だったが、歓迎しているわけではなかったからだ。 何度か思索してみても、この感覚を表す言葉は見つからない。 困った事に、別に言うほど嫌じゃない、と表現するのが最適なように感じられ、美魚は話題を変える事を選んだ。 「ところでさっきから何をしているのですか?」 「ん? 見てわかんない? きのこの山とたけのこの里が戦ってるの」 美魚としては先ほどから繰り返されている遊んでいるかのようなお菓子の食べ方を聞いたのだが、葉留佳は今やっている事だと思ったらしい。両手に持ったチョコスナックを激しくぶつけ合いながらそう答えた。 「今宵、美濃国は関ヶ原。ドリルを髣髴とさせる風貌の男らしいたけのこの里と、なんとな〜く卑猥な感じで男らしいきのこの山が激突する! ここを退いては後はなく落ちぶれ武者と成り果てる。しかし勝てば官軍なんとやら。夢にまで見た覇権は直ぐそこだ! いざ立ていざ討てはっけよい! 全速前進だー、見敵必殺だー、ガンホー!」 「……それで、どっちが東軍なのでしょう?」 「うおおおおおおおおおっ、きのこ壱号がチョコだけ舐め取られたぞ、なんのまだまだやれるさこの程度でくたばるほど柔じゃない、でもお前スナックの部分だけだと骨っぽくてなんか犬のお菓子みたいだよね、……げふっ、きのこ壱号おおおおおおおおおっ!」 「良く分かりました。三枝さんは一人上手ですね」 「慣れてるからね〜」 そう言うと葉留佳は二つの菓子を口に放り込んで咀嚼してしまった。 「はるちん大勝利」 両手でピースする葉留佳の笑顔は額縁に収めたい程だった。 眩暈がするほどハッピーで泣き出したいほど不安定なそれは桜に良く似ているような気がして、なんたる気の迷いかと美魚は激しく首を振る。美しい桜を邪神と同等に考えるとは。 「いよいよ正気が失われてきたようです。わたしはもう長くはないのでしょう」 そう言いつつも描いた幻想は直ぐには消えない。 直ぐに消えてしまった笑顔を対称として現実がそこに見えるからこそ、比較され浮かび上がるのだ。それはまさに桜並木の空虚に似ているのではないか。華やぐは一時、後は他の樹木に紛れ日常のものとなってしまう。 「みおちんは寂しいって言葉じゃ分かんないかもだから言い換えるけど、困ったのですよ」 「わたしはもっと困ってます」 「前までは色んなものを憎むだけで良かった。なんでこんな悲しいのかとか、なんでこんな痛い目に合わなきゃいけないのかとか。怖いのとか腹が立つのとか、でもちょっとの夢とか、そういう感情が真っ暗な道を照らしてくれてた気がする。けどなんだかんだで許されちゃったりしてさ〜、そんでもって許しちゃったわけじゃないですか。そしたらどうにもこうにも、困ってしまったわけですよ」 「無数の道が見えてしまったため、目標を見失ったというわけですか。贅沢ですね」 「いや〜、はるちんもびっくりですヨ」 美魚はおどけてみせる表情の中に本心を見た。 彼女にしてみれば下らない、葉留佳にしても許せない。 以前なら、そう感じるべきものだったはずだ。 「心の中がぐちゃぐちゃしちゃってて、もうしばらく何を求めたら良いのか分かんないままなんだよね〜」 「心と呼ばれるのは脳の働きであり、生理的な無意識の結果です。人間という存在の多くはそれによって生かされていて、自己が持つ意識という細い針の穴を通して外界を覗いているのだそうですよ。ですからそれがいきなり大きくなったり無断に動き回ったりするとパニックに陥ってしまうのだとか。特殊な環境下におかれ続けた人間に突然自由を与えると精神が不安定になるそうです。一般的にも思春期に起こりがちですね。その頃に自我が極端に肥大化しますから、無尽蔵の情報に意識が混乱してしまうんですよ」 「zzz……なんちって。みおちんは私を眠らせてどうするつもりだー」 「ですがそれは一過性のものです。結局どこかで落ち着いてしまうんですよ。心はやはり無意識ですから操作出来ないそれに支配されるしかないんですよ。なるようにしかならない。運命と呼ばれるものを肯定するつもりはありませんが、あるいはそこに超常の存在を感じる事は可能かもしれません。ちっぽけな人間はそれらに動かされているだけ。曖昧で不確かな彼らに動かされるのがわたし達が夢想する自分自身というものなんです。そういう意味で、三枝さんが言った通り心地良い場所に辿り着くものなのなのかもしれません。それが自然なのかも……でもだからと言って……」 「はい、みおちん。あ〜ん」 差し出されたハッピーターンを噛む。 塩化ナトリウムの塊が味らいを激しく攻撃した。 「だからと言って?」 「……もう、良いです」 葉留佳は小判型のそれを舐めていた。 「しょっぱい」 「散々甘いものばかり食べてましたから、それはそうでしょう」 「でも美味しいから良いや。美味しいお菓子があれば万々歳!」 「まるで小毬さんみたいですね」 「私も思った。そして今から呼ぼうと思った」 「ダイエットの本を大量に抱えながらコソコソと書店から出て行く姿が目撃されたばかりなのに?」 「だってはるちんは邪神っすから。誘惑が本業なのですよ」 姉御とクド公も呼ぼう、と葉留佳はすっかり自己完結していた。 クトゥルフの異形共はそういうタイプではないのだが、と美魚は思ったが撤回させる理由も、止める理由さえも思い当たらなかった。 言おうとしていた言葉はもう遠く霞みの中に消えてしまっている。 形を失い常に変化を続ける心に合わさるピースはない。 それでも、不確かなそれが二つ合わさるのならば揺らぐ琴線の奇跡として瞬間的な風景を描き出す事もあるだろう。 具体的にはうら若き少女が二人、お菓子を片手に意味の無い会話を楽しんでいる。 これから更に増え、もっと騒がしくなる。 それは無駄だが不要ではない。悪い気はしない。 これも無意識の成す業なのだろうか。 意識して考えてみたが影しか見えず、それもまた僅かな間に揺らぎながら答えを示さない。 悪くは無い、良くも無い。 悪いわけじゃない、良いわけじゃない。 善悪二元論では表現できないそれらと同じように、人の心はかくも異様だ。 「ああ……原形質」 美魚は呟いた。 「どったの?」 「邪神は様々な姿で描かれますが、その本質は不定形だと言います。まぁ、悪魔的な存在は往々にしてそうなのですが、人の前に様々な姿形で現れるんです」 「なるほど、どんなものにでも変化できるって事だね」 便利だな〜。姉御みたくアダルティでボインボインでセクシャルハラスメントちっくなボディが欲しいのですよ。などと半ば本気で呟いている葉留佳に目を細める。 美魚は首を振った。 それから柔らかく微笑んだ。 「誰がどんな風に描いても問題ないって事ですよ」 [No.49] 2009/04/03(Fri) 23:19:27 |
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