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その扉はひっそりとそこに在った。薄暗い廊下の突き当たり、全ての人間から見捨てられたように。誰も掃除などしていないのだろう、消火栓の上や掲示板の隅、そこかしこに埃が溜まっていた。歩を進める度に舞い上がる埃。窓から差し込む光に照らされて、空気が動いていることをその目で見ることが出来た。 扉の上には「図書室」と書かれたプレート。 散策子は首を傾げる。こんなところに図書室などあっただろうか? この学校の図書室など何度も行ったことがある。だがこんな場所ではなかったはずだ。 そもそも自分がどこをどう歩いたのか覚えが無かった。色んなことがぼんやりと霞んで見えた。ただ、気が付けば辿り着いていた。まるで何かに誘われるように。 扉を開く。 図書室にしては幾分狭い。入り口付近に長机が六つ。それ以外は天井まで届くスチール製の無骨な書棚。その書棚という書棚全てにぎっしりと本が詰め込まれ、床にまで本が積まれていた。その本の塔は、モノによっては天井に届かんばかりに堆く、部屋全体の圧迫感を増す。部屋の中は古い紙独特の匂いで満たされ、図書室というよりも昔ながらの古本屋といった風情。窓からは夕日が差し込み、電灯の灯っていないこの部屋を橙色に染める。 部屋の隅に人が居た。女生徒だ。彼女は脚立に腰を下ろし、書棚に背中を預けて文庫本を読んでいた。目元を眼鏡で隠した、何処にでもいるような少女。しかしそのかんばせは、地味ながらも実に整ったかたちをしており、路傍に咲く名も無い花を思わせた。 ふっと、顔を上げた女生徒と目が合う。彼女は、事も無げに散策子を見つめる。その視線に何故か焦りを覚える。 散策子は、読書の邪魔をしたことを詫び、自分の名を名乗ろうとした。少女はそれを手で制する。 「あなたのことはよく存じています」 感情の篭っていない平坦な声色。けれどもどこか澄んだその音色は、耳に快かった。 少女は自分を「図書館の君」と、どこか自嘲的にそう名乗った。 「ここは普段関係者しか入れないのですが……。まあ、来られた客人を無下に追い返すような不躾な真似は致しません。どうぞ、お入りください」 図書館の君は静かに脚立から下りると、こちらに歩み寄る。入り口近くにあった椅子を引き、散策子に勧めた。その後、彼女は窓際に置いてあるコーヒーメーカーに近寄る。サーバーを引き出して、恐らく自分のために淹れておいたであろうコーヒーを二つのカップに注ぐ。コーヒーの香りが部屋にふわりと立ち込める。 「お茶請けも無く、淹れたてでもありませんが」 図書館の君は散策子にカップを置くと、自分は自分のカップ片手に、対面の席に腰を下ろした。 散策子は礼を言うとコーヒーを一口啜る。それに合わせて彼女もカップを口元に運ぶ。散策子は視線を部屋のあちこちへと移す。 「変に思われましたか? こんなところに図書室があることに」 図書館の君は人の心を見透かしたような、そんな口調で話し始めた。 「気になられるのであれば、ご覧になりますか?」 図書館の君の提案に、散策子は遠慮したような視線を送る。 「私のことは気にしなくて結構ですよ。久方振りの、しかもあなたのようなお客様が来られたのですから」 その言葉に、散策子はおずおずと席を立ち、書棚に向かう。どうやら扉を開けたときの感想は正しかったようだ。書棚の中は、ミステリやらSF、詩集、料理本、しまいには良く分からない大学ノートまでが、ジャンルも作者も全く気にせずに無造作に突っ込まれていた。 大学ノートを手に取る。表紙には油性ペンでこう記されていた。 リトルバスターズ 活動日誌 No82 開いてみると、どうやら何かの部活(サークルの類かもしれない)のコミュニティノートのようだった。そこには、部員達がそれぞれその時あったことなどを書き連ねていた。 6/3 あれ、お昼なのに誰も居ないや。 知り合いのおじいさんたちからたくさんお菓子をもらったので、みんなにもお裾分け〜です! 机の上に置いておいたから、ちゃんと手を洗ってから食べてね。 こまり 6/3 はるちん参上! こまりんの持ってきたお菓子は既に私の胃袋の中なのだ! 悔しかったら私の元に辿り着くがいい。 さて君にこの謎が解けるか。はっはっはっ。 H 6/3 14:20 最初に名前を書いて正体を晒しておきながら最後だけイニシャルにしても、謎でも何でも無いぞ。君の思考回路の方が遥かに謎だ。 とりあえず、今日は葉留佳君を半殺しにすればいいというわけか。 来ヶ谷 6/3 16:10 >来ヶ谷さん ここに来た時間が完全に授業中です。 あと、三枝さんは全殺しでも構わないかと。 西園 散策子にとっては、会った記憶も無い、恐らくは接点など無かったであろう人物の日常であった。しかし、何故か懐かしく思われた。読み進めるうちに、彼女達が過ごす優しい時間が目の前にありありと現れる。それは、彼女達にとってきっと温かくて幸福な時間だったのであろう。じんわりと、胸が熱くなる。 やがて、ページが白紙になる。散策子は前のページに戻り、彼女達の生活の最後をもう一度眺めた。 6/19 8:20 恐らく本日で今回の活動日誌は終了です。 何か書き残したことがある方はお早めにお願いします。 西園 6/19 10:20 今回は長く続いたじゃないか。このまま無事に終わることを祈っておくよ。 来 6/19 12:25 みんな、お疲れさまー。 きっとクーちゃんは大丈夫だと思うよ。 >ゆいちゃん それにしても、次はもうNo83なんだね。結構長いね。 また次もよろしくね、みんな。 こまり 6/19 たぶん12:30 ふー、まだ続いてるみたいですネ。朝寝坊したからヤバイと思ったんだけどナア。 (ていうか、こまりんも朝来てない組?) じゃあ、みんなで最後にお疲れさま会でもやりますか! 最後の夜、みんなでいつまで起きてられるかタイムトライアル! ひとりずつ、みんなを襲う謎の生物! そして驚愕のトリックが! あ、姉御の部屋に八時からね。 はるか 6/19 16:25 三枝さんが「驚愕」なんて言葉を使えることに驚愕しました。 活動日誌は六時に回収しますので、よろしくお願いします。 西園 (追記 18:05) 活動日誌への記入を終了します。皆さん、また春にお会いしましょう。 それでは。 「いかがですか?」 散策子は図書館の君に、感じたままを話した。その言葉に彼女は少し憂いを帯びた微笑を浮かべる。 「そうですか。もしかしたらあなたも、このノートに出てくる人たちと同じような事をしてきたのかも知れませんね」 散策子は何故このようなものがこの部屋に置いてあるのかを問うた。図書館の君は両手で三角を作ると、そこに自分の顎と鼻先をあてがい、真っ直ぐに散策子を見つめた。 「ここでは、部活の古いノートなどを蒐集しているのですよ。そしてそのノートを、見たいという方に対して開放しています。私は、彼ら彼女らに在りし日の記憶に浸って欲しい。それだけです」 図書館の君は席を立つ。ふらふらと何かに誘われるように、彼女は窓際に立ち、外を見る。窓に映った散策子を眺めながら。 「忘れてしまった人も、忘れたくない人も。いつかはここに足を運んでこのノートを読む。そうすれば、たったひと時のことではありますが、幸せだったあの時を思い出す。そのときの皆さんの微笑む姿が美しくて。私にはそれが嬉しいのです」 図書館の君が窓を開ける。一陣の風が部屋全体を駆け巡る。本の山にうっすら積もった埃を吹き飛ばす。 彼女は髪をはためかせながら、詩を諳んじるように美しい声で、続けた。 「優しい時間、心地よい空間、いずれは朽ちて無くなってしまう。けれどそれらは確かに在った、その事実は永遠に変わりません。たとえ誰もが忘れようとも、誰もが居なくなってしまっても。私はここで、そんな事実を守っていきたいのです。私が居なくなり、この部屋が砂塵になって消えてしまう、その瞬間まで。それが、図書館の君たる、私の役目なのです」 その声は強く、そして儚かった。 彼女は待ち続ける。在りし日の思い出を望む人々を。この部屋で独り、溢れた文字に、残された思いに、その身を浸しながら。 「ですが、思い出が刃になる場合もあります」 図書館の君は振り向き、散策子を見つめる。その瞳は眼鏡に隠されて、その色を窺うことは出来ない。 「時と場合によっては、優しい記憶が足枷になってしまうこともある。だから――」 図書館の君は右手を高く上げると、人差し指と中指を突き出す。それはまるで空を指差しているかのようにも思われた。次の瞬間、彼女はその手を振り下ろす。 途端に、散策子の体が机に叩きつけられる。全身に力が入らない。自分の上の空気が重さを持ったように、自分の体を押しつける。 「そんな方は全てを忘れてもいいのだと、私は思います。あなたは覚えておく必要なんて無い。私が代わりに、最期まで覚えていますから」 図書館の君は眼鏡を外す。散策子は、その琥珀色の瞳に覚えがあった。散策子は自分が何者かを思い出す。何故、最初に気付かなかったのか。そうだ、彼女は、彼女は。 「さようなら。直枝さん」 散策子の目蓋が落ちる。闇が降りてくる。飲み込まれていく。 ある冬の日の昼下がり。理樹は一人、野球部部室の唯一の暖房器具である、石油ストーブの上で手を温めながら、皆が帰ってくるのを待っていた。 「直枝さん、お一人ですか? 他の方はどうされました?」 美魚が部室に入ってくる。 「あれ、西園さんこそ一人なの?」 「ええ、ちょっと購買で買ってくるものがありましたので」 「もしかしてこれ?」 理樹は一冊のノートを手にとった。 「ええ、それです。で、他のみなさんは?」 「何か折角の昼終わりだからって、皆でお昼を食べようって、何故か鍋をすることになったみたい。だから皆、買い出しに行ってるよ」 理樹はノートの裏表紙を指差した。そこにはびっしりと書き込みがされていた。 「間に合いませんでしたか」 「うん、僕も寮会があったからね」 「ああ、違いますよ。そのノートです」 美魚は両手にもった紙袋から大学ノートを取り出した。 美魚は椅子に腰掛けると、油性ペンでノートの表紙にタイトルを書いた。 「西園さん。なにその数字?」 理樹がノートを覗き込む。表紙にはこう書かれていた。 リトルバスターズ 活動日誌 No134 美魚は理樹の怪訝そうな視線に気が付くと、慈しむような微笑を浮かべた。 そして、「134」を二重線で消し、そこに新しく、「2」という文字を書いた。 [No.547] 2009/12/04(Fri) 02:28:34 |
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