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極彩色の夢 - 最後の秘密@15600 byte - 2010/03/20(Sat) 18:54:13 [No.716]
うれしはずかしはじめての - マル秘@11322b また遅刻 - 2010/03/20(Sat) 01:24:58 [No.714]
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苦手な食べ物の克服の仕方 - ヒミッ:3532byte - 2010/03/18(Thu) 23:50:32 [No.710]
二次元 - 秘/2272byte - 2010/03/18(Thu) 23:44:37 [No.709]
ラブリー・ラブリー・マイシスター - ひみつ@29894 byte - 2010/03/18(Thu) 23:35:46 [No.708]
青春の駆け脚 - ひみつったらひみつ@4182byte - 2010/03/18(Thu) 23:26:06 [No.707]
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スタートライン - ↑の題名書くの忘れてたorz - 2010/03/18(Thu) 23:12:00 [No.706]
壁の向こう側 - ひみちゅっちゅ@29335 byte - 2010/03/18(Thu) 21:50:58 [No.704]
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終焉を綴る者 前編 - ひみつ 60629 byte - 2010/03/18(Thu) 01:19:49 [No.701]
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願いが叶った未来 - 秘密なのです@8095 byte - 2010/03/18(Thu) 00:01:18 [No.699]
夢は… - 秘密@10578 byte - 2010/03/17(Wed) 23:50:28 [No.698]
この世界の正しい使い方 - 秘密@4175 byte - 2010/03/17(Wed) 23:48:16 [No.697]
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それはとても晴れすぎた空 (No.682 への返信) - 16592 byte

私たちのベッドには きっと ほのかな匂いがこもり、
長椅子はお墓のように深々として、
見たこともない花が棚に飾ってあるでしょう、
もっと美しい空の下で私たちのために咲いた花が。
(ボードレール 安藤元雄・訳 『悪の華』)




 足音が聞こえる。冷たい廊下に高らかに響く。
 私は息を潜めて、ベッドの中で耳を澄ませる。足音が私の部屋で止まってしまわないように願いながら。処刑の決行を怖れながら。
 足音が私の前を通る。そして、過ぎていく。
 まだ私は生きていてもいいんだ。今日は、まだ――。


 カーテンの隙間から漏れる光を受けて、私はのっそりと起き出した。
 部屋はむせ返るような匂いが立ち込めていた。ミントと、柑橘類の香り。私たちが混じり合った匂い。隣には妹の姿。
 こんなに幸せな朝なのに、どうして私はあんな夢を見たのだろうか? どうしてこんなに不安なのだろうか?
 ベッドの上でそんな物思いに耽っていると、枕元で声がした。
「……ん、お姉ちゃん、今何時?」
 葉留佳が半ば夢心地で、歌うような声で話し掛ける。そんな妹を見て、私の頬はだらしなく緩んでしまう。
「十時半よ」
「ありゃ、またぶっちぎりの遅刻じゃないデスか。私はともかく、お姉ちゃんは出なくていいンですか?」
「別に構わないわ。どうせ誰も咎める人なんて居ないのだし」
「おおぅ。鬼の風紀委員長とは思えない発言ですネ」
「鬼とは何よ、鬼とは」
 私が握り拳を振り上げて威嚇すると、葉留佳は「ひいぃ」とか情けない声を出す。そんな様子についつい笑い声を出してしまう。葉留佳もそれにつられて笑う。
「さて、少し遅いけど朝食にしましょうか」
「ねぇ」
 私が立ち上がり、服を着ていると、葉留佳がベッドから暗い声を出す。
「なぁに?」
 私が振り返ると、葉留佳は伏目がちにこう言った。
「今日も、行かないの? あの日から私達、ずっと学校に行ってないよ」


 味噌汁の良い匂いが鼻腔をくすぐる。
 私達は二人で使うには大きすぎるテーブルで朝食を摂る。ご飯に味噌汁、卵焼きに鯵の開き。これで海苔と納豆でも付けば、さながら旅館の朝食だ。
 正直に言うと、私は食が細い方で目の前の食事に対してさして食欲を感じていない(自分で作っておきながら)。だけど、葉留佳がそれを美味しそうに食べているのを見ると、作った甲斐があったと感じる。この子がまともに食事を取ることが出来るようになったのは、寮に入ってきてからの事。だから、この子にはせめて美味しいものを食べて欲しかった。それが例え、夢の中の仮初のものであっても。
「佳奈多」
「え? 何?」
「イヤ、すんごいぼんやりしてたから」
「あ、ええ。いえ、葉留佳の箸使いがあまりに下手だから、よくそれで食事が出来るなあと感心してたの」
「ひどっ! 何か良い事でもあったみたいな顔してたから、はるちん訊いてあげたのに。その言い草は無いっすよ」 
 私は、そんな妹の仕草に笑い声を上げる。こんな日々が来るとは、思っても見なかった。ただただ平凡な食事風景。それでも、私にとっては酷く幸せなものだった。
 食事を終え、食器を流しに運ぼうと腰を浮かせた時。葉留佳が私に話しかけた。
「でさ、さっきの話」
 見ると、葉留佳が真面目な表情で私を見つめていた。目と目が合う。その視線に、思わず目を逸らしてしまう。
「やっぱりおかしいよ。お姉ちゃんからあんな事言い出すなんて。学校なんて行かず、家でゆっくりしようなんて」
「おかしいかしら? 私は合理的だと思うけど。何度も同じ授業受ける必要なんて無いわ」
「それはそうだけど……」
 私は再び椅子に座ると、両腕をテーブルに預ける。
「直枝に、会いたい?」
「え……?」
「分かるわよ。双子なんだし」
 嘘だ。双子だから分かる、なんて陳腐な言葉が自分の口から出た事に驚いた。何も言わずに分かり合えていたら、そもそもあの時の私達も無かったはず。
「……うん、そうだよ。佳奈多の言う通り」
「でも、会ってどうするの? 今の直枝の傍には、他の子が居るのに」
 その言葉に、葉留佳は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
「うん、わかってる。わかってるんだけど……それでも、会いたいの」
「それで? あなたは他の子の邪魔をするの?」
 葉留佳が目を大きく見開いた。テーブルに両手を突いて、立ち上がる。
「そんなことしないっ」
「何もしなくとも、あなたが好意を持って直枝に近づけば、他の子はどう思うかしらね。……つまりはそういうこと。居るだけで邪魔なのよ。もう、私達に出番は無いのよ」
 それを聞いて、葉留佳は黙り込んでしまう。
「ねぇ、葉留佳。あなた、今の生活が不満?」
「え?」
 葉留佳は私の言葉の意味を理解しかねているようだ。辺りを彷徨う瞳がそれを物語っていた。
「私は満足しているのよ。あなたとこうして生活をする。それだけだったら一年のときでも寮でやっていたけど、あのときは『一緒』じゃなかったもの」
「佳奈多……」
「私では、駄目なの?」
 私はゆっくりと葉留佳の腕に手を伸ばした。きめの細かい肌を、私の指が滑る。少しひんやりとした葉留佳の腕。私はこの手を、放したくない。


 何もしないで一日を過ごす、なんてことを体験した事が無かったから、時間を持て余すに違いないと思っていた。
 けれど、意外にも時間というものは素早く過ぎ去ってしまうものだ。私は開け放った窓から差し込む夕日を見ながら一人、そう思った。
 葉留佳はちょっと気分転換に、と言って外に出てしまった。もしかしたら学校に向かったのかもしれない。そう一瞬思ったが、あの子は何も持たずに出て行ったから、そうではは無いだろう。暗くなっても戻らなかったら、電話すればいい。
 それに、あの子の身も心もこの家に縛り付けるなんて無理な話だ。そんなことをすれば、逆効果になってしまう。
 私は読んでいた文庫をベッドに置くと、窓際に向かう。そして、窓を閉めたとき、窓に映る自分の姿が見えた。
 何故か、無性に笑いが込み上げてくる。
 縛り付ける、か。
 今の私は、あの時の来ヶ谷さんだ。


 あの、繰り返される六月二十日に、私は一人来ヶ谷さんに会った。
 それは放送室で。あの時私は窓越しに、止まない雨を見ていた。
「……どうした。佳奈多君。こんなところまでやってくるとは珍しい」
 来ヶ谷さんはパイプ椅子に腰掛け、気だるげに話していた。
「あなたに訊きたい事があって」
「ほう、何だ? 私が答えられる内容であれば答えてもいいが」
「来ヶ谷さん。あなたはここで、何がしたいんですか?」
 その言葉に、来ヶ谷さんの眉がぴくりと動いた。
「どんなに終わらせないように同じ一日を繰り返しても、いつか必ず、終わりはやってくる。それに、いくら終わりを先延ばしにしても、肝心のあなたが彼を好きだったことを忘れ続ける。そんなの、不毛だと思わないんですか?」
「不毛ね……」
 彼女は立ち上がると、窓際に立ち、窓越しに外を眺めた。
「やけに突っかかるな。どうした? 何か自分にも心当たりでもあるのかな?」
「話を逸らさないで下さいっ」
 振り向くと彼女は窓にもたれ掛かる。彼女の瞳には、いつもの芯の強さ、優しさなどは見られず、ただただ触ると折れてしまいそうな、そんな儚さだけが漂っていた。
「そうだな。君には話してもいいかもしれないな。知り合いの中では、君との付き合いが一番長いしな」
 来ヶ谷さんは暫く考え事をするように目を瞑る。そして、うっすらと目を開くと唇を開いた。
「何がしたいのか、か。ふふ、そうだな。このまま行けば、近いうちに理樹君は全てを終わらせてしまう。本当は誰もそんなこと望んでいないのに。けれど誰もそれを止めようとしないから、仕方なしに私がやっているだけのことだ」
「来ヶ谷さん。自分で言ったはずです。私とあなた、付き合いが一番長いと」
「ふむ」
 そう言うと、来ヶ谷さんは笑う。その笑い声が痛々しい。
「私は、出来るだけ長く、理樹君に私のことを好きでいて欲しいだけなんだよ。例え、私自身がそのことを忘れてしまってもね」
 そう答える彼女はとても辛そうだった。それと同時に酷く幸せそうだった。
 まともじゃない、そう感じたが不思議と違和感は感じない。それはきっと、そもそも此処がまともな世界でないからなのだろう。
「私のシナリオが終わってしまえば、理樹君は私の方など見てくれなくなる。それが怖いんだ。まあ、結局私は、自分の我儘で理樹君の心をずっと縛り付けているだけなんだよ」
 いつかは返さないといけないのだがな。そう呟きながら、雨を背に、笑顔を浮かべる来ヶ谷さん。彼女のこれまで見せた事の無い、その笑顔が美しかった。


 お風呂から出て、パジャマに着替えた私は、その足で葉留佳の部屋へと向かう。
「葉留佳。入るわよ」
 部屋からあの子の声がした。扉を開けると、葉留佳はベッドに腰を下ろして雑誌を読んでいた。
 ――日も暮れて、私がそろそろ連絡を入れたほうが良いかと思った丁度その時、葉留佳が戻ってきた。あの時、どれだけ私は葉留佳を殴りたかっただろう。抱きしめたかっただろう。その気持ちを押し殺し、平静を装うのは想像以上に辛かった。
 私は出来るだけ優しい声を出す。
「ねえ、葉留佳。明日、どうする? 何処かに行く?」
「佳奈多、やっぱり学校行こう?」
 葉留佳は箪笥の方を指差す。その人差し指の先には制服が、掛かっていた。
「また、その話?」
「――いいの」
「え?」
「理樹くんに会わなくてもいいの。何処か遠くから理樹くんのこと見るだけでも……。ねえ、佳奈多。お願い」
 縋る目で私を見る葉留佳。
 私はその姿に逡巡する。暫く黙り込む私。開く唇が重かった。
「それで、いいの?」
「うん。理樹くんが幸せそうにしてる姿を見る事が出来るのなら、……その隣が、私でなくたって構わないんだ。それに、見ていたいの。私達リトルバスターズが居なくなっても大丈夫なくらい、強くなっている理樹くんを」
 私はスッと背筋が冷たくなるのを感じた。
「その言葉、忘れないでね」
「え?」
 私は身を翻すと、葉留佳の部屋を後にする。
 暫くして、私は自分の制服を持って、再び葉留佳の部屋に入った。ハンガー掛けに制服を掛けながら、独り言つ。
「どうせ、今日もここで寝るんだし、ここに置いておいた方が手っ取り早いでしょう?」
 葉留佳は私の言葉に当惑し、目をぱちくりとさせていたが、やがて小さく「ありがとう」と呟くと、優しい笑顔を浮かべた。


 真夜中。ふと目が醒める。隣からは葉留佳の穏やかな寝息。私はこの子の体温を肌で感じながら、窓の外、中空にかかる月を眺める。月の光はどこか青褪めていて、まるで私の頭上高く、泣いているように感じられた。


「ここよ」
 放課後。校舎の屋上。雲ひとつ無く、作り物のように不気味で綺麗な青空だった。
 私と葉留佳は人目を避けるようにひっそりと一日を過ごした。それは間違って直枝と接触しないようにと、私が念を押したから。
「これ、使いなさい」
「双眼鏡……?」
「ここから、家庭科部室を見てみなさい。そこに彼が居るわ」
「よく知ってるね」
 葉留佳は苦笑いをする。
 私は葉留佳に背を向けて、屋上から立ち去ろうとする。ドアノブを捻り、ドアを開いたところで、あの子の声がした。
「お姉ちゃん。何処行くの?」
「階段のところに戻っておくわ。あなたは好きなだけ見ていなさい」
「うん。ありがと」
 大きな音を立てて、屋上の扉が閉ざされる。


 葉留佳が戻ってくるまでの間、私はドアに背中を預け、煤けた窓からぼんやりと外を眺めていた。ガラス越しからでも、空は抜けるような青空で、飲み込まれるような恐ろしさがあった。外から聞こえる雀の囀りが辺りの静寂さを強調する。
 あの子がどんな顔をして戻ってくるのか、予想はついていた。私は、卑怯者だ。
 どうすればあの子が傷つくのか、なんてあまりにも簡単な事だった。私が傷つく事と同じ事をする、たったそれだけの事だから。
 やがて、ドアがノックされる。
「開けて、佳奈多」
 ドアを開けると、予想通りの顔をした葉留佳。私は屋上に上がり、再びドアを閉めた。
「どう? 直枝を見る事が出来た?」
「うん。居たよ。クド公と一緒だった……」
 無理やり笑おうとする葉留佳の顔が痛々しい。私はじくじくと湧き出てくるような胸の痛みに眉を寄せる。
 けれど私は、そんな葉留佳を更に傷付ける。
「それで、気は済んだ?」
「え?」
 葉留佳も私がこんな事を言い出すなんて思いも寄らなかっただろう。困惑した表情を浮かべる。
「あんたが何をしようと無駄なのよ。直枝はもう二度と、あなたを見る事はない。直枝は、残念だけどそういう存在なのよ」
 この言葉は、葉留佳に対する刃であると同時に、私に対する刃でもある。
 彼は葉留佳の、そして私のものではない。今、直枝の傍に居るクドリャフカのものでもない。所詮私達は直枝と棗さん、二人にとっての糧でしかないのだ。
 そう思うと、無性にクドリャフカの事が不憫に思われる。あの子もまた、知る事になるのだろう。その時、あの子はどんな顔をするのだろうか? 強がって笑顔を浮かべる姿が目に浮かぶ。
 そして、葉留佳。この子が何を考えてるのか、手に取る様に分かる。
 私はこの結果を見越して、わざと残酷な方法を選んだ。私は、最低だ。
「ねえ、葉留佳。どうして直枝なの?」
 葉留佳は苦しそうに、血を吐くように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「……理樹くんは、あの時の、嫌なヤツだった私に優しくしてくれた。私が辛いとき苦しいとき、ずっと傍に居てくれた。お姉ちゃんだってそうでしょう? あの時、理樹くんが居なかったら、確実に佳奈多はおかしくなっていた」
 私は葉留佳の言葉に驚いた。此処に来て私に話の矛先を向けるとは。深く考えた訳でも無さそうなのに。
 そこまで考えて、私は自分の間違いに気付く。そうか。私には葉留佳の考えが手に取るように分かるのと同時に、この子にも私の気持ちが分かってしまうのか。
 滑稽すぎて、腹の底から笑いが込み上げる。私も直枝のことが好きだと知っていて、私の前で直枝に対する好意を表す、そんな葉留佳の無邪気な残酷さに。そして、未だに私が直枝が好きだと思い込んでいる短慮さに。
 私がこのことに気付いたとき、感じたのは安堵だった。
 それまで、ずっと私は考え続けていた。直枝に惹かれている自分と、葉留佳と共に居たい自分。どちらが本物なのか。これまでの人生の中で葉留佳以外の人間など必要なかったのに、どちらも選べない自分が不甲斐無かった。悔しかった。
 だからあの時、自分の何処か大切な部分がごっそり抜け落ちた、そんな喪失感と共に酷く落ち着いた気持ちに囚われた。これで選ばなくて済む。それは消極的な選択ではあったけれど、葉留佳に対する感情を確固たるものにするのに充分なものだった。
「葉留佳……。莫迦ね。本当に、莫迦ね」
 私は葉留佳に背を向け、数歩離れる。
「直枝の傍に居るべき人間が誰なのか。そんなこと分かっているでしょう? それは、これから死んでゆくあなたではない」
 そして、他の子達でも、勿論私でもなく。
「これまでずっと同じものを分かち合い、そしてこれから同じ悲しみを分かち合う、彼女しか居ないのよ。あの子しか、直枝を癒してあげられないの」
 振り返ると、葉留佳は自分の腕を抱くようにして立っていた。細かく震えるその腕が、痛ましかった。
「あなたじゃないの」
 その言葉に、葉留佳はびくっと身を震わせた。その瞳が一杯に開かれる。唇が震えるのを押し殺そうとする。
 私はそんな葉留佳に一歩一歩近づいてゆく。
「けれど、私は最後まであなたの傍に居るわ。昨日の質問。もう一度言うわ。葉留佳、私では駄目?」
 私の手が、葉留佳の頬を撫でる。葉留佳の震えが伝わっていく。
「あなたの事を分かってあげられるのは、同じ苦しみを味わった私だけよ。あなたが寂しいとき、これから死んでゆく恐怖に耐えられないとき、ずっと傍に居られるのは私」
 違う。震えているのは、私だ。
 私は自分の手が放されるのが恐ろしくて、ただ無茶苦茶に言葉を発しているだけ。
「私を直枝の代わりにすればいい。だからお願い」
 葉留佳の肩を抱く。私の言葉は、最早懇願に成り果てて。私は、自分を止める事が出来なかった。
「私の傍に居て。葉留佳……」


 その日から、私達が学校に行く事は無くなった。
 私は、幸せだった。
 終わりに近づく事も、葉留佳を喪った後の事も、何もかもどうでもよかった。ただただ葉留佳と一緒に居られる。それだけで、私は十分だったのだ。
 けれど、時計の針は確実に進んでいて。
 やがて、その時がやってきた。
 それは涯てが無いと思えるほどに深くて、気味が悪いくらいに青い、あまりにも晴れすぎた、そんな朝だった。


 私達はその空を、家の庭から眺めていた。
 二人、手を繋いで。お互いが消えてしまわないように。
「とうとう、終わりだね」
「ええ」
 知らず知らずのうちに、葉留佳の手を握る力が強くなる。
「ねえ。葉留佳?」
「何? 佳奈多」
「どう、だった? 私との生活は」
「……うん、楽しかった」
 その言葉に、私の肩から力が抜ける。
 気が付けば、周りにあった物が全て無くなっていた。家も、電柱も、何もかも。
 下を向いたとき、果たして地面は存在するのだろうか? それを知るのが恐ろしくて、私は下を見る事が出来なかった。
「ねえ。こんなときにこんな事言うのは、反則なんだろうけど」
 空を見ていた葉留佳が視線を下ろし、私の顔を見る。
 それにつられるように、私も顔を下げる。
 私達は向かい合い、互いの双眸を見つめ合った。
「お姉ちゃん、理樹くん達のこと、お願いね」
 その言葉に私は口を閉ざした。奥歯を軽く噛み締める。この子は……。
「ゴメン。お姉ちゃんも辛いと思うんだけど、他に頼める人がいないからさ」
 葉留佳はばつの悪そうな顔をして謝る。
「直枝達は私が居ないと駄目になるくらい弱いままなの?」
「それは違うっ! 違うけど、それでも心配なの。だから……」
 私は口を真一文字に結んで黙り込む。そんな私を、心配そうな瞳で見る葉留佳。やがて私は重い口を開く。
「わかったわ」
「……ありがとう」
 その時の葉留佳の表情は、きっと忘れられないものになるだろう。それは慈愛に満ちた、ぞっとするほどに綺麗で優しい笑顔だった。
 気が付けば、葉留佳の体が所々、泡になって消えていた。その泡は、まるで海底から湧き出した気泡が水面に向かって上昇していくように、ゆっくりとゆっくりと、この青い空へと舞い上がっていた。
 私は焦って、葉留佳の肩を掴もうとする。けれども、目の前の葉留佳に私の手は届かなかった。すぐ其処に、鮮明に映っているのに、まるで蜃気楼のように、何処まで手を伸ばしても掴む事が出来なかった。
 そんな私を、葉留佳は何処か達観した目で見つめていた。
「じゃあ、もう本当に、お別れ」
 その様子を見て、自分も冷静さを取り戻す。そう、これはわかっていたことだ。
「ええ」
「じゃあ、さようなら」
「さようなら。またいつか、会える日まで」
「そうだね。会えると、いいね……」
 葉留佳はそう言って、私の前から、文字通り泡となって、消えていった。


 もう、足元に地面も無く。私は深海に浮かぶクラゲの様に、中空を漂っていた。
 葉留佳。ごめんなさい。
 私は、あなたに嘘をついた。今まで嘘をつき続けた私の、最後の嘘。
 私は自分の喉を撫でる。もう何もかも無くなってしまったけれど、滑らかな肌の感触は未だ残されていた。
 この喉が、幾度と無く血に染まったことを、私は忘れたことは無い。
 あの子が苦しみながら逝く度に、私は自分の喉を切り裂いた。あの子のため、そして私自身のために、真っ赤な花を捧げ続けた。
 そう、あの時から。葉留佳が逝った時にどうするのか、なんてことは決まっていたのだ。
 だから、あなたを喪う事も怖くはなかった。あなたを愛する事、ただそれだけに私の心を砕く事ができたのだ。
 私は葉留佳と一緒に居るためだけに存在していた。そんな私にとって、あなたが居ない世界に意味が無いの。だから。
 私は口角を吊り上げて、笑みを浮かべる。
 私は、幸せだ。とても、とても幸せだ。
 ――だから、葉留佳。私も行くわ。


[No.703] 2010/03/18(Thu) 01:44:47

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