普段からよく会う人と接しているときに、話したいことがあるのに話さない。このときのことを少し想像してみましょう。
まずは少し別な観点からですが、自分の吃音のことではなくて相手に対しての感覚(?)ですが、ときどきこの人はわたしに対して心を開いていないと、あきらかに言いたいことがあるのにぼかすだけで、表面だけの挨拶だけで終わっていると感じることがあります。そういう人は、わたしは信用できない。ある程度は心を開いて、お互いに話さないと信頼関係は生まれないと思っています。一般的にもそうではないでしょうか。
だから普段からよく会う人に吃音が恥ずかしいから話さないということを繰り返していると、相手にとってみると「この人は自分を信用していない」という感覚に直結してしまう気がしています。毎日その人と接していると、他に話したいことがあるかないかは自然にわかりますよ。それでも話さないのは実は周りの人をその人自身が信用していないという証になると思っています。
吃音が恥ずかしいから話さないという、自分だけの思いは、自分の信用問題と直結していることがあると思いましょう。周りの人はわかっています。この人は話したいことがあるのに話さない人だということを。
人との信用を得るためには、(ある程度の)自己開示が必要なのではないかと思っています。吃音者の場合は、ドモって話すだけで小さな自己開示に繋がるのではないのか。そこから信用が生まれるのではないか。
[No.782] 2008/08/13(Wed) 12:43:10 |