ギターの本から(流暢性の違和感のこと) (No.917 への返信) - 一歩一歩  |
2月オンリーの追記です。 ギターの本の中に流暢性のことで、「後期吃音における究極的な目標はすべての場面における自然な流暢性である」というような記述がありました。2月オンリーの場で、ここの文がどうも引っかかるという発言をわたしは行いました。
少し言葉足らずなので、補足します。 (決して他の人に押しつけるものではありませんが)吃音学者のライパーは成人吃音者を何千人と治療したが、ただ一人として(完全には?)治せなかったと書いています(この文章は2月オンリーでコピーを配りました)。わたし自身のことでいうと、多くの吃音者と会い、多くのうわさ話?を聞いてきましたが、完治したという人は一人もいませんし、噂にも上がっていません。(もちろん完治という言葉の意味にもよりますが、ここで突っ込みをいれないでください。) ですから、わたしにとって「すべての場面における自然な流暢性」は、「あなたも100mを10秒で走れます」というようなことであって、とてもとても一般人には最初から不可能な目標だろうと思えるのです。ここから先は考え方しだいかもしれませんが、不可能なことをうっかり目標にしてしまうと、その人が不幸になるとわたしは感じている。そういう意味での違和感を持ったということです。
[No.918] 2011/03/01(Tue) 10:57:10 |