お気軽掲示板らしい話題を提供します。
重い人と軽い人の違いについてです。わたしは「違う」という意見を持っています。
吃音は、最低限ある水準までは症状が軽くなっていないと、日常生活が成り立たないように感じています。わたしの場合、二十代までは連続して1分以上は発話(ドモル・ドモラナイは関係なく発話です。音を出すことです。)できなかったと思います。肉体的に疲労感を伴ってしまい、喉元の辺りの筋肉の緊張感(疲労感?)がとれなくて、長い発話行為は肉体的に無理だったように思います。この状態だと、電話はもちろんのこと、タクシーもだめ、道を聞くこともできなくなってしまいます。例えば、「お腹がすいた」を言うだけで1分以上かかる状態を想像してください。
そういう肉体状態から抜け出せたのは、わたしの場合は30歳を過ぎた辺りです。切っ掛けとか、原因はわからないのですが、突如として吃音が改善されました。(この改善の話は長くなるので、またの機会に。)
ちょうどその頃からですが、自分の生活ができるようになったと感じていました。だって、タクシーにも乗れるようになったし、一人旅もできるようになったわけですからね。その当時、自分の生活の範囲が広がっていくことに対して幸せに近いものを感じていました。
これは、吃音観とか哲学の問題ではなく、社会人としての基礎能力の問題のように感じています(ここが、今回の投稿のポイントです)。
どんなにドモっても良いからと言っても、一般には相手にも忍耐の限界があります。馬鹿にされようがなんと思われようがいいから、相手の忍耐の範囲内で発話内容が伝わるかどうかが(社会人としての)基礎能力のような気がしています。それができるところまでは症状が軽くなっていないと、やはり苦しい。そこに重い人と、軽い人の境界があるように思う。 重い人の悩みは、基礎能力を持っていない点にあると思う。軽い人の悩みは基礎能力を持っていても有効活用できない点(?)にあるのか。
[No.526] 2005/12/08(Thu) 19:31:17 |