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   雑文 - 一歩一歩 - 2005/05/18(Wed) 21:45:18 [No.317]
Re: 雑文 - タナカ - 2005/05/23(Mon) 20:52:43 [No.321]
Re: 雑文 - あや - 2005/05/21(Sat) 13:30:18 [No.318]
Re: 雑文 - 一歩一歩 - 2005/05/21(Sat) 21:45:46 [No.319]
Re: 雑文 - あや - 2005/05/22(Sun) 09:55:25 [No.320]



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雑文 (親記事) - 一歩一歩

どもりは治るのだろうか。

それは、わたしにはわからない。
でも、あれほど怖かった電話が怖くなくなるときは確かにやって来る。
今のわたしがそうだから。

あれほど嫌だった人前で話すことも嫌でなくなるときはやって来る。
今のわたしがそうだから。

あれほど気にしていたのに。
夜中一人泣いたこともあったのに。
友達が皆自分の人生を選んでいるときに、言葉のことで笑われる無力感。
今日もどもっている、明日もどもっている。
発声練習を何度やっても。。。
体の緊張感を取る催眠。。。
同じことだった。
わたしにとっては言友会も同じことだった。
精神的に楽にはなったけど、それだけだった。

正直に言って、親とも兄弟ともうまくいかなかった。
どもって母親に笑われたときの屈辱感は忘れられない。
みんな、同じことがあるのかもしれない。

それでも、電話が怖くなくなるときは確かにやって来る。
今のわたしがそうだから。


幼稚園。
小学校。
中学校。
高校。
「お腹がすいた」というだけで、1分以上かかる自分がいる。

時は過ぎてゆく。
いつの間にか二十歳になり、就職という壁にぶつかり、落ち着くまでに2年かかった。
就職は幸運だった。幸運以外の何者でもないと思っている。
同期の人たちが宣誓文を読み上げているのに、わたしだけは書き写した。苦手な電話も、上司からは**さんは出なくてもいいですと言われた。
仕事には恵まれたと思っている。
それでも、言葉はでない。スムーズに発声できるのは、調子がいいところ(ときではなく)で数文字だったと思う。
仕事でどうしようもなく電話をするとき、相手に途中で切られることは何度もあった。

無力感。
言葉によるコミュニケーションがとれない虚しさ。
現実的な生活力がないことの情けなさ。

時は過ぎてゆく。
30歳のある日、今でもあの瞬間を思い出す。
順番に大勢の前で挨拶をしたとき、初めて話せる自分、1分間程度だったらどもりながらも何とか話せるようになっている自分が、その場にいることを発見した。
ただ、自分の吃音が良くなった原因はまったくわからない。仕事の節目とか、生活環境の変わり目の時期とずれているし、原因はわからない。
このころでも初めての人との電話は切られていた。
37,8歳のころだろうか、社会的にも多少は認められてきたからだろうか、やっと社会人としての自信がついてきた。やっと一人でも生きていけると思えてきた。
ただ、この自信は30歳のあの日に吃音が改善されていたからこそのものだと思う。基本的な生活力を身につけるだけの最低限のコミュニケーションができるところまでは改善されないと精神的な言葉を何を言っても無理だと思う。

40歳のころ、さらに身振り手振りを加えれば何とか数十分話していられる自分を発見した。
このころ、某所からわたし宛に非常勤講師の依頼がきた。週1回授業を持ってくれないかという話だった。最初は耳を疑った。でも引き受けることにした。授業の最初に、どもることを話して、普通の人の授業と比べれば配付資料とか黒板の板書の量が多くなるかもしれないがと説明して、何とかこなすことができた。この授業は今でも続いている。


51歳の今、思い出す。
吃音に人生を縛られてはいけない。もっと自由にならなくてはと感じ始めたのはいつ頃からだろうか。
40代半ばくらいかもしれない。
そのように考えて初めて自分の人生なり、生き方が楽になってきたのかもしれない。
吃音に悩み抜いて、30年以上経って(40年かもしれないが)、やっとこの考え方にたどりついた。

30年以上かかった。
もっともっと早く気がついていれば楽だったのに。
だから、若い人たちに言いたい。
「吃音に人生を縛られてはいけない。もっと自由に。」
できるだけ素直な気持ちでこの言葉を聞いて欲しい。

でも、このことは他人から言われるのではなくて、自分自身で気がつかないと駄目。

だから、もう十分に我慢しただろうから、自分にできるところから動こうよ。
少しずつでも動こうよ。
そうすれば吃音から自由になることの意味、開放感を感じられるかもしれない。

30年経ってから気がついても遅いんだよ。
もっと自由に。


[No.317] 2005/05/18(Wed) 21:45:18
Re: 雑文 (No.317への返信 / 1階層) - あや

こんにちは。
こちらには初めて書き込みします。
一歩一歩さんの文章がすごく心に染みて、何度も読み返しています。

私は20代の後半ですが、吃音の状態は悪い方で、
年々悪化している気がします。
簡単な言葉なら、なんとか吃りながらも言えるのですが、
説明、となると一切話せなくなってしまいます。
「お腹が空いた」を1分かかって言うのと同じような感じです。

以前、デザイン事務所でバイトをしていた時は、
(そんなに話す仕事ではなかったので)
多少辛くてもなんとか乗り切ることはできましたが、
今は家で過ごすことが多くて、人と話すことが減り、
余計に悪くなってしまったのかなぁ、と思います。

気持ちの面では楽にはなっていますが、
あまりにも悪いので、多少吃ってでも話せるようになれたらいいのに、
と思っています。
一歩一歩さんのように、吃ってでも話せる瞬間というのが訪れたら
本当に素敵なことですね(^^)


[No.318] 2005/05/21(Sat) 13:30:18
Re: 雑文 (No.318への返信 / 2階層) - 一歩一歩

わたしも、今どもっているときに笑われたら、落ち込みます。

どうしても話さないといけない場面があって、そういうとき、
話さなくてはいけないのだからどもってでも話さないと仕方ないだろうと
素直に考えることができるほどには、強い人間ではありません。
人はそんなに急には強くはなれないような気がします。

もとの投稿にあった、わたしが30歳のときのどもってでも
話せる瞬間の話は、実は少し言葉が足りなくて、それ以前は
どもっているときは頭の中が真っ白になってしまって、
発話すること以外は何も考えられなかったのが、
30歳のあのときに初めて「どもりながら話している自分」を意識できた
というようなことです。
ですから、どもりながらでも自分に余裕が出てきたということでしょう。


わたしの場合、年齢を重ねるにしたがって吃音は改善されている
のですが、わたしの吃音改善の最初の段階は
「どもりながら話している自分を意識できた」
ことだと思っています。


[No.319] 2005/05/21(Sat) 21:45:46
Re: 雑文 (No.319への返信 / 3階層) - あや

私も昔の一歩一歩さんと同じで、
親しいほんのごく一部の人を除いて、人と話す時は意識が吃ることに
いってしまって、頭の中が真っ白になります。
自分で何を話したいのかも分からなくなってしまうぐらいに。
吃りながらでも、自分がいいたいことがきちんと言えるようになれたら・・・、そして楽に吃れるようになれたら・・・、と思います。


[No.320] 2005/05/22(Sun) 09:55:25
Re: 雑文 (No.317への返信 / 1階層) - タナカ


私はまだ27ですが、共感する部分が多くありました。
以前は一人で外に出る事にも難儀していたのに、今では曲がりなりにも社会の中で仕事をして自活していて・・。
吃音症状はなんら変わりがないのに、部屋に閉じこもっていたあの頃からは考えられなかった、当たり前の生活しています。
今でも相変わらず、他の非吃音者からすれば当たり前の些細な事に悩み続けていますが、それでも、時には逃げながでらも挑戦してきた結果なのでしょうか。
残り数十年の限られた時間で、どれだけ、出来ること・当たり前の事を増やせるか、それが私の生涯のテーマ・課題なのかなぁーとそんなことを思ってしまいました。


[No.321] 2005/05/23(Mon) 20:52:43
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