線香花火をとても大切そうに見守る君が愛しくて、僕は綺麗なその後ろ姿をいつまでも見つめていた。
『線香花火』
夏の暑さを和らげる夕闇の涼しさと夏の暑さを引き立たせる屋台の熱気。
たくさんの人がすれ違い行き交うアスファルトの道。
カランコロンと下駄を鳴らしながら賑やかな通りを二人、ゆっくりと歩いていく。
ほんのりと鼻をくすぐる甘い匂いが微かに感じられるほどの距離、横顔の君に見とれる。
一ヶ月前、思い切ってこの夏祭りに誘った。
勇気を振り絞ってかけた電話、彼女のそっけないほどにすんなりとした返事が思い出される。
正直無理だと思ってた。
学校中の男子に告白されて他の高校からも追っかけが来るぐらいの君だから、クラスで特に目立つ訳でもない、いたって普通の僕に振り向くことなんて無いと思っていた。
それも夏祭りの一ヶ月前…
この夏祭りで告白を狙うことは、もはや男女ともに定番ともなっているといってもよかった。
そんな状況で、君が誰からも誘われなかったとは考えにくい。
いや、きっと僕が誘った時点で校内外を問わず何人もの男子から誘いを断っていたことは間違いないだろう。
なんで…僕だったんだろう?
素朴な疑問。
いくら彼女を見たって分かるはずのないことなのに、微かな表情の変化を見つけようと彼女の後ろ姿を、横顔をボーッと眺める。
「ん?どうかした?」
ドキッ
思い切り目が合ってしまった。
僕の体は金縛りにあったかのように固くなる。
「あ、いや、何でもないよ」
「ふーん。ならいいや」
彼女はそう言うとまたクルッと前を向き、歩き出す。
どこと無くそっけない態度。
でも…、だからこそ踏み込んでみたくなる。
「西野…さん、何か欲しいものない?ほら、花火見るときにさ、」
声の震えを抑えて目の前の少女に尋ねる。
彼女はこっちへ振り向くとどこか不機嫌そうな顔で僕を指差した。
「なーんかよそよそしいなー。自分から誘っといて。明らかに嫌悪感を示した『さん』付け。仮にもクラスメイトでしょ」
「ごめん…、にし…の」
彼女の勢いに圧されて途切れ途切れにそう言うと彼女は「よろしい!」と言ってニカッと笑った。
「花火上がるまでまだ時間あるから少し遊んでいこうよ。ほらっ」
「わっ」
いきなり繋がれた手は白くて、なめらかで…その感触は否応なしに僕の胸の鼓動を高くする。
浴衣の西野に引っ張られて夏祭り。
屋台のお面にかき氷、金魚すくいにでっかいわたあめ…
幼い子どものようにはしゃぎまわって笑い合う。
懐かしくて、新鮮なこの気持ち。
この時間がずっと続けばと、心の奥で僕は思う。
それでも夜は待ってくれない。
やがて日が沈み、闇の訪れを知らせる今日だけの時砲。
ドォーン、ドドォーン
「あ…」
地鳴りのような音に振り返り、空を見上げた僕は声を漏らした。
そして西野も僕につられるように空に目をやる。
「始まったんだ。ごめん、つい夢中になって…時間忘れてたね」
「いや、全然いいよ。それよりもっとよく見えるとこに行こうか。ここじゃあちょっと…」
「うん、そうだね。花火見に来たんだし、せっかくだからもっと近くで」
幸せなこの瞬間が終わってしまうことを残念に思う気持ちもあったけど、勢いよく空に舞い上がる大きな玉は西野との時間そのものの終わりを告げるものではない。
僕たちはまだ、一緒にいられる。
二人で並んで河原への道を歩く。
その行動は今ではもうごく自然なものとなっていた。
それは夏祭りという特別な時間の魔法の所為なのだろうか。
河原に下りるとそこはたくさんの人で埋めつくされていた。
その中になんとかスペースを見つけて僕たちは腰を下ろした。
僕が西野の浴衣が汚れないようにと鞄から取り出したシートを敷くと西野は「小学生の時の遠足みたいだね」と無邪気に微笑んだ。
きっと二人の距離は縮まっている。きっと…
ドォーン、ドドォーン
二人並んだ目の前で弾ける色とりどりの光の花に目を奪われる。
ザアァ…
微かに聞こえる川のせせらぎが心地良い。
ドォーン、ドドォーン
そんな静かな、澄んだ空気の中で僕たちは夜空をじっと見つめる。
打ち上がる花火は終わりに近づき、ふと気がつく。
せっかくの二人の時間、花火に見とれて西野と話せていなかった。
かといって河原での時間が居心地の悪いものであったわけでは決してないのだけど…、それでも何か話さないといけないと、僕は思う。
「花火、綺麗だね。なぁ、西野」
ありふれた感想でも別に構わなかった。
ただきっかけが欲しかっただけ。
でも…
「…西野?…」
その表情は暗闇でよく見えない。
見えないけど…
自然と鼓動が高まる…。
…確かめたい、でもまだ知りたくない…
ドォーン!!!
そのとき、ひときわ大きな花火が空高くで弾け、僕の呼び掛けに反射的に振り向いた西野の顔を明るく照らしだした。
…やっぱり…
「…あ…」
目が合った瞬間、西野は素早く顔を伏せた。
そしてそのままとまどう僕に対して呟くように言う。
「ごめんね、驚かせちゃって…。何でもないから気にしないで…」
「何でもないって………」
『そんなわけ無い』
言いかけた言葉を飲み込んだ。
そんな簡単に西野の心に踏み入る権利なんて、僕には無い。
僕と西野。近づいたと思えてもそれはきっと魔法にかけられた今という時間の所為。
僕と彼女はこの夏祭りで花火を一緒に見た。
ただそれだけの関係。
まだ、それだけの関係なんだから。
「ごめん、しんみりしちゃったね」
しばらくすると西野は明るい声でそう言った。
「いや、そんな謝ること…」
僕は、西野の目を見れなかった。
何だか一度近づいたものがまた離れていくような…そんな感覚が僕の中に渦巻いていた。
涙の真意は分からないまま夜の闇に溶けていく。
知りたい。だけどもう、あと少しすれば君は僕の前から姿を消してしまう。
二人にかけられた魔法は、解けようとしている。
まだ…、一緒にいたい…
「ねぇ…」
そんなとき、ささやき混じりの君の声が僕の耳に届く。
「…二人で花火…しよっか?」
僕は思わず顔を上げた。
僕たちはまだ、もう少しだけ一緒にいられる。
夏祭りの会場の中心から少し離れた河原。
コンクリート護岸の上に立てた小さなロウソクに灯を燈す。
幸い夏祭りの会場から近かった僕の家から持ってきたバケツを横に、少しのわがままが叶った魔法の時間。
西野はさっき買った手持ち花火のパックを両手で持ちながらご機嫌そうにしている。
「花火大会で見る大きな花火もいいけど、夏と言ったらこれしなきゃね。記念すべき一本目、はい!」
記念すべき一本目に選んだ花火を西野は僕に差し出す。
「ありがとう」と受け取り、ロウソクに近づけようとすると西野からストップがかかった。
「もう、淳平くんはせっかちだなぁ。一本目くらいは一緒に付けようよ、ね?」
かわいく微笑む西野。
そんな顔で「ね?」なんてお願いされると、きっと誰も断れない。
きっと夜の闇の中でも分かるくらいに、今、僕の顔は真っ赤だろう。
「じゃあ『せーの』でいくよ。はい、せーのっ!」
西野の合図で二つの花火から勢いよく火花が飛び出す。
「うわっ、すごい綺麗。ほら、淳平くん」
「うん…、綺麗だ」
同じ手持ち花火でも西野が持つと何だか余計に綺麗に見えた。
「見て、淳平くん。さて、今なんて書いたでしょう」
「『つかさ』って、自分の名前書いただろ?」
「へっへー、正解!」
僕の答えに満足気な顔で笑う西野。
無邪気にはしゃぐ西野は僕の前で次々にいろんな表情を見せていく。
そんな西野に僕はまた見とれる。
その姿はさっきの涙なんて想像も付かないくらいに明るくて、僕は少し安心した。
楽しく跳ね回る西野によってどんどんと火花の絵が描かれていく。
まるで魔法使いの持つステッキのよう、西野は僕の心に魔法をかける。
そして、花火は最後の一種類を残すのみとなった。
「最後はやっぱりこれだよね!」
そう言って西野が取り出したのは線香花火。
どこか懐かしさを誘う、か細い花火。
「なんか懐かしいね。どっちが長く続くか競争しなかった?」
「小さい頃はよくしたなぁ。俺はあんまり長く持たなかったけど…」
「そうなんだ。あたしは結構自信あるよ。競争、する?」
「うん。せっかくだししてみようか。どのくらい持つかなぁ…」
「よーし、じゃあ準備して、淳平くん。それじゃあいくよ。せーの」
ジュッ
にじんだ音を立ててオレンジ色の火が灯る。
やがて花火の先端の小さな玉がパチパチと弾けはじめる。
バチッ、バチッと時折少し大きめの音を出しながら、小さな火の玉が静かな火花を散らす。
二つの花火が並んでいる。
同じように優しい光を放ちながら。
二人の間に灯された、ぼんやりとした明かりを僕はじっと見つめる。
寂しくて、切なくて、あたたかな、懐かしい香り。
消したくは無い、この想い。
そんな気持ちとは裏腹に終わりは突然訪れる。
ビュウウッ
…ポタッ
「…あっ…」
「…落ちちゃった…」
しばらく明かりの無くなったその場所を見つめる。
寂しさが、込み上げる。
線香花火が奏でた微かな音が消え、二人の間に静寂が訪れる。
僕の声は、それを埋めるように、まるでそれが当然のように…
「ねえ、なんで…泣いてた…の…?ごめん、図々しいのかな…こんなこと聞くのは…」
始まりの言葉は意識するわけでもなく、あまりに自然に僕の口を零れ出た。
まるで眠りにつく前の他愛も無い会話のよう、ささやき声が優しく響く。
「…ちょっと…昔を思い出しちゃった…かな」
「…そっか…」
詮索はしなかった。
西野の背後に見え隠れする男の影。
動揺もしなかったし、むしろそういうことはあって当然だと思っていたから。
もしかすると『昔』という言葉に、僕は少し安心したのかもしれない。
でも、いいんだ。
僕の目の前に西野がいる。
今は、それだけでいい。
それだけは確かなことだから。
顔は上げずに、もう光を失った花火の先を見つめたまま…二人の会話は静かに続いていく。
「西野…、もう一つ聞いてもいいかな?」
「うん…、いいよ…」
「なんで…俺と一緒に夏祭り、行ってくれたの?」
これほど遠慮なく言葉が出てくることが自分でも不思議だった。
西野の答えを怖がる気持ちも無かった。
「…興味があったから、君に…」
トクンッ
胸の奥で小さな音がした。
怖さが、少し見えた。
「…それって…」
「…んー?…」
西野のとぼけた声。
僕は灯の消えた線香花火をバケツの中へ入れた。
ドクンッ
手持ちぶさたになった右手が緊張を高める。
体が、心を動かしているみたいだった。
「…西野。」
ゆっくりと立ち上がり、僕は呼び掛けた。
それを見て西野も立ち上がる。
綺麗な瞳が僕を見つめる。
拒絶されることが怖くて、でもそれだけ愛しかった。
「好きなんだ…、西野のことが」
ドクンッ
言ってしまった。
その途端、まるで今言った言葉が僕の心を支えていたみたいに胸の鼓動が一気に高くなった。
君は僕をじっと見つめたままでいる。
止まった時間はなかなか動き出さない。
ただ、ただ、胸の鼓動が早まっていく。
変わらぬ時間に耐えかねて僕から口を開こうとしたそのときだった。
ビュウウッ…
ザザァ…
二人の間をまた風がすり抜けていった。
その瞬間、水面が揺れる、長く伸びた草がざわめく、あらゆるものが動き出す。
そんな中、目の前の君は呼吸を止めて目を閉じた。
自然と二人の距離が縮まる。
そしてまた、二人の時間が止まった。
土手の上の自動販売機で二人分のジュースを買った僕は河原に下りた。
歩いてすぐ届く距離のその場所で君は一人で線香花火に火をつけている。
その明かりを大切に守るように、空いた左手で風からかばって。
そんな後ろ姿がたまらなく愛しくて、僕は立ち止まり君を見つめる。
燈した灯は大切に守っていこう。
理不尽な風からは二つの手でかばいながら。
今度は決して消えないように、
長く、長く、続けよう。
線香花火の儚い灯、
ずっと、ずっと灯していこう
―――おわり―――
[No.1083] 2008/07/01(Tue) 01:10:36 |