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> > > めったに読まない夕刊フジのネットニュース、記事によると百田氏が何か言ってるようで・・ > > > > > > ============================================================ > > > 『前出の百田氏は「『表現の自由』は無制限ではない。それを許してしまうと、人種差別や名誉毀損(きそん)も、『芸術』という看板を掲げれば可能になってしまう。あいちトリエンナーレはここを逸脱した。慰安婦像はアートとはいえない。反日プロパガンダのモニュメントだ。百歩譲って、大村氏がそれでも戦うなら税金を投じてやるべきではない。憲法12条の『公共の福祉』に忠実でなければならない」と語っている。〈一部抜粋〉 > > > ============================================================ > > > > > > 百田氏は「『表現の自由』は無制限ではない。それを許してしまうと、人種差別や名誉毀損(きそん)も、『芸術』という看板を掲げれば可能になってしまう。」・・尤もらしいこと言っていますが、「平和の少女像」を「反日プロパガンダのモニュメント」、と言ってる時点でアウトでしょう。百田氏の発言が明らかに公共の福祉に反していると思いますが、どうでしょうか? > > > > あの展覧会は゛表現の不自由展゛。 > > つまり、展覧会の制作者は、この国には表現の自由が無くなってしまった、と言うことを表現したかったと言う事なんですね。 > > > > 河村名古屋市長の発言。圧力。 > > ファクスやメールによる抗議。 > > > > これらにより、この国に表現の自由がないと言う事が明らかにされました。 > > > > 表現の不自由展の主催者はまごうことなくこの状況を喜んでいるのではないかと私は思っています。 > > 本件を検閲とするには判例上無理がありそうです。 > 何故ならば他の手段での発表は権力によって禁止されてはいないし、網羅的一般的に網をかけられたわけではないからです。 > > ただし、河村市長の日本人の心を踏みにじる云々発言は事実でも無く個人的思い込みに過ぎず、しかも地方自治体の長という行政権力の不当行使が憲法違反である事は疑いありません。 > > 百田はお得意の、ウヨにありがちなうわべだけの人権論を展開していますが、反日プロパガンダという珍妙な表現では公共の福祉で対抗はできないでしょう。 > > 従軍慰安婦の存在は疑う事無い事実ですし、少女像はアートです。 私はあの「平和の少女像」は、戦争と暴力の犠牲になった少女たちの象徴で、二度とあんな惨いことが繰り返されない様にという祈りが込められているのだと感じました。 百田氏の「反日プロパガンダのモニュメント」という発言の根っこにあるのは『従軍慰安婦』はなかったとする「歴史修正主義」だと思うのです。 歴史の事実を歪曲して「平和の少女像」を「反日プロパガンダ」だと攻撃すること自体、元従軍慰安婦の方々の気持を深く傷つけているのだと・・これは「個人の人権を制限する根拠は、別の個人の人権保障にある」、とする「公共の福祉」の制約に反した発言ではないか、と考えたのです。 > > 幾ら何でも主催者は喜んではいないと思いますよ。覚悟を持って争わないといけません。 [No.27401] 2019/08/12(Mon) 11:39:26 |
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