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No.596へ返信

all 第47回リトバス草SS大会 - 大谷(主催代理) - 2009/12/25(Fri) 00:00:45 [No.589]
しめきり - 大谷(主催代理) - 2009/12/26(Sat) 00:41:55 [No.604]
Last Story - 秘密@17236byte - 2009/12/26(Sat) 00:20:02 [No.602]
光り輝く聖なる夜 - ひみつ 6269 bite - 2009/12/25(Fri) 23:57:26 [No.598]
心を描く - 秘密@3993byte - 2009/12/25(Fri) 23:56:31 [No.597]
化野の鐘の声 - ? @10872 byte - 2009/12/25(Fri) 23:53:49 [No.596]
仮面の男 - 秘密 9954byte - 2009/12/25(Fri) 22:29:26 [No.595]
どこまで続く×どこまでも続け×それは無理だと誰かが... - ひみつ@19878 byte - 2009/12/25(Fri) 17:11:48 [No.594]
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絵に描いたとしても時と共に何かが色褪せてしまうでし... - 秘密@19016 byte - 2009/12/25(Fri) 11:37:15 [No.592]
色彩 - 秘密 14400 byte - 2009/12/25(Fri) 01:17:43 [No.591]


化野の鐘の声 (No.589 への返信) - ? @10872 byte

 僕が何とは無しに、屋上のフェンス越しに外を眺めていると、後ろから声がした。
「死ねないわよ」
 後ろを振り向くと、そこには二木さんがいた。
「こんな低い場所からじゃ死ねないわ。きっと大怪我して苦しむだけよ」
 フェンス越しに下を見る。この屋上だと地上から高々十五メートル。確かに微妙な高さではある。それでも、ここから飛び降りようなんて気分にはならない。
「直枝。あなた、死にたいの?」
「別に。放っておけばいつかは死ぬさ」
「それもそうね」
 二木さんが屋上から去ろうとする。僕はその背中に声を掛ける。
「ねえ」
「なに?」
 二木さんが振り返る。幾分疲れたような表情で。
「もし、僕が本当に飛び降りようとしてたら、止めるつもりだった?」
「別に。そんな人は止めても、また死のうとするだけだもの」
 ここは私の憩いの場だから邪魔しないでね、と言い残して彼女はドアを閉める。


 その日から、僕は屋上に通うようになった。
 彼女は、いつも昼休みや放課後に姿を現した。そこで読書をしていたり、ぼんやりと空を眺めたり。そんな彼女に親近感を抱いたのかもしれない。
 僕たちは今日も二人、一メートルくらいの距離を置いたまま並んで座っている。まだまだ暑いけれども、ここはこの時間ちょうど日陰になっていて、剥き出しのコンクリートが冷たく感じられた。学食や図書室に行けば冷房が効いているのだろう。だけど、そんなところはいつも生徒が一杯で、堪らなく不快だった。
 ふと佳奈多さんが、僕の方に向き直ることも無く、話し掛けた。
「そういえば、しなくてもいいの? あなたの子猫ちゃんの世話は」
 鈴のことか。僕は、彼女に合わせておどけてみせる。
「ああ、猫はいつも気まぐれだからさ。今頃どこにいるのやら。お腹が減ったらきっと帰ってくるよ」
「ふうん。放任主義なのねえ」
 僕は、いつも通りに本を開く。図書室で借りてきた、古い文庫本だ。
 もう何冊の本を読んだことだろうか。僕は昼も夜も無く、本を読み耽っていた。いや、きっと皆が居なくなったから、その時間を持て余していただけなのだろう。僕にはその穴を、文字で埋め尽くす以外、なす術が無かったのだ。
 佳奈多さんがこちらに寄ってきたようだ。衣擦れの音が、騒々しい残暑の音に混じった。
「それ、面白いの?」
「ん。まあ、学校の授業とかクラスの人たちと話すよりは面白いよ」
 いつからか、僕の目の前には薄くて濁った膜が張っていた。そこからは、クラスメイト達が遥か彼方の存在に思われた。全ての動きが水の中のように緩慢で。全てが真っ白くて脆い、そんなもので出来ているように思われた。
 そんな僕にとっては、彼らの話す言葉はもはや異邦の言葉のようで、虚しく鼓膜をすり抜けるだけだった。
「まあ、確かにそうね」
 そんな中、彼女の陰鬱な声だけが、僕の耳に、心に染み渡る。
「ねえ、知ってる? 自殺の名所なんかに行くと『一寸待て。死んで花実が咲くものか』なんて看板があるじゃない」
「うん」
 僕が読んでいた本が、退廃的なものだったからであろう、彼女は持っていた筆箱を弄びびながら、そんな話題を振ってきた。
「全くその通りだと思うわ」
「まあ、そうだね」
「でもね、死ねば苦しむことは無い。それもまた、真実だと思わない?」
「うん。でも、死ぬまでがきっと、苦しいよね」
「全くね。生きれば苦しい、死ぬのも苦しい。ままならないものね。下らない話だわ」
 そんな彼女の腕に、トレードマークだった深紅の腕章は見当たらない。そして、その深紅を失ったと同時に、彼女の顔からも血の気が失われてしまったようだった。
 だけどその青白い顔が、人形のように、美しかった。


 本格的に秋になっても、僕たちの不毛な関係は続いたままだった。日向部分を探して、二人並んで座る。二人の間は約一メートル。
 僕は床に寝転んで、両腕を枕に、空を見上げていた。空はあんなに高いのに、こんなに狭く感じるのは何故だろうか。実は、空は天井絵でしかなくて、手を伸ばしたら触れてしまうのではないだろうか。そんな曖昧模糊なことを考えつつ、右手を天に突き出す。
 やがて、そんなことをするのにも飽きた僕は、隣人の様子を窺った。
 佳奈多さんは珍しく一冊の少女漫画を読んでいた。最近では、何故かノートやら教科書やらをぱらぱらとめくって遊んでいただけなのに。
「これ、葉留佳の部屋にあったものなの」
 そんな僕の視線に気が付いたのか、佳奈多さんは僕の方に顔を向け、話し始めた。
 佳奈多さんと葉留佳さんの関係は、屋上で何度か会っているうちに彼女から聞かされた。そのとき何故か、同じような話をいつか誰かから教えてもらったような気がした。そして、ひどく虚しい心持がした。
「私、あの子のこと知っているようで、何も知らないから。だから、ずっとあの子の持ち物を触ったり読んだりしてたの。でもね、これを読んでわかったのは、あの子がベタベタで甘々な少女漫画が好きだったことだけ。それを読んであの子が何を感じ、何を思ったのか。そんなものは結局、分からなかったの」
 僕は何も言わず、空に向き直る。
 暫くして、沈黙に耐えかねたのだろう。彼女は言った。
「直枝。日曜、一緒に行って欲しい場所があるんだけど」
 以前にも、新しく移ったクラスの女の子から同じことを言われた気がする。あのときはどう答えたのだろう。どう断ったのだろう。
「ん……面倒だけど、いいよ。どうせ休日はずっと寝てるだけだし」
 しかし断る理由など、僕は持ち合わせていなかった。
「駄目人間ね」
「うん。知ってる」


 グラウンドでは、休日の朝にもかかわらず運動部の面々がそれぞれの活動に勤しんでいた。僕にもこんな時があった。だけどもう、そんな日々すら靄がかかったように曖昧になっていて、そのこと自体が僕を責めているように思われた。
「早いのね」
 声のするほうへと視線を移す。彼女が居た。千鳥格子柄のハーフパンツに焦茶色のロングブーツ。上半身はタートルネックの上からカーディガンを羽織っている。最近の儚げな佳奈多さんのイメージとは異なる装い。彼女の青白い顔とハーフパンツの活発なイメージが、酷くちぐはぐに感じられた。まるで他人の服のようだ。
「何よ。じろじろと」
「いや、別に」
 それでも、もとが良いからであろうか。そのちぐはぐさが、彼女の美しさを損なうようなことにはならなかった。
「行きましょう」
 早歩きで、佳奈多さんは歩き出した。僕は何も言わず彼女に付いていく。駅前の商店街を歩いていても、電車に揺られていても、それは変わることが無かった。
 他の人たちにはどう映っているのだろうか。ただ同じ電車に乗り合わせた他人に見えるのだろうか。
「ここよ」
 行き先も聞かず、ただ彼女のあとに付いていくことおよそ二時間。ようやく辿り着くことができたようだ。
 そこは県立の美術館。なにやら巡回展が行われているらしく、彼女はこれを見に行きたがっていたようだった。
 それぞれ料金を支払って、展示室に入る。
 県立の美術館の、さほど有名でない――少なくても僕は知らなかった――画家の巡回展。こんな晴れた休日だからか、展示室の客はまばらだった。
 彼女は僕のことなど忘れたかのように、ひとり絵を鑑賞し始める。僕にはあまり関心が無かったので、適当に目を通す程度で済ませて行く。
 それにしても、奇妙な展覧会だ。額縁に掛けられた絵はどれも陰鬱なものだった。どの作品も黄土色と黒で塗り固められていて、僕が想像していた展覧会の絵とはかけ離れていた。
 順路を巡り、角を曲がった先。そこに掲げられた絵を見た瞬間、目の前がぐにゃりと歪んで見えた。
 それは真っ赤な炎。真っ赤な炎が黒い煙を吐きながら畳一畳ほどある縦長のキャンバスを覆い尽くしていた。絵の具の赤が黄土色で塗られたキャンバスを蹂躙している。不気味に蠢く赤。それを眺めていると、どこか心が落ち着くような、そんな気持ちがした。
「ああ、やっぱり。あなたそこで止まっていると思ったわ」
 どれくらい僕は固まっていたのか。隣に佳奈多さんが居た。
「この絵のタイトル知ってる? 『業火』ですって。作者が終戦後、シベリアに抑留されたとき、火の中に落ちた仲間を助けられなかったことを絵にしたものらしいわ」
 そんなことを言う佳奈多さんの声には、僕に対する害意など微塵も感じられなかった。いつも通りの抑揚の無い、澄んだ声だった。
「ここにはそんな作品ばかりが集められているの」
 僕は周囲を見渡す。『業火』の反対側には、葬儀の絵であろうか、横たわる人の周囲に骸骨のように頬がこけてしまった無数の人たちが、皆合掌している絵があった。
「この絵は、あなたとまるで逆ね。あなたは独り合掌していたんだもの」
「僕の場合、合掌するべき人達は既に焼かれて灰になっていたよ」
「……そうだったわね。で、どう思った? ここにある絵を見て」
 ここにある絵は全て、苦しみから生まれてきたものだ。僕はこんな絵画があることなんて知らなかった。僕が思っていた絵画は、もっと綺麗で、純粋で、そしてどこか贋物のような無機質なものだった。でも、不思議なことに、僕はこれらの醜い絵画が、酷く美しいものに見えた。
 佳奈多さんはそんな僕の考えを読み取ったらしく、うっすらと笑みを浮かべた。
「ねえ、直枝。不思議に思ったことは無い? 人の世はこんなに醜くて、下らないことばかりなのに、どうして絵や文学みたいな、人が作った芸術は美しいのかしら」
「……下らないからじゃ、ないかな?」
「え?」
「だから、この絵を描いた人も、世の中下らないことばかりだと思っているんだよ。だからそんな下らない世界にいる自分や他の人達を慰めるために、せめてキャンバスの上だけは美しい、綺麗なものを作ろうとするんじゃないかな」
 彼女は何か心当たりでもあったのか、目を大きく見開いた。そして。
「そう、か……。そう、だったのね」
 彼女はつぶやいた。


 帰り道。僕たちは二人、隣り合ったまま一言も交わさなかった。
 寮が見えてくる。もうすぐ、僕たちの一日が終わる。
 そんなことをぼんやりと考えたときだった。佳奈多さんは小走りで僕の前方に回りこむと、両手を広げて僕の歩みを止めた。
「ねえ、今日楽しかった?」
 僕は答えに窮した。楽しかったというべきなのだけれど、それが嘘だということが彼女は何より分かっていた。
 暫くすると、彼女は柔らかい笑みを浮かべて僕に近づいた。
「そうでしょうね。あなたの性格では、この先ずっと思い煩うのでしょうね。きっとあなたは、一生苦しみ続けるんだわ」
 彼女の手が僕の頬を掠める。
「あなたには自殺する勇気もないし」
「だろうね。それを勇気というかは分からないけど、僕は何もしないよ。僕にとっては、生きることも死ぬことも、大して意味なんて無いからね」
 佳奈多さんが僕の体を抱きしめた。温かくて安心する。力が抜ける。こんな気持ちになったのはいつ以来だろうか? そもそも僕にまだこんな気持ちが残っていたことに驚いた。
「私は直枝のこと、一番良く知っているわ。あなたの子猫ちゃんよりも誰よりも、私の方が良く知っているわ。きっと、あなたの本当の気持ちが分かるのは私だけなのよ。皆、あなたに元気を出してとか、折角生き残ったんだからとか、そんな無責任な言葉を言うけれど、あなたにそんなこと言っても意味なんて無いんだわ」
 すっかり二人の体温が同じになったころ。佳奈多さんは僕を離して、その手を、差し出した。
「直枝。私と、付き合わない?」
 僕は彼女の手を取ろうとする。しかし、どうしても僕の手は彼女の手まで届かない。手が震えて動かない。
「そ」
 佳奈多さんは少し困ったような、悲しい顔をすると後ろに振り返り、歩き始める。
「あ〜あ、フラれちゃったな」
「ごめん……」
「謝らないでよ。いいわ。あなたは子猫ちゃんと仲良くね」
 佳奈多さんは僕に背を向けて歩き始めた。その後姿があまりにも小さくて遠くに感じられた。それに焦りを覚えた僕は声を張り上げる。
「ねえ! 知ってる? 猫ってさ、自分の死期を悟るとさ、自分から姿を消すんだって」
「そう。だったら、ちゃんと檻にでも入れることね」
「君は……ううん。じゃあ、また明日。屋上で待ってるから」
 佳奈多さんは僕の方を振り向くことなく、女子寮の玄関ドアまで歩いていき、その重いドアの内側に姿を消した。
「さよなら」
 これが、最後に聞いた彼女の言葉。その言葉が呪いのように、僕の胸にいつまでも残った。


 その日から。佳奈多さんが登校してくることは無かった。後で彼女が、寮からもその姿を消していることを知った。
 今ではもう、佳奈多さんの席は撤去されてしまい、彼女の痕跡を窺い知ることは出来なくなってしまった。
 風の噂で、彼女が両親と一緒に夜逃げしていたとか、何処かで自殺した誰それが彼女に良く似ていたとか、そんな下らないことを耳にした。
 本当に彼女が死んでしまっても、或いは逃げてしまっても、僕にはどちらでも構わなかった。どちらにせよ、きっと彼女は楽になっただろうから。
 今でも僕は、屋上通いを止めはしなかった。
 そこで僕はひとり探してしまう。
 屋上でひっそりと佇む、彼女の儚げな影を。
 陰鬱でありながら、酷く、酷く美しい、あの声を。


[No.596] 2009/12/25(Fri) 23:53:49

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