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   気楽にどもる - 一歩一歩 - 2011/02/27(Sun) 16:36:35 [No.917]
2月オンリー追記その2 - 一歩一歩 - 2011/03/01(Tue) 11:17:42 [No.919]
ギターの本から(流暢性の違和感のこと) - 一歩一歩 - 2011/03/01(Tue) 10:57:10 [No.918]



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気楽にどもる (親記事) - 一歩一歩

2月オンリーで、バリーギターの「吃音の基礎と臨床」の解説を行いました。そのとき、いわゆる「どもらずに話す派」と「楽にどもる派」の話が一つの軸になって話しました。「楽にどもる派」の主旨は、最後に配ったライパーの文章によく現れています。

ちょっと思いついたので、メモ代わりに書いておきますが、「楽にどもる」ではなくて「気楽にどもる」でいいのではないか。あんまり堅いこと考えないで、気楽にどもって、各人各様の幸せを目指していけばいいのではないか。

どうだろうか。


[No.917] 2011/02/27(Sun) 16:36:35
ギターの本から(流暢性の違和感のこと) (No.917への返信 / 1階層) - 一歩一歩

2月オンリーの追記です。
ギターの本の中に流暢性のことで、「後期吃音における究極的な目標はすべての場面における自然な流暢性である」というような記述がありました。2月オンリーの場で、ここの文がどうも引っかかるという発言をわたしは行いました。

少し言葉足らずなので、補足します。
(決して他の人に押しつけるものではありませんが)吃音学者のライパーは成人吃音者を何千人と治療したが、ただ一人として(完全には?)治せなかったと書いています(この文章は2月オンリーでコピーを配りました)。わたし自身のことでいうと、多くの吃音者と会い、多くのうわさ話?を聞いてきましたが、完治したという人は一人もいませんし、噂にも上がっていません。(もちろん完治という言葉の意味にもよりますが、ここで突っ込みをいれないでください。)
ですから、わたしにとって「すべての場面における自然な流暢性」は、「あなたも100mを10秒で走れます」というようなことであって、とてもとても一般人には最初から不可能な目標だろうと思えるのです。ここから先は考え方しだいかもしれませんが、不可能なことをうっかり目標にしてしまうと、その人が不幸になるとわたしは感じている。そういう意味での違和感を持ったということです。


[No.918] 2011/03/01(Tue) 10:57:10
2月オンリー追記その2 (No.917への返信 / 1階層) - 一歩一歩

2月オンリーの場では、最後の締めの言葉にしました。敬意を表して。

これまでの長澤先生たちのグループの仕事は、日本の吃音者にとってみれば足をそちらに向けては眠れないような業績だろうと感じています。この場を借りて御礼を申し上げます。

ヤフーその他の検索エンジンなどで、「科研費 吃音」とかと検索してみてください。国のお金を使って、今、どれだけ研究が行われているかわかります。30年前には考えられなかったことです。これは一つ一つ、他方面にわたって仕事を積み上げてこないと予算は降りないので、長年のご苦労のほど想像もできないほどです。ありがとうございます。


[No.919] 2011/03/01(Tue) 11:17:42
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