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ささくれた小指、と鈴は言った。 「え?」 「えっ」 「いやそれはもういいからさ……なんだって?」 「ささくれた小指」 「え?」 「……が結婚」 僕は開いた牛乳パックを縛る苦行を打ち切り、鈴の言葉に想いを馳せた。なぜ彼は(あるいは彼女は)ささくれてしまったのだろう。人差し指や親指に比べられ虐げられて来たのだろうか。 「めでたいな」 「ああ、うん、おめでとう」 「あたしに言ってどうする」 「ああ、うん、おめでたい」 これを機に幸せになって欲しい。そう思った。僕は心持ち小指に慈しみを込めて牛乳パックを束ねた。ばらっ。 「お相手は?」 鈴は業を煮やして僕の背を蹴り、それからちょっと深く息を吸って、ポツリと言った。 「実業家だって」 わお、格差婚。上手くやったもんだ。彼女に輝くプラチナリングを夢想する。 それにしても世の実業家と呼ばれる人たちは常に婚約者になり続けてるんじゃなかろうか。実業家人口と出生率は相関するに違いない。ついで社長令嬢と御曹司も。 さて驚くべきことに、鈴は僕より遥かに上手く牛乳パックを束ねて見せた。 「ふん」 と鈴は言った。 なんだか切なくなってきて、布団に寝転びながらカリン様のぬいぐるみを投げて遊んだ。少しして、流しから米を研ぐ音が聞こえてきた。 完全に手持ちぶさたになったので笹瀬川さんのことを考えた。謙吾のことを最後まで受け入れようと、BLの沼に引きずり込まれた可哀想な子。笹瀬川さんが結婚か。 「あれ? 鈴は笹佐川さんと連絡取ってるの?」 返事は「くちゅん!」。 んあー、とこれまた愛らしいうめきがしたけど、僕は米研ぎ音が平然と再開されたのを聞き逃さなかった。 「小指じゃなくて、カコちゃんに聞いた」 「カコ?」 「加藤多香子。覚えてない? ソフト部の」 僕は鈴の鼻をかみながら、少しばかり記憶を辿った。カコ。加藤多香子。 「はへは、はいんくほぅほ」 ビシッ! と僕の手を払いのけて、エプロンからハンカチを出して鼻を拭った。痛い。 「たいく倉庫の」 体育倉庫? 「あ、ひょっとして亀甲縛りの? 鈴を押し倒そうとした?」 「そう、睡眠薬の」 あーあの娘かー。なんて呟いて在りし日に想いを馳せた。鈴を取り合う青春の日々。ジェンダーの壁越しに見る二人の姿が今も胸に焼き付いている。 「ていうかまだ連絡してるんだ」 「なんか勝手にメール来た」 なにそれ怖い。思わず鈴を抱きしめる。鼻にかかった甘い声を出して、鈴は窮屈そうに身じろぎをした。 するとズルッ! と。 牛乳パックを思い切り踏みつけて鈴が体勢を崩す。僕が咄嗟に手を解くと、スローモーションで鈴の頭が白菜に叩きつけられる。 以来しばらく口を聞いてくれなくなった。 それで鈴が構って欲しがるようになるまで疑似餌作りに没頭してみたり、成猫と見せかけたパンサーの捨て子の里親を探すなどして色々するうち、ウヤムヤになってしまったというか、少なくとも僕は忘れてしまっていた。 月も変わろうかという暖かい日に、結婚式の案内状が届いた。 「ひらふくでお越しください」 読み上げ終えると、鈴はハガキをひらひらと振ってみせた。 「ひらふくってジーパンか?」 「えっ」 「えっ」 「本気なの」 「……冗談だ」 そう言って思案深げに顎に手を当てる。 「ホントに大丈夫?」 「うっさいボケ」 「多分そういうレンタルとかあるから、探して見よっか」 不服そうながら、鈴が頷いたのを見て、僕は早速グーグル先生に伺いたてた。 「こういう話って女の子はしないの?」 僕の椅子の背もたれに顎を乗っけてる(と、思われる)鈴に向かって、検索結果を眺めながら訊いてみる。 正直僕は、女の子は実業家青年と同じくらい結婚式が大好きなのだとばかり思っていた。まあ鈴が「将来の夢はお嫁さん!」なんて言いだしたら僕らは寄ってたかって心配しただろうけど、どういうわけかそれだとしても、興味くらいはあるんじゃないかななんて思っていた。 そしたら鈴は 「自分が呼ばれるとこは、考えたことなかったからな」 なんてあっけらかんと。 ひょっとしてプロポーズ? と思ったけれど、相手が僕である保証はないのであった。悲しい。試しに鈴の隣に恭介を並べてみるとこれがよく似合う。それについては落ち込むよりも腹立たしいので、鈴の代わりに葉留佳さんを置く。似合わない。ざまあ見やがれ! 空想に耽っていたら、 「あ、理樹はこれ似合いそうだな」 ライトブルーの肩だしワンピに指が置かれた。僕は空想の恭介に生ゴメを投げつけて遊んだ。 それから色々段取りを済ませ、例えばご祝儀ひとつに右往左往したりしつつ着々と準備し、結婚式がいよいよ明日に迫ったという三連休初日の夕方、謙吾から珍しくもメールが届いた。そこには僕と会いたいみたいなことが書かれていた。 あまり唐突だったもので、高校時代、謙吾と僕の関係がまことしやかに噂されていた、という話を思い出して身構えてしまう。 「行けばいいだろ」 「いや行くけどさ」 本当に大丈夫だろうか、となんだか急に不安になったり。 鈴はお店に行って着つけて貰ったり(ドレスって着つけとかあるんだろうか)、コーディネートの相談をしたりしなきゃならないらしいと言うのに、僕が遊んでていいものだろうか。 「朝起きられるし、電車ぐらい乗れる」 怒ったように言うけれど、僕には怪しく思えてならなかった。なんてことはおくびにも出さなかったはずなのに、鈴は更に立腹して僕を追い出したのだった。 気がつけば日はすっかり伸びていて、腕時計と空の景色が一致しないように思えた。こんな明るいうちからみんな遊び回って。なんて感じるけれど実はもういい時間だったりする。 僕は連休の人混み、もっと言えばみんなが仲良く肩を並べたり手を繋いだり腕を組んだりして歩く駅前ロータリーを一人ぼっちで歩いた。笹瀬川さんの式場最寄り駅へ向かうべく。どういうつもりなのか、待ち合わせは笹瀬川さんの式場、なんちゃらホテルのある駅だった。 乗り継ぎもなく改札を抜け、さすがに夜らしくなった空や、ガムが黒く張り付いた敷石、隙間に挟まる吸殻や、よく見れば綺麗に刈り揃えられた植え込みなんかを眺めながら謙吾を待った。 行き交うスーツや部活帰りの高校生、大声で歩く大学生なんかに混じって、断続的に和装の女性が降りてくることに気づいた。お茶やお稽古にしては時間が遅すぎるし、まさか夜間ライブや飲み会というわけでもなさそうで。 ひょっとして明日の結婚式の関係かな、と考えたけど、今から着物なんて人がそう何人もいるとは思えない。なんなんだろう。 「待たせたか?」 「ん、いや大丈夫」 反射で返して振り替える。目に入ったのは胸板で、ちょっと驚いてしまった。 視線を上げて、改めてそのガタイの良さを実感する。謙吾はこんなに大きかったのか。 「では行くか」 早速歩き出した背中の、心持ち後ろに付いた。 さて、突然僕を呼び出して、馴染みのお店を紹介してくれるという謙吾はなんだか暗かった。初めは笹瀬川さんの結婚に何か思うことでもあるんだろうと思ったけれど、歩きながら近況やら何やら話すうち、心ここにあらずとか、落ち込んでるのではなく、不機嫌らしいことが分かった。今日の話に関係あるんだろうか。 「ここだ。なかなかいい店だぞ」 そう言って謙吾が立ち止まったのは、薄利多売とは縁のなさそうな静かな路地の、玉石なんて敷いている店だった。 カラカラカラと上品な音を立てて引き戸が開き、靴を脱いで並べて置くらしい広い土間を目にした。 「いらっしゃいまし」 なんて慎ましやかな声がした。 浮き足立ったまま座敷に通され、その頃には謙吾より財布が心配で、殆ど放心したまま、「ママ」ではなくむしろ「おふくろ」、というより大叔母様みたいな人と謙吾が楽しげに談笑するのを眺めた。 そして決定的だったのは、 「こちら、ヒノキになります」 と、木製のおちょこを差し出されたことだった。合板なんかじゃなく木をくり抜いて作りましたみたいな木目で、 「木の香りがしますでしょ?」 僕は笑って頷くしかなかった。 「親父の知人でな」 大御婆様が去ってから、謙吾は言った。 僕は頷いて笑うしかなかった。 しかし実のところ、冗談なりなんなりで、そろそろ助け舟を出してくれるんじゃないかと期待していた。だが謙吾は厳しい顔で品書きに目を落とすばかりで、僕のことなど気にしていないようだった。 変なことだけど、それで我に返った。 「えっと、謙吾?」 こちらから切り出すべきか迷いつつ、決心を固めて、何の用事? というつもりで訊ねた。 「何かあったの?」 しかし謙吾は、心底驚いたという顔をして、僕を見返してきた。 「いや、なんか変だからさ」 僕が言うと、視線を逸らして目を伏せた。 「すまない。不快な思いをさせたか。完全にこちらのことだ」 それで、仕事であった嫌な客の話を聞く。 なるほど憂鬱になるエピソードで、ふむなるほど、なんて思ったけれど、僕を呼び出した理由についてはとうとう訊きそびれてしまった。 さっきの人とは別の割烹着の女の人が、茶褐色の大瓶のまま日本酒を運んできて、これまた木目の美しい升になみなみと注いでいった。 音の立たないおちょこで乾杯を交わして、口をつける。木の匂いが、と言っていたけれど、お酒の辛さがするばかりで僕にはさっぱり分からなかった。お通しのくらげはおいしかった。 一息ついて、なぜだか二人して黙々としてしまう。 「笹瀬川さん結婚するってね」 「ああ」 「お相手はどんな人だか知ってる?」 「会ったことはないが、話に聞く限りでは立派な人らしい」 「ああ、だろうね」 そしてまた沈黙。 焼き鳥が運ばれてくる。 「お前は出席するのか?」 「するなら今飲んでないよ」 答えてから、これだと会話がまた途切れてしまうのではないかと思い、 「鈴は行くんだけどね。笹瀬川さんの親の顔が見たいんだって」 すると謙吾はブッと吹き出し、 「正気か?」 と真顔で訊ねてきた。 「ごめん嘘」 答えると、安堵したように息をついて背中を伸ばした。後ろの壁に頭が当たって、妙にくぐもった音がした。 「笹瀬川の家は相当な旧家だぞ。逆に友人諸氏が見定められる場になるくらいだ」 初耳だったけど、そんな気はしてたので驚きは無かった。 「だから欠席?」 「馬鹿を言え。……新婦の側に若い男が座るなんて考えられん」 謙吾は言い切ると、おちょこを一気に傾ける。 「それで、鈴は大丈夫なのか?」 「心配ないでしょ」 「本当か?」 「え? ……心配ない、と思うけど。なんで?」 謙吾は意外そうに僕を見て、目を上に寄せてから、勝手に頷き始めた。 「お前が言うならその通りなんだろうな」 その言葉の響きにはえらく引っ掛かるものがあった。謙吾は鈴がなにかやらかしやしないかと懸念しているらしい。それは分かるんだけど、なんでそんなことを考えるのかが分からなかった。そりゃ、電車とかは危ないかも知れないけれど。 「牛乳パックだって縛れるし」 「なんだって?」 僕は「なんでもない」と答えて、謙吾を真似ておちょこをあおった。舌がアルコールに慣れてきたのか、なるほど微かに木の匂いがした気がした。次の瞬間には気のせいに思えた。 新しいお酒を見繕って、しばらく黙った。 「上手く行ってるのか?」 「おかげさまで」 ちみちみと飲みながら、思い出したように話をして、時間が過ぎ、店を出た。 あの店からカラオケにはしごするというのもおかしな感じだった。歌も歌わないで二人して酔いつぶれていた。 暗い部屋、天井には紫の電灯が灯っていて、壁や服の白い部分だけが青く発光していた。 「なあ理樹」 「なにさ」 「お前ら、結婚するのか」 僕は答えなかった。 「俺も呼んでくれよ」 「なにそれ、三角関係の余りみたいなセリフ」 「やめろ、思い出す」 「あはははは」 寝返りを打とうとして、ソファーがやたら狭く、身体が落ちそうになっていることに気づいた。 身体を立て直して、僕は言った。 「もちろん呼ぶよ」 「頼んだぞ」 「うん」 いつ謙吾と別れたのか覚えていなかった。 午前中の爽やかな、ギラギラした日差しの中で、僕は電車を待っていた。足を投げ出した酷い格好だった。 反対側のホームに停った電車から、これから結婚式ですみたいな、若くて、なんだか「青年実業家のご学友」みたいなスーツに白ネクタイの人が降りてくるのが見えた。ふと振り向くと、ホームから見下ろせる駅前に、同じく白ネクタイの一団が集まっているのを見つけた。 その中の一人に、酷い違和感があって思わず凝視してしまう。 メガネで白ネクタイにダークスーツ。それはいい。でも彼は見事にハゲていた。顔に、遠目にも年輪みたいな皺が刻まれてるのが見えた。思わずつっこむ誤植ネタみたいだった。 駅から、多分さっきの男が出てきた。ハゲた男は、他のメンバーと一緒になって、まるでホントにご学友みたいな振る舞いをしていた。久しぶり! なんて。元気にやってたか? みたいに手を振って。しかし彼らの誰も違和を抱いたりしていないように見えた。 初夏も近いうららかな日差しの中、彼はまるで自分が祝福に包まれているかのような、幸福な笑顔でいた。僕には無性に眩しく見えた。笑顔がね、笑顔が。 今日笹瀬川さんが結婚する。いやまあ、法律的にはもう結婚してるか後々婚姻届を出すんだろうけど、まあ今日ってことでいいだろう。 今日、笹瀬川さんが結婚する。そんなとっくの昔に知ってたことを、彼らの背中や頭を見ながら、何度も何度も反芻したのだった。 「宮沢様!」 なんて本気で言ってて、素人との野球に本気になっちゃうような女の子が結婚とな。 太陽よりも背が高い、ホテルのビル。鈴はちゃんとできているだろうか。ちゃんとというのはつまりその、幸せな笑顔の中に混じりつつ、不意討ちを貰って無礼なタイミングで吹き出したり、興味を持って深く眺めてしまったりしてやいないだろうか。あるいは新婦の名前を間違えてたり。 ライトブルーの肩だしワンピに身を包み、女の子たちの輪の中で立ち回る自分を想像したころ、ホームに電車が入ってきた。 [No.675] 2010/02/27(Sat) 00:18:09 |
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