MH「神の宿る島」二次募集(全3回、11/15) - モリアーティ - 2020/11/15(Sun) 22:16:56 [No.1332] |
└ 振り返り(2話クライマックス直前まで) - モリアーティ - 2021/01/09(Sat) 12:49:31 [No.1354] |
└ 不死鳥の聖衣(12.2更新) - MK2 - 2020/12/01(Tue) 01:50:17 [No.1337] |
└ 不死鳥の聖衣Lv13 - MK2 - 2021/01/06(Wed) 23:26:41 [No.1351] |
└ 不死鳥の聖衣Lv10 - MK2 - 2020/12/19(Sat) 03:01:47 [No.1340] |
└ トンボじゃない龍だ!な武者ヒーロー(12/12) - 納豆弾 - 2020/11/30(Mon) 23:30:42 [No.1336] |
└ 設定とか - 納豆弾 - 2020/12/03(Thu) 02:25:27 [No.1338] |
└ トンボ龍武者Lv13 - 納豆弾 - 2021/01/11(Mon) 00:10:31 [No.1355] |
└ トンボ龍武者Lv10 - 納豆弾 - 2020/12/20(Sun) 00:15:16 [No.1341] |
└ 怒りの化身(12/3更新) - ゆづき - 2020/11/29(Sun) 21:29:56 [No.1335] |
└ 怒りの化身Lv13 - ゆづき - 2021/01/03(Sun) 11:34:40 [No.1349] |
└ 怒りの化身Lv10(12/23 設定追記) - ゆづき - 2020/12/19(Sat) 00:30:28 [No.1339] |
何か長くなったのでこちらに。 ■設定 子供の頃は田舎で祖父から“三保時流武行術”を教えられながら過ごしていたが、大学時代、祖父が蒐集した骨董品を整理していた時、古いトンボ玉を手にした事で、トンボ玉に封じられていた“邪龍:キリュウ”と邂逅する。 仙人によってトンボ玉に封じられたキリュウは、善行を積まなければ封印が解けない為、現代において最高の善行であるヒーロー活動を赤鉦にさせようと、あの手この手で誘導しようとし、赤鉦もまた偶然にもヴィラン関連の事件に巻き込まれた事もあってキリュウと契約。ヒーローとしての活動に身を投じていく。 城南大学の卒業生。“三保時流武行術”に伝わる、奥義が書かれたとされる推定不可能な古代文字で記された秘伝書から、奥義を復元する事を祖父から引継いでおり、その解読の為に城南大学卒業生としての伝手を使って「久那土・沙夜香(クナト・サヤカ)」と出会った。 基本的に生真面目で不器用な陰のある性格で、若干暗黒星人みがある赤鉦に対し、自身の境遇や記憶喪失を気にしないマイペースでおおらかな性格の「久那土・沙夜香(クナト・サヤカ)」に次第に心惹かれるようになり、不器用ながらも告白し、婚約にまで漕ぎ付けていた。 しかし、「久那土・沙夜香(クナト・サヤカ)」は竜頭の怪人に殺され、死体すら消えた事により、赤鉦は精神的に追い詰められ若干頭がおかしくなる。 竜頭の怪人をぶっ○す為に日々思い詰めるようになり、「久那土・沙夜香(クナト・サヤカ)」と出会う切欠となった未だ未完成である“三保時流武行術”の奥義を以って仇討ちを完遂せんとする。 ■変身した姿 キリュウと融合する事で変身する。龍の骨を鎧としたような姿であり、彼の姿を見た者は初見では大概、トンボ怪人と呼ばれる。実際、兜の額にはトンボのような飾りがついており、兜も 卒 のような形で、上下のカバーが開いて両目のような2つの水晶が輝く演出がなされる。 最も、キリュウは自分は龍であると主張しており、それを受けて赤鉦は、キリュウは恐竜の首長竜のような竜だったのではないかと考察している。 使う得物は青龍偃月刀…のようなキリュウの尻尾部分を武器に転用したもの。 この武器を扱うべく、“三保時流武行術”の薙刀の型を崩していった結果、先祖帰りして“三保時流武行術”の伝来時に伝えられていた本来の青龍偃月刀による戦闘技術へと至った。 未完成の奥義は名前もまだ解っていない。ただ、現在のところ、跳躍と共に青龍偃月刀の重量を利して空中から刃を叩きつける形まで出来ている。 ■“三保時流武行術”(みほときりゅうぶぎょうじゅつ) 一.必然の時。 二.必至の時。 三.必定の時。 この三つの時に備えて心を保(やす)んずる為に詰む武の行(ぎょう)。 之を三保時の武行と心得て、只人に伝えん。 古くは中国より伝えられ、仏教と結びつき僧兵に伝授されてきた名も無き古武術。本来は中国で用いられてきた武器に応じた戦闘技術であったが、日本の武器に応じたものへ姿を変えた。例えば、青龍偃月刀の技法は薙刀術へと応用され、一部の僧兵達によって振るわれてきた。 しかし、戦国時代の終わりと共に僧兵も終焉へ向かうこととなり、この名も無き古武術も息絶えるかと思われたが、ひっそりと百姓の鋤や鍬を振るう仕草にその技法を紛れ込ませ、“御穂説流(みほとけりゅう)”として息を継ぎ、その後も一揆などに参加した一部の者にその仕い手がいたとされる。 そうして静かに、しかし強かに姿を変え続け、現代にまで伝承に成功したのが現在の“三保時流武行術”である。 [No.1338] 2020/12/03(Thu) 02:25:27 |