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   第28回リトバス草SS大会 - 主催 - 2009/03/05(Thu) 21:13:05 [No.2]
しめきった! - 主催 - 2009/03/07(Sat) 00:29:17 [No.14]
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地雷原の歩き方 - ひみつ@20100byte - 2009/03/05(Thu) 21:40:14 [No.4]



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第28回リトバス草SS大会 (親記事) - 主催

 エクスタシーネタバレの申告は必要ありません。
 未プレイだけど参加しちゃうぜ!な方はご注意ください。


 詳細はこちら
 http://kaki-kaki-kaki.hp.infoseek.co.jp/rule.html
 この記事に返信する形で作品を投稿してください。

 お題は「火」です。

 締め切りは3月6日金曜24時。
 締め切り後の作品はMVP対象外となりますのでご注意を。

 感想会は3月7日土曜22時開始予定。
 会場はこちら
 http://kaki-kaki-kaki.hp.infoseek.co.jp/chat.html
 はじめにMVP投票(最大3作まで投票可能)を行いますので、是非是非みなさまご参加くださいませ。
 ご新規、読みオンリー、感想オンリー、投票オンリー、大歓迎でございます。


[No.2] 2009/03/05(Thu) 21:13:05
地雷原の歩き方 (No.2への返信 / 1階層) - ひみつ@20100byte



【第一部】


《マイベストフレンド》


 大学入学前に配られるテストとかどーでもよくない?
 みたいな感じでテキトーに流したら配属されたのは一年八組。ぶっちぎり最下層のクラスでさながら珍獣大集合のサファリパーク。鼻輪とか耳輪がぶら下がってる人いるし針が唇を貫通してる人いるしでギョエルピーて思わず叫んだ。髪型もなんか凄くてトサカがあったりもっこりしてたり爆発してたりでプヒヒルプーて思わず笑うみたいなことしてたらなんか知らない間に珍獣たちの間で派閥ができててハブられてて…気がつくと私は食堂近くの女子トイレの個室で350円のデラックス中華弁当食べてる。
 はるちん大ピンチ!
 ひーん。
 て泣きながら便所飯。シューマイがぱさぱさしててまずい。シューマイまで私をいじめるなんてひどいよーヨヨヨ。マイベストフレンドのから揚げを箸でつまんだら滑って落ちてトイレの床にひゅーストン。扉と床の隙間から転がり出て…ぶふーぷすすす!ってみんな外で笑ってる。私の友達を馬鹿にするなー!なんて言えるわけないじゃーん!とチキって黙ってたのにドンドコドココ!て扉が蹴られる。「中に入ってるやつ出てこい!」。ふひひーんて泣きながら、私は鍵を外して扉を開ける勢いでそのまま倒れ込んでドドドドドッ土下座。
 土下座る私にはそこに立ってる子の細くて綺麗な足しか見えなくて、靴舐めろって言われたらペロリンコだからシメるのだけは勘弁してケロな感じだった。「顔上げろ」とドスの効いた声が降ってきてシメ確定!ひーん!な私が顔をぐいーんと上げるとそこには…全国の不良を束ねる伝説の女番長。
 を演じる西園みおちん。が悪魔的な微笑を浮かべつつ「落ちてたぜ、これ」と男前な声で言ってハンカチに包んだから揚げを私に差し出してくれる。その背中にぺかーんと光が射して見える。震える親指と人差し指でマイフレンドのから揚げをレスキューして私はうひひひひーん!と号泣する。「ひとまず食堂に行きましょう」と七色の声を操るみおちんが言って踵を返したので後を追う。
 から揚げはゴミ箱に捨てた。
 マイベストフレンドはみおちん!

 みおちーとは入学式からずっと会っても連絡取ってもなかった。パソコンからメール送ったらメーラーダエモンて外人が英語でペラペラペーラと返信してくるから怖くなって送るのやめた。電話したらプルルールガチャ「おうおう俺の女に手ェ出すつもりかコラ!」「ヒヒッヒィィィィ!」ガチャリコ!ツーツーツーツー。てなもんで怖くなって電話もやめた。てことを涙混じりに話したら「おうおう俺の女に手ェ出すつもりかコラ!」と言ってみおちーはぷすーこ笑う。「そ、その声はー!」。怒りが有頂天な私は「メーラーダエモンさんと協力して私を騙したなー!」と大激怒。「…メーラーダエモンさんですか?」とみおちーはすっとぼける…が心当たりがあるらしく(当たり前じゃー!)納得したように頷く。そんで「いいですか葉留佳。それは《MAILER-DAEMON》と言いまして、宛先を間違えてメールを送ったときに自動で送り返されるエラーメールの…」とか何とか言ってるけど聞く耳持たないので聞こえなーい。言い訳なんてはるちんは聞きたくないのだ…てそういえば思い出した!みおちーだけじゃなくて他の友達にメール送ってもメーラーダエモンがペラペーラなのだ。メールボックス開いてもダエモンさんばっかり!みんな揃って私を騙してるのだ。ひーん!
 と傷心な私が顔を上げるとみおちーはいなかった。
 プリズバックトゥーマイミオミオ!
 とシャウトしたら周りの人たちがぶひーぷぷぷ!と笑うもんだから私はさらに惨めな気分になる。今気づいたんだけど私の両隣の席も両斜め前の席も対面の席も誰もいない。私はマインスイーパで地雷の数を示す数字(8。全方位)か!て意味の分かんない突っ込みを入れてみる。お前らみんな徹夜で上級コースに挑戦して最後の二択で地雷踏んでしまえ!と心の中で毒づきつつぼんやり向こうのパン屋見てたらそこには…トレイ持ってる爽やか系の超イケメン。
 と楽しげに会話してる西園みおみお。
 ギャー!と私は立ち上がってムンクの叫びになる。椅子が後ろにドンガラシャーで食堂の空気が凍ってみんなが私を見てる中、みおみおも露骨に嫌そうに目を細めて私を見る。あ舌打ちした。私はいただきます的に手を合わせてゴミーンて謝りながらレレレのおじさんダッシュ。イケメンがすたこらささーて逃げ去って、それとは別の方向に逃げようとするみおみおの襟首をつかんで引き寄せグヘヘヘヘー!て何やってんだ私。
 とか色々あって図書館の一階で仕切り直し。早速机越しにみおみおの両肩揺さぶりつつ「さっきの誰?誰?彼氏か?彼氏なのかー!?」(私語厳禁は二階からなのでこんぐらい騒いでもオールオーケーなのだ)。みおみおは前後左右にぐらぐら揺れながら「お友達です」と冷静に切り返してくる。「証拠を見せろー!」。「さっきのは同じクラスの方です」。揺れまくってるせいで語尾がですすすすに聞こえる。ぷくくー!とか笑ってる場合じゃない。「パンをご馳走してくれるとのことでしたので、お言葉に甘えただけです」と言ってから何かに気づいたようにつけ加える。「ちなみに、お言葉をタイプミスすると男場になります」。そーですか。
 という会話から分かるように西園みーみーはリア充になっている。私はぐぬぬぬとうなって「いつの間にそんな子になったんだー!お母さん悲しいぞよ!」と一発説教かましたる。みーみーはためいきを漏らすと旧式の携帯をパカッてやってパチポチいじって画面をぐいーとこっちに。そこに映っているのは…いちにーさんしーごー六人のイケメン。
 と一緒にいる神北こまこま。
 がカメラに向かってブイサイン。
 ウギャギャギャギャー!と怪獣化した私に「これが現実です」とみーみーは言う。「あわわわわわわ」と私はろれつが回らない。みーみーは「ふええー?みんな優しい友達だよー?」とこまこまの声を真似て可愛らしく身をくねらせる。「だそうです」
「それからこれは極秘情報なのですが」とみーみーは人差し指を自分の唇に当てる。すすーいと隣に寄ってきて私の耳にゴニョリーリョ。話が進むにつれて私はギャピー!とかピンポロパー!とか心臓に電気ショック与えられたみたいになって体が跳ねる。でまぁぜんぶ聞き終えた私は…うつろな瞳で口からエクトプラズム吐き出しながら泡吹いてる。
「刺激が強すぎましたか」と言ってみーみーはごほんと咳払い。「なんだ美魚君か」と今度は姉御の声で喋る。もう聞きたくないよー。ひひーん。どうせ姉御もモテにモテにモテ倒してるんだろばーろー!とか思うけど何を言う気力もない。
「美魚君よ……どうして私はこんなに駄目なんだろうな……ふふ……最近はアパートで一人さみしく酒盛りをやっているよ……滑稽だろう笑えばいいさ笑いたまえよあーはっはっはっは!はうあうあうぅぅぅぅぅ!ひっくひっくうぇーん!」
 ギャヒー!別の意味で私のハートがズッキリーニだ。更なる深手を負った私をチラ見したみーみーは「これはフィクションですので実在の人物には関係ありません」と盛大にブン投げた。
 てな具合に余裕たっぷりな西園みおきち。が癪に障ったので忍者的に背中に回り込んで両胸をわしづかみ!することはペタンコすぎて物理的に無理なのでうりうり揉んでみた。のも束の間で蛇みたいな動きの鋭い手刀が首筋にどっこん命中。と同時に意識がぽわーんとなってありりりりー?と千鳥足の私は図書館の床にぶっ倒れた。おおお立ち上がれない。頭の中がぐるんぐるんぐるーん。駆け寄ってくるみおきち。
 あ白。


【第二部】


《メーラーダエモン》


 ボロアパートの一室でノートパソコンぱちぽち叩いてたらピンポロパーンとチャイムが鳴る。私はマインスイーパ(中級)を終了させて立ち上がる。どうせ来客なんて郵便か新聞勧誘か宗教勧誘かに相場が決まってんだよバッキャローと思いつつ「はいはいはいはぇー」とやる気ゼロでドア開けたらそこには…マイベストフレンドの西園みっちーが立っている。
 予想外ガイ・ナイスガイな展開に私は思わず「パードゥン?」とか言っちゃう。正確には語尾が伸びまくって「パードゥゥゥウン?」てな感じなんだけど、何故かみっちーの隣には正体不明の真っ黒くろりんが立ってたもんだから「ゥゥゥウ」の部分が突然変異を起こして「ゥゥゥウォウ、ジーザス」になる。
「みっちー、この人誰?」と言ってから気づいたけどこれ人なの?確かに人の形はしてるけど。
「メーラーダエモンさんです」
 誰だよ。
 とか思うけどみっちーの友達だからテキトーなことはできない。「ボロッチョな部屋ですがゆっくりしておくれやすー」と言いつつ二人を招き入れる。家に友達が来るのは久しぶりだ。前に来た女の子は骨董品に詳しくてはるちんに壺を格安で売ってくれた。壺の妖精アンタ・アフォーがいつも私を見守ってくれてるんだってー!ウヒョヒョー!
 ところでメーラーダエモンさんてどこまで苗字でどこから名前なんだろう。メーラー・ダエモンでいいのかな。メー・ラーダ・エモンだったらハーフっぽい。サスケ・ゴエモン・エビス丸〜。ていうかそんなことどうでもよくて…そもそもこの人顔ないし!なくはないけど上から下まで真っ黒なんだもん!
 畳の上で向かい合ったまま誰もなーんにも言わないので「えーととととー。三枝はるちんです!みっちーの親友やってますヨ!」と私は超フレンドリーに挨拶してみる。恥を捨ててポーズも決めてみる…のにダエモンさんは無反応。でなんか二秒後ぐらいに「ハイ」とか言う。はるちんの全力渾身フレンドリャーの対価はたったの二文字なんすかー!アホーアホーアンタ・アフォー!「えーと、よろしくなのですヨ」。「ハイ」
 しーん。
 ムキー!おみゃーはRPGゲームの町の住人かー!ていうかみっちーは何で助け舟出してくんないの?私たち友達じゃないの?みっちーとダエモンさんも友達でしょ?プリズヘルプミー!
 そしたらいきなりダエモンさんがみっちーをどーんと押し倒した。意想外ガイ・ナイスガイ。とか言ってる場合じゃなーい!ダエモンさんはみっちーにのしかかる。しかも真っ黒な両手で首を絞め始める。ウヒョエアー!助けないと助けないと!って思うのに体が動かない。なじぇー?
「葉留佳君、西園女史を助けたいか?」とダエモンさんが姉御の声で言う。わけ分かんないけど「当たり前田のクラッカーじゃー!」と叫ぶ。「どうしてなのですか?」と今度はクド公だ。「私とみっちーは友達なんじゃーい!」。「友達だから助けるのか?」と鈴ちゃん。「そーだ!何度も言わせんな!」。「葉留佳、自分の体見てみなさい」とお姉ちゃん。
 で慌ててそうすると私の手足には鎖がじゃらりんこ。振り返ると畳に杭がずこーと刺さっててそこに鎖の一端が結びつけられてる。何これ何これ!
「はるちゃん、《役割》に縛られてるよ」とこまりん。「何それ何それ意味分かんない!」。「《友達》だから助けるの?《友達》だから《助けるべき》だと思うの?」。そんなわけあるかこまこまのバカヤロー!私はいつどんなときでもみっちー助けるっての!場の空気なんか知るか!私はみっちーの《友達》を演じてなんかいないんじゃー!
「だったらさ。自分を縛る《役割》なんて捨てちゃいなよ、ゆー」
 上等じゃー!と思った瞬間に私を縛る鎖がドンガラグッシャ!しゃオラーとメーラーダエモンを突き飛ばすためそいつの体に触れようとしたら…まったくぜんぜん手応えがなくて私は勢い余ってダエモンの中にひゅるるるるるる!


《マインスイーパ》
 

 あくびしながら背伸びしてみたら空にニコチャンマークが浮かんでた。
 比喩じゃなくて本当のマジのガチに浮かんでた。
 あくびで開いた口から「うそーん」って言葉が飛び出す。
 私の視線の先に四方を高い柵に囲まれた広大な敷地がある。でなんか地面が将棋盤か碁盤みたくなってる。んでよく見たら一番上の列にAからPまでのアルファベットが…んで一番左の列に1から16までの数字が振られている。
 あっそ。
 だから?
「ポイントを指定してくりゃれー!」
 誰だよ。
 と思ったらなんとニコチャンマークだった。
 私はなんか高台みたいなとこにいて周りを見ても他に誰もいないし…ニコチャンはやっぱり私に言ってるみたいだ。えーはるちんめんどくしゃーいとか言おうとしてふと気づく。敷地の中に誰かいる。
 あ。
 西園みーすけ。
「ポイントを指定してくりゃれー!」
 やっかましー!
「Cの8!」
 思いついたままに怒鳴ってやる。
「ほっほほーい!」とクレしんのしんちゃんを真似るニコチャンの顔がいきなりダメそうな顔に変わる。目がバッテンで口もへにゃーみたいなもんだ。
 閃光。
 ドッカボコーン!と敷地の内部が大爆発。
 マイベストフレンドのみーすけが炎に呑み込まれる。
 黒煙が晴れたとき、みーすけの姿は跡形もなく消えていた。
 私は頭を抱えて「いやーっ!」と金切り声を上げる。
「何これふざけんな!みーすけを返せ!」と半狂乱で叫んだらダメチャンマークがニコチャンマークに変わって…敷地が綺麗さっぱり元通りになってみーすけも戻ってきた。
 そんで何事もなかったみたいに。
「ポイントを指定してくりゃれー!」
 二度と言うもんかアホー!と固く心に誓う私の隣に何故か神北こまこまがいて両手でメガホン作って「Bの3!」
 ギョピエー!
 てなったけれど今度は爆発しなかった。その代わりに指定したポイントの地面がひっくり返って数字が出てきた。なんだあれ。よく分かんないけどみーすけは無事だ。
「こまこま、今のどうやったの?」
「え。勘」
 勘かよ。
「はるちゃんみたいに最初の一発で地雷を踏んづける方が難しいよ」。ぐぬぬー。しばらく見ないうちに生意気言うようになったもんだ…て感慨深く思ってたらこまこまがまた手でメガホン作ったのですかさず首筋に手刀をお見舞いする。ごふぁと言ってこまこまが倒れる。
 で気絶から復活したこまこまは開口一番「ひどいよ〜はるちゃん」と言って泣く。「こまこまが余計なことしようとするからですヨ!地雷踏んだらまたみーすけ燃えちゃうじゃん!」。「でもそうしないとみおちゃんには近づけないよ。地雷踏んだらまた出直せばいいんだよ」。「えー。こうなんか透視装置使って一発クリア!みたいなのはダメ?」。こまこまは人差し指を立てて「だーめ。透かして見るなんてことは誰にもできません。一歩ずつ進みましょう。頑張ってできるだけ地雷を避けて進みましょう」とセンセーみたいなことを言う。
 こまこまはそれからいくつかポイントを指定して出てきた数字を見て何かぶつぶつ言いながらまたポイントを指定する。その繰り返し。私はこんな感じのちまちましたこと大嫌いだし、なんか先輩風吹かしてるこまこまがちびっとむかついたので「Gの12!」と何も考えず叫んでやる。そしたらこまこまが「はわー!そこはー!?」とか慌て出す。いい気味だ。地雷踏むことを怖がってて誰かと仲良くなんてなれるかばーろぃ!と私はさっきまでの自分を思い切り棚上げしてやる。
 そんで私は案の定一発で地雷を引き当てる。
 閃光。
 ドギャボカーン!
 炎上する敷地と消えるみーすけ。
「はるちゃん、わざとやってないよね?」とこまこまは呆れ顔。
 違うもん違うもん違うもーん!
 ひーん!


《アンタ・アフォー》


 でんでろでろでろ・でろりがでんでん。

 ふと思い立って薄暗い部屋で壺を磨いてたらそんな音楽が鳴り始めた。
 面白くなってきて倍速でゴリゴリ磨く。

 でんでろでろでろ・でろりがでんでん。
 だらすかぼんぼん・だらすかぼんぼん。
 だらりごうんちゃか・だらりごうんちゃか。

 そんで三倍速ぐらいで磨いてるとちゃんちゃかちゃらりー!と一際でかい音が鳴り響いて壺の中からぼわわわわわと煙が噴出。火災報知機が誤作動するがなー!とか思ってたら意外とあっさり煙が晴れてそこには…壺の妖精アンタ・アフォー。
 の顔はどっからどう見ても西園みおのすけ。
「みおのすけ!?」
「アンタ・アフォーです」
「ムキキキー!アホとは何じゃー!」
「アホではありません。アフォーです。アンタ・アフォー」
 ウッキー!全部アホに聞こえる!何これナチュラルにむかつくんですけど!
「…んで何の用なの?私の願いでも叶えてくれるわけ?」
「意味が分かりません。むしろわたしが叶えてほしいぐらいです」
「あんた絶対みおのすけだろ!」
「アンタ・アフォーです」
 ウッキキー!こんなのに毎朝祈りを捧げてたかと思うと泣けてくる。
「でさ、アフォー」
「アホはあんたです」
「あんたも聞き分けられてないじゃん!」
 とまぁ実に不毛な言い争いの果てにアフォーは「まぁいいです。折角出てきたからには、あなたの悩みを聞いてあげましょう」とか言う。「待ってましたー!」と言って指笛吹き鳴らし拍手しまくるとアフォーはむちゃくちゃうっとうしそうな顔をする。けどそんなの知ったこっちゃないので「はるちん大学に友達いないのですヨ!みおのすけだけ!」と興奮気味にアフォーの手を取る。アフォーは「そうですか」と興味なさそうに目を細める。「そうですかじゃなくて!哀れなはるちんに救いの手を!」。アフォーは「どうしてですか」と言って私の手を振り払う。「だって悩み聞いてくれるって言ったじゃんよー!」。「聞いてあげました」。「聞くだけかよ!」。「だけです」。ドガガーン!はるちん超ショック!これじゃアフォーが本当に妖精だとしても意味ないじゃん!泣きたいよー。うひーん。「それとですね」とアフォー。

「みおのすけさんはあなたのこと友達だなんて思ってないです」

 ビギィィィ!と私の心に亀裂が走る。
 私は呆然として…すぐに足が震え始める。
 アフォーがくすりと微笑む。「気づいてなかったんですか?」
「嘘だ!嘘だー!そんなの嘘だもん!信じないぞ!」
「信じないのは勝手です。その方が幸せかもしれませんし」
「みおのすけは友達だもん!そんなひどいこと思わない!嘘つき!」という私の叫び声は自分でも分かるぐらいに震えていた。「心の透視装置なんてないんです。あなたの考えは単なる推測です。それどころか願望に近いです」。「そんなことないもん!私とみおのすけは友達なんだ!お前に何が分かる!」と言う私の目からは涙がぼろぼろこぼれて止まらない。「そうだ!お前はみおのすけなんかじゃない!何がアフォーだアホ!消えろ消えろ消えろ!」
 急に伸びてきたアフォーの両手が私の首を絞め上げる。「あなたがみおのすけさんを信じる根拠は何ですか?ええ答えは分かってます。今さっき、あなたが自分で口にしましたもんね。《私とみおのすけは友達なんだ》でしょう?」
 みおのすけと瓜二つなアフォーの顔がぐにゃぐにゃと歪む。目と鼻と口から黒い霧みたいなものが溢れ出てきてアフォーの全身を覆っていく。「友達というのは便利ですね。友達なら《仲が良い》のは当然だし《襲われてたら助ける》のも当然です。そうするべきだという《役割》が与えられていますから。それを信じるのなら、確かにあなたとみおのすけさんは《仲が良い》のでしょうね。だって《友達》というのは《そういうもの》ですもんね?」
 メーラーダエモンと化したアフォーが私の首を絞めたままで言う。「でもあなたは《役割》を捨てたはずです。あなたは《友達だから助ける》という《役割》を否定して、自らの意志でみおのすけさんを救い出そうとしたはずです。それなのに都合が悪くなったら再び《役割》を求めるのですか?そんなこと許されるはずがない。《役割》に救いを求めるな」
 苦しい。苦しいよ。
 意識が遠くなっていく。
 私、友達って言葉に甘えてたのかな。
 ごめんね、みおのすけ。

 ドンドンドン!

 家のドアが叩かれる。
 メーラーダエモンが手を放す。
 床に倒れた私に「お迎えですヨ」とダエモンが私の声で言う。
「…みおのすけを傷つけたら承知しないから」
「え?あ…うん!ありがと!」
 私は玄関に向かって駆け出す。
 誰が来てくれたのか、顔を見なくたって分かる。
 間違ってたら笑い種だけどさ、それでもいいんだ。
 だってそれ、私を助けてくれる誰かが他にもいるってことじゃん?
 でもたぶん、間違ってないんだろうな。
 悔しく…はないか。嬉しいよ。
 うん、嬉しいんだ。
 ドアを開けた。
 光。


【第三部】


《ワンダフルライフ》

 目覚めた私の顔を涙で瞳を潤ませた美魚が心配そうに覗き込んでいる…なんてことはもちろんなくて美魚は壁際に置かれたパイプ椅子に座って本を読んでた。なにこれ病室?とか思ったけど違くてどうやら大学の保健室的な部屋らしい。このまま狸寝入りをかまして美魚の澄ました横顔を観察してやるぜグヘヘヘー!とか思ったら急に美魚が本をぱたんと閉じる。「おはようございます、葉留佳」と穏やかに言いつつこっちを見てきた美魚の顔が…ぐにゃーて歪む。まだ夢の中なのかー!とか思うけれどそれも違くて…私は泣いてるんだ。
 静かに歩み寄ってきた美魚の胸に飛び込んで私はひーん!て泣いて泣いて泣きまくる。私が凄い剣幕で泣くので美魚はわけ分かんなくて困惑してるってのが何となく伝わってきた。それも無理なくて…だって美魚からしたら私が図書館で倒れたというただそれだけのことなんだ…でも美魚は私が満足するまでずっとそこで泣かせてくれた。ありがとうて言いたいのに言葉になんない。しばらくしてようやく泣き止んだ私に「飲み物買ってきますね」と言って美魚はいつもの澄まし顔で部屋を出ていく。
 静まり返った室内で私は考える。
 メーラーダエモン。
 誰だよ。と今でもまだ思うしアンニャローとも正直思うけどさ…最後には私を助けてくれた。いや違うか。美魚に免じてまぁ許してやるか的な感じだった。首絞められたし説教されたし。でもまぁなんか私の味方ぽかった。だからもうちょい深く考えてみる。はるちんははるちんの味方に優しいのだ。だって友達いないんだもーん!ひーん!
 でさ。
 メーラーダエモンは黒くてぐんにゃりで姉御になったりこまこまになったり美魚になったり…なんじゃそりゃ?なんだけどさ。なんていうか、人ってみんなダエモンみたいにまっくろくろすけでうにょにょーんなんじゃねー?みたいな。あの男前な姉御だって独りぼっちで酒盛りしてうぇーんになるし、ぽわぽわ天然なこまこまだってイケメンつかまえてフヒヒー!になることもあるでしょ。つまりさ…姉御だってこまこまだって《役割》通りになんて生きられないんだから、相手に《役割》通りの行動を求めんなバーカ!ってメーラーダエモンは言いたかったんじゃないかな。
 なんて。
 めんどくしゃーい。
 考えるのだるいっすー!
 とか思ってると美魚が缶コーヒー両手に持って帰ってくる。そんでパイプ椅子じゃなく私のいるベッドに腰かけて缶コーヒーを差し出してくれる。ありがたく受け取りプルタブを上げて美魚の顔を見たとき…私は壺の妖精アンタ・アフォーのことを思い出す。
 私が部屋に置いて大切に磨いたり祈ったりしてる壺から出てきたアフォーが、こまこまでも姉御でもお姉ちゃんでもなく美魚の姿をしていたのは…たぶん偶然じゃない。何それめっちゃ恥ずかしいっすー!ひー!て悶える私を美魚が呆れ顔で見てくる。そんで笑う。なんかその笑顔見てたら恥ずかしいのとかどーでもよくなった。
 あーそーだ。最後にもう一つだけ。美魚は美魚のままじゃいられないし私だって私のままじゃいられないから、これからお互いに地雷踏んだり踏まれたりとか色々あると思うけどさ…地雷踏むこと怖がって何もしないよりずっとマシじゃん!と私は思う。これ夢の中でも言ったっけ?まぁいいや。とにかくそう思うことにする。
 めんどくさいこと考えるのはこれで終わり!
 あつあつ缶コーヒーをぐいーっと飲む。
 オエェェェェェェェ!
「何これブラック?こんなの人間の飲み物じゃねー!」
 喉を押さえて舌出して「ウゲゲェェェー!」と言う。
「ェェー!」の辺りで顔を上げると…無表情だけどそれが妙に怖い美魚と視線がごっつんこ。美魚はすっと立ち上がり「葉留佳。あなたは最低です」と吐き捨てて去っていく。「ひぃーん!美魚様ごめんちゃーい!」と言いつつ美魚の背中に抱きついて許しを請う…のはフェイクでツルツルお胸を堪能するぜ!ウヒョー!ドカーン!ハイ地雷二つ目いただきましたー!

 まぁなんていうか。
 地雷を踏んでばっかの人生かもしんないけどさ。
 なんだかんだで楽しくやれそう。


[No.4] 2009/03/05(Thu) 21:40:14
いつかの夜 (No.2への返信 / 1階層) - ひみつ@3221 byte

「だからぁ、わたしだってさびしいのよぅ」
 佳奈多が、ガン、と手に持っていたトゥインクルルビーをちゃぶ台に叩き付けるようにして置く。中身が少し飛び散った。しねばーか。
「知ったこっちゃないわ、ボケー」
 真似してガン! と梅酒をちゃぶ台に叩き付けるようにして置こうとしたら、手からスポっと抜けてちびちびとビールを啜っていた佐々美のデコに、缶だけにカーンとぶつかった。開けたばっかりの四本目の中身は。
「ぎゃー! 目が、目がー!」
「おう、悪い」
「ちょっとりんさん、きいてるの!?」
 佳奈多が潰れたトマトみたいに真っ赤な顔してずずいっと詰め寄ってくる。こいつの酔い方はいつもこんなんで、正直ウザくてしょうがないのだが、毎度毎度バカでアホでお人好しでだがそこがいい佐々美が連れてきやがるのだ。つまり梅酒はわざとなのだ。さすがあたし、元天才ピッチャー。だがあたしは基本ノーコンなので偶然かもしれない。真実はいつもひとつだが、たまにはふたつみっつあったっていいだろう。ちなみに今日はやっつぐらいある。
「おねがいだから、きいてってばぁ」
「目がー! 目がー!」
 トゥインクルルビーみたいに甘ったるい声。しかも炭酸抜けて、ただバカみたいに甘いだけ。そのまま飲んだら気持ち悪いが、かき氷のシロップにならちょうどいいかもしれない。
「そうだ、かき氷を食おう」
「目がー! 目がー!」
「かきごおり! いいわねいいわね!」
「目がー! 目がー!」
「うっさいしねばーか」
 佐々美が口を閉じた。両手で目を押さえたままゴロゴロしてるのは変わらないのでどっちにせようっさいしねばーかだったが、まあ佐々美はそれぐらいがちょうどいい気がする。とりあえず足伸ばしてちゃぶ台の下から蹴りを入れてやった。
「かきごおりは、かきごおりはまだなの!?」
 ガンガンと缶でちゃぶ台を叩きまくる。うぜー。
「考えてみたらかき氷の機械なんて高価なもの持ってなかった」
「ええー」
 口を尖らせてぶーぶー言ってる。うぜー。うざいなりに知恵を働かせたのか、ケータイを取り出した。胸元から。うぜー。うっぜー。ついでに普通にズボンのポケットに入ってるあたしのケータイが震えた。ひゃん。バイブってあれだよな。うん。
「もしもし〜? うん、わたしわたし。は? さぎじゃないわよばかじゃないの? そう、かなちゃん。よってなんかいましぇーん。で、あんたはつまみかってくるのにどんだけかかってんのよばかじゃないの? ついでにかきごおりのきかいかってきてね、じゃ」
 返事をする間もなく切れた。何か言うつもりもなかったが。どうやったら直枝と棗を間違えるのか。ばーかばーか。でもそういえば、クラス替えの後は理樹の後ろの席だったな。暇な時につついて遊んでた気がする。暇じゃなくてもつついてたけど。ばーか。
「かっきごおり〜、かっきごおり〜」
 トゥインクルルビーを飲み干した佳奈多が、今度はスクリュードライバーを呷っていた。残念ながらかき氷の機械はやってこないし、そもそもこんな真冬にかき氷食いたいなんて言うバカはおまえだけだばーか。
 がちゃり、と遠いような近いような。まあどっちでも。ただいまー。おかえりー。吹き込んでくる寒風が火照った体に気持ちいいと思ったら大間違いでぶっちゃけ寒いからさっさと閉めろばーか。
「遅くなってごめん」
「柿ピーとちーかまよこせ」
「はいはい」
 投げるなばーか。ナイスキャッチあたし。ビリッ。柿ピー齧る。ぽりぽり。うまうま。
「ちょっと、かきごおりは!?」
「いやいやいや、こんな真冬になんでかき氷?」
「うわあああああん!」
「あーもう鬱陶しいなぁ。ほら笹瀬川さんも邪魔だから」
 蹴ってやれ蹴ってやれ。
「トイレ行くけど鈴も来る?」
 どんな誘い方だうっさいしねばーか。
 トイレからげげごぼうぉえー! まだ吐いてんのかあいつ。佳奈多と佐々美が釣られて吐いた。しねばーかども。


[No.5] 2009/03/06(Fri) 14:26:25
ラブレターに花を添えて (No.2への返信 / 1階層) - ひみつ@ 8635 byte

 〜

 直枝へ

 改めて文章にすると照れくさいものを感じます。だけど、面と向かっての方がもっと照れくさかったので、手紙にして伝えます。
 直枝理樹。あなたが好きです。大好きです。きっとこれからの人生であなた以上に愛せる人なんていないと思える程に、あなたに恋しています。
 正直に言えば生涯を共にして欲しいと言いたいのですが、それでは直枝の方が困ってしまうでしょう。だから今はただ普通に私と付き合って欲しいです。
 そしていつか未来の話、その時にどうか生涯を共にしたいという話をさせて下さい。

 〜





 ラブレターに花を添えて





 想いを認めた手紙を最後にもう一度だけ見直す。緊張でガチガチになった文字は自分らしい形を残しながらも、幼い子供が書いたみたいでどこか笑えた。
「次は花ね」
 手紙を机の上において、財布を持ち。軽く雨の降る外へと出かける準備を整える。
 手紙に花を添えるなんて自分らしからぬロマンチズムだと冷静になれば思わないでもないが、それでも前々からそうしようと決めていたのだから覆すのもどこかに後悔が残りそう。
 部屋を出る直前に雨降る空を映す窓、それを背景にした手紙にふと目がいってしまう。変な感傷を感じるけれど、それでも視線をきって先を急ぐ。急がないと雨が本降りになりかねない。
 バタンとしまるドアの音がいやに響いた気がした。特別な日は不思議な心持ちになるらしい。

 ★

「あれ、佳奈多さん?」
 雨の降る町、その声を聞いてドキンと胸が高鳴った。次には言いようのない焦燥感。慌てて振り返ったらそこにはやはりと言うかなんと言うか、直枝理樹の姿が。
「な、な、直枝!? どうしてここにいるの?」
「いや、真人が入院しちゃったんだよ。廊下に落ちてたカツを拾い食いしたらしくてさ。だからそのお見舞いの花を買いに来たんだ」
 思わず舌打ちをしたくなった。会えたのは素直に嬉しいけど、わざわざ行き先まで一緒じゃなくてもいいのに。
「井ノ原真人だと花よりも食べ物の方が喜びそうだけど」
「僕もそう思ったんだけどね。食中毒だから食事制限があるらしくてさ。真人に花なんて似合わないと思うけど、病院にお見舞いに行くのに手ぶらっていうのも失礼かなって」
「らしいわね、直枝」
 くすくすと笑いがこぼれる。そんな風に道ばたで話をしていたら、雨がだんだんと強くなってきた。
「あちゃあ。強くなってきちゃったね」
 鉛色の空を見上げながら顔まで曇らせる直枝。それにつられるように私も頭上に広がる雲を見上げる。
「そうね。予報ではこの時間がピークらしいから――」
 相づちをうちながらも、頭のどこかでいやらしい計算をする自分がいる。
「――どこかで雨宿りしない? 少し経てばまた弱くなるでしょうし」
「うん、そうだね。じゃあそこの喫茶店に入ろうか」
 直枝が指さした先にあるのは雰囲気のある喫茶店。恋人のデートにあつらえ向きといった風情の。
 きっとそんな意識は微塵もないのだろうけど、ほんの少しの期待に胸が踊るのは仕方がないと思う。軽くなった足取りで喫茶店に向かう。カップルだらけの店内を見ると、そういった店なのだろう。また心臓が勝手に高鳴ってくる。
 席に座って注文をする。そしてほどなく紅茶が運ばれてきて、一口。
「ふぅん」
 どうやらこの店はあらゆる意味で外見重視の方向性らしい。
「あ、あはははは」
 この喫茶店に行こうと言っていた張本人も、笑ってごまかしている。
「まあ直枝が悪いわけじゃないものね」
「そう言って貰えると助かります」
 ちょっと疲れた顔をする直枝。それに私としてもそこまで嫌な気分という訳ではない。店にいるのはカップルばかりだし、その中で一緒にいるのは直枝。嫌な気分になるはずもない。
「そういえば、佳奈多さんは今日はどうしたの?」
「どうって言われても困るけど、花を買いに来たのよ」
「花?」
 目の前に少し考え込む顔が浮かぶ。
「寮長室に飾ったりするの?」
「さあどうでしょうね」
 笑ってはぐらかす。少し憮然とした顔が見えたが、すぐに諦めたようだ。
「でもこうやって佳奈多さんと落ち着いて話をするのも不思議な感じがするね」
「そう? 私には分からないけど」
「佳奈多さんはそうかも知れないけど、やっぱり僕には、ね」
「そういうものなのかしら」
 直枝は紅茶のカップを傾けて中身を空にすると、窓から外の様子をのぞき見る。
「雨足が弱くなったかな。みんなとの待ち合わせの時間もあるし、これ以上はゆっくりできないかな。佳奈多さんも花屋まで一緒に行かない?」
「私はもう少しここにいるわ」
「え?」
 花を買いに来たという目的が一緒だった時から直枝の中で、私たちが一緒に行くのは決定事項になっていたのだろう。だけどまさか直枝の前で花を買う訳にはいかない。残念な気持ちを押し殺してきょとんとしている直枝に話しかける。
「ごめんなさい、もう少しゆっくりしていきたい気分なの。直枝は急ぐんでしょう? 私は気にしないで」
「あ、うん。佳奈多さんがそう言うなら」
 釈然としないような表情で、私の分の伝票も持って立ち上がる直枝。
「あっ。直枝、ちょっといい? すぐ終わるから」
「え。あ、うん」
 歩きだそうとした足を止めて、きちんと私に向き直ってくれる。とくんとくんと心臓が高鳴る。
「用事があるんだけど、今夜ちょっと時間取れるかしら」
「今夜? うん、大丈夫だけど用事って?」
「秘密。今夜になれば分かるわよ」
 不思議そうな顔の直枝を見る私におかしいところはないだろうか。少なくとも心臓はこれ以上ない早いビートをたてているのはよく分かるのだけど。
「じゃあ夜にね」
 私の異常には気がつかずに、時間が本格的にまずいのか早足で立ち去っていく直枝。その姿が完全に見えなくなった時、体の力がどっと抜けた。
「はぁ」
 言ってしまった。もう後戻りは出来ない。

 ★

 カランカランと軽快な音がなる。思っていた以上に喫茶店に長居してしまったけれど、夜までにはまだまだ時間がある。花屋までの短い雨の道を、ゆっくりと歩く。わずかな時間だけど傘に当たる雨音が心地いい。
 花屋に入ってすぐのところで店員さんをつかまえて、欲しい種類の花を口にする。
「葉っぱのついた紅色のバラを一つに、蕾の白いバラを3つ」
 分かりましたと店の奥にひっこむ店員。カチャカチャと金具、多分ハサミを動かす音が聞こえてくる。そんなに時間も経たないで花を包んで持ってきてくれた。
「プレゼント用ですか?」
「はい」
「ならリボンはいかがですか? 1本300円ですけど」
 サンプルを見せてくれる店員に、結構ですと簡単に断りをいれる。花を受け取り、代金を支払って店を出る。そんなに長い間店にいた訳ではないはずなのに、雨はいつの間にか止んでいて、夕焼け空がとても綺麗だった。夕焼けが綺麗と思えた事が嬉しかった。

 ★

 こんこんと部屋をノックする音。
「はい」
 部屋の中から声がして、直枝が顔を出す。ズキンと心が悲鳴をあげた。
「ああ、佳奈多さん。さっき言ってた用事?」
「ええ。今は井ノ原真人は居ないのよね。ちょっとあがらせて貰っていい?」
「え、あ、うん」
 体をひいて私を部屋の中に招き入れる用意をする。
「お邪魔するわ」
 そして部屋へと入る。背後でドアの閉まる音がする。
 直枝の部屋に二人きり。こんな用件じゃなかったどんなに嬉しかっただろう。この後に起こる事は絶対に私を複雑な気分にさせるだろうから。
「それで用事って?」
 座布団を進めながら直枝は促す。その言葉に私はポケットから一通の手紙を取り出した。
「手紙?」
「ラブレターよ」
 きょとんとした顔をしてから、一気に狼狽する直枝。
「え、ええ!? そんな、困るよ!」
 その反応に私は苦笑を隠さない。早とちりするのに少しばかり呆れるし、私からのラブレターだったら本当に困っていたのだろうと想像できてしまうから。
「そう。葉留佳からのラブレターは困るっていう訳ね?」
「って、え? 葉留佳さんから!?」
 今度は驚きがありながらも喜びの色。私の時と全く反応が違う。予想はしていたけどやっぱり寂しい。
「ええそうよ。こういうのは本人が渡すのが筋だって何度も言ったんだけど、あの子ったら怖くて渡せないの一点張りで。4時間くらい押し問答をしていたんだけどね、結局私の方が折れちゃった」
 そう言って手紙を直枝に手渡す。少し狼狽しながらも、受け取る直枝。
「でも、葉留佳さん、それに佳奈多さんも」
 直枝は怖がっているようにも見える。でもそれはきっと私のせいだから、にっこりと笑顔を作って言ってあげる。
「保健室での事は私が悪いんだから、直枝は気にやまなくていいの。あなたは葉留佳のつもりだったんでしょう? あれは、私が悪いんだから」
「いやそうは言っても」
 なおぐずる直枝に業を煮やしてしまう。この話はここでお終いという意味を込めて持っていた花をちゃぶ台として使っているだろうダンボールの上に置く。
「これは?」
「バラの花よ」
「いやそうじゃなくて」
 困った顔をする直枝がおかしくてクスクスと笑ってしまう。直枝も一緒になってクスクスと笑う。
「佳奈多さん、そう言った冗談も言うんだね」
「たまにはね」
 そう言って少しだけ時間を置く。
「私からのプレゼントよ、お似合いな二人にね」
 顔を真っ赤にする直枝。そんな直枝の事を見ていたくなくて、私は黙って腰をあげた。
「じゃあ私は失礼するわ。どんな答えでもちゃんとあの子の事を見てあげてね」
 ほんの少しの浅ましい願いを込めて、私は部屋を後にする。

 ★

 夜の校舎裏。ここには今誰もいない。私一人だけ。手紙と花を持った私一人だけで立ち尽くしている。手紙を持つ手が震えているのが自分でも分かる。
「未練ね」
 自嘲する。それでもやはり物悲しさを感じる事を止められるはずもない。大切にしまってきた手紙には、いつか直枝に読んで貰おうと思っていた言葉が必死の想いで綴られている。けれど、これを読んで貰う資格は私にない。
 私は婚約をするから。直枝ではない、全く愛してもいないし愛されてもいない男と。
 それなのに裏切りの想いを受けとってなんて言える訳がない。生涯を共にしたいなんて言葉を吐く資格なんてない。
 4本のバラに込められた花言葉。

 死ぬほど恋焦がれています
 処女の心
 あなたの幸福を祈る
 あの事は永遠に秘密

 それに手紙をあわせて、取り出したライターの火に浸す。想いはゆっくりと火に溶かされて、煙となって天に消える。
 秘めた想いは誰にも渡さない。


[No.6] 2009/03/06(Fri) 18:57:20
実像と虚像 (No.2への返信 / 1階層) - ひみつ@11128 byte


 オレンジ色のぼんやりとした意識の片隅、ノートパソコンの強い光が、鈴の眼鏡を煌かせていた。
 眼鏡?
 はて、鈴は眼鏡なんてかけてたっけか。
 パソコンの灯りが眩しくて仰向けになる。豆電球が弱々しく光を放っていて、口の端からよだれが垂れた。
「きたなっ! それあたしの枕だろうが!」
 遠く聞こえる怒鳴り声。抱きしめていたいい匂いのする枕を取られて、頬が乱暴に拭われた。あごの下がわが拭ききれてなくて気持ち悪い。でも自分で拭こうという気はしない。なんでだろうね?
 覆いかぶさるようにして、鈴が僕の顔を覗き込んでくる。パソコンの光が遮られて視界が暗くなった。薄暗闇のなかで、鈴の瞳だけが輝いて見えた。眼鏡は見えなくなっていた。
「ねえ鈴」
「ん? なんだ、起きてるのか?」
 どうだろう。起きてると思うけれど、眠ってるままの気もする。というか、僕のつばってそんなに汚いかな? 歯磨きだってちゃんとしてるし、たまーにだけど鈴の方からしてくるくせに、いや、そういう問題じゃないんだろうか。
 それよりなにか聞こうとしていて、なんだったっけ。
「寝言? 紛らわしいわ」
 鈴の顔が離れていく。眩しい光が目に染みて、鈴のくりくりした瞳がまたノートパソコンに向けられてしまう。
 隣の枕元、畳にべた置きされたノートパソコン。ワードとインターネットエクスプローラが動いていて、ワードで少し書き物をしたかと思うとグーグルでなにか検索しだす。眼鏡に色々な像が映っては、パッと切り替わって消えていく。カチカチ。カタカタ。ヴィン!
「おわっ! なんじゃこりゃ!」
 寝返りを打ってまた天井を見た。頼りないオレンジ色。部屋の左半分にあるこじんまりとした家具や、写真立てのアクリルが弱く反射しているだけで、右半分はノートパソコンが強い光源になって夕焼けを隅へ隅へと追いやっていた。
 鈴の腕がヒモに当たって、猫の飾りが揺れた。
「おい理樹、起きろ」
 身体を揺すられる。
 また鈴の顔。まるっこくて、でも肉がついてる感じじゃない、恭介みたいに目鼻立ちのはっきりしてて。目は、つり目がちでも大きくて。可愛い。のぞきこむ形だから、赤フレームの眼鏡がちょっとズレてて。
 そう、これだ。
「鈴って前から眼鏡してたっけ?」
「無視する気かお前」
「いや、可愛いなって」
「ん……そう?」
 両手でツルを持ち上げて、位置を整える。ちょっとはにかんで笑う。
「うん。なんか新鮮」
「だから前からしてるって言ってるだろーが」
 いやいや、言ってないでしょ。たぶん。
「そうだっけ?」
 ああ、既視感。眼鏡をしてたの、してないの。
「だいじょぶか、理樹?」
「ちょっとゴメンね」
 手を伸ばして鈴の眼鏡を奪う。チタンだかステンレスだかの冷たいような、人肌の温かいような感触がした。
「こっ、こらっ! 返せ!」
 鈴が手を伸ばしてくる。両手で持ってる眼鏡を素通りして、人差し指と中指が僕の目を突いた。
「あぐう」
 変な声が出る。
 鈴の爪はとんでもなく長くて、とんでもなく痛かった。
「めがね取るからだ」
 いつの間にか僕の手から眼鏡が消えていた。鈴が持ってったのかと思ったけれど、見ればまだ掛け布団の上に落ちていて、鈴の手がポフポフと布団の上をさまよっていた。
 漫画じゃあるまいし。
 拾って、鈴に手渡す。鈴が慣れた手つきで眼鏡をかけて、
「それよりパソコン、壊れた」
 と言った。
「左下のC、T、R、LとA、L、Tを同時押ししたまま右上のD、E、L、なんとか。それ二回」
 カチカチカチ。
「ぎゃあああ!」
 短い悲鳴。
 さて、鈴はいつから眼鏡をしていたのか。
 自慢じゃないけど鈴の身体能力には自信がある。野球をすれば1番ピッチャー。サッカーならばミッドフィルダー兼ゴールキーパー。目だってそれはそれはよかったはずだ。ボール拾いをしてるとき、クドとたまたま手が触れ合っただけであとでそれはそれは怒られた。鈴はグラウンドの反対にいたはずなのに。
 まったく鈴のヤキモチ焼きにも困ったものだ。
 すぐ横にボスッとなにかが倒れこんできた。眼を開けると、オレンジ色にだけ染まった鈴の顔が見えた。
「パソコンは?」
「寝る。別にあとでいいし」
「そっか」
 寝る、とか言いながら、目を閉じようとしない。二人でしばし見つめ合う。眼鏡が豆電球を映している。
「なんで眼鏡してるの?」
「ちっとは空気読め、あほ」
 布団越しに蹴られる。
 まあそれはともかく、鈴に空気読めと言われたことは純粋にショックだった。真人に馬鹿と言われたような気分だった。
「そうじゃなくって、寝るんでしょ?」
 気を取り直して、そう尋ねる。
 鈴は黙ったまま僕を見続けて、手を伸ばしてきた。首の後ろに回されて顔が近づく。眠かったけど、ちゃんと空気が読めることをアピールすべく、軽くキスした。横になってるのと暗いのとで、鼻の頭になってしまったけれど。
 鈴が眼鏡のズレを直す。
「よくよく見ると、結構かっこいいな。よくよく見ると」
「そりゃどうも」
 僕には暗くてよく見えないけれど。あんまりといえばあんまりなくらい控え目だけど、お世辞だろうか。それとも眼鏡に夜目を利かせる効能でもあるんだろうか。
「目、だいじょぶか?」
 別に心配そうでもない。
「うん、まあ」
「そか」
 短く答えて、鈴が隣でもぞもぞしだす。なにごとかと思っていたら、すごく冷たいすべすべしたのが布団の中に入ってきた。かなりびっくりした。
「冷たいんだけど」
「ちょっとくらいよこせ。減るもんじゃないだろ」
 ふくらはぎに鈴の足が押し当てられる。引っ込める気配はなくて、仕方なしに両足で挟んであげると、眼鏡の奥で鈴の目が細められた。
 また眼鏡のことを考えた。
 度が入ってて、光を反射するとちょっとだけ緑色になる。眺めながら並んで歩く。鈴がそれに気づいて僕を見上げる。そのとき少しだけずり落ちて、鈴は上目遣い気味になったかと思うと、険しい顔で眉を寄せ、それから眼鏡を直す。そしてなにかを確かめるように僕をひと睨みして、ようやく笑う。赤銅色のフレームがキラキラしている。意味もなく、息が詰まりそうになる。それから変な不安に駆られる。
 パソコンの起動音が聞こえてきた。何の意味があるのかわからない、あの音楽だ。刺すような光が瞼の隙間から滑り込んできた。
「寝るんじゃないの?」
「いや、やっぱやる。どうせやんなきゃだし」
 鈴にしては殊勝な態度だった。明日でいいことは明日、今日やることは明日で済むように努力してきた鈴とは思えない。
 パソコンに向かう鈴。眼鏡が輝いている。手つきにさえ気づかなければすごくデキる人に見えた。鈴のこんな姿なんて、生まれてこのかた想像したことがなかった。鈴は不満そうだったけど、やっぱり僕には新鮮に映った。
「その代わり、明日は帰りにケーキ買おう」
 でも言ってることは相変わらず支離滅裂というか、相変わらずぶっ飛んでいた。いや、ぶっ飛んでるのは僕のほうで、もしかしたら鈴の話を聞き漏らしていたのかもしれない。怒られるのが怖いから眠っている振りをする。
「聞いてるのか?」
 トーンが下がった、不満げな声。
 無視したらしたで怒られそうなので、この際正直に受け答えることにした。
「誰が買うって?」
「ふっふっふ。あたしが買ってやろう」
「何を?」
「ケーキだ」
「なんで?」
「誕生日だからだ」
「誰の」
「おまえのに決まってるだろ」
「今何月だっけ?」
「自分で調べろ、ばーか」
 枕もとの充電器からケータイを取って開く。眩しい。もう、四時をまわろうとしていた。
「ああ、ホントだ」
「寝ぼけてるのか?」
「かもしれない」
 答えるや、ほっぺたを張られた。
「目、覚めた?」
 びっくりするほど純真な瞳。ビンタをかました直後には見えなくて、夢だったんじゃないかという気がしてくる。
「なんで今、殴られたの?」
「寝ぼけてたから」
 そっとしておくって選択肢はないんだろうか。
 ないんだろうな、きっと。
「……で、明日僕の誕生日のお祝い? 明日だっけ?」
「正確には来週だが、まー気にするな」
 うんまあ、気にしない。
 誕生祝いなんて、いつ以来だろうね。
「なんで誕生日ってお祝いするんだろうね?」
 ふとどうでもいい疑問が浮かんで、そのまま口にしていた。どうでもよかったんだけど、鈴は黙って、少し悩むようにあごに手を当てた。頬の輪郭と眼鏡が光の中に白く浮かび上がっていた。
「誕生日が来るのと来ないとじゃ、来るほうがいいだろ」
 そしてさらっと、鈴はそんなことを言う。
 回らない頭で意味を咀嚼して、そーいうもんだろうか、と思った。
 残念なことだけど、迎えられる回数には限度があるわけで。その回数は本当、誰にも分からない。それを消費しちゃうっていうのはありがたくないことなんじゃないか。誕生日なんかずっと来ないで、ずっと過ごせる方がめでたいんじゃないか。
 まだ寝ぼけてるのか、そんなよく分からない理屈が頭の中を流れていった。
「嬉しくないのか?」
 鈴がまた僕の顔を覗き込んでくる。下ろした長い髪が僕の頬をくすぐってくる。くすぐったくて寝返りを打つと、リンスの甘いにおいがした。
「……それほど」
「そか。でもまあ、あたしは嬉しいから祝う」
 今度は間髪おかずにそう言った。まるで答えを決めていたようだった。
 当たり前だけど、その言葉に悪い気はしないで。
「明日の帰りだっけ」
「うん。ローソクが全部乗るくらいの買おう」
「お金は?」
「スポンジケーキになるな」
 いや、それはさすがにむなしい。というかひもじすぎる。想像してげんなりした。
「じょーだんだ。お金あるから、安心しろ」
 鈴は笑った。
「明日、鈴もどこか行くの?」
「理樹と一緒のとこ。……薬もらいに行くんだろ?」
「ああ、うん。まあ」
 そのとおりだったので、曖昧に頷いておいた。
 病院デートとかあんまり面白いもんじゃない。憂鬱になって鈴に背を向ける。以前鈴が先生の文句を垂れていたのを思い出す。
「眼鏡、不便じゃない?」
「さっきからめがねめがねって、なんだおまえ、めがねフェチか」
「いやいやいや……」
「ひてーしないのか。まあいい。めがね嫌いじゃないぞ」
「そうなの?」
「理樹がめがねフェチっぽいからな。冗談だが」
 ああ、もしかして鈴は上手いこと冗談ではぐらかしているんだろうか。正直そこまで考えてる子には見えないけれど。でも眼鏡をしてると考えててもおかしくないような、賢い子に見える。
 そーじゃなくってさ。
「手術で治せたりしないの?」
「できるけどやだ」
「なんでさ。病院、面倒でしょ?」
「物入れるのやだし、面倒じゃない」
 そろそろカーテンが青白く光り始めている。白い光の狭間で、夕焼け色が駆逐されようとしている。いい加減そろそろ寝ておかないと、明日……今日に差し支えてしまう。
「痛かった?」
 ん? と鈴が聞き返してくる。
 僕はやっぱり寝ぼけていて、そんなこと聞いてどうなるんだろう。
「痛かった」
 鈴が言う。眼鏡を外して、焦点の合わない瞳で僕の目の向こうを睨む。
 なんでこんな目に合わなきゃなんないんだ、と、震える声で僕を問い詰める。
 そうなってくれたら、どれだけいいか。
「んー、それどころじゃなかったし、よく覚えとらん。落ち着いたくらいに、眼鏡しろって言われた」
 鈴はそっけなくそう言うだけだった。
 僕は鈴の答えを残念に思った。
 お前のせいだとか、一言だけでも口にしてもらえていたらと思った。
 プリンターががりがりと音を立てて、印刷紙を飲み込んでいく。何度か繰り返されるあいだ、鈴があくびをして、指だか肩だかの関節をポキポキ鳴らす。やがて静かになった部屋で、トントンと紙をそろえる音がする。紙が一枚、薄明かりの中を滑って、僕の前に落ちた。どこから引っ張ってきたのか、円柱レンズの光路図がプリントされていた。
「すまん。取ってくれ」
 紙を摘み上げようとしても、握力が全然入らなかった。結果、鈴に手渡す前に僕の手から落ちた。
 鈴は何も言わなかった。代わりに、
「ホチキスは?」
 と尋ねてきた。僕は答えようと思ったけれど、声は出なかった。
 机を漁るゴソゴソという音のあと、少ししてホチキスがガチャリと歯を立てる。鈴のため息が部屋の空気を揺らす。
 僕は息を大きく吸って、吐く。想像上のローソクは一発で吹き消えて、鈴が喝采をくれる。
 そう思っていたら、一本だけ消え残ったローソクがあった。暗い部屋の中で未練がましく揺らめいている。鈴の眼鏡にゆらゆらと反射している。
「至らない奴だな」
 眼鏡の奥、鈴が笑う。僕もそう思う。本当に至らない奴で。
 渾身の力で、ローソクに息を吹きかけようとして、その直前、耳元でケータイが音楽を奏でる。
 薄く目を開ける。サブ画面がオレンジ色に光っている。
「うっさいから消せ」
 僕が黙っていると、鈴が僕を抱きしめるようにしてケータイに手を伸ばす。
「ん? メールだぞ?」
 珍しいな、とでも言わんばかりだった。僕も珍しいと思った。鈴はいいにおいがした。
 僕はそのまま鈴を抱き寄せて、キスしようとして、でも鈴の顔がどこにあるのかわからなかった。
 困惑していると、布団を剥がれて、やっぱり鈴の顔があった。眼鏡の向こうの鈴の目は、朝日に映って、少し充血していた。
「眠いから、キスだけな」
 横柄な声がして、唇に温かい湿ったものが触れた。


[No.7] 2009/03/06(Fri) 19:13:30
あをのレンズ (No.2への返信 / 1階層) - ひみつ@13557 byte

 ビーカーの向こう側で、硫酸銅水溶液色をした横長の真人が深いため息をついた。
「ねえ、真人、聞いてる?」
「ああ、聞いてるって。だがな理樹、相談する相手を間違えてるんじゃないのか?」
 真人は、実験机にのっぺりと付けた顎を面倒くさそうに動かして、答えた。
「だって、こんなこと相談できるの、真人か謙吾か恭介くらいしかいないもの」
「意外といるじゃねーか。つーか、それじゃ鈴が泣くぞ」
「鈴は……だって」
 女の子だから。恋の相談なんて恥ずかしくてできないから。件の鈴はというと、教卓近くの女子グループの中で、借りてきた猫のように小さく佇んでいる。
「お前に彼女ができてから、随分と親離れが進んだようだな」
 真人の隣から、塩化銅水溶液色をした横長の謙吾が言った。
「親離れって、そんな」
「実際、そんなものだろう。鈴が俺たちより神北たち女子グループを優先し始めたのは、明確にその時期からだからな」
「別に、だからってわけじゃないよ。仲間外れとか、そういうのじゃない」
「無論それはわかっている。いずれにせよ、あいつにとっては成長の証だ。心配しなくてもいい。……ま、今のお前は、それどころではないのかもしれんが」
 理樹は、どこか責めるような謙吾の言葉にわずかばかりの不服を覚えながら、手にしていた虫眼鏡越しに鈴を見た。しかし、その視線はあっという間に隣の人物に奪われてしまう。彼女は物静かで、凛としていて、メチルブルーのビーカー越しだと消えてしまうくらい、透き通っている。
「……このようにして青色の結晶はできるのであり、つまり」教師の講釈など、もはや理樹の耳には入らない。「全ての事象には必ず理由があるのです」
「重症だな」
「ああ、肉離れ並の重症だ」
 二人の呆れた様子など、気にもならなかった。
 要するに、直枝理樹の悩みとは、西園美魚との関係についてなのだった。

 エロいことをしたわけでも、したいと訴えたわけでもなかった。そりゃ理樹とて年頃のオトコノコなのだから、そういうことをしたい気持ちがないわけではなかったが、それでもオトコノコならではの意地で、本人の前ではおくびにも出さないように努めあげてきた。なので彼女とのすれ違いの原因がエロスにないことだけは確かで、そうなると理樹には、彼女がなぜ一歩先の関係に進むことを拒み続けるのか皆目見当がつかなかった。
「本当に心当たりがないのか?」
 恭介に改めて念を押されたところで、ないものはないのである。
「だから困ってるんだ」
「本当にエロじゃないんだな?」
 耐久ブリッジをする真人の上に腰かけた謙吾が、竹刀の先を理樹に突きつけて言う。
「だから、違うって。いい加減信じてよ」
「いや、別にお前の信用がどうとかいう話ではなくてだな、お前の話を聞いた限りだと、こちらにはどうも決定的な理由が見えてこんのだ」
「ふぐぐぐ……そのなんだ、付き合って一ヶ月そこらなんだろ? よくわかんねぇが、世間一般的には一番楽しい時期だったりするもんなんじゃねぇのか?」
 そんな疑問、言われずとも他らなぬ理樹がすでに百回は自問自答している。海での告白から一ヶ月、少なくとも理樹は美魚の気持ちを無視するような真似も、決定的な地雷を踏むことも、友情を優先して彼女を放置するなどという暴挙をかましもしなかった。ゆっくりと愛を育もうと思っていた。ゆっくりした結果がこれだった。
「一人で考えても、どうしてもわからないんだ」
「ふぐぐぐ……ま、それでまず身近なオレたちを頼りたくなるのもわかるけどよ」
「お前にわからないことが、俺たちにわかるわけがないだろう」
 竹刀の先が、カツッ、と地面に打ちつけられる。
「お前の彼女のことなのだから」
 それはそうだけど、と理樹は口をつぐむ。悩める相談主が閉口してしまったものだから、放課後の屋上は運動部のやけっぱちな掛け声と下手くそなブラスバンドの音色だけに包まれた。
「つーか、なんでさっきからテメーはオレの腹の上に乗っかってるんだよ!」
「ようやく気づいたのか、阿呆が」
 間もなく真人と謙吾のじゃれ合いが始まり、うららかな静寂は終了する。阿呆とはどういう意味だこのヤロ、いやなに腹筋の鍛えすぎで触感が鈍くなっているようだったのでな、最初から気づいてんに決まってんだろ、ならば鈍いのは脳だな、テメーやんのかコラ、望むところだ腹筋怪獣グドンなんぞに俺は負けはせん。
 賑やかな空気が戻ってきても、理樹の心は晴れないままだった。
「ま、謙吾の言う通りではあるな」
 二人が離れたところで異種格闘技風ベーゴマ決戦を始めた頃、タイミングを見測ったように、給水塔に陣取った恭介が口を開いた。
「西園のことはお前が一番よく知っている。そうだろう?」
「……うん」
「これはお前の恋人だからという意味じゃないぞ。お前は、お前にしか知らない西園を知っているはずだ」
「――あ」
 理樹は、そういえば恭介に一度助けを求めたことを思い出した。信じがたい話を最後まで聞いてくれた上に、俺を信じるな、と進むべき道まで示してくれた恭介は、その後何ひとつ説明もないまま今に至ってなお、指標を与えてくれているのだ。
「本当にお前に心当たりがないというのなら、他に答えを知っている人間は、おそらく一人だ」
 美魚本人。
「……そうだね」
「何も怖がることはないさ。聞いてみればいい。それを聞く権利があるのは、お前だけなんだから。ほら、」
 恭介は、憎らしいほど様になった動作で、学校の一番高い場所から地上を指差した。理樹は、フェンス際に歩み寄ってその指先を追う。
 中庭の木の下、そこに、オフホワイトの花が咲いていた。忘れもしない、彼女のトレードマーク。
「――っ」
 理樹は、天と地がひっくり返るような衝撃を覚える。持病の前触れのような感覚、しかし、そんなものとは比較にならないほどの一撃。
 ありえない。
 だって。
 ――彼女はあの日から、その日傘をたたんだはずなのだから。
 考えるよりも先に身体が動いていた。フェンスから飛び跳ねるように身体を翻して、あっけにとられる恭介の足元をすり抜けていく。サッシにぶらさがるようにして窓から校舎に入り、机や椅子やガラクタ諸々を押しのけ、階段を二段飛ばしで、徐々に三段、四段飛ばしで駆け降り、廊下を駆け抜ける。
 渡り廊下に出る。
 中庭の木の下を注視する。いない。
 もう一度目をこらして、おそらく不審者に思われるくらいの目つきで周囲に視線を巡らせる。視界の隅から一瞬で消えていく白い日傘。
 校舎の角を曲がった。確かにその目で見た。
 だから、考えうる最短距離で校舎の角に駆け寄ったというのに、曲がった先にその姿が見当たらないことに驚いた。
 運動神経にも体力にも自信はないが、視力だけは大丈夫だという自負があった。校舎の反対側の角に残像のような白い影が残されているのを、理樹は見逃さない。
 逃げ水を追うような鬼ごっこが始まる。
 校舎を、駐輪場を、寮の裏手を、裏庭を這うように駆けずりまわり、決して掴めない白い影に手を伸ばし続ける。どれだけ全力で走っても、どれだけ手を伸ばしても、手にすることはままならない。ようやく追いついたと思ったら、伸ばした手は空を切り、気がついたときには、それは忽然と姿を消している。そしてやがて視界の隅に、幽霊のように白く浮かび上がる。あるときは遠く近く、あるときは正面に背後に、あるときは正しく逆さに、変幻自在に浮かび上がる。
 アリスのようだ、と理樹は思う。
 パラドクスと不条理と非現実の世界で、アリスは白ウサギを捕まえることができない。同じように、理樹はあるはずのない、ないはずのないその白い影を掴むことができない。
 もしかしたら、そんなもの最初からないのかもしれない。自分の見間違いか、あるいは蜃気楼のようなものだったのかもしれない。だから白ウサギはアリス以外の誰にも気にされないし、彼女の白い日傘は自分以外の誰にも気にされない。
 アリスだけが感じた違和。自分だけが知っている違和。

 誰も気にならないようなわずかな差だった。
 気になったとしても、ああ今日は暑いもんねとか、その色お洒落だねとか、その程度の感想で終わったはずだ。
 それでも。
 それでも直枝理樹にとっては、その日傘の存在は、世界の終わりと同等の重さがあるのだ。

「――西園さんっ」
 視界が開けた。
 そこは、不思議の国でもなんでもない、ただの中庭だった。
 最初に確認したはずの大きな木の下で、まるでずっとそこにいましたとばかりに、美魚は静かに佇んでいた。
 日傘を差して。
 目が合った。
 そんなこと、何の気休めにもならなかった。
 全身で大きく呼吸を整えながら、理樹はゆっくりと美魚に近づき、誤解されても仕方のないような乱暴さで、その頭上から日傘を押し退けた。

 影は、あった。

 腰が砕けた。首筋の汗が、するすると背中に入りこんでくる。
「よかった……」
 呟いてから、視線を感じて、理樹は美魚の存在を思い出した。
 美魚は、驚いたふうでも、責めるふうでもなく、ただ少しだけ首をかしげて、澄んだ瞳で理樹を見つめるだけだった。
 聞きたいことはたくさんあった。けれど、何から言葉にしていいものかわからなかったし、走っている間にほとんどのことは飛んでいってしまった。
 だから、理樹はすがるような気持ちで、
「どうして」
 とだけ言った。
「忘れないためです」
 美魚は、どうして、の後に続く言葉を待たずに、言った。
「そして、大切な人を守るため」
 理樹は、肩で大きく息を吐いた。酸素とともに、彼女の言葉をゆっくりと脳に浸みこませる。
 彼女の言う、大切な人、に理樹は心当たりがある。忘れもしない、あの快活な、人懐こい、それでいて少し寂しげな笑顔。
「それが、僕と前に進めない理由でもある?」
「それは違います」
 美魚は、即座に否定した。
「あの子のことは――」
 いいえ、と美魚を首を振る。地面に落ちた傘を拾い上げ、雨でもないのに空を見上げてから、頭上を覆った。
「たとえば、虫眼鏡があったとしましょう」
「虫眼鏡?」
「ええ、直枝さんが先ほどの実験で持っていたものです」
 見られていた。いつどのタイミングかはわからないが、理樹は急激に恥ずかしさがこみ上げてきて、頭を掻き毟りたくなった。それでも彼女の話を聞き続けるために我慢した。
「そこに火のついたロウソクを近づけるんです。どうなるかわかりますか?」
「どうなるって……虫眼鏡で覗くんだから、大きくなるんじゃないの?」
「そう、大きく見えます。では、逆にロウソクが虫眼鏡を覗くと、何が見えますか?」
「ロウソクが?」
 理樹は、その様変わりな質問を真摯に考えた。
「ロウソクは、虫眼鏡の先に、見知った姿を見かけるんです」
 美魚のヒントに、理樹はある構図を思い出した。それは、中学の理科で習った、焦点距離を知るための凸レンズ実験だった。凸レンズを中心に、その核から左右に直線が伸びていて、線上に火のついたロウソクが置かれている。ロウソクの火は、一本は直線と水平に伸びて折れ曲がり、焦点を通る。もう一本は、凸レンズの核を素通りする。二本はやがて交差し、
「自分が見える。逆さまの」
「そうですね。虚像が浮かび上がります」
 どうやら、思い浮かべる図としては彼女の意図と違っていないらしい。
「ですが、それはあくまでも虚像です。ロウソク自身ではありません。自分によく似た、しかし正反対の、実在しない姿です」
 そこまで聞いたところで、理樹は美魚が何のことを言っているのかに確信を持った。
 美鳥だ。
 レンズを境に、対象的に存在する二本のロウソク。それは、かつて海と空を境に存在した、美魚そっくりの少女の姿とそのまま被る。
「実在はしないかもしれないけど」理樹は、彼女に伝えた約束を守り続ける。「存在はするでしょう?」
「もちろんです」
 美魚は、噛みしめるように頷く。
「ですが、ロウソクが虫眼鏡に近づくと、虚像は姿を変えます」
「大きくなる」
「そう、逆に遠ざかると、小さくなります。あの子があの子ではなくなってしまう」
 美魚はようやく、例え話が美魚と美鳥のことであると認めた。
 そして理樹はようやく、例え話が何を指しているのか理解することができた。
「そうか、僕は、」
 レンズなんだ。
 虚像は虚像。実像と全く同じものになることはできない。それでも、同じ姿形になることはできる。レンズからある一定の距離のところから実像が動かなければ、等しく存在することができる。
 等しく、レンズを共有することができる。
「だから、近づこうとしないんだ。彼女に気を遣って」
「……違います」
「まいったな。そんなふうに言われちゃうと、僕のほうからは何も言えないよ」
「直枝さんは、誤解をしています。あの子は、」
 美魚は、少し迷うような素振りを見せて、理樹に近づいた。日傘を握る手に、力がこもる。
「美鳥は、もう私なんです」
 そっと傘を、理樹の頭上にかざす。
 ただでさえ小さな日傘は、あっという間に定員を超える。それでも傘は、密着した二人の影を、十分に包みこむ大きさを持っていた。
「美鳥が私になっても、私の気持ちは変わりません。それは決して私の気持ちのほうが強かったからとかそういうことではなく、美鳥も同じ気持ちだったからなんです。最初から、同じ気持ちだったんです」
 だから、と美魚は理樹を見上げる。まっすぐに捉えられた視線から、理樹は目を反らすことができない。
「だから、私たちは二人で、貴方を――」
 美魚は、その先を言わなかった。
 理樹は、その先の言葉を、どこかで聞いた気がした。
 キスでもするときのような距離に顔があることに気づいて、理樹は馬鹿みたいに真っ赤になった。だというのに、先に顔を背けたのは美魚のほうだった。傘が跳ねるように頭上からスライドしていく。
 心臓の鼓動を抑えるのに手間取った。
 心地の良い鼓動だった。
 理樹は、木の裏側にまで逃げていってしまった美魚を追い、顔を覆っていた日傘をそっとずらした。これみよがしに膨れ面をつくった彼女がいた。
「……危うく、直枝さんの罠に嵌るところでした」
「ええー、僕のせいなのかな」
「あんな恥ずかしいことを言わせるなんて、直枝さん、鬼畜です」
「どんな恥ずかしいこと?」
「鬼畜です」
 いつもの調子に戻って、理樹はようやく顔を綻ばせた。
 久々に笑った。胸のつかえが飛んでいってしまったような気分だった。
 傘を握る手を取って、指を絡めた。拒絶されるかと思ったが、彼女は一瞬だけ寂しそうな笑顔を理樹に向けて、結局何も言わなかった。二人で握った日傘を、二人の頭上に掲げる。
「さっきの例え話だけど」
「はい」
「あれって、僕から近づくのもダメってことだよね」
「ええ、直枝さんが私に近づけば、美鳥が嫉妬しますから」
「嫉妬の炎を」
「大きくして。ロウソクごと」
「じゃ、今みたいにこんなに近かったら、怒るかな?」
「背後霊になって、私たちの後ろに現れます」
「それはたまらないね。じゃあ、逆に、美鳥に近づいた場合は?」
「美鳥が小さくなります。私に遠慮して。あの子らしいです」
「ここは真面目に答えるんじゃなくて、嫉妬してほしかったところなんだけど」
 美魚は、また膨れた。含み笑いでにやける理樹に向かって、今度こそ責めるような視線を送る。かと思えば、つん、と澄まし顔をする。どんなときでも冷静な、西園美魚の素顔。
「しませんよ」
 その中には、確かに美鳥の面影が見え隠れしていて、
「自分に嫉妬する理由はありませんから」



「よう、お二人さん」
 帰り道、背後から突然恭介に声を掛けられて、理樹は反射的に、繋いでいた手を離してしまった。あざとく目をつけられる。
「その様子だと、無事仲直りできたみたいだな」
「いや、まあ、別に喧嘩してたわけじゃないから」
「へぇ、そうかい」
 恭介はこれみよがしに理樹の肩に顎を乗せ、明らかに美魚をからかうような顔といい声で、
「ま、エロスはほどほどにな」
 耳元で耽美に囁かれて、理樹は鳥肌が立った。
「うわ――あ?」
 飛び跳ねるより先に、理樹は自分の身体が引っ張られるのを感じた。
 腕を見る。腕が巻かれていた。
 これほどの餌を目の前にして、美魚は気丈にも理樹の腕を取り、挑発に挑発で返すように恭介と対峙していた。
「西園さん?」
 その表情はまるで記憶の中の彼女そのもので。
「行きましょう」
 悪戯に笑う彼女に、腕を引かれる。理樹はつんのめりながらも、その透明な瞳で、美魚を見た。
 海と空の青が、広がった。
 どこまでも、どこまでも青かった。


[No.8] 2009/03/06(Fri) 19:19:58
ゆげゆげ (No.2への返信 / 1階層) - ひみつ@17766 byte

 くつくつ。ことこと。
 土鍋の重いふたのしたで泡がはじけて音を立てる。小さい穴から湯気が噴き出す。

「まだかよぅ。もう生でもいいから食おうぜっ。ハラ減って我慢できねぇよぅ!」
「いや真人。これは旨さを増すための最後の試練だと考えるんだ。目を閉じて想像する…味の、桃源郷をッ!駄目だ余計腹が減ったぁっ!!」
「ほわぁっ!?」
「ええい鬱陶しい。いい大人が少しくらい待てんのか」
「でもいいにおいなのですー」
「ん、じゃあそろそろいいかな?」
「まあ待て理樹、俺の見立てではあと40びょ…」
「よし。はるか、たのむ」
「頼まれたっ!ちょいやーーっ!!」

 ぶわぁっ!
 ふたを開けると同時に中に押し込められていた湯気が解放される。そして湯気に乗って匂いも。
 ごとごとごとごと。沸き立つ醤油だしにねぎの香りが乗っかって、そのなかに具の匂いが混ざり合って。

「うおぁっ、に、肉ぅっ!」

 中毒患者のように飛び込んだ真人が唯湖に撃墜されたのはご愛嬌。みんな揃ってさん・はい。

『いただきます』



      〜 ゆげゆげ 〜



 古い瓦屋根の一軒家。普段は人気のないそこに、今夜は灯りと賑やかな声があった。

「みんな、お待たせー」
「そこの馬鹿、じゃまだ。道をあけろ」

 こたつでみんなが囲むコンロの上、どーん!と大きな土鍋が据えられる。

「おっきいお鍋〜♪」
「くつくつ言ってるのですー」

 そして鈴が運んできたのは追加の具。大皿には肉やら肉やらがぎっちりと盛り付けられ、竹ざるにはこんもりと白菜の山。

「肉っ!肉すげーっ!」
「そっちはまだ生だからね?」

 興奮してそのまま箸を伸ばしかねない幼馴染を、すかさず理樹が牽制する。

「あ、直枝」
「なに?」「なんだ?」
「…直枝夫」
「っ。お約束すぎですヨ」

 同時に反応した二人に気まずそうに訂正した佳奈多を、妹が含み笑いでからかう。

「…別に間違ってはいないわ。それより直枝…別にどっちでもいいわ、笹瀬川さんたちはもう少し遅れるから、先に始めていていいそうよ。…何が可笑しいの?」
「いや別に。そう、なら始めちゃおうか?」
「よぉーし、点火するぞ理樹」

 仏壇に小皿とお猪口を供えていた理樹は、口もとを押さえ、佳奈多の視線から逃げた。理樹の言葉に謙吾がいそいそとコンロのつまみに手を伸ばす。
 かちん、かちんっ。青い炎が輪を描くと、それだけのことで周りからおー、とかわー、とか声が上がる。
 そして鍋(どんちゃんさわぎ)がはじまった。

〜〜〜〜

 年代ものの薄い窓ガラスが湯気で白く濁っている。その向こうは真っ黒な夜だ。

「よっしゃニク取ったぁ!」
「待て真人、一人でそんなに取るんじゃない」
「ああっ!?謙吾てめェ何しやがるっ」

 早速ごっそりと肉をさらっていった真人の器から、一瞬にして半分以上のぶた肉が奪われた。両者の間に火花が散り、血で血を洗う戦いの幕が切って落とされた。
 ぶつかり合う箸、千切れる肉、飛び散る汁。

「汚れるだろーがっ!外でやれ!!」

 男二人を庭へ放り出し、ガラス戸に鍵をかけた。ねじがきゅっきゅっと締まる音は、真人たちの悲鳴に紛れた。
 二人少なくなった居間で、皆なにごともなかったように箸をのばす。
 理樹は鍋に春菊を投入しながら、寒さをごまかすようにバトルを再開した二人を見ていた。

「ちょっとかわいそうだったかな」
「大丈夫さ、寒くなったら玄関から戻ってくる」
「そうかなぁ…」

〜〜〜〜

 ふつふつ、ことこと。
 鈴の箸が鍋からぶた肉を一切れつまみあげた。
 薄切りのバラ肉の表面を脂の粒子がきらきらと滑り落ちる。ポン酢でのばした大根おろしをちょんちょんとつける。あーんと大口を開けたところで唯湖の熱い視線に気がついた。

「な、何だ?何で見てるんだ」
「なに、気にするな。それより冷めないうちにその熱く濡れた肉をその口に含み、あふれ出る肉汁をその舌で味わうといい」
「ふ、えっ、えええ〜っ!?」
「…卑猥です。主に小毬さんが」
「ちーがーう〜〜」
「こらーっ!小毬ちゃんをいじめるなーっ」

 唯湖の言葉に過剰反応してのぼせた小毬が、美魚のつうこんのいちげきで半泣きになった。助けに入った鈴の顔もちょっと赤かった。

〜〜〜〜

「あ、このトリ団子うまっ。チョーでりしゃすっ!」
「うん〜、ふわふわのじゅわーっ、だね〜♪」
「ん?そ、そうか。うむ、くるしゅうないぞ」

 下味にしょうがを効かせて、ぶたとごまをちょっとだけ混ぜた自信作だ。
 口々に褒められて、なぜか時代がかった言葉づかいで鈴が頷く。頑固オヤジっぽくむっつりしても、小鼻や口もとが嬉しそうにひくひく揺れてしまって台無しだった。

「鶏団子だけは得意なんだよね」
「うっさい理樹」
「ほらほらミニ子、これおいしいよ〜。食べさせてあげる、はいあーん」
「わふ?は、恥ずかしいですがありがとうございます。あ、あーん…」

 急に振られたクドリャフカは、上機嫌で鶏団子を差し出してくる葉瑠佳に、戸惑いながらも素直に応じる。
 何故か目を閉じて口を開けたクドの淡い紅色の舌が震えるのを見下ろすと、葉瑠佳の首筋がむずっとして、反射的に焼き豆腐を放り込んでしまった。

「んっ、はふ、…っ!?〜〜〜〜〜〜〜っ!?」
「クドリャフカっ!?」

 くわっ、と目を見開いたクドは口を手で押さえて居間を駆け回った。慌てて佳奈多が水を手にして追いかける。

「や、やははー。なーんか口がえろいなー、と思ったら手が勝手に。ごめんねクド公ー」

 頬をぽりぽりしつつ今ひとつ誠意が感じられない葉留佳の口に、

「ふむ、そんな葉留佳くんにはこれをやろう」

 熱々のもち巾着が放り込まれた。
 
〜〜〜〜

「わひゅう…まら、くひのなかがひりひりしまひゅ…」
「わらひも…」
「あなたは、自業、自得よ…」

 数分後、犬のように舌を出した二人と、結局妹も追いかけるハメになった佳奈多が肩で息をしながらへたり込んでいた。
 この惨状に、静観していた一人の男が満を持して立ち上がった。

「ふっ…お前ら、なっちゃいないぜ。ああ全然なっちゃいない」
「恭介?」

 腰に手を当てて仁王立ち、顔にかかる前髪をさらりと払ったその人は、恭介・THE・鍋奉行。

「俺が本当の鍋ってヤツをお前らの舌に叩き込んで――」
「直枝夫、そろそろ肉を追加したほうがいいわ」
「えびっすよえびー、あとタラも追加でっ」
「あ、ちょっと待って、煮えてるのを避難させちゃうから。はい、鈴」
「う…春菊か」
「好き嫌いしちゃだめだよ〜?大きくなれません」
「ち、ちっちゃいと言いましたか!?ミニマムと言いましたかっ!!」
「ふえぇ?」
「…能美さん、小さいことは正義です。ええ、正義ですとも異論は認めません」
「うむ、その通りだな。小さいからこそ愛で甲斐があるというものだよ」
「姉御が言うとシャレになってないですヨ…」
「――いいんだ、いいんだ俺なんて…」

 どんよりと雲を背負い、部屋の隅で膝を抱えた棗恭介(独身・失業中)。しかしそんな彼にも救いは差し伸べられる。

「はい、恭介さん。とろっとろの白菜、どうぞ〜♪」
「小毬…?」
「せっかくのお鍋、みんなで楽し〜く食べた方が、おいしいのです」
「…そう、だな」
「うん、それがお鍋のじゃすてぃす♪だから恭介さんも、すま〜いる。ね?」
「小毬…」

 両手で、小毬の手ごと器を包み込む。冷え切った恭介の心に、器の温かさが染みる。小毬の手の温かさが、優しい。

「馬鹿だな俺は。こんなに傍にいてくれたのに、今ごろ気付くなんて…。なあ小毬」
「なんですか〜?」
「俺は…俺はその、つまり…」

 いつも根拠のない自信に満ち溢れた瞳も今は宙を泳ぎ、言葉もしどろもどろ、いつのまにか周りのみんなが注目していることにも気付かない。

「好――」
「うおぉーーーっ!あったけぇーーーっ!!」
「暖かいマーーーーーーーーーーーン!!」
「ひゃあぁあっ!?」

 居間を支配していた甘酸っぱい緊張感は、馬鹿二人の帰還によって粉々に砕かれた。
 脱力する皆にひとり気付いていない小毬が、魂の抜けかかった恭介に止めを刺す。

「あー、びっくりしたぁ。…えっと、何だったっけ?」
「あー…いや、なんでもない。美味いな、これ」

 恭介は虚ろに笑いながら軸がとろとろに煮えた白菜を、熱さも気にせずぱくぱくと口に放り込んでいった。

「ヘタレね」
「…ヘタレです」
「うむ、ヘタレだな」
「ヘタレなのです」
「やーいヘタレー」
「え、ヘタレなのかよっ?」
「確かにヘタレだな」
「ああ、もうくちゃくちゃヘタレだ」
「ぐっ…」

 傷心に次々とヘタレ認定を受け、何も言い返せない恭介を見て、理樹が頷き、呟いた。

「…そっか。恭介ってヘタレだったんだ」
「お前にだきゃ言われたくねぇっ!」

〜〜〜〜

 ことこと、ことこと。
 窓を覆う湯気が、大粒の玉になってガラスをつたい落ちていく。

「いやぁ、身体動かしたら腹へったぜ!」
「まともに食っていないんだから当たり前だろうが」
「てめぇが突っかかってこなきゃ食えてたんだ」
「何だ、まだ負け足りないようだな?」
「んだとぉ?デタラメ言ってんじゃねぇよっ!」

 一触即発の二人を止める役目は相変わらず理樹に任される。

「やめなって二人とも。そうだ、さっきお肉追加したところだから、そろそろ煮えてるんじゃないかな?」
「マジでっ!?」
「あ、おい待て抜け駆けするな!」

 先を争って土鍋のふたに手をかけ、結局二人でそっと持ち上げた。
 たちまち湯気がわきあがり、土鍋の中を一瞬隠す。そして霧が晴れたとき…男たちは悲鳴を上げた。

「なんじゃこりゃあーーーーっ!!」
「にょろにょろがっ!にょろにょろがいっぱいだっ!!」

 男二人を恐怖させたもの。それは鍋いっぱいに敷き詰められた、えのきだけ。

「いつのまにこんな…」

 理樹は戦慄する。ふたを閉めたときはこんなに白くはなかったはずだ。生肉の紅色や野菜の緑でフレッシュな色合いだったはず。それが今は白い。暴力的なまでの、白。

「…ああ、煮えましたね」

 白さに圧倒されてか誰も手をつけず、湯気をあげるばかりの鍋に箸をつけたのは美魚だ。
 独特の白さの細長いきのこを無造作にすくいあげると、ふぅふぅと冷ましておもむろに口に運んだ。
 えのきを噛み切るぷりっしゃきっという心地よい音が静まり返った居間にやけに大きく響く。
 皆が注目する中、かすかにうっとりと「おいしい」と呟くと、鍋を覆い隠すえのきたちを手元の器に山盛りにしていく。

「…この線の細さ、なまめかしい白さ、これぞ耽美だとは思いませんか?たくましいのに美しいブナピーも捨てがたくはありますが。やはり基本はえのきだと思うのです」
「何の話さっ!?」

 美魚の熱の入った解説に皆が押し黙るなか、理樹のツッコミとしての使命感がそれだけを言わせた。「きのこの話ですが何か問題でも?」と目で聞いてくる美魚に疲れた顔になった一同を、雑なノックの音と声が救った。

「こんばんはーっ!開けてーっ!入れてーっ!」
「ちょっと、近所迷惑ですわよっ?」
「……から、……けど」

 ばんばんばん!木の枠にすりガラスをはめただけの戸を遠慮なく叩く訪問者に、理樹が慌てて玄関に向かって怒鳴る。

「あ、いらっしゃい!開いてるよーっ!」

 「へ?開いてたんだ」と間の抜けた声。がたがたんっ!建て付けの悪い引き戸をこじ開けて、あやたちがお土産を引っ提げて登場した。

「遅れてきたヒロイン登場っ!」

 大きなエコバッグを手にしてポーズを決めたあやは、皆に沈黙をもって迎えられてしまったが。

「はいはい、部屋の前で固まっていないでどいてくださる?荷物が重いんですから」
「こんばんはっ、お、遅くなってすみません…」

 ポーズを決め、会心の笑顔のまま固まったあやを無造作に押しのけた佐々美と睦美は、缶でいっぱいになったエコバッグと一升瓶を手にしていた。

「おそかったなはらみ。道に迷ったのか?」
「だ、誰にきいていますの?あのような田舎道で私が迷うはずがないじゃありませんか」
「私は同じお店の同じ看板を六回は見ましたけどねー…」
「そ、それは大変だったね…」

 理樹は、斜めに傾いて口の端だけで笑う睦美に乾いた笑いで返すのが精一杯で、佐々美が、美味しそうな呼びまちがいを受け入れてしまっていることに突っ込む余裕はなかった。
 いっぽう、硬直時間が終了したあやには、自己嫌悪に陥る暇も与えずにクドがじゃれついていた。

「ししょー、Goodいぶにーんなのですっ!」
「Hi.こんばんはクーニャ。ちょっと発音も上手くなったみたい。頑張ってるのね」
「わふー、Thank you!」

 睦美の持ってきた袋からチューハイを物色していた葉留佳は、今あやがいる国のことなど英語を交えて話し始めた二人から、巨体が背を丸めてこっそりと離れていくのを発見した。

「はれ、どしたの真人くん?」
「ひいっ!?…い、いや。何でもねぇぜ。ちょっとハラごなしにスクワットでも…」
「Hey. What happened, Mr.Muscle?(おい、どうしたそこの筋肉ダルマ)」
「ぬおぅあがぁっ!」
「英語を聞いたくらいでいちいちのた打ち回るんじゃない。進歩のないやつだ…」

 たちまち頭をかきむしってのた打ち回る真人を、元凶である謙吾は文字通り首根っこを掴んであやたちのそばへと引きずっていく。

「スパルタですネ…」
「…熱い友情、ですね」

〜〜〜〜

 ぐつぐつ、ごとごと。
 つたい落ちた水滴で窓の桟がじっとりと濡れ、色を変えていた。

「あら、この鶏のお団子、美味しいですわ…」
「ふっふっふ、食ったなかなしみ。お前はもうしんでいる」
「はっ、謀りましたわね直枝鈴っ!お団子に毒を!?」
「入れてない入れてない」

 本気でやっているのか、それとも二人だけで通じる遊びなのか分からないやり取りにおざなりな突っ込みを入れながら缶ビールをひとくち。
 あや達が持ってきたアルコール類が全員に行きわたり、鍋はさらに混沌の度合いを深めていた。

「佳奈多くんは柑橘系が駄目だったな。ではこれを薬味代わりにするといい」

 梅酒ソーダをちびちびやっていた佳奈多に差し出したのは目に染みる唐辛子レッド、その名もキムチ。

「わふっ、韓国風ですねー。それはおいしそうなのですっ」
「ありがとう来ヶ谷さん。でも、それにもずくを合わせるのはどうなのかしら…」

 燃えあがるキムチの下にはぬばたまの、そんな風情でもずくが埋まっていた。唯湖も自分で試したわけではないようで、佳奈多が難色を示すとすぐに真人の器に投入してしまった。

「ねーねーおねえちゃん。えびえびー。ほら、きれいに剥けたよっ」
「はいはい。…もう、手がべたべたじゃない。ほら、これで拭きなさい」

 佳奈多に妹が差し出した器には、紅白のきれいなしま模様が三匹。しっぽの先までていねいに剥かれていた。
 しかし佳奈多はその仕事の出来には触れず、ポケットからハンカチを取り出して葉留佳に渡した。

「ありがとうおねーちゃん。じゃあ…はい、あーん」
「え?」
「私が佳奈多に食べさせてあげる」
「え、あ、いや…」
「はっはっは、麗しい姉妹愛だな」
「はい、仲良きことはうつくしいのですー」

 にこにこと無邪気に海老をつまんで差し出され、咄嗟に左右を見ると、唯湖とクドがなま温かい笑みで頷いていた。背後では真人の「んおっ、かっ、すぱっ!…ヌル?」という妙な悲鳴が上がっている。
 進退きわまり、観念した佳奈多はおずおずと口を開いていった。

「あ、あー…」

 「いいな、あれ…」と呟いたのは鈴。隣では触発されたのか天然なのか、小毬が佐々美に同じことを仕掛けている。「あづっ!やめっ!」と悲鳴が上がっているのは仲のいい証拠だ。
 そして、鈴の器にはタラと春菊がある。真っ白で、口に入れるとほろほろと身が崩れるタラ。緑鮮やか、爽やかな香りが鼻を抜けていく春菊。「理樹っ」呼びかけて一呼吸、意を決して具を差し出す。

「あーん、だ」

 差し出された緑を、しょうがないなあと笑って食べた。

〜〜〜〜

 睦美はせっせとあくを取っていた。

〜〜〜〜

「あーあ、うらやましいなぁ」
「…ええ、正直独り者には刺激が強すぎますね」

 ひとり言のつもりだったのか、美魚に声を掛けられてあやはばつが悪そうに振り向いた。
 手酌で一升瓶を半ば空にしていた美魚は、毒のある言葉とは裏腹にうっすらと微笑んでいた。

「あー、いや。そういうわけじゃ…ないことはないか」
「ええ、ありありのように聞こえましたが。ご同類」
「うっ、そう言われるとなんか…」

 まるで顔色が変わっていない美魚は酔っているのかしらふなのかまるで判断が出来ない。対応に困って額に手を当てると、すっと白で山盛りになった器を差し出された。

「まあお一つどうぞ」
「え、あ、ありがとう…」

 酒でなかったことに安心して、ひとくち頬張ってみる。もぐもぐ、もぐもぐ、もぐもぐ、もぐもぐ…もぐ?

「味はよく染みてるけど…なかなか、噛み切れない」
「美味しいですか?…タコ糸は」
「タコ糸かいっ!!」

〜〜〜〜

 杉並睦美はせっせとあくを取っていた。そして、機をうかがっていた。
 今、睦美の周りでは筋肉馬鹿とマーーーン馬鹿の二人が肉王位争奪戦の第三ラウンドを開始している。汗や汁や肉片が飛び散っているが、唯一止めに入りそうな理樹が、既に突っ込み疲れてしまった今、他の皆は酒が回っていてまともに止めようとする気配がない。
 だから睦美は待っていた。彼女が痺れを切らすのを。そしてその時は訪れた。

「へっ、おしまいだぜ…おめぇはオレを怒らせた…。目覚めちまったぜ、オレの中のケモノがよぉっ!!」
「ふ…片腹痛い。そんなもの片手で叩き潰してくれるわっ!!」
「こらーっ!お前らいいかげんにしろっ!!」

 鈴が実力をもって不毛な争いを止めに立ち上がったのだ。
 今だ、好機をとらえた睦美の行動は素早かった。
 あくをすくう柄杓とお椀を置くと、箸と器に持ち替える。
 そして白菜の下に隠し、じっと育ててきた鶏団子を素早くつまむ。
 汁が下に垂れないよう器でフォローしながら、からからに乾きそうな喉を震わせた。

「直枝君、あ、あーん…」

 緊張のせいで声がかすれてしまった。理樹は振り向いたけれど、そこから先に進まない。
 唾を飲み込み、もう一度はっきりと言うのだ。

「直枝君、あーー「肉ぅぅっ!!」あぁあああぁ〜んっ!!」

 睦美の希望を乗せた鶏団子は…戦いの中、野生に目覚めた筋肉の腹の中へとはかなく消えてしまった…。

「よーしお前ら。そこに正座だ」
「杉並さん、だ、大丈夫?」

 鈴だけでなく、見かねた女子全員に鎮圧され、馬鹿二人はこんこんと説教された。
 その間、呆然とする睦美は理樹に肩を抱かれ、「夢が…私の夢…」とうわごとを呟いていた。
 説教が終盤に入り、ようやく少し立ち直った睦美に、理樹は頭を下げた。

「本当にごめんね。たださ、あの二人は馬鹿だけど、真性の馬鹿なだけなんだ。できれば許してあげて欲しいな」
「ううん、いいの。夢は叶わなかったけど…想い出はできたから」
「そ、そう?なんか嬉しいな、はは…」

 頬を赤らめて指先で胸をつつく睦美に、理樹も照れながら笑う。次の瞬間、理樹は背筋にぞくり、と寒気を感じた。

「ほほーう。妻の前でいい度胸だ理樹、後で裏庭に来い」

 恐ろしさに振り向くことも出来ない理樹は「裏庭ってどこ!?」とつっこむ代わりに「はい…」と頷くしかなかった。

〜〜〜〜

「さて、具もあらかた食べちゃったし。そろそろ締めにしようか!」

 理樹はぼこぼこに腫れあがった顔で晴れやかにに宣言した。蹴られすぎて大事なところが壊れてしまったんじゃないかと心配になるくらいの陽気さだったが、誰も何も触れなかった。

「よし、じゃあ準…」
「ちょっと待ったぁっ!!」

 準備を、と立ち上がろうとした鈴を聞き覚えのある声が遮った。

「鍋の締めをしようってんなら、この俺を忘れちゃぁ困るぜ、うまうー」
「どうしたの恭介?」

 恭介と全く同じ服を着て同じ声をした仮面の男は、ちちち、と人差し指を振って理樹の言葉を否定した。

「俺は恭介などと言うナイスガイは知らねぇ。俺はさすらいのおじや番長、マスク・ザ・斉藤だっ!!
 今日はお前達に最高にうまうーな、真のおじやを味わわせてやるために地獄から蘇ったぜ、うまぁうー」
「えと…」
「さあ、卵はどこだ?俺の華麗なとき卵さばきで今夜の鍋をびしっと締めてやるぜっ!!」

 服の裾が引っ張られる。振り向くと、鈴が哀しげな目で理樹の裾を摘んで、仮面の男を見つめていた。
 おそらく仮面の下で今日一番の活き活きとした表情を浮かべているだろう斉藤に、理樹は言いにくそうに伝えた。

「…今日の締めはうどんだよ」

〜〜〜〜

 ふつふつ、くらくら。
 あつあつのうどんを皆額に汗してすすっている。仏壇も汗をかいている。
 細く切ったあぶらげと、刻みねぎをたくさん入れたきつねっぽいうどん。つゆをたっぷり吸ったあげを、馬鹿二人が懲りずに奪い合う。

「待て真人。それは俺のお揚げさんだ」
「へ?オレのためにとっといてくれたんだろ?」
「そんなわけあるかぁっ!」
「やめんかお前らーっ!」
「ちょ、危ないって鈴っ!」
「棗さんかっこいい…」
「待て、君はいつの間に乗り換えたんだ?」
「そこ、そこですわっ!」
「やはは、やれやれーっ」
「こら、お行儀が悪いわよ?」
「食べ物を粗末にしてはいけないのですっ」
「はい、あ〜ん♪」
「あ〜ん♪…うん、美味いな!」
「ま、マイペースねぇ」
「…気にしたら負けです」

 鈴が怒り、理樹がなだめ、皆が笑う。
 ひとつの火で、主をなくして枯れた家は、湯気と笑い声をたっぷり吸って、ひと時息吹を取り戻す。

『ごちそうさまでした』


[No.9] 2009/03/06(Fri) 21:09:46
尻を隠さず頭を隠す (No.2への返信 / 1階層) - ひみつ@10632 byte

 鍋の淵を見よ!
 細切りにされたピーマンとタケノコが手と手を繋ぎ、牛モモ肉と軽やかにラインダンスを踊っている姿に人々は魅了されるだろう。油という名のナイトドレスを纏うその艶やかさときたらどうだ。百万の紳士淑女をもってして、これに勝るものはあるまい。緩やかな曲線を描く鍋肌を柔肌で撫でるように滑り、手を伸ばせば瞬く間に宙空へと逃れる。だがそれも一時のもの、瞬きの間に戻り再びその姿を露にするのである。
 踊っている。正しく踊っている。なんと素晴らしい事か。
 だが、勘違いしてはならない。この場で手を叩き、イリュージョンに匹敵する舞踏を見せる彼女らを褒め称えるのは容易いだろう。誰もが当然のようにそうしたいと感じるはずだ。それでも忘れてはならない。今この瞬間、心奪われる舞台を演出している者が居る事を。
 笹瀬川佐々美がそこに居た。コンロを前に、如何程にも怖れる事無く荒れ狂う火に立ち向かっていた。否、それは最早、火という一文字によって矮小に描かれるべきものではない。獄炎と評してもなんら瑕疵なきものである。
 額と襟元に巻いた布には彼女が吐き出した汗が染み込み、その度に気化している。それほどの熱が彼女を覆っているのだ。並みのものならば数秒ともたず倒れるだろう。それは自然な事であり、同時に余りにも情けない。そう、この極致こそが真なるものなのである。
「フッ―――ハアアッ!」
 鍋を振るっていた佐々美の腕が残像を描いた。
 速過ぎる。神域を侵すその動作は人の目に映るようなものではない。行為自体はさして特別ではないのだ。ピーマンの食感を失う前に鍋から放し皿に移す。誰もが当然の事と受け入れている事でしかない。ただし、それを彼女は鍋を振るう勢いを殺さぬまま、投げるようにして一動作で終らせたのだ。
 完璧なまでに慣性を支配している。その支配力は何も力量に限った話ではない。佐々美は間違いなく、この厨房という名の戦場を掌握していた。そこにある火、器具、そして食材までも彼女にひれ伏している。彼女が演出するままに踊り、そして盛られるのだ。
 例えば今のピーマンとタケノコと牛の炒め物、チンジャオロースにしてもただ手早く火を通しただけではない。実はこの時点では、料理は未完成なのだ。考えても見て欲しい、出来上がったばかりの料理を口にする機会がどれだけあるだろう? つまみ食いでもなければ、普通は全ての品が出来上がり、皆が集まり、頂きますと号令を待ってから口にするものではないだろうか。その間には数分から十分程度の空白があるだろう。
 鍋で熱せられた食材は自身の身体に確かな温もりを保存している。即ち、余熱である。
 余熱は僅かな数分で完璧な料理を破壊してしまう。ピーマンの食感が失われたチンジャオロースなど―――塵! 食う価値無し! 犬の餌にもならぬ! 
 であればこそ、考えなければならないのだ。何時食べるのかを。それを計算し、余熱による調理も含めて仕上げなければならない。佐々美はそれを理解していた。彼女こそこの場の指揮者であり、演出家であり脚本家であり支配者なのだった。
 当然、そんな彼女に休息は訪れない。一つの舞台を仕上げようとも、次なる戦場が待ち受けている。
「さぁ、ここからが本番ですわ」
 汗を拭いながら、佐々美は自分に言い聞かせた。彼女を襲っているのは肉体的な疲労ではない。腕がどうにも震えるのも、呼吸が落ち着かないのも全ては精神的なもの、緊張感故である。失敗は許されない。許されてしまう事が、彼女には我慢できない。責任も罰も自分こそが負わなければならない。
 閉じられた瞼の裏に映る、愛する人の笑顔。「美味しいよ」という一言は彼女の身体中に広がっては細胞の一片までも染み渡り、麻薬にも勝る恍惚へと誘うのである。であればこそ、万が一にも、まして己の失態によって太陽の輝きを曇らせる事があってはならない。
「全てを……わたくしの持てる全てを、この命の輝きを、今こそ賭けましょう!」
 その時、佐々美が行っていたのは特殊な呼吸法だった。脱力するように身体を傾け息を吐く。体内に蓄積された陰の気を吐き出し、替わりに大気に満ちる陽の気を吸い込む。健気な胸を一杯まで張り、循環する。それを三度。
 中華料理の基本は火力。炎を支配する者こそ、中華料理を制する。
 そして基礎にして真髄こそがチャーハン。シンプルであり容易だからこそ何処にでもあり誰にでも愛されるこの料理は、しかし決してそのような単純なものではない。誰にでも作る事が出来るようなものではないのだ。読者諸兄も覚えがあるだろう、あの湿気に満ちた泥のような米粒の塊。べたつき、粘りばかりが支配する悪夢のような食感。あるいは無闇にぱさつき料理としての纏まりをブラックホールに投げ捨ててしまったかのような、焼いた飯の数々に。
 あのようなものがチャーハンだなどと、例え何千何万の軍団が眼前に立ち塞がり数多の銃口を額に押し付けられようとも、況や今この時私の前に神が舞い降り使徒達と共にそれを貪り食いながら「こここそが天国である」と宣誓されようとも、決して、断じて認められぬ!
 佐々美が作り上げようとしているものこそ、真のチャーハンなのだ。
「まずは油を温め、タイミングを見誤らず溶き卵を入れます!」
 油の温度は高すぎれば卵が瞬く間に焦げてしまうし、低すぎれば油漬け煎り卵の出来上がりだ。どちらも食えたものではない。
「更に卵が半熟になったらすかさず冷や飯を入れて混ぜる!」
 彼女の腕によって重い鉄鍋が持ち上がり、卵と飯が次々に相手を変えながら踊り狂う様が見えた。飯は潰せば糊となる。強引におたまでかき乱せば瞬く間に潰れ、でん粉が張り付いてしまう。
 混ぜるのではなく、解す。あたかもルービックキューブのように一手一手、米粒を解し卵と油を纏わせるのである。それは時間をかければ凡夫にも容易き事。しかし、生ける炎を前にして人の身に猶予などあり得ない。迅速、神速をもってこそ至る細き道であった。
 それを佐々美は悠々と越えていく姿に驚愕してしまうのは致し方ない事だ。如何にして、彼女はこれ程の技術を習得したのか、興味は尽きないが今それを問いかけるのは、余りにも無礼な行為だった。
「ハッ、ハッ……細かく切ったチャーシュー! ハッ、ハッ……みじん切りのネギ!」
 佐々美の腕は刹那さえも止まる事無く動き続けていた。鉄鍋は少女の細腕には重く、多大な労力を要求している事に疑問の余地は無い。それでも汗を拭う事さえなく動き続けているのは、「一つ腕を止めれば百の味が死ぬ」という格言を知っているからなのだろう。
「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ!」
 荒れる呼吸さえもリズムとして、佐々美は鍋を振るう。
 どうしてそこまでするのだろうか。
 彼女の脳裏にあったのは愛する人の姿だ。最初は、好きではなかった。そもそも意識もしていなかった。恋した人の付属品、お邪魔虫と思うほどではなかったが嫌いという感情さえ抱きはしない。
 どの瞬間、どの場面をもってそれが変化したと言えるのか、本人さえ答えられなかった。決定的な出来事があったのは間違いない。けれどもそれは長く延びる白雲のようで、細部を覗き込んだとして輝くものが見つかるわけでもない。
 その全体にあって、あるいはその外側にもあるもの。
 もしかしたら、人を好きになるという感情はそういうものなのかもしれない。何処にでもある。常に傍に存在している。それらが集まり大空のキャンバスに描き出されるもの。
 そう考えるのなら、納得がいく。
 雲は嘆かわしいほどに形を維持できないもので、ともすれば風に吹かれて消えてしまうほど儚いが、その発生源に上昇気流があるのならば話は別だ。
 佐々美が身に纏う炎の熱がまさに次から次へと恋の塊を空へと押し上げていた。今や彼女は炎の化身、火の精霊であった。この世の全ての火が彼女に傅く様が目に浮かぶほどである。
「塩と胡椒で味付け! 香り付けに醤油!」
 鍋肌へと投げかけられた醤油。これは一見何処でもやっている基本的な調理手順に思えるかもしれないが、実はこれは間違いだ。火力が弱ければ醤油は鍋肌を滴り飯はおろか卵までも醜い色へと染め上げてしまう。逆に高ければ水分どころか香りまで一瞬で飛ばしてしまい、後には焦げ臭い塩分の塊が残ってしまう。香りだけを移すためには洗練された技術が必要なのだ。
 佐々美はそれを成し遂げていた。ふわりと焼けた醤油の芳しい香りが広がっていく。腹の音を抑える事が出来ない。あふれ出す涎をどうして我慢できるだろう。食欲を160キロのストライクで刺激する香りだった。
 後は酒を振り掛ける。そこで終わり。
 本来ならばそうなるはずだった。だが、佐々美に一切の妥協はない。
 愛情は隠し味だと人は語る。愛があればこそ、美味く感じる料理もある。
 けれども、彼女の姿を見ればそれがどれほど馬鹿馬鹿しいかを思い知るだろう。
 隠さない―――佐々美は断じて隠さない!
 己の全ての愛情を、恋しい人への思いを、料理の内に満たしていく。
 佐々美は隣のコンロで温めていたもう一つの鍋を取ると、深く息を吐いた。
「はああああああああああああああああああああああああああっ!!」
 遠心力をはじめとしたあらゆる運動を利用し激しく振るわれた鍋からチャーハンは飛び上がった。当然ながら、それらは瞬く間に広がり、床や壁、天井へと飛び散ってしまうだろう。だが、それよりも速く、もう片方の鍋が受け止めた。
 何も不思議ではない。彼女はソフトボールの経験者なのだ。小さなボールを打つのに比べたら、散らばる前のまだ固まっているチャーハンを、幅の広い鉄鍋で打つなど容易い事。
 そう、彼女は打っているのだ。鍋に受け止められ、弾かれた米粒は再び飛び散るが、それをまた打つ。超高速のウェイトシフトとソフトボールで培われた膂力が可能にする究極の鍋振り、リャンメン持ち。そしてそれを基本形とする、中華の真髄!
「秘技・脱脂衝追旋(カロリーオフ)!」
 鍋に幾度となく叩かれ油分が吹き飛び、米の一粒一粒をコーティングする油以外の大半が消えた。これにより実に33.3キロカロリーが減った計算になる。
 これこそが、愛。
 食す人の健康にまで考えてこそ、初めて完全な料理となるのだ。
「はぁ、はぁ。遂に、完成ですわ」
 佐々美は逆転サヨナラ満塁ホームランを打った時の様に晴れやかな表情で輝くチャーハンを見る。
「さぁ、喰らうが良いわ、直枝理樹っ!!」



「うわっ、これ、凄く美味しいよ!」
「おーっほっほ! わたくしが作ったんですから、当然ですわ〜」
「うん、やるな砂糖醤油。ご褒美にモンペチやろう」
「いりませんわよ! というか、何で貴女まで食べてるんですか、棗鈴!」
「美味そうな匂いがしたからだ」
「貴女は野良猫ですかっ!」
「猫で悪いかっ!!」
「何にキレてるんですっ?」
「それに野良じゃないぞ。すっかり理樹に躾けられちゃったからな。飼い猫だ」
「そして何を言ってるんですかっ!?」
「まぁまぁ、二人とも落ち着いてよ。せっかくのご飯が冷めちゃうからさ」
「まったくだ。サクラメントシティーは直ぐ怒る悪い奴だ」
「くぅぅぅぅぅっ。もう結構です。さっさと食べてさっさと帰りなさい!」
 気になる発言はあったが、今は何より直枝理樹である。
 自然と鼻の穴が広がり、口元が緩んでいく。
 自らの手料理を嬉しそうな顔で頬張る姿を見ているだけで、佐々美はお腹一杯だった。
「そういえば、さ」
「は、はい? なんですの?」
「前にも作ってもらった事があるけど、味変わったね」
「え……そ、そうでしょうか? きっと気のせいでは」
「そうかな? やっぱり何か違うような気がするんだけど……でも、まいっか。今の方が僕は好きだなってだけの話だよ」
 今の方が好き。
 今の方が好き。
 今の佐々美が好き。
 今の佐々美を誰より一番愛してる。
「……よしっ」
「えっ、急にガッツポーズ?」
「あっいえ、何でもありません!」
「そう? う〜ん、でもやっぱり違うな。何か一つ、隠し味があるんじゃない?」
「は、いう!? か、隠し味なんて、ななななな、何を言ってるんですの! そ、そんなのあるわけないに決まっているはずですわ! 貴方の勘違い以外の何ものでもありません、えぇ、ないったらないんですわ!」
「あぁ……うん、ごめん。勘違いだと思うから、落ち着いて」
「ま、まったく。貴方はいつも何時も、どうしてそんな素っ頓狂な事を言うんですか。そんな下らない事を考えていないで、ありがたく食べていれば良いんですわ」
 理樹の意識が料理へと戻った事を確認して、安堵の息を吐く佐々美。
 不自然なくらい赤くなった顔をこれ以上見られずに済んだ。
 そんな佐々美をのっぺりとした瞳で見つめながら、鈴は呟いた。
「確かに、隠れてないな」
「……大きなお世話です」
「こんだけ溢れさせといて否定するとか、お前実はアホだろ」
「大きなお世話ですわ!」
 叫んで佐々美は机に突っ伏した。


[No.10] 2009/03/06(Fri) 23:12:12
彼にお弁当を作るまで (No.2への返信 / 1階層) - ひみつ@10893 byte

 ああ、もう、その、なんていうか。
 あたしは理樹くんにベタボレなのだ。


『彼にお弁当を作るまで』


 げげごぼうぉえっ、ってはきそうになる自分をこらえる。ふふん、そう何度も何度もはいてばかりいられない。理樹くんもやめたほうがいいって言ってるし、はかないように訓練したんだからね。しかし、それにしても。
 あーーーーーーーーーーーーーーーーーっ、もう、なんでこんなに理樹くんのこと好きになっちゃったんだろ?ってくらい理樹くんのことが好きだ。そりゃ、あたし恋したことなかったわよ?恋したいって思っていたわよ?恋もしないまま死ぬなんて、まっぴらごめん、って思っていたわよ?だけど、まさかここまで理樹くんのこと好きになるなんて思わなかったし、理樹くんがあたしのことを好きになってくれるなんて思わなかった。
 だって―――。
『理樹はあたしんだ』
『包容力のあるおねーさんが理樹君を、ずっと包みこんでやる』
『はるちんトラップにかかれば、理樹くんを落とすなんて、わけありません』
『リキは胸がつつましやかな私と一緒になるべきなんです』
『おかしはぁ、人を幸せにするんですぅ、だから理樹君も私が幸せにするんですぅ』
『直枝さんは恭介さんと結ばれるべきです』
 こんな感じでいつも理樹くんを狙っている、女の子たちが、周りにいたから。
 ……最後のはどうかと思うんだけど、西園さんは間違いなくそんな感じで理樹くんをみていた。男と男って何が面白いわけ?彼女の嗜好が理解できない、考えただけで怖気が走る。
 とりあえず想像してみる。

『僕は恭介のことがすきだからっ』
『俺もだ、理樹……、俺もお前のことがずっと昔から好きだったっ』
 見つめあう、二人。男と男。やがて、その距離がゼロになって……。
 …
 ……
 ……………………
 ……………………………………………………………………なしよ、なし、ぜんっぜんなしっ。
 今、一瞬胸がときめいたのはあたしの気のせいっ。
 気のせいったら、気のせいっ。
 そ、それはともかく。大事なのは、あの中の誰かと一緒になるんだろうな、と思っていた理樹くんが、あたしを好きで、あたしも理樹くんが大好きだってことだ。
 そのことを意識しただけで、胸が幸せな気持ちでいっぱいになる。
 今、あたしは、本屋で理樹くんのためにお弁当を作るための本を探していた。好きな人のために料理って一回つくってみたかったからだ。今まで料理はやったことがあるけど、お弁当をつくるってことがなかったし。考えてみれば、一人のために料理をつくるってこともなかったわね……。彼のためにお弁当をつくる。考えただけで悪くない話だった。
「どんな本がいいかしらね……」
 本屋にはたくさんの料理本がところせましと並べられていて、こうもたくさんあると迷ってしまう。
「……料理の、本をお探しですか?」
 その声にびっくりして、振りむくとそこには西園さんがいた。いつの間にあたしの近くにいたのよ?まったく気づかなかった。
「う、うん…」
 しかし、そのことをおくびにも出さず、一流のスパイとして、無難な返答をする。
「でしたら、この本がお勧めです、もしよろしかったら、料理の道具もお貸ししましょうか?」




 西園さんに本を選んでもらって、料理の道具も貸してもらった。
 砂糖や塩二袋、米5キロ、にんじんとかじゃがいもとかそういう野菜や肉といったものから、料理に使う、計量スプーンやおたまや、かなり大きななべやガスコンロ2つといった非常にたくさんのものを借りた。これなら自分の部屋で料理を作れる。
 しかもアドバイスまでもらった。食材はさすがに遠慮したんだけど、西園さんがいうには実家からたくさん送られてきたので、少しでも受け取ってくれる人を探していたらしい。西園さんってほんとにいい人ね。……ちょっとアレだけど。
「さてっと、つくるわよ」
 そういって、料理を作り始める。こう見えても、あたし、料理には自信がある。メニューを決めて、包丁で野菜を切り始めると、小気味よい音が聞こえてくる。自分でいうのもなんだけど、結構手馴れていると思う。
 ……理樹くん、あたしの手料理。おいしいって言ってくれるかな?
 『おいしいよ、沙耶さん』
理樹くんがそう言ってくれると思うだけで、すごく幸せだ。もし、耳元で甘くささやいてくれたらエクスタシーだ。
 エクスタシーっていえば、エッチした時の理樹くん……

 げげごぼうぉえっ。

 なに考えてんだあたしはぁぁぁっ。って、久しぶりにはいたああああああああああああああああああっ。もうこの癖治った、って思っていたのにっ。あーもう、それもこれも、全部理樹くんが悪いんだ。理樹くんが、その、いきなり、あんなところで。
 げげごぼうぉえっ。
 うわあああああああ、まただああああああああ。
 と、とりあえず落ち着こう、あたし。心臓がバックバクいってるし、しかも、だんだん苦しくなってきた。理樹くんのこと考えてだけいるんじゃなくて、今は料理に集中しないと。
 ザクッ

 指切ったぁぁぁっ。



 2時間後。
 ええ、そうよ、どうせあたしは好きな男の子のことを思い浮かべるだけで、包丁で指切るわ、火傷するわ、料理焦がす馬鹿よ。今日の授業のときだって、ぼーーっとするなって散々注意されたわ。滑稽でしょ?滑稽よね?笑うでしょ?笑いたいでしょ?笑えばいいわ、あーーーーーーっ、はっ、はっ。
 ぜーーー、ぜーーー、ぜーーーっ。すごく、疲れた。
 まったく料理ができていないからなおさらつかれてる。自分の部屋の中を見渡すと、どこの難民キャンプかとおもうくらいひどい有様だった。
「ああ、もう時間がないっ」
 今日の探索が始まるまで時間がない、もうお弁当つくるの無理かもしれない。
 ……そんなの、いやだ。最後なんだから、これくらいのこと――好きな人のために料理をつくるってことくらい、してみたい。
 それを西園さんの言葉一つでとりやめるなんてことをしたかった。
 ふとさっき本屋であった西園さんの言葉が思い起こされる。
『好きな人のためにお弁当をつくるといっても緊張しないでください。いつもどおりの感じでいってください…あなたは特にそうしたほうがいいように思います、世の中にはお弁当箱に卵焼きとクッキーを入れる方もいますので自由でいいと思いますよ』
 卵焼きとクッキーはさすがにないでしょっ、ってつっこみたかったけど、そうよね、平常心って大事よね。
 いつもの料理を作る感じでいけばよい。現実の世界でなんども難民の子のために料理をつくったんだから、それくらいできるはずだ。
 いつものように、いつものように…。
 しかし、実際にやるにはどうすればいいだろうか?
 ふと、大きななべが目に入った。 
「多人数相手に作る気持ちで作ればいいかもしれない」
 ふと、そんな言葉が口から出た。
 思っただけだけど、実際に口に出すといい案に思えた。……そんな気持ちで作り始めた。
 よし、野菜切るとき3回しか指切らなかった。さっきまでのことを考えるとすごい進歩だ。効果、ほんとにあるものね。
「あとはなべにいれて、肉ジャガつくって、と」
 これもいつもどおり、大きななべで作ることにしよう。
 あれ?これコンロに乗り切らない。せっかくいいアイディアだと思ったのにっ。
 と、ふと見ると、コンロがもうひとつ転がっていた。
 すっかり忘れていたけど、コンロ二つも貸してくれたんだっけ。あ、コンロ二つ使えば乗り切るかもしれない。
「うん、これでOKね」
 コンロ2つを横に並べて、その上になべをのせた。ちょうどいい感じになべがのっている。
「いい感じじゃない♪」
 これで大丈夫だろう、なんとかまにあいそうだ。
 ……うん、いい感じで、あったまってきたし、これで。


 バボンッ


 あたしは死んだ。



「コンロを二つならべると非常に危険、ということは常識だと思うのですが」
「わざとだろ、お前?」
 そういう恭介さんの言葉にわたしはむっとする。
「もちろんわざとですが、沙耶さんが悪いんです、私だって直枝さんを恋人として狙っているのに、まるでそんなこともないように考えていらっしゃるんですから、いくら恭介さんにいろいろ用意してもらって、沙耶さんの手伝いをしろ、といわれても、仕返しの一つくらいしたくなります」
 沙耶さんの境遇は恭介さんから聞いて知っていましたけれど、あんなことを考えられていては手伝うわけにはいきませんでした。ここまでうまく嵌まるとは思いませんでしたが。
「何でお前は沙耶が考えていることがわかったんだ?」
「口に出ていました」
 そういうと恭介さんは頭を抱えた。
「お前に任せておけば安心だと思ったんがなぁ。NPCを使うわけにもいかないし、男だと警戒されるだろうし、鈴に頼むわけにはいかないし、来ヶ谷にたのんだら、沙耶がいじられそうだし、三枝や能美にたのんだらいまいち不安だし、二木は俺を敵視しているし、小毬に頼んだら裏で何を考えているかわからないし」
 ひどい言われようですね、皆さん。ですが、同意できるあたり、私も同罪でしょうか。
「恭介さんはもう少し女心を勉強したほうがいいかと思います、私だって、怒ることくらいあるんですよ?」
「大体、お前、ほんとに考えていなかったのか?」
「だから女の子の気持ちを恭介さんはまったくわかっていないというんです」
 まったく、本当に恭介さんは女心についてわかっていない。
「すまん」
「考えていたに決まっているじゃないですか」
「……」
「まぁそれはともかく、今度こそ、沙耶さんうまくいくといいわね……」


 ――で、また死んで再スタート、っていうわけね。笑っちゃうわねっ、滑稽でしょ、笑えばいいわ、あーーはっはっ。
 しかも理樹くんと、いえば。

『見るのはいいけど、はだけるだけにして。さっきも言ったけど、勇気、ないから』
『…うん、わかった』

 あたしのところに来ないで、なんか別の女とチチクリあってるしっ。ってかだれよ、この女!?
 ……まぁいいわ、理樹くんがあたしのところにくるまで料理、極めてやるんだから。
 次にはあたしのところに来るんだろうから、時間ができた、と思おう。
 実際結構料理の練習できたしっ。次、あたしのところに来たら……。


『…小毬さん、もっと抱いて、いいかな?』
『理樹君が…ずっと一緒にいてくれるなら…』

 ……次、あたしのところにきたら……。


『男の子は…やっぱりパンツみたらドキドキするの?
『そ、それは、そのっ』

 ……次、あたしのところにきたら……。


『ふふっリキかわいいです、かんだとき、すっごいかわいいです…』
『クド、何か違う趣味に目覚めてない…?』

 ……

『…理樹くん、心臓がどきどきだな』
『そ、そりゃあ、どきどきするよ…』

 ……

『直枝さん、わたしはもっとあなたに触れたい、キスよりも、その先を知りたい、あなたと』

 ……

『あはは、かわいい、理樹くん、大好き』


 ―――っていつにくるのよ、理樹くん!?ってか何人の女とチチクリあってるのよ!?
 こ、こんどこそ、あたしの番よねっ。あたしの番っ。ってか西園さん、ほんとに理樹くんのこと、好きだったんだ。あんなことを思って悪かったかもしれない。
 心の中で謝罪しつつ、あたしは夜の校舎で理樹くんがくるのをじっと待った。
 ――――――
 ―――――
 ―――ってなんでこないのよっ、ああ、もう、この世界の理樹くん、ほんとに何してるのよ。
 まぁいいわ、探しに行くんだからっ。

『僕、恭介のことがずっと好きだったんだ』
『……理樹、おれも実はお前のことっ』
 って、理樹くん何しているの!?西園さんがほんとに幸せそうにしているしっ、こうなったら先手必勝よ、今度、新しい世界が始まったら、こっちから理樹くんに告白してあげるんだからっ。


「理樹くん、あたしあなたのこと好きなの」
 そういって変わった、理樹くんの驚いた顔が、やがてすまなさそうな顔に変わった。
「でも、ボク、女の子だよ?だから沙耶さんの気持ちには答えられない」
 そんなの、関係ない。
「恋愛に年齢も性別も関係ないのよ……、これからお姉さんが優しく教えって……なんなのよ、こんな展開っ」




 ――――――――それから本当にいろいろなことがあって。
 予定通り、学校の裏庭で、男の子の理樹くんと結ばれた。


「こんなこと、ほかの誰にもしないんだよ、沙耶さんだからするんだよ」
「……(この、大うそつきっ)」

 
 エッチの時、そう思ったけど、こうして結ばれると本当に幸せなんだからしょうがない。うわ、最悪、他の女に幾度と手を出してるのに、幸せなんて。
 だけど、エッチの時、ほんとに幸せだった。
 そして手元にはお弁当。何度も何度も世界を体験してようやく作ることができた。
 好きな人にお弁当を作る。
 そんななんでもないような夢がようやくかなう。……もう、理樹くんと、今度こそほんとに別れてしまうだろうけど、ほんとに幸せだった。
「あたし、馬鹿よね」
 そういった言葉が空に溶ける。そして、あたしはいった。
「さよなら、理樹くん」



 そういって、あたしは理樹くんの待ち合わせ場所に向かった。
 ――最初で最後のお弁当をもって。
 理樹くんはきっと、おいしいって言ってくれる、その希望を胸に添えて。




おわり。


[No.11] 2009/03/07(Sat) 00:10:45
ずっといっしょ (No.2への返信 / 1階層) - ひみつ@10179 byte

 トイレは兼用。お風呂は銭湯。アルミサッシの扉。プライバシー皆無の木造建築。錆びついた階段。築三十二年。
 そんな古臭くて狭苦しい六畳一間のおんぼろアパート。家賃が安いという理由だけで決めたことを今は後悔している。家を決める時、鈴が安ければなんでもいいとか不動産会社に言うもんだから、紹介される家は全て似たようなところだった。僕はオートロックやら、色々と家を決める上での条件があったのだが、鈴の「そんな金がどこにある?」の一言で何も言えなくなってしまった。
 部屋の約半分を占めるセミダブルのベッドから、のそりと這い出る。台所まで二歩と半歩。冷蔵庫から一リットルパックの麦茶を取り出し、飲み口に直接口をつけて喉を潤す。ぷはぁー、と控え目な音で息を吐く。ブルリと下腹部に尿意。喉が乾いて起きたというのに、水分をすぐに排泄したがる人間の構造に神秘を感じつつ、サンダルを履き、トイレへと向かう。
 外はまだ薄暗かった。太陽も昇り切らない紫色の空は、少し綺麗でずっと眺めていたい気持ちになったが、尿意がそれを許してくれないようで、僕はいそいそと共同便所へと歩を進めた。住み始めの時は、不気味で怖かったが、人間は慣れる動物らしい。今では余裕で便座に座り用を足すことが出来る。便座の冷たさが眠気を逃がそうとするので頑なに目を瞑る。ホッと一息。立ち上がり、パジャマのズボンを上げ、レバーを捻る。水が大量に流れていく。僕はトイレを後にした。
 家に戻り、そっとベッドの中に潜り込む。もう一人の住人は、これだけ僕がもぞもぞと動いても起きる気配はない。慣れたんだろう。人間は慣れる動物らしいから。外に出て冷えてしまった体を温めるために、素早く布団に潜り込む。僕はもう一人の住人の身体を湯たんぽ代わりに抱きしめたが、冷たくて代わりになんてならなかった。僕が温めてあげなきゃ。眠気が襲ってきた。抗わず、それに意識を沈めた。





 ピピピ。機械的な電子音。枕もとの目覚まし時計が鳴いていた。手を伸ばして、スイッチを切る。音が止み、小鳥の囀りだけが朝を包む。二度寝への誘い。おやすみなさい。
「起きろ」
「いたい」
 本当は全然痛くない。再び眠りかけた僕の頭をチョップが襲う。我が家の使い物にならない湯たんぽこと、鈴が眠そうな顔で欠伸をしていた。
「鈴」
「なんだ?」
「二度寝しよう」
「馬鹿。起きろ。堕落し過ぎて死ぬぞ」
「じゃあ、死ぬ」
「死ぬな」
 寝ぼけた会話をしながら、どうにか眠気を消さないように目を瞑る。今朝のトイレへの移動が堪えているのだろうか。分からないけど、とにかく眠い。そんな時は二度寝に限る。チョップが再び飛んできた。全く痛くない。
「なにするのさ」
「お前こそ何してんだ」
「二度寝を」
「起きろ」
 チョップ一閃。涙目になった。ちなみに、欠伸が出て少し涙が出ただけで、チョップとは一切関係無い。痛くないし。
「理樹、お前が起こせって言ったんだろう。今日は約束があるって」
「ああ」
 そういえば、今日は笹瀬川さんと買い物に行くことになっていた。春用のスカートやら何やらを見るとか何とか。
「そうだね。うん、準備しないと」
「そうしろ。本当にあたしがいないと理樹はダメだなぁ」
「あははー」
 白々しい笑いでその場は逃げる。台所に避難したところで、ついでに朝ごはんも用意することにした。冷凍庫から食パンを二枚取り出す。それをオーブンにぶち込み、つまみを捻る。その隙にお皿を二枚、コップを二つ。冷蔵庫からマーガリンや、あとお茶。随分こういうことも手際がよくなったなぁ、とか考えながら作業を進める。鈴には朝食がいるかどうか聞いてなかった。けど、まあ、置いておけば食べるだろう。さっさと、狭い部屋の小さな炬燵の上に、こんがりいい匂いのするトーストを並べた。
 しかし、僕を起こした後すぐなんだろうか。既に鈴は眠りに落ちているようで、ベッドから寝息が聞こえた。起こしたら悪いので、静かに手を合わせて、心の中でいただきますを唱えて、食事を始めた。すぐに食べ終えて、そこら辺に落ちているTシャツ、パーカー、ジーンズに着替える。
 約束の時刻は九時。待ち合わせの場所までに掛かる時間は約二十分。今の時間は、八時五十分。遅刻確定。





 待ち合わせの場所に歩いていくと、『GO MY WAY!』と書かれたTシャツの上から黒色のカーディガンを羽織っているジーンズ姿のプンスカと怒る笹瀬川さんがいた。プリプリする様も見慣れた。僕は彼女を怒らせる癖があるみたいだ。今回は確実に僕が悪いので、まあ、仕方がなく謝ることにした。
「ごめんなさい」
 しかし、僕の謝罪の言葉を聞いた笹瀬川さんは気分が悪そうな顔をしていた。なんでだろう? しかめっ面をずっと向けられる。居心地が悪いので、さっさと出発しようと彼女の手を掴み、目的の場所に移動しようと思った。
 思ったけど、そういえば目的の場所をよく知らなかった。今日は笹瀬川さんの買い物に付き合うって話だったから。
「で、どこ行くんだっけ?」
 掴んだ手を振りほどかれた。彼女は憤慨の面持ちをしていた。しかし、その後溜息を吐き、呆れ顔。そして、諦めた表情。それから、今度は僕の手を掴んで彼女が歩き出した。ああ、エスコートされてる。まあ、いいや。
「で、どこ行くんだっけ?」
 もう一度同じ質問をする。
「着いたら分かりますわ」
 そりゃそうだ。握った手から、笹瀬川さんの手が若干汗ばんでいることが分かった。最近少しだけ温かくなってきたしなぁ。横に並んで歩く。
 手、離さない? と提案したところ、あなたはすぐに迷子になるからダメ、と言われてしまった。なんだかムカついたので、手のつなぎ方を世のカップル共がするように指と指を絡める形にしてやり、キュッと少し力を込めると、笹瀬川さんがビクンと身体を揺らすのが、手を通して伝わってきた。面白かったので、そっと寄り添ってみた。真っ赤な顔で睨まれてチョップされた挙句、手を力任せに振りほどかれた。面白いので、その後抱きついたり、色々した。笹瀬川さんは、変な悲鳴を上げたり、怒ったり、チョップしたりと大慌て。最後は疲れて呆れて諦めたみたいで、僕のされるがままになっていた。
 笹瀬川さんの髪型が三つ編みになったところで、足が止まる。目的地に到着したらしい。ピンク色の看板の小さなショップ。センスが極めてわたくしに近くて良い店ですわ、とのこと。興味無い素振りで、僕も引っ張られるように店に入る。
 店は派手な看板とは対照的に木目を基調とした落ち着いた内装だった。掛かっている音楽もラウンジ風のもので、リラックス出来る。僕がゆったりと棚の上の商品を眺めている隙に、笹瀬川さんは店員と何やら話しこんでいた。断片的に、アレが言っていた、とか、あの子が、とか。そんな台詞が聞こえてとてつもなく嫌な予感がした。
「ちょっとこっち来てくださる?」
 案の定、そんな台詞で僕は二人の方へと呼ばれた。聞こえない振りをして、再び商品を眺める。あ、このスカートかわいい。
「ほら、こっち来なさい」
 気づけば笹瀬川さんは僕の後ろに居て、腕を掴まれ、引きずられるように店員の元へと連れて行かれた。誠に遺憾である。
「じゃあ、後はお願いします」
 勝手にお願いされた。知らない人は苦手だ。ちらりと店員の顔を窺う。笑顔だった。怖いから、あははと笑って、逃げることにした。それを予期していた笹瀬川さんに首根っこを掴まれた。
「やっぱり逃げ出そうとしましたわね」
「あははー」
 もう一度笑って誤魔化す。何を誤魔化すのか。自分でもよく分からないけど、とりあえず笑っとけ。そのまま猫みたいに首根っこを掴まれずるずると店員の元に。正面から見た店員の顔には、微妙な笑顔と微量な汗が張り付いていた。なんか申し訳なくなったので、借りてきた猫みたいに大人しく言うことを聞くことにした。
 気を取り直した店員は、さて、とレジカウンターの裏から何かを持ってきた。メジャー? 多分、メジャーだ。
「じゃあ、脱いでください」
「いやだ」
 早速、拒否してしまった。今度は笑顔でも、目尻に涙がうっすら浮かんでいるのが見えた。かわいそうですわー、とニヤニヤしている笹瀬川さんに言われた。黙れ。店員を見る。顔は笑顔だったが、普通に泣いていた。困った。ああ、困った。困ったけど、どうしようもないので脱ぐことにした。店員と二人狭い試着室に入り、鏡を正面にパーカーを脱ぐ。終わり。
 しばらく待って店員の様子を見ると、号泣していた。しょうがないのでTシャツを脱いだ。もう一度動きを止めると、ヒックという声が聞こえたので、慌ててジーンズを脱いだ。店員は遂に最初の笑顔を取り戻した。それじゃあ測りますねー、と甲高い声でメジャーを僕の体に当ててサイズを測っていく。くすぐったい。
「あの」
「ん?」
「胸のサイズを測りたいんですけど」
「どうぞ」
「ここ、痛くないですか?」
 大丈夫ですか? と泣きそうな顔で聞かれた。僕の右脇腹には大きな火傷の痕がある。それは、あの事故の時のもので、一生消えることは無い罪の印。まあ、痛みは無いので大丈夫ですと言うと、笑顔になった。疲れる。なんだかはるかみたいな店員だと思った。かわいいしましまパンツですね。黙れ。
 測定し終わり疲れた顔で試着室を出る。逆に店員はツヤツヤと血色の良い顔をしていた。よく分からない。設置されている木のベンチにニヤニヤしている笹瀬川さんが腰かけていたので、僕もその横に座る。背もたれに、思いっきりもたれて、天井を仰ぎ見る。ヘリコプターのプロペラみたいなものがクルクルと回っていた。それを眺める。気持ち悪くなった。
 さっきの店員が小走りで服を持って、僕の前に来た。嫌な予感しかしなかった。予感的中。再び試着室へと舞い戻る。手元には黒と赤のタータンチェックのプリーツスカートと黒の髑髏の絵が描いていあるロンTがあった。どういうセンスしてんだろう。店内の雰囲気とは違う妙にパンクな衣装に戸惑う。早く着なさいよー、という笹瀬川さんの鬱陶しい声が聞こえる。黙れ。着ないで出たら店員が泣く。ただ、こんな着るのは僕が泣く。でも、泣く泣く着る。
 試着室を出る。どうだ。あら、いいじゃない。そう? うん。そうかなぁ? 似合う似合う。うーん、そう? 気に入った? そこはかとなく。ふーん。これ幾らですか? ……高っ!
「まあ、気に入ったんならいいですわ」
「ん?」
「お代は結構ですわ。わたくしが払うから」
「はあ?」
 意味が分からない。そもそも。
「お前の欲しいもの買いに来たんだろう?」
「そうでも言わないと、来ないじゃない」
「でも、なんでプレゼント?」
「誕生日」
「ああ、でも、僕の誕生日は」
 僕の誕生日はまだ……。
「いいですわ。とにかくプレゼント。次はランチ行きますわよ。その後は……どこか行きたいとこは?」
「別に……」
 溜息を吐かれる。別に行きたいところなんて無い。どちらかと言えば、今は早く家に帰りたかった。無性に鈴に会いたくなった。会わないと不安なんだ。なんでだろう。鈴は家で寝てる。僕も一緒の布団に入って寝たい。ギュッと抱きしめたらこのよく分からない不安も消えてなくなる気がする。
「もう、家に帰りたい」
「だめ」
「えー」
「今日は、とことんのとんまで付き合っていただきますわよ!」
 なんでか鼻息荒く、テンションの高い笹瀬川さん。今日これからのことがとても怖い。こういう時はダメなんだ。妙に空回りする。なんとか落ち着かせようと、ポケットに入れておいたモンペチを、勿体ないけど渡した。力一杯投げ捨てられた。星になった。





 家に帰る頃には、既に陽は落ちて、僕のテンションもガタ落ちで、体力もすっからかんだった。笹瀬川さんの暴走のことは色々と忘れることにした。
 軋む階段を上り、薄っぺらい扉を開ける。家の中は真っ暗だった。炬燵の上のトーストは、置きっぱなし。鈴はいつまで寝てるんだろう。
 布団に潜り込み、鈴を抱きしめた。とっても冷たい。温まらなきゃダメだ。耳元で、一緒にお風呂に行こうと囁いた。鈴は、しょうがないやつだなぁ、とのっそり起き上がる。支度をする彼女から視線を逸らして天井を見る。染みだらけだった。
 着替えとお風呂セット一式は僕が持つ。そういう担当だから。番頭に二人分と渡して、入る。僕と鈴は、いつも向かい合って服を脱ぐ。僕の右脇腹に、鈴の左脇腹にそれぞれ同じような火傷の痕がある。
 これは僕等の罪の印。
 そして、二人はずっと一緒っていう、絆の証。


[No.12] 2009/03/07(Sat) 00:14:56
[削除] (No.2への返信 / 1階層) -

この記事は投稿者により削除されました

[No.13] 2009/03/07(Sat) 00:20:34
しめきった! (No.2への返信 / 1階層) - 主催

今まさにしめきったよ!

[No.14] 2009/03/07(Sat) 00:29:17
解説 (No.8への返信 / 2階層) - 火鳥@作者


・虚構世界=理樹(と鈴)を成長させるために恭介(たち)が作り出した世界であり、リセット権は恭介が持つ。
・理樹がNPCヒロイン+小毬(+鈴)の心の問題を解決していく過程で、恭介から見て十分に理樹の成長が見てとれたときに初めてリセットボタンは恭介の意思によって押される。
 来ヶ谷のような例外もあるが、タイミングは基本的には各ルートのエンディング直後。

 という前提のもとに、以下のifを生み出します。

・美魚ルートクリア直後において、美魚は世界のループとルールに気づいた。具体的には以下の5点。
 @自分が虚構世界のNPCであること
 A虚構世界=理樹(と鈴)の成長のための舞台
 Bリセットボタンは恭介が握っている
 C恭介はボタンを押すタイミングをはかっている(理樹の成長を待っている)
 D「美鳥」という虚像が生まれたのは、そこが虚構世界だったから
・気づくきっかけはなんでもいいが、構造的にはループに綻びが生じた来ヶ谷ルートの翌周だったからというのが理想。
・美魚は、理樹というレンズを通して、最終的に「美鳥」の姿を見つけることができた。
 しかし、「美鳥」は虚構世界でこそ存在しうるだったため、理樹の成長を見届けた恭介が理樹を現実世界に戻してしまうと、「美鳥」は世界から消滅してしまう。
・これを悟った美魚は、謙吾と同じく虚構世界に依存する道を選び、(直接的にではないにしろ)恭介と相対する。
・具体的な手段として、理樹の成長を阻止する。恋人となった理樹とともに前に進むことを拒否。かといってないがしろにしすぎて理樹の心が離れていってしまうと、今度はNPCである自分の存在理由がなくなってしまう=「美鳥」も消えてしまうため、本人に気づかれないようにする必要があった。
・理樹の観察者である恭介はすぐに美魚の意図に気づく。理樹の成長が阻止されてしまっているため、リセットボタンを押すことができない。
 このため、虚構世界において「その後」が発生し、美鳥を守ろうとする美魚vs理樹を守ろうとする恭介の構図ができあがった。
・つまり「美魚ルートクリア後の「ループされなかった」虚構世界の話」

 このifを形にするためには、以下の2点を両立させる必要がありました。

 (A)理樹から見て、美魚ルート後の幸せな日々の継続
 (B)美魚から見て、美魚ルート後から始まったゆるやかな二人の関係の退廃

 よって作中では、理樹から見た美魚ルート後を書きながら、理樹と美魚の噛み合わなさを解答のない複線のように書きだす形をとっています。
 以下はそのネタバレです。自己満足全開ですみません。

・真人たちに泣きつく理樹=成長していない姿
・恭介の「本当に心当たりがないのか?」は、疑問ではなく誘導。真人と謙吾が離れたところで喧嘩を始めてから恭介が理樹にヒントを与えたのは、「茶番」を知っている二人、特に反対派の謙吾に意図を悟られて邪魔されないように考慮したため。
・「他に答えを知っている人間は、おそらく一人だ」は大嘘。他ならぬ恭介が知っている。「おそらく」をつけたのはせめてもの良心から。
・一度置いたはずの日傘を取りだした美魚。「忘れないため」「大切な人を守るため」は美鳥のことを差しているが、理樹が察した意味とは全く異なった意味で。
・「あの子のことは――」に本来続くセリフは「私が守ります」
・「雨でもないのに空を見上げてから、頭上を覆った」のは、屋上の恭介を意識した行為。恭介のいた場所(給水塔)から美魚の姿が見えたということは、美魚からも恭介が見えていたということ。
・虫眼鏡=凸レンズ実験の比喩は、理樹を前にも後ろにも進ませないための口実。ロウソクの実像=美魚、虚像=美鳥、レンズ=理樹、の理樹の解釈は合っている。
・理樹に日傘を差し出したこと、愛をほのめかす思わせぶりなセリフと行為をとったこと、その後に平静を装ったことは、理樹に対する美魚の最大の罪。
・「先に顔を背けた」のと「一瞬だけ寂しそうな笑顔を理樹に向け」たのは、純粋な理樹への罪悪感。
・ラストで恭介が登場したのは、美魚の罪を責めるため。美魚への挑発は彼女の性癖に対してではなく罪に対して。美魚はこれを撥ね退けた。
・「透明な瞳」=透明なレンズ
・「海と空の青が、広がった。」「どこまでも、どこまでも青かった。」は、美魚と美鳥の「あを」に理樹が支配されている状態を示す。タイトルはここから。
・「だから、私たちは二人で、貴方を――」に本来続くセリフは「縛り続けます」


[No.20] 2009/03/08(Sun) 04:34:12
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