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No.76へ返信

all 第32回リトバス草SS大会 - 主催 - 2009/04/30(Thu) 21:32:37 [No.73]
しめきりし時 - 主催 - 2009/05/02(Sat) 00:26:33 [No.87]
hush, hush, sweet Kudryavka - ひみつ@17021 byte - 2009/05/02(Sat) 00:24:00 [No.86]
願いの行方 - ひみつ@3291 byte - 2009/05/01(Fri) 23:52:34 [No.85]
[削除] - - 2009/05/01(Fri) 23:38:47 [No.84]
聖なる空の下で - ひみつ 初 11008byte - 2009/05/01(Fri) 22:14:20 [No.83]
垂直落下式 - 隠密@9283 byte - 2009/05/01(Fri) 22:06:40 [No.82]
ぱんつ争奪戦・春の陣 - これもひみつになってないな@19147 byte - 2009/05/01(Fri) 18:02:07 [No.81]
勇者と旅人 - ひみつ@9011 byte - 2009/05/01(Fri) 12:37:24 [No.80]
雨上がりの夕闇に明星を見つけて - ひみつになってるのだろうか@19071 byte - 2009/05/01(Fri) 10:13:44 [No.79]
星の向こう側 - 機密@5116byte - 2009/05/01(Fri) 07:52:17 [No.78]
覆水 - ひみつ@5615 byte - 2009/05/01(Fri) 00:02:21 [No.77]
空き缶、金木犀、一番星の帰り道 - ひみつ@8297 byte - 2009/04/30(Thu) 23:27:21 [No.76]
それは永遠に儚いものだから - ひみつ@12823 byte - 2009/04/30(Thu) 23:08:38 [No.75]


空き缶、金木犀、一番星の帰り道 (No.73 への返信) - ひみつ@8297 byte

 夕闇が色濃く町を覆い始める。僕は、その中を歩いていた。
 喧しいぐらいの音と共に前方にあった遮断機が下りてくる。すぐに鉄と鉄が軋みを上げる音が響き、電車が通り過ぎていく。中に乗っている人の顔を判別しようとしたけれど無理だった。ただ車窓から漏れる明かりだけが、残像を残して押し流されていた。やがて遮断機が上がり、僕は歩き出す。
 周りにある家々から夕餉の匂いが漂ってくる。コンクリートと革靴のソールが擦れ合うコツコツという音に意識を向けながら歩き続ける。築5年のバカみたいに真新しいアパートへと。僕は歩き続ける。前へ。
 理樹。十字路に差し掛かったとき、ふいに名前を呼ばれた気がした。首を横に向けてみると長い栗色の髪をした女性がいた。少しして鈴であることに気づく。髪を下ろしているので一瞬、わからなかった。久しぶり。元気だった? うん、そっちは? まぁ、なんとか。短いやり取りの後、歩き出す。踏み出した足は揃って左足。ふいに甘い匂いが漂ってきた。この匂いはたしか金木犀。夕餉の匂いに混じって漂ってくるそれを見つけようと首をめぐらせる。鈴が不思議そうに首を傾げていた。それに合わせて鈴の持っているスーパーの袋が揺れる。
 夕闇。晩御飯の匂い。靴が擦れ合う音。甘い金木犀の香り。隣にいる鈴の笑顔。少しだけ息苦しくて僕は、ネクタイを緩めた。





 
 子供特有の甲高い声が聞こえてきた。見てみると公園の中で手を振り合っている少年たちがいた。また明日な。遅刻すんなよ。わかってらい。少年達は、口々に言い合いながら駆け出していく。その内の一人が僕と鈴の前を通り過ぎていった。
「懐かしいな」
 ぽつりと鈴が呟いた。僕は首をかしげながら、前方に転がっている空き缶を軽く蹴り上げた。少しだけ浮遊した缶は、すぐに地面に辺りコーンという音を響かせた。
「こうやって理樹と二人で歩くのが、懐かしい」
「ああ」
「大学に行っていた時は、大体理樹と一緒に歩いていた気がする」
「そりゃ一緒のとこに住んでたからね」
「うん……」鈴は頷きながら転がっている缶を僕と同じように蹴る。「そうだったな」
「でも、たしかに懐かしいかもね。大学卒業して結構経ったし」
「そうだな。もう結構経ったな。理樹もスーツ似合うようになったし」
「ええ? てことは今まで似合ってなかったの?」
「うむ、七五三くさかった」
 鈴はニヤリと笑う。そんな表情をする時の鈴は、恭介にそっくりだった。嘆息しながら自分の体を見下ろした。
 見飽きた自分のスーツ姿。そう感じるぐらい月日は過ぎていた。
「しかし、あれだな」
「え、なに?」
「んーむ、今になって思うが、あたし理樹と一緒に歩くの好きだった」
「え?」
 照れたのか鈴の頬は仄かに赤い。燻っていた何かがもぞりと僕の中で動いた気がした。僕は搾り出すように「けど……」と呟いた。
「けど少し申し訳ないかな」
「なにがだ?」
「うん……」
 短く答えながら、もう一度転がっている空き缶を蹴った。缶は少しだけ前方で地面に落ちるとコロコロと転がっていく。
「鈴の旦那さんに申し訳ないかな」
「ん? どういう意味だ?」
「奥さんが他の男の人と歩いてるのって、やっぱり面白くないと思うよ」
 その相手が、昔同棲をしていた相手だというなら尚更だろう。
「もしかしたら今の状況も勘違いされるかもしれないよ」
「あいつは、そんなみみっちい奴じゃない」
「信用してるんだ」
「それなりに、な」
「その袋の中に入ってるの、今日の晩御飯の材料?」
「ん? そうだぞ」
「今から作るって遅くない?」
「あいつは残業ばかりだからな。これぐらいでちょうどいいんだ」
 そういって鈴ははにかむ。それなりに、といったがその表情はとても満たされている。旦那さんが帰宅する時間を考えて、材料を買いにいくだなんてしっかり思いやっている証拠だ。僕と一緒にいた頃の鈴は、そんな細やかな気配りが出来る娘じゃなかった。もぞりとまた僕の中で動くものがある。それが押し込められている扉には、準備中の掛札が埃を被ってかけられている。きっとその札は、僕の意志で簡単に取り去ることが出来る。
「レパートリーは増えた?」
「……増えたぞ?」
「同じものだかり食べさせてたら旦那さん、飽きちゃうよ?」
「う、うるさい! あいつはあたしの作るものならおいしいって言ってるからいいんだ!」
「うわぁ……」
「な、なんだ、そのうわぁ、は?」
「いや、まさか鈴の惚気を聞く日が来るだなんて思わなかったから」
「の、惚気てない!」
 叫ぶと何を思ったのか鈴は駆け出した。そして前方に転がっていた缶を蹴り上げると、振り向いて赤らんだ頬を残したまま澄ました表情をして僕のことを見た。自分のほうが遠くへ飛ばしたぞということなのだろう。なんとはなしに蹴っていた空き缶は、鈴の中では遊びになっているらしかった。多分、照れ隠しなんだろうけど。そんな鈴は僕の知ってる鈴そのものだった。
 缶ケリ遊び。昔、下校する時にそんな遊びをしたかもしれない。恭介と謙吾と真人、それから鈴。5人で夕暮れの中、一人一人同じ缶を順番に蹴っていく。ルールなんてなくて、ただ蹴るだけ。謙吾が思いっきり遠くへ飛ばして、それに対抗して真人が力一杯蹴り上げる。けど、力みすぎて明後日の方向へ飛ばしてしまって缶を見失ってしまう。見かねた恭介が新しい缶を用意して、それを鈴が嬉々として蹴る。
 そんなことがあったのかもしれない。僕の記憶は、色々なものと混ざり合ってひどく曖昧だった。人の記憶とは曖昧なものです。そんなことを言った少女がいた。僕はなんとはなしに足下を見る。そこには歪に間延びした影法師。赤いカチューシャをして、いつもケヤキの木の下で本を読んでいた少女。今ではその少女の顔すら明確に思い描けない。ふと鼻腔を甘い香りが通り過ぎていった。金木犀。どこに生えてるのか探そうとキョロキョロと首を動かす。けれど見つからなかった。
「? 理樹どうした?」
「いや、この香り」
「香り? ああ、なんか匂うな。どうかしたのか?」
 鈴は首を傾げる。僕は曖昧な笑みしか返すことが出来なかった。どうかしたかと問われても、どうもしていない。ただ、それでも甘すぎる金木犀の香りが、僕の胸を詰らせる。電車のように忙しなく通り過ぎていく日々の中で、大切だった人たちとの記憶は薄れていく。リトルバスターズというメンバー。皆の顔が霞んでいく。月日が経つ毎に、皆を思い出すことが少なくなっている。いつからか、悲しかったという形骸だけが残っていた。まるで電車の通り過ぎた後に残る、車窓から漏れる明かりの残像のように。
 奥歯をかみ締める。僕は空き缶の下まで行くと、前よりも力を込めて蹴り上げた。カィィンという軽い音を立てながら缶が大きく弧を描きながら飛んでいく。隣で鈴が「おおっ」という驚きの声を上げていた。けど、力を入れすぎたらしくぐんぐんと上昇していた缶は思い描いた軌道を大きく逸れ始めた。くるくると奇妙に廻りながら放物線を描いて飛んでいく。やがて近くの雑木林の中に吸い込まれていった。僕は、ただその缶が落ちた場所を見詰めていた。
 

 




「あたし、こっちだ」
 十字路に差し掛かったとき、鈴がそう呟いた。
「そう」僕は指をまっすぐ伸ばす「僕はこっち」
「ん。理樹」
「なに?」
「久しぶりに理樹に会えて楽しかった」
 そういって華やかに鈴が笑う。曖昧に微笑みながら「うん、僕も」と短く呟いた。僕の声を聞くと鈴はコクリと頷く。それからくるりと振り返ると歩き出した。家族の待つ、家路へと。冷たい風が一陣、通り過ぎていく。それに心を撫でられたのか、ざわりと心が騒いだ。「待って!」僕は鈴の背中へと声を上げていた。心の中にある準備中の札に、そこにいる僕が手をかける。札を引っぺがそうと力を込める。それに習うように僕の体温が上気し始める。僕は乾いた喉を、唾で潤した。
 鈴がゆっくりと振り返った。ドキリと一度、胸が高鳴った。鈴は穏やかに微笑んでいた。それは僕の知らない鈴の顔だった。どうした、理樹? 鈴のその言葉に僕は頭を掻く。
「いや……なんでもない」
「なんだ? 何か言うことがあったんじゃないのか?」
「ううん、そういうわけじゃないから。ごめんね」
「そうか? 変な奴だな」
 そういって鈴はくすりと笑うと、小さく手を振ってきた。それからくるりと踵を返して歩き出した。その背中を見送る。どうして僕は鈴の背中を見ているのだろう。ふとそんなことを思った。けどきっとそれはどうしようもないこと。大学に入学した時、僕と鈴はずっと一緒にいるんだろうと思っていた。その幼稚な思い込みは崩れ去った。別に二人で暮らしている時に何かがあったわけではない。強くなると誓ったあの時から、一心不乱に生きてきただけだ。そうして僕らは一人立ちした。多分、そういうことなのだろう。だから心の中にある準備中のまま扉は、そのままにしておこうと思った。
 僕は歩き出す。築5年のバカみたいに真新しいアパートへと。僕は歩き続ける。前へ。いや、後ろだろうか。よくわからない。会社とアパートを往復する毎日は、どちらが前でどちらが後ろなのか、ひどく曖昧にさせる。それでも僕は歩いている。視界の隅に赤黄色した小さな花が見えた。それは甘い香りを辺りに放っていた。その花の前に屈んで、そっと撫でる。充満した甘すぎる芳香が胸を詰らせた。
 立ち上がると今度は空を見上げた。オレンジ色だった空は、今紫色をしていた。それは藍へと変質する一瞬だけ見せる色彩。その中に小さく光を放っている星があった。一番星。小さく呟いてみる。紫色の中にある小さな光点。その輝きは鈍くて、判り辛い。しばらくその星を見詰めた後、僕は歩き始めた。

 バスターズの記憶はおぼろげで、悲しかったということしかわからない。
 心の中にある準備中の札も、いつしか何を入れていたのか忘れる日がくるだろう。
 僕の毎日は、前か後ろ、どちらに進んでいるのかわからない。


 強くなると誓った僕の導き出した現状の答えは、ひどく曖昧。
 それがとても寂しい。
 それでも僕は生きている。
 それでも僕は歩き続ける。


[No.76] 2009/04/30(Thu) 23:27:21

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