![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
世界は僕を置き去りにしたまま、加速度的な変貌を遂げていた。 共和国が二つ消滅し、新しく国境線が生まれた。日本の国土面積が減ってから増えた。月面旅行より先に個人ヒトゲノム解析サービスが普及した。温暖化に関してはみんな諦めてしまったようだった。宮崎でバナナの実験栽培が始まったそうだった。 世界の時計は僕の物より早く進んでいるように思えた。 僕の時計、世界の時計。 どちらかが狂っているのは明白だった。僕の立つ地面がどれだけの速度で回り続けようと、僕は僕の速さでしか歩けないのだった。 まじかる☆アンティークは今や社会現象となり文科省推薦ゲームとなったし、スクレボはポプリクラブに連載誌を移した。 葉留佳さんに出会ったのはそんな折だった。 「やほ、理樹くん」 薄化粧にえくぼを浮かべて笑った。 分割手数料10%OFF!! 夕暮れの喫茶店。 いろんなことをしたよね、と彼女は言った。 葉留佳さんのくすんだ瞳は僕ではなく、どこか遠いところ。僕の奥深くにそっと眠った記憶を見つめているように思えた。そこには微かな、長い時間を経て動かされない書棚のような、悲哀の匂いが感じられた。 「って、思い出話始めようとしただけでナニ深刻な顔してんですか!?」 葉留佳さんは立ち上がって、すべしゅ! とツッコミを入れてくる。 「だが往年のキレは望むべくもなかった。」 「口に出てますヨ!」 さらにツッコミ被せてくる。 「お約束お約束」 僕は笑って、まあコーヒーでも、と僕の前に置かれたソーサーを葉留佳さんの前に押し出した。 「あぁ、こりゃどうも」 イスを軋ませながら再び座り、クイッ、とコーヒーカップを傾ける。口に含んで、しばらく舌で転がしている様子だった。ごっくん。 「……苦味走ったオトナのお味って感じ。私は、こっちの方が好きだな」 そう言って手元のオレンジソーダを指差す。 「うん、実は僕も」 と同意して、オレンジソーダに手を伸ばして一息に飲み干す。 「やっぱり炭酸はやめられないよね」 「なんで全部飲んでるんですか!」 なーんかキャラ変わったよね、と呟きながら葉留佳さんは額の汗を拭う。 「お約束お約束」 言ってから、ああ。と思った。 世はこともなく、お約束で済んでしまうのだ。それはとても悲しいことのように思えた。旧友との突然の再会すらもテンプレートで済まされてしまう。まるで古い映画のワンシーンのようであった。ヤクザの親分は撃ち殺されるんだろうし、善玉の一部と悪玉の大半は死ぬ運命にあるのだ。 そして僕と葉留佳さんは、この後一夜限りの情事に燃えてしまったりするんだろうか。 「帰るわ」 「なぜ!」 葉留佳さんが再び立ち上がる。 「いや冗談だけど」 「そういう冗談ははるちんには通じないと知れ!」 言い縋る葉留佳さんは少々涙目。なるほど確かに通じない。 ひょっとして今日までの経験に根ざしてるんだろうか。 「哀れむな!」 「冗談だってば」 まったくもう。 「ため息吐きたいのはこっちですヨ!」 葉留佳さんは腕を組んで頬を膨らませる。 「で、今日はなに? 結婚詐欺?」 「やはは、理樹くん鈴ちゃん相手にやる人がいたらなんかおマヌケですね」 言って、淡いブルーのグラスの水に口を付ける。口調は全然変わっていない(と、記憶している。実はあんまり覚えてない)けれど、その表情、白い喉元なんかは、昔の葉留佳さんとは似つかない。 「ところで鈴ちゃんはお元気ですか?」 「帰るね。勘定よろしく」 「地雷踏んだ!?」 葉留佳さんが泣きながら僕の服の裾を掴んだ。じょしこーせーならいざ知らず、この歳でやられると色々と辛いものがありますネ。 「だから冗談だって何回言えば分かるのさ!」 「もっと優しくしてくれないと泣くよ!?」 二人声を荒げる。店内は静まり返って、まじかる☆アンティークのOPが聞こえてきた。 まあ事実冗談である。鈴とは仲良くやらせてもらってます。あったかくて柔らかくて、割りに肉付きは悪くて、手放す予定は今のところない。 葉留佳さんには言わないけどね、なんとなく。 さて。 「葉留佳さんも元気そうで何より」 「相当ダメージ受けてますけど……」 ゲンナリした目で僕を見る。蛇腹になったストローの包みを水に漬ける遊びを始めたけれど、全然上手く行ってないのがなんだかおかしい。ともかく、葉留佳さんは喋るのをやめてしまった。 申し訳ない気がしてきたので、こっちから話を振ってあげることにする。 今なにしてるの? は地雷フラグだし。 佳奈多さんの話題とかダメすぎるし。 みんなと連絡取ってる? とかもはや冗談にもならないし。 「帰る」 「面白がってるでしょ?」 大きな黒目で睨まれる。 そりゃまあ。 「年取ってから、葉留佳さんとはこうやって接すると楽しかったんだなって分かったよ」 「楽しくなかったと!?」 反応が面白くて、クスクス忍び笑いが漏れてしまう。 やー、楽しい。まったくもって。バカをいじるのは楽しいな! とかそういうんじゃなくて、割と腹の知れた人とこうして騒ぐっていう、それが楽しい。なかなか得られる関係性ではないんだなと最近分かった。 「昔は楽しかったよね」 うっかり、口が滑る。 葉留佳さんはまた黙り込んでしまった。 本当困ってしまうんだけど、やっぱり地雷らしい。 「……そうだよね」 不意に呟く。 「ホント、あのころは楽しかったよね」 葉留佳さんは言った。 「戻れたらいいんですけどネ」 ニコリ、と僕を見た。 その声色を聞いて。 本当の意味で僕は、地雷という言葉の意味を知った。 彼女の前で、そんなこと口に出すべきではなかったのだ。 「冗談冗談」と言い流してきた、その言葉に隠れた意味に、僕は気付いてしまいたくないと思った。 彼女がどんな暮らしを送ってきたのか――。 「楽しかったなあ」 葉留佳さんは今日初めて、本当に初めて、あの頃のように晴れやかに笑って見せた。 「クド公がいて、姉御がいて、お姉ちゃんがいて」 はらり、と。 一条の涙が零れて落ちた。 「一番、幸せだったな」 それを目にしたとき、僕は言い知れない、やりきれない不条理の存在を思った。 葉留佳さんは望まれずに生まれた子だったのだと、風の噂で聞いたことがある。 「私ね、今日まで、みんなにすごく迷惑かけてきたと思うんだ」 葉留佳さんは涙を袖で拭いながら、そんなことを言った。 「バカだし、空気読めないし、可愛くないし……」 そんなことないよ、と。 僕は葉留佳さんを慰めてあげたいと思った。 このか弱い「女の子」を支えてあげたいと思った。 葉留佳さんは空気の読める良い子だよ、とか。葉留佳さんは可愛いよ、とか。 でも、僕がどう言い繕おうと、それが嘘にしかならない事は、僕が一番よく知っていたのだった。 僕はただ葉留佳さんの涙がテーブルを濡らすのを眺めることしかできなかった。 「なにか僕に――」 そんな言葉が口を突いていた。 彼女になにかをしてあげたいと、本心からそう思うのだった。 「……ううん。いいの」 葉留佳さんは言った。 「理樹くん、こうして私の話、聞いてくれてるから」 葉留佳さんの言葉。 ひょっとしたら、こうして葉留佳さんの弱音を聞いてくれる人も、この広い世界にはいなかったのではないか。無礼を承知で、そんな想像をしてしまう。 それはきっと、やっぱり、見過ごせないくらいには、悲しいことだった。 呪ってもなんにもならないんだけど。 僕は呪ってしまわないではいられなかった。 道を違えてしまっても、またいつか出会える。そんなのはガキの気休めでしかないのだ。だって今の僕は、葉留佳さんのためになにか行動を起こすためには、余りにも多くのものに囚われてしまっているではないか。 もう、重なり合うことはない。少しずつ僕らは居場所を違えて、今日まで来てしまっているのだ。 「でも、そんなあたしにも、いいことがあったんだ」 彼女はそう言って、テーブルの下から鞄を出した。 「とっても大事なものに出会えたの」 家に帰る。 飛び出してきた鈴がおかえりのキスをくれる。今日は猫がこんなことをした、と楽しそうに話してくれる。おいしい手料理を振舞ってくれる。僕のために小毬さんに付いていっぱい練習してくれたんだそうだ。最近は創作料理にヤル気を出していて、休日を空けろと口うるさくせがんでくる。 本当に僕は幸せだった。手放せと言われても、絶対に無理だった。 「? どうした?」 「ちょっと、生姜が……」 鼻の奥がツンとした。 僕らのかつての友達は、どこかで幸せになっているんだろうか? そう願わないではいられなかった。 風呂から上がると、鈴は早々に眠ってしまっていた。僕が眠っててくれと言った。鈴は明日、ママさんバレーの助っ人があるとか。寝不足で運動なんかしたら、いくら鈴でも危ない。鈴が怪我なんてしたら、僕はきっと耐えられない。 寝室に入ると鈴の静かな寝息が聞こえてきた。 僕は胸に抱いた百科事典をそっと置き、枕を乗せた。 えも言えない満足感があった。 いい夢が見れたらいい。 44,800円。月々3,980円×12回払い。 僕が僕にできる、葉留佳さんにしてあげられた唯一のこと。 僕と葉留佳さんとを繋ぐ、細いけれど確かな絆――。 [No.525] 2009/11/21(Sat) 00:03:59 |
この記事への返信は締め切られています。
返信は投稿後 60 日間のみ可能に設定されています。