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焼け野が原 (No.682 への返信) - 匿名希望 19838 byte

 粉雪が、霏々として降り注ぐ。辺りは風もなくひっそりと、森閑と。雪が音を消し去るのか、どうなのか。目を瞑れば、雪の降る事にすら気付かない。
 空気は、肌を切り裂く程に冷たく、澄んでいた。鼻で呼吸するのも苦痛を伴う。それでも、この冷え冷えとした空気が、どうしようもなく愛おしいと思ってしまう。
 見上げれば、雪が空を白く或いは灰色に染めている。ともすれば、時間の感覚すら失いそうな、そんな空恐ろしい光景。けれども、時間は確実に流れてゆき、この地面を真っ白に覆ってしまうことだろう。永年に渡る、浅ましく不毛な争いの終着点となった、この黒い、焼け野が原を――。


 私は石段を登り切る前にある、横手の杉林に一人佇む。そこから、三枝の祠が良く見えた。しかし、祠の姿は既に無く、そこには焼け焦げた木片が山積みになっているだけ。事情を知る人間だけが、それが祠の残骸である事を認識できた。
 辺りには、その祠の残骸を何十倍にもしたような、広大な焼け跡があった。これが我々を永年苦しめてきた一家の最期の姿。酷く呆気ない、そんな心持がした。
 そんな中、二人の若い男女が、祠の前に立っていた。彼らの吐息が、丁度煙のように空に踊る。
 暫くして、女の子の方が膝を突き、地面にうずくまる。震える彼女。彼女の嗚咽が此方まで聞こえてくることは無い。けれどもその様は、私の胸を引き裂くには充分なものであった。
 それは彼女の傍で控えていた男の子にとっても同じ事だったのだろう。彼は彼女の傍に座り込むと、小さく震える彼女を優しく抱き留める。
 その後、彼女の喉から小さく漏れる微かな泣き声。その声はすぐに大きくなる。彼女は、小さい子供のように泣き始める。けれども、その悲鳴は子供のそれの様に、邪気が無いものではない。幾星霜にも渡って彼女の中に押し込められていた、怒りや悲しみ、呪詛や後悔。そんな感情が、どろどろに混じり合った、悲痛な哭声。
 私はその声が、雪の空に消え去ってしまうまでの間、その目を閉じてずっと聞いていた。眉根を寄せながら、胸の内に重苦しい何かを抱えながら。


 二人がここを離れる前に、私は音も立てず、石段に戻る。そして、一段一段噛み締めるように慎重に降りて行く。
 石段を降り切ろうとした時、声がした。
「やはー」
 長い髪を左に二つ括った女の子が、私の前に居た。それは嘗てのルームメイト。そして祠の前で泣いた、あの女の子の片割れ、三枝葉留佳だった。
 彼女は緊張を押し隠すような、作り物めいた明るさで私に話し掛ける。
「あれ? 寮に居たときと雰囲気が違いますネ」
 彼女が私の頭を指差す。
 今の私は、長い髪を纏めてシニヨンにしている。確かにあの学校に居た頃は、そんな髪型なんてしたこと無かった。いつも野暮ったく、肩の高さで二つに括っていただけだった。
 私はあの頃、出来るだけ地味にするように努めていた。それは自分の持つ役割故か、それとも彼女達に自らの胸の内を知られまいとした為か。
 だけど今や、その必要も無かった。自分本来の、自分の好きな姿で、彼女の前に居た。
「あぁ、貴女こそ。空気が読めないから、お二人に付いて来るのかと心配していたのですが。察することが出来る程度には頭が良くなっていたのですね」
「やはは、酷い言われ様ですネ」
 彼女は明るく笑うと、すぐにその表情を変えた。上目遣いに私を睥睨する。それは以前、自分の姉に向けていた視線。
「で、私に何か用? 私にだけ別に連絡をくれるなんて」
「この寒空の下でお話しても構いませんが、ここでお二人とお会いするのは好ましくないのでは? どこか落ち着けるところにでも行きましょうか?」
 葉留佳さんは、歯を剥き出しにし、馬鹿にしたような口調で同意する。
「……おっけー」


 温かで弛緩した空気。程好い喧騒。そして紅茶の香り。
 葉留佳さんと私は、街まで降りて行き、そこで目に付いた喫茶店に這入った。そこでコートを脱ぎ、一息つく私達。
 カップに注がれる濃い澄んだ赤色。壁のベージュ色。温かさと優しさを想起させる色の組み合わせ。
 しかし、喫茶店の隅に陣取った私達の席からは、寒々とした空気が流れていた。葉留佳さんは紅茶を一口口にしただけで、その後は無言で私を睨み続けている。
 元よりそういう間柄だ。今更気にすることも無い。
「今回、貴女方をあそこにお呼びしたのは、私達の行った一連の出来事の結果をご報告するためです。因みに、貴女は石段の上をご覧になりましたか?」
「見たよ。お姉ちゃん達が来るよりも前にね」
「そうでしたか。如何でした?」
「私は佳奈多とは違うから、ざまあみろってぐらいにしか思わない。そんな私でも、ああ、やっと終わったんだって、そう感じたよ」
 葉留佳さんは、そこで少し優しい目をした。口角が、僅かに持ち上がる。
「それにしても、あいつ等から奪い取った屋敷を丸ごと焼いちゃうなんて。よっぽど、あんたらはあいつ等の事、嫌ってたみたいだね」
 私はそこで、手持ちのバッグから一枚の新聞のコピーを手渡した。
「そんな事したら、警察に捕まってしまいますよ。あの屋敷と祠を焼いたのは彼ら、二木家自身です」
 その記事は、地方欄の隅にひっそりと載っていた。きっと、殆どの人間が読み飛ばしてしまうことだろう。仮にどこかの物好きが読んでいたとしても、次の日には忘れてしまうような、そんな内容だった。見出しにはこう書いてある。


 元会社社長、自宅に放火 心中目的か
 一家全員焼死


「流石、三枝の当主。立場も資産も失うのであれば死を選ぶとは、天晴れなものです。とはいえ、あそこは既に彼らの会社同様、私達の持ち物。勝手に火を点けられても困ります。まあ、家の調度品は全て回収していましたし、屋敷自身にそれほど資産価値が無かったので、大した痛手では無かったのですが」
「……あいつ等、死んじゃったの?」
「ええ、全員。黒焦げになってはいましたが、歯型で本人達であると確認が取れています。……ご覧になります?」
 私はそう言うと、カップに口を付ける。葉留佳さんが顔を青くしているのが目の端に映った。
「嬉しくないんですか? それとも、二木家には興味が無い? 貴女には、こちらのほうが気に入るかもしれませんね」
 そう言うと、私は写真の束を葉留佳さんに手渡す。
 その一枚の写真を見た瞬間、彼女の顔が曇った。
 私は口角を上げ、三日月を形作る。
「三枝本家の人達の成れの果てです。まぁ、三枝本家だった、といった方がいいのかも知れません」
 それは駅で寝泊りするホームレスの姿だった。元来仕立てが良かったであろう着衣。しかし、写真の中では垢と埃に塗れ、見るだけで異臭が感じられるような、そんな有様だった。ホームレスの顔をアップで撮った写真もある。服と同じく垢で真っ黒になっており、髭は伸びるに任せたままになっていた。
 そんな彼の姿を何枚も何枚も執拗なまでに捉えていた。駅の床にダンボールを敷き、汚らしいダウンのコートを布団代わりに眠る彼。何処で手に入れたのかも分からない弁当を貪る彼。街を行く、サラリーマンや主婦など普通の人々の中に混じって大きなボストンバッグを背負い、何処へとも無く歩く彼。
 それらが、三枝本家全員分。まさしく写真の束と言える量があった。
「別に彼らに何をしたわけでも無いんですよ。ただ、彼らの会社や個人の借金には連帯保証人として二木家の人間の名前が記載されていた。それだけのことです」
 つまりはこうだ。元来、三枝本家は債務者区分としては破綻懸念先となっており、二木家の(正確には二木家の経営していた会社の)信用力によって辛うじて保たれていた。それが今回の一連の騒動により、二木家は会社から放逐され、個人名義にしていた資産さえも身ぐるみ剥された。これにより、二木家の信用力がゼロとなり、三枝本家の債務は信用不足となる。そうなると、債権者は追加の担保或いは保証人を三枝本家に対して要求するわけであるが、今の彼らにそんなものは存在しない。そこで、債権者によって債権の全額返済を要求、つまり貸し剥しが行われる。
 そんな風にして、三枝本家は二木家の破産に連鎖する形で、全てを失うこととなった。
「彼らは二木家とは違い、生き恥を晒す事を選んだようですね。如何でしょう? 彼らの没落しきった姿を目の当たりにして、気分は晴れましたか?」
 私は馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
 葉留佳さんは不機嫌そうな顔をし、まるで汚らわしいもののように写真の束を私に押し付ける。
「いいよ、別に。こんなもの見たかったわけじゃない」
 その言葉に、私は目を細める。
「あら、ではもっと酷い目に遭っている写真が欲しかったのですか? でしたら、そこいらにたむろっているガラの悪い人達にお金でも掴ませて、彼らに暴行でも加えさせましょうか? それとも、彼らの頭部をお盆の上に載せて恭しく貴女の前に差し出しましょうか? 早く教えてくださいよ、どうすれば貴女の気が済むのかをねぇ!」
 早口で捲くし立てる私。
「だから、もういいったら!」
 葉留佳さんが大声を上げる。刹那、静まり返る店内。
「あ……ごめん」
 口ごもる葉留佳さん。私はそれを驚くことも無く見つめる。
「私は、もうあいつ等を恨んでなんかいないよ。今の、佳奈多が傍に居て、両親達が居て、皆が居る。それだけで充分なんだ」
 私は一つ溜息を突くと、眉根を寄せ、自分でも不気味なくらいな優しい猫撫で声を出す。
「そうですよね、被害者で居た方が貴女にとっては都合がいいですものね。悪いのは全部自分以外の誰かで、自分は何も悪くない。――でも、もう貴女は加害者の一人なんですよ」
 ほら、その証拠に。
 私は、もう一枚の写真を渡す。次の瞬間、葉留佳さんが鬼女の形相で私を睨んだ。
「お医者様はどう言われたんでしたっけね。確か、傷が出来てから時間が経ち過ぎているから、完全に傷跡を無くすのは難しい、でしたっけ?」
「…おまえっ……」
 写真に写るのは佳奈多さんの背中と腕。白い膚の上を這い回る、無数の赤黒い百足。虐待の証拠。正直、私ですら正視するのが躊躇われる代物だ。渡す時も極力視界に入れないようにした。
 けれども私は、そんなことを葉留佳さんに悟らせるつもりは無い。テーブルに乗り出している葉留佳さんを前に、私は不敵な笑顔を絶やさない。
「ありがとうございました。これのお陰で親権を取り戻すのもやり易かったです。……そういえば、撮るの大変だったようですね。看護師の方と貴女と、貴女のお母様の三人がかりで暴れる佳奈多さんを押さえつけて……ねぇ?」
 乾いた音が店内に鳴り響き、私の顔が右を向く。頬が熱くなる。
 流し目で左を見ると、葉留佳さんが峻烈な怒りを宿した目で私を睨んでいた。右手は先程私を殴った平手のまま。彼女は私の胸倉を掴むと、自分の方へと引き上げる。腰が浮き上がり、立ち上がってしまう。
「なんで、アンタにそんなこと言われなきゃなんないのよっ……!」
 彼女の押し殺した声にも私は臆することなく、冷たく笑いながら答えてあげる。
「確かに、裁判で使うから証拠写真を撮ってくれとお願いしたのは私です。では、私が悪いんですか? そもそも傷跡が無ければ私もこんなこと言わなかったんですよ。じゃあ、誰が悪いんでしょう? 二木家の人間? それだけじゃあないんじゃないですか?」
 そして一拍置いた後、私は地の底から聞こえてくるような低い声を絞り出す。
「あんたらだよ。あんたと頭の悪い両親達が、佳奈多さんの一生を台無しにしたんだよ」
 私は、胸倉を掴む葉留佳さんの腕を取ると、逆に自分の方へと彼女を引き寄せる。額と額がぶつかる。
「知ってました? あんたらが生きてるってだけで、佳奈多さんがどれだけ苦しんできたのか。彼女がぐしゃぐしゃにされている間中、あんたらは自分を省みずのほほんと被害者面してるだけ。それなのに、今更になって彼女を助けたいですって?」
 私は甲高い笑い声で笑う。そして、押し殺した、唸るような声で。
「笑わせんなよ」
 葉留佳さんを突き飛ばす。彼女はシートに深々と座り込むと、顔を真っ青にして呆然としていた。
 私は店内をゆっくりと見渡す。一部の客が驚いた表情で私達の方に顔を向けている。ウェイトレスが一人こちらに向かってくるのが見えた。
 私はゆっくりと息を吐くといつも通りの笑顔を作り、ウェイトレスに向かっていつもの口調で話し掛ける。
「すみません。お会計、お願いします」


 温かい喫茶店から出た所為か、外が一段と冷たく感じられた。二人分の白い息がもうもうと、空に上がっては消えていく。
 私達は無言のまま、駅への道を歩いていく。
 冷たい風が、私の頬を冷たくする、頭を冷やしてくれる。自分が熱くなっていた事に驚きを感じた。柄にも無い。
「……出過ぎた事を言ってしまいました。申し訳ありません」
「私こそ、ゴメン」
 私達は互いを見る事も無く、駅へと辿り着く。
「次の電車まで時間がありますね」
 目の前の時刻表ではあと十五分程度待たないといけないようだ。
「あそこで待ちましょうか」
 私の指差した方向には電車待ちに使う待合室。こんな地方都市の駅だから、電車を利用する人も少ない。待合室に人は居なかった。
 引き戸を引き、私達はそれほど広くない待合室に這入る。それぞれ離れた席に座る。座って、体が室内の温度に慣れてきた頃、私は口を開いた。
「……念の為断っておきますけど、これで終わりじゃあないんですよ。貴女達も、私達も。寧ろこれからが大変なんです」
 そう。私達は戦いに勝った。そしてそれぞれが欲しいものを手に入れた。けれども、その為に失ったものもある。私達はそういったものを今後どうするか、そんなことに腐心しなくてはならない。それは、軍資金のために膨れ上がった債務であったり、奪い取った会社の再建であったり。
「ご両親達の仕事、見つかるといいですね」
「うん。あと私達、春になったら転校するんだ。学費の掛からない公立に」
「……でしょうね」
 私は溜息をつく。こんなとき、私は酷く虚しい気持ちにさせられる。負けて苦し、勝てども苦し。
 私がそんな物思いに耽っている中、ぽつりと葉留佳さんが呟いた。
「今だから言っちゃうけど、私アンタのこと嫌いなんだよネ」
「あぁ、それは良かった。別に私は、貴女に好かれる為に生まれてきたわけではないので」
「……嫌いだけど、今回のことについてはありがたいと思ってる。佳奈多を、お姉ちゃんを助けてくれて、ありがとう」
 葉留佳さんは立ち上がると私に向かって深々と頭を下げる。暫くそうした後、彼女は顔を上げ、私を見つめる。
「でもさ、ずっと気になってたんだ。どうしてアンタは佳奈多を助けるのに協力してくれたの? 二木家と三枝家を潰すために利用したって聞いてたけど、何か違う気がする。何か隠してる気がする」
 葉留佳さんは困惑した表情を浮かべ、言葉を選んでいるようだった。おずおずと私に訊いてくる。
「違ってたら、笑ってもいいよ。佳奈多のこと、……好きだったの?」
 私は目を瞑る。私の中で何とも言い難いもやもやとした、そんな思いが去来する。今、彼女に言ってしまおうか。私の胸の内を、佳奈多さんに抱いた感情を。全てを曝け出してしまえばどれだけ楽だろう。
 しかし、私はこれまでずっと騙し続けた。彼女達だけではない、二木家の人間も三枝本家の人間に対しても。私が本当のことを言ったことなど殆ど無いし、これからだって無い。
 暫くして目を開けると、私はそっと立ち上がる。ゆらゆらと葉留佳さんの方へと足を進めると、葉留佳さんの頬に手を添えた。彼女の耳元に唇を近づける。吐息が彼女に聞こえる程の距離で、私は囁いた。
「佳奈多さんには直枝さんが居ますしねぇ。代わりに貴女、私と付き合いません?」
 一歩、後ろへと下がる。さらりと彼女の髪を触りながら、彼女の頬から手を離す。葉留佳さんは目を見開いて唖然とした表情で私の方を見ていた。その間抜けな顔に笑いが込み上げる。私はわざと甲高い笑い声を上げると、嫌らしい笑みを浮かべる。
「あははっ、冗談ですよ。貴女では佳奈多さんの代わりなど到底出来はしないのですから。それに、私にとっては自分だけが可愛いんですよ」
 葉留佳さんが顔を紅潮させているのを横目に、私は待合室の外を見た。
「さてと、出ましょうか」と、何事も無かったかのような顔で言う私。
 電車が、ホームに這入ってくる。


「それでは、直枝さんに例のお話、お伝えくださいね」
「いいよ。まず、佳奈多にアンタのことは伝えないこと。そして、佳奈多を幸せにしないと殴り込みにいくよってこと、でしょ?」
「ああ、ちょっと違いますね。祠の主と同じ目に遭わせますよ、ですね」
 私はホームで、葉留佳さんは電車の入り口で。互いに向かい合って話をする。
 私が冗談交じりに、ウチは何十年も同じ相手を恨み続けた家系なんで執拗さには定評がありますよと笑いながら言うと、葉留佳さんが顔を引きつらせていた。
「本当に、佳奈多に会わないでいいの?」
 葉留佳さんの言葉に、私はつい優しい表情を浮かべてしまう。
「ええ。貴女達とももうお会いすることは無いでしょう」
 電車の発車を知らせる合図がホームに鳴り響く。
 それでは、と言い残すと同時に、電車のドアが閉じられた。ゆっくりと、電車が動き始める。
 私は、電車が見えなくなるまでホームで立っていた。そして見えなくなったところで、私は歩き始めた。彼女達とは違う方角、異なる道へと。


 気付けば、私は祠の許に戻っていた。そこには私一人。佳奈多さん達が帰ってしまって久しいのだろう、彼女達の足跡も、降り続ける雪に覆い隠されていた。
 私は、雪の下に埋もれた瓦礫を蹴り上げる。焼け焦げた黒と雪の白が宙を舞い、雪のキャンバスの上に黒い点を描く。
 見上げると、灰色の空から降りしきる白い雪の粒。そんな中、私は一人呟いた。
「佳奈多のこと好きだったの? ……か」
 私は笑う。葉留佳さんの滑稽な想像に。彼女の短慮さに。
「違うんですよ。そんなのとは」
 二木佳奈多。もう親権が戻っているから三枝佳奈多か。
 彼女は、私自身だ。


 私の生まれ育った環境も、佳奈多さん達姉妹と大して違いは無かった。
 両親は朝から夜中まで働き詰めで私を省みず、私は祖父の許で育てられていた。
 その祖父の世代こそ、三枝本家や二木家から特に酷い扱いを受けていた頃であり、その時の怨恨ためか、彼は心を病んでいた。
 祖父は幼い私に、私達の家の苦渋の歴史を偏執的なまでに繰り返した。そして力と勝利だけが全てであり、それ以外は唾棄すべきものだと教えた。祖父が床の中で狂死するまでの長い揺籃期、それは情操教育とは程遠い、洗脳紛いの躾を施され続けた、惨めで愚かしい、そんな時期だった。毎日何時間も竹刀を握らされ、失神するまで祖父の竹刀を全身に浴びた。勉強も周りの子達よりも何ヶ月分も前倒しで予習させられた。学校で教えないような高度な内容も無理矢理勉強させられた。あの時期のことは、余程思い出したくなかったのだろう、殆ど記憶が無い。
 そうやって、一日一日を生き長らえるように過ごしてきた。祖父を、私の事を見てくれない両親を、そして自分の境遇を恨みながら。
 やがて、体も大きくなった所為か、それとも祖父が衰えた所為か、私は剣道で祖父を打ち負かす事が出来るようになった。それでも、祖父は私に竹刀を振る事を止めさせなかった。彼は自分の体を竹刀で打たせながら、苦しそうにこう言った。負けた人間に手を差し伸べるな、差し伸べたら自分が引きずり落とされる。生きていたければ、負けた人間を踏み付けろ。痩せこけた顔で歯を剥き出しに笑うその姿は、不吉な骸骨の人形を思わせた。私は、その顔を見るのが厭で何度も何度も祖父の頭を竹刀で殴り続けた。祖父が逝く、一年程前のことだった。
 幼少の頃は毎日、何も考える事ができないほど打ちのめされて一日が終わるとただ眠るだけだった。しかし、その頃になるとそんな生活に慣れてしまい物事を考える時間が生まれた。
 けれども、私には何も考える事が無かった。生まれた時から、自分の人生も決まっていた。両親の仕事を手伝いながら生きてゆき、いつかはそれを継ぐことになるのだろう。三枝本家や二木家を凋落させるその日を、虎視眈々と窺いながら。
 気付けば私には何も無かった。ただただ、あの祖父が浮かべたような骸骨の笑顔を浮かべ、自身が本当に骨になるまで他人と争い続ける。その笑いは誰に向けられるものか、争う相手か。争うしか能の無い私自身か。それだけが私の人生なのだと、そう思った。
 だからなのだろう、私はクラスの他の子達を見るのが厭だった。彼女達の屈託の無さが私を苛々させた。彼女達が持っている色々なものが羨ましかった。如才なく彼女達と付き合いながら、腹の底では彼女達を馬鹿にし、妬んだ。踏み付けてやりたかった。


 環境は同じだった、寧ろ佳奈多さん達の方が酷かった。それなのに、佳奈多さんは私よりも遥かに人間らしかった。
 佳奈多さんは優しかった。二年の途中からルームメイトになった小柄な女の子に対して、本当の妹のように、いや、まるで自分の子供のように接していた。それに、最後まで葉留佳さんを見捨てなかった。そのために自分がどれだけの重荷を抱える事になっても、葉留佳さんから礼など言われず、寧ろ罵詈雑言を浴びせられる結果となっても。
 それに佳奈多さんの周りには、いつも彼女を守ってくれる優しい人たちが居た。女子寮長や来ヶ谷さん。最近では直枝さん達。人によってその形は異なっていた。ある人は冗談交じりに彼女をからかいながら、そっと彼女の肩の重荷を取り去った。ある人は蹲る佳奈多さんに手を差し伸べた。別にそうすることで自分が得になるわけでもない。それでも、まるでそれが当然のことのように自然に彼女を支えていた。
 私は困惑した。どうして、彼女は私なんかよりも遥かに多くのものを持っているのだろう。自分よりも酷い境遇に居たはずなのに、これでは辻褄が合わないではないか。
 しかし不思議な事に、彼女に対して嫉妬することはあっても、彼女を傷付けようとは思わなかった。初めのうちはその理由が分からず、ただ心乱されるだけだったのだが、彼女と同じ部屋で暮らし始めて数ヶ月程経った頃には薄々と気付き始めていた。
 私は、佳奈多さんの中に自分を重ねていたのだ。彼女は、今まで生きてきた中で、私が失くしてしまった私自身。いつの間にか自分で手放してしまった、私が望んだはずの、優しい少女時代の私の姿。
「ああ、そうか……」
 私は焼け焦げた木片を、ブーツで踏みにじり、周りに積もった雪を真っ黒にしながら、ぽつりと一人呟いた。
 気付いてしまった。今まで佳奈多さんに触れようとしなかった理由。もう二度と、彼女と会おうしない理由。
 私は恐ろしかったんだ。佳奈多さんが私のようになってしまうことが。私が大切にしていた綺麗な私の半身を、醜悪な私自身で塗り潰してしまうことが。
 私は顔を上げ、未だ雪降る空を見つめた。真っ白な雪が、深々と私の視界を白く灰色に包んでいく。空気が寒々しく、鼻の奥が熱くなる。雪の粒が私の頬に当たって、雫となり、頬を伝って落ちて行く。
 私は、佳奈多さんになりたかった。
 けれど、私は知っている。私は最早後ろには戻れないことを、立ち止まる事も許されないことを。私は髑髏(カラベラ)人形のように笑いながら、前へ前へと行進していくしか術がない。
 だから私は、私自身を諦めた。
 顔を下ろし、真っ直ぐに焼け跡を見据える。雪が黒い焼け野全体を、うっすらと白く覆っている。私は、誰も足を踏み入れていない雪肌の上を歩く。さくさくと小気味のいい音を立てて、雪が私の足元で潰れていく。溶けてゆく。
 森閑とした雪景色。綺麗なものも醜いものも、雪は全てをその美しい白で覆い隠す。しかし、この景色も今だけのもの。やがて雪が止み太陽が照らせば、また以前の戦場跡に戻るのだろう。


 けれど、佳奈多さんが今のまま、優しい人々に囲まれて、幸せに過ごせるのなら。
 それだけで、私は救われる。それを糧に、私は安心して歩き続けられる。この荒涼とした焼け野が原を、下らない人生を。
 私の人形の糸が切れる、その瞬間まで。


[No.688] 2010/03/13(Sat) 18:37:59

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