精神の安定(幸福感)を得るためのステップ - 一歩一歩 - 2006/11/25(Sat) 10:27:38 [No.619] |
何だか、考えることがあって削除しました。 - 一歩一歩 - 2006/12/03(Sun) 11:18:23 [No.625] |
Re: 精神の安定(幸福感)を得るためのステップ - タイキ - 2006/11/30(Thu) 21:13:44 [No.622] |
Re: 精神の安定(幸福感)を得るためのステップ - hayate - 2006/12/01(Fri) 23:41:06 [No.623] |
Re: 精神の安定(幸福感)を得るためのステップ - タイキ - 2006/12/02(Sat) 23:43:54 [No.624] |
Re: 精神の安定(幸福感)を得るためのステップ - hayate - 2006/11/26(Sun) 22:41:52 [No.620] |
[削除] - - 2006/11/26(Sun) 23:06:25 [No.621] |
正直、まだわかっていないのですが、自分が本当は何をしたいのだろうかと考えると、要するに幸せになりたいということかなと思っています。自分勝手にやりたいことを行うことではなくて、精神の自由を伴って、日常生活においても社会的にも知的な意味においても無理のない満足感があればいいかなと思っています。 人生の目標をこのように考えると、今のわたしにとって「吃音を治す」、「吃音を克服する」という言葉は、どうも無理があって、それを考えてしまうと仕事に支障がでるような気さえしてしまいます。 わたしの現状はこのような感じなのですが。。。 それは横に置いておいて。 悩める吃音者に投げかける言葉として、ずっと考えていたことがあります。別の掲示板で以前議論があったものですが、最初に投げかける言葉は、 「どもってもいいんだよ。」 たぶん、この言葉に代表されるものだと思っています。ある限られたグループの中においてドモってもいいよ、という言葉と捉えてもいいと思います。この言葉で孤独な吃音者は精神の平穏を得られるでしょう。 では、その次のステップではどういう言葉かというと、 「どもってもいいんだよ。ドモリながらでも生きていっていいんだよ。」 こんな感じかなと思っています。この言葉は吃音の自己肯定であって、この言葉によって社会生活における精神の平穏を得られる場合があると思っています。また吃音があっても行動しましょうという意味でもあります。 では、さらにその次のステップはどういう言葉かというと、 「どもってもいいんだよ。ドモリながらでも生きていっていいんだよ。でも無理はしないでね。」 吃音の肯定を盲目的に行ってしまうと、吃音マジックに入ってしまうような気がしています。それまでの人間関係においても、生活面、仕事面でも、自分の欲求を否定しない、思考を不自然に中断しないことが大事だと思っています。 現象としての吃音は認めるとしても、心の中まで影響されないようにすることかと思っています。 さて、この言葉も次のステップへの階段の踊り場みたいなものだと思うのですが、次の言葉は何が来るのでしょうねえ。 このような形での吃音者に対するカリキュラムの話題は、もう少し考えてみたいと思います。 [No.619] 2006/11/25(Sat) 10:27:38 |