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東の空、山々、木立を乗り越えて赫い月が昇る。 川のほとり、銀髪の少女は待ちかねたように月光を浴びる。 「ふふ、美味です……」 そして彼女は昇りゆく月をうっとりと仰ぎながら、傍らに伏せた狼犬の背を撫でていた。 僕はその姿に見蕩れ、いや、魅入られてしまったんだ。 きっと時間を忘れて立ち尽くしていたんだと思う。僕が仰向けに倒れた、いや倒されたとき、月はもう高みから見下ろしていたのだから。 「ヴェルカ」 彼女の声が聞こえてからようやく、僕が何かに押し倒されていることに気がついた。生温かい息が頬にかかる。 「いつ仕掛けてくるのかと待ち構えていたのですが……いったい何のつもりなのです?」 草を踏むかすかな音が近づいてくる。呆れたような口調。 「お前は何者です? 鶏脚の婆さん《バーバ・ヤガー》の使いにしては随分とぼんくらな……おや、女の子でしたか?」 「ち、違う! 僕はれっきとした男だ!」 彼女の言っている意味はほとんど分からなかったが、普段から気にしていることを言われてかっとなってしまった。目の前にいるのは危険なモノかもしれないのに。 しかし僕の気分などお構い無しに、彼女は僕の上にのしかかった。そこでようやく僕を今まで押さえつけていたもの姿を目にすることが出来た。比較的小型の黒犬。そんな馬鹿な。いくら僕がひ弱でもこんな小さな犬に押し倒されるなんてことがあるはずは……。 考えることが出来たのはそこまでだった。黒犬の代わりに圧し掛かった少女がすんすんと鼻を鳴らして僕の匂いを嗅ぎ始めたからだ。 「でも、お前から処女の匂いがします」 「そそそそんなわけあるかっ!」 怒鳴りつけたい気持ちは山々なのに、声が裏返って情けなさばかりが際立った。ふわりと香る蜜の香りにふと胸元を見ると、さらさらと流れた銀髪が、目の前で月光を浴びて輝いた。 「ふふっ、ですよね。あなたのような可愛い子が女の子のわけないです」 「かっ……」 「か?」 抗議の言葉はしかし、僕の舌を震わせることはなかった。間近に見た彼女の青い瞳はどこまでも深く澄んでいて、僕の背筋をざわつかせた。 胸がドキドキするのは恥ずかしさのせいか、それとも憤りのせいなのか。怖さを忘れていたことに気付いたのは随分と後のことだった。 「さて、肝心なことを答えてもらってないのでもう一度聞きます。お前は何者です? まあ、そう言ったところで正直に答えるわけもありませんし、身体に直接訊いてみるのです」 彼女の舌先がその艶やかな唇を湿らせる。端から八重歯がのぞいて、その艶かしい白さに思わず目を逸らした。 するり。気付いたときには、ひんやりとした彼女の手が僕の身体を滑ってとんでもないところに潜り込もうとしていた。 「ちょ……っ待っ!」 けれど、僕が心配した――そして本心を言えばほんの少し期待してしまった――場所へ手が届く寸前で、その行為は中断されていた。 「こそこそと盗み見とは感心しないのです」 彼女の忌々しげな呟きは、橋の袂のその陰へと向けられていた。彼女が顔にかかる銀髪をかき上げながら身体を起こし、僕は彼女が蝙蝠の髪留めをつけているのに気がついた。何の宝石なのか、赫い眼が自ら光を放っているようにも見えた。 「羽ばたけ漆黒の翼。闇を蝕む貪欲な牙!」 鋭く命じながら髪留めを投げ放つと、その目が紅く光り無数の蝙蝠へと変じた。群れを成した蝙蝠が踊りかかる刹那、橋脚の陰に潜んでいた何者かが、飛来する牙を躱して月明かりの下に躍り出た。標的を見失った群れは盛大な土煙を虚しく上げる。 「けほっ、けほ……ったく、乱暴ねー」 飛び出してきた少女は形のいい唇を尖らせ、涙を滲ませた空色の瞳でこちらを睨み付けた。月明かりを跳ね返す金色の髪で白い翼のような飾りが揺れる。 「その羽飾り……告解の死天使? また古狸の使いですか、しつこいのです」 生み出した蝙蝠を周囲に侍らせている彼女は、作りすぎてしまったカレーが三食続けて出された三日目のような口調。言葉の意味はまるで分からないものの、その少女の登場に心底うんざりしているようだった。 「あたしはロシア正教会第三教化師団所属の天使、朱鷺戸沙耶。クドリャフカ=アナトリエヴナ=ストルガツカヤ、総主教の命によりあなたの身柄を拘束します。 さあお姫様、おままごとの時間はもう終わりよ!」 朱鷺戸と名乗った少女は、そう言ってミニスカートを翻すと、太もものホルスターから拳銃を抜いた。 「ちょ、駄目だよこんな小さい子に銃を向けるなんて!」 「ち、小さい……?」 理解不能なことの連続でただ成り行きを見守っているだけだった僕も、さすがにこれを見過ごすことは出来なかった。とは言え、拳銃に向かっていく度胸などない僕は立ち尽くし、震える声を搾り出すだけだ。 朱鷺戸はそんな僕の怯えを見透かしたのか、心を動かされる気配もない。 「見かけに惑わされちゃ駄目よ。小っちゃくても彼女は既に400歳を越える吸血鬼なんだから」 「こんな小さい子が? 信じられないよ!」 「さっきから人のことを小っちゃい小っちゃいと……」 ざわ、ざわ……っ! 低く震える声に総毛立つ。声の方へと振り向くのを身体が拒否した。 「“ちっちゃい”のーっ! あいむ、のっと、ふらっとなのですっ!!」 その瞬間、黒い力の爆発に、僕の身体は弾き飛ばされた。転がった先で見たのは、先ほどに倍する数の蝙蝠。その群れが朱鷺戸めがけて殺到している光景だった。 「踊れ踊れなのです! 持たざるものの恨みを思い知るといいのですっ!」 朱鷺戸も手にした拳銃で応戦するものの、素早く飛び回る蝙蝠には効果が薄いように見えた。弾切れになるまで撃ちつくしてもせいぜい数匹。おまけに撃ち落とされてもすぐに補充されてしまうのだろう、群れの密度が変わったようには見えなかった。 「蝙蝠の姿をとってはいてもそれは私の魔力の塊。そんな玩具では散らすことなど無理無理なのです」 しかし、土埃に塗れた朱鷺戸は、クドリャフカの言葉を聞いても不敵な笑みを浮かべていた。 「あら、そう思う?」 かしょっ! 新しい弾倉を勢いよく銃に叩き込むと、群れの中心に銃口を向けた。 ぱんっ! 銃声とともに、沙耶の前に小さな円が浮かび上がる。光の二重円。内部に図形と文字が刻まれたそれに蝙蝠の一羽が触れると、爆発的な速度で円が増殖・展開していく。そして飛び回る蝙蝠たちを次々と捉え、無力化してしまった。全ての蝙蝠が無力化した後、そこに残されたのは元の小さな髪飾りだけだった。 クドリャフカがその威力に目を見張る。 「詠唱弾……!」 「そう。でもただの詠唱弾じゃないわよ。聖ゲオルギウスの十字架を鋳潰した神銀に、13の13乗回分の聖句を編みこんだ特別製なんだから」 そして、朱鷺戸は銃口をクドリャフカへと向けた。何千何万と繰り返してきた動作なのだろう、その姿勢にはブレがない。そして、銃口を真っ直ぐ見つめるクドリャフカも。 「チェックメイトよ」 しかし、必殺と思われた弾丸は、彼女の身体を傷つけることはなかった。 「詠唱弾が、起動しない……?」 ぽとり。クドリャフカの額に貼りつき、ひしゃげた弾丸が地面へと落ちる。額は少し赤くなっただけで、傷一つない。 「ちょっと痛かったのです。確かに特別製みたいです。でも、私を捕らえるつもりなら13乗がもう一つ足りないのです」 「さらに13乗っ!? け、桁が違うわ、冗談でしょ」 切り札がまるで役に立たないことを思い知らされ、朱鷺戸は呆然と目の前の少女を見詰めていた。その様子を見て気分を良くしたのか、クドリャフカはさらに勝ち誇る。 「ふっふっふっ、これが格の違いというものです。こんなもので私を倒せると思われるのは心外で『ぱんっ!』あうっ!」 不意を突かれてクドリャフカの顔が少しだけのけぞった。やはり傷一つついていないが額の赤さがさらに増した。僕はおそるおそる朱鷺戸を振り返る。目が据わっていた。 「は、話の途中で撃つのはひきょ『「うんがーっ!」ぱんぱんぱんぱんっ!』あうあうあうあう!」 銀玉を立て続けに喰らったおでこが真っ赤に腫れていく。 かしっかしっかしっ。 「ち、弾切れか……」 舌打ちしながら憮然とした顔で新しい弾倉を取り出そうとする朱鷺戸。プライドを踏みにじられた反動なのか、そのやさぐれ度合いが競艇場で酔っ払ったチンピラレベルだ。それ以上撃たせる前に、クドリャフカがとうとう切れた。 「もう怒ったのです! 街ごと叩き潰してぺったんこにしてやるのです!」 おでこを押さえ、半泣きで自らのマントを剥ぎ取った。その下、うちの制服らしいミニスカートと白いニーソックス。そして上半身はソックスに負けないほどの白さのなだらかな―― 「は、裸っ!?」 『お前は見るな!』 二人に口をそろえて叱られ、慌てて両手で顔を覆った。目を閉じると焼きついた今の光景がまぶたに浮かんでしまい、とても平静ではいられないので指の隙間から覗くことにした。 【起動!】 ぼうっ、とクドリャフカの身体に渦巻きのような模様が浮かび上がる。それと同時に彼女の前に巨大な円陣が現れた。何重にも描かれた円と図形、そしてその隙間を埋め尽くす文字。先ほど朱鷺戸が展開したものよりも何倍もの大きさ。鮮血を思わせる赫い魔法陣は、知識のない僕にすら禍々しい、という印象を抱かせた。 【次元接続>論理式『WA=FUU』使用。門《ゲート》開放手順第一から第七までを省略……開放>召還術式、詠唱開始】 中に描かれたいくつもの円が回転を始める。金庫のダイヤル錠のように右へ左へと回転する円が、かちりかちりと所定の位置に収まっていく。 「光を喰らい、闇喰らい、無すら喰らいし神の末裔《すえ》――異界に封じられし貪欲な顎よ、軛《くびき》を解きて我に従え!」 GUUUUUUUUUUUUOOOOOOOOOOOOOORRRRRRRR UUUUUUUUUAAAAAAAAAAAAAAAHHHHHHHHHHHHHHH!! 「ひっ!?」 クドリャフカの喚起に応え、魔法陣がこの世ではないどこかへと繋がる『穴』に変貌する。その『穴』から溢れ出た咆哮に僕は腰を抜かしてへたり込んだ。 ずるり。『穴』から名状し難い『何か』が這い出してくる。熊のような巨躯、頭には羚羊のような角を持ち、背中から鷲の翼を生やしている『何か』。 「な、何……これ?」 「ヴォロス……かつてこの世の全てを喰らい尽くさんとして異界に封じられた獣の王よ。まさか、こんなモノまで従えているなんて……」 話が大きすぎて実感は湧かないけれど、少なくとも僕らを跡形もなく食ってしまうくらいは簡単なんだろう。見れば、朱鷺戸も構えた銃がカタカタと震えている。 この脅威に平然と向き合っているのは召還した本人、クドリャフカだけだ。彼女は胸をそらせてヴォロスを見上げながら、にやりと勝者の笑みを浮かべ、その牙を光らせていた。そして、僕らの恐怖する様を満足するまで楽しんだのか、ついに獣へと命令を下した。 「ふっふっふっ。さあ! 我クドリャフカ=アナトリエヴナ=ストルガツカヤの名において命ず、盟約に従い眼前の敵を喰ら『ぽかっ☆』あいたっ!」 とても軽い音がした。『ぽかっ☆』としか表現できないような、とても軽い音が。 クドリャフカが召還した獣は、あろうことか目の前の彼女をぽかぽかとはたいていた。 『ぽかぽかぽかぽかっ☆』 「いたいたいたいたいのですっ!? こ、こらっ、やめ、やめるのですっ!」 恐怖と死の化身だったはずの獣は、もう着ぐるみを被った大人気ないおとなにしか見えない。 呆気に取られていた僕が朱鷺戸の存在を忘れていたことに気づき、慌ててそちらを見ると、彼女もまた口をあんぐりと開けて固まっていた。 「もーっ、お前はクビなのですっ!」 ぷんすかと怒ったクドリャフカが手で払うと、巨大な魔物はかき消すようにいなくなり、魔方陣も消えてしまった。何ともいえない沈黙が夜の川原を吹きぬけた。 「……何だったのよ今のは」 呟いた朱鷺戸への答えを僕は持っていなかった。唯一答えられる人物は、「ストレルカ!」と虚空に呼びかけ、灰色の狼犬を呼び寄せると、それに跨って背を向けた。 「ちょ、逃げるの? 待ちなさい!」 「きょ、今日はこのへんで勘弁してやるのですっ!」 慌てた朱鷺戸の言葉に捨て台詞を残すと、狼犬を駆って走りだした。僕も朱鷺戸も追いかけたけれど、闇に紛れてすぐに見失ってしまった。朱鷺戸が悔しそうに舌打ちする。 「くそっ、逃げ足が速いわね」 しかしキッと顔を上げると、クドリャフカの消えた闇に向かって、 「どこまで行っても逃げられないわよーっ! ぜーったいにあたしたちが捕まえてやるんだからーっ!!」 宣戦布告した。その声は、深夜に近所迷惑を撒き散らしながら、闇の中に吸い込まれていった。 そして、僕はそのことに大分遅れて気がついた。 「……たち?」 「そう、私とあなたであの小っちゃいのを捕まえるのよ! その名もリトル・バスターズ!」 「えぇーっ!?」 金色の髪をなびかせて振り向いた彼女の笑顔は気合に満ち満ちていて、僕は選択肢などないことを思い知らされた。 「大丈夫、あたしについてきなさい!」 こうして成り行き任せの奇妙なコンビは結成された。 僕と朱鷺戸沙耶、そして彼女、クドリャフカ=アナトリエヴナ=ストルガツカヤとの、これが出会い《ファースト・コンタクト》だった。 ♪ Little Busters! ―OP short ver.― 【歌詞省略】 リトル バスターズ! ―――Little Busters!――― [No.502] 2009/11/07(Sat) 16:44:04 |
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