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目を覚まして最初にしたのが股間をまさぐることだったのは、昨夜寝る前に読んでいた小説が「目が覚めたらなぜか女の子になっていた!」という始まりだったからだろうか。ベッドの中で頑張って半分くらい読んだが、眠くなるにも程があったので放り出して寝たはずだった。表紙買いなんてするもんじゃない。もう二度としない。昔読んだ何かの本に、人間は失敗を糧にして成長していくのだとか、なんかそんな感じのことが書いてあった。まさに今の僕のことだ。そのすぐ次の行に人間は過ちを繰り返す生き物だとも書かれていた。多分3日後くらいの僕のことなのだろう。そんなくだらないことを考えられるくらいには意識がはっきりしていて、いつもの僕らしからぬ朝である。 今朝も縁起良く茶柱が立っていることを確認して、ベッドから降りる。何か踏んづけて転びそうになった。件の小説だった。枕もとに置いておいた気がするが、寝返りでも打った時に落ちてしまったのだろうか。拾い上げると、僕を騙しやがった金髪ツインテールのツンデレ美少女・アリスちゃん(12)がいかにもツンデレっぽく不敵に笑っていた。これを読んだ人間のうちの何割かは、アリスたんは俺の嫁! とか言っているんだろう。間違いなく結婚詐欺だから早く目を覚ましたほうがいい。しかし絵師はこの界隈じゃ知らぬ者のいない超有名エロゲンガー、樋上いたらない女史である。騙されないほうがおかしい。あまりに巧妙な手口の詐欺だった。しかし僕がアリスちゃんに騙されることはもう二度とないのだ。軽く埃を払ってから、本棚の隅っこに押し込めた。押し込めたつもりだったが、帯が引っかかって上手く入らない。一度取り出して帯を外すと、すんなり奥まで入っていった。外した帯の上で、『目が覚めたら女の子に……!?』という捻りも何もない宣伝文句が躍っている。ちなみに目が覚めたらアリスちゃんになっていたわけではなく、主人公とアリスちゃんはまったくの別個体である。アリスちゃんは義妹である。作中描写では貧乳とされているが、絵師の悪癖でどう見ても12歳には見えないお胸だったりする。表紙というか、表紙と帯のコンボに騙される。酷い世の中だった。ベッド脇のゴミ箱に捨てた。 ふと思う。なんでこんなにも目覚めから始まる物語は多いのだろう。確かに話の導入としては使いやすいのかもしれない。あるいは多くの読み手がそれを求めているのか。小鳥の囀りで目覚め、温もりという誘惑を振り切ってベッドから降りたら、床に散らかったあれやこれやに躓いて転びそうになりながらも窓まで辿り着き、さぁっとカーテンを開ける。射し込む陽光と、その向こうに広がる素晴らしい世界。あったらいいね、そんなもの。 「…………」 僕の場合は、着替え中の女の子だった。ばっちり目が合った。速攻カーテン閉めた。窓に何か硬いものが当たる音が聴こえた。ガラスが割れる音までは聴こえなかったのでとりあえず安心した。ドタドタと騒がしく階段を駆け上がってくるような音が聴こえ始めた。早すぎやしないかと思った。思ってるうちに部屋のドアが勢いよく開いた。というか外れた。勢いつきすぎだった! 「こん、の……ドスケベぇー!!」 手早く再びカーテンと、さらに窓を開けた。怒りのままに全力投球された象のぬいぐるみをサッとかわした。かわされた砲弾は開け放たれた窓を通り過ぎて、持ち主の部屋へ戻ったらしかった。ぼとり、と窓の向こうからそんな感じの音が聴こえたのだった。 「はぁっ……はぁっ……よけんじゃねーわよ! ここはくっ、目にゴミが…! ゴシュッ! とか言いながら死亡フラグ立てるところでしょーが! フラグクラッシャーな理樹くんなんて嫌い!」 半裸のあやが無茶なことを叫んだ。 半裸なのである。スカート穿いてるだけで、上はすっぽんぽんなのである。腕で胸を庇うように隠しているのでなんとか不自然な湯気や日光に頼らなくても済むレベルの出で立ちなのである。ついでにあやには、着替えの最後にぱんつを穿くという変態極りない癖があるので恐らくノーパンなのである。ズボンの時は毎回「あー! ぱんつ穿くの忘れたぁぁぁ!」とか叫びながら着替え直しているようなバカなのである。着替え覗かれてキレてるのに、その着替え途中のまま突撃してくる救いようのないバカなのである。 「とりあえず服着たほうがいいと思うのである」 「何よその口調!? バカなの!? バカなんですか!? あ、ふーん、なるほど、さてはバカなのね? バカなのね!? バーカバーカ! バカバカバーカ!!」 僕はあやの頭の悪さ全開の暴言に、冷静に、理知的に反論した。 「バカって言ったほうがバカなんですぅー! ブァーカ! ヴァーカ!」 「ひっかかったわね、バカめ! 先にバカって言ったほうがバカなんてことは百も承知なのよ! つまり全ては理樹くんのほうからバカって言わせるための嘘! ブラフ! 嘘なんだからあたしが言ったバカは全部無効よ無効! あたしが本気で理樹くんのことバカだなんて思うわけないじゃない、バーカ!」 「意味わかんねー! こいつバカだ! むしろこいつアホだ!」 「あーっ、アホとはなによ、アホとは!? バカ以外はルール違反でしょ!?」 「いつそんなルールが出来たんだよ! ちなみにアホはアナルホールの略です! アーホアーホ!」 「下品! 下品だわ! 朝っぱらから清々しいまでに下品よ理樹くん!」 「それを言うなら僕を下品な気持ちにさせるそのいやらしいものを早くしまってください! お願いします!」 「理樹くんがそういう態度に出るっていうんなら、こっちだって容赦しないんだからねっ!」 「無視されたよ!? 僕の真っ当な訴えが無視されたよ!? 今の一瞬だけ僕紳士だったのに、無視されましたよ!?」 「さあ、喰らうがいいわっ! 超必殺! おまえのかーちゃんデーベーソー!」 「誰がデベソなの?」 「それはあなたです!」 背後からかけられた声に、振り返ってあやが指差した先には母さんが立っていた。いつもの薄いピンクのフリフリエプロン姿に、僕のテンションは急激に下がっていく。いい加減歳を考えてもらいたかったが、朝陽のように眩しく、昼陽のように温かで、夕陽のように切ないその笑顔に、僕はかける言葉を見つけられなかった。そもそも昼陽ってなんだろう。朝陽と夕陽はあるのに。昼だけディスられてるんですか? 「……あー、えーと、おはようございます、おばさま」 「おはよ、母さん」 「おはよう、あやちゃん、理樹。それで、誰がデベソなの?」 「理樹くんが!」 「僕かよ!」 「あやちゃんは、デベソのかーちゃんから余計なもの遺伝しちゃって理樹くんマジカワイソーって言いたいわけね。うん、なるほど」 「ちーがーいーまーすー!」 デベソとかどうでもいいからうちの母親にはさっさとあやの格好に突っ込んでもらいたい。あや自体には別に性の滾りとかを感じることはないが、むしろ感じるわけがないが、いっそ感じたくないが、奴のけしからんおっぱいだけは違う。ぶっちゃけさっきから揺れまくっていたので困る。あや本体はいいから、おっぱいだけ、こう、マウスパッド的な感じで僕にくれ。我ながら年頃の少年らしいことを考えながら部屋の隅っこでこそこそと着替えていると、デベソ議論に決着がついたらしく「じっちゃんの名にかけて、真実はいつもひとつ!」と、あやの金田一なのか江戸川なのかはっきりしない宣言が狭い部屋の中に木霊した。 「つまり直枝家の遠い祖先、直枝理樹之進こそがデベソの元凶だったのよ!」 「な、なんですってぇぇぇ!?」 半分くらい僕じゃん。溜息は逃げ出そうとした幸せごと呑み込んでやった。お腹が鳴った。 「あの、おばさま」 「なぁに、あやちゃん」 「あたしの目玉焼き、なんかあからさまにちっちゃいんですけど。理樹くんの標準サイズの目玉焼きが相対的にキングサイズに見えてくるくらいちっちゃいんですけど。あたし、別にダイエットとかまったく考えなくていいくらいのナイスバデーなんで気遣いとかは特に必要ないんですけど。自分で言っててこれはちょっとウザいんですけど」 「あら、いけない。ウズラのたまごと間違えちゃった」 「間違えるんだ! ニワトリのたまごとウズラのたまご間違えちゃうんだ! しかも今になって気付いたわこの人!」 「まあまあ、スクランブルエッグじゃないだけ良かったでしょ?」 「た、確かに……」 「これが玉子焼きだったりした日には……」 「いやあああああっ!?」 朝から騒がしい食卓である。特に興味もないからいいものの、テレビでやってるニュースの音声がまるで耳に入ってこない。こんがり焼けたトーストに目玉焼き、瑞々しい緑野菜のサラダと、なんの捻りもないメニューでこれだけ騒げるあやは一種の天才ではなかろうか。無論、マイナス方向への才能である。母さんはいいんだ、別に。母さんだし。 「あの、ところでおばさま」 「なぁに、あやちゃん」 「あたしのウズラのたまごの目玉焼き、なんかあからさまに焦げてるんですけど。理樹くんの何の変哲も面白みもない普通の目玉焼きが相対的に光り輝いて見えるくらい真っ黒なんですけど。そもそも目玉焼きだってわからないくらいに真っ黒なんですけど。むしろ目玉焼きって見抜いたあたしすごくね? って感じなんですけど」 「ウズラだと火加減が違ってねぇ。失敗しちゃった」 「普通に返された! 普通に返されたわ! こんな『継続は力なり。塵も積もれば山となる。毎日コツコツ、あの人へ。ガンの元、好評発売中!』とかいうCMで販売されてても違和感ないレベルの、殺意の波動すら感じられる消し炭を、失敗しちゃった、てへっ☆で済まされたわ!」 「…………。……あ、あらあら、うふふ」 「根に持つ人だ! ノリがいいように見せかけて根に持つ人だわ! デベソ根に持ってる! おばさま、ごめんなさい。もう二度とあんなこと言いませんから、許してください」 「いいのよ、わかってくれれば。さあ、あやちゃん。悪いのは誰?」 「理樹くん!」 「そこで僕に振るの!?」 無駄に仲が良いのがこの二人だった。僕×母さんより明らかにあや×母さんのほうが仲良しである。ちゃんと反省するのよ理樹、とか理不尽なことを言い置いて、母さんはキッチンに戻った。あたしのためにちゃんとした目玉焼きを作ってくれるのね、とあやが期待に満ちた視線をその背中に送っていたが、たぶん出てくるのはカルシウムたっぷりのスクランブルエッグだろう。この際、スクランブルエッグというのはベストなチョイスである。目玉焼きでは殻が目立ちすぎる。うちの母親は根に持つ人なのだ。 じゃれあう相手が向こうに行ってしまったので、あやは今度は僕にちょっかいをかけようと思い至ったらしい。 「ん? なに、理樹くん、まだ食べてなかったの? 冷めちゃうわよ」 「…………」 別にそんな場面ではないはずなのだが、イラッときた。あやにしたって、まあ多分、他意などないだろう。それにしたって、いったい僕が誰を待っててやったと……。まあ当の本人がそう言うのなら食べてしまうのも吝かではない。湯気もまだ微かに出てるので、冷めてもいないようだし。 「いただきます」 塩コショウを振りかけただけのシンプルな目玉焼きの、目玉部分を箸先でつつく。空いた穴を起点に中身を覆う表皮を剥がしていくと、とろりと半熟の黄身が溢れだして白身を染めていく。今日は感動的なまでに上手くいった。いつもは目玉部分がもっとぐちゃぐちゃになってしまうのだが……感動した。感動した! やはり目玉焼きの食べ方とはこうありたいものだ。 「…………」 ケチをつけたくて仕方がないとでも言いたげな、うずうずした視線を感じ取った。無論、そんなうざったいものを向けてくるのは対面に座るあやである。無視したほうが後でよりうざくなるのを経験則で知ってしまっているため、僕はあやに話を振らざるを得なかった。あまりに屈辱的だ。これはもはや精神的凌辱と言っても過言ではあるまいよ。 「どうかした、あや」 「へぇ? いや、理樹くんったら相も変わらずえげつない食べ方してるなぁって」 「醤油とソース両方かけて食べるってほうがよっぽどえげつないと思うけどね」 「理樹くんに醤油とソース、いいえ、ソースと醤油の何がわかるっていうの!? ねぇ! 何がわかるっていうのよぉ!」 「え? なにこれ。なんで僕責められてるの? それ以前に醤油とかソースとか順番関係あるの?」 「大アリよ! むしろそれが全てよ! それ以外にいったい何が必要だっていうの!? まったく、これだからトーシロは困っちゃうのよねぇ、ふふん」 うぜぇ。なにこの女。マジうぜぇ。今さらだけど。今さらだけどうぜぇ。マジうぜぇ。 「な、なによ理樹くん、そんな目で見て……恥ずかしいじゃない。死んでくれる?」 「安っぽく頬染めて取ってつけたようにデレたと思ったら最後の一言はなんなんだよ! ツンデレ!? まさかそれでツンデレのつもりなの!? むしろシンデレ!? 微妙に語感がいいのが悔しい!」 「ちょっと理樹くん、うるさい! 静かにして!」 「まさかの逆ギレ!」 「だから静かにしてってば!」 流れのままに言い返そうとして、しかし僕は口を噤んだ。いつものじゃれあいとは違う、どこか妙に真剣な色を、あやの瞳の奥に見たからだった。 『――――以上、テヴア大使館前よりお送りしました。続報が入り次第お伝えします。では次の――――』 「ああっ、結局肝心なところは聴こえなかったじゃない! ちょっと理樹くん、責任取ってあたしのこと養ってよね!」 「悪いけどあや、僕、プロポーズは男のほうからするべきものだって思ってるから。ポリシーだから。……そう簡単には、捻じ曲げられないね」 「なんだか急に男らしい! べっ、別に惚れたりしないけど!」 「ふぅ、よかった。あやに惚れられたりした日には、僕は……うぅ……良かった、良かったぁ……!」 「文句言われたから真っ当にツンデレてみたのに反応がおかしいわよ理樹くん! そ、そんなに喜ぶくらい、あたしのこと、き、きら……うぅ……うわぁぁぁぁぁんっ」 「マジ泣き!?」 「ま、まじなんかじゃ……ひっく……ないもん……ぐす」 「なんか今になってすごい罪悪感だよ!」 「理樹ー、あやちゃんだって仮にも……仮にも女の子なんだから、泣かせちゃダメよー」 「マジ泣きしてるんだから地味に追い討ちかけるのやめてあげてよ母さん!」 「ま、まじなんかじゃ……ひっく……ないもん……ぐす」 「はーいあやちゃん、お待たせ。特製の目玉焼きよー」 「わーい!」 「本当にマジじゃなかった!?」 結局、すぐにいつもの空気に戻る。あやもなんだか、聞き逃したニュースのことなど、すでにどうでもよさそうな雰囲気だった。今は、妙に刺々しい目玉焼きを目の前にして絶望していた。というか目玉焼きじゃん。母さんは僕の読みの上を行っていた。 「あの、おばさま」 「なぁに、あやちゃん」 「あたしの目玉焼き、トゲトゲしてるんですけど。なんかもう芸術的と言えるほどにトゲトゲしてるんですけど。っていうか、これ、思いっきり殻混ざっちゃってるんですけど。混ざってるというかむしろ、普通に目玉焼き作った後に殻を突き刺したみたいな風情なんですけど」 「あらやだ、芸術的だなんて。照れちゃうわぁ」 「ずいぶんとまあ都合の良すぎる耳ですねぇ!?」 「……私のことをデベソなんて言うあやちゃんが悪いのよ」 「まだ根に持ってらっしゃった!」 本当に、いつもの、温すぎる空気だった。気付けば、僕の愛すべき半熟とろとろな黄身は、すっかり固まってしまっていた。 「なんかさー、平日のこの時間にぶらぶら歩いてるのって、妙に落ち着かないわよねー」 「あやの発言はいちいち面白みに欠けて困る」 「え、今面白さを求められてるの、あたし」 「そもそも存在自体がオモシロなのにそんな普通のこと言ってたら……あや、ゲシュタルト崩壊しちゃうじゃない」 「アイデンティティじゃなくて!?」 いつも通学路として通る道は、一言で言えば閑静な住宅街のはずだったが、主にあやのせいで全然閑静ではなかった。普段右に曲がるあたりを左に曲がったところで、あやが溜息交じりに愚痴を零した。 「はぁーあ。修学旅行で海外とかかったるーい。めんどくさーい。だいたい公立校のくせに海外なんて生意気なのよ。そーゆーのは金持ちの私立が行っとけばいいのよ」 今時海外に修学旅行に行く公立高校なんて然程珍しいものでもないような気がするが、どっちにせよあやは文句を垂れているに違いなかったので、そんな常識的で面白くもないツッコミを入れる気にはならなかった。 「だいたい出発が日曜の早朝っていうのも気に入らないわ。ダブル見れないじゃない!」 「僕はプリキュア見れないってことのほうが納得いかないね!」 「…………はぁ」 「そこで深い溜息つかれると文脈上なんか別の意味に取られかねないのでやめてくれません!?」 「…………。…………」 「無言もやめてよぅ!」 「あーっはっはっは!」 「意味なく笑われても反応に困る!」 「じゃあどうすればいいのよッ!」 逆ギレされた。ただ、わりと真面目にキレているような気がする。何か妙にピリピリしているのは、問題の修学旅行がいよいよ明後日に迫っているからだろうか。そんなに嫌か、シンガポール。 「そんなに嫌なの、シンガポール」 「はぁ? 別にシンガポールが嫌なわけじゃないのよ。っていうか、海外が嫌ってわけでもないし。ただ、日本から出たくないだけ」 「そんなに日本が好きかぁ! 好きなのかぁぁぁぁぁ!!」 「いや別に」 「ええー」 何やら家を出てから妙に絡みづらいテンションだった。まあ、そもそもこの外出の目的が代休を利用して旅行に必要なものを買い揃えようということだから、仕方のないことなのかもしれない。 「ま、なんていうかさ。日本が好きっていうか」 あやが、ぽつりと呟いた。 「毒されちゃったのよね、たぶん」 そう口にするあやは微かに笑みを浮かべていた。僕が言えることはひとつだった。 「え、僕色に染まっちゃったって?」 「言ってねーわよ! んなことひとっことも言ってねーわよ! わかんないの!? この、珍しく真面目な話しようとしてる雰囲気がわからないっていうのっ!?」 「わかってないのはあやの方だよ!」 「うっ! な、なにがよ……」 「真面目な話なんて茶化したくなるに決まってるじゃないか! 間違えた、辱めたくなるに決まってるじゃないか!」 「うきゃきゃきゃきゃー!!」 「新パターンの奇声入りましたー。でもあやが発する奇声にしては妙に可愛らしいのが気になるなぁ」 「うがあああああっ、理樹くんはいったいあたしのことなんだと思ってるのよー!」 「え? そんなの……。…………」 「なぜ黙る!? ……ん? え、なんかちょっと理樹くん、顔赤いような気がするんだけど……ま、まさかフラグ立っちゃった!? ついに!? 苦節10年、ついにこの日が!?」 「あ、いや……さすがにオモチャ、なんて言ったらいやらしすぎるかなぁって」 「今さらすぎるわよ! 自分の発言省みなさいよ! というかそれだとあたし、思いっきり弄ばれてるわよねぇ!? むしろ現在進行形で乙女心を弄ばれてるわよねぇ!?」 「オトメゴコロ(笑)」 「わー、よくわかんないけどニュアンスがムカついてたまらない! きっとかっこわらいとか付いてる!」 「む、待てよ。オモチャより玩具のほうが……いや、あえておもちゃのほうがいいかなぁ」 「違いがわからないしどうでもいい!」 「……まったく、これだからトーシロは困っちゃうよねぇ、ふふん」 「うわぁー、うぜぇー! なにこのうざい生き物! なんなの、マジでなんなの!」 ぜぇはぁと荒く息をつくあやには、もはやさっきまでの儚げな雰囲気を漂わせる美少女の面影は皆無だった。それでいいと思った。あやには、ぎゃあぎゃあと喚いて周りに迷惑を撒き散らす元気娘のほうが似合っている。よくよく考えてみるまでもなくそれはどうかと思ったが、まあ、たぶん、それでいいんだ。うん。 「ああっ、もう……調子狂うなぁ……」 「それもそのはず、なにせ僕はあやの調子を狂わせるためだけに生まれてきたんだからね」 「嫌すぎるわよ、そんな運命の二人!」 「宿命じゃないだけマシだと思いなよ」 「今は逆に宿命のほうがよかったんじゃないかって気分よ、まったく! まったく、もう……」 確かに、どうかと思う。今だってきっと、この辺りに住んでいる人達には思いっきり迷惑をかけているだろう。でも、楽しい。楽しい。楽しい! 僕は、あやとこうして他愛なく言い争っているのが、一番楽しくて、好きなのだ。この楽しい時間をもっと続けていたくて、あやに声をかけようとして、 「あーあ、たっのしいわねぇ!」 風が吹いていた。あやの綺麗で長い髪がふわりと揺れて、ふわりと揺れた綺麗で長い髪は、陽の光を受けて――ああ、綺麗だった。僕が語彙のなさに絶望する一方で、あやは笑っていた。僕はそのあやの笑顔を見ていられなくなって、顔ごと視線を逸らした。 「ん? 理樹くん、どうかした」 「いや、なんでも」 「そう? 変なの。あ、いつもか。あっはっは」 どうしてか、何も言い返す気になれなかった。あやがいよいよ不思議そうな顔をして、僕より幾分低い身長を活かして上目遣いに覗き込んできた。 「なんか、ほんとに変よ。どうかした?」 「……いや、えーと。樋上いたらない先生がイラスト担当の『アリス☆マジカル』、まだ買ってなかったなぁって思って」 「いきなり脈絡がなさすぎるわよ!」 「いやぁ、前から興味あったんだよねー。ふと思い出しちゃったー」 「なんかやけに白々しいのが気になるけど……ま、どうせまた表紙買いなんでしょ?」 「そんなことないよ! 今の僕は中身だって十分に知ってると言えるよ! 112ページくらいまでは把握してるよ!」 「妙に具体的なのが変ね……まあ理樹くんが変なのはいつものことだからいっか!」 「くそぅ! この状況では言い返せない!」 「あ、いいこと思いついたわ。どうでもいい修学旅行のための買い物なんてやめて、このまま本屋行きましょ。買うんでしょ、その、えーと、『AliceMagic!』ってやつ」 「微妙に惜しいけどタイトル間違ってる! あー、いやいやいや、そんな、僕に気を遣うなんてあやらしくもない!」 「遣ってなんかないわよ? あたしも用事あるし。なんとあの学園革命スクールレボリューションの作者が手がける新作漫画『センター×センター』のコミックス1巻が今日発売なのよ! これがスクレボには及ばないまでも超面白くってねー、理樹くんもいい加減表紙買いは卒業して作者買いに乗り換えたほうが有意義だと思うなー」 「いいの! 表紙買いはギャンブルなの! 男のロマンなの! 女にはわからないの!」 「なんかさっきと言ってること矛盾してない? アリスなんたらは表紙買いじゃないんでしょ?」 「いいんだよ! もういいんだよそれは! 僕はギャンブルに負けたんだ! いいさ、もう! ほら、本屋行くんでしょ!? その目で僕が無様に『アリス☆マジカル』(2冊目)を買う様を見届ければいいじゃない! いいじゃない!」 「なんでいきなりテンションアゲアゲなのかわからない!」 「恋ってそういうものなんだよぉ!」 「な――、ちょ、相手は! 相手は誰よチクショウ! あ、こら、待ちなさいよ理樹くん!」 僕はとうとう走り出していた。体力ないのに全力疾走だった。梅雨の晴れ間の太陽光が、ジリジリと僕を痛めつけていた。あやが追いかけてくる。早く捕まって楽になりたい。しかし捕まってやるわけにはいかなかった。住宅街を抜け、大きい道路に出て、ぽつぽつとビルが立ち並ぶ中に入り込む。やがて本屋が見えたころ、あやの手が僕の右手を掴んだ。 「一緒に行くんじゃなかったの!」 走ってるところをいきなり掴まれたので当然こけた。掴んだあやを巻き込んでこけた。背中にアスファルト、右手にあやの、意外に小さくて柔らかい手を、左手に……よくわからんけど柔らかい何かを感じて、僕は呟いた。 「楽しいなぁ」 「死ねぇ!」 「なずぇ!?」 [No.594] 2009/12/25(Fri) 17:11:48 |
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