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そもそもなぜ天井裏なのか。 我が母の呆れ果てるサーチスキルに業を煮やした僕がコレクションの隠し場所として天井裏を選んだのはさほど不自然でもなかろう。いやほんとヤバいんだって。例えば以前、積み重ねまくったガンプラの箱の一番下、試作3号機の冗談としか思えないバカデカいやつにブツをまとめて入れておいたことがある。重さでバレないように、上に積んである箱にも適当なものを入れておいたのだ。散らかりっぱなしの部屋も片付いて一石二鳥極まりない感じであった。まあとにかく、そんなもんを全部どかして最下層に配されたパンドラの箱を開けようなど、面倒でやってられないだろう。正直僕にとっても面倒だったはずである。毎晩のように使うものの隠し場所としては最悪の部類だっただろう。ところで「面倒だったはずである」やら「最悪の部類だっただろう」やら、一見すると奇妙な言い回しだが、これは結局僕がHGやらMGやらの箱をどかし、件のオーキスに格納したミサイル群をこの手で取り出すことが終ぞ無かったからである。問題の隠蔽工作を行った翌日、学校の帰りにファミマで肉まん買ってほくほくしていた僕の目に入ってきたのは、ベッドの上にうず高く積まれていたのであろう我がコレクションだった。「積まれていたのであろう」というのは、ベッドは無論弾力があるためにバランスを崩し、愛すべき塔は倒壊していたからである。せめて机の上にしてはくれなかったのか。まるで使った後片付けもせずに散らかしたままの子供のようではないか。さらに酷いことに、それら塔の残骸全てに付箋が貼られまくっており、「この子可愛い」「おっぱい大きくて羨ましい。ムキー!」「この子ふとましすぎ(笑)」「なんかこの子あやちゃんに似てるね(爆笑)」などといった書評が書き連ねられているのだ。なんたる、なんたる屈辱か! むしろこれは精神的凌辱と言っても過言ではなかろう! 実の母から凌辱されたのだ、僕は! 精神的に! 深く傷つき、悲哀に暮れた僕が、愛すべきコレクションを天井裏などという暗く狭く汚い場所に追いやらねばならなくなったこと、それ自体はまことに遺憾である。遺憾の意を表明したい! しかし、それで守れるものもある。僕には所有者として、彼らを我が母の魔手から護る義務があるのだ。 「…………ん…………っ……………あ…………」 そして天井裏から漏れ聞こえてくるこの妙にエロ艶めかしい声である。あとなんか物音。 一度部屋から出て階下へ向かう。リビングから明かりが見えた。声もする。母が録画していたらしいさんま御殿を見ていた。トークのテーマは「親子で気まずくなった時」だった。定番のベッド下のエロ本ネタで盛り上がっている。 「ん? どしたの? 一緒に見る?」 「や、喉乾いただけだから」 「ふーん」 そのまま2階に戻る。 「…………あ…………は…………ぁ…………」 母ではない。母ではなかったのだ……。 安堵の息を吐いてベッドの上に倒れ込んだ僕は、そのまま眠ってしまったらしかった。 カーテンを閉じるのを忘れていたことに気付いたのは、窓から差し込む朝陽で目が覚めてからだった。ベッドから下りてぐっと伸びをする。窓を開けるとひんやりとした空気が入ってきた。今年は残暑が長引いていたが、ようやく秋らしくなってきたものだなぁ。などと直訳した平安時代とかの短歌みたいなことを考えていると、背後でドアが開いたらしい音がした。 「え……起きてる……」 呆然とした声に振り返ると、声通りの呆然とした表情を浮かべる沙耶が立っていた。呆然とした顔、以外にうまい描写が見つからないぐらいに呆然とした顔だった。まあ間抜け顔ではあるが、それでも沙耶の可愛らしさは損なわれず、むしろ僕としては彼女の新たな魅力を発見した思いである。まさに小さいは正義。ニヤけそうになる顔をなんとかかっこよく整える。 「僕も驚いているさ。この僕が……こんな時間に起きられた、なんてね」 「……理樹くん、朝からそんなニヤニヤして……キモいよ……」 整ってくれていたのは台詞だけだった。いや、その、なんというか、真面目にショックなんですけど。なんで朝っぱらからこんな仕打ち受けないといけないの? この世界に神なんていない。いや、神はいる。そこで今さっき僕に酷いこと言った……神というか、ほら、あれだよあれ。女神。女神がいらっしゃる。ただ僕はその女神にキモいと言われただけだ。よかったこの世界に神はいる。いるんだ。その神が言っている。おまえキモいから死ねよ。ベッド下に常備しているわっか付きの注連縄を取り出す。 「死のう」 「えっ、えっ? あ、ち、違うよ、理樹くんキモくないよ! あ、そうじゃなくて、えーと、キモくても理樹くんは理樹くんだよ! だから死ぬなんて言わないでよ、ね、ね?」 焦って僕のほうに寄ってきて説得を始める沙耶が可愛すぎたので縄なぞ放り出して沙耶をぎゅっぎゅーってした。またキモいー!とか言われたけどもはや気にする僕ではない。沙耶は気になる人のことをキモいキモい言ってしまうキモデレ少女なのだ。違う。キモデレ美少女なのだ。ならば許さざるをえまい! ツンのないツンデレに意味がないように、キモいと言わないキモデレにも意味がないのだ! 「もっとキモいって言って!」 「理樹くんマジキモい!」 毎日のように聴くが、やはり沙耶の声は耳に心地良い。沙耶にキモいと言われると落ち着く。はぁ……ん。小柄な沙耶の身体は、ふにふにと気持ちのいい感触がした。おわかりいただけるだろうか。やあらかい。やあらかいぞぉ……。ぎゅっぎゅー。ああ、あとなんかいいにおいもする。すんすん。はぁ。すんすん。はぁ……。すんすん。くすんくすん。 「沙耶?」 「…………」 「い、痛かった? ごめんよ」 無論名残り惜しくはあるが、泣かれてしまってはもうどうしようもないので、などと僕が苦渋の決断を下そうとしていると、 「……なにやってるのよ、理樹くん」 と、僕を呼ぶ新たな声がする。面倒なタイミングで面倒なやつがきたものだなぁ、僕と沙耶がイチャついてるといつも間が悪く現れやがってこの野郎、なんか僕に恨みでもあんのか、けっこう心当たりがあるぞ、どうしよう、そして沙耶がすすり泣いているのに気付かれる。ひぃ。慌てて沙耶の身体を離す。ああっ、やあらかいのが……なんかすごく情けない形になってしまったのですけど。ごめんよ沙耶。次の機会にはもっとゆっくりしっかりぎゅっぎゅーってしてあげるから。 「沙耶……? 泣いてるの? どうしたの、理樹くんに何かされたの?」 「……理樹くんがね……キモいの……」 「ひぃん、沙耶ぁ、そんなこと言わないでよぅ。ふえええええん」 「気持ち悪い」 「地獄に堕ちろ」 「ひでぇ」 あやと沙耶はどちらかといえば仲が悪いのに、あ、原因は僕の取り合いね、まあとにかく普段は仲が悪いほうなのにどうしてこういう時だけ息がぴったり合うのだろうか。実は仲が良いのか。僕に隠れて2人でよろしくやってるのか。混ぜてほしかった。 「まあ理樹くんが気持ち悪いのはいつものことだからいいけど。ん? あれ? いいの?」 「よくないよ! 理樹くんは気持ち悪いんじゃなくてキモいの! 何度言ったらわかるのよ、バカ!」 「さっき『気持ち悪い』って言ったのあんたよねぇ!?」 「あたしは『地獄に堕ちろ』って言ったの! 理樹くんに向かって『気持ち悪い』なんて酷いこと言ってー! サイテー、このバカ!」 「『地獄に堕ちろ』って言ったのはあたしでしょうが! 『気持ち悪い』って言ったのがあんた! なによ、普段キモいキモい言ってるくせにやっぱり気持ち悪いって思ってたんじゃない! そっちこそサイテーね!」 「違うわよ、あたし確かに『地獄に堕ちろ』って言ったわよ! なに、もうボケが始まったの!? 普段からボケボケなくせに大変ね!」 「そのボケとあたしの天然ボケを一緒にするんじゃない!」 「自分で自分のこと天然ボケって言っちゃうとかもうお笑いよね! いやもうほんと、笑っちゃいたい! あーっはっはっは!」 「ぐっ、ぬぬぬ……! そういうあんただって天然ボケでしょーが!」 「あたしは天然ボケって自覚ないからいいんだもん! あーっはっはっは!」 「その物言いは思いっきり自覚あるわよねぇ!? それこそお笑いよ、あーっはっはっは!」 「真似すんなっ! あーっはっはっは!」 「こっちの台詞よ! あーっはっはっは!」 「あーっはっはっは!」 「あーっはっはっは!」 2人は僕の目の前で言い争っているはずなのに、もはやどっちがどっちで誰が何を言っているのかわからない。さすがに見た目は簡単に見分けがつくけど声ばかりはどうしようもにゃー。まあ当然っちゃ当然だが、普段は沙耶のほうが声が幼い感じなのだ。しかし怒鳴り合いになると聴き分けがつかぬ。そしてこの2人は頻繁に怒鳴り合うのだ。アニメだったら声の使い分けができていないとか言われて中の人が叩かれるレベル。無名だった人が急に人気出たりするとよくあるパターンだね。しかし僕はね、「あえて使い分けていない」という道を信じたいと思うよ。 ところでそろそろ仲裁に入らねばなるまい。不毛な争いは終わらせるべきなのだ。 「沙耶、あや! 2人とも、もう僕のために争うなんてやめてよ!」 「「気持ち悪い、地獄に堕ちろ」」 戦いは終わった。女の子を泣かせるという大罪を犯した件についてはなんかいつの間にやらどっか行ったのでよしとしたい。うん。僕がそのことを忘れず反省を怠らなければ問題ないはずだ。うん。 「……ふぅ。あれ、あたし何しに来たんだっけ」 沙耶が「なに、ホントにボケちゃったの」と言おうとしたのを察知した僕は、ささっと彼女の口を塞いだ。手で。こんな断りをわざわざ入れなければならないのが悲しい。生き辛い世の中になったものだなぁ。 「あ、そうそう。朝ご飯の準備できたってさ」 ずいぶん短い用事だった。なんでこんな大事になったのか。誰が悪かったのか。いや、犯人探しなんて無粋なことはよすべきだろう。もう世界には平和が訪れたのだから。 「むーむー!」 「あ、ごめん」 手を離す。 「っふはぁ。ねぇ、パンとごはん、どっち?」 「刺身と味噌汁で食べれるならパンでもいいんじゃない?」 いつも通りの昨晩の残り物であった。まあ僕は食べられればそれでいいのだけれども。しかし朝から刺身というのはどうなのだ。沙耶も同じことを思ったらしい。そして沙耶はどちらかといえば洋食派である。弁当持参の時もおにぎりではなくサンドイッチを所望するオシャレガールなのだ。ちなみにどうでもいいがあやは和食派であり、なんか地味に嬉しそうな雰囲気を感じる。スーパーの安物な上に一晩置いたもので喜べるとは、まったく片腹痛い。考えようによっては安上がりで済むので養う側からしてみたら良く出来た娘なのかもしれぬ。まあ僕や沙耶からしてみれば何の関係もない話だった。 「ほら沙耶、突っ立ってないで早く行くわよ。理樹くんもちゃっちゃか着替える。せっかくの味噌汁が冷めちゃうわよ」 沙耶がしぶしぶ「はぁい」と返事する横で、僕は気付いた。はっとした、という言い回しはこういう時に使うのだろう、きっと。僕は、はっとした。違った……違ったのだ。あやは……一晩置いた安物の刺身に浮かれていたのではない。あやが喜んでいたのは、何よりも―― 味噌汁……ッ! 恥ずかしながら、我が母の作る味噌汁は美味である。まあ余所のご家庭と食べ比べたことなどないのでようわからんが、少なくとも学校給食の味噌汁よりかは美味い。比較対象が微妙すぎて本当に美味なのかわからなくなってきたが、まあ僕らの味覚が死んでない限りは美味なはずである。僕も好きだし、洋食派の沙耶も母が作るミソ・スープについては「べ、別においしくなんかないんだからねっ」と安っぽいツンデレを全開にする。あやに至っては愛している。さすがにそれは妄信すぎるだろうと思わんでもないが、まああやのことなのでどうでもよい。 しかしそれでも、僕は恥じねばなるまい。確かにあやは愚かな女だが、そう安直ではない。刺身などというお残りの安い幻想になど釣られず、味噌汁という現実をしっかりと見つめている。「せっかくの味噌汁が冷めちゃうわよ」と言った彼女の横顔が、それを物語っている。 「……あや、その」 気付けば僕は沙耶を連れて部屋を出ようとしているあやを呼び止めている。なに? とあやの声。 「朝食のこと、なんだけど」 「ああ」 僕の意思を汲み取ってくれたのか、あやは穏やかに笑って見せた。 「残り物とはいえ朝からお刺身ってなんか豪華でいいわよねー」 「ちょっとは恥じらいを持てよ! バカ!」 「バーカ!」 沙耶だけが僕の味方だった。あやにはキレられた。僕は間違っていないはずである。この時はそう思っていた。 僕とあやはそれぞれに自転車を押しながら歩く。僕とあやの間を沙耶が歩く。それが僕らの登校風景であった。 緩やかな上り坂を3人並んで歩く。本当に緩やかで、傾斜などあって無いようなものだった。そもそも本当に坂なのか疑わしい。「坂を上っている」と意識しなければ上っていることにすら気付けないだろう。悪くすれば坂を下りていると錯覚する。ところで僕たちは今、本当に坂を上っているのだろうか。もしかして、実は下りてやしないか? この道を歩くとたまにそんなことを考え、結局どっちなのかわからなくなって、なんかもう意味わからん状態になる。ので、この坂は「幻惑坂/イリュージョン・ヒル」と呼ばれている。僕から。変に捻って厨二病みたいなことになるより、シンプルで良いネーミングだろうと自負している。 まあそんなふうにいつも通りわけわからん状態になっていると、沙耶がわかりやすく溜息をついてみせた。 「どうかしたかい、沙耶」 「もうすぐ運動会だなぁって」 物憂げな様子の沙耶である。僕は沙耶を挟んでその隣を歩くあやと顔を見合わせる。沙耶は体を動かすのが好きな子のはずであった。しかし確かに昨年までも、この時期の沙耶は学校に向かう足取りが重めのような印象があった気がする。 「沙耶って体動かすの好きじゃなかったっけ?」 ストレートに訊くと、そりゃ好きだけど、と返ってくる。 「でも別に、体育とか運動会は好きじゃないよ。あたしもっと、自由に動き回りたいの。大人の決めたルールに従うとか、そーゆーのってイヤ」 なんか反抗期を迎えた中学生みたいなことを言い出した。またの名をルール無用の残虐ファイター沙耶。そういうのには僕も覚えがある。しかし沙耶にはまだ5、6年ほど早いのではないかな。おませさんだねぇ。そういうところも可愛いけどねちゅっちゅ。 「子供ねぇ」 あやが言った。ちょっとは空気を読む努力をしたらどうなのか。また争いが始まって最後には僕が傷つくことになるのか。というかこれもう僕をいじめるために示し合わせてるんじゃないのってぐらいにテンプレと化してるんですけど。沙耶とあやは仲が悪いふりをしているだけで実はとっても仲良しなのだ。しかし2人は僕という存在がいるために表だって仲良くできない。それでかのようなテンプレートを構築、実践しているのではないか。僕の悪の権化っぷりが天元突破していてヤバい。一瞬のうちにくだらない思考を組み立てている僕をよそに、沙耶が反撃の一手を投じていた。 「うるさい、この駄乳」 「だ……だにゅう……!?」 あやがわなわなと震えている。わなわなわなわなわなわなわなわな。 「無駄にお胸が大きくていらっしゃるあやお姉さまはさぞかし大人なんだろうなー、いいなー、すごいなー」 沙耶の視線はあやの胸に向いている。僕の視線も向いている。気付いたあやとしては当然腕とか使って胸を庇いたいのだろうけれど、あやの両手はチャリのハンドルを握っている。あやは腕力全然無いので、片手でも離そうものならチャリが倒れるってスンポーである。スタンド立ててから離せばいいのにね。身動きできずになんかオロオロしているあやが微妙に可愛く思えて不覚である。よって僕はいっそうあやの胸部に注目した。 「理樹くんキモい!」 「痛い!」 なぜか拗ねた沙耶から脛蹴られた。上手いこと言ってやった。痛い。 「じゃああたしもう行くから!」 気付いたらもういつもの別れ道で、沙耶は長い髪を揺らしつつすたこらさっさと駆けていった。途中の曲がり角で曲がって濃い目の赤いランドセルが見えなくなってから、僕は蹴っ飛ばされた脛を擦りつつ、サドルに跨った。あやが蔑みの視線をこちらに向けている。 「沙耶にも困ったものだね」 あやは答えず、スカートを整えつつサドルに跨る。ゆるゆるとペダルを漕ぎ始めると、あやも続いてすぐに並んだ。幻惑坂/イリュージョン・ヒルをあっという間に越え、僕らは一路学び舎を目指す。 「あやのおっぱいは確かにけしからんけど、駄乳だなんてそこを強調するほどのサイズでもなかろうに」 「学校着いたらぶん殴ってあげる」 あやが何か言ったようだが聞き取れなかった。自転車漕ぎながらの会話というのはなかなか難易度が高いものである。自転車で並んで走ってると周りに超迷惑なのであやを先に行かせる。僕からしてみれば相変わらずトロいが、あやを置いて先に学校に行ってしまうのも可哀想だろう。風で髪と髪飾りとスカートがひらひら揺れていた。 「ねぇ、あやー」 「なぁにー」 「沙耶ともうちょっと仲良くしたらー」 あやが急ブレーキをかけた。ビビったが僕の反射神経を以てして、ちょこんとタイヤがぶつかる程度で済んだ。振り返ったあやからギロリと睨まれる。見ると、普通に赤信号で、僕がそれに気付いていないだけらしかった。あやと僕との間で僕に非があるというのも珍しい話である。 「沙耶と仲良くしろって。別にそんな仲悪いわけでもないでしょ。ま、向こうが一方的にあたしのこと嫌いってのはあるかもね」 ぶつかったことにキレているわけではないようだった。 沙耶があやのことを「お姉ちゃん」と呼んだことは、僕が覚えている限り一度もない。赤ん坊の頃なんかは、「ほぉら、おねえちゃんだよ〜」とか言って母が子に言葉を覚えさせるものだが、その当時でさえも、いや、沙耶はそもそも「お姉ちゃん」という言葉を知らないかのようでさえある。 「でもさ、あやもほら、基本的には良い子だし。理由も無しに嫌われたりしないでしょ」 「理由ねぇ」 ちょっとデレを混ぜてみたら見事にスルーされた。スルーされるデレほど悲しく虚しいものもなかろうなのだ。でも大丈夫。僕、めげない。 「あれじゃないの、あたしが理樹くん独り占めしてるのが嫌なんじゃないの」 「それはありえないよ。沙耶が生まれてから僕は沙耶にべったりだもの」 むしろそれはあやが沙耶を嫌う理由であって、しかしあやは今、別に不機嫌そうというわけでもなかった。すぐ顔に出るタイプなのに出てないので隠しているというわけでもなく、僕が沙耶にべったりだということ自体は本当にどうでもいいらしかった。悲しむべきところかもしれない。 「……むしろそれはあやが沙耶を嫌う理由じゃないの」 何やら拗ねてしまったらしい僕の口が勝手にそんなことを口走っていた。この早漏め、恥ずかしいじゃないか……。 「それこそありえないわよ。あっ、青」 あっけらかんと答えて、再び前に進み始める。相変わらずトロい。それを追う。 「ありえないって、なんでー」 「だって沙耶、半分だけど理樹くんと血繋がってるじゃん。あたしと理樹くんは義理だけどさー。ってことは、最終的に勝つとしたらあたしだし。それ以前に家族なんだからいちいち嫉妬なんてしないわよ別にー」 最後に勝てればそれでいい、と。あやにしては妙にアダルティな考え方だった。なるほど、とは思ったが納得はしかねる。 「え、っていうか本当に僕の取り合いしてる感じなの?」 「だからあたしはしてないって言ってるでしょーが」 そうこう言い合っているうちに学校に着いた。幻惑坂/イリュージョン・ヒルを超えたあたりからの風景はまるで記憶に残っていない。よく事故らなかったものである。校門前で自転車から下りて、そこからはまた手で押して駐輪場に向かう。校舎からは少し離れている。だいぶ落ち葉が増えてきているように思えた。 「てかたぶんね、別に本気で仲悪いってわけじゃないのよ。たぶん。ケンカするほど仲が良いってのを地で行ってるの。たぶん」 「たぶんばっかじゃん。根拠は?」 「沙耶が理樹くん、って呼ぶのはあたしの真似だから」 うちの家族で僕を「理樹くん」と呼ぶのは、沙耶を除けばあやと父である。父は仕事が海外なので滅多に帰って来ない。確かに沙耶が真似するなら父ではなくあやだろう。そして本当に仲が悪いのなら、呼び方を真似たりもしない。なるほど。つまり、 「え、じゃあつまり、あやが僕をおにいちゃんって呼んだら沙耶からもおにいちゃんって呼んでもらえるってこと?」 「知らないわよ、そんなの。ていうか絶対呼ばないし。むしろ理樹くんがあたしのことおねえちゃんって呼びなさいよ、あたしのがイッコ上なんだからそっちが自然でしょ」 「沙耶からおねえちゃんって呼ばれたいの?」 「……っ、そりゃ、まあ。妹なんだし」 適当な空きスペースを見つけて自転車をとめる。空いている場所を探すのに手間取っているあやを待つ。というか咄嗟に口から出てしまったが、別に僕があやをどう呼ぼうと沙耶がそれを真似するとは限らんよなぁ。僕はあやのことをバカだとは思っているが、普段からバカと呼んでいるわけではない。いやでも「お、おにいちゃんの真似しただけなんだからねっ」とツンデレを発動させるトリガーにはなり得るのか。ん? まずい、今願望が混じってなかったか。これはいけない。現実と妄想を混同するなどあってはならないことだろう。あれ? 今のは妄想だけじゃなかった? じゃあいいや。 「あ、そうだ理樹くん」 「ん?」 自転車をとめてきたらしいあやが、妙に楽しそうな笑顔でやってくる。 「うおらァッ!」 「そげぶっ!?」 思いっきりグーで強烈なボディーブローをもらった。いきなりすぎてガードする暇もなかった。いやこれはガードしてもその上から突き刺さったね。片手で自転車支えるだけの腕力もないのに何なのこのパンチ力。ていうかなんで殴られたの僕。痛い。僕涙目。いやマジで涙目になってるよこれ。痛みに涙を零してるんじゃない。世の不条理に涙しているんだ。 「ほら、早いとこ教室行ったら? せっかく早起きしたのに遅刻扱いになっちゃうわよー」 空いた左手をひらひら振りながら、あやは遠くへ歩いて行った。僕は動けなかった。 その日の帰りである。 受験生というものは、放課後は図書室とかに残ってせっせと勉強するものなのだと思っていたが、少なくともあやについてはその気配はまったくない。普通に帰宅部の僕と一緒に帰っている。ただでさえバカなのに大丈夫なのか、とは僕ならずとも心配になるところだろう。まあでも大丈夫なんだろうね、きっと。不思議なことに成績は良いし。バカなのになぁ。不思議だ。 「今日一日考えてたんだけどねー」 「ん?」 朝と同じように風に揺れるスカートを追いながらペダルを踏みしめていると、あやから声がかかった。ちょうど赤信号で止まったので横に並ぶ。 「沙耶って名前がダメなんだと思うわ」 「うわ、ひでぇ」 朝方の話の続きだった。 「いや、まあ、別に沙耶は悪くないんだけど。あの子の名付け親があたしだってのは知ってた?」 「え、そうなの? あー、いや、確か僕も聞かれた気がする。男の子だった時用の名前」 実際は女の子だったので没になったわけである。すっかり忘れていたが、確かにそんな話があったなぁ。いやはや、懐かしい。今の家に越してきたのも確かそのぐらいの頃だったか。 「でさ……スクレボってあるじゃない」 「あやが昔好きだった漫画?」 「うん」 あまり詳しくないが、何度か休載挟んだりしながら未だに連載が続いているとかいう話である。あやも以前は単行本全巻揃えるぐらいには好きだった。「以前は」というのは、その揃えた単行本を全巻売り払って卒業してしまったからだ。ちょうど沙耶が生まれてからしばらく経った頃だっただろうか。ん? 「あんま覚えてないけどさ。あれ、ヒロインの名前……沙耶だったっけ?」 「……まあ、そうね。朱鷺戸沙耶、っていう……うん」 「…………」 「そんな目で見ないでよ!」 「見たくもなるよ!」 つまりこういうことか。沙耶という名は、若き日の過ちを思い起こしてしまうから、それで嫌い……というか、苦手と。なんだろう。酷い話なのではないか、これは。え、じゃあそれが原因でスクレボ卒業したの? 当時の僕はあやがどれだけスクレボ好きか知っていたから、だいぶ心配したはずである。というかこの話をしているうちに段々と思い出してきたが、心配していた。いたく心配した。あの頃の僕はあやちゃんのことが好きで好きで大好きでたまらなかったから、それはもう心配したのだ。それがなんだ。事実は、好きな漫画キャラの名前を自分の妹の名前として使ってしまった痛々しい自分を否定したかったというだけの話だったというのか。こりゃあ……こりゃあ酷過ぎるんじゃないの。当時の僕の純情はどうなるのか。それ以前にそんな名前を付けられてしまった沙耶の運命は。一人で背負うにはあまりに重すぎる宿命じゃないか。そろそろ学校で「おうちの人に、自分の名前はどんな願いを込めてつけられたのかきいてみましょう」みたいな授業がある頃ではないのか。真実を知った沙耶はどう思うのだろう。家出とかしちゃったらどうしよう。 「……沙耶には内緒ね」 「言えるわけないだろこんなの!」 隠し通せるかは別として。いやまあ訊かれても誤魔化せないということはないだろうけれど。 「でもさ、ほら。沙耶って別にそんなイタい名前ってわけでもないしね。大丈夫よ、きっと。うん」 「まあ、それはそうだけど。あや沙耶って並んでるとなんか姉妹っぽいしね、語感的に」 「姉妹っぽいんじゃなくて姉妹なのよ」 「ん、そうそう。そうだね」 信号はとっくに青に変わっていた。ていうか多分2度目の青だと思う。その2度目の青もすでに点滅を始めていたので、2人並んで3度目を待つことにする。 「っていうかホント、すっかり忘れててそっちのほうがびっくりしたわ。今日の授業中ずーっと考えてて、それでようやく思い出したからね」 「真面目に授業受けなよ受験生」 「授業って言っても今はほとんど過去問だからいいのよ別に」 「へぇ」 「にしても、ちょっとショックよね。あんなに好きだったのに、それで沙耶なんて名前もつけたのに、全部忘れてるんだもの」 「まあいわゆる黒歴史ってやつだから仕方ないよ。にしても、昔のあやのスクレボ好きはそりゃ酷かったよね。スクレボごっことかさ。沙耶役のあやに毎度毎度、えーと、なんとか役の僕がコテンパンにされるっていうね」 当時の僕はそれでなんであやを妄信的なまでに好きだったのだろう。Mっ気でもあったのだろうか。今は無い。むしろSだと思います。 「時風ね、時風瞬」 そうそう、そんな名前だった――僕が提案した男の子用の名前は「瞬」ではなかったか。いやいやまさかそんな――とか思い出していると、信号が3度目の青へと変じた。2人してペダルを漕ぎ始める。あやを先に行かせる。 「あれ。ねぇ理樹くん、主人公の名前って覚えてる?」 「あや以上に全然覚えてないのに覚えてるわけないじゃないか」 「それもそっか」 遠くに沈んでいく夕陽と、緩やかに吹きつける風に、妙な懐かしさを感じた。その原因が、我らが愛すべき妹の名前から端を発した昔話であることは疑いようもないが、しかしこれは、かつての瞬が見た風景なのかもしれなかった。日が暮れるまで、沙耶を追いかけて走り回る。髪が揺れる、リボンが揺れる、スカートが揺れる。何らかの神の力が働き、スカートが決してめくれないのも、今昔変わりないことだった。右のハンドルから手を離して、そのまま伸ばす。スカートに触れようと思ったら、もう少し近付かないといけない。近付きすぎたら2人して派手に転ぶだろう。というか接触事故。恐いので伸ばした手を引っ込めた。時風は終ぞ朱鷺戸を捕えることは叶わなかった。 「あ、ねぇねぇ、こんなの覚えてる?」 あやが軽く振り返りながら声をかけてきた。僕の諦めは神懸かり的なタイミングであったことが判明する。 「どんなの?」 「今の家に越してきてすぐにさ、地下迷宮を探すぞーとか言いながら家の中探検したじゃない」 「あったねぇ、そんなの」 その時あやは確か小5に差しかかるくらいだったはずである。探検とかとっくに卒業していて然るべきだろう。というか女の子が探検ってどうなのだろう。アリなのか? あや以外の女の子にはまるで興味がなかったのでよくわからない。 「で、地下迷宮見つけるはずが、納戸に屋根裏部屋があるの見つけちゃってさ」 別に隠し部屋というわけでもなく、普通に屋根裏収納だということが判明してガッカリ、というオチが後からついてきたことまで覚えている。ただまあ、秘密基地にはなったが。小5で秘密基地とか言ってるのってどうなんだ。 「そういえば天井裏って今どうなってるの?」 「えっ」 タイミングが良いのか悪いのか、また信号で止まった。 「なんだって?」 「だから、天井裏って今どうなってるのかって。屋根裏から入れるのを見つけたでしょ。忘れちゃった?」 忘れるはずもない。つい先日コレクションを隠すのに使ったばかりである。屋根裏部屋の壁の一部がちょっと弄ると外れるようになっていて、それで納戸の向かいにある僕の部屋の天井裏に入れるようになっているのだ。僕とあやだけの秘密だった。欠陥住宅かもしれんので父さんあたりに言っておいたほうがよかったのかもしれない、と今になって思うけれど。 天井裏で思い出したことがあった。 「あや。昨日の夜、天井裏に入った?」 「入ってたら天井裏が今どうなってるのかなんて聞かないわよ」 「そりゃそうか」 「どうかしたの?」 信号が青に変わった。次の青を待つことにしようと思った。 「昨日の夜、なんか天井裏から声が聞こえてきてさ。なんだろうなーって」 「えっ、ほんとに? なんかちょっと……こわい」 あやはすぐに顔に出るタイプである。今顔に出ているのは「なにそれこわい」なので、まあたぶん何も知らないのだろう。昨夜はコレクションのことばかりに注意が言っていたので恐るべき母者に疑いを向けてしまったが、場所を考えれば怪しいのはあやであった。怪しいのはあや。うふふ。 「まあ、たぶん座敷童子か何かだよ。最近の座敷童子は進んでるなぁ」 「理樹くん。座敷童子が出没するのは岩手とか、主に東北よ」 トーリービアー。ここ関東。ひゅう。もっと受験に役立つ知識を収集しろよ受験生。 じゃあなんか他の妖怪っぽい類の何かだろう、きっと。言ったら隣の部屋のあやがビビりまくってウザいことになるのでやめておいた。懸命な判断だったと思う。 「で、結局なんなのよそれって。ねぇ」 「さあ……」 「さあじゃないわよ! 今夜寝れなくなるじゃない!」 どっちにせよビビっていて、別に懸命でもなんでもないことが即座に判明してやるせない気持ちになった。早いところ沙耶を迎えに行って帰ろう。信号が青に変わった。 「あ、沙耶をぎゅっぎゅーってして寝たらいいんじゃない?」 「えっ……嫌がるでしょ、あの子」 じゃあ僕をぎゅっぎゅーしちゃいなよ、ゆー。そんなこと口走ってみたらぶん殴られると思うので言わないでおいた。後から思えばこれは失敗だった。大失敗である。 風呂から上がって2階に戻る。 昨夜はたしか、このぐらいの時間に例のエロ艶めかしい声が聞こえたのだった。今日はどうだろうか。ドアノブを握る。ドアを開ける。手探りでスイッチを探して明かりをつけると、相変わらずの本の森だった。父の医学書である。広さとしては僕らの部屋とたいしてかわらないはずだが、立ち並ぶ天井まで届くほどの本棚と、そこに押し込まれている分厚い本の群れが、そこはかとなく圧迫感を醸し出している。身体を横にして棚の間隙を縫うように進むと、隅っこにたてかけてある木製の梯子を上って屋根裏に入る。一応天窓がついているが、この時間では暗過ぎて何も見えない。月もちょうど雲に隠れていた。持ってきた懐中電灯のスイッチを入れる。電池が切れていた。そんな馬鹿な。電池を入れ替えに戻るとかさらに馬鹿らしいので、そのまま手探りで進むことにする。納戸の明かりがわずかだが漏れててきているし、この前入ったばかりなので、なんとなく覚えてもいる。たぶん大丈夫。 天井裏への入り口と思われる場所に辿り着く。道中、いろいろぶつかって痛かった。ここの壁が外れるようになっているのだが……はて、外した壁を中から元に戻す方法があっただろうか。それとも今日は、中に誰もいませんよなのか。手探りで壁を外すことに成功した。その向こうには、さらなる闇が広がっている。とか言うとかっこいい感じがしないでもない。実態はただ埃っぽいだけの場所だ。さすがに狭いので四つん這いにならざるをえない。進む。 「っ!」 いきなり柱らしきものに頭をぶつけた。声を出しそうになるのを必死にこらえる。たぶん僕は涙目になっているだろう。しかし、今朝あやから受けた理不尽な一撃のほうがよほど痛かった。これくらい我慢してみせよう。男の子だもの。進む。進む。進め。かさり。手が何かに触れた。紙っぽい何かだ。それが僕の秘蔵コレクションであることはすぐにわかった。なにせ長く共に戦ってきた戦友だ。わからぬはずがなかろう。手探りで確認すると、それらはどうやら僕がここにコレクションを安置した時のまま積まれて置かれているらしかった。いよいよ昨夜の声はなんだったのかわからなくなる。エロ本使わずに自前でオナってただけか。こんな場所で? なにか特殊な性癖をお持ちなのかもしれない。なんか嫌になってきたのでもう部屋に戻ろうかな、とか思い始めると、 「…………んっ…………や、っ……………あ…………」 「え?」 あの声が聞こえた。近くからではない。昨夜と同じようにエロ艶めかしい声は、僕の聴覚が確かならば、 「…………あっ…………んぁ…………はぁ…………」 この下、つまり、僕の部屋から聞こえている。え。なにそれ。ちょおこわいんですけど。 「…………り…………ん…………あ、ぃ…………ぃ」 急に眠くなったので、僕はそのまま天井裏で夜を明かすことにした。 翌朝、理樹が姿を消していることが発覚する。家族による懸命の捜索が行われるが見つからず、やがては警察に届を出すような騒ぎに発展するが、それでも発見されることはなかった。数年後、東海大地震発生。欠陥住宅であった当家住居は完全に倒壊(幸いにも一家は失踪した理樹を除いて全員無事であった)し、その撤去中、理樹の自室の天井裏と思しき場所から白骨化した死体が発見された―― もちろんそんなことにはならないだろうと確信している。そもそも屋根裏から天井裏に侵入するための壁は外したままなので普通に誰かが見つけてくれるだろう。振り返った。真っ暗だ。ここで真っ暗なのはおかしなことじゃない。でも僕はわからなくなる。僕は本当に入り口を開けたままにしておいただろうか? もちろん閉じた覚えはない。開けたままにしておいた覚えもなくなっていた。不思議だなぁ。でもまあ、案外あやがなんとかしてくれるんじゃないだろうか。 「おやすみ」 「おやすみー」 僕は安心して寝入った。 [No.704] 2010/03/18(Thu) 21:50:58 |
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