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□ 学校の授業は何でこんなにつまらないんだろう。 寝よう。 先生の視線をガードするために教科書を机に立てる。 準備万端だ。 と思って突っ伏した瞬間に頭になんか刺さった。 慌てて周囲を探ると床に紙飛行機が落ちている。 先がひん曲がっているのは頭に直撃したからだ。 また馬鹿の仕業か、馬鹿どもめ。 と思って振り向くが馬鹿と馬鹿は寝ている。 もう一人の馬鹿を威嚇しようとしたとき、こまりちゃんの顔が視界に入る。 こまりちゃんは両手を合わせて何度も頭を下げている。 怒りがしおしおとしぼんでいく。 こまりちゃんならよし。 こまりちゃんだって授業中に遊びたくなることもあるのだ。 紙飛行機を飛ばすのに失敗してあたしに命中しちゃったわけだ。 よし。 あたしはこまりちゃんに代わって、窓の外に紙飛行機を飛ばしてやる。 こまりちゃんに向けて笑顔でブイサイン。 何故か、こまりちゃんは放心状態だった。 授業終了後、涙目のこまりちゃんがやってくる。 「りんちゃんひどいよー」 「む、あたしが飛ばしちゃいけなかったか」 「あれは理樹くんに渡す手紙だよー。うわーん」 うわぁ、やってしまった。 こまりちゃんが無言で窓の外を指さす。 「取ってきて」 「いやあのその、昼休みとか」 「取ってきて! 今すぐ!」 やばい、顔が阿修羅だ。 仕方ない、頑張って探すか。 馬鹿と馬鹿と馬鹿と馬鹿を使おうと思ったがやめておく。 廊下を走って、階段を駆け下りる。 しかし、授業中に手紙交換とは。 こまりちゃんも大胆になったもんだ。 理樹のやつは最近妙にテンション高くてきしょいしな。 さっきの手紙もどうせきゃっきゃうふふな内容に違いない。 そう考えると微妙な気分になってきた。 首を振る。 こまりちゃんが誰と付き合おうとあたしには関係ない。 玄関で靴を履き替えて外に出た。 幸いにも風は弱いので遠くにはいってないだろう。 しかし誰かに先に拾われたら厄介だ。 こまりちゃんが色々とやばいことになりそうな気がする。 というわけで真面目に捜索することにした。 五分ぐらい歩き回ったあたしは、ベンチの下に紙飛行機を見つける。 なんだ、思ったよりあっさりだな。 手を伸ばし、そっとそれを拾い上げる。 ■ 拾い上げた紙飛行機を持って、ベンチに腰かける。 ゆっくりと息を吐き出す。 辺りを見回してから、意を決してそれを開く。 中にはこう記されていた。 『伝えなくてはならない、大事な話があります。 大事な、大事な話です。 今日の五時、屋上に一人で来てください。 突然のお願いですが、待ってます。 神北小毬』 書いてあるのはたったこれだけだ。 それでも、この短い文章を何度も読み返してみる。 それから、紙飛行機の手紙を元の形に折り直す。 形が崩れてしまうのでポケットには入れない。 紙飛行機を片手に、玄関へ向かう。 階段を上がり、廊下を歩く。 教室の扉を開けた。 □ 教室に入るとこまりちゃんが駆け寄ってきた。 「あった?」 頷いて、紙飛行機を手渡す。 こまりちゃんは紙飛行機を胸に抱き、安心したように息を吐く。 それから急にあたしの瞳をぐっと覗き込んでくる。 「中に書いてあること、読んだ?」 「え? い、いや、読んでない」 「ふーん」 こまりちゃんはいかにも疑っていますよという目つきをする。 あたしは口を固く結び、無言で首をぶんぶんと横に振る。 「なんてね」 と言って、こまりちゃんはいつもみたいに笑う。 「その手紙、やっぱり理樹くんに渡すのやめるよ」 「え? あたしの努力は無駄だったのか!?」 「そんなことないよ。ただ、渡す相手を変更することに決めたの」 こまりちゃんはそう宣言する。 「も、もしかして理樹は捨てられたのか!?」 「ふぇぇ? ち、違うよー」 顔を真っ赤にしてこまりちゃんは否定する。 「その手紙は、りんちゃん宛てに変更するんです」 「あ、あたしか? そりゃ気持ちは嬉しいが、でもその」 こまりちゃんはあたしに紙飛行機を押しつける。 そのときちょうどチャイムが鳴って会話は中断されてしまう。 変なこまりちゃんだなと思いつつ、席に戻った。 ■ 窓からはまぶしいほどの夕陽が射し込んできていた。 教室の時計は四時五十五分を指している。 もうすぐ、手紙で指定されていた時間になる。 それを確認し、自分の席からすっと立ち上がる。 重い足取りで、誰もいない教室から出る。 廊下の静けさが怖い。 無性に緊張して、たまらなかった。 一人で来てくれと書いてあるのに、そばに誰かいてほしかった。 足が少し震える。 首を振る。 何を怯えているのだろう。 怯えることなんて何もないはずだ。 お守りのように、紙飛行機を強くつかむ。 階段をゆっくりと上っていく。 誰かに見られているような気がして、何度も振り返った。 でも誰もいない。 当たり前だ。 深呼吸をする。 進入防止のバーをまたぐと、屋上はもう目前だ。 屋上に繋がる窓は、既にドライバーで取り外されていた。 思わず立ち止まる。 いや、迷うことはない。 足を踏み出す。 □ 屋上に立つと心地よい風が頬をなでた。 あたしは大きく伸びをする。 視線の先、こまりちゃんが立っていた。 背中側から夕陽を浴びているせいか、その姿は普段と違って見えた。 「りんちゃん、来てくれてありがとう」 こまりちゃんは柔らかくほほえむ。 「手紙にも書いたけど、突然のことでごめんね」 「う、うん。そんなことより、本当にあたしでよかったのか?」 本来、ここにはあたしの代わりに理樹がいるはずだったのだ。 「りんちゃんは、どっちにしても呼び出すつもりだったから」 「え?」 「ただ、理樹くんを呼ぶのをやめたってことだよ。だから気にしないで」 よく分からないが、分かったことにして頷く。 こまりちゃんがあたしの方に一歩近づく。 「わたしね、もうすぐ死ぬんだ」 自分の耳を疑った。 こまりちゃんの瞳を見つめる。 でも、こまりちゃんはあたしを見つめ返してくれなかった。 「ううん、もう死んでるのかも」 思わずあたしはその場から一歩下がっていた。 そんなあたしの腕をこまりちゃんはつかんで引き寄せる。 「聞いて。わたしはもう助からない」 「い、嫌だ」 「りんちゃんや理樹くんと同じ時間を歩むことはできない」 「嫌だ。嫌だ嫌だ!」 暴れるあたしの体をこまりちゃんはそっと抱きしめる。 たったそれだけのことであたしは何もできなくなる。 「だからここでお別れ。りんちゃん、今までありがとう」 潤み始めたあたしの瞳から、涙がひとしずくこぼれ落ちた。 ■ 屋上に立つと心地よい風が頬をなでた。 僕は大きく伸びをする。 視線の先、大学に入って少しだけ背の伸びた鈴が立っていた。 風になびく鈴の髪が、夕陽で鮮やかに染まっている。 当たり前のことだが、小毬さんはいない。 「遅刻だぞ」 鈴はとがめるように言う。 腕時計の表示を確認して、僕は苦笑する。 「時間ぴったりだよ。まさか、秒単位の遅れまで気にするタイプ?」 「違う」 鈴は目を伏せる。 「こまりちゃんにとっては、あの日から四年の遅刻だ」 胸が詰まる。 古傷がうずくように感じられた。 「勘弁してよ。この手紙を読んだのはついさっきなんだからさ」 別の大学に進んだ鈴から連絡が来たのは三日前のことだ。 何の詳細も知らされず、既に卒業したこの学校へ強引に呼び出された。 待ち合わせ場所のベンチに鈴はおらず、代わりに紙飛行機が置かれていた。 鈴の言葉から推測するに、これは四年前の今日に小毬さんが書いた手紙だ。 「これは、僕に宛てられた手紙だったの?」 「そうだったけど、途中でそうじゃなくなった」 「なにそれ」 苦笑いを返す。 「その手紙を受け取るのはあたしだけになったんだ。どうだ、悔しいか」 「何で威張るのさ。でも、そうだね、悔しいよ」 小毬さんとは結局、ちゃんとしたお別れができなかった。 四年前に死んだ彼女は、もう僕に何も言ってくれない。 「どうしてあたしにだけ別れを告げたのか、気になってる顔だな」 「気になるよ。でも、答えを聞く相手はもういない」 「いいだろう、特別に教えてやる」 「え?」 予想外の言葉に、僕は面食らう。 「その前に答えろ。お前はまだ、こまりちゃんのことが好きか」 「好きだよ」 「四年前のあのときと同じ意味で、好きか」 「もちろん」 「今とあのときとでその気持ちに変わりはないか」 「ないよ」 鈴は満足そうに頷く。 「こまりちゃんは『この世界の仕組みは不条理なんだよ』って言った」 「どういうこと?」 僕は鈴に問いかける。 □ 「どういうこと?」 あたしはこまりちゃんに問いかける。 「この、虚構の世界が壊れればわたしは死ぬ。わたしは虚構の世界でしか生きられない。でも理樹くんやりんちゃんが生きているのは現実の世界でしょ? 今は同じように見えるけど、わたしたちの生きている世界はそれぞれ別のものなんだよ。だけど虚構の世界でなら、わたしと理樹くんは恋人になることができる。実際にできた」 夕陽が目にしみて、あたしは目を細める。 「でもね、虚構の世界での恋愛は現実の世界のそれとは明らかに違う。現実だとお互いがこう、なんていうか距離を縮め合って恋人になるわけでしょ。でも虚構の世界だと、例えば理樹くんがわたしのことを好きになった瞬間に、わたしも理樹くんのことを好きになる、みたいな力が働いている」 だから、とこまりちゃんは言う。 「生きる世界が違うわたしたちの恋愛は成立しないんだ。だって考えてもみて。今ここにいる唯一のわたしと恋人になる、っていう人生を理樹くんは選び取ることができない。何でかっていうと、唯一のわたしなんてものは、現実の世界で死んじゃってていないから。虚構の世界にいるのは、唯一という言葉に縛られないたくさんのわたし。理樹くんのことが好きなわたし、理樹くんのことが嫌いなわたし、みたいな感じに可能性の数だけわたしは存在することができる」 確かにそうだ。 現実世界にいるあたしは選択をやり直せない。 一つの可能性を選択することによって、別のあらゆる可能性は消える。 だけど、虚構の世界はそうじゃない。 失敗したらリセットしてしまえばいい。 別の選択肢を選んでしまえばいい。 「理樹くんと恋人になる、という未来が訪れても、わたしは、理樹くんと恋人にならない未来というものを否定できない。虚構の世界に、唯一の人生なんてものは存在しないから。本当の意味で理樹くんと恋愛したいなら、わたしは現実世界に帰らなくちゃいけない。だけど、帰った瞬間にわたしは死んでそれでおしまい。現実世界にリセットは利かない。わたしが死なない、あるいは死ななかった未来は現実世界のどこにもない」 ■ 「でも、僕たちが虚構の世界で恋人だったって事実は現実にも持ち帰れるはずだ」 「そう、そこだ」と鈴は言う。 「『虚構の世界には、現実の世界と別の法則が働いているんだよ。理樹くんがわたしを好きになったら、わたしも理樹くんを好きになる、あるいはその逆の法則が。でも理樹くんが現実に帰ることになれば、当然、虚構の世界での法則なんてものは通用しない。そのとき、わたしたちが恋人だったっていう事実はどうなってしまうのかな。そんな事実はぜんぶ偽物だったっていうことになるかもしれない』とこまりちゃんは言っていた。『そうなることが本当に怖い』って」 「それは違う」 「そうだ、お前は今でもこまりちゃんのことが好きだと言った」 「あのときから今まで、ずっと好きだ」 鈴は頷く。 「虚構の世界でお前を好きだったこまりちゃんの想いは」 そこでいったん彼女は言葉を切る。 「現実の世界でもこまりちゃんを好きであることを選んだお前の、唯一の未来に届いたんだ!」 一回きりで終わる自らの人生に、僕は、僕のことを愛してくれた小毬さんの存在を確かなものとして刻印した。そのことは、虚構の世界で愛し合った僕たちの過去が、現実の世界で起きた唯一不変の過去にまで引き上げられたような感覚に僕を陥らせた。ただの錯覚だったとしても構わない。これは一つの奇跡だと思った。 僕は四年前に小毬さんが折ってくれた紙飛行機を屋上から飛ばす。風に乗って空を飛ぶそれが、四年という時を越え、現実と虚構という別世界の境界線さえも飛び越えて、僕が愛した小毬さんのもとに届くことを、僕はただ静かに祈り続けていた。 [No.99] 2009/05/15(Fri) 06:23:43 |
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