自分らしさとは?(10/24ビデオ鑑賞について) - JOHN - 2004/11/07(Sun) 22:48:36 [No.134] |
Re: 自分らしさとは?(10/24ビデオ鑑賞について) - 一歩一歩 - 2004/11/08(Mon) 22:06:44 [No.137] |
Re: 自分らしさとは?(10/24ビデオ鑑賞について) - JOHN - 2004/11/08(Mon) 22:51:26 [No.139] |
Re: 自分らしさとは?(10/24ビデオ鑑賞について) - 金サロ支配人 - 2004/11/08(Mon) 23:55:10 [No.140] |
「倶楽部ONLY-ONE」 - 一歩一歩 - 2004/11/09(Tue) 08:42:32 [No.141] |
Re: 「倶楽部ONLY-ONE」 - ミ〜 - 2004/11/09(Tue) 14:55:07 [No.142] |
金サロ支配人様・質問等は・・・・ - ミ〜 - 2004/11/10(Wed) 11:00:16 [No.147] |
10/24のビデオ鑑賞ですが、私は見ていないので内容に対するコメントは出来ません。しかし、皆様の感想について少し違和感を覚えるところがありますので、皆様から袋叩きになることを覚悟の上で、敢えて反対意見を述べたいと思います。 1. 吃りつつ能力を生かして仕事を誠実にこなしている人がゴマンといるのに、流暢に話せる=仕事がうまくいっているって場面が多かったのは残念。依然として「流暢性の獲得」=「吃音者の幸せ・仕事もできる」という価値観が強く、吃音が治るという印象が強いことに不満が残る。 冷静に考えて戴きたいのですが、仕事においては吃音の無い人の方が吃音を持つ人よりうまくいくのは「事実」であり、同様に流暢の方が非流暢よりもうまくいく場面が多くなるのも「事実」だと思います。それが、何故残念なのでしょうか? また、多くの吃音者にとって流暢性の獲得は幸せなことであり、仕事もできると考える価値観は自然なものです。吃音が治るという印象を与えることは、吃音者に希望を与えることでもあり、それが何故不満なのでしょうか? 自分が吃ることを否定されたくないが、他人が吃音をコントロールすることを否定するというのは、理屈に合わないのではないでしょうか?また、自分を中心に考えればそうかもしれませんが、相手の立場で考えると、吃って聞きづらいよりはコントロールしていても聞きやすい方が、コミュニケーションの目的に適っていると思うのですが・・・。 2. 「吃音のコントロール」にはあまり生き生きした喋り方じゃない印象があり、ちょっと違和感を感じてしまう。いくら今は流暢に喋って仕事に成功してても、「訓練をし続けなければまた吃ってしまう」という不安感を持ち続けながら暮らしていくのって精神的にきつく、「幸せな生活」と言えないのでは?コントロールした喋り方よりも、今日のONLYの吃り吃り話したいことをきっちり喋っているみんなの話している姿の方がずっと魅力的。 それでは吃っているときの喋り方が生き生きした喋り方なのでしょうか?非吃音者から見れば、吃音というのは緊張しておどおどした喋り方に見えるのではないでしょうか?また、不安を持ちつづけるのではなく、訓練を続ければちゃんとしゃべれるんだ!という安心感の方が大きいと思います。普通、吃音者は発語時に自分をコントロールできないため、「声が出なかったらどうしよう」という不安を常に持ち続けていますから、それと比べればはるかにましだと思うのですが・・・・。 3. 自分自身の5年前のビデオ(ひどく吃っている時)を観て、悲しみの回想にひたる出演者(現在は流暢に発声可能)の姿は5年でこう変わらなければいけないといった強迫的な感覚に晒される恐れもある。 これもプラス方向に考えれば、5年でここまで変われるという希望が持てるということです。普通、人が改善したから自分も改善しなければならないなどとは考えません。素直に改善する可能性が見出せたことを喜べば良いのだと思います。 4. その方法により治らないと人はどうなるのか?私が焦点を当てたいのはそこです。この少数の人々を切り捨てる事はその治療法の無力さを証明するようなものではないでしょうか。 これも、プラスに考えましょう。その方法によって治らない人がいても、効果があった人もいるのであれば、その治療法は無力ではありませんし、それが少数の人を切り捨てることになるとも思えません。一人でも改善すれば、一緒に喜んであげれば良いと思います。 5. もっと妻が「吃音が重くてもいいじゃん」って思えたら彼ももっと楽になって結果として話すのがもっと楽になっていくんじゃないだろうか・・。 それは無理な話です。吃音は「普通ではない」のですから「普通」の状態を妻が望むのは当然のことです。他者を変えるよりも、自分を変える方がずっと容易ですし、そちらの方向が本来の方向だと思います。 私も不自然な発語のコントロールには反対の立場であり、自然に戻すべきだと思っています。しかし、吃音者の条件反射を減少させるためには「自然な発語をまねる」ことが必要であり、自然な発語のコントロールは、吃音を改善する上で効果的だと思います。 吃音者でも、アナウンサーや俳優、落語家などに著しく改善した人が多いのは、自然な(或いは理想的な)発声というものを繰り返し訓練したからかもしれません。 吃る自分が、一番自分らしいというのは違うと思います。普通に話せる能力を潜在的に持っているから吃りたくないのであり、普通に話せる状態の自分こそが、本来の自分であり、一番自分らしい姿だと思います。 [No.134] 2004/11/07(Sun) 22:48:36 |