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人生に何を望む? いい大学、いい会社、高収入。 可愛い彼女、多くの友人。敵は作らない。 楽しく遊び、仕事に支障はきたさず。 いい靴、いい時計、ブランド物のスーツ。 週三日のジム通い。 都心のマンション、高級家具。 だけど、マイホームは都心から離れて広いものを。 子供にはピアノやゴルフを習わせて。 定年後は、妻と二人でゆっくり生きて。 最期はベッドの中で、家族に見守られて。 豚のように死んでゆけ。 放課後の教室。僕はいつものように友達と談笑を交わしながら、帰る支度を整える。部活に出かける彼らを見送った後、一人で帰ろうとしたところ、見知った顔に出くわした。 「今から部活? 笹瀬川さん」 「直枝理樹……」 「ん? どうしたの?」 笹瀬川さんは呆れたようにため息をつく。 「あなたは、まるで初めからこのクラスに居たかのようですわね」 「そう、かな?」 「ええ、本当に屈託が無くて。まるであの事が無かったかのように見えますわ。あんなこと……みなさん亡くなってしまったのに」 「だから?」 笹瀬川さんが一瞬たじろぐ。だけどすぐに挑発的な視線を僕に向ける。 「普通は、もっと悲しむものではなくて?」 僕はつい鼻で笑ってしまう。 「悲しめば、みんな生き返るとでもいうの?」 「そんなわけないでしょう! だけど、みなさんあなたの大切なお友達だったでしょう? だったら……」 悲しむべきだ、か。何度目だろうか、同じ台詞を言われたのは。 僕は笹瀬川さんの横をすり抜けると、そのままその場を立ち去ろうとする。 「お待ちなさい! まだ話が――」 「部活、始まってるよ」 僕は窓の下を指差す。グラウンドでは女子ソフト部が何人か準備を行っていた。 笹瀬川さんは悔しそうに舌打ちすると、早足で僕を追い抜いていく。 一人取り残された僕は、口の端を嫌らしく上に寄せる。勝手にやってて下さい。 もう秋も終わり。ホームルームが終わったばかりだというのに、すでに日は落ちかけて、辺りを赤のようなオレンジ色のようなそんな不可思議な色に染め上げる。 僕は再びグラウンドに視線を移す。そういえば、もう何ヶ月グラウンドに出ていないのだろう。もちろん体育のときにはグラウンドに出るけれど、あんな風に夕方のグラウンドに立つことは無くなった。これからも、ずっと。 みんなと過ごした、あの永い時間を思い出す。オレンジに染まったグラウンドが目に眩しい。真っ暗になるまで走り回ったっけ。みんなの笑い声が耳に残る。帰り際にみんなでおしゃべりした野球部部室の光景がありありと浮かんでくる。その穏やかな空気が心を揺さぶる。あの部屋にはまだみんなの居た痕跡が、あの空気が、きっと残っているのだろう。 幸せだった。本当に幸せだった。甘くて優しくて。 そしてみんな、弱かった。 僕と同じ境遇だったから、僕にはそのことがとても嬉しかったのに。結局は僕を失望させるだけだった人がいた。 例えばクド。TVでクドの母親が死んだことを知ったとき、僕の口元は綻んでいた。僕は、僕の気持ちを理解できる人が欲しかったのだ。それにぴったりだったのが彼女だったわけだ。 彼女の場合、もとより母親とは離れて暮らしていて、自分の身元引受人としておじいさんがいる。最早この世に血縁者など存在しない僕に比べれば、恵まれた境遇。はっきり言って、クドの母親の死はクドの生活に何も影響しないのだ。僕よりも、「僕」になれる可能性があったのだ。 なのに、彼女が抱いた感情は後悔と自責。彼女に咎が無いことなんて本人だって気付いているはずなのに。彼女は母親の死を悲しんでなどいない。母親を亡くした自分が可哀そうで泣いているのだ。悲劇のヒロインという立場に酔っているだけ。何て傲慢な人間なのだろう。 強い人もいた。 謙吾や真人。恭介が度を越えたことをしようとすれば謙吾がたしなめ、真人は自分が被害を被ることを選んでいた。やり方は違えど、僕や鈴に対する思いやりであることに違いは無かった。 彼らは強い人間だった。 でも、優しすぎた。その優しさが結局自分の首を絞めてしまった。僕達なんて見捨てるべきだったんだ。あんなに酷い事故なんだ、そうしたって誰も責めたりなんてしないのに。他人を護ろうとした、それで命を落とすことになった。本当に馬鹿だ、本当に。 ふと、僕はつぶやいた。 「恭介、か」 僕の人生の中で、最も色濃くその存在を残していた人間。そして、僕の人生に存在してはいけなかった人間。 廊下を染め上げたオレンジ色が、あのときの記憶を思い出させる。 ――僕の目の前には恭介が横たわっていた。横転したバスのガソリンタンクに寄り添うように恭介が居た。胸には深々とガラス片が突き刺さって。息も絶え絶えに、みんなを守っていた。 ざまあないね。恭介。 僕は恭介の顔を踏みつける。靴の泥を恭介の肌で拭い取るように、執拗に靴底を押し付け、踏みにじる。 昔むかし、十年くらい前からかな、いつも僕の傍に居てくれた恭介。ずっと、僕は恭介にこうしてやりたかった。 「りきー! どこにいるんだー!」 遠くで鈴の声が聞こえる。僕は自分の顔が笑っていないことを手で確認すると、大声で鈴に返事する。 「鈴! ちょっと来てよ!」 「りき! そっちか!」 鈴は恭介を見ると声を失った。我を失ったように恭介の下へと駆け寄る。 「こいつ、何でここに!」 鈴は恭介の手当てをしようとする。鈴、頑張って。もう少し、もう少しだから。 鈴に気付かれないように、僕は足音と気配を消して二人の下から離れる。じりじりと。静かに。鈴は恭介に夢中で僕にはまだ気付いていない。ゆっくりとゆっくりと歩く。しかし急がなくてはならない。僕はまだ、死にたくはないからさ。鈴たちからは結構離れた。それを確認した僕は、後ずさりするのを止め、後ろを向いた。だんだんと僕の歩幅は大きくなる。足音も気にせず走り出す。走れ。走れ。走れ。 と、バスがあった場所から轟音。その音は衝撃波となって僕の全身を揺さぶる。続いてやってきた爆風に押されて宙に浮く。まるで帆船になったように。吹き飛ばされながら、首筋が熱でじりじりと焼かれるのを感じる。 地面に叩きつけられた僕はしばらく呼吸することも出来ず、周りの景色も音も何も感じることが出来なかった。真っ黒な世界が僕を支配する。 やがて、周りの音が聞こえ始め、梅雨の空気とは異なった熱気をその肌に感じられるようになった。ゆっくりと立ち上がり後ろを振り返る。もうもうと黒い煙が空へと舞い上がる。バスだったものは真っ赤な真っ赤な炎に包まれていた。 僕は、服についた土ぼこりを手で払うと、もう一度巨大な炎を見つめる。さっきの爆発だ、きっとみんな即死に違いない。僕は深呼吸をした。匂いといえばガソリンのむっとする臭いだけ。人の焼ける臭いはしなかった。肺の中いっぱいに空気を溜めると一気に吐き出す。笑い声と共に。 「あは、あはは、あはははは、アッハッハハハハハハ!」 燃え盛る炎の音に紛れて、僕の笑い声が森に響き渡る。ここは山深い崖の下。僕の声を聞くのは生い茂る木々だけ。胸のつかえが取れたような爽快感。僕は炎の熱に浮かされて、一人で笑い続けた。 笑いながら、僕は思う。 ねえ、恭介。僕たちは強くなれたかな? あの時、恭介が言った言葉。僕たちは弱い。僕たちが強く生きていけるようにみんなであの世界を造った。 ああ、何て傲慢なのか。鈴を弱くしたのは、他でもない恭介自身なのに。 恭介は気付いていなかった。自分の正しさや優しさが、僕たちにとっての正しさや優しさとは限らないことを。僕たちにとって手枷足枷になっていたことを。 恭介はいつも僕たちを引っ張ってくれた。守ってくれた。閉じ込めてくれた。 ねえ、恭介。その手で守りたかったのは、本当に僕たちなのかな? やがて、心臓の鼓動が落ち着いてくる。僕の背筋に冷や水が注がれたように、急速に熱が冷めていくのがわかる。 「ふうっ」 喉が渇いた。近くに自販機でもと思ったが、どうやって崖を上がっていくというのだ。荷物は全部燃えてしまったし。そういえば、鈴が携帯で警察に連絡していたことを思い出す。しばらく待っていれば、救助隊か何かがやってくるだろう。それまでの我慢だ。 僕は近くにあった手ごろな大きさの石に腰を下ろす。バスが燃えていた。さっきの爆発で骨組みだけになったバス。それが炎を纏って未だに燃え続けていた。この炎が彼らを白く小さな骨にしていくのか。視界にノイズが走る。骨壷の映像が幻灯機に映されたかのように浮かんでは消えた。 僕はずっと以前、父さんと母さんを喪った時に悟ったんだ。ずっとずっと、楽しい日々が続いていたから忘れていた。そう、忘れていただけなんだ。 僕は知っているんだ。父さんと母さんがどうして死んだのかを。 それはとても簡単なことだった。ただ、父さんが事業に失敗して、借りていたお金を返すことができなっただけ。父さんは、知り合いやら友人やら頼れそうなヒト全員に土下座をしてまわって、お金の無心をしていた。けれども、誰も既に火の車になった父さんを助けてくれるヒトは現れなかった。 そして、どうしようも無くなって、首を括るかホームレスになるかという状況になった挙句、僕だけでも助けるため、父さんと母さんは事故に見せかけて自殺したんだ。 どこか事務的で冷たい後見人からその話を聞かされたとき、妙に納得した自分がいた。あの日の前日、二人だけで出かけると言った母さんに、僕は泣いて縋り付いた。ただただ、夫婦二人だけで遊びに行くといった母さんが許せなくて、無邪気に泣いたんだ。すると、母さんは僕をしっかりと抱きしめた。痛いと思えるくらいの強い力で。あのとき、母さんは震えていた。声を殺して泣いていたんだ。 後見人はこうも言った。僕が生きていられるのは、父さん達が死んだからだと。僕の生は、二人の死で出来ているんだと。 僕は二人分の骨壷を前に、気付いてしまったんだ。 世の中には、強者と弱者しかいない。強者は世の中の幸福を享受することができ、弱者は地べたを這いずり回る。そして、弱者は誰にも救われず、ひっそりと、呆気なく死んでいく。父さんや母さん、そしてこいつらみたいな負け犬になりたいか。あんな負け犬、死んで当然なんだよ。 ――燃え盛る炎のような、残酷な夕日を浴びながら、僕は前へと歩を進める。 みんな、ありがとう。たとえ一時だけでも、下らない世界を忘れさせてくれて。 そして、死んでくれてありがとう。これで僕はやっと、甘い夢を捨てられる。 僕は全てを失った。全てを奪われた。全てを捨ててしまった。だから、今度は僕の番。 恭介、僕は強くなったよ。恭介が思ってるよりもずっとずっと強くなったんだ。独りでだって生きていける。だから、鈴は恭介に返しておくよ。あっちで恭介が寂しくないようにさ。嬉しいだろ? 僕は口角を上げて、笑顔を作った。今ならスキップで歩いたって構わない、そう思える心境だった。楽しみだ。これからの人生が、とても楽しみだ。 奪われた者が全てを奪う。 弱者が弱者を食い荒らす。 弱者が強者を引きずり落とす。 奪われた者が食物連鎖の頂点に立つ。 ヒトを足蹴にする。 ヒトを嘲笑ってやる。 そしてヒトを食ってやる。 [No.523] 2009/11/20(Fri) 23:55:59 |
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