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古式は可憐でいて、それでいて背筋が凍るような微笑で、俺を拒絶した。 「許しませんよ。あなたのこと」 目の前が光に包まれていく。きらきらと、ぎらぎらと。光が俺の視界を塞ぐ。理樹の手の温もりが消えていく。いや、消えているのは俺の方。 悪くはなかった。俺に出来ることは全てやった。あいつらなら、きっと大丈夫だ。 ……古式、そっちに行ったらまずは、お前に会いに行くとしよう。あのとき、お前に言えなかったこと、やっと本当のお前に言える気がするよ。 どこまでが自分の体か、どこからがこの光なのか。俺にはもう判別することが出来ない。手を動かそうとしても、もう手がどこにあるのかも分からないし、動いている感覚もまるで無い。俺の命が尽き果てていく、消えていく。俺のこんな想いも、今まで過ごしたあの素晴らしい時間も、全てが塵に還っていく。 頭の中がぼんやりしてくる。せめて今のこの幸せな気持ちだけでも、ずっと抱いていたかったのに。ああ、駄目だ。だんだん何も考えられなくなっていく――。もう、なにも……。 ――気が付くと、俺は裏庭に立っていた。ここは、何処だ? 周りを見回す。今まで通りの校舎、今まで通りの空。全てがこれまでと同じだった。 戻って、きたのか? そんな馬鹿な。俺は確かにあそこから退場したはずなのに。辺りには理樹たちの姿も、恭介の姿も見えない。誰も居ない。 俺は大声を上げる。誰か居ないのか。居たら返事をしてくれ。 しかし、自分の声が耳に残るだけで、何処からも声は返ってこなかった。 本当に、ここは何処なのだろうか? もしかしたら、こここそが彼岸の世界なのだろうか? だとしたら滑稽だ。俺達が作り上げた世界が、あの学園の写し身であるならば、彼岸の世界もまた、世界の写し身であろうとは。しかし、滑稽と思うと同時に恐ろしく思う。本当にそうだとしたら、他の連中だってここに居るはず。それなのに誰も居ない。 もしもこれが死後の世界なら。どんなに寂しい世界なのだろう。死んだ人間は皆一人で、今まで生きていた世界に棲まねばならない。恐ろしい、地獄だと思った。世界は生前と同じなのに、永遠に死ぬことも無く、一人孤独で。そんな世界でのこれからを思うと、血の気が引いていき、吐き気を覚えた。 「違いますよ」 声が聞こえた。この無音の世界で、鈴のように鳴り響く、美しい声が。聞き覚えのある、あの声が。 俺は声がする方に振り向く。するとそこに、あいつが居た。後ろで括られた長い艶やかな黒髪。その黒髪と対照的に雪のように白い肌。そして、痛々しい右目の眼帯。古式みゆき。俺が最初に会いたかった人間が、目の前に居た。 あいつの薄い唇が開き、言葉を紡ぐ。 「ここは、今まであなた方がいたのと同じ場所。あなたとお話したかったので、勝手なことをさせていただきました」 その言葉を聞いたとき、安心半分落胆半分、そんな心持がした。俺は眉をひそめる。 「ということは、お前は恭介の差し金か。今更何があるんだ?」 言葉の最後は目の前に居る古式の贋物にでは無く、恭介に向けたものだった。俺は空を睨む。あいつがどこかから見ているのかもしれないから。 「それも、違います。私は、はじめから私です。あなたが知っている古式みゆき、本人です」 「は?」 我ながら、間抜けな声が出た。 「私はあなた達が作ったこの世界で、ずっとあなた達と共に過ごしていたのですよ」 古式は薄く笑う。 その言葉に、背中の毛穴という毛穴から嫌な汗が吹き出るのを感じた。 「では、俺はお前に何度も同じことを言い続けていたのか?」 「ええ」 古式は平然とした表情で肯定してしまう。そんな平然とした顔で言うんじゃない。こっちは毎回、大真面目で言っているのだから。 俺は頭を抱えて唸ってしまう。仕方ないだろう。ぐお……。それにしても何てことだ、恥ずかしすぎる。恥ずかしすぎて死にたくなる。いや、もう死んではいるのだが。 「ああ、そ、そうだな。俺があの時言いたかったことは、まあ、そういうことだ」 こういうときは、開き直るしかないだろう。 「そう、ですか」 古式は目を伏せる。その瞳が、その長い睫毛の陰に隠れる。 沈黙が続く。それに耐えられなくなって俺が口を開こうとした瞬間、古式の方が先に、伏せていた瞳を俺の方へと向け直し、口を開いた。 「それで、満足しました?」 「は?」 冷や水をぶっかけられたような心持がした俺は、まじまじと古式を見つめる。古式は先程と同じように、穏やかに笑っていた。だから俺は、先刻古式が放った冷たい声が、聞き間違えかと思ってしまった。 「何も出来ない無力な自分を許すことが出来ましたか、と訊いているんです」 しかし古式の声はやはり氷水のようで、先程とは違う意味で冷や汗が出た。古式の表情は笑ったまま。しかし、俺の目に映る左の瞳は真っ暗で、何も映してはいなかった。 「何を言ってるんだ、古式……」 「気付いていない? なら何故、あなたがあんなにも私を助けようとしたのか。それを教えてあげますよ」 「それはあのとき、俺がお前を救えなかったから……」 「そうですね。その通りです。あなたはその罪滅ぼしのために私を助け続けた」 古式の口が今にも裂けそうだ。古式の笑顔を見つめながら、俺はそうぼんやりと思った。 「自己満足なんですよ。あなたが罪の意識から逃れるための。ここで何回何十回私を救っても、私が死んだ事実は変わらない。言い訳にも、ならないんですよ」 俺はこいつの言葉をただ聞くことしか出来なかった。俺は唇を噛む。古式の口から、刃のような言葉を浴びせられる。そんなこと、わかってる。わかってるんだ。 「そもそも、あなたはあの時、私を助ける事が出来たのですか?」 「?……どういうことだ? お前が言ってたじゃないか。俺はお前を助ける事が出来なかった、と。」 その言葉に、古式は溜息をつく。古式の瞳にありありと失望の色が見られた。 「……あなたに問います。私はどうやって死んだのですか?」 「それは、お前が学校の屋上から飛び降りて……」 違和感を覚えた。それは、いつの話だ? あいつの葬式のこと。それは覚えている。クラス委員のヤツと一緒に行ったはずだ。そこで、俺は古式の両親と話をしたはずだ。何を? 思い出せない。全部ぼんやりとした記憶。……どういうことだ? 「思い出せない? そうでしょうね。でしたら」 そう言うと、古式は俺の眼前まで近づく。その右手が眼帯を掴む。 駄目だ。見てはいけない。俺の中の何かがそう警告する。けれど、俺の体は一向に動かない。動けない。そんなことをしているうちに古式の右目が顕わになる。 そして。 「さあ、あなたの、その目を開いて――」 右目に眼帯を巻いた、寝巻き姿の古式。 色とりどりの花。 的に掠りもしない、数多の矢。 古式の後姿。 空の紙コップ。 教室に横たわる古式。 あいつの寝床に据えられた、大量の注射器。 そして、両目とも晴眼だった頃の、あいつの遺影。 それは空気が痛いほどに冷たい、冬の朝。 俺はひとり自主トレを終えて、剣道場を出る。 そこに弓を射るいつもの音。こんな冬の朝に練習するようなヤツなんて一人しか居なかった。 俺は緑のネット越しに的を見る。的には一本の矢。 しかし、中心を大きく外れ、斜めに突き刺さっていた。そしてその周辺。文字通り的外れな場所に突き刺さっている夥しい数の矢。 古式を初めて見たのはいつだっただろうか? 確か中学二年の夏の始め、梅雨が明け本格的に暑くなり始めるころだったように思う。俺と同様、一年の頃からレギュラーとして大会にも参加し、次期主将として期待されていた。 俺が剣道場に向かっているとき、あいつも隣の弓道場に向かっていた。凛とした芯の強そうな瞳。背筋をピンと伸ばし、歩く所作も美しく。けれど、あいつはどこか抜けたところがあるのか、考え事をする癖でもあるのか、何度か木にぶつかりそうになっていた。 面白いヤツだ。そう、思った。 俺は弓道場の中に飛び込む。そこには、古式が一人きりでうずくまっていた。 「どうした! 古式!」 「……あ、宮沢さん」 古式の唇が小刻みに震えていた。古式の手が俺の方に向けられる。それはまるで俺の姿を探すように。 「わからないんです。的が何処にあるのか。全部がおぼろげにしか見えないんです。あなたの顔も、……ぼやけるんです」 あれは学祭の打ち合わせの後だっただろうか。あのころから、兆候があったのかもしれない。他の女子たちとお菓子を食べながら談笑を交わす古式に少し違和感があった。 「みゆきさーん。お茶飲みすぎ。殆どみゆきさん専用になってるよ」 「あ……ごめんなさい」 「いや、別にいいんだけどさ。もしかしてお菓子とかあんま食べない人?」 「何ナニ? もしかしてダイエット?」 「いえ、そういうわけではないんですが。最近、喉が渇いて……」 「ふうん。何だろ?」 「あー、でもさ。水を沢山飲むとシンチンタイシャが良くなるとかって聞いた事ある」 「まじ? じゃあ、あたしも水飲むわ」 「そういや、水って最近色々売ってるよね。アレ、ナニが違うの?」 「知らねぇ。宇宙の果てを知らないのと同じくらいそんなこと知らねぇ」 今思えば、あの頃に気付いていれば、結果は違っていたのかもしれなかった。 襖をノックする。中からあいつの声がした。 部屋に這入ると、寝巻き姿のあいつが布団から上体を起こしていた。優しく、儚い笑顔だった。 「よう、調子はどうだ」 「あ、宮沢さん。いいんですか? 部活の方は」 「別にいいさ。それよりコレ。見舞いだ」 そう言って俺は小さめのフラワーアレンジメントを手渡した。 「病人に下手に食べ物を持っていくのは良くないと聞いたからな。ずっと家の中だと滅入ってくるだろう? これで少しはマシになるんじゃないか?」 「ふふ」 「なにが可笑しい?」 「だって宮沢さん、いかにも侍みたいな風貌で、こんな可愛らしいもの持ってくるんですもの」 「なっ……」 「でも、嬉しいです。ありがとうございます」 古式が頬を緩めると、俺もどこか胸のつかえが取れたような、そんな気持ちにさせられた。 冬のある日、古式は教室で突然倒れ、昏睡状態で病院に運ばれた。 あいつは、机に片肘をつき、額を押さえていた。その目は黒板には向けられず、机に向けられていた。だが、あいつには机の上のノートが見えていたのだろうか。その目は大きく見開かれたままで、じっと動く事は無かった。 暫くして、あいつの上体がぐらりと左に傾いた。 そのまま椅子から崩れ落ちる。 周りの生徒、教師が、あいつの周りに集まった。 あいつは荒い息をつきながら、額に玉のような汗をかいていた。 騒然となる教室。救急車のサイレン。 1型糖尿病(いわゆる小児糖尿病というモノだそうだ)だと、後であいつの両親から聞かされた。 「そういえば、もうすぐ春季大会が始まりますね。本当に練習しなくても大丈夫なんですか?」 頭を枕に預けた古式は目を瞑ったまま、俺に話し掛ける。 「まあ、根を詰め過ぎる方が寧ろ結果が悪くなるからな。たまには息抜きも必要だ」 それを聞いた古式が左目を開き、非難めいた瞳で俺を見る。 「人のお見舞いを息抜きなんて、とんだ言い草ですね」 「あ、……ああ、すまない。そんなつもりじゃ……」 「冗談です。でも、大会は頑張ってくださいね。団体戦もあるんですから。あなたは主将なんですよ」 「ああ、わかってる」 「宮沢さんは頑張って下さい。私はもう、弓道部の皆に何もしてあげられないですから」 「そんな事言うな。部の皆が悲しむぞ」 「そうですね、すみません。確かにもう選手としては何も出来ないけど、皆の応援に行くくらいは出来ますものね」 古式は眼帯の上から、その失った右目を撫でる。それを見ると、俺は胸が苦しくなる。 「今だって、単なる風邪なんだからきっと間に合うさ」 「……ええ」 それが俺たちが交わした、最後の会話。 思えばあの時、俺は油断していたのかもしれない。古式やその母親から、古式の病気について聞いていたから。片目を失ってしまったのは相当なハンディではあるけれど、常に制限が付きまとうけれど、今まで通りの生活が出来ないわけではない。ずっと大丈夫だと、そう思っていた。 けれど、このとき会った古式が、俺の知る最後の姿になってしまった。 次の日あいつは、再び重篤な昏睡状態に陥り、そのまま帰らぬ人となってしまった。 「――どうですか? あなたの目に、真実は見えました?」 「ああ、見えたよ……」 俺はすとんと膝から崩れ落ちる。そうだ、古式は、あいつは病死したんだ。何故、そんなことを忘れていたんだ。どうして。 古式は眼帯を元に戻すと、俺に近づき、隣に座り込んだ。古式の目が冷たくて、恐ろしかった。さっき見たあいつの目と同じとは、どうしても思えなかった。 「もう一度問います。あなたは、本当に私を助けたかったのですか?」 助ける? どうやって? 「そう、あなたに私を助ける事なんて出来なかった。助ける必要も無かった。では、何故あなたは、私をこんな世界に閉じ込めたんです? 何度も私を自殺に追い込んだんです?」 「違う……俺は、そんなつもりじゃ……」 「違わないですよ。全てはあなたの自作自演。あなたが助けたかったのは、いえ、許せなかったのは、私を失った、無力な自分なんですよ」 俺はもう、古式の目を見る事も出来ず、ただただ地面を見つめるばかりだった。 「……ねえ、宮沢さん。あなたは人の人生をどうこう出来るほど強くないと満足できないんですか? 弱いということが、そんなに怖いんですか?」 あぁ、そうか。俺は何かをやり遂げた。そう思いたかっただけなんだ。無駄死にするのが、嫌なだけだったんだ。俺はそのためにこいつを、古式を利用したのに過ぎなかったんだ。 それだけじゃない。俺は、いや俺達は、ただ残された理樹と鈴に「強くなれ」と重荷だけを負わせたんだ。そうして自分達はやり遂げた、自分の人生には意味があったとそう言いたかっただけじゃないのか? 俺達は一体、何をやっていたんだ? 俺は体を折り曲げて、地面に伏せる。言いようの無い無力感が俺の中を満たした。 「ああ、そうだ。お前の言う通りだ。なぁ、古式。俺はどうしたらいい? どうしたら、お前に許して貰えるんだ? あいつらに許して貰えるんだ?」 その言葉は既に懇願だった。俺は起き上がると、古式の肩を掴んでいた。 そんな俺に、古式は可憐でいて、それでいて背筋が凍るような微笑で、拒絶した。 「許しませんよ。あなたのこと」 古式は俺の手をやんわりと退かせると、更に冷たく言い放つ。 「……だから、あなたを連れては行きません」 俺をここに置いていくと言うのか。何も出来なかった俺を、何も無い、この世界に。 しかし、古式はその瞳に若干の哀れみを込めて、続けた。 「あなたは、これからもずっと私のいない世界で、自分の無力さを呪い続けてください。それが私の復讐です。もしもあなたが未だに、自分の人生の意味が、誰かを救うことだというのなら――」 古式が後ろを向く。俺から一歩離れると、俺を振り返らずにこう言った。 「あなたはこれから、長い長い余生を無為に送ればいいわ」 彼女が歩き出す。その姿が段々と、霧に包まれるように、ぼんやりと曖昧なものになっていく。俺は走って追いかけようとするが、どんなに走っても古式の影さえ見えなかった。やがて、俺は途方に暮れ、走るのを止める。目の前は真っ白でもう何も見えない。自分の足元すら真っ白で、一歩足を踏み出せば、そのまま落下してしまうのではないか、そう思われた。そんな霧の中、遠くから鈴のように鳴り響く、彼女の声が聞こえた。 「さようなら」 ――気が付いたとき、俺は病室のベッドにいた。エアコンをつけず、部屋の窓を開けるだけにしておいたからなのだろう。額に汗をかいていた。 俺は、横向きになって再び目を閉じる。もう一度あいつに会いたかった。会って、今度は謝りたかった。 夕方になって、目が醒めた。古式に会えるはずも無かった。俺は枕の上で腕を組み、その上に自分の頭を乗せた。そして、ぼんやりと外を眺めながら、物思いに耽った。 いつか、俺が俺自身を受け入れることが出来るようになったら、あいつの家に行こうと思う。今まで人目を避けるように、あいつの墓にしか行ったことが無かったから。そこに、いつか持っていった花を供えて、線香を上げよう。 そして、今度こそあいつに報告しよう。 どうしようもなく弱くて無様だけれど、それでも毎日を賑やかに、穏やかに生きている、俺達の姿を。 [No.686] 2010/03/11(Thu) 00:05:11 |
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