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   第37回リトバス草SS大会 - しゅさい - 2009/07/10(Fri) 07:21:01 [No.220]
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牝犬の墓場  クドリャフカは濡れた - ひみつ@20476 byte - 2009/07/11(Sat) 00:11:47 [No.232]
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第37回リトバス草SS大会 (親記事) - しゅさい

スレ建て遅れて申し訳ない。
お題は『嘘』なのですよ。締め切りは金曜24:00なのですよ。


[No.220] 2009/07/10(Fri) 07:21:01
虚口 (No.220への返信 / 1階層) - ひみつ@10133 byte



 待ち合わせの時間の10分前。いつもの通りに余裕ある時間に駅前についた私の目は空を見上げる。私の脳は宇宙まで見えそうなどこまでも広がる青い空を認識していた。





 虚口





「お姉ちゃーん!」
 ドップラー効果を発生させながら近づいてくる声と足音。耳に届くその振動を聞きながら、私の口からはハァと慣れた溜息が洩れた。
 そしてすぐ側に来てぜいぜいと荒い息を吐いている葉留佳の頭をめがけて振りあがった私の手。すぱこーんと軽い音が周囲に響く。
「痛ぁ! ううう、久しぶりに会ったのに挨拶無しにいきなりこれですカ!? そりゃ確かに30も遅刻した私が悪かったけどさー!」
 ぶーぶーと的外れな事を言いやがる妹に向かってもう一回、私の手は拳を握って振り下ろされた。やっぱりすぱこーんと軽い音がした。たぶん頭の中には何もつまってないんだろう。昔から分かっていた事だけど。
「お姉ちゃんがいじめるのですよ〜。助けて理樹く〜ん!」
「自分の子供を労らないお母さんにはこの位でちょうどいいのよ」
「やはは。遅刻しちゃったからつい……」
「ついじゃないわよ、もう。今は私の事より大事な事があるでしょう?」
 私の目は葉留佳のお腹に向けられる。ちょっとだけぽっこりとしたお腹は別に便秘とか最近太りましたとかそういうのじゃなくて、新しい命がそこにすくすくと育っていっている証拠だ。それなのにこの母親は何をしているのか。生まれる前から母親失格な事をしないでほしい。
 照れくさそうに笑う葉留佳に、私の頬はちょっとだけ緩む。やはり私はこの子に甘い。
「じゃあお腹の子を労る為にもどこかで座って話そうかしら?」
 そんな提案をすると目の前の顔はパッと明るくなる。やはりかなりの長い距離を走って疲れていたらしい。
「うん。じゃあどこに行こっか?」
「私はどこでもいいわよ」
「おーけー。じゃあそこのファーストフード店ね」
 葉留佳が指さした先にあるのはトマトケチャップが美味しいと評判のファーストフード店。私はどこでもいいと言っているのに気を使ってくる葉留佳はやっぱりいい子だ。
「はいはい。じゃあ早く行くわよ」
「よっしゃ! じゃあ競走ね!!」
「だから走るな! っていうかあなたいくつよ!」
「今年でにじゅーよん〜」
「冷静に答えるなぁ!」

 ファーストフード店について、注文して席を確保してついでにもう一発葉留佳の頭から軽い音をさせて。そうしてからようやく話が始まる。
「なんかどっと疲れたわ」
「お姉ちゃん、疲れ症?」
「あなたがいない時にはここまで疲れないんだけどね」
「ひどっ!」
 軽口をたたいてくすくすと笑い声をあげる。
「改めて久しぶりね、葉留佳」
「本当ご無沙汰していましたねお姉ちゃん」
「ええ。あなたが妊娠してから会うのは初めてですものね。どう? 直枝との結婚生活は?」
 屈託なく笑う葉留佳を見ながら手元にあるハンバーガーを口元に持っていき、咀嚼する。もふもふとゆっくりと味わうように口を動かす。葉留佳もオレンジジュースをちゅーちゅーと嬉しそうに吸っている。何時まで経っても味覚がお子様な子だ。
「全く問題なんてありまくり〜」
「どっちよそれは」
「だってー、真人くんとか謙吾くんとか来るたんびに埃を舞いあがらせるしー、鈴ちゃんが来る時はねこがわらわらとついてくるから毛が大変だしー、姉御が来るとぱんつがなぜか増えてるしー、小毬ちゃんはお菓子をたくさん持って来て私を太らせようとしてるしー、美魚ちんは子供の教育に悪そうな本を抱えてくるしー、佐々美ちゃんは国際試合gないから最近来てないしー」
「それはどちらかというと惚気ね。しかも直枝とあんまり関係ない」
「まーねー」
 くすくすと笑顔を浮かべながらコーヒーに口をつける。けど、それが余りにまずくて顔をしかめる。
「だから無理しないで砂糖とミルクを入れればいいのに」
「私はいつもブラックよ」
 にべにもなく言い捨ててからまたハンバーガーを口にする。
「で、今の話題に出てこなかった恭介さんは?」
「へ?」
「だから恭介さんは?」
 重ねての問いかけにも目を何回か瞬かせるだけ。やがて古い機械が動くようにあーあーあーと頭の中から何かを引っ張りだしてきた。
「きょーすけさんね。最近話題があがってなかったから忘れてた。たーしーかー、前に来た時に『アフリカの方に行って未知の宝石を探してくる。なぜならそれが男のロマンだからさっ!!』とか言って気がする」
 動きが完全に止まってしまった。呆然と葉留佳を見てみればこの子も反応に困ったみたいに頭を掻いている。
「それはまた、なんというか、恭介さんらしいというか。
 ちなみにあの人いくつ?」
「私たちの一個上だよ」
「25歳でそれって――」
 もう絶句するしかない。葉留佳も感想がないのか、やははと虚しく笑い声を上げる事しか出来ていないみたいで。
 ってそう言えば。
「ねえ、葉留佳。今アフリカの方って言ったわよね?」
「うん、そうだけど、どしたの?」
「確か今朝のニュースで、アフリカの方で未知の鉱物を発見した日本人がいたとかいうニュースがあった気がしたんだけど。確認出来次第、名前を公表するとかなんとか」
 無言。沈黙。不動。絶句。
「ま、まあアフリカといっても広いじゃないですか。ねぇ、お姉ちゃん」
「え、ええ。アフリカといっても広いわよね。もうこの話はやめにしない?」
「うん。貴重な時間を恭介さんの事で潰すのもったいないし」
 やる事なす事はちゃめちゃな人だから。けれどそれでもあの人はどこか信じられる不思議な空気を纏っている。
 たまに、思う。私もあの人の側にいればもうちょっとまともな人生を送れていたんじゃないだろうかとか。それは一笑にふせる程下らない考えだけど。これ以上にまともな人生なんてきっとないだろうし。
「それで葉留佳、直枝との生活はどう?」
 少しだけ噂話が好きな女の子の顔で茶化してみる。私に茶化された葉留佳はと言えば、真っ赤な顔をしながらあーだのえーだの意味のない言葉を繰り返すばかり。
「た、楽しいよ?」
「何で疑問形なのよ」
 はぁ。慣れた溜息を葉留佳に向かってついてやる。全く、新婚ホヤホヤの夫婦って訳でもないでしょうに。
 確かに枯れた夫婦関係よりはマシでしょうけど。
「で、実際はどうなの? 直枝にいじめられたりしてない?」
「そ、そんな事されてないよっ。理樹くんってばすごく優しいし。この前も赤ちゃんがいるからって気遣ってくれて、美味しいご飯を作ってくれたんだよ!」
「そこまで気遣って貰ってるなら、身重の体で走るのとかやめなさいよ」
 キッチリとツッコミを入れる事も忘れない。だって遅れそうだったんだもんと言いながら頬を膨らませる葉留佳は、いい年をした我が妹ながらやっぱりかわいい。
「じゃあ結構充実した毎日を送ってるんだ」
「あーうん、まあそんな感じなんですヨ。理樹くんは優しいし、みんなも気にかけてくれるし、言うこと無しですネ」
 ぽりぽりと頭をかく葉留佳を見て頬を緩める。葉留佳が幸せな毎日を送れているのならば私は満足だ。
「それでお姉ちゃんはどうなの、ここ最近」
「疲れる事ばかりよ」
 ちょっと心配そうな顔をする葉留佳に即答してやる。ついで苦笑いをしながら肩を揉みほぐすような仕草を。
「本当、ここまで忙しいと労働基準法を守って貰えているかも怪しいものね。毎日仕事ばっかりで彼氏を作る暇もないわ」
「あや〜、それはご愁傷様です。お姉ちゃんならその気になれば引く手数多でしょーに。残念ですネ」
「お世辞はいらないわよ」
 そう言って手元のコーヒーを煽る。ちらと葉留佳の様子を伺ってみれば、まだ心配そうな顔でこちらを見つめてきている。しくじったかと、腹の中で舌打ちを一つ。
 コトリという静かな音をたてて飲み物を置いた向かい側に、いつになく真剣な表情をした葉留佳の姿が。
「ねえ、お姉ちゃん」
「どうしたのよ、改まって」
「あのさ、どうして三枝の家に残ったの?」
 心配そうというより、寂しくて悲しいといった感情が溢れていると辺りをつける。
「別にどうという理由はないわ。ただそっちの方が便利だしね。お金と権力だけはあるし、色々と楽なのよ」
 微笑みながら言ってやる。幸せを掴んだ葉留佳が私の事なんかに気を割かないように。
「お姉ちゃ、ん」
「そんな顔をしないの。別にあなたと会うのが嫌って訳であそこに残った訳じゃないし、時々はこうして会えるしね」
 ふとした様子で時計を見上げてみる。そろそろ戻り始めなければならない時間だ。
「もうこんな時間ね。また会いましょう、葉留佳」
「ホントだ。やはは、楽しい時間っていうのは過ぎるのが早いですね」
 笑い合いながら立ち上がって、トレイを掴む。
「あなた、帰りは走らないで帰りなさいよ。お腹にはもう子供がいるのを忘れないように」
「失敬な。この直枝葉留佳、それを忘れたことなどありませぬ!」
「じゃあそれに見合った行動をとりなさいよ。
 それでお腹の子供は男の子? 女の子?」
「まだ分からないですヨ。けど父親の顔がアレだから女の子だったらすごく可愛い子になりそうですネ」
「そうね、あなたの子供でもあるし可愛いでしょう。楽しみにしてるんだからね、子供がちゃんと生まれて幸せな家庭をあなた達が築くこと」
 ゴミをゴミ箱に突っ込んだ。



 ●



「遅い」
「申し訳ございません。無能な佳奈多がご迷惑をおかけした事、心よりお詫び申し上げます」
 家に帰ってからの第一声がそれだった。もう慣れたものだけど。
「ふん、愚図が。愚図は愚図なりにテキパキと動け」
「全くもってその通りでございません。ですが恐れながら申し上げますれば、それすら出来ないが故の愚図なのだと存じます」
「違いない」
 くぐもって聞く者を不快にさせるような笑い声をあげる目の前の男。全くもって気色が悪い。
 そんな男の目の前を通って執務室へと向かう。明日までに仕上げる仕事を考えてみると、就寝時間は明け方になるだろう。
 と、いきなり目の前の男は私の肩を鷲掴みにした。
「なにか?」
「今日はそっちに行かなくていい。寝室に行け」
 またあれかと、表には出さないままに唾を吐き捨てる。
「承知致しました」
 挨拶もそこそこに、私は昼にかいた汗を流す間もなく寝所へ向かう。どうせこの仕事が終われば汗を流す事になるのだから、難しい事なんて何も考えなくていい。ただこのせいで押した分の仕事については頭の痛くなる話ではあるが。
 寝所についたら着ているものを下着まで手早く脱いで、男が来るのとは反対方向の廊下に放り出しておく。後は桐ダンスの中にある男受けのしそうな下着をつけて、ついで白襦袢を身にまとい、布団の上で正座をして待つ。とっとと終わればいいのに、この待ち時間が一番イライラする。この後どれだけ仕事があると思っているのだろうか。こちらの都合なんて微塵も気にしていないのは分かりやす過ぎるけれども。

 間が空く。だがまさか席を外す訳にもいかない。男尊女卑の、唾棄すべき悪習そのままに縛られているこの家の中で人権などあるはずもない。じっとそのまま忌まわしい男が来るのを待ち続ける。
 唯一自由に動かせる頭の中で考える事は、昼間に会った葉留佳の事。久しぶりに会った妹は本当に幸せそうだった。
 今更、葉留佳の幸せを壊せる筈がないと諦めと悲しみがない交ぜになった感情が心を支配する。本当は全部ぶちまけてしまいたかった。
 葉留佳たちの生活に手出しをさせない為に籠の中の鳥になった事。家柄だけは立派だが浮気症のせいで2回の離婚した中年男と結婚する羽目になった事。その男の子供をもう2年も前に孕ませられた事。今でも愛人のように抱きにくるその男を受け入れなくてはいけない事。その上で三枝の仕事は必要以上にやらなければいけない事。
 悔いがないと言えば嘘になる、葉留佳の幸せが妬ましくないと言えば嘘になる、苦しくもないと言えば嘘になる。
「待たせたな、佳奈多」
 ガラリと襖が開いて、中から見るに堪えない外見の男がドスドスと歩いてくる。闇の中で表情が見えない事をいい事に、私の顔は醜く見下した表情をつくってやる。
「お待ちしておりました、旦那さま。佳奈多はあなたにあえて心からの喜びが絶えませんわ」
 ただし、言葉にはうっとしい程の媚を込めて。
 私の口はこれでいい、虚しい言葉しか出なくていい。どうせ、嘘しかいえない口なんだから。


[No.221] 2009/07/10(Fri) 07:31:13
たった一つの本当の嘘 (No.220への返信 / 1階層) - ひみつ@12516byte

「ごめん、沙耶。やっぱり僕は、ちっちゃい女の子が好きなんだ!」
 フラれた。

 校舎裏への呼び出しがあったのが三十分前、「また野外か」とワクワクしながら待っていた時間はもう戻ってこない。あんまりにもあんまりな別れの言葉だった。
 は? 今の何? 何だったの?
 全身をセメントで固められたように、指一本動かせなかった。
「そんな貴女にこの一品。どんな年増でも瞬く間に幼女へと変貌出来てしまう魔法のキャンディーです」
「げぇっ、西園さん! その格好はなに?」
「野生の喪黒福造です」
「いや、あいつは最初から野生だと思うけど……」
 胡散臭い真っ黒なスーツ姿の彼女の手には赤いキャンディーがあった。
 どうやらそれが幼女へと変身する魔法のキャンディーらしい。
 恐る恐る指を伸ばして持ち上げてみるが、見た目には普通の飴と変わらない。
「安心してください。着色料及び添加物は一切使用していません」
「け、健康食品みたいな売り文句ね?」
 とはいえ、その鮮烈な赤色は明らかに自然のものではない。
 胡散臭さここに極まれりといった感じだ。
「なんでキャンディーなのよ?」
「幼女に変身するといったらこれでしょう」
「そうかもしれないけど、何か無性に怪しいんだけど」
 顔を顰めながら太陽にかざしてみると、不思議なほど透き通って輝いていた。星のような無数の影が丸い球面の内側に散っている。宇宙を外側から眺めているような印象だ。いったいどういう製法なのか。
 吸い寄せられるように、と言ったら変かもしれないが、本来中心に居るはずのあたしが寄っていく形でキャンディーは口の中に納まっていた。固まっていたはずのそれは、まるで砂糖のように溶けて喉へと落ちていく。強烈な渋みと酸味が舌を襲い吐き出しそうになったけど、何とか飲み込む事が出来た。
「げぇっ、ぐげええっ!」
「とても女性とは思えない嗚咽っぷりですね」
「何味? これ、何味なのっ!?」
「それはともかく、ご自身の身体を確認してください」
 こちらの質問をさらりとかわされてしまった。
 だが、とりあえず嘘はなかったらしい。
「な、なるほど。確かに幼女だわ」
 瞬く間に身体がしぼみ、気付けばそこに居たのは、記憶にあるものと変わらぬ幼い頃の自分そのものだった。胸に手を当ててみても、何の感触もない。それがちょっとだけ寂しく思えたが、愛の力で振り払った。
「これで理樹くんもイチコロね!」
 幼くなってしまった諸問題を忘れ、あたしは理樹くんを探した。もしかしたら狩人の目になっていたかもしれないが、止むを得ない話だろう。あんな別れ方、許せるはずがない。どんな別れ方なら良いのかって聞かれても答えられないけれど、少なくとも地球上に存在する中であれは最悪の部類だろう。
 
 だから、こんな間抜けな姿になってみたのだが。
「凄い! 凄いよ、沙耶!」
「……ありがとう」
 この歓喜極まった彼の姿に軽く絶望した。
 だってこっちは幼女の姿なのだ。
 目の端に感涙さえ輝いて見える理樹くんに引いてしまうのも仕方がないと思う。
「絶妙な膨らみ加減だ! 揉めるほどじゃないけど、確かな柔らかさを感じるぞ。手のひらでこね回すには丁度良い感触だ。更にどうした事だろう! この先端部にも眼を見張るものがあるね。鮮やかなサクランボ色じゃあないか。しかも通常時は陥没しているときた! 蕾が開花するように、徐々に膨らみ浮き上がってくる陥没乳首! それは少女の健気な性感を如実に示すものであり、羞恥に染まる頬の彩りを添えればまさに至高のペタおっぱいと言えるよ!」
「……うん」
「更に更に……うん! 下も見事なパイパンだよ! 触れただけでは気付かない、しかし頬でなぞれば気付く程度の柔らかな産毛。黒々とした毛穴など何処にも見えない、剃っただけではこうはならないんだよね〜。究極のツルマンだと言わざるを得ないな!」
「そう……って、スカート捲るなパンツ下ろすな!」
 油断しているとすぐこれだ。
 主にセクハラ行為に関して理樹くんは間違いなく歴戦の傭兵さえ敵わない領域に到達しているだろう。きっとあたしが気付かない内にも色々されているに違いない。別にあたしが隙だらけというわけではない。
 別種の怖れを抱きながら距離をとるように一歩下がると、すぐさま抱きしめられた。
「沙耶、君は最高の幼女だよ」
 その言い方はともかくとして。
 愛する男に優しく抱かれて喜ばない女は居ない。釈然としない諸々の問題点は空の彼方に消え、身体から力が抜けていく。脳みそが真っ白になってピンク色の湯気が出ているようだった。う〜ん、これが惚れた弱みというものなのだろうか。
「あたしと、一緒に居てくれる?」
 自分でも驚くほど甘い声が出た。
「もちろんだとも!」
「本当?」
「沙耶に嘘は吐かないよ」
「嬉しい。良いわよ」
「待って、沙耶。そこは是非、『お兄ちゃんになら、良いよ』って言って」
「……お、お兄ちゃんになら、良いよ」
 あたし達は翌朝まで変形合体を繰り返した。

 キャンディーの効果は直ぐには切れなかった。
 翌日も、そのまた翌日になってもあたしは幼女の姿で居た。
 考えてみれば、どうすれば元に戻るのか聞いていない。少しだけ気になっていたが、西園さんの姿を見つける事は出来ず、自然と探す事もなくなっていた。
 このままで良いかな、と思い始めていた。
 迷宮探索の日々は変わらない。視点の高さが変わった所為か、短い手足に慣れない所為か苦労はあったが理樹くんと手を繋いで探検するのは楽しかった。
 溢れ返っていた敵の姿は何処にもなくて、命を奪おうとするトラップもない。
「ぎゃあああああっ、ヌルヌルする! すっごいヌルヌルするうっ!」
「幼女の触手プレイ、ハァハァ」
「助けろおおおおおおおおおっ!」
「待って、あと五分!」
「何が? ねぇ、何が五分なの!? って、嫌だ、そこはらめぇ!」
 ……なんか、セクハラじみたトラップばかりなんだけど、これって誰の趣味?
 理樹くんがやけに楽しそうなのが嬉しいけど悲しい。
 なんでこんなの好きになっちゃったんだろう。
 永遠の謎だ。
 色々疲れ果てて外へ出る頃にはすっかり空も白ばんでいて、興奮のなか溶けるように眠り一日が終る。

 だけど、起きてみれば何処にも高揚感がなかった。
 まして今日はいよいよ最下層なのだと思うと、堪らなく胸が痛くなる。
 頬に伝うものを感じて指で掃うと、それは金色に輝く涙だった。
 呆然と、しばし固まっていたように思う。その間、自分が何を考えていたかは分からない。
「どうしちゃったんだろう?」
 ようやく目的の場所に辿り着くというのに。
 うん? ようやく?
 何かが決定的に間違っている気がして、怖れるように銃の手入れを始めた。
 慣れ親しんだ感触が心を落ち着けてくれる事を信じて。
 けれど頭の中に浮かぶのは理樹くんの姿だけだった。別に銃から彼のビッグマグナムを連想したわけじゃない。この指の一本にまで、その感触や温もり、優しさがこびり付いて離れないからだった。
 それを求め暴れ出す感情を抑えながら、理樹くんが来てくれるまで待ち続けた。
 無限にさえ思えるほど長い時間、待っていた。
 心の隙間を埋めるものは彼しかいないから。

 でも、ようやく現れた理樹くんは真っ先にごめん、と謝った。
「鈴の猫が一匹居ないらしいんだ」
「は? そうなの?」
「沙耶は見てない?」
「猫はしょっちゅう見かけるけど、どれかは分からないわね」
 なんでこんなどうでも良い事を話しているんだろう。
 まったくこっちを向かない理樹くんに苛立ちながら、そんな事を考えていた。
「り……お兄ちゃん」
 それがあたし達の合言葉になっていた。
「今日はどんな事、教えてくれるの?」
 迷宮探索は、今日はもう良いや。そんな気分じゃない。
 別に今日でなければならない理由なんてないんだし、明日やれば良いだけの事。
「ごめん、猫を探さないと」
「へ? ちょ、ちょっと、どういう意味?」
「鈴に頼まれてるから。ごめんね」
「そんなの、別に理樹くんじゃなくても良いじゃない。猫なんて放っておいても勝手に帰ってくるでしょ」
「かもしれないけど、やっぱり気になるよ」
「じゃあ、あたしとの約束はどうなるの」
「明日はきっと手伝うから」
「明日じゃ駄目」
「なんで?」
「なんでって、あーうん、そう。なんでも!」
「沙耶、意味が分からないよ。約束を破っちゃうのは、本当にごめん。でも放っておけないんだ」
「そんな……どうして棗さんの事ばかり考えてるのよ! 理樹くんの彼女はあたしでしょ!」
 思わず、叫んでいた。
 あたしと話しながら、視線だけは常に周囲を探っていた彼の仕草が許せなかったから。
 叫んでしまってから、気付く。
 自分の感情の馬鹿馬鹿しさに。
「そう、嫉妬よ。待ってる間にちょっと泣いちゃったりする乙女チックな馬鹿なのよ。一緒に居るためにこんな姿になったのに、猫一匹のために他の子に盗られるなんてさぞや滑稽でしょうね。笑えば良いわ、笑えばいいでしょ! あーっはっはっはっは!」
 悲しげに表情を歪ませている理樹くんが見えた。
 たぶんこの男は少しだって分かっていなかったのだろう。困っている棗鈴を助けるのは彼にとって余りにも自然な反応過ぎて、もしかしたら、なんて全く考えられなかったに違いない。
 いや、これは彼を責めるべきものではないんだ。
 きっと、そういう風に出来ているのだから。
「沙耶……」
 一歩踏み出され、一歩後ろに下がる。
 腕が届く距離に近づかれてしまえば、きっと抱きしめられる。
 抱きしめられたなら、それで全てが解決してしまうだろう。
 それが許せなくて、あたしは機先を制した。
「……もう、良い」
 そんな小さな拒絶にも心が痛い。
 その場から逃げ出し、迷宮に飛び込んだ。

 着地すると同時にそのまま我武者羅に銃を撃つ。
 空気を読んだように溢れ出した影達の動きは緩慢で、良い的だった。
 どれくらい撃ち続けたのかは分からない。無限に出てくる的を走りながら、叫びながら撃つ。
 腕が上がらないほど疲れ果てて乱れた呼吸を落ち着ける頃には、最下層に辿り着いていた。
 そこに、野生の喪黒福造が立っていた。
 黒いスーツ姿は薄暗い通路に溶け込んでいて、仮面を被っているわけでもないのに白い顔は仮面じみて見える。
「……笑いに来たの。それともあたしを殺しに?」
「どちらでもありません」
「そっ、残念。別にやり直したって良かったのに」
 ゲームオーバーになって最初からになったって構わない。
 むしろそちらの方が良かったのに、彼女は別の事を口にした。
「どんな別れ方なら貴女は満足したのでしょう? どんな形での別れなら満足しますか?」
「うるさい」
 銃口を向けて引き金を引く。弾丸は出なかった。
 残弾数を忘れていたのか、そもそも最初から存在しなかったのか。
 諦めて、あたしは笑った。
「分かってる。それがどれだけ理不尽だったとしても、あたしはそれを受け入れなきゃ駄目だったのよね」
 別れという名の終わりは唐突に、そして理不尽に訪れるものだと知っている。
 知ってしまっている。
 あたしは亡霊になってはいけない。
「馬鹿みたい。ちゃんと我慢できるはずだったのに」
「精神は肉体に強い影響を受けます。貴女は貴女の本来の姿をしていたからこそ、貴女自身で居られた。幼さが悪だとは言いませんが、願ってはならない事、求めてはならない事が存在するのだと知り、その上で耐えなければならなかったのです」
「こんな姿にしたのは貴女でしょ!」
「喪黒福造は心の隙間を埋める、けれどそこには必ず落とし穴があるものですよ」
 うんざりするほどの正論だ。
 確かにキャンディーを飲んだのはあたし自身の心を埋めるためで、そして向き合う羽目になったのはあたし自身の本心。むしろ本物よりよっぽど良心的な落とし穴、言うなればただの墓穴だ。ますます笑えてくる。
「理樹くんと一緒に猫探しすれば良かった」
「そうですね。それに耐え続けられるなら、幸福はもう少しだけ続いたかもしれません」
「ハッ、最悪だわ」
 素直にそう思った。
 それはたぶん、お利口さんな彼女達には言えない事。
「仕方がありません。求める事も拒む事も自由ですが、その先には何もありませんよ」
 姿に似合わない真っ直ぐな言葉だった。
 けれどその意味では、あたしの方がより不自然といえるのかもしれない。
 こんなにも真っ直ぐな感情を抱けるなんて思わなかった。
 彼女の言うとおり、引き際を弁えないあたしなんて、ここに居て良いはずがなかったのに。
「誰も同じです。本当の自分では居られない。それぞれが最後の砦として役割を懸命に演じる事でしか、未来は得られない」
「あたしと貴女達とじゃ立場が違うわ」
「もちろんです。ですが、誰も貴女に同情できる立場にいない。その意味では同じです。ずっと一緒に居たい。その本心に、嘘を吐かなければならないんです。むしろ、少しだけではありますが、今の貴女を羨ましいとさえ感じられます」
 少しの間、言葉を躊躇ってからあたしは問いかけた。
「それは、あんたも同じ?」
 振り返るまでもなく、そこに仮面の男が立っている事を知っていた。
 きっと最初から監視していたのだろう。そして何が起こるかも知っていた。
 全部、彼が用意したものだったから。
「散々殺されながら、なかなか諦めようとしないあたしを見て、搦め手できたってわけね。最低だわ」
「謝らないぞ」
「力ずくで土下座させて頭を踏み付けてやりたいわよ」
「踏まれる方が好きなくせに」
「それは理樹くん相手だけよ!」
 意を決して振り返ると、案の定、仮面が浮かんでいる。
 不気味で不愉快なそれが、今だけは妙に似合って見えた。
 その下にある本当の表情よりは、ずっと悪役らしい。
「辛くない?」
 自然と、そんな事を考えていた。
 あたしは亡霊になってはいけない。けど、それは彼らも同じ。
 誰も望んではいけない。望みを抱いても、それを露にしてはいけない。
「なに、覚悟してるさ」
「嘘よ。貴方絶対、最後に泣くわよ」
「……かもしれないな」
 そう答えながらも仮面は揺れない。
 それを強さと呼べるのだろうか。
 あたしには分からなかったがけれど、彼らの覚悟を無視する事は出来ない。
 良いわよ。出てってやるわよ。まだ満足してないけど、仕方が無いし。きっとこれ以上はわがままになる。そしてわがままなあたしは、きっと沢山のものを傷つけてしまう。その中には理樹くんの未来があって、それはあたしが一番大切にしたかったものだから。
 大切にしたいと思えたものだから。
 だから、あたしは嘘を吐く。
 ずっと一緒に居たいよ。
 もっとたくさん触れ合って、長く抱き合って、温もりに包まれて居たい。
 そんな本心に、嘘を吐く。
 ただ一つの、嘘を。
 そして終わりを迎える。
 ううん、終わりへと帰るんだ。
「次が、きっと最後になるんでしょうね」
「かもしれんな」
「精々楽しませてもらうわよ」 
 せめて最後に、ありがとうと言えるように。


[No.222] 2009/07/10(Fri) 18:30:51
Say it not so. (No.220への返信 / 1階層) - ひみつ@8800byte


気がついたら、俺は白い天井を見上げていた。
 さっきまで何をしていたのか思い出せない。
 体を起こす。どうやらベッドの上で寝ていたようだ。周りを見わたすと看護師がうろついていた。
 看護師は俺が起きたのを見ると外へ駈け出していった。***病室の棗さんが目を覚ましました、とかなんとか言いながら。
 どうやら俺は病院にいるようだ。そう言えばどうしてこんなとこにいるのだろうか。
 思い出せない。
 頬が痩せこけた医者がやって来て俺の健康状態をチェックしている。おいおい、そんな心配しなくても俺は大丈夫だぜ?
 身体検査は終わったらしい。すると医者は何やら俺の名前を聞いた。そんな事解りきってるよ。俺は・・・
 思い出せない。
 医者はレポートに何やら書き込み始めた。俺はその動作をただじっと待っていた。
 暇だ。やることがない。俺は天井を見上げた。始まりと同じ白い天井。
 しかしまた滑稽な話だ。自分が何者かも解らないなんて。
 医者が、今日はこの辺にしましょう、色々とありすぎたから疲れてるんでしょう、と言って俺を病室まで見送った。
 色々っていうのは何の話だ。
 思い出せない。
 とりあえず今日は寝て過ごすことにした。何もすることがなくて暇で死にそうだった。
 次の日、俺は医者に呼ばれてカウンセリング室に行った。
 医者は言った。
『あなたは自分がどんな事故にあったか覚えていますか?』
 言っている意味が分からない。
 事故?なんの話だ。俺はこの前まで就職活動をしていたはずだ。
 ・・・いや、俺はそもそもなんで就職活動なんてことをしていたんだ?
 疑惑が加速度を増して膨らんでいく。限界に達したシャボン玉は音も立てずに欠片を残して消え去った。
 (!?)
 そうだ俺は理樹と、鈴と、真人と、謙吾と、
 そこまで脳が理解した瞬間、感情が決壊した。
「ーーーッつ!」
 俺は声をあげて泣いた。叫んだ。周りなど気にもしなかった。なぜ泣いたかさえ最後の方には解らなくなっていたが、ただ悲しかった。
 医者は俺に起きたことを簡潔に述べてくれた。 
 俺が乗っていた修学旅行のバスが崖から転落したこと。他の生徒は事故の衝撃と爆発で死んでしまったこと。
 つまり、生き残ったのは俺独りだということ。
 俺は呆然としながら椅子に腰かけていた。
 思い出したくなかった。
 そしてどうやら俺はその事故から一カ月以上もずっと昏睡状態にあったらしい。一時危篤状態にもなったらしいが全く記憶にない。
 夢を、見ていたような気がする。楽しい夢物語のような夢を。
 まだ体調が万全ではないということで、様子見で一週間入院することになった。
 こうして病院のベッドの上にじっと寝ていると、たまに寂寞の思いに駆られることがあった。そんな時は、あいつらと一緒にいる時間を思い出して紛らわした。そんな時間はもう戻ってきはしないのに。
 考えることすらどうでもいい。考えることで胸が締め付けられるなら、考えるのをやめよう。
 警察が俺のところまで来て事情聴取をした。覚えていることは少ないし思い出したくなかったので俺はしらを切った。
 そこで俺は疑問に思った。なんで他のやつらは死んだのに俺だけのうのうと生き残っているのか。俺の体に火傷の跡はない。
 警察に聞くと包み隠さず教えてくれた。
『お友達があなたの周りを覆っていたんですよ。ええっと名前は・・・そうそう、直枝理樹と・・・棗鈴と言いましたかな』
 驚愕した。俺は情けなくて、どうしようもなくて、許しを請いたくて啼いた。バカ野郎、なんで俺なんかのために・・・。嗚咽を漏らしていると、警察はこれ以上は無駄だと判断したのか病室を後にした。
 だいぶ調子もよくなってきたので屋上に出ることにした。空は厚い雲に覆われている。やがて雨が降ってくるだろう。俺は雨が降ってくるのを心密かに楽しみにしながら屋上に立ちつくした。
 そう言えばあいつらと野球した日はこんな日じゃなかったな。もっと清々しく晴れ渡った日だった。暗くなるまで馬鹿みたいに泥だらけになって練習したっけ。
 そんな平凡な光景。
 もう一生見ることができない、そんな平凡な光景。
 雨が降ってきた。俺の頬を雨の雫が伝う。涙だったか、そんな詮索はどうでもいい。今はただ、現実という名の脅威に打ちひしがれていたかった。
 退院する日が来てしまった。疲れた顔で俺はその病院を後にした。色々、ありすぎた。
 学校の正門の前に立つ。これから一歩を踏み出すのが怖い。現実と夢の違いを諭されそうで。
 足を前に動かす。正門をくぐる。迎えは、もちろんいない。
 寮の前まで歩を進める。いつもは理樹が、真人が、謙吾が、・・・鈴が。
 胸が抉られそうだった。寂しさに穴をあけられるくらいなら自分で開けてやるよ。気がついたら自分の胸を掻き毟っていた。
 いつも見慣れた自分の部屋。だがそれはこの前の部屋とは違う。いくら過去を願っても俺は神様じゃない。
 授業中はいつも空を見上げていた。あいつらといたあの空を。雲はまばらに散っている。やがて消えてなくなるだろう。
 恐ろしいスピードで月日が経っていった。最近は誰にも話しかけられることもなくなった。俺が話そうとしないから当然だろう。ただ胸が苦しかった。
 いつからだろうか、俺は授業を抜け出して屋上で空を見上げるようになっていた。
 今日は清々しく晴れている。あいつらもこの空を見ているのだろうか。そう思うとなぜか涙がこみ上げて来て、俺は瞼を閉じた。
 そう言えば、とふと思った。一回もあのグラウンドに足を進めていない。
 行きたくはなかった。思い出すとまた胸が抉られるから。
 なのに、俺の足はグラウンドの方へ向っていた。この期に及んでまだ俺は許しを請いたいのか。
 今はまだ授業中だが体育をやっているクラスはないようだ。俺はグラウンドの土を踏んだ。
 懐かしい、じゃりっという音。太陽が土を焼いている。土の匂いがする。
 ほら、早く投げろよ鈴。なんだ理樹、こんな球じゃミジンコだってとれるぜ。真人、いくら暇だからって筋トレはするなよ。謙吾、ナイスプレイ。
 そう、言ってやりたかった。まだまだやりたいことが沢山あった。もっと楽しみたかった。もっと。
 ピッチャーマウンドに立つ。そこに落ちてた石ころを拾い上げた。振りかぶって投げる。ストライク。
 石ころはキャッチャーをすり抜けて土手を越えていった。
 もう、どうでもいい。何も考えたくない。俺はグラウンドを後にした。
 それからというもの、俺は何も考えないことにした。部屋に閉じこもってひたすら寝ていた。夢の中ならあいつらと一緒だから。楽しかったあの時に戻れるから。
 夢の中は楽しかった。いつまでもあの時間を続けていられる。

『筋肉マン参上!!』
『きしょいんじゃぼけー!』
 今日の夢は真人が主役らしい。スーパーマンになってみんなを助けている。
 食堂でみんなと一緒に飯を食べる。真人と謙吾はバトルを繰り広げている。おいおい、騒ぐのは大概にしとけよ?
 他愛もない話をして自分の部屋に戻る。明日はどんなミッションをしようかとわくわくしながら寝る。
 
 目が覚める。時計を見ると午後1:00だった。それが現実に戻ってきてしまったことを示していた。
 早く眠りたい。俺にはこの現実は厳しすぎたんだ。もう少しぐらい夢を見たっていいだろう。
 しばらく目を閉じていると、やがて睡魔が襲ってきた。
 
 目が覚める。時計は午前7:00を示していた。楽しい時間の始まりだ。
 俺はわくわくしながら学校に向かった。今日はどんなミッションをしようか。
 学校に着いた。だがおかしい。人通りがない。まさか今日は祝日だったのだろうか。
 そんなことを考えていると、理樹たちに会った。
『よう理樹。どうしたんだこんな朝っぱらから』
『恭介、話があるんだ』
『話?』
『まぁとりあえずこっちに来てよ』
 そういって理樹たちはグラウンドの方へ歩き出した。空は厚い雲で覆われている。
『で、話ってなんだ』
『野球しない?』
 理樹はそう言うと俺にバットを投げてきた。理樹や真人や鈴はすでにグローブを持っている。
『なんだ、そんなことか』
 そう言って俺はバッターボックスに立つ。
 ピッチャーは理樹、サードに鈴、ファースト謙吾、キャッチャー真人。
『じゃあ行くよ』
 そう言うと理樹は振りかぶった。第1球。
 それは驚くべきスピードでキャッチャーミットの中におさまった。
『・・・な』
『次行くよ』
 第2球。俺は全力で空振った。空を切る音が虚しく響く。
『くそっ』
 理樹がこんな球を投げられるとは思わなかった。
『ねぇ恭介。なんで恭介が僕の投げた球を打てないか解る?』
 そういう理樹の顔は今にも泣きだしそうだった。他のやつらも同じような顔をしている。
『なんで恭介は変っちゃったのさ』
『それは、お前らが・・・』
 理樹は振りかぶる。第3球。俺はバットを振りもせずに見送った。
『僕たちは恭介のそんな姿は見たくないよ!』
 理樹はもう泣いていた。
『俺たちはいつまでも友達だ。そうだろ恭介?』
 真人は自分が持っているボールを俺に渡した。
『あとはお前の問題だ。頑張れよ』
 ボールを渡した瞬間、真人は消えた。存在感が虚脱した。
 謙吾が近付いてきた。
『俺たちにここまでさせたんだからこれからはしっかりしろよ。恭介がそんな調子だと俺たちまで調子が狂うんでな』
 俺の肩をグローブで優しく叩くと、そのままどこかに消えてしまった。グローブだけが地面に落ちた。
『なんでだよ・・・なんでだよ!まだもう少し夢を見させてくれよ!』
 その後立て続けに叫んだが、何を言ったのか覚えていない。
 遠くから鈴が叫んだ。
『ふざけるなー!お前が遊びたいからっていつまでも付き合わされるのはいやだー!』
 少しこっちに近づいてからこう言った。
『いい加減元気出せ・・・お兄ちゃん』
 ちりん、という音を立てた後見えなくなった。
『じゃあ・・・僕も行くよ』
『待ってくれ、お願いだ!』
 理樹の目は赤かったがもう泣いてはいなかった。
『目が覚めたらグラウンドに来てよ』
 そう言い残し、消えた。
 理樹が消えたとたん、いきなり世界が朦朧となり、俺は気を失った。
 
 目が覚めた。外が暗い。ベッドから体を起こした。
 ふと気付くと頬を伝うものがあった。暗くて分からなかった。
 俺はグラウンドまで駆けだす。途中誰かに呼び止められた気がするが無視した。
 
 ピッチャーマウンドにはグローブが落ちていた。理樹が使っていたものだ。
 グローブには泥がついていた。
 俺はグローブを抱きしめて、哭いた。ただ、ひたすら。
 俺の命は一人分の命じゃない。何人分もの命を背負っている。
 慟哭を越えて俺は歩き出す。あいつらの分も。


[No.223] 2009/07/10(Fri) 20:46:14
採用 (No.220への返信 / 1階層) - ひみつ@2766 byte

「みんなようやく採用が決まったぞ」
「恭介次頑張ればいいと思うよ」
「……ああ、すまん理樹。なんか今うまく聞き取れなかったみたいだな。もう一度ちゃんと言うぞ。俺採用決まったから」
「いいんだよ、恭介。そんな嘘つかなくても」
「おい」
 親友の一言はあまりにも残酷だった。理樹だけじゃない。なんでみんなして気まずそうな顔したり俺から目をそらしているんだ。そんなに俺の採用が信じられないのかよ!
「なあ、謙吾。お前には面接の練習に付き合って……」
「すまん! 俺が練習に付き合ったりしてるせいでこんなことになって」
「ちょっと待てえいっ!? なあ、どうしてそんな反応しかないんだよ。俺が採用されたのがそんなに信じられないのかよ」
「自分の胸に手を当てて聞いてみて」
「というかお前まだ就職する気あったんだ」
「まだ諦めてなかったというのが驚きだ」
 あれ、おかしいな。俺みんなから慕われていると思っていたんだけどそれって俺の勘違いだったのかな。そんなに俺の言うことって信じられないのか。いや、あまりこいつらのことを悪く思っちゃいけない。俺にも確かに反省する点があるしな
「ああ、すまん。まあ、必要だったら平気で嘘つくような奴だから俺の言葉が信用できないってのもわからなくもない。けどよ、こんなことで嘘ついても仕方ないだろ」
「世の中にはリストラされたことを家族に知られたくないばかりに、スーツを着て今までの出社時間に出かけて一日暇をつぶすサラリーマンがいるそうだが」
「……謙吾。おい! ちょっと俺の眼よく見てみろ! これが嘘ついているような眼か」
 ジーッ
「どう思う真人」
「こいつは真顔で嘘つくからな」
「そう考えると面接官をうまくだましたという可能性もあるような気が」
「じゃあ本当かもね。ああ、うん。おめでとう」
「よかったな、恭介」
「本当にめでたいな」
 おかしいな。なんで落ちまくってた時より採用決まった今の方が悔しくて泣きたい気分になるんだろう。
 ガチャ
「おい理樹。なんだ恭介もいたのか。パーティの準備が出来たぞ」
「……何だ、そう言うことだったのかよ。お前らもだいぶ成長したんだな。本気で俺の採用信じてないのかと思ってしまったじゃないか。一体どうやって俺のこと知ったんだ」
「ごめん、鈴。そのことなんだけど」
「ふんふん……なにーっ!? ……わかった」
 自分の耳元に寄せられた理樹の言葉聞いた鈴は、わかったと言った途端駈け出して行ってしまった。
「じゃあ恭介ゆっくり食堂に行こうか。ゆっくりだからね。いい、ゆっくりだからね」
 そう強く念を押す理樹の言葉に俺は嫌な予感しかもたらさなかった。行ってはダメだ。食堂へ行ったら絶対不幸になる。それでも謙吾と真人に両腕を固められた俺には逃げ場はなかった。そして食堂に入ると、
「恭介さん就職おめでとう。今日のパーティの主役は恭介さんだから」
 あったかい言葉。だがその表情はものすごく申し訳なさそうだった。そして上に掛けられている横断幕の『就職記念パーティ』の『記念』の文字が明らかに上から紙を張り付けてあるんだが。よく目を凝らしたら下の文字わかりそうだな……『応援』ぽいな。
「よかったね恭介。みんな恭介だったら絶対採用されるって信じてたよ」
「嘘をつくなああああああっ!?」
 その日食べたケーキの味はどうしようもなくしょっぱかった。


[No.224] 2009/07/10(Fri) 21:11:49
子供は過去と未来を繋いでく (No.220への返信 / 1階層) - ひみつ 初です@9272 byte

僕と鈴の間に子供が産まれた。
驚いたことに三つ子だった。
更に驚いたことに、三人とも僕らに似ていなかった。そしてその面影達は、遠い過去の人物達にとても良く似ていた。

『あの事故』の後、僕と鈴は恭介やみんなに言われた通り強く生きてきた。
僕は就職活動、鈴は家事を必死に勉強した。結果、僕は良い職に就け、鈴は全くできなかった料理を軽くこなすようになった。
卒業してからも、同僚に高給取りと文句垂れられる程になり、鈴はパートに挑戦した。

少しでも立ち止まると、少しでも迷うと、『あの出来事』に心を潰されてしまうから、常に何かに必死だった。
しかし子供ができてから『何か』が揺らいでいった。

そして―今日は『あの事故』の日だ

子供は過去と未来を繋いでく

春人「あさだー!あそぼーぜ!父ちゃん!」
飛び込んで来た春人に叩き起こされる。
次男の春人はとてつもなく元気で楽しいこと大好きなおバ…いや、馬鹿と決まった訳ではない。まだ春人は小さい子供だ。未来は分からないんだ。しかし残念ながら見た目は将来筋肉に走りそうな子だった。
理樹「…強く生きろよ…」
春人「?」
真人そっくりな顔を?な感じにする。
鈴「どこかのバカと一緒にするな」
いつの間にか起きていた鈴が言う。
そうだ。春人は春人だ。たとえ何処からかビー玉を拾ってきて葉留花さんのようにビー玉まきびししようが―
唯花「おはよう」
唯花はいつの間にか鈴に抱きついていた。
鈴「ひゃっ!?驚かせるな!唯花!」
唯花「ふふふ。ごめんなさい」
多分一番僕らに似ていない長女の唯花。例えるなら来ヶ谷さんとクドの子だ(あり得そうで怖い)ようするに外国人っぽい。
美毬「おはようございます」
三女の美毬も起きてきた。
顔は小毬さんの生き写しだ。よく転ぶ所も似ている。そして何故か常に敬語だ。薄い本に走らないことを心から祈る。

何故リトルバスターズの皆にこれ程似ているのだろう。
鈴「理樹がみんなの遺伝子もってきたんだろう」
前に言われた言葉を思い出す。
理樹「いやいやそれは無いから」
鈴「それ以外かんがえられないだろ。男どもともいちゃついていたのは理樹だ」
…西園ワールドを展開しないでください。子供に悪影響です。特に美毬。最近僕と春人見る目が怪しい。
あいにくの空模様のため、部屋で遊ぶことになった。
理樹「さて、何しようか」
唯花「すかいだいびんぐ」
見事な平仮名英語で恭介もビックリのアイディアを宣う唯花。
理樹「…いつ知ったの?そんな言葉」
唯花「てれびでやってた。」
理樹「スカイの元に行けないからね。雨で」
唯花「えー。面白そうなのに」
唯花のアイディアは良く変な方向へ飛ぶ。
美毬「それでは…おえかきがしたいです」
理樹「うーん。せっかくだし皆でできる事のほうがいいな」
美毬「みんなでおおきなものに…」
春人「あ!あんじゃん!」
春人が壁を指差す。
理樹「壁画!?ダメだよ!絶対!」
春人「え?なんで?」
理樹「壁に描いたら消せないから絶対ダメだよ!あ、春人は何したい?」
急いで話を反らす。これで忘れてくれるだろう。
春人「たのしいこと!」
なんの解決にもならない。まぁ筋肉と言わないだけましだろう。春人はまだ筋肉を知らない。知らせてはならない。しかし鈴の「小学校で習うぞ。漢字と保健で」と言う一言に絶望した。
春人「それじゃあビーだままk「らめえぇぇぇ!!」
また悲劇を繰り返す気か。鈴に怒られるぞ。
唯花「それじゃあ、ちゃんばら」
理樹「ちゃんばら?」
唯花「うん。ほんものの刀ふってみたい」
理樹「危なすぎるからね!それ!刀なんて―」
ふと紙袋に入った新聞紙が目に入る。『あの記憶』が蘇る。
理樹「やろう!ちゃんばら!」
唯花「あるの?刀」
目を爛々と輝かせて言う。
理樹「あるよ。あそこに」
新聞紙を指差す。

唯花「ほんものの刀じゃない…」
理樹「まだ子供だからね」
いや、高校生でも大人でもダメだ。
新聞紙を細く巻いた『新聞紙ブレード』これなら安全だ。
理樹「じゃあまず唯花対春人!」
二人が向き合い礼。やっぱり礼は必要だと思う。
理樹「始め!」

春人「おらおらぁ!!」
一気に突っ掛ける春人。そのまま新聞紙ブレードを降り下ろす―
新聞紙(ryが空を切る
春人「!!」
呆然とする春人の頭を後ろに回り込んだ唯花が
唯花「かたじけのうごさる」
ぺちっと叩く。
理樹「…勝負あり」
瞬間移動したようにしか見えない。残像が見えそうだ。
春人「…なんだいまの…」
気にしないで良いぞ。お父さんも分かんない。
唯花「ほらまけた人は?」
春人「…むねんなり…」
唯花「あいむうぃーなー!」
勝ち名乗りする唯花。肩を落とす春人。
理樹「次、唯花と美毬」
両者前に出て礼。
理樹「始め!」

今度は唯花が仕掛ける。
美毬「ぁぅ」
美毬は何もないのに躓く。結果避ける形になった。続けて襲いかかる唯花。
美毬「ふわぁ」
転ぶ美毬。太刀筋に合わせて避けているように見えるのは気のせいだろうか?
美毬が転んだが唯花は仕掛けない。
理樹「偉いね。倒れている相手を叩かないのは武士道の一つだよ」
誉めると、
唯花「………ぃぃ」
理樹「え?」
唯花「………かわいい」
理樹「………………え?」
唯花「あ、なんでもないよ」
来ヶ谷さんを彷彿とさせる笑顔。
顔を青ざめる僕と鈴。特に鈴は今にも逃げ出しそうだ。
その後も笑顔の唯花は美毬を凌辱し続ける。相手をいたぶるのは武士道に反する、と言ったら渋々と止めた。
唯花「かたじけのうごさる」
美毬「…むねんなり」
唯花「たのしいね!これ!」
唯花の笑みに僕は顔をひきつらせることしか出来なかった。
理樹「えっと…次、美毬と春人」

理樹「始め!」

春人「ぬおりゃあっっ!!」
美毬「ひっ」
春人の威勢だけで転ぶ美毬。
春人「もらったあぁぁあ!」
新聞(ryを降り下ろす。
美毬は目をカッと見開く。迫り来る新聞(ryを(ryで横に凪ぎ払う。
吹き飛ぶry。
全員ポカーンとしているなか。美毬の
美毬「…かたじけのうごさる」と、ぽふっという音が響く。
春人「むねんなりいぃぃ!!」
余程ど悔しかったのだろう。大絶叫する春人。

理樹「…ねえ、今のって…」
鈴「…うん。謙吾だ」
呆然と見つめる僕達。しかし、
理樹「いや、違う」
鈴「?」

違う 違う 違う
心にぽっかりと穴が空いているかのようだ
認めてはならない
『あの時』を思い出したくない―

理樹「多分テレビで見たんだよ。それか凄い才能があるのかもしれない。だって美毬は美―」春人「父ちゃん!」
春人が抱きついてくる。
春人「おれ、つよくなりたいから、あいてしてよ!」
理樹「え、ちょっと…」
春人「いーからやろう!」
力強く引っ張られる。いつの間にこんなに強くなったのだろう。
鈴「行ってこい」
理樹「いや、でも…」
鈴「父親は休日は出血大サービスの日だ。いーから行ってこい」
理樹「今出欠が危ないほうの出血になってなかった!?」
春人「はーやーくー!」
春人が急かす。まぁ…いいか。
理樹「よぅし!やろう!」
春人「おう!」
隣を見ると美毬が顔を紅くしていた。
瞬間的に走る悪寒。
理樹「…どうしたの?美毬…」
美毬は胸を押さえて、
美毬「…なんででしょう…?おにいさんとお父さんを見ていると、ほぅっとして、むねがどきどきして―」
僕と鈴は顔を見合わせブンブンと首を横に振る。そんな事を教えた覚えはない。美毬は…美毬は大丈夫だと思ったのに…(学校ではそんな事習わないため)
唯花「お母さんもいっしょにやろう!」
鈴に抱きつく唯花。
鈴!ダメだ!そんな顔しちゃ!鈴「い、あ、う…し、試合開始!」

夜。子供達を寝かしつけ、僕らも早くに布団に入る。
2つの布団を引っ付けているがスペース的には1つで十分だ。
鈴「今日は楽しかったな」
理樹「…うん」
鈴「おつかれか?」
理樹「いや、鈴は毎日子供達の相手してるんでしょう?家事もやってくれるし。それに比べたら楽だよ」
鈴「今日は楽だったぞ?理樹が手伝ってくれたからな」
理樹「…うん」
鈴の頭を撫で撫でする。
鈴「…ぅみゅ…」
恥ずかしそうな、でも気持ち良さそうな鈴。
理鬼は考える。今夜はどう鈴を攻めようか―
鈴「ちょうど今日だな」
理鬼「え?」
鈴「…事故」

『あの日』の記憶
『今日』の記憶
すべてが濁流のように押し寄せる。

理樹「…そうだね…」
鈴「…うん」
鈴が何を言おうとしているのか分かった。
理樹「大丈夫だよ」
鈴「?」
理樹「唯花は唯花。春人は春人。美毬は美毬だよ。例えどんなに似ていても、それ以外の誰でもない」
鈴「そう…だけど」

心の穴が広がって行く
耐えられない

理樹「昔の事は、皆の事はもういいんだ。僕らは―」
鈴「本当に良いのか?」
理樹「え?」
鈴「理樹は本当に…本当に平気なのか?」
理樹「…平気に…決まってるじゃないか」

僕は未来へ進みたい
過去という迫り来る恐怖から逃げ去るために
心が潰される
僕は―、思いをねじ曲げる

理樹「恭介が居なくても、一人でなんとかなるよ」
―嘘だ 僕は恭介が居ないと何一つ上手くいかない
理樹「真人が居なくても明るいよ」
―嘘だ 真人が居ないと世界が薄暗い
理樹「謙吾が居なくても話し相手はたくさんいるよ」
―嘘だ 謙吾は何時でもどんな時でも誠実に話してくれる
理樹「小毬さんのより鈴のお菓子の方が美味しいよ」
―初めて食べた小毬さんのお菓子の味が蘇る
理樹「三枝さんが居ないから追いかけられる事も無いし」
―全力で走る楽しさが懐かしい
理樹「来ヶ谷さんみたいに襲って来る人は居ないよ」
―あれほど毎日が楽しそうな人は居ない
理樹「クドが居ないから犬に押し倒される事も無い」
―一緒になって転げ回った日々
理樹「西園さんの妄想のダシに使われる事も無い」
―そんな妄想を聞くのは案外楽しかった

理樹「ね?大丈夫…だ…よ…?」

いつの間にか僕は
涙を流していた。
そんな僕をただただ見つめる鈴。
嘘だ 全部嘘だ
―涙が止まらない
強がっても穴は大きくなるばかりだ
―鈴が僕を抱きよせる
僕にはどうする事もできない
―しゃくりをあげてしまう
僕は― 僕は―

唯花「お父さん…」
春人「父ちゃん…」
美毬「お父さん…」
子供達が僕を見つめる。

理樹「ぅ…っく、…皆…」
三人とも僕に抱きつく
理樹「…ごめんね。起こしちゃった?」

唯花「どうしたの?大丈夫?」
春人「はなしてよ。おれがなんとかするから」
美毬「どこか、いたいですか?」

みんなの顔が心配に染まっている
口々に出てくる労りの声
真っ白な心

僕達の子供達
―僕達が育てたのかい?
鈴を見る
滲んだ世界で鈴はうなずく。

瞬間、世界が澄みわたる
鈴 唯花 春人 美毬
そしてその後ろに立つ『みんな』

―良いのかな 思い出しても 後悔しても 弱いままでも 過去と向き合っても

恭介が真人が謙吾が小毬さんが三枝さんが来ヶ谷さんがクドが西園さんがうなずく

理樹「ありがとう…そして…これからもよろしく…」

皆が微笑む そして すぅっと消えた

鈴「もう平気か?」
理樹「うん…大丈夫だよ」
微笑むと鈴も微笑んだ。
理樹「もう大丈夫だよ」
皆の顔が安堵に染まる。
美毬「よかった…」
春人「まったく、しんぱいかけやがって」
唯花「そうだ」
理樹「?」
唯花「こんやは、みんなでいっしょにねていい?」
僕を覗き込む3人の宝物。
そして僕の横で微笑む、鈴。

理樹「よし!皆で寝よう!」

弾ける笑顔。

もう嘘をつく必要はない
僕達は未来へ進む
『過去』を未来に繋げるために


[No.225] 2009/07/10(Fri) 21:26:18
真実の想い (No.220への返信 / 1階層) - ひみつ@4831 byte

 私たちの問題が解決してから1ヶ月が経とうとしている頃。相変わらず心の中は葉留佳の事で一杯なんどけど、どこかおかしい。
 前よりもあの子の事を気にするようになっている。一緒にいない時間がとても寂しく感じる。どうしたのかしら私……
 


 静寂が身を包む、辺りに人がいない中庭で一人待つ。葉留佳に8時に来るように言われたのだが、約束の時刻を10分も上回っていた。
 まったく、話があるって言うから来ているというのに。これでつまらない内容だったら承知しないんだから。
 そう思っているうちに葉留佳が来た。ベンチに座り、隣に来るよう促す。
「ごめん……遅れた?」
「10分遅刻。まあいいわ、予想はしてたし。それで、話って?」
「あ、うん、えっと……」
 葉留佳にしては歯切れが悪い。俯きながら言いにくそうにしている。そもそも呼び出して話すという時点で葉留佳のとる行動ではない。
 どんな内容かはわからないけど待つしかない、そう思っているとようやく葉留佳は話し出した。 
「……最近なんか変なの。お姉ちゃんといるとドキドキして、いないと不安で、いつもお姉ちゃんのことを考えてる」
 え、それってまさか……
「最近やっと気づいたの、自分の気持ちに。私は……お姉ちゃんのことが、好き……」
 何を言われたか理解するのに数秒かかった。そして整理する。えっと、今のは告白、でいいのよね……
 見れば月の光に照らされた葉留佳は頬を熟れた苺のように染めて口は堅く閉じられている。今食べればきっと甘い味がすると本能が告げる。
 そして先ほどの台詞に、心拍数は急上昇する。だが自分の気持ちを認めてしまえば……もう戻れない。
「……その気持ちは一時の気の迷いよ。女の子同士でそんな感情、有るわけないわ」
「本当に、そう思ってる?」
「どういうこと?」
「私は、お姉ちゃんのこともっと知りたいし、一緒にいたい。いろんなこともしたい。お姉ちゃんはそう思わないの?」
 そう聞かれれば何も言えなかった。葉留佳の言ったことはすべて私が望み続けてきたことだから。
「お姉ちゃんは私のこと、好き?」
「……葉留佳が言ってるような意味では、違うわ」
「嘘だよ、それは。お姉ちゃんの心臓、こんなに速く動いてる」
 そう言って潤んだ瞳で私を見つめ、胸に手を当ててくる。抑えていた感情が脳内を駆け巡った。
 もう自分の気持ちに嘘を吐かなくていい、葉留佳を愛していい、ずっと二人でいたい、その思いだけが加速していく。
「……本当に、私でいいの?」
「お姉ちゃんでないとダメ。他の誰でもない、たった一人のお姉ちゃん」
 その一言は、自我を崩壊させるのに十分な一言だった。
 


 葉留佳の華奢な手を取り、自分の手へ、指へ、緩やかに絡める。潤んだ瞳に映るのは自分の顔。
 見つめ合う、たったそれだけで心臓の鼓動が早まってしまう。
「ねえ葉留佳、一体いつから私のこと……好きだったの?」
「うーん、気がついたら好きになってた。でもきっかけはたくさんあるよ。一緒に話したり、遊んだり、そんな時間を
過ごしてるうちに意識してたと思う」
「確認の意味で聞くけど、本当に……私でいいの?」
「もう……恥ずかしいこと何回も言わせて楽しむなんてひどいよぅ」
「じゃあ、言葉以外で伝えてみれば?」
 少し挑発気味に言ってみる。少し悩む様子を見せた後、ゆっくりと私の唇へと……ってええ!?
「ちょ、ちょっとストップ!」
「なに、どうしたの? まさか緊張してるの?」
「葉留佳は平気なの? そんな、いきなり……」
「お姉ちゃんって意外と純粋だったんだ。大丈夫、私がリードしてあげるから」
「ちょっと待ち、んっ……!」
 葉留佳と私の唇が重なり合う。その瞬間理性などはるかに飛んでいった。
 

 そんな私の脳に、電波が届いた。空の下とかいう場所は関係ないだろう。葉留佳への愛でしかないと断言できる。
「……そういえば葉留佳、私より胸大きかったわよね?」
「え? まあ、一応ね。もしかしてうらやましい?」
「胸って揉んでもらうと大きくなるって言うわよね」
「うん、ってまさかお姉ちゃん……」
「そのまさかよ、葉留佳」
「でも上手くできるかどうか……それにいきなりなんて……」
「いつもスキンシップとか言ってくっついて来るのにどうしたの? 私をリードしてくれるって言ったの誰だっけ?」
「そんな事言われるなんて予想外だったし、私にもペースってのが……」
 さっきは見る余裕なかったけど、恥らっている葉留佳ってなかなか見れないのよね。なのでしっかりと目に焼き付けておこうと
その様子を凝視すると、こちらが恥ずかしくなってくるくらいに顔に赤みが増すのでぎゅっと抱きしめたくなった。
 今の私が我慢できるはずもなく、正面からそっと優しく抱きしめた。全身で感じる葉留佳の体温はとても暖かい。
 葉留佳は戸惑いながらも抱きしめ返してくれた。気持ちいいけど、顔が見えないのでその感触を堪能した後、そっと身を離す。
「お姉ちゃん、私もう我慢できないよ? ホントにいいの?」
「いいわ、葉留佳。来て……」 
 
 そう言い終わった直後、葉留佳のしなやかな指が近づく。鮮やかな蝶のように飛翔するそれは私の制服へと触れ、
距離を妨げる権化を断ち切る。外気に晒された肌に清風が触れ、上がった体温を冷やしてくれる。が、それも一時。
 風が過ぎ去った後に残る感覚は、冷たい気体ではなく温かい固体。私の触覚は敏感に反応する。
「んっ……葉留佳、どこまで行くの?」
「行けるとこまで、かな?」
 きっと終点まで行くことになるんだろうけど、その覚悟はできてる。葉留佳が途中で止まるはずがない。そして、今の私も。
 一度手に入れた幸せを手放すつもりはない。これからいろんなことが待ってるんだろうけど、今はただこの甘い時間を堪能していたい。
 おそらく朝日が昇ってもわからないだろう。もう葉留佳しか見えないのだから。


[No.226] 2009/07/10(Fri) 23:32:52
冬虫夏草 (No.220への返信 / 1階層) - 秘密 8019 byte 

「おい、理樹が眠ったぞ」
 真人の声を確認すると、部屋に謙吾が入ってきた。
「ん、お前だけか?恭介はどこだよ?」
「ここだ」
「って、うおっ!!」
 入り口とは逆側の隅から声がしたので、真人は驚きの声を上げた。
「いつからそこにいたんだよ!?」
「今来たところだが」
 まったく音はしなかったはずなのだが。
「いきなり湧いて出てくんな!キモいんだよ!」
「真人の言う通りだな。恭介、お前は悪趣味が過ぎる」
「ぐっ・・・・・・お前ら、もっとリーダーをいたわれよ・・・・・・」
「えっ!?恭介、お前リーダーだったのか?わりぃ、俺の筋肉レーダーでも気付かなかったぜ」
「・・・・・・真人から言われるのがこんなにキツイとは・・・新たな発見だぜ」
「ふっ、ありがとよ」
「さてと、お前たち、そろそろ漫談はおしまいにしろ。理樹が起きてしまう」
「理樹はもう起きねーよ。まあ、確かにここでくっちゃべってても仕方ねえ。さっさと始めるか」
 恭介の声に二人が同意する。
「おおよ」「そうだな」
 途端に周りの空気が変わる。雰囲気といったものではなく、実際に空気が冷たくなっている。そんな中で、恭介の指示のもと、謙吾や真人が何らかの操作を行っていた。
「それにしてもだ」
 恭介が誰に言うわけでも無く、呟いた。
「おかしくないか?」
「ん?お前がか?」
「・・・・・・違う。ここのところずっとなんだが、同じ結果になりすぎてる」
「あー・・・確かにそうだ。いつも最終日は俺の傍で理樹が寝ちまってるな。それがどうした?」
「いや、どうしたって有り得ねえだろ!!もう何度目だ?というか何十回、何百回繰り返してると思うんだ!?もう何人かのシナリオを終えてもいいはずなんだぞ!それが何だ?まだ誰のシナリオにも到達しちゃいねえ!」
「いや、まあ。確かにおかしいちゃあおかしいが・・・」
 珍しく熱くなっている恭介に、これまで黙々と作業を行っていた謙吾が口を挟む。
「いや、別におかしいことは無いだろう」
「じゃあ、この状況はどう説明するんだ?」
「コイントスを十回やって、その全てで裏が出た。それが今の現状で、お前はそれをおかしいといっているんだろう?」
「ああ、そうだ」
「しかし、九回やった時点で、そのいずれもが裏であろうと、次のコイントスで裏が出る確率は二分の一。つまり、毎回どの結果になるかは、それ以前の状態とは関係が無い。わかるか?」
「ああ」
「要するにだ、今回もたまたまそうなった、ということに過ぎないんだ」
 謙吾の解説に、恭介はなおも食い下がる。
「いや、理屈じゃあ、わかるんだ。でも、これってやっぱりおかしくないか?」
「恭介。理樹のことに関しては、お前が一番一生懸命なのは認める。だが、お前は熱くなりすぎて、正しい判断が出来なくなっているんだ。ギャンブラーの錯誤というやつだ。一度頭を冷やせ」
 二人の間に険悪な雰囲気が流れているのが肌で感じられる。
 それを打ち破ったのは、真人だった。
「お前らよお。何だか難しいハナシばっかしてて、脳みそがこむらがえりそうなんだがな。この状況がおかしかろうが何だろうが、俺たちがやることに変わりはあんのか?」
「・・・うむ、確かに真人の言うとおりだな。恭介、俺たちがあれこれ心配しても始まらない。理樹が何をして、どんな結果になろうとも、俺たちには、また世界を再起動するしかないんだ」
 不承不承といった形で、恭介が納得した。
「ああ、確かにそれしかねえよな」

 そんなハナシを、僕は目を瞑ったまま聞いていた。
 十回やって裏が十回出たら、そのコインを調べないと駄目だよ、恭介。
 僕はうっすらと目を開け、周囲を確認した。これまで居た寮の部屋じゃない。というよりも何処でもない。周囲一体は闇で満たされていた。光も無いのに、作業を続ける三人の後ろ姿だけがぼんやりと浮かび上がっていた。
 その時、振り返った謙吾と目が合ってしまった。
 しかし、謙吾は口角をわずかに上げると、僕に目で合図を送ってきた。僕も口元を綻ばせて、謙吾に返す。
 確かに、謙吾の言った通りになった。やっぱり、あのハナシは本当だったのだ。謙吾と、「僕」が残したハナシは本当のことだったんだ。



 恭介が「旅」から帰ってきた三日後、謙吾に学食裏に呼び出されたのが、始まりだった。
 謙吾は僕に一冊のノートを手渡した。ココで読めといわれたので、開いてみた。あまりの内容に言葉を失ってしまったのを憶えている。ノートにはこう書かれていた。

”5月17日の僕へ。

 突然、自分が書いた覚えが無い文章を読んで、君(僕?)は驚いていると思う。
 でも、ここでノートを閉じずにとりあえず全部読んで欲しい。
 そして、日曜になった時点で、このノートに何も気になる点が見つからなかったら、このノートを捨てても構いません。”

 ・・・・・・自分が書いていない文章が、自分の筆跡で書いてあった。皆のイタズラにしては悪趣味だし、意味がわからなかった。謙吾は、何故こんなものを見せるのだろう?
 謙吾が目で促すので、次のページをめくってみた。

”真人:「理樹、邪魔すんじゃねぇ・・・」
 謙吾:「そうだぞ、理樹。お前まで怪我することになるぞ」
 真人:「までって・・・オレは怪我すること前提かよっ!」
 真人:「そこまで馬鹿にされて、黙ってられるかっ!うらああぁぁぁぁああぁぁーっ!」
 迫ってくる真人。周りの生徒がよけて道を作る。
 その列に足をとられ、僕は転けてしまう。
 ・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・
 ・・・・・・”

 ・・・・・・あの日から今日までの間、誰が何をしたか、誰が何を喋ったのかが、そこには事細やかに綴られていた。
 全身の毛穴から、ブワッと汗がにじみ出たのを感じた。・・・・・・これではまるで、僕が見て聞いたこと全てをズッと誰かに監視されていたみたいじゃないか。それを、しかも僕の筆跡でそれを見せびらかす・・・・・・。堪らなく気持ちが悪かった。
 僕は謙吾にそれを突き返そうとしたが、謙吾が頑なに次も読めというので、仕方なくめくった。・・・・・・息が止まりそうになったのを覚えている。
 その「日記」には、・・・・・・先があったのだ。
 それもサッキと同様に、一言一句逃さないような描写で、今日から日曜日にかけて何が起こるのかを書き記してあった。足元が、グラグラと崩れ、ドロドロに溶けていく様な感覚に襲われた。
 ・・・・・・僕はノートを謙吾に投げつけると、寮に逃げ帰った。
 誰が、あんなことを。・・・・・・まさか、あのノートにあったことが、これまでのように、本当に起こるなんて無いよね・・・・・・?僕は布団に潜り込んで、ひたすら、あのノートが単なるイタズラであることを祈った。
 ・・・・・・その日から日曜日までのことは、良く覚えていない。
 ただただ、あのノートに書いてあったことが次々に現実になっていくのを眺め、吐き気と、心臓を手で掴まれるような感覚とを味わったことしか記憶に無かった。・・・・・・完璧な預言書。なんと、恐ろしい響きなのか・・・・・・。それはまるで、悪夢のような冗談だった。
 翌月曜日。また、謙吾に呼び出された。
 今度は・・・・・・別のノートを渡された。

”5月22日の僕へ。

 君がこれを読んでいるということは、前に読んだ「日記」が現実になったことだと思う。
 何故僕がこんなことを知っているのかというと、それらは全て、僕自身が5月14日から22日までの間に経験したことだからだ。
 ではどうして、僕が22日までのことを事前に書けたのか?と不思議に思うかもしれないけど、これから書くことをよく読んで理解して欲しい。読んでもわからない事があったら、傍に居るはずの謙吾に聞いておいてください。”

 そこから先は、本当に悪い冗談ばかりだった。繰り返し続けるセカイだとか、本当は皆死んでいるだとか・・・・・・。何だソレ?・・・・・まるで狂人の戯言だった。
 ・・・・・・でも、僕は全然笑えなかった。
 それが冗談でないことに、僕は既に気付いている。・・・・・その事こそが、本当にタチの悪い冗談だったのだ・・・・・・。

 そのときから、僕にはあるミッションを、・・・・・・「僕」から課せられていた。
 それは謙吾と協力して、「本当の」リトルバスターズを作ること。
 でも、一から作っていく必要は無かった。どうやら、今の僕には既に他の仲間がいたようだったのだ。あの後、謙吾は来ヶ谷さんを紹介してくれた。彼女もまた、僕たちの意見に賛成してくれていたようだった。
 ・・・・・・僕は周りを見渡す。もうベッドも何も無い。これが謙吾の言っていた「このセカイの終り」なのだろうか。
 もう今の僕には何も出来ない。ミッションが課せられていたといっても、僕はほとんど何もやっていなかった。
 以前そんなことを謙吾に伝えると笑われた。謙吾曰く、僕には感じられないけど、時間は無限にあり、だからこそ焦ってはいけない、とのことだった。急いで仲間を増やそうとするリスクを負うよりも、ただ皆でわいわいやっている方が効果的だとも言っていた。

 ・・・・・・恭介の背中が視界に入った。
 恭介・・・・・・。永遠に子供のまま遊び続けるのだって、悪いことじゃないと思うよ・・・・・・。
 だって・・・だって僕は、あの幸せな一瞬に、こう願ったんだ。「時よ止まれ、お前はあまりにも美しい」・・・・・・と。だからこの世界は、僕の願いそのものなんだ・・・・・・・・・。
 それにね、恭介。僕は皆のためにこうしているんだ・・・・・・。ココで僕たちが遊び続けている限り、・・・・・・誰一人死なないんだ。わざわざ、皆を死なせる必要なんて無いんだ。・・・・・・・・・ずっとズット、ここで一緒に居よう?そうしたら、皆きっと幸せになれるんだ・・・・・・。
 ・・・・・・待っててね、恭介。皆を仲間にしたら、・・・・・・キット迎えに行くよ。今度は僕が、恭介を・・・助けてあげるンだ。
 リトルバスターズは・・・弱いモノを助ける・・・・・・正義の味方なンだ。
 アハ・・・アハハ・・・・・・アハハハハ・・・ハハハハハハハハハハハハハハハ


[No.227] 2009/07/10(Fri) 23:41:26
コール (No.220への返信 / 1階層) - ひみつ@19499 byte

 それはある休日。
 いつものように寮会の仕事をこなしているとふいに私の携帯が鳴った。
「ん?誰かしらこの忙しい時に」
 軽く毒づきながら携帯の発信者を確認する。
 するとそこには我が妹の名前。
「たく、いったい何の用かしら」
 嘆息しながら一旦寮長室から出てから受話ボタンを押す。
 これが平時ならあの子の声は心の癒しになるのだが、忙しい時に聞くと煩わしくてしょうがないのだ。
 けれど無視するという選択肢はない。
 いついかなる時でもそれだけは私の中で絶対にありえないことなのだ。
 などと考えつつあの子に呼びかける。
「はいはい、どうかしたの?あんま下らない用事なら忙しいから切るわよ」
 これは予防線。
 こう言っておけばさっさと要点を告げるだろう。
 そうでなく、用事もなく電話をしてきたのなら言ったとおり電話を切ってしまえばいい。
 ――けれど聞こえて来たあの子の声は想像したどれとも違った。
「お姉ちゃん……」
「っ!葉留佳っ!」
 それは明らかにあの子の涙声だった。
 私は一瞬にして体から血の気が引くのを感じながらそれでも何とか冷静になろうと息をつく。
「おねえ、ちゃん……」
 再度聞こえてきた声はとても苦しそうで、冷静に装うとした頭は一気に沸点を突破した。
 まさか、まさかあいつらの関係者に何かされたの?
 いや、そんなはずはない。あいつらはみんな塀の中だ。
 そんなやつらの息が掛かった人間がこの街をうろつくはずもないし、なによりかつて誇った影響力は皆無と言っていいほどあの家からは消えている。
 今更私たちに害をなそうとする人間はおらず、害をなそうにも術も伝も全て奪い守ってくれる大人達だっている。
 だから今は私が想像していることは全て杞憂に過ぎない。
 過ぎないのに……。
「お姉ちゃん、返事して、お姉ちゃん……」
 あの子のか細い声が私の心を大きく揺さぶる。
 最早いてもたってもいられない。
 事実なんてどうでもいい。
 葉留佳に危機が迫っている。その事に私は思わず声を荒げた。
「どうしたのっ?何があったのっ!泣いてちゃ分からないわ、はっきり言いなさいっ」
「ひっ!」
「……っ」
 あの子の息を呑む声に我に返った。
 何やってるのよ、私は。いくらイラついてしまったとはいえあの子を怯えさせるなんてダメダメじゃない。
 あの子を守るのは私なんだから。
「ご、ごめんなさい、葉留佳。ゆっくり落ち着いて。何があったの?」
 私はできるだけ優しく話しかけた。
 そうだ今私がすることは冷静になることだ。
 冷静になって状況を聞き出さなければ。
 けれど葉留佳は愚図るばかりでようとして何があったか言ってくれない。
 いい加減痺れを切らした私は彼女の居場所を尋ねた。
「ねえ葉留佳。せめて今どこにいるか教えて。そうしてくれたら迎えに行けるから」
「……迎え、に?」
「そ、そう。迎えに行くわっ」
 今までとは違う明確な反応。
 そのことに私はまた幾ばくか冷静さを欠きながら再度告げた。
「今、今ね、駅前の時計台のところ……」
「……駅前?なんでそんなところに……」
 そんな目立つ場所で何があったのだろう。
 もしあいつらがあの子に何かしたとしてもそんな場所で?
 疑問に思い首を捻るが続いて聞こえてきた葉留佳の声にそんな思考はどこかに果てに消え去ってしまった。
「お姉ちゃん、待ってるか……い、イヤーっ!!!」
「は、葉留佳っ?」
 尋常じゃない叫び声。
 慌ててあの子の名を叫びかけるが何の返答もない。
「葉留佳っ、葉留佳っ!!返事しなさいっ!!葉留佳、返事を……」
 そこまで言いかけて気づいた。
 すでに受話器からは無機質なツーツーという音しか聞こえていないことを。
「あ、ああ……」
 足元が、世界がぐらついたような気がした。
 けれどここで膝を付いては駄目だ。
 あの子が私を待っているのだ。なら動かなくては。
 震える体を叱咤し、私は寮長室の中に向けて叫んだ。
「直枝、あと任せたわっ」
「へ?な、なに急に。って、佳奈多さーんっ」
 直枝が後ろの方で何か叫んでいるが、私は気にせず必死に足を動かし下駄箱へと向かった。




「はぁはぁはぁ……」
 学園からただがむしゃらに走り続け、ひたすら駅に向かう。
(葉留佳、葉留佳、葉留佳っ)
 ただただあの子のことだけを考え足を動かす。
 正直に言えば限界だった。
 すぐにでも足を止め息を整えたかった。
 けれどそうすることで間に合わなくなるんじゃないかという強迫観念に突き動かされ、私は必死に走り続けた。
(何に間に合わなくなるって言うのよっ)
 浮かんだ雑念の頭を振って打ち消す。
「はぁはぁはぁ……」
 私は荒い息を吐きながらただ駅を目指して走る。
 するとやっと駅前の時計台が見えてきた。
 私はペースを上げて少しでも早く辿り着こうとした。
「はぁはぁ……待ってて、葉留佳っ。すぐ行くからっ」
 祈るように叫び、私はその場に向けて全速力で走った。
 ――――すると。
「やっほー、お姉ちゃん」
「はっ?」
 能天気な声が間近で聞こえ思わず首を動かす。
「ガっ!?」
 それが悪かったのか、私はバランスを崩し盛大にすっ転んだのだった。
「ぐぇ!」
 そのまま顔面から地面にダイブし、勢いよく宙に吹っ飛んだところまでで私の記憶は一時的に途切れたのだった。
  ・
  ・
  ・
  ・
「やー、人が顔面スライディングするところなんて初めて見ましたよ。お姉ちゃん、生きてるー?」
「……」
「……むー、返事がないデスネ。これはあれか、返事が無いただの屍のようだってやつですかネ」
「……」
 何か声が聞こえる。でもそれが頭の中に意味として入ってこない。
「……って、あれ、マジ?ちょ、お姉ちゃんっ!大丈夫、返事してっ!」
「……ぐ……あ……」
 息ができない。
 というか何が起こったの?
 いや、それ以前に私は生きてるの?
 そんな考えがよく回らない頭の中で消えては浮かぶ。
「お姉ちゃん、しっかりっ!あぅ〜、ど、どうしよう、こんなことになるなんて……。目を覚まして佳奈多〜」
 けれど突如体に感じた温もりと柑橘類の香りが私に力を、なにより聞こえてくる愛しいあの子の声が私に正気を取り戻させた。
「葉留佳、無事っ!!」
 痛む体とふらつく頭を無視して私は飛び起きた。
 目を開き見つめるその先には、私の体を抱きしめつつ吃驚したような表情を見せる葉留佳の姿。
 一見して怪我をしているようには見えない。
 でもそれだけじゃ安心できない。
「ええっ!私?う、うん。私は無事だけど、その……お姉ちゃんの方こそ大丈夫?」
 心配そうに私の様子を葉留佳は尋ねてくるが、悪いけど今はそんなものどうだっていい。
「私のことはいいの。それより貴女は?怪我とかしてない?ううん、酷いこと言われたりとか嫌な目に合ったとかなんでもいいわ。とにかく何が起こったの、教えて」
 私の葉留佳を泣かせたのだ。
 そいつには相応の報いを受けさせなければ気が済まない。
 例え相手が誰であろうが探し出し、生まれてきたことを後悔させてあげるわ。
「え?……あー、いや、えっとですね……ここまで大事になろうとは。あー、とりあえず無事ですヨ。うん、元気元気、はるちん元気大爆発って感じですヨ、やはは……」
「そう。よ、良かった……」
 本当に元気そうな姿に私は心の底から安堵する。
「や、えーと、お姉ちゃん。いつもとキャラ違いすぎデスって。こう皮肉げに『あら、無事だったのね』とか冷たい口調で言ってきてくれないと調子狂うというか……」
「そんなことできるわけ無いじゃないっ!!」
「え、ええっ?」
 葉留佳は大げさに驚くが冗談じゃなかった。
「いつもの遊びで派手に転んだりするのとは訳が違うのよっ。あんな切羽詰った声出されたら心配するに決まってるじゃない。……貴女に何かあったんじゃないかと思って生きた心地がしなかったわ」
「い、いやー、そこまで心配してもらって嬉しいというか、逆に怖いというか……」
 葉留佳は2、3歩後ずさりながら引き攣ったような笑いを浮かべる。
 ……どうしたのかしら。
「それよりもなにがどうしたの?何があってあんな電話したのっ」
 葉留佳に詰め寄りながら尋ねる。
 あんな電話をしてきたのだ。よっぽどな事情があったに違いない。
「え?やーえっと抑えてお姉ちゃん。……あー、とりあえずアイス食べる?私の食べ掛けだけど食べると落ち着くよ」
 言いながら持っていたアイスをおずおずと差し出してきた。
 ……確かに、そうね。少し落ち着かなくては。
「ありがとう」
 私はお礼を言いつつそれに手を伸ばす。
 葉留佳との間接キスなんて言葉が一瞬頭を過ぎるが黙殺した。
 姉妹なんだからおかしくない、おかしくない。
 …………アレ?
「ねぇ、葉留佳」
 ふとした違和感。
 でも放っておくわけにはいかない。はっきりさせなくては。
「なーに、お姉ちゃん」
「なんで貴女はアイスを持っているのかしら」
 そう、それが疑問。
「へ?やはは、変なこと聞きますね。それは買ったからに決まってますヨ」
「ええ、それは分かるわ。それで、なんで買ったのかしら」
 あの電話の内容からして何か大変なことが起きたと思っていたのだが、それならそんなもの買っている暇はないはずだ。
 いや、そもそも最初話しかけてきたこの子の声もどうも能天気なものだった気がする。
 ……なんだろう。嫌な予感がする。
「え?やー、佳奈多が来るまで暇だなーと思ってそこのお店で……はっ、ちがっ!……いや、そうじゃなくてですね。えーと……」
 焦ったような表情を葉留佳は見せる。
 ああ、やっぱりそうなの。
「フフフフ……」
「あぅ……お、お姉ちゃん……」
 ついつい笑みが零れ落ちてしまう。
 そこに薄ら寒さを感じたのだろう。葉留佳は徐々に後ずさりを始めた。
 それを縫いとめるように私は言葉を投げかける。
「ねぇ、葉留佳。どうして暇だったのかしら?」
「い、いや、暇じゃないですヨ。そりゃもう一大スペクタクル映画も真っ青な大冒険を繰り広げていてですネ……」
「葉留佳」
「ひゃい」
 私が呼びかけると葉留佳は化物でも見たかのように大きく肩を震わせ背筋を伸ばした。
 その怯えた表情がなにかそそる。思わず喉を鳴ってしまう。
 ……といけないいけない、詰問を続けないと。
「ねぇ、葉留佳。もしかしてと思うけど」
「な、なに?」
「あの電話、もしかして嘘なんじゃないでしょうね」
「や、やははー、まさかー」
「そうよねー。じゃあどんな大変な目に合っていたのかしら」
 さあどんな言い訳を聞かせてくれるのかしら。
 私はグッと葉留佳の両肩を掴み、尋ねた。
「い、いや、えっと……な、何言ってるんですかネ。はるちん、お姉ちゃんの名前を呼んでただけですヨ」
「は?」
 だからその言葉は予想外だった。
 私の唖然とした表情を見て一気に畳み掛けるべきと判断したのか、葉留佳は猛然と話し始めた。
「そう。そうです、お姉ちゃんが勘違いしただけで私からは何にも言ってないんですヨ。ウンウン、つまりはるちんは別に嘘ついてなんていないわけでして……」
「ふ、ふふふ……そう、そう言えばそうね」
 なるほど、そう来るか。
 確かに思い出してみれば一度のこの子の口から大変な目に合っているだとか、助けを呼ぶ言葉とか聞かなかったわね。
 そっか、そっか、なるほど。
「う、うん、だからここは不幸なすれ違いって事で、一つ」
「そうね。不幸な、ね」
 素直に謝れば少しは手心を加えてあげようかと思ったけど。
 ああ、よくもまあこんなこと考えたものだ。
 これはご褒美をあげないといけないわね。
「やはは、分かってくれて嬉しいですヨ。だからこの手を離して欲しいなって……ちょ、イタッ!痛いって、マジで痛いデスヨって!お姉ちゃん離し……ノォォォォォォ!!!」
「紛らわしいことしてんじゃないわよっ」
 その瞬間、駅前に断末魔の叫びが響き渡ったのだった。



「で、一体全体どういう了見なのかしら」
 葉留佳から奪ったアイスを食べながら冷たい目で彼女を見下ろし尋ねた。
「うう、肩が砕けるかと思いましたヨ。うう、佳奈多の馬鹿力〜」
「あ゛っ」
「ひゃう、なんでもないです」
 私が睨みつけると、葉留佳はその場で土下座を始めた。
 たく、そんなことされると目立つから止めて欲しい。
 先ほども私自身がこの場で盛大にこけて一度注目の的になっているのだ。
 これではしばらくこの界隈で話題の人になってしまうではないか。
「……で」
 いい加減このままにしておくわけにはいかないので話を進める。
「でって?」
「あんな電話かけてきた理由よ。何か訳があるのよね」
「あー、やはは……」
 葉留佳はポリポリと頭を掻く。
 どうやら言い辛い理由なようだ。
「……ちなみに下らない理由だったらぶっ飛ばすわよ。下らなくない理由でも許さないけど」
「えー、それオーボー」
「……なに、なにか言った?」
「いえ、何も言ってません」
 私の言葉に葉留佳は神妙な頭を下げる。
 そんな葉留佳の顔をしばらくジッと見続けていると、やがて観念したのか一度小さく溜息をついた。
「……ふぅー、あのね」
「ええ」
 さてどんな下らない理由なのやら。
 一通り聞いてお仕置きの内容を決めよう。
 久しぶりにフルコースってのもいいわね。
 そんなことを夢想しつつ続きを待った。
「……会いたかったの」
「は?」
 その言葉の意味が分からず首を傾げてしまう。
「だから、お姉ちゃんに会いたかったの」
「……なにそれ。そんなのいつも授業中顔を合わせているでしょう」
 なにが言いたいのだろうか。相変わらずこの子の言動は掴めない。
「だからそういうんじゃなくて。……その最近仕事忙しいじゃん。今日だって休みなのに寮会の仕事してさ。それが寂しくて……会いなって思っちゃった」
「え、あ……」
 憂いを秘めた葉留佳の表情。
 それを見ていると頭の中が真っ白になっていく。
「迷惑になるって分かってたけど、でも傍にいないのが心細くなっちゃってつい電話しちゃったんだ。うん、ああいう電話の仕方をすればお姉ちゃんならきっと来てくれるって思ってたからさ。まー、あんなことになるとは思ってなかったデスけど」
「…………」
「やはは、ごめんね。私バカだからこんなことしか思いつかなくて。……だから用って言えるとしたら佳奈多と一緒に遊びたいってくらいかも。……ごめん、下らなくて」
「……っ!」
 そこまでが限界だった。最早理性が保てない。
 嬉しすぎて思考が完全に停止する。
 まだ葉留佳が何か喋っているように見えるが最早私の耳には届かない。
 あふ、魂が抜け落ちそう。
  ・
  ・
  ・
  ・
  ・
  ・
  ・
  ・
  ・
  ・
「お姉ちゃんっ」
「え?な、なに?」
 肩を揺さぶられて意識を取り戻すと、そこには妹の顔のどアップ。
「だ、大丈夫?話の途中で反応なくなるわ、アイスも垂れちゃってるし。……もしかして具合悪い」
 心の底から心配してますといった表情を見せる葉留佳。
 ……言えない。葉留佳の言葉が嬉しすぎて気を失っていたなんて。
 それにアイスが半分近く溶けている。どんだけ舞い上がっているのよ、私は。
「大丈夫よ。それで、なに?話は終わり?」
「え?ああ、だからね、呼び出してなんだけど帰っちゃって大丈夫ですヨ。お姉ちゃんに会えただけで充分だし。……やー、お仕置は……軽めにして欲しいけど、ダメかな」
「え?」
 再び思考が止まる。
「ごめんね、お姉ちゃ「待ちなさいっ」……ふぇ?」
 驚いた表情を見せる葉留佳に続けて言う。
「確かに最近一緒に出かける機会なんてないしね。いいわよ、付き合っても」
「え?でも仕事」
「直枝に任せるから大丈夫よ」
 そう、こんな時の仕事仲間だ。存分に役に立ってもらわなくては。
 それに葉留佳のためなのだから彼も本望だろう。
「え?理樹くん?」
「ええ。……あ、もしかして直枝も一緒のほうがいい?」
 私自身はあまり歓迎したくないのだが、まあ仕方ないかもしれない。
 なにせ直枝は葉留佳の恋人なのだから。
 ちっ、思い出すと少し腹が立つ事実ね。
「分かってるわよ。私も忙しいって事は彼も忙しいってことだしね。あまり最近デートできていないんでしょう?」
「うん、まあそうだけど……」
「じゃああいつにもここに来るよう電話するわ」
 言いながら携帯電話を取り出し、彼の番号にかけようとする。
「待って」
 けれど葉留佳はそんな私の手を押さえる。
「ん?どうしたの」
 なにかあるのだろうか。
 すると葉留佳は私の手を握ったまま答えた。
「今日はおねえちゃんと二人っきりで遊びたいな」
「え?」
「あはは、そりゃ理樹くんとも最近デートらしいデートはしてないけどでも偶に一緒に遊んでますから。でもお姉ちゃんとは教室と寮で顔を合わせるくらいでしょ」
「え、ええ、そうね」
 言われてみれば確かにそうね。
 ここ最近仕事が増えたとはいえ、それでも直枝はなんだかんだであの集団のリーダーとして活動する時間も取っているから、私に比べて葉留佳と顔を合わせる回数は多いのだった。
 まあそれは私が仕事に没頭し過ぎるきらいがあるからだけれど。
「だから今日はいっぱいお姉ちゃんと遊びたいんだけど……ダメかな?」
「っ!!」
 ダメじゃないわとにやけそうになる笑顔で返しそうになり、慌てて顔を引き締める。
 そして素早く電話帳を呼び出し携帯の発信ボタンを押す。
 少しの間を置いてすぐに相手が出る。
『もしもし、佳奈多さん?』
「あ、直枝」
『良かった、どうしたの急に出かけたりして。こっちは仕事が山済みだから早く戻ってきて欲しいんだけど』
 声に若干不満そうな感情が見て取れる。
 どうやら私がいない間に結構仕事をこなしていたらしい。
「ああ、それだけど用事ができたから今日の仕事は全て任せるわ」
『へ?ちょ、待ってっ。なにそれ、横暴だよっ』
 予想どおり直枝は反論してきたが知ったこっちゃない。
「はいはい、文句は明日聞いてあげるからよろしく。ああ、あとそこにある荷物はクドリャフカに渡しといて」
『や、だからよろしくって言われても忙しいんだって。我侭言わないでよ……』
 我侭、か。
 けれど妹の我侭に付き合うのも姉の務めなのだ。悪く思わないで欲しい。
 それに葉留佳のためなんだから直枝も本望でしょう。
「事情は今度話すから、任せるわ」
『や、だから……』
「任せるわ」
『……はい』
 受話器の向こうでガクリと肩を落とす直枝の姿が見えるようだ。
 うん、こういう場合、あいつの押しの弱さはかなり有難い。
「それじゃあよろしく」
 私はそれ以上反論を許さないように手早く電話を切ったのだった。
「……ん、なに?」
 何か葉留佳から物言いたそうな視線を感じたのだけれども。
「やー、相変わらず力関係がハッキリしてるなぁって思って」
「ふん、直枝が押し弱すぎなのよ」
「うーん、はるちんとしてはお姉ちゃんが強いってのもある気がするけど」
「ふん、だとしてももうちょっと粘って欲しいわね。扱いやすいけど今後のこと考えると心配ね」
 男相手ならそこまでじゃないみたいだけれど、女性相手にはどうも強く出れない性格らしい。
 はぁー、ホント見た目どおりね。
 こんなんじゃあいつに悪い虫がついて葉留佳が悲しむかもしれないじゃない。
 やはり今から教育をするべきかしら。
「やはは、なんかこう将来の二人の関係が見えた気がしますネ。いわゆる嫁姑の関係ってやつデスネ」
「誰が姑よ。……それにあんな顔だけど一応男なんだから嫁とかあんたの口から言われたら直枝のやつ泣くわよ」
 女装した直枝は私から見ても相当綺麗だけど、本人の意思でやってるわけじゃないのだからあんまり傷つくようなことは言ってあげるべきじゃないだろう。
 例え素の状態でも女っぽく見えたとしても。
「やはは……でも口煩く言うつもりでしょ」
「まあね」
「はぁー、理樹くん大変だ」
 言いながらも葉留佳は笑顔だった。
 きっとそんな将来を想像するのが楽しいのだろう。
「それで、どこに行くつもり?」
「ん?ああ、そうだねー。……ああ、そういやお姉ちゃん制服姿デスね」
「そりゃそうよ。仕事ほっぽって慌てて出てきたんだし」
「やはは、愛されてるみたいで嬉しい限りですな」
「はいはい。……で」
 軽く流して先を促す。
 鋭く突っ込まれると逆に拙いし。
「うん、だからね、洋服でも買いに行こうかなって」
「洋服?……そんなにお金持ってきてないけど」
 財布の中はそれなりにあるがそれでも服を買うには少々心もとない。
「あー、大丈夫大丈夫。なんでしたら私が出しますヨ」
「え、貴女がっ?」
 私は驚いて見つめ返す。
「なんですかね、その意外って顔は。お姉ちゃんのために出そうと思ったのに」
「ごめんなさい、つい。……でもいいの?」
 そんなにお小遣いあるのかしら。
「大丈夫、ちゃんと貯めてるもん。服の一つや二つ買えるよ」
「そう?ならお言葉に甘えさせてもらうわ。……けど服なんてよく分からないのだけれど」
 三枝の家にいた頃は親族が勝手に買え与えてくれたし、縁が切れてからは物のついでに適当にその辺の量販店で買っているので、いざ服を買おうと思って買物に行ったことはないのだ。
「大丈夫、任せて。おすすめがありますから」
「おすすめ?……まさかあんたが今着てるような服じゃないしょうね」
 葉留佳が今来ている服はいつもと同様少々奇抜な服装だ。
 今日はおへそが見えるくらい短いTシャツの上に黒い袖なしの薄手のハーフコートを羽織り、下はホットパンツにニーソックスとブーツの組み合わせ。
 コートにはベルトやら鎖やらがいっぱいついてるし、はっきり言って派手だ。私の趣味じゃない。
「えー、格好いいと思って買ったんだけど」
「とりあえず普通のカテゴリーから外れてると思うわよ」
「ブー、行きつけのお店に連れてこうと思ったのに」
 ……良かった、指摘しておいて。
「んっと、じゃあこまりんおすすめのお店とかどうかな」
「神北さん?……うーん、なにか可愛らしいイメージがあるのだけれど」
 纏うイメージがそれ系しか思いつかない。
「うん、確かに私服はかなり可愛いね。でも似合うよ、きっと」
「……遠慮しておくわ」
 例えもし似合ったとしてもそれは趣味じゃない。
「えー、我侭ですなぁ。うーん、じゃあチャイナ服とか?」
「どこに着て行く気よ」
「え?普段着じゃダメ」
「はぁー」
 つい深い溜息が出る。
 どこの世界にそんな代物を普段着にする人間がいるのかしら。
 今更ながら妹の感性が心配になる。
「あとは……みおちんのおすすめもあるけどアレはちょっと地味な気がするしなあ」
「私としてはそれで構わないのだけど」
 奇抜なものをあえて着ようとは思わないし。
「いやいや、それじゃあいつもと対して変わらないじゃん。……よし、決めた。適当にウインドウショッピングしながら気に入った服を買うって方向にしよう」
「……それ何も決まってないって言わないかしら」
「いいんですよ、それも買物の醍醐味なんだから」
「そういうものかしら」
 まあ普通のショッピングというものがよく分からないから反論のしようがないのだけれど。
「そんでそんで、買物が終わったら映画。それで最後は食事に行こう」
「そんなに?」
 一日でそれはかなり疲れそうなのだけど。
「いいじゃん、別に。可愛い妹のためを思ってさ」
「はいはい」
 調子いいわね、ホント。
「あーでも」
「ん?」
「なんかデートみたいデスネ」
「ゴホッ」
 思わず咽てしまった。
「やはは、デートデート」
「あ、あんたね。姉妹でそれはないでしょ」
「えー、いいじゃん別に姉妹でデートしても。さっ、いこいこ。時間なくなりますヨ」
 葉留佳は満面の笑みを浮かべて手を差し出す。
「しょうがないわね」
 そんな彼女に私は嘆息しながらもしっかりとその手を握り返したのだった。


[No.228] 2009/07/11(Sat) 00:00:04
[削除] (No.220への返信 / 1階層) -

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[No.229] 2009/07/11(Sat) 00:00:38
嘘味 (No.220への返信 / 1階層) - ひみつ@5120 byte

 棗鈴は、マタタビには酔うが酒には酔わない女だった。
 笹瀬川佐々美は、マタタビに酔い、酒にも酔う女だった。
 二木佳奈多は、マタタビにも酒にも酔わないが、自分に酔う女だった。

「私、死のうと思うの」
「ふーん」
 甘い柑橘系のカクテルをくぴくぴと飲みながら、鈴はいつものように佳奈多の戯言を聞き流した。悲壮感が半端ないので最初は騙されたが、これでもう何度目になるかわからない。あまりにも馬鹿の一つ覚えすぎるので、こいつは詐欺師にはなれないだろうな、と鈴はなんとなく思った。
「それで、死ぬ前に未練を残したくないから」
「ふーん」
「貸してたお金、返してくれない?」
「軽々しく死ぬなんて言うなバカ!」
「チッ」
 あからさまに舌打ちしてから、佳奈多はビールが並々と注がれたグラスを、ぐいっと傾ける。中身を一気に飲み干して、ぷはぁっと酒臭い息を吐いた。すでに缶が3つは空になっている。
「なぁに、こんなにお酒買い込むお金はあるくせに私に返すお金はないってわけ」
「バカめ。おまえに借りた金で酒を買ったんだ」
「え? なに、じゃあ私、奢ってもらってるわけじゃなくて実はむしろ私が奢ってるってわけ」
「うん」
「最低ね! 最低だわ!」
 ぎゃーすと声を張り上げる佳奈多は近所迷惑以外の何者でもないが、鈴の住まいであるボロ部屋はアパートの一番隅っこなので被害は少なめである。ちなみにその隣の部屋が佳奈多の住居だった。
「ん……にゃ……」
 早々に潰れて今は鈴の膝を枕にして眠っている佐々美が身じろぎした。
「……もう……食べられませんわ……」
「ベタだわ……」
「ベタすぎてイラッときたから服を剥ごうと思う」
「その考え、イエスよ!」
「あとあれだ。リボン用意しろ、めっちゃ長いやつ」
「包帯でいい?」
「うん」
 佐々美が着ていたいいとこのお嬢様ちっくな服は2人の酒飲みの手によってぽいぽいと剥ぎ取られ、しまいには全裸とされてしまった。無駄に几帳面な佳奈多が、白い包帯で佐々美の特に色気のない裸身を際どく包んでいく。
 完成。プレゼントちっくに包帯で梱包された佐々美はまあそれなりにエロかった。
「ここまでしてやらないと欠片も色気がないだなんて……ささみ、可哀想なやつ……」
「あなたも大差ないでしょ」
「うっさいんじゃボケ」
 鈴はそれきり佐々美には興味を失くしたらしく、ボロい畳の上に放り捨てられている漫画本を適当に手に取ってパラパラと捲り始める。
「ねーねー、そういえばさー」
「んー」
「今日って新歓じゃなかったっけ」
「新歓よりも新刊のほうが大事だからスルーした」
 見開きページでドドン! と大きく描かれた主人公の女の子が「わたしのブラスターはリミット108まであるの」と言っていた。『テニスの魔王様』の最新刊である。明日にはブックオフだけど。片付けが面倒なので鈴は手元に物を残したがらない。
「唐突だがかなた、おまえテニスウェアとか似合いそうだな」
「ほんとに唐突すぎるわよ。行かなくてよかったの、新歓」
「あんなもん可愛い女の子を酔わせてうまいことお持ち帰りするのが主目的の低俗極まりないイベントだろ。自衛だ、じえー」
「偏見にも程がある上にあなたそもそも酔わないじゃない。……あ、ふーん。なるほど。なるほどねー」
「っさい! いいからテニスウェア着ろ!」
「どこにあるのよ、そんなもの!」
「ちょっと買ってくる!」
「いってらっしゃい! 車には気をつけるのよ!」
 鈴は部屋を飛び出した。



 メイトならコスプレグッズぐらいヨユーだろたぶん、と飛び出してきた鈴だったが、10メートルほど疾走したところでとっくに閉店時間を過ぎていることを思い出した。そもそも日付が変わっているので困る。
「このまま帰るのも癪だなー」
 ちょっと遠いが、コンビニまで行って酒を買ってくるか。24時間営業万歳。
「ねえちょっと、そこの君」
「ん?」
 後ろから声をかけられる。知らない男の声だ。警戒しつつ振り返ると、中肉中背の中年が立っていた。どこかで見たような服を着ている。全体的に青い。要するにお巡りさんだった。
「君、中学生? 高校生? こんな時間にこんなところで何やってるの」
「大学生です」
「うっそだぁ」
 お巡りさんはわははと豪快に笑った。人を見かけで判断するとんでもない警官だった。こういうのがいるから冤罪はいつまで経ってもなくならないのだ、と鈴は内心、義憤に駆られてみたりした。口に出す度胸は当然なかった。
「ん……なんか酒臭いけど……」
「二浪したんです。馬鹿だから」
「だから中学生でしょ君。よくて高校生でしょ君。お酒を飲めるのはハ・タ・チ・か・ら」
 さすがにキモかったのでキモいと言ってやりたいのは山々だったが鈴は我慢した。鈴は我慢のできる子になっていた。そもそも時期を考えろ時期を4月だぞこんちくしょう一月前まで高校生だったのが大学入ったばっかでそんな変わってたまるかボケェ、と言ってやりたいのは山々だったが鈴は我慢した。途中で噛みそうだったから。
「とりあえず何か、身分を証明できるもの持ってないの」
「ええと」
 ポケットの中を探る。ない。胸元を探る。ない。うるさい。勢いで飛び出してきたのでその手のものが全部まとめて入っている財布は当然部屋に置き去りだった。
「ないです」
「そりゃ困ったなぁ。家は? 電話番号とか」
 そこです、と指を差すのは簡単だったが、この情けない姿を佳奈多に見られるのは大変遺憾だった。そんなことをするぐらいなら借りた金を返すほうが何倍もマシだ、と鈴は思う。
「わかりません」
「家出かぁ」
 そんな中学生とか高校生とかじゃあるまいし。あまりにも面倒なのでもう佳奈多に金返して助けを呼んだほうがいいんじゃないかと心が揺らぐ。しかし考えてみればあの馬鹿もだいぶ酒を飲んでいたし、そもそもとても他人にはお見せできないような格好の佐々美もいるのだった。
 正直言って困った。
「んー、とりあえず夜も遅いし。交番まで来る?」
「そうします。カツ丼食べたいです」
「はっはっは。面白い子だねぇ」
 どこがだ、と思うだけ。口にはしない。
 意味もなく空を仰ぎ見ると、わりと都会っぽいくせに星がけっこう見えた。
「しにたい」
「え、なに」
 なんでも、と答えておいた。


[No.230] 2009/07/11(Sat) 00:02:31
牝犬の墓場  クドリャフカは濡れた (No.220への返信 / 1階層) - ひみつ@20476 byte

花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ
――井伏鱒二



 波は穏やかだった。能美クドリャフカは裸にマントをかけたままの姿で、その海岸線を歩いていた。砂の上、刻むステップ、ほんのひとり遊び。そう口ずさんでいた。
 打ち寄せる波が素足を濡らしたとき、クドリャフカは立ち止まった。海のはるか向こうを見やった。太陽と水平線以外は何もなかった。両手を広げて、「れっつ・りたーん・とぅ・ほーむ」と口にした。
「クド!」
 振り返ると、直枝理樹がゆっくりと歩み寄ってくるところだった。彼はジーンズに裸足という格好だったが、歩きながら灰色のジャケットを羽織ろうとしていた。砂浜に無数に転がっている死体が着ていたものだった。クドリャフカは笑顔を浮かべ、彼に駆け寄った。
 言葉は出なかった。彼女が飛びついてきた勢いで、理樹は砂浜へ倒れてしまった。クドリャフカは理樹に馬乗りになった。目と目が合った。理樹は穏やかに微笑んでいた。彼の額に唇を押し当てた。それから頭の位置を下げ、胸に頬を乗せた。身体が密着していた。
 背中に回された理樹の腕をはっきりと感じた。彼女は顔を上げた。「会いたかった」と理樹が言った。言葉を続けようとした口を唇で塞いだ。恋人同士のキスだった。舌先が触れ合ったとき、クドリャフカの喉の奥から吐息が漏れた。



 男は雑貨屋の軒先に立っていた。煙草に火をつけようとしているところだった。ビニール袋を持った女が男の背後に歩み寄り、金槌で男の後頭部を殴りつけた。男は転倒し、痙攣を始めた。
 女は男の上着やズボンのポケットをまさぐり、財布を引っ張り出した。中身を確認し、数枚の札とクレジットカードを抜いた。無用になった財布を捨て、ネックレスと指輪を外そうとした。ネックレスは容易に外せたが、指輪はなかなか抜けなかった。女は背後の雑貨屋を見やった。金槌で入口のガラスを割って侵入し、店内からサラダ油を持って出てきた。それを男の手に塗り込み、指輪を取った。
 その頃には男は痙攣すらしなくなっていた。女は男の口をこじ開け、二度三度金槌で叩いた。割れた歯の内、金歯が入っているものをつまみ上げた。戦利品をビニール袋へ無造作に放り込み、女はその場を後にした。
 女が去ってから、クドリャフカは街灯の陰から姿を現した。彼女は理樹を待っていた。一部始終は目の前にあった電気店の窓ガラスに反射していた。どうすることもできなかった。喉が渇いていた。ちりんちりんとベルの音がした。振り返ると、理樹が自転車にまたがっていた。とんとんと後部の荷台を手で叩いた。クドリャフカは頷いて、荷台に座った。またがるのではなく横向きに座り、理樹の腰に手を回した。
 自転車が走り出した。苦しそうに自転車をこぐ理樹の横顔に、クドリャフカは笑みを浮かべた。二人はクドリャフカの祖父の家へ向かっていた。一応は市内だったが、町の外れだった。
 街中は悲惨な有様だった。理樹が息を飲むのがわかり、クドリャフカは悲しくなった。至るところに死体が転がり、建物や路上の車両からは煙が上がっていた。その中をすりぬけるようにして、二人は祖父の家への道を急いだ。
「私はリキと一緒にこの国へ来て、一緒に歩きたかった」
 クドリャフカがぽつりと呟いた。
「とてもいい国なんです。私は好きです。リキに見せてあげたかった」
 理樹は自転車をこぎながら、左右の光景を見渡した。食べ物か何かを奪い合っている二人の人間が視界に入り、すぐに目を背けた。ふとクドリャフカを見ると、彼女はその光景から目を離さずにいた。見つめ続けることを自分に課しているようにも見えた。

 祖父の家に到着して真っ先にしたことは、シャワーを浴びることだった。理樹はクドリャフカの身体を丹念に洗った。汗や汚れでべたついていた彼女の身体は徐々に本来の艶やかさを取り戻していった。全身が石鹸まみれになったクドリャフカは理樹の手が身体を撫でる度に、くすぐったそうに目を細めた。
 その家は平屋建てで、広い屋敷だった。二人はクドリャフカの部屋にいた。理樹は彼女の身体を拭いた後、髪をとかしていた。ベッドの上にぺたんと座ったクドリャフカの背後に座り、撫でるように髪をとかした。クドリャフカはぼんやりと天井を見上げ、ゆっくりと回るシーリングファンを眺めていた。理樹の手が自分の髪に触れるのが心地良く、うっとりとした表情を浮かべていた。
 理樹はかたわらに櫛を置いた。片手を彼女の髪に這わせ、もう片方の手のひらを彼女の肩から胸に回した。クドリャフカは衣服を身につけていなかった。理樹は彼女を後ろから強く抱きしめ、そのままベッドに横たわらせた。クドリャフカはかすかな笑みを浮かべ、その動作を受け入れた。理樹は彼女の首筋にキスをしながら、指を太ももに這わせた。

 クドリャフカはむっくりと身体を起こした。目の前にあった化粧台の鏡に映った自分をぼおっと眺めた。「髪、またボサボサになっちゃいました。身体もべとべと」と呟いた。隣で仰向けに寝ていた理樹と目を合わせて、苦笑した。立ち上がって、再び浴室へ向かった。
 理樹はしばらく彼女の真似をして、天井のシーリングファンの回転を見つめていた。しかしやがてそれにも飽き、ベッドを這い出してジーンズを穿いた。部屋を出ようとしたとき、机に置かれている文庫本が目についた。それを手に取り、部屋を出た。
 屋敷は、外観は白で統一されていたが、内装には暖色も使われていた。人がいなくなって久しいのか、屋内は荒れ放題だった。ガラスは割られ、壁紙が剥がされているところもあった。調べたわけではなかったが、金目のものはすべて持ち出されているのかもしれなかった。ガラスや陶器の破片を踏まないように気をつけながら、理樹はキッチンへ辿りついた。
 キッチンにはささやかな地下室があり、そこに若干の飲食物が残されていた。理樹は壜のコーラを二本持って、キッチンに戻った。マグネット状の栓抜きが冷蔵庫に貼り付けられていた。それを取り、キッチンテーブルに座った。座った途端、呼吸が乱れた。ふとマトリョーシカのような人形とコップが置いてあるのが目に入った。コップには花が挿してあったが、すでに枯れてしまっていた。
 理樹はコーラを飲みながら、文庫本を開いた。書かれていた歌を音読した。「さよならだけが人生ならば、また来る春は何だろう」。理樹はまたコーラを飲み、本を閉じてテーブルに置いた。代わりに人形を手に取った。それはやはりマトリョーシカのようだった。胴体の部分を開け、中に入っている人形を順々に取り出していった。
「それ、私なんです」
 クドリャフカがキッチンの入口に立っていた。彼女は薄い生地のドレスのようなものを着ていた。淡いピンク色が彼女によく似合っていた。理樹の向かいの椅子に座り、コーラの栓を抜いた。
 理樹は目の前に並べている人形の一つをつまみ上げ、しげしげと眺めた。
「祖父が特別に作らせたものなんです。私に似せたマトリョーシカ。祖父はクドリャフシカって呼んでました」
 そう言いながら、彼女も指の先くらいの大きさの人形をつまみ、手のひらに乗せた。
「クドリャフシカ」
 理樹はそう呟いて、ぷっと吹き出した。言われてみれば、明らかにその人形はクドリャフカだった。目の前の少女と人形を見比べて、むせながら「似てるね」と言った。その言葉にクドリャフカも堪えきれずに吹き出した。二人は互いの顔とマトリョーシカを見比べながら、しばらくの間笑い合っていた。

 祖父の家を出た二人は歩道で立ち止まった。ジープが目の前を通り過ぎていった。灰色の制服を着た男たちが数人乗っていた。その後ろを何台もの乗用車やサイドカーが続いた。彼らは陸軍の将校の自宅へ向かっていた。すでに夜が広がっていた。助手席の男は頬に墨を塗り、抱えたライフルの具合を確かめていた。

『九月三十日』

 毎日のように念入りに手入れをしているだけあって、不具合はどこにも見当たらなかった。男はライフルを傍らに置き、窓を少しだけ開けた。夜の風がわずかに入り込んできて、その冷たさに目を細めた。
「中佐、まもなくです」
 運転席の男がそう言った。見えてきたのは白い屋敷だった。立派な門構えが目に入った。彼は屋敷の前に車を止めた。数台のサイドカーは屋敷の周囲に散らばった。彼らは誰も呼び出そうとせず、無言で敷地内へ侵入した。速やかな動きだった。
 屋敷に入ってすぐの広間には彼らの標的である国軍参謀総長の妻と息子がいた。二人は驚いた顔で入ってきた男たちを出迎えた。言葉はなかった。ただ目を大きく見開き、凝視するばかりだった。
「大将はどこだ」
 中佐が訊ねた。携えたライフルは上を向いたままだったが、抑揚のない口調と毅然とした態度には有無を言わせない凄味があった。しかし彼女は首を振るばかりだった。中佐はその様子を見つめていたが、やがて傍にいた部下にあごで合図をした。
 男はつかつかと子供に近寄り、壁際のテーブルに置かれていた花瓶で頭を殴りつけた。少年は昏倒した。母親の様子を確認した後、何も言わずに拳銃で少年の頭を撃ち抜いた。
 中佐は煙草に火をつけながら、部下たちに「探せ」と命令した。彼の背後に控えていた男たちはすぐに屋敷内に散らばった。中佐は椅子に腰を下ろした。前屈みの姿勢になり、立ち尽くしたままの女を見つめた。
 男たちが戻ってきた。目的の男がいないことを伝えると、中佐は女に「夫はどこだ。言いなさい」と言った。女は呆然と息子の遺体を眺めたままだった。「時間がないんだ」と怒鳴りつけると、ようやく女は中佐を目にした。しかし言葉はなく、首を振るばかりだった。中佐は拳銃で女の頭部を撃った。女は衝撃で壁際まで吹き飛び、それっきり動かなかった。
 中佐は立ち上がって、「探せ。まだ近くにいるはずだ」と部下たちに叫んだ。党員の男たちは即座に散っていった。中佐は玄関から家を出た。ジープが待っていた。ドアを飛び越えて、助手席へ乗り込んだ。
 そのとき、けたたましいサイレンが鳴り響いた。中佐は真夜中の空を見上げた。戒厳令を知らせる放送が始まった。ラジオ局はすでに占拠しているはずだった。舌打ちをした。誰かが裏切った。そう思った。

 時間をおかずに敗走は始まった。無線はすぐに繋がらなくなった。運転手は額を打ち抜かれ、即死していた。流れ弾なのか狙撃されたのかもわからなかった。
 クーデターは失敗に終わったと確信した。大事なのは経過ではなく結果だった。どれだけうまくことが運んでも、成就しなければ意味がなかった。中佐はハンドルを力任せに叩いた。自分がいまどこへ向かっているのか、それさえもわかっていなかった。
「わたしたちはどこからきたか、わたしたちはなにものか、わたしたちはどこへいくのか」
 そう呟いたときだった、死角から飛び出してきた車が中佐のジープの側面部に衝突した。ジープは衝撃で横倒しになり、そのまま商店に突っ込んだ。一方の車は道の真ん中で停止した。クラクションの音だけが響いていた。
 中佐はジープから投げ出され、路上に転がった。身体がまったく動かなかった。辛うじて目だけを動かせた。そのおかげで周囲の様子を伺うことだけができた。停止した車の運転席が開くのが見えた。その車は耐死仕様になっていた。降りてきた男は野戦服を着ていた。見知った顔だった。しかし声が出なかった。
 男は鼻歌を歌っていた。私は一人で泣いている、泣いている、ただ一人、泣いている、なぜなのかしら、あなたに会っただけで、また私は涙にくれる。中佐の傍らに座り込み、彼を抱き起こした。そのおかげで、苦しかった呼吸が多少は楽になった。
「悪かったな。こうするしかなかったんだ」
「お前はこっち側だと思って……」
 言い終える前にむせ込んで、血を吐いた。内臓が傷ついている、そう思った。
「あの人は俺にカルトブランシュを渡してきたよ。あんたには悪いが、こうする他なかった。それはあんたにもわかるだろ?」
 男は中佐を路上に寝かせた。彼は何か言いたげな様子だったが、もう声が出ないようだった。男は拳銃を抜き、三度発砲した。中佐は動かなくなった。銃声の名残りが立ち込める中、彼はしばらくそこにいた。
「わたしたちはどこからきたか、わたしたちはなにものか、わたしたちはどこへいくのか」
 踵を返して、歩き始めた。腰に括りつけたトランシーバーから声が聞こえていた。拉致された将校たちがどうなったかが判明した。そう伝えていた。

 椅子に座って、報告を待っていた。駆け寄ってきた兵士が耳打ちした。「六人分の遺体が井戸の中に捨てられている」と。男は立ち上がって、井戸のある場所へ向かった。
 そこは空軍基地だった。彼らが占領した建物の内の一つだったが、すでに鎮圧されていた。報道関係者やテレビカメラが集まっていた。男が根回しした結果だった。
 男は空を見上げた。じきに夜が明けるだろうと思った。男は側近に声をかけ、死体の回収を待つように言った。夜明けと共に行うべきだ。
 演出は必要だった。テレビの連中に準備をするように伝えておけと耳打ちした。側近の男は走り去っていった。
 男は大きく伸びをした。十時間前、病院で最初の報告を受けたのが遠い昔のようだった。不意に差し込んだ陽射しに目を細めた。九月三十日が終わる。そう思った。



 理樹は井戸の淵に手をかけて、中を覗き込んでいた。さほど深くなく、今では井戸としての使用されることもなくなっているようだった。井戸の底には、土と突き立てられている旗が見えた。彼は井戸の淵に座り、不意にごほごほと咳き込んだ。顔を上げると、地面にしゃがみ込み、地平線を見つめているクドリャフカが目に入った。
「母はここから宇宙に行くはずでした。ここはこの国の中心だったんです。私はそれをテレビで見た」
 彼女の瞳には一面の焦土が映っていた。焼き打ちと空爆によって、宇宙計画のすべては文字通り灰となった。クドリャフカは真っ黒い砂を片手ですくい上げ、ぱらぱらと風に流した。
 理樹は彼女の背中を見ながら、かけるべき言葉を探していた。しかし溢れたものは沈黙だった。ついに言葉を見つけられず、理樹はただクドリャフカの背後に同じようにしゃがみ込み、背中を背中にくっつけた。
 クドリャフカはバランスを崩しそうになったが、すぐに自分の体重のすべてを理樹に押し付けた。理樹は地面にうつ伏せに倒れ、クドリャフカは彼の上に背中合わせに横たわった。
「その井戸、この国にとっては大事なものなんです。残っていてよかった」
 理樹は首を回して、古ぼけた井戸を見た。何の変哲もない井戸に見えたが、その周囲には決して消えない足跡が残されているようにも見えた。しかしそれ以上は何も聞かなかった。やがてクドリャフカの寝息が聞こえてきた。理樹の上で眠ってしまったようだった。理樹は土を手で弄びながら、彼女の呼吸を感じていた。それはすこぶる心地良い揺れだった。
 ふと顔を上げた。ホテル・アイビスのネオンが見えた。電球が切れかかっているのか、一定のリズムで点滅が繰り返されていた。

 幸いだったのは、朝食のバイキングメニューの品がほとんど残っていたことだった。遠くに見えたホテル・アイビスまで向かうのは億劫だったが、途中で捨てられた自転車を見つけたため、思っていたよりも早く到着できた。
 スープやパン、果物といったあっさりとしたものばかりだったが、暑さに参っていた二人にはちょうどよかった。理樹は赤い果肉の果物をおいしいと言った。クドリャフカは笑顔で言った。「それ、名産なんです。ホッシェンフルーツ」。
 食事を終えた二人はフロントからキーを持ち出し、たまたま開いた部屋に腰を落ちつけた。窓からはテヴアの夜が見渡せた。宇宙総局の跡地もそこから見えた。
 また汗をかいてしまっていたので、シャワーを浴びることにした。今度は別々には言った。理樹が先に入って軽く汗を流し、彼女がシャワーを浴びている間はホテル内を散策した。
 ホテルの中には人の姿がなかったが、唯一、支配人室に死体が転がっていた。身なりから判断するに支配人のようだった。そばにマスターキーが落ちていたが、今の理樹には不要のものだった。
 一階には土産物屋があった。そこで見つけた花火を手に、理樹は部屋へ戻った。クドリャフカはバスタオルを身体に巻いただけの恰好で髪を乾かしていた。理樹が彼女に花火を見せると、彼女は顔を綻ばせた。
 部屋の照明を落とし、枕元の電話台の引き出しにあったマッチで花火に火をつけた。鮮やかな色が暗くなった室内を彩った。理樹はまたマッチを擦って、クドリャフカが手にしている花火にも火をつけてやった。エメラルドのような発色の火花を目にし、クドリャフカは「きれい」と呟いた。
 室内が煙でいっぱいになると、警報機が作動し、スプリンクラーが放水を始めた。二人は窓際へ行き、花火の先端を外へ向けた。路上には人っ子一人いなかった。やがて花火の光が消えると、屋外も室内も真っ暗になった。水音だけが続いていた。
 理樹は室内の照明を元の明るさへ戻した。スプリンクラーは作動し続けていた。クドリャフカは部屋の中央に立ち、天井を走る機材をシャワーでも浴びるみたいに見上げていた。水の勢いに、いつしか彼女のバスタオルは床に落ちていた。
 理樹はクドリャフカを後ろから抱き締めた。電源を入れた覚えはなかったが、ラジオが勝手に電波を受信していた。どこかのラジオ局の音声が雑音混じりに流れ始めた。それは六十年代の古い曲だった。私の恋人になって、言ってくれるだけでいいの、私の恋人になるって。
 曲に合わせて、二人は踊り始めた。指と指を絡め合い、お互いの体温がわかるくらいに身体を寄せ合った。どう足を動かし、手を動かせばいいのかはわからなかった。ただ曲に身を任せるだけだった。ねえ私、あなたに会った日からずっとあなたを待ってるのよ。あなたへの憧れは消えないわ、永遠に。わかるでしょ?
 不意に理樹がたまった水に足を取られてバランスを崩した。近くにあった窓に肘がぶつかり、窓ガラスがばりんと割れた。とっさに理樹は窓の外を気にしたが、クドリャフカは彼の肘を心配そうに見つめていた。ガラスの破片が刺さり、出血していた。
 クドリャフカは理樹をベッドに座らせて、ガラスの破片を慎重に取り除いていった。それから傷に舌を這わせて、血を舐めとった。彼女の口元が赤くなった。いつの間にか警報もスプリンクラーも止まっていた。二人はずぶ濡れだった。理樹はクドリャフカの前髪をかきあげて、彼女の顔を見つめた。手を伸ばし、唇の周りについた血を指先につけ、彼女の唇をなぞった。唇は紅を引いたように赤くなった。どちらからともなく口づけを交わし、ベッドに倒れ込んだ。音楽だけが変わらずに流れていた。私の恋人になって、ただ言ってくれるだけでいいの、愛してるって。

 起き上がってすぐにくしゃみをした。割れた窓ガラスから風が吹き込んでいて、カーテンが大きく揺れていた。まだ眠っている理樹にキスをして、ベッドを這い出した。祖父の家から着てきた服を着た。
 バイキングのメニューはまだ残っていた。二人分の食べ物を適当に皿に盛り、飲み物を用意した。部屋に持ち帰ると、ちょうど理樹が目覚めたところだった。ジーンズを穿きながら、「もうお昼だね」とは言った。
 食事を終えると、二人はホテルを後にした。一度外へ出てから、理樹は一旦ホテルに戻った。再びホテルを出てきたとき、彼の手には錆びた銀の皿とろうそくがあった。
 二人はホテルの前の通りのど真ん中に立っていた。車も人も、どこにも見えなかった。
「そろそろ戻ろうか」
 絞り出すような声だった。彼女は息を飲み、すがるように理樹を見た。理樹はじっとクドリャフカを見つめていた。感情を押しつぶしているような目線だった。そのまなざしにクドリャフカは「はい」と頷いた。そして「楽しかったです、リキ」と続けた。



 洞窟の入り口で、理樹はろうそくに火をつけた。皿にろうを垂らし、ろうそくが倒れないように固定した。それから洞窟内に足を踏み入れた。
 その洞窟は一本道だった。通路の両側に牢が設けられていた。奥まで達するのに数十分の時間を要した。道は単純だったが、かなり深かった。洞窟は海岸線にあり、しばらくは波音が聞こえていたが、それもやがて届かなくなった。中間くらいのところに詰め所があった。
 無人の牢の前で理樹は足を止めた。南京錠がぶら下がっていたが、鍵はかかっていなかった。理樹は彼女を連れて、牢の中に入った。それから彼女の服を脱がした。隅に置かれていた錆びたバケツに入れ、点火したマッチを落とした。服は徐々に燃えかすになっていった。理樹は咳き込みながら、彼女の肩にマントをかけた。
「僕は君を助けたかった。でも助けられなかった」
 理樹は天井に埋め込まれている鎖を引っぱり、手錠の準備をした。洋服が燃える匂いが立ち込めていた。
 クドリャフカは「待って」と理樹を制し、自分の髪の毛を数本噛み切った。それを理樹の左手薬指に巻きつけ、「私は幸福でした」と言った。
 理樹はその言葉には答えずに、手錠をクドリャフカの両手首にかけた。万歳をするような格好になり、両足の先端は辛うじて地面につく程度になった。それでもクドリャフカは笑顔だった。
「僕に何ができたのかな」
「リキ、私はこの国をあなたと一緒に歩きたかった。夢は叶った。この一日が、嘘だったとしても」
 理樹はクドリャフカの前に立っていた。頭がちょうど彼女の腹部にあたっている。確かな温もりを感じていた。クドリャフカはふざけるように足を理樹の身体に絡めてきた。
 足音が聞こえた。理樹はクドリャフカから離れた。
「お別れだね、クド」
「はい。リキ、今までありがとう。さよなら」
「うん、さよなら」
 理樹はろうそくをふっと吹き消した。
 牢を出て、長い廊下を歩いた。さよならは別れの言葉じゃなくて、再び逢うまでの遠い約束。そう口ずさみながら歩いた。やがて民兵の集団とすれ違った。民兵たちは彼女の牢へ向かっていた。
 懐中電灯の強い光が、彼らを迅速に彼女の牢へ導いた。彼らは彼女の拘束を外し、麻の袋を頭にかぶせた。そのまま彼女の手を取り、牢獄を後にした。
 海岸線に立っているのは彼女だけではなかった。同じように麻袋をかぶせられ、視覚や聴覚を遮断されている者が複数いた。彼らの前には銃を構えた者が立っていた。銃声と共に、彼らは次々と砂浜に倒れていった。
 クドリャフカは麻袋をかぶせられていたが、すでに視力や聴力が失われつつあり、大した影響はなかった。それでも銃声の鋭さは耳によく響いていた。逆にいえば、それくらい大きな音でなければ聞き取れないくらいだった。
 だから自分がいつ撃たれるかもよくわかっていなかった。直前まで彼女はいつか聴いた歌をかすれた声で口にしていた。砂の上、刻むステップ、今あなたと共に。
 銃声が響いた。能美クドリャフカは熱い砂浜に倒れ込み、数十秒後に息絶えた。そのとき、テヴアの波はひどく穏やかだった。



 パトランプの回転が事件の発生を正確に周囲へ伝えていた。
「死後二、三日ってとこですかね」
「ひどいもんだな。この季節じゃ仕方ないが」
 刑事が二人、現場となった工場から出てきた。警備の警官に目で挨拶をし、車へ向かおうとした。すれ違うように一人の少女が人だかりから駈け出してきて、立ち入り禁止のテープをかいくぐった。警官が肩を押さえて「君、待ちなさい!」と声を出すと、彼女は振り返って「ふがー!」と威嚇した。
 その剣幕に警官は思わず怯んでしまい、手の力を弱めてしまった。棗鈴はその瞬間を見逃さず、すかさず腕を振り払って工場の奥へ走った。
 直枝理樹がいなくなったのは三日くらい前だった。寮から姿を消したのだった。行方はまったくわからなかったが、潰れた工場で首吊りがあったという話を耳にし、慌ててやってきたところだった。
 工場の奥はじめじめしていた。天井近くにある機材から汚水のようなものが垂れていて、地面に水がたまっていた。鈴は厭そうに顔を歪めながら、目的の場所へ急いだ。
 まだ警察関係者が数人残って現場検証をしていた。鈴は何かの機械にぶら下がっている死体へ歩み寄った。周囲の人間が「あ、君、だめじゃないか」と止めようとするが、鈴の耳には届いていなかった。結局、ただ突っ立っているだけの鈴に、彼らはそれ以上何も言わなかった。そんなことよりも、自分の仕事を早く終わらせることの方が大事だった。
 鈴は死体を見上げていた。紛れもなく理樹だった。ジーンズを穿いただけの恰好だった。Tシャツを切り裂いて作ったロープで首を括っていた。靴は履いていたが、片っぽは地面に落下していた。鈴はその場にしゃがみ込んだ。俯いて、誰にも聞こえないくらいの声で「おまえ……ばか……」と呟いた。
 そのとき、理樹の薬指に巻かれていた髪の毛がほどけた。亜麻色の、美しい髪の毛の束だった。それは誰にも気づかれないまま、柔らかい軌跡を残して落下した。

(了)


[No.232] 2009/07/11(Sat) 00:11:47
しめきり が あらわれた (No.220への返信 / 1階層) - 主催的な何か

ぴかぴかになったよ! やったね!

[No.234] 2009/07/11(Sat) 00:20:50
裏・コール (No.228への返信 / 2階層) - ひみつ

「うー、暇だー」
 駅前のベンチでぐてーっとしながら溜め息をつく。
 遊びに来たはいいものの、一人じゃどうにもつまらない。
「これは誰かを召喚すべきですな」
 一人がダメなら誰かを呼べばいいか。
 けどさてさて誰を呼ぶべきですかね。
 小毬ちゃんと鈴ちゃんは揃ってお出かけだからパス。無粋ですしね。
 姉御もどっかにお出かけ。
 ささみんは部活。
 あやちんもなんか分からないけど用事があるらしい。
「となるとこの二人か。呼び易そうなのはやっぱクド公かな」
 そうと決れば早速電話。
 携帯を取出しボタンを操作する。
『はい、能美です。葉留佳さんですか』
 数コールで電話に出るクド。
 相手を待たせないその姿勢いいですな。
「うん、そうですヨ。今大丈夫?」
『あ、はい。えーと、大丈夫ですが』
「あ、じゃあさ、今日暇?暇なら今から買い物行かない?」
『買い物ですか』
「うん、そう。今駅前にいるんだけど一人で暇でさ。もしよかったら一緒に買い物しない?」
私がそう言うとクドは少し躊躇ったあと、電話口で謝ってきた。
『申し訳ありません。お誘いは嬉しいのですが、これから風紀委員の方たちとストレルカたちを連れて一緒に見回りに誘われているんですよ。なのでちょっと無理です。今更約束を反古にはできないですし』
「あー、先約があるのか。それじゃあ仕方ないね」
 クド公の性格上、先約を断ることはできないだろう。
 まっ、いいか。
『すみません』
「いいっていいって。じゃあお仕事頑張ってね」
『はい、それでは』
「はいはい。じゃまた」
 ピッと電話を切る。
 仕方ないじゃあ次はみおちんか。
 うーん、来てくれるかなあ。いや、弱気になっちゃダメだよね。
 気合を込め直し、携帯を操作して電話をかけた。
『はい、もしもし、西園ですが』
 クドと違って取るまで結構時間がかかったなあ。
 やっぱまだみおちんは携帯に不慣れなんだな。
「あ、もしもーし、葉留佳だけど、今暇?暇だよね。なら遊ぼっ」
 ブツッ
 ……ん?急に向こうの音が聞こえなくなったような。
 ああ、通話が切れたのか。
「っておい、みおちんっ!いきなり何するのっ!!」
 慌てて電話を掛け直し文句を言う。
 するとしれっとした回答が返ってきた。
『すみません。煩かったものですから、つい』
「ついって何さー。みおちんの意地悪〜」
『はあ。で、ご用はなんでしょうか』
 全然悪びれてないし。
 ううっ、挫けそうデスよ。
「だからあ、遊びに行こうって誘ってるの。具体的には駅前でショッピング」
『ああ、なるほど』
「うん、で来る?来るよね」
 期待を込めてみおちんの言葉を待つ。
『いえ、無理です』
 しかしその回答は無情だった。
「って、なんでさー」
『いえ、今日は買い込んでいた本を読もうと思っていたので』
「えー、私本以下?」
 少しばかり冗談交じりで聞いてみた。
『……そうですね。まあ割りと』
「がーん」
 ショックで数歩よろけてみた。
『……嘘ですが』
「ちょ、みおちん。本気でショック受けそうだったですよ」
 ホッと一息。
 いや、本気で言ってるとは思ってなかったけどね。
 ただみおちんの私に対する態度から考えて可能性がないとも言い切れなかったからネタ晴らししてくれるとまでドキドキだったけど。
『ですがどちらにしろ今日は溜まっている本を片付けようと前々から思っていたのでお誘いをお断りするのは本当ですが』
「えー。いいじゃん別に〜」
『いえ、そこは譲れません』
「ぶーぶー」
 相変わらずガードが固い。
 ちくしょーみおちんめー。
『またお誘いください。その時はお付き合いしますよ』
「了解。きっとだからね」
 そう言って私は電話を切った。
 はぁー、これでリトルバスターズの面子は全滅か。
 あ、男連中(理樹くんは除く)は最初から除外なんで。
「はぁー、理樹くんも寮会で忙しいし誘うのは躊躇しますね。うう、恋人なのに一緒に遊べないなんてなんて不幸なんだろう」
 世の無常さをちょっと嘆いてみたり。
 最近忙しいらしいからなあ。お昼とか夜中しかイチャイチャできないですよ。
「と、そういえば寮会といえば佳奈多がいたなあ。うーん、そういやあんまそっちとも遊べてないな」
 すっかり忘れてたけど双子の姉とも最近とんと遊べてない。
 まあバスターズに入らずずっと寮会で仕事しっぱなしだからなぁ。
「うーん、お姉ちゃん誘ってみるか。あーでも忙しいだろうしな」
 確か理樹くんが今日も仕事だと言ってたはず。
 だとするとちょっと無理かも。
「……いや、お姉ちゃんなら大丈夫か。ちょろっと演技すれば来てくれるはず。……あーでもそれだと理樹くんに負担掛かるかー」
 でもなー。やっぱ一人は寂しいしなー。
 このまま帰るのもなんか癪だし。
「よしっ。ここは理樹くんに頑張ってもらおう。私のためだもの、いいよね」
 内心ごめんねと謝りつつ電話帳を呼び出す。
 まあそんなに引き止めるつもりは今のとこないからきっと大丈夫でしょ。
 それに責任感強いお姉ちゃんなら戻ったら頑張るはず。
「やー、はるちん悪女ですね。まっ、お姉ちゃんも理樹くんも許してくれるはずだよね」
 特にお姉ちゃんは甘いからな。
 騙されたと分かった後の処理も間違えなければそんなに怒られる事もないだろう。
「とりあえず泣く準備をしてっと」
 一度深呼吸をして泣き真似の準備を完了する。
 うんうん、涙の演技に関しちゃプロも顔負けですな。
「さて、じゃあ電話電話」
 お姉ちゃんを落とすため、一世一代の演技を始めよう。

 私は高らかに携帯の発信ボタンを押すのだった。


[No.249] 2009/07/12(Sun) 00:57:01
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