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No.697に関するツリー

   いつの時代にも - エリ - 2007/07/23(Mon) 17:03:55 [No.697]
Re: いつの時代にも - くま - 2007/07/24(Tue) 23:02:49 [No.702]
[削除] - - 2007/07/24(Tue) 22:25:26 [No.700]
Re: いつの時代にも - こじ - 2007/07/23(Mon) 19:50:43 [No.698]
Re: いつの時代にも - エリ - 2007/07/24(Tue) 16:20:25 [No.699]
最近、考えます・・・。 - せいたか - 2007/07/24(Tue) 22:33:42 [No.701]
いろいろと - エリ - 2007/07/26(Thu) 17:32:17 [No.706]
Re: いろいろと - せいたか - 2007/07/28(Sat) 00:26:42 [No.708]



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いつの時代にも (親記事) - エリ

少し前に、図書館でマイクロフィルム化された1930年代の日本の雑誌を閲覧しました。取っ手をごりごり回してコマを進めながら、当時の日本の様子について斜め読みしていると、突然「ドモリ」というでかでかとした三文字に目がとまりました。すでに薄くなってしまっている文章の部分の活字に目を凝らすと、どこかの国の吃音博士が画期的な吃音治療法を発明したという宣伝広告でした。

「なんとか博士(←名前を忘れました)が、画期的などもり治療法を開発されました。これまでどもりにさんざん苦しまれたあなた、これでどもりともおさらばです。さっそく今日にでも申し込まれよ」というような文章と共に、住所と電話番号が書かれていました。

ひげもじゃの外国のおじいさんがいやに生真面目な賢そうな表情をした写真といい(笑)、どうみてもインチキめいた感じの広告でしたが、この記事に目をとめ、食い入るように広告を見つめたかもしれない1930年代の日本の吃る人たちのことをしばし想像してみました。その中にはその後戦争で亡くなった人も少なからずいたことと思います。

その雑誌広告の時代から、歳月は流れに流れて、1990年代前半。当時高校生だった私は(年齢がばれますが・笑)、父親が買ってそのへんに置いていた週刊文春(新潮だったかな)を大人ぶって読んでいたところ、「吃音矯正バンド」なる広告に目がとまりました。「吃音」の文字さえ普段目にすることはまれで、新聞などでどこかに「吃音」の文字のついた記事はないかと日々ひそかに探していた当時の私には、非常な驚きでした。矯正バンドなるものに関しては、「バンドをつけて吃音が治るなら、誰も苦労しないよ・・・」と、なんだかトホホな気分になって力が抜けたのを覚えています。しかし、「吃音」の文字を雑誌上で見つけただけでも、少しホッとしたような気がしたことも確かです。

そして2007年の現在。吃音に関する情報は、インターネットがなかった時代とは全く比べものにならないぐらい、手に入りやすくなりました。昔の吃る人たちがさぞうらやましがることと思います。少し前にオンリーでも「インターネットと検索」という話題が出たそうですが、こじさんが「『吃音』で検索をかけているその『数』の向こうにある姿を想像して、なんだかいとおしく感じたりした」と書かれていたのが印象的でした。

雑誌広告やインターネット上で吃音について書かれた活字の向こうにいつの時代にもいる(いた)吃る人たちの姿を、私も想像してみました。私が見つめている文字を、どこかで他の吃る人たちも見つめている。なんだか少し不思議な気もします。

10年後、30年後、50年後には吃音と活字情報の関係はどうなっているでしょうか・・・?


[No.697] 2007/07/23(Mon) 17:03:55
Re: いつの時代にも (No.697への返信 / 1階層) - こじ

お、エリちゃん。なかなか長編だね(笑)

「週刊誌」の矯正バンドの宣伝みてすぐ飛び付かなかったのは、なかなか高校生ながらいいセンスしてたね(笑)
わたしもそうだったけど、確かにかなり前は週刊誌の広告などで「吃音矯正・3週間で完治します!」なんてコピーが唯一の情報だったわけだけど、そのころの人たちは、そういうわずかな情報はあっても、同じどもる仲間がどこらへんにいて、どもることどんな思いや考え方、立ち向かい方?みたいなものをもっているか…なんていう情報は、全くといっていいほど得られなかったんだよね。
だから、矯正所で、多くのどもる大人たちに出会った時は夢のように嬉しかったんだよ。矯正所の功罪の唯一の「功」の部分はそれだな。あ、あと「どもりはそう簡単には治るもんじゃない。ましてや3週間では完治なんてせん」ってことを身にしみてわからせてくれたこともね。
あと、中学生のとき「どもったままでは大人になって生きていけない。だから治らなかったら死ぬしかない」って思ってたけど、矯正所にいったら、どもる大人たちがゴロゴロいてね(笑)ああ、死ななくてもいいか…って。
そういう点では今はネットでいろんなどもる仲間の情報も得られやすくなっていると思うね。

でも、一方でネットで溢れるくらいのいろんな情報は得られるけど、やっぱり生身の人と人との現実の出会いのなかで感じたことが、じぶんの中の実として確実に育っていくような気がしてるの。
だから匿名でのネットの掲示板やメールだけで会ったこともないどもる仲間と延々やりとりするだけじゃなくって、一歩踏み出して現実の仲間と会えたら、そしてネットの情報がその手がかりとして使えたら、素敵なことだなあと。
もちろん、地方のそうそう街中に出かけられない地域に住んでる人や、移動にハンディを持つ人や、極度に不安が強くて家から出られない人にとっては、大事なツールではあると思うの。そして多くのひとにとっては、そこからなにか拡がるツールであればいいのかなあ…と思ったりする。

「でかでかとした3文字」で思い出したけど、昔大学が原宿にあったのね。
いまはもうないと思うけど、原宿の駅前に心理クリニックみたいなところがあってね。そのホームから真正面に見えるビルの2階の窓に、すっごくでっかく、窓1枚に一文字って感じで「ど・も・り」って書いてあってさ〜〜。
いや〜〜、毎日その文字を見ながら学校行ってたの思いだしたよ(笑)

あとさ、視覚障害の人のための「音声で動くパソコン」などが開発されているけれど、以前テレビで一般の人向けにも開発している取組みをやっていて、青ざめたことがある。万が一喋ってワードを書いたりメールを送るのが一般的になっちゃったら、またまたどもる私たちはエライ苦労をすることになるもんね(笑)メール一本ちょっと送るにも時間かかってしゃあないよね。
でも、そういうのは一般にはまだまだ普及しないだろうと安心してるけど(笑) エリちゃんにつられてつい、長編書いちゃいました。


[No.698] 2007/07/23(Mon) 19:50:43
Re: いつの時代にも (No.698への返信 / 2階層) - エリ

そうですね、インターネット上のやりとりだけではなくて、実際に同じ吃る人たちに会って話すということは大事ですね。私は5、6年ぐらい前に吃音に関するいろいろな掲示板やHPがあることを知って、目の前がひらけたような気がしましたが、吃ることでにっちもさっちもいかない状態だったところから前に進むことができたのは、やはり実際に吃る人の集まりに参加するようになってからでした。もちろん、インターネット上のいろんな人の書き込みからも、いろいろ良い影響をもらっているのですが。

窓一枚に一文字で「ど・も・り」ですか。。。ご丁寧にそこまで大きく書いてくれなくても、という感じですね(笑)。原宿駅前にあったのですか。それにしてもデリカシーないですよねぇ。そこに通う人も、中に入りにくくてしょうがないと思うのですが(^^;)

音声で動くパソコンのこと、知りませんでした。せっかくメールができるようになって楽になったのに、一般に普及してくれては、こちらにとってはちょっと困りますね。。。


[No.699] 2007/07/24(Tue) 16:20:25
[削除] (No.697への返信 / 1階層) -

この記事は投稿者により削除されました

[No.700] 2007/07/24(Tue) 22:25:26
最近、考えます・・・。 (No.699への返信 / 3階層) - せいたか

エリさんの文からは、歴史の流れみたいなものを感じられますね。
読み物として面白い。

匿名で、ネット上で吃音を語り合うことは便利なことであり、とても大切ですね。
ただ、だからこそ、こじさんが言われるように、生身の吃音を持った人同士の付き合いの必要性を、最近痛切に感じるようになりました。
生身の人の温かさを感じることで、無意味な議論の暴走に歯止めをかけることができる(そういえば、私こじさんのところで過激な発言をしていますね。すみませんね。)し、安易に薬に走ったり“ボッタクリ”と分かっている吃音矯正を受けなくて済みました。

東京正生学園に行って、多くの吃音を持つ仲間と出会えたたことは、私にとって大きな体験でした。
最近、ネットを覗くと、この人たちは人と会って話して、その人に流れている温かい血を感じているのだろうか?と感じさせられることが多くあります。
本当は田舎に引っ込んで、“せいたか村”などと自己満足に浸っていたいけど、柄になく出しゃばってしまったり・・・。
ひょっとしたら、私が、田舎に引っ込みすぎて生身の人の温かさを忘れていたりして・・・。


[No.701] 2007/07/24(Tue) 22:33:42
Re: いつの時代にも (No.697への返信 / 1階層) - くま

エリさんの文を食入る様に読んでしまいました。
あの治療法で治った人も、もしかしたらいたのかな_?

小学生低学年の頃に母親と買いもに行くと、電柱にどもり治ります。
っと言う広告が貼ってり、それを見るたびに母親に
一緒に行ってっと話そうかと悩んだ時期もありました。

今思うと、「どもり」っと言う文字にはそんな小さい頃から
敏感に反応していたのだなっと思い出しました・・・。


[No.702] 2007/07/24(Tue) 23:02:49
いろいろと (No.701への返信 / 4階層) - エリ

クマさん、せいたかさんの投稿を拝見し、いろいろと思い出したり考えたりしました。

クマさん、はじめまして。昔、電柱に「どもり治ります」という貼り紙があったのですね。私はおそらく見たことないと思うのですが、どうだったかな・・?現在はほとんど見かけませんよね??

話はちょっとずれてしまいますが、「どもる」という言葉に反応するということに関して考えると、高校一年の時、数学の授業で「ド・モルガンの法則」というのを学んだことを、今思い出しました。「ドモルガンの法則にあてはめると〜」などと先生が説明するたびに、冷や冷やしながら「ドモルガン、早く終われ〜!」と念じていたのですが、数学のおじいさん先生がその法則をお気に入りだったようで(笑)、みっちり勉強させられました。先生がハツラツとした声で「ド・モルガン」と連呼するのを耳にするたび、クラスの人が私のことを見て笑っているのではないかと思い込み、本当にいたたまれなかったです・・・(^^;)

せいたかさんのおっしゃる、生身の人の温かさを感じるということ、本当に大切ですね。吃音に関してであれ、別の事柄についてであれ、ネット上で結局は本題から外れて、揚げ足取りに終始してしまっているような議論を読むと、活字によって暴走してしまうことの怖さを感じます。

私にとっては、吃音に関する掲示板やHPを初めて見つけてから、ネットの投稿を読むだけの時期がしばらく続きましたが、その後、実際に吃る人たちの集まりに参加するようになってから、吃る自分の輪郭(?)が少しはっきりしてきているような、そんな感覚もあります。輪郭がはっきりしてくると、少し楽になったような気もします。うまく言えないのですが。


[No.706] 2007/07/26(Thu) 17:32:17
Re: いろいろと (No.706への返信 / 5階層) - せいたか

私も「ド・モルガンの法則」に反応しました。
やはり、おじいさん先生。
わざとらしく何回も言ってるうな気がして、そしてクラスの連中が内心私のことを笑っているのではないか、と妄想を膨らませました。
一度膨らんだ妄想は、どこまでも膨らむんだね。
「ド・モルガンの法則」って、数UBでやらなかった?

自分の輪郭がはっきりする・・・?
身体図式がはっきりする、アイデンティティがはっきりするということですか?
辛いときには、引きこもってエネルギー補給して、次に仕切りなおしをするとか、やりたいことがはっきり見えてくると思うのですよ。
遊びたいときに遊び、でもしっかりと働くとか・・・。
輪郭がぼやけていると、不安だから硬い対応しかできないのではないかな?
要は創造的退行というやつ・・・。
ちょっと教科書的ですね。
ちょうど、今そんな本を読んでいるもので、受け売りしました。
受け売りの言葉は説得に欠け、安っぽいですね。
まあ、勉強、勉強!


[No.708] 2007/07/28(Sat) 00:26:42
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