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   重い人と軽い人の境界 - 一歩一歩 - 2005/12/08(Thu) 19:31:17 [No.526]
べつの言い方をすると… - こじこじ - 2005/12/08(Thu) 21:20:31 [No.527]
Re: べつの言い方をすると… - 一歩一歩 - 2005/12/09(Fri) 18:13:02 [No.528]
確かに噛み合ってませんね - こじこじ - 2005/12/09(Fri) 20:19:11 [No.529]
Re: 確かに噛み合ってませんね - 耳イヌ - 2005/12/10(Sat) 14:49:22 [No.530]
Re: 確かに噛み合ってませんね - 一歩一歩 - 2005/12/10(Sat) 16:20:02 [No.531]



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重い人と軽い人の境界 (親記事) - 一歩一歩

お気軽掲示板らしい話題を提供します。

重い人と軽い人の違いについてです。わたしは「違う」という意見を持っています。

吃音は、最低限ある水準までは症状が軽くなっていないと、日常生活が成り立たないように感じています。わたしの場合、二十代までは連続して1分以上は発話(ドモル・ドモラナイは関係なく発話です。音を出すことです。)できなかったと思います。肉体的に疲労感を伴ってしまい、喉元の辺りの筋肉の緊張感(疲労感?)がとれなくて、長い発話行為は肉体的に無理だったように思います。この状態だと、電話はもちろんのこと、タクシーもだめ、道を聞くこともできなくなってしまいます。例えば、「お腹がすいた」を言うだけで1分以上かかる状態を想像してください。

そういう肉体状態から抜け出せたのは、わたしの場合は30歳を過ぎた辺りです。切っ掛けとか、原因はわからないのですが、突如として吃音が改善されました。(この改善の話は長くなるので、またの機会に。)

ちょうどその頃からですが、自分の生活ができるようになったと感じていました。だって、タクシーにも乗れるようになったし、一人旅もできるようになったわけですからね。その当時、自分の生活の範囲が広がっていくことに対して幸せに近いものを感じていました。

これは、吃音観とか哲学の問題ではなく、社会人としての基礎能力の問題のように感じています(ここが、今回の投稿のポイントです)。

どんなにドモっても良いからと言っても、一般には相手にも忍耐の限界があります。馬鹿にされようがなんと思われようがいいから、相手の忍耐の範囲内で発話内容が伝わるかどうかが(社会人としての)基礎能力のような気がしています。それができるところまでは症状が軽くなっていないと、やはり苦しい。そこに重い人と、軽い人の境界があるように思う。
重い人の悩みは、基礎能力を持っていない点にあると思う。軽い人の悩みは基礎能力を持っていても有効活用できない点(?)にあるのか。


[No.526] 2005/12/08(Thu) 19:31:17
べつの言い方をすると… (No.526への返信 / 1階層) - こじこじ

う〜〜ん、一歩さん難しく考えてるんですねえ(笑)言いたいことはだいたいわかります。

えーと、わたしは「基礎能力」という呼び方では考えたことないけど、
「生きてくワザ」とか「自分がしたいこと、欲しいのもを手に入れる手段をどれだけ多様に柔軟に(時にはテキトーに)考えられるか」「『声だけで伝える』という方法から必要なときには自由になれるかどうか」というコトバでよく考えます。

一歩さんの言ってることと、重なる部分もあり、また一歩さんの意見の内容が「発話」にこだわっている(ように感じられる)点ではちょっと違ってますね。
「能力」というより、「考え方のちょっとしたシフト」って思うかな。

このまえ吃る友達とレストランで食事して私がメニューを指しながら吃り吃り注文してたら、その友達が「メニューを指しながら注文するなんて勇気があるね〜〜。私は恥かしくてできないよ〜〜」って(笑)
はいはい、食べたいもの食べるためならメニューでも後ろ指でも何でも指しますよ〜〜(^o^)

クリーニング店って、なんでとりつかれたように電話番号毎回訊くかねえ…
そんなときは「自分でかきますっ!」っていつもいってる(笑)

タクシーだって、切符買うときだって、行き先紙に書いて「ここまで」っていったほうが確かに早いやねえ、わたしの場合(笑)

いまのわたしなら「おなかが空いた」といいたくて超難発になったら、迷わす紙に書いて差し出します。「おなかが空いたっ〜〜!!」って(笑)


[No.527] 2005/12/08(Thu) 21:20:31
Re: べつの言い方をすると… (No.527への返信 / 2階層) - 一歩一歩

「重い」というのは、あんまりわかりやすい定義はできないけど、少なくとも今のわたしもこじこじさんも「軽い」方の部類に入ることだけは間違いありません。

「考え方のシフト」では対応できないほどの症状の人という感じかな。


# 吃音の重い・軽いは、主観(自分の美意識との関係)と凄く強い
# 関係があるようで、うまく議論を噛み合わせることが難しいのかも。
# 最初の話題の提供の仕方が難しいですね。


[No.528] 2005/12/09(Fri) 18:13:02
確かに噛み合ってませんね (No.528への返信 / 3階層) - こじこじ

>一歩さん
確かに一歩さんの最初の投稿と、わたしの投稿はちょっと噛み合ってませんね(笑)投稿してから思いました。

*確かに「重い」人「軽い」人というのはいると思うけど、同時に一人ひとりにとって重い場面、軽い場面、重くなる相手、軽くなる相手、がありますね。
そういう意味では、わたしはONLYの仲間と話している場面では無茶苦茶吃音軽いです。けど業務上の連絡の電話では主観ではなくて重いです(笑)

*わたしがひっかかったのは、社会人としての基礎能力の問題という表現だったのかな
実際吃音が「かなり重い」と思っている人が読んだらどんな印象をもってしまうだろう…

*確かに、発話が以前よりラクになったことで、行動が広がる、しやすくなる事はある。同時に発話状態は変わらないけど、行動が広がったり例えば電話をするのを避けなくなったこととかもある。

この問題、少し時間をおいてまた。
最初の話題の「受け取り方」がかなり影響したのかもです。


[No.529] 2005/12/09(Fri) 20:19:11
Re: 確かに噛み合ってませんね (No.529への返信 / 4階層) - 耳イヌ

こんにちは。ひさしぶりにお邪魔させていただきます。

一歩一歩さんの投稿を「吃音の重い人は社会に出るために軽くする必要がある」みたいに受け取ってしまうと、たしかにつらいな〜と感じます。

でも「重い人と軽い人には違いがある」というのを、私は「重い人は症状を改善した方がよい」、「軽い人は症状よりも考え方を変えた方がよい」と受け取りました。ここでの「〜した方がよい」はそうするのが正しいという意味ではなく、どちらかといえばこちらに専念した方が効率がよい、楽であるという程度の意味です。

例えば、吃音を軽くすることよりも、吃音を持ちながら前向きに生きていくことの方に高い価値が置かれているような場があったとして、そこで軽い人が重い人に向かって「治す必要はない」とか「吃音は個性だ」って言うのは理不尽だなぁと思います。
そういう理不尽さに対するストッパーとして「重い人と軽い人には違いがある」という主張には大きな意味があるような気がします。

本当は、重い/軽いってすごく複雑な事柄だし、それ以外にその人の性格や置かれている環境の違いなんかもあって、そういうのを全部合わせたうえで、「吃音者はみんなが違いがある」と言いたいところですが。


[No.530] 2005/12/10(Sat) 14:49:22
Re: 確かに噛み合ってませんね (No.530への返信 / 5階層) - 一歩一歩

耳イヌさん。どうもありがとうございます。

> でも「重い人と軽い人には違いがある」というのを、私は「重い人は症状を改善した方がよい」、「軽い人は症状よりも考え方を変えた方がよい」と受け取りました。ここでの「〜した方がよい」はそうするのが正しいという意味ではなく、どちらかといえばこちらに専念した方が効率がよい、楽であるという程度の意味です。

何だかわかりやすいですね。同感です。


> 例えば、吃音を軽くすることよりも、吃音を持ちながら前向きに生きていくことの方に高い価値が置かれているような場があったとして、そこで軽い人が重い人に向かって「治す必要はない」とか「吃音は個性だ」って言うのは理不尽だなぁと思います。

すごく微妙で誤解を受けやすい議論をはらんでいるところですが、同感です。まあ、吃音に囚われないような吃音観を認識するとして、一方では症状の問題は症状の問題として認識しておかないといけないと思っています。


[No.531] 2005/12/10(Sat) 16:20:02
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