吃音者を表現した文学の話 - こじこじ - 2004/09/13(Mon) 22:11:57 [No.61] |
Re: 吃音者を表現した文学の話 - 一歩一歩 - 2004/09/14(Tue) 22:19:38 [No.62] |
Re: 吃音者を表現した文学の話 - こじこじ - 2004/09/14(Tue) 22:48:39 [No.63] |
> 昔、京王線下北沢駅前の本多劇場で似たようなお芝居を観たことがありました。 その芝居っておそらく「小さき神のつくりし子ら」って芝居のことかな。 やはり「障害者」をテーマにした作品の多くは、物語の最後に障害のある主人公が、その障害を「乗り越える」とか、できなかったことが「できるようになる」感動的?なシーンで幕を閉じる・・ってパターンが多い気がします。 もちろん「ドラマ」というものが多かれ少なかれそういう構造をもっていることは否めないけれど、みているこっちとしては「おいおい、それでOK!ってわけじゃなくて、これからのドラマチィックじゃない『日常』ってものが本当はあるんだよ・・」ってよく思いますな。 あと、もうひとつ違和感を感じるのは、障害者を主人公とした小説で、その主人公が障害以外非のうちどころのないしかも純真な人間として描かれてる場合。 最近では映画化もされた伊集院静氏の「機関車先生」。 子どもの頃の病気で発声が全くできず「口をきかん」ので子どもたちから機関車先生って呼ばれるんだけど、その人が頭もよくて教員免許ももってて、運動もできて、剣道もうまくて、人格者で、やさしくて、こどもたちから慕われまくって、まったく非のうちどころがないんだな(笑) そんなやつ、いるのかよ〜〜(笑) その先生はその優秀さと人格的なすばらしさゆえ、最初だけ反発があったものの「口がきけない」ことがすぐ全く問題にならなくなっていくんだけど、本当にそうだろうか・・・? 「機関車先生」では彼の「思ってることが十分伝えられないもどかしさ」はほとんど描かれていない・・。 あと、違和感といえば「24時間テレビ」もあるけど、長くなるのでまた。 [No.63] 2004/09/14(Tue) 22:48:39 |