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意識を失っていたのは一瞬だったはずだ。 「うぉっ」 しかし現実は無情で非情、かつ純情だった。 「……最後のはないな。いや、アリか?」 言葉に出して突っ込みながら改めて画面を確認する。俺の最後の言葉は遥か上へと押し流されていた。 「逃げてねえ。落ちただけだ」 眠っていたのは2時間ほど。その直前に刃を交えていた相手は、俺の返答が途切れた後、捨て台詞を残していなくなっていた。逃げたのはそっちだろう、と返すのは今更なので止めたが。 俺の意識があと30分保っていたら、あんな奴は叩き潰してやれたんだが。みすみす悪を逃してしまったのが悔やまれる。 「みんな、すまない」 争いなどなかったかのように関係のない話題で盛り上がっている皆に頭を下げた。きっと画面の向こうでは、いつまた悪が現れるかしれない恐怖を必死で押し殺しているのだろう。 今すべきは謝罪ではない。次の悪が現れたときのために力を蓄えておくことだ。 「今度は、倒す」 決意を新たにすると、腹の虫が騒いだ。そういえば昨晩は固形物を摂っていない。力をつけるためにもまずは食事だ。 「なんだよ、肉がないじゃないか……」 ドアの前に置いてあった盆をぼやきながら部屋に運び、ラップを外す。おかずはきんぴらゴボウにほうれん草のおひたし。塩鮭が一切れに豆腐の味噌汁。そこらの牛丼屋の定食の方がまだ凝っている。だが仕方ない。今更他の食料を買いに行く時間が惜しかった。ぬるくなった味噌汁をすすり、塩気の足りない鮭をかじりながら飯をかきこんだ。 あらかた食事を終えた頃、テレビの電源が自動的に入った。 「ああ、日曜か。……なんだよ、また一人増えてるじゃねぇか。もう戦隊物にしろよ」 流れ始めたクソつまらないヒーロー番組に反射的に毒づいた。だが、もし今俺の心を読める誰かがいるのなら誤解しないで欲しい、俺はヒーロー物は好きだ。新しいシリーズが始まるたびに期待して観ている。そしていつも裏切られるのだ。この一つ前の枠の戦隊物も初回で見限った。俺の中のヒーロー時間はもう随分前から止まったままだ。 だからタイマーをセットしたのは別にそれを観るためじゃない。万全の録画態勢を確認し、俺は戦場の扉を開けた。 『アニメ実況板』それが戦場の名だ。 戦いは終わり、俺はウィンドウを閉じた。激しい戦いだった。しかし達成感はあった。 放送が始まると同時に俺たち戦士は一斉に愛の雄叫びを上げ、スレッドを瞬く間に塗りつぶしていった。戦士たちの愛を一身に受けているのは『桜花そのか』。日曜朝のアニメ、『咲いちゃえ!魔女きゅあ』の主人公だ。『咲きゅあ』は普通の少女が魔法の国を追われた姫と出会い、授かった能力で変身して悪魔たちと戦う物語だ。一見子供向けのようだが実際は一緒に見る母親たちも意識して作られており、なかなかストーリーが深い。 俺たちは『ソノっちょ』こと『桜花そのか』を愛している。そのつぶらな瞳やスレンダーかつ「ぷにっ」とした体型も勿論愛しているが、それは彼女の本質ではない。一見ただの薄汚れた犬にしか見えない魔法の国の姫を、言葉を喋ったというだけでそれ見抜く、理屈を超越した洞察力。湯煎したチョコレートと間違えてペンキを流し込む並外れたドジ属性。『ソノっちょ』と呼ばれるたびに「ふとっちょみたいだからやめてよっ!」と抗議する姿も魅力だ。 そんな彼女に俺たちは愛を送り続ける。自分が一番愛していると信じる戦士たちの間で時に争いも起こるが、それも愛するがゆえのことだ。そして俺は誰よりも彼女を愛している。 大きく伸びた後、タイプし続けて強張った指を念入りにほぐした。 放送終了後も録画をチェックしながらの感想戦がまだ続いていたが、俺は参加しなかった。実況中は作品への愛でスレッドを埋め尽くし、録画は独りでじっくりと味わう。それが俺のスタイルだからだ。それにそろそろトイレに行きたかった。 部屋を出るとさわやかな朝日に目がつぶれそうになる。 「あ、恭介」 うっすらと目を開けて声のほうを見ると、理樹がこたつをはさんで小毬と差し向かいになっていた。 「あ、恭介さん。おはよう〜。今お茶入れるね」 「いい。理樹、何にもないがまあゆっくりしてってくれ」 立ち上がりかけた小毬を手で制して2人の横を足早に通り過ぎた。……漏れそうだったからだ。 トイレの扉を閉めてから失敗に気づいた。次に理樹にかける言葉が思いつかない。部屋に帰るにはもう一度理樹の前を横切らないといけないのに。話したいことも聞きたいこともなかった。意味もなく何度も水を流した。 結局、何も言わず黙って通り過ぎた。2人が会話を止めて俺を見送っているのが見なくても分かった。向こうもかける言葉が見つからないのだろう。そりゃそうだ、長々とトイレにこもって、ひょっとしたら大きいほうをしていたかもしれない男だ。「お疲れ様」などと言おうものならたちまち気まずい空気に包まれるだろう。だからこの場はお互いやり過ごすのが正解だ。そして俺と理樹は正解を選び取った。 「ねえ恭介さん。理樹くんがしゅーくりーむを持ってきてくれたの。食べてっちゃいなよ、ゆー♪」 久しぶりに聞いたそのフレーズに思わず足を止めてしまった。振り向くと、恐る恐るこちらを伺う理樹の顔が一瞬視界に入った。こたつの上に置かれた有名チェーンの箱には、1つずつ袋に入った大ぶりのシュークリームがぎっしりと詰まっていた。 「安かったから……」 そう言った理樹の顔は、見なくても想像できた。 「サンキュ。ここのは俺も好きなんだ」 そっと腰を下ろしてマグカップを持ち上げる。一口すすると安いティーバッグの渋味が口に広がった。 シュークリームを1つ食い終わった後、しばらく理樹と小毬の会話に相槌を打っていた。話は鈴や、他の仲間たちの近況がほとんどだ。話題がクドのことになり、俺もテレビやネットで知った彼女の近況を説明した。今度は2人が聞き役に回っていた。 小毬は俺が話している間にシュークリームを4つも平らげ、さらに5つ目に手を伸ばしていた。口元のクリームを指で拭ってやると、恥ずかしそうに笑った。 「ったく、太るぞ?」 「えへへ〜、だって美味しいんだもん」 「恭介は、……ちょっと太った?」 「そうか? ……まあ最近少し運動不足かもしれないな。飯は減らしてるんだが」 理樹の指摘に改めて自分の身体を触ってみたものの、あまりピンとこなかった。 「ごめんね理樹君、気をつけてはいるんだけど……」 小毬の顔が本当に申しわけなさそうだったので、思わず笑ってしまった。 「何でお前が謝るんだ」 「うん、小毬さんは頑張ってると思う」 理樹は俺と同じことを言っただけなのに、胃の辺りが不意に重くなった。 「まあ、ゆっくりしていってくれ」 初めと同じ言葉を残して、自室に戻ることにした。 もともとあまり落ち着く空気ではなかったのだ。 夢を見た。いつものように部屋のドアを開けると、食器が昨日戻したときのまま置かれていた。 仕方なくその日は菓子だけで過ごした。だが次の日も食器はそのままだった。察しのいい俺はとうとう愛想を尽かされたんだと思った。寂しいがそれも仕方ないと思った。だが一言もなくいなくなったことに腹も立てていた。 それまでの不満も込みになってぶつぶつと文句を呟きながら気晴らしに録り溜めたアニメを見ていると、ノックも無しに理樹たちがやってきた。きっと事情を聞いたんだろう。一発や二発は殴られるかな、と自嘲気味に覚悟を決めた。 だが、俺は殴られなかった。小毬は俺に愛想を付かして出て行ったのではなかった。 跳ねるように身体を起こし、喘ぐように空気を貪った。胃がギリギリと痛み、こみ上げる吐き気に脂汗が噴き出した。夢の中と全く同じ景色に、転げるようにドアに取り付いた。そして、恐る恐るドアを開け、その細い隙間から外をうかがった。 あった。 置いてまだ間もないのだろう、まだつやのある白飯と、だし巻き卵。味噌汁はまた豆腐だったしきんぴらとおひたしも昨日と同じだったけれど。 ドアを開け放ち、小毬に駆け寄る。独りでテレビを眺めていた小毬は、俺の顔を見て驚き、慌てていた。俺はどれだけ切羽詰った顔をしているのだろうか。 狭い部屋で、寝起きのくせに駆け寄ったりしたものだから思い切りよろけ、小毬の膝にすがりつくように倒れてしまった。 情けない格好だが、小毬の体温を手放したくなかった。俺は目を白黒させる小毬に、思いつく限りの謝罪を捧げた。そして、いなくならないでくれ、と懇願した。夢に追い立てられ、うなされるように。 小毬は困ったように微笑みながら、俺が話す間、ずっと頭をなでてくれていた。 ひとしきり話し終えた俺に、小毬はひとこと、だいじょうぶ、と。懐かしいフレーズだった。 恭介さんなら、だいじょうぶ。 涙が溢れた。声を上げて泣いた。 俺は、泣き止んでからも恥ずかしさからぐずぐずと小毬の膝枕に甘えていた。すると、小毬がぽつぽつと将来の夢を話しだした。 家はアパートでもいいけど、もう少し広い方がいい。子供は2人は欲しい。ペットはまあ周りに動物っぽい人がたくさんいるから無理して飼わなくてもいい。それでね、と。 「私は、恭介さんの奥さんになりたいな」 そうだな、一緒に住むようになってずるずると来ちまったけれど、ちゃんと籍入れないとな。 「あなたの、奥さん。のっと、お母さん」 そりゃ、そうだよな。奥さんは母親とは違う。 「だからね、恭介さん。そろそろ――」 ふと影が差して見上げると、小毬が顔を覗き込んでいた。少し陰になっているが、いつもの笑顔だったと思う。そうですよね、小毬さん? 「働け?」 首の皺が、やけにはっきりと見えた。 [No.679] 2010/02/27(Sat) 15:32:55 |
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